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どうすればこののぼせたような気持ちがなくなるのだろう若い人が尋ねる質問 ― 実際に役立つ答え
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28章
どうすればこののぼせたような気持ちがなくなるのだろう
「十代の若者のほとんどにとって,だれかにのぼせるのは,かぜを引くのと同じほど普通のことなのだ」と,ある若者向けの雑誌には書かれていました。若者はほとんど皆それを経験します。そしてほとんど皆どうにかそれを乗り越え,プライドやユーモアのセンスを損なうことなく大人になります。しかしそうは言っても,すっかりのぼせている時には,少しも笑い事とは思えません。「自分ではどうすることもできないので僕は悩みました。相手がかなり年上であることは分かっていたけれど,それでも好きでした。彼女のことで何もかも調子が狂ってしまいました」と,ある若者は述懐しました。
のぼせを分析する
だれかに好感を持つということは,もしそれが不道徳な,あるいは(既婚者に対するような)正しくない感情でないかぎり,罪ではありません。(箴言 5:15-18)しかし,若い時には「若さに伴いがちな欲望」が考えや行動を支配することが少なくありません。(テモテ第二 2:22)若い人は思春期に解き放たれる新しい,強い感情を制御することをまだ学んでいる段階ですから,ロマンチックな感情がわき立って胸がいっぱいになり,しかもその感情をそそぎ出す相手はいないということがあるかもしれません。
さらに,「男の子よりも女の子のほうが早く落ち着き,くつろいだ気分で人と付き合い」ます。その結果,「男子のクラスメートを教師」や,年上で手の届かない他の男性「と比べ,未熟で面白くないと思いがち」です。(セブンティーン誌)好きな先生やポピュラー歌手,年上の知人などを“理想の”男性として心に描く女生徒がいるかもしれません。男の子のほうも同じように夢中になることがよくあります。しかし,そのような遠い存在の人への恋心は,現実よりも空想から生まれることが多いようです。
のぼせ上がり ― なぜ害になる可能性があるか
のぼせている間というのは大抵驚くほど短いものですが,それでも若い人に多くの害を与えることがあります。まず,十代のあこがれの対象には,尊重する価値の全くないものが少なくありません。ある賢人は,「愚かさは多くの高い地位に置かれた」と言いました。(伝道の書 10:6)例えば,ある歌手がアイドルになるのは,声がよかったり,人目を引く容貌であったりするためです。しかしその人の品行は称賛に値するものですか。その人は献身したクリスチャンとして「主にある者」でしょうか。―コリント第一 7:39。
聖書はまた,『世との交友は神との敵対である』とクリスチャンに警告しています。(ヤコブ 4:4)神が悪としている行ないをする人に心を集中すれば,神との交友は危うくなるのではないでしょうか。聖書はまた,「自分を偶像から守りなさい」とも述べています。(ヨハネ第一 5:21)若者の部屋の壁という壁にところ狭しと人気歌手の写真が飾られているとすれば,それを何と呼びますか。「偶像崇拝」という言葉がぴったりではありませんか。それがどうして神に喜ばれるというのでしょうか。
若い人の中には,理性を無視して夢を描く人がいます。ある若い女性は言いました。「私のことをどう思っているの,と尋ねるとあの人はいつも,特別の感情は抱いていないと言います。でも,あの人のまなざしや動作から,本当はそうじゃないことが分かるんです」。相手の青年は,関心がないことを親切に伝えようとしても,その若い女性はどうしてもそれをノーという答えに受け取りません。
別の少女は,人気歌手に夢中になっていることについて書いています。『あの人をボーイフレンドにしたいのです。本当にそうなることをずっと祈っています。あの人のアルバムを抱いて寝ていたこともありました。それが彼の一番近くにいる方法だったからです。あの人が私のものにならなければ自殺しようと思っているくらいです』。こういう浅はかな情熱が,「健全な思い」をもって奉仕するよう命じておられるエホバに喜ばれるでしょうか。―ローマ 12:3。
聖書の箴言 13章12節には,「延期される期待は心を病ませる」とあります。不可能な関係にロマンチックな期待を寄せるのは,不健全で報いのない恋です。医師たちはこれを,「抑うつ,不安,漠然とした苦痛……不眠,無気力,胸の痛み,息切れ」などの原因として挙げます。(サムエル第二 13:1,2と比較してください。)彼に夢中になっているある少女は,「食事がのどを通らないんです。……もう勉強をすることもできません。……ぼんやりとあの人のことばかり考えています。……惨めな気持ちです」と告白しました。
生活が空想に支配される時に生じる害についても考えてみましょう。ロレンス・ボーマン博士によると,のぼせが高じた場合に最初に現われる徴候の一つは「学業を怠ける」ことです。友達や家族から離れて一人でいるようになるのも,だれかにのぼせているときによくあります。恥ずかしい思いをすることもあります。作家のギル・シュワルツは,「こんなことを言うのはきまりが悪いが,ジュディーにのぼせていたときの私の振る舞いはまるで道化者だった」と述べています。のぼせがさめてから長い月日がたっても,だれかのあとを追った記憶や,人中で派手に騒いだ,あるいは物笑いになるようなばかなまねをした記憶は,なかなか消えないものです。
現実を直視する
かつて生存した最大の賢人の一人であるソロモン王も,ある娘に熱い思いを寄せましたが,娘はその気持ちにこたえてくれませんでした。ソロモンはかつて書かれた最も美しい詩を幾つか彼女に贈り,あなたは『満月のように美しく,きらめく太陽のように浄い』と娘をたたえましたが,何の効果もありませんでした。―ソロモンの歌 6:10。
それでソロモンは,娘を説き伏せる試みをついにやめました。あなたもどうすれば自分の感情を再び制御できるようになるでしょうか。『自分の心に依り頼んでいる者は愚鈍である』と聖書は述べています。(箴言 28:26)ロマンチックな空想にとらわれたときには特にそう言えます。しかし,「知恵によって歩んでいる者は逃れることになる」のです。これは物事をありのままに見るということです。
「本物の希望か空頼みかは,どうすれば分かるだろうか」と,ハワード・ハルパーン博士は問いかけ,「いろいろな事実を注意深く,冷静に見れば分かる」と述べています。それで,この人との恋愛が本当に発展する可能性はどれほどだろうか,と考えてみてください。もしその人が有名人であれば,まず会うことさえないでしょう。また学校の先生のように相手がずっと年上の人であれば,成功はやはりおぼつかないでしょう。
さらに,あなたの好きなその人は,あなたに少しでも関心を示したことがありますか。もしないとすれば,将来は状況が変わると信じる理由が本当にありますか。それともあなたは,その人の他意のない言葉や行為を,ロマンチックな関心と解釈しているだけなのでしょうか。大抵どの国でも,恋愛が生まれる場合,男性のほうが先に働きかけるのが習慣になっています。若い女性が,自分に少しも関心のない人を積極的に追いかけるなら,恥をかくかもしれません。
それに,もしその人があなたの愛情に実際に応じたとしたら,あなたはどうしますか。結婚生活に伴う種々の責任を果たす用意がありますか。もしないのであれば,空想にふけることをやめて,『あなたの心からいら立ちを除く』ことです。「愛するのに時が」あります。それは何年か先の,もっと大人になった時でしょう。―伝道の書 3:8; 11:10。
自分の感情を分析する
チャールズ・ザストロー博士は,「人がだれかにのぼせるのは,相手を『非の打ちどころのない恋人』のように理想化するからだ。つまり,相手が配偶者として望ましい特性をすべて備えていると判断するのだ」と述べています。しかし,「非の打ちどころのない恋人」などいません。『というのは,すべての者は罪をおかしたので神の栄光に達しないからである』と,聖書は述べています。―ローマ 3:23。
それで,次のように自問してみてください。自分はあの人に夢中になっているけれど,あの人のことを実際にどれほど知っているだろうか。イメージに恋をしてはいないだろうか。この人の欠点に盲目になっているだろうか。その夢の恋人を一度客観的に見るだけでも,ロマンチックな酔いは覚めるかもしれません。またその人に感じている愛の質を吟味するのも助けになるでしょう。作家のキャシー・マッコーイは,「未熟な愛は熱しやすく冷めやすい。……中心になっているのは自分自身で,恋に恋をしているにすぎない。……未熟な愛は相手にしがみつき,独占的で,嫉妬深い。……未熟な愛は完全さを要求する」と述べています。―コリント第一 13:4,5と対照してください。
彼または彼女のことを考えないようにする
確かに,どれほど多くの理論をもってしても,あなたのその感情は完全にはぬぐい去れません。しかし問題を大きくしないようにすることはできます。扇情的な恋愛小説を読んだり,恋愛を扱ったテレビ番組を見たりすれば,またはある種の音楽を聴くだけでも,寂しい気持ちは一層つのるかもしれません。ですから,いつまでもその事を考えないようにすることです。『まきがなければ火は消える』のです。―箴言 26:20。
空想的な恋愛は,本当に愛し気遣ってくれる人たちに取って代われるようなものではありません。「自分を孤立させ」ないでください。(箴言 18:1)ご両親の助けも大きいことが分かるかもしれません。どんなに自分の気持ちを隠そうとしても,ご両親は恐らく,あなたが何かのことで苦しんでいるのをすでに見抜いておられるでしょう。ご両親に近づいて心を打ち明けるのはどうでしょうか。(箴言 23:26と比較してください。)円熟したクリスチャンもよく聴いてくれるかもしれません。
十代の作家,エステル・ダビドウィッツはさらに,「いつも忙しくしていなさい」と勧めます。趣味を持つこと,何らかの運動をすること,語学を勉強すること,聖書研究の計画を立てて実行することなどもよいでしょう。有益な活動にいつも没頭していると,禁断症状はかなり和らぎます。
高じたのぼせを克服するのは容易ではありませんが,時間がたつにつれて痛みはおさまります。そのころには,自分や自分の感情について,多くの事柄を学び取っているでしょう。そして将来真の愛が訪れたら,それに対応するよりよい準備ができていることでしょう。しかし,どうすれば“真の愛”かどうかを見分けられますか。
討論のための質問
□ 若い人たちがよくのぼせるのはなぜですか
□ 多くの場合,どんな人たちが若者のロマンチックな空想の対象になりますか。なぜですか
□ のぼせ上がりはなぜ害になる可能性がありますか
□ 若い人はのぼせを克服するのにどんなことができますか
□ どうすればロマンチックな空想を大きくしないですみますか
[223ページの拡大文]
『食事がのどを通らないんです。もう勉強をすることもできません。ぼんやりとあの人のことばかり考えています。惨めな気持ちです』
[220ページの図版]
手の届かない,年上の異性にのぼせるのは珍しくない
[221ページの図版]
その人を冷静に,客観的に見るなら,ロマンチックな考えはなくなるかもしれない
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わたしにはデートをする用意ができているだろうか若い人が尋ねる質問 ― 実際に役立つ答え
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29章
わたしにはデートをする用意ができているだろうか
多くの国でデートはロマンチックな娯楽,面白い遊びとみなされています。そのためデートはさまざまな形をとります。ある人たちにとってデートとは,フォーマルで,明確な構成を持つものです。花,すばらしい食事,お休みなさいのキスまでみな予定表に含められています。別の人たちにとってデートとは,好きな異性のだれかと幾らかの時間を一緒に過ごすという意味しかありません。絶えず会っていながら,“ただの友達”です,と言う男女もいます。しかし,デートと呼ぶにせよ,付き合いと呼ぶにせよ,ただ会うだけと言うにせよ,それは大抵同じことです。男の子と女の子が社交面で多くの時間を一緒に過ごすことです。多くの場合,監督する者はいません。
聖書時代にはデートの習慣はありませんでした。それでも,理性的に,用心深く,恥ずかしくない方法でするのであれば,デートは二人の人がよく知り合うための自然な方法です。また楽しいものにもなるでしょう。しかし,それはあなたがデートをすべきだということですか。
デートをさせようとする圧力
あなたは,デートをさせようとする圧力を感じているかもしれません。大抵の仲間はデートをしていることでしょう。もちろんあなたは自分が変人や変わり者に見られるのはいやです。デートをさせようとする圧力は善意の友人や親類の人からも加えられる可能性があります。15歳のメアリアンがデートを申し込まれた時,彼女のおばはこのように助言しました。「あなたがその人と結婚したいと思うかどうかは関係ないの。デートは,人としての自然な成長過程のひとコマにすぎないのよ。……断わってばかりいると人気がなくなって,だれも誘ってくれなくなるわよ」。メアリアンは思い出して語ります。「おばの言葉は胸にしみました。私はいい機会を逃しているのかしら? その男の子は自分の車を持っています。お金もたくさんあります。私を楽しませてくれることは分かっています。デートをしたほうがいいのかどうか思案しました」。
ある若者たちの場合は,温かさや愛情への自分の欲求が圧力になります。「私は愛され,認められることを必要としていました」と,18歳のアンは説明しました。「両親と親しくなかったので,男友達に親密さを求めました。自分の気持ちを打ち明けられる人,本当に理解してくれる人が欲しかったのです」。
それでも十代の人は,圧力を感じるというだけの理由でデートを始めるべきではありません。一つには,デートは重要な事柄,つまり結婚の相手を選ぶ過程の一部だからです。結婚? 確かに,デートをする若者のほとんどは,結婚のことなど考えていないかもしれません。しかし実際,結婚できるかどうかを調べるわけでもないのに,二人の異性が多くの時間を共に過ごすようになるとすれば,それはどう正当化できるでしょうか。ほかの理由によるデートは結局,ただの“遊び”に終わるかもしれません。どうしてそう言えますか。
デートの暗い面
一つには,若者は人生の中の傷つきやすい時期,聖書の言う「若さの盛り」にあります。(コリント第一 7:36)この時期には性的欲望が強くなるのを感じるでしょう。それは何も悪いことではありません。成長の一部です。
しかし,十代のデートに伴う大きな問題はそこにあるのです。十代の人はそうした性的感情をどう抑制するかを学び始めたばかりです。なるほど,あなたは性に関する神の律法をよく知っており,純潔を保ちたいと思っているでしょう。(23章参照。)それでも,生命の生物学的な事実は作用し始めるのです。一人の異性と多く交われば交わるほど,性的欲望は,あなたが望もうと望むまいと大きくなるのです。(232,233ページ参照。)わたしたちは皆そのように造られているのです。もっと大人になり,自分の感情をもっとよく制御できるようになるまで,デートはとてもあなたの手には負えないでしょう。残念なことに,多くの若者は苦い経験を通してそのことを知りました。
ある青年はこのように言いました。「デートを始めた時は,……手を握ることもキスをすることもしませんでした。私は彼女と一緒にいて話す楽しみを味わいたかっただけなのです。でも彼女はとても熱情的で,いつも私にぴったり寄り添って座るので,私たちはやがて手を握り,またキスをするようになりました。そのため私の内部の性的衝動は一層強くなり,考えもその影響を受け,彼女と一緒にいてただ話すだけでなく,彼女を抱き,触り,キスをしたいと思うまでになりました。しかしそれでも満足できず,情欲で本当に気が狂いそうでした。時には自分が安っぽく感じられ,恥ずかしく思うこともありました」。
ですから,デートがついには間違った性関係を持つまでに発展する場合が多いのも不思議ではありません。十代の若者数百人を対象にしたある調査では,デートにおいて性が「ある程度は重要である,あるいは,非常に重要である」と答えた人は,女子が87%,男子が95%に上りました。しかし,女子の65%,男子の43%は,デートのとき自分は望まなかったのに性的交渉を持った時があったことを認めました。
二十歳になるロレッタはこう述懐しました。「私たちは会う度に深い仲になりました。キスだけではすぐに物足りなくなり,相手の局部に触れるようになりました。私はそれをひどく不潔に感じ,神経が参ってしまいました。そのうちにデートの相手は,私が“行くところまで行く”ことを期待するようになりました。……私は混乱し,当惑しました。それでも私には,『あの人を失いたくない』ということしか考えられなかったのです。本当に惨めでした」。
すべてのカップルが最後に性関係を持つわけでないことは事実です。愛情の表現を寸前でやめるカップルもあります。しかし,感情的に興奮した時,その感情の正当なはけ口がなければ,どんな結果になりますか。欲求不満になることは確実です。そうした欲求不満は性的感情だけに限りません。
傷ついた感情
ある青年のジレンマを考えてみましょう。『僕は初めキャシーがとても好きでした。実は僕が彼女を口説いて,彼女が正しくないと思っていたことをやらせたのです。今は関心がないので汚らわしく感じます。どうすればキャシーの感情を傷つけずに彼女を捨てられるでしょうか』。全く困った事態です。もしあなたがキャシーだったらどう思うでしょうか。
十代の失恋の悲嘆はよくある病弊です。若い二人が手をつないで歩いているところは,魅力的な光景に見えるかもしれません。しかし,同じカップルが今から1年後にもまだ付き合っている,ましてや結婚している確率はどれほどでしょうか。確かに小さいに違いありません。このように十代のロマンスは必ずといってよいほど壊れる関係で,結婚にゴールインすることはめったになく,大抵,胸の張り裂けるような悲しみに終わります。
結局,十代の時期には人格がまだ定まらない状態にあります。自分はどんな人間なのか,本当に何が好きなのか,何をして人生を送りたいのか,それらを模索している時です。今日はあなたの関心を引く人でも,明日は退屈な人に思えるかもしれません。しかし,恋愛感情が募るままにしておくと,だれかが必ず傷つくことになります。幾つかの研究調査が,多くの若い人を自殺に追いやる状況の一つを,「ガールフレンドとのけんか」や「失恋」と関連づけているのも不思議ではありません。
私には用意があるだろうか
神は若い人たちに,「若者よ,あなたの若い時を歓べ。若い成年の日にあなたの心があなたに良いことをするように。そして,あなたの心の道に,あなたの目の見る物事のうちに歩め」と言われます。若い人たちは確かに『自分たちの心の道に歩む』傾向があります。ところが,非常に面白く思えるそれらの「道」は,往々にしていら立ちや災いをもたらします。ですから聖書は次の節で,「あなたの心からいら立ちを除き,あなたの体から災いを払いのけよ。若さも人生の盛りもむなしいものだからである」と述べているのです。(伝道の書 11:9,10)「いら立ち」とは,非常に困っている,あるいはひどく悩んでいる状態を指し,「災い」は個人的な災難を指します。どちらも生活を耐えがたいものにします。
ではこれは,デート自体がいら立ちと災いのもとになるということですか。必ずしもそうではありません。しかし,もしデートをする理由が間違っている(“遊びのため”)なら,またはデートをする用意がなければ,そうなる可能性があります。それで以下の質問は,自分の状況を検討するのに役立つでしょう。
デートは私の感情面の成長を助けるだろうか,それとも妨げるだろうか。デートをすると,一人の少年対一人の少女の関係に限られがちです。それよりも,ほかの人たちと幅広く交わるほうが,あなたにとって有益ではないでしょうか。(コリント第二 6:12,13と比較してください。)スーザンという名の若い女性はこう言いました。「私は会衆内の年上のクリスチャンの婦人と親しく交わるようにしました。その方たちには交わりが必要でしたし,私はその方たちの落ち着いた態度から影響を受ける必要がありました。ですからコーヒーを飲みに立ち寄っては一緒に談笑したものです。私はその方たちと生涯にわたる真の友情関係を結びました」。
様々なタイプの友達 ― 年配の人や若い人,独身者や既婚者,男性や女性 ― を持つことによって,異性を含め人々が周りにいても落ち着いていられるようになり,デートの時のような強い圧力は感じません。さらに,既婚者たちと交われば,結婚生活に対するより現実的な見方が得られます。そして後日,良い配偶者を選び,また結婚における自分の役割を果たす際には,よりよい準備ができていることでしょう。(箴言 31:10)ゲイルという名の若者は,「結婚して落ち着く用意はまだありません。自分という者がまだ分かっていないし,達成すべき霊的目標もたくさんあります。ですから,異性のだれとも過度に親しくなる必要が実際にないのです」と結論しました。
気持ちを傷つけることを自分は望んでいるだろうか。結婚する見込みもないのにロマンスのきずなで結ばれると,あなたの気持ちも相手の気持ちも打ち砕かれる可能性があります。実際,異性との交際を経験する目的でだれかにロマンチックな思いを寄せるのは正しいことでしょうか。―マタイ 7:12参照。
両親はどう言うだろうか。あなたには見えなくなっている危険も,ご両親には見える場合が多いのです。ご両親もやはりかつては若かったのです。年若い二人の異性が多くの時間を一緒に過ごせば,どんな重大な問題が起きかねないかご存じなのです。ですから,もしご両親があなたのデートに賛成でなければ,反抗してはいけません。(エフェソス 6:1-3)恐らくご両親は,もう少し大きくなるまで待つべきだと考えておられるだけかもしれません。
自分は聖書の道徳律に従えるだろうか。「若さの盛りを過ぎ」れば,性的衝動にもっとよく対処できるようになりますが,その時でも易しくはないのです。あなたは人生のこの時期に,ある異性との親密な関係を保ちながら,その関係を清いままにしておける用意が本当にできていますか。
興味深いことに,多くの若者は以上のような事柄を自問して,メアリアン(前に挙げた人)と同じ結論に達しました。彼女はこう言いました。「デートのことで他の人たちの態度に影響されないようにしようと決心したのです。結婚適齢期になり,結婚する用意ができて,夫に望ましい性質を備えた人に会うまでデートはしないつもりでした」。
したがってメアリアンは,デートをする前に自問すべき重要な質問を提起したことになります。
討論のための質問
□ 「デートをする」という言葉はあなたにとって何を意味しますか
□ ある若者たちが,デートをさせようとする圧力を感じるのはなぜですか
□ 「若さの盛り」にある人たちのデートはなぜ賢明でないと言えますか
□ 若い人はデートに関して,どのように『災いを払いのける』ことができますか
□ 男の子と女の子が“ただの友達”でいるときに発展しかねない問題にはどんなものがありますか
□ デートをする用意があるかどうかは,どうすれば分かりますか
[231ページの拡大文]
「キスだけではすぐに物足りなくなり,相手の局部に触れるようになりました。私はそれをひどく不潔に感じ,神経が参ってしまいました。そのうちにデートの相手は,私が“行くところまで行く”ことを期待するようになりました」
[234ページの拡大文]
『どうすればキャシーの感情を傷つけずに彼女を捨てられるでしょうか』
[232,233ページの囲み記事/図版]
男の子と女の子が“ただの友達”でいられるだろうか
いわゆる「プラトニックな関係」(性的要素の入らない男女の愛情のこもった関係)は若者の間でかなり人気があります。17歳のグレゴリーは,「普通は女の子のほうが思いやりがあり,繊細だから,僕は女の子に話すほうが楽です」と言います。そのような友情は,より円満な人格の形成に役立つと主張する若者たちもいます。
聖書は若い男性に対し,「若い婦人には姉妹に対するように貞潔をつくして」接しなさいと勧めています。(テモテ第一 5:2)この原則を適用すれば確かに,異性との清潔で健全な友情を楽しむことは可能です。例えば,使徒パウロは独身でしたが,多くのクリスチャンの婦人と交友がありました。(ローマ 16:1,3,6,12参照。)彼は,「良いたよりのためにわたしと相並んで奮闘した」二人の「婦人」について書いています。(フィリピ 4:3)イエス・キリストも婦人たちとの平衡の取れた健全な交わりを楽しまれました。いろいろな時に,イエスはマルタとマリアのもてなしを受けられ,彼女たちとの会話を楽しまれました。―ルカ 10:38,39。ヨハネ 11:5。
それでも,「プラトニックな」友情は薄く偽装した恋愛,あるいは言質を与えずにある異性の注意を引く一つの方法にすぎないことが少なくありません。人の気持ちは容易に変わり得るので注意する必要があります。マリオン・ヒリヤード博士は,「時速10マイルぐらいで進んでいる気楽な交際が,いきなり時速100マイルで進む,分別を失わせるような激情に変わることがある」と警告しています。
16歳のマイクは14歳の少女と“親しく”なった時にその点を悟りました。「すぐに分かったのは,ずっと二人だけで会っていると,その二人はただの友達でいることはできなくなるということです。僕たちの関係はどんどん深まっていき,二人ともすぐに特別の気持ちを持つようになりました。今でもそれは変わりません」。二人とも結婚できるほどの年齢ではないので,そのような感情は欲求不満のもとになります。
親しい交わりが多すぎると,さらに悲しい結末を迎えることもあります。一人の若者は,幾つかの問題を自分に打ち明けたある女友達を慰めようとしました。間もなく彼らはペッティングを行なうようになりました。結果はどうなったでしょうか。良心に責められ,二人の間に悪感情が生まれました。性関係を持つようになった若者たちもいます。「今日の心理学」誌が行なったある調査によると,「友情が発展して性関係を持つようになったケースは回答者のほぼ半数(49%)に」上りました。事実,「先月友達と性交を行なったと答えたのは,ほぼ3分の1(31%)」でした。
『しかし,私は友達に心を引かれてはいません。男の子[あるいは女の子]に恋愛感情を抱くことなど絶対にないでしょう』。多分そうかもしれません。しかし将来はどう感じるでしょうか。それに,『自分の心に依り頼んでいる者は愚鈍である』とあります。(箴言 28:26)わたしたちの心は不実で,欺きを働き,真実の動機に対してわたしたちを盲目にすることがあります。また,あなたは友達があなたについてどう感じているか本当に知っているでしょうか。
アラン・ロイ・マクギニスは自著「友情の要素」の中で,「自分を過信してはならない」と忠告しています。監督の行き届いたグループ活動だけに参加するなどして,用心してください。ふさわしくない愛情の表現や,ロマンチックな状況の中に二人だけでいることは避けましょう。問題があるときには,年若い異性よりも両親や年長の人に打ち明けるようにしましょう。
しかし,安全手段を講じても,だれかが一方的にあなたに恋愛感情を抱くようになるならどうでしょうか。「真実を語り」,自分の立場を相手に知らせます。(エフェソス 4:25)それでも問題が解決しなければ,その人には近づかないのが最善かもしれません。「災いを見て身を隠す者は明敏である」。(箴言 22:3)つまり,「友情の要素」という本が述べているように,「必要なら脱出しなさい。どんなに努力しても,異性との友情が制御できない感情になることも時にはあるものです。そうなると行き着く先は決まっています」。その時こそ「離れる」べき時です。
[227ページの図版]
若者たちは,デートをさせよう,ペアにならせようとする圧力を感じる場合が多い
[228ページの図版]
デートをすると,若い人は大抵,望ましくない愛情の表現をさせられそうな圧力を感じる
[229ページの図版]
デートをさせようとする圧力のない状況の中では,異性との交わりが楽しめる
[230ページの図版]
いわゆるプラトニックな関係は,悲痛な思いに終わる場合が少なくない
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わたしには結婚する用意ができているだろうか若い人が尋ねる質問 ― 実際に役立つ答え
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30章
わたしには結婚する用意ができているだろうか
結婚は遊びではありません。神は夫と妻が他のどんな人間とよりも親密で永久的なきずなを結ぶよう意図されました。(創世記 2:24)ですから配偶者は,残る生涯にわたってあなたが堅く付く人,あるいはあなたに堅く付く人です。
どんな結婚にも多少の「苦しみと悲しみ」は付き物です。(コリント第一 7:28,新英訳聖書)しかし,行動科学の教授マーシャ・ラスウェルは,「結婚が永続するか否かに関して我々が得ている,だれも否定できない情報が一つあるとすれば,それは,非常に年若くして結婚する人は全く不利だということである」と忠告しています。
年若い人の結婚で失敗する例が非常に多いのはなぜでしょうか。これに対する答えは,結婚する用意が自分にあるかどうかを確かめることと深い関係があるかもしれません。
大きな期待
十代のある少女は次のように語りました。「結婚生活とはどんなものかについての私たちの考えはとても浅はかでした。好きな時に出かけて好きな時に帰り,気ままに行動でき,皿洗いなどしてもしなくてもすむと思っていましたが,そんなものではありませんでした」。多くの若者は,結婚についてそのような未熟な考えを抱くようになります。彼らは結婚をロマンチックな幻想のように心に描きます。大人のように見える身分になりたくて結婚する人もいます。家庭とか学校,または地域社会の中の悪い状況から逃げ出したいだけの人もいます。ある少女は婚約者に,「結婚したら私本当にうれしいわ。もう何も自分で決めなくてすむんですもの」と,自分の気持ちを打ち明けました。
しかし結婚は,幻想的でも,種々の問題を解決する万能薬でもありません。それどころか,結婚すると全く新しい問題が一式生じ,それらと取り組まねばなりません。二十歳で最初の子を出産したビッキーは,「多くの十代の若者は,ままごと遊びをするような気持ちで結婚します」と言いました。「それはとても面白そうに見えるでしょう。子供のことを,ただ遊び相手にすることができる,非常にかわいい,小さな人形のように考えますが,そういうものではありません」。
性関係について非現実的な期待を抱いている若者も少なくありません。18歳で結婚したある青年は,「結婚してから,強い性的興奮もすぐにさめてしまうことが分かり,それから現実の問題を幾つか抱えるようになった」と言いました。十代の夫婦に関するある調査によると,金銭の問題に次いで一番よくけんかの種になるのは性関係です。それというのも,満足のいく夫婦関係は,自己本位でないことや自制 ― 若者があまり培っていない特質 ― の結果生まれるものだからでしょう。―コリント第一 7:3,4。
聖書は賢明にもクリスチャンに,「若さの盛りを過ぎて」結婚することを勧めています。(コリント第一 7:36)性的欲望が絶頂にある時期に結婚しようとすると,まともに考えることができず,配偶者になる人の欠点に盲目になる可能性があります。
自分の役割を果たす用意がない
ある十代の花嫁は夫についてこのように言いました。「いったん結婚してしまうと,主人が私に関心のありそうなふりをするのはセックスを望んでいる時だけです。主人は,男友達と一緒にいることを,私と一緒にいるのと同じほど大切に考えています。……私のことだけ考えてくれると思っていたのに,だまされてしまいました」。この言葉は,若い男性にありがちな誤った考えをよく示しています。夫になってもまだ独身男性のライフスタイルでいけると,彼らは考えるのです。
19歳のある花嫁は,年若い妻たちの間によくある一つの問題を指摘しました。「私は掃除や食事の支度をするよりも,テレビを見たり寝たりするほうが好きです。主人の両親が来ると恥ずかしい思いをします。両親は家をきちんとしているのに,我が家はいつも散らかっているからです。おまけに料理も下手ときています」。女性に家事を行なう能力がなければ,結婚生活には大きなストレスが加わることになるでしょう。「結婚生活には本当に献身的な態度が必要です。これは遊びではありません。結婚式の楽しさは過ぎ去って,生活はすぐに日常的なものになります。これが楽ではないのです」と,ビッキー(前に挙げた人)は言いました。
家族を養うための毎日の苦労についてはどうでしょうか。ビッキーの夫マークは言いました。「最初の仕事に就いたときは朝6時に起きなければならなかったのを覚えています。『これは厳しい。少しはほっとできる時が来るのだろうか』と絶えず考えていました。そして家に帰っても,僕がどんなに大変な思いをしているかビッキーには分かっていないようでした」。
金銭の問題
年若い夫婦の仲がきしみだすさらに別の原因があります。それはお金です。48組の十代の夫婦は,結婚3か月後の最も切実な問題が,「一家の収入の使い方」であることを認めました。ほぼ3年後に,そのうちの37組に同様の質問が出されましたが,一位はやはりお金の問題で,彼らの悩みはかえって深刻になっていました。ビルはこう言いました。「必要な物も満足に買えないような金不足で,生活にどんな喜びがあるでしょうか。……次の給料日までもたないような状態だと,けんかをすることが多くなり,面白くなくなります」。
金銭の問題は十代の若者の間では珍しくありません。失業率は最高,賃金は最低という状態が十代の場合は多いからです。ロイは,「自分の力では家族を養っていけないので,両親と一緒に暮らすしかありませんでした。そのため両親との関係はひどくぎくしゃくしました。子供もいたのでなおさらでした」と語りました。箴言 24章27節には,「自分の仕事を戸外で整え,自分のためにそれを畑で用意せよ。その後,あなたはまた,自分の家を築かなければならない」とあります。聖書時代には,男子は後ほど家族を養う立場に立つことができるよう,骨折って働きました。現代の若い夫たちの中には,そのような良い準備ができていないために,一家の働き手としての役割を重荷に感じている人が少なくありません。
しかし,かなりの給料をもらうとしても,夫婦が物について子供っぽい考えを持っていれば,お金の問題はなくならないでしょう。ある調査によれば,「十代の若者たちは,彼らの親たちが恐らく何年もかかって手に入れたであろう品物の多くを,自分たちの将来の家庭でもすぐに購入できると思って」いました。そうした品物をどうしても今持ちたいと思って,多くの若者が大きな負債を抱え込みます。「命を支える物と身を覆う物」とで満足するという円熟性に欠けているため,彼らは結婚生活のストレスを増やしました。―テモテ第一 6:8-10。
「大きな隔たり」
モーリーンは振り返って語りました。「私はドンが好きでした。すごくハンサムで,力が強く,スポーツが得意で,とても人気があったのです。……私たちの結婚はうまくゆくはずでした」。ところがそういかなかったのです。モーリーンが言うには,憤りは次第に募って,「ドンのすることなすことが気にさわるのです。食事の時に舌を鳴らすことにさえいらいらし,とうとう二人ともがまんできない」までになりました。その結婚は2年とたたないうちに破綻しました。
どこに問題があったのでしょうか。「私たちの人生の目標には大きな隔たりがあったのです」と,モーリーンは説明しました。「私には知的な面で話の合う人が必要だったことに気づきました。でもドンの生活はスポーツがすべてだったのです。18歳の時にはとても重要だと思っていたことが,急に意味のないものになりました」。配偶者に何を望むかについて若者は大抵,器量がよいことを第一条件にした子供っぽい考えを持っています。箴言 31章30節は,「麗しさは偽りであることがあり,美しさもむなしいものとなることがある」と警告しています。
自己吟味をする
神に厳粛な誓いをしながら,「誓約の後に調べる気になる」人のことを聖書は性急な人と呼んでいます。(箴言 20:25)では,結婚の誓いのような重要な誓いをする場合も,その前に聖書に照らして自分を吟味するのが道理ではないでしょうか。人生における自分の目標は正確に言って何でしょうか。その目標は結婚によってどんな影響を受けますか。ただ性関係を経験するため,あるいは問題から逃れるために結婚を望んでいるでしょうか。
さらに,夫または妻の役割を担う準備がどの程度できていますか。家庭を管理する,または生計を立てる能力がありますか。もし両親と絶えず争っているようであれば,配偶者とうまくやっていけるでしょうか。結婚生活に伴う試練や苦難に耐えられますか。お金の扱いに関しては,「みどりごの時のこと」を本当にやめたでしょうか。(コリント第一 13:11)あなたにどれだけの資格があるかについては,ご両親には言うべきことがたくさんあるに違いありません。
結婚は豊かな幸せの源ともなれば,ひどい苦しみの源ともなり得ます。結婚に対してどれほどの用意ができているかに,多くのことがかかっているのです。もしあなたがまだ十代であれば,デートを始めるのをしばらく延ばすのはどうでしょうか。それはあなたにとって害になることではありません。もし結婚という重要な ― そして永久的な ― 段階を踏むつもりであればその時まで,本当に用意を整えるための必要な時間ができるということにほかなりません。
討論のための質問
□ ある若者たちは結婚についてどんな未熟な考えを抱くようになりますか
□ 性行為だけを目的に結婚することはなぜ非現実的であると思いますか
□ ある若者たちは,夫または妻の役割を果たす準備ができていないことを,どのように示してきましたか
□ 若い人たちが金銭のことでしばしば深刻な問題に陥るのはなぜですか
□ 配偶者を選ぶ際にある若者たちはどんな間違いをしますか
□ 結婚する用意ができているかどうかについて,どんな事柄を自問してみるとよいでしょうか。この資料を検討してみて,あなたは自分にどの程度結婚の用意があると感じますか
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「結婚が永続するか否かに関して我々が得ている,だれも否定できない情報が一つあるとすれば,それは,非常に年若くして結婚する人は全く不利だということである」― マーシャ・ラスウェル,行動科学の教授
[237ページの図版]
多くの若者は,この二人よりはややましな準備をして結婚する
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真実の愛であるかどうかは,どうすれば分かるのだろう若い人が尋ねる質問 ― 実際に役立つ答え
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31章
真実の愛であるかどうかは,どうすれば分かるのだろう
夢見るような目をしたロマンチックな人たちにとって,愛とは,あなたをとらえる神秘的なもの,生涯に一度しか味わえない,我を忘れるような陶酔感です。愛は全く心の問題であって,理解できないもの,経験して初めて分かるもの,と彼らは信じています。また,愛はすべてを征服し,永遠に続くものなのです。
これは恋愛を論じる際の決まり文句です。恋をすることは確かにユニークなすばらしい経験となる場合があります。しかし,正確に言って真実の愛とは何でしょうか。
一目ぼれ?
デービッドはパーティーで初めてジャネットに会いました。均整の取れた体つきや,笑うと髪が目の上にはらりと落ちる様子などを見て,彼女に引きつけられました。ジャネットのほうは,彼の濃い褐色の目や機知に富んだ会話に魅せられました。お互いに一目ぼれといったところのようでした。
その後の3週間というものは,デービッドとジャネットは離れられない仲でした。ところがある夜,ジャネットは以前の男友達から電話でひどいことを言われ,慰めてもらいたくてデービッドに電話をしました。しかし,デービッドは脅威を感じて当惑し,冷たい返事をしました。二人が永久に続くと信じていた愛は,その晩にあえなく消え去りました。
映画や本やテレビ番組などを見ると,一目ぼれは永遠に続くように思えるかもしれません。確かに男女は,まず身体的な魅力に引かれて,互いに相手に注目するようになります。ある青年が言ったように,「人柄を“見る”のは難しい」のです。しかし,知り合ってから数時間ないしは数日しかたっていない場合,何を“愛する”のでしょうか。それはその人が投写するイメージではないでしょうか。実際にはあなたは,その人が持っている考え,希望,恐れ,計画,習慣,技術,能力などについてはあまり分かっていません。あなたは「心の中の秘められた人」とではなく,外側の殻と知り合っただけなのです。(ペテロ第一 3:4)そのような愛がいつまで続くでしょうか。
容姿は人を欺く
さらに,外見は人を欺くことがあります。「麗しさは偽りであることがあり,美しさもむなしいものとなることがある」と,聖書は述べています。贈り物のきらびやかな包みを見ただけでは,中味は分かりません。事実,役に立たない贈り物であっても,包装はエレガントなものにすることができます。―箴言 31:30。
箴言には,「きれいであっても,分別から離れて行く女は,豚の鼻にある金の鼻輪のようだ」とあります。(箴言 11:22)聖書時代に鼻輪は一般に使われていた装身具でした。純金で作られたものが多く,大変美しいものでした。当然のことながら,女性を見るとき最初に目につくのはその装身具だったでしょう。
箴言は,外見が美しくても「分別」のない女性を,「豚の鼻にある金の鼻輪」に例えています。適切な例えです。分別のない女性には美しさは全く似合わないのです。そういう女性には美しさはむだな装身具です。つまり,その装身具をつけてもその人が魅力的にならないのは,豪華な鼻輪をつけても豚が美しくならないのと同じなのです。ですから,相手の容姿に“恋”をし,内面がどんな人かを無視するのは,なんと大きな間違いでしょう。
「よろずの物よりも偽るもの」
しかし恋となれば,人の心の判断は間違いがないと,ある人たちは考えます。『真実の愛ならば感じで分かる』というわけです。しかし不幸にして,この考えは色々な事実に反します。ある調査では,1,079人の若者(18歳から24歳)が,それまでに平均7回恋愛を経験したと答えました。ほとんどの若者は,過去の恋愛を単なる盲目的情熱,つまり一時的な,消え去る感情であったことを認めました。しかしその若者たちが「きまって,現在経験しているのは愛だと言う」のです。しかし大抵の若者はいつの日かまた,現在進行中の恋愛についても過去の恋愛と同じく単なる盲目の恋だった,と言うことでしょう。
毎年何万組ものカップルが,“愛し合っている”という幻想を抱いて結婚し,その後すぐに,大変な間違いをしたことに気づくというのは悲劇です。レイ・ショートもその著書,「セックス,恋,すなわち盲目の恋」の中で,「疑うことを知らない男女は[盲目の恋により]ほふり場に引かれる子羊のように,惨めな結婚へと引かれて行く」と述べています。
『自分の心に依り頼んでいる者は愚鈍である』。(箴言 28:26)人の心は判断を間違ったり,方向を誤ったりすることが非常に多いのです。事実,聖書は,「心はよろずの物よりも偽るもの」と述べています。(エレミヤ 17:9,日本聖書協会 口語聖書)しかし,先に述べた箴言はさらに,「知恵によって歩んでいる者は逃れることになる」と述べています。あなたも,盲目の恋と,聖書に説明されている愛 ― 決して絶えない愛 ― との違いを学ぶなら,他の若者たちを悩ませてきた危険や挫折感から逃れることができます。
愛と盲目の恋との比較
「恋におぼれると盲目になり,盲目のままでいることを好み,現実を見ようとはしない」ことを24歳のカルビンは認めます。ケニアという16歳の少女はさらにこう言います。「だれかに夢中になっていると,その人のすることは何もかも完全だと思うのです」。
盲目の恋はまがいの愛です。非現実的であると同時に自己中心的です。夢中になっている人は,『あの人と一緒にいると私は自分がとても偉くなったみたいな気持ちになるわ。私,眠れない。なんてすてきな気分なんでしょう,私信じられないくらいだわ』とか,『彼女は僕を本当にいい気分にならせてくれる』などとよく言います。「私は」とか「僕を」という言葉が何度使われているかに注目してください。利己主義の上に立った関係は必ず壊れます。しかし,真の愛についての聖書の説明に注意を向けてください。『愛は辛抱強く,また親切です。愛はねたまず,自慢せず,思い上がらず,みだりな振る舞いをせず,自分の利を求めず,刺激されてもいら立ちません。傷つけられてもそれを根に持ちません』― コリント第一 13:4,5。
真実の愛は『自分の利を求めない』ので,聖書が示す原則に基づく愛は自己中心的でも,利己的でもないのです。なるほど二人は強い恋愛感情を抱き,互いに引きつけられるかもしれませんが,理性と相手への深い敬意によってその感情のバランスを保つのです。本当の意味で愛していれば,相手の福祉と幸福を自分のことのように気にかけます。自分の感情に圧倒されて適切な判断力を失うようなことはしません。
真実の愛の模範
聖書に記述されているヤコブとラケルの物語は,このことをはっきり示している例です。この二人はある井戸のそばで会いました。ラケルは父親の羊に水を飲ませるためにそこに来たのです。ヤコブはすぐに彼女に引きつけられました。それは「姿が美しく,顔だちも美しかった」上に,エホバの崇拝者だったからです。―創世記 29:1-12,17。
ヤコブは丸1か月ラケルの家族と一緒に暮らした後,自分がラケルを愛していること,そして彼女との結婚を望んでいることを明らかにしました。単なる盲目の恋だったのでしょうか。決してそうではありません。その月の間ヤコブは,ラケルの普段の生活 ― 両親や他の人々への接し方,羊飼いとしての仕事ぶり,エホバへの崇拝をどれほどまじめに考えているか,などを見ていたのです。ですからラケルの“一番良い状態のとき”も“一番悪い状態のとき”も見たに違いありません。したがって,ラケルに対するヤコブの愛は放逸な感情ではなく,理性と深い敬意に基づく利他的な愛でした。
だからこそヤコブは,ラケルを妻にもらえるのであれば,ラケルの父親のもとで7年間喜んで働くと宣言することができたのです。盲目の恋ならばそれほど長くは続かなかったでしょう。純粋の愛,相手に対する無私の関心があって初めて,それらの年月を「ほんの数日」のように感じることができたのです。その純粋の愛ゆえに,二人はその間純潔を保つことができました。―創世記 29:20,21。
時間がかかる
ですから真実の愛は時間によって損なわれることはありません。確かに,ある程度時間をおくことは,多くの場合,ある人に対する自分の感情を試してみる一番良い方法です。サンドラという若い女性は,「簡単に,『これが私です。私のことはもう全部お分かりでしょう』と言って,自分の性格を見せるような人はいません」と言いました。そのとおりです。あなたが関心を持っている人を知るにも時間がかかるのです。
時間をおくと,自分のロマンチックな関心を,聖書の光に照らして調べる余裕ができます。愛は『みだりな振る舞いをせず,自分の利を求めない』ということを忘れないようにしましょう。あなたの相手は,あなたの計画がうまくいくことを強く望みますか,それとも自分の計画だけに熱心ですか。あなたの見解や感情を尊重しますか。利己的な情欲を満たすために,実際に『みだりな』ことを行なうよう,あなたに圧力をかけたことがありますか。その人は人前であなたをけなす傾向がありますか,それともあなたの気持ちを引き立ててくれますか。こうした質問を考えてみることは,自分の感情をより客観的に評価するのに役立ちます。
性急な恋愛は災いを招きます。「私はたちまち深い恋に陥りました」と,二十歳になるジルは説明します。2か月にわたる大恋愛の末,彼女は結婚しました。しかし,それまで隠されていた色々な欠点が表面に出るようになりました。ジルは,頼りないところや自己中心的なところを表わし,夫のリックは,ロマンチックな魅力を失って利己的になりました。結婚して2年ほどたったある日,ジルは,あなたは「安っぽくて」,「怠け者」で,夫として「失格」よ,と金切り声を上げました。それを聞いてリックは妻の顔を殴りつけました。ジルは泣きながら家から飛び出しました。それは結婚から逃げ出すことでもありました。
聖書の助言に従っていたなら,二人は結婚生活を持続することができたでしょう。(エフェソス 5:22-33)しかし,結婚する前にもっとよく知り合っていたならば,事情はだいぶ異なっていたに違いありません。二人の愛は“イメージ”に対するものではなく,長所も短所もある実際の人格に対するものだったでしょうし,二人の期待もより現実的なものになっていたことでしょう。
真実の愛は一夜にして生まれるものではありません。また,あなたの理想的な配偶者となる人が,圧倒されるような魅力の持ち主である必要もありません。例えばバーバラはある青年と知り合いました。彼女はその青年に最初のうちは特に魅力を感じていなかったことを認めます。「しかし,彼をよく知るようになると,それが変わってきました。スティーブンが他の人たちに関心を示し,自分のことよりも他の人の益を常に優先するのを私は見たのです。こういう特質が男性を良い夫にするということは分かっていました。私は彼に心を引かれ,彼に愛情を抱くようになりました」。結果として堅実な結婚生活が始まりました。
ではどうすれば真実の愛かどうかが分かるのでしょうか。あなたの心は語るかもしれませんが,聖書で訓練された思いを信頼してください。相手の外面の“イメージ”以上のものを知ることです。二人の関係が開花するための時間を与えましょう。盲目の恋は熱しやすく冷めやすいことを忘れてはなりません。純粋な愛は時がたつにつれて深まり,「結合の完全なきずな」となります。―コロサイ 3:14。
討論のための質問
□ 人の容姿に恋をすることにはどんな危険がありますか
□ 真実の愛であるかどうかを見極める面で,あなたの心は信頼できますか
□ 愛と盲目の恋との違いを幾つか挙げてください
□ デートをしている男女がよく別れるのはなぜですか。それはいつの場合でも間違っていますか
□ もし恋愛が終わってしまったなら,どうすれば疎外感を処理できますか
□ 相手を知ることに時間をかけるのはなぜ大切ですか
[242ページの拡大文]
あなたが恋をしているのは人物ですか,それとも単なる“イメージ”ですか
[247ページの拡大文]
「恋におぼれると盲目になり,盲目のままでいることを好み,現実を見ようとはしない」― 24歳の男性
[250ページの拡大文]
「今は『こんにちは,お元気ですか』と言うのが精一杯です。だれとも親しくならないようにしています」
[248,249ページの囲み記事/図版]
どうすれば失恋から立ち直れるだろうか
私の結婚の相手はこの人だということがあなたには分かります。一緒にいるとお互いに楽しい気分になります。二人とも同じことに関心があって一緒に行ないます。そしてお互いに相手に引かれているのを感じます。ところが突然その関係は冷え,怒りが爆発します ― あるいは涙に暮れます。
「恋の不思議な働き」という本の中で,ミシャエル・リーボウィッツ博士は,恋の始まりを強力な麻薬による陶酔感に例えています。しかしそのような恋は,終わってしまうと,麻薬の場合のように“禁断症状”を引き起こしがちです。しかもその症状は,恋愛が単なる盲目の恋であろうと“本物”であろうと,ほとんど変わらないのです。どちらの場合も,目のくらむような陶酔感を ― そしてもし関係が終われば激しい苦悶をもたらします。
別れた後に訪れる疎外感,心の痛み,もしかしたら激しい怒りなどのために,将来に対する関心を失ってしまうかもしれません。ある若い女性は,自分が捨てられて“傷ついた”ときのことを語りました。「今は[異性に対して],『こんにちは,お元気ですか』と言うのが精一杯です。だれとも親しくならないようにしています」と,その人は言いました。相手との関係に心を深く傾けていれば,破綻したときに受ける心の傷はそれだけ深くなるものです。
確かに,好きな人と交際できる自由の代価は高いのです。拒絶される可能性は実際にあります。真実の愛が育つという保証は全くありません。ですから,だれかがまじめな目的であなたと交際を始め,後ほど結婚は賢明でないと結論したとしても,あなたは必ずしも不当な扱いを受けたわけではないのです。
問題は,非常に手際よく親切な別れ方をされても,やはり心は傷つき,疎外感を覚えるということです。でもそれは自尊心を失う理由にはなりません。その人の目に“かなわない”ということはほかの人の目にもかなわない,という意味ではないからです。
過ぎ去った恋愛の全体像を冷静な目で見てみます。恋愛に破れると,相手のいやなところが目立つかもしれません。感情的に未熟である,優柔不断である,融通がきかない,狭量である,こちらの気持ちに対する配慮がないといった点です。こうした特質は配偶者に望ましいものとはとても言えません。
ところで,もし相手が全く一方的に離れていき,あなたのほうは,結婚したらうまくいったに違いないと信じているとしたらどうでしょうか。もちろんあなたには,自分の気持ちを相手に伝える権利があります。もしかしたら何らかの誤解があっただけかもしれません。感情をたかぶらせてわめき散らしたところで何も成し遂げられません。それでも相手が別れると言い張るのであれば,明らかにあなたのことを思っていない人に,涙を流して愛情を請うような,屈辱的なことをする必要はありません。「捜すのに時があり,失ったものとしてあきらめるのに時がある」と,ソロモンは言いました。―伝道の書 3:6。
結婚に対する誠実な関心など最初からなく,ただあなたを利用していた,と疑ってみる強い理由のある場合はどうでしょうか。執念深く仕返しをする必要はありません。そのようなあくどいやり方が神の目に留まらずにすむことはまずないからです。「残虐な者は自分の身をのけ者にさせている」のです。―箴言 11:17。箴言 6:12-15と比較してください。
時々,寂しさやロマンチックな思い出に悩まされるかもしれません。そういうときには思いきり泣くのもよいでしょう。体を使う活動や,キリスト教の宣教などを忙しく行なうのも助けになるでしょう。(箴言 18:1)いつも楽しい事柄や建設的な事柄に心を向けるようにします。(フィリピ 4:8)親しい友達に打ち明けるのもよいでしょう。(箴言 18:24)独立するだけの年齢に達していると自分では感じていても,両親からも大きな慰めが得られるかもしれません。(箴言 23:22)そしてだれよりもエホバに打ち明けてください。
その時にはあなたは,自分の人格のある面を磨く必要を悟っているかもしれません。配偶者の理想像も以前に増してはっきりするでしょう。恋愛と失恋を経験したので,もしまた望ましい人が現われたなら,交際はもっと慎重にしようと思うでしょう。そういう人が現われる可能性は,予想外に大きいかもしれません。
[245ページの図表]
愛? それとも盲目の恋?
愛 盲目の恋
1. 利他的な気持ちで相手の 1. 自己中心的,限定的。『自分にどんな
益を気遣う 益があるだろうか』と考える
2. 恋愛は多くの場合,たぶん 2. 恋愛は数時間ないしは数日で急速に始まる
数か月ないしは数年かかって
徐々に始まる
3. 相手の全人格や霊的特質に 3. 相手の容姿に強く魅せられる,または関心を持つ。
引かれる (『彼の目,すてきだわ』,
『彼女はスタイル抜群だ』)
4. 自分に及ぶ影響としては, 4. 破壊的で,混乱を引き起こす影響がある
人格が向上する
5. 相手を現実的な目で見,その 5. 現実的でない。相手が申し分のない人に思える。
欠点を知っても,その人への 人格に重大な欠点があるのではないかという疑いが
愛は変わらない 絶えず心に浮かんでも,それを無視する
6. 口論することもあるが, 6. ひんぱんに口論する。実際に何も解決できない。
十分に話し合って問題を解決 キスで“解決”する場合が多い
できることが分かる
7. 与えたい,分かち合いたい 7. 特に性的衝動を満足させる面で,取ろう,
という気持ちがある 得ようとする態度がある
[244ページの図版]
容姿が魅力的でも分別のない男性または女性は,『豚の鼻にある金の輪のようだ』
[246ページの図版]
他の人たちの前でいつもあなたをけなす人は,あなたに対する純粋の愛がないかもしれない
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求婚期間を有意義に過ごすにはどうしたらいいのだろう若い人が尋ねる質問 ― 実際に役立つ答え
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32章
求婚期間を有意義に過ごすにはどうしたらいいのだろう
「結婚の失敗はそのほとんどが求婚期間における失敗である。このことはいくら繰り返しても言い過ぎではない」と,家族生活の問題の研究者,ポール・H・ランディスは説明します。ルイーズはこの言葉が正しいことを断言できます。「私が犯した最大の過ちは,アンディーがどんな人かを知ろうともせずに,アンディーに愛情を抱くようになったことでした。交際中は1対1の場合が多かったので,彼がその“理想的な”状況の外ではどう反応するか,見たことがなかったのです」。二人の結婚は破綻し,離婚に終わりました。そのような悲劇を避けるかぎはどこにあるでしょうか。それは求婚期間を有意義に過ごすことにあります。
デートをする前に
「熟慮ある人は行く道を見分けようとする」と,聖書は述べています。(箴言 14:15,新共同訳)あまり知らない人に恋愛感情を抱くのは災いのもとです ― たとえその人が魅力的に思えても。感情も目標も,あなたとは大きくかけ離れた人と結婚することになるかもしれません。ですから最初は,何かのレクリエーションを楽しんでいる時などに,グループの中でその人を観察するのが賢明です。
10年前に結婚して今も幸福な結婚生活を送っているデーブはこのように説明しました。「最初から親しくなりすぎると,感情が先に立って判断が鈍ることは分かっていました。それで関心があることをローズに気づかれずに,遠くから彼女を眺めていました。他の人にどう接するか,軽薄な女性かどうかが,見ていて分かりました。何気ない話の中で,彼女の境遇や目標も知ることができました」。また,その人をよく知っている人と話すことも,彼または彼女がどんな評判を得ているかを知る助けになります。―箴言 31:31と比較してください。
最初のデート
自分の配偶者に向いていそうだと判断したなら,その人に近づいて,もっとよく知りたいと思っていることを伝えることができます。a 積極的な反応があるとしても,最初のデートは手の込んだ大層なものにする必要はありません。例えば,1回のランチ・デートでも,あるいは二人でグループに加わって出かけても,よりよく知り合うことができ,その後も交際を続けるかどうかを判断できるでしょう。最初は両方とも緊張しがちなので,あまり形式ばらないようにすれば,緊張感は和らぐでしょう。また,早まって約束めいた言葉を口にしたりしなければ,どちらかが関心を失ったとしても,疎外感 ― またはきまり悪さ ― を最小限にとどめることができます。
どんなタイプのデートを計画したにしても,きちんとした,その場にふさわしい服装をして,時間どおりに約束の場所に行きます。話上手なところを示し,積極的な聴き手にもなります。(ヤコブ 1:19)そのような事柄について別に厳重な規則はなくても,若い男性は,自分の住んでいる土地の礼儀作法を守りたいと思うでしょう。それには,若い女性のためにドアを開けるとか,いすに座らせるといったことが含まれるかもしれません。若い女性は,王女様のように扱われることを期待してはいなくても,相手の努力に慎み深く協力します。お互いに敬意を込めて相手を扱うことによって,二人は将来のパターンをつくることができるのです。夫は,『弱い器として妻を敬う』ように命じられています。妻は,「夫に対して深い敬意を持つ」ことになっています。―ペテロ第一 3:7。エフェソス 5:33。
手を握ったり,キスしたり,抱擁したりするのはふさわしいことですか。ふさわしいとすればそれはどんな場合ですか。利己的な欲情からではなく,親愛の情の純粋な表現として行なわれるのであれば,愛情の表現は清潔でふさわしいものになり得ます。聖書の書であるソロモンの歌は,シュラムの娘と,彼女が愛していた,そしてまもなく結婚することになっていた羊飼いの青年との間で,ふさわしい親愛の情の表現が幾らか交わされたことを示しています。(ソロモンの歌 1:2; 2:6; 8:5)しかし,この貞潔な男女のように,交際中の二人は,愛情の表現が汚れたものにならないよう,また不品行につながらないよう,一層の注意を払うでしょう。b (ガラテア 5:19,21)そのような親愛の情の表現は,当然,この人にしようという気持ちが双方とも固まり,近く結婚しそうな段階にまで関係が発展した時に初めて行なうものです。自制を働かせるならば,求婚期間を有意義に過ごすための最初の目的からそれることはないでしょう。その目的とはすなわち……
「心の中の秘められた人」を知る
ある研究チームは,「結婚と家族ジャーナル」誌の1980年5月号の中で,「互いに相手の内なる人を相当よく知ったうえで結婚生活に入れば,結婚は破綻を免れ,成功するように思われる」と報告しました。確かに,相手の「心の中の秘められた人」を知るのは肝要なことです。―ペテロ第一 3:4。
しかし,人の心にあることを「くみ上げる」には努力と識別力が必要です。(箴言 20:5)ですから,相手の内なる人を知るのに役立ちそうな活動を計画します。初めのうちは映画やコンサートで満足できるかもしれませんが,(ローラースケートやボーリングをするとか,動物園や博物館に行くといった)会話を交わしやすい活動のほうが,よく知り合うにはよいでしょう。
相手の気持ちをそれとなく知るために,「自由な時間はどのように過ごしていますか」,「お金に糸目をつけないとしたら,何をしてみたいと思いますか」,「神の崇拝ではどんな面が一番好きですか。どうしてですか」といった,好きなように答えられる質問をしてみます。こういう質問をすれば,詳しい答えを引き出せるので,相手が何を大事にしているかを知るのに役立ちます。
関係が深まり,二人が結婚をいっそう真剣に考えるようになるにつれて,二人の価値観,どこでどのように暮らすか,共働きをするかどうかを含む経済上の問題,子供,避妊,結婚生活におけるそれぞれの役割についての考え,当面の目標や長期的な目標,さらにそれらの目標を達成するための計画をどう立てるか,といった重要な問題について真剣に話し合う必要があります。多くの若いエホバの証人は,学校を卒業すると全時間の福音伝道者になり,結婚後もその奉仕を続けることを希望します。この時こそ二人が,自分たちの霊的目標は一致しているかどうかを確かめるべき時です。また,過去の事柄など,結婚生活に影響するかもしれない事柄を明かす時でもあります。これには大きな負債とか責任などが含まれるでしょう。重い病気とかその結果などの健康問題も,率直に話し合うべきです。
そうした話し合いの際には,「わたしは心から率直に語り,誠実に話す」と述べたエリフの模範に倣ってください。(ヨブ 33:3,ウィリアム・ベック訳,「今日の言語による聖書」)エスターは,求婚期間中の交際が,どのように幸福な結婚生活の準備となったかを説明し,「意見が違う時には,“猫をかぶったり”,ジェイに同意したりはしませんでした。それは今でも変わりません。いつも正直であることに努めています」と語りました。
相手を困惑させることを恐れて,デリケートな問題に触れるのを避けたり,そうした問題をうまく取り繕ったりするのはよくありません。ベスはジョンと交際していた時に,この過ちを犯しました。ベスは,将来のために貯金をし,むだ使いしないのはよいことだと思うと話しました。ジョンは,自分もそう思うと言いました。ベスは,経済上の問題で意見は一致していると考え,それ以上は調べませんでしたが,ジョンが考えていたのは新しいスポーツカーを買うために貯金することだったのです。結婚してから,お金の使い方について二人の考えは合わないことが分かり,苦しい思いをする羽目になりました。
そうした誤解は防ぐことができます。冒頭で述べたルイーズは交際していた時のことを回想し,「『私が妊娠し,あなたは子供など要らないと思う場合,どうしますか』とか,『負債があっても,私は家にいて子供の世話をしたいと思う場合,あなたはこの問題をどう扱いますか』といった質問をもっとたくさんしておくべきでした。そうすればあの人の反応を注意深く観察したでしょうに」と語りました。そうした話し合いをすれば,結婚前にぜひ知っておくべき心の特質が表面に表われることでしょう。
相手が活動しているところを見てください
「人は1対1の時にはあなたにとてもよくしてくれるかもしれません。でも,ほかの人たちが周りにいると,その人は思いがけない事態に直面することがあります」と,エスターは説明します。「あなたの友達の一人が,気に入らないことをあなたのパートナーに言うかもしれません。あなたはその時,彼がそういう圧力にどう反応するかを見ることになります。その人は相手を叱りつけたり,いやみを言ったりするでしょうか」。エスターは結論として,「交際期間中,互いの友人や家族と一緒に過ごしたのはとてもよかったと思います」と言いました。
レクリエーションを楽しむことに加えて,仕事をしながら一緒に時を過ごします。神の言葉の研究やキリスト教の宣教を含むクリスチャンの活動にも参加しましょう。また,食料品の買い出し,食事の支度,皿洗い,家の掃除といった,結婚後の生活の一部となる日常の雑用もある程度行なってみます。実生活の様々な状況の中に一緒にいれば ― その時相手が最悪の状態であるとしても ― 相手の実際の人柄を知ることができます。
ソロモンの歌に出てくる羊飼いの青年は,自分の愛している女性が,落胆した時や,炎天下で仕事をしていて汗にまみれ,疲れている時に,どのように行動するかを見ました。(ソロモンの歌 1:5,6; 2:15)またその若者は,彼女が富裕なソロモン王の誘惑に抵抗して忠実さを示すのを見て感嘆し,「わたしの友よ,あなたは全く美しい。あなたには欠けたところがない」と述べました。(ソロモンの歌 4:7)もちろん,青年は彼女のことを完全だと言ったのではなく,基本的な道徳上の欠陥や汚点がないと言ったのです。どんな弱点をも補って余りある道徳的な強さは,彼女の身体的な美しさをいっそう引き立てたのです。―ヨブ 31:7と比較してください。
同様の評価を下すには時間がかかります。ですから性急に求婚するのは避けます。(箴言 21:5)たいてい男性も女性も,相手の愛を得るために全力をあげます。しかし,十分時間をかけるなら,好ましくない習慣や性癖はおのずと明らかになります。時間をかけ,しかも求婚期間を最も有効に用いるカップルは,結婚後の調整が容易であることに気づくでしょう。彼らは目を大きく開き,意見の食い違いが生じても解決できるという自信を持って結婚生活に入ることができます。二人は求婚期間を上手に活用して,うまくいく幸福な結婚生活を送るための準備を行なったのです。
[脚注]
a これは,デートがクリスチャンにとって適切な行為とみなされる国々で当てはまることです。普通は男性のほうが先に行動を起こしますが,もし男性が恥ずかしがったり,ためらったりしているようであれば,若い女性が慎みのある態度で自分の気持ちを打ち明けることを非とする聖書的な理由はありません。―ソロモンの歌 8:6と比較してください。
b 24章,「どうすれば婚前交渉をきっぱりと拒否できるだろうか」を参照。
討論のための質問
□ 求婚期間のおもな目的は何ですか。それは幸福な結婚生活を送るのにどれほど大切ですか
□ 相手の「内なる人」を知るには何が助けになりますか
□ どんな種類の会話は,求婚期間を有意義に過ごすのに役立ちますか
□ さまざまな状況のもとで一緒に時間を過ごすのはなぜ有益ですか
□ どんな事柄は,二人の関係が好ましくないことを示しますか
□ どんな場合には交際を中止すべきですか
[255ページの拡大文]
「互いに相手の内なる人を相当よく知ったうえで結婚生活に入れば,結婚は破綻を免れ,成功するように思われる」―「結婚と家族ジャーナル」誌
[256,257ページの囲み記事/図版]
わたしたちは別れたほうがいいだろうか
恋愛が決断すべき時に近づくと,普通いろいろな疑念が頭をもたげるものです。そのような疑念が,付き合っている相手に重大な欠陥があるために,あるいは二人の関係そのものがしっくりいかないために生まれる場合はどうでしょうか。
例えば,愛し合っている人同士でも,時には意見の食い違いがあります。(創世記 30:2; 使徒 15:39と比較してください。)しかし,なにかにつけて意見が合わない,話し合う度にそれがいがみ合いになる,別れたりよりをもどしたりを際限なく繰り返す,といった関係であれば,用心が必要です。400人の医師を対象にした調査で次のことが分かりました。つまり絶えず口げんかをするのは,「感情面で結婚の準備ができていない」,もしかしたら「二人の間に相いれない不一致がある」明確なしるしであるということです。
心配になる別の原因は,未来の配偶者に,気にかかる性格上の欠陥があるのを知ることかもしれません。荒い気性,利己的なところ,未熟,気まぐれ,頑固さなどが目につくようになると,果たして自分の残りの人生をその人と共に過ごしてよいものだろうかと考えるかもしれません。それでも,多くの人はそうした弱点を見過ごすか,または弁護することに努め,なんとしても二人の関係がうまくいくようにすることを決意するようです。
真のクリスチャンの間では,男女交際はまじめなこととみなされているため ― 当然そうあるべきですが ― 中にはデートの相手とどうしても結婚しなければならないような圧力を感じる人がいます。そういう人たちは,デートをしてきた相手と対決しなければならないことや,相手を傷つけることを恐れるかもしれません。また,結婚相手はほかに見つからないかもしれないということだけを心配する人もいます。しかし,そうした事柄は,問題の多い交際を続ける十分な理由とはなりません。
求婚期間の目的は,結婚できるかどうかを調べることです。もしクリスチャンが誠実な気持ちで交際を始めるとしても,望ましくないことが分かれば,その交際を続ける責任はありません。それに,『ほかに相手は見つけられそうもない』と仮定して望ましくない交際を続けるのは,間違ったこと,利己的なことではないでしょうか。(フィリピ 2:4と比較してください。)ですから,自分の抱えている問題を避けて通るのではなく,二人でそれに立ち向かうことが大切です。デートの相手をしっかり観察することから始めます。
例えば,その女性には従順で有能な妻になる証拠があるでしょうか。(箴言 31:10-31)その男性は自己犠牲的な愛を示し,家族を扶養する力のある人と見てよい証拠がありますか。(エフェソス 5:28,29。テモテ第一 5:8)その人は口では神の熱心な僕であると言うかもしれませんが,その信仰の主張を裏書きする業がありますか。―ヤコブ 2:17,18。
もちろん,もし二人が多くの時間をかけ,感情を込めて関係を培ってきたのであれば,相手が完全でないことが分かったというだけで,急いで関係を解消することはありません。(ヤコブ 3:2)その人の欠点は我慢できるものかもしれません。
もし我慢できないものであればどうでしょうか。そのことについて話し合いましょう。目標や見解に根本的な違いがありますか。それとも,それはただの誤解にすぎなかったでしょうか。『自分の霊を抑制して』問題をより穏やかに解決する方法を二人とも学ぶ必要があるというケースでしょうか。(箴言 25:28)もし癖のある性格でそれがあなたの気に障っていれば,相手は謙遜にその欠点を認めて改善する意欲を示しますか。あなたのほうは敏感で神経質な性格を和らげる必要がありますか。(伝道の書 7:9)『愛のうちに互いに忍ぶこと』は,幸せな結婚生活の活力源です。―エフェソス 4:2。
問題についてよく話し合うなら,二人の関係は損なわれるどころか,まだこれから成長する可能性のあることが分かるでしょう。しかし,話し合うとまたいらいらし,打ち解けない気持ちになるのであれば,災いが迫っている明白なしるしを無視してはなりません。(箴言 22:3)結婚すれば事態が良くなるということは恐らくないでしょう。双方にとって一番ためになるのは,交際を中止することかもしれません。
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グループの中で互いを観察すれば,ロマンチックな関係にならずに知り合うことができる
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土地の礼儀作法や良いマナーを守るなら,互いを敬うというパターンができあがり,結婚生活にそれを取り入れることができる
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交際がうまくいかないことがはっきりしたなら,直接顔を合わせて話し合い,交際をやめねばならない理由を説明するのが親切
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