ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 宣 71/6 3–4ページ
  • “心”と“心臓”

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • “心”と“心臓”
  • 王国奉仕 1971
王国奉仕 1971
宣 71/6 3–4ページ

“心”と“心臓”

1 一般に,また日本語の聖書の中で用いられている“心”ということばは,たいへん広い意味を持っており,その意味は胸郭内部の臓器としての心臓とその働きに限られてはいません。この理由で,わたしたちの翻訳者たちは“心”ということばを避け,もっぱら“心臓”ということばだけを用いるよう努めてきました。と同時に,わたしたちすべても文字どおりの心臓に注意を集中することにより有益な理解を得てきました。今回,この問題を扱った非常にすぐれた記事が6月15日号の「ものみの塔」誌に掲載されます。しかし,再び“心”という訳語が多くの箇所で用いられていることに気づかれるでしょう。これはなぜですか。

2 「ものみの塔」誌のその記事はこう述べています。「聖書の中で“心”ということばは,わずかな例外を除けば,……人間の心臓の働きに限って用いられています」。多くの聖句において“心臓”ということばが不自然に響き,“心”のほうが適切な理由がこれでわかります。なぜなら,“心臓”ということばでは,心臓という臓器の働きを十分に言い表わすことができないからです。この点と一致して,わたしたちの翻訳者たちはこれから“心”ということばを用いますが,その用法は文字どおりの“心臓”の感情面の働きに限るものとします。協会の出版物に“心”ということばが出てくる場合,それは常に心臓の機能をさします。

3 “心”という字は実際には“心臓”と関係があります。それは漢字そのものから,またはその象形からわかります。同様に,協会の出版物の中では,文字どおりの“心臓”に発する働きもしくは感情をさす場合にのみ“心”ということばを用います。ですが,わたしたちがなによりも心臓とそこから発する感情を守らねばならないという考えには少しも変わりがありません。(箴言 4:23)“心”ということばを使う時にはいつでも次のことを考えてみてください。この場合,文字どおりの“心臓”から出てくる感情のことをさしているのだろうか。そうであるなら,それは聖書的な用法,つまり「ものみの塔」の出版物と同様に,限られた意味でそのことばを用いていることになります。しかし,それより広い意味で,心臓の全く関係していないところで“心”をむやみに使わないようにしたいものです。

4 常に臓器としての心臓に関連している“心”とは対照的に,“思い”は,頭脳の働きに関して用いられます。この2つのことばの相違は日本語の新世界訳聖書がやがてはっきりと示してくれるでしょう。それまでは,日本語で聖句を引用する場合,英語の新世界訳聖書の中で“心”(heart)と“思い”(mind)のどちらが使われているかを確かめてから,“心”にするか“思い”にするかを決めることができます。現在用いられている日本語訳の聖書は“心”と“思い”を新世界訳聖書(英文)ほど厳密に区別してはいません。次の聖句をはじめ他の聖句に出てくる“心”は,新世界訳では“思い”となっています。ロマ 12:2,コリント後 4:4,エペソ 4:23,ペテロ前 1:13。“霊”(spirit)あるいは“魂”(soul)となるべきところが,日本語聖書では“心”となっている場合すらあります。(マタイ 26:41,テサロニケ前 5:23)

5 さらに,翻訳者たちは上記の事柄と一致して,「神の御意(みこころ)」のかわりに「神の意志」または「神のご意志」という表現を使います。

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする