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助言 ― あなたはその益にあずかりますかものみの塔 1976 | 12月15日
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それは,ローマ 12章3節の論議に現われる,人間の性向です。「あなたがたの中のすべての者に言います。自分のことを必要以上に考えてはなりません」。原因は誇りです。誇りとは,極端な自尊心,あるいは他の人に対する不条理な優越感のことです。どうしたらこの誇りという障壁を克服できますか。
基本となるのは,ローマ 3章23節に記されている次の真理を受け入れることです。「すべての者は罪を犯しているので神の栄光に達しない(のです)」。このことを信じておられますか。すぐに,信じています,とお答えになるかもしれません。しかし,あなたの生活の仕方は,その真理に対する認識を本当に表わすものですか。優れた助言をはねつけて,自分は「常に正しい」という印象を与えているなら,その真理を認めていることにはなりません。
そして,矯正のための諭しを高慢にも拒絶した場合にもたらされる悲惨な結果について考えてみてください。一つの点として,そうした人は孤独です。自分の間違いを認めようとしない人とだれが交わりたいと思うでしょうか。さらに悪いことに,創造者は次のように言明しておられます。「自己を高めることと,誇り……をわたしは憎んだ」。(箴 8:13,新)ごう慢な精神はエホバ神との関係を損ないます。ですからそれは,何ら有益な結果をもたらしません。「誇りは崩壊の前にあり,傲慢な霊はつまずきの前にある」― 箴 16:18,新。
一方,「懲らしめの戒めは命の道」です。(箴 6:23,新)助言に答え応じる人は,他の人々と,そして最も大切なこととして創造者との良い関係を保てます。そのような人は近視眼的な見方に捕らわれることはありません。その人は他の人々の考えから個人的な益を受けるだけでなく,広い見解を持つことの益を仲間の人々に示します。助言には確かに益があります。それで問題となるのは,あなたはその益にあずかりますか,ということです。
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預言者にはどんな役割がありましたかものみの塔 1976 | 12月15日
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預言者にはどんな役割がありましたか
古代ヘブライ人の預言者たちのことが話題に上ると,どんなことを思い浮かべますか。将来の事柄について予告した人について考えますか。それとも,神のご意志を行なうよう民を促した人のことを主に思い浮かべますか。
古代ヘブライ人の預言者は,確かに特定の出来事を予告しました。しかし,彼らの預言の業は,予告をすることだけに限られていたわけではありません。これは,預言者を意味するヘブライ語のナビという言葉からも分かります。この言葉そのものは,予告をするという考えを伝える語ではありません。ナビは,『多くの言葉を口から注ぎ出す者』,あるいは『よどみなく話す人』を意味しています。この語の実際の用法は,真の預言者が神の代弁者であり,霊感による生き生きとした音信を携えていたということを示していました。神の預言者の務めにどんな事柄が含まれていたかは,彼らの行動と,預言者の職にあると偽って唱える人々の行動とを比較すると一層よく分かります。
例えば,ヘブライ人の預言者ミカの時代の状態を考えてみてください。イスラエルとユダの中では,道徳の著しい崩壊が見られました。指導者たちは,人々,それも貧しい人や困っている人を抑圧し,裁き人や祭司たちは,金銭に対して飽くこと
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