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  • エホバから決して遠ざかってはなりません
    ものみの塔 2013 | 1月15日
    • エホバから決して遠ざかってはなりません

      「あなた方が仕える者を今日自分で選びなさい」。―ヨシュ 24:15。

      答えてみましょう

      • どのように,世俗の仕事をふさわしい場所に保つことができますか

      • どのように,レクリエーションや娯楽に対する平衡の取れた態度を示せますか

      • 家族がエホバから離れてしまうとき,どのように悲しみに耐えることができますか

      1-3. (イ)人生における正しい決定を下す点でヨシュアは良い手本です。なぜそう言えますか。(ロ)決定をする必要が生じたなら,何を思い起こすべきですか。

      「選びなさい」という語にはインパクトがあります。人は何かを選ぶとき,幾つかの選択肢を持っており,人生をある程度方向づけることになります。これは,道を歩いている人が分岐点に来た時のようなものです。どちらに行くかを選ばなければなりません。その人は,自分が行きたい場所から遠ざかる道ではなく,近づける道を選ぶことでしょう。

      2 聖書には,それと同様な状況に直面した人たちの例が数多く含まれています。例えば,カインは怒りに駆られて行動するか,怒りを抑えるかを決めなければなりませんでした。(創 4:6,7)ヨシュアは,真の神に仕えるか偽りの神々を崇拝するかを選ぶ必要がありました。(ヨシュ 24:15)ヨシュアの目標はエホバのそばにとどまることだったので,その方向に進む道を選びましたが,そうした目標がなかったカインは,エホバから離れてゆく道を選びました。

      3 わたしたちも,分岐点に立たされることがあるでしょう。そのようなときは目的地,つまり目標を思い起こしてください。あらゆる行ないにおいてエホバに栄光をもたらし,自分をエホバから離れさせるような事柄はすべて退ける,という目標です。(ヘブライ 3:12を読む。)この記事と次の記事では七つの点に注目し,エホバから決して遠ざかってはならないことを学びましょう。

      世俗の仕事

      4. 生計を立てることが重要なのは,なぜですか。

      4 クリスチャンには自分と家族を養う義務があります。聖書は,家の者に必要な物を備えようとしないなら不信者よりも悪い,ということを示しています。(テサ二 3:10。テモ一 5:8,脚注)世俗の仕事は確かに生活の重要な一部ですが,気をつけないと,仕事が人をエホバから遠ざけてしまうことがあります。どのようにでしょうか。

      5. 仕事について考慮する際,大切なことは何ですか。

      5 仕事を探しているとしましょう。仕事が少ない国に住んでいるとしたら,何であれ最初に見つかった仕事に飛びつきたくなるかもしれません。しかし,その仕事内容が聖書の原則に反するとしたらどうですか。また,仕事の予定や通勤時間などが原因で,クリスチャンの活動が妨げられたり,家族との時間が減ったりするなら,どうですか。ふさわしくない仕事でもないよりはましと考えて,その仕事に就くでしょうか。間違った道を選ぶなら,エホバから遠ざかってしまうことを忘れてはなりません。(ヘブ 2:1)仕事を探している場合であれ,転職を考えている場合であれ,どうすれば賢明な決定ができるでしょうか。

      6,7. (イ)人は世俗の仕事に関して,どんな目標を持つことがありますか。(ロ)どんな目標を持つなら,エホバにいっそう近づくことができますか。なぜですか。

      6 先に述べたように,目標を忘れてはなりません。「自分はなぜこの仕事を選ぶのだろうか」と自問してください。世俗の仕事を,自分と家族を養いつつエホバに仕える手段とみなすなら,エホバはその努力を祝福してくださいます。(マタ 6:33)あなたが失業しても予想外の景気低迷に直面しても,エホバには力があります。(イザ 59:1)「敬虔な専心を保つ人々をどのように試練から救い出すか……を知っておられるのです」。―ペテ二 2:9,10。

      7 一方,裕福になることしか眼中にないとしたら,どうでしょうか。成功を収めるかもしれません。しかしそうなったとしても,そうした“成功”には大きな代償が伴うことを忘れてはなりません。取り戻すことができないほどの代償です。(テモテ第一 6:9,10を読む。)富と仕事を過度に重視するなら,エホバから遠ざかってしまうだけです。

      8,9. 親の皆さんは,世俗の仕事に対する態度について,どんなことを自問すべきですか。説明してください。

      8 親の皆さんは,ご自分の模範がお子さんに与える影響について考えてください。お子さんは,あなたが何を最も大切にしていると思っているでしょうか。仕事ですか,エホバとの親しい関係ですか。親が地位や名声や富を生活の中で第一にしている様子を見ているなら,子どもは親に倣ってそうした不健全な道を進むのではないでしょうか。親への敬意を失ってしまうことになりませんか。ある若いクリスチャンはこう述べています。「父はいつも仕事ばかりしていました。最初は家族の幸福を願って一生懸命に働いていたようです。家族には不自由な思いをさせたくない,というのが父の考えでした。でも最近は違うのです。父は休みなく働き,必要でもない贅沢品を買ってきます。それでわたしたちは,霊的な面で他の人たちを励ます家族というより,お金持ちとして知られるようになりました。わたしは,父がお金より霊的な事柄を優先するようになってほしいと思っています」。

      9 親の皆さん,仕事を重視しすぎてエホバから離れることがあってはなりません。最も価値ある富は物質の富ではなく霊的な富です。本当にそう考えていることを,模範によってお子さんに示してください。―マタ 5:3。

      10. 若い人は仕事を選ぶ際,どんなことを考慮できますか。

      10 どんな仕事に就くかを考えている若い人は,どうすれば正しい道を選べるでしょうか。すでに学んだように,人生の目標を定める必要があります。訓練を受けてその仕事に就くなら,王国の関心事をいっそう十分に追い求められるでしょうか。それともエホバから遠ざかってしまうでしょうか。(テモ二 4:10)あなたの目標は,預金高や株式資産によって幸福が左右される人々の生き方に見倣うことですか。それとも,ダビデのような確信を示したいと思いますか。ダビデは書きました。「わたしはかつては若者であったが,わたしもまた年老いた。だが,義なる者が完全に捨てられるのを見たことも,その子孫がパンを捜し求めるのを見たこともない」。(詩 37:25)忘れないでください。片方の道は最善の生き方に至りますが,もう一方はエホバから遠ざかってしまう道なのです。(箴言 10:22; マラキ 3:10を読む。)あなたはどちらを選びますか。a

      レクリエーションと娯楽

      11. レクリエーションや娯楽について,聖書はどんなことを認めていますか。しかしわたしたちは,何を思いに留めるべきですか。

      11 聖書は楽しむことを非としていませんし,レクリエーションや娯楽を時間の浪費とは見ていません。「体の訓練は少しの事には益があります」とパウロはテモテに書き送りました。(テモ一 4:8)聖書は,「笑うのに時」があり「跳び回るのに時」があるとさえ述べており,適度の休息も勧めています。(伝 3:4; 4:6)しかし気をつけないと,レクリエーションや娯楽が原因で,エホバから遠ざかってしまうことがあります。どのようにでしょうか。危険な状況が生じる主な原因は二つあります。レクリエーションや娯楽のタイプと,それに費やす時間です。

      健全で適度なレクリエーションは,さわやかさをもたらす

      12. レクリエーションや娯楽のタイプについて,どんなことを考慮すべきですか。

      12 まず,レクリエーションや娯楽のタイプについて考えましょう。健全なレクリエーションや有益な娯楽は必ずあります。しかし正直なところ,今のレクリエーションや娯楽の多くは,暴力,心霊術,不義の性など,神が憎むものを美化しています。ですから,よく吟味しなければなりません。それはあなたにどんな影響を及ぼしますか。暴力的な傾向,強い競争心,国家主義などを育てることはないでしょうか。(箴 3:31)お金を使い果たすことにならないでしょうか。他の人をつまずかせないでしょうか。(ロマ 14:21)どんな人と接することになりますか。(箴 13:20)悪いと分かっていることをしたくならないでしょうか。―ヤコ 1:14,15。

      13,14. 娯楽に費やす時間について,どんなことを考える必要がありますか。

      13 費やす時間についても考えてください。「わたしは,霊的な活動の時間がなくなるほど娯楽に時間を割いていないだろうか」と自問してください。費やす時間が多すぎると,レクリエーションや娯楽はそれほどさわやかではなくなります。実際,くつろぎを重視しすぎないなら,その時間はいっそう楽しく感じられます。なぜでしょうか。「より重要な事柄」を第一にしているので,後ろめたい気持ちにならないのです。―フィリピ 1:10,11を読む。

      14 娯楽に多くの時間を費やす生活は魅力的に思えるかもしれませんが,そういう道を選ぶとエホバから遠ざかることになりかねません。二十歳になるキム姉妹は,それを経験から学びました。こう述べています。「パーティーには全部行っていました。金,土,日と,週末にはいつもビッグなイベントがありました。でも今は,もっと大切なことがたくさんあると思っています。例えば,開拓奉仕があるので,朝6時には起きます。ですから,夜中の1時2時まで遊んではいられません。社交的な交わりには良い面もあります。でも,大切なことにほとんど注意が向かなくなってしまう危険があります。ほかのこともそうですが,社交的な交わりも,ふさわしい場所に保たなければなりません」。

      15. さわやかさをもたらすレクリエーションを楽しめるよう,どのように子どもたちを助けることができますか。

      15 親には,自分と子どもたちの物質的・霊的・感情的必要を顧みる責任があります。その中には,レクリエーションを備えることも含まれます。親の皆さんは,一切のレクリエーションを悪とみなす,物分かりの悪い人になってはなりません。しかし,悪い影響には用心してください。(コリ一 5:6)よく調べてみれば,家族を本当にさわやかにするレクリエーションや娯楽はあるものです。b このような方法により,あなたもお子さんたちも,エホバにいっそう近づく道を選ぶことができます。

      家族関係

      16,17. 多くの親は,どんな悲しみを味わってきましたか。エホバはそうした苦しみを理解しておられると,どうして言えますか。

      16 親子関係は非常に強いので,エホバはご自分の民に対する愛がどんなものかを示すため,それを例えとして用いられました。(イザ 49:15)ですから,愛する家族がエホバから離れた時に心がひどく痛むのは自然なことです。ある姉妹は娘が排斥された後,こう述べました。「打ちのめされました。『どうしてエホバから離れてしまったのだろう』と思いました。罪悪感にさいなまれ,自分を責めました」。

      17 エホバはあなたの苦しみを理解しておられます。人間家族の最初の一人が,そして大洪水前の人々の大半がご自分に反逆した時,エホバは「その心に痛みを覚えられた」とあるからです。(創 6:5,6)確かに,あなたの苦しみは,そのような状況を全く経験していない人には十分理解してもらえないものかもしれません。それでも,家族のだれかが誤った歩みにより排斥されたからといって,エホバから遠ざかってしまうのは賢明ではありません。では,家族がエホバから離れてしまったときの深い悲しみに,どのように対処できるでしょうか。

      18. 子どもがエホバから離れたときに,親は自分を責めるべきではありません。なぜですか。

      18 すでに起きてしまったことで自分を責めてはなりません。エホバは個々の人に,進む道を選ばせます。献身してバプテスマを受けた人は各自,「自分の荷を負う」べきです。(ガラ 6:5)人が罪を犯したなら,エホバはその責任を親ではなく,その道を選んだ当人に問われるのです。(エゼ 18:20)他の人を責めてもなりません。懲らしめを目的としたエホバの取り決めに敬意を払ってください。会衆を守るために行動した牧者たちにではなく,悪魔に立ち向かってください。―ペテ一 5:8,9。

      愛する家族がエホバのもとに帰るのを望むのは,間違ったことではない

      19,20. (イ)子どもが排斥された場合,親はどのように悲しみに耐えることができますか。(ロ)どんな望みを抱くのは正しいことですか。

      19 それとは逆に,エホバに憤りを抱く道を選ぶなら,エホバから遠ざかることになります。実際,排斥されたあなたの家族は,あなたが固い決意を抱いて,家族の絆よりも何よりも,エホバを重視する態度を見る必要があります。ですから,ぜひとも自分の霊性を保つようにしてください。自分を忠実な兄弟姉妹から孤立させてはなりません。(箴 18:1)祈りによってエホバに自分の気持ちを注ぎ出してください。(詩 62:7,8)いろいろ口実を設けて,例えばEメールなどによって,排斥された人と交わろうとしてはなりません。(コリ一 5:11)霊的な活動に打ち込んでください。(コリ一 15:58)先程の姉妹はこう言っています。「エホバへの奉仕にいつも忙しく携わり,霊的な強さを保つべきだと思いました。そうすれば娘がエホバのもとに帰って来た時,娘を助けることができますから」。

      20 愛は「すべての事を希望」する,と聖書は述べています。(コリ一 13:4,7)愛する家族が戻って来ることを望むのは間違いではありません。悪行を犯したものの悔い改めてエホバの組織に戻って来る人は,毎年大勢います。エホバがそうした人たちの悔い改めを渋々認めるということはありません。それどころか,「進んで許してくださる」のです。―詩 86:5。

      賢明な選択をする

      21,22. 自分の自由意志の用い方について,あなたはどんな決意を抱いていますか。

      21 エホバは人間に自由意志をお与えになりました。(申命記 30:19,20を読む。)しかし,その自由には,身の引き締まるような責任が伴います。クリスチャン各自はこう自問すべきです。「自分はどんな道を歩んでいるだろうか。仕事,レクリエーションや娯楽,家族関係などが原因で,エホバから遠ざかっているだろうか」。

      22 民に対するエホバの愛は決して揺らぎません。エホバから遠ざかってしまうのは,わたしたちが悪い道を進む選択をした場合だけです。(ロマ 8:38,39)しかし,そうなる必要はないのです。何によってもエホバから引き離されないことを決意してください。次の記事では,その決意をさらにどんな四つの面で示せるかを考えましょう。

      a 仕事の選択に関して詳しくは,「若い人が尋ねる質問 ― 実際に役立つ答え」第2巻の38章を参照。

      b 「目ざめよ!」2011年11月号17-19ページの提案を参照。

  • いつもエホバに近づきなさい
    ものみの塔 2013 | 1月15日
    • いつもエホバに近づきなさい

      「神に近づきなさい。そうすれば,神はあなた方に近づいてくださいます」。―ヤコ 4:8。

      説明できますか

      • どうすれば,コンピューターや電子機器,また健康問題によってエホバから引き離されないようにできますか

      • どうすれば,金銭に対する愛に抵抗できますか。また,誇りの気持ちを避けることができますか

      • どうすれば,エホバのそばにとどまれますか

      1,2. (イ)サタンにはどんな「謀りごと」がありますか。(ロ)神に近づくうえで,どうすることは助けになりますか。

      エホバ神は,ご自分に近づく必要のあるものとして人間を創造されました。しかしサタンは,人間にとってエホバは必要ではない,と考えさせたいと思っています。そして,エデンの園でエバを欺いて以来,そのことを人間に信じ込ませようとしてきました。(創 3:4-6)実際,多くの人たちが,人間に神は必要ではないと考えてきました。

      2 とはいえ,サタンのわなに陥る必要はありません。「わたしたちはその謀りごとを知らないわけではないのです」。(コリ二 2:11)サタンは,間違った選択をするよう働きかけて,わたしたちをエホバから遠ざけようとします。しかし前の記事で学んだように,仕事,娯楽,家族の問題について正しい選択をすることは可能です。この記事では,科学技術,健康,金銭,誇りをあるべき場所に保つなら,「神に近づ」くことができるという点を取り上げます。―ヤコ 4:8。

      科学技術

      3. 科学技術は益をもたらすことも,害をもたらすこともあります。例を挙げて説明してください。

      3 今は最新の電子機器が世界中で使われています。そうした道具は正しく使えば有用なものですが,使い方を誤ると,わたしたちと天の父の関係を妨げることがあります。例えばコンピューターがそうです。今読んでいるこの雑誌はコンピューターを使って書かれ,出版されました。コンピューターは調査やコミュニケーションの道具として利便性の高いものであり,時に楽しい遊び道具ともなります。しかし,人の心を虜にしてしまうこともあります。企業は巧みな宣伝により,最新機器は絶対に必要だと思い込ませます。一人の若者は,あるメーカーのタブレット型コンピューターが欲しくてたまらず,自分の片方の腎臓をひそかに売りました。なんと愚かな犠牲を払ったのでしょう。

      4. あるクリスチャンは,コンピューターの過度の使用という問題にどう対処しましたか。

      4 科学技術を誤用したり過剰に使用したりして,エホバとの親しい関係を犠牲にしてしまうのは,もっと悲惨なことです。20代後半のヨンというクリスチャンは,こう述べています。a 「霊的な事柄のために『よい時を買い取りなさい』という聖書の言葉は知っていました。でも,コンピューターに関して言えば,一番の敵は自分自身でした」。夜遅くまでコンピューターに向かっていることもしばしばだったようです。ヨンは言います。「疲れている時ほど,チャットや動画がやめられませんでした。中には不健全なものもありました」。では,この悪い習慣を断ち切るためヨンはどうしたでしょうか。就寝時間になると自動的にシャットダウンされる設定にしたのです。―エフェソス 5:15,16を読む。

      科学技術を賢明に用いるようお子さんを助けてください

      5,6. (イ)親には子どもに対するどんな務めがありますか。(ロ)子どもが良い友を持てるよう,親として何ができますか。

      5 親の皆さんは,子どものすることすべてに口出しする必要はありませんが,コンピューターをどう使っているかはきちんと見守る必要があります。親の都合で,子どもが不道徳なサイトや心霊術的なサイト,ウェブ上の暴力的なゲームや悪い交わりなどにかかわるのを放っておいてはなりません。放っておくと子どもたちは,「お父さんもお母さんも何も言わないから,きっと大丈夫なんだ」と考えるでしょう。親の皆さん,何によってもエホバから引き離されないようお子さんを守るのは親の務めです。それは子どもが十代になっても同じです。動物でさえ自分の子を危険から守ろうとします。子熊の命が脅かされた時に母熊がどうするかを想像してみてください。―ホセア 13:8と比較。

      6 お子さんが様々な年齢の模範的なクリスチャンと健全な交わりを持てるよう助けましょう。お子さんは,あなたと共に過ごす時間を必要としています。ですから,時間を作って子どもと笑い,遊び,働いてください。家族として「神に近づ」いてください。b

      健康

      7. どんな人も,健康でありたいと思うのはなぜですか。

      7 「お元気ですか」。ありふれた言葉ですが,そこには厳しい現実が反映されています。人間の最初の二親がサタンの言いなりになってエホバから引き離されたため,どんな人も病気から逃れられないのです。病気はサタンの目的達成に役立っています。なぜなら,病気になるとエホバに仕えることが難しくなり,死んでしまえば,それも全くできなくなるからです。(詩 115:17)ですから,健康に役立つことは何でもしたいと思うのは,自然なことです。c また,仲間の兄弟たちの健康と幸福を願うのはよいことです。

      8,9. (イ)健康に関して極端に走らないため,どのように注意できますか。(ロ)喜びを培うことには,どんな益がありますか。

      8 しかし,極端に走らないようにすることが大切です。神の王国の良いたより以上に,特定の食物,治療法,製品などを熱心に勧める人がいます。それが人助けになると誠実に考えてのことかもしれませんが,王国会館の集会前後に,あるいは大会会場で健康や美容に役立つものを宣伝するのは,正しいことではありません。なぜでしょうか。

      9 わたしたちが集会に集うのは,霊的な事柄について話し,神の聖霊の所産である喜びを増し加えるためです。(ガラ 5:22)だれかに頼まれたかどうかに関係なく,そうした場所で健康に関するアドバイスをしたり,ある製品を勧めたりするのは,霊的な目的にかなうことではありません。また,他の人から喜びを奪うことにもなります。(ロマ 14:17)健康に関する事柄をどう扱うかは,個人的に決定すべき問題です。それに,あらゆる病気を治すことのできる人はいません。名医と言われる人でさえ,年を取って病気になり,やがて死んでゆきます。また,健康について過度に思い煩っても,寿命は延ばせません。(ルカ 12:25)しかし,「喜びに満ちた心は治療薬として良く効き」ます。―箴 17:22。

      10. (イ)エホバにとって美しいのはどんな特質ですか。(ロ)完全な健康は,どうしたら得られますか。

      10 自分の外見に関心を持つのも,適切なことです。とはいえ,実際より若く見せようと躍起になる必要はありません。加齢のサインは,円熟性,威厳,内面の美しさを示す証拠となり得るのです。例えば,「白髪は,義の道に見いだされるとき,美の冠」となります。(箴 16:31)これがエホバの見方であり,その見方に倣うようにすべきです。(ペテロ第一 3:3,4を読む。)では,ただ外見を良くするために,危険な外科手術や治療を受けるのは,賢明なことでしょうか。「エホバの喜び」こそが,年齢や健康に関係なく内面から輝き出る真の美しさを生み出すのです。(ネヘ 8:10)新しい世にならなければ,完全な健康は得られず,みずみずしい美しさを取り戻すこともできません。(ヨブ 33:25。イザ 33:24)それまでは,エホバの約束に信仰を置き,健康に関して賢明な選択をする必要があります。そうすることは,健康を最大の関心事とせずに生活を楽しむための助けになります。―テモ一 4:8。

      金銭

      11. 金銭はどのように,わなになり得ますか。

      11 金銭は悪ではありません。正直に商売するのも間違ったことではありません。(伝 7:12。ルカ 19:12,13)しかし,「金銭に対する愛」を抱くなら,必ずエホバから離れてしまいます。(テモ一 6:9,10)「この事物の体制の思い煩い」,つまり生活必需品を得ることへの過度の関心は,わたしたちを霊的にふさぐことになりかねません。「富の欺きの力」,つまり富は永続的な幸福と安全をもたらすという誤った考えも同じです。(マタ 13:22)イエスは,「だれも」神と富とに仕えることはできない,とはっきり言われました。―マタ 6:24。

      12. 今,金銭の絡んだどんなわなが広まっていますか。どうすればそのわなを避けられますか。

      12 金銭に対する誤った見方は,悪い行ないにつながります。(箴 28:20)ある人たちは,すぐにお金が手に入るという約束に惑わされ,宝くじを買ったり,会衆の成員を引き込むことまでしてマルチ商法的な活動を推し進めたりしてきました。投資すれば夢のような高額配当が得られるという話にだまされた人もいます。しかし,貪欲になって欺かれてはなりません。分別を働かせましょう。話がうますぎると感じたなら,多分その感は当たっているのです。

      13. 金銭に関するエホバの見方は,世の見方とどのように異なっていますか。

      13 エホバはわたしたちが「王国と神の義」を第一にするとき,生活必需品を得ようとする平衡の取れた努力を祝福してくださいます。(マタ 6:33。エフェ 4:28)わたしたちが過労のため集会中に居眠りをしたり,王国会館にいる時にお金の心配をしたりすることをエホバは望まれません。しかし世界中の多くの人たちは,一生懸命に働いて稼がなければ先のことが不安で,老後の生活も保障されない,と考えています。子どもたちにも自分と同じ物質主義的な目標を押し付ける親は少なくありません。イエスは,それが道理をわきまえない考え方であることを示されました。(ルカ 12:15-21を読む。)それで思い起こすのは,ゲハジのことです。ゲハジは貪欲のままに行動しながら,エホバのみ前で良い立場を保てると考えていました。―王二 5:20-27。

      14,15. 経済体制に安全を求めるべきでないのはなぜですか。例を挙げてください。

      14 鷲の中には,捕まえた魚が大きくて運べないのに放そうとせず,溺れ死ぬものがいる,とのことです。クリスチャンにも同じようなことが起こるでしょうか。アレックスという長老は,「わたしは本来,シャンプーを少しでも出しすぎると容器に戻すような徹底した倹約家です」と言っています。ところがこの兄弟は株の売買を行なうようになります。近い将来に仕事をやめ,開拓奉仕を始められる,と思ったからです。それで株や市場レポートの研究に没頭するようになり,自分の蓄えや仲買人から借りたお金を使って,アナリストが急騰を予測していた株を買い付けました。ところが,株価は急落。アレックスはどう考えたでしょうか。「失ったお金を取り戻そうとしました。待っていれば株価はまた上がる,と思いました」。

      15 数か月というもの,ほかのことはほとんど考えられませんでした。霊的な事柄になかなか集中できず,眠れなくなりました。しかし株価は決して回復しませんでした。蓄えを失い,家を売ることを余儀なくされました。「家族には大変な苦労をかけました」と当人は述べています。しかし大切な教訓も学びました。こう言っています。「サタンの体制に信頼を置く人は,必ずひどい失望を味わうということが分かりました」。(箴 11:28)確かに,蓄えたお金,投資,この体制下でお金を稼ぐ能力に希望を託すのは,「この事物の体制の神」であるサタンに希望を置くことです。(コリ二 4:4。テモ一 6:17)アレックスはそれ以来,「良いたよりのために」生活を簡素化してきました。そうすることで,自分も家族もより幸福になり,エホバにいっそう近づけるようになった,とアレックスは言います。―マルコ 10:29,30を読む。

      誇り

      16. 良い誇りと悪い誇りは,どこが違いますか。

      16 正しい事柄に誇りを抱くのは良いことです。例えば,自分がエホバの証人であることは,常に誇りに思うべきです。(エレ 9:24)適度の自尊心があれば,良い決定ができ,道徳規準を下げずに済むでしょう。しかし,自分の意見や立場を重視しすぎると,エホバから遠ざかることになりかねません。―詩 138:6。ロマ 12:3。

      会衆での立場にこだわるよりも,宣教を楽しんでください

      17,18. (イ)聖書に出てくる,謙遜な人と高慢な人の例を挙げてください。(ロ)ある兄弟は,誇りの気持ちに負けてエホバから遠ざかることがないよう,どのように努力しましたか。

      17 聖書には,謙遜な人だけでなく,高慢な人のことも出てきます。ダビデ王は謙遜にエホバに導きを求め,エホバから祝福されました。(詩 131:1-3)しかしエホバは,ネブカドネザルとベルシャザルという高慢な二人の王を低められました。(ダニ 4:30-37; 5:22-30)謙遜さが試みられる状況は,今日でも生じます。奉仕の僕ライアンは32歳の時に会衆を移動しました。こう述べています。「すぐに長老に推薦されるものと思っていました。でも,何事もなく1年が過ぎました」。ライアンは,長老たちが敬意を払ってくれないのはおかしいと考えて憤慨したでしょうか。誇りの気持ちに負けてエホバやその民から遠ざかり,集会に出席するのをやめたでしょうか。あなたならどうしたと思いますか。

      18 ライアンは言います。「延期された期待に関する出版物中の資料を徹底的に調べました」。(箴 13:12)「辛抱強さと謙遜さについて学ぶ必要があると思いました。エホバに訓練していただくことが必要でした」。ライアンは自分のことを考えるのをやめ,会衆や野外で他の人たちに仕えることに注意を向けました。そのうち,進歩的な研究を数件司会するようになりました。こう言っています。「1年半後に長老に任命された時は驚きました。宣教が楽しくて仕方がなかったので,任命についてあれこれ考えなくなっていたのです」。―詩編 37:3,4を読む。

      エホバのそばにとどまる

      19,20. (イ)日常の事柄によってエホバから引き離されないよう,どうすることができますか。(ロ)エホバのそばにとどまったどんな人たちの手本に倣えますか。

      19 この記事とその前の記事で取り上げた事柄はどれも,生活の中で占めるべき場所があります。わたしたちはエホバの僕であることに誇りを抱いています。幸福な家族と健康は,エホバからのすばらしい祝福の一部です。そして,世俗の仕事と金銭は,わたしたちの必要を満たすうえで役立ちます。レクリエーションは気分をさわやかにすることができ,科学技術は有用なものとなり得ます。しかし,時と場所をわきまえず,極端に,あるいは崇拝の妨げとなるほどにそれらを追い求めるなら,自分をエホバから引き離してしまうおそれがあります。

      何によってもエホバから引き離されてはなりません!

      20 サタンはそうなることを望んでいます。しかし,あなたとご家族にそうした災いが生じないようにすることは可能です。(箴 22:3)エホバに近づき,エホバのそばにとどまってください。聖書には,その点で導きとなる多くの手本が含まれています。エノクもノアも「まことの神と共に歩」みました。(創 5:22; 6:9)モーセは「見えない方を見ているように終始確固としていた」と記されています。(ヘブ 11:27)イエスは天の父エホバに喜ばれることを常に行なったので,ずっと神に支えられていました。(ヨハ 8:29)そのような手本に倣ってください。「常に喜びなさい。絶えず祈りなさい。すべての事に感謝しなさい」。(テサ一 5:16-18)何によってもエホバから引き離されてはなりません!

      a 名前は変えてあります。

      b 「目ざめよ!」2011年10月号の「責任を担えるよう子どもを育てる」という特集を参照。

      c 「目ざめよ!」2011年3月号の「もっと健康に ― 五つのポイント」という特集を参照。

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