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キリストの再臨 ― どのように見わけるかをご存じですかものみの塔 1966 | 5月15日
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そしてそれらのことがすべて24時間のうちに行なわれると信じ,それに対して備えをしていました。
しかし多くの宗教指導者たちは,イエスがじきじきに地上の事柄に干渉するという思想を排し,キリストの国は人々の心に満ちわたるものであり,キリスト教会が,「キリスト教徒の」政府と協力しながら,その道徳の力によって人類を徐々にキリストとの一致に導くものであると教えました。
わたしたちは何を信ずべきですか。どうすればわたしたちの期待すべきことがわかりますか。もちろんそれには,神のことばである聖書の導きが必要です。そしてキリストご自身,および霊感を受けた弟子たちがキリストの再臨にかんしてなんと述べているかを知らねばなりません。マタイ伝 24,25章,ルカ伝 21章,マルコ伝 13章,テモテへの第二の手紙の3章1-5節には,キリストの再臨にさいしてわたしたちの予期すべきことがすばらしい預言の形で示されていますから,そこをお読みになってはいかがですか。
キリスト再臨の真の意義
右にあげた聖句を読むと,イエスもイエスの使徒たちも,イエスの再臨の時が,国際平和と兄弟愛の時であるとは言っておらず,むしろ国際間の戦争と暴力の時代であると述べていることがわかります。(マタイ 24:7,8)イエスの再臨の時は,あらゆる問題や苦しみから直ちに救われる時ではなく,ききん,疫病,地震の時であり,諸国民が憂い悩む時です。(ルカ 21:11,25,26)またそれは,道義と善の栄えるときではなく,金銭と快楽を愛し,放縦で恩を知らぬ非行者たちや偽善的な宗教家たちのゆえに,「不法」の時,「苦しい」時です。(マタイ 24:12。テモテ第二 3:1-5)イエスは,イエスの再臨とイエスの御国の樹立とにかんする喜ばしいおとずれが,人々から尊敬される著名な,そして社会的に人気のある宗教指導者や牧師によって宣明されるとは言われませんでした。イエスのことばによると,そのおとずれは,「すべての国民」から迫害され,憎まれ,裁判所にひきたてられたり,投獄される人々によって宣べ伝えられるのです。―マタイ 24:9,14。ルカ 21:12-19。
このことと,1914年以降のできごととを比較してください。エホバの証人は,この年より40年まえから,1914年が「異邦人の時期」の満ちる時であり,キリストが御国の支配を開始する時であることを指摘してきました。(ルカ 21:24)英国では,8人の著名な牧師が,この年から始まった世界をゆるがす出来事をみて,1917年の後半に,「現在の危機は異邦人の時期の終末を示す」「いまは主がいつなん時出現されるかわからないときである」という声明を発表しました。しかし第一次世界大戦後,これらの牧師たちは,ほかの牧師仲間と同じく,国内問題や国際問題に心をうばわれ,キリストの再臨と時の重大さに関する以前の発表をかえりみなくなりました。それ以後彼らは,キリストの再臨が始まったということを発表する伝道には耳を傾けないようにと,信者たちに働きかけました。
こうして現代の牧師たちも,イエスの時代の牧師と同じ点で悲劇的なまちがいをしました。つまり,見当はずれのことを期待したのです。パリサイ人がイエスに神の国の到来について質問したとき,イエスが彼らに,「神の国は,見られるかたちで来るものではない。また『見よ,ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は,実にあなたがたのただ中にあるのだ」と言われたことを彼らは忘れたのです。(ルカ 17:20,21)パリサイ人は,イエスが自分たちのただ中にいたのに,イエスが御国の主要な代表者であることを認めることができなかったのです。それと同じく今日の牧師や支配者たちも,御国の支配を宣べ伝える使者としてイエスがつかわす,へりくだった男や女を認めようとせず,彼らを迫害することさえします。―マタイ 24:9,14。
本誌は過去3回にわたり,キリストの再臨が霊的な再臨であるために目に見えないということを説明してきました。そこで,ルカによる福音書 17章26節に記録されているイエスの次のことばに注意してください。「ノアの時〔日々〕にあったように,人の子の時にも同様なことが起るであろう」。なぜ「日」ではなく「時」ということばが使われているのですか。なぜならキリストの再臨はわずか24時間のできごとではないからです。24時間であったなら,(地球の莫大な人口を考えると)イエスは1秒間に3万5000人の割でさばきを行なわねばなりません。再臨は「ノアの時」や「ロトの時」のようにいく年かの期間です。この期間に審判者である王は目に見えないさまで臨在し,いくつかの目的を成し遂げます。それらの目的とは何ですか。
王のなすべきこと
まず王は,主要な問題を処理します。それは大敵サタンとその配下の悪霊どもを排除することです。彼は天での戦い(ゆえに人間の目に見えない)において彼らに勝ち,地球の近辺に追いつめられました。しかしそれによって地球の住民は直ちに解放されたのではなく,むしろ「地と海よ,おまえたちはわざわいである。悪魔が,自分の時が短いのを知り激しい怒りをもって……きたからである」という状態になりました。―黙示 12:7-12。
いまや審判者キリスト・イエスは,その天の王座から地に注意を向け,死の眠りについている忠実な弟子に,天の生命に復活させることによって報いを与え,イエスと共に「くらいに座して……さばかせる」ことができます。(コリント第一 15:20-23。ルカ 22:28-30)イエスの弟子であることを公言する者で,まだ地上に生きている者たちはどうなりますか。イエスは,「麦」と「毒麦」のたとえ話によって,世界ににせのクリスチャンがあふれること,そして「事物の制度の終わり」の時にイエスの真の弟子たちは分離されねばならないことを示されました。(マタイ 13:36-43)かつてイエスに仕えたことのある者たちの中には,「自分の主人は帰りがおそい」と考えはじめる者が出てくるでしょう。彼らは「悪い僕」の級として退けられます。ほかの人たちは,使徒たちや昔の弟子たちのように「忠実な思慮深い僕」級であることを証明するでしょう。このしもべ級についてイエスは,「自分の全財産を管理させるであろう」と言われました。王であるキリスト・イエスの全財産とは,イエスの国の地上における利益であって,これらの忠実なクリスチャンたちは「時に応じて食物をそなえ」ながらそれを管理します。彼らは世界的な伝道をとおし,御国のおとずれを全世界に広げることによってそれを行ないます。―マタイ 24:45-51。
また王なる審判主は,人々を分離するわざにおいて,これらの忠実な伝道者たちを「試金石」のようなものとして用いられます。実際に審判者は天にあって全地を法廷となし,あらゆる国民にそれらの証人をつかわされますから,どの家の戸口にも証人が立ち,そうして「羊飼が羊とやぎとを分けるように彼らをより分け」られます。人々はキリストを見ることはできませんが,王が「わたしの兄弟」と呼ばれたこれらの忠実な追随者たちを見ます。―マタイ 25:31-45。
このようにして,証人の伝える御国のおとずれに耳を傾ける正しい人々の「大ぜいの群衆」は御国の側に立ち,その伝道に加わります。彼らは「一つの群れ」として,天の御国を受け継ぐ人々と一致し,神が立てられる正義の新秩序のもとの地上の楽園で命を得る備えをします。―黙示 7:9,10。ヨハネ 10:16。黙示 21:1-4。
これを成し遂げることは大事業であり,しかも反対がありますから,忍耐を必要とします。王もそう言われています。「しかし,最後まで耐え忍ぶ者は救われる。そしてこの御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである」。(マタイ 24:13,14)こうして宣明のわざと集めるわざが王の満足のゆくまで行なわれたならば,次に王はエホバのさばきの刑執行者として,見えるものも見えないものも,御国の敵対者すべてをこの地から一掃し,利己的な人間と,目に見えない悪霊の地の支配に終止符をうたれます。―ダニエル 2:44。黙示 19:11-15; 20:1-3。
「人の子の……時」であるいまの時代は機会の時であり,行動すべき時であり,支配している王キリスト・イエスの恵みを受けるべく決意すべき時であります。今日になって,なおがんこに見当ちがいの証拠を待っている人はきわめて危険な状態にいます。あなたはいま,キリストの再臨の意義を明確に理解し,間もなく来る神の正義の新秩序の中で生命を得そこなうことがないよう,遅すぎないうちに行動してください。
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新しい契約の真の当事者ものみの塔 1966 | 5月15日
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新しい契約の真の当事者
「〔エホバ〕は言われる,見よ,わたしが……新しい契約を立てる日が来る。……それは,彼らが小より大に至るまで,皆わたしを知るようになるからであると〔エホバ〕は言われる。わたしは彼らの不義をゆるし,もはやその罪を思わない」― エレミヤ 31:31-34〔新世訳〕
1 ニューヨーク・ポストによると,1945年の国際連合設立会議は昔のどんなできごと以来もっとも重要な会合でしたか。それでどんな疑問が起きますか。
20年前,国際連合機構が設立された時,一新聞(ニューヨーク・ポスト)はカリフォルニアのサンフランシスコで開かれた設立会議を,「最後の晩さん以来最も重要な会合」と呼びました。その会議によって,国際平和と安全のための51ヵ国の合意が生まれました。最後の晩さんが国際連合設立会議に至る19世紀間に開かれたいかなる会合にもまさるものであるとするなら,最後の晩さんによっては何が生まれたのですか。最後の晩さんもある物事に対する合意と関係がありましたか。ありました。ニューヨーク・ポスト紙は念頭に置いていなかったかもしれませんが,その合意は当時,重要な意味をもつものでした。
2 「最後の晩さん」が開かれたのはいつですか。どこで,またどのように?
2 国際連合設立会議は1945年にアメリカ,カリフォルニア州サンフランシスコ市で開かれました。「最後の晩さん」は西暦33年に中東の都市エルサレムで開かれました。晩さんが始まった時には,聖都の中のある大きな2階の部屋に13人の人がいました。晩さんが終わる前に,13人のうちのひとりは晩さんの司会者により退出させられていました。これらの人々は苦菜,マツオスと呼ばれた酵母を入れないパン,赤いぶどう酒などと一緒に焼いた子羊を実際に食べ,同国民の他の忠実な人々すべてと共に年毎の過越の晩さんを祝っていました。この過越の晩さんはある宗派の人々により今日まで続けられています。それでは西暦33年に開かれたものがどうして「最後の晩さん」と呼ばれるのですか。それはだれにとって最後の晩さんでしたか。
3 それはだれにとって「最後」の晩さんでしたか。その時以来,同じ記念の晩にどんな晩さんが開かれましたか。
3 それは晩さんの司会者にとって,地上でとるその種の晩さんの最後のものでした。彼は自分と共に晩さんの席にいた人々にこう言いました。「わたしは苦しみを受ける前に,あなたがたとこの過越の食事をしようと,切に望んでいた。あなたがたに言って置くが,神の国で過越が成就する時までは,わたしは二度と,この過越の食事をすることはない」。これはこのことばを受けた人々にとっても最後の過越の食事となりました。というのは,実際の物事の進展に見られるとおり,毎年同じ記念の晩に行なわれたとは言え,この時以後彼らは別の晩さんを祝ったからです。それは「主の晩さん」と呼ばれるようになりました。なぜならそれは西暦33年の同じ晩に,晩さんの司会者であった彼らの主によって始められたからです。それは主の忠実な追随者により,それが始められた記念の日に本年まで祝われてきました。―ルカ 22:12-16。コリント第一 11:20。
4 いつ主の晩さんは紹介されましたか。だれに,そしてどんな物を象徴として?
4 一座の中から好ましくない者を退出させたのち,司会者は食卓にあった酵母を入れないパンと赤いぶどう酒を使い,残りの忠実な11人に主の晩さんを始められました。彼はこれら二つの物を象徴として用いられました。すなわち,一かたまりのパンはやがて死に処せられる,人間としての彼の完全なからだを象徴し,ぶどう酒は罪のない人間でありながら敵の手で殺される時に彼が流す命の血を象徴していました。それは,人類の罪のために,完全な人間の犠牲が神にささげられた事を記念する年毎の祝いとなるはずでした。―マタイ 26:26-30。
5 ぶどう酒の杯を渡す時,イエス・キリストはどんな新しい物について語られましたか。それはどれくらいの間効力をもっていましたか。
5 その場にいた者たちに杯をまわし,順に飲ませるにあたり,彼はこう言いました。「この杯は,あなたがたのために流すわたしの血で立てられる新しい契約である」。(ルカ 22:20。コリント第一 11:25)さあここに契約ということばがでてきました。語り手であるイエス・キリストはそれを新しい契約と呼びました。新しいものの到来によって,古いものとなり,廃棄される別の契約に比べて,これは新しい契約となるはずでした。ぶどう酒の杯から飲んだ11人はおそらく,神がご自分の選民と新しい契約を立てるという昔の預言を思い出したことでしょう。もとよりこれは1919年から1920年にかけて成立した有名な契約とは無関係です。その有名な「契約」とは第一次世界大戦後に設立された国際連盟の連盟規約ですが,いま連盟はその「契約」と共に死んでいます。預言された「新しい契約」は今日まで効力をもっており,その恩恵はすべての国の人々に及んでいます。それは何ですか。
6 アメリカナ辞典によれば,法律上の契約とはなんですか。
6 アメリカナ百科辞典(1929年版)によれば,「法律上の契約」とは「二人ないしはそれ以上の人々の間の,証書に定めた合意であり,それによって当事者の一方は一定の行為を行なう事あるいは行なわないことを約束し,または定められた物事の状態が存在し,あるいは存在せず,ないしは存在させ,あるいは存在させないことを約束する」。
7 契約に相当するヘブル語は何ですか。この語の語源をどこに求められますか。
7 預言された「新しい契約」に関する記述が最初に出てくるのはヘブル語聖書の中ですが,大英百科辞典(第11版)は適切にもこう述べています。
契約……二人ないしはそれ以上の当事者の相互的な合意,あるいは当事者の一方が行なう約束。聖書の中では色々な種類の合意を表わすためにヘブル語כריתベリスが使われている。それでこのことばは二人の人の間の協約や2国家間の条約に適用されている。その例としてアビメレクとイサクの間の契約があり,それはイスラエル人とペリシテ人との間の条約に代わるものであった。(創世 26:26……)さらに顕著な場合としては,神と人間との間の契約や,ないしは 宗教上の儀式を行なうことによって神を契約の当事者と見るような合意にも適用されている。ベリスの語源については二つの説がある。(1)このことばを語根「切る」からたどり,犠牲をいくつかに切った太古の儀式に由来を求めるもの。合意の当事者は切ったものの間を通った。ギリシャ語の表現〔誓いを切る〕,および神とアブラハムの間の契約に関する記述(創世記 15:17)を比較せよ。その契約の時,「煙のたつかまど,炎の出るたいまつが,(アブラハムの犠牲にした動物の)裂いたものの間を通り過ぎた……」。
契約の当事者
8,9 (イ)新しい契約の双方の当事者はだれですか。(ロ)この契約を予告するために用いられたのはどんな預言者ですか。その語法は契約の当事者についてどんな疑問を起こさせますか。
8 新しい契約の当事者はだれですか,また今日わたしたちのうちのだれかが新しい契約にはいっているかどうかはどうしたらわかりますか。主の晩さんを始める際にイエスが言われたことから明らかなとおり,新しい契約の当事者は,(1)その場にいた11人の使徒が代表したイエス自身の忠実な会衆と,(2)イエス・キリストが自分の人間の命の犠牲をささげる神です。それら11人の忠実な使徒は割礼のあるユダヤ人でした。それゆえわたしたちはこう尋ねます,新しい契約は神とユダヤ人との間でだけ結ばれたのですか。さらに,新しい契約についての預言は,その語法において,契約が肉体的な意味でのユダヤ人すなわちイスラエル人とだけ結ばれることを示していますか。新しい契約についての預言は紀元前7世紀のユダヤ人の祭司エレミヤによって語られましたが,それはこうなっています。
9 「〔エホバ〕は言われる,見よ,わたしがイスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る。この契約はわたしが彼らの先祖をその手をとってエジプトの地から導き出した日に立てたようなものではない。わたしは彼らの夫であったのだが,彼らはそのわたしの契約を破ったと〔エホバ〕は言われる。しかし,それらの日の後にわたしがイスラエルの家に立てる契約はこれである。すなわちわたしは,わたしの律法を彼らのうちに置き,その心にしるす。わたしは彼らの神となり,彼らはわたしの民となると〔エホバ〕は言われる。人はもはや,おのおのその隣とその兄弟に教えて,『あなたは〔エホバ〕を知りなさい』とは言わない。それは,彼らが小より大に至るまで皆,わたしを知るようになるからであると〔エホバ〕は言われる。わたしは彼らの不義をゆるし,もはやその罪を思わない」― エレミヤ 31:31-34,〔文語〕。
10 その語法に従えば,エホバ神は少なくともだれと契約を立てることを申し出ますか。
10 この預言はエレミヤにより,当時の,割礼のある生来のユダとイスラエルの部族民に伝えられました。それより800年以上前に,エホバ神はエジプトから救い出した彼らの先祖と一つの契約を結んでおられました。そしてエレミヤの預言の語法に従えば,エホバ神はユダとイスラエルの部族に属する,文字どおりの,生来の,そして割礼のあるユダヤ人に対して,約束された新しい契約を結ぶことを,少なくとも申し出ることになりました。
11 イスラエル人は昔のモーセの契約をどの程度に受け入れましたか。新しい契約を受け入れることについてどんな疑問が起きますか。
11 しかし問題は,ユダヤ国民全体,ユダとイスラエルの全部族が新しい契約を受け入れ,定められる条件に従って契約関係にはいることに同意するかどうかということです。アラビアのシナイ山で彼らと以前の契約を結ばれた時,神は預言者モーセを仲保者とされました。神がイスラエル国民に律法の契約を提起された時,「民はみな共に答えて言った,『われわれは〔エホバ〕が言われたことを,みな行います』」。そののち,動物の犠牲がささげられて神とイスラエルの間にこの契約が実際に効力をもつようになった時,「モーセはきて,〔エホバ〕のすべての言葉と,すべてのおきてとを民に告げた。民はみな同音に答えて言った,『わたしたちは〔エホバ〕の仰せられた言葉を皆,行います』」― 出エジプト 19:1-8; 24:1-3。
12 イエスは契約について語りながらだれにぶどう酒の杯を渡されましたか。ユダヤ人は今日どんな契約にはいっていることを主張しますか。
12 今日ユダヤ人は全地に1286万7000人を数えます。これらの人々は新しい契約にはいっていることを主張していますか。主張してはいません。彼らは自分たちの教師に導かれ,シナイ山でモーセを仲介として立てられた古い律法契約下にまだいることをがん強に主張します。それではイエス・キリストが主の晩さんを始めた時,すなわち今から1900年前にいた彼らの先祖についてはどうですか。イエスがぶどう酒の杯を渡し,「みな,この杯から飲め。これは,罪のゆるしを得させるようにと,多くの人のために流すわたしの契約の血である」と言われたのは,ご自分の使徒たちに対してだけでした。それらの使徒たちはすべてユダヤ人でした。彼らはイエス・キリストの犠牲と血とによって立てられる新しい契約へのこの招きを受け入れました。しかしユダヤ国民全体としてはどうでしたか。
13 昔の使徒の時代に何人,あるいはユダヤ国民のうちのだれが新しい契約を受け入れましたか。
13 過越を祝うためその時エルサレムにいたユダヤ人のすべてが,イエス・キリストの紹介された新しい契約を受け入れることに加わりましたか。彼らの大祭司,下位の祭司,学者,サドカイ人,パリサイ人などは,流されたイエス・キリストの血を,契約を成立させるための「契約の血」として受け入れて,エホバ神との新しい契約にはいりましたか。歴史に従えば,ユダヤ人のすべてがそうしたわけではありません。彼らのうちのわずかな残れる者だけがそうしました。
14 新しい契約にはいる機会はまずだれに提供されましたか。どれほどの人が信者になったと報告されていますか。
14 国民全体,「イスラエルの全家」に対して新しい契約にはいる特権が差しのべられました。その機会はまず彼らに提供されたのです。このことはエレミヤ記 31章31-34節の預言のことば使いと完全に,また文字どおり一致しています。そしてイエスが主の晩さんを設立したのちの五旬節の日に,使徒ペテロはエルサレムにいた3000人を越えるユダヤ人の群衆にこう言いました。「イスラエルの全家は,この事をしかと知っておくがよい。あなたがたが〔刑柱につけた〕このイエスを,神は,主またキリストとしてお立てになったのである」。(使行 2:36)その日に信者の数は3000人になりました。その後まもなく信者の数は5000人にふえました。
15 当時の数百万のユダヤ人のうち他にだれが信仰に従う者となりましたか。
15 ユダヤ人のパリサイ人であったタルソのサウロの指導下にエルサレムで迫害が始まる以前に,「神の言は,ますますひろまり,エルサレムにおける弟子の数が,非常にふえていき,祭司たちも多数,信仰を受けいれるようになった」。(使行 2:41; 4:4; 6:7)しかし,当時の数百万人のユダヤ人のうち,流されたイエスの血を「契約の血」として受け入れ,新しい契約に入れられた者はわずかに数千人でした。
16 「新ユダヤ百科辞典」によれば,ユダヤ人は神に対してどんな関係にある事を主張していますか? この関係の目的は何でしたか,またそれはどのように果たされましたか。
16 1962年にニューヨーク市で出版されたブリッジャー,ウォルク,エバン共編の「新ユダヤ百科辞典」は「新しい契約」については何も論じていませんが,「契約」(ベリット)という見出しの下にこう述べています。
ユダヤ教はユダヤ人と神との関係を契約的なものと見ている。神はイスラエルに対して一定の義務を課し,また一定の約束をしてこられた。他方,イスラエルはこれらの義務を受け入れ,また神がそうした約束を果たされることを確信してきた。総じて,契約の目的は世界の人々の間に真の神の知識を広め,律法の倫理的な要求と儀式とに形式を与えることであった。神の約束は,ユダヤ人が全人類の祝福となり,諸国民の光となることであった。……西欧世界がユダヤ教の聖書をその思考の基磐として受け入れ,ユダヤ人の文化状態を高く評価して我々の文明をユダヤ・キリスト教と呼んだことは,イスラエルの子らが全人類の祝福になるという約束が一部果たされた事の証拠と見なされている。正統ならびに他のユダヤ教各派は,程度は違っても,契約の教理を,ユダヤ人は「選民である」という教理と同じように,神とイスラエルとの間の合意の文字どおりの意味で,永遠の事実として受け入れている。ここで,歴史的なキリスト教は自らを,この契約の教理の相続者と見なしていると述べてもよいであろう。―98-100頁a
17,18 (イ)それでは,神を一方の当事者とする契約の他方の当事者は,文字どおりのユダヤ人数千人しかいないのですか。(ロ)新しい契約に入れられた人々のすべてはどんなものとして入れられたのですか。これはどのように可能となりましたか。
17 それでは新しい契約の一方の当事者は,文字どおりのユダとイスラエルの部族のユダヤ人数千人しかいないのですか。いいえ,そうではありません! 新しい契約の他方の当事者であられるエホバ神は,西暦33年の五旬節以後約3年半の間,割礼のある生来のユダヤ人に対してだけ,新しい契約の特権を特別にさしのべられました。ついで新しい契約にはいる機会は,ユダヤないしはイスラエル以外の国民にも広げられ,カイザリヤにいたイタリヤ人の百卒長がイエス・キリストの血を「契約の血」として信ずる者となったのです。(ダニエル 9:24-27。使行 10:1から11:18)その時以来,エホバ神はご自分の聖霊を非ユダヤ人の信者にそそがれ,その者たちが神の霊的な子,霊的なイスラエル人となりました。
18 同じ方法で,五旬節の日以来,神はご自分の聖霊をユダヤ人の信者にそそがれ,その者たちは神の霊的な子,霊的なイスラエル人ないしはユダヤ人となりました。生来のユダヤ人であっても,あるいは異邦人であっても,信者のすべてが霊的なユダヤ人,霊的なイスラエル人として新しい契約に入れられたのです。
19,20 (イ)それゆえ西暦36年以来,新しい契約にはいるのに文字どおりのユダヤ人であることが必要でしたか。(ロ)使徒パウロはこのことをローマへの手紙 2章28,29節,9章1-8節でどのように説明していますか。
19 それゆえ,イタリヤ人の百卒長コルネリオが西暦36年に改宗して以来,生来のユダヤ人ないしはイスラエル人以外の信者がイエス・キリストを仲介者とする新しい契約にはいれるようになりました。
20 それゆえにこそ,クリスチャンとなったユダヤ人である使徒パウロはこう述べたのです。「外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく,また,外見上の肉における割礼が割礼でもない。かえって,隠れたユダヤ人がユダヤ人であり,また,文字によらず霊による心の割礼こそ割礼である」。ついで肉の上での自分のユダヤ人の兄弟が「子たる身分を授けられることも,栄光も,もろもろの契約も」受けられなくなっていることについて嘆きのことばを述べたのち,パウロはこう語ります。「しかし,神の言が無効になったというわけではない。なぜなら,イスラエルから出た者が全部イスラエルなのではなく,また〔肉の上で〕アブラハムの子孫だからといって,その全部が子であるのではないからである。かえって,『イサクから出る者が,あなたの子孫と呼ばれるであろう』。すなわち,肉の子がそのまま神の子なのではなく,むしろ約束の子が子孫として認められるのである」。―ローマ 2:28,29; 9:1-8。
21 それで,新しい契約の当事者はだれですか。パウロはガラテヤ書 6章14-16節でこの事をどのように示していますか。
21 これら霊的なユダヤ人,これら霊的なイスラエル人が新しい契約にはいった真のイスラエル人です。これら霊的な者たちとエホバ神とが新しい契約の真の当事者です。使徒パウロはその事を明確に述べています。ローマの属州であったガラテヤ地方の信者の会衆に語りかけたパウロは,自分の手紙の結び近くでこう述べています。「わたし自身には,わたしたちの主イエス・キリストの〔刑柱〕以外に,誇とするものは,断じてあってはならない。この〔刑柱〕につけられて,この世はわたしに対して死に,わたしもこの世に対して死んでしまったのである。割礼のあるなしは問題ではなく,ただ,新しく造られることこそ,重要なのである。この法則に従って進む人々の上に,平和とあわれみとがあるように。また,神のイスラエルの上にあるように」。
22 弟子ヤコブは自分の手紙の書き出しにどんな表現を使うことによって,だれが神との新しい契約にはいることを示していますか。
22 ガラテヤ人への手紙 6章14-16節のこの原則に従い,弟子ヤコブは各地に分散した共なる信者にあてた手紙をこのように書き出しています。「神と主イエス・キリストとの僕ヤコブから,離散している十二部族の人々へ,あいさつを送る」。(ヤコブ 1:1)彼らに「十二部族」と呼びかけたヤコブは,それらのクリスチャン信者を真の「神のイスラエル」,ユダの家とイスラエルの家とが予影した神のイスラエル全体と見ていることを示しました。(エレミヤ 31:31-33)新しい契約にはいるこの霊的な「神のイスラエル」の成員は今日まで地上にいます。
[脚注]
a ニューヨークタイムズ紙への特別至急報によると,3年に1度,5日間にわたって行なわれるブナイ・ベリス大会の3日目の5月25日,イスラエルのテルアビブにおいて,「デイビッド・ベングリオン前首相は,統一されたユダヤ人が『他の国民の光』となるという聖書の契約を蘇生させる必要があると述べた。演説は本質的にはその契約の意味に関する論文であったが,その中でベングリオン氏は,アメリカのユダヤ人に同化の危険のあることを,ブナイ・ベリス大会出席者に静かに警告した。『いたるところのユダヤ人がこの契約を忘れるなら,四散した全ユダヤ人の生存は大きな危険に直面することになるであろう。……一民族としての我々の隠れた武器は我々の道徳的,知的,および霊的な優越性であり,我々はそれを聖書から相続したのである』とベングリオン氏は語った」。―1965年5月26日付ニューヨークタイムズ。
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神の新しい契約の恩恵は全世界に及ぶものみの塔 1966 | 5月15日
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神の新しい契約の恩恵は全世界に及ぶ
1 仲保者として奉仕する能力について,モーセとイエス・キリストをどのように比較できますか。
霊的な「神のイスラエル」全体は,テモテへの第一の手紙 2章5,6節の使徒パウロのことばを受け入れます。「神は唯一であり,神と人との間の仲保者もただひとりであって,それは人なるキリスト・イエスである。彼は,すべての人のあがないとしてご自身をささげられた」。預言者モーセは3400年以上前に死に,神とユダヤ人との間の仲保者として奉仕することはもはやできません。しかし人の子,キリスト・イエスについてはどうですか。「あがない」として死んだのち,彼は死人の中からよみがえらされ,天でエホバ神と共に住む不滅の命をもって報われました。それゆえ彼は『神と人との間のただひとりの仲保者』として奉仕を続けてきました。
2 ヘブル人への手紙 8章6-12節によると,イエス・キリストはどんな契約の仲保者ですか。だれに対して?
2 彼は神と霊的な「神のイスラエル」との間の新しい契約の仲保者です。その事の証明として,クリスチャンとなったヘブル人にあてられた霊感の手紙はこう述べます。(8:6-12)「ところがキリストは,はるかにすぐれた務を得られたのである。それは,さらにまさった約束に基いて立てられた,さらにまさった契約の仲保者となられたことによる。もし初めの契約に欠けたところがなかったなら,あとのものが立てられる余地はなかったであろう。ところが神は彼らを責めて言われた,『〔エホバ〕は言われる,見よ,わたしがイスラエルの家およびユダの家と,新しい契約を結ぶ日が来る。それは,わたしが彼らの先祖たちの手をとって,エジプトの地から導き出した日に,彼らと結んだ契約のようなものではない。彼らがわたしの契約にとどまることをしないので,わたしも彼らをかえりみなかったからである,〔エホバ〕が言われる。わたしが,それらの日の後,イスラエルの家と立てようとする契約はこれである,と〔エホバ〕が言われる』」。ついでヘブル人への手紙の記述者はエレミヤ記 31章31-34節にある,新しい契約に関する神の説明を引用しています。
3 新しい契約は古い契約とどのように比較できますか。なぜ?
3 新しい契約が肉のイスラエルと結ばれた昔の律法契約よりまさったものであることについて,記述者は次のように説明を続けます。「永遠の聖霊によって,ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は,なおさら,わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き,生ける神に仕える者としないであろうか。それだから,キリストは新しい契約の仲保者なのである」。―ヘブル 9:14,15。
4 それで,ヘブル人への手紙 12章18-24節,13章20,21節によれば,クリスチャンとなったヘブル人は何に近づきましたか。彼らはどんな血に関係していましたか。
4 のちに同じ手紙の中で,記述者は,それらのクリスチャンがヘブル人ではあっても,モーセが仲保者として奉仕したアラビヤのシナイ山に近づいたことがないと述べています。確かに近づいたことがありません。しかし,霊的なイスラエル人として,「あなたがたが近づいているのは,シオンの山,生ける神の都,天にあるエルサレム,無数の天使の祝会,天に登録されている長子たちの〔会衆〕,万民の審判者なる神,全うされた義人の霊,新しい契約の仲保者イエス,ならびに……そそがれた血である」。「永遠の契約の血による羊の大牧者,わたしたちの主イエスを,死人の中から引き上げられた平和の神が,イエス・キリストによって,みこころにかなうことをわたしたちにして下さり,あなたがたが御旨を行うために,すべての良きものを備えて下さるようにこい願う」。―ヘブル 12:18-24; 13:20,21。
5 人類のうちどれほどのものがキリストによって新しい契約に入れられるかを,黙示録はどのように示していますか。
5 黙示録 7章4-8節において使徒ヨハネは霊的イスラエルの「十二部族」の名をあげ,それら霊的イスラエル人の総数を14万4000,ないしは「十二部族」のおのおのに1万2000ずつとしています。黙示録 14章1-5節は霊的な「神のイスラエル」全体が神の「小羊」,彼らの仲保者イエス・キリストと共に天のシオンの山に立つさまを描いています。これら14万4000人は古代エジプトからあがなわれ,あるいは救われた者ではなく,「神と小羊とにささげられる初穂として,人間の中からあがなわれた者」として語られています。今日,割礼のある生来のユダヤ人は1286万7000人おり,人類のうちユダヤ人以外の者は30億人以上を数えます。この事実から,人類のうちイエス・キリストを仲保者とする神の新しい契約に入れられる者は比較的に少数であることがわかります。
6 今日,新しい契約にはいっている人はどれほど生存していると考えられますか。それらの人々は毎年どのように自分の立場を示しますか。
6 今日,生存している人のうち霊的なイスラエル人としてこの新しい契約にはいっている者はごくわずかであるに違いありません。それらの人々は毎年記念の日,すなわちニサンの14日の晩(聖書の暦)に主の晩さんを祝うことによって知られ,また見分けられます。その時彼らは象徴物であるパンとぶどう酒にあずかります。全世界で集められた1965年の記録によると,約1万1500人の人々が象徴物にあずかり,霊的なイスラエル人としてエホバ神と共に新しい契約にはいっている事を表明しました。
7 (イ)それで,新しい契約から直接の恩恵を受けるのはどれほどの人ですか。(ロ)しかし今日,どれほどの人が新しい契約の恩恵を受けていますか。そして今後どれほどの人が恩恵を受けますか。
7 エレミヤ記 31章31-34節に予告された新しい契約にはいるのはごく少数であり,そのすべては天のシオンの山に移されるので,新しい契約から直接の恩恵を受けるのは人類のうちごくわずかです。この事実にもかかわらず,人類の全世界はこの新しい契約から恩恵を受ける立場にあります。そうです,今日,この新しい契約の祝福は主の晩さんの時に象徴物にあずかる約1万1500人の霊的イスラエル人に限られるのではありません。その恩恵はすでに全世界に及んでいるのです。特にそれから恩恵を受けているのは,霊的な「神のイスラエル」のこのわずかな残れる者と直接に交わる,百万を越えるエホバ神の崇拝者です。どのようにこのことが行なわれているか,また生きた人と死んだ人とを含めた全人類がどのように新しい契約から恩恵を受けるかは,新しい契約の背後にある神の目的の中に見られます。
神の目的
8,9 (イ)新しい契約の目的は何から理解できますか。(ロ)神がシナイ山で言われた事に従えば,律法契約の目的は何を生み出すことでしたか。
8 新しい契約は生来のイスラエルと結ばれた古い契約に代わるものです。それゆえ,新しい契約の目的は古い契約の目的の中に見られます。アラビヤのシナイ山で,仲保者モーセを通しイスラエル国民を神との契約に入れることを提起した時,神はこう言われました。「あなたがたは,わたしがエジプトびとにした事と,あなたがたを鷲の翼に載せてわたしの所にこさせたことを見た。それで,もしあなたがたが,まことにわたしの声に聞き従い,わたしの契約を守るならば,あなたがたはすべての民にまさって,わたしの宝となるであろう。全地はわたしの所有だからである。あなたがたはわたしに対して祭司の国となり,また聖る民となるであろう」。―出エジプト 19:4-6。
9 「わたしの宝」そして「祭司の国となり,また聖なる民となる」という表現に注目して下さい。神とのこの契約において自分たちの分を固く守るなら,生来のイスラエル国民はあるものになるはずでした。それはなんですか。「すべての民にまさ」る神の永遠の「宝」です。彼らはまた,その中の何人かの者が祭司として仕え,他のある者が王として仕える聖なる民ではなく,全体が「祭司の国」である「聖なる民」となるはずでした。すなわち,この「聖なる民」の各成員が王なる祭司となるはずでした。「聖なる民」全体が祭司の国として神に仕えるはずでした。
10,11 (イ)律法契約はその目的を果たしましたか。この事に関してエレミヤは何を示しましたか。(ロ)新しい契約はその目的からはずれることがありますか。この事に関してどんな良い要素がありますか。
10 神はこのようなものを意図しておられました。しかし神は,割礼のある,生来のイスラエル国民からのみそれを得るのですか。生来のイスラエルがこの機会をとらえ,「祭司の国」となるなら,人類の中から選ばれて神の「宝」となり,神の「聖なる民」となる彼らは,残る人類全体にどれほど大きな恩恵を与えることができたでしょう。
11 モーセの時より8世紀以上のち,エホバ神はご自分の預言者エレミヤを霊感して新しい契約を予告させ,同時にイスラエル国民が神の目的からはずれていることを示されました。国民として彼らは神の「宝」,神の「聖なる民」,神の「祭司の国」とはなりません。600年以上のち,約束された新しい契約の仲保者イエス・キリスト,神の子が天から到来しました。罪がなく,人間として完全なイエス・キリストは,神と霊的なイスラエルとの間の新しい契約を成立させる血を備えるに必要な犠牲を差し出すことができました。その目的は何でしたか。モーセの律法の古い契約の目的と同じです。古い契約は「祭司の国」を生み出すというその目的を遂げませんでした。新しい契約も同じ結果になるのですか。いいえ! なぜなら「契約の血」は,モーセが律法の書とイスラエル人とにふりそそいだ動物の血にまさっているからです。また仲保者もまさっています。この仲保者はモーセと異なり死ぬことがありません。それゆえこう書いてあります。
12,13 永遠に生きる事によって,神の大祭司は新しい契約に入れられた者たちに役立つどんな能力を得ますか。
12 「彼は,いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので,彼によって神に来る人人を,いつも救うことができるのである。このように,聖にして,悪も汚れもなく,罪人とは区別され,かつ,もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ,わたしたちにとってふさわしいかたである」。―ヘブル 7:24-27。
13 このきわめて重要な特質のゆえに,神の大祭司イエス・キリストは,14万4000人の忠実な追随者すなわち霊的な「神のイスラエル」の「十二部族」を完全に救い,神の「聖なる民」,「すべての民にまさ」る神の「宝」,神の「祭司の国」とすることができます。事実を上げれば,使徒ペテロはこれらの表現を,自分が,「離散し寄留している人たち」,「イエス・キリストに従い,かつ,その血のそそぎを受けるために,父なる神の予知されたところによって選ばれ,御霊のきよめにあずかっている人たち」と呼ぶクリスチャンにあてはめています。―ペテロ第一 1:1,2。
14 ペテロによれば,キリストを拒絶したユダヤ人とは対照的に,新しい契約に入れられるクリスチャンは何になりますか。
14 彼らと,主イエス・キリストを拒絶した割礼のある生来のユダヤ人との相違について注解したのち,ユダヤ人のクリスチャン使徒ペテロはこう語ります。「彼らは,実は,そうなるように定められていたのである。しかし,あなたがたは,選ばれた種族,祭司の国,聖なる国民,神につける民である。それによって,暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを,あなたがたが語り伝えるためである。あなたがたは,以前は神の民でなかったが,いまは神の民であり,以前は,あわれみを受けたことのない者であったが,いまは,あわれみを受けた者となっている」。―ペテロ第一 2:8-10。
15 ヨハネは黙示録の中で,新しい契約に入れられた霊的なイスラエル人が目的からはずれないことをどのように示していますか。
15 新しい契約に入れられた霊的なイスラエル人は「祭司の国」となる契約の目的からはずれません。このことの証明として,使徒ヨハネはそれが仲保者イエス・キリストの力によることをこう述べています。「わたしたちを愛し,その血によってわたしたちを罪から解放し,わたしたちを,その父なる神のために,御国の民とし,祭司として下さったかたに,世々限りなく栄光と権力とがあるように,アァメン」。(黙示 1:5,6)またヨハネは自分に与えられた黙示の中で,象徴的な24人の長老が小羊イエス・キリストを正しく認めるのを見ます。24人の長老はこう言います。「あなたはほふられ,その血によって,神のために,あらゆる部族,国語,民族,国民の中から人々をあがない,わたしたちの神のために,彼らを御国の民とし,祭司となさいました。彼らは地上を支配するに至るでしょう」。―黙示 5:8-10。
16,17 黙示録 20章で,ヨハネは,新しい契約が目的のものを生み出すことをどのように見ましたか。
16 新しい契約はこの「祭司の国」を生み出す目的からはずれませんが,使徒ヨハネはその事をのちに与えられた黙示の中で見ます。悪魔サタンがつながれ,キリストが王として支配する千年の間,底知れぬ所に閉じこめられることを見たのち,ヨハネはこう語ります。
17 「また見ていると,かず多くの座があり,その上に人人がすわっていた。そして,彼らにさばきの権が与えられていた。また,イエスのあかしをし神の言を伝えたために首を切られた人々の霊がそこにおり,また,獣をもその像をも拝まず,その刻印を額や手に受けることをしなかった人々がいた。彼らは生きかえって,キリストと共に千年の間,支配した。……これが第一の復活である。この第一の復活にあずかる者は,さいわいな者であり,また聖なる者である。この人たちに対しては,第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり,キリストと共に千年の間,支配する」。―黙示 20:4-6。
18 霊的なイスラエルの国民は古代イスラエルの祭司とどのように比較できますか。
18 こうして霊的なイスラエルの全国民が,神の大祭司イエス・キリストと共に「祭司の国」となります。古代イスラエルにおいては,アロンが最初の大祭司となり,アロンの家系だけが祭司の任命を受けました。彼らは王なる祭司ではなく,またイスラエルの残りを支配する「祭司の国」ではありませんでした。
19 全イスラエルの王権は最終的にだれに与えられましたか。この特権に関してどんな契約がなされましたか。
19 何世紀ものち,エホバ神がイスラエル国民に人間の王を与えられた時,祭司の務めを持たない,全イスラエルの第2番目の王として立てられたのはベツレヘムのダビデです。ダビデが神の崇拝に専心していたがゆえに,エホバ神は自ら,ダビデの家系内に永遠の御国を立てるとの契約をされました。
ダビデに対する御国の契約
20 その御国契約は他のどんな契約の範囲内でなされましたか。永遠の相続者の御国はどのようにしてその契約の支配を離れましたか。
20 この御国の契約は古い律法契約下にある人に対してなされ,それゆえに律法契約の範囲内で行なわれました。(サムエル下 7:8-17。申命 17:14-20)その御国契約の永遠の相続者となったのは,律法契約下に生まれた人,すなわち,ダビデの子孫イエスです。(ガラテヤ 4:4)しかしイエスは,神に対する人間の犠牲として死ぬまでに古い契約の律法を全うし,こうして律法契約の支配下から離れました。それゆえ,彼の御国は律法契約の下にはありません。―ローマ 7:1-6。マタイ 5:17-19。エペソ 2:13-15。コロサイ 2:13,14。
21 (イ)メルキゼデクとはだれですか。ダビデは彼の相続者になりましたか。(ロ)しかし,詩篇 110篇1-6節で,エホバはメルキゼデクと関係のあるどんな誓いをしましたか。
21 もとより,エホバ神はずっと以前,地上に王を置かれました。それはサレムの王メルキゼデクです。彼は「いと高き神の祭司」でもあり,そのような身分の者として族長アブラハムから宗教的な什一を受け,また祭司として彼を祝福しました。(創世 14:18-20)メルキゼデクはのちにイスラエル国民に与えられた土地でしばらく支配しましたが,彼が律法契約下に置かれたことはありません。イスラエルのダビデ王はメルキゼデクの後継者ではなく,またメルキゼデクに似た者でもありません。しかしダビデは詩篇 110篇1-6節において,メルキゼデクに似た永遠の祭司が立ち,その祭司が天の神の右にあって王座につくとのエホバ神の誓いについて書いています。ダビデ王はやがて到来するこの天の王なる祭司が自分の「主」となることを認めました。
22 (イ)メルキゼデクに関する神の誓いは古い律法契約の一部でしたか。それは新しい契約に入れられた14万4000人の霊的なイスラエル人に対してなされましたか。(ロ)神が詩篇 110篇4節の成就として誓いをされたのはいつでしたか。
22 エホバ神はこの「メルキゼデクの位にしたがってとこしえに祭司」となる者について誓いを立てられました。この誓いはイスラエル国民と結ばれた古い律法契約と関係がありません。メルキゼデク王がイスラエルの律法契約にはいったことがないのと同じく,それはその契約の一部ではなく,また契約の範囲内でなされたのでもありません。イエス・キリストはエホバ神の誓いを受けた者であり,メルキゼデク王に似た永遠の祭司となる者です。(ヘブル 5:5-10)しかし神は,イエスに従い,新しい契約に入れられる14万4000人の霊的なイスラエル人にこの誓いをされません。それゆえ,メルキゼデクのような王なる祭司になる事に関する神の誓いは個人的な契約です。神はそれをイエス・キリストとのみ結ばれたのです。それに関して神はいつ彼に誓われたのですか。それは水の浸礼を受けたイエスに,神が聖霊で油をそそがれた時です。神の誓いと油をそそがれたこととによって,イエスは祭司となり,新しい契約の仲保者となる資格を得ました。―ヘブル 5:4-10。
23,24 (イ)新しい契約が個人的な契約であるかどうかについて何が言えますか。(ロ)イエス・キリストは新しい契約にはいっている人々に対して何を契約されますか。そして,初めに神はイエス・キリストに対してどんな契約をされますか。
23 しかし新しい契約について言えば,それは個人的な契約ではありません。それは神が仲保者を通して一つの民,一つの国民と結ばれる契約であり,その目的は民のすべてが祭司の国を構成することです。しかし,新しい契約にはいるこの国民はだれに対して「祭司の国」となり,「王なる祭司」となるのですか。そのことは主の晩さんを始め,新しい契約について語られた晩に,新しい契約の仲保者が暗示されました。忠実な使徒たちが,「自分たちの中でだれがいちばん偉いだろうか」と言って議論を始めた時,イエスはこう言われました。「あなたがたは,わたしの試練のあいだ,わたしと一緒に最後まで忍んでくれた人たちである。それで,わたしの父が国の支配をわたしにゆだねてくださったように,わたしもそれをあなたがたにゆだね,わたしの国で食卓について飲み食いをさせ,また位に座してイスラエルの十二の部族をさばかせるであろう」。―ルカ 22:24-30。
24 ここでイエス・キリストが「わたしの国」と呼ぶものについて語っていることに注意して下さい。ご自分の弟子たちと御国のための契約を結ばれるのはイエス・キリストです。イエスは彼らを自分の国で自分と共にいさせるのです。しかし,まずエホバ神が御国のためのご自身の契約をひとりの人イエス・キリストと結ばれます。そののちイエス・キリストが自分の14万4000人の弟子を自分の国に入れるのです。この目的のために彼は神と14万4000人の自分の弟子との間の新しい契約の仲保者となります。また祭司職を含むのはこの新しい契約です。イエスは自分の弟子たちと御国の契約を結ぶことについて話した時,この祭司職に言及されませんでした。イエスはメルキゼデクに似た祭司として天で治めます。a
「祭司の国」
25 新しい契約はだれに限定されていますか。しかしだれがこれから恩恵を受けますか。特にいつ?
25 新しい契約は14万4000人の霊的なイスラエル人の「聖なる民」に限られています。しかし,この契約に由来する恩恵は世界的なものとなります。どうしてそうなるのですか。なぜならそれが王なる大祭司イエス・キリスト,すなわちメルキゼデクに似た王なる祭司の下で奉仕する「王なる祭司」,「祭司の国」を生み出すからです。全世界に恩恵を与えるため,神は新しい契約によって,イエス・キリストに従う「王なる祭司」を生み出します。新しい契約によって生み出された「祭司の国」から及ぶ恩恵は,その祭司たちが「神とキリストとの祭司となり,キリストと共に〔王として〕……支配する」1000年の間に特に明白になるでしょう。―黙示 20:4-6,〔新世訳〕
26 パウロとテモテは「新しい契約に仕える者」として当時だれに恩恵を与えましたか。今日,その残れる者はだれに恩恵を与えていますか。
26 しかし,新しい契約の恩恵はすでに全世界に及び始めています。19世紀前,使徒パウロはギリシャ,コリント市の霊的イスラエル人にこう書き送りました。「わたしたちのこうした力は,神からきている。神はわたしたちに力を与えて,新しい契約に仕える者とされたのである。それは,文字に仕える者ではなく,霊に仕える者である。〔モーセによる〕文字は人を殺し,霊は人を生かす」。(コリント第二 3:5,6)当時,パウロとその仲間テモテは「新しい契約に仕える者」としての働きをしていました。彼らはパウロとテモテとの宣教によって新しい契約に入れられた霊的なイスラエル人に対してだけ恩恵を与えました。しかし今日,「新しい契約に仕える者」の残れる者は人類一般に恩恵を与えています。
[脚注]
a イエスがダビデの王座にはいることのために,エホバ神がイエス個人に対して新たな御国契約を立てる必要はありません。なぜなら,イエスは自然にすなわち人間的な誕生によって,神がダビデに立てた昔の御国契約にはいっていたからです。こうして彼はダビデの国の永遠の相続者となります。しかしメルキゼデクに似た永遠の祭司に関する神の誓いの場合は事情が異なります。それは天の国のための契約です。それは個人的な御国契約であり,イエス・キリストに対してのみ立てられました。こうして御国に関する右の二つの契約はイスラエル国民またキリストの弟子たちにあてはまらず,ただイエス・キリストにのみあてはまりました。他方,新しい契約は仲保者イエス・キリストをとおしてイエスの14万4000人の弟子たちと立てられました。霊的なイスラエル人の「聖なる民」と結ばれたこの新しい契約は,メルキゼデクに似た王なる祭司イエス・キリストの下で奉仕する「祭司の国」を生み出すものです。それゆえイエスはルカによる福音書 22章28-30節でご自分の弟子たちに国をゆだねられたのです。それゆえわたしたちはひとりの人イエス・キリストを対象とする二つの御国の契約と霊的なイスラエルの国民を対象とする新しい契約との区別を知らねばなりません。イエス・キリストは新しい契約の効力によってではなく,エホバ神の誓いによって天における王なる祭司となられました。
[302ページの図版]
神はイエスがメルキゼデクに似た王なる祭司となる事を契約する
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恩恵を受ける現代の人々を見分けるものみの塔 1966 | 5月15日
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恩恵を受ける現代の人々を見分ける
1 黙示録 7章によれば残れる者の奉仕から特に恩恵を受けるのはだれですか。その人々が新しい契約にはいっているかどうかは何が示していますか。
1966年の今日,「新しい契約に仕える者」の残れる者の奉仕はすべての国民の間で知られています。しかし,彼らの奉仕から特に恩恵を受けるのは,聖書の最後の本が「〔当時〕数えきれないほどの大ぜいの群衆」と呼ぶ人々です。この「大ぜいの群衆」は「あらゆる国民,部族,民族,国語のうちから」出て来て,「〔神の〕御座と小羊〔イエス・キリスト〕との前に立」ちます。使徒ヨハネは,霊的イスラエルの十二部族の成員14万4000人が印をおされるのを見たのちに,この「大ぜいの群衆」の幻を見ました。(黙示 7:4-9)この「大ぜいの群衆」は新しい契約にはいっていませんが,現代において,「新しい契約に仕える者」である霊的イスラエルの残れる者と交わるがゆえに,新しい契約の恩恵を早く受けます。
2,3 (イ)「シオンのものみの塔」はいつ初めてこの「大ぜいの群衆」に読者の注意を促しましたか。(ロ)この「大ぜいの群衆」は何から成ると考えられましたか。その人々の前途は何でしたか。
2 「大ぜいの群衆」とはだれのことですか。これは長年のなぞでした。「シオンのものみの塔」誌が発刊された年に,この雑誌は読者の注意をこの「大いなる群衆」(黙示 7:9,文語)に向けました。しかしそれは天にゆくクリスチャンの霊の級であると考えられていました。14万4000人の忠実な弟子がキリストの天の花嫁になるのに対して,「大いなる群衆」は天においてこの花嫁級の次位に立つものとなり,花嫁に付添う若い処女ないしは花嫁級の「供びと」のような役割を果たすと考えられました。―詩 45:14,15。
3 たとえば,第4号すなわち1879年10月号の「ものみの塔」は「主の日」と題する記事の中でこう述べていました。
こうして「小さい群れ」,「花嫁」,「勝利の教会」がイエスと共に位につき,記録されたさばきを加える間に,教会内のクリスチャンの他の級,現世的な心を持ち世に残された者たちは「その衣を……洗い」小羊は彼らを真理で養い,彼らをいのちの水の泉に導き(ある者は早く他の者はさらに遅く),やがては導けるだけ多くの者を涙も痛みも悲しみをも完全に超越した天の状態に入れ,彼の永遠の住みかに受け入れられます。こうしてわたしたちは彼らが(黙示 7:14)「白い衣を身にまとい,しゅろの枝を手に持って」いるのを見ます。そしてわたしたちは「彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって,その衣を……洗い」ということばを聞きます。「それだから彼らは,神の御座の前におり……その聖所で神に仕えているのである」。―7節
9節は詩篇 45篇13節を彼らにあてはめ,彼らをキリストの天の花嫁の「供びと」であるとしています。
4 この大ぜいの人々は何から出てくるとされましたか。彼らにはどんなからだが与えられると考えられましたか。
4 「世の和解」と題する同じ号の,次の記事はこの大ぜいの人々について述べ,24節でこう書いています。「『小さな群れ』ないしは花嫁となる人々と,大きな患難をとおってくる人々(黙示 7:14)とは常に霊のからだを与えられるでしょう」。
5 (イ)「大いなる群衆」がハルマゲドンの戦いを生き残るかどうかについてどんなことが期待されましたか。(ロ)この見解のゆえに,14万4000人の残れる者はどんな間違ったことを求めましたか。
5 こうした初期の見解のために,真の「大いなる群衆」ないし「大ぜいの群衆」は神ご自身の時が来るまで正当な顧慮を受けませんでした。またこの見解のために,14万4000人の「新しい契約に仕える者」の残れる者は,霊によって生まれるクリスチャンの大ぜいの人々が全世界に臨む最終的な「大きな患難」の間に,大いなるバビロンから出て来て,識別のための衣を洗い,殉教の血を流すことを期待しました。彼らは地上でハルマゲドンの戦いを生きのびるのではなく,戦いの終わる以前に死ぬと考えられていました。そのような見解から残れる者は間違ったものを求め続けました。
6 1914年に患難が始まった時,残れる者はなぜ驚きませんでしたか。
6 1914年,大洪水以来最大の患難が来ました。残れる者はこれによって驚いたわけではありません。彼らは異邦人の時,ないしは「諸国民の定められた時」が1914年の10月1日ごろに終わる事を知っていたからです。
7 (イ)第一次世界大戦の間,残れる者はどんな人々が出てくるのを見ませんでしたか。(ロ)1918年のロサンゼルスの講演はどんな希望をさしのべましたか。しかしその講演はだれを明らかにしませんでしたか。
7 第一次世界大戦は4年に及び,残れる者はかつてないほどの迫害を受けましたが,「大いなる群衆」がキリスト教国の多数の宗教組織から一団となって出て来る事は見られませんでした。ついで,第一次世界大戦がその絶頂に達した時,1918年2月24日日曜日に,当時のものみの塔聖書冊子協会の会長は,カリフォルニア州ロサンゼルスにおいて,「世は終わった ― 現存する万民は死なないであろう」という講演をしました。この講演は,死ぬ事なく地上に生き続け,その時地上で始まった「大きな患難」を生き残り,ハルマゲドンの戦いをも通過して,キリストによる神の天の御国の支配下に到来する新秩序にはいる希望のある事を明らかにしました。この講演は地上でハルマゲドンを生きのびる者が黙示録 7章9節にある「大いなる群衆」(文語)であるとはしませんでした。講演によれば,地上でハルマゲドンを生きのびる者とは,神に献身しておらず,あるいは霊によって生み出されていなくても,正義に専心している人々一般でした。
8 1923年,ロサンゼルス大会において,どんなたとえ話の意味が説明されましたか。採択された決議文の最終節はだれに呼びかけていましたか。何をすることを?
8 5年後の1923年8月26日日曜日,同じ講演者は,同じくロサンゼルス市において,3万を越える聴衆に,「万国はハルマゲドンに向かっている,しかし現存する万民は死なない」と題する話をしました。この話は8日間にわたるエホバの民の大会の最後を飾るものでした。前日の午後,講演者はマタイによる福音書 25章31-46節にあるイエスの「羊と山羊」のたとえ話について話しました。この話の中では,ハルマゲドンを生き残り,天の御国の下に神がもたらす新秩序にはいる人々と「羊」級との同一である事が明らかにされました。話の結びに講演者は17節からなる決議文を読みあげ,それを採択に移しました。その最終節は羊のような人々にこう呼びかけていました。「彼らは個人的にも集団的にも自らが主の側におり,主の目的に共感しており,かつ神が彼らのために世の初めから用意された御国の祝福を受ける備えのある事を示す」。しかし,そのような「羊」を集めるための特別の努力はされませんでした。
9 当時,聖書研究生は新しい契約はだれにあてはまると考えましたか。この点に関し,「ユダヤ人に対する慰め」は何と述べましたか。
9 当時,聖書研究生は,エレミヤ記 31章31-34節に予告された新しい契約が14万4000人の霊的イスラエル人にあてはまるとは考えず,ハルマゲドンの戦いののちに生来のユダヤ人に対して立てられるものと考えていました。「パレスチナに帰るユダヤ人」と題する講演が各地でなされ,多くの人々がこれを聞きました。そして,1925年10月に「ユダヤ人に対する慰め」という本が出版されました。この本の97-103頁は「新しい契約」という小題の下にこの契約について論じ,それをパレスチナに帰った生来のユダヤ人のためのものとしました。その本の終わりから3番目の節はこう述べていました。「ヨベルの年は来ました。イスラエルの人々に対して,ついで地上のすべての人々に対して良いたよりが与えられねばなりません」。―詩篇 89篇15節をごらん下さい。
10,11 (イ)その本の内容はのちにどんな大きな本の中に包括されましたか。その本が発表されたのは何年でしたか。(ロ)この本の中で,ユダヤ人はとくにどのように恵みを得るとされましたか。パレスチナとエルサレムに何が起きると考えられましたか。
10 のちに「ユダヤ人に対する慰め」の内容は「生命」と題する布表紙の大きな本の中に包括され,この新しい本は主としてユダヤ人に配布するものとして1929年7月15日にわたしたちに発表されました。
11 331頁は「すべての国民」という副見出しの下にこう書いていました。
新しい契約の条項の下に復帰の恵みを受けるのは単にユダヤ人だけではありません。その恵みは地上のすべての人々,すべての国民にさしのべられます。『地のもろもろの国民はあなたの子孫によって祝福を得るであろう』とは神の不変の約束であり,その子孫とはキリストです。(ガラテヤ 3:16,27-29)今日地上にいるクリスチャンの「残れる者」が復帰に深い関心を寄せているのは一つにはこれが理由です。
最後の章はさらに340,341頁でこう述べています。
神はアブラハムとイサクとヤコブにパレスチナの土地を約束されました。……神の約束が続くために彼らは復活させられねばなりません。……イエスはこれらの者たちが地上で御国を代表する者として御国にいると言われました。―マタイ 8:11,12。エルサレムは地上でもっとも重要な都市となります。聖書はこのような結論に十分な根拠を与えています。ずっと昔,神はそこを選んでご自分の名をおかれました。常に神に忠節で誠実であった昔の忠実な人々を神がよみがえらせ,パレスチナの地に入れられる時,エルサレムが地上の政府の所在地となる事はきわめて適切でしょう。
12 イエスの羊と山羊のたとえ話の中の「羊」はだれのつぎにならぶと考えられましたか。これらの「羊」を集める仕事に対する態度はどうでしたか。
12 こうして1929年には,イエスの羊と山羊のたとえ話の「羊」より,割礼のある生来のユダヤ人に対してより多くの注意と関心が払われました。「羊」はユダヤ人に対して次位の立場に置かれ,ハルマゲドン後にユダヤ人の次に並ぶと考えられました。当時,「羊」を「よい羊飼」であるイエス・キリストの「一つの群れ」に集める努力は何もされませんでした。
13 1930年に出た「光」という本は黙示録 7章9-17節をだれにあてはめましたか。それで,「他の羊」に対してどの程度の注意が払われましたか。
13 1930年の2巻に分かれた「光」という本は,黙示録の各節を詳細に注解するものでしたが,その中においても黙示録 7章9-17節の「大いなる群衆」は,クリスチャンを自任し,霊によって生み出される人々の級の一つであり,その人々はハルマゲドンにおける殉教ののち各自が「霊者の命を得る」が,キリストの花嫁に対しては次位の立場に立つとされていました。(第1巻91-97)このため,地的な「羊」級,良い羊飼いの「他の羊」に対して集中的な配慮の向けられる事はありませんでした。―ヨハネ 10:16。1923年10月15日号「ものみの塔」310頁33節。
14 (イ)1931年に出た「立証」という本は「大いなる群衆」と額にしるしを受ける人々とを別のものであるとしましたが,それはどんな理解の仕方によりましたか。(ロ)この本はだれがしるしを受ける人々であるとしましたか。
14 1931年「立証」の第1巻が出版されました。この本は,エゼキエルの預言の9章に関する記述の中で,額にしるしを受けて刑の執行から守られる人々についてこう述べていました。「しるしを受ける者が『大いなる群衆』ないしは『患難』級をさすとは考えられません。なぜなら……彼らは大きな苦難の時に守られるのではなく,むしろその前途は死に定められているからです。……彼らは苦難の時を通過しません。主の側に立つために彼らは苦難の時に入れられますが,霊者として生きるために死なねばなりません」。ついで「立証」はしるしを受ける者たちを地的な「他の羊」,またイエスの羊と山羊のたとえ話の「羊」と同じものであるとし,その「羊」はハルマゲドンの戦いを生き残って神の新秩序にはいるとしています。
15 「立証」の111頁は証言活動の目的を何であるとしましたか。それで「他の羊」についてどんな仕事は促進されませんでしたか。
15 しるしをつける仕事について「立証」の111頁はこう説明しました。「この証しの仕事は世界の人々を改宗させてなんらかの組織の中に入れる目的で行なわれるのではなく,キリスト教国のよこしまな組織からのがれる事を望む人々にそれが可能であり,自らの立場を主の側に定めて殺りくの始まる苦難の時を通過する者の隊伍に加わり得る事を知らせるために行なわれます」。こうして,14万4000人の霊的イスラエル人の残れる者が「エホバの証人」の名を採用した1931年においてさえ,これらしるしを受ける人々,「他の羊」を真に集め,組織する仕事は行なわれませんでした。
16 (イ)こうしてだれが残れる者の注意を奪いましたか。(ロ)1932年,「立証」の第2巻と第3巻は復帰に関する聖書の約束について何を明らかにしましたか。
16 割礼のある生来のユダヤ人と,霊によって生み出されるクリスチャンのうち副次的な人々からなる架空の「大いなる群衆」とが霊的な残れる者の注意を奪っていたことは明白です。a しかし,1932年にエゼキエルの預言の残りの24章を扱う「立証」の第2巻と第3巻が出版されました。これらの本によってエホバは,復帰に関する預言が地上の,割礼のある,生来のユダヤ人ないしはイスラエル人にではなく,西暦1919年以来の霊的なイスラエルの忠実な残れる者にあてはまる事をご自分の民に啓示されました。―第2巻253頁から終わりまでをごらん下さい。
17 この解明はユダヤ人にどう影響しましたか。しかし,「立証」は「大いなる群衆」についてどんな期待を残していましたか。
17 この説明はユダヤ人にあてられていた光を消すものでしたが,新しい契約については問題を未決のままとしていました。またクリスチャンを自任し,霊によって生み出される人々の「大いなる群衆」の出現はのちに予期すべきであり,その人々を大いなるバビロン特にキリスト教国から助け出すべきであるとしていました。「立証」の第3巻はこの副次的な霊の級を予影するものとして,エゼキエルの預言の40章から48章に出ている預言的な宮をあげました。―240,265-269頁をごらん下さい。
18 1934年,新しい契約についてどんな理解上の進歩が「ものみの塔」誌によってもたらされましたか。
18 2年後の1934年に,理解の上で進歩がありました。「ものみの塔」は1934年4月15日号の中で(117頁10節),新しい契約は割礼のある生来のユダヤ人に対してハルマドン後のパレスチナで立てられるのではなく,それはすでに立てられており,霊的なイスラエル人と結ばれていると述べました。その一部はこうです。「新しい契約は…霊的なイスラエルのために結ばれました。生来のイスラエル人はエジプトで立てられた律法契約の条項を破りましたから,神がその同じ民に対して新しい契約を立てる事は全く不合理でしょう。その新しい契約は古い律法契約以上に高遠なものであり,また喜び多いものです。このことから当然,新しい契約は生来のアブラハムの子孫と立てられるという考えは除外すべきものとなるでょう」。(「エホバ」という本の1934年版171-173頁をもごらんください)こうして理解の正された事は残れる者にとって大きな喜びとなりました。
「他の羊」と浸礼
19 「ものみの塔」1934年8月15日号の中では,献身,浸礼,聖書研究などについて「他の羊」にどんな励ましが与えられましたか。
19 1934年8月15日号「ものみの塔」の中では「他の羊」に対する真の励ましも与えられました。古代において地的な「他の羊」を予表したのはイスラエルのエヒウ王の友人であり,レカブの子であった,非イスラエルのヨナダブです。それで「彼の親切」と題する記事は「他の羊」をヨナダブないしはヨナダブ級と呼びました。34,35節はこう述べていました。
ヨナダブは自らを主にささげ,浸礼を受けるべきですか。答え。きわめて確かな事ながら,ヨナダブが神のみ心を行なうために自らをささげることは適切です。それをすることなくしてはだれも命を得ません。水の浸礼は神のみ心を行なうために自らをささげた事の象徴にすぎず,それは秩序に従うことでしょう。……今はヨナダブと「万民」級とを指導すべき時であり,この両者は全く同一のものです。
ついでこの「ものみの塔」の記事は,油をそそがれた残れる者に属する人々がヨナダブ級との集まりをどのように司会すべきかを取上げて,こう述べました。「このような研究は今きわめて大切であり,特にヨナダブの人々の益になります。それは彼らが自分たちに対する神のみ心を学ぶことを目的としています」。
20 1934年11月15日に出た「エホバ」という本によれば,「イスラエルの家とユダの家」という表現に含まれる人々として,新しい契約はだれと立てられましたか。
20 しかし,同じ年の3ヵ月後,すなわち1934年11月15号に「エホバ」と題する本がニューヨーク,ブルックリンの協会の印刷機械で仕上げられましたが,その182頁は副次的な霊の級に関する考えを捨てず,それが大いなるバビロンから出て来てエホバの側に立つのを将来に期待すべきものとしていました。従って,新しい契約は割礼のある生来のユダヤ人にあてはまらないとしながらも,その181,182頁はこう述べていました。
霊的なイスラエルの家は,キリスト・イエスの血をあがなうものである事を信じて神のみ心を行なうとの契約を立て,かつ神に生み出されたもののすべてを包含します。これは必然的に,霊によって生み出された者のすべてを含みますが,特に「小さな群れ」がこの中に含まれます……この預言は新しい契約が霊的なイスラエルの家すなわち霊によって生み出される者すべてを含めて霊的なイスラエルすべて,およびユダの家と結ばれる事に関するものであり,これによって御国の仲間が明示されます。この御国の仲間はキリスト・イエスと連携する者たちであり,キリスト・イエスは「ユダ族のしし」です。(黙示 5:5)― 185頁2節をもごらん下さい。
21 こうして1934年の暮れにいたるまで,どんな級が「地的な羊」以上に重要なものとして,霊的な残れる者の注意を奪っていましたか。
21 こうして1934年の暮れになっても,この霊によって生み出される霊的イスラエルの副次的な級が残れる者の注意を奪い,額にしるしを受けるべきヨナダブ,すなわち地的な「他の羊」級以上に重要なものとされていました。(エゼキエル 9:4)それゆえ,額にしるしを受ける人々が1935年,ニサン14日の主の晩さんの祝いに特に招かれることはありませんでした。b
大ぜいの群衆を見分ける
22 「ものみの塔」1935年4月1日号の中でどんな全体的な大会の開催が発表されましたか。大会に対して特別の招きを受けたのはだれですか。
22 しかし,ヨナダブ仲間ないしは「他の羊」にとって大きな喜びの時が近づいていました。5日にわたるエホバの証人の全体的な大会の開催が発表されました。1935年4月1日号を初めとして「ものみの塔」の発表記事はこう述べました。「再び『ものみの塔』はエホバの証人とヨナダブcとの大会が1935年5月30日から6月3日までワシントン市で開催される事を読者に知らせます。残れる者とヨナタブの多くが大会に出席することが望まれます。従来,大会に出席する特権を得たヨナダブは多くありませんでしたが,ワシントンにおける大会は彼らにとって真の慰め,また真の益になるでしょう」。(98頁)「これは奉仕の大会であり,すべての残れる者とヨナタブは奉仕に参加することを期待されています」― 110頁。
23 そのワシントン大会において,黙示録 7章9-17節の「大いなる群衆」についてどんな啓示がなされましたか。
23 ワシントン市におけるその大会はヨナダブにとって確かに有益なものとなりました。大会2日目の午後(5月31日),時のものみの塔協会会長はワシントン講堂に集まった目に見える聴衆とWBBRおよびWHPAの放送を通して話を聞く目に見ない聴衆とに対して,黙示録 7章9-17節(文語)に予告された「大いなる群衆」について話しました。この話の中で会長は,長年論議されてきた副次的な霊の級は存在せず,「大いなる群衆」に関する描写はそのような級にあてはまらないと述べました。「大いなる群衆」は現代のヨナダブから成り立っており,その者たちもエホバ神に対して霊的な残れる者と同じほどの忠実さを示さねばなりません。
24 そのような啓示に対する喜びはどのようにして全世界に広げられましたか。1936年の年鑑はこの点について何を報告しましたか。
24 その日の午後ワシントン市に集まったヨナダブたちの言いつくせぬ喜びは,全地の同じ級の者たちに広げられました。この啓示が「ものみの塔」の1935年8月1日と15日の2号にわたった「大いなる群衆」と題する記事の中に発表されたからです。のちに1936年版の「エホバの証人の年鑑」(63頁)はこう書いていました。「この啓示は兄弟たちを動かし,新たな活動へと奮いたたせました。そして世界中いたる所から,今や残れる者には大いなる群衆に音信を携える特権があるということを喜ぶ報告が寄せられており,また大いなる群衆の者たちも主の御名のほまれのために共に働いています」。
25 (イ)1937年5月,ヨナダブ級の奉仕の特権はどのように拡大されましたか。(ロ)このとりきめは,今日見られるとおり,どのように神慮のあらわれでしたか。
25 「ものみの塔」1937年5月1日号130頁には会すなわち会衆に関する発表がのり,その結果として,エホバの民の会衆内でヨナダブ級ないしは「大いなる群衆」の者たちに与えられる奉仕の特権が拡大されました。
会の中に会のしもべ,また奉仕委員の地位を満たすことのできる有能な人がおらず,その能力と熱意のあるヨナダブがいる場合には,そのヨナダブをして奉仕委員にならせ,その者に奉仕の機会を与えなさい。
この取きめが神慮によるものであり,のちの活動に必要なものであった事は,29年後の今日よく理解することができます。今日,「新しい契約に仕える者」の残れる者は減少して1万1500人ほどとなり,全世界に2万4000以上を数える会衆の多くにおいては,「他の羊」が監督や補佐のしもべを出す事が必要になりました。
26 (イ)それゆえ,ヨナダブは毎年どんな行事に出席することをすすめられましたか。(ロ)1950年,奉仕の見込みについてヨナダブ級にどんな喜びの絶頂が訪れましたか。
26 「会のしもべ」に関するこの発表に続く1938年4月15日の主の晩さん式には,残れる者のともがらとしてヨナダブが出席する事も特にすすめられました。(1938年2月15日号「ものみの塔」50頁)しかしヨナダブ級すなわち「他の羊」に喜びの絶頂が訪れたのは1950年の年です。1950年8月5日日曜日の晩,ニューヨーク市ヤンキー球場でのエホバの証人の国際大会において,今日集められている「他の羊」のうち有能な者たちは,ハルマゲドンの戦いののち,詩篇 45篇16節に出ている者たちと共に,『全地』に任命されるという事が聖書から明らかにされました。―1950年10月1日号「ものみの塔」364,365頁,1950年11月1日号414-417頁。
27 良い羊飼いは「他の羊」をついにどこに導き入れてしまいましたか。
27 こうして,献身し浸礼を受けた「大いなる群衆」,「他の羊」の人々はついに,「新しい契約に仕える者」の残れる者に対する自分たちの正しい立場を得たのです。よい羊飼いである主イエス・キリストは,「小さい群れ」の残れる者がすでに集められた「一つの囲い」の中にご自分の「他の羊」を入れ始められました。それは今日,「ひとりの羊飼」の下に「一つの群れ」があるためでした。―ヨハネ 10:16。ルカ 12:32。
及ぶ恩恵
28 大戦さなかの1942年,エホバの民の会衆はいくつありましたか。何人が伝道活動を報告していましたか。昨奉仕年度にはいくつの会衆があり,何人の伝道者がいましたか。
28 1939年から1945年に至る第二次世界大戦の猛威も油そそがれた残れる者と地的な「他の羊」との絆を破る事はできませんでした。それゆえ,キリストの霊的な兄弟たちに善行をするこれら「羊」の数は増加を続け,今日見られるとおりの「大ぜいの群衆」となりました。戦争さなかの1942年には,人の住む全地における「この御国の福音」の伝道活動を報告する,献身したエホバの民の会衆が5232あり,この救いの音信を広める残れる者と「他の羊」とは16万人いました。(1943年「年鑑」221,222頁)過ぐる1965奉仕年度の間,190以上の土地に2万4158の会衆があり,残れる者と「他の羊」の中に毎月平均103万4268人の伝道者がいました。
29 「他の羊」の増加についてこれは何を意味しましたか。その奉仕年に何人が主の死を記念しましたか。
29 これは「一つの群れ」の中にすでに集められた「他の羊」の数が,「大ぜいの群衆」となるまでに増加した事を示しています。この時までに「新しい契約に仕える者」の残りの者の数は1万1550人にまで減少していたからです。これらの人々は1965年4月16日の主の晩さんの時にパンとぶどう酒の象徴物にあずかりましたが,この時全世界で合計193万3089人の人が,新しい契約の仲保者であるイエス・キリストの死を記念しました。
30 知識という面では新しい契約にどんな恩恵がありますか。この知識はだれに分け与えられていますか。
30 それゆえ,新しい契約の恩恵がすでに人類の全世界に及んでいる事は疑いありません。この新しい契約の条項に従えば,神の新しい契約に入れられた,油をそそがれた残れる者は「小より大に至るまで」エホバを知ることになっていました。今,残れる者は至高の神について知っており,かつ,世界のすべての所から集められ,次第に増加する「大ぜいの群衆」にこの知識を分け与えています。
31 新しい契約は神のあわれみによるどんな恩恵を約束しましたか。これはだれを通して残れる者に与えられますか。
31 さらに,新しい契約の中で,エホバは霊的イスラエル人の残れる者の不義をゆるし,その罪を思わないと言われました。(エレミヤ 31:34)彼らは自己を犠牲とされた新しい契約の仲保者,イエス・キリスト,「神の小羊」の完全な犠牲によってそのような罪の許しを得ています。
32 今日,ほかのだれがそのような罪の許しにあずかっていますか。聖書はそのような,献身して浸礼を受けた人々をどのように見なしていますか。
32 今日,神に献身し,その献身を水の浸礼で象徴した「大ぜいの群衆」も,小羊イエス・キリストの血による罪の許しを得ています。彼らはこうしてエホバ神との平和を楽しみ,「善意の人」の中に数えられています。(ルカ 2:14,新世訳)イエスの羊と山羊のたとえ話は彼らを「正しい者」と呼んでいます。黙示録 7章9,14節は彼らが「白い衣を身にまとい」,その衣は「小羊の血で洗い,それを白くした」と述べています。今神は彼らを認められ,それゆえに彼らは「昼も夜もその聖所で神に仕えて」おり,神は彼らの目から涙をことごとくぬぐいとられます。―黙示 7:15-17。
33 (イ)今日,地上で新しい契約の恩恵にあずかっている人はどれほどいますか。だれの奉仕を通して?(ロ)それらの人々が地上の奉仕を終える時,どんな約束が実現しますか。
33 油をそそがれた,「新しい契約に仕える者」の残りの者が,「他の羊」の助けを得つつ奉仕の仕事を続けるにつれ地上においてその奉仕の恩恵を受ける人々の「大ぜいの群衆」は大きくなります。こうして,神の新しい契約は人類世界全体にはあてはまらなくても,その恩恵はますます全世界に及び,羊のような人々にエホバ神とエホバの王として統治するイエス・キリストに関する知識を与えており,その知識は命を与え,永遠の救いに導きます。(ヨハネ 17:3)神の定めの時に残れる者は地上の奉仕を終えます。イエス・キリストの約束に従えば,彼らは天においてイエス・キリストと一体になります。―ルカ 22:28-30。
34 その時,その人々はどのように奉仕しますか。地上においては,新しい契約に関する神の目的が達成されることからだれが恩恵を受けますか。
34 その時,神の新しい契約によって生み出される「祭司の国」は首尾よく完成されることになります。彼らはメルキゼデクが予表した偉大な王なる祭司イエス・キリストと共に,王または祭司としての奉仕をします。そして,キリストが治める1000年間に,生きる者と死んだ者とを含めた全人類は,神がご自分の新しい契約の,愛に基づく目的を成功裏に達成されることにより,かつてないほどの恩恵に浴するでしょう。―黙示 20:4-6; 21:3,4。
[脚注]
a 「立証」第1巻212頁が,生来のイスラエル人に対する新しい契約の確認ないしは成立について述べていることに注意して下さい。その時「神の古代の預言者や証人たちはユダヤ人のための地上の保証人として立つであろう」としています。(1931年版)1932年版の第3巻255-257頁が新しい契約の成立を将来のものとし,全人類のためのものとしている事にも注意して下さい。
b 「ものみの塔」1935年2月1日号47頁1,2節をごらん下さい。
c 当時,ヨナダブないし「他の羊」は「エホバの証人」であると見なされていませんでした。―「ものみの塔」1934年8月15日号249頁31節をごらん下さい。
[308ページの図版]
黄金時代 1935年7月17日
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ペテロはいま天国のかぎを使いますかものみの塔 1966 | 5月15日
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ペテロはいま天国のかぎを使いますか
1 (イ)天国におけるペテロの地位に関して,一般にどんなことが信じられていますか。(ロ)ペテロが実際に天に復活したのはいつですか。キリストの千年統治のあいだ,ペテロはどんな地位を占めますか。
キリスト教国の一部の宗派においては,ペテロが天国の門の番人で,天国に人を入れるか入れないかをつかさどるということが一般に信じられています。ペテロがいま天にいることは事実です。ペテロはイエス・キリストの忠実な弟子また使徒であって,死ぬまで忠実でした。しかしペテロは死んでのち,イエス・キリストが神の霊的な宮に来られる再臨の時まで,墓の中で何世紀ものあいだ待ちました。忠実な使徒パウロについても,同じことが言えます。(テモテ第二 4:8)1918年,ペテロは,その時以前に死んだキリストの会衆の忠実な成員とともに天に復活しました。しかしペテロは門番ではありません。キリストと同じく天に復活する人々は,1000年のあいだイエスとともに王また祭司として治めます。そのときペテロは,キリストとともに王また祭司となって治める,キリストのからだの成員,つまり14万4000人の共同の王のひとりとして,天の位にすわります。―黙示 14:1-3; 20:6。ルカ 22:28-30。
2 前述の事実に照らして,どんな疑問が生じますか。
2 そこで次のような疑問が生じます。「わたしは,あなたに天国のかぎを授けよう」(マタイ 16:19)とペテロに言われたイエスのことばは,何を意味していますか。これらのかぎはどんなものですか。いくつありますか。いつ,なんのために使われましたか。かぎを使うことから,だれが益を受けましたか。
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