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  • 使徒たちの活動 ― 大胆で熱心な証しの業の記録
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1976
塔76 6/1 345–348ページ

使徒たちの活動 ― 大胆で熱心な証しの業の記録

イエス・キリストは,約三年半にわたって神の王国を勇敢に宣べ伝え,その後死刑に処されました。イエス・キリストは,自分の主張どおり本当に神の子でしたか。後日ユダヤ人の学者ガマリエルが述べた原則からすれば,イエスの業が自分自身から出たものであったなら,その業はイエスの死と共に終わっていたでしょう。しかしその業が神のものであり,イエスが確かに神の子であったなら,彼の死はその業を終わらせるものとはならなかったでしょう。―使徒 5:35-39。

イエスが死からよみがえらされて後に,彼の弟子たちが行なった大胆で熱心な証しの業は,イエスが確かに神の子であり,その業がイエスの父から出ていることを証明しています。イエスの弟子たちは,あらゆる激しい反対にもめげず,神の王国の良いたよりを至るところに広めるための力を与えられました。こうした事柄すべては,「使徒たちの活動」の中に記されています。

「使徒たちの活動」を書いたのはだれですか。内面的,また外面的な証拠は,ルカが筆者であることを示しています。a 「使徒たちの活動」の中で,弟子ルカは自分が,公正で観察力の鋭い記録者であるだけでなく,正確で,十分教育を受けた歴史家であることを示しています。

「使徒たちの活動」は,イエスの昇天で始まりパウロのローマでの投獄で終わっており,西暦33年から61年までのおよそ28年間を網らしています。そして,この書も西暦61年ごろに書かれたものと思われます。というのは「使徒たちの活動」が,西暦64年ごろの出来事,つまりパウロがカエサルの前に出たことや,クリスチャンに対するネロの迫害に言及していないからです。ルカはローマでパウロと行動を共にしていましたから(コロサイ 4:14。テモテ第二 4:11),ルカが「使徒たちの活動」を書いた場所がローマであったと結論するのはやはり妥当なことです。

「使徒たちの活動」の最初の12章には,おもにペテロの宣べ伝える業が,そして残りの16章にはパウロの業が記録されています。「使徒たちの活動」はまた,王国の証しの業が最初はユダヤ人に,それからサマリア人,次いで異邦人にと行なわれたことを述べています。同書は,良いたよりがエルサレムからローマへと広められたことも記録しています。―使徒 1:8。

もちろん,イエスの弟子たちはこうした業を自分の力でなし遂げたわけではありません。神の聖霊を受けていたからこそ弟子たちは証しの業を大胆に,また熱心に行なうことができたのです。彼らは復活したイエス・キリストについて証しをしましたが,それだけでなくエホバ神とその王国についても証しをしました。事実「使徒たちの活動」の中では,神がイエス・キリストよりも二倍も多く言及されています。そして特に異邦人に宣べ伝えた時に,弟子たちはまず最初に創造者エホバ神の存在と善良さについて証しをしました。―使徒 14:14-17; 17:22-31。

ペテロが先頭に立つ

「使徒たちの活動」は,弟子たちに対するイエスの別れの言葉とイエスの昇天で幕を開けます。ペテロの指導の下に,ユダ・イスカリオテの代わりとしてマッテヤが選ばれます。それから120人の弟子たちは,エルサレムのとある二階の部屋で,エホバ神が約束の助け手,つまり聖霊を自分たちの上に注いでくださるのを従順に待ちます。神はそれをペンテコステの祭りの日に行なわれます。こうして弟子たちは,エルサレムでペンテコステを祝うために多くの異なった土地からやって来たユダヤ人たちの様々な言語で,しかも大胆に話すことが可能となります。使徒ペテロはこの時も先頭に立ち,結果としてその日に三千の魂が『彼のことばを心から受け入れバプテスマを受けました』― 使徒 2:41。

三章から五章には,『わたしたちがそれによって救いを得るべき天の下の唯一の名』について,弟子たちが大胆で熱心な証しの業を行なったことに関し,さらに多くの事柄が述べられています。(使徒 4:12)ペテロとヨハネの少しもおくすることのない話し方を見て,反対者は,二人がイエスと一緒にいたことに気付きます。(4:13)彼らは,宣べ伝える業をやめるよう命令された時大胆にこう答えます。「神よりもあなたがたに聴き従うほうが,神から見て義にかなったことなのかどうか,あなたがた自身で判断してください。……わたしたちは,自分の見聞きした事がらについて話すのをやめるわけにはいきません」。脅されて釈放されたのち,ペテロとヨハネは「自分たちの仲間」に会い,起きた事柄を伝えます。それから二人は「思いを一つにし」て,「あらんかぎりの大胆さをもってみことばを語りつづけることができるよう」神に祈ります。またしても宣べ伝える業をやめるよう命じられると,彼らは恐れることなくこう答えます。「自分たちの支配者として人間より神に従わねばなりません」。―4:19,20,23,24,29,31; 5:29。

次の二章でわたしたちは,やもめたちに食物を分配するために選ばれた七人のうちの一人,ステファノについて学びます。ステファノは「慈しみと力」をもって大いなる奇跡を行ない,反対者たちが反ばくできないような効果的な証しをします。(使徒 6:8)何も言えなくなった反対者たちはステファノをサンヘドリンの前に引き出します。そこにおけるステファノの大胆な証言は反対者たちを激怒させ,ステファノは石打ちに遭って殺されてしまいます。こうしてステファノは,最初のクリスチャン殉教者となります。増大する迫害は弟子たちの業をやめさせるものとなりますか。いいえ,決してそのようなことはありません。彼らはどこへ散らされても,「良いたよりを宣明し」続けます。―8:4。

九章は,激しい迫害者であったタルソスのサウロが転向するいきさつについて述べています。どのようにしてですか。復活したイエスが目のくらむような光の中でサウロの前に個人的に現われることによってです。後日パウロとして知られるようになったサウロは視力を取り戻し,彼もまた大胆で熱心な伝道者となり,今や自ら迫害を受ける者となります。十章は最初の異邦人の転向者であるローマの士官コルネリオに良いたよりを伝えるために,神がペテロをどのように用いられたかを述べている点で顕著な章です。

次いで,ヘロデがユダヤ人を喜ばせるために使徒ヤコブを処刑すること,そしてやはり処刑するためにペテロを捕縛することなどについて記されています。しかし神は,ペテロに対して別の考えを持っておられ,一人のみ使いがペテロを獄から解放します。「エホバのことばは盛んになり,広まって」ゆきます。―使徒 12:24。

三回にわたるパウロの宣教旅行

13章はパウロとバルナバが最初の宣教旅行に出発することについて述べています。二人は何百㌔も旅をし,多くの都市を訪れ,数多くの奇跡を行ない,そして『非常に大胆に語った』ので,『大ぜいの人が信者となり』ます。激しい迫害に遭って,彼らが立ち去らねばならなかった都市も幾つかありました。ある都市で,パウロは石打ちにさえされ,死ぬにまかされます。意識を取り戻したパウロは,引き続き「弟子たちの魂を強め,信仰にとどまるように励まして,『わたしたちは多くの患難を経て神の王国に入らねばならない』と言(い)」ます。―使徒 14:1,3,22。

15章には,割礼の問題を解決するために,エルサレムで使徒や年長者たちが開いた会合の様子が描かれています。割礼は異邦人の転向者には必要とされていません。次のように述べられているからです。「聖霊とわたしたちとは,次の必要な事がらのほかは,あなたがたにそのうえなんの重荷も加えないことがよいと認めたからです。すなわち,偶像に犠牲としてささげられた物と血と絞め殺されたものと淫行から身を避けていることです」― 使徒 15:19,20,28,29; 21:25。

二回目の宣教旅行に際して,パウロは同伴者としてシラスを選び,途中でテモテがそれに加わります。マケドニア(現在のギリシャ)に渡って来て助けてくれるようにと幻の中で告げられ,一行はフィリピへやって来ます。宣べ伝える業が成功したためにそこでも騒ぎが起き,パウロとシラスは獄につながれます。地震のため二人は自由になり,その結果牢番が信者になります。テサロニケ,ベレアへと進み,二人は成功を収めますが,激しい迫害のため各々の場所を去ることを余儀なくされます。(使徒 16:9–17:15)アテネに着くと,パウロは市場で大胆に宣べ伝え,哲学者たちに連れられて,アレオパゴスの前へ行きます。そこでパウロは,創造者である神に関して,人類家族が一つであることについて,そしてイエスの復活に関して偉大な証言をします。(17:16-34)コリントへと進み,パウロはそこで関心を示す人々を非常に多く見いだしたので,そこに18か月間滞在します。―18:1-17。

アンティオキアにある本拠地に戻り,そこにしばらく滞在した後,パウロは三回目の宣教旅行に出発します。エフェソスに到着すると,会堂に入って『大胆に語り』,他の場所でも合計二年の間語ります。(使徒 19:8-10)パウロは多くの奇跡を行ない,大勢の人々が信者となります。またしても,パウロの成功は騒ぎを引き起こしますが,そこを去る必要はありません。エルサレムへ帰る途中,パウロはミレトスで自分に会うようにとエフェソスの年長者たちを呼びます。そこでパウロは自分の利他的な生涯に言及し,年長者たちに次のような優れた助言を与えます。「あなたがた自身と群れのすべてに注意を払いなさい。……聖霊があなたがたをその群れの中に監督として任命したのです」。そして,最後にこう述べます。「わたしは,このように労して弱い者たちを援助しなければならないこと……を,すべての点であなたがたに示したのです」。パウロは年長者たちに,イエスの次の言葉を銘記するようにとも告げます。「受けるより与えるほうが幸福である」― 20:17-35。

支配者たちの前で,そして獄中で

「使徒たちの活動」の最後の八章には,主として,獄中にあるパウロの経験が記されています。それらの章は,パウロがユダヤ人に,そしてローマの支配者,フェリクス,フェスト,そしてアグリッパ王に向かって恐れることなく証言することを述べています。パウロはその弁明の中で,イエスが自分に奇跡的に現われ,宣べ伝えるようにとの命令を与えたことを語ります。公正な裁きを受けるためパウロはカエサルに上訴します。

ローマへの旅の途中,大あらしに遭い,そのために船は浅瀬に乗り上げ,大破してしまいます。しかし,み使いがパウロに保証したとおり,船に乗っている者はみな無事岸に泳ぎ着きます。三か月後,パウロとその旅の一行はローマに向けて出帆し,ポテオリという海港でクリスチャン兄弟たちに会い,その後ローマへと行きます。ローマでパウロはユダヤ人の中の主だった人々を呼び集め,証言をします。信じる者たちもいますが,その多くは信じません。二年の間,パウロは『自分の借りた家に』とどまり,『そのもとに来る者をみな親切に迎え,……人びとに神の王国を宣べ伝え』ます。―使徒 28:30,31。

確かに,これら初期クリスチャンの築き上げた記録は,イエスによって始められた業が神のものであり,人間のものではないことを,はっきりと証明しています。初期クリスチャンたちは,よみがえらされた自分たちの主に導かれ,神の聖霊の力をもって,大胆に,熱心に,そして非常に産出的に,証しの業を行なうことができました。その結果,幾千人もの人々が信者になりました。使徒パウロが,その手紙の一つで述べているように,初期クリスチャンたちの熱心さにより,良いたよりは「天下の全創造物の中で宣べ伝えられ」ました。―コロサイ 1:23。

[脚注]

a 詳細は「聖書理解の助け」(英文)32ページをご覧ください。

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