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  • 一生の目的を追い求む
    ものみの塔 1956 | 9月1日
    • 奉仕をしていますが,すぐ,真近に住んでいるように感じます。私たちの思いと心が,ヱホバとその御国に結ばれているとき,はなれている距離は,さして問題となりません。丁度,イエスがこのように仰言つた通りです。(マタイ 19:29)プエト・リコで会つた,それらの親たち,兄弟,子供たちをジャンにも会わせたいと思います。

      ジャン,どうか開拓者になりたいという希望を決して捨てないで下さいね。そして,ハルマゲドンまでまだ,10年又は15年の年月が許されるとしたなら,宣教者になりたいと思いませんか。『そうしますよ。』

      沢山の試練をうけ,ときには,親から離れて淋しくも感じ,また,頼りにする人も居なく,誤解され,深い心の痛手をうるときもあるかも知れません。しかし,このようなときこそ,ヱホバにより一層,近づくときです。ヱホバの御言葉に頼るときに,ヱホバは聖書のなかで,あなたに話しかけます。そして,その言葉に聞き従うとき,重荷から,とき放たれます。一生の正しい目的を追い求めていくとき,沢山の教訓を学び,喜びを味いますがそのように歩みつづけることをすすめるのは,私の愛の気持です。ほんとに,開拓宣教奉仕は,もつとも素晴らしい生き方,愛の道を学ぶ機会に満ちています。この道こそ,ヱホバの新しい世での永遠の生命に真直ぐ通じている公道です。

  • その27 1946年の国際大会
    ものみの塔 1956 | 9月1日
    • 広場,及び隣接の市講堂も,この大規模な大会のために使用されました。アメリカ国内の各地からは勿論のこと,アメリカ以外の32の国々から代表者が参集して,20の異つた国語で大会は進められました。最初の日の合計出席者数は5万名でした。最終日の日曜には,8万の聴衆がギッシリと場内を埋め,『平和の君』という講演をききました。これは,協会のノア会長によつて話されたものです。大会中の重要な出来ごととしては,聖書の手引『凡ての良い業に備えよ』,新しい雑誌『目ざめよ!』以前の『なぐさみ』及び新しい伝道の備え,『神を真とすべし』(いずれも英文)が発表されたことです。大会場から遠くないエリー湖で,2602名が洗礼をうけました。もう一つの永く記憶にのこる大切なことは,大規模な拡張計画の発表でした。ニューヨーク,ブルックリンのベテル本部の改築,117アダム街の印刷工場の大増築などの計画は,会長により公けにされました。また6ヵ国の支部事務所の拡張も明らかにされましたが,この4ヵ年の時日を要する400万ドルの拡張計画は,その日出席していた5万8000名の聴衆によつて歓喜の裡に迎えられました。

      このような大群衆が8日間も一緒に集つて,クリスチャン崇拝をするには,沢山の問題があります。その一つは,宿舎です。このクリーブランド大会は,よく計画された方法によつて運営され,それ以後開かれた全国大会や国際大会も,その方法が用いられています。大会の数週間前から,幾十人の全時間奉仕者は自発奉仕の招待をうけ,都合の良い開拓者はみなクリーブラントの都市に参集して,大会の準備の業をしました。これらの開拓者のほとんどは宿舎の部門で働き,会衆の伝道者と共に,家から家の訪問で宿舎を探したり,あるいは,ホテルを訪問し,大会出席者のために色々の値段の部屋を調べたりしました。そして証者たちが色々の希望を記入して,宿舎請求書を大会委員の許に送ると,ただちに割当ての宿舎を送りました。このようにして大会出席者の大部分は,充分前もつて,自分の宿舎を知ることができました。沢山の証者たちは都市の個人の宅に泊りましたが,この方法により,実に大規模な伝道がなされています。なぜなら,一般の人々は神からの言葉によつて心を変えた民の思考とか清い生活を目のあたりに見ることができるからです。これら宿舎に泊つた証者たちの親切さ,愛の思いやり,良い品行は,家の人々に深い印象を与え,多くの家の人も証者となつています。

      1937年にコロンボスで,1941年にセント・ルイスで開催された大会のときには,アメリカやカナダの多くの証者は,自分でテントを張るとか,またはトレーラー(移動居住車)によつて,大会中の時を過しました。クリーブランド大会のときにも,同じように,大きな『ヱホバの証者の居住車都市』が,クリーブランドの郊外に現出しました。大会期間中,宏大な広場が借用され,秩序正しく設計された小さな都市ができ上り,通りも作られました。また小さな場所が割当てられ,テントを張りトレーラーをとめておくためにも使われました。衛生,水道,10マイルに及ぶ電気のケーブル,建物等が,これら2万名の証者の臨時宿舎のために動員されました。交通整理も『都市』の運営も,550名の自発奉仕者の手によつて行われ,しかも,国の衛生法の規則に従つて,よく運営されました。居住者都市<トレーラーキャンプ>にとどまり,大会場まで行くことのできぬ人々の便宜を計つて,音響設備が取付けられ,大会の模様は,刻々と「都市」まで中継されました。

      幾千人の人々に1日3度の食事を供給することは,大きな仕事でした。簡易食事の方式で食事を供給することは,もつとも能率の良いことであると,アメリカ合衆国内で開催された全国大会の経験からよく判明していました。クリーブランド大会のとき,特別の合成樹脂<プラスチツク>の皿が考案され,いくつかの仕切りがついているこの皿のため,食事の供給は常に容易となりました。皿洗いのため特別に設計された機械が5台も製作され,この大会のときから使用されています。このように特別の皿を用いる簡易食事方式は,全世界の各地で証者の開催する大小の大会で使用されるようになつたのです。次から次へと入つてくる大会出席者は,食事をうけとる幾つかの列の一つに導かれます。そして,列が進むにつれて,皿や食器類をうけとり,自発奉仕者の手から,自分の希望する食事を皿の各仕切りの中にうけとります。食事をうけとつてから,つぎに会館またはテントに導かれ,そこに並んでいる腰の高さのテーブルの上に食物をおき,立ちながら食べます。数多くの国々からの白人も黒人も,若い人も年とつた人も,一緒に,食事を楽しく取り,おのおのの自分の国の野外活動の話や報告を話し合つたり,あるいは,いま行われている大会の色々の出来ごとを語り合つたりしました。数千の証者は,一つの大きな家族のように,仲良くみな微笑しており,各人の協力によつて,食事の列は円滑にすすみました。また食事は衛生的なもので,自発奉仕者により運営されている,驚くべき調理組織により,上手に料理されます。それらの食事の値段は,毎食一定されたものですが,開拓者には協会から無料の食事の切符が支給されています。(つづく)

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