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  • 不倫 ― その痛ましい結果
    目ざめよ! 1999 | 4月22日
    • 不倫 ― その痛ましい結果

      「もう家には帰らない」と,電話の声は言いました。それは,パットaが夫から言われた言葉の中でもおそらく最もむごいものだったでしょう。「夫に裏切られたことが信じられませんでした」とパットは言います。「いつも一番心配だったこと,つまり,夫がわたしを捨ててほかの女性のもとへ行ってしまうのではないかという心配が,恐ろしい現実となったのです」。

      パットという,この33歳の女性は結婚生活を成功させたいと心から願っていましたし,彼女の夫も,決して君を捨てたりしない,と言っていました。パットはこう語っています。「わたしたちはどんなことがあっても別れたりしないと誓い合いました。わたしはあの人がそうするつもりであることを信じて疑いませんでした。なのに,……あの人はわたしを捨てたのです。今のわたしは独りぼっちです。ネコ1匹,金魚1匹いません」。

      宏は母親の不倫が発覚した日のことが忘れられません。その時のことをこう述べています。「わたしはまだ11歳でした。母は家の中をものすごい勢いで歩き回りました。父は母のすぐ後ろで,『ちょっと待ってくれ。話し合おう』と言っていました。わたしは何かが狂って,どうしようもなくなってしまったことを感じました。父は打ちのめされてしまい,今でも完全には立ち直っていません。その上,父には自分の気持ちを打ち明ける相手がいませんでした。それで,父はわたしに救いを求めました。考えてもみてください。40代の男が11歳の息子に慰めと同情を求めたのです」。

      王室の人々や政治家や映画スターや宗教指導者をひどく狼狽させてきたスキャンダルであれ,個々の家庭における裏切りと涙であれ,不倫によってもたらされる悲劇は跡を絶ちません。新ブリタニカ百科事典(英語)は,「姦淫は結婚と同様,世界の至るところで見られるもの,場合によっては結婚と同じほど一般的なものであるようだ」と述べています。一部の研究者によれば,不倫を行なったことのある人は50%ないし75%に上るものと見られます。結婚について研究しているゼルダ・ウェストミーズは,発覚しない場合が多いとはいえ,「あらゆる証拠からして不倫は増加している」と言います。

      さまざまな感情がわき起こる

      不倫や離婚の統計データはショッキングなものですが,人々の日常生活にもたらされる影響の全容を明らかにしてはいません。非常に大きな金銭的問題が絡んでいることに加えて,そうしたデータに秘められている実にさまざまな感情 ― 大量に流された涙,計り知れない困惑,悲しみ,不安,耐え難いほどの苦しみ,家族が苦悩のあまり過ごした幾多の眠れぬ夜 ― を考えてみてください。被害者はその試練を乗り越えたとしても,心の傷を長い間引きずるようです。受けた傷や痛手はそう簡単に消え去るものではありません。

      「結婚が破綻に至ると,さまざまな感情が吹き出すものだ」と,「離婚を乗り越える方法」(英語)という本は説明しています。「そのため,時には物事がはっきりと見えなくなる恐れがある。何をすべきなのか。どう対応すべきなのか。一体どうしたら乗り越えられるのか。確信と疑念,怒りと罪悪感,信頼と猜疑の間で気持ちが揺れ動くかもしれない」。

      妻が不忠実になったことを知ったペドロは,まさにそうした経験をしました。「不倫が行なわれた場合,あれこれと交錯した感情に襲われます」と打ち明けています。打ちのめされたような感覚は,裏切られた当人にとってさえ理解しがたいものです。ましてや,事情のあまり分からない部外者に理解できないのも当然です。パットはこう訴えます。「わたしの気持ちを本当に分かってくれる人など一人もいません。夫が彼女と一緒にいると思うと,実際の痛みを,だれにも説明できないようなうずきを感じるんです」。パットはさらにこう説明しています。「時には気が狂いそうになります。ちゃんとやって行けるという気のする日があるかと思えば,その次の日には自信がなくなります。あの人がいなくて寂しい日があるかと思えば,その翌日には悪巧みとうそと屈辱を一つ残らず思い出すのです」。

      怒りと不安

      不倫による痛手を受けたある人は,「我慢できないような怒りに襲われる」ことを認めています。それは,犯された過ちと受けた痛手に対する単なる憤りではありません。むしろ,それはあるジャーナリストが説明しているように,「実現するはずだった事柄が台なしにされたことに対する憤慨」なのです。

      また一般に,自分を卑下する気持ちがわいたり,自分の至らなさを感じたりするものです。ペドロはこう打ち明けています。「『自分にはあまり魅力がないのだろうか。どこか欠けたところがあるのだろうか』などと考えます。自己分析して欠点を探しはじめます」。英国国立結婚指導会議のゼルダ・ウェストミーズは自著「愛し,敬い,裏切る」の中で次のことを認めています。「とりわけ対処しがたいのは……自尊心がほとんど打ち砕かれてしまうことである」。

      罪悪感とゆううつな気分

      これらの感情のすぐあとには,罪悪感が押し寄せるのが普通です。ある落胆しきった妻はこう言います。「女性は罪悪感にひどくさいなまれると思います。自分自身を責めて,『自分はどんな間違いをしたのだろう』と思うのです」。

      妻に裏切られたある夫は,本人の言うジェットコースターのような感情の別の面を説明して,「まるで悪天候に見舞われたように,ゆううつな気分を経験するようになる」と述べています。ある妻は,夫に捨てられて,泣かない日はなかったことを思い出し,こう述べています。「初めて丸一日泣かずに過ごせた日のことをよく覚えています。あの人が去ってから数週間もたっていました。初めて丸1週間泣かずに過ごせたのは数か月後のことです。泣かずに過ごせた日や週は,わたしが立ち直る上で里程標となりました」。

      二重の裏切り行為

      気づいていない人が多いのですが,姦淫を犯した人は配偶者に強烈なダブルパンチを与えている場合が少なくありません。どのようにしてでしょうか。パットの言葉はヒントになります。「わたしにとってはつらいことでした。あの人は夫であっただけでなく,長年つき合ってきた友人,それも最高の友人だったのです」。確かに,問題が生じると,妻は大抵,夫に頼ります。ところが,その夫が大きな痛手となる問題を引き起こしたばかりか,助けを差し伸べるという大いに必要な役割を果たしてくれなくなったのです。夫は,激しい苦痛をもたらすことと,妻の信頼している親友を奪うことを一挙に行なったのです。

      その結果として味わうことになる,裏切られ信頼を打ち砕かれたという深刻な気持ちほど,罪のない配偶者に打撃を与える感情はありません。ある結婚カウンセラーは,不倫がそれほどまでに感情的な痛手となる理由をこう説明しています。「人は結婚に自分自身,自分の希望,夢,期待の多くを賭ける。……本当に信頼できる人,いつも頼っていられそうな人を求めているのである。その信頼が急に取り去られるなら,トランプのカードで作った家が風で吹き飛ばされた時のようになってしまう」。

      「離婚を乗り越える方法」という本で述べられているように,不倫による痛手を受けた人が「激しく動揺する感情を整理するのに助けを必要としている」ことは明らかです。「どんな選択肢があり,どのように選択するかを見きわめる上で助けを必要としているかもしれ(ません)」。では,どんな選択肢があるのでしょうか。

      『和解すべきだろうか,それとも,離婚すべきだろうか』と思うかもしれません。特に,夫婦の間に緊張した関係が続いてきた場合は,離婚が問題を解決する方法だと急いで結論したくなることでしょう。『結局のところ,聖書は配偶者の不倫ゆえの離婚を認めているのだ』と考えるかもしれません。(マタイ 19:9)一方,聖書が離婚を強く求めているわけではないと考え,和解して,結婚関係を立て直し,強めるほうがよいと思うかもしれません。

      不忠実になった配偶者と離婚するかしないかは,個人で決定すべき事柄です。それでも,取るべき道はどうすれば分かるでしょうか。まず,和解が可能かどうかを見きわめる上で助けとなるような要素を幾つか検討してみてください。

      [脚注]

      a 名前は一部変えてあります。

  • 和解は可能ですか
    目ざめよ! 1999 | 4月22日
    • 和解は可能ですか

      「一時の感情に駆られて離婚訴訟を起こすのは簡単である。……とはいえ,本来は良い夫婦で,問題さえ解決されればうまく行くという結婚もたくさんあるはずだ」と,「危機にある夫婦」(英語)という本は述べています。

      この言葉はその昔,イエス・キリストが離婚について教えられたことと調和しています。イエスは,潔白な配偶者のほうが不倫を理由に離婚することは許されると言われましたが,どうしてもそうしなければならないと言われたわけではありません。(マタイ 19:3-9)忠実な配偶者のほうには結婚関係を存続させるよう努力する理由があるかもしれません。夫は過ちを犯したものの,今でも妻を愛しているかもしれません。a 思いやりのある夫,また献身的な父親として,きちんと家族の必要を満たしているかもしれません。忠実な配偶者のほうは,自分と子どもの必要を考えて,離婚ではなく和解することにするかもしれません。その場合,どんな要素を考慮することができるでしょうか。また,夫婦の関係を立て直すという難問にどうすれば首尾よく対処できるでしょうか。

      まず最初に,離婚するのも和解するのも易しくはないと言わねばなりません。さらに,間違いを犯した配偶者を許すだけでは,夫婦間の根底にある問題を解決することにはならないでしょう。多くの場合,たいへんな苦痛を伴う自己吟味を行ない,率直に話し合い,夫婦の関係を救うために一生懸命努力する必要があります。それほど多くの時間をかけたり努力を払ったりしなくても損なわれた夫婦の関係は立て直せる,と思っている夫婦は少なくありません。しかし,途中であきらめずに努力した結果,今では安定した結婚生活を送っている夫婦もたくさんあります。

      答えを出すべき幾つかの質問

      事情を把握した上で決定を下すために,忠実な配偶者のほうは自分の気持ちや自分の取り得る選択肢をはっきりさせる必要があります。次のような点を考慮することができるでしょう。彼は戻りたいと思っているだろうか。不倫な関係を完全に断ち切っただろうか,それとも,ぐずぐずしていて直ちに行動しないだろうか。自分の非を認めただろうか。認めたのであれば,自分のしたことを誠実に悔やみ,本当に悔い改めているだろうか。それとも,自分の過ちをわたしのせいにする傾向があるだろうか。精神的苦痛をもたらしたことを心から後悔しているだろうか。それとも,不倫の関係が発覚し,断たれたことで動揺しているにすぎないのだろうか。

      将来はどうだろうか。あの人は姦淫につながった態度や行動を改め始めただろうか。過ちを繰り返さないことを固く決意しているだろうか。それとも,異性とふざけたり,不適切な感情のきずなを結ぶ傾向がまだあるだろうか。(マタイ 5:27,28)全力を傾けて夫婦の関係を立て直そうとしているだろうか。そうであれば,そのために何をしているだろうか。これらの質問に対して前向きの答えが出せるなら,夫婦の関係の修復は可能だと考えてもよいでしょう。

      話し合いは不可欠

      「内密の話し合いのないところには計画のざ折があ(る)」と,聖書筆者は述べています。(箴言 15:22)潔白な配偶者のほうが不倫を行なった配偶者とそのことで話し合う必要を感じる場合は確かにそう言えます。事の詳細に立ち入る必要は必ずしもありませんが,率直に誠意を込めて話し合うなら,真相が明らかになり,誤解が解けるでしょう。そうすれば,誤解と以前からの恨みのゆえに夫婦の溝がますます深まるという事態を避けられるかもしれません。もちろん,そうした話し合いは夫にとっても妻にとってもつらいものとなるでしょう。しかし,それが信頼を回復する過程で重要であることに気づいた人は少なくありません。

      和解を成立させるのに欠かせないもう一つのステップは,夫婦の関係における問題点を見きわめるよう努力することです。夫婦双方がそれに取り組む必要があるかもしれません。ゼルダ・ウェストミーズはこうアドバイスしています。「つらい事柄について徹底的に話し合い,不道徳な関係は完全に終わったと判断し,それでも結婚生活を続けたいと思っている場合は,うまくいっていなかった点を解決し,夫婦の関係をやり直すことだ」。

      二人は互いを当たり前の存在と思っていたかもしれません。霊的な活動をないがしろにしていたかもしれません。一緒に過ごす時間が十分でなかったということもあるでしょう。配偶者が必要としていた愛や優しさ,褒め言葉,誉れなどを十分に与えてこなかったかもしれません。自分たちの目標や価値観を二人で一緒に評価し直すなら,夫婦の親密さは大いに増し,今後不忠実にならないようにすることができます。

      許すことに努める

      誠実に努力したとしても,傷つけられた配偶者にとって夫を許すのは容易なことではないかもしれません。ましてや相手の女性を許すのは難しいことでしょう。(エフェソス 4:32)しかし,恨みつらみをしだいに忘れるようにすることは可能です。「忠実なほうの配偶者は,先に進まねばならない時が来ることを認める必要がある」と,ある参考資料はアドバイスしています。「言い争いをするたびにきまって相手の過去の罪を持ち出して[相手を]やりこめることがないようにするのは大切だ」。

      強い恨みの気持ちを忘れ去るよう努力することによって,ついには,罪を犯した相手に対する敵意を感じなくなったことに気づいた人も少なくありません。そうすることは夫婦の関係を立て直す上で不可欠なステップです。

      再び信頼することを学ぶ

      ある妻はひどく動揺し,「わたしたちは以前のような信頼感を取り戻せるだろうか」と悩みました。心配するのも当然です。姦淫を犯した配偶者に欺かれたため,信頼を打ち壊された ― あるいは,少なくともひどく損なわれた ― からです。信頼は高価な花瓶と同じで,壊すのは簡単ですが,元通りにするのはたいへんです。関係を維持するだけでなく深めるには,互いに対する信頼と敬意がどうしても必要なのです。

      そのためには多くの場合,再び信頼することを学ぶ必要もあります。過ちを犯した配偶者は,自分を信頼するよう無神経に求めるのではなく,自分の活動について何一つ隠し事をせず,正直であるようにすれば,信頼を回復するのに役立つでしょう。クリスチャンは互いに対して,『偽りを捨て去り,真実を語る』よう勧められています。(エフェソス 4:25)信頼を取り戻すために,最初は「[配偶者]に自分の行動の予定を正確に知らせる」ことだと,ゼルダ・ウェストミーズは言います。「自分がどこに行くか,いつ戻るかを[配偶者]に告げ,いると言った場所にいるようにしなさい」。計画が変更になれば,その都度知らせるようにしましょう。

      自尊心を回復するには時間と努力が必要かもしれません。過ちを犯した配偶者のほうは愛情と褒め言葉を惜しまず,自分が感謝していることや愛していることを妻にたびたび話すことによって,妻を助けることができます。高く評価されているある結婚カウンセラーはこう忠告しています。「彼女をその行なう事柄すべてのゆえに称賛せよ」。(箴言 31:31,「今日の英語訳」)妻のほうも,生活の中で自分が上手に行なえている事柄をもっぱら考えるようにして,自信の回復に努めることができます。

      時間がかかる

      不倫のもたらす苦痛の激しさを考えれば,そのときのことが何年かたった後でさえ鮮明に思い出され,つらく感じることがあるのも不思議ではありません。しかし,傷が徐々に癒える過程で,二人がどちらも謙遜,辛抱,忍耐を示すなら,信頼や敬意の回復に役立ちます。―ローマ 5:3,4。ペテロ第一 3:8,9。

      「ひどい苦痛は最初の数か月間続くだけである」と,「愛し,敬い,裏切る」(英語)という本は請け合っています。「[それは]やがて消えてゆく。……やがて,そのことを考えずに数日,数週間,数か月,また数年も過ごせるようになる」。結婚生活において聖書の原則を当てはめつづけ,神の祝福と導きを求めるなら,「一切の考えに勝る神の平和」のもたらす慰めを必ず経験できます。―フィリピ 4:4-7,9。

      ペドロはこう書いています。「振り返ってみると,この経験によってわたしたちの生き方は変わってしまいました。今でも夫婦の関係を幾らか修復しなければならないことが時々あります。しかし,わたしたちは苦しい試練を乗り越えました。わたしたちは今でも夫婦です。そして,幸福に暮らしています」。

      では,潔白な配偶者の側に,不忠実になった相手を許す理由がない場合はどうでしょうか。また,配偶者を許している(恨みを忘れるところまで)ものの,もっともな理由があって聖書的な離婚を選ぶ場合はどうでしょうか。b 離婚によって個々の人にはどんなことが必要になるかもしれませんか。離婚に関係するさまざまな要素と,それに対処してきた人たちの経験を考慮するようお勧めします。

      [脚注]

      a 話を簡単にするために,この一連の記事では全般的に,忠実な配偶者のほうを妻としますが,論じられている原則は夫が潔白で妻が不忠実な場合にも当てはまります。

      b 「目ざめよ!」誌,1995年8月8日号,「聖書の見方: 姦淫 ― 許すべきか,許すべきではないか」という記事をご覧ください。

      [6ページの囲み記事]

      価値ある支え

      さまざまな要素が考えられるので,経験豊富で平衡の取れた考え方ができるカウンセラーの援助を求めるのは有益かもしれません。エホバの証人であれば,親切で同情心に富む会衆の長老たちに近づくことができます。―ヤコブ 5:13-15。

      カウンセラーや友人や親族に勧められているのは,個人の意見を押し付けたり,聖書的な根拠に基づく離婚あるいは和解のいずれかを擁護したりとがめたりしないことです。離婚を経験したあるクリスチャン女性はこう言っています。「さまざまな支えを与えてくださるだけでよいのです。何をすべきかは自分で決めさせてください」。

      助言はあくまでも聖書に基づいたものであるべきです。「あなたはこんなふうに感じるべきだとか,こんなふうに感じるべきではないなどと言ってはなりません」と,離婚した女性は述べています。「むしろ,心にあるものを語らせてあげてください」。思いやりや兄弟の愛情,優しい同情心を示すなら,配偶者に裏切られた人が負った深い傷は和らげられるでしょう。(ペテロ第一 3:8)ひとりの経験豊かなカウンセラーはこう書き記しています。「剣で突き刺すかのように無思慮に話す者がいる。しかし,賢い者たちの舌は人をいやす」― 箴言 12:18。

      ある忠実な夫は自分の経験を振り返ってこう述べています。「わたしは理解や慰めの言葉や励ましを必要としていました。また,妻は具体的な指示や,自分が払っている努力に対する褒め言葉を非常に欲しがりました。そうしたはっきりした形の支えが,妻にとって続けていく助けになったのです」。

      ある人が慎重な態度で祈りのうちに熟考した末,聖書的な理由で離婚あるいは別居をすることにした場合は,その人に罪悪感を抱かせるような仕方で助言を与えるべきではありません。むしろ,抱く理由のない罪悪感を克服するよう助けることができます。

      配偶者に裏切られたある人はこう述べています。「実りのある仕方で慰めたいのであれば,そこに人間の奥深い感情が関係していることを忘れてはなりません」。

      [7ページの囲み記事]

      一緒に暮らし続ける人もいるのはなぜか

      悔い改めずに姦淫を犯す夫と一緒に暮らす以外,妻に残されている道はほとんどないという地域は少なくありません。例えば,紛争地域や低所得地域に住む,妻の立場にあるクリスチャンの中には,不忠実な夫と一緒に暮らしてきた人もいます。そうした夫は,信者ではないものの,他の点では引き続き家族を顧みています。結果として,家族の者は住まいや必要な保護,安定した収入,不忠実であるとはいえ夫のいる比較的に安定した家庭というものを得ています。夫のもとに留まるのは好ましいことでもたやすいことでもないが,特殊な状況下では,そうするほうが自分一人で奮闘するよりも生活面で物事を有利に運べる,と考えたのです。

      そうした状況に耐え,時には何年も後になってついに,夫がそれまでの歩みを改め,忠実で愛あるクリスチャンの夫となるのを見るという喜ばしい経験をした妻たちもいます。―コリント第一 7:12-16と比較してください。

      ですから,配偶者のもとに留まることを選ぶ人たちを ― たとえその配偶者が悔い改めない場合でも ― 批判すべきではありません。それらの人たちはだれも下したくないような決定を下さなければならなかったのですから,何であれ必要な助けや支持を与えられるべきです。

      [8ページの囲み記事]

      だれに責任があるか

      もちろん,潔白な配偶者の側の不完全さが夫婦の関係を緊張させる一因となった場合もあるでしょう。しかし,聖書はこう述べています。「おのおの自分の欲望に引き出されて誘われることにより試練を受けるのです。次いで欲望は,はらんだときに,罪を産みます」。(ヤコブ 1:14,15)さまざまな要因が考えられますが,人が姦淫を犯す原因となっているのはおもに「自分の欲望」です。結婚生活における問題の原因が配偶者の欠点にあるのであれば,姦淫を犯しても問題を解決することにはならないはずです。―ヘブライ 13:4。

      むしろ,結婚生活の諸問題は,夫婦双方が聖書の原則を当てはめるようたゆまず励むことによって解決できます。それには,「互いに忍び,互いに惜しみなく許し合(う)」ことが関係しています。また,「優しい同情心,親切,へりくだった思い,温和,そして辛抱強さ」などの特質を示しつづけることも必要です。最も大切なのは,「愛を身に着け(る)」ことです。「それは結合の完全なきずななのです」。―コロサイ 3:12-15。

      [7ページの写真]

      互いに相手の言い分を注意深く聞くことは夫婦が結婚関係を立て直すのに役立つ

  • 離婚という選択肢
    目ざめよ! 1999 | 4月22日
    • 離婚という選択肢

      「配偶者に先立たれた場合であれば,たとえこちらが最良の伴侶ではなかったとしても,人は理解を示してくれます。でも,夫に捨てられた場合は,こちらの努力が足りなかったと思う人もいます。お願いです,どうか助けてください!」―南アフリカに住む,「目ざめよ!」誌の一読者。

      不倫と離婚によってもたらされる心の傷は非常に深いものです。さまざまな理由から配偶者と和解して結婚関係を維持する人は少なくありませんが,正当な理由に基づいて,姦淫を犯した配偶者と離婚するという神から与えられた選択肢を取る人もいます。(マタイ 5:32; 19:9)例えば,忠実な妻とその子どもたちの安全,霊性,全般的な福祉が脅かされているかもしれません。妻にとっては性感染症をうつされることも心配かもしれません。また,配偶者が過ちを犯したことは許していても,以前のように心から信頼することや,その人の妻として共に暮らしていくことは,実情からしてできそうにない場合もあります。

      ある妻はひどく動揺しながら,「これまで,こんなに難しい決定をしたことはありません」と述べました。確かに,難しい決定です。裏切られて深い痛手を負っているだけでなく,離婚によって生活全体に影響が及ぶからです。ですから,妻が不忠実な配偶者と離婚するかどうかは,本人の決めるべき事柄です。他の人は,潔白な配偶者の側の,そうした決定を下す聖書的な権利を尊重すべきです。

      しかし悲惨なことに,あらゆる事情をしっかり考慮しないで,性急に離婚してしまう人は少なくありません。(ルカ 14:28と比較してください。)離婚という選択肢にはどんな要素が関係しているのでしょうか。

      子どもがいる場合

      「親は自分自身の問題に気をとられて,子どもの必要を忘れたり,無視したりすることが多い」と,「危機にある夫婦」という本は述べています。ですから,離婚を考えている場合は,お子さんの霊性や福祉を念頭に置いてください。幾人もの研究者が,離婚をなるべく平和的に成立させることができれば,それだけ子どもたちの苦しみは少なくなるだろうと述べています。難しい状況下でも,温和であれば,『争うのではなく,すべての人に対して穏やかで,苦境のもとでも自分を制する』ことができます。―テモテ第二 2:24,25。a

      離婚を選ぶ場合,離婚するのは夫と妻であって子どもたちではない,ということに留意するべきです。子どもたちは依然として父親と母親の両方を必要としています。もちろん,子どもが虐待を受ける恐れがあるというような極端な状況もあることでしょう。しかし,宗教が違うから,あるいはお互いの意見が合わないからという理由で,親が両方ともいることの利点を子どもたちから奪い去るべきではありません。

      また,幼い子どもは傷つきやすく,安心感や愛情を十分に必要としていることも考慮に入れなければなりません。「このように引き続き愛を示されている子どもには,新しい状況に対処する背景や素地ができる」と,ある本は述べています。さらに,子どもたちの日ごとの霊的必要に注意を払うなら,安定性を保つよう子どもたちを助けることができます。―申命記 6:6,7。マタイ 4:4。

      経済的な問題および訴訟手続き

      離婚すれば,当事者双方が収入,財産,快適さなどをある程度失うことは避けられません。非常に愛着のある家を失う可能性もあります。増えた支出を減った収入でまかなわなければならないということもあるので,金銭的な優先順位にしたがって現実を見据えた予算を立てるのは賢明なことです。喪失感や心の傷を埋め合わせたいという衝動にかられて無駄遣いや借金をすることがないようにすべきです。

      離婚ということになると,相手と話し合って共同の預金口座をどうするかを決める必要もあります。例えば,共同預金口座にある蓄えが誤用されないようにするため,二人がそれぞれ自分の口座を持つまで,預金引き出しの際は両方のサインを求めるよう,銀行側にお願いするのが賢明かもしれません。

      生活費の支払いに関する話し合いに備えて,収入と支出の正確な記録をつけておくのも賢明なことです。また,多くの国では,状況の変化を税務当局に知らせることが法律で義務づけられています。

      さらに,ほとんどの場合は,特に離婚訴訟を扱った経験のある法律家に相談することから益が得られます。夫婦が互いに満足のゆく平和的な合意に達するよう歩み寄るために仲裁人や調停者の援助を受けることができ,得られた合意を裁判所に承認してもらうようになっている国もあります。特に,子どもたちが関係している場合,穏健な法律家に助けてもらうほうがよいと考える親は少なくありません。何がなんでも勝つことではなく,争いや苦痛を最小限にすることを目指しているからです。物質的なものが幾らか勝ち取れても,それを得るために感情的また金銭的な犠牲を払わなければならないなら,何にもなりません。

      関係の変化

      「多くの人が離婚した友人に対して抱く気まずさや疑いの気持ちを過小評価すべきではない」と,ある研究者は述べています。忠実な配偶者のほうが法的,道徳的,聖書的な権利の枠内で行動している場合でさえ,結婚が破綻した原因はその人にあると考える人がいることでしょう。そして,冷ややかな挨拶からはっきりと避ける態度まで,その反応も様々かもしれません。おまけに,以前親しい間柄だった人たちまで憎しみを露骨に示すかもしれません。

      離婚を経験する人がどれほど多くの支えを必要とするかを全く理解していない人も少なくありません。そのような人たちは,簡単な手紙かカードで十分だと思っているかもしれません。しかしたいていは,「こちらの気持ちをちゃんと察してくれる」友人がいて,「どこかに同行してほしいか,何かをしてほしいか,それとも少しおしゃべりをしたいかなどを尋ねにきてくれる」ものだ,と「離婚と別居」(英語)という本は述べています。確かに,人生のそうした時こそ,聖書の言う,「兄弟より固く付く友人」が必要なのです。―箴言 18:24。

      立ち直るよう努力する

      ある母親は離婚して16年になりますが,「周りに人がいる場合でも,いまだにたまらなく寂しくなる時がある」ことを認めています。では,どのように対処しているのでしょうか。この女性はそれまでのことを振り返って,こう述べています。「仕事や息子の世話や家の管理などでいつも忙しくしていることによって,一種の防衛線を張ってきました。エホバの証人の集会に出席し,自分の信じていることを近所の人たちにも伝え,他の人のために何かをするといったことも始めました。それは大きな助けになりました」。

      1年のうち,ある特定の日や時刻になると,つらい思い出や感情がよみがえってくるかもしれません。不倫が発覚した日,夫が家を出ていった時,裁判の開かれた日などは,そうでしょう。休暇や結婚記念日など,夫婦で一緒に過ごすことにしていた楽しい行事の場合は,どうしようもない感情に襲われるかもしれません。「そのような日には,わたしの境遇を知っている家族や親しい友人と一緒に過ごすようにしています」と,パットは言います。「過去に対するさまざまな思いを相殺するようなことをして,新しい思い出を作ります。でも,一番の助けはエホバとの関係です。エホバがわたしの気持ちを理解してくださるということを知っていることです」。

      気落ちしてはならない

      潔白な配偶者のほうは,聖書の原則をあてはめ,姦淫を犯した配偶者を離婚するという神から与えられた権利を行使する道を選んだ場合,罪悪感を抱いたり,自分がエホバから見捨てられたのではないかと心配したりする必要はありません。神が憎まれるのは,姦淫を犯した配偶者の裏切り行為です。それは「泣き悲しみや嘆息」をもたらしてきました。(マラキ 2:13-16)「優しい同情」の神であられるエホバも,愛する人に拒絶された時にどんな気持ちになるかを知っておられます。(ルカ 1:78。エレミヤ 3:1; 31:31,32)ですから,安心してください。「エホバは公正を愛される方であり,その忠節な者たちを捨てられない」のです。―詩編 37:28。

      もちろん,不倫とその悲劇的な結果を最初から避けることができるなら,それに越したことはありません。家族生活の実用的な手引きである,「幸せな家庭を築く秘訣」b と題する本は,幸福な結婚生活を築き,不倫を避けるよう世界中の多くの人を助けています。その中の幾つかの章では,幸福な結婚生活を築くこと,子どもの訓練,結婚生活の諸問題に対処することなどが扱われています。ご近所のエホバの証人か本誌の発行者にお尋ねくだされば,この問題に関する詳しい情報をよろこんでお知らせします。

      [脚注]

      a 「目ざめよ!」誌,1997年12月8日号の,「親権 ― 平衡の取れた見方とは?」というシリーズや,1991年4月22日号の,「離婚家庭の子どもたちを助ける」という記事も,この点を詳しく取り上げています。

      b ものみの塔聖書冊子協会発行。

      [10ページの囲み記事]

      離婚は子どものためにならない

      故ダイアナ元皇太子妃は1988年に,英国だけでも毎日420人もの子どもが親の離婚を経験していると述べました。その子どもたちの3分の1は5歳未満です。痛ましいことですが,両親の離婚後に片親との接触を失ってしまう子どもは40%に上ります。

      多くの人が考えるのとは異なり,「両親が離婚して別れるのを歓迎する子どもはほとんどいない」と,高く評価されている,健康と医療に関する著述家は述べています。「子どもたちの大多数は,たとえ家庭の雰囲気が険悪なものであっても,両親が一緒にいることを望む」。不倫が露見し,夫婦の間でかなりの言い争いが生じても,結婚に終止符を打つことが子どものためになると早急に結論すべきではありません。態度や行ないを変化させるならば,家族全体の益のために夫婦として暮らしていくことができるかもしれません。

      「浮気な夫たちは,自らの愚行によって家庭が崩壊するときに,我が子の目に浮かぶであろう苦悩を考えるべきである」と,著作家のパメラ・ウィンフィールドは述べています。

      [11ページの囲み記事]

      神はすべての離婚を憎まれますか

      「わたしがとても悩んだのは,『エホバは離婚を憎まれる』ということでした。『自分はエホバの喜ばれることをしているのだろうか』という疑問がいつも心の奥にありました」と,パットは言います。

      その疑問に対する答えを得るために,マラキ 2章16節の文脈を見てみましょう。マラキの時代,イスラエルの男性の中には妻を離婚する人が大勢いました。もっと若い異教徒の女性と結婚するためだったのでしょう。神はこのずるい不実な行ないを非とされました。(マラキ 2:13-16)ですから,神が憎まれるのは,不真面目にも他の人と結婚するために配偶者を去らせることです。配偶者をあざむいて姦淫を犯し,そののち自分から離婚したり,自分と離婚するよう配偶者に圧力をかけたりする者は,不実で憎むべき罪を犯したことになります。

      しかし,これらの節は離婚をすべて非としているわけではありません。このことは,イエスの次の言葉からも分かります。「だれでも,淫行以外の理由で妻を離婚して別の女と結婚する者は,姦淫を犯すのです」。(マタイ 19:9)イエスはここで,淫行が聖書的な離婚の根拠になること,しかも再婚することが許される唯一の根拠になることを認めておられます。潔白な配偶者のほうが過ちを犯した相手を許すことにする場合もあります。とはいえ,イエスの言葉を根拠に,姦淫を犯した配偶者と離婚することを選ぶとしても,エホバの憎まれることを行なっているわけではありません。神が憎まれるのは不忠実な配偶者による欺きに満ちた行ないのほうなのです。

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      潔白な配偶者とその子どもたちは愛ある支えから益を得る

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