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エホバは備えられるものみの塔 1970 | 10月1日
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ほかにあるでしょうか。わたしたちは,“大かん難”の後の,次の段階を待ち望んでいます。その時,キリストの千年統治によって保障される平和と幸福な状態の下で,エホバはご自分のしもべたちに新しい仕事を与えてくださることでしょう。―マタイ 24:21。
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『すべての国の人々を弟子とする』ものみの塔 1970 | 10月1日
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『すべての国の人々を弟子とする』
エホバの証人の1970年度年鑑より
ブラジル
人口: 92,200,000人
伝道者最高数: 57,641人
比率: 1,600人に1人
1969奉仕年度はブラジルのエホバの証人にとって,長く記憶に残る年となることでしょう。それには多くの理由がありますが,おもな理由の一つとして,サンパウロに建てられた新しいりっぱなベテルの家の献堂式と,支部事務所がリオデジャネイロからこの新館に移転したことがあげられます。支部のこの新しい所在地は,ブラジルにおけるエホバの証人の仕事を遂行するのにすぐれた場所であることがはっきりと示されており,この国のエホバのしもべたちすべては,詩篇 119篇171,172節にある,詩篇作者のつぎのことばをくり返さずにはおれません。「わがくちびるは讃美をいだすべし……わが舌はみことばを謳ふべし」。
「とこしえの命に導く真理」および「進化と創造 ― 人間はどちらの結果ですか」と題する2冊の本は,兄弟たちが「讃美をいだす」のに大きく貢献しており,7月だけで10万冊余の本が配布されました。これは一昨年1年間に配布された本の総数の44%にあたります。臨床講義のクラスを受け持つ,ある医師は,「進化」の本がたいへん気に入ったので,生物学の受講生用に40冊注文しました。そして,毎回,「進化」の本の説明やさし絵を用いています。
自動車工場で働いているひとりの兄弟は,仲間の従業員のあいだで真理に対する関心を高めることにあまり成功していませんでした。「進化」の本が発表された時,それはまさに打ってつけの本だと考えた彼は,まず,職工長のひとりのところへ行きました。その人は特に人間の起源に関して,その兄弟に一番ひどく反対していたからです。ところが意外にも,その職工長が本を求めたので,兄弟は非常に喜びました。職工長が進化の本を求めたことを知ると,その部門の他の従業員も,やって来て,本を求めました。兄弟は昼食時間を大いに活用して,29冊の本を配布しました。翌日,彼は以前,働いていた他の部門の従業員といっしょに昼食を取り,さらに30冊の本の注文を得ました。そして,自分の持ち場に戻ってみると,そこには,「青い本を持った人」を尋ねて,幾人もの人々が待っており,彼らもその本を注文しました。こうした騒ぎで,兄弟は事情を説明するために社長室に呼ばれました。そこには彼の部門の部長も同席していました。兄弟から簡単な説明を受け,本を手にとって調べるようにと勧められたふたりは,本の内容に満足して,その本を求めました。その数日間の成果はすばらしく,兄弟は,奉仕時間5時間,60の再訪問,80冊の本の配布を報告することができました。なかでも彼が特に喜んだのは,真理に対する反対がついにやんだことです。
「終わりの日」の今日,クリスチャンの親には,信仰を弱めたり,真理の純粋な水を濁らせたりするおそれのある事柄を子どもたちが学校で学ばないようにする重大な責任があります。それで,ひとりの姉妹は自分の3人の子どもが通っている学校の校長あてに手紙を書き,子どもたちは家で聖書教育を受けているから,学校の宗教の授業を免除してほしいと願い出ました。二日後,その姉妹は,校長と面談するために学校に来るようにとの連絡を受けました。支部に寄せられた手紙によると,姉妹は反対を予期して,いわば,「剣を取って,戦いにおもむきました」が,たいへん驚いたことに,校長は姉妹にやさしくいすを勧め,姉妹の手紙の件にふれ,他の生徒にも聖書を教えてもらえまいかと申し出たのです。姉妹は喜んで応じました。最初の週には8人の生徒が参加しましたが,3か月後には,さまざまな宗派に属する,40人以上の子どもが,「失楽園から復楽園まで」と題する本を用いて,命を与える神のみことばの教えを受けました。また,そのうちのひとりの子どもの母親も家庭聖書研究を始めました。親のみなさん,あなたは,子どもが学校で何を学んでいるかをほんとうに知っておられますか。
人は真理の知識を得ると,親族もそれを受け入れて,自分とともに命への道を歩んでほしいと願うのは人情ですが,必ずしも願いどおりに行くとは限りません。ひとりの兄弟はそうした願いをいだいただけでなく,親族を助ける方法をも講じました。1968年8月,正規開拓者の任命を受けた彼は,親族の多くが住んでいる,エホバの証人のいない孤立した場所を自分の奉仕する区域に選びました。彼の両親は神のお名前を聞いたこともなければ,見たこともありませんでした。彼は,開拓奉仕を始める日付
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