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自分の命を過度に惜しまないものみの塔 1976 | 8月1日
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20 (イ)なぜわたしたちは自分の命を過度に惜しむべきではありませんか。(ロ)勝利を得る人々にはどんなすばらしい前途がありますか。
20 そういうわけでエホバは世界中に,年齢の別なく忠実な者たちを有しておられます。彼らは死に直面しても自分の命を過度に重視することをせず,試練の下で忠節と献身を示しました。家族や友人の反対に遭おうと,あるいは他の筋から暴力によって虐待されるようなことがあろうと,大切なのはエホバに信頼を置くことです。ステファノやパウロのように個々の人はあるいは死ぬかもしれませんが,サタンとその手先が神の民をまっ殺することはありません。むしろ啓示は,昼夜神に神聖な奉仕をすることにより神への献身を証明して「大患難」を無事に通過させられる,エホバの忠実なしもべたちの「大群衆」がいることをはっきりと予告しています。わたしたちは今サタンの怒りやだれか人間の怒りを恐れるのではなく,神の恵みを保って,神の不興という「太陽」の燃えるような光線や「炎熱」の下にさらされる人の部類に入らないようにすることに,より多くの関心を払うべきです。忠実な人類を牧し,命の水の泉に導くことを約束された神の子羊の有益な指導に従うほうがどれほどよいか分かりません。そこで「神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去られ」ます。現在の体制の迫害や憎しみは遠い過去のものとなるからです。―啓示 7:14-17。
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ローマ人への手紙 ― ユダヤ人と異邦人のための良いたよりものみの塔 1976 | 8月1日
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ローマ人への手紙 ― ユダヤ人と異邦人のための良いたより
ローマにいたユダヤ人と異邦人のクリスチャンにあてた霊感による使徒パウロの手紙は,それらのクリスチャンにとって確かに良いたよりでした。イエス・キリストにより備えられた贖いのゆえに,ユダヤ人と異邦人はエホバ神の前に平等であり,イエス・キリストに信仰を働かせることにより,神から義と宣せられるのです。ユダヤ人はもはや律法の束縛の下にはおらず,またキリスト教に帰依した異邦人もエホバの崇拝者となるために割礼を受ける必要はありませんでした。なんと「良いたより」なのでしょう。実際に,パウロはこの手紙の中で,「良いたより」という言葉を12回も用いています。―ローマ 1:9,17; 3:20-30。
パウロはこの手紙を,いつ,そしてどこから書きましたか。「使徒たちの活動」と「ローマ人への手紙」そのものは,西暦56年ごろコリントにいた間にパウロがこの手紙を書いたことを明らかにしています。厳密に言えば,この手紙はパウロが口述し,パウロの協力者の一人であったテルテオが書いたものです。―ローマ 16:22。a
ローマのクリスチャン会衆はどのように発足しましたか。その会衆を構成していたのは,ユダヤ人と改宗者であったと思われますが,それらの人たちは西暦33年のペンテコステの際にエルサレムに来て,ペテロやその他の人々により宣べ伝えられたイエス・キリストに関する良いたよりを聞き,バプテスマを受け,そしてローマに戻った人々です。―使徒 2:5,10。
この手紙の中でパウロは,ローマにいた自分の兄弟たちに対して暖かい愛だけでなく,こまやかな心遣いをも示しています。なぜそう言えます
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