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  • フィレモンへの手紙はクリスチャンの兄弟愛を示すもの ―「社会改革的な福音」ではない
    ものみの塔 1976 | 12月1日
    • はそれをパウロの勘定とすることができました。パウロがそれを返すからです。パウロは,フィレモンに一層喜んで応じてもらうため,フィレモンが最初にクリスチャンとなったときのことで自分に負い目があるという点を思い起こさせます。それゆえに,パウロは自分の願っている以上のことをフィレモンがしてくれると確信しています。

      パウロはこの手紙を,獄中,あるいはローマで家に拘禁されていた間に書きました。それは,エフェソス,フィリピ,そしてコロサイの諸会衆へ手紙を書いたのとほぼ同時期であり,西暦60から61年までの間のことでした。手紙の終わりのほうでパウロは,仲間のクリスチャンの祈りによりローマでの捕らわれの身から間もなく自由にされる希望があると述べており,自分のために宿を用意するようフィレモンに頼んでいます。テモテにあてたパウロの第二の手紙から,そうした祈りが確かに聞き届けられ,パウロが釈放されて宣教活動を続行したことが分かります。

      フィレモンへのパウロの手紙は,経済的および社会的な不正や差別のために苦しんでいる献身したクリスチャンすべてが留意しておくとよい,優れた原則を強調していると言えるでしょう。それは何ですか。それらのクリスチャンは,エホバ神とキリストとを知り,神の王国の希望を抱いているので,不正や差別のために苦しんではいなくても聖書の真理や希望をもっていない人々より,はるかに優れた立場を享受しているということです。

  • 彼らは『その労苦のゆえに良いものを見る』
    ものみの塔 1976 | 12月1日
    • 彼らは『その労苦のゆえに良いものを見る』

      韓国の釜山は,人々があふれんばかりの都市です。30年足らずのうちに,人口は25万人から150万人へと膨れ上がり,その数は今もって増え続けています。釜山が目立った存在となったのは朝鮮戦争の時でした。戦争中の一時期,釜山は韓国の暫定的な首都として,また,共産主義者の侵攻を恐れて,逃れてきた幾千人もの人々の難民センターとしての役を果たしました。

      これらの難民の中には,聖書に記されている神の王国の約束に信仰を持つ人が幾人かいました。彼らは,初期クリスチャンが「散らされた」時に行なった業,つまり『みことばの良いたよりの宣明』を続けました。その結果,釜山にエホバの証人の会衆が設立されました。それは1950年のことです。しかし,その最初の会衆は拡大を続け,1976年までに,釜山地区に54の会衆が設立されるに至りました。―使徒 8:4。

      こうした拡大は人口の増加と共に,問題をもたらしました。過密都市では,エホバの証人が年に二回開く巡回大会の会場を借りることはほとんど不可能になりました。では,どうすればよいのでしょうか。西欧の幾つかの国々では,こうした大会を開催するホールがエホバの証人たちの手によって建てられています。アメリカやヨーロッパでできたのであれば,アジアでも行なえるのではないでしょうか。そして韓国のエホバの証人はまさにそのことに着手したのです。

      経済上の難問題を抱えているこの国で,証人たちは,こうした大規模な建築計画の資金をどのように調達できたのでしょうか。エホバの証人の一人が自分の事業の利権を売り,その収益の大半をこの建築計画のために寄付しました。これをきっかけに寄付が次々と寄せられ,落成時までにはほとんどの支払いを終えていました。エホバの霊が,この計画を真心から支持するようご自分の民を奮い立たせたことに疑問の余地はありません。

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