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    聖書 ― 神の言葉,それとも人間の言葉?
    • 第5章

      「新約聖書」― 歴史ですか,それとも神話ですか

      「今日,新約聖書は世界の文学書の中で最もよく調査研究された書物と言えよう」。ハンス・キュングは自著「クリスチャンであることについて」の中でこのように述べましたが,この言葉は当を得ています。過去300年ほどの間,クリスチャン・ギリシャ語聖書に対しては単なる調査研究以上のことがなされてきました。聖書のこの部分は,他のどんな文学書より徹底的に解剖され,詳細に分析されてきました。

      1,2 (前書き部分を含む)(イ)過去300年ほどの間,クリスチャン・ギリシャ語聖書についてどんなことがなされてきましたか。(ロ)ある研究者はどんな奇妙な結論に達しましたか。

      研究者たちの達した結論の中には奇妙なものもあります。19世紀にドイツのルートビヒ・ノアクは,ヨハネによる福音書を,西暦60年ごろ,愛された弟子によって書かれたものと結論しましたが,ノアクによると,その弟子とはユダのことでした。フランス人ジョウゼフ・エルネスト・ルナンは,ラザロの復活について,それは,奇跡を行なうというイエスの主張を証拠だてようとしてラザロ自身が仕組んだ一種のまやかしではないかとの見方をし,一方ドイツの神学者グスタフ・フォルクマルは,歴史に登場したイエスは自分がメシアであるとの主張を行なわなかったのではないか,と唱えました。1

      2 他方,ブルーノ・バウアーは,イエスなる人物は全く実在しなかった,とまで言いました。「初期のキリスト教において真に創造的勢力となったのは,フィロン,セネカ,グノーシス派などであったと,バウアーは主張した。結局のところイエスは歴史に実在した人物ではなかったし,……キリスト教の創始は2世紀末ごろで,ストア派が優勢であったころのユダヤ教に由来している,というのが彼の述べるところであった」。2

      3 多くの人は聖書について今なおどんな見方をしていますか。

      3 今日このような極端な考えを提唱する人は多くありません。しかし,現代の学者たちの著作を読めば,いまなお多くの人が,クリスチャン・ギリシャ語聖書には伝説・神話・誇張が含まれている,と信じていることが分かるでしょう。それは本当でしょうか。

      クリスチャン・ギリシャ語聖書はいつごろ書かれたか

      4 (イ)クリスチャン・ギリシャ語聖書がいつごろ書かれたかを知るのはなぜ重要ですか。(ロ)クリスチャン・ギリシャ語聖書が書かれた時期についてどんな見方が提出されていますか。

      4 神話や伝説が形成されるには時間がかかります。それで,聖書のこの部分はいつごろ書かれたのか,という点が重要な問題になります。歴史家マイケル・グラントによると,クリスチャン・ギリシャ語聖書の中の歴史的記述が始まったのは「イエスの死後30ないし40年後」です。4 聖書考古学者ウィリアム・フォックスウェル・オールブライトは,「福音書はすべて西暦70年以前に書き終えられており,またイエスの磔刑後20年以内に書き得なかったような事柄は何も含まれていない」という,C・C・トリーの結論を引用しています。それらの書を記すことは「西暦80年ごろまでに」終了していた,というのがオールブライト自身の見解です。他の人々は多少異なった推定をしてはいますが,「新約聖書」は第1世紀の終わりまでには書き終えられていた,という点で大方の見方は一致しています。

      5,6 クリスチャン・ギリシャ語聖書を書くことはそこに述べられている出来事からあまり時を置かずになされたという事実から,どんな結論を下せますか。

      5 これはどういう意味になるでしょうか。オールブライトはこう結論しています。「我々が断言できるのは次の点である。すなわち20年から50年というのはごくわずかな期間であり,イエスの述べた事柄の実質的な内容だけでなくその具体的な言葉づかいにさえ,留意すべき改変を許すほどのものではない」。5 ゲーリー・ハーバマース教授はさらにこう述べています。「福音書はそれが叙述している時代にごく接近しているのに対し,古代の歴史書は何世紀も前に生じた出来事について述べている場合が多い。それでも現代の歴史家たちは,そのような太古の時代の出来事についてさえその次第を見事にたどり出すことができている」。6

      6 言い換えると,クリスチャン・ギリシャ語聖書の歴史記述の部分には,少なくとも一般の歴史書に劣らぬだけの信ぴょう性がある,ということになります。初期キリスト教に関連した種々の出来事が起きてから,それらが書に記録されるまでの期間はたかだか数十年であり,確かにこれは,幾つもの神話や伝説が形成されて広く受け入れられるほどの時間ではありません。

      目撃者による証言

      7,8 (イ)クリスチャン・ギリシャ語聖書が書かれて流布されたころにはどんな人たちがまだ生存していましたか。(ロ)F・F・ブルース教授の注解にそってどんな結論を下すべきですか。

      7 その記述には目撃者の証言を扱っている箇所が多いという事実を考えてみると,上記の点はいよいよ真実です。ヨハネによる福音書の筆者はこう述べています。『これ[イエスの愛した弟子]が,これらの事について証しし,またこれらのことを書いた弟子である』。(ヨハネ 21:24)ルカによる書の筆者はこう述べています。「初めからの目撃証人また音信に仕える者となった人々がわたしたちに伝えた」。(ルカ 1:2)使徒パウロも,イエスの復活を目撃した人々に関してこう述べました。「その多くは現在なおとどまっていますが,死の眠りについた人たちもいます」― コリント第一 15:6。

      8 この点に関して,F・F・ブルース教授は次のような鋭い所見を述べています。「ある人々は,イエスの言葉や行動をでっち上げと見るような書き方をしているが,そのような早い時期にそれを行なうことは決して容易ではなかったはずである。そのころにはイエスの弟子たちがまだ多数各地にいて,どんな事が起きてどんな事は起きなかったのかを思い出せたからである。……弟子たちとしては,あえて不正確な記述は(事実を故意に操作するようなことはもとより)行なえなかったはずである。そのような事をすれば,誤りを暴き出そうとしている人々によって直ちに論ばくされてしまったであろう。むしろ,初期の使徒たちの伝道における強力な点の一つは,聴き手がすでに知っている事柄に,確信を込めて訴えることであった。彼らは,『私たちはこれらのことの証人です』と語っただけでなく,『あなた方も知っているとおり』とも述べたのである(使徒 2:22)」。7

      その本文は信頼できるものか

      9,10 クリスチャン・ギリシャ語聖書に関してどんなことを確信できますか。

      9 これら目撃者による証言が正確に記録されたとしても,後にそれが改変されるようなことはなかったでしょうか。別の表現をすれば,原本が完成した後に神話や伝説が持ち込まれるようなことはなかったでしょうか。すでに見たとおり,クリスチャン・ギリシャ語聖書の本文は,古代の他のどんな文学書より良好な状態にあります。聖書のギリシャ語本文の学者であるクルト・アーラントおよびバルバラ・アーラントは,古代から今日まで保存されてきた約5,000に上る写本を挙げており,その中には西暦2世紀のものさえあります。8 このような膨大量の証拠から全体的に言えるのは,伝えられてきた本文が基本的に確かなものである,という点です。加えて,幾つもの古代訳があり ― 最も古いものは西暦180年ごろ ― それらも本文の正確さの証明に役立っています。9

      10 ですから,どのように見ても,原筆者がクリスチャン・ギリシャ語聖書を書き終えた後,伝説や神話がその中に入り込むようなことはなかったことを確信できます。わたしたちが手にしている本文は,元々の筆者のペンになるものと実質的に同じであり,その記述の正確さは,同時代のクリスチャンたちがそれを受け入れていたという事実によって確証されます。では,聖書を古代の他の歴史書と比較することによって,その史実性をさらに確認できるでしょうか。ある程度まではできます。

      文書資料による証拠

      11 聖書以外の文献証拠は,クリスチャン・ギリシャ語聖書の歴史記述をどの程度裏付けていますか。

      11 イエスとその使徒たちの生涯に起きた事柄に関して聖書以外の文献証拠が非常に限られていることは事実です。これは十分に理解できることです。第1世紀においてクリスチャンは比較的小さなグループであり,政治には関与しなかったからです。それでも,一般の歴史資料から得られる証拠があり,それは聖書に記されている事柄と一致しています。

      12 ヨセフスはバプテスマを施す人ヨハネについてどんなことを述べていますか。

      12 例えば,ヘロデ・アンテパスが当時話題となった軍事上の敗北を喫した後のことですが,ユダヤ人の歴史家ヨセフスは西暦93年にこう記しています。「一部のユダヤ人にとって,ヘロデ軍の壊滅は,別の名をバプテストともいったヨハネにヘロデが行なった事柄に対する神からの復しゅうと思えた。それはまさしく公正な復しゅうであった。ヨハネは善良な人であり,義なる生活を送るように,また仲間には公正を,神に対しては篤信を実践するようにとユダヤ人に説き勧めた人であったのに,ヘロデはこれを殺したからであった」。10 こうしてヨセフスは,バプテスマを施す人ヨハネが義にかなった人で,悔い改めを宣べ伝えたがヘロデにより処刑された,と述べる聖書の記述を確証しています。―マタイ 3:1-12; 14:11。

      13 ヤコブやイエス自身の史実性をヨセフスはどのように裏付けていますか。

      13 ヨセフスは,イエスの異父兄弟であったヤコブについても述べています。聖書によると,このヤコブは,当初はイエスに従わなかったものの,後にエルサレムの主要な長老のひとりになった人です。(ヨハネ 7:3-5。ガラテア 1:18,19)ヨセフスは,ヤコブが捕縛されたことに関する文書証拠として,こう記しています。「[大祭司アンナスは]サンヘドリンの裁き人たちを召集し,キリストと呼ばれたイエスの兄弟でヤコブという名の男,および他の数人をその前に連れて来た」。11 このように書くことによって,ヨセフスは,「キリストと呼ばれたイエス」が歴史に実在した人物であったことをも確証しています。

      14,15 タキツスは聖書の記録にどんな裏付けを与えていますか。

      14 他の初期著述家たちも,ギリシャ語聖書の中で述べられている事柄に言及しています。例を挙げれば,福音書が述べるとおり,パレスチナ各地を巡るイエスの伝道が広範な反響を呼んだこと; イエスがポンテオ・ピラトから死の宣告を受けた時,その追随者たちはうろたえて落胆したこと; その後まもなくその同じ弟子たちが大胆に行動し,自分たちの主はよみがえらされたとの音信でエルサレム中を満たしたこと; 幾年もたたないうちにキリスト教はローマ帝国の全域に広まったこと,などがあります。―マタイ 4:25; 26:31; 27:24-26。使徒 2:23,24,36; 5:28; 17:6。

      15 これらの点の真実さに関する証しは,ローマの歴史家タキツスから得られます。タキツスはキリスト教に対してすこぶる敵対的な人物でした。西暦100年代に入ってしばらく後にタキツスは,クリスチャンに対するネロの残忍な迫害について書き,こう付け加えています。「この名の起こりとなったクリストゥスは,ティベリウスの治世中,行政長官ポンティウス・ピラトゥスによる宣告のもとに死刑に処せられ,こうしてこの有害なる迷信はしばし食い止められたが,やがて再び盛り返して,この疫病の発生地であるユダヤばかりか,[ローマ帝国の]首都にまで及ぶ結果となった」。12

      16 聖書に記されているどんな歴史上の出来事についてスエトニウスも言及していますか。

      16 聖書の筆者は使徒 18章2節で,「[ローマ皇帝]クラウディウスがユダヤ人すべてにローマ退去を命じた」ことに触れています。2世紀のローマの歴史家スエトニウスもこの追放令に言及しています。自分の著作,「神格化されたクラウディウス」の中でこの歴史家は次のように述べています。「クレストゥスの扇動によってユダヤ人が絶えず騒動を引き起こしていたため,彼[クラウディウス]はユダヤ人をローマから追放した」。13 ここで言われているクレストゥスがイエス・キリストを指し,ローマで起きていた事柄が他の都市の状況と同様であったとすれば,その暴動は実際にはキリスト(つまり,キリストの追随者たち)の扇動によるものではなかったことになります。それはむしろ,クリスチャンの忠実な伝道活動に対するユダヤ人の側の暴力的な反応であったにすぎません。

      17 2世紀の殉教者ユスティヌスが用いることのできたどんな史料は,イエスの奇跡や死に関する聖書の記述を裏付けていましたか。

      17 殉教者ユスティヌスは,2世紀半ばにイエスの死に関してこう記しています。「これらの事が確かに起きたということは,『ポンテオ・ピラトの事績』からも確かめられる」。14 さらに殉教者ユスティヌスによると,その同じ記録はイエスの行なった奇跡についても言及していました。その点についてユスティヌスはこう述べています。「彼がそれらの事を行なったということも,『ポンテオ・ピラトの事績』から知ることができる」。15 確かに,このような「事績」つまり公式記録はもはや存在していません。しかし,2世紀にそのような記録が存在していたことは明らかです。だからこそ殉教者ユスティヌスは,自分が述べている事柄の真実さを確かめるためそれらを調べてみるよう,自分の読者に促すことができたのです。

      考古学上の証拠

      18 ポンテオ・ピラトの実在性について考古学はどんな裏付けを提出していますか。

      18 考古学上の発見も,ギリシャ語聖書に記されている事柄の例証もしくは裏付けとなってきました。例えば,1961年,カエサレアにあるローマ時代の劇場の廃虚にあった碑文から,ポンテオ・ピラトの名が発見されました。16 これが発見されるまで,このローマ人の支配者の実在性に関しては,聖書そのものを別にすれば,ほんの限られた証拠しかありませんでした。

      19,20 ルカの述べる(「ルカ」と「使徒」の中で)どんな聖書中の人物が考古学によって確認されましたか。

      19 ルカによる福音書は,バプテスマを施す人ヨハネが宣教を開始したのは「ルサニアがアビレネの地域支配者であった時」である,と述べています。(ルカ 3:1)ある人々はこの記述に疑いを抱いていました。ルサニアという人物がアビレネを支配していたが,その人は西暦前34年つまりヨハネの誕生するはるか前に死んだと,ヨセフスが述べているためです。しかし,考古学者がアビレネで発掘した碑文には,ティベリウスの治世中に四分領太守(地域支配者)であった別のルサニアについて述べられていました。ティベリウスはヨハネが宣教を開始した時にローマでカエサルの地位にありました。17 ルカが述べていたのは,こちらのルサニアのことであったに違いありません。

      20 使徒たちの活動の書には,パウロとバルナバが宣教者としての活動のためキプロスへ遣わされ,その地で執政官代理でセルギオ・パウロという名の「そう明な人」に出会ったことが記されています。(使徒 13:7)19世紀の半ば,キプロスでの発掘調査によって掘り出された碑文は西暦55年のもので,それにはまさにこの人物のことが述べられていました。この点について,考古学者G・アーネスト・ライトはこう述べています。「それは,この執政官代理について述べる聖書以外のただ一つの資料であるが,ルカがこの人物の名前と称号を正しく記していたのは興味深いことである」。18

      21,22 聖書の記録しているどんな宗教的慣行が考古学上の発見によって確証されましたか。

      21 パウロは,アテネに滞在していた際,「知られていない神に」献じられた祭壇を見た,と述べています。(使徒 17:23)ローマ帝国の領土内の各地から,無名の神々のために献じられたことをラテン語で記した祭壇が発見されています。ペルガモンで発見されたものにはギリシャ語による銘刻がありました。アテネにあったものもそのようになっていたことでしょう。

      22 その後,エフェソスにいた際,パウロは銀細工人たちからの激しい反対に遭いました。銀細工人たちは女神アルテミスの宮や像をこしらえて収入を得ていたためです。エフェソスは『偉大なアルテミスの神殿を守護する者』と言われていました。(使徒 19:35)このような記述と調和する点として,古代エフェソスの遺跡からは,焼成土器<テラコッタ>や大理石製のアルテミス像が数多く発見されています。19世紀には巨大な神殿の廃虚も発掘されました。

      真実さの響き

      23,24 (イ)クリスチャン・ギリシャ語聖書に記されている事柄の真実さに関する最も強力な証拠はどこに見いだせますか。(ロ)聖書の記録そのものの中に見られるどんな特徴はその真実さの証しですか。例を挙げてください。

      23 こうして歴史と考古学とは,ギリシャ語聖書の歴史記述の面の正確さを例証し,またある程度まで確証しています。しかしここでも,そこに記されている事柄が真実であるという最も強力な証拠は,聖書そのものの中にあります。それを読めば分かるとおり,そこに神話めいたところはありません。そこには真実さの響きがあるのです。

      24 一つの点として,その記述は極めて率直です。ペテロについて記されている事柄を考えてください。水の上を歩こうとしてうまくできなかった時のあわてた様子が細かに書かれています。その後,この大いに尊敬されていた弟子に向かって,イエスは,「わたしの後ろに下がれ,サタンよ!」と言われました。(マタイ 14:28-31; 16:23)さらに,たとえ他のすべての人がイエスを見捨てたとしても,自分は決してそのようなことはしないと勇んで言い張ったばかりなのに,ペテロは,自分が夜の見張りを務めているべき時間に眠りこみ,その後,自分の主を三度も否認しました。―マタイ 26:31-35,37-45,73-75。

      25 聖書の筆者は使徒たちのどんな弱さを率直に明かしていますか。

      25 しかし,弱さを明らかにされているのはペテロだけではありません。その率直な記録は,自分たちの中でだれが一番偉いのかと使徒たちが口論したことについても,包み隠さず記しています。(マタイ 18:1。マルコ 9:34。ルカ 22:24)使徒のヤコブとヨハネの母が,イエスの王国で最も恵まれた立場を自分の息子たちに与えてくれるようにとイエスに願い出たことも省略されてはいません。(マタイ 20:20-23)バルナバとパウロの間で『怒りが激しくぶつかった』こともありのままにしたためられています。―使徒 15:36-39。

      26 イエスの復活にちなむどんな細かな点は,それが真実であればこそ含められたものですか。

      26 注目に値する別の点として,ルカによる書は,イエスの復活を最初に知ったのは「彼と共にガリラヤから来ていた女たち」であったと述べています。このような点が細かに述べられるのは,男性中心のその1世紀の社会にあって非常に珍しいことであったと言えます。実際,その記録によると,それら女たちの言っていることは使徒たちには「たわ言のように思え」ました。(ルカ 23:55-24:11)仮にギリシャ語聖書に記される歴史が真実なものでないとしたら,それは創作されたものであることになります。しかし,これら尊敬された人物の弱みをこうしてあからさまに示すような物語をわざわざ作り出したりするでしょうか。それが真実であったからこそ,こうした細かな点も含められているのです。

      イエス ― 実在の人物

      27 一歴史家は,イエスが歴史に実在したことについてどのように証言していますか。

      27 聖書に描かれているイエスの人物像は理想化された創作である,とみなしてきた人たちが多くいます。しかし,歴史家マイケル・グラントはこう述べています。「当然のことであるが,歴史資料となる他の古代文献に当てはめるのと同様の判断基準を新約聖書にも当てはめるとすれば,我々は,歴史上の人物として実在性が決して疑問視されたことのない多数の非キリスト教要人の存在を否定しないのと同様に,イエスの存在についてもそれを否定することはできない」。19

      28,29 四福音書がイエスの人格像の描写の面で一致しているのはなぜ意味あることと言えますか。

      28 単にイエスの実在性だけでなく,聖書に見られるイエスの性格の描写にも決定的な真実さがこもっています。普通と異なる人物像を想像し,一冊の本全体にわたりその人物について一貫した描写を行なうのは易しいことではありません。現実には存在しなかった人物について,四人の別個の筆者が同一の人物像を描き,その性格描写を終始一致させるというのはほとんど不可能なことです。四福音書に描き出されているイエスが明らかに全くの同一人物であるという事実は,それら福音書の真実さに関する説得力のある証拠です。

      29 マイケル・グラントは,ある文からの引用として,いかにも適切な次の問いかけをしています。「疑いなく評判の悪い女も含め,あらゆる種類の女性の間で自由に身を処し,感傷にふける様子もぎこちないところもなく,上品ぶりもせず,しかもあらゆる点で純一清廉な性格を保持する魅力ある若い男性像が,例外なくすべての福音書伝承を通じて不思議なほどしっかりと描き出されているのはなぜだろうか」。20 そのような男性が実際に存在し,聖書が述べているとおりに行動していたというのが,それに対する唯一の答えです。

      人々が信じないのはなぜか

      30,31 すべての証拠にもかかわらず,多くの人がクリスチャン・ギリシャ語聖書を歴史的に正確なものとして受け入れないのはなぜですか。

      30 ギリシャ語聖書は真実の歴史を伝えていると言える圧倒的証拠があるのに,なぜある人々はその真実性を否定するのでしょうか。聖書のある部分は本当であると認めていながら,そこに述べられているすべてのことを受け入れようとしない人が多くいるのはなぜでしょうか。その主な理由は,現代の知識人が信じたくないと思う事柄が聖書の中に含まれているからです。例えば,聖書は,イエスの到来が預言の成就であり,またイエス自らも預言を語られたことを述べています。さらに,イエスが奇跡を行なったこと,またイエスの死後の復活についても述べています。

      31 この懐疑主義的な20世紀において,これらは信じ難いこととされるのです。奇跡に関して,エズラ・P・グールド教授はこう述べています。「ある批評家たちが自らを正当化してどうしても承認しない点がある……すなわち,奇跡などは生じないというのである」。21 なるほどイエスはいやしを行なったかもしれないが,それは心身相関的なもの,もしくは“精神主義的超克”であったにすぎない,と考えている人たちもいます。他のタイプの奇跡については,作り事であるとか,何か実際にあった事がゆがめて伝えられているのだとして片づけるのが大方の見方です。

      32,33 イエスが大群衆に食事をさせた奇跡を,ある人々はどのような説明で片づけようとしていますか。しかし,なぜそれは論理にかなった見方ではありませんか。

      32 そのような一例として,イエスが幾つかのパンと二匹の魚だけで5,000人を上回る群衆に食事をさせた場合のことを考えてみましょう。(マタイ 14:14-22)19世紀の学者ハインリヒ・パウルスは,実際に起きたのは次のようなことであろうとしています。イエスと使徒たちは,自分たちの周りに集まっている非常に大勢の人々が空腹になっているのに気づいた。そこでイエスは,群衆の中の裕福な人たちに手本を示すことにした。自分と使徒たちが持っていたわずかばかりの食物を出し,それを人々に分け与えた。やがて,食物を持っていた他の人々がその手本に倣い,自分たちにあったものを分け与えるようになった。こうしてついに全群衆が満ち足りた。22

      33 もしこれが真相であったとすれば,それは,良い手本が及ぼす力の目ざましい証しであったと言えます。しかしその場合,これほど興味深く,意味深い話をあえてゆがめて,超自然的な奇跡のように見せなければならない理由がどこにあるのでしょうか。実際のところ,奇跡を奇跡以外のものとして説明しようとするこうした試みすべては,問題の解決というより,新たな問題を生み出すことになります。さらに,そのような論法はみな,一つの誤った前提に基づいています。すなわち,奇跡というものはあり得ないと想定することから始まっているのです。しかし,どうしてそのように考えなければならないでしょうか。

      34 聖書に含まれているのが,正確な預言,また真実の奇跡の記録であるとすれば,それは何の証明となりますか。

      34 最も道理にかなった基準に照らして考えれば,ヘブライ語聖書もギリシャ語聖書も共に真実の歴史を伝えていると言えますが,同時にそれらはどちらも預言や奇跡の例を載せています。(列王第二 4:42-44を参照してください。)では,預言がまさに真実のものであったとしたらどうでしょうか。そして,奇跡がそのとおり実際に起きたものであるとすればどうでしょうか。であるとすれば,聖書の記述の背後に確かに神がおられたことになり,聖書は人間の言葉ではなく,まさしく神の言葉であることになります。預言に関連した点は後の章で取り上げることにして,まず奇跡に関する事柄から考えましょう。過去の時代に奇跡が確かに起きたと信じるのは,この20世紀において道理にかなったことと言えるでしょうか。

      [66ページの拡大文]

      実際に起きた事でないとすれば,イエスの復活を最初に知ったのが女性であったことをなぜ聖書に記したりするだろうか

      [56ページの囲み記事]

      不備なことが明らかになった現代の聖書批評

      現代の聖書批評の不確かさを示す例として,ヨハネの福音書に関してレイモンド・E・ブラウンの述べる次の言葉について考えてください。「前世紀の終わりから今世紀の初めにかけて,学者たちはこの福音書について極端に懐疑的な見方をした時期があった。ヨハネによる書はずっと後代のもの,2世紀後半の作とさえみなされた。それはヘレニズム世界の産物で,歴史的な価値は全くなく,ナザレのイエスのパレスチナとはほとんど何も関係がない,と考えられていた。……

      「その種の見方で,その後相次いでなされた考古学また文献および本文上の予想外の発見の影響を受けずにすんだものは一つもなかった。それらの発見は,正統的とみなされるほどになっていた批判的見解の当否を知性的な理由に基づいて疑うことを促し,ヨハネによる書に対する極めて懐疑的な分析の根拠がいかにもろいものであったかを認めさせてくれた。……

      「この福音書の書かれた時期は1世紀の終わりないしはそれより早い時代に引き戻された。……この点で最も予期外のことは,ゼベダイの子ヨハネとこの福音書との関連性をあえて再び唱えるようになった学者たちがいることかもしれない」。3

      伝統的に信じられてきたとおりヨハネがこの書を記したということが,どうしてそれほど受け入れ難いこととされなければならないのでしょうか。それが批評家たちの先入的観念と相いれない,ということ以外の理由はありません。

      [70ページの囲み記事]

      聖書に対する別の角度からの攻撃

      テモシー・P・ウェバーはこう書いています。「高等批評の到達した結論は,何にせよ[聖書の内容は]自分たちには理解できないのではないかという懸念を多くの平信徒に抱かせた。……A・T・ピアソンは次のように述べて,多くの福音主義者たちの欲求不満を言い表わしている。『ローマ教会と同じように,[高等批評も]ただ学者だけが聖書を解釈できるとみなして,神の言葉を事実上一般人から取り去っている。ローマ・カトリックは人とみ言葉との間に司祭を持ち込んだが,高等批評は信者と聖書との間に学識ある解説者を持ち込むことになった』」。23 こうして,現代の高等批評は聖書に対する別の角度からの攻撃であることが暴かれています。

      [62ページの図版]

      ペルガモンにあるこの祭壇は,明らかに,「知られていない神々に」献じられたもの

      [63ページの図版]

      かつては非常に壮麗であったアルテミス神殿の廃虚; エフェソスの人々が大いに誇りにしていたもの

      [64ページの図版]

      聖書は,ペテロがイエスとの関係を否認したことを正直に伝えている

      [67ページの図版]

      聖書はパウロとバルナバの間で『怒りが激しくぶつかった』ことをありのままに記録している

      [68ページの図版]

      四福音書の描くイエスの人物像が終始一貫していることは,それらの書が真実のものである強力な証拠

      [69ページの図版]

      現代の批評家の多くは,奇跡などあり得ないという考え方に立っている

  • 奇跡 ― それは本当に起きましたか
    聖書 ― 神の言葉,それとも人間の言葉?
    • 第6章

      奇跡 ― それは本当に起きましたか

      西暦31年のある日のこと,イエスとその弟子たちは,パレスチナ北部の都市ナインに向けて旅をしていました。その都市の門に近づいた時,とある葬式の行列が進んで来るのに出会いました。死んだのは若者でした。その母親はやもめであり,その若者は彼女の独り息子でした。母親は全くの独り身となってしまったのです。こう記されています。「[イエス]は哀れに思い,『泣かないでもよい』と言われた。そうして,近づいて棺台にお触りになった。それで,担いでいた者たちは立ち止まった。それからイエスは言われた,『若者よ,あなたに言います,起き上がりなさい!』 すると,死人は起き直り,ものを言い始めたのである」。―ルカ 7:11-15。

      1 (前書き部分を含む)(イ)ナインの近くでイエスはどんな奇跡を行なわれましたか。(ロ)聖書の中で奇跡はどれほど重要な役割を果たしていますか。しかし,それが本当に起きたことをすべての人が信じていますか。

      心温まる物語です。しかし,これは本当にあった事なのでしょうか。このような事柄がかつて実際に起きたということを信じにくいとする人たちが多くいます。しかしながら,奇跡は,聖書の記録の中で欠くことのできない部分を成しています。聖書を信じるとは,奇跡が起きたと信じることでもあります。事実,聖書の真理の全体は,きわめて重要な一つの奇跡,すなわちイエス・キリストの復活の奇跡に立脚しています。

      ある人々が信じないのはなぜか

      2,3 奇跡は起こり得ないことを論証しようとしてスコットランドの哲学者デービッド・ヒュームが用いた論法の一つは何ですか。

      2 あなたは奇跡を信じますか。それとも,この科学の時代に奇跡を,すなわち超人間的介入のしるしとしての並外れの出来事を信じるのは道理にそわないことである,と感じられますか。奇跡を信じておられないとしても,その点であなたが最初の人ではありません。今から2世紀前,スコットランドの哲学者デービッド・ヒュームもその同じ問題にぶつかりました。あなたが奇跡を信じない理由は,ヒュームの場合と同様であるかもしれません。

      3 奇跡という概念に対するヒュームの反論には,三つの主要な点がありました。1 第一に,ヒュームは,「奇跡というものは自然の法則に反する」と書いています。人間は遠い昔から自然の法則に依存してきました。物体が落下すること,太陽が毎朝昇り,毎晩沈むことなどを人間は学んできました。自然界の物事は常にそのような一般的に知られているパターンに従うであろう,ということを本能的に理解してもいます。自然の法則にそわない事柄は決して起きないはずです。この“論証”は,奇跡というものの可能性を否定する点で,「完全無欠であり,体験などに基づくどのような論議にも対応し得る」とヒュームは感じました。

      4,5 奇跡の可能性を否定するためにデービッド・ヒュームが提出した他の二つの論点は何ですか。

      4 ヒュームの提出したもう一つの論点は,人がたやすくだまされるという点です。とりわけ宗教に関連した事柄になると,奇跡や不思議な現象を信じたいと思う人たちがいます。奇跡とされたものの中には,実際にはまやかしであったものが多くあります。奇跡があったとされているのは多くの場合,人がまだ無知であった時代のことである,というのが三番目の論点です。人々の教育水準が高くなるにつれ,奇跡があったという話は少なくなります。「そうした度はずれな事柄は我々の時代には決してあり得ない」というのがヒュームの言い方です。これによって,奇跡など決して起こらなかったことが証明されるとヒュームは感じました。

      5 今日に至るまで,奇跡を否定するたいていの論議は,概してこのような論法に従っています。では,ヒュームの反論を一つずつ検討してみましょう。

      自然の法則に反するか

      6 「自然の法則に反する」という理由で奇跡という概念に反論するのはなぜ論理にそうことではありませんか。

      6 奇跡は「自然の法則に反する」,したがって真実のものではあり得ない,という反論についてはどうでしょうか。表面的には,これは説得力があるように見えます。しかし,述べられていることの真の意味をよく考えてください。多くの場合,奇跡とは通常の自然法則外で起きる事柄,と定義できるでしょう。a それはあまりにも予期外の事象に思えるため,それを見る人は,超人間的な介入を目撃したものと確信します。ですから,実際のところこの反論は,『奇跡は奇跡的であるから起こり得ない』と言っていることになります。そのような結論を急ぐ前に,現実の証拠を考慮してみることはどうでしょうか。

      7,8 (イ)今日知られている自然の法則について言えば,科学者たちは,どんな事が起こり得るかという点について,なぜ以前より広い見方をしていますか。(ロ)神の存在を信じるとすれば,普通を超えた事柄を行なう力についてどんなことも認めるべきですか。

      7 実際のところ,今日の教育ある人々は,一般的に知られている自然の法則がどこでも常に当てはまると主張する点では,デービッド・ヒュームほどに積極的ではありません。科学者たちは,一般によく知られる縦,横,高さの三次元だけでなく,それ以外の別の次元が宇宙内にいろいろ存在するのではないか,という点を好んで考察します。2 また,ブラックホール,つまり巨大な星であったものが内部に向かって崩壊し,その密度がほとんど無限大にまでなったものの存在についても理論付けがなされています。その付近における空間の構造は極めてゆがみ,時間そのものも停止してしまう,とされています。3 科学者たちはまた,ある種の条件下で時間が進行するのではなく逆戻りする可能性についても論じています。4

      8 ケンブリッジ大学数学科のルーカス栄誉教授職にある,スティーブン・W・ホーキングは,宇宙がどのように始まったかの論議の中でこう述べました。「古典的な一般相対性理論において……宇宙の始まりは,無限の密度と時空のゆがみという特異性でなければならない。そのような条件のもとで,既知の物理法則はみな崩壊してしまうであろう」。5 それで,通常の自然法則に反する事柄は決して起こり得ないという見方に,現代の科学者たちは同意しません。普通と異なる条件下では,普通と異なる事象が起こり得ます。もとより,全能の神の存在を信じるとすれば,その神は,ご自身の目的にまさにかなう時に,普通を超えた ― つまり奇跡的な ― 事柄を生じさせる力を持たれる,ということをも認めるのが当然でしょう。―出エジプト記 15:6-10。イザヤ 40:13,15。

      まやかしの奇跡についてはどうか

      9 まやかしの奇跡があるのは事実ですか。答えの意味を説明してください。

      9 分別のある人であれば,まやかしの奇跡があることを否定しないでしょう。例えば,奇跡的な信仰治療によって病気をいやす力があると唱える人たちがいます。医師ウィリアム・A・ノーランは,自分の特別研究計画として,そのようないやしについて調査しました。同医師は,米国の福音信仰治療家やアジアのいわゆる心霊療法家によって治療されたとされる数多くの例について追跡調査をしました。結果はどうでしたか。見いだしたものは,失望とごまかしの事例ばかりでした。6

      10 ある奇跡がまやかしであったということは,奇跡はすべてごまかしであるという意味になると思われますか。

      10 そのようなごまかしがあるということは,本当の奇跡というものがあり得ないという意味ですか。必ずしもそうではありません。偽造された銀行券が出回っていることを耳にする場合がありますが,それは,すべての紙幣が偽造されたものであるという意味ではありません。病気をかかえる人たちの中には,いかさま医師や詐欺的な医者を信じ込んで,多額の金銭をつぎ込む人もいます。しかしそのことは,すべての医師が詐欺的であるという意味ではありません。ある画家は“昔の巨匠たち”の作品を模写することに熟達しています。しかしそのことは,すべての絵画が偽物であるという意味ではありません。同じように,奇跡と唱えられたある事柄が明らかなまやかしであったとしても,本当の奇跡があり得ない,という意味にはなりません。

      『奇跡は今日起こらない』

      11 奇跡という概念に対するデービッド・ヒュームの第三の反論は何でしたか。

      11 第三の反論は,「そうした度はずれな事柄は我々の時代には決してあり得ない」という言葉で表現されました。ヒューム自身は奇跡を見たことがなかったために,奇跡が起き得るということを信じませんでした。しかし,そのような推論は整合性を欠いています。物事を考える人であればだれでも認めなければならない点ですが,このスコットランド人の哲学者の時代以前に生じた「度はずれな事柄」で,その生涯中には繰り返されなかった事柄がいろいろあります。どんな事でしょうか。

      12 今日観察される自然の法則では説明できないどんなすばらしい事柄が過去に起きましたか。

      12 その一つは,地上における生命の始まりです。次いで,ある種の形態の生物には意識作用が賦与されました。やがて人間が,知恵・想像力・愛する能力・良心の機能などを賦与されたものとして登場しました。このような並々ならぬ事柄がどのようにして起きたかを,今日作用している自然法則に基づいて説明できる科学者は一人もいません。それでも,そのような事が確かに起きたという生きた証拠が現実に存在します。

      13,14 デービッド・ヒュームには奇跡と思えるであろうどんな事柄が今日普通に行なわれていますか。

      13 デービッド・ヒュームの時代以後に起きた「度はずれな事柄」についてはどうでしょうか。時間をさかのぼって,今日の世界についてヒュームに話すことができたとしましょう。ハンブルクにいるビジネスマンが幾千キロも離れた東京のある人と,声を張り上げもせずに話ができること; スペインでのサッカー試合を地上のあらゆるところで,現にいま行なわれているとおりに見られること; さらに,ヒュームの時代の外洋航海船よりもずっと大きな乗り物が地表から浮かび上がり,500人もの人を運んで何千キロも離れた所へわずか数時間で飛べることなどを説明している場面を考えてください。ヒュームの反応を想像できますか。『あり得ない! そんな度はずれな事は我々の時代に決して起こらない』と言うに違いありません。

      14 しかし,そのような「度はずれな事柄」がわたしたちの時代に現に起きています。どうしてでしょうか。人間は,ヒュームがその概念すら持ち合わせなかった科学上の諸原理を応用して,電話・テレビ・飛行機などを製造できるようになったのです。では,過去の折々に,わたしたちがまだ理解していない方法で,神が,わたしたちには奇跡的に見える事柄を成し遂げられたことを信じるのは,それほど難しいことなのでしょうか。

      どうしたらそれと分かるか

      15,16 奇跡が過去に本当に起きたとすれば,わたしたちがそれについて知ることのできる唯一の方法は何ですか。答えを例えで説明してください。

      15 言うまでもなく,奇跡が起こり得たということは,それが実際に起きたという意味ではありません。聖書時代に神が地上の僕たちを通して本当の奇跡を行なわれたかどうかを,この20世紀のわたしたちがどのようにして知ることができるでしょうか。そのような事の証拠としてあなたはどんなものを期待されますか。原始生活をしていた未開部族の人が生まれ育ったジャングルから大都会へ少しのあいだ連れて来られた場合のことを考えてください。故郷に戻った時,その人は文明の驚異について自分の仲間にどのように話すでしょうか。自動車がどのような仕組みで走り,どのような仕掛けでポータブルラジオから音楽が流れて来るかを説明することはできないでしょう。そのようなものが存在する証明としてコンピューターを作ってみせることもできないでしょう。できるのは,自分の見てきたものについて話すことだけです。

      16 わたしたちはその人の仲間の部族民と似た立場にいます。神がかつて実際に奇跡を行なわれたとすれば,わたしたちがそれについて学ぶ唯一の方法は目撃者たちから聞くことです。それら目撃者たちは,その奇跡がどのような仕組みで起きたかを説明できないでしょう。それを再現してみせることもできないでしょう。できるのは,自分が何を見たかを話すことだけです。もとより,その目撃証人が欺かれている可能性もあります。また,そのような人はとかく大げさに話したり,誤り伝えたりもしがちです。それで,わたしたちがそれらの人々の証言を信じるためには,それら目撃証人が真実を語っており,そのような証人としてのレベルが高く,しかも良い動機を抱いていることを実証してきた,などの点をよく知る必要があるでしょう。

      最もよく証言のなされている奇跡

      17 (イ)聖書の中で最もよく証言がなされているのはどの奇跡ですか。(ロ)イエスが死に至った状況はどのようなものでしたか。

      17 聖書の中で最もよく証言のなされている奇跡は,イエス・キリストの復活です。それで,これを言わばテストケースにして調べてみましょう。まず,どのようなことが記されているかを考えてください。イエスはニサン14日の晩に捕縛されました ― それは,わたしたちの今日の週単位の数え方では木曜日の晩に当たります。b イエスはユダヤ人の指導者たちの前に連れ出され,それら指導者はイエスを冒とくの罪で告発して,死罪に定めました。ユダヤ人の指導者たちはイエスをローマ人総督ポンテオ・ピラトの前に引いて行き,ピラトは彼らの圧力に屈して,刑執行のためにイエスを引き渡しました。金曜日の午後 ― ユダヤ暦ではまだニサン14日 ― イエスは苦しみの杭に釘づけにされ,数時間後に息を引き取りました。―マルコ 14:43-65; 15:1-39。

      18 聖書によると,イエスの復活に関する知らせはどのようにして広まりましたか。

      18 ローマ人の一兵士は,イエスが死んだことを確かめようとしてその脇腹を槍で突き刺し,その後イエスの遺体はある新しい墓の中に葬られました。明くるニサン15日(金曜日-土曜日)は安息日でした。しかし,ニサン16日の朝 ― 日曜日の朝 ― 幾人かの弟子たちがその墓に行ってみると,そこは空になっていました。じきに,イエスが生きた姿で現われたという話が伝わりはじめました。そのような話に対する当初の反応は,今日普通に予期されるものと全く同じ,つまり,とても信じられないという反応でした。使徒たちでさえそれを信じようとはしませんでした。しかし,生きているイエスを自分の目で見た時,それら使徒たちも,イエスが本当に死からよみがえらされたのだ,ということを受け入れざるを得ませんでした。―ヨハネ 19:31-20:29。ルカ 24:11。

      空になった墓

      19-21 (イ)殉教者ユスティヌスによると,イエスの復活について宣べ伝えるクリスチャンに対してユダヤ人はどのように対応しましたか。(ロ)ニサン16日のイエスの墓の状態についてどんな事は真実であったと確信できますか。

      19 イエスは復活したのでしょうか。それとも,これはただの作り話ですか。当時の人々が恐らく尋ねたであろうことの一つは,イエスの体はまだ墓にあるか,という点だったでしょう。イエスが復活などしていない証拠として埋葬場所にその遺体が現にまだあるではないかという点を反対者たちが指摘できたとしたら,イエスの追随者たちは大きな障害に面したことでしょう。しかし,反対者たちがその点を挙げたという記録はありません。むしろ,聖書によると,反対者たちは,その墓を守るように割り当てられていた兵士たちに金を渡して,「『夜中にその弟子たちが来て,自分たちが眠っている間に彼を盗んでいった』と言え」と命じたのです。(マタイ 28:11-13)ユダヤ人の指導者たちがこのような行動を取ったことの証拠は聖書以外にもあります。

      20 イエスの死のおよそ1世紀後,殉教者ユスティヌスは「トリュフォンとの対話」と呼ばれる著作を残し,その中でこう述べています。「あなた方[ユダヤ人]は,選び出して任命した者たちを世界中に送り出し,こうふれ告げさせている。すなわち,不信心で無法な異端がイエスというガリラヤ人の欺まん者から生じ,我々はこれを杭にかけたが,その弟子たちは夜中に,その横たえられた墓から彼を盗み出した,と」。7

      21 さて,トリュフォンという人はユダヤ人で,「トリュフォンとの対話」はユダヤ教に対してキリスト教を擁護するために書かれました。したがって,クリスチャンがイエスの体を墓から盗み出したのだというような非難をユダヤ人が行なっていなかったとしたら,殉教者ユスティヌスは上記のように,彼らがそうした訴えをしていると述べたりはしなかったことでしょう。でなければ,容易に虚偽を立証されてしまうような事柄にはかかわらないようにしたはずです。ユダヤ人が実際にそのような使者を送り出していたからこそ,殉教者ユスティヌスはこのように述べたのです。西暦33年ニサン16日にその墓が空になっていたからこそ,そして,墓の中のイエスの死体を指摘して復活が起きなかった証拠とすることができなかったからこそ,ユダヤ人はそのような使者を送り出したりしたのです。ですから,墓は空になっていたのです。何が起きたのでしょうか。弟子たちが死体を盗み出したのでしょうか。それとも,イエスの復活が本当に起きた証拠としてそれは奇跡的に除き去られたのでしょうか。

      医者ルカの結論

      22,23 高い教育を受けた1世紀の人でイエスの復活について調べたのはだれでしたか。その人はどのような情報源を用いることができましたか。

      22 高い教育を受けた1世紀の人で,これらの証拠を注意深く検討したのは,医者ルカでした。(コロサイ 4:14)ルカは,今日聖書の中に含められている二つの書を書きました。一つは,福音書つまりイエスの宣教活動の足どりをたどった記録です。もう一方は,「使徒たちの活動」と呼ばれ,イエスの死後の時代におけるキリスト教拡大の歴史です。

      23 自分の記した福音書の導入部分で,ルカは,今日のわたしたちはもはや入手できないものの,ルカは手に入れることのできた多くの証拠について述べています。ルカは,自分が調べた,イエスの生涯に関する種々の文書資料について語っています。また,イエスの生涯,その死と復活の目撃証人たちとじかに話したことについても記しています。そして,こう述べています。『私は,すべてのことについて始めから正確にそのあとをたどりました』。(ルカ 1:1-3)明らかに,ルカの調査は徹底的でした。ルカは歴史の記述者として信頼できる人でしたか。

      24,25 多くの人は歴史の記述者としてのルカの資格をどのように見ていますか。

      24 多くの人が,この点で肯定の証言をしています。1913年にさかのぼりますが,ウィリアム・ラムジ卿は,自分の行なったある講義の中でルカの著作の史実性について述べました。その結論はこうです。「ルカは第一級の歴史家である。史実の扱い方に信頼性があるだけではない。真の歴史感覚を備えていたのである」。8 さらに近年の研究者たちも同様の結論に達しています。「生きた言葉注解双書」は,ルカに関する書巻の紹介部でこう述べています。「ルカは歴史家(しかも正確な記述者)であり,かつ神学者でもあった」。

      25 旧約聖書ギリシャ語の教授であった,北アイルランドのデービッド・グディング博士は,ルカについてこう言明しています。「彼は,旧約史家の伝統にしたがい,またツキディデス[古代世界の歴史家として非常に高い評価を受けている人]の伝統にならう古代歴史家である。それらの人々と同じように,ルカも,資料の調査に,情報の選択に,またその情報の処分に多大の労苦を払ったであろう。……ツキディデスは,歴史記述の正確さのため,このような組織的手法にさらに情熱を込めたが,ルカがその点で後れを取っていたと考えるべき理由はどこにもない」。9

      26 (イ)イエスの復活についてルカはどのように結論しましたか。(ロ)どんな事に強められてルカはこのように結論したと考えられますか。

      26 この立派に資格を備えた人ルカは,イエスの墓がニサン16日になぜ空になっていたかについてどんな結論を下していますか。福音書の中でも使徒たちの活動の書の中でも,ルカは,イエスが死人の中からよみがえらされたことを現実に起きた事として伝えています。(ルカ 24:1-52。使徒 1:3)ルカはその事について全く何の疑問も抱いていませんでした。復活の奇跡に対するルカのこの信仰は,自分自身の幾たびもの経験によって強められていたのかもしれません。ルカはその復活の目撃証人ではなかったと思われますが,それでも,その記録にあるとおり,使徒パウロによって行なわれた数々の奇跡を確かに目撃していたのです。―使徒 20:7-12; 28:8,9。

      彼らは復活後のイエスを見た

      27 復活したイエスを見たと述べている人の中にどんな人たちがいますか。

      27 古来,福音書のうちの二つは,イエスをじかに知り,その死を見,復活後のイエスを実際に見たと述べるふたりの人によるものである,とされてきました。それは,かつて収税人であった使徒のマタイと,イエスの愛された使徒ヨハネです。別の聖書筆者である使徒パウロ自身も,よみがえったキリストを見たと述べています。さらにパウロは,イエスが死後に再び生きているのを見た他の人たちの名を挙げ,ある時にはイエスが一度に「五百人以上の兄弟に」現われたことについても述べています。―コリント第一 15:3-8。

      28 イエスの復活はペテロにどのような影響を与えていましたか。

      28 パウロが目撃者の一人として挙げているのは,イエスの肉親,つまり異父兄弟ヤコブです。ヤコブは子供時代からイエスのことをよく知っていたはずです。もう一人は使徒のペテロです。歴史家ルカは,このペテロが,イエスの死のほんの数週間のちに,イエスの復活について恐れることのない証言を行なったことを記録しています。(使徒 2:23,24)聖書に収められている手紙のうちの二つは,古来,使徒ペテロによるものとされていますが,その最初の手紙の中で,ペテロは,イエスの復活に対する信仰が,以来多年を経た後にも,自分にとって依然強力な動機の源となっていることを示しています。こう記しています。「わたしたちの主イエス・キリストの神また父がたたえられますように。神はその大いなる憐れみにより,イエス・キリストの死人の中からの復活を通して,生ける希望への新たな誕生をわたしたちに与えてくださったのです」― ペテロ第一 1:3。

      29 わたしたちは復活の目撃証人とじかに話すことはできませんが,それでもどんな強力な証拠を手に入れることができますか。

      29 ですから,ルカの場合には,死んだ後のイエスを見,またそのイエスとじかに話をしたと言う人々から話を聞くことができましたが,わたしたちの場合も,それらのうちのある人々が書き記した言葉を読むことができるのです。そして,それらの人々が欺かれていたのか,あるいはわたしたちを欺こうとしているのか,また,それらの人々は復活したキリストを本当に見たのかを,わたしたち自身で判断できます。はっきり述べると,これらの人々が欺かれていたということは全く考えられません。その中には,イエスの死に至るまでその親密な友であった人たちが多くいました。そのある者は,苦しみの杭の上でのイエスのもだえを目撃しました。兵士が加えた槍による傷から血と水が流れ出るのも見ました。イエスが紛れもなく死んだ事実を,その兵士も,それらの人々も知っていました。その後に,イエスが生きているのを見,実際にイエスと話をしたと,それらの人々は述べています。そうです,それらの人たちが欺かれていたはずはありません。では,これらの人々は,イエスは復活したと語って,わたしたちを欺こうとしているのでしょうか。―ヨハネ 19:32-35; 21:4,15-24。

      30 初期の時代にいた,イエスの復活の目撃証人たちが偽りを述べていたとは考えられないのはなぜですか。

      30 これに答えるには,こう自問してみればよいのです。これらの人々は,自分の述べている事柄を自ら信じていただろうか。確かに,何の疑いもなく信じていました。目撃証人であると唱えた人々を含め,クリスチャンにとって,イエスの復活はまさしく信仰の基盤をなしていました。使徒パウロはこう述べています。「もしキリストがよみがえらされなかったとすれば,わたしたちの宣べ伝える業はほんとうに無駄であり,わたしたちの信仰も無駄になります。……キリストがよみがえらされなかったのであれば,あなた方の信仰は無駄になります」。(コリント第一 15:14,17)これは,復活したキリストを見たと虚偽の申し立てをしている人の言葉のように聞こえますか。

      31,32 初期クリスチャンたちはどのような自己犠牲を払いましたか。このことは,これらクリスチャンがイエスの復活について語る際に真実を述べていた強力な証拠であると言えるのはなぜですか。

      31 その時代にクリスチャンであることが何を意味したかを考えてください。富・名声・権力の点で利得となるものは何もありませんでした。実際は,まさにその逆でした。初期クリスチャンの中には,信仰のために「自分の持ち物が強奪されても,喜んでそれに甘んじた」人々が多くいました。(ヘブライ 10:34)キリスト教が求めたものは,自己犠牲と迫害を忍ぶ生涯であり,それは辱めと苦痛の死という殉教に終わる場合が少なくありませんでした。

      32 クリスチャンの中には富裕な家庭の出の人もいました。その父がガリラヤ地方で手広く漁業を営んでいたと思われる使徒ヨハネもその一人でした。前途を嘱望されていた人たちも多くいます。例えばパウロです。キリスト教を受け入れた時,パウロは広く名の知られたユダヤ教教師ガマリエルの門弟であり,ユダヤ人の支配者たちからも目をかけられるようになっていました。(使徒 9:1,2; 22:3。ガラテア 1:14)しかし,それらの人々すべてがこの世の提供するものを後にして,イエスが死から復活した事実に基づく音信を広めることのために一身をささげたのです。(コロサイ 1:23,28)虚偽に基づいていると自ら知っている事柄のために,どうしてそれほどの犠牲を払ってまで苦しみに耐えたりするでしょうか。あえてそのような事を行なうとは考えられません。それらの人々は,真実に根ざしていると自分たちが知っていた重要な事柄のために,苦しみや死をさえ辞さなかったのです。

      奇跡は本当に起きた

      33,34 復活が本当に起きたということから,聖書に記されている他の奇跡についてどのように言うことができますか。

      33 確かに,論証のためのこうした証拠には絶対の説得力があります。イエスは,西暦33年ニサン16日に,本当に死からよみがえったのです。そして,この復活が起きたのですから,聖書に記されている他のすべての奇跡についても,それは起こり得たと言うことができます。それらの奇跡についても目撃者たちの確かな証言があるからです。イエスを死からよみがえらせたその同じ力ある方が,イエスを導いてナインのやもめの息子をよみがえらせることができるようにされました。その方はまた,イエスに力を与えて,それより小さな ― といってもやはりすばらしい ― 数々のいやしの奇跡を行なわせることもされました。大勢の人々に奇跡的に食事をさせたことの背後におられたのも,また,イエスが水の上を歩くことができるようにされたのも,同じ方です。―ルカ 7:11-15。マタイ 11:4-6; 14:14-21,23-31。

      34 こうして,聖書が奇跡について述べているということ自体は,決して聖書の真実さを疑う理由とはなりません。むしろ,聖書の記された時代に数々の奇跡が行なわれたことは,聖書が真実に神の言葉であるという強力な証拠でもあります。しかし,聖書に対しては他の非難もなされています。聖書の内容は矛盾しているから,神の言葉ではあり得ない,と言う人たちが多くいます。そのような見方は正しいですか。

      [脚注]

      a ここで「多くの場合」と言うのは,聖書に記されている奇跡の中には,地震や地滑りなどの自然現象がかかわっていたのではないかと考えられるものもあるからです。しかし,それらもやはり奇跡とみなされます。なぜなら,まさに必要とされた時にそれが起き,それゆえ明らかに神の導きによるものとみなし得るからです。―ヨシュア 3:15,16; 6:20。

      b ユダヤ暦の一日は,夕方の6時ごろから次の夕方の6時ごろまででした。

      [81ページの拡大文]

      キリスト教に敵対した人々は,弟子たちがイエスの体を盗み出したと唱えた。これが真相であったとすれば,イエスの復活を基盤とする信仰のためにクリスチャンたちが死をさえ辞さなかったのはどうしてだろうか

      [85ページの囲み記事]

      今日奇跡が起きないのはなぜか

      『聖書に出ているような奇跡が今日起きないのはなぜか』という質問がしばしばなされます。奇跡はその時代における目的を果たしたが,今日神は信仰によって生きることをわたしたちに望んでおられる,というのがその答えです。―ハバクク 2:2-4。ヘブライ 10:37-39。

      モーセの時代には,モーセの資格証明として奇跡がなされました。エホバがモーセを用いておられること,律法契約が本当に神からのものであること,そしてイスラエル人がそれ以後神の選ばれた民となったことを,それらの奇跡は示しました。―出エジプト記 4:1-9,30,31。申命記 4:33,34。

      1世紀においては,イエスの資格証明のため,またその後には,まだ経験の浅かったクリスチャン会衆の資格証明のために奇跡が行なわれました。それらの奇跡は,イエスが到来の約束されていたメシアであること,イエスの死後,クリスチャン会衆が神の特別な民として,生来のイスラエルに取って代わったこと,それゆえにモーセの律法はもはや拘束力を持たないことなどを立証するのに役立ちました。―使徒 19:11-20。ヘブライ 2:3,4。

      使徒たちの時代以後,奇跡は過去の時代のものとなりました。使徒パウロはこう説明しています。「預言の賜物があっても,それは廃され,異言があっても,それはやみ,知識があっても,それは廃されます。わたしたちの知識は部分的なものであり,預言も部分的なものだからです。全きものが到来すると,部分的なものは廃されるのです」― コリント第一 13:8-10。

      今日わたしたちは完全に整った聖書を手にしています。そこには神からのすべての啓示と助言が含まれています。わたしたちは預言の成就について知っており,神の目的についても進んだ理解を得ています。それゆえに奇跡の必要はもはやありません。とはいえ,奇跡を可能にしたのと同じ神の霊は今日でも存在しており,その働きの結果は奇跡と同じく神の力の強力な証しとなっています。この点については,後の章でさらに取り上げます。

      [75ページの図版]

      太陽が毎朝昇ることなど自然の法則の信頼性を,奇跡が起こり得ないことの証拠と見る人が多くいる

      [77ページの図版]

      命あるものの住みかとしての地球の創造は,一度限り起きた「度はずれな事柄」

      [78ページの図版]

      現代科学の驚異について200年前の人にどのように説明できるだろうか

  • 聖書には矛盾がありますか
    聖書 ― 神の言葉,それとも人間の言葉?
    • 第7章

      聖書には矛盾がありますか

      聖書の内容には矛盾がある,という非難がしばしば聞かれます。多くの場合,このように主張する人は自分で聖書を読んだことがありません。人から聞いたことをただ繰り返しているのです。しかし,本当に矛盾ではないかと思える箇所を見つけて困惑している人たちもいます。

      1,2 (前書き部分を含む)(イ)聖書に対してしばしばどんな非難がなされていますか。(ロ)相違のある聖書の章句を比較する際,どんなことを銘記しておくべきですか。(ハ)二人の聖書筆者が同一の出来事について記す場合,その記述の方法に時に相違がある理由としてどんなことが挙げられますか。

      聖書が真実に神の言葉であるならば,その全体は調和していて,矛盾など含んでいないはずです。では,ある章句が他の箇所と矛盾しているように見えることがあるのはなぜでしょうか。それに答えるために,聖書は神の言葉ではあっても,幾世紀もの期間をかけて多数の人によって書き記されたものであることを銘記しなければなりません。それら筆者たちは,経歴も資質も文章の書き方もさまざまに異なる人々であり,そうした違いすべてがその記述に反映されているのです。

      2 さらに,二人あるいはそれ以上の筆者が同一の出来事について記す場合,一人は幾つかの細かな点を含め,別の人はそれらを省略することがあります。加えて,書く人が異なれば,同じ主題でも違った形で論じられることになるでしょう。ある人は年代順に書いてゆくかもしれず,またある人はそれと異なる形式に従うかもしれません。この章では,聖書の中の矛盾とされている箇所の幾つかを取り上げ,上記のことを考慮に入れつつ,問題とされる点をどのように調和させることができるかを考えましょう。

      他の人の証言に左右されない証人たち

      3,4 自分の下男が病気にかかっていた士官について,マタイとルカの記述にどんな表面上の矛盾がありますか。それらの記述をどのように調和させることができますか。

      3 “矛盾”とされる点のあるものは,同一の出来事について二つないしはそれ以上の記述がなされている場合に生じています。一例として,マタイ 8章5節では,イエスがカペルナウムに来られた時,「ひとりの士官がそのもとに来て,懇願し」,自分の下男の病気を治してほしいとイエスに頼んだことが記されています。それに対し,ルカ 7章3節では,この士官が「ユダヤ人の年長者たちを[イエス]のもとに遣わし,来て自分の奴隷を無事に切り抜けさせてくださるようにと頼んだ」と記されています。この士官がじかにイエスに話したのでしょうか,それとも,年長者たちをそのもとに行かせたのでしょうか。

      4 明らかにこの人はユダヤ人の長老たちを行かせた,というのが答えでしょう。ではなぜマタイは,その人自身がイエスに懇願したと述べているのでしょうか。なぜなら,事実上はこの人が,ユダヤ人の長老たちを介してイエスに頼み事をしたからです。長老たちはただその人の代理者として働いたのです。

      5 実際の作業は明らかに他の人々によって行なわれたのに,ソロモンが神殿を建てたと聖書に述べられているのはなぜですか。

      5 これの例証となる点として,歴代第二 3章1節にはこう記されています。「ついにソロモンは……エホバの家を建て始めた」。その後こう記されています。「こうしてソロモンはエホバの家……を完成した」。(歴代第二 7:11)ソロモンはその神殿を初めから終わりまで自分で建てたのですか。もちろんそうではありません。実際の建設作業は大勢の職人や労働者によってなされました。しかし,ソロモンはその作業の組織者,また責任者でした。ですから聖書は,ソロモンがこの家を建てたと述べています。これと同じような意味で,マタイの福音書は,軍司令官がイエスに近づいたと述べているのです。しかしルカは,その人がユダヤ人の長老たちを通してイエスに近づいたことを記して,さらに細かな点を伝えています。

      6,7 ゼベダイの息子たちの願い事に関する二つの異なった福音書の記述をどのように調和させることができますか。

      6 これと似た例がほかにもあります。マタイ 20章20,21節にはこう記されています。「ゼベダイの息子たちの母がその息子たちと共に[イエスに]近づき,敬意をささげながら何事かを彼に求めた」。この母親が求めたのは,イエスが王国に入る時,自分の息子たちに最も恵まれた立場が与えられるように,ということでした。この同じ出来事について述べるマルコの記述はこうなっています。「ゼベダイの二人の息子,ヤコブとヨハネが[イエスに]歩み寄って来て,こう言った。『師よ,わたしたちの求めるのがどのようなことでも,それをしていただきたいのですが』」。(マルコ 10:35-37)イエスにこの願い事をしたのはゼベダイの二人の息子たちでしたか,それともその母親でしたか。

      7 明らかに,この願い事をしたのは,マルコが述べているとおりゼベダイの二人の息子たちです。しかしその二人は,母親を通してそれを行ないました。母親は息子たちの代弁者でした。このことは,ゼベダイの息子たちの母が行なったことを聞いた他の弟子たちが,母親に対してではなく,「その二人の兄弟」に対して憤慨した,というマタイの記録によっても裏書きされます。―マタイ 20:24。

      8 同一の出来事に関する二つの別個の記述が互いに相違点を持ちながら,なおかつ両方とも真実であり得るのはなぜですか。

      8 二人の人が,それぞれに目撃した同じ出来事について語るのを聞いたことがありますか。もしそうでしたら,人はそれぞれ自分の印象に残った点を強調することに気づかれたでしょうか。一方の人はある点を省略し,もう一人の人はそれを含めるかもしれません。しかし,二人とも真実を告げているのです。イエスの宣教に関する四つの福音書の記述について,また二人以上の聖書筆者が伝える他の歴史上の出来事についても同じことが言えます。ある筆者が細部を記録にとどめ,別の筆者がそれを省いていても,それぞれは正確な情報を記しているのです。記述されているすべての点を考察することによって,どういう事が起きたのかをより深く理解できます。このような差異は,聖書の記述が,他に左右されることなくそれぞれ独立してなされたことの証明です。しかもそれらが基本的に一致していることは,それが真実のものであることの証しです。

      文脈をよく読んでください

      9,10 カインがどこから妻を得たかに関して文脈を調べることはどのように理解の助けになりますか。

      9 明らかな矛盾と思える箇所も,ただ前後の文脈を見れば解決される場合が少なくありません。一例として,しばしば指摘される,カインの妻に関する疑問について考えてください。創世記 4章1,2節にこう記されています。「やがて[エバ]はカインを産んで,こう言った。『わたしはエホバの助けでひとりの男子を産み出した』。後に彼女は再び子を産んだ。彼の兄弟アベルである」。よく知られているとおり,カインはアベルを殺しました。しかしそれに続く部分に,カインには妻と子供たちのいたことが記されています。(創世記 4:17)アダムとエバには二人の息子しかいなかったとすれば,カインはどこから妻を得たのでしょうか。

      10 問題の答えは,アダムとエバの子供は二人だけではなかった,という点にあります。文脈を追うと,アダムとエバは大きな家族を成していたことが分かります。創世記 5章3節には,アダムがセツという名の別の息子の父となったことが述べられており,それに続く節に,「[アダム]は息子や娘たちの父となった」と記されています。(創世記 5:4)ですから,カインはだれか自分の妹の一人,あるいは,めいの一人と結婚したことさえ考えられます。人類史の初期で,人間がまだ完全な状態に非常に近かった時代には,そのような結婚も,それによって生まれ出る子供たちに対して,今日起きるような危険をもたらさなかったものと思われます。

      11 ヤコブと使徒パウロとの食い違いとしてどんな点を指摘する人がいますか。

      11 使徒パウロとヤコブとの間に食い違いがあると一部の人々の唱えている点についても,文脈を考慮することがその部分の理解に役立ちます。エフェソス 2章8,9節でパウロは,クリスチャンは業ではなく信仰によって救われる,と述べています。こう記されています。「あなた方は信仰によって救われているのです。……業によるのではありません」。それに対しヤコブは,業の重要性をはっきりと述べて,こう書いています。「霊のない体が死んだものであるように,業のない信仰も死んだものなのです」。(ヤコブ 2:26)これら二つの陳述はどのように調和するのでしょうか。

      12,13 ヤコブの言葉は使徒パウロの言葉と矛盾せず,むしろそれを補っていると言えるのはなぜですか。

      12 パウロの言葉の前後の文脈を考えてみると,これらの陳述は一方が他方を補う関係にあることが分かります。使徒パウロは,モーセの律法を守ろうとするユダヤ人の努力について論じていました。ユダヤ人は,その律法を細部まですべて守れば,それによって自分たちは義なる者になれる,と考えていました。パウロは,それが不可能であることを指摘していたのです。わたしたちは生まれながらに罪の傾向を持つ者ですから,自らの業によっては,義にかなった者,それゆえ救いに価する者となることはできません。わたしたちは,ただイエスの贖いの犠牲に対する信仰によってのみ救いを受けることができるのです。―ローマ 5:18。

      13 それに対してヤコブは,行動による裏付けがないなら,信仰それ自体では無価値であるという肝要な点をさらに述べているのです。イエスに対する信仰を抱いていると唱える人は,自分の行動によってそれを実証することが必要です。活動の伴わない信仰は死んだ信仰であり,救いをもたらすものとはなりません。

      14 生きた信仰は業によって実証されなければならないという原則にパウロが全く同意していたことはどんな言葉に示されていますか。

      14 使徒パウロもこの点に全く同意しており,クリスチャンが自分の信仰の表明として携わるべき幾つかの業について何度も触れています。一例として,ローマの人々にあててパウロはこのように書きました。「人は,義のために心で信仰を働かせ,救いのために口で公の宣言をする」。「公の宣言」をする,つまり自分の信仰について他の人々に語ることは,救いのために欠かすことができません。(ローマ 10:10。コリント第一 15:58; エフェソス 5:15,21-33; 6:15; テモテ第一 4:16; テモテ第二 4:5; ヘブライ 10:23-25もご覧ください。)とはいえ,クリスチャンの行なうどんな業,ましてモーセの律法を全うしようとするいかなる努力も,永遠の命に対する権利をクリスチャンに勝ち取らせるものとはなりません。それは,信仰を働かせる者に対する「神の賜物」なのです。―ローマ 6:23。ヨハネ 3:16。

      観点の相違

      15,16 ヨルダン川の東について述べた際,モーセとヨシュアはそれぞれ「こちら側」,『向こう側』と表現していますが,その両方が正しいと言えるのはなぜですか。

      15 ある場合,聖書の筆者たちは同一の出来事について異なった観点で書き,あるいはその記述を異なった方法で提出しています。このような相違を考慮に入れると,一見矛盾に見える他の多くの問題をたやすく解決できます。一つの例は民数記 35章14節の場合です。その箇所でモーセは,ヨルダン川の東側の地域を「ヨルダンのこちら側」と呼んでいます。それに対しヨシュアは,ヨルダン川の東の地について述べた際,それを「ヨルダンの向こう」と呼んでいます。(ヨシュア 22:4)どちらが正しいのでしょうか。

      16 実際のところ,どちらも正しいと言えます。民数記の記述によれば,イスラエル人はその時まだヨルダン川を渡って約束の地に入っていませんでしたから,その時のイスラエル人にとってヨルダンの東は「こちら側」でした。しかし,ヨシュアはすでにヨルダンを渡っていましたから,地理的には川の西側,カナンの地にいました。したがって,ヨシュアにとって,ヨルダンの東は『向こう側』でした。

      17 (イ)創世記の初めの2章について,ある人々はどんな点が矛盾であるとしていますか。(ロ)食い違いのようにみなされるのはどんな基本的理由によりますか。

      17 さらに,叙述の構成の仕方が表面上の矛盾の原因となる場合もあります。聖書は,創世記 1章24節から26節で,動物が人間より前に創造されたことを示しています。ところが,創世記 2章7,19,20節は,動物より前に人間が創造されたと述べているように見えます。なぜこのような相違があるのでしょうか。なぜなら,創造に関するこれら二つの記述は,それぞれ別個の観点で論じているからです。初めのほうは,天と地,およびその中のすべての物の創造について描写しています。(創世記 1:1-2:4)二番目の記述は,人類の創造,および人類が罪に陥った経緯を中心としています。―創世記 2:5-4:26。

      18 創世記の初めの数章の,創造に関する二つの記述の表面上の食い違いをどのように調和させることができますか。

      18 最初の記述は時間的順序で構成されており,六つの連続する“日”に分けられています。二番目の記述は,重要な項目の順に書かれています。短い序文の後,論理にそってまっすぐアダムの創造について述べます。アダムとその家族のことが,その後に続く部分の中心主題であるからです。(創世記 2:7)次いで他の情報が必要に応じて導入されています。記述から学べるとおり,創造された後のアダムはエデンの園で生活することになっていました。それで次に,エデンの園を設けることが述べられています。(創世記 2:8,9,15)エホバは,「野のあらゆる野獣と天のあらゆる飛ぶ生き物」に名前を付けることをアダムに命じます。ですから今,それら動物の創造はアダムが登場するずっと以前に開始されていたものではありましたが,エホバ神がそれらすべての生き物を「地面から形造っておられた」ということに言及すべき時になりました。―創世記 2:19; 1:20,24,26。

      記述を注意深く読んでください

      19 エルサレムの攻略に関する聖書の記述にはどんな混乱があるように見えますか。

      19 注意深く記述を読み,そこに与えられている情報を筋道立てて考えるだけで一見矛盾と思えるものを解決できる場合もあります。イスラエル人によるエルサレムの攻略について見る場合がその例です。エルサレムはベニヤミンの相続地の一部として挙げられていますが,ベニヤミン部族はそこを攻略できなかったことが記されています。(ヨシュア 18:28。裁き人 1:21)さらに,ユダがエルサレムを攻略できなかったとも書かれていて,エルサレムがユダ部族の相続地の一部であったように扱われています。その後,ユダはエルサレムを撃ち破り,そこを火で焼きました。(ヨシュア 15:63。裁き人 1:8)しかし,それから何百年も後にダビデもエルサレムを攻略したと記録されています。―サムエル第二 5:5-9。

      20,21 関係する細かな点すべてを注意深く調べると,ヘブライ人によるエルサレム市略取の歴史に関してどんなことが明らかになりますか。

      20 一見このすべては混乱しているように見えるかもしれませんが,実際には何の矛盾もありません。事実,ベニヤミンの相続地とユダの相続地との境界線はヒンノムの谷に沿っており,まさに古代のエルサレム市のところを通過していました。後にダビデの都市と呼ばれるようになった部分は,ヨシュア 18章28節が述べるとおり,実際にはベニヤミンの領土内にありましたが,エブス人の都市であったエルサレムは一部ヒンノムの谷を越えて広がり,こうしてユダの領地内にまで入り込んでいたことが考えられます。そのためにユダもこれらカナン人の住民に対して戦わなければならなかったのでしょう。

      21 ベニヤミンはこの都市を攻略できませんでした。一時期ユダは確かにエルサレムを攻略して火で焼きました。(裁き人 1:8,9)しかし,ユダの軍勢は明らかにそのまま転戦して行き,元の住民の一部が再びその都市を取得したようです。その後そこは一つの抵抗拠点として残り,ユダもベニヤミンもそこの住民を立ち退かせることができませんでした。このようなわけで,数百年後にダビデがその都市を攻略するまで,エルサレムにはエブス人が住み続けたのです。

      22,23 イエスの苦しみの杭を処刑場まで運んだのはだれでしたか。

      22 もう一つの例は福音書の中に見られます。イエスが死刑のために引かれて行った時のことについて,ヨハネの福音書には,『イエスは自分で苦しみの杭を負いつつ出て行かれた』と記されています。(ヨハネ 19:17)しかし,ルカの書では,「さて,イエスを引いて行くさい,彼らは,キレネ生まれで,田舎から来たシモンという者を捕まえて苦しみの杭を負わせ,イエスの後ろからそれを運ばせた」となっています。(ルカ 23:26)イエスは,死刑のためのその刑具を自分で運んだのでしょうか。それともシモンがイエスのためにそれを運んだのでしょうか。

      23 明らかに,初めは,ヨハネが指摘しているとおり,イエスが自分で苦しみの杭を担いました。しかし後には,マタイ,マルコ,ルカが証言しているとおり,キレネのシモンが徴用され,処刑場までの残りの道,イエスに代わってそれを運んだのです。

      他に左右されることのない証拠

      24 聖書の中に一見不一致と思える箇所を幾つか見つけても,それによって驚くことがないのはなぜですか。そのことからどんな結論を下すべきではありませんか。

      24 確かに,聖書の中には,明らかに不一致に見え,調和させにくく思えるものも幾つかあります。しかし,それらを明確な矛盾と決め込むべきではありません。単にすべての情報が与えられていないというだけの場合が多いのです。聖書には,わたしたちの霊的な必要を満たすのに十分な知識が備えられています。仮に,そこに言及されているすべての出来事について詳細をことごとく伝えていたとしたら,聖書は非常に大きく扱いにくい書庫となり,今日わたしたちが手にするような,扱いやすく,携帯に便利な書物とはならなかったことでしょう。

      25 イエスの宣教活動の記録についてヨハネは何と述べていますか。このことは,聖書がすべての出来事について詳細をことごとく述べていない理由を理解するのにどのように役立ちますか。

      25 イエスの宣教活動について述べた際,使徒ヨハネは,次のような,やや誇張ながらいかにももっともな書き方をしました。「実に,イエスの行なわれた事はほかにも多くあるが,仮にそれが事細かに記されるとすれば,世界そのものといえども,その書かれた巻き物を収めることはできないであろうと思う」。(ヨハネ 21:25)族長たちから1世紀のクリスチャン会衆の時代に至る,神の民の長大な歴史の一部始終を事細かに記録することはなおさら不可能なことでしょう。

      26 聖書にはどんな肝要な事実を確信させるのに十分な情報が収められていますか。

      26 実際のところ,聖書は奇跡とも言えるほど見事な凝縮となっています。そこには,それが単なる人間の作品以上のものであることを納得させるに十分な情報が収められています。そこに含まれている多少の差異は,その筆者たちが他の人の証言に少しも左右されない独立した証人たちであったことの証明です。他方,後の章でさらに詳しく取り上げる点ですが,聖書の記述の驚くほどの一致は,それが疑問の余地なく神からのものであることの実証です。聖書は,神の言葉であり,人間の言葉ではありません。

      [89ページの拡大文]

      聖書の中に表面的に食い違いと思える箇所が含まれていることは,筆者たちが他の人の証言に少しも左右されない独立した証人たちであったことの証明となる

      [91ページの拡大文]

      記述をただ注意深く読むだけで,聖書は矛盾しているとの非難に答えられる場合もある

      [93ページの囲み記事]

      “食い違い”は矛盾であるとは限らない

      神学者ケニス・S・カンツァーは,同一の出来事に関する二つの報告が,矛盾しているように見えても,両方とも真実であり得るということを,一つの例を挙げて説明したことがあります。こう書いていました。「しばらく前のことだが,わたしたちの親しい友人の母親が死亡した。共通の友人で信頼する別の人から最初にその死について聞いたのだが,わたしたちの友人の母親は街角に立ってバスを待っていた際,そこを通った別のバスにはねられて致命傷を負い,数分後に死亡したということだった」。

      その少し後に,カンツァーはそれとはかなり異なる別の報告を聞きました。こう述べています。「わたしたちは,亡くなった婦人の孫から,この婦人が衝突事故に巻き込まれ,自分の乗っていた車から放り出されて即死した,と聞かされた。その少年には,自分の述べていることは事実だという確信があるようだった。

      「かなり後になって……これら二つがどのように調和するのかを調べてみた。少年の祖母はバスを待っていた時に他のバスにはねられて非常な重傷を負ったことが分かった。そこを通りかかった自動車に拾われて病院へ急行したが,あまりに急いだために,婦人を病院へ運んでいたその車が別の車と衝突した。婦人は車から投げ出されて即死したのであった」。

      そうです,同一の出来事に関する二つの説明が,互いに食い違っているように見えても,共に真実である場合があります。聖書についても同様の例がときに見られます。他の人に影響されない独立した証人たちは,同じ出来事について別の面を細かに描写することがあります。しかしそれらは矛盾ではなく,相互に補い合うのであり,すべての記述を考え合わせれば,どのような事が起きたかをいっそう深く理解できるのです。

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