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エホバの友 それとも 世の友 ― あなたはそのどちらですかものみの塔 1976 | 6月1日
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に過ぎません。モーセが示した立派な模範に倣うほうが良いのではありませんか。聖書は彼について次のように述べています。「信仰によって,モーセは,成人した時,ファラオの娘の子と呼ばれることを拒み,罪の一時的な楽しみを持つよりは,むしろ神の民とともに虐待されることを選びました。キリストの非難をエジプトの宝にまさる富とみなしたからです。彼は報いをいっしんに見つめたのです」。(ヘブライ 11:24-26)モーセは,世の友となる勧めを,その富や魅力と共に退けました。なぜなら,エホバからの報いを望んだからです。その報いとは何だったでしょうか。神の友としてとどまれば神に覚えられ,義の新秩序で復活させていただけることを彼は知っていたのです。
21 (イ)神の友のために蓄えられている報いを得るには何をしなければなりませんか。(ロ)わたしたちが受ける報いは何ですか。
21 わたしたちの信仰また希望も,モーセのそれと同じほど強いものでありますように。生活のすべての面で,世とその友の『汚れに染まらない』状態を常に保つことができますように。願わくは,わたしたちの考えや行動が,わたしたちの親しい友エホバを中心としたものであり,わたしたちの心の願いが,エホバを親密な友として深く愛し続けることでありますように。わたしたちが,『主の油そそがれた者』の一人であろうと,「大群衆」の一人であろうと,それは現在多くの祝福を受けることを意味しますが,なかでも最も大きな祝福は,エホバの友だけが住む義の新秩序において永遠の命という賞を受けることです。―テモテ第一 4:8。
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あなたがたは聖なる者でなければならない エホバは聖なる者であられるからであるものみの塔 1976 | 6月1日
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あなたがたは聖なる者でなければならない エホバは聖なる者であられるからである
「自らもすべての行状において聖なる者となりなさい」― ペテロ第一 1:15。
1 「聖なる者」という言葉を耳にすると,あなたはどんなことを考えますか。
だれかが,「聖なる者」という言葉を口にすると,あなたはそれを聞いてどんなことを考えますか。「神聖さ」など,およそ自分の到達しがたいもの,得がたい特質である,と考えますか。あるいは,「聖なる」人になどとてもなれない,と考えますか。それとも,キリスト教世界や異教世界が描く「聖なる」人 ― 特別の衣服を着け,神聖ぶった態度を取って,信心深そうな様子をする人,鼻もちならないほど信心家ぶる人を思い浮かべますか。「聖なる者」という言葉を聞くときにもしそのようなことが脳裏に浮かぶとすれば,あなたはまだ,聖書がどういう意味でその語を用いているかを理解する必要があります。
2 ヘブライ語とギリシャ語の「聖なる者」および「神聖さ」にはどんな意味がありますか。
2 聖書中の英語の「holy」また「holiness」という語は,「清いもの」,「新しい,または新鮮な,汚点のないもの」という意味の語源を持つと思われるヘブライ語から翻訳された語です。これは物理的な意味に当てはまりますが,さらに重要なことに霊的もしくは道徳的な意味に当てはまります。したがって,これらの語は主に道徳的清さ,神聖さ,清浄さと関係があります。これらのヘブライ語はまた,神のために分離されている,神だけに属する,あるいは神のために神聖なものとされている,という意味があります。クリスチャン・ギリシャ語聖書においては,その二つの語はやはり神のために分離されていることを示し,個人の私的行動の清さまたは完全さを表わします。
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