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わたしたちの信仰の試された質 ― それは賛美と誉れのいわれとなるものみの塔 1976 | 8月1日
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憎しみに遭ったにもかかわらず,彼は信仰をゆるがすことも,なすべく召された業を捨てて転向することもしませんでした。彼は主を信頼し,復活の希望があることを確信していました。―コリント第一 15:14,21,22。
23 パウロが自分の歩んだ道を恥じていなかったことがどうして分かりますか。
23 パウロは,自分の歩んだ人生を恥じてはいませんでした。彼はアグリッパ王にこう言いました。「わたしは,あなただけでなく,きょうわたしのことばを聞いておられるすべてのかたが,こうしたなわめは別として,わたしのような者になってくださればと神に願いたいほどなのです」。(使徒 26:28,29。ローマ 1:16)彼は多くの試練に耐えなければならなかったにもかかわらず,同じ道を歩むよう兄弟たちを励ましました。コリントの兄弟たちに対し彼は,「わたしがキリストに見ならう者であるように,わたしに見ならう者となりなさい」と書き送っています。(コリント第一 11:1)パウロはわざわざもんちゃくを求めに行くようなタイプの人でも,苦難や殉教に際して,それが個人に栄光をもたらすかのように騒ぎ立てるタイプの人でもありませんでした。しかし彼は真理をしっかりと擁護しました。テサロニケ人に手紙を書いた時,彼は良いたよりがただことばだけに終わるのではなく,「力と聖霊と強い確信をも伴って」いたこと,『そして,多くの患難のもとで聖霊の喜びをいだきながらみことばを受け入れたことを見れば,彼らがパウロたちに,そして主に見倣う者となった』ことを喜んでいます。―テサロニケ第一 1:5,6。
24 パウロのような信仰を実証するときにどんな祝福がありますか。
24 わたしたちのうちほとんどは,パウロが遭遇した試練すべてに直面するようなことはないでしょう。それでもわたしたちは皆このような信仰を示すことができます。彼がヘブライ人に与えた次の励ましの言葉を思い起こすことができます。「わたしたちは,しりごみして滅びに至るような者ではなく,信仰をいだいて魂を生き永らえさせるものです」。(ヘブライ 10:38,39)信仰の試された質は忍耐を生み出すことをわたしたちは知っているのですから,パウロがキリスト・イエスに見倣ったように,わたしたちはパウロに見倣う者とならねばなりません。自分の上に試練が臨んでも忠実に耐えるとき,わたしたちの場合にも,わたしたちの信仰の永続的質は,「イエス・キリストの表わし示される時に,賛美と栄光と誉れのいわれとなる」ことをわたしたちは知っています。―ペテロ第一 1:5-7,9。ヤコブ 1:2,3。
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自分の命を過度に惜しまないものみの塔 1976 | 8月1日
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自分の命を過度に惜しまない
1 「終わりの時」に弟子たちにどんなことが起こるとイエスは言われましたか。
イエスは,1,900年という長い期間にかかわる預言の中で,終わりの時にご自身の忠実な追随者たちに加えられる迫害が激しさを増すことを予告し,次のように警告されました。「人びとはあなたがたに手をかけて迫害し,あなたがたを会堂や獄に引き渡し,あなたがたはわたしの名のために王や知事たちの前に引き出されるでしょう。それはあなたがたにとって証しの機会となるのです。……わたしがあなたがたに口と知恵を与え,それには,あなたがたの反対者がみないっしょになっても,抵抗することも論ばくすることもできないからです。さらに,あなたがたは,親,兄弟,親族,友人たちによってさえ引き渡され,彼らはあなたがたのうちのある者たちを死に処する
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