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「千年」― 見せかけの希望ではない神の千年王国は近づいた
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1章
「千年」― 見せかけの希望ではない
1 人間の建てる王国が千年間持続できるかどうかについては何といわねばなりませんか。
王国が千年間持続するには,それはほんとうにしっかりした ― 強力な王国でなければなりません。そのような王国政府は,一介の人間またはその継承者などによって立案,創設,維持できるものではありません。ある家系の歴代の王の支配する,人間の建てた王国で,かつて千年近くですら持ちこたえた王国は一つもありません。
2 ただひとりの人間の君主による王国支配というようなことはどうして問題になりませんか。
2 では,ただひとりの君主が10世紀間支配を継続する王国についてはどうですか。それは不可能です! いまだかつてそれほど長生きした人はひとりもいません。記録にとどめられている最古の系図によれば,西南アジアに住んだメトセラという人は地上の被造物である人間の中で最も長生きをした人ですが,それでも千年までにはなお31年を残して一生を終えました。a 現代の人間の平均寿命は前述の並はずれた寿命からはほど遠いものになりました。今日の先進諸国は医学の恩恵に浴しながらも,人びとの平均寿命は70歳にも及びません。女子の平均寿命は男子のそれをおよそ6年上回っています。ゆえに,ただひとりの男子あるいは女子による千年間の王国支配などということは,その臣民が自分たちの支配者をどんなに良い人物と考えようが問題になりません。
3 ごく最近に作られた「千年計画」は人類に対して何をもくろむものでしたか。
3 したがって,無論ここではそうした人間的見地から千年王国について論じているのではありません。わたしたちはもとより,今なお生存している他の何百万もの人びとは個人的観察者として,一国の政府を千年間持続させようとする努力が払われたごく最近の実例を思い起こせます。その「千年計画」とは,西暦1933-1945年まで支配したナチ・ドイツの独裁者アドルフ・ヒトラーの計画です。アメリカが第二次世界大戦に突入した後,ほどなくして押収されたナチ文書や拘置されたドイツ人スパイその他種々の出所から,そのナチ計画に関する情報が少しずつ収集されました。同計画は,もしヒトラーが第二次世界大戦で首尾よく勝ちを得た暁には人類世界に情け容赦なく強制する予定であったナチ世界秩序をねらいとした事実上の奴隷計画で,そのための労働者はドイツ以外の諸国から補充されることになっていました。同計画は千年先にまで及ぶものでした。
4 ヒトラーは明らかに昔のどんな帝国のことを考えていましたか。一司祭はその点をどのように証言しましたか。
4 オーストリアのハプスブルク王家の土地の出身者であった,ナチの指導者ヒトラーは明らかに,962年から1806年まで続いたゲルマン民族の神聖ローマ帝国のことを考えていました。事実,その趣意のことばを述べたローマ・カトリックのある司祭の例があります。1940年2月16日の夜,ワシントン市のメモリアル・コンチネンタル・ホールで満員の聴衆を前にして,ジョージタウン大学の海外勤務学部の評議員エドモンド・A・ウォルシ博士は,「神聖ローマ帝国の再興」を目ざすドイツの戦争目的のあらましを述べました。こう伝えられています。「ウォルシ博士は,アドルフ・ヒトラーがゲルマン民族の帝国であった神聖ローマ帝国は再興されなければならないと語るのを聞いたと述べた」― 1940年2月17日付,ニューヨーク・タイムズ紙。
5 ヒトラーはナチ帝国に関して何を誇りましたか。その計画はどうなりましたか。
5 ナチ総統ヒトラーは高慢にもこう言いました。「国家社会主義ドイツ帝国は千年間持続するであろう」。ところが,ナチの秘密警察の長官ハインリッヒ・ヒムラーはそれ以上に自信満々で,「一万年までも!」と答え応じました。その自己中心的な計画をひとたび実行に移したヒトラーは,世界支配さもなくば世界の破壊以外の何ものによっても満足できなかったのです。「ヒトラーの最後の日」という本の中で著者H・R・トレボァ-ロパーはこう述べています。「ヒトラーが,世界強国さもなければ破滅という最初の計画をあくまでも堅持するであろうことは言うまでもないことであった。もし世界強国になれないのであれば,(彼のことを知っている人はすべてこの点で意見を同じくしたが)彼は破滅をできるかぎり大きくするつもりであった」。これを読んで,なかには,「なんと悪魔に似ているのだろう!」と叫びたい気持ちになる人がいるかもしれませんが,それはもっともなことです。いずれにしても,ヒトラーの宗教の多くの信奉者の期待した神聖ローマ帝国の再興は成らず,ナチ「千年計画」は12年を経ずして失敗しました。
6 ゲルマン人ではない昔のどんな支配者は,ヒトラーが学ばなかったと思われる教訓を学び取りましたか。その支配者の夢をだれが正しく解き明かしましたか。
6 この自称世界支配者ヒトラーは教訓を学ばなかったかもしれませんが,遠い昔の世界支配者が苦しい思いをして学ばざるを得なかった厳とした動かせない事実にまともに直面しました。その支配者はヒトラーよりも長く,すなわち43年間(西暦前624-581年)支配しました。彼はゲルマン人つまりアーリヤ人ではありません。彼はバビロンの王で,ネブカデネザルという長い名前の持ち主でした。西暦前607年にユダヤ人の都エルサレムを滅ぼし,生き残ったユダヤ人の大半を遠くバビロニアの地方に流刑囚として連れ去り,ヒトラーがしたように住民をそっくり国外に追放したセム人種の世界征服者といえば,その人物を思い起こせるでしょう。国外に追放された当時の人びとの中には,ユダヤ人のユダの支族の,セム人種の預言者ダニエルがいました。ネブカデネザル王は不思議な夢を見,それを非常に重視しました。その夢を解き明かすことができたのは,奴隷であった預言者ダニエルだけでしたが,その解き明かしは適中しました。
7 その夢はいつ実現し始めましたか。その支配者は卑められたことからどんな教訓を学ぶことになりましたか。
7 夢を見てから1年後,バビロニア世界強国の首位者ネブカデネザルは自ら誇り,ユーフラテス河畔の自国の首都バビロンを自慢しはじめたところ,その誇りのことばを述べ終えるか終えないうちに彼は,目に見えない所から ― 天からの ― 声が,かつてその夢の中で聞いたことばを述べるのを聞きました。ネブカデネザルはそのことに関する自分の記述の中でこう述べています。預言者ダニエルはその記述を保存しました。「ネブカデネザル王よ,あなたに告げる。『王国はあなたから離れ去った。あなたは人間の中から追い出され,野の獣とともに住み,雄牛のごとくに草を食べ,こうして七つの時があなたの上に過ぎ,ついにあなたは,いと高き方が人間の王国の支配者であり,ご自分の望む者にそれをお与えになることを知るようになる』」― ダニエル 4:29-32,新。
8 その高慢な王を打ったのはだれですか。だれが彼を癒しましたか。
8 その直後何が生じましたか。その時のできごとに関する記述がバビロニアの歴史の記録中に保存されていないにしても,あるいはバビロニアの年代記作者の記録から削除もしくは抹殺されたとしても,それはもっともな話です。しかし,その問題に個人的に関係した,事実に忠実で正直な預言者ダニエルは霊感を受けてその記録を残したので,2,500年余の後代のわたしたちはそれを調べることができます。高慢な王ネブカデネザルはたちどころに狂気に打たれました。が,彼がこのうえなく敬っていた神,マルドゥク(もしくはメロダク)に打たれたのではありません。西暦前607年にエルサレムの聖なる神殿を崩壊させたこの高慢な王を打ったのは,その狂気を予告した全能の神です。そして,預言され,定められていたとおり,ネブカデネザルの身の上に文字どおり「七つの時」が経過し,彼はその間,付近の原野で雄牛のように狂気のごとく草を食みました。狂気した王は,1945年に首都ベルリンがソ連の赤軍の手に落ちる直前自殺したアドルフ・ヒトラーのように自殺したりはしませんでした。ネブカデネザルを打った真の神は,その狂気の7年の終わりに彼を癒し,正気を取り戻させました。
9,10 ダニエルによって保存された記述(4:34-37)は,神の絶対的支配権に関してバビロンの王が教訓をよく学んだかどうかについてどのように示していますか。
9 バビロンの王は教訓を学びましたか。それは預言者ダニエルによってわたしたちのために保存された,王自身の記述からわかります。一人称の形で書かれているその記述はこう述べています。
10 「そしてその期間の終わりに,私,ネブカデネザルは目を上げて天を見た。すると私に自分の理性が戻り始めた。それで私はいと高き方をほめたたえ,定めのない時まで生きておられる方を賛美し,あがめた。なぜなら,その支配権は定めのない時まで保つ支配権であり,その王国は代々限りなく続くからである。また,地の住民すべては無きもの同然にみなされる。彼は天の軍勢や地の住民の中でご自分の意志にしたがって事を行なっておられる。その手を抑えうる,あるいは『あなたは何をしておられるのか』と彼に言いうる者はいない。……今,私,ネブカデネザルは,天の王を賛美し,たたえ,あがめる。なぜなら,そのみわざはすべて真実であり,その道は公正だからである。また,高ぶって歩む者たちを,彼は卑しめることができるからである」― ダニエル 4:34-37,新。
11 バビロンの王は,支配を行なうには不適格者となったその「七つの時」の期間に関するどんな事を少しも知りませんでしたか。
11 ネブカデネザルはバビロニア世界強国,つまり聖書の中で言及されている一連の七つの世界強国中の第三世界強国の王座に復位したことを自ら述べています。(ダニエル 4:36)しかし,支配を行なうのに不適格者となったその「七つの時」の期間が長期間にわたる「七つの時」という預言的な,より長大な期間,つまり「異邦人の時」と呼ばれる期間であることはつゆ知りませんでした。また,そのより長大な「七つの時」の間,五つの世界強国 ― バビロニア,メディア-ペルシア,ギリシャ,ローマそして現代の英米世界帝国がそれぞれ地を支配することも少しも知りませんでした。また,合計2,520年になるその「七つの時」は,ネブカデネザルがエルサレムとその神殿を荒廃させた年に始まって,人類世界が最初の世界戦争に巻き込まれた年 ― 西暦1914年に終わることなど知るよしもありませんでした。(ルカ 21:24,欽。ダニエル 4:16,23,25,32)まして,異邦人の支配するその「七つの時」の終わる1914年に,「天の王」がご自分の望む者 ― そのメシアに「人間の王国」をお与えになることなど,ネブカデネザルは少しも知りませんでした!―ダニエル 9:25,新。
神の霊感によって与えられた先見
12 この世の政治家は「人間の王国」に関して依然どんな考えを持っていますか。しかし彼らは人間の事がらに関してだれの手を抑えることができませんでしたか。
12 すべての国の政治家は依然として,「人間の王国」は自分たちの正当な関心事であり,自分たちの正当な活動領域であると考えています。昔,バビロンの王ネブカデネザルもそう考えました。かなり最近には,千年の長期政治体制を夢見たアドルフ・ヒトラーもそう考えました。しかし,『その支配権は定めのない時まで保つ支配権である』ことをネブカデネザルがついに認めざるを得なかった方,その方は依然として「人間の王国の支配者」であられます。人間の事がらを治めるその王国は依然として,その方が関心を抱き,その運営に当たるべき正当な領域なのです。キリスト教世界の僧職者の支持するこの世の政治家は「その手を抑える」ことはできませんでしたし,またその方に対して,「あなたは何をしておられるのか」と言う権限も持ってはいません。(ダニエル 4:34,35,新)その方は西暦1914年の「異邦人の時」の終わりにさいして,「人間の王国」をだれに与えるべきかに関し,それら政治家やその宗教上の支持者とは相談されませんでした。政治家やその宗教上の同盟者たちは相談相手のような重要な存在ではありませんが,その方は『いと高き方,定めのない時まで生きておられる方』なのです。
13,14 きたるべき千年に関しては,だれのことばに基づいて確信をいだいて預言できますか。なぜですか。
13 では当然,だれのことばに基づいて来たるべき千年について預言できますか。人間は明日のことさえ予告できません。19世紀余の昔の一観察者は,「あなたがたは,あす自分の命がどうなるかも知らない」と述べました。(ヤコブ 4:14)しかし,『いと高き方,定めのない時まで生きておられる方』に関しては事情は異なります。その方にとって時間はどのようなものですか。
14 この方に向かって,ちょうど120年生きたある人はいみじくも述べました。「あなたの目には,千年も,過ぎ去れば昨日のごとく,夜の間のひと時[古代ユダヤ人の4時間のひと時]のようです」。(詩篇 90:4および表題,新)その方は,単なる一夜の夢とネブカデネザル王に対する預言者ダニエルのその夢の解き明かしとによって,西暦1914年に終わる2,520年の期間の後に世界史に生ずる事がらを予告できました。ではその方は,西暦1914年以後のある時点から始まる千年の期間に起こる事がらを同様に容易に,また正確に予告できるのではないでしょうか。まさにそのとおりです! しかも,そのような千年の期間に関する説明をすでに与えておられるとしたらどうですか。そうであれば,そのことばを根拠にして,きたるべき千年について確信を抱いて語れるでしょう。
15 ラテン語あるいはギリシャ語の語根を用いる人たちは,その千年の期間を何と呼びますか。その到来を信ずる人たちは何と呼ばれていますか。
15 英語では古代ラテン語に由来することばを用いる人は,千年のその期間をミレニアムと呼びます。このことばの二つの語根であるラテン語のミレは「千」を,アヌスは「年」を意味するからです。ギリシャの人びとはその期間<ピアリアド>のことをキリアスティック・ピアリアドといいます。ギリシャ語のキリアは「千」を意味するからです。それで千年のこの特別の期間の到来を信ずる人たちはミレニアリストまたはミレネアリアンあるいはキリエスト(千年期説信奉者)と呼ばれました。キリスト教世界の人びとはこれらの語を非難がましい仕方で用いています。
16,17 (イ)西暦1000年に関する人間のどんな経験は,西暦2000年が近づいているゆえにわたしたちが千年期に関心を持っているのではないことを示していますか。(ロ)人類生存の第七千年紀が西暦2000年より何年も前に始まるのはどうして幸いなことですか。
16 無理解な人びとからの非難に身をさらそうとも,近づく千年のこの期間に対して真の関心をいだいて然るべきです。そのことに関する情報は,『いと高き方,定めのない時まで生きておられる方』の記されたことばの中に収められています。そのことに対するわたしたちの関心が高まっているのは,西暦2000年つまり西暦2,000年紀の終わりが近づいているからではありません。これは重大な事がらではありません。わたしたちは,人類が西暦1000年つまり西暦1,000年紀の終わりに近づいたとき何が起きたかを思い起こします。このことに関して新カトリック百科事典はその853ページで「千年期説」の題目のもとにこう述べています。「西暦1000年が近づくにつれ,千年期説はいっそう優勢になった。なぜなら,多数の終末論者は創造の第七日が人類史上西暦1000年に満了し,十世紀間にわたるキリストの輝かしい統治がそれに続くということを信じていたからである」― 1967年,版権取得。
17 一つには,地上における人類生存の6,000年の終わりと人類生存の7,000年紀の始まりは西暦2000年よりも何年も前に訪れると考えられます。これは幸いなことです。今日,人類世界はかくも嘆かわしい状態にあり,多方面から破滅の脅威を受けているため,人類の存続を脅かす種々の問題を調査,研究している識者の中には,人類が西暦2000年まで生存できるかどうかに対する事実上の疑問を表明する向きは少なくありません。それら識者は最も広く読まれているあの聖なる書物つまり聖書の何らかの年表に基づいて人類の将来に対する暗い見通しをいだいているのではなく,今日の厳然とした事実や,わたしたちすべてを包含している今や逆転不能の物事のすう勢に基づいて論じているのです。権威をもって語るそれらの人びとは人類の今後の生存年数を1,000年よりもはるかに少なく見積っています。このことを信じまいとするどんな理由を読者はお持ちですか。
18,19 (イ)この情報はなぜ,その道の人で成るある種の終末論者秘密結社に局限されてはいませんか。(ロ)その情報を収めた書物はだれの名を署して著わされていますか。なぜですか。
18 純粋に人間的見地から語るそれら陰気な予言者とは正反対に,『いと高き方,定めのない時まで生きておられる方』は,人類のなお前途に控えている千年,さらには人類史全体の中でも最もすばらしい何年かに関して楽しく語っておられます。この希望を鼓吹する情報は,「事情」に詳しい特殊なその道の人びとで成る,ある種の終末論者秘密結社がひそかに入手したものではありません。1,500の言語や方言を用いる全地の何十億もの人びとは,その貴重な情報の出典を公に手に入れられます。どこの人でも聖書を1冊持っていれば,人生を明るくするその情報を入手できるのです。
19 聖書は書記もしくは筆記者としての,それも単なる不完全な人間によって書かれましたが,その聖なる書物は人間のことばではないことを随所で述べています。それは神の霊感による著作ですから,『いと高き方,定めのない時まで生きておられる方』のみ名を署して著わされた書物です。その方は現代に至るまで,その書物が過去について,またわたしたちの将来について述べる事がらに対して責任を負っておられます。それはまさに本の中の本です!
20 千年期に関するその情報は聖書中のどの書に見いだされますか。だれがその書を記しましたか。
20 では,きたるべき千年とそれに続く永遠の時代に関するその情報は,その本のどこに見いだせますか。いみじくも聖書巻末の書として載せられている箇所に見いだせます。それはその書名の意味するとおり啓示の書です。あるいは覆いを取り去る,または黙示の書です。そうです,その書は,ローマ帝国から犯罪者として烙印を押され,今日のトルコに当たる小アジアの海岸に近いエーゲ海上の流刑地パトモス島に幽閉されたひとりの男の人によって書き記されました。それは現に存在する場所で,伝説めいたところは少しもありません。その流刑囚は若いころ,当時のローマ領ガリラヤ州のガリラヤの海の漁師でした。彼はゼベダイの子ヨハネで,その漁師の兄弟はヤコブです。ヨハネは啓示の書を霊感を受けて記したと,その冒頭で述べていますが,それは何に関する啓示もしくは覆いを取り去る書ですか。今日のわたしたちの関心をそそるその答えを解くにさいして,その書に対する責任をヨハネがだれに帰しているかに注目しましょう。
21 ヨハネは冒頭で,啓示の書に対する責任をだれに帰していますか。
21 「これは神によりイエス・キリストに与えられた啓示である。それが彼に与えられたのは,まもなく起こるはずの事を彼がそのしもべたちに示すためであった。彼はその使いを遣わして,そのしもべヨハネにそれを知らせた。ヨハネは,自分の見た事をすべて告げるにさいして,神のことばとイエス・キリストの証言との証を行なった。この預言のことばを読む者と,それを聴いて,そこに書かれている事に注意する人たちは幸いである。成就の時が近いからである」― 啓示 1:1-3,新英語聖書(1970年)。
22 今日のわたしたちにとって,「成就の時が近いからである」ということばには,なぜ感動させるものがありますか。
22 およそ19世紀前に書かれた前述の「成就の時が近いからである」ということばには,西暦20世紀の今日のわたしたちを感動させるものがありますか。確かに時間の観点から評価すれば,およそ1,900年を経た後の今日,とりわけ予告された「千年」が始まるまでに,「まもなく起こるはずの事」が起きても早すぎはしないでしょう。問題の千年とその直前の期間に関するヨハネの記述を読めば,その始まりの時をよりよく確定できます。では,啓示 19章11節(新英)から読んでみましょう。
23 白い馬の乗り手をはっきり見分ける特色を挙げなさい。
23 「また,私は広く開かれた天を見た。すると,私の前には白い馬がいた。それに乗った方の名は,忠実また真実と称えられた。彼は正しく裁き,正しく戦う方だからである。その目は火のように燃え,その頭には数多くの王冠があった。その身には,ご自身のほかはだれにも知られていない名が書かれていた。彼は血に染まった衣をまとっていた。彼は神のことばと呼ばれた。天の軍勢は,清くて輝かしい,上等の亜麻布を着て,白い馬に乗って彼に従った。彼の口からは,諸国民を打つための鋭い剣が出ていた。この方こそ,鉄の杖をもって彼らを支配し,主権者なる主であられる神の憤りと懲罰の酒ぶねを踏む方だからである。その長服にも,そのももにも,『王の王,主の主』という名が書かれていた。
24 (イ)中天を飛んでいる鳥はどんな招待を受けましたか。(ロ)戦いに加わった者たちはどうなりましたか。
24 「また私は,太陽の中にひとりのみ使いが立っているのを見た。彼は,中天を飛ぶすべての鳥に向かって大声で叫んだ。『さあ,来て,神の大いなる夕食に集まり,王たちや司令官たち,また戦士たちの肉,馬とその乗り手たちの肉,奴隷と自由人,大いなる者と小さい者などすべての人の肉を食べよ!』 また私は,地の王たちとその軍勢が召集されて,馬に乗った方とその軍勢と戦いをまじえるのを見た。すると,獣は捕えられた。また,獣の前で奇跡を行なって,獣の印を受けた者とその像を拝んだ者たちを迷わしたその偽預言者も,同様に捕えられた。彼らは両方とも,硫黄の燃えている火の湖に,生きたままで投げ込まれた。残りの者たちは,馬に乗った方の口から出る剣で殺された。そして,すべての鳥が,彼らの肉をたらふく食べた。
25 次いで,悪魔サタンはどんな処置を受けましたか。それはいつまで続きますか。
25 「また私は,ひとりのみ使いが底知れぬ所の鍵と大きな鎖を手にして,天から下って来るのを見た。彼は,悪魔またはサタンである竜,つまりあの年経たへびを捕えて,千年の間縛った。そして,彼を底知れぬ所に投げ込んで,そこを閉じ,その上に封印して,千年の終わるまでは,彼がもはや諸国民を唆すことのないようにした。そののち,サタンはしばらくの間,解き放されねばならない。
26 天に見えた数々の王座にはだれが座していますか。彼らは何を行ないますか。
26 「また私は,数々の座を見た。そして,その上に,裁きをする権を委ねられた者たちが座した。また私は,神のことばとイエスに対する証言のために首をはねられた人たち,つまり獣やその像を拝まず,その印を額または手に受けなかった人たちの魂を見ることができた。それらの人たちは生き返って,キリストとともに千年の間王となったが,残りの死人は,千年の終わるまでは,生き返らなかった。これが第一の復活である。この第一の復活にあずかる者は確かに幸いであり,神の民のひとりである! この人たちに対しては,第二の死は何の力も持っていない。かえって,彼らは神とキリストとの祭司となり,彼とともに千年の間統治するのである。
27 地上では,サタンの解放に続いて何が生じましたか。彼はどうなりましたか。
27 「千年が終わると,サタンはその牢から解き放され,出て行って,地の四方にある諸国民,すなわちゴグとマゴグの大群を唆し,戦いのために彼らを召集する。その数は海辺の砂のようである。そこで,彼らは地の広い所を進んで来て,神の民の陣営と神の愛しておられる都とを包囲した。しかし,火が天から彼らの上に下って来て,彼らを焼き尽くした。そして,彼らを唆した悪魔は火と硫黄との湖に投げ込まれた。そこは獣も偽預言者も投げ込まれた所で,そこでは永遠に昼も夜も責め苦しめられるのである」― 啓示 19章11節から20章10節まで。
28 (イ)それで,その千年はどんなできごとの後に始まりますか。(ロ)では,どうしてその千年は明らかにこれから始まるといえますか。
28 この記述の中には「千年」という表現が6回出ていることに気づきます。また,その千年は,「王の王」と,「獣」や「偽預言者」それに「地の王たち」との間で戦いが行なわれ,次いで悪魔サタンが鎖でつながれ,底知れぬ所に投げ込まれた後に始まることがわかります。こうしたできごとは,「まもなく起こるはずの事」の一部です。これまでのところ,世界にはそうしたできごとに匹敵する事がらは何も生じていません。したがって明らかに,その「千年」はこれから始まるに違いありません。それは正確に計れない漠然とした長い期間を意味してはいません。それは文字どおりの千年です。
29 その千年に関してはどれほどの長さの期間が,証明ずみの神の時間表とよく合致しますか。
29 その千年は無期限の期間を表わすと主張する研究者は,神がご自分の新たに組織されたエルサレムのクリスチャン会衆に聖霊を注がれた西暦33年のペンテコステの祭りの日に,その期間が始まったと言います。しかし,そのような議論は結局厄介な問題に直面し,クリスチャン会衆が霊的に生気を得たペンテコステのその日以来今日までの1,940年余の全期間中,霊によって生み出されたクリスチャンに実際に起きた事がらに反する説明を試みるものとなります。字義どおりの千年期は,証明ずみの神の時間表とよく合致します。
30 わたしたちはどうしてその千年の期間の預言的な光景を調べずにはおられませんか。
30 その千年がこの地に招来する事がらは,人類の世の永遠の生活と幸福にとって必要不可欠です。では,使徒ヨハネがわたしたちのためにたいへん美しく描写した驚嘆すべき千年期の預言的な光景を,どうして早速綿密に調べないでおれるでしょうか。
[脚注]
a 聖書の創世記 5章25-27節をご覧ください。
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その千年に先だって起こる,天と地との間の戦い神の千年王国は近づいた
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2章
その千年に先だって起こる,天と地との間の戦い
1 (イ)啓示の書によれば,至福千年期が到来するに先だってどんな戦いが起きるはずですか。(ロ)その戦闘は明らかになおわたしたちの前途にあります。それはなぜですか。その戦いに対してどんな態度を取るべきですか。
わたしたちは,その千年に関して使徒ヨハネが自ら先見した事について描写した記述を少し前に読みましたが,その期間に関してはそうしたすばらしい事がらが予告されているので,それは至福千年期とも呼ばれています。とはいえ,ヨハネはその輝かしい至福千年期の直前に起きる事がらとしてどんな事を描写しましたか。天の軍勢と地上の人間の軍勢との間の戦闘を描きました。クリスチャン会衆が命を与える神の霊によって生み出されて霊的に生気を得た西暦33年のペンテコステの祭りの日以来今に至るまで,そのような戦いは起こりませんでした。確かにイエス・キリストはその祭りの時,つまりヨハネが「まもなく起こるはずの事」に関する啓示を得る60余年前,天で神の右におられました。(啓示 1:1,2,新英)しかし,ヨハネが啓示を得た後の時代でさえ,「王の王」と「地の王たち」との間のそうした戦闘は起きませんでした。それはなお前途にありますから,わたしたちはその事前の記述に関心をもつべきです。それは真向から近づいているからです。
2,3 (イ)この戦いはその参加者についていえばどんな戦いといえますか。(ロ)戦いを進める点で,栄光を受けたイエス・キリストは地上におられた時のイエスとどんな対照をなしていますか。
2 近づくその戦いは,核・化学兵器の過剰軍備を擁した超大国が狂気のように互いの絶滅を図ろうとする恐ろしい三度目の世界大戦ではありません。それは,政治イデオロギーのいかんを問わず,「地の王たち」すべてが配下の軍勢を結集して自分たちの共通の敵対者と相対する,きたるべき戦いです。その敵対者は彼らすべてに勝る王また主であり,それゆえに「王の王また主の主」と呼ばれています。彼は神ではありませんが,啓示 19章13節を引用すれば,「その称えられる名は神のことば」です。これは神の独り子が人間になる以前にその天の父エホバ神とともに天にいたとき与えられた称号です。―ヨハネ 1:1-3,18。
3 イエス・キリストは人間として地上で生存していたとき,白い馬に乗った騎兵の軍隊を率いてはいませんでしたし,12軍団の天使を呼んで援助を請おうとさえなさいませんでした。(マタイ 26:52-54)しかし今や天で栄光を受け,また「異邦人の時」が西暦1914年に終わって以来,イエス・キリストは最高の審判者エホバ神の刑執行官として行動し,西暦前732年のある夜,エホバ神の民の地に侵入したアッシリアの王セナケリブの兵士18万5,000人をせん滅したあのみ使いのように,地上の敵を,しかも核爆弾などを用いずに処刑する権限を受けています。(列王紀略下 19:32-36。イザヤ 37:33-37)このことを考えれば,霊感を受けたヨハネが天の戦士イエス・キリストについてなぜ次のように書いたかがわかります。「[白い馬]に乗っている者は忠実かつ真実と称えられ,その者は義をもって裁きまた戦う」― 啓示 19:11。
4 諸国民の共通の敵対者の口から長い剣が突き出ているということは彼らにとって何を意味しますか。
4 それは核・化学兵器で武装した今日の地上の諸国民の間で勃発するかもしれない三度目の世界大戦をはるかに陵駕する戦いです。この度は諸国民は血肉に対してではなく,象徴的な白い馬に乗っておられる方とその天使の軍勢に対して戦うことになります。そして,その方が舌を用いて話し,ご自分の敵に対する刑の執行を命ずるとき,それはあたかも,権限をもつ執行官の長い剣がふるわれるかの観を呈するでしょう。これが霊感を受けて記された次のことばの意味です。「そして,彼の口からは鋭くて長い剣が突き出ている。それによって諸国民を打つためである。また彼は,鉄の杖で彼らを牧する。また,全能者なる神の憤りの怒りの酒ぶねも踏む。そして,彼の外衣に,実にそのもものところに,王の王また主の主と書かれた名がある」― 啓示 19:15,16。
5,6 (イ)諸国民はどんな場所で王の王と戦闘をまじえますか。どんな壊滅また破壊が生じますか。(ロ)地上で殺される者たちが軍人としての栄誉を受けて葬られるかどうかを示しているのは,「神の大きな晩さん」に対するみ使いのどんな招待のことばですか。
5 それは反宗教的で急進的な人びとが二手に分かれて戦い合う三度目の世界大戦どころか,「全能者なる神の大いなる日の戦争」なのです。その時までには国際的な宗教上の「娼婦」,大いなるバビロンを手荒く処置した諸国民は,今度はハルマゲドンと呼ばれる,世界情勢のあの段階にはいっていることに気づくでしょう。「そして,それらは王たちを,ヘブライ語でハルマゲドンと呼ばれる場所に集めた」と書かれているとおりです。(啓示 16:14-16)その世界情勢のもとで,王の王また主の主であるその方は,反抗的な諸国民を酒ぶねの中のぶどうのように打ち砕き,こうして「全能者なる神の憤りの怒りの酒ぶね」を踏みます。その方にとって諸国民は無力な羊も同然です。彼は「鉄の杖」を使って陶器師の陶器のように諸国民を粉砕します。(啓示 14:18-20; 2:26,27; 12:5。詩篇 2:8,9)「全能者なる神の大いなる日の戦争」にさいして地上で殺される人たちが,軍人としての栄誉を受けて葬られることはありません。そのようなわけで,神の使いはその戦いを,腐肉を食べる鳥のために設けられた「神の大きな晩さん」と呼んでいます。
6 太陽に照らされたみ使いは,中空を飛ぶあらゆる鳥に向かって叫びます。「さあ来なさい,神の大きな晩さんに集まれ。王たちの肉,軍司令官たちの肉,強い者たちの肉,馬とそれに乗る者たちの肉,そしてすべての者,すなわち自由人ならびに奴隷および小なる者と大なる者の肉を食べるためである」。そして,この「全能者なる神の大いなる日の戦争」に関する記述は次のことばで結ばれています。「そして,すべての鳥は,彼らの肉を食べて満ち足りた」。(啓示 19:17,18,21)腐肉を食べる鳥によってその屍を食い荒らされる人びとに関するこうした描写からすれば,戦いの中のこの戦いのために国々の民の総動員と組織化が行なわれるように思えます。
7 ハルマゲドンにおける地の王たちの戦陣の中に見られる「野獣」とは何ですか。
7 ハルマゲドンにおける戦陣に関して使徒ヨハネはこう書いています。「そしてわたしは,野獣と地の王たちとその軍勢が,馬に乗っているかたとその軍勢に対して戦いをするために集まっているのを見た」。(啓示 19:19)その「野獣」は,それら「地の王たち」の軍勢のための単なるマスコット,つまり幸運をもたらすと考えられる動物ですか。文字どおりの野獣は,ハルマゲドンで戦う軍勢にとって何の価値があるでしょうか。全く無価値です。それで,ここに出てくる野獣は文字どおりの野獣と解すべきではありません。それは象徴的な野獣です。事実,それは歴史的重要性をもつ世界的な象徴物です。どうしてそういえますか。なぜならそれは,啓示 13章1節から8節で説明されている象徴的な野獣だからです。それについて,2節はこう述べます。「そして,龍は自分の力と座と大きな権威をその野獣に与えた」。それは,「龍」すなわち悪魔サタンが全世界の人びとを支配する見える手段として遠い昔に設立した世界的な政治体制です。それは地上の至る所で千年間どころか,西暦前22世紀以来4,100年余の間,その獣的な慣行を続けてきました。
8 その象徴的な野獣はいつ活動を開始しましたか。その権力をどれほど拡張しましたか。
8 この象徴的な野獣は,文字どおりの野獣の狩猟者であったニムロデの時代に地上の住民を荒らし始めました。そのニムロデがメソポタミヤの渓谷のシナルの地でバベルの塔の建設を企てたのは西暦前2189年ごろでした。世界的に有名になった彼は,「エホバに逆らう強力な狩人ニムロデ」と呼ばれました。彼は古代もしくは初期バビロニア帝国を設立しました。そのことについて創世記 10章10節から12節(新)はこう述べています。「彼の王国の始まりはシナルの地のバベル,エレク,アッカド,カルネであった。その地から,彼はアッシリアに進出し,ニネベ,レホボテイリ,カラおよびニネベとカラの間のレセンを建てることにした。これは大きな都市である」。(創世記 10:8-12,新; 11:1-9)その小さな始まり以来,この象徴的な野獣はその力と権力を拡張し,ますます多くの人びとを支配し続け,ついにその政治的支配の座を全地に確立するに至りました。
9 (イ)象徴的な野獣の七つの頭は何を表わしていますか。(ロ)野獣はその十本の角をだれに対して用いてきましたか。
9 過去いく千年にもわたってこの象徴的な野獣は,その政治体制の種々の成員国を優勢な世界強国として行動させてきました。啓示 13章がこの象徴的な野獣を一連の七つの世界強国,すなわち,(1)エジプト,(2)アッシリア,(3)新バビロニア,(4)メディア-ペルシア,(5)ギリシャ,(6)ローマ,そして(7)英米二重世界強国を表わす七つの頭をもつ獣として描いているのはそのためです。七つの頭のあるこの象徴的な野獣はその象徴的な「十本の角」を用いて,イスラエルの子らがエジプトで奴隷状態に陥って以来今日に至るまで,神のみ子イエス・キリストの真の追随者を含め,エホバ神の崇拝者たちを突いたり,突き刺したり,虐げたりしてきました。であってみれば,啓示 19章19節で「地の王たちとその軍勢」が「野獣」とともに戦闘隊形に隊伍を組んで,「馬に乗っているかた」つまりイエス・キリストの天使の軍勢に敵対するさまが描かれているのも何ら不思議ではありません!
10 (イ)地の王たちの戦陣の中にいる「偽預言者」とは何ですか。それは何を預言しますか。(ロ)その偽預言者の提唱で作られる「野獣の像」とは何ですか。
10 啓示 19章20節はまた,「[野獣]の前でしるしを行ない,それによって,野獣の印を受けた者とその像に崇拝をささげる者とを惑わした偽預言者」と呼ばれる者が「地の王たちとその軍勢」とともにいることを指摘しています。それは宗教上の大いなるバビロンに所属する宗教的預言者ではなくて,政治的預言者です。それは啓示 13章11節から17節に描かれているのと同じ政治組織です。そこではそれは,野獣の像を作ることを提唱し,次いでその像に息を与えて,その像が権威をもって語れるようにした,二本の角のある野獣のような姿をしています。その二本の角のある野獣は英米二重世界強国もしくは第七世界強国で,七つの頭のある政治的な「像」は,今日の世界の平和と安全のための機構,つまり国際連合です。今日,全世界の人びとは,英国およびアメリカ合衆国で成るこの第七世界強国が人類の世界にさしずをするように努め,人類の将来に関する印象的な預言を行なっていることを知っています。しかし,それはエホバ神の霊感を受けた,エホバの預言者ではなくて,「偽」預言者です。
11,12 (イ)王たちとその軍勢はどんな霊に動かされてハルマゲドンの戦いに向かいますか。(ロ)その戦いの形勢は一方向にしか進展しません。なぜですか。その結果を先見したヨハネは,それについてどんな事を示していますか。
11 象徴的な野獣は西暦1763年以来その七番目の頭をもつようになり,完全に発達した段階に達してきました。また今日までに,国際連合(その前身である国際連盟はさておき)は四半世紀余を経ました。「人の住む全地の王たち」は,独自の国家目標を追求し,地を治める正当な政府としての神の王国を無視して独自の国家的主権を維持しようとする推進力に動かされて,「全能者なる神の大いなる日の戦争」にいやおうなく集められています。生き生きと描かれた光景の中で使徒ヨハネが先見した前代未聞のハルマゲドンの戦いの時は,自分の事がらにかまけている世の人びとが考えるよりもずっと近づいています!「地の王たちとその軍勢」が隊伍を組んで全面戦争で相対する全能の神とその王の王にとって,戦いの形勢はまさに最初から一方向にしか進展しません。ですから,その戦いに関する使徒ヨハネの預言的な描写は正確なものであることを確信できます。こうしるされています。
ハルマゲドンにおける戦闘
12 「そしてわたしは,野獣と地の王たちとその軍勢が,馬に乗っているかたとその軍勢に対して戦いをするために集まっているのを見た。そして,野獣は捕えられ,それとともに,[野獣]の前でしるしを行ない,それによって,野獣の印を受けた者とその像に崇拝をささげる者とを惑わした偽預言者も捕えられた。彼らは両方とも生きたまま,いおうで燃える火の湖に投げ込まれた。しかし,そのほかの者たちは,馬に乗っている者の長い剣で殺された。その剣は彼の口から出ているものであった。そして,すべての鳥は,彼らの肉を食べて満ち足りた」― 啓示 19:19-21。
13 (イ)全能の神は,敵対する組織のどれほどの部分をご自分の敵対者として相手取りますか。(ロ)「野獣]は何をしているうちに捕えられますか。だれがその野獣を突き倒しますか。
13 戦いに関するこの記述からすれば確かに,全能の神は象徴的な龍すなわち『初めからのへびで,悪魔またサタンと呼ばれている者』の見える組織全体を敵対者として相手取っておられることがわかります。そのあらゆる構成要素,すなわち「地の王たちとその軍勢」,軍事司令官,強い者,馬に乗る者,自由人や奴隷,小さい者も大きい者もすべて,七つの頭のある野獣で象徴されている,見えるその世界的組織を支援しています。「偽預言者」も地球上のその見える組織の一部です。なぜなら,それは英米二重世界強国,つまりこの世の見える組織全体の中の主要部分だからです。この世界の全体制は,そのあらゆる不敬虔な行為や人びとを食い物にしてきた仕業に対する神からの裁きを免れられるほど狡猾ではありません。象徴的な野獣はその偽預言者もろとも「捕えられ」,そうです,エホバ神の忠実な崇拝者たちに対する最後の悪事を犯しているうちに捕えられます。このどう猛な野獣を突き倒すのは,王の王であられるイエス・キリストです。それは人を食べる動物のように滅ぼされます。
14 「野獣」と「偽預言者」を投げつけるということは,それらにとっては何を意味しますか。
14 この獣のような世界政治支配体制がその政治上の「偽預言者」とともに,人類を苦しい目に会わせることは二度と再びありません。死んで,機能を失った政治制度としてではなく,啓示 19章20節によれば,「彼らは両方とも生きたまま,いおうで燃える火の湖に投げ込まれ」ます。その「火の湖」から生きて出てくることは決してありません。なぜなら,戦いにおけるその死は,罪人アダムがその子孫である全人類にもたらした死に帰因するものではないからです。「火の湖」は別の種類の死,つまり復活のない永遠の死を象徴します。啓示の書そのもの(20章14節)がその点をこう説明しています。「火の湖,これは第二の死を表わしている」。人間の事がらを管理するその政治体制を永続させようとして愛国心に燃えて戦う人間的な努力はことごとく失敗します!
15 ハルマゲドンで殺される支配者や被支配者たちが死から復活させられるかどうかを示しているのはどんな事がらですか。
15 では,支配者もしくは被支配者として,王の王の手にある神の王国に敵対する象徴的な野獣や偽預言者を支持して戦う他の者たちは復活させられるでしょうか。彼らは完全に絶滅させられます。大義のために戦う王の王の口から突き出る鋭利な長い剣のような舌は,彼らすべての処刑を命じ,天使の軍勢はその王の命令を遂行します。ゆえに,神のメシアの王国に故意に反対する者たちはことごとく殺されます。それらの者は国や政府のための「至高の犠牲」を供する名誉ある死を遂げた者とはみなされません。また,記念の墓,つまり戦没将兵記念日に毎年追悼者の訪ねる国有軍人墓地などに葬られることもありません。かえって,復活に値しない者として,その死体はハルマゲドンの戦場に野ざらしにされ,悪臭を放つその屍は腐肉をついばむあらゆる鳥を招き寄せるものとして描かれています。「すべての鳥は,彼らの肉を食べて満ち足りた」と予告されています。それらの鳥は「神の大きな晩さん」に突如現われて,むさぼり食らいます。―啓示 19:17-21。
16 ハルマゲドンの戦いを切り抜けられるかどうかに関して,(イ)地,(ロ)鳥,(ハ)野獣の崇拝者ではない例外の人びとについては何といわねばなりませんか。
16 その記述は「王たち」の治める文字どおりの地が焼きつくされるとは述べていないことに注目すべきでしょう。そうです,地はハルマゲドンにおける「全能者なる神の大いなる日の戦争」を切り抜けます。また,「中天を飛ぶすべての鳥」も生き残って,地を一面に覆う死体の肉のご馳走にあずかります。しかし,「全能者なる神の大いなる日の戦争」の後の地上にはやはり人間の生存者もいます。このことはその戦いの記述の中には直接示されてはいません。とはいえ,そうであるに違いありません! なぜですか。なぜなら,その戦いの時に地の全住民が「偽預言者」に惑わされるわけではないからです。「野獣の印を受けた者とその像に崇拝をささげる者」に比べればごく少ないとはいえ,例外となる人びとがいます。(啓示 19:20)神の王座と子羊イエス・キリストの前に立っているのを少し前に幻の中で使徒ヨハネが見た「大群衆」についてはどうですか。彼らはハルマゲドンで神のメシアの王国に対して戦う者たちの中にははいっていません。
17 啓示 7章は,神とそのメシアの王国に対する「大群衆」の態度に関して何を示していますか。
17 それらの人たちのことを告げたヨハネはこう述べます。「[彼らは]大声でこう叫びつづける。『救いは,み座にすわっておられるわたしたちの神と,子羊とによります』」。それらの者について尋ねた後,二十四人の天の長老たちのひとりがヨハネにこう告げます。「これは大患難から出て来る者たちで,彼らは自分の長い衣を子羊の血で洗って白くした」。(啓示 7:9-14)「すべての国民と部族と民と国語の中から」出てくるこの「大群衆」は,確かに神のメシアの王国に敵対しませんでした。そして,「野獣の印」を受けることも,「その像に崇拝をささげる」ことも拒みました。
18 キリストの千年統治が始まるとき,地はなぜ人間のいない所とはなりませんか。
18 ゆえに,「大群衆」はハルマゲドンで処刑される人びととともに斃されるどころか,「全能者なる神の大いなる日の戦争」をその壮大な最高潮とする「大患難から出て来る」のです。その「大患難」を生き残り,勝ち誇るエホバ神と子羊イエス・キリストを歓呼して迎える「大群衆」は,やしの枝をもって行なうように,喜んで前途の千年を待ち望みます。ですから,輝かしいキリストの千年統治が始まるとき,地は人間のいない所とはなりません。
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幻の中で先見したその千年期を享受する神の千年王国は近づいた
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3章
幻の中で先見したその千年期を享受する
1,2 (イ)この地球はハルマゲドンの戦いで焼きつくされてしまいますか。(ロ)その後にサタンと配下の悪霊に対してなされるどんな事がらは,このことをどのように示していますか。
この地球は,ハルマゲドンにおける「全能者なる神の大いなる日の戦争」で灰燼に帰することはありません。このことはその戦いの直後,悪魔サタンに生ずる事がらからもわかります。どうしてですか。なぜなら,サタンとその使いたちである悪霊は,天における神のメシアの王国の誕生後,天で起きた戦いに敗れて追い落とされた地になお生き長らえているからです。サタンと配下の悪霊は地の周辺に落とされ,短期間そこに引き留められることになりました。(啓示 12:7-13)彼らは「全能者なる神の大いなる日の戦争」中もずっと地に拘束されているからこそ,神の使いは彼らに対してさらに処置を講ずるため地に降りて来なければならないのです。このことについてヨハネの見た幻に関するその記述はこう述べています。
2 「それからわたしは,ひとりの使いが底知れぬ深みの鍵と大きな鎖を手にして天から下って来るのを見た。そして彼は,悪魔またサタンである龍,すなわち初めからのへびを捕えて,千年のあいだ縛った。そして彼を底知れぬ深みに投げ込み,それを閉じて彼の上から封印し,千年が終わるまでもう諸国民を惑わすことができないようにした。これらのことののち,彼はしばらくのあいだ解き放されるはずである」― 啓示 20:1-3。
3 底知れぬところに入れられるのは悪魔サタンだけですか。その結果,サタンの行なっているどんな戦いが終わりますか。
3 悪魔サタンが天から追い出されたとき,その使いたちである悪霊もサタンとともに追い出され,地の近辺に閉じ込められました。ですから,彼らの支配者に対してなされる事は,彼らに対してもなされます。彼らは捕えられ,鎖をかけられ,悪魔サタンとともに千年間底知れぬ所に入れられます。その結果,彼らはそれ以上世の諸国民を惑わすことはできなくなるだけでなく,神のメシアの王国を相続するクリスチャンの中でなお地上に留まっている残れる者に対して彼らが行なっている戦いも終わります。このことに関して啓示 12章13,17節はこう述べています。「さて,自分が地に投げ落とされたのを見た時,龍は,男の子[天の神のメシアの王国を象徴する]を産んだ女を迫害した。それで龍は女に向かって憤り,彼女の胤のうちの残っている者たち,すなわち,神のおきてを守り,イエスについての証しの業を持つ者たちと戦うために出て行った」。
4,5 (イ)その戦いは王国相続者の残れる者や「大群衆」をすべて滅ぼすものとなりますか。このことに関するどんな証言がありますか。(ロ)サタンが底知れぬ所に入れられることによって,この地からだれが除去されることになりますか。
4 この悪魔的な戦いは,神のおきてを守り,そのみ子イエス・キリストの証しをする王国の相続者の残れる者すべてを滅ぼすものとはなりません。また,メシアであるイエスに関するそうした証しを受け入れ,地のあらゆる国民の中から出て来て,王国の残れる者に加わり,神の霊的な神殿でエホバ神を崇拝する「大群衆」をすべて滅ぼすものともなりません。啓示 7章9-15節は,あらゆる人種や国民また部族から出て来る「大群衆」が生き残ることを証しし,彼らについてこう述べています。「これは大患難から出て来る者たちで,彼らは自分の長い衣を子羊の血で洗って白くした。それゆえに神のみ座の前にいるのである。そして,その神殿で昼も夜も神に神聖な奉仕をささげている。また,み座にすわっておられるかたは彼らの上にご自分の天幕を広げられるであろう」。
5 このようなわけで,サタンとその使いたちである悪霊が底知れぬ所に閉じ込められても,地は住民のいない廃虚にはなりません。彼らが底知れぬ所に入れられるということは,王国相続者の残れる者と「大群衆」ではなくて,むしろ悪魔サタンとその使いたちである,悪霊が地からいなくなることを意味します。底知れぬ所に幽閉される千年のあいだ,彼らはまるで『いない』も同然となります。―啓示 17章8節と比較してください。
地を千年間治める支配者たち
6 サタンが底知れぬ所に入れられることから,地の支配権に関するどんな疑問が生じますか。
6 もはや悪魔サタンは人類の世の支配者でも,事物の体制の「神」でもなくなります。(ヨハネ 12:31; 14:30; 16:11。コリント第二 4:4)では,悪魔サタンが底知れぬ所に入れられて『いなく』なる千年の間,人の住む地をだれが支配しますか。
7 その疑問に対する答えとなるどんな事がらをヨハネは幻の中で見ましたか。
7 地の支配権がだれによって執行されるかを幻の中で見た使徒ヨハネはこう述べます。「またわたしは,数々の座を見た。それに座している者たちがおり,裁きをする力が彼らに与えられた。実に,イエスについて行なった証しのため,また神について語ったために斧で処刑された者たち,また,野獣もその像をも崇拝せず,額と手に印を受けなかった者たちの魂を見たのである。そして彼らは生き返り,キリストとともに千年のあいだ王として支配した。(残りの死人は千年が終わるまで生き返らなかった。)これは第一の復活である。第一の復活にあずかる者は幸いな者,聖なる者である。これらの者に対して第二の死はなんの権威も持たず,彼らは神およびキリストの祭司となり,千年のあいだ彼とともに王として支配する」― 啓示 20:4-6。
8,9 (イ)彼の見たそれらの座はどこにありましたか。実際にはいくつの座がありましたか。(ロ)それで,ヨハネはどんな「日」が始まるのを見ましたか。パウロはアテネでその日についてどのように述べましたか。
8 ヨハネが見たそれらの座は地上ではなくて,天にありました。というのは,それらは千年間キリストとともに王として支配する者たちの王座だからです。したがって,それら王座の数は決まっています。その数は,「生ける神の証印」を押され,子羊イエス・キリストに従って彼の「行くところにはどこへでも」行く14万4,000人の霊的なイスラエル人に対応する14万4,000でした。(啓示 7:1-8; 14:1-5)悪魔サタンが「この世の支配者」となってきた過去何千年もの間,公正の欠如もしくは誤審にはおびただしいものがありますから,人間を裁く権能が主イエス・キリストのそれら14万4,000人の共同審判者に委ねられるのはなんとすばらしいことでしょう。それで,それら14万4,000の王座とそこに座している者たちとを見た使徒ヨハネは,19世紀前,アテネのアレオパゴスの法廷で次のように言及された輝かしい審判の日が始まるのを見ていたのです。
9 「神は……義をもってこの世界をさばくためその日を定め,お選びになったかたによってそれをなし遂げようとされている。すなわち,このかたを死人の中からよみがえらせ,その確証をすべての人に示されたのである」― 使徒 17:22-31,口語。
10,11 ヨハネが見たのはどんな魂ですか。彼らはどんなわざを行なう備えができていましたか。
10 使徒ヨハネは次のように述べて,主イエス・キリストの14万4,000人の王国共同相続者として審判の座を占める者の実体をさらに明らかにしています。「実に,イエスについて行なった証しのため,また神について語ったために斧で処刑された者たち,また,野獣もその像をも崇拝せず,額と手に印を受けなかった者たちの魂を見たのである」― 啓示 20:4。
11 使徒ヨハネは首のない「魂」を見たのではありません。「魂」という叙述的なことばを用いて,霊媒のように,「肉体から離脱した霊」について語っていたのでもありません。霊感を受けて著わされた聖書の語法にしたがって「魂」ということばを用いていました。個性はからだによって表わされますが,そうしたからだをもち,意識のある,生きた存在者のことを意味していたのです。ただ,見えない天の審判の座につくためには,彼らのからだは霊のからだでなければなりませんでした。死人の復活に関する論議の中で,コリント第一 15章44節はこう述べています。「[死にさいして]物質の体でまかれ,霊の体でよみがえらされます」。それで使徒ヨハネは,意識のある,生きた天的なからだを持つ者,つまり裁きのわざを行なう精神的能力をもつ者を見て,彼らがイエスおよび神のみことばの証しをしたために「斧で処刑された」人たちであることを明らかにしました。
「斧で処刑された」
12 (イ)キリストの王国共同相続者はみな文字どおり斧で処刑されてきましたか。(ロ)神は比喩的に斧で処刑を行ないますか。それともだれが,またどんな事がらのゆえに処刑を行ないますか。
12 とはいえ,イエス・キリストの14万4,000人の王国共同相続者すべてがイエスの証しを行ない,神について話したために斧で処刑されたり,首をはねられたりしたわけではありません。文字どおり処刑されたのではありません! ヨハネの肉親の兄弟,使徒ヤコブは,王ヘロデ・アグリッパ1世に剣で,それもおそらく首をはねられて殺されたようです。(使徒 12:1,2)伝承によれば,使徒パウロはイタリアのローマで首をはねられたとされています。(テモテ第二 4:6-8)しかし,14万4,000人の人たちすべてが首を切られて殉教の死を遂げるわけではありません。彼らがみな斧で処刑されるのは神について話すためだというのですから,文字どおりにせよ,比喩的にせよ,彼らを斧で処刑するのは確かに神ではありません。彼らを処刑するのは政治国家です。使徒ヨハネを囚人として流刑地パトモス島に幽閉したローマ帝国の場合,そうした刑執行の権能は,打ち首に用いた斧の回りに犯罪者を打つのに使った棒を束にして縛ったもので象徴されました。その標章は束桿(fasces)と呼ばれ,行列にさいしてはローマの最高執政官の先駆をつとめたリクトル(警士)によって奉持されました。イタリアのファシスト<Fascist>党首,ベニト・ムッソリーニはその執政中,その標章を一般大衆になじみ深いものにしました。
13 啓示 20章4節によれば,政治国家は世界中でなぜ比喩的に14万4,000人の王国相続者を斧で処刑していますか。
13 事実上,この世の政治国家は14万4,000人の王国相続者を国家の権威のもとで生きるに値しない者と裁くことによって,それら王国相続者を処刑しています。彼らにいわば死刑を宣告しているのです。使徒ヨハネはその理由を明らかにしています。どんな点でですか。それはヨハネが言うように,彼らは「野獣もその像をも崇拝せず,額と手に印を受けなかった」ためです。いいかえれば,それら14万4,000人の王国相続者は,地上のどこであろうと,政治国家のさまざまな表現をいっさい崇拝しませんでした。この20世紀のそれら王国相続者の残れる者は,以前国際連盟として知られ,現在国際連合として知られている,世界の平和と安全のためのあの国際機構も崇拝しませんでした。象徴的な「野獣」つまり世界的な政治国家は,ハルマゲドンにおける「全能者なる神の大いなる日の戦争」で,滅びを象徴する「いおうで燃える火の湖」に投げ込まれるのです。―啓示 13:1-17; 14:9-11; 19:19,20; 20:4。
14 14万4,000人の王国相続者は野獣を崇拝しませんし,その印を額や手に受けることもしません。どんな点でそういえますか。
14 14万4,000人の王国相続者は象徴的な「野獣」を崇拝して,その政治に干渉したり,政治上の職務につくため立候補したり,その血なまぐさい戦争に参加したりはしません。こうして彼らは,自分たちが国家の奴隷であって,その世俗的で,多くの場合獣的な種々の活動を遂行するよう積極的に手を貸していることを象徴する印を額や手に受けたりはしません。また,「野獣の像」を崇拝して,世界の平和と安全のための人間の作った国際機構に救いを帰したりもしません。彼らは真の神だけを崇拝し,その方について話し,宇宙の主権者であられるその神に忠誠を誓います。彼らは地上の政治国家をたたえたりせず,かえって神のみ子,イエスの証しをします。イエスはいと高き神によって千年のあいだ人類の世界を支配すべく任命されたキリスト,つまりメシアだからです。ですから,「野獣」が斧を使って行なうように,それら14万4,000人を処刑するといっても何ら不思議ではありません!
15 それら14万4,000人は地上で最後には何を経験しますか。彼らはどうして天の審判の座に着くことができるのですか。
15 非業の殉教の死を遂げて地上での歩みを終えるにしても,そうでないにしても,14万4,000人の王国相続者はすべて,最後には肉体的死を遂げます。では,どうして天の王国にはいって,天のそれら審判の座に着くことができるのでしょうか。それは魂の不滅性によるのではなく,死からの復活によります。「イエスについて行なった証しのため,また神について語ったために斧で処刑された者たち」に関してヨハネはこう述べています。「そして彼らは生き返り,キリストとともに千年のあいだ王として支配した」― 啓示 20:4。
16 彼らはどんな被造物として生き返りますか。今やその寿命については何といえますか。
16 彼らは地上で人間もしくは人間の魂としてではなく,神の霊的な子として天で生き返ります。使徒ヨハネが幻の中で見たとおりの者として生き返るのです。彼らの寿命は今日の人類のそれよりも長く,彼らは969年生きたメトセラよりも長く生きることができます。(創世記 5:25-27)彼らは千年間生きてキリストとともに統治し,それ以後は限りなく永遠に生きることができます。なぜなら,死からの復活にさいして,不滅性を付与されるからです。(コリント第一 15:50-57)彼らは復活させられるや否や,弱さも腐敗させるものもなく,罪深いアダムとエバから受け継いだ死ぬべき肉のからだにかつてまつわりついていた不完全性などの少しもない完全無欠の状態で生きます。そして,霊者として永遠の命にあずかることを全能の神から認められ,完璧な状態で生きてゆきます。―コリント第一 15:42-55。
17 (イ)「大患難」の生存者である「大群衆」は,サタンが底知れぬ所に入れられるや否や直ちに完全にされますか。(ロ)彼らはいつ神の律法を完全に守れるようになりますか。なぜですか。
17 復活にさいして彼らが即座にはいる状態と千年の期間の最初における人類の世界の残りの人びとの状態とのそうした相違を強調するため,使徒ヨハネはこう続けます。「それらの人たちは生き返って,キリストとともに千年の間王となった。残りの死人は,千年の終わるまでは,生き返らなかった」。(啓示 20:4,5,新英)これは神の霊的な神殿にいて,「大患難」を生き残る崇拝者たちの「大群衆」でさえ,悪魔サタンとその悪霊が縛られて底知れぬ所に入れられるや直ちに肉体的に完全にされ,地上で永遠の命を受けるにふさわしい者と即座に宣言されるのではないことを証明しています。それらの人びとはイエス・キリストの千年統治による人間の向上を図る援助や祝福のお蔭で徐々に進歩して人間としての完全性に到達し,肉身をもって罪を犯さずに生活し,神の律法を完全に守る能力を身につけるようになります。しかし,地上の記念の墓や水底の墓に眠る何十億もの人びとについてはどうですか。
18 (イ)千年期中にハデスから出て来る人たちの中には,イエスに同情を示したどんな人が含まれていますか。(ロ)死から復活させられるそれらの人びとはいつ,またどのようにして人間として完全性に達しますか。
18 それらの人びとに関しては,千年期のことを先見したヨハネの記録は,彼らがどうなるかについてこう述べています。「そして,海はその中の死者を出し,死とハデスもその中の死者を出し,彼らはそれぞれ自分の行ないにしたがって裁かれた」。(啓示 20:13)そのようにしてハデスつまり死んだ人間の共通の墓から出て来る人びとの中には,イエスの傍で刑柱に掛けられたあの悪人も含まれます。イエスはその悪人にこう言いました。「今日われ真に汝に告げん。汝は我と共にパラダイスにあるべし」。(ルカ 23:43,ロザハム訳; 新世界訳)その悪人はハデスから出て,イエス・キリストの王国によって人類のために再興される地上のパラダイスにはいります。そして,そのパラダイスで,死から復活させられる他の人間すべてとともに,自分の生き方を是正し,人間としての不完全さや罪深い状態を癒す機会にあずかります。そのようにして,キリストの千年統治の終わりまでには,その人は神のかたちとさまに似た人間としての完全性の目標に到達できます。しかし,千年の終わりまでに地上で人間としての完全性および罪のない状態に達する人びとはすべて,完全な命を保つためには,神の宇宙最高の統治権に対する忠節の最終的な試験を経なければなりません。
19 (イ)では,どうして「残りの死人は千年が終わるまで生き返らなかった」といえますか。(ロ)神の主権に対する忠節の試験を通過しない者たちはどうされますか。
19 忠誠を保ち,神の正当な統治権に対する忠実を実証して地上で完全にされた人びとは,最高審判者であるエホバ神から義にかなった者と宣言されます。エホバは罪のないそうした人たちが永遠の命を受けるにふさわしい者であることを宣言し,地上のパラダイスで幸福な限りない命を享受する権利を彼らに譲渡するでしょう。あらゆる非難から解放されたそれら従順な人びとは,今や神の完全な見地から見てほんとうに生きるのです。このようにして,その時こそ,「残りの死人は千年が終わるまで生き返らなかった」ということになります。(啓示 20:5)完全にされながらも,千年が終わった後に敬虔な忠節のあの試験を忠実を保って通過しない人は,永遠に滅ぼされます。その時のことを先見したヨハネが次のように述べているとおりです。「そして,死とハデスは火の湖に投げ込まれた。火の湖,これは第二の死を表わしている。また,だれでも,命の書に書かれていない者は,火の湖に投げ込まれた」。(啓示 20:14,15)それで,それら不忠節な者たちは永遠の命を得ません。
「第一の復活」
20-22 (イ)ヨハネは論議を「第一の復活」の問題に戻していますが,ここでどうしてエフェソス 2章1-6節に関する疑問が生じますか。(ロ)同様に,パウロがクリスチャンの割礼を論じているコロサイ 2章11-13節に関してもどんな疑問が生じますか。
20 「残りの死人」に関するその説明を不意に挿入した後,使徒ヨハネは,「イエスについて行なった証しのため,また神について語ったために斧で処刑された」人たちが生き返ることに話を戻して,こう続けます。「これは第一の復活である。第一の復活にあずかる者は幸いな者,聖なる者である。これらの者に対して第二の死はなんの権威も持たず,彼らは神およびキリストの祭司となり,千年のあいだ彼とともに王として支配する」― 啓示 20:5,6。
21 使徒パウロがエフェソス 2章1-6節で述べているのは,キリストのそれら14万4,000人の王国の共同相続者のこの「第一の復活」であるなどといえますか。その中で使徒は1世紀当時の小アジア,エフェソス市のクリスチャンにこう書き送りました。「また,あなたがたは,罪悪と罪とによって死んでいた者であって,そのころは,それらの罪の中にあって,この世の道に従い,空中の権威を持つ支配者,つまり反抗的な者たちのうちに働いている霊に従って生活していました。……しかし,憐みに富む神は,私たちを大いなる愛をもって愛してくださり,私たちが自分の罪によって死んでいたとき,神は私たちをキリストとともに生かし,― あなたがたが救われたのは,恩寵によるのです。―キリスト・イエスにおいて,私たちを彼とともによみがえらせ,彼とともに天の所にすわらせてくださいました」― エルサレム聖書,ローマ・カトリック,1966年。
22 同様に,小アジア,コロサイにいるクリスチャンを対象にしてクリスチャンの割礼について論じた使徒パウロはこう書きました。「これはキリストによる割礼です。あなたがたは,バプテスマを受けたとき,彼とともに葬られ,また,バプテスマによって,あなたがたは,キリストを死者の中からよみがえらせた神の力に対するあなたがたの信仰により,彼とともによみがえらされたのです。あなたがたは罪人であって,割礼を受けていなかったので死んでいたのに,神はあなたがたを彼とともに生かし,私たちのすべての罪を赦してくださいました」― コロサイ 2:11-13,エ。
23 (イ)前述の聖句はクリスチャンの生活上の「第一の」経験の一つに言及しているゆえに,新カトリック百科事典は「第一の復活」について何と述べていますか。(ロ)それで,サタンが千年間縛られることについては何と述べていますか。
23 比喩的,あるいは霊的な意味でのこうした死から命への移行は,確かにクリスチャンの歩みの上で「第一の」経験の一つであることは認めねばなりません。それで,この経験を啓示 20章5,6節で指摘されている「第一の復活」とみなした新カトリック百科事典(1967年,版権取得)は,「至福千年説」の項目のもとで次のように述べています。
……「第一の復活」はバプテスマを象徴しており……人はそれによってキリストの復活にあずかるのである。……忠実な信徒はすべて,地上にいる者も天にいる者もともに,キリストの復活の時から最後の審判の時に至るまでの,輝かしい局面にあると考えられる教会の寿命の全期間の象徴である,イエスの千年統治にあずかる。……同期間中,サタンが鎖で縛られるということは,サタンの影響が完全には除去されないまでも,著しく弱められてきたことを意味している。サタンの影響の減少は,キリストの贖罪が効力を発揮している結果である。終わりの時が近づき,最後の闘争が行なわれた後……サタンはキリストによって完全に征服される……
24,25 西暦33年のペンテコステ以来,教会の寿命はどれほどの長さに達してきましたか。パウロは,当時のクリスチャン会衆内で王として支配することに関して何と述べていますか。
24 「第一の復活」に関するこうした説明は,ヨハネが啓示 20章1-6節で述べていることと調和しますか。エルサレムのクリスチャン会衆が神の聖霊によってバプテスマを施された西暦33年の七週の祭りの日以来今日に至るまでの「教会の寿命」は,一千年どころか,およそその2倍になんなんとしています。そのほとんど二千年の全期間中,真のクリスチャン会衆の成員のだれかが会衆それ自体の中でさえ「統治」しましたか。
25 使徒たちの中でだれがそのようにして「統治」しましたか。それは使徒パウロではありません! というのは,彼はコリントの会衆内のある野心的な成員たちにこう書き送ったからです。「あなたがたはわたしたちとは別個に王として支配しはじめたのですか。いや,あなたがたが王として支配しはじめていてくれたらとこそ願うのです。そうすれば,わたしたちもあなたがたといっしょに王として支配することになるからです。でも,神はわたしたち使徒を,死に定められた者として,出し物の最後に置かれたように思えます。というのは,わたしたちは,世に対し,み使いたちに対し,また人びとに対して,劇場の見せ物のようになっているからです」。(コリント第一 4:8,9)彼は仲間の宣教者テモテに対して,クリスチャンが統治を行なうのは肉体的死を経た後の事がらであることをこう述べました。「次のことばは信ずべきものです。『ともに死んだのであれば,わたしたちはまたともに生きるようになる。忍耐してゆくなら,わたしたちはまたともに王として支配するようになる。もし否むなら,彼もまたわたしたちを否まれる』」― テモテ第二 2:11,12。
26 ラオデキアの人たちに対するイエスのことばによれば,バプテスマを受けた日からクリスチャンが地上で統治するということに関しては何がわかりますか。
26 また,使徒ヨハネについてはどうですか。ローマの流刑地,パトモス島に流刑囚として幽閉されていた彼は,復活させられた主イエス・キリストがラオデキアのクリスチャンに告げた次のことばを引き合いに出しました。「征服する者には,わたしとともにわたしの座にすわることを許そう。わたしが征服して,わたしの父とともにその座にすわったようにである」。(啓示 3:21)統治するのはすべて将来のこと,つまりイエス・キリストの忠実な弟子たちが肉体的死を経た後のことでした。クリスチャンは水のバプテスマを受けた日からこの地上で統治することにはなっていませんでした。
27,28 (イ)啓示 20章4節は,彼らのことを,自ら進んで水のバプテスマを受けて比喩的な死から生き返る者として描いていますか。(ロ)その死はどんな手段によって,またどんな事がらのゆえにもたらされるものとして描かれていますか。それで,「第一の復活」はどんな死からの復活であるに違いありませんか。
27 「彼らは生き返り,キリストとともに千年のあいだ王として支配した」とありますが,それはどんな復活によるのでしょうか。比喩的な復活,それとも実際の死と墓からの文字どおりの復活によるのでしょうか。啓示 20章4節は,それらの人びとがイエスご自身の場合のように,水のバプテスマを受けるさいに進んで経験する比喩的な死から生き返ることについて述べているわけではありません。いいえ,それは「イエスについて行なった証しのため,また神について語ったために斧で処刑され」るときに経験する死なのです。
28 彼らは自らの意志によってではなく,神とキリストとの敵の意志によってそうした『斧による処刑』を受けるのであって,彼らが水のバプテスマを受けた後,またキリストとしてのイエスについて証しを行ない,(この地球を含め)宇宙の正当な支配者としての神について語るがゆえに,そうした事態が生ずるのです。そのような『斧による処刑』は,ついには現実の肉体的死をもたらします。したがって彼らは,王として支配するために,水のバプテスマのさいに起きる比喩的な死からではなくて,文字どおりの肉体的な死から『生き返る』のです。同様に,水のバプテスマに続く霊的な復活の後に王として支配し始めるわけでもありません。啓示 20章4-6節に述べられている復活は,シェオールつまり人類共通の墓における死の眠りからの現実の,文字どおりの復活です。
29,30 (イ)『これらの者に対して第二の死はなんの権威も持たない』ということばは,単に比喩的な復活にあずかった人たちにもあてはまりますか。(ロ)このことについてパウロはヘブライ 10章26-31節で何と述べていますか。
29 このことを証明するもう一つの点を見過ごしてはなりません。啓示 20章6節はこう述べます。「第一の復活にあずかる者は幸いな者,聖なる者である。これらの者に対して第二の死はなんの権威も持た(ない)」。その第二の死は,「いおうで燃える火の湖」で象徴されています。(啓示 19:20; 20:14)このことは,単に水によるバプテスマを受け,罪過や罪による死から霊的に生き返らされ,そして霊的にともによみがえらされて「キリスト・イエスとの結びつきにおいて……天の場所に……座らせ」られた人たちにもあてはまりますか。(エフェソス 2:1,5,6)いいえ,バプテスマを受けた人たちが地上にいるときに試練を受けて不忠実になり,「第二の死」つまり完全な滅びの処罰をこうむることは依然として可能なのです。使徒パウロがギリシャ,コリントの,バプテスマを受けた,油そそがれたクリスチャンに次のように警告したのはそのためです。「立っていると思う者は,倒れることがないように気をつけなさい」。(コリント第一 10:12)また,ヘブライ 10章26-31節は,バプテスマを受けた,油そそがれたクリスチャンにこう警告しています。
30 「真理の正確な知識を受けたのち,故意に罪をならわしにするなら,罪のための犠牲はもはや何も残されておらず,むしろ,裁きに対するある種の恐ろしい予期と,逆らう者たちを焼き尽くそうとする火のようなねたみとがあるのです。だれでもモーセの律法を無視した者は,ふたりか三人の証言に基づいて,同情を受けることなく死にます。では,神の子を踏みつけ,自分が聖化を受けた契約の血をあたりまえのものとみなし,過分のご親切の霊をないがしろにした者は,はるかに厳しい処罰に値すると,あなたがたは考えないでしょうか。わたしたちは,『復しゅうはわたしのもの,わたしが返報する』と言われたかたを知っているのです。そしてまた,『エホバはご自分の民を裁かれる』とあります。生ける神の手に陥るのは恐ろしいことです」。
31 ヘブライ 6章4-8節はこのことについて何と述べていますか。
31 また,ヘブライ 6章4-8節はこう述べます。「一度かぎりの啓発を受け,天からの無償の賜物を味わい,聖霊にあずかる者となり,神の優れたことばときたるべき事物の体制の力とを味わっておきながら,なお離れ落ちた者たちについては,そうした者たちを再び悔い改めに戻すことは不可能なのです。なぜなら,彼らは神の子を自分であらためて杭につけ,公の恥にさらしているからです。たとえば,自分の上にしばしば降る雨を吸い込み,その耕作の目的となっている人びとに適する草木を生み出す地面は,報いとして神からの祝福を受けます。しかし,いばらやあざみを生じるなら,それは退けられ,のろわれたも同然になり,ついには焼かれてしまいます」。
32 「第二の死」の「権威」に服させられない,もしくは「第二の死」によって損われないのは,どんな復活を経験するクリスチャンだけですか。
32 この点から考えて,「第一の復活」は,バプテスマを受けた人がなお「第二の死」に陥り得る状態にさらされている,つまりその「権威」に服すべき状態に放置されている,バプテスマに続く,あの比喩的な復活ではありません。それはイエス・キリストご自身が昇られた見えない天で神の霊的な子としての命を得る,現実の,文字どおりの復活です。イエスの次のような約束がそれらの人に適用されます。「忠実であることを死に至るまでも示しなさい。そうすれば,命の冠をあなたに与えよう。耳のある者は霊が諸会衆に述べることを聞きなさい: 征服する者は決して第二の死に損われることがない」。(啓示 2:10,11)「第一の復活」にあずかる者は「第二の死」によって損われることはあり得ませんし,その「権威」に服させられることもありません。なぜなら,その復活にさいして不滅性と不朽性を付与されるからです。―コリント第一 15:53,54。
33 それはどんな二つの点で「第一の復活」と呼べますか。
33 いまやわたしたちは,それが「第一の復活」と呼ばれる理由を正しく評価できます。というのは,それはイエス・キリストが死後3日目に経験されたのと同じ復活,つまり一瞬のうちに命の満ち満ちた状態によみがえる復活だからです。それで,復活させられたイエス・キリストは,「死人の中からの初子」となられました。(啓示 1:5。コロサイ 1:18)その復活は時間の点で,「残りの死人」の『生き返る』復活に先行します。また,単に時間の点だけでなく,死人が経験し得る最も優れた復活であるという点でも「第一の」復活です。それは神ご自身の天で神の霊的な子として,朽ちない不滅の命によみがえる復活です。
34 「第一の復活」にあずかる者はどうして聖なる者ですか。
34 ですから,まさしく,「第一の復活にあずかる者は幸いな者,聖なる者」と呼ぶことができます。(啓示 20:6)彼らは「第二の死」を受けるに値する不忠実に陥る可能性がないという点で,ほんとうに「聖なる」者たちです。彼らはまた,その復活により,天で「神およびキリストの祭司」となって,「千年のあいだ彼とともに王として支配」することができるのです。その時,悪魔サタンは世界の支配者ではなくなります。
現実の,明確に限定された「千年」
35,36 (イ)クリスチャンはバプテスマを受けて以来,「キリストの贖罪が効力を発揮している」ゆえにサタンの影響が減少するのを経験してきましたか。(ロ)ペテロやパウロの助言は,実情がどうなっていることを示していますか。
35 ですから,悪魔サタンとその使いたちである悪霊が鎖で縛られ,底知れぬ所に入れられるということは,新カトリック百科事典の述べること,すなわち現在のこの事物の体制の存続期間中にサタンの影響が著しく弱められる,つまり『キリストの贖罪が効力を発揮する』結果サタンの影響が大いに減少することを意味してはいません。確かに地上の真のクリスチャンは,水のバプテスマを受けて以来,サタンの影響がそれほど減少したとか,その影響が多少でも目だって弱められたなどとは感じてはいません。むしろ,使徒ペテロは地上での生涯の終わりごろ,次のような警告のことばをクリスチャンに書き送る必要を認めました。「冷静を保ち,油断なく見張っていなさい。あなたがたの敵対者である悪魔がほえるししのように歩き回って,だれかをむさぼり食おうとしています」。(ペテロ第一 5:8)同じ理由で,使徒パウロは次のような助言をクリスチャンに与えました。
36 「悪魔の策略にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からのよろいを着けなさい。わたしたちのする格闘は,血肉に対するものではなく,もろもろの政府と権威,またこのやみの世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものだからです。このゆえに,完全にそろった,神からのよろいを取りなさい。あなたがたが,邪悪な日にあって抵抗できるように,また,すべての事を徹底的に行なったのち,しっかりと立てるようにです」― エフェソス 6:11-13。
37 キリストが贖罪のわざを行なって以来,サタンが比喩的に鎖で縛られたかどうかに関して,啓示 12章17節は何を示していますか。
37 さらに,啓示 12章1-17節で,使徒ヨハネは象徴的なことばを用いて,神のメシアの王国の誕生と,「初めからのへびで,悪魔またサタンと呼ばれ」た「大いなる龍」の,天から地に追い落とされた後の活動を描写しています。次いで,それらの事がらの生ずるこの20世紀の真のクリスチャンに対する特別の警告としてヨハネはこう付け加えます。「それで龍は女に向かって憤り,彼女の胤のうちの残っている者たち,すなわち,神のおきてを守り,イエスについての証しの業を持つ者たちと戦うために出て行った」。(啓示 12:17)このすべては水のバプテスマを受けた後のクリスチャンに対するサタンの力や影響が多少でも目だつほど弱められたことを示すと考えられますか。それはサタンが鎖で縛られるという意味ですか。
38 サタンが縛られ,底知れぬ所に入れられるのは,だれをそれ以上惑わすことがないためですか。
38 それにしても,使徒ヨハネが実際に述べるところによれば,悪魔サタンはなぜ捕えられ,鎖で縛られ,底知れぬ所に入れられるのですか。「千年が終わるまでもう諸国民を惑わすことができないように」するためです。(啓示 20:1-3)ヨハネの用いている「諸国民」ということばは,バプテスマを受けた,油そそがれた14万4,000人の王国相続者をさしているのではなくて,主イエス・キリストの正真正銘の追随者また模倣者ではない人びとのことを意味しています。悪魔は天から追い出される時点で,「サタン……人の住む全地を惑わしている者」と呼ばれています。(啓示 12:9)忠実な14万4,000人の王国相続者は,人の住む地の,それら惑わされている「諸国民」の一部ではありません。ゆえに,悪魔サタンとその使いたちである悪霊が縛られ,底知れぬ所に入れられると,「第一の復活」にあずかる14万4,000人の忠実な王国相続者をではなくて,「諸国民」をそれ以上惑わすことが中断されます。
39 西暦33年のペンテコステ以来,諸国民を惑わすサタンの影響は弱められてきましたか。啓示 12章12節は何を予告していますか。
39 では,西暦33年の七週の祭りの日にクリスチャン会衆が神の聖霊によってバプテスマを受けて以来,1,900年余の間,それら諸国民を惑わす悪魔サタンの影響は減少し,弱められてきましたか。この問いに,はいと答えるほど物を見る目のない,人類史に疎い人がいますか。実情はその逆です。科学の面で人類が最大の啓発を受けている時代の今日,世の「諸国民」はかつてないほどに惑わされ,またいっそう重大な結果を招くことになります。なぜですか。なぜなら,サタンと配下の悪霊によるそうした国際的欺瞞は,惑わされているそれら諸国民すべての,ごく近い将来における滅びを意味しているからです。悪魔サタンの放逐にさいして,「大きな声が天で」次のように述べたのももっともです。「地と海には災いが来る。悪魔が,自分の時の短いことを知り,大きな怒りをいだいてあなたがたのところに下ったからである」― 啓示 12:10-12。
40,41 (イ)このようなわけで,サタンが縛られる千年の期間に関する宗教家たちのどんな議論は偽りであることがわかりますか。(ロ)人類は何が実際に起きることを必要としていますか。今だれがキリストの千年統治に望みをかけていますか。
40 ゆえに,悪魔サタンが底知れぬ所に入れられる「千年」は文字どおりの千年ではなくて,地上における「教会の寿命の全期間」(既に1,900年余を経た)に適用されるとするキリスト教世界の宗教家のこの議論はまさしく偽りであることがわかります!
41 聖書の時間表によれば,地上における人類生存の七千年紀は間近に,この世代のうちに始まります。今やこれまでのどんな時代にもまして地上の住民は,悪魔サタンが実際に縛られ,底知れぬ所に入れられることを必要としています。その直前の世界的なできごとは今や起ころうとしています。そして,人類の大敵対者また大圧制者は,底知れぬ所に千年間閉じ込められます。キリストと復活させられたその会衆が千年のあいだ王として支配し,人類に平和と祝福をもたらすとともに,その輝かしい見込みすべてを伴う,すばらしい時代を,わたしたちは前途に控えているのです! 聖書を信じて献身し,今キリストの千年統治に望みをかけている「大群衆」には,死から守られて,人類史上最も輝かしい時代に招じ入れられる,神からの保証があります。彼らにとってそれはなんと祝福された見込みでしょう!
42 千年期の支配者たちに対する「大群衆」の態度に関して,どんな質問が提起されますか。それで,何を考慮するのは時宜にかなっていますか。
42 その「大群衆」は同じ支配者たちを自分たちの上に千年間戴くことに飽きないでしょうか。その期間が終わるずっと前に政府の変革を求めたり,支配者の別の一団の一般投票を叫び求めたりはしないでしょうか。というよりはむしろ,自分たちの上に戴く天のそうした祭司や王たちをいっそう愛することを学んだり,神の定められた全期間中彼らにその職に留まってもらうことを感謝したりしなくなるでしょうか。これらは重大な質問です。なぜなら,その千年王国のもとでそれら「大群衆」は,その天的な政府が持続するかぎり ― 千年間,そしてその後は果てしなく生きる機会を持つからです。いまこうした興味深い質問を考慮するにさいして,どんな王また祭司たちが仕えるのか,またその奉仕が全人類つまりそのとき生きている生存者や死者にとってどれほど貴重かをもっと十分に調べるのは時宜にかなったことです。(テモテ第二 4:1)それには,彼らの過去の背景や,いと高き神が彼らを千年期の王また祭司として仕えるにふさわしい者とみなすため彼らに何を要求されたかを調べてみなければなりません。
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後継者なしに千年間治める王たち神の千年王国は近づいた
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4章
後継者なしに千年間治める王たち
1 だれの時代以来,人間の立てた王国は不満足なものであることを示してきましたか。
人間の立てた王国は結局人類の必要を満たすものとはなりませんでした。人類家族は少なくとも西暦前22世紀つまり4,150年余の昔から,人間の立てた王国をもつようになりました。記録に残る最初の人間の王の名はニムロデです。箱船を建造したノアの曾孫ニムロデは,創世記 10章8-12節の記録によれば,自分勝手に王になったようです。
2 (イ)ノアは王国に対してどんな態度を取りましたか。(ロ)今日,大多数の人びとは明らかにどんな統治形態を好んでいますか。
2 ノアはニムロデの王国が始まった後まで生き延びましたが,彼をバベル(もしくはバビロン)の王にしたわけではありません。ノアは自らをさえ王とはせず,かえって膨張する人類家族の一族長として留まりました。(創世 9:28,29; 10:32–11:9)今日,たいていの民族は固有の家系の世襲後継者を持つ王には飽きています。一般選挙による大統領を持つ共和政体や民主政体のような人民による統治形態が明らかに好まれています。しかし,そうした民主政体のもとで人びとは,たいてい一政党が立てる一団の支配者たちにすぐ飽きてしまい,別の政党の候補者を選出して政権の交替を図ろうとします。
3 人間の立てた王国はもうたくさんだと考えているのはだれですか。そのかたは,人間の立てた最初の王国の占めた地で,何を宣言させましたか。
3 世襲後継者を持つ,人間の立てた王国に飽きているのは人間だけではありません。神も飽きておられます。事実,神は今日の地上の,人間の立てたあらゆる政府に飽きておられます。a たとえ人びとはもうたくさんだと考えてはいなくても,神はそう考えておられます。事実,人間の立てた諸政府は神の地所(地球)の上で失政,もしくは不満足で不十分な支配を続けてきました。ゆえに神は,人間の立てた諸政府すべてをご予定の時に滅ぼして,ご自分のみ子イエス・キリストの千年統治への道を開くことを,人間の立てた最初の王が権力を握った場所であるバビロンで宣言させました。預言者ダニエルを通して神は,バビロンの王ネブカデネザルに言われました。「それらの王たちの日に,天の神は,決して破滅に至らされることのない一つの王国を建てられます。そして,その王国はほかのどんな民にも渡されることはありません。それはこれらの王国をすべて打ち砕いて終わらせ,それ自体は定めのない時まで立ちつづけるでしょう」― ダニエル 2:44,新。
4,5 (イ)人類を治める支配者で,神に愛されているのはだれですか。(ロ)使徒ヨハネによれば,神に対するそれら支配者の愛は,彼らがほかにだれをも愛していることを保証しますか。
4 神のこの目的によれば,天のいと高き神は,地上の王その他の政治支配者を愛してはおられません。その多くはキリスト教世界と呼ばれる領域の王また政治支配者でありながら,神を愛してはいません。もし神をほんとうに愛していたなら,神のみ子イエス・キリストが弟子たちに,「それでは,王国と神の義をいつも第一に求めなさい」と言われたことを行なっていたでしょうし,人間の立てた今日の政府の政治的公職についてはいなかったでしょう。(マタイ 6:33)天の神の愛される者を人類の王として戴くのは非常に重要なことです。このことはそのような王の提携者たちにもあてはまります。人類を益するには,それら提携者は神に愛される者であるべきです。それゆえに神は彼らをその職に留まらせるのです。第一,それゆえにこそ神は彼らをその職につけるのです。彼らは生ける唯一,真の神を愛しており,また今後も愛してゆきます。ということは必然的に,彼らはまた地上の人びとをも愛する者であることを意味しています。使徒ヨハネはまさにこの点についてこう書きました。
5 「『わたしは神を愛する』と言いながら自分の兄弟を憎んでいるなら,その者は偽り者です。自分がすでに見ている兄弟を愛さない者は,見たことのない神を愛することはできないからです。そして,神を愛する者は自分の兄弟をも愛しているべきであるという,このおきてをわたしたちは彼から受けているのです」― ヨハネ第一 4:20,21。
6 支配者たちが自国の国境や主権を固執してきたため,人類はどのように影響を受けてきましたか。
6 人間の王その他の政治支配者は,国民や民族を分割するものとなる,国あるいは国家の境界線を守ることに汲々としてきました。政治支配者はそれぞれ自国の領土内で支配権を保持することに努め,また領土内の人びとからは忠節を要求します。現行の事物の体制のもとでは,地は数多くの国あるいは国家の領土に区分され,おのおのの領土内では人びとは国家の主権を主張しており,こうした事態は全人類の一致を達成するどころか,逆に国家間の抗争を進展させてきました。それでいまや,興味深い疑問が提起されます。
7 地にかかわる天的な支配権に関して神はどんな目的を持っておられますか。啓示 14章1-5節はこのことをどのように示していますか。
7 神の目的は,イエス・キリストをただ独り王として千年間治めさせることではありません。神の最愛のみ子は,政府の所在地である天のシオンの山にただ独りで王として立つのではありません。そうではなくて,使徒ヨハネはこう述べています。「またわたしが見ると,見よ,子羊がシオンの山に立っており,彼とともに,十四万四千人の者が,彼の名と彼の父の名をその額に書かれて立っていた。……そして彼らは,み座の前および四つの生き物と長老たちの前で,新しい歌であるかのような歌をうたっている。地から買い取られた十四万四千人の者でなければ,だれもその歌を学び取ることができなかった。……これらは,子羊の行くところにはどこへでも従って行く者たちである。これらは,神と子羊に対する初穂として人類の中から買い取られたのであり,その口に偽りは見いだされなかった。彼らはきずのない者たちである」― 啓示 14:1-5。
8 14万4,000人の王国相続者の成員の領土上の割当てや言語の問題についてはどんな疑問が起きますか。
8 このように14万4,001人の王なる支配者が地を治めるということは,地が14万4,000の領土に分割され,14万4,000人の各人がそれぞれ独自の領土を治め,住民は頭なる王イエス・キリストのもとにある特定の支配者に対して責任を持つことを意味していますか。地の住民をそのように分けるなら,たとえ見えないとはいえ境界線を設ける結果になり,ひいては境界線で分離される住民の間にある程度の相違が生ずるのではないでしょうか。また,以前中国語を話していた王国相続者は中国語を話す人びとの住む地域を治め,ロシア語を話す王国相続者はロシア語を話す住民を,英語を話す王国相続者は英語国民をといった具合に,言語を異にするグループに応じて治めるよう任命されるのでしょうか。分裂を生む言語上の障壁は引き続き存続し,相互理解を妨げるのでしょうか。
9 (イ)14万4,000人の王国相続者は,イエスのどんな命令に応じて,どんな人びとの中から選ばれてきましたか。(ロ)彼らの言語上の違いに関してどんな疑問が生じますか。
9 それは当然で,もっともな疑問です。しかしこの点,キリストの14万4,000人の共同相続者を構成する個々の者に対して,かしらなる王イエス・キリストを通して王としての責務のどんな割当てが与えられるかを聖書は何も示していないということを述べておかねばなりません。クリスチャン会衆が創設された西暦33年以来,過去19世紀余にわたって,キリストのそれら14万4,000人の共同相続者は,多くの言語を用いる国民や民族そして部族から選ばれてきました。復活させられたイエス・キリストは,昇天する何日か前,ガリラヤに集まっていた弟子たちに言われました。「それゆえ,行って,すべての国の人びとを弟子とし…彼らにバプテスマを施し(なさい)」。(マタイ 28:19)では,王国の栄光のうちにある14万4,000人の仲間の王たちは天で言語上の違いのために分裂し,通訳を必要とするなどと考えられますか。使徒パウロは「人間やみ使いのいろいろなことば」について書きました。―コリント第一 13:1。
10 14万4,000人の者たちは天でどんな言語を用いますか。彼らが以前地上で用いていた言語はどうなりますか。
10 復活して栄光を受ける14万4,000人の者はすべて,一つの天上の言語を話すことは疑いありません。その言語の賜物は,死から復活するさい新しい霊のからだを持つ彼らに授けられます。とはいえ,以前の地上の言語が彼らの思いの中から消し去られるわけではありません。というのは,彼らは以前人間として用いていた言語によって自分がだれであるかを見分けることにより,自分が以前の同じ自分であることを識別できるからです。しかし,天的な復活にあずかるさい,彼らは主イエス・キリストの言語を話し,イエス・キリストはその天の父,エホバ神の用いる言語を話します。
一つの人種,一つの言語
11 千年期王国のもとでは,現在地上に見られる言語上の障壁に関しては何が行なわれますか。どのようにして,またなぜですか。
11 同様に,キリストおよびその14万4,000人の仲間の王たちによる千年統治のもとでは,現在地上に見られる言語上の障壁は人類から除去されます。地に対する神の最初の目的は,一つの共通の言語,つまり人間の最初の地的な父親,完全な人間アダムの言語を話す人間で地を心地よい程度に満たすことでした。エデンの園で人類は一つの言語を用いて生活を始めました。ノアの日の全世界にわたる大洪水の後,神は人類に,一つの言語,つまりアダムの十代目の子孫,義人ノアの言語を用いさせ,義にかなった営みを新たに開始させました。その一つの言語は,バベルの塔の建設が企てられるに至るまで続きました。
12 神はバベルの塔のそばで講じた処置のもたらした言語上の影響をどのようにして拭い去りますか。
12 次いで全能の神は,努力を結集して悪事に携わっていた建設者たちの一致を打ち砕きました。どのようにしてですか。それは言語を混乱させ,そのようにして人びとを地上の別々の地方に種々の言語群として四散させることによってです。(創世 11:1-9)神はご自分の最初の目的と調和して,一つの語族,つまり神が人類の最初の人間の父親に授けた言語,ただし神がバベルの塔のそばで考案した他の種々の言語からの修飾語をおそらく伴う,はるかに語彙の多い言語の通用する状態に人類全体を連れ戻すでしょう。
13 このようなわけで,だれにとって一時的な言語上の問題が生じますか。しかし,結局はどんな益がもたらされますか。
13 ノアの洪水の八人の生存者を含め,大洪水前の人びとが神の千年期王国のもとで死人の中から地上で復活するさい,それは彼らにとって大きな問題とはなりません。しかし,人類のその他の人びとの大多数にとって,それは新しい言語,つまり神が全人類のために意図された言語を学ぶことを意味します。その王国の用いる,言語を教える有能な教官のことを考えれば,それは何ら大きな問題はありません。復活させられる赤ちゃんにさえ,幼い時から新しい言語を教えることができます。そのようにして,人びとはすべて,相互の言語上の用語や表現を十分に理解して,互いに直接話し合えるようになります。それは人類家族の一致を図るなんとすぐれた影響をもたらすことでしょう。人びとはすべて,霊感のもとに記されたヘブライ語聖書bをおのおの自分で読み,その預言がすべてどのように適中したか,またヘブライ語聖書には預言者マラキの時代に至るまでの正確な歴史上の記述がどのように収められているかを研究できるのです! その時,正直な心の持ち主は,使徒パウロのようにこう言えるでしょう。「すべての人が偽り者であったとしても,神の真実さが知られるように」― ローマ 3:4。
14 第一の復活にあずかる人たちのために,現代の人種,国民,部族間の障壁はどのようにして排除されますか。
14 言語上の障壁について言えることは,人種・国民・部族に起因する現代の障壁にもあてはまります。「第一の復活」にあずかる14万4,000人の王国相続者にとって,それら後者の障壁はすべて過去のものとなります。そうした障壁はみな肉にまつわるものです。彼らは以前この地上で持っていた肉体を伴って復活させられるわけではありません。こう書かれているからです。「わたし[使徒パウロ]はこのことを言います。肉と血は神の王国を受け継ぐことができず,朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはありません」。(コリント第一 15:50)「たとえ,[わたしたちクリスチャンは]キリストを肉によって知ってきたとしても,今はもう決してそのような知り方はしません」。(コリント第二 5:16)「第一の復活」にさいして,14万4,000人の王国相続者は現代の人種,国民,部族間のあらゆる障壁をかかえた人間の性質ではなく,「神の性質」を受け継ぎます。(ペテロ第二 1:4)彼らはみな,天の特別な家族の兄弟たち,つまり神の子たちとなります。「さて,子どもでもあるならば,相続人でもあります。実に,神の相続人であり,キリストと共同の相続人です」。(ローマ 8:17)こうして彼らの間には,「神の性質」に従って一致が見られるでしょう。
15,16 (イ)14万4,000人の王国相続者は一致を保つために,どのようにして人間的,地的障害を克服しますか。(ロ)彼らは,神への祈りの中でイエスが彼らのために懇願したどんな事がらにあくまでも忠実をつくしますか。
15 しかし,それら14万4,000人の王国相続者はこの地上で肉のからだで試練を受けている時でさえ,人類一般の人種・国民・部族間の障壁のゆえに分裂させられるようなことは許してはきませんでした。肉によれば,彼らは「すべての国の人びと」で成る「弟子」たちです。(マタイ 28:19)しかし彼らは第一にキリストの弟子であって,どの人種,国民あるいは部族の出身者かは単なる二義的な事がらとみなしています。そして,バプテスマを受けたキリストの弟子であるがゆえに,地上で一致団結し,肉的,人間的障害すべてを克服します。この世の人種・国民・部族間の闘争に対して厳正中立の立場を明らかにし,その立場を保持して,地方的・国家的または国際的政治に参加しないのはそのためです。彼らは,イエス・キリストが彼らに関して神への祈りの中で次のように懇願した事がらにあくまでも忠実をつくします。
16 「わたしは彼らに関してお願いします。世に関してではなく,わたしに与えてくださった者たちに関してお願いするのです。彼らはあなたのものだからで(す)……わたしはあなたのみことばを彼らに与えましたが,世は彼らを憎みました。わたしが世のものでないのと同じように,彼らも世のものではないからです。……またわたしは,わたしに与えてくださった栄光を彼らに与えました。わたしたちが一つであるように,彼らも一つになるためです。わたしは彼らと結びついており,あなたはわたしと結びついておられます。それは,彼らが完全にされて一つになり,あなたがわたしを遣わされたこと,そして,わたしを愛してくださったと同じように彼らを愛されたことを世が知るためです」― ヨハネ 17:9-23。
国際的平安が守られる
17 (イ)戦争に関して14万4,000人の者たちはキリスト教世界やユダヤ人社会の宗教家に見倣ってはきませんでした。どうしてそういえますか。(ロ)彼らは天の王たちとして,聖書のどんな規則を地上の人びとに実施しますか。
17 破滅的な戦争に携わる国々の政府のもとで生活しているという理由でローマ・カトリック教徒はローマ・カトリック教徒に,正教会の信徒は正教会の信徒に,新教徒は新教徒に,また生来のユダヤ人は生来のユダヤ人に対してそれぞれ肉の武器を取って戦い合ってきましたが,14万4,000人の王国相続者が地上で彼らに見倣わなかったのはそのためです。一方の手に福音もしくは聖書を携え,他方の手に剣あるいは機関銃を持って弟子を作るわざに赴いたりはしませんでした。多種多様な国民の中から来てはいるものの,イザヤ書 2章4節の預言の述べる次のような原則を履行してきました。『かれらはその剣をうちかえて鋤となし その槍をうちかえて鎌となし 国は国にむかいて剣をあげず戦いのことを再びまなばざるべし』。それで,もし彼らが地上にいたとき,神から与えられたこの規則にあくまで忠実だったのであれば,彼らは地を治める王となるとき,その規則を実施し,平和のためのその同じ規則を堅く守ることを地上の住民に要求するでしょう。
18 使徒ヨハネが予見したとおり,地上の他のどんな国際的集団が,行動を律するこの規則を堅く守っていますか。
18 その喜ばしい前ぶれとして,今や国際的な大群衆がそれら王国相続者の残れる者と交わっており,行動を律する,平和のためのその同じ規則を堅く守っています。それは使徒ヨハネが次のように述べて描写したとおり,世界の歴史上の今の時代に集められることが予告されていた驚くべき集団です。「これらのことののち,わたしが見ると,見よ,すべての国民と部族と民と国語の中から来た,だれも数えつくすことのできない大群衆が,白くて長い衣を着て,み座の前と子羊の前に立っていた。彼らの手には,やしの枝があった。そして大声でこう叫びつづける。『救いは,み座にすわっておられるわたしたちの神と,子羊[イエス・キリスト]とによります』。……『これは大患難から出て来る者たちで,彼らは自分の長い衣を子羊の血で洗って白くした。それゆえに神のみ座の前にいるのである。そして,その神殿で昼も夜も神に神聖な奉仕をささげている。また,み座にすわっておられるかたは彼らの上にご自分の天幕を広げられるであろう』」― 啓示 7:9-15。
19 神の新しい体制は,すでにどんな相互関係を持って地上で生活している人びととともに出発しますか。彼らは,長い命を愛する人たちに書き送られたペテロのどんなことばに留意しますか。
19 エホバ神は今日見られるこの「大群衆」の上にご自身の保護の天幕を広げ,彼らをして近づく「大患難」を無事に切り抜けさせてくださるのですから,全地にわたる神の新しい事物の体制に生きて入るのは,平和愛好者の国際的な一集団です。戦争をする諸国民はそのとき存在しません! 神の新秩序のもとで人類社会は,すでにすべてが互いに平和な関係にある「大患難」生存者とともに出発します。彼らは永遠の命を愛するゆえに,使徒ペテロの引用した次のようなことばと調和して行動し続けるでしょう。「命を愛して良い日を見たいと思う者は,舌を制して悪を口にせず,くちびるを制して欺きを語らぬようにし,悪から遠ざかって善を行ない,平和を求めてこれを追い求めよ」― ペテロ第一 3:10,11。詩篇 34:12-14。
20 (イ)キリストはご自分に関する聖書の預言を成就するため,その平和を乱されるままにはされません。それはどんな預言ですか。(ロ)キリストの統治はソロモンのそれとどのように似ていますか。
20 「大患難」の嵐の後,全地にわたる平和は清められたこの惑星の上に虹のように輝くでしょう。エホバの用いられる千年期の王,子羊イエス・キリストはその平和が乱されるのを許しません。さもなければ,イエスはご自分に関して昔発表された次のような預言にふさわしく行動してはいないことになります。「ひとりの子供がわたしたちのために生まれた。ひとりの子がわたしたちに与えられた。君としての支配権はその肩に置かれる。そして,その名は不思議な助言者,力ある神,永遠の父,平和の君と呼ばれる。ダビデの王座とその王国の上にあって,今よりのち,定めのない時まで,公正と義とによってそれを堅く立て,それを支えるため,君としての支配の豊かさと平和とには終わりがない。万軍のエホバの熱心がこれを行なう」。(イザヤ 9:6,7,新)イエス・キリストは「ソロモン以上のもの」であることを忘れてはなりません。(マタイ 12:42)ダビデの子,ソロモン王の40年間の統治は,「平和を好む」という意味のソロモンという名にふさわしく平和によって特徴づけられました。とはいえ,イエス・キリストは千年にわたる平和を保持されるのです。
「ダビデの王座とその王国の上に」
21 平和の君の君としての支配も,またその平和もだれの王座と王国から切り離せませんか。
21 イザヤ書 9章6,7節をもう一度読んでみると,平和の君の「君としての支配」は,「ダビデの王座とその王国の上に」あることに気づきます。その約束された終わりのない平和を,西暦前1070-1037年までエルサレムで王として支配したダビデの王座とその国王から切り離すことはできません。その平和はアメリカ合衆国の大統領や,人間の立てた,世界の平和と安全のための機構としての国際連合などに依存してはいません。どうしてですか。
22 (イ)どんな根拠に基づいてエホバの熱心はその預言を成就させますか。(ロ)宗教についていえば,ダビデはどんな人でしたか。
22 なぜなら,「万軍のエホバ」はダビデ王に関してその治世の初めごろ,エルサレムで破ることのできない契約もしくは神聖な約束を結ばれたからです。どんな根拠に基づいてですか。ところで,ダビデは無神論や不可知論者ではなく,非常に信心深い人でした。とはいえ,当時の非イスラエル民族の偶像崇拝者または多神教徒のようではありませんでした。聖書の詩篇に収められているダビデの作った数多くの詩篇もしくは叙情詩を読むと,ダビデはアブラハム,イサクそしてヤコブの神エホバのまじめな崇拝者だったことがわかります。最もよく知られている彼の詩篇の一つである詩篇 23篇の中で,ダビデはこう述べました。『エホバはわが牧者なり われ乏しきことあらじ わが世にあらん限りはかならず恩恵と憐みとわれにそいきたらん 我はとこしえにエホバの宮にすまん』。(詩篇 23:1,6)また,詩篇 40篇8,9節ではこう言いました。『わが神よわれは聖意にしたがうことを楽しむ なんじの法はわが心のうちにありと われ大いなる会にて義をつげしめせり 見よ われ口唇をとじず エホバよなんじこれをしりたもう』。
23,24 (イ)神の契約の箱をエルサレムに運んだのち,それを収めることに関してダビデは何をしたいと願いましたか。(ロ)その建築工事に関してエホバはダビデに何と述べましたか。
23 ダビデ王はエルサレムを首都にしたのち何か月かを経て,聖なる契約の箱つまり「真の神の箱」をエルサレムに運ばせ,王宮の近くに張られた天幕の中に置きました。ダビデは自分の宮殿の住まい,つまり「杉材の家」と,エホバの契約の箱の置かれている所との相違を痛感しました。そしてついに彼は,エホバの箱を置くに値する神殿の建造を預言者ナタンに示唆しました。(サムエル後 7:1-3,新)ところが神は,次のような知らせをダビデに伝えました。
24 「おまえは多くの血を流し,大いなる戦争をした。おまえはわたしの前で多くの血を地に流したから,わが名のために家を建ててはならない。見よ,男の子がおまえに生れる。彼は平和の人である。わたしは彼に平安を与えて,周囲のもろもろの敵に煩わされないようにしよう。彼の名はソロモンと呼ばれ,彼の世にわたしはイスラエルに平安と静穏とを与える。彼はわが名のために家を建てるであろう」― 歴代志上 22:8-10,口語。
25 ダビデの願いを十分認めたエホバは,ダビデのためにどんな家を建てることを約束されましたか。
25 これは神のみ名に敬意を表して崇拝の家を建てたいとのダビデの愛のこもった願いをエホバが正しく評価しなかったという意味ではありません。エホバはそうしましたし,またそのことを示すために契約を結びました。つまり,ダビデのために家を建てる厳粛な約束をしました。それは文字どおりの住まいとしての家ではなくて,ダビデの一族の歴代の王家です。預言者ナタンは次のような知らせをダビデ王に伝えました。「〔エホバ〕はまた『あなたのために家を造る』と仰せられる。……『あなたの家と王国はわたしの前に長く保つであろう。あなたの位は長く堅うせられる』」― サムエル後 7:11-16,口語〔新〕。
26 深い感謝の意を表したダビデは,その家にかかわるエホバのみ名と目的に関して祈りの中で何と言いましたか。
26 この神聖な契約に対する深い感謝の意を表したダビデは,祈りの中でこう述べました。「〔エホバ〕神よ,今あなたが,しもべとしもべの家とについて語られた言葉を長く堅うして,あなたの言われたとおりにしてください。そうすれば,あなたの名はとこしえにあがめられて,『万軍の〔エホバ〕はイスラエルの神である』と言われ,あなたのしもべダビデの家は,あなたの前に堅く立つことができましょう。万軍の〔エホバ〕,イスラエルの神よ,あなたはしもべに示して,『おまえのために家を建てよう』と言われました。それゆえ,しもべはこの祈りをあなたにささげる勇気を得たのです。〔主権者なる主エホバ〕よ,あなたは神にましまし,あなたの言葉は真実です。あなたはこの良き事をしもべに約束されました。どうぞ今,しもべの家を祝福し,あなたの前に長くつづかせてくださるように。〔主権者なる主エホバ〕よ,あなたがそれを言われたのです。どうぞあなたの祝福によって,しもべの家がながく祝福されますように」― サムエル後 7:25-29,口語〔新〕。
27 エホバはダビデと結んだ王国契約を固守していることを示すためイザヤを通して,また後にはエゼキエルを通してゼデキヤ王に何と言われましたか。
27 主権者なる主エホバはダビデのその祈りに答えられました。300年余の後,万軍のエホバの熱心が平和の君の君としての支配を「ダビデの王座とその王国の上に」確立し,「今よりのち,定めのない時まで」それを支えることをエホバが預言者イザヤを用いて告げ知らせたのはそのためです。(イザヤ 9:6,7,新)それから1世紀余の後,エルサレムのダビデの子孫の治める王国がまさに滅ぼされようとしていたとき,エホバは王位継承権がダビデの家から離れないということを告げ知らせて,ダビデとの王国契約を固守していることを示されました。エホバはエルサレムのダビデの王座に着いた最後の王ゼデキヤに語りかけて,預言者エゼキエルを用いてこう述べました。「かぶりものを取り除き,王冠を取り去れ。これは同じではなくなる。低いものを高く上げ,高い者を低くせよ。破滅,破滅,破滅,わたしはこれを生じさせる。それは,正当な権利を持つ者が来る時まで決してだれのものにもならない。わたしは必ずそれを彼に与える」― エゼキエル 21:25-27,新。
28 (イ)ダビデの家の王国はいつ覆されましたか。その70年後,ゼルバベルはユダを治めるどんな職務につきましたか。(ロ)ダビデの家を清めることに関してゼカリヤは何を預言しましたか。
28 西暦前607年のエルサレム崩壊のさい,ダビデの王座は覆され,生き残ったユダヤ人はバビロンに追放されました。70年後,神を恐れるユダヤ人の残れる者はバビロンから解放されて,ユダの地に戻り,エルサレムでソロモン王の建立した最初の神殿の敷地に別の神殿を建てることになりました。ダビデ王の子孫,シャルテルの子ゼルバベルは,ユダとエルサレムの総督になりました。エホバは預言者ハガイおよびゼカリヤを起こして,神殿再建のわざに携わる総督ゼルバベルを激励しました。ダビデと結んだ王国契約に対してなおも忠誠を示したエホバは,預言者ゼカリヤに霊感を与えてこう言わせました。『その日罪と汚穢を清むる一つの泉ダビデの家とエルサレムの居民のために開くべし』― ゼカリヤ 13:1。
29 エルサレムとユダにいつエドム人の王が立てられましたか。ダビデと結ばれた王国契約に関してどんな疑問が生じたと考えられますか。
29 その後400年余を経て,パレスチナの地はローマ帝国の支配下にはいり,ローマの元老院の任命で,ヘロデ大王と呼ばれた非ユダヤ人のエドム人がエルサレムとユダヤ州の王になりました。こうして何世紀も経ったのですから,平和が限りなく続くことになっていた永遠の王国のためにダビデと結んだあの契約のことなど,エホバ神はすっかり忘れられたのではありませんか。神がその契約を結んで以来,合計1,000年余を経た今となっては,その契約は廃れ,時代遅れとなり,また失効状態にあるように思えるゆえに生命を保っている何らかのしるしをもはや示してはいないのではありませんか。不信仰な者ならそう考えたかもしれません。しかし,神についてはどうですか。
ダビデ王の永遠の相続者の誕生
30,31 (イ)エホバはダビデ王のどんな家系を見守りましたか。(ロ)エホバはその家系のだれの娘に注目しましたか。彼女はだれと婚約しましたか。
30 王国契約の神聖な作成者で,忘れることのない神は,ダビデに対するご自分の誓約を確実に実行する態勢を整えました。忠実なダビデ王のために王家を造ることを約束した神は,ダビデの男子の子孫を見守りつづけました。そして,ソロモン王を通してではなく,ダビデの別の息子ナタンを通して続くダビデの家系の一つに目を向けました。その特定の家系は他の20人の人びとを経て続き,預言者ゼカリヤの時代にエルサレムの総督となったゼルバベルを生み出します。ゼルバベルにはレサという名の息子がいましたが,その息子の後,他の16人の人たちを経て家系はなおも跡切れずに続き,後にマタテの息子ヘリが生まれました。(ルカ 3:23-31)次いで神は,ヘリの男子の子孫ではなく,その娘に注目しました。その娘は西暦前1世紀の後半,ローマ領ユダヤ州の町,ベツレヘムで生まれました。その名はマリアです。
31 やがてマリアはローマ領ガリラヤ州のナザレの町に連れてゆかれました。その町で婚期に達した彼女は,ヤコブの子でナザレの住人であるヨセフという名の大工と婚約しました。
32 ヨセフとのその婚約はなぜ適切でしたか。ダビデの相続者に関してどんな疑問が生じましたか。
32 その婚約はたいへん適切なものでした。なぜですか。というのは,ヨセフは片田舎の町ナザレのしがない大工でしたが,ナタンの家系ではなく,ダビデの最初の王位継承者ソロモンの家系の,ダビデ王の子孫だったからです。それでヨセフには,先祖ダビデの王室の王座に着く正当な権利がありました。では,ヨセフはダビデ王の約束久しい永遠の相続者の直系の父親になるのですか。
33,34 (イ)エホバはなぜ,マリアとともにおられる証拠をお与えになりましたか。(ロ)ここで起きたできごとは,ヤコブが臨終の床で述べたどんな預言の成就に資するものでしたか。
33 さて,婚礼が催され,ヨセフが合法的に娶った妻マリアをその家から導いて,彼女のために用意した住まいに連れて行く前のこと,きわめて異例な事がら,この20世紀の頭脳時代の人びとが信じようとしない重大なことが起こりました。時はいまや西暦前3年も終わりごろのことでした。神にとってそれは待望久しい特別の時でした。突如,神がマリアとともにおられる証拠が明らかにされました。それは彼女がユダヤ人の娘だったからではなくて,ユダの部族のダビデの王家の子孫だったからです。ゆえに,そのできごとは,族長ヤコブがその四番目の息子ユダに関して霊感のもとに述べた預言の成就に資するものでした。それは遠い昔の西暦前1711年のことで,臨終の床にあったヤコブはユダに関してこう言いました。
34 『ユダは獅子の子のごとし……雄獅子のごと(し)……誰かこれをおこすことをせん 杖ユダを離れず法を立つる者その足の間をはなるることなくしてシロ[つまり,それを持つ者]の来たる時にまでおよばん 彼にもろもろの民したがうべし』― 創世 49:8-10。
35,36 (イ)神はマリアの年取った親族エリサベツのためにどんな奇跡的なことをすでに行なわれましたか。(ロ)み使い,ガブリエルは,ダビデの王座に対する神の目的についてマリアに何と述べましたか。
35 神はユダの部族またダビデ王家の処女マリアとともにおられることをどのように示されましたか。神はレビ人の祭司ゼカリヤの妻で,マリアの年取った親族エリサベツのために行なった以上の重大なことをマリアのために行ないました。神はゼカリヤとエリサベツの生殖力を奇跡的に回復させたので,彼女はいまや妊娠六か月目を迎え,ほどなく男の子を産もうとしていました。その子はバプテストのヨハネと呼ばれることになりました。しかし,大工ヨセフとの婚約期間がなお満了していない,ユダヤ人の処女マリアのために,神は何を行なわれましたか。医師ルカはこう述べます。
36 「その六か月めに,み使いガブリエルは神のもとから遣わされ,ナザレというガリラヤの都市に,つまり,ダビデの家のヨセフという人と婚約していたひとりの処女のもとに来た。その処女の名はマリアであった。そして彼女の前に現われた時,彼はこう言った。『こんにちは,大いに恵まれた者よ。エホバはあなたとともにおられます』。しかし彼女はそのことばを聞いてひどく思い乱れ,このあいさつはどういうことなのだろうと考えていた。それでみ使いは彼女に言った,『マリアよ,恐れてはなりません。あなたは神の恵みを得たのです。そして,見よ,あなたは身ごもって男の子を産むでしょう。あなたはその名をイエスと呼ぶのです。これは偉大な者となり,至高者の子と呼ばれるでしょう。そしてエホバ神はその父ダビデの座を彼に与え,彼は王としてヤコブの家を永久に支配するのです。そして,彼の王国に終わりはありません』」― ルカ 1:26-33。
37 ガブリエルはマリアが人間の父親なしに男児を生むことをどのように説明しましたか。
37 これはマリアのいいなずけの夫ヨセフがイエスの直系の普通の父親とはならないことを意味しました! 何ですって? 人間の父親なしに男児が生まれるのですか。その奇跡的な処女懐胎がどのようにして生ずるかをマリアに説明するため,み使いガブリエルはさらにこう述べました。「聖霊があなたに臨み,至高者の力があなたをおおうのです。そのゆえにも,生まれるものは聖なる者,神の子と呼ばれます。そして,見よ,あなたの親族エリサベツでさえ,あの老齢で子を宿し,不妊の女と言われる彼女が,今や六月めを迎えています。神にとっては,どんな布告も不可能なことではないのです」― ルカ 1:34-37。
38 マリアに関してはいまやどんな事が生じましたか。彼女の宿した子はだれの子になるはずでしたか。
38 マリアはそのような仕方で,ダビデ王の永遠不変の相続者となる者の地的母親になることに応じましたか。ルカ 1章38節はこう述べています。「するとマリアは言った,『ご覧ください,エホバの奴隷女でございます! あなたの布告どおりのことがわたしの身になりますように』。すると,み使いは彼女から去って行った」。その後まさしく聖霊がマリアに臨み,いと高き神の力が彼女を覆いました。そこで,彼女はいいなずけの夫ヨセフによらずに奇跡的に妊娠しました。それはいと高き神エホバが今やマリアの宿した子イエスの父親であることを意味しました。霊感のもとに記された他の聖句は,エホバ神がご自分の天の最愛の独り子の生命をマリアの胎内の卵細胞に移して身ごもらせたことを述べています。(ヨハネ 3:16。フィリピ 2:5-11)このことに関しては汚れたことは一つもありませんでした。「生まれるものは聖なる者,神の子と呼ばれます」とあるのはそのためです。そのすべては神の定められた時に起きました。次のように記されているとおりです。「時の限りが満ちたとき,神はご自分のみ子を遣わし,そのみ子は女から出て律法[モーセの律法]のもとに置かれ(ました)」― ガラテア 4:4。
王国契約の永久相続者
39 (イ)マリアの子イエスをヤコブの家を治める王にしようとしていたのはだれですか。(ロ)イエスはマリアを通してどんな権利を相続しましたか。
39 み使いガブリエルがマリアに告げた事がらは,確かにその子イエスがダビデ王の永久相続者になる者であることを示しました。「エホバ神はその父ダビデの座を彼に与え,彼は王としてヤコブの家を永久に支配するのです。そして,彼の王国に終わりはありません」。(ルカ 1:32,33)そのイエスに彼の父祖ダビデの王座を与えることになっていたのは19世紀前のユダヤ人でも,今日の生来のユダヤ人でもありません。王国のその王座をイエスに与えようとしておられたのは天の父,エホバ神でした。ダビデの場合,その王座は単に,イスラエルの十二部族の父である族長「ヤコブの家」を治めるものでした。それで,ユダヤ人の処女マリアにより,その初子はダビデの王家の者として生まれたので,イエスはダビデの王国を継ぐ人間としての権利をマリアを通して生まれながら持つことになりました。この事実を証明するものとして,霊感を受けた使徒パウロは神からの良いたよりについてこう書きました。「[それは]神のみ子に関するものです。そのみ子は,肉によればダビデの胤から出ましたが,聖なる霊によれば,死人の中からの復活によって神の子と力づよく宣言されたかたです。(そうです,それはわたしたちの主イエス・キリストで[す])」― ローマ 1:1-4。
40 (イ)ヨセフはマリアの子イエスに関して何を行なう義務を神に対して負っていると感じましたか。こうして,彼はイエスに何を与えましたか。(ロ)ルカはヨセフをだれの子と呼んでいますか。なぜですか。
40 マリアが妊娠していることがわかった後,そのいいなずけの夫はそのわけを知らされ,マリアを自分の妻として彼女のための家に連れて行くよう命じられました。ヨセフはナザレでそのとおりにしました。ヨセフはソロモン王の家系のダビデの子孫cでしたから,マリアによって与えられた神のみ子を自分の初子として養子にし,そのようにしてダビデの王座につく正当な権利をイエスに与えるのは神に対する自分の責務であることを悟っていました。(サムエル後 7:13-16)そこでヨセフは,生後八日目のイエスに割礼を受けさせ,その名をイエスと呼び,また生後四十日目にエルサレムの神殿で自分とマリアのための清めの儀式にさいして赤子のイエスを捧げたのです。(マタイ 1:17-25。ルカ 2:21-24)イエスが「ヨセフの子」と呼ばれたのはそのためです。(ヨハネ 1:45; 6:42)また,イエス・キリストの系図にかんして医師ルカがこう述べているのもそのためです。「なお,イエス自身は,その業を開始された時,およそ三十歳であり,人の意見では,ヨセフの子であった。ヨセフはヘリの子」。(ルカ 3:23)ヨセフは実際にはヤコブの子でしたが,「ヘリの子」とも呼ばれました。なぜなら,ヘリの娘マリアと結婚していたからです。それで彼はヘリの義理の息子でした。
41 「ナザレのイエス」と呼ばれたその人は西暦前2年にどこで生まれましたか。
41 イエス・キリストは後に「ナザレのイエス」また「イエス,ガリラヤのナザレから来たかた」と呼ばれました。(ヨハネ 19:19,欽。マタイ 21:11)それはイエスがナザレで生まれたという意味ですか。そうではありません。というのは,イエスが生まれる前のこと,その母マリアと彼女の夫ヨセフはふたりともユダのベツレヘム生まれの者だったので,ローマ皇帝,カエサル・アウグスツスの布告に従って登録をするため西暦前2年,ベツレヘムに下らねばならなかったからです。こうしてイエスは,エッサイの子ダビデが生まれたゆえに「ダビデの町」と呼ばれたベツレヘムで生まれることになりました。―ルカ 2:1-7,欽。
42,43 マリアの子が神のメシアになるという趣旨のガブリエルの証言のほかに,他のみ使いの行なったどんな証言がありますか。
42 マリアの子であるこのイエスがメシアもしくはキリストつまりダビデの王座と王国の永久継承者となるべき油そそがれた者になることを証言したのは,み使いガブリエルだけではありません。西暦前2年10月の初めごろ,イエスが生まれた夜のこと,もうひとりの天使も証言しました。そのみ使いは,同年のその時期になおベツレヘムの近くの野原で羊の群れを世話していた羊飼いたちに輝かしいさまで現われました。
43 驚いた羊飼いたちにみ使いは言いました。「恐れてはなりません。見よ,わたしはあなたがたに,民のすべてに大きな喜びとなる良いたよりを伝えているのです。きょう,ダビデの都市で,あなたがたに救い主,主なるキリストが生まれたからです。そして,これがあなたがたへのしるしです。あなたがたは,幼児が布の帯にくるまり,飼い葉おけの中に横たわっているのを見つけるでしょう」。次に生じた事がらはその誕生が尋常なものではないことを示しています。「すると突然,大ぜいの天軍がそのみ使いとともになり,神を賛美してこう言った。『上なる高き所では栄光が神に,地上では平和が善意の人びとの間にあるように』」― ルカ 2:8-14。
44 幼子イエスはなぜエジプトに連れてゆかれましたか。彼はどうしてナザレで大工になりましたか。
44 悪魔サタンは「主なるキリスト」となるべきこの神のみ子の誕生に気づきました。この世に対する自分の支配権を失うまいと気を配る悪魔サタンは,イエスがエルサレムの神殿で捧げられた後のある時,それもヘロデ大王の手を借りて幼子イエスを殺させようとしました。そこで,神のみ使いはヨセフに妻子とともにエジプトに逃れ,さらに知らせがあるまでそこに留まるよう命じました。ヘロデ王の死後,神のみ使いはヨセフにその民の地に帰るよう命じました。しかし,ヘロデ王の子アケラオがベツレヘムを含め,ローマ領ユダヤ州を支配していたので,ヨセフはベツレヘムを避けて通り,ガリラヤ州のナザレに帰りました。そこでイエスは育てられ,ナザレ人と呼ばれるようになりました。その町で,この未来の王は大工として働きました。―マタイ 2:1-23; 13:55。マルコ 6:1-3。
45 (イ)実際にメシアつまりキリストとなるためには,イエスはダビデのように何を注がれる必要がありましたか。(ロ)イエスはいつ,またなぜバプテスマを受けるためにヨルダン川に行きましたか。
45 しかし,油そそがれた者という意味のキリストもしくはメシアという言葉は,イエスが実際に油を注がれる時までは真の意味では適用できませんでした。彼の先祖であるベツレヘムの羊飼いダビデは,イスラエルの王として実際に即位する何年も前に神の預言者サムエルによって油を注がれました。(サムエル前 16:1-13。サムエル後 2:1-4; 5:1-3)イエスについても同様のことがいえます。完全な人間イエスが30歳を迎えたとき,その親族,バプテストのヨハネはバプテスマを施すわざを始めました。なぜなら,ヨハネは当時,「悔い改めなさい。天の王国は近づいたからです」と告げて,神の王国を知らせ始めたからです。(マタイ 3:1,2)その知らせに接したイエスは,神のメシアの王国の事がらに専念すべき時が来たことを知りました。そして,ご自分の人間としての生活の30年目の終わりが近づいたころ,ナザレを去り,ヨルダン川で人びとにバプテスマを施していたヨハネのもとに赴きました。なぜですか。罪の悔い改めの象徴としてのバプテスマを受けるためではなく,「天の王国」つまり神の王国に関連して神の意志を行なうために自らをエホバ神に全く捧げることを象徴するためでした。ヨハネはそのことを理解してはいませんでした。それでこう記されています。
46 (イ)そこでバプテスマを受けたとき,イエスはどのようにしてメシアもしくはキリストになりましたか。(ロ)その場で神は,バプテスマを受けたイエスをなぜご自分の子と呼ばれましたか。
46 「その時,イエスがガリラヤからヨルダンに,ヨハネのところに来られたが,彼からバプテスマを受けるためであった。しかし,ヨハネは彼をとどめようとして言った,『わたくしはあなたからバプテスマを受ける必要のある者ですのに,あなたがわたくしのもとにおいでになるのですか』。イエスは答えて言われた,『このたびはそうさせてもらいたい。このようにしてわたしたちが義にかなうことをすべて果たすのはふさわしいことなのです』。そこでヨハネはとどめるのをやめた。バプテスマを受けたのち,イエスはすぐに水から上がられた。すると,見よ,天が開け,イエスは,神の霊がはとのように下って自分の上に来るのをご覧になった。見よ,さらに天からの声があって,こう言った。『これはわたしの子,わたしの愛する者であり,この者をわたしは是認した』」。(マタイ 3:13-17)バプテスマを受けたイエスの上に神の霊がそのように下ることにより,イエスはバプテストのヨハネではなく,神によって油を注がれました。こうして,メシア,つまりキリスト,すなわち油そそがれた者となりました。それは西暦29年初秋のことでした。神はまた,その時イエスをご自分の子と宣言されました。なぜなら,今や神はご自分の霊によってイエスを霊的な子として生み出されたからです。(ヨハネ 1:32-34)イエスは今や,人間としてのメシアよりも高位の霊的なメシアもしくはキリストとなりました。
47 イエスは単に人間としてのメシアになるどんな機会を退けましたか。イエスは油を注がれたことと一致して,どんなわざに携わりましたか。
47 さて,イエス・キリストは自らをエルサレムで「ヤコブの家」を治める地的な王にしようとしましたか。いいえ,しませんでした。荒野で誘惑を受けたとき,イエスは,ヤコブの家どころか,この世のあらゆる王国を治める王になるようにとの悪魔サタンの申し出を拒絶しました。(マタイ 4:1-11。ルカ 4:1-13)後日,大勢の群衆に奇跡的な仕方で食物を与えた後,たらふく食べた何千人ものユダヤ人がイエスを自分たちの地的な王にしようとしたので,イエスは人びとの企てを退けて立ち去りました。(ヨハネ 6:1-15)イエスはご自分の王国は,彼をメシアなる王として油を注いだ方,エホバ神から来るものであることを知っておられました。神の霊によって油を注がれることにより自分に課せられた予備的なわざを正しく評価したイエス・キリストは,「ヤコブの家」の地の至る所で神の王国を教えたり,宣べ伝えたりする平和なわざに携わりました。西暦30年にバプテストのヨハネが投獄された後は特にそうでした。
48 ナザレの会堂でイエスは,イザヤのどんな預言をナザレの人びとに読んで聞かせましたか。イエスは地上でのその生涯の残りの期間,何を行なうことに努めましたか。
48 ナザレの会堂でイエスはナザレの人びとにイザヤ書 61章1,2節を読んで聞かせ,こう言いました。「エホバの霊がわたしの上にある。貧しい者に良いたよりを宣明させるためわたしに油をそそぎ,捕われ人に釈放を,盲人に視力の回復を宣べ伝え,打ちひしがれた者を解き放して去らせ,エホバの受け入れられる年を宣べ伝えさせるために,わたしを遣わしてくださったからである」。バプテスマを受けたイエスはご自分の説教の主題としてのこの言葉を述べてから,こう言い始めました。「あなたがたがいま聞いたこの聖句は,きょう成就しています」。(ルカ 4:16-21)こうしてイエスは,以前の自分の町の人びとにご自分がエホバの油そそがれた者,メシアつまりキリストであることを理解させようとなさいました。そして,地上でのその生涯の残りの全期間中,エホバの霊によって油そそがれて行なうよう権限を受け,委任された事がらを果たすべく努力されました。
49,50 (イ)イエスはイスラエル王国を再興するために軍隊を組織しましたか。(ロ)イエスは,自分が王ではあっても,なお王国のために戦ってはいないことをピラトにどのように説明しましたか。
49 したがってイエスはこの世の政治に干渉しませんでしたし,マカベア家のように軍隊を組織してローマ人をその地から追い出し,エルサレムにダビデの王国を再興したりはしませんでした。なぜですか。
50 イエスはそうしなかった理由をローマ総督ポンテオ・ピラトに説明しました。それもイエスは宗教上の敵の手で同総督に引き渡され,ローマ帝国に対する動乱扇動者として処刑されようとしていたのです。「あなたはユダヤ人の王なのか」という総督の質問に答えたイエスは,最後にこう言いました。「わたしの王国はこの世のものではありません。わたしの王国がこの世のものであったなら,わたしに付き添う者たちは,わたしをユダヤ人たちに渡さないようにと戦ったことでしょう。しかし実際のところ,わたしの王国はそのようなところからのものではありません」。そこで,ピラトは言いました。「それでは,あなたは王なのだな」。真理を証ししたイエスは,こう答えました。「あなた自身が,わたしが王であると言っています」。そうです,彼はローマ帝国が当時世界強国となっていた世のものではない王国の王だったのです。―ヨハネ 18:33-37。
51,52 (イ)イエスはご自分に「付き添う者たち」に対して,何を行なうよう教えましたか。(ロ)イエスは十二使徒に,次いで70人の福音宣明者に政治活動,それとも福音宣明のわざを遂行するよう命じましたか。どのように命じましたか。
51 イエスの述べた「わたしに付き添う者たち」とはだれですか。それは十二使徒(「遣わされた者」)を含めた,武器を持たないその弟子たちです。イエスは,それら弟子たちもやはりこの世の政治や暴力闘争に加わらず,約束された神の王国の良いたよりを平和裏に教え,また宣べ伝える仕事に専門的に従事するよう教えました。
52 ある時,十二使徒を遣わしたイエスは,地下の政治運動を組織してユダヤ人の間で反乱を扇動するよう彼らに命ずるどころか,むしろこう言われました。「行って,『天の王国は近づいた』と宣べ伝えなさい。病気の人を治し,死んだ者をよみがえらせ,らい病人を清め,悪霊を追い出しなさい。あなたがたはただで受けたのです,ただで与えなさい」。(マタイ 10:1-8)後に,他の70人の福音宣明者を派遣したときにも,イエスは同様の指示を与え,何を宣べ伝えるべきかを彼らに告げてこう言われました。「また,どこであれ,あなたがたが都市に入り,人びとがあなたがたを迎えてくれるところでは,あなたがたの前に出される物を食べ,そこにいる病気の者たちを治し,『神の王国はあなたがたの近くに来ました』と告げてゆきなさい」― ルカ 10:1-9。
53,54 (イ)イエスはご自分の臨在とこの体制の終結に関する預言の中で,どんな宣べ伝えるわざを予告しましたか。(ロ)この宣べ伝えるわざを続行するとはいっても,自分たちの宣べ伝える政府はどんなところからのものであるかを知っているゆえに,何に干渉することは許されませんか。
53 イエスは過ぎ越しの日に亡くなる少し前の西暦33年ニサン11日のこと,将来のご自分の臨在と事物の体制の終結に関する驚くべき預言を述べました。その預言の中でイエスは,ご自分に付き添う者たち,つまり弟子たちのなすべき著しいわざを確かに予告しました。こう言われたからです。「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」。(マタイ 24:3-14)この事物の体制の全き終わりが来る前に,全世界で王国を宣べ伝えるこのわざが,イエスの弟子たちによって行なわれなければならないのです。「また,あらゆる国民の中で,良いたよりがまず宣べ伝えられねばなりません」。(マルコ 13:10)弟子たちは王国を宣べ伝えるこのわざをあらゆる国民の間で平和裏に行なったからといって,世の政治に干渉したり,国際的闘争に加わったりすることは許されませんでした。
54 弟子たちはその指導者イエス・キリストのように,神のメシアの王国を単に宣べ伝えることになっていたにすぎず,地を治めるその王国を樹立する権限や権能を与えられてはいませんでした。それは地的な政府になるのではなく,「そのようなところからのものでは」なかったのです。それは全人類を治める超人的権力を伴う天的な政府だったのです。それで当然,いと高き方である天の神以外に,地の全住民を治めるそのメシアの政府を樹立できる者はいませんでした。
55 油を注がれた者としての務めを遂行し,聖書の預言を成就することに関するかぎり,全人類を支配するイエスの資格に関して異議を唱えることができるでしょうか。
55 では,全人類を治める王として千年間支配すべく油そそがれた者であるメシアつまりキリストの地上での生涯に関して,天であれ,地上であれ,だれが文句を言えますか。まるでイエスは千年期の王になるにはふさわしくない,その資格がないなどといって,だれかが正当な反対を唱えられますか。それはだれにもできません。地上でのイエス・キリストの非の打ち所のない生活を指摘した使徒ペテロは,ローマ軍百人隊の隊長コルネリオとその異邦人の友人たちにこう言いました。「あなたがたは,ヨハネの宣べ伝えたバプテスマののちにガリラヤから始まり,ユダヤ全体にわたって話題となった事がらを知っています。すなわち,ナザレから来たイエスのことで,神がどのように聖霊と力をもって彼に油そそがれたかです。彼は善を行ないながら,また悪魔に虐げられている者すべてをいやしながら,国じゅうをまわりました。神がともにおられたからです。そしてわたしたちは,彼がユダヤ人の土地で,またエルサレムで行なったすべての事がらの証人です」。(使徒 10:37-39)あらゆる証拠は,イエス・キリストは油を注がれることによってなすべく委ねられた事がらすべてを地上で成し遂げたことを示しています。イエスはついには殉教の死をさえ遂げて,ご自分に関する聖書の預言をすべて成就なさいました。
[脚注]
a イザヤ書 1章14節; 7章13節; 43章24節と比べてください。
b とはいえ,神の事物の新秩序における一つの世界語は,現代のヘブライ語アルファベットの角張った字母で印刷されたり,書かれたりするという意味ではありません。今日でさえ,英語で用いられているローマ字のアルファベットの字母で綴られたヘブライ語の出版物が残っています。たとえば,1949年に南アフリカで出版された「タリヤグ・ミリム」という教本,1927年エルサレムで出版された「アビ」と題する伝記,1933-1934年にテル・アビブで発行されたデロル紙の一部などがその例です。
c もし,ダビデ王の王統の者であるヨセフが,ダビデの王座につく「正当な権利」をヤコブ,ヨセフ(二番目の),シモンあるいはユダなどの自分の直系の普通の息子に与えるまで待ちたいと考えたのであれば,その正当な請求権は発効しなかったでしょう。(エゼキエル 21:27)なぜですか。なぜなら,ヨセフはエコニヤ(またはコニヤ,あるいはエホヤキン)の血筋を引く,ソロモン王の子孫で,エコニヤに関してはエレミヤ記 22章24-30節にこう記されているからです。『エホバいいたもう我は生く ユダの王エホヤキムの子エコニヤはわが右の手の指輪なれども我これを抜かん……エホバかくいいたもう この人を[ダビデの王座の相続権に関しては]子なくしてその命のうちに栄えざる人と記せ そはその子孫のうちに栄えてダビデの位に座しユダを治むる人かさねてなかるべければなり』。(マタイ 1:11-16; 13:55)したがって,処女マリアの子イエスはエコニヤ(コニヤ)の生来の子孫とはならず,ダビデの子,つまりバテシバの子ナタンの家系を経てダビデ王の血筋の者となったので,ヨセフが自分の養子にした息子イエスに正当な権利を与えたのは無駄なことではありませんでした。このために,ルカ 3章23-38節に記されているイエスの系図にはエコニヤ(コニヤまたはエホヤキン)の名は出ていません。
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