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    神の千年王国は近づいた
    • 10章

      それが近づいていることを示す「しるし」

      1 至福千年期が近いことを知るのは,なぜ胸の躍るような興味を感じさせられる事がらでしょうか。

      聖書の述べるところからすれば,生者あるいは死者の別なく全人類にとって至福千年期はきわめて望ましい時代です。それゆえにこそ,至福千年期が近づいたという発表は,物のわかる人すべてにとって大いに歓迎すべきニュースです。では,それが近づいたことを確信できるどんな確かな理由があるかを知るということは,胸の躍るような興味を感じさせられる事がらでしょう。それはどんな理由ですか。その幾つかを時間をかけて考慮してみましょう。

      2 (イ)わたしたちは今それを目撃していますが,何が集められていること自体,至福千年期が近づいたことを示す明確な証拠ですか。(ロ)神の側に立ってその「戦争」を指揮しているのはだれですか。その方はすでにどんな資格で仕えておられますか。

      2 至福千年期についてこれまでに考察したところからすれば,その直前に全人類史上最も壊滅的な戦い,つまりハルマゲドンにおける「全能者なる神の大いなる日の戦争」が必ず起きることがわかります。今やわたしたちは,政治支配者たち,すなわち「人の住む全地の王たち」が人間の抑制力の及ばない勢力に動かされて,あらゆる戦争の中のその戦争のために集められているさまを目撃することができます。このこと自体,その戦争の後に続く待望の千年期がやはり近づいたことを示す明確な証拠といえるでしょう。(啓示 16:13-16)全能者なる神の側に立って,その戦いに活発に加わるのは,神の天の軍勢の指揮者で,忠実また真実と呼ばれる方,つまり神のことばです。そのハルマゲドンの戦いの始まる以前に,その天的な指揮者はすでに王となっておられます。その「頭には多くの王冠が」あり,またその「外衣に,実にそのもものところに,王の王また主の主と書かれた名が」あります。(啓示 19:11-16)それで彼は,14万4,000人のクリスチャンの共同相続者とともに千年にわたる統治を開始する前にすでに王として統治しておられるのです。―啓示 12:5; 14:1-4; 20:4-6。

      3 千年期の始まる前にキリストが統治を開始することに関連して,巻き物の最初の二つの封印が開かれたとき,ヨハネは何を見ましたか。(啓示 6:1-4)

      3 この王の中の王,イエス・キリストがこうして千年期の始まる以前に統治を開始することは,20世紀の現代の世界のできごとを描写した,もっと前の箇所で言及されています。それらのできごとはヨハネへの啓示の6章に描写されていますが,その中で使徒ヨハネは,神の子羊イエス・キリストが七つの封印を開き始めたときに自分が見たことをわたしたちに告げています。その封印は,天の王座に座しておられる神のみ手からイエス・キリストが受け取った「巻き物」を封印したものでした。ヨハネはこう述べます。「そして,子羊が七つの封印の一つを開いた時にわたしが見ると,四つの生き物の一つが雷のような声で,『来なさい!』と言うのが聞こえた。そして,見ると,見よ,白い馬がいた。それに乗っている者は弓を持っていた。そして,その者に冠が与えられ,彼は征服しに,また征服を完了するために出て行った。また,彼が第二の封印を開いた時,わたしは,第二の生き物が,『来なさい!』と言うのを聞いた。すると,別の,火のような色の馬が出て来た。そして,それに乗っている者には,人びとがむざんな殺し合いをするよう地から平和を取り去ることが許された。そして大きな剣が彼に与えられた」― 啓示 6:1-4。

      4,5 (イ)火のような色をした馬の乗り手は何を象徴していることがわかりますか。(ロ)その時,完全に征服すべく,だれが出て行きましたか。このことはどのようにして詩篇 2篇1-6節を成就する舞台を整えるものとなりましたか。

      4 ここで,西暦1914年に勃発した最初の世界大戦が象徴的なことばで描写されていることがわかります。もっとも,同大戦は,さらにもう6年間地から平和を奪い去った二度目の世界大戦の先触れとなったにすぎませんでした。その最初の世界大戦は,正義の戦士イエス・キリストが天的な王冠を受け,戦いに勝って地上の敵を完全に征服すべく,それら地上の敵に向かって出て行った時をしるしづけるものとなりました。このことは,後にハルマゲドンにおける「全能者なる神の大いなる日の戦争」にさいしてイエス・キリストが神の側に立って戦うことを意味しています。最初の世界大戦が起きた時にイエス・キリストが天で王として王冠を頂くことにより,詩篇 2篇の次のことばの成就する舞台が整いました。

      5 「なぜ諸国民は騒ぎ立ち,諸国家群はむなしい事をつぶやきつづけるのか。地の王たちは立ち構え,高官たちは結束し,一つになってエホバとその油そそがれた者[そのキリスト,ギリシャ語七十人訳]とに逆らって言った。『彼らのかせを引き裂き,彼らの綱をわれわれから解き捨てよう!』天に座しておられる方は笑う。エホバは彼らをあざけられる。その時,彼は怒りをもって彼らに語り,燃える不快の念をもって彼らを狼狽させて言われる。『しかし,わたしは,わたしの王をシオンに,わたしの聖なる山に立てた』と」― 詩篇 2:1-6,新。使徒 4章24-30節と比べてください。

      6 世界大戦や国際連合は,シオンの山に座す,エホバの王をその座から除き去るものとなりましたか。ハルマゲドンにおける戦いの結果は,わたしたちに何を保証していますか。

      6 西暦1914年から1918年にわたる最初の世界大戦以来,諸国民を狼狽させてきたあらゆる騒乱をも物ともせずに,エホバはご自分の王,み子イエス・キリストを王国政府の天的な座つまりシオンにすわらせました。(啓示 14:1。ヘブライ 12:22)第一次世界大戦も,第二次世界大戦も,また国際連合機構といえども,このメシアなる王をその座から首尾よく除き去るものとはなりませんでした。ハルマゲドンにおける「全能者なる神の大いなる日の戦争」は,天の王座に座すイエスの立場をいよいよ強化するものになるとともに,彼はその天的な王座から忠節な14万4,000人の共同相続者といっしょに,一千年にわたる統治を開始する態勢が整います。(啓示 19:19-21)こうしたきわめて重要な理由のゆえに,わたしたちにとっては,人類に生気をもたらす数々の祝福を伴う至福千年期は保証されています。それはまさしく近づきました!

      7 わたしたちはなぜ,あの「邪悪で姦淫の世代」の者のようではありませんか。それにしても,イエスから与えられた,わたしたちの考慮すべき「しるし」はどこに見いだせますか。

      7 前述の証拠があるにもかかわらず,至福千年期が実際に近づいたこと,そうです,わたしたちの世代のうちに始まることを確信させられるに足る「しるし」を要求する懐疑的な人は少なくありません。わたしたちは,イエス・キリストがメシアであることを確信させられるに足るしるしをイエス・キリストに求めた,19世紀前の律法学者やパリサイ人のあの「邪悪で姦淫の世代」の者ではありません。(マタイ 12:38,39)しかし,わたしたちには確かに,イエス・キリストご自身がお与えになった「しるし」に関する説明の記録があります。しかも,イエスはそれをわたしたちが読めるようにしてくださったのですから,それを考慮するのを拒むとすれば,重大な無知のうちに自ら留まることになるでしょう。マタイ 24および25章,マルコ 13章そしてルカ 21章を読めば,その説明に接することができます。そのしるしに関する説明は,使徒たちの求めに答えて与えられましたが,それはイエスがメシアもしくはキリストであることを証明するためではなく,約束された将来のあるできごとが近づいていること,つまり成就されようとしていることを示すためのものでした。その説明が与えられたのは,西暦33年の春の月,ニサンの11日,つまりイエスが非業の死を遂げる3日前のことでした。

      「しるし」に関する預言

      8 イエスは去って行こうとしておられたことをどのように示されましたか。イエスが戻られるとき,どんなことばが述べられることになりますか。

      8 イエスはユダヤ人の耳にとって非常に恐るべき事がら,つまりエルサレムの彼らの神殿の崩壊を預言したばかりでした。エルサレムで彼は宗教上の反対者たちにこう宣言しました。「見よ,あなたがたの家はあなたがたのもとに見捨てられています。あなたがたに言いますが,『エホバの名によって来るのは祝福された者!』と言うときまで,あなたがたは今後決してわたしを見ないでしょう」。(マタイ 23:38,39)これはイエスが去って行こうとしておられることを示していました。彼が戻って来るとき,詩篇 118篇26節(新)の預言的なことばを取り上げて,「エホバのみ名によって来る人は祝福された者!」と言う人たちがいるはずです。

      9 イエスの再来を歓迎するこうしたことばを崇拝者たちがエルサレムの神殿のそばで述べるのではないことを,イエスはどのように示しましたか。

      9 しかし,エホバの崇拝者たちが,エホバのみ名によって来る方をこうした預言的なことばをもってエルサレムの有形の神殿のそばで歓迎するのでないことは明らかでした。イエスの述べた驚くべきことばに続く記述によれば,イエスはそのことを非常にはっきりと示されました。「さて,イエスがそこを立って神殿から去って行かれるところであったが,弟子たちが神殿の建物を示そうとして近づいて来た。イエスはそれにこたえてこう言われた。『あなたがたはこれらのすべてをながめないのですか。あなたがたに真実に言いますが,石がこのまま石の上に残されて崩されないでいることは決してありません』」― マタイ 24:1,2。

      10 神殿を見おろせるオリーブ山の上で,四人の使徒たちはどんな質問をイエスに尋ねましたか。幾つかの翻訳は彼らの質問をどのように訳出していますか。

      10 十二使徒はオリーブ山に行き着くまでは,その恐るべき預言について何も尋ねませんでした。オリーブ山からはエルサレムを見おろし,ヘロデ大王によって改築されたその美しい神殿を一望のもとに眺めることができました。四人の使徒たちはその光景に動かされて,重要な疑問を抱いたように思われますが,その疑問はまた,他の使徒たちの関心をも引き起こしました。こう記されているからです。「イエスがオリーブ山の上で座っておられたところ,弟子たちが自分たちだけで近づいて来て,こう言った。『わたしたちにお話しください。そうしたことはいつあるのでしょうか。そして,あなたの臨在[パルーシア,ギリシャ語]と事物の体制の終結のしるしには何がありますか』」。(マタイ 24:3)ヤングの逐語訳聖書は,弟子たちのことばをギリシャ語から次のように訳しています。「われらに告げ給え,これらのことはいつあるか。また,汝の臨在し給うと時代の全き終わりとには何の兆あるか」。ロザハムのエンファサイズド・バイブルも同様に訳出しています。「われらに告げ給え,これらのことはいつあるか。また,汝の臨在し給うと時代の終結とには何の兆あるか」。ニューコム大司教の「新しい翻訳」(改訂本文)はこう訳しています。「汝の出現し給うと時代の終わりとには何の兆あるか」― 1808年版。

      11 (イ)エルサレムの神殿の滅亡はいつ起きましたか。しかし,他のどんな事がらは,その時にも起きませんでしたか。(ロ)したがって,歴史に関して何を行なうのは当然なことといえますか。

      11 今日,わたしたちは,エルサレムの文字どおりの神殿の滅亡がいつ起きたかを知っています。それは1,900年前の西暦70年の夏,チツス将軍の率いるローマ軍団がエルサレム全市を壊滅させたときのことでした。(ルカ 21:20-24)しかし,それら他の事がら,つまり弟子たちの質問に含まれていたキリストのパルーシア(臨在,出現)と,時代もしくは事物の体制(あるいは事物の状態a)の終結との「しるし」についてはどうですか。確かにユダヤ教の事物の状態もしくは体制は西暦70年にその全き終わり,もしくは終結を見ましたが,ユダヤ教の体制がその単なる預言的な型もしくは模型であったにすぎない,より大きな事物の体制は終結したわけではありません。また,主イエス・キリストのパルーシア,つまり臨在もしくは出現がその年に起きたわけでもありません。わたしたちはこの20世紀に生きているのですから,この20世紀の現代の歴史を調べて,予告された「しるし」がわたしたちの世代のうちに現われているかどうかを確かめてみるのは,ごく当然なことと言わねばなりません。

      12 キリストの最初の到来についてステファノが述べたことから考えて,使徒たちがイエスの「到来」もしくは「降臨」について尋ねていたのかどうかを問うべきなのはなぜですか。

      12 弟子たちが主イエス・キリストのパルーシアについて尋ねたのは注目すべきことです。そのように尋ねた弟子たちは,イエスの「到来」について,つまりある人びとが言う,イエスの「降臨」について尋ねていたのでしょうか。これは提起するに価する質問です。なぜなら,主イエスの最初の「到来」について述べた,クリスチャンの殉教者ステファノは,エルサレムのユダヤ人のサンへドリンに対してこう語ったからです。「どの預言者をあなたがたの父祖は迫害しなかったでしょうか。そうです,彼らは,義なるかたの到来[エリューシス,ギリシャ語]について前もって告げ知らせた者たちを殺し,あなたがたは今,そのかたを裏切る者,また殺害する者となりました」。(使徒 7:52)キリストの最初の到来について語ったステファノは,パルーシアという語ではなく,エリューシスというギリシャ語を用いていたことがわかります。これら二つのギリシャ語は単に語形や語源だけでなく,その意味をも異にしています。

      13 語源からすれば,パルーシアということばは文字どおりにはどんな意味を持っていますか。ギリシャ語の権威者はこの語の意味をどのように説明していますか。

      13 パルーシアという語は,文字どおりには「そばにいる」という意味を持っています。それはギリシャ語の前置詞パラ(「そば」)とオウシア(「いる」)から来ているからです。リッデルとスコットの「希英辞典」は第二巻1,343ページ,2欄にパルーシアの第一の定義として「臨在」という語を掲げ,第二の定義として到着ということばを挙げ,次いで,「特に王室の,もしくは公職にある名士の来訪」という説明をつけ加えています。これと一致して,「新約聖書神学辞典」(ゲルハルト・フリードリッヒ編)はその第五巻で,「一般的な意味」として「臨在」という語を挙げています。(859ページ)次いで同辞典は,ヘレニズム時代のギリシャ語の「専門的語法」として,「1 支配者の来訪」という説明を載せています。そして865ページでは,「新約におけるパレイミ[動詞]とパルーシアの専門的用法」に関してこう述べています。「新約においては,これらの語が肉身のキリストの到来をさして用いられることは決してなく,またパルーシアには再来という意味は決してない。パルーシアに幾つもの意味があるとする考え方が最初に認められるのは,後代の教会内だけである」。

      14 (イ)ヘレニズム時代のギリシャ語のこの語の専門的語法によれば,「臨在」の代わりにどんな表現が用いられますか。(ロ)どんな翻訳は一貫してパルーシアを「臨在」と訳していますか。フィリピ 2章12節にはどんな対照的用例が見られますか。

      14 それで,イエスの弟子たちはイエスの「到着」についてではなく,その到着後のことについて尋ねていたのです。弟子たちはイエスの「臨在」について尋ねていました。そこで,「臨在」ということばを用いる代わりに,ヘレニズム時代のギリシャ語の「専門的語法」の助けを借りるとすれば,弟子たちはイエスに次のように尋ねたと考えられるでしょう。「あなたの[王室の名士としての来訪]と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」。「来訪」は,「到着」以上の意味を含んでおり,「臨在」の意味を含んでいます。いわゆる新約聖書の中にパルーシアというギリシャ語は24回出ていますが,それらの箇所でそのことばを毎回「臨在」と訳出しているのは「新世界訳聖書」(英文)だけではありません。西暦1862年発行の「ヤングの逐語訳聖書」,西暦1857年から1863年にわたって編集されたウィルソンのエンファチック・ダイアグロット訳,西暦1897年発行のロザハムのエンファサイズド・バイブルのような他の翻訳も同様の仕方で訳出しています。フィリピ 2章12節では,「臨在」つまり「いる」という語と「いない」という語が,たいへん対照的に用いられていることに気づきますが,そこで使徒パウロはこう述べています。「あなたがたは常に従ってきましたが,つまり,わたしのいる時だけでなく,わたしのいない今いよいよすすんで従っています」。

      十人の処女のたとえ話

      15 イエスの予告された「しるし」に関する幾つかの特筆すべき事がらからすれば,パルーシアはどう訳出される必要がありますか。一例として,どんなたとえ話の場合がそうですか。

      15 パルーシアと,事物の体制の終結との「しるし」に関するイエスの預言の幾つかの特筆すべき事がらについて考えても,パルーシアは「臨在」という意味に解する必要があります。たとえば,賢い処女と愚かな処女のたとえ話として一般に評されている預言のあの部分を考慮してみましょう。「忠実で思慮深い奴隷」と「よこしまな奴隷」について預言したばかりのイエスは,今度はご自分のパルーシアに関連して別の特筆すべき事がらについて預言し,こう言われました。「その時,天の王国は,自分のともしびを手に取って花婿を迎えに出た十人の処女のようになります。そのうち五人は愚かで,五人は思慮深い者でした。愚かな者たちは自分のともしびを持ちましたが,油を携えていかず,一方,思慮深い者たちは,自分のともしびとともに,油を入れ物に入れていったのです」― マタイ 25:1-4; 24:45-51。

      16 たとえ話の紹介のことばによれば,それらの女はどんな意味で「処女」ですか。

      16 まず第一に,このたとえ話には人びとの一つの級が関係しており,それゆえにその成就は個々の人間の生死に適用されるものではないことに注目すべきです。ここで関係している人たちは,「天の王国」を代表しているのですから,特別の意味での「処女」です。というのは,「その時,天の王国は[だれの?]……十人の処女のようになります」とイエスが言われたからです。その王国は,イエスがもっと前にご自分の預言の中で次のように述べて言及された「王国」のことです。「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」― マタイ 24:14。

      17 (イ)それらの「処女」は十人なので,だれを表わしていますか。(ロ)そのたとえ話はいつ成就し始めましたか。なぜその時からであるといえますか。

      17 「十」という数は,聖書では地的な事物の完全さを表わす数ですから,十人の「処女」は,イエス・キリストと共同で天の王国を相続する見込みのある,もしくはその見込みを持っていると唱えるクリスチャンのすべてを表わします。したがって,この預言的なたとえ話はいつ成就しはじめましたか。それは西暦33年シワン6日,日曜日のペンテコステの祭りの日のことでした。それはどうしてですか。なぜなら,その時,処女級が存在するようになったからです。というのは,エルサレムのとある二階の部屋に集合していたイエス・キリストの忠実な弟子たちが,その日,聖霊によってバプテスマを受けたからです。そうすることによって,彼らは神から生み出され,「神の相続人」また「キリストと共同の相続人」となる立場にある霊的な子となりました。(ローマ 8:17)しかし,聖書では相続人は普通息子です。それでは,このたとえ話の中で,霊によって生み出されたキリストの弟子たちの会衆の成員すべてが女性として,つまり婚礼の行なわれる夜,花婿を迎えに出かける処女の娘として表わされているのはなぜですか。また,その「花婿」とはだれですか。

      18 結婚の事がらに関連して,バプテストのヨハネは自分とイエスのことをだれになぞらえましたか。ヨハネは自分の弟子たちをだれに導きましたか。

      18 まず第一に,その「花婿」は,復活させられて栄光を受けた主イエス・キリストです。バプテストのヨハネはそうした見地からイエスについて語り,したがって自分のことを「花婿の友人」になぞらえました。当時は普通,「花婿の友人」が花婿と花嫁の婚礼の手はずを整えました。婚約したふたりが結ばれる夜には,花婿の友人よりも花婿にいっそうの注意が向けられました。それでバプテストのヨハネは,比喩的な「花婿」であるイエス・キリストのために備えさせてきた自分の弟子たちに向かってこう言いました。「わたしは……キリストではなく,そのかたに先だって遣わされた者で(す)……花嫁を持つ者は花婿です。しかし,花婿の友人は,立って彼のことばを聞くと,その花婿の声にひとかたならぬ喜びをいだきます。そのわけで,わたしのこの喜びは満たされているのです。あのかたは増し加わってゆき,わたしは減ってゆかねばなりません」。(ヨハネ 3:28-30)それで,ヨハネが自分の弟子たちをイエスに導いたのはもっともなことです。

      19,20 (イ)イエスは,たとえ話やヨハネへの啓示の中でご自身をどのように花婿になぞらえておられますか。(ロ)それに対応して,新しいエルサレムは何と呼ばれていますか。

      19 一方,イエスは独自の別のたとえ話をして,その中でご自分を花婿になぞらえました。それはある王が息子のために準備した「婚宴」のたとえ話で,その息子は,永遠の大いなる王エホバ神のみ子を表わしています。(マタイ 22:1-14)また,イエス・キリストが神から受けて使徒ヨハネに伝えた啓示の書の中で,神の子羊としてのイエスはその弟子たちの会衆と結婚する花婿にたとえられ,そのことがこう記されています。「喜び,そして喜びにあふれよう。また,神の栄光をたたえよう。子羊の結婚が到来し,その妻は支度を整えたからである。そして彼女には,輝く,清い,上等の亜麻布で自分を装うことが許された。上等の亜麻布は聖なる者たちの義の行為を表わすのである。……こう書きなさい。子羊の結婚の晩さんに招かれた者たちは幸いである」。さらに使徒ヨハネは,自分のところにやって来たみ使いについて次のように述べています。

      20 「[彼は]わたしと話をしてこう言った。『こちらに来なさい。子羊の妻である花嫁をあなたに見せよう』。そうして彼は,霊の力のうちにわたしを大きく高大な山に運んでゆき,聖なる都市エルサレムが,天から,神のもとから下ってくるのを,そして神の栄光を携えているのを見せてくれた」。―啓示 19:7-9; 21:9-11。

      21 エフェソス 5章23-27節でパウロは,イエス・キリストとその会衆の関係を何になぞらえていますか。

      21 使徒パウロは,イエス・キリストと14万4,000人の共同相続者のその会衆との関係を夫と妻のそれになぞらえて,こう書いています。「夫は妻の頭…です。それは,キリストが会衆の頭であり,この体の救い主であられるのと同じです。そうです,会衆がキリストに服しているように,妻もすべての事において夫に服しなさい。夫よ,妻を愛しつづけなさい。キリストが会衆を愛し,そのためにご自分を渡されたのと同じようにです。それは,会衆を神聖なものとし,みことばによる水の洗いをもってそれを清めるため,そして,輝かしいばかりの会衆をご自身の前に立たせ,こうしてそれが,汚点やしわ,またそうしたものの何もない,神聖できずのないものとなるためでした」― エフェソス 5:23-27。

      22 その結婚はどこで行なわれますか。イエスのたとえ話は,花婿のめとる花嫁についてはなぜ言及されていませんか。

      22 もちろん,花婿であるイエス・キリストと「花嫁」であるその会衆との結婚は天で行なわれます。そこで彼らは,天の父エホバ神の祝福を得て,結び合わされるのです。それにしても,十人の処女のたとえ話の中では,花嫁については何ら言及されていないことに注目すべきでしょう。それは思考上の混乱を避けるためです。なぜなら,実際のところ,「花嫁」は「十人の処女」そのものの中から取られる,もしくは選ばれるからです。選ばれた「処女」は,「子羊の結婚の晩さんに招かれ」る「幸い」な人たちです。(啓示 19:9)このことと一致して,イエスのたとえ話は,資格のある「処女」たちのことを,扉を通って婚宴の催される部屋に入って行く者として示しています。たとえ話は,彼女たちがいったいどのようにして資格を得るかをさらに説明しています。

      23 キリストの会衆の成員は「処女」にたとえられていますが,それゆえに彼らには何が要求されていますか。

      23 キリストの花嫁である会衆の成員は,童貞である花婿と婚約をしているという以上の理由で「処女」にたとえられています。彼女たちはさらに霊的な意味で「処女」といえます。処女の娘は清くて,貞潔で,性的に触れられていないのと全く同様,クリスチャン会衆のそれら忠実な成員はこの世の宗教および政治組織との関係を一切持たず,この世から離れることによって純粋で,清くなければなりません。彼らは教会と国家の結合にはいっさい加わりません。この世の事がらに巻き込まれないようにして,自分たちの霊的な処女性を保持します。(テモテ第二 2:3,4)これこそ,霊的なシオンの山に神の子羊とともに立っているのが見えた14万4,000人の者たちについて次のように言われていることの意味なのです。「これらは女によって自分を[宗教上の娼婦,大いなるバビロンとその娘たちのように]汚さなかった者である。事実,彼らは童貞である。これらは,子羊の行くところにはどこへでも従って行く者たちである」― 啓示 14:4; 17:3-5。

      24 処女にたとえられている人たちに要求されている清さについて,ヤコブ 1章26,27節は何と述べていますか。

      24 要求されている清さに関して弟子ヤコブはこう述べています。「自分では正しい方式に従う崇拝者であると思っていても,自分の舌にくつわをかけず,自らの心を欺いている人がいれば,その人の崇拝の方式は無益です。わたしたちの神また父から見て清く,汚れのない崇拝の方式はこうです。すなわち,孤児ややもめをその患難のときに世話すること,また自分を世から汚点のない状態に保つことです」― ヤコブ 1:26,27。

      「花婿」を出迎える

      25 キリストの会衆は西暦33年のペンテコステの際,どのようにして,神の見地から見て純粋で汚れのない宗教をもって発足しましたか。そのことを示すどんな証拠を彼らは持っていましたか。

      25 エルサレムで待機していた,イエス・キリストの忠実な弟子たちの上に聖霊がバプテスマを施すかのように下った西暦33年のペンテコステの祭りの日に,クリスチャン会衆は,「わたしたちの神また父から見て清く,汚れのない崇拝の方式」をもって発足しました。彼らは,イエス・キリストを退けてローマ総督ポンテオ・ピラトによってイエスを杭につけて殺させた宗教組織と関係を絶った,霊的な意味での処女級でした。(使徒 2:1-42)彼らはメシアなるイエスの教えおよびその十二使徒の教えを奉じて活動を開始し,誤った考えに支配された父祖たちから伝えられた非聖書的な宗教上の伝承に夢中になっていた,あの「曲がった世代」から自らを守りました。(使徒 2:40。ガラテア 1:13-17。マタイ 15:1-9)聖霊によるバプテスマを受け,異言の賜物を得たことは,彼らが真の宗教を有していることの証拠でしたし,彼らはまた,そのことを知っていました。今や彼らはそうした点で「処女」として留まっていなければなりませんでした。

      26,27 (イ)霊的な意味において,クリスチャン会衆は西暦33年のペンテコステにさいして,だれの許嫁となりましたか。(ロ)「花婿の友人」に似たパウロは,コリント第二 11章2-5節でクリスチャンたちにどのように語りましたか。

      26 クリスチャン会衆が天的な花婿イエス・キリストに娶られることになり,許嫁になり,婚約したのはその日(西暦33年シワン6日)のことでした。エルサレムで発足した120人の弟子たちで成るその最初の会衆にその後加わった人たちはみな,その許嫁級の一員となり,そして「処女」としての自らの立場を守らねばなりませんでした。イエス・キリストとの婚約を破棄して,偽キリストと結婚することのないよう,コリントのクリスチャンを戒めた使徒パウロが言及しているのは,そのことなのです。「花婿の友人」に多少似ているパウロはこう述べます。

      27 「わたしは敬神のしっとをもってあなたがたをしっとしているのです。あなたがたを貞潔な処女としてキリストに差し出すため,わたし自身があなたがたをただひとりの夫に婚約させたからです。しかしわたしは,へびがそのこうかつさによってエバをたぶらかしたように,あなたがたの思いが腐敗させられて,キリストに示されるべき誠実さと貞潔さから離れるようなことになりはしまいかと気づかっているのです。現状では,だれかが来てわたしたちが宣べ伝えたものとは別のイエスを宣べ伝えても,あるいは自分が受けたものとは別の霊を受け,自分が受け入れたものとは別の良いたよりを受けても,あなたがたはその者を簡単に容認してしまうからです。わたしは,あなたがたの優秀な使徒たちにただの一事といえども劣っていないと考えているのです」― コリント第二 11:2-5。

      28 イエスおよびみ使いたちは,イエスがユダヤ人の花婿のようにやって来て弟子たちを家に連れてゆくであろうことを,彼らにどのように語りましたか。

      28 彼らは将来のいつか,つまり西暦33年のペンテコステの日に許嫁となった後の遠い後代のいつの日かに,天の童貞の花婿と結婚することになりました。それより52日前のこと,不忠実な使徒ユダ・イスカリオテに裏切られる夜,イエスはご自分の忠実な使徒たちにこう言われました。「わたしの父の家には住むところがたくさんあります。そうでなかったなら,わたしはあなたがたに告げたことでしょう。わたしはあなたがたのために場所を準備しに行こうとしているのですから。そしてまた,わたしが行ってあなたがたのために場所を準備したなら,わたしは再び来て,あなたがたをわたしのところに迎えます。わたしのいる所にあなたがたもまたいるためです。そして,わたしが行こうとしている所への道をあなたがたは知っています」。(ヨハネ 14:2-4)それから42日の後,幾人かの弟子たちの眼前でイエスがオリーブ山の上から空に昇ってゆかれたとき,ふたりのみ使いが弟子たちに現われて言いました。「ガリラヤの人たちよ,なぜ空をながめて立っているのですか。あなたがたのもとから空へ迎え上げられたこのイエスは,こうして,空にはいって行くのをあなたがたが見たのと同じ様で来られるでしょう」。(使徒 1:9-11)したがって,弟子たちは,以前イエスから保証されていたとおり,去っていったイエスが結婚式の夜のユダヤ人の花婿のようにやって来て,自分たちを天の父の住まいに連れて行くであろうことを知っていました。―ヨハネ 14:1-3。

      29 (イ)「処女」級はいつ花婿を迎えるために出かけましたか。(ロ)ここでどんな質問が生じますか。二種類の処女の人数が等しいことは何を示していますか。

      29 結婚の祝典に関するそうした期待を抱いて,許嫁の処女級は花婿を迎えて歓迎し,花婿とともに喜ぶために出かけました。彼女たちは油断なく見守っていなければなりませんでした。「その日もその時刻も」知らなかったからです。(マタイ 25:13)西暦33年のペンテコステの日に出かけた人たちと,その後彼らに加わった幾千人もの人たちのうち何人が,そのたとえ話の「思慮深い」処女のようであり,また何人が「愚かな」つまり無思慮な処女であることを示しましたか。このたとえ話は,思慮深い者たちと愚かな者たちの人数が等しいことを示していますが,それは実際に出かける人すべてに平等の機会があることを示すためであって,いずれか一方の処女たちが他方のそれより多いことを示すためではありません。そのことは明示されずに終わっています。しかし,出かけてゆく「処女」たちすべてが,宴の部屋に入って「子羊の結婚の晩さん」を楽しむのを許されるにふさわしい者であることを証明するわけではありません。このたとえ話は確かにそのことを示しています。―ルカ 12:35-38。

      30 (イ)思慮深い処女たちを愚かな処女たちから区別するものとなったのは何ですか。(ロ)すべての者が灯のともったともしびを携えて出かけましたか。ゆえに,その点で非常に重要だったのはどんな問題でしたか。

      30 では,思慮深い,あるいは分別のある処女たちを無思慮な,あるいは無分別な処女たちから区別するものとなったのは何ですか。これです。「愚かな者たちは自分のともしびを持ちましたが,油を携えていかず,一方,思慮深い者たちは,自分のともしびとともに,油を入れ物に入れていったのです」。(マタイ 25:3,4)しかし彼女たちはみな,歓迎の行列の最後までずっとともしびをともしておくなら,自分たちの身分を証明できる,つまり自分たちが婚宴に連なる許しを得るのにふさわしいことを証明できる,ということを知っていました。しかし,そのためには,結婚の祝賀行列が花婿の家に着くまでともしびの灯を保たせるに足る油が必要でした。たとえ話の成就についていえば,その油は何を表わしていますか。彼女たちは花婿の到着が知らされる前に花婿を迎えようとして出かけて行ったので,彼女たちが出かけたとき,ともしびの灯はともっていました。ですから,少なくともその時,彼女たちのランプには油が入っていました。しかしそれは,結婚の祝賀行列が花婿の家に入る時までともしびの灯をともし続けるに足るものでしたか。

      31,32 (イ)このたとえ話の目的は,それら象徴的な「処女」たちに関して何を示すことでしたか。(ロ)フィリピ 3章20,21節でパウロが言い表わしているように,彼らはどんな態度を保って待ち望まねばなりませんか。

      31 その油は灯油でしたから,その油がなければ,ランプの芯は一定の光を絶え間なく照らすことはできません。灯のともったランプを彼女たちが婚宴に携えて行くということは何を象徴していましたか。この疑問に答えるには,イエスがこのたとえ話を述べた目的を思い起こさなければなりません。その目的とは,天的な結婚式に参列したいと願う人たちは特定の身分証明を携える,つまり特定の人格を身につけていなければならないこと,また結婚の祝賀行列がいつ開始されて続けられ,ついに「花嫁」のための「花婿」の家に着くにしても,そうした状態を最後まで保たねばならないということを示すことでした。一つには,「天の王国」級の人たちは,地上のこのまっ暗な世界のただ中にあって,霊的な面で「処女」のままでいなければなりませんでした。彼らは自分たちの希望を天的な花婿に向けており,またそうした態度ゆえに,汚れた世のために自らを汚すわけにはゆきませんでした。彼らは「子羊の行くところにはどこへでも従って行」かねばなりません。(啓示 14:4)彼らは次のように述べた使徒パウロのような態度を保たねばなりません。

      32 「わたしたちの市民権は天にあり,わたしたちはまた,そこから救い主,主イエス・キリストが来られるのをせつに待っています。彼はその持つ力,すなわちいっさいのものをご自分に服させるほどの力の働きにより,わたしたちの辱しめられた体を作り替えてご自分の栄光ある体にかなうものとしてくださるのです」― フィリピ 3:20,21。

      33 (イ)彼らは霊的な意味でのこの処女性をいつまで,また何にふさわしいことを証明するために,保たねばなりませんか。(ロ)受け入れられるにふさわしいそうした状態を彼らが反映させることについて,イエスはどのように話しましたか。

      33 ゆえに彼らは,天的な花婿にその「花嫁」として受け入れられるにふさわしいことを実証したいとの願いと決意のゆえに,霊的な意味での処女性を保っています。彼らの日常生活は,人類のこの世の暗闇のただ中で,そのことを反映させるものでなければなりません。西暦31年に述べた山上の垂訓の中で,花婿イエス・キリストは弟子たちにこう言われました。「あなたがたは世の光です。都市が山の上にあれば,それは隠されることがありません。人はともしびをつけると,それを量りかごの下ではなく,燭台の上に据え,それは家の中にいるすべての者の上に輝くのです。同じように,あなたがたの光を人びとの前に輝かせ,人びとがあなたがたのりっぱな業を見て,天におられるあなたがたの父に栄光を帰するようにしなさい」― マタイ 5:14-16。

      34 フィリピ 2章14-16節のパウロのことばによれば,クリスチャンはどのように光を輝かすべきでしたか。

      34 使徒パウロはまた,仲間のクリスチャンにこう言いました。「すべての事を,つぶやかずに,また議論することなく行なってゆきなさい。それはあなたがたが,とがめのない純真な者,また,曲がってねじけた世代の中にあってきずのない神の子どもとなるためです。その中にあって,あなたがたは世を照す者として輝き,命のことばをしっかりつかんでいます。こうしてわたしはキリストの日に,自分がむだに走ったりむだにほねおったりはしなかったという,歓喜の理由を持てるのです」― フィリピ 2:14-16。

      35 それで,処女たちが灯をともしたランプを掲げることは何を表わしていますか。また,何を期待してそうするのですか。

      35 「天の王国」級の人たちが「世の光」として輝くためには,彼らは天の父に栄光をもたらす「りっぱな業に携わらねばなりません。つぶやいたり,議論したりしないですべての事を行なわねばならず,またクリスチャンとしての生活に関する限り,自らをとがめる所のない,純真な者として保ち,神の子どもとしてきずのない者であることを実証しなければなりません。彼らは,花婿がやって来て,天の父の家に連れていってもらうことを期待しながら,そうしなければならないのです。処女たちが灯のともされたランプを掲げることは,彼らがこうした事がらすべてを行なうことを表わしています。それは世の暗闇の夜のさなかで花婿を大いに喜ばせるものなのです。

      象徴的な油と入れ物

      36 灯油としてのその「油」は何を表わしていますか。

      36 では,その油,つまり灯油は何を表わしていますか。それは「天の王国」級の人たちに,まっ暗な世のただ中で光を照らす者として絶えず光を輝かさせるものを象徴しています。したがってそれは,彼らが「しっかりつかんで」いなければならない「命のことば」を表わしています。それはこう記されているからです。「あなたのみことばはわたしの足のともしび,わたしの道の光です」。(詩篇 119:105,新)「あなたのみことばを開けば光が放たれ,無経験な者に理解を得させます」。(詩篇 119:130,新)また,油によって表わされているものの中には,神の聖霊も含まれています。なぜなら,神のこの見えない聖なる活動力は,神のみことばを理解するよう人を助けるものだからです。(ヨハネ 16:13)クリスチャンのうちにあるこの聖霊は,霊の結ぶ実,つまり愛・喜び・平和・辛抱強さ・親切・善良・信仰・柔和・自制などの霊の実となって表わし示されます。(ガラテア 5:22,23)このような霊的な「油」には,ともしびをともす力があります。

      37 処女たちが自分の「入れ物」に油を蓄えて持っていることは何を表わしていますか。なぜそう言えますか。

      37 このたとえ話の中の「処女」たちは,自分の入れ物に油を蓄えておき,携えて行ったランプに注ぎ足せるようにしておかねばなりませんでした。油を飲んで自分のからだを「入れ物」替わりにし,必要に応じて油を吐きもどしてランプに入れて,ともしびをともし続けるわけにはゆきませんでした。それにしても,油を満たした入れ物を持っているということは,もちろん自分のからだを入れ物替わりにしてではありませんが,油を蓄えて持っていることを意味しました。ゆえに,「天の王国」級の人びとは確かに,自らのうちに神のみことばとその聖霊を蓄えて持っています。それで適切にも,たとえ話の中で描かれている「入れ物」は,象徴的な「油」の所持者である「処女」級の成員そのものを表わしています。確かに彼らは,花婿を迎えるために出かけて行ってその行列に加わる際,そうした「油」の十分の量の蓄えを必要としています。

      38 では,処女たちのランプは何を象徴していますか。それはどんな仕方で光輝きますか。

      38 たとえ話の中の十人の処女は,灯油のランプを用いて夜半の光景を明るく照らしました。では,たとえ話の成就において,それらのランプは今日何を表わしていますか。それは油の「入れ物」が表わしているのと同じものです。というのは,昔のランプは蓄えを入れる「入れ物」の場合と同様,灯油を入れて携えることができたからです。「天の王国」級の成員は自らが象徴的なランプなのです。彼らは油を十分に飲み,次いで全身に油を注ぎ,わが身に火を放って花婿のために自らを犠牲にする殉教者のように行列の道筋に並んで「生きたたいまつ」になるわけではありません。そうではなくて,啓発を与える神のみことばとその聖霊で満たされているのです。それゆえに,彼らは輝かしい天の花婿を祝うべく霊的な仕方で光輝くのです。彼らはその霊的な特質のゆえに,「世を照らす者」となっています。彼らは神のみことばと霊の影響を受けて営んでいる生活のゆえに光輝いており,神に栄光を帰しています。

      39 (イ)「処女」たちは花婿を迎えるのにどれほど待たねばならないかは知りませんでした。なぜですか。(ロ)それで,思慮深い処女たちは,どうするのが賢明なことに気づきましたか。

      39 花婿が花嫁をもらった家を夜何時に出て行列を伴い,結婚生活をする自分の家に戻って来るかは決められていなかったので,たとえ話の中の処女たちは花婿が姿を現わすまでどれほど待たねばならないかを正確には知りませんでした。それで,携えていたランプをどれほどの時間ともし続けねばならないかは知るよしもありませんでした。ですから,油を満たしたランプだけでなく,ほかにも油を満たした入れ物を携えるのは賢明なことでした。「思慮深い」もしくは分別のある処女たちはそのことを認め,灯をともしたランプとともに,「油を入れ物に入れて」持って行きました。「愚かな」あるいは無思慮な,つまり無分別な処女たちはそうしなかったので,時が経つにつれてこの点での愚かな態度が明らかになりました。

      40 (イ)たとえ話の成就についていえば,「思慮深い」処女級は,どのようにして自分たちの入れ物に油を入れて持って行きますか。(ロ)それは彼らが自分たちの花婿との婚約関係を保っていることを証明するのに,どのように助けとなりますか。

      40 このたとえ話の成就についていえば,「思慮深い」五人の処女で表わされている人たちは,いわば神のみことばを自分の内に満たし,自分個人の研究により,また神のみことばが教えられ,討議されるクリスチャンの集会に出席することにより,そして神のそのみことばを他の人びととわかち合って用いることにより,みことばを思いと心に留めることによって,自分たちの入れ物に余分に入れて持っているのです。彼らは神の霊を祈り求め,絶えず「霊に満たされ」るよう努力しています。(エフェソス 5:18)彼らはこうして霊の「油」に満たされているので,将来いつなんどき緊急事態に面しても,忍耐の力を新たにし,天の花婿との婚約関係をまさしく固守している証拠として「世の光」のように輝き続けられるよう助けが得られます。

      花婿が遅れている間に

      41 (イ)異邦人が初めて,花婿を迎えに出かけた「貞潔な処女」級の一員となったのはいつですか。(ロ)西暦70年にはユダヤ人の身の上に何が起きましたか。それゆえに,その時,「処女」たちは花婿に会いましたか。

      41 西暦36年の秋,割礼を受けていない非ユダヤ人つまり異邦人が,神の見地から見て「清く,汚れのない崇拝の方式」であるキリスト教に改宗できるよう扉が開かれました。それら信仰の厚い異邦人は,西暦33年のペンテコステの日にユダヤ人の信者が受けたと同様の神の聖霊とその賜物を受けました。(使徒 10:1から11:18; 15:7-19)こうして,それらの人たちも,キリストと「婚約」している「貞潔な処女」級の一員になりました。(コリント第二 11:2)その時以来,彼らは「十人の処女」のたとえ話の成就にあずかり,このたとえ話のことばづかいを借りていえば,彼らは「自分のともしびを手に取って花婿を迎えに出」ました。西暦70年にはエルサレム市とその壮麗な神殿はローマ軍団によって滅ぼされました。その恐るべき滅びはキリスト教に反対する不信仰なユダヤ人に対する神の裁きの表明でしたが,「貞潔な処女」級は,自分たちが歓迎するために出かけた天の花婿には出会いませんでした。―ルカ 21:20-24。マタイ 24:15-22。マルコ 13:14-20。

      42,43 (イ)第一世紀も終わりに近いころ,希望をいだく「貞潔な処女」級はどんな啓示で励まされたに違いありませんか。しかし,その啓示はどのように終わりましたか。(ロ)その後に書いた最初の手紙の中で,ヨハネは,だれがいることをすでに指摘していますか。

      42 何年かが過ぎ去り,西暦1世紀も終わりに近い西暦96年ごろ,使徒ヨハネは,天の花婿イエス・キリストと,新しいエルサレムとして描かれているその「花嫁」のことを明らかにした驚くべき啓示を受けました。(啓示 21:1から22:17)これは戻って来る花婿に会うことを依然として期待し続けていた「貞潔な処女」級にとって,測り知れない励みとなったに違いありません。とはいえ,天の花婿はその啓示を結ぶにあたって,こう述べました。「これらのことについて証しされるかたが言われる,『しかり,わたしは速やかに来る』」。それに対して,年老いた使徒ヨハネは答えました。「アーメン! 来たりませ,主イエスよ」。次いでヨハネはこう付け加えて結んでいます。「主イエス・キリストの過分のご親切が聖なる者たちとともにありますように」。(啓示 22:20,21)恐らくそれから2年後の西暦98年ごろ,使徒ヨハネは彼の三通の手紙の最初のものを書き,その中で次のように述べました。

      43 「幼子たちよ,いまは終わりの時です。そして,あなたがたが反キリストの来ることを聞いていたとおり,今でも多くの反キリストが現われています。このことから,わたしたちは今が終わりの時であることを知ります」。「わたしたちは,すべて神から生まれた者が罪をならわしにしないこと,神から生まれたかたがその者を見守ってくださり,邪悪な者が彼をとらえてしまうことがないのを知っています。また,わたしたちが神から出,全世界が邪悪な者の配下にあることを知っています」― ヨハネ第一 2:18; 5:18,19。

      44 (イ)ですから,ヨハネの死は,だれの到来する道を開くものとなりましたか。(ロ)その時分には,「十人の処女」級のランプの灯はどれほど明るくともされていたに違いありませんか。花婿に会うということに関しては,どんな希望がありましたか。

      44 疑いもなく「子羊の十二人の使徒」の最後の人であった年老いた使徒は,その三通の手紙や,またヨハネの福音書として知られるイエスの生涯の記録を書いた後,ほどなくして亡くなったに違いありません。したがってヨハネの死去により,花婿キリストではなく,ヨハネの警告していた反キリストが入って来る扉が徐々に開かれることになりました。(テサロニケ第二 2:7,8)次いで,「世の光」はほとんど消えました。「十人の処女」で表わされた人たちの級の象徴的な「ともしび」は,ほとんど燃えつきたに違いありません。実際,真の「処女」たちの数はごく少なくなったに違いありません。他の関心事,つまり主イエスの再来に対する望みよりはむしろ世俗的な物質上の関心事が,単にクリスチャンと称する人たちの注意を占めたに違いありません。相当長い時間が経ちましたが,彼は現われませんでした。

      45 「花婿が遅れている間に,彼女たちはみな頭を垂れて眠り込んでしまいました」ということばは,特にコンスタンティヌスの時代までにどのように成就しましたか。

      45 このことは十人の処女に関するたとえ話の中で次のように予告されていました。「花婿が遅れている間に,彼女たちはみな頭を垂れて眠り込んでしまいました」。(マタイ 25:5)同様に,クリスチャン会衆と称する宗教団体の内部では成員たちは花婿の到来を待ちくたびれるようになりました。事実,コンスタンティヌス大帝がいわゆる「改宗」を行ない,当時の見せかけのキリスト教をローマ帝国の国教とするに及んで,キリストの再来は必要ではないように見えました。今やキリスト教世界が確立され,諸教会の司教の多くはローマ政府と同盟を結び,宗教的な意味において統治し始めました。イエス・キリストの正真正銘の使徒たちが死の眠りについていただけでなく,キリスト教の自称司教たちもクリスチャンの責任に関して眠ってしまいました。つまり,クリスチャン会衆を人間の哲学や伝承から遠ざけ,純粋さを保たせ,また神のみ前における清くて汚れのない崇拝の様式の点で全く純粋で,全然しみのない状態を保たせる必要性に目を閉ざしました。

      46 (イ)こうして「十人の処女」級が眠ることは,小麦と雑草のたとえ話の中でイエスの予告したどんな事がらと,どのように類似していますか。(ロ)霊的な意味でその眠りはどれほどの期間続くことになっていましたか。たとえ話の終わりの特筆すべき事がらの成就は,どんな時代に位置づけられることになっていましたか。

      46 こうした宗教事情は,小麦と雑草に関するイエスのたとえ話の中で描かれている事がらと類似しているようです。その話の中でイエスはこう言いました。「天の王国は,自分の畑にりっぱな種をまいた人のようになっています。人びとが眠っている間にその人の敵がやって来て,小麦の間に雑草をまき足して去りました」。(マタイ 13:24,25)長い成育期を経たのち初めて,収穫期が訪れ,たとえ話の中のその「人」がやって来て収穫作業を行ない,雑草は引き抜き,純粋の「小麦」は集めて倉庫に入れるよう命ずる時が来ます。興味深いことに,このたとえ話全体を説明するにさいして,イエスは,その使徒たちがマタイ 24章3節に記されている質問を彼に尋ねたときに用いたのと同じ表現を用いました。イエスは言われました。「収穫は事物の体制の終結で(す)」。(マタイ 13:39)この世の事物の体制の終結までにはなお長い時間が残されていたので,「十人の処女」のたとえ話の中で予告されていた眠りは,長い眠りとなりました。処女のたとえ話の終わりの特筆すべき事がらの成就は,わたしたちが「事物の体制の終結」の時期にいることを示す「しるし」の一部を成すことになっていました。

      [脚注]

      a キャンベル,マクナイトおよびドッドリッジ共訳,「イエス・キリストの使徒および福音宣明者たちの記した,一般に新約と呼ばれる,聖なる著作」,1828年版。

  • 「さあ,花婿だ!」
    神の千年王国は近づいた
    • 11章

      「さあ,花婿だ!」

      1 「十人の処女」が眠りに陥った,その長い不定の期間中に,だれに関するかぎり人を興奮させるような事がらが生じますか。どんな宗教的覚醒の生じた後は特にそうでしたか。

      イエスのたとえ話の中で予告されていた,眠りに陥ったその長い不定の期間中に,象徴的な「処女」たち,特にそれぞれ入れ物に余分の油を蓄えて携えていった「思慮深い」処女たちにとっては,彼女たちを興奮させるような事がらが幾つか生じたに違いありません。西暦16世紀初頭に宗教的覚醒が生じ,天与の真理を収めた唯一の書で,花婿キリストの追随者のための霊感を受けた真の道しるべである,霊感のもとに記された聖書に帰る努力がヨーロッパで精力的に払われるようになった後は特にそうです。再び来るとのキリストの約束は,聖書の誠実な読者や研究者にひとかたならぬ感銘を与えました。彼らはその再来が至福千年期前に,すなわち至福千年期の始まる前に生ずるであろうことに気づきました。この千年期はサタンが縛られ「底なき坑」つまり「底知れぬ深み」に幽閉されることにより印づけられることになっています。

      2 人びとを宗教面で興奮させるそうした事がらに関して,ルーテル派の神学者J・A・ベンゲルはどのように一役演じましたか。

      2 たとえば,18世紀の前半には,ヨハン・アルブレヒト・ベンゲルというルーテル派の神学者が現われました。彼は西暦1687年にドイツ,ウェルテンベルクのウインネンデンで生まれ,1752年に死にましたが,聖書に関する書物を何冊か著わしました。ブリタニカ百科事典(第11版)はそれらの著書についてこう述べています。

      さらに重要な著作としては,オルド・テンポルム[時代の秩序]と題する,聖書の年代表に関する論文がある。その中で彼は,世の終わりに関する考察を紹介している。また,ドイツでしばらくの間たいへん好評を博した「黙示録詳説」と題する著書がある。これは数か国語に翻訳された。―第3巻,737ページ。

      マクリントクおよびストロング共編,「百科事典」は,ベンゲルについてこう述べています。

      「獣の数字」や,「千年期」(彼は確信をもって,千年期の始まりを1836年と決めた)の始まる年などを決めようと試みた彼の年代学的著作は,かえって判断の堅実さに関する彼の評判を落とすものとなった。―第1巻,749,750ページ。

      3 (イ)出版されたベンゲルの著作はなぜ花婿に関する夜半の叫び声を意味するものとはなりませんでしたか。(ロ)ほかにマサチューセツ州ピッツフィールドのウィリアム・ミラーは,人びとを興奮させるものをどのようにもたらしましたか。

      3 しかしながら,18世紀前半に出版されたベンゲルの著書は,「見よ,花婿だ! 迎えに出よ」;「さあ,花婿だ! 迎えに出なさい」という夜半の叫び声を意味するものではありませんでした。(マタイ 25:6,改訂標準訳; 新世界訳)ベンゲルの出版物に従い,その述べる所に応じて行動した人たちは,1836年に,見える肉身の姿で再来する天の花婿を迎えはしませんでした。やがて,「貞潔な処女」級の成員と称するクリスチャンの間ではほかにも彼らを揺り動かす事がらが起きました。特に,1781年にアメリカ,マサチューセツ州ピッツフィールドに生まれたある人に関する事がらがそれです。その人はいわゆるミラー説信奉者もしくはアドベンティスト派の創立者となったウィリアム・ミラーです。マクリントクおよびストロング共編,「百科事典」はその第6巻,271ページでこう述べています。

      1833年ごろ,ニューヨーク州ロー・ハンプトンに住んでいた彼は,新しい教理の主唱者としての生涯を始め,世の終わりは1843年に到来すると説いた。彼の信仰の根拠となった主要な論議は,ダニエル書 8章14節にある2,300日の満了に関する論議であり,彼はそれらの日を年とみなした。次いで彼は,ダニエル書 9章24節の七十週を前の草の2,300日の期間を算定する鍵と考え,その期間を,ペルシアの王アルタクセルクセスがエルサレムにユダヤ人国家を再興させるべくエズラを釈放して派遣した(エズラ書 7章)紀元前457年から起算し,注釈者が一般に行なうように,その七十週の終わりをキリストの十字架上の死を招いた紀元33年と計算したので,2,300日の残りである1,810年は1843年に終わるということを知ったのである。その後10年間,彼はこうした趣旨の主張を堅持し,軽信から生ずる期待をいだいて約束の日を待望した大勢の追随者を集めることに成功し,その数は5万人に達したとされている。しかしながら,結果は彼らの主唱者の教えに反するものとなり,時おりアドベンティスト派と呼ばれる彼らは,徐々にミラーを見捨ててしまった。彼は1849年12月20日,ニューヨーク州ワシントン郡ロー・ハンプトンで死去した。

      4 (イ)ミラーの運動は,夜半の叫び声を意味するものとはなりませんでした。どうしてですか。(ロ)その30年後,独立した聖書研究者たちのグループは,キリストが再び来ることに関して何を悟りましたか。

      4 それで,ミラー説信奉者の運動開始は,「さあ,花婿だ!」という夜半の叫び声を意味するものとならなかったのは明らかです。天の花婿は1843年に目に見える肉身の姿でそれらアドベンティスト派の信者に現われて,狂喜する彼らをその待望の天の住まいに連れて行ったりはしませんでした。それにもかかわらず,聖書の研究は続行されました。それから30年後のこと,アドベンティスト派とは無関係の,すなわちキリスト教世界の諸宗派のいずれとも提携していない人たちの小さなグループが,アメリカ,ペンシルバニア州ピッツバーク(アレゲーニー)で聖書研究を行なっていました。彼らは宗派的な色眼鏡で聖書を見るのを避けるため,独立して研究しました。それらの人たちの中に,20代に入って間もないチャールズ・テイズ・ラッセルがいました。もちろん彼らは,天の花婿イエス・キリストが再び来ることに強烈な関心をいだいていました。それにしても,聖書研究を行なった結果,彼らはキリストの再来は目に見えるものではないこと,つまり肉体を備えて人間として現われる場合のように,肉身で目に見える様でではなく,もはや血肉を備えてはいないゆえに,霊者として見えない様で再来するということを悟りました。したがって,キリストの到着は人間の目には見えませんが,その到着はキリストの側からすれば,目に見えない臨在もしくはパルーシアの始まりとなります。しかし,それは種々の証拠によって明らかに示されるのです。

      「七つの時」―「異邦人の時」

      5 彼らは自分たちの研究を続けてゆくうちに,イエスが指摘されたどんな期間について考察しましたか。1876年,その期間の終わりについてラッセルはどんな事を発表しましたか。

      5 それら探求心の強い研究者たちは聖書研究を続けてゆくうちに,ルカ 21章24節(改標)でイエスの言及された「異邦人の時」に関する問題を取り上げて考察し,その異邦人の時をダニエル書 4章16,23,25,32節で4回指摘されている「七つの時」と結びつけました。それら聖書研究者たちは,地に対する異邦人支配の続く「七つの時」が神のみ前で合法的に終わるのはどの年であると断定しましたか。当時,ニューヨーク市ブルックリンでジョージ・ストルズという人が,「バイブル・イグザミナー」と呼ばれる月刊誌を発行していました。1876年のこと,24歳のラッセルはその問題に関する一文を同誌に寄稿し,それは同年10月号,第21巻1号に発表されました。ラッセルの記事はその号の27,28ページに,「異邦人の時; それはいつ終わるか」という題で発表されました。その記事(27ページ)の中でラッセルは述べました。「七つの時は紀元1914年に終わるであろう」。

      6 (イ)1877年,ラッセルはどんな本の発行に参画しましたか。その本は,異邦人の時の終わりについて何と述べましたか。(ロ)次いで採用された年表によると,人類生存の6,000年の終わりはいつであると示されましたか。しかし,第七千年期はどの年に始まると考えられましたか。

      6 翌年(1877年),ラッセルはニューヨーク州ロチェスターのネルソン・H・バーバーという人に加わり,「三つの世界およびこの世界の収穫」と題する本を発行しました。その本は,西暦1914年における異邦人の時の終わりに先立って,3年半の収穫の開始によって印づけられる,西暦1874年に始まる40年の期間が先行することを明らかにしました。その収穫は,1874年に臨在もしくはパルーシアを開始した主イエス・キリストの目に見えない指導のもとでなされていると解されました。その後まもなく,モーセの律法のもとでユダヤ人が守った古代の「ヨベル」によって予表されていた,人類のための対型的な大いなるヨベルが始まったと解されました。(レビ記 25章,新)その後採用された聖書年表によると,地上における人類生存の6,000年は1872年に終わりましたが,主イエス・キリスとは人類生存のそれら六千年の終わりではなく,対型的なヨベルの始まった1874年の10月に来ました。この1874年は,人類に罪が入って以来の六千年の終わりの年と計算されました。そして,この後者の年以来,人類は第七千年期に入っていると解されたのです。―啓示 20:4。

      7 (イ)1879年にラッセルが宗教誌を発行したとき,その名称にはなぜ「およびキリストの臨在の告知者」という表現が含まれていましたか。(ロ)その「臨在」が1914年における異邦人の時の終わりに達した時,何が起きることになっていましたか。

      7 この問題に対するこうした理解からすれば,「貞潔な処女」級は,1874年に天の花婿を迎えるべく出かけ始めました。というのは,彼らは花婿がその年に到着し,以来目に見えない様で臨在していると信じていたからです。彼らは目に見えない様で臨在する花婿の面前ですでに生活していると感じました。こうした事実のゆえに,チャールズ・T・ラッセルは1879年の7月に独自の宗教誌を発行し始めたとき,彼はその雑誌を「シオンのものみの塔およびキリストの臨在の告知者」という題名で発行しました。彼はマタイ 24章3節その他の箇所のギリシャ語パルーシアを「来る」ではなく,「臨在」と訳出したウィルソンのエンファチック・ダイアグロット訳にすでに精通していました。その新しい雑誌は,キリストの見えない臨在が1874年に始まったことを告げ知らせました。その臨在は1914年における異邦人の時の終わりまで続き,その年には異邦人諸国家が滅ぼされ,「貞潔な処女」級の残れる者は,死んで霊者として命に復活させられることによって,天にいる彼らの花婿とともに栄光を受けるものと考えられました。こうして,五人の賢い処女で表わされた級の人たちは,戸口を通って中に入り,結婚式に連なるのです。

      8 (イ)「貞潔な処女」級の残れる者は,何を切に待ち望みましたか。なぜですか。(ロ)その日の朝,ニューヨーク市ブルックリンで働く本部職員に対して,ラッセルはどんな発表を行ないましたか。

      8 何年かが過ぎ去り,時がいっそう迫るにつれて,「貞潔な処女」級の残れる者は関心の強烈さを募らせながら,1914年10月1日のその重大な日のことを考えました。それらの人たちはこの汚れた世から分かれ,キリストを通して神のために全く「聖別された」クリスチャンの一つの級を成しており,彼らは神のためのそうした「聖別」を水の浸礼で象徴しました。そして,天で花婿と会う待望の時が近づいたので,それぞれ光を輝かすことに努めていました。ついに,1914年10月1日のその日か到来しました。その日の朝,ものみの塔聖書冊子協会の会長チャールズ・T・ラッセルは,ニューヨーク市ブルックリンで働く本部職員に対して,「異邦人の時は終わり,その王たちの時代は過ぎ去りました」と発表しました。

      9 とはいえ,ラッセルはいつ死去しましたか。このことからどんな結論を下さねばなりませんか。

      9 とはいえ,異邦人の時のその終わりとともに,教会の成員の残れる者が天で栄光を受ける待望の時もまた到来したというわけではありませんでした。まず,1916年10月31日には,ラッセル自身死去し,協会の会長の職を別の人に残しました。何らかの誤算があったに違いありません。

      10 (イ)1914年10月1日には,地上にいた「貞潔な処女」級の残れる者に対するどんな事がらが具体化していましたか。(ロ)その迫害はいつ最高潮に達しましたか。どんな手紙は,天の花婿と結ばれたいという心からの切なる願いを示していますか。

      10 1914年10月1日のその日には,クリスチャンの教会が天で栄光を受けるどころか,天の花婿に会いたいと願っていた人たちにとっては重大な難事が具体化してゆきました。第一次世界大戦が恐るべき形を取って,だらだらと続いて年月が経つにつれ,「貞潔な処女」級に加え続けられた迫害が最高潮に達しました。その最高潮は1918年の夏に到来し,その時,ものみの塔協会の新しい会長ジョセフ・F・ラザフォードと当協会の会計秘書W・E・ヴァン・アンバーグおよびニューヨーク市ブルックリンの本部職員と関係を持っていた他の6人のクリスチャンの男子が米連邦裁判所で不当にも有罪宣告を受け,ジョージア州アトランタの連邦刑務所に投獄されました。同刑務所の独房から会長ラザフォードは,刑務所の鉄格子や壁の外で迫害をこうむっていた仲間のクリスチャンに宛てて一通の手紙を書き送りました。その手紙の一部は,1918年8月30日から同9月2日までの4日間,ウィスコンシン州ミルウォーキーで開かれた国際聖書研究者協会の大会のプログラムの4ページに印刷されました。a その手紙は,天で花婿と早く結ばれたいという「貞潔な処女」級の心からの切なる願いを明らかに示しています。下記に一部引用されていることばは,特にそうです。

      神のイスラエルへ

      「キリストにある最愛の皆さん:

      「刑務所での生活は奇妙に思えますが,それでも経験はすべて,喜びを伴うものとなっています。私たちはこうした事がらすべてを天的な見地から見るからです。私たちはほんとうに今こう歌うことができます。

      『地的な喜びはみな,さめよ,さめよ,

      イエスは私のもの!』

      「事実,今や地的な喜びはありません。私たちは喜び溢るる期待をいだいて,家に集められることを待ち望んでいます。……私たちはしばしば ― 去るべきか,それとも家に帰る前にしばらくの間あなたがたの所に行って仕えることを望むべきか ― この二つの道のいずれを取るべきか,どっちつかずの苦しい立場にあるのを感じます。彼のご意志がなされますように! これらすべての経験は確かに,最後の取り入れに備えて教会を成熟させるものになっていると私は思います。どこか他の所にいる親愛なる人たちから寄せられた種々の手紙は,犠牲を焼きつくしている火を彼らがどのように甘受しているかを示しています。……

      「……皆さんは,群れの愛する羊を励ますために,できるかぎりのことを行なってください。近い将来の輝かしい帰省に関する快い約束をもって彼らを慰めてください。私は今ほどに皆さんすべてを深く愛したことは決してありません。私たちの父の王座の周りに集まって,言いようもない喜びを抱いてとことわに歓喜するのは,何と楽しいことでしょう。……

      「私は,親切にも七人の兄弟たちを私とともに遣わして,私たちがこうした特権に一緒にあずかれるようにしてくださったことに対して,私たちの愛する父に感謝します。……

      「私たちはあなたがたすべてをこの上なく愛していますが,このことをしかと知っていてください。主イエス・キリストの恩寵があなたがたすべてとともにありますように。

      「主の恩寵により,あなたがたの兄弟で,しもべである,

      「J・F・ラザフォード」

      11 (イ)その迫害の期間中,「貞潔な処女」級の残れる者は1874年に関して何を察知しませんでしたか。(ロ)協会の代表者たちはどれほどの期間,連邦刑務所で服役しましたか。彼らが釈放されるとともに何が始まりましたか。

      11 第一次世界大戦の暗黒の時期のさなかでこれらすべての苦しい経験をしていた時分,「貞潔な処女」級の苦悩する残れる者は,当時から40年余の過去の1874年は花婿再来の時でもなければ,「さあ,花婿だ! 迎えに出なさい」という発表のなされる時でもないことを察知しませんでした。夜半の叫び声の上がる時はなお先のことでしたが,その時は間近に迫っていました。ラザフォード会長は1918年6月21日に裁判所で言い渡された20年の刑期ではなく,わずかに9か月を刑務所で過ごしただけでした。1919年3月25日,彼とその7人の仲間はアトランタ連邦刑務所から釈放され,ニューヨーク市ブルックリンに戻り,そこで3月26日に全員保釈を認められ,また上訴が認められました。彼らは「貞潔な処女」級の残れる者の他の成員すべてとともに戦後の自分たちのわざを開始すべく再び自由の身となりました。が,それら残れる者は,暗黒の増大するこの邪悪な世から取り去られ,天の父の王座のもとに集められるということは経験しませんでした。地上でクリスチャンとしての奉仕を行なう新しい時代が始まっていたのです!

      12 その当時,彼らは「十人の処女」に関するイエスのたとえ話のどの部分の事がらを経験していましたか。

      12 彼らはこの重大な時点で,「十人の処女」のたとえ話の中で天の花婿が次のように述べて予告した事がらを経験しました。「真夜中に,『さあ,花婿だ! 迎えに出なさい』という叫び声が上がりました。そこで,それらの処女はみな起きて,自分のともしびを整えました」― マタイ 25:6,7。

      13,14 (イ)たとえ話の中では,花婿の臨在はだれによって発表されましたか。そのことはどのようにして成就されましたか。(ロ)1914年以来,天の花婿がほんとうに臨在していることを証明するどんな証拠がありましたか。

      13 たとえ話の中では,花婿が来たという発表は「十人の処女」によって行なわれたのではありません。それは明らかに花婿の付添い人たちによってなされました。それら処女たちはただ叫び声を聞いただけでした。同様に,花婿が来て,その父の家の中で催される霊的な婚宴に自分たちが導かれることを,それら処女たちのように待ち望んでいると唱えていた人たちすべてに対して,天の花婿が目に見えない様で臨在している事実が西暦1919年に提示されました。

      14 したがって,1919年は,愚かな者また思慮深い者の別なく,自らその「処女」であると唱えた人すべてにとって驚くべき年となりました。全地に及んだ最初の大戦は終わり,世界の平和と安全のための国際的機構として国際連盟が推し進められました。1914年におけるその世界大戦の勃発以来,イエスが述べたご自分のパルーシアと事物の体制の終結とに関する預言の十分の数の特筆すべき事がらが成就して,1914年における異邦人の時の終わりにさいしてイエス・キリストがまさしくその天の王国を継いだことを示す複合的な「しるし」を構成していました。約束のメシアによる神の王国は天で樹立されました。世界の歴史および真の教会の歴史は,キリストが臨在していることを今やほんとうに実証しました!

      自分の「ともしび」を整える

      15 (イ)今や「ものみの塔」誌はどんな副表題を正しく担うことができるようになりましたか。(ロ)「ものみの塔」誌の世界じゅうの読者は,1919年4月15日号の同誌に載せられたどんな発表によって揺り動かされましたか。

      15 「ものみの塔」誌は今やついに,「およびキリストの臨在の告知者」という副表題をまさしく担うことができるようになりました。3月に連邦刑務所から釈放された8人のクリスチャンの聖書研究者は,1919年4月13日,日曜日夜に行なわれた主の夕食の例年の祝いに出席する特権にあずかりました。不備ながら,同年5月15日付の「ものみの塔」」誌の151ページに発表された出席者総合計に関する報告によれば,その祝いに連なった人は1万7,961人を越えました。「ものみの塔」1919年4月15日号の117,118ページには,偽りの告発を受けたそれら8人の人たちがそれぞれ1万ドルの保釈金を納めて釈放されたこと,またブルックリンのベテルでは何百人もの仲間のクリスチャンにより彼らのために盛大な歓迎会が設けられたことが発表されました。世界じゅうに知らされたこの発表は,「ものみの塔およびキリストの臨在の告知者」誌の読者を元気づけるものとなりました。

      16 (イ)イザヤ書 60章2節によれば,当時は何をすべき時でしたか。(ロ)「聖別された」聖書研究者たちはどのように勇気を強められましたか。どんな国際的な集まりが催されましたか。

      16 今は霊的にうとうとしたり,眠ったりすべき時ではありません。イザヤ書 60章2節に次のように予告されていたとおり,活動すべき時が来ました。『くらきは地をおおい闇はもろもろの民をおおわん されどなんじの上にはエホバ照り出でたまいてその栄光なんじのうえに顕わるべし』。世界情勢は,「聖別された」聖書研究者すべてに果敢な活動を要求しました。花婿を待っていた人たちは時を逸さずクリスチャンとしての勇気を強められました。というのは,1919年8月1日と15日号の「ものみの塔」には,「恐れなき者は幸いなり」と題する二つの記事が掲載され,それとともに9月1日から8日までの八日間にわたり国際的規模で開催される「エリー湖湖畔,シーダー・ポイントの大会」に関する取決めが発表されたからです。霊的な眠けを勢いよく払いのけた何千人もの「聖別された」神の民は,特にカナダとアメリカからおよそ6,000人ほど群れをなして大会に参集し,連日その集まりに出席しました。その感動的な大会は,「聖別された」人たちがすっかり目ざめて,前途にある神への奉仕に活発に携わる決意を新たにする機会となりました。

      17,18 (イ)その大会の「同労者たちの日」には出版物に関するどんな発表がありましたか。それはどんな見込みを伴うものでしたか。(ロ)そのわざの進め方に関する指示は,読者をどのように励ますものとなりましたか。この大会のその日のできごとは,単なるつかの間の興味深い事がらだったに過ぎませんでしたか。

      17 9月5日,金曜日の「同労者たちの日」に,会長J・F・ラザフォードは1919年10月1日を期して「黄金時代」という名称の新しい雑誌を発行する旨発表し,大会出席者を大いに感激させました。それは神のメシアによる王国の良いたよりを知らせる「ものみの塔」誌の姉妹誌となる雑誌で,「聖別された」神の民は同誌の発行部数が毎号400万部になる時代を待ち望みつつ,その予約を得るわざにあずかるよう励まされました。後日,1919年9月15日号の「ものみの塔」の279-281ページに掲げられた「王国を告げ知らせる」と題する2ページ半の記事の中には,その雑誌を世界的に広めるわざの進め方に関する,さらに多くの指示が載せられました。

      18 その記事の最後から3番目の節の次のようなことばは,読者すべてを何と奮い立たせる招きのことばだったのでしょう。「急いで入っていただきたい。行って,このわざを行なうさい,あなたがたは単なる雑誌販売人として勧誘を行なうのではなく,王の王,また主の主の大使として仕え,きたるべき黄金時代,われらの主また主人の輝かしい王国,その到来を真のクリスチャンが幾世紀にもわたって待望し,祈り求めてきた王国を,そうした品位ある仕方で人びとに告げ知らせているということを忘れてはならない」。王国のわざのこの特筆すべき新たな分野へのその招待のことばに対して,人びとは直ちに答え応じました。それから53年余を経た今日,今では「目ざめよ!」という名称を付したその同じ雑誌は,毎号750万部印刷されています。確かにそれら6,000人の「聖別された」クリスチャンがオハイオ州シーダー・ポイントに居合わせて,1919年9月5日,金曜日に行なわれた「黄金時代」誌に関する発表を歓呼して迎えたことは,キリストのパルーシアが実現しているこの現代における神の「貞潔な処女」級の歴史の中で決して,意味らしい意味のない単なるつかの間の興味深いできごとだったのではありません。その処女級は二度と再び眠りに落ちませんでした!

      19 ともしびを整えるということは,どんな行為を要求しましたか。処女たちはなぜそのために二分されることになりましたか。

      19 それはまさしく『それらの処女がみな起きて,自分のともしびを整えた』時でした。(マタイ 25:7)たとえ話の中では,そのために処女たちはそれぞれランプに油を補充しなければなりませんでした。彼女たちのともしびは「消えそう」だったからです。しかし残念なことに,愚かな「処女」たちは自分のランプにすぐには油を補充できないことに気づきました。油を入れ物に満たして携えてはいなかったのです。一方,思慮深い処女たちは携えていました。そのために処女たちは二分されることになりました。なぜですか。マタイ 25章8,9節はその点をこう説明しています。「愚かな者たちは思慮深い者たちに言いました,『あなたがたの油を分けてください。わたしたちのともしびはいまにも消えそうですから』。思慮深い者たちはこう答えました。『わたしたちとあなたがたに足りるほどはないかもしれません。むしろ,油を売る者たちのところに行って,自分のを買いなさい』」。

      20 愚かな者たちと自分の油を分かち合うことを拒んだ思慮深い処女たちは,利己的でしたか。思慮深い者たちはどんな決意を抱いていましたか。

      20 夜中のその時刻に出て行って,開いている灯油店,もしくは必要な油を用立ててくれる灯油商を探し出すのは,それら愚かな処女たちにとってどんなに困難なことかは想像するにかたくありません。それでは,自分たちの蓄えを無思慮な処女たちと分かち合おうとしない思慮深い処女たちは利己的だったのではありませんか。いいえ,そうではありません。もしそうしていたなら,十人の処女たちはひとりも,花婿の家の戸口に着いて婚宴に招じ入れられたりはしなかったからです。十人の処女たちが皆で蓄えを分け合っていたなら,そこに着かないうちに油は尽きてしまったでしょう。思慮深い処女たちは,急場のための油を携えて行くことにより,どうしてもそこに着かねばならないと感じていることを示しました。そのことはまた,彼女たちが皆そこに着く決意でいたこと,そして今やそれら思慮深い処女たちは自分たちの努力がだいなしにされ,花婿へのお祝いのためという自分たちの正しい意図が阻まれるのを許すつもりはないことを示しました。それに,愚かな処女たちは,思慮深い処女たちが功を奏するのを妨げたり,危うくさせたりなどせずに,なおほかの所からでも油を入手できたのです。

      21 これは,聖書を研究して花婿について学びたいと願う人に対する「思慮深い」処女級の取り扱い方に関して何を意味してはいませんか。

      21 このことは,天の花婿のパルーシアもしくは臨在が始まっている現代におけるそのたとえ話の成就に関しては,どのように解されますか。それは主イエス・キリストの目に見えない臨在について聞いたある正直な人が「思慮深い」処女級の人に聖書研究を司会してもらい,花婿のお祝いに加わらせてもらいたいと願う場合,「思慮深い」処女級の者がそうすることを拒み,自分で何とかするようにと,その人に告げることを意味していますか。その人が神のみことばと聖霊で満たされたいと願う場合,そうすることはこのたとえ話の教訓に背くことになりますか。決してそうではありません。

      22 「油」を分かち合うという問題を考慮するさい,灯をともしたランプを高々と掲げることは何を意味していることを思い起こすべきですか。その「油」は何を象徴していますか。

      22 では,その成就において,「思慮深い」処女級はなぜ「愚かな」処女級と自分たちの油を分かち合うことを拒んだのでしょうか。自分の入れ物に油を入れて持っていることは,自分自身の内に象徴的な油を持っているのと同じであることを,わたしたちは銘記しておかなければなりません。また,灯をともしたランプを高々と掲げるのは,人が自分の光を輝かせる,つまりこの無知蒙昧の暗い世の人びとがわたしたちの良いわざを見,またそれゆえに神の栄光をたたえるようになるために,発光体のように自ら輝くのと同じことです。(マタイ 5:14-16。フィリピ 2:15)啓発する力を与えるのは,象徴的な油であり,その「油」は,神の崇拝者にとってともしびとも光ともいうべき神のみことばと(詩篇 119:105),わたしたちのために神のみことばを解明し,またその所有者すべての内に「霊の実」と呼ばれる優れた敬虔な特質を生み出す神の聖霊の両方を表わしています。(ガラテア 5:22,23。エフェソス 5:18-20)では,「思慮深い」処女級は,自分の内に持っているこの「油」,つまりこの啓発する力を減らすべきでしょうか。そしてついには,輝かなくなってもよいのでしょうか。

      23 (イ)「愚かな」処女級は「思慮深い」処女級が自分たちに対して何を行なうことを望んでいますか。(ロ)「愚かな」処女級の人たちはどんな「クリスチャン」ですか。

      23 それこそ「愚かな」処女級が「思慮深い」者たちに行なわせたいと思っていることなのです。「愚かな」者たちは,「思慮深い」者たちが自分たちと妥協することを望んでいます。西暦1919年になされた,天の花婿の見えない臨在に関する発表は,その花婿を迎えて,花婿の喜びにあずかりたいと願う「処女」であると自ら唱えた人たちすべてに挑戦をもたらしました。「愚かな」処女に似ている人たちは,単にキリスト教を信じていると告白するだけの人びとです。その多くは名目だけのクリスチャンで,真のキリスト教の要求にはかなっていません。それらの人は聖書の知識を,それも特にこうした聖書の知識に関する宗派に偏した理解に基づく知識を多少持ってはいるかもしれません。そして,自分の持ち合わせているただそれだけの知識の影響は受けていても,神の強力な霊を自分の内に持って,「霊の実」を生み出すほどに至ってはいません。その行ないはキリスト教の真の型に合致してはいません。彼らは単にキリスト教世界における自分たちの宗派の宗教上の形式主義に従う名目だけの,つまり自称クリスチャンとして輝いているに過ぎず,死んだら天に行けると期待しているのです!

      24 (イ)「愚かな」処女級の経た宗教上の発展は,花婿の臨在に関する証明できる種々の証拠を彼らに受け入れさせるものとなりますか。(ロ)愚かな者たちは,思慮深い者たちがキリスト教の信仰告白の点でどんなレベルまで自らを引き下げて協調することを望んでいますか。

      24 しかし,彼らの経た宗教上の発展は,「さあ,花婿だ! 迎えに出なさい」という夜半の叫び声が上がる時,その挑戦に彼らを応じさせ得るものではありません。事実,1914年以来花婿が臨在しているという証明できる事実を彼らは認めませんし,受け入れません。花婿を信じており,教会はその花嫁であることを信じていると唱えてはいますが,彼らは自分勝手な仕方で,つまり自分たちの宗派に偏した仕方で花婿を迎え,またその喜びにあずかることを主張しているのです。それゆえ,もし彼らと「思慮深い」処女級が交わりを持つとすれば,妥協しなければなりません。彼らすべてを自称クリスチャンまた天の自称相続者として融合させ,信仰合同を図らねばなりません。「思慮深い」処女級は自分たちの蓄えている霊的な「油」を減らして,クリスチャンとして発展し,到達した自分たちのレベルを無思慮な宗教家のレベルにまで引き下げなければならなくなります。そうなれば,「思慮深い」者たちは,「愚か」で,無思慮で無分別なキリスト教の自称者たちと付き合うために,自らを宗教的な面で愚かな者としなければなりません。

      25 (イ)では,「思慮深い」処女級に関して問題となっているのは何ですか。(ロ)要求に最終的にかなうためには,彼らはペテロとパウロのどんなことばを実行する必要がありますか。

      25 問題は明らかです。「思慮深い」処女級の人たちは,キリスト教世界に見られるような単なる宗教的感傷によって影響されることになるのでしょうか。彼らは自分たちの霊的な「油」を枯渇させ,真のクリスチャンとして終わりまでずっと輝くことを不可能にさせられ,花婿に伴って婚宴の間の戸口に到達するまで光を掲げる者たちの行列から,やがて落伍せざるを得なくなるようにさせられるままにするつもりでしょうか。彼らは,ペテロの第二の手紙 1章10節が述べるように,『自分の召しと選びを自ら確実にするため力をつくして励む』ことが必要です。地上の生涯の終わりが迫ったころ,次のように書き記した使徒パウロに見倣わねばなりません。「わたしは戦いをりっぱに戦い,走路を最後まで走り,信仰を守り通しました。今からのち,義の冠がわたしのために定め置かれています。それは,義なる審判者である主が,かの日に報いとしてわたしに与えてくださるものです」。彼らは花婿の婚宴の開かれる部屋に通ずるあの戸口に到達するとき,キリスト教の要求にことごとくかなっていなければなりません。―テモテ第二 4:7,8。

      26 第一次世界大戦中,「思慮深い」処女級はどのようにして束縛状態に陥りましたか。その級の人たちは1919年になぜ「愚かな」処女級との交わりを絶ちましたか。

      26 そのような理由で,「思慮深い」処女級は,小麦と雑草あるいは毒麦(ホソムギ)のたとえ話の中の雑草のような,単にキリスト教を奉ずると自称する人たちとの交わりを絶ちました。第一次世界大戦中,彼らは偽りの宗教の世界帝国である大いなるバビロンとその軍事・政治および司法上の情夫に捕われた状態に陥っていました。彼らはかなり,有力な地位にある人間に対する恐れのゆえに束縛されただけでなく,投獄されたり,兵営その他の場所に拘留されたりして文字どおり捕われの身となりました。が,1919年,彼らは大いなるバビロンに関する天からの次のような召しの声に答えて行動しました。「わたしの民よ,彼女の罪にあずかることを望まず,彼女の災厄をともに受けることを望まないなら,彼女から出なさい」。(啓示 18:4)彼らはその問題で「愚かな」処女級と妥協することはできませんでした。彼らは大いなるバビロンとその世俗的な情夫たちよりもむしろ神に従わねばなりません。彼らはまた,野獣の像,つまり西暦1919年に大いなるバビロンが高々と乗った国際連盟を崇拝する点で,大いなるバビロンと行動をともにすることはできませんでした。―啓示 13:14,15; 14:11,12; 17:1-18。

      27 1919年9月7日,日曜日に公に述べられたことばが証明するように,「思慮深い」処女級の立場はどのように最初から明確でしたか。

      27 この問題で「思慮深い」処女級が取った立場は,最初から明確なものでした。その証拠として,1919年9月7日,日曜日,午後,シーダー・ポイント大会でラザフォード会長は「苦悩する人類のための希望」と題する公開講演を行ない,その中で国際連盟は神の不興を買うものであることを指摘しました。1919年9月8日,月曜日付,サンダスキー(オハイオ州)・スター-ジャーナル誌に発表された報告を次に引用します。

      日曜日,午後,ラザフォード会長は,木陰に参集したおよそ7,000人の聴衆に向かって講演を行なった。同会長は,平和で豊かな時代を確立することによって人類の向上を図りたいとの願いに動かされた政治および経済上の諸勢力により創設された国際連盟は,多大の善を成し遂げるであろうと言明し,次いで,それにしても,僧職者は ― カトリックもプロテスタントも ― 神の代表者と称しながら,神の計画を放棄し,国際連盟を承認し,連盟を地上におけるキリストの王国の政治的表現として歓呼して迎えたゆえに,主の不興が連盟に臨むのは必至であると断言した。―1919年10月1日付,「ものみの塔」誌,298ページ,第1欄。

      28,29 「思慮深い」処女級はなぜこうした立場を取りましたか。ヤコブの用いた非難のこもったどんな用語は,彼らには適用できませんでしたか。

      28 「思慮深い」処女級は,1914年における異邦人の時の終結にさいして神の愛するみ子の王国が天で樹立されたという信仰を抱いていたので,妥協せずにその王国を支持し,その代用物はいっさい認めたり,崇拝したりすることを拒みました。彼らは自分たちの霊的な「油」を少しでも配って,神のメシアによる王国に対する全き専念の度合いを弱めさせることはできませんでした。王国に対するそうした堅い愛着はこの世で,あるいはこの世の友の間で彼らに人気を得させるものとはなりませんでした。それは彼らに対するこの世の憎しみを強めました。しかし,世からのそうした憎しみや敵意は,彼らが天の王である花婿と自分たちとの関係をほんとうに固守していることをかえって明らかにするものとなりました。彼らに対して,「姦婦」という非難のこもった用語を適用することはできませんでした。それは弟子ヤコブが1世紀当時の会衆のある成員をさして,次のように述べて用いた語だからです。

      29 「姦婦たちよ,あなたがたは世との交友が神との敵対であることを知らないのですか。したがって,だれでも世の友になろうとする者は,自分を神の敵としているのです」― ヤコブ 4:4。

      30,31 そうすることによって,「思慮深い」処女級は,許嫁の処女の特質をだれに示しましたか。そうした花嫁の美しさはイザヤの預言の中でどのように描写されていますか。

      30 それで,蓄えておいた霊的な「油」すべてを妥協せずに保持し,それを用いて自らを明るい焔を上げて燃え続ける「ともしび」のような状態に保つことによって,「思慮深い」処女級は,自分たちがその許嫁となっている,あるいは婚約している天の花婿を礼遇していました。彼らはその「ひとりの夫」である主イエス・キリストの天の花嫁になる人たちの内に求められている,忠節で,貞潔で,清くて,純粋な特質を自らのうちに光輝かせていました。彼らは神の最愛のみ子が自分の「花嫁」をわが家に連れて行く,神の予定の時が来たことを,花婿とともに大いに喜んでいます。歓喜する花婿の喜びにあずかっているのです。次のように記されているとおりです。『新郎の新婦をよろこぶごとくなんじの神なんじを喜びたもうべし』。(イザヤ 62:5)花婿が栄光を伴って現われる様に釣り合うよう,彼らも婚礼の日の花嫁のように自らを美しく装いたいと願って,天の父から授けられる飾りを受け入れます。イザヤ書 61章10節には,花婿と花嫁の間の釣り合いの取れたそのすばらしい美しさが次のように描写されています。

      31 『そはわれにすくいの衣をきせ義の外服をまとわせて新郎が冠をいただき新婦が玉こがねの飾りをつくるがごとくなしたまえばなり』。

      32 「思慮深い」処女級はどのように光輝いて,その花婿を礼遇していますか。

      32 地上の「思慮深い」処女級には,『日は新郎がいわいの殿をいずるごとし』と記されている太陽のように,さん然と輝く天の花婿の栄光をそこなうものは,いっさいあってはなりません。(詩篇 19:4,5)ですから,「思慮深い」処女級があの宗教上の娼婦,大いなるバビロンやその宗教上の不道徳な「娘たち」すべてから自分たちを区別する,キリストの示されたそうした特質を表わすことによって,発光体のように光輝いて自分たちの花婿を礼遇するのは,彼らの責任です。そのように光輝くことによって,彼らは人類に対して自分たちの最愛の花婿を偽って伝えてはいません。

      売り手からランプの油を買う

      33 イエスのたとえ話によれば,「思慮深い」処女たちは「愚かな」者たちに向かって何と言うことしかできませんでしたか。こうして,「思慮深い」者たちは何を示しましたか。

      33 「愚かな」処女級は霊的な「油」を欠いていたため,到着して居合わせており,婚宴に臨もうとしていた花婿を礼遇しようにも光輝くことができませんでした。彼女たちには,「思慮深い」者たちが自ら携えていて,花婿の跡を追うために必要としていた「油」を少しでももらう資格はありませんでした。それで,たとえ話によれは,「思慮深い」者たちは「愚かな」者たちに次のように言うことしかできませんでした。「わたしたちとあなたがたに足りるほどはないかもしれません。むしろ,油を売る者たちのところに行って,自分のを買いなさい」。(マタイ 25:9)そうした態度を取った「思慮深い」処女たちは自分たちの思慮深さをいっそう示し,無思慮で,無分別な処女たちの愚かさは彼女たちにとって悲惨なものとなりました。彼女たちは灯油商を探し出して,自分たちのランプに油を補充しなければなりませんでした。

      34,35 たとえ話の成就において,油をそのように買うということは,どのようにして行なわれましたか。しかし,その間に何が起きたことをたとえ話は示していますか。

      34 同様に,たとえ話の成就においても,「愚かな」者たちは自分たちの必要とする霊的な「油」を入手しなければなりませんでした。彼らは自分たちの信条にしたがって,天に入る道を開くものとなる「油」を入手できると宗教上感じていた所に行きました。したがって彼らは,宗派や分派に分かれている自分たちの宗教制度の販売している一種の「油」を求めて,そうした宗教制度を探し出し,そして天の花婿に正しい仕方で専念することなしに,快く代価を払えるような「油」をそうした商人から入手しました。しかし,彼らが代価を支払って灯油商から買った宗教的な「油」は,婚宴に連なる許可を得させる効力を持つものとなりましたか。その点についてはこう記されています。

      35 「彼女たちが買いに行っている間に花婿が到着し,用意のできていた処女たちは,婚宴のため彼とともに中にはいりました。それから戸が閉められたのです」― マタイ 25:10。

      36 行列の中にいる花婿のことで喜びを味わったのはどの処女たちでしたか。それらの処女たちは「戸」口で行なわれた検閲にどうしてパスできましたか。

      36 「思慮深い」処女たちと「愚かな」処女たちは互いに反対の方向に ―「愚かな」者たちは花婿から遠ざかり,「思慮深い」者たちは到着する花婿のもとに行きました。「思慮深い」処女たちが花婿を迎えた所から,婚宴が催されることになっていた家の「戸」口まではかなりの隔たりがありました。それら二つの地点の間を,ともしびを掲げた行列がしばしの間通りました。その時間の経過中,「思慮深い」処女たちは花婿とともにおり,また花婿は彼らとともにいました。喜びにあふれた行列がその目的地に到達し,花婿の住まいの戸口を通って中に入ったとき,「思慮深い」処女たちのともしびはあかあかと燃えていました。彼女たちの油の蓄えは,彼女たちがその「戸」口に到達しないうちに尽きたりはしませんでした。それで「思慮深い」処女たちは,花婿の跡に従う行列に加わった者であることを証明しました。そのために彼女たちは,婚宴に連なる許しを得る資格を得ました。彼女たちが検閲を受ける用意ができていたことの重要性を強調するものとして,たとえ話の中でこう言われています。「用意のできていた処女たちは,婚宴のため彼とともに中にはいりました」。その戸は彼女たちの面前でではなく,その後ろで閉ざされました!

      37 検閲地点において今日の「処女」たちは,どんな仕方で光輝いていることを証明しますか。花婿は,彼らがどんな状態にあるゆえに「花嫁」級の者の中に入るのを許されますか。

      37 現代に見られるこのたとえ話の成就においては,「思慮深い」処女級は,栄光に輝く花婿を礼遇し,たたえる行列に終わりまでずっと連なり続けます。そして,「戸」のそばの検閲地点に達するとき,婚礼の祝宴に連なる許しを受けるにふさわしい者であることを証明します。彼らは自分たちの婚約している天のその方によって検閲を受けるとき,花婿がその天の「花嫁」にふさわしいものとして是認する,クリスチャンの人格を身につけて光輝いていることが明らかにされます。彼らは身を「貞潔な処女としてキリストに」ささげます。彼らは「腐敗させられて,キリストに示されるべき誠実さと貞潔さから離れる」ようなことは許しませんでした。(コリント第二 11:2,3)その花婿は今日のそれら「思慮深い」処女たちをクリスチャン会衆の一部として受け入れることができます。その会衆についてはこう記されています。「そして,輝かしいばかりの会衆をご自身の前に立たせ,こうしてそれが,汚点やしわ,またそうしたものの何もない,神聖できずのないものとなるためでした」― エフェソス 5:27。

      「それから戸が閉められたのです」

      38 結婚を祝う催しに,ついにはどれほど多くの人びとが列席する許しを得ることになりますか。「戸」はいつ正式に閉められますか。なぜですか。

      38 もちろん,天の「花嫁」級の14万4,000人の成員の数を満たす人たち以外の者は,もはやその「戸」口を通って婚宴に列席する許しを与えられることはありません。(啓示 7:4-8; 14:1-5)しかし,「戸」が正式に閉められるのはいつですか。それは神の定められた時に「大患難」が勃発し,キリスト教世界とあの宗教上の娼婦,大いなるバビロン,つまり偽りの宗教の世界帝国の残りの部分すべてに滅びが臨み始める時でしょう。その時,自称クリスチャンはだれであれ,大いなるバビロンを出て,その罪にあずかったり,その致命的な災厄の一部をこうむったりしないようにしようとしても,遅きに失するでしょう。(啓示 18:4)「大患難」の日数は,「選ばれた者たち」のために「短くされ」ますから,「選ばれた者たち」の総数,すなわち14万4,000人の人数は明らかに,「大患難」が勃発する時までに満たされていることでしょう。こうして,戸は閉められるのです。

      39 「十人の処女」に関するたとえ話の中では,最後に何が起きますか。

      39 次いで,何が起きることになっていますか。「十人の処女」に関するたとえ話は次のようなことばで結ばれて,そのことが示されています。「のちに,残りの処女たちも来て,『だんな様,だんな様,開けてください』と言いました。彼は答えて言いました,『あなたがたに真実を言いますが,わたしはあなたがたを知らないのです』」― マタイ 25:11,12。

      40 花婿は「愚かな」処女たちに向かって,『わたしはあなたがたを知りません』と言いましたが,それはどうして正当なことでしたか。

      40 五人の「愚かな」処女は,その夜のその時刻に捜し出せた灯油商から,それも入手し得る油を手に入れて,自分たちのともしびをともして戸口にやって来ました。しかし,彼女たちのともしびは,花婿が礼遇されたときには光輝いてはいませんでした。彼女たちは,花婿を迎えて,そのために喜びあふれて花婿に随行した行列に加わってはいなかったのです。では,花婿には,彼女たちを自分のことを祝ってくれる人たちの一部と認めるどんな根拠がありましたか。何もありませんでした! 彼女たちは彼の結婚を祝う行列に何ら光彩を添えませんでした。ですから,まさしく花婿は彼女たちに,『わたしはあなたがたを知りません』と言うことができました。したがって,花婿が彼女たちの面前で戸を閉ざしたままにしておいたのは正当なことでした。

      41 「大患難」がキリスト教世界を襲うとき,「愚かな」処女級の者たちは自分自身について何を知ることになりますか。

      41 同様に,宗教上の娼婦,大いなるバビロンの最も際立った部分であるキリスト教世界に「大患難」が臨み始めるとき,死んだら天に行けるという彼らの希望は大いにゆすぶられ,おぼつかないものとなるでしょう。彼らは「貞潔な処女」つまり「子羊の妻である花嫁」を構成する正しい宗教組織と交わっていたのではないことに気づくでしょう。そして,テサロニケ第一 4章17節に関する自分たちの宗教上の教師の解釈にしたがって,自分たちが肉身のまま雲の中に「引き上げられ」,しかも肉身で狂喜しつつ,『空中で主と会』っているわけではないことを知るでしょう。確かに彼らはキリスト教世界のいずれかの宗派の成員として光輝いてはいても,単に名目だけの,つまり自称クリスチャンにすぎず,本物ではありませんでした。彼らが「大患難」に遭遇するさいの今重要なのは,彼らの司祭あるいは牧師が彼らのことをどう考えるか,あるいは何と言うかではなくて,彼らがどんな人間かについて天の花婿が何と言うかということなのです。

      42 仲介役を果たす,彼らの宗教組織がそのとき滅びてしまっているので,彼らは花婿に認めてもらうよう,どんな根拠に基づいて訴えますか。

      42 彼らは自分たちの論拠としてきた宗教的基盤が「大患難」によってだいなしにされるとき,遅きに失して「締め出し」を食わされた時のように,自分たちに対して戸が閉ざされていることを暗示する事態に近づきます。彼らのために仲介役を果たした彼らの宗教組織は滅ぼされるのですから,彼らは真の会衆のかしらである花婿と直接交渉しなければならなくなります。花婿の臨在つまりパルーシアは目に見えませんし,あたかも閉ざされた戸口の後ろにでもいるかのように彼らの目から花婿は隠されているので,彼らはキリスト教に関する,正しいわざの伴わない単なる信仰告白によって,自分たちが救われて天に入ることができるかどうかを調べてもらうため,花婿に向かって大声で叫びます。彼らは花婿をその口のことばによってそれと知ったのですから,花婿は今やあいさつを交し,彼らを認めるべきではありませんか。彼らは花婿に聞き入れてもらうことを期待して,「だんな様,だんな様」あるいは「主よ,主よ」と大声で叫びます。そうすれば,自分たちのために戸は開かれるはずです。しかし,そうでしょうか。

      43 (イ)イエスを「主」と呼ぶことについていえば,それら「愚かな」処女級の成員は,イエスの山上の垂訓の中のどんな言葉を真剣に考えませんでしたか。(ロ)イエスが最後にそれらの言葉を真剣に取り上げるとき,彼らはどうなりますか。

      43 天の花婿が地上にいたとき,その山上の垂訓の中で次のように述べたことを,彼らは真剣に考えませんでした。「わたしに向かって,『主よ,主よ』と言う者がみな天の王国に入るのではなく,天におられるわたしの父のご意志を行なう者が入るのです。その日には,多くの者がわたしに向かって,『主よ,主よ,わたしたちはあなたの名において預言し,あなたの名において悪霊たちを追い出し,あなたの名において強力な業を数多く成し遂げなかったでしょうか』と言うでしょう。でもその時,わたしは彼らにはっきり言います,わたしはいまだあなたがたを知らない,不法を働く者たちよ,わたしから離れ去れ,と」。(マタイ 7:21-23)しかし,「大患難」にさいして,「愚かな」処女級は,花婿がご自分の指針となる原則としてのこれらのことばを非常に真剣な態度で述べたことを思い知らされるでしょう。天の婚宴の場に通ずる戸口を花婿が彼らのために開くことはありません。彼らを世の真夜中の暗闇のたれこめる戸外に置き去りにし,他の「不法を働く者たち」すべてとともに滅びるままにします。彼らはその滅びから復活させられて,天の命を得るというようなことは経験しません。

      44 イエスは「十人の処女」のたとえ話をどんなことばで結びましたか。「思慮深い」者たちは霊的な油の蓄えに関して,あえて何を許しませんでしたか。

      44 したがって,「十人の処女」のたとえ話の要点を強調したイエスのことば,すなわち,「それゆえ,ずっと見張っていなさい。あなたがたは,その日もその時刻も知らないからです」ということばは,「事物の体制の終結」の時期に生きているわたしたちにとって特に時宜を得たものです。(マタイ 25:13)今は,五人の「思慮深い」処女のようでありたいと願う者たちが,天の「花嫁」級の一員になるための要求にかなう活動的なクリスチャンとしての人格を身につけて,絶えず光輝くべき時です。彼らは,自分たちに他の者の愚かさという重荷をいっしょに負わせ,そのようにして彼らの霊的な「油」の蓄えを多少,あるいはたくさん奪い去ろうとする人たちと,少しでもあえて妥協しようとはしません。

      45 「思慮深い」者たちは宗教上だれと付き合うような立場にあえて身を置きませんでしたか。彼らはだれを礼遇して絶えず光輝いているべきですか。なぜですか。

      45 わたしたちは,自分たちのあかりを燃えつきさせる危険な立場にあえて身をさらしたり,宗教上彼らと付き合うような立場にあえて身を置いたりはしません。わたしたちは自ら供給できる霊的な「油」すべてを必要としています。花婿の到着と臨在に対するわたしたちの信仰は,明るく輝き続けなければならず,またわたしたちは,花婿がその花嫁である会衆を完全に家に連れてくるまで,その足跡に従い,光を掲げて進む行列の一部として歩み続ける必要があります。花婿の到着が遅れた長い期間は終わりました。花婿はここにいます。その輝かしいパルーシアは始まりました。うとうとしたり,眠ったりする時は過ぎました! 今は花婿を礼遇して光輝き,また天の父が花婿の前に置いた喜び,つまり花婿がその霊的な「花嫁」をめとり,その結婚を祝して婚宴を催すその喜びに花婿とともにあずかって歓喜すべき時です。今や絶えず見張っていることが絶対に必要です。というのは,機会のあの「戸」が閉められて,決して開かれなくなるその日,あるいはその時刻を,わたしたちは知らないからです。

      彼のパルーシアの「しるし」の一部

      46 (イ)「十人の処女」のたとえ話は,使徒たちのどんな質問に対するイエスの答えの一部となっていますか。(ロ)「思慮深い」者たちの級の人びとは,たとえ話の成就の最高潮をどのように見ていますか。このことは彼らにどんな事実を確信させるものとなっていますか。

      46 「十人の処女」のたとえ話は,「あなたの臨在[パルーシア]と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」というイエスの使徒たちの質問に対する答えの一部として与えられたものです。(マタイ 24:3)そのたとえ話の最高潮は,西暦1914年以来成就を見て来ました。世の人びとはすべて,そのたとえ話の最後の特筆すべき事がらが今日実現している様を見ることができます。これまでに詳細に述べたできごとは,どこかの片隅で,人目につかない見えない所で演じられたのではなく,観察力の鋭い人びとが,その意味を理解したかどうかは別として,それと気づける公の場で起きてきたのです。少なくとも,「思慮深い」処女級に属する人たちはそれらの意味深いできごとを見守って来ました。そして彼らは,天の花婿が西暦1914年に到着し,そのパルーシアつまり臨在が今や目に見えない仕方で進行していることを示す強力な証拠を,そうしたできごとのうちに見いだしています。彼らは「十人の処女」のたとえ話の成就のうちに供されている証拠のゆえに,信仰の目をもって花婿の臨在を認めています。そして,「事物の体制の終結」が西暦1914年に始まったことを確信しています。

      47 ギリシャ語パルーシアの正しい意味は,たとえ話の「思慮深い」処女たちが花婿のことを告げる夜半の叫び声が上がった後に行なったどんなことによって,どのように確証されていますか。

      47 そうです,それに,使徒マタイがその福音書の24章3節で用いたそのギリシャ語は,多くの翻訳者が訳出しているような「来る」という意味ではなくて,「臨在」を意味しています。このことはたとえ話の中で描写されている事がらによって確証されています。「十人の処女」は,「さあ,花婿だ!」という夜半の叫び声を聞いて,うたた寝や眠りから目をさまして起き上がります。明かりを掲げた花婿の行列を食い入るように見守っていた彼女たちは,花婿が自分たちの所に到達するのを見て取り,次いで花婿とともにその行列に加わります。その地点から,招かれたふさわしい人たちすべてを待ち受ける婚宴の催される花婿の住まいに行列の一行全員が到着するまでには時間がかかりました。したがって,花婿が到着してから,その花嫁を彼女のために整えた家に連れて行くまでには,花婿の臨在もしくはパルーシアという一区切りの時間がありました。

      解釈の間違いの訂正

      48 (イ)「シオンのものみの塔」の編集および発行者は,キリストの臨在は何年に始まったと計算しましたか。(ロ)また,何年かの間,「ものみの塔」誌の表紙に公示されたように,人間が創造された年代は何年であると計算されましたか。

      48 「シオンのものみの塔およびキリストの臨在の告知者」の編集および発行者は確かに,天の花婿の「臨在」あるいはパルーシアは西暦1874年に始まったと計算しました。また,エホバ神が最初の人間を創造した年は西暦前4128年であると計算しました。ということは,地上における人類生存の六千年は,ラッセルとその同僚が計算したように,西暦1872年に終わったことになります。この計算は1906年7月1日号を皮切りに,「シオンのものみの塔およびキリストの臨在の告知者」の第1ページに公示され始め,この習慣は1928年9月15日号まで続けられました。たとえば,そのことを示した雑誌の最初の号には,「紀元1906年7月1日 ― 開闢以来6034年」という発行年月日が記されています。一方,同様の日付を付した最後の雑誌には,「開闢以来6056年 ― 1928年9月15日」と記されています。この「開闢」,つまり「世界年」の始まりは西暦前4128年と計算されました。

      49 (イ)罪が入った年代は何年であると計算されましたか。(ロ)ですから,サタンが底知れぬ坑に投げ込まれてキリストの統治が行なわれる千年期はいつ始まることになりましたか。

      49 しかし,罪が入る以前に完全な男女がエデンで潔白を保った期間として2年の余裕を取ったので,したがって罪の入った年は西暦前4126年と計算されました。その結果,罪を伴う六千年の期間は西暦1874年に終わると計算され,またその年の秋に,罪の扇動者,サタン悪魔が縛られて,底知れぬ坑に投げ込まれ,予告された千年間の統治をキリストが開始したゆえに,第七千年期が始まったと考えられました。このことは,キリストの統治のその始めの年はまた,キリストの再来の年またその目に見えない臨在つまりパルーシアの始まりの年であることをも意味しました。

      50 その年代計算は,ウィルソンのエンファチック・ダイアグロット訳に見られる,使徒 13章20節に関するどんな脚注に従って行なわれましたか。

      50 前述の年代計算は,ウィルソンのエンファチック・ダイアグロット訳の使徒 13章20節の脚注に述べられている提案に従って行なわれました。その節は次のとおりです。「それらの事の後,預言者サムエルの時まで,約四百五十年間裁き人たちをお与えになりました」。この節の読み方に関する脚注はこう述べています。

      ここで,聖書の年代学者を大いに当惑させる問題が生ずる。ここに挙げられている年代は列王紀略上 6章1節と食い違っている。数多くの解決策が提案されて来たが,十分納得できるように思えるただ一つの解決策がある。すなわちそれは,列王紀略上 6章1節の本文は,ヘブライ語の文字ヘー(5)が形の非常に似通ったダーレス(4)で置き替えられて改悪されたとする見方である。こうして,エジプト出国から神殿建設までの期間は(480年ではなく)580年となり,パウロの年代表と正確に合致することになる。

      51 (イ)したがって,「時は近づけり」と題する本の53ページで,その著者C・T・ラッセルは列王紀略上 6章1節に関して何と述べましたか。(ロ)その計算によれは,人間はいつ創造され,また罪を伴う6,000年間はいつ終わり,そして大いなるヨベルはいつ始まりましたか。

      51 そこで,「時は近づけり」(英文)と題する本の53ページで,著者C・T・ラッセルは列王紀略上 6章1節に言及して次のように書きました。

      それは明らかに第五百八十年目と読むべきであって,それは恐らく複写のさいの誤りであろう。なぜなら,もしソロモンの治世の四年にダビデの治世の四十年とサウルの四十年の期間,およびエジプトを出て,土地の分割を行なった時までの四十六年を加えると,それは百三十年となる。これを四百八十年から引くと,裁き人たちの時代は,これまでに述べたように,士師記に示され,またパウロの指摘している四百五十年ではなくて,わずか三百五十年しか残らないことになる。ヘブライ文字「ダーレス」(4)は「ヘー」(5)という文字とよく似ているので,こうした点で間違いが,恐らく複写をした者による誤りが生じたものと考えられる。したがって,列王紀略上 6章1節は五百八十年と読むべきであり,そうすれば,これは他の陳述とも完全に合致するであろう。

      こうして聖書の年代表には裁き人の時代に100年が付加され,人間の創造された年代は100年押し戻されて西暦前4128年とされたので,地上における人類生存の六千年は西暦1872年に終わりました。(「時は近づけり」,42ページ)次いで,罪が入るまでの期間として2年の余裕を取ったので,罪を持つ人類の六千年の期間は1874年に終了し,キリストの統治によって罪の除かれる第七千年期はその年に始まりました。それで,大いなるヨベルはその年に始まることになったのです。

      52 最古のギリシャ語写本によれば 現代の聖書翻訳が示すように,使徒 13章20節の450年の期間は,裁き人の時代の以前に,あるいはその期間に適用されますか。

      52 しかし,クリスチャン・ギリシャ語聖書の最古の写本によれば,使徒 13章20節の読み方は,エンファチック・ダイアグロット訳やジェームズ王による欽定訳聖書のそれとは異なっています。ゆえに,最も古い写本によれば,その四百五十年間は裁き人たちの時代に適用されてはいません。このことを証明するものとして,新英語聖書(1970年版)は使徒 13章20節を次のように訳しています。「およそ四百五十年間……,その後,預言者サムエルの時代までは彼らのために裁き人たちをお立てになりました」。エルサレム聖書(1966年英訳)はこう述べています。「約四百五十年間……。その後,預言者サムエルの時に至るまで彼らに裁き人たちをお与えになりました」。1952年に出された改訂標準訳も同様に訳しており,西暦1901年発行のアメリカ標準訳も同様です。

      53 昔のヘブライ語聖書の写本は,数を表わすのにアルファベットの文字を用いましたか。

      53 そのうえ,死海写本のような現存最古のヘブライ語写本は聖書中の数字を一字一字正式につづっており,数詞の代わりにアルファベットの文字を用いてはいないので,列王紀略上 6章1節で複写を作る人が見まちがえることはまずあり得ません。b

      54 (イ)聖書中の年代を書かれているとおりに受け入れると,ここで論じられているどんな期間の始まりが影響を受けますか。(ロ)「ものみの塔」誌の題名から「臨在」ということばが省かれたことは,キリストの臨在をもはや信じてはいないことを意味しましたか。

      54 このようなわけで,聖書の年代表の裁き人たちの時代に100年を付け加えることは,聖書的根拠に基づいてはいないことがわかります。したがって,そうした挿入は省くべきであって,聖書は,その年代上の事がらについて述べるとおりに,受け入れるべきものです。したがって,これが花婿イエス・キリストのパルーシアの始まる年代に影響することは必至でした。「ものみの塔」誌の題名は1939年1月1日号をもって,「ものみの塔およびキリストの王国の告知者」に変えられ,また1939年3月1日号をもって,「ものみの塔,エホバの王国を告げ知らせる」と改められました。これは当誌の発行者が当時進行中のキリストの臨在もしくはパルーシアをもはや信じなくなったという意味ではありません。むしろそれは,王国,つまりイエス・キリストによるエホバ神の王国がいっそう重視されたことを意味しました。というのは,エホバの宇宙主権を立証するのは,キリストによるエホバの王国だからです。

      55 (イ)裁き人たちの時代に対してなされた100年の挿入は,いつ,またどのようにして廃止されましたか。そのために,人類生存の6,000年はいつ終わることになりましたか。(ロ)これは西暦1874年という年代にどのように影響をもたらしましたか。どんな質問が生じましたか。

      55 1943年,ものみの塔聖書冊子協会は,「真理はあなたがたを自由にする」と題する本を発行しました。同書は「時の計算」と題するその11章の中で,裁き人の時代に対してなされた100年の挿入を廃止して,使徒 13章20節の最古の,そして最も信頼できる読み方に従い,ヘブライ語聖書の正式につづられた数字を受け入れました。その結果,人類生存の六千年の終わりは,1970年代の10年間の時期に移されることになりました。それで当然のこととして,西暦1874年を主イエス・キリストの再来およびその目に見えない臨在つまりパルーシアの始まりの年とする考えは葬り去られました。ですから,悪魔サタンが底知れぬ所につながれて監禁され,14万4,000人の共同相続者がキリストとともに天的な栄光を受けて統治することにより特色づけられることになっていた千年期は,なお将来の事がらでした。では,キリストのパルーシア(臨在)についてはどうですか。前述の本の324ページはこう述べています。「王の臨在もしくはパルーシアは1914年に始まりました」。また,1949年7月15日号の「ものみの塔」誌(215ページ,22節)にはこう記されています。「……メシア,つまり人の子は紀元1914年に王国の支配権を執りました。……これは彼が再び来て,その二度目のパルーシアもしくは臨在が始まったということにほかなりません」。

      56 (イ)1950年には,新たに翻訳されたどんな聖書が発行されましたか。それは使徒 13章20節をどう訳出していますか。(ロ)また,キリストの臨在に関しては,信頼できる聖書の年代表にしたがってどんな説明が行なわれましたか。

      56 1950年には,使徒 13章20節の最も信頼できる読み方を取り入れ,またパルーシアを毎回「臨在」と訳出した「クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳」(英文)が発行されました。その直後,「これは永遠の生命を意味する」と題する本が出版されました。「命の主要な代理者の再臨」と題するその21章全体は,信頼できる聖書の時間表に基づいてこの問題を論じた章となっています。その220-222ページはこう述べています。

      すでに考慮した証拠は,紀元1914年に神の王国が生まれ,そのみ子が敵対者のただ中で鉄の杖をもって支配する権威を執って即位したことを証明しています。み子はついにはその敵対者を粉砕し,神の正当な主権に敵して戦う者をことごとく宇宙から除き去ります。―詩篇 2:8,9。

      それで,紀元1914年はキリストが霊において目に見えない様で戻った時を印づけています。……1914年にイエスが王国を継いだことは,その再臨あるいは二度目のパルーシアの始まりを印づけるものです。このギリシャ語は臨在を意味しています。

      ……それは霊によるもので,目に見えないとはいえ,その再臨は全地の人びとにとってたいへん重要な事がらですから,秘密にしておいてはなりませんし,またそうされることはありません。……「いなずまが東のほうから来て西のほうに輝き渡るように,人の子の臨在[パルーシア]もそのようだからです」― マタイ 24:26,27,新。

      1914年以来,臨在しているキリストはご自分の再臨つまり二度目のパルーシアの証拠をあらゆる場所の人びとに明らかに示し,理解できるようにしておられます。

      57 (イ)キリストは,1914年における異邦人の時の終わり以前に敵のただ中で統治を開始されましたか。(ロ)花婿はいつ夜半の叫び声を聞こえさせましたか。それ以来生じてきた事がらは,どんな重要な事実の証拠となっていますか。

      57 それで,キリストは1914年における異邦人の時の終わりの40年前に統治を始めたわけではないとする考えは,霊感のもとに記された聖書と何と調和しているのでしょう。むしろ彼は,その敵のただ中で支配を開始すべく,天の父の右でその時まで待っておられました! そしてエホバは,それらの敵をキリストの足台として据えるのです。(詩篇 110:1,2。ヘブライ 10:12,13)それで,キリストの王としての臨在もしくはパルーシアがその年に始まったのはもっともなことです。歴史が証明するとおり,1919年に彼は地上で夜半の叫び声を上げさせ,眠っていた「処女」たちを目ざめさせ,緊急な事態に直面させました。「さあ,花婿だ! 迎えに出なさい」。その叫び声は,天の花婿の臨在を彼女たちに確信させるものでした。「思慮深い」処女級は以来,迎えに出ました。彼らがこの無知蒙昧の世にあって発光体のように光輝いているのが見えます。このこと自体,約束されたキリストの臨在が今進行していることの証拠です。それはまた,千年にわたるキリストによる神の王国が近づいたことを示す証拠です!

      58 王国が近づいたことを示す「しるし」を考慮するにさいして,わたしたちはなぜ「十人の処女」のたとえ話をもって,ここで事終われりとするわけにはゆきませんか。

      58 「十人の処女」に関するたとえ話の成就は,神の祝福を受けるその千年王国が近づいたことを示す「しるし」のすべてではありません。ですから,わたしたちは,このたとえ話をもって事終われりとするのではなくて,その驚くべき「しるし」の他の特筆すべき事がらを次に考慮しなければなりません。

      [脚注]

      a 「その時…神の秘義は終了する」と題する本(英文)の274ページの最後の節をご覧ください。また,1918年8月15日付の「ものみの塔」(英文)のミルウォーキー大会およびラザフォードの手紙に関する249ページの箇所をご覧ください。

      b 聖書時代の後,ヘブライ人はアルファベットの字母を数詞替わりに用いた当時,彼らは零つまり0という記号を持ってはいませんでした。彼らの方式には零はなかったからです。したがって,ダーレスという字母に0を二つ付けて400を表わしたり,ヘーという字母に0を二つ付けて500を表わしたりはしませんでした。400という数は一つのヘブライ語字母(ターウ)で,また500という数は二つのヘブライ語字母(ターウ コーフ)でそれぞれ表わされました。また,80はヘブライ語字母ペーで,10は一つの字母ヨードで表わされました。それで,ターウ コーフ ペー(580)とは明らかに異なるターウ ペー(480)を読み違える可能性はまずありませんでした。

  • 王の持ち物を増やす
    神の千年王国は近づいた
    • 12章

      王の持ち物を増やす

      1 (イ)今もなおわたしたちの中にいる王国の共同相続者に関して,どんな質問が生じますか。(ロ)そのような事がらが彼らに関して生じているのを,もしわたしたちが観察しているのであれば,それはどんな事を示す証拠となりますか。

      あらゆる証拠は神の千年王国が近づいたことを示しているので,次のような質問が生じます。「天の政府で神の用いられる千年期の王と一緒になる人たちに関して,わたしたちは何を期待すべきでしょうか」。彼は自らも王としてその王とともに一緒に支配すべく召されていますが,彼らがわたしたちの中にいる間,その王に属するものをどのように扱うかに関して彼らが試みられ,検閲されているところを,わたしたちは観察できると期待して然るべきでしょう。天の王が持っておられる地上の関心事すべてを彼らはどのように管理していますか。わたしたちの間で彼らが試みられ,検閲されているところを,もしわたしたちが観察しているとすれば,それは神のお用いになるメシアなる王が支配していることを示す強力な証拠となります。その王はご自分の王座に着いて君臨しておられるのです。

      2,3 (イ)わたしたちの目撃している,今展開している事がらは,イエスのどんなたとえ話の成就となっていますか。そのたとえ話は使徒たちのどんな質問に対するイエスの答えの一部ですか。(ロ)そのたとえ話はどのように始まっていますか。

      2 この20世紀の現代のこれまでに,人目による観察を受けながら展開してきたその興味深い事がらは,西暦33年の春の月ニサンの11日に,エルサレムを見おろすオリーブ山上に座したイエス・キリストがその注目すべき預言に含めた一つのたとえ話あるいはたとえの中でわたしたちのために描写されています。イエスは使徒たちの提起した次のような質問に対する詳しい答えをなおも述べておられました。「そうしたことはいつあるのでしょうか。そして,あなたの臨在[パルーシア]と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」。(マタイ 24:3)イエスはご自分の使徒たちに「十人の処女」のたとえ話を述べ,その話から得られる教訓を示したばかりでしたが,今度はさらに別のたとえ話を彼らになさいました。そのたとえ話の成就は,イエスの見えないパルーシアが始まって進行していることを示すものとなります。その話は一般に,「タラントのたとえ話」と呼ばれており,次のようなことばで始まっています。

      3 「それはちょうど,人が外国へ旅行に出るにあたり,奴隷たちを呼び寄せて,自分の持ち物をゆだねたときのようになるのです。そして,ある者には五タラント,別の者には二タラント,さらに別の者には一タラントと,各自の能力に応じてひとりひとりに与えてから,外国に行きました」― マタイ 25:14,15。

      4 (イ)このたとえ話の文脈によれば,金持ちが「ちょうど」外国に旅立つさい,貴重品を奴隷たちにゆだねた「ときのよう」であるとは,どういう意味ですか。(ロ)その「人」はだれを表わしていますか。なぜですか。

      4 それにしても,「ちょうど」金持ちが外国へ旅立つ前に自分の持ち物を奴隷たちにゆだねる「ときのよう」であるとは,どういう意味でしょうか。それはイエス・キリストが話しておられた王国に関連する事情をさしています。このことはイエスが次のように語って紹介した,その前のたとえ話,つまり「十人の処女」に関するたとえ話からもわかります。「その時,天の王国は,自分のともしびを手に取って花婿を迎えに出た十人の処女のようになります」。(マタイ 25:1)そのことはまた,イエスが「タラント」に関するたとえ話をした後に述べたたとえ話からもわかります。(マタイ 25:31-34)ここで考慮中のたとえ話の場合,外国へ旅立つ金持ちとはもちろん,主イエス・キリストご自身のことです。イエスはご自分の臨在の「しるし」に関して質問を受けたのです。

      5 それ以前のどんなたとえ話は幾つかの特徴の点で,「タラント」のそれと似ていますか。しかし,この二つのたとえ話は,何を示すよう意図されているかという点で,どのように異なっていますか。

      5 「タラント」のこのたとえ話は幾つかの特徴の点で,イエスが以前に述べたたとえ話で,一般に「ミナのたとえ話」と呼ばれているものと似ています。不思議なこととして,「タラント」のたとえ話は現代におけるその成就によって,主イエス・キリストの王としての臨在あるいはパルーシアが進行中であることを証明するものとして与えられましたが,「ミナ」のたとえ話は,当時,メシアによる王国はなお後代の事がらであることを主イエスが聴衆に示すために述べたものでした。ですから,ミナのたとえ話を述べた記録は次のように始まっています。「彼らがこれらの事を聴いていた時,イエスはさらに一つの例えを話された」。なぜですか。「彼がエルサレムの近くに来ており,彼らは,神の王国がいまやたちどころに出現するものと想像していたからである。それでこう言われた。『ある高貴な生まれの人が,王権を確かに自分のものとして帰るため,遠くの土地に旅行に出ました。彼は自分の十人の奴隷を呼んで,それに十ミナを与え,「わたしが来るまで商売をしなさい」と言いました』」。(ルカ 19:11-13)遠い土地まで長い旅をして,そこから帰って来ることが関係していましたが,それは高貴の人が王権を得て戻るまでに長い時間がかかることを意味していました。

      6 (イ)イエスが「タラント」のたとえ話をなさった2日ばかり前には,何が起きましたか。その時,何が現われませんでしたか。(ロ)それで,今どんな質問が生じますか。

      6 同様に,主イエスが「タラント」のたとえ話を述べた当時,確かに神のメシアによる王国はなお遠い後代の事がらであって,直ちに現われることになってはいませんでした。その2日ばかり前の西暦33年ニサン9日の日曜日,イエスはろばの子に乗ってエルサレムへの勝利の入城を行ない,群衆は歓呼して叫びました。「エホバの名によって来るのは祝福された者! きたらんとする,我らの父ダビデの王国は祝福されたもの! 救いたまえ,上なる高き所にて!」それにもかかわらず,当時,その王国は現われませんでした。(マルコ 11:9,10)その王国は今日現われていますか。これは今日のわたしたちにとって重大な質問です! イエスが肉身でこの地上におられた時以来,長い時間が経過しました。

      7,8 (イ)わたしたちは「タラント」のたとえ話が成就し始めた時をどのようにして確認しますか。(ロ)使徒 1章2-5節はそのことをどのように確証していますか。

      7 「タラント」のたとえ話の成就はイエスのパルーシアつまり臨在と関係がありますが,そのたとえ話は,19世紀前の使徒たちの時代に実現し始めました。たとえ話のそのある「人」つまりイエス・キリストご自身は,エルサレムでペンテコステの祭りが行なわれる十日前に昇天する日まで,なおも使徒たちとともに親しく交わっておられました。たとえ話は,その人が「外国へ旅行に出るにあたり」,奴隷たちを呼んで自分の持ち物を彼らにゆだねるところから始まっています。復活させられたイエスは,空に昇って見えなくなる日までは,「遠くの土地に」「旅行に出」かけはしませんでした。それで,そのできごとが生ずる前に,イエスは「奴隷たち」つまり当時の忠実な弟子たちを呼んで,ご自分の持ち物を彼らにゆだねられたに違いありません。また,それゆえにこそ,このたとえ話は,イエスが死人の中から復活させられ,そして天の父のみ前に昇る時までの間に実現し始めたに違いありません。このことと調和して,使徒 1章2-5節にはこう記されています。

      8 「そのお選びになった使徒たちに聖霊を通して命令を与えたあと天に上げられた[つまりイエスはご自分の弟子たちにかかわる用事を済ませた後,天に上げられた]日までのことを書きました。これらの者たちにはまた,ご自分が苦しみを経たのちに生きていることを多くの確かな証拠によって示し,四十日にわたって彼らに現われ,また神の王国に関する事がらを話されました。そして,彼らと会合しておられる時に,この命令をお与えになりました。『エルサレムを離れないで,父が約束され,またわたしから聞いたものを待っていなさい。ヨハネはたしかに水でバプテスマを施しましたが,あなたがたはこれから幾日もたたないうちに聖霊でもってバプテスマを施されるからです』」。

      9 (イ)「タラント」のたとえ話の中では,その人が外国へ旅行する目的はどのように示されていますか。(ロ)それに対応するミナのたとえ話の中では,その人が遠くの土地に行く目的は何でしたか。主の夕食のさいに,イエスはそのことをどのように確証されましたか。

      9 たとえ話の中のその「人」が旅行しようとしていた「外国」の地とは,主イエス・キリストの天の父が住んでおられる天そのものでした。ルカ 19章12節はいみじくもそのことを「遠くの土地」と述べています。「タラント」のたとえ話の中でイエスは,その「人」が外国へ旅行した目的については述べていません。とはいえ,特別の「喜び」を得,ご自分の「持ち物」を増やして,もっと『多くのもの』にするのが目的であったことを示しています。それで,その人は自分の外国旅行の目的を達成したとき,あとに残したそれら「奴隷たち」の主としての「喜び」を味わいました。これに類似した,あるいは対応するミナのたとえ話は,「王権を確かに自分のものとして帰る」のがその外国旅行の目的であることを示しています。ですから,王国を所有することが彼の「喜び」でした。それが天に去って行くご自分の目的であることを示すものとして,イエスは,主の夕食を年毎に祝う方法を示した後,忠実な使徒たちにこう言われました。「わたしは,ちょうどわたしの父がわたしと契約を結ばれたように,あなたがたと王国のための契約を結び,あなたがたがわたしの王国でわたしの食卓について食べたり飲んだりし,また座に着いてイスラエルの十二部族を裁くようにします」― ルカ 22:29,30。

      10 たとえ話の中の「奴隷たち」はだれを表わしていましたか。彼らがこの名称を受け入れたことは,どのように示されていますか。

      10 たとえ話の中の「奴隷たち」というのは,「天の王国」で王座につく見込みのあった,バプテスマを受けた,イエス・キリストの弟子たちでした。使徒たちでさえ,主イエスの「奴隷」であると唱えることを恥じませんでした。たとえば,ペテロの第二の手紙は,「イエス・キリストの奴隷また使徒であるシモン・ペテロ」ということばで始まっています。(ペテロ第二 1:1)聖書巻末の書,ヨハネへの啓示を紹介するにさいして,使徒ヨハネは,イエス・キリストが「自分の使いを送り,その使いを通して,しるしによりそれを自分の奴隷ヨハネに示した」と述べています。(啓示 1:1)弟子ユダは,「イエス・キリストの奴隷,しかしヤコブの兄弟であるユダ」と述べて,その手紙を書き出しています。(ユダ 1)弟子ヤコブは,「神および主イエス・キリストの奴隷ヤコブから,各地に散っている十二部族へ」ということばで,その手紙を書き起こしています。(ヤコブ 1:1)使徒パウロはフィリピの人たちにあてたその手紙の冒頭で,「キリスト・イエスの奴隷であるパウロとテモテから,フィリピにいる,キリスト・イエスと結ばれたすべての聖なる者…たちへ」と記しています。―フィリピ 1:1。

      「自分の持ち物」をゆだねる

      11 たとえ話の中のその「人」であるイエスが,ご自分の「奴隷たち」に残して行った「持ち物」は,どんな種類のものではありませんでしたか。

      11 天の王国を継ぐ見込みを持っていた弟子たちは,離れ去ろうとしていたイエス・キリストが地を去る前に呼んで「自分の持ち物」をゆだねたその「奴隷たち」でした。(マタイ 25:14)それらの持ち物とは何でしたか。イエスは家,土地,衣類,銀行にあずけたお金などの物質上の持ち物は何ら弟子たちのために後に残したりはなさいませんでした。カルバリで苦しみの杭につけられて死んだイエスは,年取った母マリアと異父兄弟および異父姉妹を後に残したので,彼らに残された有形の財産はみな,モーセの律法にしたがってそれらの人たちが利用することになりました。それに,神の王国を宣べ伝え,また教える活動を行なった約3年半の間,イエスはご自分のために「地上に宝を蓄える」ことをせず,天の父の王国を第一に求めました。(マタイ 6:19,20,33; 12:46,47; 24:3-47。使徒 1:14)では,ご自分の「奴隷たち」にゆだね得るどんなものを後に残されましたか。

      12,13 (イ)では,イエス・キリストがご自分の「持ち物」として後に残したのは何でしたか。(ロ)それに関するこうした見方は,サマリアのヤコブの井戸の近くでイエスが使徒たちに言われたどんなことによって裏付けられていますか。

      12 それはキリスト教のわざを推し進めるための土台,つまり神のメシアによる王国の良いたよりを宣べ伝え,キリスト教を実践する弟子を作るわざをさらに続行して成果を上げ得る耕された畑でした。それはイエスの弟子である「奴隷たち」のために整えられた道でした。すでに西暦30年のこと,サマリアの地を通って旅をしていたとき,スカルの近くの「ヤコブの泉」の傍でサマリア人の女性に伝道した後,イエスは使徒たちにこう言われました。

      13 「さあ,あなたがたに言いますが,目を上げて畑をご覧なさい。収穫を待って白く色づいています。すでに,刈る者は報酬を受け取って永遠の命に至る実を集めており,こうして,まく者と刈る者はともに喜ぶのです。この点,ひとりはまく者,もうひとりは刈る者,ということばはたしかに真実です。わたしは,あなたがたが少しも労力をかけなかったものを刈り取らせるために,あなたがたを派遣しました。ほかの者たちが労し,あなたがたはその労の益にあずかっているのです」― ヨハネ 4:35-38。

      14 (イ)バプテストのヨハネとイエス・キリストの公生涯はどのように対比されますか。(ロ)イエスはだれの間に,またどのようにして,さらに実を生み出し得る耕された畑を残しましたか。

      14 バプテストのヨハネは約6か月の間,イエスの先駆者として奉仕し,次のようにふれ告げました。「悔い改めなさい。天の王国は近づいたからです」。それから,西暦30年にヨハネが投獄された後,イエスはその同じ音信を取り上げました。というのは,その後の3年間,イエスはその音信を宣べ伝え,機会あるごとにどこでも人びとを教え続けられました。それで,バプテストのヨハネが公に自由に活動した期間はかなり短く,わずか1年そこそこですが,イエスが公に,また個人的に活動した期間はその3倍も長いものでした。この両者は蒔く仕事を行ない,イエスはヨハネの跡を継いだと言うことができるでしょう。イエスはいわば弟子たちを刈り取り始めましたが,その活動の畑から刈り取り得る者すべてを刈り取ったわけではありません。(マタイ 4:12-23; 3:1-7)そのうえ,イエスは,その非業の死および死人の中からの復活を含め,ご自分の公生涯によって約束のメシアに関する聖書の預言を成就させましたし,またそれはすべて周知の事がらでした。このことは,イエス・キリストが公の人物として当時最大の論議の的とされた地域に住むユダヤ人に影響を及ぼしました。その結果,キリスト教を実践する弟子たちを生み出す畑が耕されました。

      15 (イ)それで,イエス・キリストは潜在力を有するどんな貴重なものをご自分の弟子たちに残しましたか。(ロ)それらの「持ち物」を最初何人の人びとに残しましたか。

      15 イエスはこうして,ご自分の働いた,人びとの畑に潜在力を,つまり弟子たちを生み出す潜在的な力および産出能力,すなわちイエスの弟子たちの将来のわざに直ちに好意的な反応を示す,あるいは答え応ずる,畑の用意のできた状態を付与されました。キリスト教を実践する弟子たちを育成して刈り取る潜在力(キリスト教的可能性)のある用意のできたこの畑こそ,復活させられた主イエス・キリストの「持ち物」でした。イエスはそれを,ご自分の弟子である奴隷たちにゆだねたのです。死人の中から復活させられた後,イエスは「一度に五百人以上の兄弟」たちに現われましたが,その後,ペンテコステの祭りの日にはわずか百二十人ほどの弟子たちだけがエルサレムのとある二階の部屋に集合して,天から注がれた聖霊を最初に受けました。(コリント第一 15:6。マタイ 28:16-18。使徒 1:13-15)したがって,イエスがその天の父のもとに昇ることによって外国へ旅立つ前に,ご自分の「持ち物」をゆだねたクリスチャンの「奴隷たち」は少なくとも百人以上いました。

      16 たとえ話の中のその人の「持ち物」は,どれほどの量のお金に相当しましたか。彼はそれらの「持ち物」をどのように「奴隷たち」に配分しましたか。

      16 その「持ち物」はどのように,また何に基づいて配分されましたか。こう記されています。「そして,ある者には五タラント,別の者には二タラント,さらに別の者には一タラントと,各自の能力に応じてひとりひとりに与えてから,外国に行きました」。(マタイ 25:15)したがって,銀八タラントは,彼が奴隷たちに分配した「持ち物」を表わしています。西暦1世紀当時,それは相当の量の富を表わすものでした。というのは,銀一タラントは六十ミナ,あるいはアメリカのお金で850㌦(23万円ほど)に相当したからです。銀一タラントを受け取った奴隷は,それだけの量のお金を用いるべく入手したわけです。二タラントを得た奴隷はその量の二倍のお金を,また五タラントを得た者はその量の五倍のお金をそれぞれ受け取りました。奴隷はおのおの「各自の能力」に応じた量のお金を受け取り,それぞれの量のお金を取り扱って商売をすることになりました。その金持ちは自分の奴隷たちとその能力のほどをよく知っていました。

      17 (イ)たとえ話の中の「奴隷たち」はどんな能力を持っていましたか。しかし,たとえ話の成就の場合はどうですか。(ロ)たとえ話の中で最も大きな責任を受けたのはだれですか。その成就の場合はどうですか。

      17 たとえ話の中では,それらの能力は生来の能力,あるいは奴隷たちが培って伸ばした能力でした。「タラント」のたとえ話の成就においては,「能力」とは単なる身体的あるいは精神的能力のことではありません。その種の能力は貴重で,有用なものとなり得ますが,その「能力」は,天の王国を継ぐ見込みのあるクリスチャンの奴隷のうちに見いだされることになっている霊的な意味での可能性を表わしています。そのようなクリスチャンの奴隷の抱いている熱心さ,喜んで行なう態度,また熱望は,ゆだねられた霊的富を用いる当人の可能性に寄与します。自己の能力に応じて五タラントに類似するものを受け取る人は,もちろん最も大きな責任を負います。こうして主イエス・キリストは,その使徒たちである奴隷に最も大きな責任を負わせたので,彼らはクリスチャン会衆の副次的な土台になるとともに,大々的な規模で開拓のわざを行なうことになりました。―啓示 21:14。エフェソス 2:20-22。

      18 (イ)わずか三人しかいないという点で,その「奴隷たち」は何を表わしていますか。(ロ)たとえ話の中の「奴隷たち」は全部男子でしたが,その成就についてはどうですか。

      18 もちろん,主イエス・キリストが天の王国のための契約を結んだ霊的な「奴隷たち」は三人以上いました。それで,たとえ話の三人の「奴隷たち」は,将来天の王国の相続者になれそうな人たちの三つのそれぞれの級を表わしています。霊によって生み出されたクリスチャン会衆には,信仰の厚い女性が多数含まれていることを忘れてはなりません。西暦33年のペンテコステの日の,イエスの母マリアは,そのような女性のひとりでしたし,エルサレムの近くのベタニヤの町のマリアやマルタもペンテコステのその注目すべき日に聖霊を受け,使徒 1章14節で言及されている「幾人かの女たち」の中に含まれているものと考えられます。(ヨハネ 11:1-45)また,エルサレムで迫害を受け,仕方なく北方のサマリアへ行った福音宣明者フィリポは,信仰の厚いサマリア人の婦人たちを見いだしました。こう記されています。「しかし,神の王国とイエス・キリストの名についての良いたよりを宣明していたフィリポのことばを信じた時,彼らはついで,男も女もバプテスマを受けた」― 使徒 8:12。

      19 (イ)たとえ話の中で,その「人」は自分の「持ち物」に関して奴隷たちが何を行なうことを期待しましたか。(ロ)イエス・キリストはご自分の弟子である「奴隷たち」に残した「持ち物」に関して何を期待しておられますか。

      19 たとえ話の中の旅に出るその人は,自分の留守中,奴隷たちがそれらタラントを用いて商売をし,それを増やすものと期待していました。奴隷たちがそのお金を遊ばせて,利益を上げさせぬままにすることを彼は望んではいませんでした。同様に,地上のご自身の持ち物すべてをご自分の弟子である「奴隷たち」にゆだねた主イエス・キリストは,ご自分が彼らにゆだねた,耕されて用意のできた畑を,彼らがそれ以上注意を払わず,拡張することもなく,ものをもっと産み出させぬままに放置したりはしないことを期待し,事実,そうしないよう命じました。その畑はまた,増し加えたり,広げたり,拡大したりせずに元の大きさのままにしておくべきものでもありませんでした。そうではなくて,不在の主イエス・キリストは増加を期待しておられました。したがって,増加をもたらさなければ,責任を果たさない者の受ける処罰をこうむるでしょう。

      「タラント」を用いて商売をする

      20 その「人」はタラントを預けた奴隷たちに何を期待しましたか。そうした期待にかなうよう努めた奴隷たちはどのように報われましたか。

      20 たとえ話の中の奴隷たちは,特に告げられなかったとはいえ,自分たちに増加が期待されていることを自覚しました。たとえ話はこのことを明らかにしています。こう記されているからです。「五タラントを受けた者はすぐに出かけて行き,それで商売をしてさらに五タラントをもうけました。二タラントを受けた者は同じようにしてさらに二タラントをもうけました」。(マタイ 25:16,17)明らかにこれら二人の奴隷はそのお金を銀行に預けて,銀行経営者に運用させて利子を得させたのではありません。かえって,手腕や洞察力や鋭敏さを発揮して自ら投機的事業に携わりました。その個人的な努力は報われました。彼らのお金はそれぞれ二倍に増えたからです。二人はおのおの,自分の所有者の是認を得たいとの願いはもとより,所有者に対する忠節と専念の態度をいだいて「各自の能力」を活用しました。

      21,22 イエス・キリストの「持ち物」はその量の点で,どのようにして,またどの程度,そしてどんな地域で増やされることになっていましたか。

      21 さて,たとえ話の成就においては,将来王国の相続者になりそうな人たちにゆだねられている主イエス・キリストの「持ち物」のその部分は,どのように二倍に増えましたか。主イエスは,それがどのようになされるべきかを告げましたし,聖書の記述は,それが19世紀以前にどのようになされたかを例証する事がらを提供しています。昇天する何日か前,主イエスはガリラヤ州のとある山上の予定の場所で,肉体を備えて弟子たちに現われ,そこで彼らにこう言われました。「わたしは天と地におけるすべての権威を与えられています。それゆえ,行って,すべての国の人びとを弟子とし,父と子と聖霊との名において彼らにバプテスマを施し,わたしがあなたがたに命令した事がらすべてを守り行なうように教えなさい。そして,見よ,わたしは事物の体制の終結の時までいつの日もあなたがたとともにいるのです」。(マタイ 28:16-20)しかし,昇天する日にさいしてイエスは,ご自分の「持ち物」を増やすそのわざがたどろうとしていた経過をさらに明確にされました。そのことについてはこう記されています。

      22 「さて,集合した時に,彼らはイエスに尋ねはじめた,『主よ,あなたはいまこの時に,イスラエルに王国を回復されるのですか』。イエスは彼らに言われた,『父がご自分の権限内に置いておられる時また時期について知ることは,あなたがたのあずかるところではありません。しかし,聖霊があなたがたの上に到来するときにあなたがたは力を受け,エルサレムでも,ユダヤとサマリアの全土でも,また地の最も遠い所にまで,わたしの証人となるでしょう』」― 使徒 1:6-8。

      23 (イ)イエスは宣べ伝えて教えるご自分のわざをどんな地域に局限されましたか。どんな結果がもたらされましたか。(ロ)それで,弟子たちはキリストの「持ち物」をどこに見いだしましたか。だれの定めた予定の時までそれを用いて働くことになりましたか。

      23 王国を宣べ伝え,教える者として地上で活動した期間中,イエスはご自分の努力をエルサレムおよびガリラヤと(サマリアを含む)ユダヤ両州,そしてヨルダン川東岸のペレアに局限されました。それらの地域のユダヤ人やサマリア人の間でイエスは,さらに多くの弟子を作るための耕されて用意のできた状態を生ぜしめられました。それらの地域のそうした状態こそ,キリスト教を実践する弟子たちを増やす点で当時の弟子たちが利用することになっていたものだったのです。それが,彼らの主イエスが「奴隷たち」である彼らにゆだねた「持ち物」でした。それで,まず第一に彼らは,天の父がご自分の権限内に保留しておられた時期もしくは時節が到来するまで,それら用意のできた地域で働くことになっていました。彼らは,「キリストは実に,神の真実さのために,割礼を受けた者たちの奉仕者となり,こうして,神が彼らの父祖になさった約束の真実さを証拠だて(るようにされた)」ことを思い起こして,そこで働かねばなりませんでした。―ローマ 15:8。

      24 (イ)聖霊を受けた後,弟子たちは直ちに自分たちの主の「持ち物」をどのように運用しましたか。どれほどの結果がもたらされましたか。(ロ)ペンテコステの後,家に戻ったユダヤ人の信者は,生産性のあるどんな畑を見いだしましたか。

      24 このことと調和して,弟子である当時の「奴隷たち」は,主イエスが働いて世話をしてきたご自分の「持ち物」として彼らにゆだねた,用意のできた,耕された地所を利用し,そして弟子を増やすべく,その霊的な地所を運用しました。彼らは西暦33年のペンテコステのあの祭りの日に直ちにそこエルサレムでそうしました。そして直ちに,約三千人もの人びとがバプテスマを受けて産み出され,彼らは聖霊によるバプテスマを受けることにより,王国を継ぐ見込みを持つ者とされました。彼らは生来のユダヤ人であろうと,あるいはユダヤ教の信仰を受け入れた改宗者であろうと,すべて割礼を受けた人たちでした。弟子たちにゆだねられた主イエスの持ち物はなおもいっそう用いられ,キリスト教の事業が行なわれたので,しばらく後にはエルサレムにいた弟子たちの人数は「およそ五千」人に殖えました。(使徒 4:4)ペンテコステの祝いの後にエルサレムを去って,さまざまな地方にある各自の家に戻ったそれら何百人ものユダヤ人や改宗者たちは疑いもなく,自分たちの郷里の近隣のユダヤ人の間にキリスト教のための活動の畑を見いだしました。

      25 (イ)エルサレムの祭りに出るユダヤ人や改宗者たちの場合には,イエスはすでに幾らかの「持ち物」のためにどのように働いておられましたか。(ロ)迫害が生じたため,キリスト教の信仰は遠方のユダヤ人社会にどのように広まりましたか。

      25 それら戻って行ったユダヤ人や改宗者たちは恐らく,すべての祭りに出るため以前何度かエルサレムを訪れたさい,イエス・キリストに接して,その話を聞いていたと考えられます。そのようなわけでイエスは,エルサレムを訪れるそれらユダヤ人や改宗者の場合でさえ,用意のできた,耕された状態を生じさせておられたので,エルサレムにいた使徒や仲間の弟子たちは,イエスの持ち物のそうした部分をも利用し,そのような「持ち物」を運用しました。(ヨハネ 12:20-29。使徒 2:5-11)それで,使徒パウロがイタリアのローマに到着する以前でさえ,多数のクリスチャンで成る一つの会衆がその地にできていたのです。(ローマ 1:1-7; 15:22-24)また,エルサレムではキリストの弟子たちに対する迫害が生じたため,キリスト教はユダヤ州以外の地の多くのユダヤ人の間に広まるようになりました。使徒 11章19節にはこう記されています。「このようにして,ステファノのことで起こった患難のために散らされた者たちは,フェニキア,キプロス,アンティオキアにまで進んで行ったが,ユダヤ人のほかにはだれにもみことばを話さなかった」。

      26 (イ)弟子を作る仕事をユダヤ人の畑にだけ限定する事態はいつまで,またどんなできごとが起きる時まで続きましたか。(ロ)新たに開かれたその地域におけるわざは,霊的な「タラント」を増やす点でどのように成果をもたらしましたか。

      26 こうして,不在の主イエス・キリストの「持ち物」をユダヤ人およびユダヤ教に改宗した人たちの間だけに限定して増やす事態は,西暦36年の秋まで続きました。次いで,イエスご自身が,「それゆえ,行って,すべての国の人びとを弟子とし……バプテスマを施し(なさい)」,「あなたがたは…地の最も遠い所にまで,わたしの証人となるでしょう」と言って命じられたとおり,ほかの地域でキリスト教を実践する弟子たちの数の増える時が到来しました。(マタイ 28:19,20。使徒 1:8)当時,それはイエスからその霊的な「タラント」をゆだねられたユダヤ人の弟子たちが,さらに多くの霊的な「タラント」をもうけるために,イエスのそうした「持ち物」を用いるべき神のご予定の時でした。また,そうすることは,使徒ペテロがコルネリオを改宗させてイエス・キリストの弟子にすべく,ユダヤのローマ総督府,カエサレアに派遣されたとき,五タラント級の人たちの活動をもって始まりました。(使徒 10:1から11:18)このことによって,人類の全異邦人つまり非ユダヤ人世界が,弟子を作るわざのために開かれました。それは蒔いて刈り取り,弟子を作る割当てをエホバ神から受けて地上にいたイエス・キリストに『所属して』いない地域でした。―マタイ 15:24。

      27 こうして産出の期待される世界的な地域が開かれた結果,ユダヤ人の弟子たちには何が要求されましたか。

      27 さて,そこにあったのは,イエス・キリストが自ら人びとを整えさせたことのない,つまりご自分の弟子たちがクリスチャン会衆の増大を図るのに有利に用いられるよう,開拓者としてのイエスが残した,用意のできた,耕された状態などの見られない広大な地域でした。彼らはイエスが最初の畑を耕された状態に整えるさいに行なった事がらの利点や有利さを知り,またそれから刺激を受けていたので,今や経験を積んだ,資格のある働き人として種を蒔き,成育の可能性を培い,そうすることにより,メシアなるイエスの弟子を産み出す他の畑を殖やすことができました。それには彼ら自身努力して開拓しなければならず,また勇気,誠実な努力,慎重な注意そして粘り強さを働かせて,損失をこうむらないようにする必要がありました。彼らはもはや他人の土台の上に築くのではなく,全く新しい地域で,弟子を作るわざの下準備すべてを自ら行なっていたのです。それは自分たちの主に対する従順を示すものでした。―ローマ 15:17-21。

      28,29 (イ)キリストの後代の弟子である「奴隷たち」は,1世紀の弟子たちの示した型に従って,自分たちの能力に応じてどのように努力しましたか。(ロ)増加をもたらすことに関係して最も重大な要素となっているのは何ですか。

      28 イエス・キリストの使徒たちや他の1世紀の弟子たちは,自分たちにゆだねられた比喩的な「タラント」を用いて『商売をする』仕方の型を示しました。彼らは自分たちの主のタラントの数を百パーセント増やしました。主の「持ち物」である「五タラント」を委託されたクリスチャンの「奴隷」級は,さらに五タラントもうけました。自分たちの主のものである二タラントを引き受けさせられたキリストの「奴隷」級は,さらに二タラントもうけました。比例の点からすれば,おのおのの級にとってそれは百パーセントの増加でした。それで,おのおのできるかぎりのことを行なったので,いずれか一方が勝っていたということはありませんでした。おのおの期待されただけのことをしました。「各自の能力」に応じて最善を尽くしたのです。しかし,自分たちの主の持ち物を用いてもたらした増加は,単におのおのの「奴隷」がその「能力」を活用したことだけによるものではありませんでした。この問題にはもう一つの要素が加わっていました。それはすべての要素の中でも最も肝要なものでした。自分の奉仕と雄弁家の弟子アポロのそれについて,両者を比較して語った使徒パウロは,この要素に言及してこう述べました。

      29 「では,アポロは何者ですか。そうです,パウロは何者ですか。仕える者であり,あなたがたはそれを通して信者となりましたが,それは主がおのおのに授けられたところに応じてなのです。わたしは植え,アポロは水を注ぎました。しかし,神がそれをずっと成長させてくださったのです。ですから,たいせつなのは,植える者でも水を注ぐ者でもなく,成長させてくださる神なのです。さて,植える者と水を注ぐ者とは一つですが,おのおのはその労に応じて報いを受けます。わたしたちは神とともに働く者だからです。あなたがたは耕されている神の畑,神の建物です」― コリント第一 3:5-9。

      30 (イ)では,増加という点で第一に誉れを受けるべき方はだれですか。(ロ)1世紀においては,弟子たちによって耕された地域で増加が見られたことを示すどんな証拠がありましたか。

      30 ですから,神こそその増加の点で誉れを受けるべき方であって,キリストの「奴隷たち」は,増加を図るために神が喜んでお用いになる器にすぎません。神はその「奴隷たち」が各自の責務に真正面から取り組めるよう助けてくださいます。神は,あらゆる国の人びとの中で弟子を作るわざを首尾よく遂行するのに必要なものをその「奴隷たち」に授けてくださいます。こうして,離れ去ろうとしていた神のみ子がご自分の忠実な弟子たちに残した,弟子を産み出す,用意のできた,耕された地域は増してゆきます。なぜなら,キリストの「奴隷たち」がその命令に従順に従い,その模範に見倣うことによって,全地の至る所にこの種の地域が存在するようになるからです。西暦1世紀当時,そのことを示すどんな証拠がありましたか。次のとおりです。天の王国の相続者となった弟子たちの会衆はエルサレム,また全ユダヤ,ガリラヤそしてサマリア以外の地でも次々に現われ,アジア,アフリカ,ヨーロッパそして地中海諸島の各地に会衆が設立されました。

      31 前述のことを例示するものとして,ペテロの最初の手紙の発信地は彼についてどんなことを示していますか。

      31 たとえば,使徒ペテロの例を取ってみましょう。彼はイエスがエルサレムの壮麗な神殿の滅びについて預言するのを聞いた後,イエスに次のように質問した四人の使徒たちのうちの一人でした。「そうしたことはいつあるのでしょうか。そして,これらのすべてのものが終結に至るように定まった時のしるしには何がありますか」。(マルコ 13:1-4)さて,約30年後,つまり西暦62-64年ごろ,もしくはエルサレムとその神殿が攻囲され,滅ぼされて,「そうしたこと」が正しく起こる数年前,使徒ペテロはローマ帝国外の地で宣教者の仕事をしていました。そうです,彼がローマ帝国内の仲間のクリスチャンに宛てて書いた最初の手紙は,メソポタミアのユーフラテス河畔の都市バビロンで記されました。その手紙の終わりの箇所で彼は,その地のクリスチャン会衆に言及してこう記しています。「バビロンにいる,あなたがたと同じように選ばれた婦人が,あなたがたにあいさつを送っています」― ペテロ第一 5:13。

      32-34 (イ)パウロはコロサイの人たちに宛てた手紙をいつごろ,またどこから書き送りましたか。(ロ)その中でパウロは,弟子たちにゆだねられた「タラント」が世界的に増えていることをどのように示唆していますか。

      32 それからまた,使徒パウロがいます。彼は少なくとも帝都ローマに,ただし公正な裁判を求めてカエサルに上訴した囚人として到着しました。彼はローマで拘留されていた所から,西暦60-61年ごろ小アジア,コロサイのクリスチャン会衆に手紙を送りました。それは主イエス・キリストの預言した「そうしたこと」が生ずるおよそ10年前でした。それでも,エルサレムを中心としたユダヤ教の事物の体制の終わるそれほど前でありながら,使徒パウロはイエスがその「奴隷たち」にゆだねた比喩的な「タラント」が世界中で増えたことについて述べました。『良いたよりを告げること』に言及したパウロは,彼らにこう書き送りました。

      33 「[わたしたちは]キリスト・イエスに関するあなたがたの信仰と,あなたがたのため天に蓄えられている希望のゆえにあなたがたが聖なる者たちすべてに対していだく愛とについて聞(きました)。その希望は,良いたよりの真理が語り告げられることによってあなたがたが以前に聞いたものです。その良いたよりはあなたがたのところにもたらされましたが,世界じゅうで実を結んで増大しているのであり,それは,あなたがたが真に神の過分のご親切について聞きかつ正確に知った日以来あなたがたの間でも起きていることと同じです。これはあなたがたが,わたしたちの愛する仲間の奴隷エパフラスから学んだ事がらです。彼はわたしたちのための,キリストの忠実な奉仕者であり,また霊的な面でのあなたがたの愛をわたしたちに聞かせてもくれました。

      34 「そうです,思いが邪悪な業に向けられていたためにかつては疎外され,また敵となっていたあなたがたを,神は今やこのかたの肉の体により,彼の死を通して,再び和解させてくださったのです。それはあなたがたを,聖にしてきずなく,なんらとがめのない者としてそのみまえに立たせるためでした。もとよりそれは,あなたがたが引き続き信仰にとどまり,土台の上に堅く立って揺らぐことなく,自分たちの聞いた良いたよりの希望からそらされないでいるならばです。その良いたよりは天下の全創造物の中で宣べ伝えられたのです」― コロサイ 1:4-8,21-23。

      35 1世紀の弟子たちの熱心さを示す証拠は,どんな限られた期間にもたらされましたか。それはイエスのどんな預言の成就となりましたか。

      35 霊感を受けた使徒パウロのこのことばは,自分たちにゆだねられた「タラント」を用いて『商売をする』点で主イエス・キリストの1世紀当時のそれら「奴隷たち」の熱心さを示す何とすばらしい証拠でしょう。それほどの短期間に彼らは何とすばらしい業績を成し遂げたのでしょう。―良いたよりは「世界じゅうで実を結んで増大し」「天下の全創造物の中で宣べ伝えられたのです」。考えてもみてください。イエス・キリストは西暦29-33年に「事物の諸体制の終結のときに,ただ一度かぎりご自身を現わされ」ました。しかも,ユダヤ人の宗教上の首都の壊滅により,ユダヤ教の事物の体制が西暦70年に完全に終結する以前でさえ,当時知られていた世界の至る所でユダヤ人は,神のメシアによる王国に関する証言を受けていたのです。実際,異邦諸国民もすべて,やはりそうした証言を受けました。それは「事物の体制の終結」の「しるし」に関するイエスの預言,すなわち,「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」という預言の模型的な成就となりました。―マタイ 24:14。ヘブライ 9:26。

      今日見られる,たとえ話の成就の最高潮

      36 弟子である「奴隷たち」の主は,エルサレムが滅びる前に,あるいはその後に再び来ましたか。啓示の書のヨハネの結びのことばは,キリストの到来に関して何を示しましたか。

      36 戦争,疫病,飢饉,地震そして迫害にもめげず,貴重な「タラント」をそれほどの世界的な規模で増やしたそれら1世紀の「奴隷たち」はみな次々に死にましたが,去って行った彼らの主また所有者は,ローマ軍団によるエルサレムの崩壊以前にも,またはそれ以後にも彼らの時代のうちには戻りませんでした。ユダヤ教世界に衝撃を与えたあの恐るべきできごとが起きてから約26年の後,パトモス島に監禁されていた使徒ヨハネは神からの啓示を受け,その服役期間は明るいものになりましたが,その啓示の中でヨハネは将来をさし示してこう言いました。「見よ,彼は雲とともに来る。そして,すべての目は彼を見るであろう。彼を刺し通した者たちもである」。そして,ヨハネは啓示の書の記述を祈りをもって結びました。「『アーメン! 来たりませ,主イエスよ』。主イエス・キリストの過分のご親切が聖なる者たちとともにありますように」。(啓示 1:7; 22:20,21)主の到来を請い求めるその熱烈な祈りが実際にかなえられたのは,18世紀余経ってからのことでした。

      37 (イ)どんな期待に反して,主イエス・キリストはいつ戻りましたか。(ロ)それ以来,王国を宣べ伝えるわざはどんな新たな意味を帯びるようになりましたか。なぜですか。

      37 主イエス・キリストの再来とそのパルーシアつまり臨在が始まって初めて,「タラント」のたとえ話の成就の最高潮が到来することになります。昔,19世紀も後半のころ,西暦1874年に主が戻り,霊による主の見えない臨在がその年に始まったと考えられました。しかし,その後の40年間,主の臨在と事物の体制の終結との「しるし」は実際のところ現われませんでした。異邦人の時の終わった1914年10月4日か5日ごろ,あるいはユダヤ暦の陰暦の月チスリの半ばに至るまでは現われませんでした。その時,神のメシアによるきたるべき王国の良いたよりを宣べ伝えるわざは,樹立された神の王国の良いたよりを宣べ伝えるわざに変わりました。続いて生じた世界のできごとは,上記の重大な年にメシア,つまりアブラハムの子であるダビデの子イエスを即位させ,王冠をいただかせることによって神の天の王国が誕生させられたことを示す証拠を積み重ねるものとなりました。(マタイ 1:1)その「正当な権利」を持つ者が来たのです。事実,彼は戻られたのです!―エゼキエル 21:25-27,新。

      38 「タラント」のたとえ話はどんな預言の一部として与えられましたか。それで,今日その成就が最高潮を迎えているということは,どのように示されて然るべきですか。

      38 「タラント」のたとえ話は,イエスのパルーシアつまり臨在の事実を示す,多くの特色を備えた「しるし」の一部としてイエス・キリストが与えたものです。それで,たとえ話の成就がわたしたちの時代に頂点に達するのであれば,イエスが霊において戻り,またその臨在が今や進行していることを示す証拠は当然増えるはずです。主イエス・キリストの王としての臨在が1914年における異邦人の時の終わりに始まったと言うのであれば,確かに,そのたとえ話の成就が今日最高潮を迎えていることを立証する事実があって然るべきです。どんな事実がありますか。

      39 一タラントを得た奴隷は何をしましたか。奴隷たちとの勘定の清算はいつ始まりましたか。

      39 まず,たとえ話がどうなったかを調べてみましょう。それで,イエスのたとえ話をさらに読んでみると,こう記されています。「しかし,ただ一タラントを受けた者は,出かけて行って地面を掘り,主人の銀子を隠しておきました。長い時を経たのち,その奴隷たちの主人が来て,彼らとの勘定を清算しました」― マタイ 25:18,19。

      40 (イ)たとえ話の中で,「その奴隷たちの主人」は何を携えて戻りましたか。(ロ)西暦1914年は特にどんな「王権」と関係がありましたか。それはどうしてですか。

      40 「その奴隷たちの主人」は,外国へ旅行して得た望みのものを,携えて来ました。その主人が後で述べたことばは,自分の忠実な奴隷たちと分かち合うべき「喜び」を得ていたことを示しています。彼は銀八タラントを奴隷たちにゆだねた時には持っていなかった『多くのもの』を携えて帰って来ました。イエスがもっと前に話した,「十ミナ」のたとえ話は,主人が携えて帰って来たのは「王権」であったことを明示しています。(ルカ 19:12-15)異邦人の時,つまり「諸国民の定められた時」は「王権」,それも特にエルサレムのダビデ王の家系の「王権」,つまり西暦前607年にバビロンの王ネブカデネザルによって覆されたダビデの家系の王権と関係がありました。破滅を招いたその年は,西暦1914年に至る2,520年にわたる異邦人の時を起算する年となりました。それで,1914年10月4,5日ごろにおけるその異邦人の時の終わりは必然的に,それまで長く続いた事態が逆転するのを目撃する時となるはずでした。ですから,1914年10月4,5日に異邦人諸国家が人類史上最初の世界大戦に巻き込まれてすでに2か月間苦しんでいたことは,決して意味のない事がらではありませんでした。

      41 (イ)第一次世界大戦は,主イエス・キリストの弟子で,「奴隷たち」である,当時地上にいた少数の者たちを絶滅させるものとなりましたか。(ロ)彼らがさらに行なおうとしていた証言に関して諸国民は彼らに何をしようとしましたか。

      41 しかし,天の主人イエス・キリストがご自分の貴重な「タラント」をゆだねたクリスチャンの「奴隷たち」についてはどうですか。その注目すべき時に地上の舞台にいて,聖書から第一次世界大戦の意味を悟った,それら忠実な「奴隷たち」の少数の者たちは今日もなおいます。その国際的闘争はついには28か国もの国々や帝国を全面戦争に引きずり込みましたが,新しく即位した天の王イエス・キリストのそれら忠節な「奴隷たち」を絶滅するものとはなりませんでした。全地の王としてのイエス・キリストによって支配されるのを好まなかった地上の敵は,それら「奴隷たち」を絶滅させたいと思いましたが,そうすることには成功しませんでした。事実上,彼らは,それら奴隷たちが天の主人また所有者から受けた比喩的な「タラント」を奪い去ろうとしました。それら奴隷たちが新しく即位した天の王のために成し遂げた優れた業績や得た収益すべてを台なしにさせようとしました。そのために彼らは,それら奴隷たちがあらゆる国の人びとに及ぼしていた影響を弱めさせようとしました。それら奴隷たちが王国に関して将来なされる証言のために用意し,耕した土台を必死に削り去ろうとしたのです。

      42,43 (イ)1918年に第一次世界大戦が終わったとき,天の主人の「奴隷たち」はどんな状態のもとにありましたか。(ロ)見たところでは,彼らにゆだねられた「タラント」はどうなってしまいましたか。

      42 第一次世界大戦が1918年11月11日に終わった時,統治していた天の王の「奴隷たち」は,キリスト教世界内外の人びとの間で得たあの良い評判に関しては事実上死んだも同然の状態にありました。クリスチャンとして人びとから寄せられた好意は,国粋的な愛国主義者や戦争に熱中している狂信者による誤伝や中傷の陰で事実上絶えてしまいました。また,群衆の激しい襲撃にも遭いました。彼らの聖書文書は発行を禁止されたり,彼ら自身追放されたりしました。その多くは投獄されました。中でも最もおもだった人たちだったのは,ものみの塔聖書冊子協会の会長および当協会の会計秘書,それに他の六人の著名な同僚たちで,誣告された彼らは,気違いじみた戦争が終わった後に初めて,無罪であることが明らかにされました。

      43 この地球の正当な支配者のそれら「奴隷たち」は一切のものを取り去られたように見えました。彼らにゆだねられた「タラント」は一掃されたかに見えました。彼らの敵は,それら「奴隷たち」にその天の主人に対する奉仕を二度と再び行なえないようにさせたことを大いに喜びました。というのは,もう一度始める力が彼らにあるかどうかは疑問視されたからです。

      44 (イ)事態はいつ,またどのように逆転しはじめましたか。(ロ)生き残った「奴隷たち」に関してはどんな疑問が生じますか。なぜですか。

      44 事態が逆転しはじめるのを見て敵が驚き,仰天したのは,戦争が終わって4か月余経ってからのことでした。それはものみの塔聖書冊子協会のそれら八人の代表者たちが1919年3月25日,(ジョージア州)アトランタ連邦刑務所から釈放され,翌日ニューヨーク市ブルックリンで保釈が認められたときのことでした。はなはだしい虚偽の告発を受けた彼らは,その後ほどなくして無罪であることが証明されました。しかし,戦争のための宣伝や戦争熱のゆえにイエス・キリストの「奴隷たち」に関して偏った歪められた見方をいだいた,戦争で疲れ果てた人びとにとって,このことにはどれほどの価値がありましたか。それは「奴隷たち」の考慮すべき事がらでした。そうした険悪な事情にもかかわらず,彼らは元気を取り戻して再び前進することができましたか。彼らはそうするために,自分たちの天の主人の勇気と確信を得ましたか。それは当時のそれらクリスチャンの奴隷たちにとって正しく試みの時でした。

      45 (イ)たとえ話によれば,「その奴隷たちの主人」によって何が行なわれようとしていましたか。(ロ)彼らが「タラント」を持ち合わせているという点では,それらクリスチャンの奴隷たちのために何がなされる必要がありましたか。

      45 「タラント」のたとえ話は,外国から戻った旅行者が彼らとの勘定を清算することを表わしていました。それは彼らを検閲することを意味していました。1919年の春のそれらのできごとを転機として,「その奴隷たち」の天の「主人」が彼らを検閲することになったのは,けだし当然と言わねばなりません。それにしても,彼らは奴隷級にゆだねられた主人の「タラント」に関して,どんな説明を行なうことができましたか。戦時下の迫害が1918年に最高潮に達する以前に彼らが得たであろう幾ばくかの増加は拭い去られてしまったように見えました。彼らはまるで比喩的な「タラント」を何ら持ち合わせていないようでした。もし今,自分たちの主人の「タラント」のもたらす増加を示すというのであれば,彼らは戦後の時期にそうした増加をもたらし,そうして増やした主人の持ち物を後日彼に手渡さねばなりません。彼らは新たな別の機会を得て,主人の貴重な「タラント」を用いて「商売をし」なければなりませんでした。彼らの主人の憐み深い思いやりのゆえに,歴史上まさにそのとおりに事が運びました。

      46 (イ)当時は彼らが何を払いのけるべき時でしたか。彼らは何のために再組織する心要がありましたか。(ロ)彼らの天の主人が「王権」を持っていることを考えると,当時は何をするのに絶好の時機であり,幸先のよい時でしたか。

      46 最初の世界大戦が猛り狂い,病的興奮状態をもたらしていた間,奴隷級のあいだには人間に対する恐れの気持ちが引き起こされ,統治する王イエス・キリストの信頼できる奴隷としてなすべき仕事からかなり手を引くことを余儀なくされましたが,1919年はそうした恐れを払いのけるべき重大な時でした。当時は,崩され,損われた自分たちの隊伍を再組織し始め,今や王権を持っておられる主の奉仕の点で自分たちの生活の中で最大の努力を払うべき絶好の時機でした。今や彼らの主は,恵みとして天の王国の希望が与えられる弟子たちをさらに産み出すべく自由に用い得るご自分の畑である全地に対する正当な権利をかつてなかったほど要求されました。彼はその時宜にかなった事態を彼らにゆだねて,ご自分に対する奉仕の点で『商売をさせる』ことができました。当時は弟子たちで成る「奴隷」級が,「五タラント」を委託された奴隷や,また二タラントゆだねられた奴隷によって表わされた者として立ち上がるべき幸先のよい時でした。彼らはそうしました。「タラント」のたとえ話は,それも特に最高潮を迎える時点で成就しないわけにはゆかないからです。

      47 1919年に彼らは,恐れるのではなくて,戦後のわざに自らを捧げるよう,どのように強められましたか。

      47 一刻も無駄にはされませんでした。1919年,「奴隷たち」のそれら二つの級は仕事を始めました。彼らは1919年8月1日および15日号の「ものみの塔」誌の「恐れなき者は幸いなり」と題する記事から強力な新たな確信を得ました。そして,1919年9月1-8日にわたってオハイオ州シーダー・ポイントで開かれた8日間の大会の発表を歓呼して迎えました。さらに迫害を伴い,多大の精力と勇気を要する戦後のわざに直面しはしまいかと恐れて,その大会に出席するのを思い留まったりはしませんでした。

      48 (イ)シーダー・ポイント大会の出席者たちは,「ものみの塔」誌の姉妹誌としての新しい雑誌に関する発表をどのように受け入れましたか。(ロ)付け加えられたこの雑誌は今日に至るまでどのように用いられてきましたか。

      48 特にカナダおよびアメリカ合衆国から来た六千人もの人びとは,自分たちの前途のわざをどのように行なうようエホバが意図しておられるかを知りたいと切に願いつつ,国際聖書研究者協会のこの大会の集まりに毎日出席しました。彼らは「ものみの塔およびキリストの臨在の告知者」誌の姉妹誌として1919年10月1日に発刊される「黄金時代」と題する新しい雑誌の発表を驚きとともに,心からの感謝の念をいだいて迎えました。その新しい雑誌は,樹立された神のメシアによる王国を告げ知らせる上で付け加えられた補助誌となりました。それは主イエス・キリストの弟子をさらに産み出すための新たな地域を耕し,植えて水を注ぐわざを行なうのに彼らが用いるもう一つの道具となりました。「ものみの塔」誌と並んで,その新しい雑誌(今日の「目ざめよ!」)は今日に至るまで発行部数を増しながら,心の正直な人たちに新たに関心を引き起こさせ,神のみことばのいっそう深い事がらを受け入れられるよう用意させてきました。

      49 ものみの塔協会の支部に関してはどんな事が行なわれてきましたか。その結果,耕されるようになった地域はどの程度増えましたか。

      49 また,世界大戦のために断たれていた,ものみの塔聖書冊子協会の本部と全地の支部組織との間の通信連絡が回復され,強化されるとともに,時と事情の進展により必要が明らかになるにつれ,新しい支部がさまざまな土地に確立されました。その結果,天の主人イエス・キリストの「奴隷たち」のいっそう綿密な監督を受ける地域が増え,またそうした地域を耕して,あらゆる国の人びとの中からさらに多くの弟子を集めるわざは大いに強化されることになりました。当時はごくわずかの支部しかありませんでしたが,その数は急増し,今日では95の支部があります。それらの支部は,208の国々や海洋の島々で行なわれている,種を蒔いて育成する働きを監督しています。

      50 (イ)1922年のシーダー・ポイント大会の出席者たちは自分たちが,神殿にいるイザヤ同様の立場に立っていることをどうして知りましたか。(ロ)イザヤがエホバの招きに答え応じたことは,彼らに関してどんな質問を提起するものとなりましたか。

      50 1922年の9月,天の王国を継ぐ見込みを持つそれらクリスチャンの奴隷たちは,自分たちが今や正に,王の王,主の主で,統治しておられる主イエスの検閲を受けていることを強烈に知らされました。マラキ書 3章1節を成就して主イエスは,神殿で仕える霊によって生み出された「奴隷たち」に関して裁きのわざを行なうため霊的な神殿に来るさい,エホバ神に付き添って来ました。オハイオ州シーダー・ポイントにおける国際聖書研究者協会の第二回大会に出席した人たちは,「勝負の日」と呼ばれた4日目,つまり1922年9月8日に今や自分たちが,神殿でエホバ神に関する幻を見た預言者イザヤ同様の立場にあることを知りました。霊的に清められる必要を感じたイザヤは,必要な清めを受けで憐みを示されました。こうして彼は,「ここに私がおります! 私を遣わしてください」という熱烈な叫びをもってエホバの招きに答え応じ得る有利な立場に立ちました。(イザヤ 6:1-8,新)それで問題は,国際聖書研究者協会のその大会出席者たちが当時自分たちに差し伸べられた奉仕へのエホバの招きに同様に答え応じるだろうかということでした。

      51 協会の会長は「勝負の日」における話の結びとして大会出席者にどんな質問を尋ねましたか。会長は最後にどんな勧告のことばを聴衆に述べましたか。

      51 イザヤの幻を取り上げた話の最後から2番目の節の中で,ものみの塔協会の会長J・F・ラザフォードは大会出席者に対して次のような最後の質問を含め,幾つかの質問を提起しました。「主は今やその神殿にいて,地の諸国民を裁いておられることを,あなたは信じていますか。あなたは,栄光を受けた王が統治を開始されたことを信じていますか」。何千人もの大会出席者はいやが上にも熱意をこめて賛同の叫びを上げました。そこで講演者は次のように述べて,講演を最高潮に持って行きました。「では,いと高き神の子たちである皆さん,野外に戻ってください! 自分のよろいをまとってください! 冷静にし,油断なく注意し,活発に働き,勇敢でありなさい。主の忠実で真実の証人でありなさい。バビロンの痕跡がことごとく荒廃に帰するまで戦い,前進し,音信を遠く広く告げ知らせなさい。世界は,エホバが神であり,イエス・キリストは王の王,主の主であることを知らねばなりません。今は最も重大な勝負の日です。ご覧なさい,王は統治しておられます! あなたがたは王のことを広く伝える代理者です。それゆえに,王とその王国を宣伝し,宣伝し,宣伝しなさい」― 1922年11月1日付,「ものみの塔」誌の332-337ページをご覧ください。

      52 (イ)1920年,聖書文書の配布を増大させるために協会は何を行ないましたか。(ロ)1924年には協会は王国を宣伝する他のどんな手段を用い始めましたか。後日,他のどんな広報手段によってわざは拡大されましたか。

      52 戻られた主イエス・キリストの「奴隷たち」はかつてないほど一層強烈な熱意を抱き,一層大きな努力を払って出かけて行き,イエス・キリストのことを統治する王として宣伝し,家から家に,また公式の演壇でも公に宣べ伝えました。1920年以来,彼らはニューヨーク市ブルックリンで独自の印刷施設を運営し始め,その結果,聖書文書,雑誌,小冊子,冊子,硬い表紙を使って製本した書籍,そしてついには聖書そのものをも大いに経費を節約して一層大量に入手し,メシアなる王とその王国を宣伝するのに用い得るようになりました。1924年2月24日,日曜日からは,それら「奴隷たち」の法人団体の所有する放送局が数知れぬ見えない聴衆にラジオ受信機を通して王国の音信を放送し始めました。時経つうちに多くの土地で多数のラジオ放送局が用いられ,有料あるいは無料の時間に王国の良いたよりが地の最果てまで伝えられるようになりました。こうした広報手段に加えて,何年か後には,拡声器を取りつけた宣伝カーが用いられ,またキリストの「奴隷たち」は携帯用蓄音器を持って戸別訪問をし,家々の人びとに王国を宣伝しました。

      53 1925年3月1日号の「ものみの塔」誌の主要な記事を読んだ読者には,なぜ感動させられる理由がありましたか。

      53 「ものみの塔およびキリストの臨在の告知者」誌の読者は1925年3月1日号を受け取って,「国民の誕生」と題する主要な記事を読み,感動させられました。なぜですか。なぜなら,その記事からヨハネへの啓示 12章の一層詳細な理解を与えられたからです。理解の目を開かれた彼らは,同章に非常に感動的な筆致で表現され,自分たちにとって久しく秘義とされていた男子の象徴的な誕生が,異邦人の時の終わった1914年における神のメシアによる王国の誕生を表わすものであることを知りました。その記事は結びとして74ページで次のように述べました。「天の王国は今や来ました。救出の日が今や見えます。この良いたよりは地上の諸民族に告げ知らされねばなりません。勝利はわれわれの王の側にあります。この戦いの終わりまで忠実でありなさい。そうすれば,喜びと楽しみの永遠に満ちあふれる所で,降り注ぐ陽光のような王の愛に永久に浴せるでしょう」。

      54,55 1925年の主の夕食にあずかった人の数は,活動のための地域が増えたことをどのように示しましたか。

      54 続いて1925年4月8日,水曜日に行なわれた主の夕食の例年の祝いは,励みになる事がらを明らかにするものとなりました。活動のために付け加えられた地域で当時まで進められていた,種を蒔いて水を注ぎ,育成するわざに加えて,王国を宣伝するために新たに備えられた道具のお陰で,天的な希望を抱く弟子たちの会衆の数は増加しました。諸会衆の成員も増えました。それで,その主の夕食の祝いにあずかった人たちの人数は,キリストの弟子たちのそうした成長と産出を示すものとなりました。では,その年にはどれほど多くの人が祝いにあずかりましたか。1925年9月1日号の「ものみの塔」誌は263ページの「記念式の報告」という見出しのもとでこう述べました。

      55 「記念式にあずかった人の人数がたいへん多いのは喜ばしいことです。なぜなら,それは至る所で真理に対して多大の関心が示されていることを明らかにしているからです。また,そうあって然るべきでしょう。今まで寄せられた報告の総合計は昨年のそれより2万5,329人も多い9万434人です」。

      56 このことは,「タラント」を委託された弟子の「奴隷たち」の「商」取引きに関して何を示しましたか。

      56 確かにキリストの「奴隷たち」は,つまり「五タラント」を委託された奴隷および二タラントをゆだねられた奴隷によって表わされた級の人たちは,キリストの弟子たちをさらに多く生み出す他の地域を殖やすべく,それらのタラントを用いて時をたがえず素早く『商売をし』ました。発表された事実は,それら「奴隷たち」の努力が祝福され,増加をもって報われたことを証明しています。それは,なおも努力するよう彼らを励ますものとなりました。

      喜び

      57 (イ)たとえ話のその金持ちはなぜ外国に旅行しましたか。(ロ)それで,たとえ話の成就について言えば,イエス・キリストに関してどんな質問が生じますか。

      57 とはいえ,歴史的に言えば,この問題についてはもう一つの要素が今や判然としてきました。イエスのたとえ話の,銀八タラントと三人の奴隷の持ち主は,観光旅行の場合のように単に楽しみのために外国へ旅行したのではありません。その外国旅行には重大な理由がありました。ある貴重なものを確保したいと願っていたのです。たとえ話が示すように,彼が外国へ旅行したのは,『多くのもの』とともに,ある種の「喜び」を得るためでした。したがって,その独特の「喜び」を授け得る方に願い出るため,長い時間を要する長途の旅をしなければなりませんでした。「タラント」のたとえ話ははっきりと述べてはいませんが,イエスのたとえ話は暗にそのことを示しています。たとえ話のその金持ちは主イエス・キリストを表わしていますから,その人が長途の外国旅行をすることは,主イエスが目ざす特別の喜びの唯一の源に赴くことを表わしています。では,だれのもとに行きましたか。喜びのその源とはだれのことですか。

      58,59 (イ)復活させられたイエス・キリストはその「喜び」を得るために,だれのもとに行きましたか。(ロ)ローマ 15章13節に示されているように,エホバ神はほかにだれにとっても喜びの源ですか。

      58 ヘブライ 12章2節はそのことをわたしたちに示しています。こう記されています。「わたしたちの信仰の主要な代理者また完成者であるイエスをいっしんに見つめ(なさい)。彼は,自分の前に置かれた喜びのために,恥をものとも思わず苦しみの杭に耐え,神のみ座の右にすわられたのです」。

      59 そうです,エホバ神こそ,その「喜び」の源です。復活させられたイエス・キリストはこの地上に忠実な弟子たちを残し,ご自分の「持ち物」つまり「タラント」を委託して,エホバ神のもとに去って行かれたのです。天の父はイエスの「喜び」の特別な理由の源でした。エホバ神はその最愛のみ子の弟子たちにとってもやはり喜びの源です。したがって,そのような弟子のひとりは,ローマにいた仲間のクリスチャンに手紙を送ってこう述べました。「希望を与えてくださる神が,その信ずることによって,あなたがたをあらゆる喜びと平和で満たしてくださり,こうしてあなたがたが,聖霊の力をもって希望に満ちあふれますように」。(ローマ 15:13)その正しい祈りに神は答えることができました。

      60 (イ)今やイエス・キリストは「喜び」を得て戻ったのですから,だれを当然そうあるべき顕著な存在として目立たせるのは時宜を得たことでしたか。(ロ)その方はみ名に関して,当然そうあるべき顕著な存在としてどのように目立たされましたか。

      60 今や神のメシアによる王国が天で誕生したのですから,主イエス・キリストの喜ばしい再来が始まった後,物事の当然の成り行きとして,喜びの天的な源であられる神を当然そうあるべき顕著な存在としてイエスの「奴隷たち」の目に映じさせるのは時宜を得たことと言えるでしょう。喜びのこの神聖な源である方にとって,名を上げる時が到来したのです。それにはまず,その方の個有のみ名が知らされなければなりません。そして,そのみ名は正しく知らされました。当然のこととして,そのみ名は神を敬う地上の崇拝者たちの間でいつも用いられるようになり,またそれ以前には一度もなかったほど全地の至る所で広められました。1926年に入るや,同年最初の「ものみの塔」誌は,「エホバを尊ぶのはだれか」と題する主要な記事を掲げました。その時以来,聖書の最初のヘブライ語本文に何千回も出ている聖なるみ名は,神のみ子の「奴隷たち」の間でその正当な高い位置に引き上げられました。彼らはまず第一にその神のための証人になりましたが,み子イエス・キリストのための証しを減少させたりはしませんでした。エホバという名を持っておられる唯一の方のための証人になるという自分たちの義務に従って,愛をもって行動したのです。

      61 (イ)1931年に採択された決議によって,イエス・キリストの弟子であるその奴隷たちは,どんな名称で呼ばれることに反対する旨を表明しましたか。(ロ)以来,彼らはどんな名称で呼ばれることを欲しましたか。

      61 それに続く5年半の間,その聖なるみ名のためのそうした証しがなされました。次いで,それらクリスチャンの「奴隷たち」が身分を明らかにする,つまりキリスト教世界の自称クリスチャンすべてから自らを区別する時が来ました。そのためにイエス・キリストの「奴隷たち」は1931年7月26日,日曜日,午後,アメリカのオハイオ州コロンバスにおける国際大会で行動を起こしました。同日の午後4時,幾千人もの大会出席者に決議が提出され,読み上げられました。ここに,その決議の4節,5節そして6節を引用いたします。

      それゆえに今,私たちの真の立場を知らせるため,またそれがみことばに表明されている神の意志と調和するものであることを信じて,次のように決議いたします。

      私たちはチャールズ・T・ラッセル兄弟をその働きのゆえにこよなく愛しており,主が同兄弟を用いて,その働きを大いに祝福されたことを喜んで認めるものですが,神のみことばに終始一貫従う者として,「ラッセル信奉者」という名称で呼ばれることには承服できません。ものみの塔聖書冊子協会,国際聖書研究者協会および一般人伝道者協会という名称は,クリスチャンである私たちが一団として神のご命令に従って私たちのわざを遂行するために保持し,管理し,用いている法人の呼称にすぎません。それらの名称はいずれも,私たちの主で主人であるキリスト・イエスの足跡に従うクリスチャンの団体としての私たちに正しく結びつく,もしくは当てはまるものではありません。私たちは聖書の研究者ですが,協会を組織しているクリスチャンの団体として,主のみ前における私たちの正しい立場を明らかにする手段としては,「聖書研究者」その他同様の名称を持つ,あるいはそうした名称で呼ばれることを拒みます。私たちはいかなる人間の名前を持つことも,あるいはそれで呼ばれることをも退けます。

      また,私たちの主で,買い戻し手であるイエス・キリストの貴い血をもって買い取られ,エホバ神によって義とされ,生み出され,そしてその王国に召されたゆえに,私たちはエホバ神とその王国に対して全き忠誠と専心の限りを尽くすことを,ためらうことなく断言します。私たちはエホバ神のしもべであって,その御名によって仕事を行ない,またそのご命令に服してイエス・キリストの証しを伝え,エホバが真の,そして全能の神であられることを人びとに知らせるわざを委ねられています。それゆえに,私たちは主なる神が御口をもって命名した名称を喜んで採用し,また用います。私たちは,すなわちエホバの証人という名称で知られ,また呼ばれることを欲するものです。―イザヤ 43:10-12,新; 62:2。啓示 12:17。

      62 その決議の最後の節では,どんな招待が差し伸べられましたか。

      62 この決議の8節と最後の節はこう述べています。

      私たちは,エホバとその王国に全く専念している人たちすべてに対して,この良いたよりを他の人びとにふれ告げるわざに加わるよう,謹んでお勧めいたします。それは主の義の規準が高く掲げられ,救済をもたらす真理と希望をどこに見いだせるかを世界の諸民族が知り,なかんずくエホバ神の偉大な,聖なる御名が立証され,高められるためです。

      63 (イ)新しい名称に関するこの決議は,どんな人たちの全員によって採択されましたか。(ロ)その後,この決議はどのようにして公表され,その結果この知らせは世界中に伝えられましたか。

      63 オハイオ州コロンバスの大会に参集した人たちだけでなく,後日全地のイエス・キリストの「奴隷たち」の諸会衆も熱意をこめてこの決議を採択しました。こうして彼らは「エホバの証人」という名称を自発的に採用しました。この名称に関するその決議は,同大会で発表された「王国,世界の希望」と題する小冊子に載せられて公表されました。その題はまた,ものみの塔協会の会長J・F・ラザフォードが同大会の見える聴衆と大規模なラジオ放送網を通じ,耳を傾ける見えない聴衆の両方に向かって正午から行なった公開講演の主題でもありました。その後,同公開講演の全文と決議文を収めたこの小冊子は,カトリックおよび新教の牧師たちの手に,後には著名な政治家や専門職の人びとの手に個人的に直接渡されました。また,一般の人びとの間でも広く流布されました。それら義とされ,霊によって生み出された,いと高き神の崇拝者たちは自分たちの神の名によって歩み,エホバの証人という名称のみを認めるという知らせは,こうして世界中に伝えられました。―ミカ 4:5,新。

      64 彼らはなぜ自分たちがエホバのクリスチャン証人であることを認めていますか。

      64 それら崇拝者たちは,主イエス・キリストが最初に来られる以前にもやはり生ける唯一の真の神の証人たちがいたので,自分たちはエホバのクリスチャン証人であることを認めています。―イザヤ 43:10-12; 44:8。ヘブライ 11:1–12:1。また,1931年9月15日号の「ものみの塔」誌の278,279ページもご覧ください。

  • 今日の奴隷たちと勘定を清算する
    神の千年王国は近づいた
    • 13章

      今日の奴隷たちと勘定を清算する

      1,2 (イ)天与の名称を担うことは,キリストの「奴隷たち」の残れる者の何を増し加えましたか。その源となったのはだれですか。(ロ)「タラント」のたとえ話の中でこの喜びがどのように言及されていますか。

      主イエス・キリストの「奴隷たち」の,なお地上に留まっている残れる者にとって,1931年以来天与の名称を担うことは,新たな喜びを加えるものとなりました。彼らの喜びは,彼らの主で,所有者である方が喜びを得たのと同じ源,すなわちエホバ神からもたらされました。主イエス・キリストは「タラント」のたとえ話の成就において,ご自分の奴隷たちと勘定を清算したさい,ご自身のその喜びに言及されました。このことは,次のように記されているマタイ 25章20-23節を見るとわかります。

      2 「それで五タラントを受けていた者が進み出,追加の五タラントを差し出して,こう言いました。『ご主人様,わたしに五タラントをゆだねてくださいましたが,ご覧ください,わたしはさらに五タラントをもうけました』。主人は彼に言いました,『よくやった,善良で忠実な奴隷よ! あなたはわずかなことに忠実であった。わたしはあなたを任命して多くのことをつかさどらせる。あなたの主人の喜びに入りなさい』。次に,二タラントを受けていた者が進み出て,言いました,『ご主人様,わたしに二タラントをゆだねてくださいましたが,ご覧ください,わたしはさらに二タラントをもうけました』。主人は彼に言いました,『よくやった,善良で忠実な奴隷よ! あなたはわずかなことに忠実であった。わたしはあなたを任命して多くのことをつかさどらせる。あなたの主人の喜びに入りなさい』」。

      3,4 (イ)三人の「奴隷たち」は個人それとも何を表わしていますか。(ロ)たとえ話の成就において,「奴隷たち」によって表わされているものと勘定を清算することは,パルーシアの正しい意味をどのように示唆しますか。

      3 奴隷たちとこうして勘定を清算するには,確かに時間と注意が要りました。それで,これはたとえ話の最後の特色の成就という点で天の主人イエス・キリストの臨在もしくはパルーシアの期間を表わしていたと言えるでしょう。(マタイ 24:3)たとえ話の中の三人の奴隷はそれぞれある級を表わしており,それらの級は個々の人びとで成り立っていることを決して忘れてはなりません。一つの級あるいはグループを扱うには,一個人を扱う場合よりも時間や注意がもっと要ります。一つの級もしくはグループの場合,その成員をおのおの扱わねばなりません。ローマ 14章9,10節で使徒パウロはこう書きました。

      4 「死んだ者にも生きている者にも主となること,このためにキリストは死に,そして生き返ったからです。……わたしたちはみな,神の裁きの座の前に立つことになるのです」。

      5 (イ)生きている人と死んだ人を裁くさい,イエス・キリストはだれに代わって裁きますか。(ロ)キリストのパルーシア以前に死んだ「奴隷たち」によって表わされている級の人たちは,自分たちの報いに関してはどうしなければなりませんでしたか。

      5 「タラント」のたとえ話の成就においては,主イエス・キリストはエホバ神に代わって裁きます。「タラント」をゆだねられたその「奴隷たち」はすべて,20世紀の現代にこの地上で肉のからだで生きているわけではありません。たとえば,十二使徒の時代から,啓示を受けてその書を記したヨハネの当時までの1世紀の人たちは,遠い昔に亡くなり,死の眠りに就き,自分たちの主で所有者である方のパルーシアを待ち,その時,義の審判者である主から報いを受けることになりました。殉教の死を遂げる少し前に使徒パウロが仲間の宣教者テモテに書き送ったとおりです。「わたしは戦いをりっぱに戦い,走路を最後まで走り,信仰を守り通しました。今からのち,義の冠がわたしのために定め置かれています。それは,義なる審判者である主が,かの日に報いとしてわたしに与えてくださるものです。しかし,わたしだけにではなく,その顕現を愛してきたすべての者に与えてくださるのです」。(テモテ第二 4:7,8)そうです,正しく使徒パウロは「かの日」を,主のパルーシアの日を,つまり死人の中からの復活および不滅の天的な命の賞を受けることを待ち望んだのです。主のパルーシア以前に死ぬ人はみな,待たねばなりませんでした。

      6 死の眠りに就いていた「奴隷たち」は,いつ復活させられますか。それらの人は復活に関してはだれに先立って報われますか。

      6 霊によるその見えないパルーシアの期間にさいし,死の眠りに就いていたそれら忠実な「奴隷たち」はすべて,裁きが始まる時に目ざめさせられ,霊の領域における天的な命を得ました。そのようなわけで,生きている「奴隷たち」が,眠っている忠実な「奴隷たち」に先立って報われるということはありませんでした。これはわたしたちの想像ではありません。というのは,使徒パウロがテサロニケのクリスチャン会衆に次のように書き送っているからです。「イエスは死んでよみがえったということがわたしたちの信仰であれば,神はイエスにより[死んで]眠っている者たちをも彼とともにやはり連れ出してくださるからです。主の臨在の時まで生き残るわたしたち生きている者は[死んで]眠っている者たちに決して先んじないということ,これが,エホバのことばによってわたしたちがあなたがたに伝えるところなのです。主ご自身が号令とみ使いの頭の声また神のラッパとともに天から下ると,キリストと結ばれて死んでいる者たちが最初によみがえるからです。そののち,生き残っているわたしたち生きている者が,彼らとともに,雲のうちに取り去られて空中で主に会い,こうしてわたしたちは,常に主とともにいることになるのです」― テサロニケ第一 4:14-17。

      7 それら眠りに就いている人たちがあずかるのはどんな復活ですか。

      7 これは,主のパルーシアの期間にさいして,裁きが始まる時に,眠っている忠実な「奴隷たち」が霊者として天の命を得る見えない復活が起こることを意味しています。もちろん,なお地上に生き残っている「奴隷たち」にとってそれは肉眼では見えません。それは見えない様で臨在しておられる主イエスの「奴隷たち」ではない世の人びとにとって見えないのと全く同様です。

      8,9 (イ)「奴隷たち」が空中で主と会うのは,肉体のまま大気圏に引き上げられることを意味するかどうかに関して,証拠は何を示唆していますか。(ロ)コリント第一 15章50-54節で指摘されているように,この問題には何が関係していますか。

      8 復活させられた「奴隷たち」が「空中で主」と会うこともやはり,地上の人間の肉眼では決して見えません。それで,神のみことばに対する信仰と時代の兆候による以外,それが起きているかどうかは地上の人間にはわかりません。死の眠りに就いていたそれら「奴隷たち」はすべて同時に一緒に復活させられて,「空中で主に会い」ました。しかし,裁き,つまり勘定の清算の始まる時まで生き残った地上の「奴隷たち」は,見える肉体のまま地球の大気圏に文字どおり引き上げられて,目に見えない主と空中で会ったわけではありません。現代の歴史の記録にはそのようなできごとは何も残されてはいないからです。「奴隷たち」のこの生き残っているグループの成員の中のある人たちは,これまでに経過した50年余の期間にそれぞれ亡くなりましたが,聖書の約束によれば,彼らは一瞬にして復活させられ,目に見えない天の霊者としての命を受けました。主のパルーシアは既に始まったのですから,死の眠りに就いて主の到着を待つ必要はありませんでした。パウロの述べた次の事がらが彼らに適用されました。

      9 「肉と血は神の王国を受け継ぐことができず,朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはありません。ご覧なさい,わたしはあなたがたに神聖な奥義を告げます。わたしたちはみな[死の]眠りにつくのではありませんが,わたしたちはみな変えられるのです。一瞬に,またたくまに,最後のラッパの間にです。ラッパが鳴ると,死人は朽ちないものによみがえらされ,わたしたちは変えられるからです。朽ちるものは不朽を着け,死すべきものは不滅性を着けねばならないのです。しかし,[朽ちるものが不朽を着け,また]死すべきものが不滅性を着けたその時,『死は永久にのみ込まれる』と書かれていることばがそのとおりになります」― コリント第一 15:50-54。イザヤ 25:8。

      10 啓示 14章13節で言及されているそれらの「奴隷たち」は,どんな点で「幸い」ですか。

      10 主のパルーシアつまり臨在の時まで,またその期間中も生存し,主とともにあって忠実を保ちながら,その後亡くなった油そそがれた奴隷たちには,啓示 14章13節の次のような約束が適用されます。「今からのち主と結ばれて死ぬ死人は幸いである。しかり,彼らはその労を休みなさい,彼らの行なったことはそのまま彼らに伴って行くからである,と霊は言う」。彼らは「幸い」です。なぜなら,肉体の死にさいして,朽ちるものから朽ちないものへ,死滅するものから不滅のものへ,つまり人間から霊に一瞬のうちに変えられる,あの変化を経験するからです。それで死の眠りに就くことなしに地的な労苦を終え,自分たちの主とともに行なう天的なわざに直ちに携わるのです。彼らはその主の共同相続者なのです。

      11 前述の事がらの実例として取り上げられているR・J・マーチンとはだれですか。

      11 たとえば,ロバート・J・マーチンの例を取ってみましょう。彼は1918年7月5日から1919年3月25日までジョージア州アトラントの連邦刑務所における約9か月にわたる不当な投獄に遭った,協会の会長J・F・ラザフォードを含む,聖別された八人のクリスチャン男子のうちの一人でした。この「奴隷」は1919年3月26日,水曜日,ニューヨーク市ブルックリンで保釈されたとき,その主から預けられた「タラント」に関するかぎり,事実上何も持ち合わせてはいませんでした。今や主の「奴隷たち」に対する迫害を伴った第一次世界大戦は終わり,既に4か月余経ちましたが,R・J・マーチンは事実上初めからやり直さねばなりませんでした。なおも主イエスとともにあって忠実を保っていた彼は,後に主イエス・キリストの弟子を豊かに生み出すものとなった畑を拡張するため,喜んで「タラント」を受け取り,天の主のためにそれを用いて「商売をし」ました。刑務所から釈放された翌年,彼はブルックリンに新しく設けられた,ものみの塔聖書冊子協会の印刷工場の監督になりました。そして,1926年11月1日には当協会の理事の一人になり,地上の歩みを終えるまで彼はその持ち場を固守しました。

      12 マーチンはいつ亡くなりましたか。このことに関して,「ものみの塔」誌は何と述べましたか。

      12 それで,R・J・マーチンは何年かにわたって忠実に商売をし,弟子を作る畑で自分にゆだねられた「タラント」を増やしました。彼は自分の持ち場を守りながら,1932年9月23日に54歳で亡くなりました。(1878年3月30日出生)彼が「主と結ばれて」亡くなったことは,1932年10月1日号の「ものみの塔およびキリストの臨在の告知者」誌(英文)の304ページに発表されました。その一部は次のとおりです。

      1932年9月23日の午前零時を過ぎて間もなく,エホバの組織の兵士,ロバート・J・マーチンはその地上の幕屋を折りたたんで,安らかに逝去しました。この善良で忠実な証人は地上での歩みを終えました。彼は直ちに去って王国に入り,今やエホバの首都組織の中で永遠に主とともにいますが,このことを信ずる十分の理由があります。

      ……マーチン兄弟の忠実な同志たちの望みは,彼らも栄光と美に満ちる主を見,その後エホバの目的遂行にとわにあずかることです。エホバのために専心尽くしたマーチン兄弟の働きは,引き続き軍を門から追い戻すよう残れる者のそれら同志を鼓吹するものとなりました。

      13 マーチンの仲間の囚人となったラザフォードはいつ亡くなりましたか。彼の死は歴史上何を画するものとなりましたか。

      13 彼の仲間の囚人,J・F・ラザフォードは依然ものみの塔聖書冊子協会の会長でしたが,1942年1月8日,木曜日,七十二歳でその地上の歩みを終え,その死去の知らせは,「ものみの塔,エホバの王国を告げ知らせる」1942年2月1日号の45ページに発表されました。以来30年余の歴史は,彼の死が現代のエホバのクリスチャン証人の活動の一時代の終わりを画するものとなったことを示しています。

      14 (イ)キリストの「タラント」を用いて商売をしたことに対する報いの点でこうした二人の「奴隷たち」に関しては何を信ずる聖書的な理由がありますか。(ロ)なお地上で生き長らえている「奴隷たち」は,何らかの「喜び」にあずかってきましたか。支配権の問題についてはどうですか。

      14 前述の二人の場合のように,クリスチャンの「奴隷たち」の生涯は,自分たちにゆだねられた主の「タラント」を用いて「商売をして」,その結果,さらに多くのキリストの弟子を産み出すために働く地上の畑を殖やしたことを確かに示しています。それらの人たちが主イエス・キリストの裁きの座の前に現われたとき,主の次のような賞賛の言葉を聞いたということを信ずる聖書的な理由があります。「よくやった,善良で忠実な奴隷よ! あなたはわずかなことに忠実であった。わたしはあなたを任命して多くのことをつかさどらせる」。(マタイ 25:21,23)しかし多くの年月を経た後の今日,それら忠節なクリスチャンの「奴隷たち」の少数の残れる者が地上に留まっており,自分たちの天の主人の「タラント」を増やそうと愛をこめて努力しています。彼らはやがては地上の生涯を終えて,イエス・キリストの裁きの座の前に現われ,喜びのうちにその同じ賞賛の言葉を聞くことを期待しています。しかし地上にいる今でさえ,自分たちの天の所有者の「タラント」を増やしており,その程度に応じて既に主人のかなりの喜びにあずかっています。しかし彼らは支配権を受けてはおらず,天で千年統治にあずかるのを待ち望んでいるに過ぎないのです。

      「邪悪で無精な奴隷」

      15,16 (イ)一タラント預かった奴隷は自分の「能力」をどのように用いようとはしませんでしたか。どんな結果を招きましたか。(ロ)また,自分の受け取ったものだけを手渡して返すために,どんな言い訳を述べましたか。

      15 さて,イエスのたとえ話の中でただ一タラントを受け取った奴隷がどうなったかを知るのは興味深いことです。その奴隷についてはこう言われています。「しかし,ただ一タラントを受けた者は,出かけて行って地面を掘り,主人の銀子を隠しておきました」。(マタイ 25:15,18)この三番目の奴隷は五タラント預かった奴隷や,二タラント預かった奴隷のように,自ら努力し,勇気を出して「商売をし」なかったので,主人の銀のタラントを増やすことは期待できませんでした。その銀一タラントを取り扱い,それを用いて殖やす相応の「能力」は持っていましたが,その能力を示しませんでした。主人が来て,臨在つまりパルーシアの期間中に勘定が清算されることになっても,彼は何も増やしてはおらず,見せるものを持っていませんでした。それで,増やしたものを主人に差し出せないどんな言い訳をしましたか。たとえ話の中でイエスはこう告げています。

      16 「最後に,一タラントを受けていた者が進み出て言いました,『ご主人様,わたしは,あなたが手厳しいかたで,まかなかった所で刈り取り,簸なかった所で集めることを知っておりました。それでわたしは怖くなり,行って,あなたの一タラントを地中に隠しておきました。さあ,これはあなた様のものです』」― マタイ 25:24,25。

      17 (イ)この奴隷は自分の説明した,農業を営む地主のような主人のことをよしとしましたか。(ロ)その奴隷はどうして,自分の主人には増加が得られないからと言って不平を言う権利はないと考えましたか。

      17 この奴隷は,増加が期待されていることを知っていました。しかし,主人の銀のタラントで「商売をして」危険を冒す勇気は欠けていました。心配をものともせず,危険を冒しても主人の「持ち物」を殖やすべく行動するほどの愛を主人に対して抱いてはいませんでした。彼は主人を農業を営む地主に,つまり自分の土地から作物を得るだけでなく,自分の所有せぬ,耕しもしない土地からも産物を収穫し,自分でもみがらをきれいに簸たわけでもない穀物をも集める地主にたとえました。その奴隷は主人がそうした仕方でものを殖やすのをよしとせず,少なくとも,そのようにして物を殖やす主人をとがめました。それで,自分の明らかにした考えや態度と一致して,その奴隷は主人から委託されていた銀一タラントただそれだけを手渡して返しました。では,彼が考えたように,主人は何も損失をこうむらなかった以上,どうして不平を言えるでしょうか。主人はほかならぬ自分のものを取り戻したのです。お金は流通させて,利子を得るような仕方で運用すべきものであることを,その奴隷は十分認めていませんでした。

      18 主人はどんな考え方に従ってその奴隷に答えましたか。それで,主人はなぜその奴隷のことをほかならぬそうした仕方で呼びましたか。

      18 奴隷の主人は当人の論法に従って彼に答えました。こう記されています。「主人は答えて言いました,『邪悪で無精な奴隷よ,わたしが自分のまかなかった所で刈り取り,簸なかった所で集めることを知っていたというのか。それならあなたは,わたしの銀子を銀行屋に預けておくべきだった。そうすればわたしは,到着してすぐに[字義訳,来たときに],自分のものを利息といっしょに受け取っていただろうに』」― マタイ 25:26,27。

      19 その奴隷はなぜ『邪悪な』者と呼ばれて然るべきでしたか。彼はその気になれば,主人の要求に答えるためにどのように「安易な道」を取ることができましたか。

      19 その無益な奴隷は,主人に対して計画的に,つまり故意に増加をもたらそうとしなかった点で「邪悪」でした。主人の持ち物を増やすことに無関心でした。増加を図るよう主人が要求していたことを知らなかったのではありません。確かに知っていましたし,安易な道を取って,自分に委ねられた銀のタラントを銀行家に預けることもできました。そうすれば,銀行家はそれを用いて投資を行ない,利益を得,その結果預かった元金に対する相応の利子を支払えるでしょう。そうなれば,奴隷の主人は帰って来たとき,その銀のタラントだけでなく,銀行家に預けられたお金に対して支払われる利子をも受け取ったでしょう。その奴隷は五タラント預かった奴隷や二タラント預かった奴隷に見倣わなかったばかりか,彼らと協力もしませんでした。自分にゆだねられた元の銀のタラントは返したものの,実際には主人に損失をこうむらせました。主人にあえてそうした損失をこうむらせたので,「邪悪」な者とされたのです。

      20 この奴隷はどんな点で「無精」でしたか。そのためにどんな結果を招きましたか。

      20 その無益な奴隷はまた,「無精」でした。彼は怠惰で,仲間の奴隷たちのように機敏に『商売をする』ことを好みませんでした。働いて儲けるだけの能力はありました。さもなければ,主人は少なくとも一タラントを彼に委託しなかったでしょう。一タラント与えられた彼は三人の奴隷の中では責任が一番少なかったとはいえ,その最少額のお金は『その能力』で世話し得る以上のものではありませんでした。ところが,自分の能力を有利な方向に振り向ける代わりに,土を掘って主人のタラントを隠し,役にたたないようにしました。あまりにも無精だったので,主人のことを「手厳しいかた」だと品定めしておきながら,主人が去ってから長い間,貴重なタラントを用いて仕事に取りかかろうとさえしませんでした。その奴隷には都合の良い時間は十分あったのですが,増加をもたらさなかったので悲惨な事態を招きました。

      21 現代に見られるたとえ話の成就の最高潮において,その奴隷の相対物となっているのは何ですか。

      21 この「邪悪で無精な奴隷」には,わたしたちの時代に最高潮を迎えているそのたとえ話の成就において現代的な相対物があります。二人の仲間の奴隷たちの場合と同様,この無益な奴隷もやはり,天の主人,つまり主イエス・キリストへの奉仕を実際に行なっている,あるいはそうした奉仕をゆだねられているクリスチャンの奴隷たちの一つの級もしくはグループを表わしています。この無益な級は,大戦後のあの最初の年つまり西暦1919年に勘定の清算が始まった後に現われました。

      22 ほかにだれが,天の主人への奉仕に携わっていると主張しましたか。しかし,彼らは第一次世界大戦が終わった後,主人の「持ち物」をどのようにないがしろにしましたか。

      22 もちろん,キリスト教世界の教会諸派の成員は天の主イエス・キリストへの奉仕を行なっていると唱えました。それでは,彼らは出かけて行って,第一次世界大戦が終結した1918年11月11日当時,自分たちの前に大きく開かれていた畑を耕し,今やパルーシアを開始した統治する王イエス・キリストに代わって弟子を産み出しましたか。いいえ,彼らはこの世の政治家や軍国主義者と妥協する道を取りました。君としての支配が限りなく増大することになっている王の王国にかかわる「持ち物」をないがしろにしたのです。そして,自分たちの関心と注意を,提唱された国際連盟に向けました。アメリカ・キリスト教会連邦協議会は同連盟を「地上における神の王国の政治的表現」と呼びました。(イザヤ 9:6,7,新)彼らは世界の平和と安全のための人間の立てたその国際機構の支持者や崇拝者の数を増やすことに努めました。今では,キリスト教世界の教会諸分派および諸教派は,連盟の後身である国際連合を擁護しています。

      23 彼らは神のメシアによる王国の益のために世界の畑を耕そうとはしなかったため,どんな結果を招きましたか。

      23 戻られた主イエス・キリストによる検査の行なわれるこの時期に勘定を清算するにさいして,キリスト教世界のそれら自称「奴隷たち」は,イエスの持ち物で増えたものを何一つ彼に差し出すことができません。彼らは神のメシアによる王国の利益のために世界の畑を耕してはきませんでした。というのは,自らその王国に背を向け,エホバのメシアによる樹立された王国のことを人びとに知らせぬままにしてきたからです。

      24 「新しい名称」に関する決議の3節に述べられている人びとは,「無精な奴隷」にどのようによく似ていますか。

      24 とはいえ,戻って統治しておられる王イエス・キリストの忠実な「奴隷たち」と接触を持っていた人たちの中にさえ,「邪悪で無精な奴隷」によく似た油そそがれたクリスチャンの一つの級が現われました。オハイオ州コロンバスで開かれた,ものみの塔聖書冊子協会主催の国際大会で1931年7月26日,日曜日,午後採択された,「新しい名称」と題する決議の3節で,明らかにこの級のことが言及されています。その節をここに引用します。

      ところが,チャールズ・T・ラッセルの死後まもなく,そうしたわざでラッセルと提携していた人たちの間に分裂が生じ,その結果そのような人たちが何人かものみの塔聖書冊子協会から脱退し,以来彼らは当協会とその仕事に協力することを断わり,「ものみの塔」誌および前記諸法人の発行した最近の他の出版物の中でものみの塔聖書冊子協会が発表した真理に同意することを拒み,神の王国に関する現行の音信およびサタンの組織のあらゆる部分に対する私たちの神の復讐の日を宣明する点で,当協会の仕事にこれまでも反対しており,今も正しく反対しています。また,前述の反対者たちは種々雑多な集団を組織し,「聖書研究者」「合同聖書研究者」「ラッセル師の説く真理を教えるラッセル信奉者」「堅く立つ者たち」その他同様の名称をこれまでも,また今も用いていますが,それらはすべて,とかく混乱や誤解を招くものとなります。……」

      25 したがって,前述の者たちは,「新しい名称」を担う人たちのどんな経験や業績にはあずかりませんでしたか。

      25 事実,非協力的で反対さえした前述の人びとは,エホバの証人というその「新しい名称」を採用しなかったので,エホバのクリスチャン証人として知られることにはなりませんでした。彼らは,その「新しい名称」を担った人たちがそれ以来経験してきたひどい苦しみにあずかってはいませんし,またメシアの所有する樹立されたエホバの王国を地上のあらゆる場所で告げ知らせるわざにもあずかってはいません。そうした理由のゆえに,現在208の土地や島々あるいは諸群島を含め,王国の音信を載せた出版物を160以上の言語で発行するまでに,キリストの弟子を育成して産み出す畑を拡張するに至った驚くべきわざに,彼らはあずかりませんでした。さまざまの土地でひどい迫害が生じているにもかかわらず,さらに多くのキリストの弟子を産み出すべく畑(つまり人類の世)を耕すこのわざは,正にその最高潮に向かって進展しています! それは現在,ペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会の95の支部組織の監督のもとで遂行されています。

      26 油そそがれた「奴隷たち」の残れる者は,世界の畑を耕して主人の「タラント」を用いるという点で天からの祝福を得ていますが,そのことを示すどんな証拠がありますか。

      26 それで明らかに,メシアなる王の「持ち物」,つまりその「タラント」をこうして増やすわざは,いと高き神エホバとそのみ子イエス・キリストの是認と祝福を得ています。王の「タラント」を運用している油そそがれた「奴隷たち」は,それが喜ばしい責務であることを知り,自分たちの天の主人の見地から見て「善良で忠実な奴隷」としての資格にかなうよう努力しています。彼らは「邪悪で無精な奴隷」級のだれとも交わりを持ちたいとは思いません。むしろ彼らは,聖書の定める資格にかなう人たちすべてが自分たちと交わり,神のみことばの産出的な奉仕者になるのを援助するよう努力しています。彼らの愛の努力が神からの祝福を受けていることを示す証拠として,去る1972奉仕年度には教えを受けた16万3,123人もの人たちが主イエス・キリストの弟子として水のバプテスマを受けました。1968-1972奉仕年度までの過去5年間に,50万人以上の人びと,実際には68万871人もの人びとが全地の至る所でそのようにしてバプテスマを受けました。ゆえに,主の「持ち物」を増やしている油そそがれた「奴隷たち」の残れる者は,主が自ら地上におられた当時何も蒔かなかった所で今不当にも収穫を行なっているなどと考えてはいません。

      用いられなかった「一タラント」は取り上げられる

      27 無益な奴隷に関して主人はどんな決定を下しましたか。

      27 たとえ話の中で,主人に属するものを「利息といっしょに」主人に差し出しかねた奴隷に関して,主人はどのように裁断を下しましたか。憤慨した主人は,無益な者となった「邪悪で無精な奴隷」に関してこう言います。「それだから,彼からその一タラントを取り上げて,十タラントを持つ者に与えよ。すべて持つ者にはさらに与えられ,その者は満ちあふれるようになるのである。しかし,持たない者は,その持っているものまで取り上げられるのである。それで,このなんの役にもたたない奴隷を外のやみに投げ出しなさい。そこで[彼は]泣き悲しんだり歯ぎしりしたりするであろう」― マタイ 25:28-30。

      28 有益な奴隷たちに与えられたどんな報酬がこの奴隷には与えられませんでしたか。外の暗やみの中に追い出されたことは,その奴隷にとって何を意味しましたか。

      28 この奴隷は主人の喜びにあずかるよう招かれてはいません。また,わずかなものに関して忠実であったゆえに多くのものの支配者として任命されてもいません。彼は「善良で忠実な奴隷」とは呼ばれず,「なんの役にもたたない奴隷」と言われています。そして,主人に仕える奴隷としてその家に留められるどころか,家から「外のやみ」の中に放り出されます。戻った主人は明らかに夜分奴隷たちと勘定を清算しました。ですから,外は暗「やみ」に包まれており,その奴隷はそこに放り出されたのです。そこで主人の喜びを見いだす代わりに,その奴隷は追い出された自分の状態のゆえに泣いて歯ぎしりしました。

      29 暗さを増す世界情勢のもとで今忠実を保っている油そそがれた「奴隷たち」にとって,なぜこれは重大な教訓を述べるものとなりますか。

      29 これは今日の油そそがれた「奴隷たち」の残れる者に対する重大な教訓となります。彼らは自分たちの天の主人の「持ち物」を増やすために働き続けなければなりません。さもないと,主人から委託されたそのなにがしかの貴重なものは取り上げられてしまうでしょう。そうなれば,彼らもまた,「外のやみ」の中に放り出され,そこで「邪悪で無精な奴隷」級に仲間入りすることになります。1914年における異邦人の時の終結以来ずっと,天の主人イエス・キリストの明りのともった家の外の人類の世は夜のとばりに包まれており,キリスト教世界すらそうした夜の暗やみに覆われてきました。しかし,その暗やみは,人類のこの世代に突如として「大患難」が襲う神の予定の時が到来するとき,暗さを極度に増します。(マタイ 24:21,22。ルカ 21:34-36)「邪悪で無精な奴隷」級は,死をもたらすようなその暗やみの中に放り出され,そこで宗教上の偽善者たちとともに泣いて歯ぎしりし,ついには滅んでゆきます。

      30 その「一タラント」は「無精な奴隷」からどのように取り上げられていますか。それはだれに与えられていますか。なぜですか。

      30 主人のパルーシアが始まり,死んでゆく個々の人びと,あるいはなお地上にいるそれぞれの奴隷級のいずれを問わず,主人がその「奴隷たち」と勘定を清算しておられる時代である今日,一つの事がらが既に明らかにされています。つまり,「邪悪で無精な奴隷」級は自分たちの「一タラント」を用いて商売をして主人の『お金』の利子を主人のもとに持ってきてはいません。したがって,今日まで一つの級として生存しているその不忠実な奴隷から主人は既にその「一タラント」を取り上げています。主人はその奴隷級の人びとに,耕してさらに多くのキリストの弟子たちを産み出させるようにすべき区域の点で,何ら割当てを得させてはいません。彼らはもはや主人の奴隷として扱われてはいません。主人は彼らの宗教活動を認めてはおらず,受け入れてもいません。また,ご自分の家の喜ばしい光に彼らをあずからせてはいません。彼らの「一タラント」は取り上げられ,弟子を作る可能性のある割当てられた畑は「善良で忠実な奴隷」級に与えられています。後者の奴隷は弟子を作る畑で最大の能力を行使して,王の「持ち物」を「十タラント」に増やしました。あるいは,増やしています。―マタイ 28:19,20。詩篇 2:8。

      31 (イ)こうして,物事を処置する上での主人のどんな規則が例証されていますか。(ロ)「無精な奴隷」級は,「能力」を別にして,ほかのどんなものを持ってはいませんでしたか。それで,その級の者はどうされましたか。

      31 こうして今日,「すべて持つ者にはさらに与えられ,その者は満ちあふれるようになるのである。しかし,持たない者は,その持っているものまで取り上げられるのである」という天与の原則もしくは物事を処置する規則が例証されています。(マタイ 25:29)たとえ話の中では,「邪悪で無精な奴隷」は「一タラント」を持ってはいましたが,その「一タラント」を所持することによって奮いたたされ,表明されるべきものを持ってはいませんでした。その余分の何ものかとは,自分の主人に忠節を尽くそうとする熱意,自分にゆだねられた委託物に対する正しい認識,また活用できる力つまり利益を上げる力のある「一タラント」を増やして主人に渡すのは当然であるという信仰と言えるでしょう。勘定が清算されたとき,増えたものを差し出せなかったことは,当人の言い訳とあいまって,自分がその余分の何ものかを持ってはいないことを雄弁に物語る証拠となりました。ですから,その「一タラント」は,「なんの役にもたたない奴隷」から取り上げられました。彼は主人の信頼に背き,主人に仕える務めを解かれ,主人の家から締め出されました。

      32 「無精な奴隷」級が1919年以来持ち合わせていないその余分の何ものかとは何ですか。それで,彼らから何が取り上げられていますか。

      32 同じ原則は,現代の「邪悪で無精な奴隷」級にも当てはまります。その級の人たちには,「一タラント」に対応するものがゆだねられました。それは彼らの天の主人から,特に大戦後の最初の年である1919年以降与えられました。しかし,彼らはその「一タラント」を補足する,もしくはそれと相応しく対をなすものを自ら持っていなければなりませんでした。「一タラント」を所持することによって自分たちの内に奮いたたせていて然るべき,そうした補足物とは,エホバのメシアによる王国に対する熱意や専心の念,彼らの天の主人は弟子を産み出す畑を増やしてもらって受け取るに値する方であるという信仰,また神のメシアによる樹立された王国をふれ告げ,単に地上でイエス・キリストが公私両方の奉仕の務めを局限されたユダヤ国民だけでなく,すべての国の人びとを弟子とするわざにできるだけ多くあずかりたいという果敢で愛のある動機などでした。彼らは主人の「一タラント」を用いるにさいして自ら働かせるべきものを持ってはいないゆえに,今日の諸事実が示すように,その「タラント」は彼らから取り上げられているのです。

      33 (イ)それで,「善良で忠実な奴隷」級の人たちはだれを犠牲にして「あふれる」ほど受けていますか。(ロ)彼らはどんな喜びを経験していますか。また,どんな支配権を期待していますか。

      33 一方,それら「善良で忠実な奴隷」級は,天上の主人から「タラント」を委託された自分たちを補足すべきものを確かに持っています。たとえ話の描写どおり,彼らには「邪悪で無精な奴隷」級を犠牲にしてさらに多く与えられ,また責任感のある,信頼できる,有益な「奴隷たち」である彼らには,好機と特権が加えられています。その結果,弟子を作る畑を増やす点で確かに彼らは「あふれる」ほど持っています。彼らは主人の心を喜ばせているので,自らも喜びに満ちあふれており,今や樹立された王国で自分たちの主人が抱いている喜びを前もって味わっています。彼らはその喜びに強められて,地上における自分たちの生涯の終わりに至るまで主人に対する奉仕を一生懸命に続けて行きます。そして,地上での生涯を閉じるとき,彼らは死人の中から復活させられて主人の喜びに存分にあずかり,その千年王国で多くのものを治める支配者になることを期待します。その時,彼らは「第一の復活」にあずかるそれら「奴隷たち」の幸を十分に知ることになります。―啓示 20:6。

      34 イエスのたとえ話のこうした最高潮を成す部分の事がらが成就し,観察できるということは,何が進行していることを証明しますか。なぜですか。

      34 「タラント」のたとえ話の最高潮を成す部分の事がらは,前述のような仕方で西暦1919年以来進展してきました。人の住む全地の国々の人びとはこのことを観察してきました。特に,「善良で忠実な奴隷」級はそのことを知っています。それはすべて,1914年に異邦人の時が終わって以来,王イエス・キリストのパルーシアつまり目に見えない臨在が進行してきたことを証明するのに役だちます。ですから,それはキリストの「臨在」と「事物の体制の終結」との主要な「しるし」の一部です。「タラント」のこのたとえ話はその「しるし」に関してキリストが詳しく述べた預言の一部だからです。―マタイ 24:3。

      35 わたしたちはなぜキリストの預言をさらに考慮したいと願いますか。どんな事がらを証明するためですか。

      35 しかし,霊によるキリストの見えない臨在の「しるし」は,すでに考慮した「十人の処女」や「タラント」のたとえ話のほかにもまだあります。さらに別のたとえ話は「しるし」に関するキリストの預言の重要な部分を成しており,驚くべき時代である現代におけるその成就は,「主イエス・キリストの臨在もしくはパルーシアが今や進行しており,すばらしい事がらがこれから生ずることを示す証拠を増し加えるものとなっています。では,わたしたちの主の偉大な預言をさらに考慮してみましょう。

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