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聖霊とは何ですかものみの塔 2009 | 10月1日
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聖霊とは何ですか
イエスは弟子たちにこう言いました。「あなた方のうちどの父親が,自分の子が魚を求める場合に,魚のかわりに蛇を渡すようなことをするでしょうか。あるいはまた,卵を求める場合に,さそりを渡したりするでしょうか」。(ルカ 11:11,12)ガリラヤの子どもたちが卵や魚を求めたのは,そのおいしさを知っていたからです。
お腹をすかせた子どもが食べ物を求めるのと同じように,わたしたちも粘り強く聖霊を求めつづけるべきだ,とイエスは述べています。(ルカ 11:9,13)聖霊とは何かを理解すると,わたしたちの生活における聖霊の大切さがよく分かります。ではまず,聖霊について聖書が何と教えているかを調べてみましょう。
「至高者の力」
聖霊は神がご意志を果たすためにお用いになる力である,ということを聖書ははっきり示しています。天使ガブリエルは,マリアが処女でありながら男の子を産むということを告げた時,こう言いました。「聖霊があなたに臨み,至高者の力があなたを覆うのです。そのゆえにも,生まれるものは聖なる者,神の子と呼ばれます」。(ルカ 1:35)この言葉は,聖霊と「至高者の力」に関連があることを示唆しています。
同様の言葉は聖書中の他の箇所にも出てきます。預言者ミカは,『わたしは,エホバの霊のもとに力に満たされた』と述べています。(ミカ 3:8)イエスは弟子たちに,『聖霊があなた方の上に到来するときにあなた方は力を受けるでしょう』と告げました。(使徒 1:8)使徒パウロも,「聖霊の力」について書いています。―ローマ 15:13,18。
こうした聖句から,聖霊と神の力には密接な関係がある,ということが分かるのではないでしょうか。エホバは,聖霊という手段を用いて力を及ぼされるのです。簡単に言うと,聖霊は神の行使なさる力つまり神の活動力です。実に驚異的な力です。全宇宙を創造するのに要した力は人間の理解を超えています。エホバは預言者イザヤを通して,次の点をじっくり考えてみるようにと勧めておられます。「あなた方の目を高く上げて見よ。だれがこれらのものを創造したのか。それは,その軍勢を数によって引き出しておられる方であり,その方はそれらすべてを名によって呼ばれる。満ちあふれる活動力のゆえに,その方はまた力が強く,それらの一つとして欠けてはいない」。―イザヤ 40:26。
この聖句が述べるとおり,完璧な秩序と調和の見られる宇宙は全能の神の「活動力」によって存在しています。神の活動力は強大であり,わたしたちの存在もその力に依存しています。―「聖霊の働き」という囲みをご覧ください。
エホバは,宇宙を創造した時のように,壮大なスケールで聖霊をお用いになることがあります。一方,人間のためにも聖霊をお用いになります。聖書には,神に仕える人に聖霊が力を与えた例がたくさん記されています。
「エホバの霊がわたしの上にある」
イエスの宣教奉仕は,神に仕える人に聖霊が力を与えることの顕著な例となっています。「エホバの霊がわたしの上にある」とイエスはナザレの人々に言いました。(ルカ 4:18)イエスは「霊の力」によって何を成し遂げましたか。(ルカ 4:14)あらゆる疾患をいやし,荒れ狂う波を静め,わずかなパンと魚で幾千人もの空腹を満たし,死者をよみがえらせました。イエスは『神がその人を通して行なわれた強力な業と異兆としるしにより,神によって公に示された人』であると,使徒ペテロは述べています。―使徒 2:22。
今の時代,聖霊はそのような奇跡を起こすことはありませんが,わたしたちのために素晴らしい事柄を行ないます。イエスが弟子たちに保証したとおり,エホバはご自分の崇拝者たちに惜しみなく聖霊を与えてくださいます。(ルカ 11:13)それで使徒パウロは,「力を与えてくださる方のおかげで,わたしは一切の事に対して強くなっている」と述べることができました。(フィリピ 4:13)聖霊は,あなたの生活においてもそのように働くでしょうか。その点を次の記事で考えます。
[5ページの囲み記事/図版]
聖霊は人格的存在ではない,と言えるのはなぜか
聖書は,聖霊を水になぞらえています。神は,ご自分の民に将来の祝福を約束した時,次のようにおっしゃいました。「わたしは渇いた者に水を,滴り出る流れを乾いた場所に注ぎ出す……。わたしはあなたの胤にわたしの霊を,あなたの末孫にわたしの祝福を注ぎ出す」。―イザヤ 44:3。
神がご自分の僕に霊を注ぎ出されると,その人は「聖霊に満たされ」,「聖霊に満ち」ます。例えば,イエス,バプテストのヨハネ,ペテロ,パウロ,バルナバ,そして西暦33年のペンテコステの日に集まっていた弟子たちは「聖霊に満たされ」,『聖霊に満ちた』と記されています。―ルカ 1:15; 4:1。使徒 4:8; 9:17; 11:22,24; 13:9。
考えてみてください。だれかが多くの人の上に『注ぎ出される』などということがあるでしょうか。だれかが一群の人々全体を『満たす』ということがあるでしょうか。論理的に言って,そのようなことはあり得ません。聖書は,人が知恵や理解力や正確な知識に満たされるとは述べていますが,人がだれかに満たされるとは一度も述べていません。―出エジプト記 28:3。列王第一 7:14。ルカ 2:40。コロサイ 1:9。
「霊」と訳されるギリシャ語はプネウマで,目に見えない力という概念も含んでいます。プネウマという語は「まず風……を,そして息を意味し,さらには特に,風に似た,目に見えない無形の強力な霊を意味する」と,バインの「新約聖書用語解説辞典」(英語)は述べています。
ですから,聖霊が人格的存在でないことは明らかです。a
[脚注]
a 詳しくは,エホバの証人の発行した「聖書は実際に何を教えていますか」という本の201-204ページ,「父,子,聖霊に関する真理」をご覧ください。
[クレジット]
Photodisc/SuperStock
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聖霊 ― あなたの生活に必要な力ものみの塔 2009 | 10月1日
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聖霊 ― あなたの生活に必要な力
「あなたのみ顔の前からわたしを捨て去らないでください。あなたの聖霊を,どうかわたしから取り去らないでください」。(詩編 51:11)これは,ダビデ王が重大な過ちを犯した後にささげた熱烈な祈りです。
ダビデは,それまで幾度も聖霊の助けを経験していました。まだ十代だったころ,聖霊の力により,恐ろしい戦士ゴリアテを打ち負かすことができました。(サムエル第一 17:45-50)また,その力により,極めて美しい詩を書きました。「わたしによって語ったのはエホバの霊で,その言葉はわたしの舌の上にあった」と自ら述べています。―サムエル第二 23:2。
イエス・キリストも,ダビデに聖霊が働いていたことを認め,次のように語っています。「聖霊によってダビデ自身がこう言ったのです。『エホバはわたしの主に言われた,「わたしがあなたの敵たちをあなたの足の下に置くまで,わたしの右に座していなさい」』」。(マルコ 12:36。詩編 110:1)ダビデが聖霊に導かれて詩を書いたことを,イエスは知っていました。わたしたちも,その同じ聖霊から助けを得ることができるでしょうか。
「求めつづけなさい。そうすれば与えられます」
あなたは詩を書いたりはしないかもしれません。とはいえ,巨人ゴリアテにも似た難題に直面することはあるでしょう。イサベルという女性がそうでした。a 夫は若い女性と暮らすためにイサベルを捨て,かなりの借金を残して出て行き,幼い二人の娘の養育費も全く払いませんでした。イサベルはこう言います。「裏切られた,くずのように捨てられた,と感じました。でも,夫が去ってからずっと,神の聖霊の支えを実感しています」。
イサベルは,何の努力もせずに聖霊をいただけるとは考えませんでした。聖霊をお与えください,と毎日神に懇願しました。勇気をもって生きてゆくにも,子どもをきちんと育てるにも,自尊心を取り戻すにも神の力が必要だ,と知っていたのです。イエスの次の言葉を心に留めていました。「求めつづけなさい。そうすれば与えられます。探しつづけなさい。そうすれば見いだせます。たたきつづけなさい。そうすれば開かれます」。―マタイ 7:7。
ロベルトという男性も,神の霊が必要だと感じました。たばことハシッシュのとりこになっていたからです。悪癖を絶とうと2年間努力しましたが,何度も失敗してしまいました。「吸うのをやめると,不安にさいなまれます。体が薬物を求めて,来る日も来る日も叫びたてるんです」と述べています。
「でも,神に受け入れていただくために生活を改めようと決意していました。それで,聖書から学んだ良い事柄を考え続けるようにしました。毎日,熱烈に祈り,生活を正す力を与えてくださいと神にお願いしました。自分の力だけでは無理だ,と分かっていたからです。エホバが祈りに答えてくださるのを感じました。失敗して落ち込んだ時は特にそうでした。聖霊によって新たな力を与えられました。聖霊の助けがなければ決して打ち勝てなかっただろう,と思います」。―フィリピ 4:6-8。
「鷲のように翼を張って上って行く」
イサベルやロベルトと同様,幾百万ものエホバの証人は,聖霊の助けを経験してきました。あなたも,望むなら,エホバの活動力 ― 宇宙の創造の際に働いた力 ― を得ることができます。切に求める人たちに,神は喜んで惜しみなく聖霊を与えてくださいます。とはいえ,聖霊を受けるには,神についての真理を知り,神のご意志を行なおうと誠実に努力することが必要です。―イザヤ 55:6。ヘブライ 11:6。
聖霊の力によって強められるなら,神に十分に仕え,生活上のどんな難題にも立ち向かうことができます。聖書もこう保証しています。「神は疲れた者に力を与えておられる。活動力のない者にみなぎる偉力を豊かに与えてくださる。……エホバを待ち望んでいる者は再び力を得る。彼らは鷲のように翼を張って上って行く。走ってもうみ疲れず,歩いても疲れ果てることがない」。―イザヤ 40:28-31。
[脚注]
a 一部の名前は変えてあります。
[8ページの拡大文]
『毎日,熱烈に祈り,力を与えてくださいと神にお願いしました。自分の力だけでは無理だ,と分かっていたからです。祈りに答えてくださるのを感じました』
[7ページの囲み記事/図版]
聖霊の働き
神は聖霊を用いて地球や宇宙を創造された。詩編作者は感動をこう言い表わしました。「エホバよ,あなたのみ業は何と多いのでしょう。あなたはそのすべてを知恵をもって造られました。地はあなたの産物で満ちています。あなたがご自分の霊を送り出されるなら,彼らは創造されます」。―詩編 104:24,30。創世記 1:2。ヨブ 33:4。
聖霊によって敬虔な人たちは霊感を受け,聖書を書いた。『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』と使徒パウロは記しています。(テモテ第二 3:16)「神の霊感を受けた」と訳されるギリシャ語の単語は,字義どおりには「神によって息を吹き込まれた」という意味です。エホバの息つまり霊は,聖書筆者を導き,「神の言葉」を伝えることができるようにしました。―テサロニケ第一 2:13。
聖霊は神の僕たちに力を与えて,将来を正確に予告させた。使徒ペテロはこう説明しています。『聖書の預言はどれも個人的な解釈からは出ていません。預言はどんな時にも人間の意志によってもたらされたものではなく,人が聖霊に導かれつつ,神によって語ったものだからです』。―ペテロ第二 1:20,21。ヨエル 2:28。
聖霊はイエスや他の信仰の人たちを助けて,神の王国の良いたよりを宣べ伝えさせ,奇跡を行なわせた。イエスは次のように言いました。「エホバの霊がわたしの上にある。貧しい者に良いたよりを宣明させるためわたしに油をそそぎ,捕らわれ人に釈放を,盲人に視力の回復を宣べ伝え……させるために,わたしを遣わしてくださったからである」。―ルカ 4:18,19。マタイ 12:28,29。
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聖霊はどのように助けとなるか
聖霊は,誘惑と闘い,有害な習慣を克服するよう,あなたを強めます。使徒パウロはこう述べています。「神は忠実であられ,あなた方が耐えられる以上に誘惑されるままにはせず,むしろ,あなた方がそれを忍耐できるよう,誘惑に伴って逃れ道を設けてくださるのです」。―コリント第一 10:13。
聖霊は,神に喜ばれる特質を培えるよう,あなたを助けます。「霊の実は,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,温和,自制です」。―ガラテア 5:22,23。
聖霊は,試練に耐えられるよう,あなたを力づけます。「自分に力を与えてくださる方のおかげで,わたしは一切の事に対して強くなっているのです」。―フィリピ 4:13。
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