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惜しみなく与えることには報いがあるものみの塔 1976 | 9月1日
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のは間違いということになります。―テモテ第一 5:8。
とはいえ,たとえ物質的に恵まれていない人でも,惜しみなく与えることは可能です。孤独な人と一緒に時を過ごす機会があるかもしれません。そのような人を励ます言葉を語ることができるでしょう。あるいは,たとえ公園や森を散歩するだけのことであっても,他の人と一緒に何か健全な活動をすることができるかもしれません。また,自分の体力を用いて他の人の役にたつ,個人的な事柄をしてあげられる場合もあるでしょう。
それで限界はあるにしても,人は「快く与える者」となってその健全な結果を楽しむことができます。(コリント第二 9:7)何であれ自分の持つものを惜しみなく与え,また他の人に与える際に分別を用いるならば,人は心に喜びと満足を得て報われます。神のご意志に一致する事柄を行なったことを知るゆえの満足を覚えます。ゆえにそのような人は,引き続き神の祝福と導き,また保護を経験することを確信できます。
確かに,他の人の福祉に深い関心を払う時,わたしたちは自分の時間,体力また持ち物を惜しみなく与えて他の人の必要に応ずるように動かされることでしょう。そうすることにより,わたしたちは神の是認されたしもべとして,ひきつづき豊かな報いを経験できます。
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栄光 ― それは何ですか 人間にどう影響しますかものみの塔 1976 | 9月1日
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栄光 ― それは何ですか 人間にどう影響しますか
「栄光」,「栄光の」,あるいはこれと同類の言葉を聞く時,あなたは何を思い浮かべますか。これは聖書を研究する人にとって関心のある事柄です。その訳は,「栄光」という語がいろいろな語形で450回以上も聖書に出ているからです。栄光とはどういうことですか。
聖書は栄光ということについて,幾通りかの違った仕方で述べています。ヘブライ語聖書において,最も多く「栄光」と訳されている原語はカーボードで,その基本的な意味は「重味,重荷」です。それで,ある人の場合,栄光とは物質的な所有物のことを指しています。財産によって人は重きをなし,感銘を与えるように見えるからです。
神の栄光
聖書は神に関連して数多く栄光ということを述べています。これらの場合における栄光の意味について,新約聖書神学辞典に次のように出ています。「人間に関連してカーボードが,物質的な所有物の点においてであれ,人目を引く[威厳あるいは重要さの]点においてであれ,人に重きをなさせ,尊敬を得させるものを意味するとすれば,神に関連してそれは,人間の前に神を重要な存在とならせるものを意味する」。
宇宙にちりばめられた無数の天体は,この意味で「神の栄光をあらわし」ています。(詩 19:1,口)モーセの律法が与えられた時,「燃る火」を含む恐るべき光景は,シナイ山の上における
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