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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1976
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法王の警護

● 最近のAP通信の報道によれば,バチカンのスイス護衛兵はその装備に今や催涙ガスを加えました。90人から成る護衛隊は彼らの持つ軽機関銃と銃剣つきライフル銃あるいは護衛の際に持つ槍と戦斧よりも“危害を加えるおそれの少ない”防御用の武器を望んだということです。しかしそもそもバチカン市がこのように武装した護衛兵を必要としているのは一体どういう訳ですか。「その主要な役目は法王の身辺を警護することである」と,新カトリック百科事典にあります。しかし“キリストの代理者”をもってみずから任ずるこの法王が代表しているはずのかたについてはどうですか。イエス・キリストはローマ総督ピラトに対してこう言われました,「わたしの王国はこの世のものではありません。わたしの王国がこの世のものであったなら,わたしに付き添う者たちは」― 処刑のために ―「わたしをユダヤ人たちに渡さないようにと戦ったことでしょう」。キリストに「付き添う者たち」はこの理由で武器を必要としませんでした。しかし明らかに法王は彼に「付き添う者たち」が武器を必要とすると考えています。法王の信仰,勇気あるいは“王国”はキリストのそれとは比べものにならないようです。―ヨハネ 18:36。

血はすべてを語る

● スイスのチューリッヒで開かれた法医学者の国際会議で英国の法医学者たちが語ったところによると,『およそだれでも血痕を残すならば,その人がどんな人かを示す個性を再現することは,法医学によって間もなく可能になるであろう』とのことです。ドイツの新聞ディー・ウェルト紙に報ぜられたように,研究者たちは次のことを発見しました。すなわちそれぞれの人の血液中には,一生の間に蓄積された,非常に多くの,さまざまな病気に対する抗体が含まれており,それによってその人の血液は他のどんな人の血液とも異なっているという事実です。「他のどんな血液とも完全には適合させ得ない,特定の独自な血液型をだれもが有していることは,今日認められている」と,同紙は述べています。ある人がどこに住んでいたか,およその年齢,アレルギーに関する情報,さらには職業や性的習慣に関する事柄さえも,血液を分析することによって知られるようになりつつあります。「簡単に言えば,その経歴,環境と共に,ある人を『見分け得る程度まで』再現する可能性は無限のように思われる」と,その記事は結んでいます。ひとつにとどまらず多くの点で「すべて肉の命は,その血と一つ……である」と確かに言えます。―レビ 17:11,14,口語訳聖書。

聖書を裏づける出来事

● グァテマラで最近起きた地震は,すでに死者となった人々のある者にさえ影響を及ぼしました。「家族の墓所に死者を埋葬しようとした数人の会葬者は,長い間葬られていた縁者の棺が地震のために開かれているのを発見した」と,タイム誌は報じています。イエスの死の時にエルサレムの地域で起きた地震の間にも同様な事が起きました。パレスチナの柔らかい石灰岩を掘って,多くの場合,山腹に作られた部屋つまり丸天井の墓に死体を置くのが当時の習慣でした。聖書が伝えることをヨハネス・グリーバーの翻訳によって見ると,イエスの死なれた時,「地は震い,また岩は砕けた。墓は開かれたままになり,そこに葬られていた者の多くの体が直立した姿勢となって投げ出された。この姿勢でそれらの死体は墓から突出し,都へ帰る道すがらそこを通りかかった多くの人に見られた」。ゆえにこの出来事は聖書のある翻訳が暗示するような復活ではなく,グァテマラで起きたと同じく,死体が人々の目にさらされたに過ぎなかったようです。―マタイ 27:51-53。

悪い先例

● カトリック司教協議会の会長であるインドのジョゼフ・パレカティル枢機卿はインドのカトリック制度が「インドの教会」に発展するように努めるべきであると訴えました。インド,エキスプレス紙の伝えるところによれば,同協議会の総会において枢機卿はこの目的のために『インドの諸宗教,思想,哲学体系の広大な富源から汲み取る』ことの必要を強調しました。彼は『キリスト教神学者が他の宗旨との対話を率直に行なった[キリスト以後]最初の四世紀』のことを司教たちに先例として引き合いに出しました。もちろん『他の宗旨』と言えばキリスト教以外の宗教であった訳ですが,それも枢機卿の意に介するところではなく,彼は最初の四世紀におけると同様,「土地の文化から用語や思想の様式を吸収することは,教会において進行中の過程でなければならない」と訴えました。こうしてパレカティル枢機卿は,「背教」に関する聖書の警告と,背教の始まりは一世紀以降「すでに作用」していたことを確証しています。―テサロニケ第二 2:3,7。

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