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  • サンヘドリンの前に,それからピラトのもとへ
    これまでに生存した最も偉大な人
    • 121章

      サンヘドリンの前に,それからピラトのもとへ

      そろそろ夜も明けようとしています。ペテロはすでにイエスを三度否認しました。サンヘドリンのメンバーも裁判のまねごとを終えてすでに解散しました。しかし金曜日の明け方になるとすぐに,今度は自分たちのサンヘドリン広間に再び集まります。彼らの目的は,昨夜の裁判が合法的なものであるように見せかけることかもしれません。イエスが前に連れ出されると,昨夜と同じように,「もしあなたがキリストであるなら,わたしたちに言いなさい」と言います。

      イエスはお答えになります。「たとえわたしが言ったとしても,あなた方は少しも信じないでしょう。また,わたしが質問したとしても,あなた方は少しも答えないでしょう」。しかし,イエスは勇敢にもご自分がどのような者であるかを明らかにし,「今からのち,人の子は神の強力な右に座ることになります」と言われます。

      「それでは,あなたは神の子なのか」。皆それを知りたがっています。

      「あなた方自身,わたしがそうだと言っています」と,イエスはお答えになります。

      殺害をもくろんでいたこれらの人々にとっては,この答えで十分です。彼らはこれを冒とくとみなします。「どうしてこのうえ証しが必要だろうか。わたしたち自身が,彼の口からそれを聞いたのだ」と彼らは言います。そしてイエスを縛って引いて行き,ローマ総督ポンテオ・ピラトに引き渡します。

      イエスを裏切ったユダは事の成り行きを見守っていました。イエスが罪に定められたのを見ると,悔恨の情を感じます。それで銀30枚を返しに祭司長と年長者たちのところに行きます。「わたしは義の血を売り渡して罪をおかした」とユダは説明します。

      「それがわたしたちにどうしたというのか。あなたが処置すべきことだ!」と,冷淡な答えが返ってきます。それでユダは銀を神殿に投げ込むとそこを立ち去り,首をつって死のうとします。ところが,ユダが縄を縛りつけていた木の枝が折れたのでしょう,体は下の岩に向かって落ち,そこで張り裂けてしまいました。

      祭司長たちはその銀をどう扱ってよいかわかりません。最後に,「これを聖なる宝物庫に入れることは許されない」と判断します。「これは血の代価だから」です。それで彼らは相談したのち,見知らぬ人の埋葬のためにそのお金で陶器師の畑を買います。こうして,その畑は「血の畑」と呼ばれるようになりました。

      朝のまだ早いうちにイエスは総督の官邸に連れて行かれます。ところがついて来たユダヤ人たちは中に入ろうとしません。そのようにして異邦人と親しくすれば,身を汚すことになると考えているからです。そこでピラトは彼らの考えを考慮し,外に出て来ます。「あなた方はこの人に対してどんな告訴をするのか」とピラトは尋ねます。

      「この男が悪を行なう者でなかったなら,わたしたちはあなたに引き渡したりはしなかったでしょう」と彼らは答えます。

      かかわりを持ちたくないと思ったピラトは,「あなた方が自分で彼を連れて行き,自分たちの律法にしたがって裁くがよい」と言います。

      ユダヤ人たちは,殺害をもくろんでいたことを示して,「わたしたちが人を殺すことは許されていません」と主張します。実際,もし彼らが過ぎ越しの祝いの最中にイエスを殺していたなら,民衆は大騒ぎしたに違いありません。多くの人はイエスを深く尊敬しているからです。しかし,ローマ人に政治的な罪状で処刑させることができれば,彼ら自身は民の前で責任を免れることになるわけです。

      それで宗教指導者たちは,イエスを冒とくの罪に定めた前の裁判には触れず,別の罪をでっちあげます。それは次の3部から成る告発です。「わたしたちは,この男が [1] わたしたちの国民をかく乱し,[2] カエサルに税を払うことを禁じ,[3] 自分は王キリストだと言っているのを見ました」。

      ピラトに関心があるのは,イエスが自ら王と称しているという罪状です。そのため,ピラトは再び官邸内に入ってイエスを呼び,「あなたはユダヤ人の王なのか」と尋ねます。これは言い換えれば,あなたはカエサルに対抗して自分が王であると名乗ることにより法を破ったのか,ということです。

      イエスは,自分のことをピラトがすでにどれほど聞いているか知りたいと思い,「あなたがそう言うのは,あなた自身の考えからですか。それとも,ほかの者がわたしについて告げたからですか」とお尋ねになります。

      ピラトはイエスについて何も知らないことを認め,事実を知りたいという気持ちを表わします。「わたしはユダヤ人ではないではないか。あなた自身の国民と祭司長たちが,あなたをわたしに引き渡したのだ。あなたは何をしたのか」とピラトは言います。

      イエスはこの問題,つまりご自分が王なのかという問題を決して避けようとはなさいません。次にイエスが述べる答えに,ピラトはきっと驚くに違いありません。 ルカ 22:66-23:3。マタイ 27:1-11。マルコ 15:1。ヨハネ 18:28-35。使徒 1:16-20。

      ■ サンヘドリンは何のために翌朝再び集まりますか。

      ■ ユダはどのようにして死にますか。銀30枚は何に使われますか。

      ■ ユダヤ人が自分たちでイエスを殺すよりも,ローマ人に殺させようとしているのはなぜですか。

      ■ ユダヤ人たちはイエスにどんな罪をきせますか。

  • ピラトからヘロデに引き渡され,再び送り返される
    これまでに生存した最も偉大な人
    • 122章

      ピラトからヘロデに引き渡され,再び送り返される

      イエスはご自分が王であることを隠そうとはされませんが,ご自分の王国がローマにとって危険な存在ではないことを説明されます。「わたしの王国はこの世のものではありません。わたしの王国がこの世のものであったなら,わたしに付き添う者たちは,わたしをユダヤ人たちに渡さないようにと戦ったことでしょう。しかし実際のところ,わたしの王国はそのようなところからのものではありません」とイエスは言われます。こうしてイエスは,ご自分が王国を持っていることを三度も認められます。でも,その王国はこの地上のものではありません。

      しかしピラトはさらに,「それでは,あなたは王なのだな」と迫ります。それはつまり,あなたの王国がこの世のものではないにしても,あなたは王なのだな,ということです。

      イエスはピラトの出した結論が正しいことをピラトに知らせます。「あなた自身が,わたしが王であると言っています。真理について証しすること,このためにわたしは生まれ,このためにわたしは世に来ました。真理の側にいる者はみなわたしの声を聴きます」と,イエスはお答えになります。

      ですからイエスが現に地上にいる目的は,「真理」について証しするため,それも特にご自分の王国の真理について証しするためです。イエスはたとえ命を失うことになろうとも,その真理に対して忠実さを保つ覚悟を決めておられます。ピラトは「真理とは何か」と尋ねますが,それ以上の説明を待とうとはしません。裁きを下すのに必要なことはもう十分聞いたからです。

      ピラトは,官邸の外で待っていた群衆のところに戻ります。恐らくイエスをかたわらにおいて,ピラトは祭司長たちやその周りにいた人々に,「わたしはこの男に何の犯罪も見いだせない」と言います。

      その判決に怒った群衆は執ように,「彼はユダヤじゅうを教え回って民をあおり,しかもガリラヤから始めてここまで来たのです」と言います。

      ユダヤ人の理性を欠いた狂信的行為を見て,ピラトはびっくりしたに違いありません。それでピラトは祭司長や年長者たちの怒号が続く中でイエスのほうを向き,「彼らがあなたに不利な証言をいかに多く行なっているか,あなたには聞こえないのか」と尋ねます。しかしイエスは答えようとはされません。荒々しい非難の声に面しても穏やかな表情のイエスに,ピラトは驚嘆します。

      イエスがガリラヤ人であることを知ると,ピラトはイエスについての責任を免れる方法を思いつきます。ガリラヤの支配者ヘロデ・アンテパス(ヘロデ大王の息子)が過ぎ越しのためにエルサレムに来ているのです。それでピラトはイエスをヘロデのもとに送ります。ヘロデ・アンテパスといえば,以前バプテスマを施す人ヨハネの首をはね,その後イエスが行なった奇跡的な業について聞いたとき,イエスは実際には復活したヨハネなのではないかと考えておびえていた人物です。

      さて,ヘロデはイエスに会えそうなので大そう歓んでいます。それは,イエスのことを気遣っているからでも,イエスに着せられた罪状が本当かどうか本気で知りたいと思っているからでもありません。むしろ,好奇心から,イエスが奇跡を起こすのを見たいだけなのです。

      しかし,イエスはヘロデの好奇心を満たそうとはなさいません。実際,ヘロデが質問しても,イエスは一言も話されません。あてがはずれたヘロデとその衛兵たちはイエスを愚弄し,色鮮やかな衣を着せてあざけってからピラトのもとに送り返します。その結果,かつてはいがみ合っていたヘロデとピラトは親しい仲になります。

      イエスが戻られると,ピラトは祭司長とユダヤ人の支配者たち,そして民を呼び集めてこう言います。「あなた方は,民を駆り立てて反乱を起こさせる者としてこの男をわたしのところに連れて来た。それで,見よ,わたしはあなた方の前で取り調べたが,あなた方の挙げる罪状の根拠となるようなものを何らこの男に見いだせなかった。事実,ヘロデもそうであった。彼をわたしたちのところに送り返してきたからだ。見よ,彼は死に価するようなことを何も犯していない。それゆえわたしは,彼を打ち懲らしてから釈放することにする」。

      こうしてピラトは二度もイエスの無罪を宣言しました。ピラトはイエスを釈放したいと思っています。というのは,祭司たちがイエスを引き渡したのは単にそねみのためであることに気づいているからです。引き続きイエスを釈放しようと努めるピラトは,そうするためのより強力な動機づけを得ます。裁きの座に座っている間に,妻からの伝言があったのです。「その義人にかかわらないでください」と妻はピラトに勧め,「わたしは今日,その人のために[神からのものと思われる]夢の中でとても苦しんだのです」と言います。

      しかしピラトは,釈放すべきだと分かっているこの無実の人をどうしたら釈放できるのでしょうか。 ヨハネ 18:36-38。ルカ 23:4-16。マタイ 27:12-14,18,19; 14:1,2。マルコ 15:2-5。

      ■ イエスはご自分が王であるかどうかについての質問にどうお答えになりますか。

      ■ イエスが地上での生涯をかけて証しした「真理」とは何ですか。

      ■ ピラトはどんな判決を下しますか。人々はどのように反応しますか。それでピラトはイエスをどうしますか。

      ■ ヘロデ・アンテパスとはだれですか。ヘロデがイエスを見て大そう歓ぶのはなぜですか。ヘロデはイエスをどうしますか。

      ■ ピラトがイエスを釈放したいと思っているのはなぜですか。

  • 「見よ,この人だ!」
    これまでに生存した最も偉大な人
    • 123章

      「見よ,この人だ!」

      ピラトはイエスの態度に感銘を受け,イエスの無実を認めたため,別の方法でイエスを釈放しようとします。彼は群衆に,「あなた方には,過ぎ越しの際わたしが一人の者を釈放する習慣がある」と告げます。

      バラバという札つきの人殺しも囚人として捕らえられているので,ピラトは,「あなた方はどちらの者を釈放して欲しいのか。バラバか,それともキリストと言われるイエスか」と問いかけます。

      民は,彼らを扇動した祭司長たちに説きつけられ,バラバを釈放してイエスを殺すよう求めます。それに対しピラトはあきらめずにもう一度問いかけます。「あなた方は,二人のうちどちらを釈放して欲しいのか」。

      「バラバを」と,彼らは叫びたてます。

      ピラトは落胆した様子で尋ねます。「では,キリストと言われるイエスはどうするのか」。

      群衆は一斉に耳をつんざくような声で,「杭につけろ!」,「杭につけろ! 彼を杭につけろ!」と答えます。

      ピラトは,群衆が要求しているのは一人の無実の者の死であることを知っているので嘆願します。「この男がどんな悪事をしたというのか。わたしは,死に価するようなことを何も彼に見いださなかった。それゆえ,わたしは彼を打ち懲らしてから釈放することにする」。

      ピラトの努力にもかかわらず,宗教指導者たちにそそのかされて怒り立った群衆は,「杭につけろ!」とわめき続けます。群衆は祭司たちに駆り立てられて狂乱状態になり,血を求めます。考えてみてください。恐らく群衆の中には,ほんの五日前にはイエスを王としてエルサレムに迎え入れた者たちもいることでしょう。イエスの弟子たちは,もしその場にいたとすれば,その間ずっと黙ったまま目立たないようにしています。

      ピラトは,自分が訴えても無駄であり,むしろ騒動になってくるのを見ると,水を取って群衆の前で手を洗い,「わたしはこの人の血について潔白である。あなた方自身が処置をとらねばならない」と言います。すると民は,「彼の血はわたしたちとわたしたちの子供とに臨んでもよい」と答えます。

      それでピラトは,民の要求どおりに ― 正しいと分かっていることをするよりも群衆を満足させたいと願って ― バラバのほうを釈放します。そしてイエスを連れて行き,衣をはがさせてからむちで打たせます。それは普通のむち打ちではありませんでした。「アメリカ医師会ジャーナル」誌は,ローマにおけるむち打ち刑の習慣について次のように述べています。

      「よく使われた刑具は,長さが不ぞろいの何本かの革ひもや,撚った革ひもの付いた短いむち棒だった。その革ひもには小さい鉄球や尖った羊骨が所々にくくり付けられていた。……ローマの兵士が受刑者の背中を繰り返し力一杯打つと,その鉄球によって深い挫傷が生じ,革ひもと羊骨は皮膚や皮下組織に食い込んだことだろう。そしてむち打ちが続くにつれ,裂傷は深部の骨格筋にまで及び,ひも状に裂けて垂れた血のにじむ肉が震えていたであろう」。

      イエスはこうした拷問のような殴打を受けたあと,総督の官邸に引いて行かれます。そして全部隊が召集されます。そこで兵士たちは,いばらの冠を編んでイエスの頭に押しかぶせることにより,さらに侮辱を加えます。彼らはイエスの右手に葦を持たせ,その身に普通国王が着るような紫の衣をまとわせます。それから,あざけるような口調で,「こんにちは,ユダヤ人の王よ!」と言います。また彼らはイエスにつばをかけ,顔に平手打ちを加えます。そしてその丈夫な葦をイエスの手から取り,それでイエスの頭をたたきます。イエスを辱める“冠”の鋭いとげは頭蓋骨にまで刺さったことでしょう。

      こうした虐待にもめげずに驚くべき威厳と力を保っているイエスを見たピラトは,深い感銘を受け,イエスを請け戻す努力をもう一度払ってみようという気持ちになります。「見なさい。わたしがこの者に何の過失も見いださないことを知らせるため,わたしはこの者をあなた方のところに連れ出す」と,ピラトは群衆に告げます。拷問を受けたイエスの姿を見れば群衆も心を和らげるだろう,とピラトは考えているのでしょう。イエスがとげのある冠と紫の外衣を身に着け,苦痛に耐える血だらけの顔で無情な暴徒たちの前に立つと,ピラトは,「見よ,この人だ!」と宣言します。

      打ちたたかれて傷を負ってはいても,ここに立っているのは歴史上最も傑出した人物,これまでに生存した真に最も偉大な人なのです! そうです,ピラトの言葉に敬意と同情の入り混じった響きが感じられるとおり,イエスには,ピラトでさえ認めざるを得ないほどの偉大さを示す静かな威厳と落ち着きが見られるのです。 ヨハネ 18:39-19:5。マタイ 27:15-17,20-30。マルコ 15:6-19。ルカ 23:18-25。

      ■ ピラトはどんな方法でイエスを釈放しようとしますか。

      ■ ピラトはどのようにして責任を免れようとしますか。

      ■ むちで打たれるとどうなりますか。

      ■ イエスはむちで打たれた後,どんなあざけりを受けますか。

      ■ ピラトはイエスを釈放しようとして,さらにどんな努力をしますか。

  • 引き渡され,引いて行かれる
    これまでに生存した最も偉大な人
    • 124章

      引き渡され,引いて行かれる

      拷問を受けても冷静で威厳を失わないイエスに感動したピラトが再度イエスを釈放しようとすると,祭司長たちの怒りは一段と募ります。自分たちの邪悪な目的を何ものにも妨害させないことを決意しているのです。それでまたもや彼らは,「杭につけろ! 杭につけろ!」と叫びたてます。

      「あなた方が自分たちで連れて行って杭につけるがよい」と,ピラトは答えます。(少し前のユダヤ人たちの主張とは違い,ユダヤ人たちには,宗教上の極めて重大な罪を犯した犯罪者を処刑する権利があるのかもしれません。)そこでピラトは,「わたしは彼に何の過失も見いださない」と宣言します。ピラトがイエスの無実を宣言するのは,少なくともこれで五度目です。

      ユダヤ人たちは,政治的告発が効を奏さないのを見ると,再び冒とくという宗教上の罪に逆戻りします。それは数時間前にサンヘドリンがイエスの裁判を行なった時に申し立てた罪状です。「わたしたちには律法がありますが,その律法によれば,彼は死に当たる者です。自分を神の子としたからです」と,彼らは言います。

      この告発はピラトにとって初耳であり,これを聞いたピラトはますます恐れを感じます。この時までにピラトは,イエスが普通の人間ではないことに気づいています。妻が見た夢も,イエスの人格の驚くべき強じんさもそのことを示唆しています。それにしても,「神の子」なのでしょうか。ピラトはイエスがガリラヤの出身であることを知っています。しかし,もしかしたらそれ以前から生きていたのでしょうか。ピラトはイエスを官邸内に連れ戻し,「あなたはどこから来ているのか」と尋ねます。

      イエスは黙っておられます。少し前にイエスは,自分は王であるが自分の王国はこの世のものではないとピラトに告げておられました。ここでさらに説明を加えても益はないでしょう。しかし,イエスが返答しようとしないのでピラトはプライドを傷つけられ,かっとなってこう言います。「あなたはわたしに話さないのか。わたしにはあなたを釈放する権限があり,また杭につける権限もあることを知らないのか」。

      それに対しイエスは,「上から与えられたのでない限り,あなたはわたしに対して何の権限もないでしょう」と丁重にお答えになります。地上の物事を管理する権限は神が人間の支配者たちに与えておられるのだということをイエスは言っておられるのです。さらにイエスは,「このゆえに,わたしをあなたに引き渡した人にはさらに大きな罪があります」と言われます。実際,大祭司カヤファとその共犯者たちおよびユダ・イスカリオテには,イエスを不当に扱ったためピラト以上に重い責任があります。

      ピラトは,ますますイエスから感銘を受け,またイエスが神から遣わされた者かもしれないという心配もあって,イエスを釈放するために再びいろいろな努力を払います。それでも,ユダヤ人たちはピラトの言うことを強くはねつけます。彼らは政治的告発を繰り返し,巧妙にもこう言って脅します。「この男を釈放するなら,あなたはカエサルの友ではありません。自分を王とする者は皆,カエサルに反対を唱えているのです」。

      その言葉には恐ろしい含みがあったにもかかわらず,ピラトはもう一度イエスを外に連れ出し,「見なさい。あなた方の王だ!」とさらに訴えます。

      「取り除け! 取り除け! 杭につけろ!」

      「わたしがあなた方の王を杭につけるのか」。ピラトは絶望的な気持ちで尋ねます。

      ユダヤ人はローマ人の支配にいら立ちを感じていました。実際,彼らはローマの支配をさげすんでいるのです。それにもかかわらず,祭司長たちは偽善的で,「わたしたちにはカエサルのほかに王はいません」と言います。

      ピラトは自分の政治的な地位や名声を失うのを恐れて,ユダヤ人のしつような要求にとうとう屈し,イエスを引き渡します。兵士たちはイエスから紫の外とうをはいで,イエスに元の外衣を着せます。イエスは杭につけられるために引いて行かれる際,自分の苦しみの杭を負わされます。

      このころまでに時刻はニサン14日,金曜日の午前も半ば,恐らく正午近くになっていることでしょう。イエスは木曜日の早朝から一睡もしておられません。しかも苦しい経験の連続でした。杭の重みに耐えかねて間もなく力尽きてしまうのも無理はありません。そこで,アフリカのキレネから来たシモンという通行人が,イエスのために杭を運ぶ奉仕に徴用されます。二人が進んで行くと,非常に大勢の人があとについて行きます。その中には女性も多く,彼女たちは悲嘆のあまり身を打ちたたき,イエスのことを嘆き悲しみます。

      イエスは女の人たちのほうを向いてこう言われます。「エルサレムの娘たちよ,わたしのために泣くのをやめなさい。むしろ,自分と自分の子供たちのために泣きなさい。見よ,人々が,『うまずめは,そして子を産まなかった胎と乳を飲ませなかった乳房とは幸いだ!』と言う日が来るからです。……というのは,木に水気のある時に彼らがこうしたことを行なうのであれば,それが枯れた時にはどんなことが起こるでしょうか」。

      イエスはユダヤ国民という木のことを言っておられます。イエスがおられ,イエスを信じる残りの者たちが存在しているので,この木には生きていることを示す水気がまだ幾らか残っています。しかし,これらの人が同国民から取り出されると,そこには霊的に死んだ木,そうです,枯れきった国家組織しか残りません。ローマの軍隊が神の刑執行隊としてユダヤ国民を荒れ廃れさせるとき,人々はそのためにどんなにか泣き悲しむことでしょう! ヨハネ 19:6-17; 18:31。ルカ 23:24-31。マタイ 27:31,32。マルコ 15:20,21。

      ■ 宗教指導者たちは,政治的告発が効を奏さないのを見ると,どんな罪でイエスを告発しますか。

      ■ ピラトがますます恐れを感じたのはなぜですか。

      ■ イエスの身に生じたことに対し,さらに大きな罪を負っているのはだれですか。

      ■ 最後に祭司たちはイエスを処刑のために引き渡すようどのようにピラトに迫りますか。

      ■ イエスは,イエスのために泣いている女たちに向かって何と言われますか。また,『水気がある』ものの,その後『枯れる』木のことを言われますが,それにはどんな意味がありますか。

  • 杭の上での苦しみ
    これまでに生存した最も偉大な人
    • 125章

      杭の上での苦しみ

      イエスと共に処刑される二人の強盗が引かれて行きます。行列は,市内からそれほど遠くないゴルゴタ,もしくは“どくろの場所”と呼ばれる所で止まります。

      囚人たちは衣をはぎ取られます。そして没薬を混ぜたぶどう酒が与えられます。たぶんエルサレムの女性たちが用意したのでしょう。杭につけられる者たちにこの鎮痛剤を与えることをローマ人も阻みません。しかし,イエスはその味を見ると,飲もうとはされません。なぜでしょうか。それは恐らく,ご自分の信仰の最後の試みの間,知的能力をすべてしっかり保っていたいと思っておられるからでしょう。

      イエスは今,両手を頭上に伸ばした形で杭の上に寝かされます。それから兵士たちはイエスの手と足に太い釘を打ち込みます。釘が肉とじん帯を貫通するとき,イエスは苦痛に身をよじらせます。杭が垂直に起こされると,釘の刺さった箇所が体の重みで裂けるため,痛みは耐え難いものになります。それでもイエスは,ローマ人の兵士たちを脅しつけるどころか,彼らのために,「父よ,彼らをお許しください。自分たちが何をしているのか知らないのですから」と祈られます。

      ピラトは,「ユダヤ人の王ナザレ人イエス」と書いたものを杭の上に掲げます。ピラトがこれを書いたのは恐らく,イエスに対する尊敬の念だけでなく,無理やりイエスの死刑を宣告させたユダヤ人の祭司たちに対するいまいましい気持ちもあったためと思われます。ピラトは,すべての人が読めるように,それがヘブライ語,公用語のラテン語,通俗ギリシャ語の三つの言語で書かれるようにしました。

      カヤファやアンナスをはじめとする祭司長たちはろうばいします。勝ち誇っていたところにこのような肯定的な宣言が公示されたため気分を害し,「『ユダヤ人の王』とではなく,この者は『ユダヤ人の王である』と言ったと書いてください」と抗議します。ピラトは自分が祭司たちの手先として使われていたことでいら立っていたため,軽べつしきった態度で,「わたしが書いたことはわたしが書いたことだ」と答えます。

      祭司たちは大勢の群衆と共に刑場に集まって,その罪状書きに記されている事柄に反ばくしようとし,先にサンヘドリンでの裁判の時に述べた偽証を繰り返します。ですから,通行人たちがイエスのことをあしざまに言いはじめ,ばかにした態度で頭を振りながら,「神殿を壊して三日でそれを建てると称する者よ,自分を救ってみろ! 神の子なら,苦しみの杭から下りて来い!」と言うのも不思議ではありません。

      祭司長やその宗教上の仲間もそれに調子を合わせて言います。「ほかの者は救ったが,自分は救えないのだ! 彼はイスラエルの王だ。今,苦しみの杭から下りて来てもらおうではないか。そうしたら我々も彼を信じよう。彼は神に頼ったのだ。神が彼を必要とされるのなら,いま神に救い出してもらうがよい。『わたしは神の子だ』と言ったのだから」。

      兵士たちもその雰囲気にのまれて一緒にからかいます。そしてイエスに酸いぶどう酒を与えるまねをします。きっとイエスの乾き切った唇が届かないようにして差し出しているのでしょう。「もしお前がユダヤ人の王なら,自分を救ってみろ」と言って兵士たちは嘲笑します。イエスの右と左の杭につけられた強盗たちまでイエスをあざけります。考えてみてください。これまでに生存した最も偉大な人が,そうです,エホバ神が万物を創造されたときその業にあずかった方が,こうしたののしりの言葉をすべてじっと我慢しておられるのです!

      兵士たちはイエスの外衣を取ってそれを四つに分け,それらがだれのものになるかを決めるためにくじを引きます。しかし,内衣は縫い目のない上等の衣です。そこで兵士たちは互いに,「これは裂かずにおき,だれのものとするか,くじで決めることにしよう」と言います。こうして兵士たちは,「彼らはわたしの外衣を自分たちの間で配分し,わたしの着衣の上でくじを引いた」という聖句を,それとは知らずに成就させます。

      やがて強盗の一人は,イエスが本当に王に違いないことを認めるようになります。それで,もう一方の強盗を叱り,「お前は少しも神を恐れないのか。同じ裁きを受けているのに。しかも,我々がこうなるのは全く当然だ。自分のした事に対する相応の報いを受けているのだから。しかしこの人は道に外れたことは何もしていないのだ」と言います。そしてイエスに向かって,「イエスよ,あなたがご自分の王国に入られる時には,わたしのことを思い出してください」と嘆願します。

      イエスはそれに答えて,「今日あなたに真実に言いますが,あなたはわたしと共にパラダイスにいるでしょう」と言われます。この約束は,イエスが天で王として支配し,この悔い改めた悪行者を地上のパラダイスでの命に復活させるときに成就するでしょう。ハルマゲドンを生き残る人々とその仲間たちは,このパラダイスを造る特権にあずかるのです。 マタイ 27:33-44。マルコ 15:22-32。ルカ 23:27,32-43。ヨハネ 19:17-24。

      ■ イエスが没薬を混ぜたぶどう酒を飲もうとされないのはなぜですか。

      ■ イエスの杭に罪状書きが掲げられたことにはどんな理由があるようですか。それをめぐってピラトと祭司長たちの間ではさらにどんなやりとりがありますか。

      ■ イエスは杭の上でさらにどんなののしりの言葉を浴びせられますか。そうなったのは,恐らく何が原因ですか。

      ■ イエスの衣がどう処理されるかに関し,預言はどのように成就しますか。

      ■ 強盗の一人はどのように変化しますか。イエスはその人の願いをどのように満たされますか。

  • 「確かにこれは神の子であった」
    これまでに生存した最も偉大な人
    • 126章

      「確かにこれは神の子であった」

      イエスが杭につけられてからまもなく,正午から3時間ほどの間,不思議な闇が生じます。日食が起きているからではありません。日食は新月の時にしか起こらないからです。過ぎ越しの時期は満月です。それに日食は数分で終わります。ですからその闇は神が生じさせたものです。イエスをあざける者たちはこのためにたじろぎ,彼らの嘲笑さえやむかもしれません。

      もし,一人の悪行者が仲間を叱りつけ,イエスに向かってわたしを覚えていてくださいと頼む前にこの不気味な現象が起きたとすれば,その悪行者が悔い改めた一因はそのことにあったのかもしれません。また,4人の婦人,すなわちイエスの母,母の姉妹サロメ,マリア・マグダレネ,それに使徒の小ヤコブの母マリアが苦しみの杭のそばまで来るのも,この闇が垂れこめていたさなかのことと思われます。イエスの愛する使徒ヨハネも彼女たちと一緒にそこにいます。

      イエスの母マリアは,どれほど心を『刺される』思いがしていることでしょう。自分が世話をし育てた息子が,杭に掛けられ目の前で苦しんでいるのです。それでもイエスは,ご自分の苦痛ではなく,母親の福祉のことを考えておられます。イエスは力を振りしぼってヨハネのほうに顔を向けてうなずき,母親に,「婦人よ,見なさい,あなたの子です!」と言われます。次にマリアに向かってうなずき,ヨハネに,「見なさい,あなたの母です!」と言われます。

      こうしてイエスは,今ではやもめの身になっていると思われる母親の世話を,特別に愛しておられる使徒に託されます。イエスがそうされるのは,マリアの他の息子たちがイエスに対する信仰をまだ表明していないからです。そのようにしてイエスは,母親の身体面の必要だけでなく霊的な必要をも顧みるという点で立派な模範を残されます。

      午後3時ごろ,イエスは「わたしは渇く」と言われます。イエスは,自分の忠誠を極限まで試すために父がいわば保護の手を引かれたことをお感じになります。それでイエスは大声で呼ばわり,「わたしの神,わたしの神,なぜわたしをお見捨てになりましたか」と言われます。これを聞いて,近くに立っている者たちが幾人か,「見ろ,エリヤを呼んでいるのだ」と叫びます。彼らの一人がすぐに走って行き,酸いぶどう酒を含ませた海綿をヒソプの茎の先につけてイエスに飲ませようとします。しかし他の者たちは,「構わないでおけ! エリヤが下ろしに来るかどうかを見よう」と言います。

      イエスは酸いぶどう酒を受けてから,「成し遂げられた!」と大きな声で叫ばれます。そうです,イエスは地上で行なうようみ父から命じられたすべての事柄をなし終えられたのです。そして最後に,「父よ,わたしの霊をみ手に託します」と言われます。こうしてイエスはご自分の生命力を神にゆだねられます。神がもう一度それを回復してくださることを確信しておられるのです。それからイエスは頭を垂れ,亡くなられます。

      イエスが息を引き取られた瞬間,激しい地震が生じて岩塊がぽっかりと割れます。揺れが非常に大きかったので,エルサレムの外にある記念の墓が割れて開き,遺体が外に投げ出されます。露出した遺体を見た通行人たちは市内に入り,そのことを報告します。

      さらにイエスが亡くなられた瞬間,神の神殿の聖所と至聖所を隔てていた巨大な垂れ幕が,上から下まで二つに裂けます。美しい装飾の入ったこの垂れ幕は高さが約18㍍あり,非常に重いもののようです。この驚くべき奇跡は,み子を殺した者たちに対する神の憤りを表わすだけでなく,イエスの死によって至聖所,つまり天そのものに入ることが今や可能になったことを示しています。

      さて,人々は地震を感じ,また起きている事柄を見て非常に恐れるようになります。刑の執行に当たった士官は神の栄光をたたえ,「確かにこれは神の子であった」と宣言します。この士官は,ピラトの前で行なわれた裁判でイエスが神の子であるかどうかが論じられた際,そこにいたのかもしれません。そしていま士官は,イエスが神の子であること,そうです,イエスこそ,これまでに生存した最も偉大な人であることを確信しています。

      他の者たちもこれらの奇跡的な出来事に圧倒され,深い悲しみと恥ずかしさのために胸をたたきながら家に帰り始めています。イエスの弟子である大勢の婦人たちは,これらの重大な出来事に深く感動し,やや離れた所でその光景を見守っています。使徒ヨハネもそこにいます。 マタイ 27:45-56。マルコ 15:33-41。ルカ 23:44-49; 2:34,35。ヨハネ 19:25-30。

      ■ 3時間の闇が日食によるものであるはずがないのはなぜですか。

      ■ イエスは亡くなられる直前,年老いた親のいる人たちにどんな立派な模範を残されますか。

      ■ イエスが亡くなられる前に口にされた最後の四つの言葉とはどんな言葉ですか。

      ■ 地震によって何が成し遂げられますか。神殿の垂れ幕が二つに裂けたことにはどんな意味がありますか。

      ■ 刑の執行に当たった士官はそれらの奇跡を見てどのような影響を受けますか。

  • 金曜日に埋葬 ― 日曜日に墓は空になる
    これまでに生存した最も偉大な人
    • 127章

      金曜日に埋葬 ― 日曜日に墓は空になる

      金曜日の午後です。時刻は遅く,日が沈めばニサン15日で安息日が始まります。イエスの遺体は杭に掛かったままぐったりとしていますが,横にいる二人の強盗はまだ生きています。金曜日の午後は準備の日と呼ばれています。なぜなら,この時に人々は食事を準備し,安息日の後では間に合わない他の急ぎの仕事を終わらせるからです。

      まもなく始まろうとしている安息日は,通常の安息日(週の第七日)であるだけでなく,二重の,つまり「大いなる」安息日です。その日がこのように呼ばれているのは,七日にわたる無酵母パンの祭りの一日目(週のどの日に当たろうとも常に安息日になる)であるニサン15日が,通常の安息日と同じ日に当たるからです。

      神の律法によると,体は夜通し杭に掛けたままにすべきではありません。それでユダヤ人たちはピラトに,処刑されている者の脚を折って死を早めてほしいと頼みます。そこで兵士たちは二人の強盗の脚を折ります。しかし,イエスはすでに死んでいるようなので,イエスの脚は折られません。このことによって「その骨は一つも砕かれないであろう」という聖句が成就します。

      しかし,兵士の一人はイエスが本当に死んだかどうか少しの疑念も残らないよう,イエスの脇腹を槍で突き刺します。槍は心臓のあたりに突き刺さり,すぐに血と水が出てきます。目撃証人である使徒ヨハネは,このことによって,「彼らは自分たちが刺し通した者を見つめるであろう」という別の聖句は成就したと伝えています。

      刑場にはアリマタヤという町から来たヨセフもいます。この人はサンヘドリンの評判のよい議員です。彼はイエスに対する高等法院の不当な措置に賛成の票を投じませんでした。ヨセフは実際にはイエスの弟子ですが,それを明らかにすることは恐れていました。しかし今,ヨセフは勇気を出してピラトのもとに行き,イエスの体を頂きたいと頼みます。ピラトは担当の士官を呼び寄せ,士官がイエスの死を確認したのちに遺体を引き渡します。

      ヨセフは遺体を取り,埋葬に備えて清い上等の亜麻布に包みます。彼はサンヘドリンの別の議員ニコデモの援助を受けます。ニコデモも自分の立場を失うことを恐れてイエスに対する信仰を告白していませんでした。しかし今,ニコデモは100ローマ・ポンドほどの没薬と高価なじん香を含む巻き物を一つ持ってきます。埋葬の準備に関するユダヤ人の習慣どおり,イエスの体はこれらの香料を含んだ巻き布で包まれます。

      それから遺体は,近くの園にある,岩に掘り込んだヨセフの新しい記念の墓の中に横たえられます。最後に,墓の前に大きな石が転がされます。安息日の前に埋葬を完了させるため,遺体の準備は急いで行なわれます。それで,遺体の準備を手伝っていたと思われるマリア・マグダレネと小ヤコブの母マリアは,さらに香料と香油を準備するため急いで家に戻ります。彼女たちはイエスの体をもっと長い期間保存するため,安息日が終わってからも処理を施すことにします。

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