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油そそがれた者にかかわる,神の「とこしえの目的」が立てられる人間の益のために今や勝ち誇る,神の「とこしえの目的」
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5章
油そそがれた者にかかわる,神の「とこしえの目的」が立てられる
1 神の目的は,人類が地上でどんな生活をすることですか。
地上の人間の生活は申し分のないものになり得ます。人間の創造者は申し分のない生活を営み,ご自分の創造物である人間にも同様の生活をさせたいと望んでおられます。ところが,人類は自分たちの生存様式を自ら台なしにしてきました。もっとも,人類の成員すべてがそうしてきた訳ではありません。しかし人類が今まで失敗を重ねてきたにもかかわらず,今や創造者の慈悲深い目的によれば,人間男女は地上の生活を申し分のないものにする機会にやがてあずかれるのです。
2 (イ)人類はどんな生活を始めましたか。(ロ)人間が死に至る道を取るよう神が計画したかどうかを,何が示していますか。
2 最初,人類の生活は申し分のないものでした。それは,およそ六千年前,地上のパラダイスで始まりました。そこで生活するのは喜びでした。だからこそ,それはエデンの園,あるいは楽しみのパラダイスと呼ばれました。(創世 2:8,ドウェー訳聖書)わたしたち人間の最初の二親,つまり最初の男と女は完全で,健康そのものであり,決して死なないという見込みがありました。両人は人間なので,不死ではありませんでしたが,ふたりの前には創造者から,いつまでも永遠に楽しみのパラダイスで生活する機会が差し伸べられていました。したがって,両人の天の,命の授与者は,その永遠の父となり得ました。両人が死に至る道を取って,やがて死ぬよう計画したりはなさいませんでした。ご自分の永遠の子供として両人が永遠に生きることを願われました。三千年余の後,神はこの問題に関するご自身の誠実な気持ちを表明して,その選民にこう言われました。
「『わたしは邪悪な者の死を,いったい喜ぶだろうか』― 主権者なる主エホバのみ告げ。―『彼がその道からもとに戻って,実際に生きつづけることを喜ばないだろうか』」― エゼキエル 18:23,新。
3 神の願いは人類がパラダイスで生き続けることでしたから,今日,わたしたちはどんな質問をせざるを得ませんか。
3 それで,創造者は,楽しみのパラダイスにいた潔白な人間の夫婦が,「邪悪な」者となり,死に値するようになることなど,少しも欲してはおられませんでした。両人が生きつづけ,そうです,引き続き生きて,創造者である天の父と平和な,愛ある関係を持つ,彼らと同様の完全で幸福な子孫で全地が適度に満たされるのを,やがて見られるようになることを,神は願っておられました。にもかかわらず,今日,全人類は次々に死んでおり,汚染された地球は,パラダイスとはほど遠い状態にあります。これはなぜですか。人間の創造者は,その説明を聖書中に書き記させました。
4 へびがパラダイスのなかでその姿をはっきりと人間に見せたのは,どうして不思議なことでしたか。
4 聖書の創世記 3章の冒頭にあるとおり,問題の場所は楽しみのパラダイスでした。地上のあらゆる下等な生き物は,人間の最初の二親,アダムとエバに服しており,両人はそれら地上の下等な生き物のどれをも,へびをさえ恐れてはいませんでした。そうです,楽しみのパラダイスにはへびがいましたが,それを観察するのは興味深いことでした。手足のないへびの動き方には,設計の点での神の多種多様な知恵を示す,驚くべきものがありました。しかし,へびはおく病な動物です。創世記 3章1節(新)は,その種の爬虫類についてこう述べています。「さて,エホバ神が造られた,野のすべての野獣のうちで,へび[ナーハーシュ]は最も用心深いものであった」。それで,へびは待ち伏せして人間に危害を加えるよりはむしろ,人間との接触を避けようとする傾向を持っていました。ところが今や,不思議なことに,地面の上か樹上かはわかりませんが,へびがはっきりと姿を見せたのです。どうしてですか。
5 そのへびがエバにある質問をしたのは,どうして不思議なことでしたか。それはどうして,間接的に伝えられた神の声ではありませんでしたか。
5 創世記 3章1節(新)はこう続けています。「そこで,へびは女に言い始めた,『あなたがたは園のどんな木からも食べてはならない,と神が言われたのはほんとうですか』」。ところで,そのへびはどうしてそういうことを聞いていたのでしょうか。あるいは,どうして理解していたのでしょうか。また,その女の夫アダムに一度も話しかけたことがなかったのはどうしてですか。いったいどうして,人間の言語を用いて話せたのでしょうか。それ以前も,またそれ以後も,へびが人間に話しかけたことは一度もありませんでした。エバは,だれかが自分に話しかけているのだと想像していたのではありません。頭の中で,自分に話しかける,つまり単に考えていたのではありません。人間の話し声に似たその声は,へびの口から出ているように思えました。どうしてそのようなことがあり得るのでしょうか。エバが園のなかでかつて聞いた唯一の声は,夫アダムのそれを別にすれば,人間以下のある動物を通してではなく,直接聞いた神の声でした。へびの言った事からすれば,どう見てもその声は神のそれではありませんでした。その声は,神の言われた事柄についてエバに尋ねたのです。
6 へびを用いて質問をしたその質問者は,どのように行動しましたか。どうしてエバは答えましたか。
6 質問に答えたエバは,そのへびにではなく,腹話術者のようにへびを用いていた,目に見えない知的存在に話しかけました。目に見えない知的存在であるその話し手は,神に好意を寄せていましたか。あるいはその逆でしたか。確かに,見えないその話し手がエバに話しかけるのに用いた方法は欺まん的なもので,エバはへびが話をしているのだと思い込まされました。その質問者は目に見えるへびの背後で正体を隠し,欺まん的な仕方で行動していたのです。しかし,へびを用いたその話し手が悪意をいだいてエバを欺こうとしていたことを,彼女は悟ってもいなければ,察知してもいませんでした。エバは怪しむこともなく答えました。
「そこで女はへびに言った,『わたしたちは,園の木の実を食べてよいのです。しかし,園の真ん中にある木の実を食べることについては,神は言われました,「あなたがたは,それから食べてはならない。いや,それに触れてもならない。あなたがたが死ぬといけないからだ」』」― 創世 3:2,3,新。
7 エバは園の真ん中にある木に関する情報をどこから得ましたか。
7 その木を「園の真ん中にある木」と呼んだエバは,善悪の知識の木のことを言っていました。しかし,どうしてその木のことを知っていましたか。神の預言者であるアダムがエバに告げたからに違いありません。彼こそ,エバが創造される前に,独りでいたとき,神から次のように言われていたのです。「園のあらゆる木から,あなたは満足のゆくまで食べてよい。しかし,善悪の木からは,食べてはならない。それから食べる日には,あなたは確かに死ぬからである」。(創世 2:16,17,新)エバの言葉によれば,神はまた,禁じられた木には触れてもならないと言われました。それで,エバは神の律法の違反に対する処罰について知らなかったのではありません。それは死でした。
8 その見えない話し手が単に情報を求めていたに過ぎないかどうかは,どうしてわかりますか。
8 へびの背後にいた見えない話し手が,単に情報を求めていたに過ぎないのであれば,その情報を得しだい,会話をやめていたはずです。この時,へびが,禁じられた木のある園の真ん中にいたか,地面の上あるいは樹上にいたかどうかは述べられていません。ただ,少なくとも,その「園の真ん中にある木」のことが話し合われていました。
9,10 へびの背後にいた,その見えない話し手は,どのようにして自ら悪魔,またサタンになりましたか。
9 さて,単なるへびなら,次のようにエバに話された事をどうして知ったり,あるいは口にする権威を得たりすることができたのでしょう。「そこでへびは女に言った,『あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれから食べるその日に,あなたがたの目が必ず開かれ,あなたがたが必ず神のようになって,善悪を知ることを,神は知っているのです』」― 創世 3:4,5,新。
10 ここで,目に見えるへびの背後の,見えない話し手は,自らをうそつきにしました。エホバ神の言葉に反ばくしていたからです。その見えない話し手は厚かましくも,神は間違った動機をいだいて,アダムとエバに善悪の知識の木から食べないよう禁じたのだと言明して,自らをエホバ神に対する中傷者,つまり悪魔にしました。彼はエバの永遠の命に愛ある関心をいだくどころか,その死をもたらすことをたくらんでいたのです。事実,彼は死,それも彼の手による死ではなく,神から知らされた命令を破ってエホバ神の手から受ける死の恐れを,エバから除き去ろうとしました。見えないその話し手は,自ら神に反抗し,そうすることによって自ら,反抗者という意味のサタンになりました。彼はだれかほかの者を神に反抗させて自分の側につかせることに関心がありました。わたしたちは,そうしたうそや中傷を述べた現実の話し手がだれかを知っています。それはへびではありませんでした!
11 今やエバはどのようにして,神には忠誠を,夫には敬意を示すこともなく,誘惑されるがままになりましたか。
11 残念にもエバは,その中傷的なうその陳述に異議を唱えませんでした。彼女は愛情と忠誠をこめて天の父を弁護しようとはせず,さっそく自分に対する夫アダムの頭の権を認めて,その問題に関する自分のわがままな行為を認めてもらえるかどうかを尋ねるため夫のもとに行こうともしませんでした。アダムならその欺まんをあばくことができたかもしれませんが,エバは完全に欺かれるがままになり,天の父なる神に逆らううそつきで,中傷者である反抗者から示された,間違った考えをもてあそびました。彼女は不従順に対する恐るべき処罰についての恐れを薄れさせ,心の中で利己的な欲望を募らせ始め,そうした欲望に引かれて誘惑されるがままになりました。彼女とアダムが,禁じられた実を食べるのは悪いことであると,神から言われていたのに,彼女は善悪を自分で規定することに決めました。したがって,自分の天の父なる神がうそつきであることを示すことにしたのです。ですから,今やエバがその木のことを思い巡らしたとき,それは魅力的な木となりました。
12 弁解の余地のないことですが,エバは禁じられた実を食べることによって何になりましたか。
12 「そこで女が見ると,その木は食べるのに良く,それは目に慕わしいもので,しかもその木は眺めるのに好ましかった。それで彼女はその実を取って食べ始めた」。(創世 3:6,新)こうして彼女は神に背く者,罪人になりました。完全に欺かれたとはいえ,弁解の余地はありませんでした。彼女は倫理的完全性を失いました。
13 それを食べたアダムは,何をし損いましたか。彼はどんな影響を受けましたか。
13 その夫はそこに居合わせなかったので,彼女の気ままな行動は妨げられませんでした。次に夫と一緒になったとき,彼女は夫を口説いて食べさせなければなりませんでした。彼は少しも欺かれてはいなかったからです。ところが彼は,へびを通して話をした者がうそつきであること,しかしエホバ神はご自分の宇宙主権を正しい仕方,益となる仕方で行使する方であることを立証したいとは考えませんでした。では,アダムがエバに加わって違犯をしたとき,何が起きましたか。創世記 3章6,7節(新)はこう述べています。
「その後,彼女はその幾らかを,一緒にいた夫にも与えたので,夫もそれを食べ始めた。そこで,彼ら両人の目は開かれ,彼らは自分たちが裸であることを自覚し始めた。それで,彼らはいちじくの葉をつづり合わせて,自分たちのために腰の覆いを作った」。
14 神が有罪宣告を下す前に,アダムとエバは何に動かされて,自らを有罪と定めましたか。神が近づいたとき,ふたりはどんな行動を取りましたか。
14 エホバ神の定めた善悪の基準をもはや受け入れず,善悪に関して自ら審判者になったという点で,両人は今や,「神のようになって,善悪を知る」ようになりました。にもかかわらず,ふたりは良心のかしゃくを感じはじめ,また自分たちがむき出しなので身を覆うものの必要を感じました。エホバ神の前に現われるのに,裸であることは,ふたりにとって,もはや清い潔白な状態ではなくなりました。それで,ふたりは身にまとうものを作り,同類を殖やす誉れある目的で神から付与された陰部を覆い始めたのです。こうして,主権者なるエホバから有罪宣告を受ける前でさえ,自分たちの良心の有罪宣告の証を受けて,自らを有罪と定めました。ゆえに,こう記されています。
「後に,日のそよ風の吹くころ,彼らは園の中を歩いておられるエホバ神の声を聞いた。それで人とその妻は,エホバ神のみ顔を避けて園の木々の間に身を隠した。すると,エホバ神はその人を呼びつづけ,彼に仰せられた,『あなたはどこにいるのか』。ついに彼は言った,『わたしは園で,あなたの声を聞きましたが,わたしは裸なので,恐れて,隠れました』。そこで,仰せになった,『あなたが裸であるのを,だれがあなたに告げたのか。あなたは,食べてはならない,とわたしが命じておいた木から食べたのか』」― 創世 3:8-11,新。
15 (イ)アダムとエバは悔い改めていませんでした。何がそのことを示していますか。(ロ)次いで,神はへびに何と言われましたか。
15 ところで,アダムとエバは悔い改めを示す言葉を述べるどころか,言い訳をしようとしていることに注目してください。ほかの者のせいにしたのです。「すると,人はさらに言った,『わたしと一緒になるよう,あなたが与えてくださった女が,木から実を取ってわたしにくれたので,わたしは食べたのです』。そこで,エホバ神は女に仰せられた,『あなたは,いったい何ということをしたのか』。女は答えた,『へびが,わたしを欺いたのです。それでわたしは食べたのです』」。(創世 3:12,13,新)しかし,言い訳をしたからといって,それら故意の違犯者の罪は許されませんでした。とはいえ,へびについてはどうですか。
「次いで,エホバ神はへびに仰せられた,『おまえがこんなことをしたので,おまえはすべての家畜,野のすべての野獣のなかでのろわれたものである。おまえは,命の日のかぎり,腹ばい這いあるき,塵を食べるであろう。わたしは,おまえと女との間に,またおまえの胤と女の胤との間に,敵意をおく。彼はおまえの頭を砕き,おまえは彼のかかとを砕く』」― 創世 3:14,15,新; リーサー; ズンツ。
16,17 (イ)へびに話された神の言葉は,実際にはだれに適用されますか。(ロ)そのように卑しめられることを,一世紀のある筆者は何になぞらえましたか。
16 これはへび科全体に対するのろいの言葉だったのではありません。神の言葉はその文字どおりの一匹のへびに対して述べられたように見えますが,そのへびは,それまで神の天の従順な子であった,目に見えない超人的な霊者の手先として仕えるよう欺かれていたに過ぎないことを,神はご存じでした。この霊者もまた,利己的な欲望に引かれ,誘惑されるがままになりました。それは,エホバの宇宙主権から独立し,人類を治める主権を得たいという欲望でした。彼はそうした欲望が自分の心のなかで根を下ろすがままにし,それを培ったので,ついにその欲望ははらんで,主権者なる主エホバに対する違犯つまり反逆を生み出しました。次いで,この霊の違犯者は,まさにその楽しみのパラダイスで自らをうそつき,中傷者つまり悪魔,また反抗者つまりサタンにしたのです。
17 欺かれたそのへびに下された,卑しめられるという宣告が暗示するように,神は,新たに立ち上がったそのうそつき,悪魔,サタンを卑しめました。一世紀のある聖書注釈者は,そのように卑しめられることを,神に非とされ,神からの啓発を受けない霊的暗やみの状態である『タルタロスに投げ込まれる』ことになぞらえています。―ペテロ第二 2:4。
予告された,神の油そそがれた者
18 ここで,どんな新しい事柄が発表されましたか。それには特質すべきどんな事が関係していますか。
18 ここで,エホバ神は新しい目的を立てて,発表されました。うそをつく悪魔サタンが既に表われたので,今や,油そそがれた者,つまりアダムの言語によればマーシアー(メシア)を起こすことが神の目的となりました。(ダニエル 9:25)神はこの油そそがれた者,つまりメシアのことを「女」の「胤」と言われました。神はこの油そそがれた者と,今やへびで象徴される悪魔サタンとの間に敵意をおき,さらにその敵意を油そそがれた者と大いなるへびの「胤」との間にもおくことになりました。
19 (イ)その敵意はどんな闘争をもたらすことになりましたか。(ロ)エホバ神の目的にかかわる油そそがれた者は,なぜ天的な存在でなければなりませんか。
19 予告された敵意は,苦しい影響を及ぼす戦いをもたらしますが,「女」の「胤」の勝利をもって終わりを告げることになります。へびが足のかかとを襲うように(創世 49:17),大いなるへび,悪魔サタンは「女」の「胤」のかかとに傷を負わせます。しかし,そのかかとの傷は致命傷とはならずに癒され,女の「胤」は大いなるへびの頭を砕いて致命傷を負わせることができるようになります。こうして,大いなるへびはその「胤」もろともに滅ぼされるのです。この闘争に関して注目すべき重大な事柄があります。それはすなわち,大いなるへび,悪魔サタンの頭を打ち砕く女の「胤」は,地上の女の単なる人間の子ではなく,天の霊者でなければならないということです。なぜですか。なぜなら,その大いなるへびは,超人的な霊者で,反逆した,神の天の子だからです。地上の女の単なる人間の子は,霊界にいる,目に見えない悪魔サタンを滅ぼすに足る強力な存在ではありません。それで,エホバの目的にかかわる,油そそがれた者は,天的なメシアでなければなりません。
20 では,創世記 3章15節の「女」とはだれのことですか。
20 では,「女」についてはどうですか。その「胤」は,油そそがれた者,つまりメシアとなりますが,その女もやはり天的な存在でなければなりません。頭を砕かれることを宣告されたへびは,エバを欺くのに用いられたあの文字どおりのへびではなかったのと同様,創世記 3章15節(新)のエホバの預言に出てくる「女」は,地上の文字どおりの女ではありません。エバ自身は神の律法の違犯者で,夫アダムを誘惑して違犯を行なわせたのですから,約束された「胤」の直接の母となるにふさわしい女ではありませんでした。神の預言の「女」は,象徴的な女でなければなりません。それはエホバ神がご自分の選民のことをご自身の妻また女と言って,彼らにこう言われたとおりです。「主は仰せられる。背信の子供らよ,帰れ。わたしがあなたがたの夫になるからだ」。(エレミヤ 3:14; 31:31,リーサー[31:32,新])同様に,聖なるみ使いたちで成る神の天の組織は,エホバ神にとって妻のようです。それが問題の「胤」の天的な母であり,「女」です。神はこの「女」とへびの間に敵意をおかれるのです。
潰えることのない最初の目的
21 違犯が生じたため,地に関する神の最初の目的は,今や失敗に帰することになりましたか。
21 とはいえ,創造の第六「日」の終わりにアダムとエバに述べられた,地に関する神の目的についてはどうですか。エバとアダムがその違犯ゆえに死に値する者となったため,神の目的は今や潰えることになりましたか。その最初の目的は,パラダイスとなる地表全面に地上の最初の男女アダムとエバの子孫を住まわせることでした。神の言明された目的に関しては,失敗は起こり得ません。悪魔サタンといえども,神の目的を潰えさせ,神を辱めることはできません。ここで,最高の審判者エホバ神が,女エバに言われた事は,神の最初の目的がなおも進展し,やがてその成就を見て勝ち誇るものであることを示しています。
22 (イ)地にだれを住ませることは,はかどりましたか。(ロ)へびの頭を砕けば,人類に益がもたらされると考えるのは,理にかなったことでしたか。
22 「女にはこう仰せられた。『わたしは,あなたの妊娠の苦しみを大いに増す。あなたは,産みの苦しみを経て子を生むであろう。また,あなたは夫を慕い求めるが,彼はあなたを支配することになる』」。(創世 3:16,新)これは,その最初の人間の夫婦が地の住民をさらに生み出すことが許されたことを示しています。その目的は今に至るまで持続しており,今日では「人口爆発」が憂慮されています。大いなるへび,悪魔サタンは,最初の人間の夫婦の子孫すべてに死をもたらす事態を引き起こしたのですから,その大いなるへびの「頭」を砕けば,アダムの違犯ゆえに損われたそれら子孫に益がもたらされるのは明らかです。厳密に言って,それはどのようにしてなされますか。それはエホバ神がやがて明らかにされる事柄でした。それは神の最初の目的を首尾よく果たすのに資するものとなります。
23-25 (イ)アダムがその違犯ゆえに死の宣告を受けたのはいつでしたか。(ロ)では,アダムはどのようにして,禁じられた実を食べたその日に死にましたか。その子孫についてはどうですか。
23 さて,違犯を行なった順序としては三番目である男の番がついに来ました。神はアダムに,禁じられた実を食べるなら,その日に確実に死ぬと告げておられました。(創世 2:17)その妻が産みの苦しみを経て子供を産むためには,アダムは彼女の夫として生き続け,その子供たちの父となる必要がありました。では,神が彼に警告なさった事は,どのようにして履行されましたか。
24 創世記 3章17-19節(新)はそのことを明らかにしています。「また,アダムに仰せられた,『あなたが,妻の声に聞き従い,「それから食べてはならない」とわたしが命じておいた木から取って食べたので,土地は,あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは,命の日のかぎり,苦しんでその産物を食べるであろう。土地は,あなたのために,いばらとあざみを生えさせ,あなたは野の草を食べなければならない。あなたは,顔に汗してパンを食べ,ついにあなたは土に帰る。あなたは土から取られたのだから。あなたは塵だから,塵に帰らなければならない』」。エホバ神はこの判決の言葉を述べて,その違犯者に死刑を宣告されました。しかも,アダムが違犯をしたその同じ日のうちに,そうなさったのです。
25 神の見地からすれば,司法上,アダムはまさにその日に死にましたし,違犯をした妻エバもそうでした。楽しみのパラダイスで永久に生きる機会や見込みは両人から断たれ,彼は今や自らの違犯ゆえに,死んだも同然となりました。その後,彼がエバによって子孫に伝え得たのは,受け継がれた人間の不完全さゆえに死を免れられない生存と有罪宣告を受けた状態だけでした。その子孫はすべて,何千年も後に詩篇作者ダビデが述べたように,「見よ,わたしは,生みの苦しみとともに,過ちをもって産み出され,わたしの母は,罪のうちにわたしを宿しました」と言わねばならなくなりました。(詩 51:5,新)神は罪深い全人類に向かって,かつてご自分の選民に言われたように,『あなたの父,最初の者は罪を犯した』と言うことができます。(イザヤ 43:27,新)最高の審判者がアダムにその罪のゆえに宣告を下したその日,全人類はアダムのうちにあって死にました。宣告を下された後,アダムにとって物理的死は不可避となりました。
26 一「日」を千年と見る場合でさえ,アダムはどのように,違犯をしたその日に死にましたか。また,どんなものではなくなりましたか。
26 いみじくも,「アダムの歴史の書」はこう述べています。「彼は息子や娘たちの父となった。それで,アダムが生きた日は全部で九百三十年となった。そして彼は死んだ」。(創世 5:1-5,新)彼は千年より70年少ない期間生きました。その子孫で,丸千年生きた人はいません。最長寿者メトセラでも九百六十九年生きたに過ぎません。(創世 5:27)千年を一日のようにみなす神の見地からしても,アダムは人類生存の最初の千年の「日」のうちに死にました。その肉体の死にさいして彼はどこへ行きましたか。その「魂」(ネフェシュ)は天から取られたのではありませんでしたから,彼は天にではなく,確かに土の塵に帰りました。神が言われたように,アダムは土から取られたからです。それで,「生きた魂」ではなくなりました。(創世 2:7,新)存在しなくなったのです。その妻エバが肉体的に死んだとき,彼女もやはり「生きた魂」ではなくなりました。バビロニア神話にいう,限りなく永久に生き続ける魂なるものはありませんでした。
パラダイスの喪失
27 土地に対するのろいは,地上のどんな部分に適用されましたか。のろわれた土地を耕して働くことは,アダムとエバにとって何を意味しましたか。
27 アダムに対する神の宣告の言葉,とりわけ『土地が……のろわれた』ことに関する言葉は,アダムがパラダイスを失うことを意味しました。彼はまさしく失いました。エバとアダムの違犯のゆえにパラダイスがのろわれたのではありません。それは引き続き,命を享受する場所であり,そのなかには依然「命の木」がありました。創世記 3章20-24節(新)はこう告げています。
「その後,アダムはその妻の名をエバと呼んだ。それは,彼女がすべて生きている者の母とならなければならなかったからである。次いでエホバ神は,アダムとその妻のために,長い皮の衣を作り,彼らに着せてくださった。そしてエホバ神はさらに仰せられた,『さあ,人は,善悪を知る点で,われわれのひとりのようになった。今,彼が,手を伸ばし,実際に命の木からも実を取って食べ,定めのない時まで生きることがないように,―』。そこでエホバ神は,彼をエデンの園から追い出し,彼が取り出されたその土を耕させた。そこで,人を追放し,命の木への道を守るために,エデンの園の東に,ケルブたちと,絶えず回りつづける,燃える剣の刃とを置かれた」。
28 定めのない時まで続く命を享受することは,アダムにとってはなぜもはや不可能でしたか。
28 死の力を持つエホバ神は,アダムに対する死の処罰を執行するため,命の木に届くところから人を追い出されました。その妻は,アダムの子供たちの母となるため,夫とともに去りました。エバを誘惑するのに用いられたへびを神が追い出したかどうかについては,記録は何も示していません。アダムとエバにとって,定めのない時まで続く命を享受することは,もはや不可能でした。
29 (イ)神は今やどのように「女」と「へび」の間に「敵意」をおきましたか。(ロ)発表された神の目的は,地に対する最初の目的にどんな影響を及ぼしましたか。わたしたちはなぜ今喜べますか。
29 エデンの園の外で,エバは息子を育て,へびを憎ませたという記録はありません。しかし,創世記 3章15節(新)の神の預言の意味する真の「女」である,聖なるみ使いたちで成る,神の天の組織は直ちに,大いなるへび,悪魔サタンを憎み始めました。女のようなその組織は,その天の夫エホバ神に対する愛に動かされて,そうしたのです。確かに神は,ご自分の「女」と大いなるへびの間に敵意をおかれました。その女が,大いなるへびの頭を砕く「胤」をいつ生み出すかは,エホバ神の目的のなかに秘められていました。神は今や,ご自分の油そそがれた者,つまりメシアにかかわる目的を立て,今からほとんど六千年前の昔の当時,そのことを天と地に知らされたのです。それは遠い昔のことでした。この付加された目的は,パラダイスの地に関する神の最初の目的を強化し,その成就を確かなものにしました。不変の神は,ご自分の油そそがれた者,つまりメシアにかかわる,その発表された目的を依然として堅持しておられます。わたしたちは,その目的が今や人間の益のために勝ち誇っていることを大いに喜べます。
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大洪水に至るまでの,パラダイスの外における人間の生活人間の益のために今や勝ち誇る,神の「とこしえの目的」
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6章
大洪水に至るまでの,パラダイスの外における人間の生活
1 神はご自分の目的にかかわる「胤」に関するどんな特筆すべき事柄を知らされましたか。そのことから,どんな疑問が起きますか。
時たつうちに,人間の天の恵与者は,わたしたちの心に共感を呼ぶ,その「とこしえの目的」の特筆すべき事柄を知らされました。それは,ご自分の天の「女」の,目ざす「胤」が一時的に地上の人類のなかで生存するということです。このことから,わたしたちの頭の中には次のような疑問が直ちに起きてきます。その「胤」は人類の間で生まれる以上,アダムとエバの子孫のどの家系から出るのだろうか。
2 神は聖書の内容をおもにどんな事柄に限定されましたか。わたしたちはどうして聖書を研究する必要がありますか。
2 その「胤」をもたらす人間の家系の歴史を知るのは重要な事です。その「胤」の生涯とは無関係の民族や国民の歴史は,必要不可欠なほどに重大な,あるいは貴重なものではありません。エホバ神が聖書の内容をおもに,この「胤」をもたらす家系を明らかにする事柄に限定されたのはそのためです。こうした聖書の歴史の知識を得れば,わたしたちはへびを砕くその「胤」がだれかを見分けられますし,また詐称者つまり偽の胤によって欺かれたり,惑わされたりする危険に陥らずに済みます。もし欺かれるなら,永遠の滅びを招く恐れがあります。エデンの園でうそをついて上手に人を欺いた者で,真の「胤」に敵意をいだいている,その大いなる詐欺師は,依然として例の手口を使っています。彼は神の「とこしえの目的」にかかわる「胤」からわたしたちすべてを欺いて引き離そうとしています。ゆえに,わたしたちは聖書を研究する必要があります。
3 アダムの初子はだれでしたか。それで,アダムの息子セツに関してどんな疑問が生じますか。
3 ヘブライ語の聖書の巻末には,マラキの預言の書ではなく,歴代志略上下の二つの書が収められています。さて,その歴代志略上を開くと,その冒頭にはアダムに続く十世代の系図が掲げられていることに気づきます。次のとおりです。「アダム,[1]セツ,[2]エノシュ,[3]ケナン,[4]マハラレル,[5]ヤレド,[6]エノク,[7]メトセラ,[8]レメク,[9]ノア,[10]セム,ハム,それにヤペテ」。(歴代上 1:1-4,新)セツは楽しみのパラダイスの外で生まれた,アダムの初子ではありません。それはカインでした。二番目に名づけられた,アダムとエバの息子はアベルです。(創世 4:1-5)では,どうしてノアに至る家系にセツが列挙されているのでしょうか。
4 アダムの家系の最初の人としてセツを列挙させるよう神が計画されたのではないことを何が示していますか。
4 エホバ神がそのように計画されましたか。そうではありません。さもないと,カインが弟アベルを殺害して,今日人類がたどれる家系の祖となる資格を失わせるよう,神が計画したことになります。また,アベルが無残にも殺害され,必要な子孫をもうける前に年若くして死に,そのためセツがアベルに取って替わるよう,神が計画された訳でもありません。(創世 4:25)神はセツに場所をあけるためアベルの殺害を計画されたのでないことは,弟アベルの犠牲が受け入れられたのに,神へのカインの供え物が退けられたことを恨んで,ゆゆしい罪の犠牲にならないよう,神がカインに警告したことからもわかります。―創世 4:6,7。
5,6 セツがアダムのさまと像に似る者として生まれたことは,セツにとって何を意味していますか。息子エノシュの名は,セツがその事実を自覚していたことをどのように示していますか。
5 いいえ,エホバ神はそのような事を計画されはしませんでした。しかし,約束の「胤」であるメシアが肉身を備えて生まれる時まで連綿と続く家系を継承するアダムの息子が生まれるまでには,長い時間がかかりました。次のように記されている創世記 5章3節(新)は,アダムから続く,その恵まれた家系が,遅くなって継承され始めたことを示しています。「アダムは百三十年間生きつづけた。次いで,彼は,自分のさまに,自分の像に似た息子の父となり,その名をセツと呼んだ」。アダムのさまと像に似ていた,つまりアダムと同類なので,セツは不完全で,罪を受け継いでおり,したがって死の宣告下にありました。セツがその息子につけた名は,彼がこの事実を自覚していたことを裏づけているようです。その息子についてはこう記されています。「セツにもまた息子が生まれた。ついで,彼はその名をエノシュと呼んだ」。(創世 4:26,新)その名には,「病弱な,病的な,不治の」という意味があります。
6 これと調和して,ヘブライ語のエノシュは,固有名詞として用いられるのでない場合,「死すべき人」と訳されています。例えば,はなはだしく苦しめられたヨブはこう言いました。「死すべき人[ヘブライ語: エノシュ]とは何者なのでしょう。あなたがこれを育て,これにみ心を留められるとは」― ヨブ 7:17(新); 15:14,また詩 8:4; 55:13; 144:3; イザヤ 8:1をご覧ください。
7-9 (イ)エノシュの時代には,宗教上のどんな慣行が始まりましたか。(ロ)その慣行が人間にとって有益なものだったかどうかを,何が示していますか。
7 アダムの孫エノシュの生涯には,ある注目すべき事柄がありました。創世記 4章26節(新)は,セツの子エノシュの誕生に関連して次のように述べて,その件に注意を向けさせています。「その時,エホバの名を呼ぶことが始められた」。エノシュが生まれたのは,セツが百五歳の時でしたから,アダムの創造以来,二百三十五年後ということになります。(創世 5:6,7)当時までに,アダムの数多くの息子や娘たちが互いに結婚し,また彼らの子孫が結婚することによって,地上の人口は増えていました。その増大する住民の間で始められた,「エホバを呼ぶ」ということは,人類にとって喜ばしい事,また神に誉れをもたらす事柄でしたか。それは恐らく現代の福音主義者が「信仰復興」と呼ぶような事柄でしたか。エジプト,アレクサンドリアのユダヤ人が作った,昔のギリシャ語セプトゥアギンタ訳は,このヘブライ語の一節をこう訳しています。「セツは息子をもうけた。彼はその名をエノスと呼んだ。彼は,主なる神の名を呼ぶことを望んだ」― 創世 4:26,七十人訳,S・バグスター・アンド・サンズ社版。
8 エルサレム聖書は同様の考えを表現して,こう訳しています。「この人は,ヤハウェの名を呼んで祈った最初の人であった」。しかし,こうした翻訳は,忠実なアベルがしっと深いカインに殺害される以前にエホバにささげて受け入れられていた崇拝を度外視しています。新英語聖書はこう訳しています。「その時,人々は主の名を呼んで祈り始めた」。(また,新アメリカ聖書も同様。)とはいえ,古代のパレスチナ・タルグムは,この事で逆の見方を取っています。かの有名なラシ(ラビ,シェロモー・イーチャキ,西暦1040-1105年)は,創世記 4章26節をこう訳出しています。「それから,俗衆が主のみ名によって呼ばれた」。すなわち,人々や無生物がエホバの特質を有するとみなされ,したがってそのように呼ばれたのです。それはエホバの名による偶像崇拝が当時始まったことを意味していたと言えるでしょう。
9 エホバの名を呼ぶことが,神に向かってなされたという意味でないことは,エノシュの誕生後,三百八十七年たって初めて,神に認められる男子が生まれたことからもわかります。その人はエノクでした。
パラダイスの外で神とともに歩む
10 エノクは真の神とともに歩んだと言われていますが,これは彼よりも長生きした父ヤレドのことをどのように好ましくないものとして印象づけていますか。
10 西暦前3404年(もしくは創紀622年)に生まれた,エノシュのこのひい曾孫についてはこう記されています。「エノクは六十五年間生きつづけた。次いで,彼はメトセラの父となった。メトセラの父となった後,三百年,エノクは真の神とともに歩みつづけた。その間に彼は息子や娘たちの父となった。それで,エノクの日は全部で三百六十五年となった」。(創世 5:21-23,新)これはエノクにとって比較的短い一生でした。その父ヤレドは九百六十二年生きましたし,エノクの息子メトセラは九百六十九年生きて,最長寿者の記録を作りました。ところが,エノクは「真の神とともに歩」んでいたのです。エノクの誕生後,八百年生き長らえたその父ヤレドについては,そうは言われていません。(創世 5:18,19)それでヤレドの信仰は,神に対するエノクの信仰とは比べものにならず,またヤレドが神の意志,もしくは発表された目的にしたがって歩まなかったということは明らかなようです。
11 エノクはどんな預言を述べましたか。それは人々のどんな状態を反映していたに違いありませんか。
11 確かな筋の伝えるところによれば,エノクは真の神の預言者でした。西暦一世紀に記されたある手紙にはこう書かれています。「そうです,アダムから七代めの人エノクも彼らについて預言して言いました。『見よ,エホバはその聖なる巨万の軍を率いて来られた。すべての者に裁きを執行するため,また,すべての不敬虔な者を,不敬虔なしかたで行なったそのすべての不敬虔な行為に関し,そして不敬虔な罪人がご自分に逆らって語ったすべての忌むべきことに関して有罪を証明するためである』」。(ユダ 14,15)確かにこの預言は,昔のエノクの時代の宗教事情を反映しています。さもなければ,不敬虔な者すべてに対する,きたるべきエホバの裁きを警告した,あたかも既に起きたかのように確かな,霊感によるこうした預言を述べるべきどんな根拠があったでしょうか。エノクは当時の不敬虔な人々のひとりではなかったので,神は彼を預言者としてお用いになれました。エノクは当時なお存在した,ケルブの見守るパラダイスの外で生活しましたが,「真の神とともに歩みつづけ」ました。
12,13 ユダヤ人やキリスト教世界の考えによれば,エノクはどこへ連れて行かれましたか。
12 では,エノクはどうして当時としては比較的に短いそれほどの期間しか生きなかったのでしょうか。創世記 5章24節(新)はこう告げています。「エノクは真の神とともに歩みつづけた。それから,彼はいなくなった。神が彼を取られたからである」。
13 神がエノクを取られたとき,恐らくエノクは非常な窮境にあったのでしょう。エノクは敵の手で殺される恐れがあったので,非業の死を免れさせるために神は彼を活動舞台から連れ去られたのでしょうか。それはわかりません。ここで疑問が生じます。神は彼をどこに連れて行かれたのでしょうか。一部のユダヤ人は,神が彼を天に連れて行かれたと考えていますが,今日のキリスト教世界でさえ,そう考えられています。例えば,西暦一世紀にヘブライ人に書き送られた手紙の中でエノクについて注解が述べられていますが,ジェームズ・モファット博士の訳した今世紀の「新訳聖書」は,そのヘブライ 11章5節をこう訳しています。「信仰によって,エノクは天に連れて行かれた。ゆえに,彼は決して死にはしなかった。(彼は死に遭わなかった。神が彼を連れ去られたからである)」。新英語聖書はそこをこう訳しています。「信仰によって,エノクは連れ去られ,死を経ないで別の命にはいった。彼は見いだされなくなった。それは神が彼を取られたからである。聖書の証言によれば,彼は取られる前に神を喜ばせていたのである」。―エルサレム聖書をもご覧ください。
14 『真の神とともに歩む』ことによって,エノクが天に連れて行かれる資格を得たかどうかは,どうしてわかりますか。
14 しかし,詩篇 89篇48節(新)はこう問います。「生きていて死を見ない,どんな強健な人がいるでしょうか。その人は,自分の魂のために,シェオールの手からの逃げ道を設けることができるでしょうか」。それで,エノクは真の神とともに歩みましたが,罪人アダムから死を受け継いでいたので死は免れられませんでした。エノクの曾孫もやはり,「真の神とともに歩」んだと書かれていますが,その寿命は短くされませんでした。彼はアダムよりも長生きし,千年に五十年足りない九百五十年間生きました。(創世 6:9,新; 9:28,29)したがって,エノクはその曾孫の場合よりも神とともに歩んだ期間が短かったからといって,天に行ったり,あるいは別の命を受けたりする資格を得た訳ではありません。それはノアがそれほど長い期間神とともに歩んだのに,そうした経験をする資格を得なかったのと同じです。
15 では,エノクはどのようにして,死を見ないように移されたのでしょうか。
15 預言者モーセは百二十歳で死に,神によって葬られたので,今日に至るまで,モーセの葬られた場所はだれにもわかりません。(申命 34:5-7)同様に,神は突然エノクを同時代の人々の活動舞台から除かれたので,エノクの死んだ場所あるいは墓などはわかりません。彼は敵の手にかかって非業の死を遂げたのではありません。彼は預言者だったので,預言者に生ずる恍惚状態に陥って,神が「実際,永久に死を飲み干される」ことになる神の新しい事物の秩序に関する幻を見ていたのかもしれません。(イザヤ 25:8,新)エノクはその新秩序のパラダイスの地上で生き続けることを期待していたのです。神のあわれみ深い備えによって人類から死が除去される時代の幻を見ていたエノクを,神は活動舞台から除き去り,この世での彼の生活を終わらせ,その死を自覚させないようにすることもできたでしょう。ヘブライ 11章5節に次のように記されている事柄は,こうした驚くべき仕方で成し遂げられたものと思われます。
「信仰によって,エノクは死を見ないように移され,神が彼を移されたので,彼はどこにも見いだされなくなりました。彼は,移される前に,神をじゅうぶんに喜ばせたと証しされたのです」― 新世界訳聖書。
大洪水前の時代
16 アダムとメトセラは互いに知り合っていたと,どうして考えられますか。
16 エノクの息子メトセラは世界的な大洪水の969年前に生まれたので,彼は大洪水の起きた年に死にました。アダムから数えて八代目の人だったメトセラは,人間の最初の親を知っていましたか。知っていました。アダムは大洪水より1,656年前に創造され,930年生きました。彼の年をメトセラの年に加えると,1,899年となります。この合計から1,656年を引くと,243年となります。ですから,アダムとメトセラの生涯は相互に243年間重なり合っています。―創世 5:5,21,25-27。
17 ノアの誕生に際し,メトセラの息子レメクはどんな預言を語りましたか。ノアという名はどうして適切でしたか。
17 メトセラは迫り来る世界的大洪水について警告がふれ告げられるのを聞けるほど長生きし,人類のなかの幾人かがその世界的な規模の大変災を生き残れるようにするための準備が完了するのを大方目撃しました。彼はその孫ノアが義を宣べ伝え,人類生存のための手だてを整えるのを目撃できました。メトセラの数ある息子のなかで,ノアの父となったのはレメクでした。ノアの誕生に際し,霊感を受けたレメクはノアに関する預言を語りましたが,それは神がレメクの息子ノアの起用を意図されたことを明らかにしました。それについては,こう書かれています。「レメクは百八十二年間生きつづけた。次いで,彼はひとりの息子の父となった。それから,彼はその名をノアと呼んで言った,『この子は,わたしたちの働きから,またエホバがのろわれた土地に起因する,わたしたちの手の痛みから,わたしたちに慰めをもたらすであろう』」。レメクは大洪水の5年前まで生き長らえました。(創世 5:27-31,新)ノアという名はレメクの預言とも調和するものでした。それは「休息」を意味しており,休息による慰安を暗示しているからです。アダムの違犯ゆえに神がのろった土地から,神ののろいが解かれることになったのです。―創世 3:17。
18 大洪水はノアの生涯のいつ始まり,その後いつ終わりましたか。
18 大洪水はノアの生涯の第六百年に到来し,その六百一歳の年まで続きました。(創世 7:11; 8:13; 7:6)ノアの日に起きた世界的な規模の大変災は,わたしたちの世代のうちに間もなく起こる,より大規模な世界的大変災を予表するものでした。このような訳で,それは考慮に値する事柄です。―箴 22:3。
19 ノアは生涯の歩みの点で,どのようにエノクに似ていましたか。
19 西暦前2970年(創紀1056年)に生まれたノアには何世紀もの間子供がいませんでした。「ノアは五百歳になった。その後,ノアはセム,ハムそしてヤペテの父となった」のです。(創世 5:32,新)ノアは父親になる前でさえ,自分のためにどんな記録を作りましたか。「これはノアの歴史である。ノアは義人であった。彼は同時代の人びとのなかで非の打ち所のない者であることを証明した。ノアは真の神とともに歩んだ」。(創世 6:9,10,新)ゆえに,ノアはエノクに似ていました。
20 ノアの日に地上にいたと伝えられている「真の神の子たち」に関して,なぜ疑問が生じますか。
20 ノアはセツとエノクの子孫で,また『真の神とともに歩み』ましたが,それでも「真の神の子」とは呼ばれませんでした。ノアがそう呼ばれなかったのであれば,罪人アダムの子孫の時代だった当時,ほかに地上のだれをそう呼び得たでしょうか。では,ノアの日に地上に現われたと伝えられている者たちとはだれのことでしたか。彼らについてはこう記されています。「さて,人が地の表で殖え始め,彼らに娘たちが生まれたとき,真の神の子たちは,人の娘たちが,器量の良いのに目を留め始めるようになった。彼らは自分たちのために妻を,すなわちすべて自分たちの選ぶところの者をめとりに行った。その後,エホバは仰せられた。『わたしの霊は人に対して無期限には働かないであろう。人はやはり肉だからである。したがって人の日は百二十年となろう』」― 創世 6:1-3,新。
21 それら「真の神の子たち」とはだれでしたか。彼らは行って何をしたいと考えましたか。
21 それら「真の神の子たち」は,天から来たみ使いたちだったに違いありません。彼らはその時まで,約束の「胤」の母となるべきエホバの象徴的な「女」である,聖なる「真の神の子たち」で成るエホバの天の組織の成員でした。人間の住みかとしての地球の基が据えられたとき,彼らはエホバの創造のわざを見守り,喜びの叫びを上げました。(ヨブ 38:7。創世 3:15,新)ところが,人類のなかで行なわれていた結婚を観察し,殊に器量の良い女たちが関係しているのを見た彼らは,自分たちも行って,地上で女と一緒になって性生活をしたいと考えました。
22 それら「真の神の子たち」はどのようにして自らの欲望を充足させて罪を犯しましたか。
22 霊の被造物である彼らは,どうして地上の肉身の女との性関係を享受できたのでしょうか。肉体を備えた好ましい男子の姿で現われ,人間の妻をめとって性関係を持ったのです。創造者である天の父は,霊の被造物と肉身の被造物である人間との間ではなく,肉身を持つ,同性質の地上の被造物の間での結婚を認められたのですから,それら「真の神の子たち」は,エホバ神から使命を受けて派遣され,その使者として仕えるためにやって来て,肉体を備えた姿で現われたのではありません。彼らは異なった性質の混成,つまり霊者と人間,天的なものと地的なものとの混成を引き起こしはじめたのです。(レビ 18:22,23)明らかにそれら「真の神の子たち」は罪を犯していました。
23 神は罪深い人類に対し,どんな霊をいだいて長い間行動されましたか。しかし今や,何を宣言されましたか。
23 アダムがエデンの園でエホバ神の宇宙主権に反逆して以来,この時までに千年余経過していました。エホバは罪深い人類に対して,辛抱強さや堪忍の霊をもって行動されました。ノアの曾祖父エノクの時代でさえ,人類は大方「不敬虔な」者として知られるようになったからです。人々は今や,肉体を備えた姿で現われたみ使いたちと女との結婚のもたらした,新たな形態の道徳的腐敗や性の倒錯に陥っていました。辛抱強い創造者が自らを卑しめる人類に対して,寛容と自制の霊をもって行動するのをやめる時が訪れたのは当然なことでした。神はご自分の正当さが十分証されたので,ついにこう宣言されました。「わたしの霊は人に対して無期限には働かないであろう。人もまた肉だからである。したがって人の日は百二十年となろう」― 創世 6:3,新。
24 (イ)神はそこで,モーセの場合のように人の年齢の限界を定めておられたのでしょうか。(ロ)では,何が始まりましたか。十分の時間的猶予が与えられたのはなぜですか。
24 これは百二十歳まで生きた預言者モーセの場合のように,人の年齢の限界を定めた言葉ではありません。それは不敬虔な人類の世が世界的大洪水まであと百二十年間存続できるに過ぎないとの神の定めを示すものでした。それで,神のこの定めは創紀1536年,もしくは西暦前2490年に発表されました。つまり,その時,ノアの日のあの不敬虔な世の「終わりの時」が始まったのです。目的を立てる神は,物事に対して時を定めておられました。「真の神の子たち」の起こした,そうしたひどい事をもくろんだりはしませんでしたが,それでもなお物事を十分制御しておられましたし,そうした偶発事を処理し得ました。神は全知全能の方です。その不敬虔な世が終わる前に,それほど長期にわたる期間を許されたのは,非常に思いやりのあることでした。なぜですか。なぜなら,神の定めはノアが父親になる20年前に発表されたので,ノアはなお三人の息子をもうけることができ,またそれら息子たちは成長して結婚し,迫り来る大洪水を生き残るための十分の準備をする仕事を父親と一緒に行なうことができたからです。―創世 5:32; 7:11。
ネフィリム
25,26 み使いたちと女が結婚して生まれた子孫は何と呼ばれましたか。なぜですか。
25 情欲に動かされた,「真の神の子たち」と,女たちとの通婚の行なわれた時代の日数は数えられました。ところで,肉体の姿で現われた霊者たちと,生殖力のある肉身の被造物である女性との間でなされた,異なった性質のそうした混成から,果たして子孫が生まれ得たでしょうか。創世記 6章4節(新)は次のような事実を述べて答えています。
「真の神の子たちが人の娘たちと関係を持ち続け,彼女たちが彼らに息子たちを産んだその当時,またその後も,ネフィリムが地上にいたが,彼らは昔の強力な者たちで,名のある者たちであった」。
26 こうした雑婚から生じた子らは混血種で,ネフィリムと呼ばれました。この名は「打ち倒す者」という意味で,強力な混血種だったそれらの子らは,凶暴にも他の人々を打ち倒す,つまり自分たちよりも弱い人間を倒したということを暗示しています。それらネフィリムを宿して生み,次いで彼らが成長して凶暴な生活を始めるまでには,相当の時間がかかりました。混血種だった彼らは,普通自分たちと同類の子孫は産めませんでした。
27 神は何を地の表からぬぐい去ることを意図されましたか。それはなぜですか。
27 肉体を備えた姿で現われた不従順な,「真の神の子たち」が人間と親密に混じり合ったものの,そのことから人類家族は益を受けませんでした。「したがってエホバは,人の悪が地にあふれ,人の心の考えの傾向がみな,いつもただ悪いだけなのをご覧になった。それでエホバは,地上に人を造ったことを悔やみ,心の痛みを感ぜられた。そこでエホバは仰せられた,『わたしが創造した人を地の表からぬぐい去ろう。人から,家畜,動く動物,天の飛ぶ生き物に至るまで。わたしはまさしく,これらを造ったことを悔やんでいるからだ』。しかし,ノアはエホバの目に恵みを得ていた」。(創世 6:5-8,新)エホバは,ご自分の創造した人間が道徳的また霊的に堕落の淵に身を沈めたことを悔やまれました。品性のそれほど下劣な人間を地上に置くのは遺憾なことでした。が,エホバが地からぬぐい去ることを意図されたのは,そうした者たちであって,義人ノアが一成員として属していた人類ではありません。
28 神は地に暴虐のはびこった大洪水前のその状態を終わらせることを意図されましたが,今日,わたしたちはなぜそのことを感謝できますか。
28 ノアとその家族とは著しく対照的に,「地は,真の神の前に,そこなわれていた。地は暴虐で満たされるようになった。そこで,神が地をご覧になると,見よ,それはそこなわれていた。すべての肉なるものが,地上でその道をだいなしにしたからである」と記されています。(創世 6:11,12,新)大洪水前のその当時,人類の世は暴力の時代にはいっていました。第一次世界大戦が勃発し,人々が暴虐をほしいままにした西暦1914年以来,現代の世は,評者の言う「暴力の時代」にはいりました。それで,もし全能の神が大洪水前のその「暴力の時代」を中断させずに続くままにしておかれたなら,今日の世界の状態はどうなっていたことだろう,と問えるでしょう。その場合起こり得る事柄を考えると,ぞっとします。とうの昔に,地球は危険で,人が住めなくなっていたことでしょう。神が大洪水前のその「暴力の時代」を終わらせるよう意図されたことを,わたしたちは感謝できます。
一つの世は終わるが,ある人種は生き残る
29 エホバがノアに与えた指図は,地に対する神のどんな目的と調和していましたか。
29 エホバ神は,パラダイスの状態のただ中にいた最初の人間男女の子孫で地を満たすという最初の目的を固守されました。また,メシアを産み出すに至るまでの家系を存続させる必要もありました。このことと一致して,エホバは,ノアとその家族,および陸生動物と,鳩や烏のような空を飛ぶ生き物の基本的な代表例を入れられるほどの収容力を持つ箱船(つまり,浮かぶ大箱)の建造を従順なノアに命じました。箱船には,蒸気あるいはディーゼル・エンジンを据えたり,箱船をどうかして推進させるための燃料を貯蔵したりする場所などはありませんでした。それはただ,収容された生けるものと,1年かそれ以上用いるに足る十分の食糧を乗せて浮かんだに過ぎませんでした。―創世 6:13–7:18。
30 そのような全地球的な洪水を可能にするものとして,創造の第二「日」以来,地球周辺の自然の状態はどうなっていましたか。
30 そのような全地球的な洪水の起こる可能性を理解するには,地球の事物の状態を全体的に思い浮かべなければなりません。さて,地球の表面には,大小さまざまの陸地が海面より高く突き出ていました。地球の表面全体の上方には,人類や他の生ける被造物の呼吸する大気を含む天空つまり空間がありました。しかし,そのかなたには,創造の第二「日」目に創造者が科学的に見ても正確な高度の空間に引き上げさせた,むつきひものように地球を取り巻く,水蒸気の厚い天蓋がありました。その天蓋は覆いのように高空に留まって地球を囲んでいましたが,創造者の目的にしたがい,その指図を受けて初めて崩壊し,地上に戻りました。(創世 1:6-8)霊感を受けた西暦一世紀のある聖書注釈者は,そのことを見事にこう述べています。「神のことばにより,昔から天があり,地は水の中から,そして水の中に引き締まったかたちで立っていました」― ペテロ第二 3:5,新世界訳; エルサレム聖書。
31,32 ノアの残した統計は,大洪水に関して何を示していますか。
31 その世界的な規模の大洪水は,バビロニアに由来する神話ではありません。それは今日までその影響を地上に残してきた歴史的事実であって,その日付や時が記されているのです。ノアの船舶日誌,もしくは箱船日誌によれば,洪水は彼の生涯の第六百年の陰暦第二の月の十七日に始まりました。
32 次いでノアは,天からの降水が四十日間続いたことを航海日誌に記入しています。洪水の水は当時の山々の頂をさえ覆い,その上さらに十五キュビトも高くなりました。陰暦第七の月の十七日に箱船の船底がアララテの山地に触れました。創造者の力によって地球の地殻の外側には新たなくぼちが形成され,洪水の水が排出され,陰暦の新年第一の月の一日に排水過程は完了しました。陰暦の新年第二の月の二十七日,つまり大洪水が始まった後,陰暦で一年と十日を経て,神は箱船を出るようノアに命じ,なかにいた動物をもすべて出てゆかせました。―創世 7:11から同 8:19。
33 大洪水で何が滅び,何が生き残りましたか。
33 このようにして,アダムから生じた人類は神の保護を受けて,世界的な規模の大洪水を生き残りましたが,不敬虔な世,つまり不敬虔な人々の世は終わりを告げました。これはまた,悪名高い混血種ネフィリムも,人類の残りの者すべてと同様肉なる者だったので滅ぼされたことを意味しています。霊感を受けた一世紀の聖書注釈者は,簡潔なわかりやすい言葉づかいで,そのことを次のように述べています。
「[神は]古代の世を罰することを差し控えず,不敬虔な人びとの世に大洪水をもたらした時に義の宣明者ノアをほかの七人とともに安全に守られた……それによってその時の世は,大洪水に覆われた時に滅びをこうむったのです」― ペテロ第二 2:5; 3:6。
34 モーセの言葉によれば,地上の生きた被造物と箱船のなかにいたものとはどうなりましたか。
34 これは預言者モーセの記した次のような言葉と合致します。「命の力の息が鼻の中で働いていたものはみな,すなわち乾いた土地の上にいたものはすべて,死んだ。こうして,[神]は地の表に存在していたあらゆるものを,人から獣,動く動物,天の飛ぶ生き物に至るまでぬぐい去られた。それらは,地からぬぐい去られた。ただノアと,彼とともに箱船のなかにいた者たちだけが引き続き生き残った。水は,百五十日間,地をおおった」― 創世 7:22-24,新。
35 神の裁きの執行される「悪い日」のために留め置かれることを望まないなら,わたしたちは今,ノアのように何をすべきですか。
35 世界的な規模のその大洪水は,確かに「神の仕業」でした。それは今日のわたしたちが心に留めるべき重要な事柄を劇的な仕方で例証しています。それは何ですか。「エホバは,敬神の専念をいだく人びとをどのように試練から救い出すか,一方,不義の人びと(を)……切り断つ目的で裁きの日のためにどのように留め置くかを知っておられる」ということです。(ペテロ第二 2:9,10)「エホバは,あらゆるものをご自分の目的のために,そうです,邪悪な者をさえ悪い日のために造られた」のです。(箴 16:4,新)ゆえに,もし,足早やに近づいている「悪い日」,つまり地上の不義の者すべてに対してエホバが義の裁きを執行する,ご予定の「日」のために留め置かれることを望まないなら,わたしたちはノアのように,『神とともに歩み』,神の目的に従わねばなりません。
36 (イ)大洪水の際,ネフィリムはどうなりましたか。(ロ)また,不従順な,「真の神の子たち」は,どんな結果を招きましたか。
36 大洪水の際には,単に不義の人間やネフィリムだけが神の裁きを受けたのではなく,不従順な,「神の子たち」も当然の裁きに遭いました。大洪水が地球全体をおおったとき,確かにそれら「真の神の子たち」は妻や家族を残して自らを非物質化し,溺死を免れました。しかし,本来の正規の住みかであった,霊者の境遇に戻った彼らは,どうなりましたか。神との以前の親交を取り戻しましたか。彼らと神との関係は,以前と同じでしたか。依然「真の神の子たち」として,神の聖なる天の組織内に留まりましたか。いいえ,それどころかこれら不従順な霊の被造物のうちに,預言者モーセの言及している(悪魔サタン以外の)「悪霊たち」の起源が見られるのです。(申命 32:17,新。また,詩 106:37)しかし,一世紀の聖書注釈者たちは,エホバ神がそれら不従順な霊者たちをどう扱ったかに関して,もっとはっきりとこう述べています。
「自分本来の立場を保たず,そのあるべき居どころを捨てた使いたちを,大いなる日の裁きのために,とこしえのなわめをもって濃密なやみのもとに留め置いておられます」。(ユダ 6)「獄にある霊……それは,かつてノアの日に神がしんぼうして待っておられた時に不従順であった者たちであり,その間に箱船が造られ,その中にあって少数の人びと,つまり八つの魂が無事に水を切り抜けました」。(ペテロ第一 3:19,20)「神(は),罪を犯したみ使いたちを罰することを差し控えず,彼らをタルタロスに投げ込んで,裁きのために留め置かれた者として濃密なやみの穴に引き渡された」― ペテロ第二 2:4。
37 霊界に戻った,それら不従順な,「真の神の子たち」の身分はどうなりましたか。
37 それで,不従順な,「真の神の子たち」は自らを非物質化して,霊界に戻りましたが,もう一度聖なるみ使いに化した訳ではありません。彼らは,エホバに逆らった最初の反逆者,悪魔サタンの側についていることを知りました。聖なる従順な「真の神の子たち」の,エホバの妻のような天の組織には,もはや彼らのためのふさわしい場所はありませんでした。このような訳で,彼らは「悪霊」の身分に低められました。この不名誉な低い地位が,ギリシャ語から借用した名詞タルタロスと呼ばれているのは適切なことです。シリア語訳聖書はそれを「最も低い所」と言っています。(また,ギリシャ語セプトゥアギンタ訳のヨブ 40:15; 41:23をも参照のこと。)それら不従順な霊者たちは,神が忠実なみ使いであるご自分の子たちに授けるのをよしとされた霊的啓発には,もはや恵まれなくなりました。こうして,彼らは濃いやみの中に投げ込まれ,あたかも「とこしえのなわめ」のもとにあるかのようにそこに留め置かれ,「大いなる裁き」のために留め置かれることになったのです。ゆえに,彼らは真の啓発を人類に与えることはできません。
38 それら不従順な霊者はだれの「胤」となりましたか。人間を欺いたり,とりこにしたりするため,彼らはどのように働いていますか。
38 そうした不従順な霊者たちは,大いなるへびである悪魔サタンの「胤」となりましたが,彼らが悪魔サタンもろともタルタロスの「濃密なやみの穴」に入れられたからといって,神の天的な「女」の約束の「胤」によってへびの頭が砕かれた訳ではありません。聖なる「胤」はまだ産み出されていなかったので,それら拘束された邪悪な霊者たちは,それがいったいだれかをしきりに知りたがりました。それは,ぐるになって,その「胤」の「かかと」を砕くためでした。(創世 3:15,新)そのような訳で,首領であるサタンの配下のそれら邪悪な霊者たちは人類につきまとい,人々を欺いて,到来する「胤」にはむかわせようとしたのです。それら悪霊は以来肉体を備えた姿で現われることを禁じられたため,霊媒を通して人間と交信することに努め,死んだ人の「肉体から離脱した魂」を装ったり,気の弱い人に取りついたり,あるいはそのような人を悩ましたり攻撃したりしています。言いなりになる人をとりこにすることさえあります。預言者モーセは霊感を受けて,神の敵であるそれら悪霊と一切関係しないよう神の民を戒めました。(申命 18:9-13)ゆえに,心霊術に用心してください!
39 もし悪霊に求めるべきでないとすれば,だれに霊的啓発を求めるべきでしょうか。
39 わたしたちはエホバ神の「とこしえの目的」に関する啓発を得たいと願っているのですから,神の真理に対して人類の大多数の目をくらましている,暗黒の領域のそれら心霊的な勢力を避ける必要があります。エホバ神に次のように語った詩篇作者の,霊感を受けたことばによれば,記された神のみことば,聖書こそ霊的啓蒙をもたらす経路です。「あなたのみことばはわたしの足のともしび,わたしの道の光です」― 詩 119:105,新。
40 人間やみ使いが反逆したにもかかわらず,神の天の組織は忠節を保ち,協力していることを何が示していますか。
40 神のみことばの光に照らして,わたしたちはアダムの創造からノアの日の大洪水までの,地上における人類生存の最初の1,656年間を回顧してみました。み使いと人間の両方が反逆したにもかかわらず,不変の神は,地上の人類に関して最初に立てた目的を固守されました。自分の利己的な欲望に屈して罪を犯し,神の妻のような天の組織から追放されねばならなかった,み使いの数は述べられてはいませんが,それは愛する夫に対する忠実な妻のような神の聖なる組織内で,神に対する忠実を保った者の数とは比較になりません。何千年も後の預言者ダニエルは幻のなかで,一億もの忠節なみ使いたちが,いと高き神である「日の老いた方」に依然として仕えているさまを見ました。(ダニエル 7:9,10,新)予告された「胤」の母となる,この天的な「女」は,大いなるへびである悪魔サタンとその「胤」に対する「恨み」を抱き,神の選定された時に「胤」を産み出すという,新たに発表された神の目的を追求する面で,エホバ神と協力する決意を固めました。
41 サタンは全創造物の前で,悪意をもってどんな点を証明しようとしましたか。大洪水前でさえ,そうすることに成功しましたか。
41 完全な人間として創造されたアダムとエバは,地上に,しかも楽しみのパラダイスにいたとき,エホバの宇宙的な組織の目に見える部分とされていました。誘惑に遭ったふたりは,創造者である天の父に対する忠誠を保たず,死の宣告を受けてエホバの宇宙的な組織から放逐され,神の子供とはみなされなくなりました。しかし,その子孫についてはどうですか。忠誠を破ったアダムとエバから判断すれば,生まれつき不完全で,罪を受け継いだその子孫は,大いなるへびである悪魔サタンからの誘惑や圧力を受けたなら,創造者に対する忠誠は保てないと考えられたでしょう。明らかに悪魔サタンは,それら子孫がそうし得ないことを天と地の全被造物の前で証明しようと努めました。彼はその点を大洪水の前でも証明しましたか。この問題に関する神の見解を明らかにしている聖書の記録は,少なくとも三人の男子,すなわちアベル,エノクそしてノアが忠誠を保ったことを示しています。
42,43 (イ)アベル,エノクそしてノアの事例は,どんな証拠を打ち立てるものとなりましたか。(ロ)さらに多くの証拠を提供するという点で,エホバの先見はいかに正確でしたか。
42 神を恐れる,それら三人の忠実な人たちは,創造者エホバの宇宙主権を擁護しました。全能の神は,悪魔サタンからの誘惑や圧力を受けてもエホバに対する忠誠を守る人間を地上に,それもパラダイスの環境のなかにさえ置くことはできない,と悪魔サタンは主張しましたが,その点で悪魔サタンが厚かましいうそつきであることを,彼らは証明しました。アベル,エノクそしてノアの事例は,罪深いアダムとエバの子孫である人類を創造者なる神が引き続き地上に存続させたのは正しかったことを証明しています。地上の人間がパラダイスの外で生き続けてゆくにつれ,アベル,エノクそしてノアに加えて,人類の種々の階層から,女子のほかに他の男子が確かに現われて,神に対する悪魔のうそや中傷の偽りを示す,さらに多くの証拠を積み上げることになったのです。
43 エホバの先見は正確ですから,その目的は必ず遂げられます。エデンの園で,大いなるへびの面前で発表された,メシアにかかわるエホバの目的は,神の最初の目的を補強し,その成就を確かなものにしました。世界的な規模の大洪水で非常なまでに強力に証明された,地に対する神の宇宙主権は,人類に対するその効力を決して喪失するものではありません。
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「胤」を生み出す人間の家系をたどる人間の益のために今や勝ち誇る,神の「とこしえの目的」
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7章
「胤」を生み出す人間の家系をたどる
1 アベル,エノクそしてノアの事例はどうして悪魔サタンに,「胤」を滅ぼそうとするその企てをいっそう必死に追求させるものとなりましたか。
神の「とこしえの目的」の核心をなすのは,神の「女」の生み出す「胤」です。エデンの園でサタンと神との間で始まった抗争は,この神秘的な「胤」をめぐるものでした。それもそのはずで,その「胤」はやがて産み出されて,大いなるへびの頭を砕くことになっていましたし,悪魔サタンは,その「頭」が自分のそれを意味することを知っていたのです。(創世 3:15,新)サタンは,きたるべき「胤」に忠誠を破らせ,神の目的にそぐわない者にしてしまおうと決心しました。大洪水の際,サタンと神との間の抗争の第一回目は終わりましたが,サタンの形勢は不利になりました。彼は最初の男と女に忠誠をそこなわせるようたくらみましたが,その子孫である少なくとも三人の男子には忠誠をくじかせることに失敗しました。アベル,エノクそしてノアは,自信に満ちたサタンの立場を弱めさせ,「胤」を滅ぼそうとするその企てをいっそう必死に追求させることになりました。
2 大洪水後,ノアが人類の生活をどのようにスタートさせたことを今日の人類は感謝すべきですか。どうしてですか。
2 大洪水が終わった後の,次の六百五十八年間は,神の「女」の「胤」に関する詳細が大いに明らかにされる時期となりました。大洪水後,今日に至るまで全人類は,大洪水を切り抜けた箱船の建造者ノアに始まるその家系をたどれるようになりました。それで人類の世は今や,正しくスタートしました。それはノアが「真の神とともに歩んだ」からです。(創世 6:9,新)彼は遺伝的には不完全でしたが,倫理的には,神の前に非の打ち所も,とがめられる所もありませんでした。その子孫であるわたしたちは,このことをなんと感謝すべきでしょう。箱船を出てアララテ山上に降り立ったノアは直ちに人々の先頭に立って,人類の守護者であるエホバ神の崇拝を行ないました。
「ノアはエホバのために祭壇を築き,すべての清い獣と,すべての清い飛ぶ生き物のうちから幾つかを取って,祭壇の上で全焼のささげ物をささげ始めた。そして,エホバは安らぎを与える香りをかぎ始められた。そこでエホバは心の中で仰せられた,『わたしは,決して再び人のゆえに地をのろうことはすまい。人の心の傾向は若い時から悪いからである。わたしは,決して再び,わたしがしたとおりに,あらゆる生きものを打ち滅ぼすことはすまい。地が存続する限り,種まきと収穫,寒さと暑さ,夏と冬,昼と夜は,決してやむことはない』」― 創世 8:20-22,新。イザヤ 54:9と比べてください。
3 ノアの誕生に際して話されたレメクの預言が真実であることは,どのように明らかになりましたか。その虹は何の象徴でしたか。
3 ノアの誕生に際してその父レメクがノアに言い渡した預言は,正当なものであることが明らかになりました。(創世 5:29)アダムが違犯をおかした後にエデンの園の外の土地が受けた神からののろいは解かれましたし,ノア(その名は「休息」を意味する)は神への全焼の供え物をささげて,安らぎを与える香りを立ち上らせ,のろわれた地を耕す労苦から人間を解放して休息を与えてくださるよう神を促しました。神はまた,水の天蓋が除去されたために今や直接地球に照らされた陽光のなかに,これまでに報じられた最初の虹を現われさせました。エホバは保証のしるしとしてのその虹に言及し,「もはや大水は,すべての肉なるものを滅ぼす大洪水とはならない」と約束されました。そのような大洪水はもはや生じません。―創世 9:8-15,新。
4 ノアの三人の息子とその妻たちがノアとともに大洪水を生き残ったので,約束された「胤」に関して今度はどんな疑問が生じましたか。
4 ノアの三人の息子,セム,ハムそしてヤペテとそのおのおのの妻たちは,ノアとその妻とともに生き残りました。さて,神の「女」の「胤」が地上に現われるまで続く家系は,それら三人の息子のうちのだれから出るのでしょうか。この点でなされねばならない選択は,三人の族長,セム,ハムそしてヤペテの子孫となる三つの人種にそれぞれ異なった影響を及ぼすことになりました。ある重大な出来事に際して,神から霊感を受けたノアが自分の三人の息子に言い渡した預言は,神の恩恵と祝福がどの息子を通して伝えられるかを明らかにしました。それは何に基づいていましたか。
5 ノアはハムの息子カナンにのろいの言葉を言い渡しましたが,その原因は何でしたか。
5 ノアの息子たちに対する,地に殖えよとの神の命令に従って,セムは大洪水が始まってから二年後にアルパクシャドの父となりました。(創世 11:10,新)やがて,ハムはカナンの父となりました。(創世 9:18; 10:6)カナンの誕生後しばらくたったある時,どうしてかは記されていませんが,ノアは自分のぶどう園で作ったぶどう酒を飲んで酔ってしまいました。ノアの天幕に入ったハムは,何もまとわずに裸で横たわっているノアを見ましたが,父の裸を覆おうとはせず,かえってそのことをセムとヤペテに言い触らしました。セムとヤペテは父親に当然の敬意を払い,父の裸を見ようとはせず,後ろ向きになってそのもとに進み,父親の体を布で覆いました。ふたりは父親が裸なのをいいことにしてつけ込んだりはせず,自分たちの父で,エホバの預言者であるノアに対する深い敬意を表わし,またそれを保持しました。
「ついにノアは酔いからさめ,その一番若い息子が自分にしたことを知った。そこで,彼は言った,『のろわれよ,カナン。兄弟たちのための最も卑しい奴隷となれ』。また,こう付け加えた。『ほめたたえよ,セムの神エホバを。カナンは彼のための奴隷となれ。神がヤペテに十分の空所を与え,彼をセムの天幕に住まわせるように。カナンはまた,彼のための奴隷となれ』」― 創世 9:20-27,新。
6 ノアの預言によれば,メシアに達する家系はどの息子から始まりますか。
6 これらのことを言い渡したとき,ノアはしらふでした。ハムが,それも特に神の預言者に対する尊敬の念に欠けていたとはいえ,ノアはハムの子孫の人種全体をのろいはしませんでした。それで神はノアに霊感を与え,ハムの一人の息子,すなわちカナンだけをのろわせました。彼の子孫はパレスチナのカナンの地に住みました。神がヘブライ人アブラハムに対するご自分の約束に従って,イスラエル民族をカナンの地に導き入れられたとき,確かにカナン人はセムの子孫の奴隷になりました。セムは大洪水が始まった後五百二年生き長らえましたから,彼の生涯はアブラハムのそれと百五十年間重なり合いました。(創世 11:10,11)ノアは,エホバのことをセムの神であると言明しました。エホバはほめたたえられることになりました。セムを動かして,神の預言者ノアに対する当然の敬意を示させたのはエホバに対する恐れの念だったからです。ヤペテは,カナンのように奴隷としてではなく,セムの天幕で客として扱われることになりました。こうして,弟ヤペテをもてなす主人役をつとめるので,この預言の言葉づかいのなかでセムはヤペテに勝る立場におかれました。このことと調和して,セムの家系がメシアに達することになりました。
バビロンの基を据える
7 ハムのどの孫が,どのようにして最初のバビロニア帝国を打ち立てましたか。
7 悪い結果に終わった,ハムのもう一人の子孫は,彼の孫ニムロデでした。ノアは大洪水が始まった後,三百五十年生き長らえたので,彼のこの曾孫の台頭を目撃し,またその没落をも目撃したに違いありません。(創世 9:28,29)ニムロデは,大いなるへび,悪魔サタンの目に見える「胤」の一部のような働きをした一つの組織の基を据えました。創世記 10章8-12節(新)はこう述べます。「クシはニムロデの父となった。彼は地上で初めて強力な者となった。彼はエホバに逆らう強力な狩人であることをあらわにした。そのようなわけで,『エホバに逆らう強力な狩人ニムロデのようだ』ということわざがある。彼の王国の始まりはシナルの地のバベル,エレク,アッカド,カルネであった。その地から,彼はアッシリアに進出し,ニネベ,レホボテイリ,カラおよびニネベとカラの間のレセンを建てることにした。これは大きな都市である」。この言葉によれば,ニムロデは最初のバビロニア帝国を打ち立てました。
8,9 (イ)エホバはなぜバベルをご自分の名をおく都市として選ばれませんでしたか。(ロ)バベルのそばで,だれの言語は変えられませんでしたか。
8 人類の言語の混乱が生じたのはバベル(ギリシャ語を話すユダヤ人はバビロンと呼んだ)でのことでした。その時,エホバ神はその都市とその中の偽りの宗教のための塔の建設に対する不興を示されました。なぜなら,それら建設者たちは名をあげて,「地の全面に散らされ」ないようにすることを意図したからです。彼らは,今日起きているそれら諸都市の崩壊を先見してはいませんでした。(創世 11:1-9,新)このニムロデのバビロニア帝国は地上の最初の帝国でしたが,聖書の記録に残る最初の世界強国とはならず,古代エジプトがそうなりました。バベルの政治権力は弱められました。今や種々の異なった言語のために分裂した,その建設者たちは,こうしてエホバにより全地に散らされたからです。
9 エホバ神はバビロンをご自分のみ名をおく都市としてお選びにはなりませんでした。ノアとその祝福された息子セムは,バベルとその偽りの宗教のための塔の建設には全然関係しなかったので,このふたりの言語は混乱を免れました。
10,11 (イ)セムの時代に,約束の「胤」の家系の範囲は,セムのどの子孫にまで狭められましたか。(ロ)だれに対する,どんな発表がそのことを示しましたか。
10 西暦前2020年にノアが亡くなってから二年後,なお生き長らえていたセムの家系にアブラハムが生まれました。この子孫は,セムの神エホバの崇拝者になりました。エホバがアブラハムに対してなされた驚くべき発表を知ったとき,セムは深い満足を味わえたことでしょう。それは,エバとアダムが違犯をおかした後にエデンの園で立てられた「とこしえの目的」をエホバがあくまでも堅持しておられたことを証明しました。それによって範囲は狭められ,神の「女」の「胤」は,セムのすべての子孫のなかでもアブラハムの家系から来ることになりました。それにしても,当時アブラムと呼ばれていたアブラハムに対して神からどんな発表が行なわれたのでしょうか。
11 その発表を受けたとき,アブラム(アブラハム)はメソポタミアのバビロン(バベル)からあまり遠くない,カルデア人の都市ウルにいました。創世記 12章1-3節(新)はこう述べています。「それから,エホバはアブラムに仰せられた,『あなたは,あなたの国を出,あなたの親族,またあなたの父の家を離れて,わたしがあなたに示す国へ行きなさい。そうすれば,わたしはあなたから大いなる国民を作り出し,あなたを祝福し,あなたの名を大いなるものにしよう。あなたは祝福となるのにふさわしいことを証明しなさい。わたしはあなたを祝福する者たちを祝福し,あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべての族はあなたによって確かに自らを祝福する』」。
12 その発表はだれにとって「良いたより」でしたか。その発表に際して,どんな時代が始まったと言えますか。
12 「地のすべての族」― このなかには確かに,二十世紀の現代の諸民族すべてが包含されています! 今日の諸民族は,この昔のアブラム(アブラハム)によって祝福を得ることができるのです! 本当にこれは良いたよりです! しかもそれは,西暦前二十世紀の遠い昔の,大洪水後の人類の世に突然現われたのです。これが何を意味するかについては後日,霊感を受けた次のような言葉のなかで説明されています。「あなたがたは,信仰を堅く守る者がアブラハムの子であることがわかるはずです。さて,聖書は,神が諸国の人びとを信仰によって義と宣することを予見し,前もってアブラハムに良いたよりを宣明しました。すなわち,『あなたによってあらゆる国民が祝福されるであろう』と」。(ガラテア 3:7,8)このことを考えれば,アブラハムが神からの命令に従った時より少し前の当時に良いたよりの時代(ある人々の好む名称では福音時代)が始まったと言うのはもっともな話です。
13 (イ)神の命令を受けたとき,アブラハムはどんな肉体的状態にありましたか。ゆえに,神にとって重要だったのは何ですか。(ロ)アブラハムはいつユーフラテス川を渡りましたか。
13 また,ここで注目されるのは,神がアブラハムをすべての族,またすべての国の民を祝福する経路としてお選びになったとき,彼はその肉に割礼を受けてはいなかったことです。アブラハムとその家の男子が割礼を受けるようにとの,アブラハムに対する神の命令は,少なくともそれから二十四年後,つまり息子イサクが誕生する年(西暦前1918年)の前年に至るまでは出されませんでした。もしアブラハムの肉体的状態が重要でなかったとすれば,神にとって重要だったのは何でしたか。それはアブラハムの信仰でした。エホバ神はご自分に対してアブラハムが信仰を持っていたことをご存じでした。ですから,故国を去るようアブラハムにお命じになったのは,無駄ではありませんでした。アブラハムは早速家の者を連れて出,北西を指してハランに移動し,その父テラがハランで死んだ後,そこを出てユーフラテス川を渡り,神から引き続き示された土地へと移動しました。彼がユーフラテス川を渡ったのは,西暦前1943年の春,あるいはアブラハムの子孫がエジプトで最初の過ぎ越しを祝った時より430年前の春,ニサン14日のことでした。―出エジプト 12:40-42。ガラテア 3:17。
14 エホバはカナンの地でアブラハムに何と言われましたか。その後,アブラハムは何を行ないましたか。
14 預言者モーセはこのことを記録して,こう記しています。「そこでアブラムはエホバが話されたとおりに出かけた。ロトも彼とともに行った。アブラムはハランを出たとき,七十五歳であった。それで,アブラムは妻サライと,彼の兄弟の息子ロトと,彼らの蓄えたすべての財産と,ハランで取得した魂を伴い,彼らはカナンの地に行こうとして出発した。ついに彼らはカナンの地に来た。アブラムはその地を通って,シケムの場,モレの大木の近くにまで行った。当時,その地にはカナン人がいた。さて,エホバはアブラムに現われ,『あなたの胤に,わたしはこの地を与える』と仰せられた。その後,彼は,自分に現われてくださったエホバのために,そこに祭壇を築いた」― 創世 12:4-7,新。使徒 7:4,5。
15 アブラハムに対する「胤」に関する神の約束は,どうして奇跡を要求するものとなりましたか。それには,さらに大きなどんな奇跡が関係しますか。
15 したがって,当時,七十五歳だったアブラムには子供,つまり六十五歳の妻サライによる子供はひとりもいませんでしたが,それでもエホバは,アブラムに胤つまりすえができ,そのすえにカナンの地を与えることを約束されました。アブラハムは神からのその約束を信仰を抱いて受け入れました。当時の女性の生殖能力からすれば,それは神が奇跡を約束するに等しいことだったからです。それから二十四年の後,妻サラによってひとりの息子をもうけることになると聞かされたとき,アブラハムは笑って,心の中でこう言いました。「百歳の男に子供が生まれるだろうか。いや,サラにしても,九十歳の女が子を産むだろうか」。(創世 17:17; 18:12-14,新)もしそれが『法外な』ことだったのであれば,創世記 3章15節(新)の神の預言を成就する奇跡はなお一層驚嘆すべきものだったでしょう。というのは,神の「女」も,その約束の「胤」もともに天的なものですが,それでもその「胤」はアブラハムの地的な家系と結びつくことになっていたからです。こうして,神の「女」のこの「胤」は,「アブラハムの胤」,そうです「アブラハムの子」と呼ぶことができたのです。
16 アブラハムとサラから国々の民と王たちをもたらすとの神の約束は,「胤」に関してどんな疑問を引き起こしましたか。
16 アブラハムにその妻サラによって一人の息子ができることを保証し,その子をイサクと名づけるよう,み使いを通してお告げになった神は,アブラハムにこう仰せになりました。「わたしはあなたの子を大いに殖やし,あなたを幾つかの国民とする。王たちがあなたから出て来よう。……わたしは彼女[サラ]を祝福し,また彼女によって,あなたにひとりの息子を与えよう。わたしは彼女を祝福する。彼女は幾つかの国民となり,国々の民の王たちが彼女から出て来る」。(創世 17:6,16)さて,それでは,それら「幾つかの国民」のうちのどれがエホバの恵みを受ける国民となりますか。その国民は王を戴くでしょうか。神の「女」の「胤」がその王となるのですか。このように問うのは,少なくとも当然なことです。
メルキゼデク
17 アブラハムはその生涯中カナンの地で王たちと接触しましたが,なかでも最も際だった接触となったのは,どんな出会いでしたか。アブラハムはどうして彼に十分の一を払いましたか。
17 それ以前に,アブラハムは地上の王たちと接触していましたが,なかでも最も重要な接触となったのは,カナンの地の傑出した王との出会いでした。それは,カナンの地を侵略して,その地の五人の王を打ち破り,ロトを含めて捕虜を連れ去って行った四人の王たちの手から,アブラハムがおいのロトを救い出さざるを得なかった直後のことでした。略奪者であるそれら四人の王たちを打ち破って帰る途中,アブラハムは死海西方の山地の都市サレムに近づきました。「また,サレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒を持って来た。彼はいと高き神の祭司であった。次いで,彼はアブラムを祝福して言った,『天と地を作り出した方なる,いと高き神のアブラムが,祝福されますように。圧迫者たちをあなたの手に渡されたいと高き神が,ほめたたえられますように!』。そこで,アブラムはすべてのものの十分の一を彼に与えた」。(創世 14:18-20,新)メルキゼデクがアブラハムに告げたように,いと高き神がアブラハムの圧迫者たちを彼の手に渡されたのですから,アブラハムが分取り品の十分の一を,いと高き神の祭司メルキゼデクに与えたのは,まさしく適切なことでした。
18 アブラハムに対するメルキゼデクの祝福の言葉は,どうしてむなしい言辞ではありませんでしたか。ダビデは,神の目的におけるその人物の重要性をどのように示しましたか。
18 アブラハムに対するメルキゼデクの祝福の言葉は,むなしい言辞ではありませんでした。それはかなり重大な言葉であって,アブラハムが地のすべての族にとって祝福となる,つまりすべての民族は彼によって祝福を得るというエホバの約束と調和するものでした。(創世 12:3)この神秘的な王なる祭司メルキゼデクは,歴史上ほとんど触れられていないとはいえ,忘れられた訳ではありませんでした。九百年後のこと,いと高き神はサレムのもう一人の王,つまりエルサレムのダビデ王に霊感を与えて預言を行なわせ,いと高き神の目的のなかでメルキゼデクがいかに重要な人物であったかを示させました。それによれば,メルキゼデクは,さらに偉大な王,つまりダビデよりもなお一層偉大な王,ダビデさえ「わたしの主」と呼ばざるを得ない方を予示する人物でした。こうして予示されたこの王こそ,ほかならぬメシア,つまり神の「女」の「胤」でした。ゆえに,神の聖霊の力を受けたダビデは,詩篇 110篇1-4節(新)にこう書き記しました。
「これはエホバがわたしの主に語られたことばである。『わたしがあなたの敵をあなたの両足の台として置くまでは,わたしの右に座していなさい』。エホバは,あなたの力の杖をシオンから出して,こう言われるであろう。『あなたの敵のただ中に行って従えなさい』。あなたの民は,あなたの軍勢の日に,喜んで自らをささげる。あなたは,暁の胎内からの聖なる輝きを持つ,露の玉のような若者たちの仲間を持っておられる。エホバはこう誓われた(ので,遺憾に思われることはない)。『あなたはメルキゼデクのさまにしたがって定めのない時まで祭司である!』」
19 シオンの山で力の杖を採る者として預言された支配者は,だれの子孫でなければなりませんでしたか。ダビデはソロモンからゼデキヤまでの歴代の王について預言していたのではありません。それはどうしてですか。
19 霊感を受けて記されたこれらの言葉の意味する事柄に注目してください。ダビデ王は,エホバが王の力の杖をシオンから出されると言いましたが,このことはその王がダビデの肉身の子孫であることを示しています。ダビデと結ばれた,永続する王国のためのエホバの契約によれば,ダビデの肉身の子孫以外にはだれもシオンの山に座して,力の杖のような笏を採ることはありません。(サムエル後 7:8-16)したがって,力の杖をシオンから出すその王は,「ダビデの子」と呼ばれます。しかし,この場合,ダビデはその息子,ソロモン王に預言的な意味で言及していたのではありません。ソロモンは,シオンの山で王位につき,その民族の全十二部族を統治した,ダビデの家系の最も輝かしい王でした。ダビデは息子ソロモンをも,あるいはソロモン以後ゼデキア王に至るまでシオンで治めた他の歴代の王のだれをも,決して「わたしの主」とは呼びませんでした。そのうえ,ソロモンも,またその後継者としてシオンの山で統治したどの歴代の王も,メルキゼデクのように王兼祭司ではありませんでした。―歴代下 26:16-23。
20 預言されたこの支配者は,ダビデの子であるにもかかわらず,どうしてダビの「主」となるのでしょうか。
20 とはいえ,その約束の支配者がダビデ王の「子」となるのに,どうしてダビデはその人のことを「わたしの主」と言ったのでしょうか。それは,「ダビデの子」と呼ばれる,この傑出した支配者は,ダビデよりもはるかに位の高い王になるからです。ダビデは地上のシオンの山の「エホバの王座」に座したとは言え,決して,それも亡くなった時でさえ,天に昇ってエホバの「右」に座したりはしませんでした。しかし,ダビデの「主」となる方は,そうするのです。天のエホバの右で占める,王としてのその位置は,天のシオンの山と言えるでしょう。なぜなら,それは,今日はそうではありませんが,かつてはエルサレムの城壁内に囲まれていた,地上のシオンの山で表わされていたからです。詩篇 89篇27節(新)で,メシアについてエホバが自ら言われたとおりです。「わたしもまた,彼を初子として,地の王たちのうちのいと高き者として置こう」。彼はダビデより位の高い立派な王になるだけでなく,昔のサレムの王メルキゼデクのように,永久に,いと高き神の「祭司」となるのです。―詩 76:2; 110:4。
21 では,どうしてアブラハムの名は大いなるものとなるのでしょうか。
21 西暦前二十世紀の昔,族長アブラハムは,自分と妻サラがその先祖となる「王たち」の中に,彼が戦利品すべての十分の一を払ったメルキゼデクによって予表される,メシアなる王が含まれていようとは知るよしもありませんでした。それで,アブラハムの名が,そのような王なる祭司との関連ゆえに大いなるものとされるのも何ら不思議ではありません! メルキゼデクのような,この祭司なる王を通して,地のすべての族がアブラハムによって自らを祝福する,つまり祝福を得るのも,少しも不思議ではありません!―創世 12:3。
神の「友」
22 神はご自分の選民がアブラハムの正当な息子である相続人から生ずることを,どのように例証されましたか。
22 侵略した四人の王と交戦してアブラハムが勝利を得た後,神はアブラハムに,必要な保護と,またその正当な息子が彼の「相続人」になることを約束なさいました。神はこの相続人となる息子からご自分の選民が生ずることを,ある実例を用いてアブラハムに保証なさいました。「さて,彼を外に連れ出して,こう仰せられた。『どうか,天を見上げて,数えられようものなら,星を数えてみなさい』。そして,さらにこう彼に仰せられた。『あなたの胤はこのようになる』。彼はエホバに信仰を置いた。ついで,[エホバは]それを彼に対する義とみなされた」― 創世 15:1-6,新。
23 アブラハムは何に基づいて義とみなされましたか。彼は何を持つことを認められましたか。
23 この時点でアブラハムは依然無割礼のヘブライ人だったことを忘れてはなりません。したがって,アブラハムは肉身に割礼を受けたために義とみなされたのではありません。アブラハムは,彼に目的の一端を啓示しておられたエホバに対する信仰ゆえに義とみなされたのです。ゆえに,アブラハムは神の前に義とみなされ『こうして彼はエホバ神と交友関係を持つことを認められました。何世紀か後に,エルサレムのヨシャパテ王はアブラハムのことをエホバの友,あるいはエホバを「愛する者」と呼びました。さらに後代のこと,エホバは預言者イザヤを通して彼のことを「わたしの友アブラハム」と言われました。(歴代下 20:7; イザヤ 41:8,新)これはアブラハムの「胤」に関連してエホバに対する信仰が実際いかに貴重で,いかに肝要かを示しています。
24 アブラハムはどのようにしてイシマエルの父となり,次いでイサクの父となりましたか。
24 西暦前1932年,アブラハムは,子供のできない年老いた妻サラの勧めで,彼女のエジプト人の女奴隷ハガルによって一人の息子をもうけ,その名をイシマエルと呼びました。(創世 16:1-16,新)それから十三年後の西暦前1919年に,イシマエルが真の「胤」として仕えるのではなく,本妻サラによる息子が選ばれた「胤」となることをエホバはアブラハムにお告げになりました。それは自由の女による息子なのです。そこで,その翌年,サラが九十歳のとき,イサクが生まれました。「アブラハムは,その子イサクが生まれたときは百歳で」した。生まれて八日目,イサクは,その父アブラハムがちょうどその前の年に施されたように割礼を施されました。―創世 21:1-5,新。
25 エホバがアブラハムの生来の子らすべてを含む一国民を作られたかどうかを記述はどう示していますか。
25 ここで神が,その二人の息子,つまり長子イシマエルとイサクから二部族で成る一国民を作り出されたのでないことは興味深い事柄です。それどころか,五年後,妻サラのたっての願いで,アブラハムはハガルとその子イシマエルを家から去らせて自活させ,ふたりをその好む所へ行かせました。(創世 21:8-21)その後,西暦前1881年にサラが死んだ後でも,神はイサクと,アブラハムがそばめケトラによって得た息子たちから,七部族で成る国民を作り出されたりはしませんでした。「後にアブラハムは自分の持っているものすべてをイサクに与えたが,しかしアブラハムの持っていたそばめたちの子らには,アブラハムは贈物を与えた。次いで,彼はなお生きている間,彼らを自分の息子イサクから遠ざけて東のほう,東方の土地にやった」― 創世 25:1-6,新。
26 信仰を如実に示す,賞賛に値するどんな事柄のゆえに,アブラハムはモリヤの地で特別の祝福を受けましたか。その言葉は何と述べていますか。
26 アブラハムの行なった,信仰を如実に示す,非常な賞賛に値する事柄は,このエホバの「友」に大いなる祝福をもたらしました。その祝福は,いと高き神に対するアブラハムの信仰と従順を徹底的に試みる試験がなされた後に到来しました。神からの是認を示す祝福の言葉が,モリヤの地の山頂で言い渡されたのです。そこは何世紀も後にソロモン王が壮麗なエホバの神殿を建立した場所である,と多くの人々は考えています。(歴代下 3:1)エホバの指定されたその場所には,新たな石の祭壇が作られ,その上に敷き並べられた薪の上には,成育たけなわの若者が横たえられていました。それはイサクでした。祭壇の傍らには,その父アブラハムが屠殺用の小刀を手にして立っています。彼は,イサクを犠牲として殺して,その子を奇跡的にお与えになった神への全焼の供え物としてささげるようにとの神の命令を,今やまさに実行しようとしていたのです。その時のことです。
「エホバの使いが天から彼を呼び,『アブラハム,アブラハム!』と言い始めた。……『あなたの手をその子に下してはいけない。彼には何もしてはいけない。今,わたしは,あなたが自分の息子,あなたのただ独りの子をわたしから差し控えなかったので,あなたが神を恐れることがよくわかった』。……ついで,エホバの使いは二度目に天からアブラハムを呼んで,こう言った。『これはエホバが語られたことである。「わたしは自分にかけて,まさしく誓う。あなたがこのことを行ない,あなたの息子,あなたのただ独りの子を差し控えなかったがゆえに,わたしは確かにあなたを祝福し,わたしは確かにあなたの胤を,天の星のように,海辺にある砂粒のように増やそう。そしてあなたの胤は,その敵の門を手に入れるであろう。あなたの胤によって,地の国々の民はみな,自らを祝福するであろう。あなたがわたしの声に聞き従ったからである」』」― 創世 22:1-18,新。
27 神からのこの声明は,「胤」を選ぶことに関し,またそれを通して祝福を得ることに関して何を示しましたか。
27 これは,国々の民すべてが祝福を得る手だてとなる約束の「胤」がイサクの家系から出ることを意味しました。こうしてエホバ神は,家系の選択を行なっておられたこと,またイサクの異母兄弟はだれもその「胤」を供することにはあずからないことを示されました。それでも,イサクの異母兄弟の子孫となった国々の民は,その「胤」によって自ら祝福を得ようと思えばそうすることもできました。今日の国々の民のすべて,すなわち今日のあらゆる国籍の人々も同様に,アブラハムの「胤」を通して祝福を得ることができます。
28 セムは自分の家系に関連したどんな出来事について知るほど長生きしましたか。
28 世界的な大洪水の一生存者,族長セムは生き長らえて,アブラハムに言い渡された神からのその祝福の言葉について聞きました。事実,セムは生き長らえて,メソポタミアのハラン出身の美しいリベカとイサクが結婚したことをも知りました。セムはイサクが結婚してから十年後の西暦前1868年まで生き長らえましたが,その結婚によって生まれた子孫は見ませんでした。しかし,アブラハムは見ました。―創世 11:11; 25:7。
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