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    人は死ぬとどうなりますか
    • 魂の不滅性 ― その教理の誕生

      「人間の精神生活に関連した問題の中で,死後の状態に関する問題ほど,人の心をとらえてきたものはない」―「宗教・倫理百科事典」(英語)。

      1-3 ソクラテスとプラトンは,魂は不滅であるという考えをどのように奨励しましたか。

      学者であり教師でもある70歳の男性が,不敬虔のかどで,また独自の教えで若者の心を腐敗させたとして告発されています。その人物が裁判で見事な弁明を繰り広げたにもかかわらず,偏見を抱く陪審はその男性を有罪とし,死刑を宣告します。処刑のわずか数時間前,その老齢の教師は周りに集まった弟子たちに一連の論議を提示し,魂は不滅であって,死を恐れるべきではないと主張します。

      2 有罪宣告を受けたこの男性は,西暦前5世紀のギリシャの著名な哲学者ソクラテスその人でした。その弟子に当たるプラトンは,「ソクラテスの弁明」および「パイドン」と題する評論の中に上記の出来事を記しています。ソクラテスとプラトンは,魂は不滅であるとの考えを最初に奨励した人たちの中に数えられています。しかし,この教えを創始したのはその二人ではありませんでした。

      3 この後の部分から分かるように,人間が不滅であるという考えのルーツは,それよりずっと古い時代にまでさかのぼります。とはいえ,そうした概念を完成させて哲学的な教えの域にまで高めることにより,その教えをその時代以降の知識階級にとって魅力あふれるものとしたのは,ソクラテスとプラトンでした。

      ピタゴラスからピラミッドまで

      4 ソクラテス以前のギリシャ人たちは,死後の世界をどう見ていましたか。

      4 ソクラテスとプラトン以前のギリシャ人たちも,死後も魂は生き続けると信じていました。西暦前6世紀のギリシャの有名な数学者ピタゴラスは,魂は不滅であって転生すると考えました。ピタゴラス以前では,ギリシャの哲学者として知られる人々の最古参とみなされるミレトスのタレスが,不滅の魂は人間や動植物にだけあるのではなく,磁石のような物体にもあると考えていました。磁石は鉄を動かすことができるからです。古代ギリシャの人たちは,死者の魂は黄泉の国の川を舟で渡り,冥府と呼ばれる広大な地下の世界に行くと主張しました。そこでは裁判官たちが,高い壁で囲まれた獄での責め苦か,エリュシオンでの至福のいずれかを魂に言い渡します。

      5,6 ペルシャ人は魂をどのようにみなしていましたか。

      5 東のイランつまりペルシャでは,西暦前7世紀にゾロアスターという名の預言者が登場し,この人の導入した崇拝の方式がゾロアスター教として知られるようになりました。これはペルシャ帝国の宗教でした。同帝国はギリシャが大国となる前に世界の舞台を支配しました。ゾロアスター教の聖典にはこう記されています。「義人の魂は不滅性を得てとわに喜ぶが,偽り者の魂は必ず責め苦に遭う。そして,これらの律法は,アフラ・マズダ[「知恵のある神」の意]が自らの至高の権威によって定めたものである」。

      6 魂は不滅であるという教えは,ゾロアスター教以前のイランの宗教にも含まれていました。例えば,イランの古代の諸部族は死者の魂に配慮を払い,黄泉の国にいる者たちを益するために食物や衣服をささげました。

      7,8 古代エジプト人は,体が死んでも生き残る魂について,どんなことを信じていましたか。

      7 死後の命に対する信仰は,エジプトの宗教において重要な地位を占めていました。死者の魂は,黄泉の国の主神であるオシリスの裁きを受けるというのがエジプト人の考えでした。例えば,西暦前14世紀のものとされるパピルス文書は,死者の神であるアヌビスが書記官ハネファーの魂をオシリスの前に引いてゆく様を描いています。天秤の一方に書記官の良心を表わす心臓,もう一方に真理と公正の女神が頭に着けている羽根があって,重さが比較されます。別の神トトが結果を記録します。ハネファーの心臓は罪の重荷を負っておらず,羽根よりも軽かったので,ハネファーはオシリスの国に入って不滅性を得ることを許されます。同じパピルスには,その心臓が試験に合格しなかったときは死者を食い尽くそうと,天秤のそばに構えて立つ雌の怪物の姿も描かれています。エジプト人は死者をミイラにし,ファラオの遺体を堂々たるピラミッドに保存することもしました。魂が生き残るかどうかは遺体を保存することに依存していると考えたからです。

      8 ですから,様々な古代文明には共通する一つの教えがありました。それは,魂は不滅であるという教えです。この教えは同一の源から出ているのでしょうか。

      その起源

      9 エジプト,ペルシャ,ギリシャなどの古代世界に影響を与えたのはどの宗教ですか。

      9 「バビロニアとアッシリアの宗教」(英語)と題する本は,「古代世界では,エジプト,ペルシャおよびギリシャは,バビロニアの宗教の影響を受けていた」と述べています。同書の説明は続きます。「エル・アマルナの粘土板が明らかにしているエジプト・バビロニア間の初期の接触からすれば,バビロニア人の見方と習慣がエジプト人の祭儀と融合する機会は確かに数多くあった。ペルシャではミトラ崇拝に紛れもなくバビロニア人の概念の影響が表われていた。……初期ギリシャ神話およびギリシャ的祭儀の両方にセム系の要素が強力に混合されていることは,今では学者たちにより広く認められているため,これ以上の説明を要さない。これらセム系の要素は大方,バビロニア的性格のものであることがはっきりしている」。a

      10,11 バビロニア人は死後の命について,どんな見方をしていましたか。

      10 しかし,死後はどうなるかについてバビロニア人が考えていたことは,エジプト人,ペルシャ人,ギリシャ人の見方とはかなり異なっているのではないでしょうか。例えば,バビロニアのギルガメシュ叙事詩について考えてみてください。そこに登場する年老いた英雄ギルガメシュは死の現実にさいなまれ,不滅性を求める旅に出かけますが,見つけることができません。旅先で出会った酒場の女主人は,ギルガメシュの求める終わりのない命など見つかるはずがないので,今の生活を最大限楽しむよう勧めることまでします。この叙事詩全体が言わんとしたのは,死は避けがたいものであり,不滅性の希望は幻影だということです。では,バビロニア人は死後の世界を信じていなかったということでしょうか。

      11 米国ペンシルバニア大学の教授モリス・ジャストロー2世は書きました。「[バビロニアでは]民も宗教思想の指導者たちも,一度産み出されたものが全く滅ぼし尽くされる見込みに直面したことはない。[彼らの見解によれば,]死は別の種類の命に移ることであり,不滅性を否定するのは,死によってもたらされる存在の変化の不可避性を強調することにすぎなかった」。そうです,バビロニア人も,死後に何らかの命が何らかの形で続くことを信じていたのです。この点は,死者が死後の世界で使えるような物品を副葬したことに表わされています。

      12-14 (イ)魂は不滅であるという教えは大洪水の後,どこで誕生しましたか。(ロ)この教理はどのように全地に広がってゆきましたか。

      12 明らかに,魂は不滅であるとの教えは古代バビロンにまでさかのぼります。正確な歴史書として折り紙つきの聖書によれば,バビロンあるいはバベルの都市は,ノアのひ孫に当たるニムロデによって創設されました。b ノアの日の全地球的な洪水の後は,言語も宗教も一つしかありませんでした。ニムロデは都市を創設し,そこに塔を建てることによって,別の宗教を始めました。聖書の記録が示すところによると,バベルで言語が混乱させられた後,塔を造ろうとして果たせなかった者たちは自分たちの宗教を携えて四散し,新たな生活を始めました。(創世記 10:6-10; 11:4-9)このようにしてバビロニアの宗教の教えは地の全面に広がっていったのです。

      13 ニムロデは横死したと言い伝えられています。その死後,バビロニア人がニムロデを彼らの都市の創設者,建設者,さらには最初の王としてあがめる気になったとしても,それは無理からぬことでしょう。神マルドゥク(メロダク)がバビロンの創設者とみなされているため,マルドゥクとは神格化されたニムロデではないかと言う学者たちもいます。それが事実であれば,人間には死後も生き残る魂があるという考えは,少なくともニムロデの死ぬ時点で広く知られていたに違いありません。それはともかく,歴史の記録が明らかにしているように,魂は不滅であるという教えは大洪水の後,バベルあるいはバビロンで誕生しました。

      14 では,この教理はどんな過程を経て,現代のほとんどの宗教における重要な柱となっていったのでしょうか。続く部分では,この教理が東洋の諸宗教に入り込んだいきさつについて調べます。

  • その考えが東洋の宗教に入り込む
    人は死ぬとどうなりますか
    • その考えが東洋の宗教に入り込む

      「魂が不滅であるということは,だれもが受け入れている普遍的な真理だとずっと思っていました。ですから洋の東西を問わず,偉人と言われる人たちがその信条に強力な反論を加えるのを知って,本当に驚きました。いま私が考えているのは,不滅性という考えがどのようにヒンズー教徒の意識に入って来たかということです」― ヒンズー教徒として育てられた一大学生。

      1 様々な宗教に見られる,人間は不滅であるという教理の形成と伝播について知ることが,わたしたちの関心事であるのはなぜですか。

      人間に不滅の魂があるという考えは,ヒンズー教や他の東洋の宗教にどのように入ってきたのでしょうか。そうした宗教に通じていないと思われる西洋人も,この質問に関心を持っています。その信条は将来に対する一人一人の見方に影響を及ぼすからです。人間は不滅であるとする教えは今日の宗教の大部分に共通した特色なので,その概念が形成されたいきさつを知れば,よりよい理解とコミュニケーションを実際に促進できるはずです。

      2 インドが,アジアにおける宗教的影響力の源として際立っているのはなぜですか。

      2 英国ランカスター大学の宗教学の教授,ニニアン・スマートはこう述べています。「アジアにおいて,宗教的影響力を行使した最も重要な中心地はインドであった。そう言えるのは,インドそのものが単にヒンズー教,仏教,ジャイナ教,シーク教といった幾つもの宗教を生み出したからではなく,その一つである仏教が東アジアのほぼ全域の文化に並々ならぬ影響を及ぼすようになったからである」。そのような影響を受けた多くの文化は,「いまだにインドを自分たちの霊的故国とみなしている」と,ヒンズー教の学者ニキーラナンダは述べています。では,不滅性に関するこの教えは,インドを始めとするアジア各地にどのように入り込んだのでしょうか。

      ヒンズー教の輪廻の教え

      3 一歴史家によると,魂の転生に関する考えは,どんな人たちがインドに伝えたものと考えられますか。

      3 ギリシャでピタゴラスと弟子たちが魂の転生に関する学説を提唱していた西暦前6世紀,インドではインダス川とガンジス川の岸辺に住んでいたヒンズー教の賢人たちが,類似した概念を作り上げていました。歴史家のアーノルド・トインビーは,「ギリシャ世界とインドで」この信条が時を同じくして現われたことは「偶然の一致ではあり得ない」と述べ,さらにこう指摘しています。「[影響力の]共通した源として一つ考えられるのは,西暦前8世紀から7世紀にかけて,インド,西南アジア,黒海北岸の草原地方,さらにはバルカン半島と小アジアに下ってきたユーラシアの遊牧民社会である」。移動してきたユーラシアの諸部族が,転生の概念をインドに持ち込んだものと思われます。

      4 ヒンズー教の賢人たちが魂の転生の概念に惹かれたのはなぜですか。

      4 インドでヒンズー教が誕生したのはそのはるか前,アーリア人がやって来た西暦前1500年ころのことでした。ヒンズー教はそもそもの始めから,魂は体とは異なるもので,死後も魂は生き残るという信条を奉じました。そのためヒンズー教徒は先祖崇拝を慣行とし,死者の魂が食するための食物を供えました。何世紀かが経過し,魂の転生に関する考えがインドに伝わってきた時,人間の悪と苦しみという普遍的な問題に取り組んでいたヒンズー教の賢人たちは,転生の概念に惹かれたに違いありません。それらの賢人たちはそれをいわゆるカルマの法則,すなわち原因と結果の法則と合体させ,一つの世で良いことをすれば次の世で報われ,悪いことをすれば次の世で罰せられるという輪廻の理論を考え出しました。

      5 ヒンズー教によれば,魂に関する究極的な目標は何ですか。

      5 しかし,魂に関するヒンズー教の教えに影響を与えたもう一つの概念がありました。「宗教・倫理百科事典」はこう述べています。「転生とカルマの理論が形成された時,もしくはそれよりも前に,もう一つの概念が……インド北部の知識人の小グループの間で徐々に形作られていたというのは事実のようだ。それは,ブラフマン-アートマン[至上かつ永遠なるブラフマン,究極的実在]に関する哲学的概念である」。この考えが輪廻の理論と合体し,ヒンズー教における究極的目標 ― 究極的実在と一体化するため,転生の循環から解き放たれること ― の意味が明確にされました。この究極的目標は,社会的に容認される行動と,ヒンズー教に関する特別な知識を求める努力によって達成される,とヒンズー教徒は信じています。

      6,7 現代のヒンズー教は死後の世界についてどんな信条を奉じていますか。

      6 こうしてヒンズー教の賢人は,魂の転生という考えをカルマの法則およびブラフマンの概念と合体させることにより,輪廻の教理を作り上げました。ノーベル賞を受賞した詩人でメキシコの元駐印大使,オクタビオ・パスは書きました。「ヒンズー教の伝播に伴い……バラモン教,仏教など,アジアの諸宗教にとって要となる考えも広まった。それは魂の輪廻,つまり魂が世々にわたって転生を続けるという考えである」。

      7 輪廻の教理は現在のヒンズー教の主要な柱となっています。ヒンズー教の哲学者ニキーラナンダはこう述べています。「不滅性を獲得することは,選ばれた少数者の特権ではなく,全員の生得権であって,敬虔なヒンズー教徒であれば,だれしもそれを確信している」。

      仏教における生まれ変わりの循環

      8-10 (イ)仏教は存在をどのように定義していますか。(ロ)仏教徒の一学者は生まれ変わりについて,どのように説明していますか。

      8 仏教は西暦前500年ころインドで創始された宗教です。仏教徒の言い伝えによると,ガウタマ・シッダールタという名のインドの王子は悟りを開いた後に仏陀として知られるようになり,仏教を創始しました。この宗教はヒンズー教を母体としているため,その教えは幾つかの点でヒンズー教の教えに類似しています。仏教によれば,存在とは,生まれ変わりと死の継続的な循環であり,ヒンズー教の場合と同じように,現世における各人の地位は,前世の行為によって規定されます。

      9 とはいえ仏教では存在を,死後も生き残る個人の魂という観点に立って定義しているのではありません。「[仏陀]は人間の霊魂の中に,移ろいやすい一連の断続的な心理状態のみを見た。ただ欲求によってのみこれらの状態は一つに統合される」とアーノルド・トインビーは語りました。ところが仏陀は,何か ― ある状態もしくは力 ― が一つの命から別の命に移されることを信じていました。仏教徒の学者ウァルポラ・ラフラ博士はこう説明します。

      10 「人間は肉体的ならびに精神的な力もしくはエネルギーの結合したものにほかならない。いわゆる死とは,肉体の機能が完全に停止することである。肉体の機能が停止すると同時に,それらの力やエネルギーも全く果ててしまうのだろうか。仏教によればそうではない。存在し,存続し,ますます多くなろうとする意志,意欲,欲求,渇望は,生命全体,存在全体,さらには世界全体をさえ動かすすさまじい力である。これは世界最大の力,最大のエネルギーである。仏教によれば,この力は肉体の機能停止,つまり死と同時に果てるのではなく,別の形を取って引き続き現われ,生まれ変わりと呼ばれる再存在を産みだす」。

      11 仏教徒は死後の世界をどう見ていますか。

      11 死後の世界について仏教徒は次のような見方をしています。人が生まれ変わりの循環からの解放,つまり涅槃という最終的な目標に到達しない限り,存在は永遠に続く。涅槃とはとこしえの至福の状態でもなければ,究極的実在と一体化した状態でもない。それは単なる無存在の状態 ― 個人の存在を超えた「死のない場所」― にすぎない。ウェブスター大学生用新辞典第9版は“涅槃”を,「心配,苦痛あるいは外的実在の消滅した場所もしくは状態」と定義しています。仏教徒は不滅性を探求するよりも,涅槃に達することによって不滅性を超越するよう勧められています。

      12-14 様々な形態の仏教は,どのように不滅性という考えを伝えていますか。

      12 アジア各地に伝播した仏教は,その過程で地方的な信条を取り入れ,自らの教えを部分的に修正しました。例えば,中国や日本で優勢な大乗仏教には,神聖な菩薩,つまり将来の仏に対する信仰があります。菩薩は,他の人に仕えるため,そして彼らが涅槃に達するのを助けるため,無数の世にわたり,自分が涅槃に入るのを後らせています。ですから,人は涅槃に達した後でさえ,生まれ変わりの循環にとどまる道を選ぶことができます。

      13 中国と日本で特に強い影響を及ぼすようになったもう一つの修正は,阿弥陀仏によって作られる西方浄土の教理です。信仰をもって仏陀の名を呼び求める人たちは,生まれ変わって浄土すなわちパラダイスに入ります。そこには,最終的な悟りに達するのを一層容易にする状況が備わっています。この教えからどのようなことが生じたでしょうか。前にも出てきたスマート教授は,「大乗仏教の経典の一部に活写されているパラダイスの輝かしさが,民衆の想像力の中で涅槃に代わる最終目標となったのは,無理からぬことである」と説明しています。

      14 チベットの仏教には,さらに別の地方的要素が組み込まれています。例えば,死者を埋葬する時に副葬されたチベットの文書には,生まれ変わる前の中間的な状態にある個々の人の運命が描写されています。死者は究極的実在の明るい光にさらされると言われ,その光に耐えられない者たちは解放を得ることができず,生まれ変わります。様々な形態を取ってはいても,仏教は明らかに不滅性という考えを伝えているのです。

      日本の神道における先祖崇拝

      15-17 (イ)神道の場合,祖霊崇拝はどのように生まれましたか。(ロ)神道にとって,魂は不滅であるという信条はどれほど基本的なものですか。

      15 日本には,仏教が伝来した西暦6世紀以前にも宗教が存在していました。それは名前のない宗教であり,人々の道徳律と習慣に関係した信条から成っていました。ところが仏教が導入され,日本の宗教を外国の宗教と区別する必要が生じたため,「神々の道」を意味する「神道」という名が生まれました。

      16 神道は元来,死後の世界についてどんな信条を奉じていましたか。水稲農耕が行なわれるようになった時,「水稲農業には十分に組織された安定した地域共同体が必要であり,後に神道で非常に重要な役割を演じた農業儀礼が発達した」と,「講談社 日本百科事典」(英語)は説明しています。これら古代の人々は遊離した魂に対する恐れから,これをなだめるための儀式を編み出し,そこから祖霊崇拝が生まれました。

      17 神道の信条によれば,「遊離」した魂には依然として人格がありますが,死のゆえに汚れています。遺族が弔いの儀式を行なうと,魂は一切の怨念を捨て去るほどに浄められ,穏やかで慈悲深い性格を帯びるようになります。やがてその祖霊は祖神もしくは氏神の地位にまで高められます。神道は仏教と共存しながら,パラダイスの教理など,仏教徒の特定の教えを組み入れていったのです。ですから,不滅性に対する信条は神道の基本を成していることが分かります。

      道教における不滅性 儒教における先祖崇拝

      18 道教徒は不滅性についてどんな考え方をしていますか。

      18 道教は,西暦前6世紀の中国に住んでいたとされる老子によって創始されました。道教が説く人生の目的は,人間の活動を道<タオ> ― 自然の道 ― と調和させることです。不滅性に関する道教徒の考え方は,タオは宇宙を律する原理である,という言葉に集約できるでしょう。タオには始まりも終わりもありません。人はタオに従った生き方によりタオに参与し,とこしえの存在となります。

      19-21 道教徒による考察は,どんな努力を生み出しましたか。

      19 道教徒は自然との一体化を図り,やがて不老や回復力に特別な関心を抱くようになりました。そして,タオ ― 自然の道 ― と調和した生き方をすれば,人はともかく自然の秘密を探り出し,身体的な危害や病気だけでなく,死をさえ免れることができる,と考えました。

      20 道教徒は,瞑想,呼吸の訓練,食養生などを用いた実験に着手しました。それらの方法は肉体の腐敗や死を後らせることができると考えられたのです。程なくして,雲に乗って飛ぶことも,意のままに出没することもでき,聖なる山や孤島に住み,数え尽くせぬほどの長い年月,露や不思議な果物で命を維持してきた不死の人に関する話が広まり始めました。中国の歴史によれば,西暦前219年に秦の始皇帝は,不死の人間が住むと伝えられる蓬莱の島を探して,不死の薬草を持ち帰らせるため,少年少女3,000人を乗せた船団を送り出しました。言うまでもなく,彼らが霊薬を持ち帰ることはありませんでした。

      21 道教徒はとこしえの命を願うゆえに,不滅性を得させる種々の丸薬を煉丹術で混ぜ合わせる実験を行ないました。生命は相対する陰陽(女性と男性)の力が結合した結果であるというのが道教の見方でした。ですから鉛(暗つまり陰)と水銀(明つまり陽)を融合させた煉丹術師は自然の過程を模倣していたのであり,結果として不滅性を得させる丸薬ができると考えました。

      22 仏教徒が中国人の宗教生活に及ぼした影響は,どんな結果を生み出しましたか。

      22 すでに西暦7世紀までに,仏教は中国人の宗教生活に入り込んでいました。その結果,仏教,心霊術,先祖崇拝の諸要素を取り入れた混合物が出来上がりました。スマート教授はこう述べています。「仏教も道教も,古代中国の先祖崇拝では幾らか漠然としていた死後の命に関する信条に,明確な形と実質を与えた」。

      23 孔子は先祖崇拝についてどんな立場を取りましたか。

      23 中国の別の著名な賢人で,儒教の基盤をなす哲学を作り上げた西暦前6世紀の孔子は,死後の世界について多くを述べず,むしろ道徳上の善と,社会的に受け入れられる行動を強調しました。それでも,先祖崇拝には好意的な態度を取り,亡くなった先祖の霊に関連した儀式や式典の遵守にかなりの重点を置きました。

      東洋の他の宗教

      24 ジャイナ教は魂について何を教えていますか。

      24 ジャイナ教は西暦前6世紀にインドで創始されました。創始者のマハービーラは,生き物はすべてとこしえの魂を持っており,徹底した自己否定と自己訓練,それにあらゆる生き物に対する非暴力を厳格に実践することによってのみ,魂はカルマの束縛から救済される,と説きました。ジャイナ教徒は今日に至るまでこの信条を奉じています。

      25,26 ヒンズー教のどんな信条がシーク教にも見られますか。

      25 インドはシーク教の発祥地でもあります。シーク教には1,900万人の信徒がいます。この宗教は,グル・ナーナクがヒンズー教とイスラム教の最良の部分を融合させ,一つの宗教を作り上げた16世紀に始まりました。シーク教は,魂の不滅性,輪廻,カルマに関するヒンズー教徒の信条を取り入れています。

      26 体が死んだ後も命は続くという信条が,東洋のほとんどの宗教の要となっていることは明らかです。では,キリスト教世界,ユダヤ教,イスラム教の場合はどうでしょうか。

      [10ページの地図]

      (正式に組んだものについては出版物を参照)

      仏教は東アジア全域に影響を与えた

      インド

      バナラス

      ブッダガヤー

      西暦前3世紀

      スリランカ

      西暦前1世紀

      カシミール

      中央アジア

      西暦1世紀

      中国

      ミャンマー

      タイ

      カンボジア

      ジャワ

      西暦4世紀

      朝鮮半島

      西暦6世紀

      日本

      西暦7世紀

      チベット

      [9ページの写真]

      輪廻はヒンズー教の主要な柱

      [11ページの図版]

      道教徒は自然と調和して生きることにより,とこしえの存在を目ざす

      [12ページの写真]

      孔子は先祖崇拝に対して好意的な態度を取った

  • その考えがユダヤ教,キリスト教世界,イスラム教に入り込む
    人は死ぬとどうなりますか
    • その考えがユダヤ教,キリスト教世界,イスラム教に入り込む

      「宗教とはなかんずく,墓の向こうのより良い生活や生まれ変わり,あるいはその両方を約束することによって,人間はいつの日か死すべきものであるという現実に甘んじられるようにするための方法である」― ドイツの著述家,ゲルハルト・ハーム。

      1 ほとんどの宗教は死後の命を約束するに当たって,どんな基本的な信条を基盤としていますか。

      死後の命を約束するに当たってほとんどの宗教が基盤とするのは,人間には不滅の魂があり,人が死ぬと魂は別の世界に旅立つ,あるいは別の生き物に生まれ変わるという信条です。前の部分で注目したように,東洋の宗教ではその始まりから,人間は不滅であるという信条が要となってきました。しかし,ユダヤ教,キリスト教世界,イスラム教の場合はどうでしょうか。この教えはどのような過程を経て,これらの宗教の重要な柱となったのでしょうか。

      ユダヤ教はギリシャ思想を吸収する

      2,3 ユダヤ大百科事典によれば,ヘブライ語による聖なる書物は,魂が不滅であることを教えていますか。

      2 ユダヤ教の起源は今から4,000年ほど前のアブラハムにまでさかのぼります。ヘブライ語による聖なる書物は西暦前16世紀に書き始められ,ソクラテスとプラトンが魂は不滅であるとの理論を打ち立てた時には完成していました。これらの書物は魂の不滅性を教えているでしょうか。

      3 ユダヤ大百科事典(英語)はこのような答えを与えています。「魂は不滅であるとの信条が明快かつ揺るがぬものとして確立され……ユダヤ教およびキリスト教信仰の礎石の一つとなったのは,聖書時代以後のことである」。同百科事典はさらに,「聖書時代,人は全体が一つのものとみなされた。それゆえ,魂が体と明確に区別されることはなかった」と述べ,初期のユダヤ人は死者の復活を信じており,この点は「魂の不滅性……に対する信仰と区別されるべきである」と指摘しています。

      4-6 魂は不滅であるという教理は,どのようにしてユダヤ教の「礎石の一つ」になりましたか。

      4 では,この教理はどのようにしてユダヤ教の「礎石の一つ」になったのでしょうか。歴史の中にその答えがあります。西暦前332年,アレクサンドロス大王は電光石火の早業で中東の大半を征服しました。ユダヤ人はエルサレムに到着したアレクサンドロスを諸手を挙げて歓迎します。1世紀のユダヤ人の歴史家フラビウス・ヨセフスによると,ユダヤ人は200年余り前に書かれたダニエル書の預言で,「ギリシャの王」の役割を担うアレクサンドロスによる征服を明示する箇所を本人に指し示すことまでしています。(ダニエル 8:5-8,21)アレクサンドロスの後継者たちは同大王のギリシャ化計画をその後も推し進め,帝国の隅々にまでギリシャの言語や文化や哲学を浸透させました。二つの文化,すなわちギリシャ人の文化とユダヤ人の文化が混ざり合うのは避け難いことでした。

      5 西暦前3世紀の初頭に,ヘブライ語聖書をギリシャ語に初めて翻訳する作業が開始されました。セプトゥアギンタ訳です。この訳本を通してユダヤ人の宗教に敬意を抱くようになり,その通になった異邦人も少なくありません。中には改宗した人たちもいました。一方,ユダヤ人はギリシャ思想に精通するようになって,ユダヤ人にとっては全く新しい職種である哲学者になる人たちも出てきました。西暦1世紀のアレクサンドリアのフィロンはそのようなユダヤ人哲学者の一人でした。

      6 フィロンはプラトンに傾倒し,ギリシャ哲学の観点からユダヤ教を解説することに努めました。「天 ― その歴史」(英語)という本は,「プラトンの哲学と聖書的な伝統の独特な統合を生み出すことによって,フィロンは,後のクリスチャン[およびユダヤ人]の思索家に道を開いた」と述べています。では,フィロンは魂についてどんなことを信じていたのでしょうか。同書は続けてこう述べています。「彼にとって死とは,魂を元の状態,誕生前の状態に戻すことだった。魂は霊界に属しているので,肉体における生命は短期間で,たいていは不幸な挿話にすぎなくなる」。魂の不滅性を信じた他のユダヤ人思想家としては,10世紀の有名なユダヤ人医師アイザック・イズレイリー,18世紀のドイツ系ユダヤ人哲学者モーゼス・メンデルスゾーンなどがいます。

      7,8 (イ)タルムードは魂をどのように描いていますか。(ロ)その後のユダヤ人による神秘主義的文献は,魂について何と述べていますか。

      7 さらに,ユダヤ人の思想と生活に大きな影響を与えた書物があります。それはタルムードです。これは,いわゆる口伝律法を要約した書物で,この律法に関する後代の注解と解説を含み,西暦2世紀から中世にかけて,ラビたちによって編さんされました。ユダヤ大百科事典は,「タルムードのラビたちは,死後も魂が存在し続けることを信じていた」と述べています。タルムードは生きている人たちと接触する死者にさえ言及しています。「[ラビたちは,]恐らくプラトン主義の影響であろうが,魂の先在を信じていた」と「宗教・倫理百科事典」には記されています。

      8 その後のユダヤ人による神秘主義的文献カバラは,さらに進んで,輪廻を説くようになります。「ユダヤ教新標準百科事典」(英語)はこの信条について,こう述べています。「この考えはインドに源を発しているように思える。……それは,カバラの中ではバヒルの書に最初に出てくるが,その後ゾハル以降は神秘主義者により一般に受け入れられ,ハシディーム信奉者の信条と文献において重要な役割を果たした」。今日のイスラエルでは,輪廻がユダヤ教の教えとして広く受け入れられています。

      9 今日のユダヤ教のほとんどの教派は,魂の不滅性に対してどんな立場を保っていますか。

      9 ですから,魂は不滅であるという考えは,ギリシャ哲学の影響を通してユダヤ教に入り込みました。この概念は今日,ユダヤ教のほとんどすべての教派に受け入れられています。では,この教えがキリスト教世界に入り込んだいきさつについては何と言えますか。

      キリスト教世界はプラトンの思想を取り入れる

      10 ある著名なスペインの学者は,イエスが魂の不滅性を信じていたかどうかについて,どんな結論を述べましたか。

      10 真のキリスト教はキリスト・イエスをもって始まりました。イエスについて,20世紀の著名なスペインの学者ミゲル・デ・ウナムノは,「彼は[ギリシャの]プラトンの流儀に従って魂の不滅性を信じるよりも,ユダヤ人の流儀に従って肉体の復活を信じた。……その点を裏付ける証拠は,誠実な解説書を探せば必ず見つかる」と書き,「魂の不滅性は……異教の哲学的教義である」と結論しています。

      11 ギリシャ哲学はいつキリスト教世界に入り込み始めましたか。

      11 この「異教の哲学的教義」は,いつ,どのようにキリスト教世界に入り込んだのでしょうか。新ブリタニカ百科事典(英語)は次の点を指摘しています。「西暦2世紀の半ば以降,多少ともギリシャ哲学を学んだクリスチャンたちは,その哲学の用語で自分たちの信仰を言い表わす必要を感じるようになった。それは,自分自身の知性を満足させるためであり,教育のある異教徒を改宗させるためでもあった。彼らに最もよく合った哲学はプラトン主義だった」。

      12-14 プラトン哲学をキリスト教と融合させる点で,オリゲネスとアウグスティヌスはどんな役割を果たしましたか。

      12 キリスト教世界の教理に多大の影響を与えたそうした初期の哲学者は二人います。一人はアレクサンドリアのオリゲネス(西暦およそ185-254年),もう一人はヒッポのアウグスティヌス(西暦354-430年)です。この二人について,新カトリック百科事典(英語)はこう述べています。「東のオリゲネス,西の聖アウグスティヌスをもってして,初めて魂が霊的な実体として確立され,魂の本質に関する哲学的概念が形成された」。オリゲネスとアウグスティヌスは何を基盤として,魂に関する概念を作り上げたのでしょうか。

      13 オリゲネスはアレクサンドリアのクレメンスの弟子でした。新カトリック百科事典によれば,クレメンスは「魂に関するギリシャの伝統的思想を公に借用した最初の教父」です。魂に関するプラトンの思想はオリゲネスに並々ならぬ影響を及ぼしたに違いありません。「[オリゲネス]は,プラトンから取り入れた,魂の壮大なドラマをそっくりキリスト教の教理の中に組み込んだ」と,ヴェルナー・イエガーは「ハーバード大学神学レビュー」誌の中で強調しています。

      14 キリスト教世界の中には,アウグスティヌスを,古代における最も偉大な思想家と見る向きもあります。アウグスティヌスは33歳で“キリスト教”に改宗する前は哲学に強い関心を抱き,新プラトン主義者aになっていました。改宗の際も考え方は依然として新プラトン主義でした。新ブリタニカ百科事典は,「彼の頭脳は,新約聖書の宗教がギリシャ哲学のプラトン的伝統とほぼ完全に融合するるつぼであった」と述べています。新カトリック百科事典は,アウグスティヌスが唱えた「[魂に関する]教理は12世紀の末までは西欧世界の標準とされていたが,……新プラトン主義に多くを負っていた」ことを認めています。

      15,16 魂は不滅であるという教えに対する教会の立場は,13世紀にアリストテレスの教えに対する関心が高まったために変化しましたか。

      15 13世紀になると,ヨーロッパではアリストテレスの教えが人気を博するようになりました。それはおもに,アリストテレスの著作にアラブ人の学者たちが広範な注解を付した文献を,ラテン語で入手できるようになったからです。トマス・アクィナスという名のカトリックの学者はアリストテレスの思想に深い感銘を受けました。アクィナスの著作ゆえに,アリストテレスの見解はプラトンの見解以上に教会の教えに影響を与えました。ところがこうした傾向も,魂は不滅であるという教えに影響を与えることはありませんでした。

      16 アリストテレスは,魂と体の結び付きは切り離せないもので,死後に魂が別個に存在し続けることはなく,人間の何か永遠なるものが存在するとしたら,それは抽象的で人格を持たない知性である,と説きました。魂に関するこのような見方は,死後も生き残る人格的な魂に関する教会の信条と調和しませんでした。そのためアクィナスは,魂に関するアリストテレスの見方に変更を加え,魂の不滅性は理性によって証明できる,と主張しました。そのため,魂は不滅であるという教会の信条はそのまま残りました。

      17,18 (イ)16世紀の宗教改革は,魂に関する教えの刷新をもたらしましたか。(ロ)キリスト教世界のほとんどの宗派は,魂の不滅性について,どんな立場を取っていますか。

      17 ルネッサンス初期に当たる14,15世紀には,プラトンに対する関心が復活し,イタリアの有名なメディチ家などは,フィレンツェにプラトン哲学の研究を奨励するための専門学校が設立されるのを助けました。16,17世紀に入ると,アリストテレスに対する関心は下火になり,16世紀の宗教改革でも,魂に関する教えの刷新は行なわれませんでした。プロテスタントの宗教改革者たちも,煉獄の教えについて論議はしたものの,とこしえの処罰や報いという考えは受け入れました。

      18 そのようなわけで,魂は不滅であるという教えはキリスト教世界のほとんどの宗派に広く浸透しています。この点に注目した米国の一学者は,「実際,西欧世界の人々の大半にとって,宗教とはすなわち不滅性であって,それ以外の何ものでもない。神は不滅性を生み出す方なのである」と書きました。

      不滅性とイスラム教

      19 イスラム教はいつ,だれによって創始されましたか。

      19 イスラム教はマホメットがおよそ40歳で預言者として召された時に始まりました。西暦610年ごろからマホメットが死んだ西暦632年までの約20ないし23年間,マホメットには様々な啓示が与えられたというのが,イスラム教徒の一般的な信条です。それらの啓示はイスラム教の聖典であるコーランに記されています。イスラム教が誕生するまで,ユダヤ教とキリスト教世界には,魂に関するプラトン的な見方が浸透していました。

      20,21 イスラム教徒は死後の世界について何を信じていますか。

      20 イスラム教徒は,自分たちの信じているものは古代の忠実なヘブライ人とクリスチャンに与えられた様々な啓示の頂点に立つものである,と考えます。コーランはヘブライ語聖書とギリシャ語聖書の両方から引用していますが,魂は不滅であるという教えに関して,コーランとそれらの聖書の述べることは異なります。人には死後も生き続ける魂がある,というのがコーランの教えであり,死者の復活,審判の日,魂の最終的な運命 ― 天的なパラダイスでの命,もしくは火の燃える地獄での処罰 ― についてもコーランは言及しています。

      21 イスラム教徒の信条によれば,死んだ人の魂はバルザフすなわち「障壁」へ,つまり「人の死後,審判に至るまでの状態」へと向かいます。(スーラ 23:99,100。聖クルアーン,脚注[日本ムスリム協会訳])魂は意識ある存在であり,過去が邪悪であれば,バルザフで「墓の懲罰」なるものを経験し,過去が忠実であれば幸福を享受します。しかし忠実な人たちであっても,生きているときに犯したわずかな罪のために,ある程度の責め苦を味わわなければなりません。審判の日に各人はとこしえの運命と向き合います。その時,この中間的な状態には終止符が打たれます。

      22 一部のアラブ人哲学者たちは,魂の運命についてどんな異なった説を唱えましたか。

      22 ユダヤ教とキリスト教世界の場合,魂は不滅であるという考えはプラトンの影響があって表面に出てきたものですが,イスラム教には元来その概念が組み込まれていました。アラブ人の学者たちがイスラムの教えとギリシャ哲学の合体を試みなかったというわけではありません。実際,アラブ世界はアリストテレスの著作から大きな影響を受けました。さらに,アビセンナやアベロエスのような著名なアラブ人学者たちは,アリストテレス思想を解説し,詳述しました。ところが,魂に関するギリシャ思想とイスラム教の教えを調和させようとして,彼らは異なる理論を持ち出しました。例えば,アビセンナが人間の魂は不滅であると主張したのに対して,アベロエスはその説に反論を加えました。こうした異なった見解があったにもかかわらず,魂が不滅であるという考えは今もイスラム教の信条の一部です。

      23 ユダヤ教,キリスト教世界,イスラム教は,魂の不滅性の問題について,どんな立場を取っていますか。

      23 ですから明らかに,ユダヤ教もキリスト教世界もイスラム教も,魂は不滅であるという教理を教えているのです。

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