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  • 恩恵と憐憫とにつき添われて
    ものみの塔 1972 | 6月15日
    • は身におぼえがあることを認めました。そしてレコードを弁償するよう命令され,1年の執行猶予を言い渡されました。このことに当惑した彼の教会は同司祭をその地域から移転させました。

      それでも反対はやみませんでした。次の日曜日,サドベリのオレリーという司祭が自分の教会でエホバの証人のことについて話し,「脊骨が折れてもいいから石段からけ落しなさい」と教区民に言いました。私たちは多数のカトリック教徒から,その憎しみで「教会は二つに分裂した」ということを聞かされました。心の正しい人々は暴力に賛成しなかったのです。オレリー司祭はどうなったでしょうか。彼は職を解かれ,地方新聞の報道によると神経障害で海の旅に出されたということでした。

      またもや禁止令

      1940年には主人は地帯のしもべとして,エホバの証人たちを励まし彼らの霊性を高めるために,旅行してあちこちの会衆を訪問していました。そしてその年の7月4日,カナダ全土の証人のわざは,オタワのカトリック教徒の法相によって禁止されました。警察が私たちの聖書関係の書籍を探し出して破壊しようとしていることを私たちは知りました。ひとりの証人がハワードに耳うちしました。「書籍と聖書の荷が大量に今駅に着きました。荷物係りはとても友好的です。もし私たちがきょうの正午までに駅から運び出すなら,警察にとどけなくてもいいのだそうです。隅のほうに防水帆布をかけてかくしてあります」。

      ハワードと私はすぐにパネル・トラックでその証人といっしょに書籍を取りに行きました。私たちは大急ぎでトラックにいっぱい荷をつめこみ,いなかに乗り入れました。しかしそれからどうすればよいでしょうか。証人たちはみなよく知られていますから,彼らの家は捜索される恐れがあります。ところがある証人に農場に住む姉妹がありました。しかし,神に献身していない人に書籍をあずけることができるでしょうか。おまけにその人のご主人はアルコール中毒です。

      しかしほかに方法がありません。婦人はあいそうのいい人で,私たちが地下室に箱を置くことを許してくれました。それでトラックを家のほうにバックさせ,箱を降しました。近所の人たちは,アルコール中毒のご主人が,冬中飲む酒を仕入れたのだくらいに考えていました。その聖書の出版物は禁止が解かれるまでそこで安全に保管され,再び神の王国の良いたよりを広く伝えるのに用いられました。

      ケベック州へもどる

      法人組織になっていなかったエホバの証人の協会に課された禁止令が1943年10月に解かれてから,私たちはケベック州にもどりました。この州では,エホバの証人は,1944年から1946年まで,毎日のように逮捕され,暴徒の襲撃に会い,告訴され,いやがらせをされていました。そこでものみの塔協会は,エホバの民に対するこの山なす不法を検討したすえ,「神とキリストと自由に対するケベック州の激しい憎しみは全カナダの恥辱である」と題するちらしを発行しました。それはケベック政府とその僧職者の支配者たちとの仮面をはぐものでした。ケベック州の首相モーリス・ジュプレシスは,「エホバの証人に対する仮借なき戦い」を呼びかけました。

      そのちらしは昼夜を問わず配布されました。私たちは冬いなかの冷い雪の上を,多くの場合,警官に激しく追跡されながら,飛ぶように走りまわりました。証人たちは1台の自動車にちらしをいっぱい持って乗り込み,めざす村に急行し,おのおの割り当てられた家に走って行ってちらしを配り,また急いで自動車にもどって,さっと姿を消しました。警官がその村を捜索しているあいだに私はもう別の村でちらしを配っていました。

      誹毀罪事件の裁判は1950年までだらだらとつづきましたが,その年に最高裁は,「激しい憎しみ」のちらしは扇動的ではないとの決定を下しました。それで,私たちに対するものをも含めて,誹毀罪の訴えは却下されました。

      1951年,ハワードと私はニュー・ブルンスウィックにもどり,私は過去20年の大部分をそこで奉仕しました。忠実だった私の伴侶ハワードは,38年ともに全時間奉仕をしたあと,1967年に死亡しました。彼は常にあわてず騒がず,いつも陽気で,問題に直面してはまちがいなく勇気を示しました。

      淋しさに耐えるのはつらいことでしたが,クリスチャンの兄弟たちは親切でよく助けてくださり,私はエホバへの奉仕を忙しくつづけました。それはひとつの祝福でした。エホバは私の心を慰めてくださいました。

      今は髪の毛も白くなり,71歳では歩きかたものろくなりました。しかし,なんという幸福な,報いの多い生涯だったのでしょう。エホバはあわれみ深くも,私が愛した仕事を今もつづけることを許して,私の生涯の最後を飾ってくださいました。私は子どものときに選んだ賢明な道を,いっときといえども後悔したことはありません。私はエホバを堅く信頼し,ダビデのことばに和して,「わが世にあらん限りはかならず恩恵と憐憫とわれにそひきたらん」と,感謝の意を表わすことができます。―詩 23:6。

  • 性道徳を守ることには意義がありますか
    ものみの塔 1972 | 6月15日
    • 性道徳を守ることには意義がありますか

      若い人々が知りたいと願っている有益な事実

      結婚外の性関係には意義があると考える人が今日少なくありません。その中でも若い人々が目立つようになっています。

      道徳規準を固く守り,そうした考えをまったく受け付けない人々は,いくらかあわれみを持って見られたり,あるいは,旧式な人間,いくじなし,うぶ,世間しらずなどと軽蔑されることさえ少なくありません。しかしほんとにそう言えるでしょうか。事実は何を示していますか。

      “新しい道徳”はほんとうに新しいか

      実際,性の放縦はなにもこと新しい,あるいは“現代的”なものではありません。それは非常に長い間行なわれて来たものです。イエスが誕生する2,000年前,ソドムとゴモラの人々は放縦な性行為をならわしにしていました。古代ローマ帝国の歴史を読むと,同帝国が今日行なわれているあらゆる種類の性の放縦で有名であったことがわかります。事実,ローマ帝国崩壊のおもな原因は道徳の退廃でした。

      では,今日のいわゆる“新しい道徳”に実際何らかの新しいところがあると考える理由がありますか。それは古いものとなんら変わるところはありません。変わっているのは,現在は,非常に広範に及び,クリスチャンを装う国々でたいへん顕著になっているという点だけです。

      この問題に関してあなたは,現在の“性の解放”の波は,結婚外の関係で妊娠する恐れを除くと思われる避妊用具の発達の結果生じたと述べている記事を読んだことがあるかもしれません。あるいは,性病を退治する医学が進歩したことが性の“解放”を促進したという記事を読んだことがあるかもしれません。そうした説明に同調しないなら,うぶな人間ということになりますか。この点については,どんな事実がありますか。

      現在はかつてないほど不本意な妊娠が多いというのが実情です。私生子の数は着実にふえ

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