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「とこしえの目的」に従ってなされる神による選択人間の益のために今や勝ち誇る,神の「とこしえの目的」
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8章
「とこしえの目的」に従ってなされる神による選択
1 神は契約に基づく約束をイサクのために更新されましたが,彼の子孫についてはどんな疑問が生じましたか。
エホバ神はイサクの父アブラハムと結んだ契約に基づく約束を,イサクのために更新することを望まれました。(創世 26:1-5,23,24)イサクは四十歳で結婚しましたが,六十歳でようやく子供を,それもふたごをもうけました。子供を願い求めたイサクの祈りを聞き届けたエホバは,そのふたごの男の子に関して選択をなさいましたか。
2 エホバはそのふたごのどちらを選ぶかをどのように明らかにされましたか。
2 リベカが祈りの中で自分の状態について尋ねた後,エホバはリベカの妊娠中に選択を行なっていたことを示されました。「するとエホバは彼女にこう仰せられた。『二つの国民があなたの腹にあり,二つの民族集団があなたの内部から分かれ出る。一つの民族集団は他の民族集団より強く,年上のほうが年下のほうに仕えるであろう』」。エサウは初子で,ヤコブはふたごの弟のほうでした。(創世 25:20-23,新)こうしてエホバは,イサクのふたごの息子から一つの国民,つまり二部族で成る一国民を作る意図のないことを示されました。むしろ,二つの民族集団が生じ,ふたごの年上のほうからの民族集団は,その年下のほうからのそれよりも弱く,また後者に仕えるのです。これはその長子が優位に立つ生得権を取り消すものとなりました。こうしてエホバは,だれを選ぶかを明らかにされたのです。
3 その選択は,人間のわざ,それとも召してくださる方に依存していましたか。
3 全知全能の神は,全人類を祝福するご自分の目的に従ってそうした選択を行なう権利を持っておられました。このことに関して一世紀の聖書注釈者は書きました。「リベカがただひとりの人,わたしたちの父祖イサクによってふたごを宿した時もそうでした。彼らがまだ生まれておらず,良いこともいとうべきことも行なっていなかった時に,選びに関する神の志が,業にではなく,召されるかたに引き続き依存するため,彼女に,『年上のほうが年下のほうの奴隷になる』と言われたのです。『わたしはヤコブを愛し,エサウを憎んだ』と書かれているとおりです』」― ローマ 9:10-13,新。引用はマラキ 1:2,3から。
4 そのふたごが生まれる前でさえ,エホバはどうしてエサウよりもヤコブを愛されたのでしょうか。
4 確かに全知全能の神は,選択を誤りませんでした。神はリベカの胎内のそのふたごの遺伝的形質を読み取ることができたのですから,ふたりの男の子がそれぞれどのような生き方をするかを先見されたに違いありません。ゆえに,それがたまたまふたごの年下のほうだったとはいえ,神は適切な者を選ばれました。エホバはご自分の目的にしたがって選択したにもかかわらず,そのことを強制なさいませんでした。神は年上のエサウが決断を下すある重大な日に,ただ一杯のひら豆のシチューと引き替えに長子相続権を年下のヤコブに売り渡すことを計画された訳ではありません。とはいえ,エホバは明らかに,やがて生まれるエサウがヤコブとは違って霊的な事柄に対する認識や愛を抱かないことを先見されました。このような訳で,そのふたごがまだ生まれず,母親の胎内にいたときでさえ,神はエサウよりもヤコブを愛されたのです。―創世 25:24-34。
5 エホバは,ヤコブがどうすればイサクの述べる口頭の祝福を得られるかを計画なさいましたか。エホバはその祝福を取り消しましたか。
5 エホバはヤコブとその母リベカがイサクの述べた祝福を得ようとして最後に講じた方策を計画したのではありませんが,しかしエホバは,視力を失った老齢のイサクが長子相続権に関する祝福をヤコブに言い渡すのを許されました。ヤコブはそれを得るに値したからです。(創世 27:1-30)エホバはその祝福をイサクに取り消させるどころか,ヤコブがふたごの兄エサウの殺意のこもった憤りを避けて逃れていた時,ヤコブに対するイサクの祝福の言葉を確証されました。これは出生前にヤコブが神によって選ばれていたことを裏付けるものとなりました。どのようにですか。
6 ヤコブが神によって選ばれたことは,み使いたちの用いたはしごに関してヤコブが見た夢の中で,どのように裏付けられましたか。
6 約束の地のベテルと呼ばれる場所でのこと,逃亡中のヤコブは次のような夢を見ました。「見よ,一つのはしごが地の上に立てられていて,その頂きは天にまで届いていた。そして,見よ,神の使いたちがそのうえを上ったり下ったりしていた。そして,見よ,エホバがその上方に立っておられた。そしてこう仰せられた。『わたしはあなたの父アブラハムの神,イサクの神,エホバである。あなたが横たわっているこの地を,わたしはあなたと,あなたの胤とに与える。あなたの胤は確かに地の塵の粒のように多くなり,あなたは確かに,西,東,北,南へと方々に広がり,地上のすべての族は,あなたとあなたの胤とによって確かに自らを祝福するであろう。さあ,わたしはあなたとともにおり,あなたがどこへ行ってもわたしはあなたを守り,あなたをこの土地に連れ戻そう。わたしは,あなたに話したことを実際に行なうまでは,あなたを離れることはしないからである」― 創世 28:12-15,新。
7,8 (イ)神からのこの声明は,メシアの家系に関して何を意味していましたか。(ロ)エサウとは違って,ヤコブはだれの崇拝の点で際立っていましたか。
7 うそをつくことのない神の,取り消せないこの声明によれば,創世記 12章1-7節に明示されているアブラハムに対する約束は,ヤコブの子孫つまり胤を通して神によって遂行されることになりました。
8 これはメシア,つまり神の天的な「女」の「胤」がヤコブの家系から来ることを意味しました。このゆえにこそ,わたしたちは,メシアなる「胤」によってこれから祝福されようとしている地上の諸国民や種々の族の歴史よりもむしろ,ヤコブの子孫の歴史を取り上げて詳述しているのです。また,アブラハムとイサクの神は,「ヤコブの神」とも呼ばれるようになりました。しかし,エサウ(あるいは,エドム)についてはそう言うことはできません。彼はエホバの崇拝の点で際立ってはいませんし,しかもその子孫はエホバの崇拝者たちの敵になったのです。偶像神コスは,『エドムの神』でした。(歴代下 25:14。エゼキエル 35章)後にエルサレムに建立された神殿は,「ヤコブの神の家」と呼ばれるようになりました。(イザヤ 2:3,新)動乱の時代である今日のわたしたちのための戒めとして,霊感を受けた詩篇作者はこう述べています。「万軍のエホバはわたしたちとともにおられる。ヤコブの神はわたしたちのための安全な高き所である」― 詩 46:11,新。
王統をもたらす部族の選択
9 (イ)ヤコブの子孫はなぜイスラエル人と呼ばれていますか。(ロ)ヤコブはどこでその十二番目の息子の父になりましたか。
9 ヤコブはメソポタミア渓谷のパダン-アラムに行って二十年間留まっている間に,その父イサクの認めた一族と姻せきになり,十一人の息子の父親となりました。次いで,神は約束の地から逃れていたヤコブに,その地に帰るよう命じました。(創世 31:3)ヤコブがイスラエルという異名を与えられたのは,その帰途の旅行中のことでした。神の使いは彼にこう言いました。「あなたの名はもはやヤコブではなく,イスラエルと呼ばれます。あなたは神と,また人と争って,ついに圧倒したからです」。(創世 32:28,新)この後,ヤコブの子孫はイスラエル人と呼ばれました。(出エジプト 17:11,新)その後,ヤコブつまりイスラエルは,かつてはしごの夢を見た所であるベテルを再び訪れて帰る途中,十二番目の息子ベニヤミンの父となりました。しかし,ヤコブの最愛の妻ラケルは,彼女の二番目のこの息子の出産の際に亡くなりました。創世記 35章19節(新)に,「こうしてラケルは死んで,エフラタすなわちベツレヘムへの道に葬られた」と書かれています。
10 ヤコブが約束の地にさらに留まっていた時,ルベンはどんな資格を失いましたか。
10 西暦前1761年に約束の地に戻った後,ヤコブは外人居留者として三十三年間生き長らえました。その間に幾つかの重大な事柄が起こりましたが,それは決して神の計画によるものではありませんでした。ヤコブの父イサクは百八十歳で亡くなりました。(創世 35:27-29)ヤコブの長子ルベンは,父のそばめで,ラケルの侍女だったビルハを犯しました。(創世 35:22)そのために,ルベンは父ヤコブの初子としての権利を享受する資格と,その家系から王なるメシアをもたらす資格を失いました。確かにこれはエホバ神の計画したことではありません。神はそのような近親相姦には無関係だからです。―創世 49:1-4。
11,12 (イ)シメオンとレビはメシアの家系に関する何らかの機会にあずかる資格をどのように失いましたか。(ロ)今や選択に関して神は何を行なわねばなりませんか。
11 ラケルが亡くなる前,そしてルベンがひどい不倫な行為をする前のこと,ヤコブの娘ディナが,約束の地のある住人,すなわちシェケムの町に住んでいた,ヒビ人ハモルの息子シェケムによって犯されました。この「イスラエルに対する恥ずべき愚行」のゆえに,ヤコブの息子たちは大いなる憤りを抱きました。それで,シェケムの住民の男子が割礼に関する要求に応じたために行為能力を失っていたとき,ヤコブの二番目の息子シメオンと三番目の息子レビが剣を取って襲い,疑念を抱かなかったそれらシェケム人の男子すべてを虐殺した後,その町を略奪しました。
12 神の預言者ヤコブはこのような暴力行為を非難しました。ヤコブはシメオンとレビに向かって,彼らがそのようなことをしたために,彼はその『地の住民にとって悪臭を放つ者』とされ,また彼とその家の者は人数のずっと多いその地の種々の民族によって絶滅させられる危険にさらされることになったと語りました。(創世 34:1-30,新)激怒のあまりそのような残忍な殺りくを行なったため,シメオンとレビはどちらも,メシアなる「胤」をもたらすに至る家系の祖となる資格を失いました。それで,この誉れある特権は今や,シメオン,レビそして生来の初子であるルベン以外のだれか他の息子に差し伸べられなければならなくなりました。(創世 49:5-7)確かにエホバ神が物事をそのように計画なさったのではありません。今や神は新たな事態に対処しなければなりませんでした。神はなお残っているヤコブの息子たちのうちのだれを選ぶかを,後日,ご自分の預言者ヤコブつまりイスラエルを用いて示すことになりました。
13,14 ヤコブとその家の者はどのようにしてエジプトに下り,そこでヨセフとともになりましたか。
13 ヤコブが最も愛した二番目の妻ラケルの初子は,彼の家族の十一番目の息子,すなわちヨセフでした。ヤコブは老齢になってもうけたその息子に対して特別の愛情を示しました。そのためにヨセフは異母兄弟たちからねたまれるようになりました。そこで彼らは父親の知らないうちに,ヨセフをエジプトに下る途中の商人にうまく売り渡し,父親ヤコブには,ヨセフは野獣に殺されたと思い込ませました。
14 ヨセフはエジプトで奴隷として売られましたが,彼が忠実に崇拝し,従った神の恵みにより,やがてファラオのもとでエジプトの食糧の管理者および総理大臣として起用されました。西暦前1728年,ヨセフは,世界的な飢饉に際して食糧を求めてエジプトにやってきた,悔い改めた異母兄弟たちと和解しました。その後,ヨセフの取り計らいで,その父ヤコブつまりイスラエルは家の者すべてを伴ってエジプトに下り,ゴシェンの地と呼ばれた所に定住し,そこでさらに十七年間生き長らえました。―創世記 37–47章。
15,16 その時,ヤコブは依然何の相続者としてエジプトに入国しましたか。詩篇 105篇7-15節はどのようにそのことに注意を向けさせていますか。
15 ヤコブは神の指図に従い,約束の地を去って,ヨセフの招きでエジプトに下りました。(創世 46:1-4)ヤコブはなおもアブラハムに対する約束の相続者またそれを伝える者としてエジプトに下ったのです。詩篇 105篇7-15節(新)はこのことを指摘して,こう述べています。
16 「この方はわたしたちの神エホバ。その司法上の決定は全地にある。主はご自分の契約を定めのない時に至るまでも,またお命じになったことばは千代までも覚えておられる。その契約は,アブラハムと結ばれたもの,またイサクに誓われた声明。その声明を,主はヤコブに対する規定として,イスラエルに対する,定めなく続く契約として保たせて仰せられた。『わたしは,あなたがたの相続の分としてあなたに,カナンの地を与える』。それは彼らが数の点で少ない時のことで,まことにわずかで,しかもそこでは外人居留者であった』。彼らは,国から国へ,一つの王国から他の民族へと渡り歩いた。主はどんな人間にも彼らを詐取させず,かえって,彼らのために王たちを戒めて,仰せられた。『あなたがたは,わたしの油そそがれた者たち[ヘブライ語では,マーシアーの複数形,つまりメシアたちの意]に触れてはならない。わたしの預言者たちに何も悪いことをしてはならない』」。―欄外の異文参照(英文)。
17 エホバはどうしてアブラハム,イサクそしてヤコブを「預言者たち」またご自分の「油そそがれた者たち」と呼ばれましたか。
17 このようにエホバはアブラハム,イサクそしてヤコブをご自分の預言者と呼ばれましたが,彼らは確かにそうでした。(創世 20:7)預言者は,たとえ正式に油を注がれなくとも,指名され,任命されているゆえに,油そそがれた者と呼ぶことができました。(列王上 19:16,19。列王下 2:14)同様に,アブラハム,イサクそしてヤコブは,ベテルと呼ばれる場所に立てた柱にヤコブが油そそいだような仕方で油そそがれた訳ではありませんが,彼らに対するエホバの行動ゆえに,「油そそがれた者たち」と呼ばれたのはもっともなことでした。(創世 28:18,19; 31:13,新)エホバが彼らを「わたしの油そそがれた者たち」と呼ばれたことは,エホバが彼らを任命し,選ばれたことを示しています。モファット訳聖書は詩篇 105篇15節を,「わたしの選んだ者たちに決して触れてはならず,わたしの預言者たちを決して害してはならない」と訳しています。(また,歴代上 16:22)エホバはご自分の好む者を選ばれますし,その選択の背後には目的があります。
18 したがって,アブラハム,イサクそしてヤコブから生ずることになっていた国民は何と呼ばれましたか。それはどうして適切でしたか。
18 アブラハム,イサクそしてヤコブはエホバの「メシアたち」でしたから,このことと調和して,メシアの治める国民は彼らから生じました。聖書はその選民のことをエホバの「メシア」つまり「油そそがれた者」と語っています。詩篇 28篇8,9節(新)で詩篇作者ダビデはこう述べています。「エホバはその民の力。その油そそがれた者[ヘブライ語,マーシアー]の大いなる救いのとりで。どうか,あなたの民を救い,あなたの相続財産を祝福してください。彼らを牧し,定めのない時まで彼らを携えて行ってください」。後日,預言者ハバククは祈りの中でエホバにこう言いました。「あなたは,ご自分の民の救いのため,あなたの油そそがれた者[マーシアー]を救うために出て行かれました」。(ハバクク 3:13,新)このことと一致して,この「油そそがれた」民もしくは国民を通して,神の定めた時に,神の天的な「女」の「胤」である真のメシアが来ることになっていたのです。―創世 3:15,新。
19 ヤコブの息子たちは十二部族の頭たちだったので何と呼ばれましたか。
19 ヤコブの子孫が大勢の民族となり,独立国家を成す用意ができたのはエジプトでのことでした。ヤコブが臨終の床で息子たちに別れの言葉を述べた時(西暦前1711年)のことに関して,こう言われています。「これらすべてはイスラエルの十二部族であり,これは彼らの父が彼らを祝福した時に彼らに話したことである。彼は自分自身の祝福にしたがって彼らおのおのを祝福した」。(創世 49:28,新)ヤコブのそれら十二人の息子はおのおのの部族の頭となったので,「族長」つまり「家父長」と呼ばれました。ある話し手がエルサレムのサンヘドリンでかつて述べたとおりです。「次いで神は彼に割礼の契約をお与えになりました。ゆえに,イサクが生まれた後,八日目に彼はイサクに割礼を施しました。それから,イサクにヤコブが生まれ,ヤコブに十二人の族長が生まれました。族長たちはねたみの気持ちからヨセフを奴隷としてエジプトに売り渡しました。しかし神は彼とともにおられました」。(使徒 7:8,9,新英語聖書)ギリシャ語を話すユダヤ人が「族長アブラハム」また「族長ダビデ」と言ったのももっともなことでした。―ヘブライ 7:4; 使徒 2:29,新英。
20 このようにして宗教的な家父長制がイスラエルに立てられたのですか。
20 しかし,これはエジプトにいたヤコブの子孫のなかに宗教的家父長制が立てられたという意味ではありません。ゴシェンの地でヤコブが亡くなった後でも,父ヤコブから受けた最後の祝福の言葉は,初子の権利がヨセフに移ったことを示していたとはいえ,エジプトの総理大臣としてファラオに仕えていたヨセフは「イスラエルの十二部族」の族長の頭として自ら立ったりはしませんでした。―創世 49:22-26; 50:15-26,新。
21 (イ)ヤコブは,初子の権利が今やだれに移ったことを示しましたか。(ロ)メシアなる王をもたらすに至る家系の頭となる者の選択は,だれに依存していましたか。
21 族長ヤコブは十二人の息子に預言的な祝福を与えることによって,長子相続権つまり初子の権利が,最初の妻レアによるヤコブの長子ルベンから,第二の妻ラケルの長子ヨセフに移った以上のことを明らかにしました。(創世 29:21-32)ヨセフを奴隷としてエジプトに売り飛ばす前のこと,その異母兄弟たちは,彼が自分たちを治める王になりはしまいかと考えで憤りました。(創世 37:8)しかし,それよりもずっと前,神は族長アブラハムに割礼の契約を与えた時,王たちがアブラハムから,それもその妻サラによって出ることを予告されました。その時,彼女の名を神はサライから,「王女」という意味のサラに変えました。(創世 17:16)また,神はヤコブの名をイスラエルと改めた時,王たちがヤコブから出ることを約束なさいました。(創世 35:10,11)とはいえ,その家族の長子の権利は,メシアなる王,つまり神の天的な「女」の「胤」をもたらすに至る王統の祖になる権利と栄誉を自動的に伴うものではありませんでした。この重大な事柄は神の選択に依存していたのです。神はどの息子がそのような王の先祖になるかをヤコブに指摘させました。
22 ヤコブはどの息子に対する祝福の言葉のなかで,「笏」や「命令者の杖」に言及しましたか。
22 ルベン,シメオンそしてレビに対する非難の気持ちを表わした後,臨終のヤコブは,最初の妻レアの生んだ四番目の息子に関連してこう言いました。「ユダよ,あなたの兄弟たちはあなたをたたえる。あなたの手はあなたの敵のうなじの上にある。あなたの父の子らはあなたに平伏する。ユダはししの子。わが子よ,確かにあなたは獲物から上って行く。ししのように,彼は身をかがめ,また身をいっぱいに伸ばした。ししのように,だれが彼をあえて起こすだろうか。笏はユダを離れず,命令者の杖もその足の間を離れることがなく,ついにはシロが来て,もろもろの民の従順は彼のものとなる」― 創世 49:8-10,新。
23 笏,命令者の杖,もろもろの民の従順,獅子になぞらえられたことなどの著しい事柄はすべて,ユダにかかわるどんな事を予示しましたか。
23 ヤコブがユダを獅子になぞらえていることに注目してください。ミカ書 5章8節は獅子を森の動物の王者にたとえています。エゼキエル書 19章1-9節ではユダ王国の歴代の王が獅子にたとえられています。それで,ヤコブがユダを獅子になぞらえたことは,笏が「ユダを離れ」ないということとよく合致しています。これはユダが既に笏を持っており,それを失ったり,あるいは奪われたりはしないことを暗示しています。それが王権の笏であることは,その笏がシロの来る時までユダを離れることのない「命令者の杖」と結びつけられていることによって動かぬものとされています。そのうえ,「もろもろの民の従順」はこのシロで表わされているユダの「ものとなる」のです。(創世 49:10,新)ユダに関するこれら著しい事柄すべては,まさしく王位について予示しています!
24,25 (イ)シロという名称は何を意味していますか。それはだれに適用されますか。(ロ)王笏はどうしてユダから決して離れませんか。
24 シロという名称は,「それを持つ者」という意味に解されています。往時の原語ヘブライ語本文から翻訳された古ラテン語ウルガタ訳は,「遣わされることになっている者が来るまでは」と訳しています。
25 このシロ(「それを持つ者」の意)の到来は,エルサレムの最後のユダの王に対する主権者なる主エホバの次のような言葉の中で予告されているのと同一人物のことを指しています。「破滅,破滅,破滅,わたしはこれをもたらす。それはまた,正当な権利を持つ者が来るまでは確かにだれのものにもならない。わたしは必ずそれを彼に与える」。(エゼキエル 21:27,新)これは疑いもなく,メシアなる王,神の比喩的な「女」の「胤」の到来を指しています。その王が到来すれば,その王位をさらに歴代の王が継承する必要はないからです。その時,ユダの部族による王国は頂点に達し,シロの掌中にいつまでも留まります。その方こそ,天のエホバの右に座し,また族長アブラハムが戦利品の十分の一を支払ったメルキゼデクのような王になる,メシアなる王です。(詩 110:1-4)ですから,王笏はユダを離れません。
26 (イ)初子の権利と,王統との結びつきとは別問題であることを,歴代志略上 5章1,2節はどのように示していますか。(ロ)種々の事態が計画されずに生じたにもかかわらず,エホバは何を意のままに行なえましたか。
26 家族の長子の権利と,王としての主導権の譲渡とは別問題で,神は臨終の族長ヤコブを通して王としての主導権をユダに譲渡しましたが,このことは聖書の中にはっきりと述べられています。ヤコブの息子たちに関し,歴代志略上 5章1,2節(新)にはこう書かれています。「イスラエルの初子ルベンの子ら ― 彼は初子であったが,その父の寝いすを汚したことにより,初子としての彼の権利はイスラエルの息子ヨセフの子らに与えられたので,彼[ルベン]は初子の権利に関しては系図上記載されなかったのである。ユダは彼の兄弟たちに勝る者となり,指導者たる者が彼から出た[彼の子孫から君が出る(リーサー); 君である者が彼から来る(ユダヤ人出版協会)]が,初子としての権利はヨセフのものだったからである」。ここでも,全知全能の神がそれをこのように計画なさったとは言えません。神はルベン,シメオンそしてレビに非行を行なわせ,それぞれの結果を生じさせたりはなさらなかったからです。むしろ,計画されずに進展した事態に応じて,意のままにユダを選ぶことができたのです。起きた事柄とは関係なく,神はご自分の最初の目的を堅持し,変えることなく,その達成を図ることができました。
27,28 (イ)では,わたしたちはどの国民に,それも特にその国民のどの部分に引き続き焦点を合わせてゆきますか。(ロ)神が供してくださる証拠に基づいて行動すれば,どんな益を享受できますか。
27 神による選択とその行動は,油そそがれた者つまりメシアに関連して神が立てられた「とこしえの目的」を考慮するさいの確かな指針となります。神が臨終の族長ヤコブに霊感を与えて,ユダに関して言い渡させた預言的な言葉から見て,わたしたちはたどるべき道を知っています。わたしたちは単にイスラエルの十二部族全般だけでなく,特にユダの部族に引き続き焦点を合わせてゆかねばなりません。なぜなら,ユダ族はエホバのメシア,つまりその天的な「女」の「胤」と直接関係を持っているからです。神の「とこしえの目的」と切っても切れない関係にある,このメシアなる王を見分けるのに助けとなる証拠は,いよいよ増大してゆきます。
28 主権者なる主エホバがわたしたちのために供してくださる証拠に基づいて行動すれば,失望を招く偽メシアの追随者にならないですみます。それどころか,神からの真のメシアを認め,また地の諸国民すべてが永遠の祝福を得る手だてであるそのメシアに従う喜びを味わえるでしょう。
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神と契約を結んだ国民人間の益のために今や勝ち誇る,神の「とこしえの目的」
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9章
神と契約を結んだ国民
1 今日の諸国民はあまりにも唯物主義に傾きすぎているため,だれとの間で条約機構を組織することはできませんか。
国際問題の場合,相互防衛,平和的関係,文化交流その他の考慮すべき問題のために,ある国家が別の国家と条約を結ぶのは慣例となっています。政治上の幾つかの国家が,今日の北大西洋条約機構(NATO),ワルシャワ条約機構(あるいはワルシャワ協定),または東南アジア条約機構(SEATO)のような条約機構に加入する場合もあります。しかし今日,どんな政治上の国家あるいは国民が神との契約に入っていますか。現代の諸国民はあまりにも唯物主義に傾きすぎて,目に見えない天の実在者を一方の条約当事者とする条約機構を組織できるものではありません。
2 わたしたちは,神と契約を結んだある国民に関するどんな疑問に対する答えを得たいと考えていますか。
2 しかし昔は,天のいと高き神と契約を結んだ現実の生きた国民が地上にいました。その契約は地上の当事者と天の当事者,つまり見える当事者と見えない当事者との間で結ばれたのです。契約にはすべて明確な目的があります。地上の一国民と天の生ける唯一真の神との間で結ばれたその歴史的な契約の目的は何でしたか。一見不釣り合いに見えるその契約は,どのようにして結ばれたのでしょうか。ここではこうした疑問に対する答えを得たいと考えています。
3 そのような契約の条項,仲介者,必要条件および成立の時を定めるべき正当な方はだれでしたか。
3 いと高き神は全知全能の方ですから,その方こそ,不完全で罪深い人々で成る一国民と結ばれたそのような契約を提案もしくは提出する正当な方でした。そのような事情のもとでは,神が契約の目的を述べ,契約の条項を指示し,ご自分と人間との間に立つ仲介者を任命するのは適切なことでした。また,神が契約を継続させる必要条件を述べ,そうした契約もしくは協定を成立させる時を選定することになりました。神がずっと前に事前に定められたその時は,西暦前十六世紀でした。
4 犠牲を介してアブラハムと正式の契約を結んだ時,神はアブラハムの胤のためにどんな期間を予告されましたか。
4 神は,やがて国家的な契約に加わることになっていたその国民全体の父祖と,犠牲を介して正式の契約を結んでおられました。神が犠牲を介してご自身とのその正式の契約にアブラハムを入れられたのは,サレムの王で,いと高き神の祭司だったメルキゼデクが,戦いで勝利を得たアブラハムに祝福の言葉を言い渡した後のことでした。神の約束がアブラハムの子孫の上に成就するとの強力な保証をアブラハムに与えた後,神は彼にこう仰せになりました。「あなたはこの事をしかと知りなさい。あなたの胤は,自分たちのものでない土地で外人居留者となり,彼らはその人々に仕えねばならず,その人々は彼らを四百年の間苦しめるであろう。しかし,彼らの仕えるその国民を,わたしは裁き,その後,彼らは多くの所有物を携えて出て行くであろう。あなた自身は,平安のうちにあなたの父祖たちのもとに行き,あなたは十分高齢になって葬られるであろう。しかし,彼らは四代目にここに戻って来る。それはアモリ人の咎がまだ満ちてはいないからである」― 創世 15:13-16,新。
5 アブラハムの胤が約束の地に住む前に経過することになっていた長い時期は,何が起きることを考慮に入れたものでしたか。
5 こうして,アブラハムの生来の胤がその地を引き継ぐことは,四百年以上延期されました。その長い期間は,アブラハムの選ばれた生来の胤が,大勢の成員でなる一民族となり,異教の「咎」の点で悪化の一途をたどったカナンの地の住民アモリ人に取って代わるに足るほど殖えることを考慮に入れたものでした。アブラハムの生来の胤は,カナンの地とは全く異なる土地で非常に大きな民族になったのですが,それでも神はカナンの地を彼らのために別にしておかれました。そして,ついには約束の地の住民の「咎」ははなはだしくなり,それら住民はその地から一掃されるに値するほどになったのです。さて,エホバは正式の契約を結んで,機が熟ししだいその地域をアブラハムの生来の胤に与えるということを保証されました。
「その日,エホバはアブラムと契約を結んでこう仰せられた。『わたしはあなたの胤に,この地を与える。エジプトの川から,大きな川,ユーフラテス川まで。ケニ人,ケナズ人,カデモニ人,ヒッタイト人,ペリジ人,レファイム人,アモリ人,カナン人,ギルガシ人,エブス人を』」― 創世 15:18-21,新。
6 国家的な契約は,アブラハムに対する約束を無効にするものとなりましたか。アブラハムの子孫に関してそれはどんな目的に資するものでしたか。
6 アブラハムただ独りと結ばれた神聖な契約とは対照的に,神が考えておられた契約は,選ばれた家系から出て,アブラハムの子孫で成る一つの大きな国民と結ばれることになりました。その国家的な契約は,アブラハムに対する約束に付け加えられることになっていました。その約束は,アブラハムがユーフラテス川の北方を渡り,犠牲を介してアブラハムと結ばれた神の正式の契約に述べられている境界内に含められた地域に入った時,拘束力を持つようになりました。(創世 12:1-7)アブラハムの子孫で成る国民と結ばれた契約は,アブラハムに対する約束を無効にするどころか,その約束に付け加えられたに過ぎませんでした。それは賢明なことでした。というのは,アブラハムの肉身の子孫すべてが,地のもろもろの国民や族すべてを祝福する,アブラハムに対する約束の成就にあずかるにふさわしい者となる訳ではないからです。したがって。付け加えられたその国家的な契約は,神がご自分の天的な「女」の約束の「胤」である真のメシアを遣わして油そそいだ時,そのメシアを受け入れて忠節をつくして従えるよう,ふさわしい人々を備えさせる助け,あるいは手だてとして役だつことになりました。
7 どんな理由のゆえに,神はその四百年が終わる前にアブラハムの子孫と契約を結ぼうとはなさいませんでしたか。
7 神が犠牲を介してこの契約をアブラハムと結ばれて以来,四百年余経過するまでは,その付加的な国家的契約は成立しませんでした。なぜなら,アブラハムは当時,うまずめだった妻サラによる子孫を一人ももうけてはいなかったからです。そのうえ,神は,奴隷状態に陥って他国の国民によって苦しめられていたアブラハムの子孫と契約を結びたいとは思われませんでした。それも契約を結ぶには,彼らを苦しめて隷従させていた国民にとって憎むべき忌まわしいものとされる種類の犠牲を必要としたのですから,特にそうでした。(出エジプト 8:25-27)まず最初に神は圧制的なその国民に不利な裁きを下し,ご自分の民を解放して,ご自分との契約を自由に引き受けられるようにした上で,彼らとの契約を設けることを望まれたのです。それは予告された「四百年」の終わりに行なわれることになりました。そういうわけで,エホバ神は油そそがれた者つまりメシアにかかわるご自分の「とこしえの目的」を達成すべく,期間をいろいろ区切っておられることがわかります。
8,9 (イ)イサクが乳離れしたとき,どんな期間が,どのようにして始まりましたか。(ロ)その期間の終わりは,アブラハムの生来の胤に関して何が行なわれる時となりましたか。
8 アブラハムは約束の地に入ってから二十五年後,つまり百歳で,その正妻サラにより,もち論それは神の奇跡によることでしたが,ただ一人の息子の父になりました。それは,まだアブラハムにも,その子イサクにも属していない土地でのことでした。メシアをもたらすことになったその生来の「胤」が苦しみを受け始めたのは,イサクが乳離れした時のことで,それはイサクの異母兄弟である十九歳のイシマエルが,乳離れしたばかりのイサクを無礼にも愚ろうした時のことです。ねたみを示すそのような行為は,神から与えられたアブラハムの相続者イサクの命を脅かすものとなる恐れがありました。―創世 16:11,12。
9 時の計算によれば,アブラハムの「胤」が自分たちのものでない土地でこのようにして苦しみ始めたのは,アブラハムが百五歳,イサクが五歳の時で,それは西暦前1913年のことでした。(創世 21:1-9。ガラテア 4:29)したがって,アブラハムの生来の「胤」が苦しんだ「四百年」の期間は西暦前1513年に終わることになりました。それはアブラハムの胤が圧制的な国民の住む土地を去り,自分たちの父祖の土地つまり約束の地に戻り始める年となりました。それは神がアブラハムの「胤」を,拘束力のあるご自分との契約を結んだ国民として約束の地に導き入れるため,彼らと国家的な契約を設ける予定の時でした。四百年の終わりに当たるその時はまた,アブラハムがユーフラテス川を渡って,アブラハムに対する約束が効力を有するようになって以来の四百三十年の終わりに当たりました。―出エジプト 12:40-42。ガラテア 3:17-19。
国家的な契約の成立
10 アブラハムの生来の胤はエジプトでどの程度増大しましたか。しかし,ついにはどんな状態に陥りましたか。
10 アブラハムの孫ヤコブがその家の者とともにカナンの地を去って以来,四百年の終わりに至るまで,ヤコブの子孫つまりイスラエルの十二部族は,(今日のようなアラビア人のエジプトではなく)ハム族のエジプトにいました。エホバ神の予告どおり,アブラハムの生来の「胤」は苦しみに遭い,今やその苦しみは増大し,非常に厳しいものとなりました。そのねらいは,神の友アブラハムの民を絶滅させることにあったのです。にもかかわらず,神の約束どおり,彼らは天の星また海辺の砂粒のように,数え切れないほどに増え,ついには兵役に適した『徒歩の強壮な男子六十万人』を召集できました。(出エジプト 12:37,新)いえ,神はご自分の友アブラハムとの契約を忘れてはおられませんでした。また,発表された時間表を固守されました。それで,神は予定の時に予定の行動に移る用意ができていました。
11 神はだれをイスラエルの指導者として起用されましたか。その人は自分が指導者であることをどのように示そうとしましたか。
11 さて,だれが彼らの見える指導者になりましたか。神は,ヤコブがユダに言い渡した王国の祝福ゆえに,あたかもそうせざるを得ないかのようにユダの部族の頭を選んだりはなさいませんでした。(創世 49:10。歴代上 5:1,2)それどころか,本来選択権を持っておられる,いと高き神は,レビの部族のふさわしい男子,レビの曾孫モーセをお選びになりました。(出エジプト 6:20。民数 26:58,59)四百年が終わる四十年前のこと,モーセはエジプトのファラオの宮廷での生活をやめ,自分のイスラエル人の兄弟たちと運命を共にし,イスラエル人を奴隷状態から導き出す指導者として彼らの前に現われました。「彼は,自分の手によって神が兄弟たちに救いを施そうとしておられることをみなが悟るものと思っていたのですが,彼らはそれを悟りませんでした」。その時は神はまだ,奴隷状態にあった民を解放するためにモーセを遣わしてはおられませんでした。ファラオはモーセを殺そうとしたので,逃亡を余儀なくされたモーセはミデアンの地に逃れ,そこで結婚して,しゅうとのために羊飼いになりました。―出エジプト 2:11から3:1。使徒 7:23-29。
12 モーセはいつ,またどこでエホバの「油そそがれた者」となりましたか。どんな使命を与えられましたか。
12 四十年が過ぎて,モーセは八十歳になりました。次いで,モーセがシナイ半島で羊を飼っていたときのこと,現今のスエズ運河の南東320㌔ほどの所にあるホレブ山のふもとで,神の使いが奇跡的にモーセに現われました。そのホレブで,エホバ神はモーセに向かって,いわばご自分の名をはっきり説明して,こう仰せられました。「『わたしは自分が成るところのものと成る』。……これはあなたがイスラエルの子らに言うべき事柄である,『わたしは成るという方が,わたしをあなたがたのところに遣わされました』」。(出エジプト 3:2-14,新)こうして,神はモーセをご自分の預言者また代表者として任命されたので,今やモーセはその父祖アブラハム,イサクそしてヤコブのように,「油そそがれた者」つまり「メシア」と正しく呼ぶことができました。(詩 105:15,新。使徒 7:30-35。ヘブライ 11:23-26)エホバは,ホレブ山でモーセの民をご自身の契約に加わらせることを暗示されました。というのは,彼らをエジプトから連れ出して,その山に導き,そこで神に仕えるよう,エホバはモーセに仰せになったからです。―出エジプト 3:12。
13 どのようにしてファラオは,エジプトを去るようイスラエル人に命ずる重大な局面に追いつめられましたか。
13 ファラオはイスラエル人を自由の身にして行かせることを繰り返し拒んだため,エホバは一連の災いをファラオとその民に下しました。十番目の最後の災いは,ファラオのがん強な心とその抵抗を打ち砕くものとなりました。その災いはエジプト人の家族や家畜の初子をことごとく打ち殺しました。イスラエル人の初子は死を免れました。それは,彼らがエホバ神に従って,自分たちの家で初めての過ぎ越しの食事の祝いを行なったからです。裁きを執行するエホバのみ使いは,彼らの家の戸口の両方の柱と上方の横木にはねかけられた血を見て,その家を通り越したので,死は彼らの家族の者には忍び寄りませんでした。ユダの部族のサルモンの父ナハションも,モーセの兄アロンの長子ナダブも生き残りました。しかし,ファラオの長子は死にました。悲嘆に暮れたファラオは,近親を失ったエジプト人にせき立てられ,無傷のイスラエル人に国外へ去るよう命じました。―出エジプト 5:1から12:51。
14 その最初の過ぎ越しの日に,幾つかのどんな期間が終わりましたか。その夜に関して神は何をお命じになりましたか。
14 西暦前1513年の波乱に富んだその過ぎ越しの夜,幾つかの際立った期間がいっせいに終わりを告げました。アブラハムの生来の胤が自分たちのものでない土地で苦しみに遭う四百年間が終わりました。族長ヤコブがエジプトに入って以来その国に居住した二百十五年間も終わりました。アブラハムがユーフラテス川を渡って約束の地に住み始めてから数える四百三十年間も終わりました。次のように書かれているのも不思議ではありません。「エジプトに住んでいた,イスラエルの子らの居住期間は,四百三十年であった。そして,四百三十年の終わりにさいし,ちょうどその日に,エホバの全軍はエジプトの地を出ることになった。それは,彼らをエジプトの地から連れ出されたゆえに,エホバに関して守るべき夜である。エホバに関してはこの夜は,イスラエルの子らがみな,代々にわたって守るべき夜である」― 出エジプト 12:40-42,新。
15 神は追跡するエジプト人からどのようにしてイスラエル人を救い出されましたか。次いで,彼らは何を歌いましたか。
15 エホバは策略の一つとして,解放されたご自分の民を,モーセを用いて紅海の奥の西側の入江の岸に導かれました。イスラエル人はわなにかかったのだと考えたファラオとその戦車隊や騎兵は追跡を開始し,彼らの手から逃れた奴隷たちに迫りました。しかし,全能の神は一つの通路を開かせ,夜のうちにイスラエル人を乾いた海底を通らせてシナイ半島の岸に渡らせました。神はエジプト人がその脱出路に突進するままにしたうえで,紅海の水を彼らの上に戻らせ,軍馬もろとも敵を溺死させました。アブラハムの生来の「胤」を虐げたその国民を裁くと言われた神の言葉は,果たされました。(創世 15:13,14)エホバの裁きを目撃した証人たちは,シナイの岸に無事に立って歌いました。「エホバは定めのない時まで,とこしえまでも王として支配される。……エホバに向かって歌え。主はこの上なく高められた。馬と乗り手とを海の中に投げ込まれた」― 出エジプト 15:1-21,新。
16 神はホレブで,宿営したイスラエルに何を提出されましたか。その目的は何でしたか。
16 イスラエル人はエジプトを去った後,陰暦の第三の月(シワン)にシナイの荒野に入って,「真の神の山」であるホレブのふもとに宿営しましたが,それは特別の日となりました。それこそ,エホバがかつてモーセに,彼らはそこで神に仕えねばならないと仰せになった場所なのです。(出エジプト 3:1,12; 19:1)預言者モーセは今や,神と宿営した民との間の仲介者を務めるよう求められました。今やエホバはご自分と民との間に結ぶ契約を提出し,その契約の目的を示されました。ホレブ山に登ったモーセに向かって神は仰せられました。「これは,あなたがヤコブの家に言い,イスラエルの子らに告げるべきことである。『わたしがあなたがたをわしの翼に載せ,わたしのもとに連れて来るために,わたしがエジプト人に行なったことを,あなたがたは自ら見て来た。今,もしあなたがたがわたしの声に厳密に従い,わたしの契約をほんとうに守るなら,あなたがたは確かにほかのすべての民の中から取られた,わたしの特別の所有物となる。全地はわたしのものだからである。あなたがたはわたしにとって祭司の王国,聖なる国民となる』」― 出エジプト 19:3-6,新。
17 救われたイスラエル人にエホバが契約を強制なさったかどうかは,どんな手順からわかりますか。
17 いと高き神はこの契約をイスラエル人に強制なさいませんでした。神は彼らをエジプトから,また紅海から救いましたが,神と契約を結ぶかどうかは彼らに自由に選択させました。エホバの「特別の所有物」,つまりエホバにとって「祭司の王国,聖なる国民」となるのですか。そうです,イスラエル人は当時,そうなることを望んだのです。それで,モーセが神の提出なさった契約について民の代表者たちに話したときのことがこう記されています。「そののち,民はみな,全員一致して答えて言った。『わたしたちは,エホバが話されたことをみな,喜んで行ないます』」。今やモーセはその民の下した決定をエホバに伝えました。次いでエホバは,同意を得た契約を成立させるよう事を運ばれました。―出エジプト 19:7-9,新。
18 その後,三日目に,神はイスラエルに向かって何を宣言されましたか。
18 その後,三日目にエホバは,そのホレブのシナイ山上でみ使いを通して,十の言葉つまり十戒を,集合したイスラエル人に宣言されました。わたしたちは,出エジプト記 20章2-17節に記されているそれらのおきてを自分で読むことができます。
予告された,より大いなる仲介者
19 (イ)その壮観な光景のゆえに,イスラエル人はモーセに何を要請しましたか。(ロ)それに答えてモーセは何を言いましたか。
19 その出来事は壮観そのものでした!「さて,民はみな,雷やいなずまや角笛の音や,煙る山を見た。民はそれを見ると,震え,遠くに立った。そして彼らはモーセに言い始めた。『あなたがわたしたちに話して,わたしたちに聴かせてください。しかし,神がわたしたちに話して,わたしたちが死ぬことのないようにしてください』」。(出エジプト 20:18,19,新)恐れたイスラエル人のこうした求めに対する神の答えが,申命記 18章14-19節(新)にずっと詳しく述べられています。その箇所でモーセは,神がご自分と民との仲立ちとして彼らに魔術師や占い師をお与えにはならなかったことをイスラエル人に告げた後,次のように続けています。
「しかし,あなたについては,あなたの神エホバはそのようなものを決してあなたにお与えにはならなかった。あなたの神エホバは,あなた自身のうちから,あなたの兄弟たちのなかから,わたしのようなひとりの預言者を,あなたのために起こされる。あなたがたは,彼に聞き従うべきである。これはあなたが,ホレブでその集まりの日に,あなたの神エホバに願った事柄すべてによるものであって,あなたは,『わたしの神エホバの声を二度とわたしに聞かせないでください。また,この大きな火をもはやわたしに見させないでください。わたしが死なないためです』と言った。そこでエホバはわたしに言われた,『彼らがそう言ったのはよいことだ。わたしは,彼らの兄弟たちのうちから,彼らのために,あなたのようなひとりの預言者を起こそう。わたしはほんとうに彼の口にわたしのことばを置こう。彼は確かに,わたしが命じることをみな,彼らに語る。わたしの名によって彼が話すわたしのことばに聞き従わない人がいれば,必ずわたしは自らその者に釈明を求めることになる』」。
20,21 (イ)イスラエルにとって,モーセのような別の預言者が出ることを信ずるのは容易でしたか。(ロ)この将来の預言者はどんな点で,またどの程度モーセに似ることになっていましたか。
20 神があたかも「面と向かって」話し合われたモーセのような預言者ですか。神の仰せられたことをモーセが自らイスラエル人に語ったとき,彼らにとってそのような考えは受け入れ難いことだったかもしれません。しかし,それこそ全能の神がご自分の民のために起こすと言われた預言者なのです。『モーセのような』というのは,単にモーセと同等のという意味ではありません。約束の預言者はモーセのようであって,なおかつモーセよりももっと大いなる人物であり得るのです。
21 モーセの後のイスラエル人の預言者からマラキに至るまでは,モーセのような預言者も,またモーセよりも大いなる預言者もいませんでした。(申命 34:1-12)しかし,約束の油そそがれた者,つまり神の天的な「女」の「胤」となるメシアについてはどうですか。(創世 3:15,新)神がシナイ山でモーセのような将来の預言者についてモーセに話したとき,明らかに神はこの方について話しておられたのです。メシアなるこの「胤」は,モーセのように神と人間との仲介者となりますが,モーセよりももっと大いなる方となるのです。確かに,生ける唯一真の神の崇拝者たちは今や,昔のイスラエルのためにモーセによってなされた以上のことをしてもらう必要があります。それで,モーセは,到来することになっていた,エホバのより大いなる預言者を予示したのです。
22 到来する,モーセのような預言者は,神を崇拝するさいの像の使用を非とするものと考えられます。どうしてですか。
22 その時,エホバ神はまた,モーセにこう仰せられました。「これはあなたがイスラエルの子らに言うべき事柄である。『わたしが天からあなたがたと話したのを,あなたがた自身が見た。あなたがたはわたしと並べて,銀の神々を作ってはならない。また,あなたがた自身のために金の神々も作ってはならない』」。(出エジプト 20:22,23,新)これがほかならぬ天から話された神を崇拝するのに,人間の作った,命のない,口のきけない像を用いることを戒めた命令であることは否定すべくもありません。それは,出エジプト記 20章4-6節に述べられている十戒の第二条で神が仰せられたことを大いに強調しています。モーセのようなメシアなる預言者は,宗教上の像のそうした使用を非とするものと考えられます。
23 イスラエルとのその契約は一般にはなぜ律法契約と呼ばれていますか。
23 ご自分の仲介者モーセを通して契約を成立させる前に,神は十戒に加えて他の律法をもモーセにお与えになりました。それは出エジプト記 21章から23章に列挙されました。それは巻き物もしくは「書」に記載されたので,契約が正式に成立する運びになったとき,その書は手許にありました。神の選民の守るべき神聖な律法が与えられたという点でこの契約は特に際立っていたので,それは律法の契約でしたから,一般には律法契約と呼ばれています。その法典,つまり集大成されたその法律は,聖書では「律法」と呼ばれています。
24 アブラハムに対する契約が結ばれた後どれほど経ってから律法契約が作られましたか。アブラハムに対する約束は依然有効ですか。
24 イスラエルと結ばれたこの契約の律法は,彼らがエジプトで過ぎ越しの夜を過ごした後,わずか五十あるいは五十一日ほど経って,十戒の形で紹介されたので,律法は「[西暦前1943年にアブラハムに対する契約が結ばれてから]四百三十年後に存在するようになった」と正しく言うことができました。そのような長い時間的隔りがあったからといって,イスラエルに与えられた律法は,アブラハムに対する契約を無効にして,「約束を廃棄する」ものとはなりませんでした。(ガラテア 3:17)地の国々の民やもろもろの族すべてをアブラハムの「胤」によって祝福するとの神の約束は依然有効であり,潰えることはありません!
25 律法契約はだれを拘束するものとなりましたか。何がそれに注ぎかけられることによってそうなりましたか。
25 イスラエルと結ばれた律法契約は,犠牲に供された動物の血を注ぎかけることによって有効にされ,契約当事者双方を正式に拘束するものとなったことをぜひ銘記してください。出エジプト記 24章6-8節(新)の記録はこう述べています。「次いで,[仲介者である]モーセはその血の半分を取って,それを鉢に入れ,またその血の半分を祭壇にふりかけた。最後に彼は契約の書を取り,それを民に読んで聞かせた。すると,彼らは言った。『わたしたちは,エホバが話されたことをみな,喜んで行ない,従順に従います』。そこで,モーセはその血を取って,それを民にふりかけて言った。『さあ,これらすべてのことばに関して,エホバがあなたがたと結ばれた契約の血です』」。―また,出エジプト 24:3に注目してください。
26 神の祭壇に血が注ぎかけられたことによって何が表わされましたか。また,民に血がふりかけられたことによって何が表わされましたか。
26 モーセがシナイ山麓に建てた祭壇は,エホバ神を代表するものであって,その祭壇の上でエホバに対して犠牲がささげられました。したがって,犠牲の動物の血の半分が祭壇に注ぎかけられることによって,エホバ神は代表的な仕方で契約に入れられ,契約の一方の当事者としてその契約により拘束されることになりました。他方,犠牲の動物の血のあとの半分が民にふりかけられることによって,彼らもまた,もう一方の当事者として契約に入れられ,自分たちに適用される条件を守るよう,その契約によって正式に拘束されることになったのです。こうして,その血によって当事者双方,つまり神とイスラエル国民は一つの契約で結ばれました。
27 イスラエル人は何も知らずに,あるいは強制されて契約に加入したのではありません。律法契約の成立に関するどんな事柄がこのことを証明していますか。
27 イスラエル国民は何も知らずに,あるいは圧力を受けたり強制されたりして,この契約に加入したのではありません。血を用いて正式に契約を結ぶ前日,彼らは神の言葉およびそれに関連した決定を知らされ,それらを受け入れました。出エジプト記 24章3節(新)が述べるとおりです。「そこでモーセは来て,エホバのことばと司法上の決定をことごとく民に述べた。すると,民はみな声を一つにして答えて言った。『わたしたちは,エホバが話されたことをみな,喜んで行ないます』」。翌日,民全員の聞いているところでモーセが「契約の書」を読んだ後,彼らは神の律法を受け入れたことを重ねて表明し,その後,犠牲の血が彼らにふりかけられました。神が契約を提出したとき,「今,もしあなたがたがわたしの声に厳密に従い,わたしの契約をほんとうに守るなら……」と語って言明なさった事柄を行なうことは,今やイスラエル国民全員の義務となりました。―出エジプト 19:5,6,新。
28 律法契約の条項を忠実に守るかどうかに関しては,その契約のどちらの当事者が問題でしたか。聖なる者であるためには何が要求されましたか。
28 全能の神はこの双務契約のご自分の義務に忠実であられるものと期待できました。神は変わらない方だからです。(マラキ 3:6)問題はイスラエル人でした。彼らは,自分たちが喜んで行なう旨表明した事柄を忠実に行なうでしょうか。彼らは詩篇 50篇4,5節(新)の次のような言葉の成就としてエホバのもとに集められる忠節な者たちのなかに含まれるでしょうか。「神は,ご自分の民に裁きを執行するため,上なる天と,地とに呼びかけられる。『わたしの忠節な者たちを,犠牲を介してわたしの契約を結んだ者たちを,わたしのもとに集めよ』」。(新; 新英)彼らは個人としてではなく,民族全体として,一国民として,民全員のための一連の犠牲を介して,その律法契約を結んだのです。彼らは「聖なる国民」であることを実証するでしょうか。そうするには,この世から離れていなければなりません。
29,30 (イ)イスラエルは律法契約にはいっただけで「祭司の王国」となりましたか。それとも,祭司のためのどんな取決めがありましたか。(ロ)レビの部族の他の家族の適任の男子は何になりましたか。
29 いと高き神とのこの契約に単に入ったからといって,彼らが直ちに「祭司の王国」になった訳ではありません。彼らは当時,男子成員がみな地上の国々の民すべてのための神の祭司として仕える王国を決して構成してはいませんでした。イザヤ書 61章6節(新)の次のような預言は,まだ彼らに対して成就してはいませんでした。「あなたがたは,エホバの祭司と呼ばれ,わたしたちの神の奉仕者と言われる。あなたがたは,諸国民の資産を食らい,彼らの栄光をもって自らのことを意気揚々と話す」。むしろ,律法契約の条項にしたがって,イスラエルのただ一つの家族の資格ある男子成員だけが,同国民の残りの人々すべてのために仕える祭司となりました。それはレビの部族のモーセの兄アロンの家族で,彼は神の大祭司となり,その息子たちは従属の祭司となりました。それで,彼らはアロンの祭司職の成員となりました。
30 レビの部族の残りの家族の成員すべての中の適任の男子成員は,アロンの祭司職のための奉仕者となり,律法契約のなかで規定された神の家,つまり会見の天幕での宗教上の奉仕を続けるよう祭司たちを助けました。―出エジプト 27:20から28:4。民数 3:1-13。
31 アロンの家系の祭司はなぜイスラエルの王を兼任しませんでしたか。
31 このようなわけで,ユダの部族は昔のイスラエルの祭司職とは関係がありませんでした。その部族からは,メシアなる「指導者」,つまり「もろもろの民の従順が(その)ものとなる」「シロ」と呼ばれる者が来ることになっていたからです。(創世 49:10,新。歴代上 5:2)それで,昔のイスラエルでは,王権と祭司職とは分離されていました。アロンとその息子たちは王兼祭司とはならなかったので,メルキゼデクのようではありませんでした。
32 イスラエルは毎年どんな祭りを祝うことになりましたか。
32 律法契約によれば,民はすべて,崇拝用の天幕つまり幕屋で毎年三つの国家的な祭りを祝うことになりました。「あなたのうちの男子はみな,年に三度,無酵母パンの祭り,七週の祭り,仮庵の祭りにさいして,神の選ぶ場所で,あなたの神エホバのみ前に現われるべきである。だれも,むなし手でエホバのみ前に現われるべきではない。各人の手の贈り物は,あなたの神エホバがあなたに与えてくださった祝福に応じたものであるべきである」。(申命 16:16,17,新。出エジプト 34:1,22-24)種を入れないパンの祭りは,イスラエルがエジプトから救い出されたことを記念する例年の過ぎ越しの夕食に関連して行なわれました。七週の祭りは五十日目に,すなわちニサン16日に始まる七週間が終わった後に行なわれ,その五十日目(ペンテコステ)には,収穫された小麦の初穂がエホバにささげられました。仮庵(もしくは幕屋)の祭りはまた,年の変わり目の「取り入れの祭り」とも呼ばれました。これらの例年の祭りには,エホバにささげる犠牲がそれぞれ規定されていました。―レビ 23:4-21,33-43。
33 贖罪の日の行事はいつ行なわれましたか。その日の犠牲はなぜ年毎に繰り返しささげられねばなりませんでしたか。
33 仮庵の祭りの祝いが始まる五日前,春の月ニサンあるいはアビブから数えた陰暦第七の月の十日には,例年の「贖罪の日」(ヨム キプル)の行事が行なわれることになりました。それはチスリ10日で,その日には,エホバとの契約関係にあった国民全体の罪のために贖罪が行なわれました。その日はアロンの家系の大祭司が一年にただ一度会見の天幕の至聖所にはいって,書き記されたエホバの律法を収めた聖なる箱の前で,贖罪用の犠牲(雄牛と雄やぎ各一頭)の血をふりかける日でした。(レビ 23:26-32; 16:2-34)もち論,それら人間以下の動物の犠牲の死や,ふりかけられたその血は,そのような動物が従わさせられた人間の罪を実際に取り去り得るものではありませんでした。実際,それら犠牲にされた動物の死や血は人類の罪を取り去るものとはならなかったからこそ,贖罪の日の犠牲は年毎に繰り返しささげられねばならなかったのです。
34 律法契約は,人間の罪を取り去るのに神が何を要求しておられることを示していましたか。イスラエル人はひとりも,要求されているものをささげることはできませんでした。なぜですか。
34 わたしたちはその理由を理解できます。神は律法契約のなかではっきりとこう命ぜられました。「もしも致命的な事故が起きたなら,そのときあなたは魂には魂を与えなければならない。目には目,歯には歯,手には手,足には足,焼金には焼金,傷には傷,殴打には殴打を」。(出エジプト 21:23-25,新。申命 19:21)言いかえれば,同様のもの,つまり価値の等しいもので償うということです。それで,有罪宣告を受けた人の命は,有罪宣告を受けていない人の命で償わねばならなかったのです。詩篇 49篇6-10節(新)に次のように記されているのはそのためです。「自分たちの資力に信頼し,自分たちの富の豊かさを自慢しつづける者たちは,そのひとりとして,決して兄弟をさえ請け出すことができない。彼のための贖いを神に支払うこともできない。人がとこしえに生き長らえて,穴を見ないためには,(彼らの魂を請け出す価はあまりにも高いので,それは定めのない時まで絶えてしまった。)彼は,賢い者たちさえ死(ぬ)のを見(るからである)」。対応する贖いがなければなりませんでしたが,罪に苦しむイスラエル人はひとりも,アダムが喪失した完全な命を償うために,その贖いを供することはできませんでした。
35 アロンの家系の祭司職はどうなりましたか。それで,罪を償う贖いをどこに求めるべきでしょうか。
35 神聖な神の家で単なる動物の犠牲をささげたアロンの家系の祭司職は,19世紀前の西暦70年,エルサレムとその神殿がローマ軍により滅ぼされた時に過ぎ去りました。エホバ神が,「メルキゼデクのさまにしたがって,定めのない時まで祭司」にすると誓われた,メシアなる王を期待する以外どうすることもできません。(詩 110:1-4,新)この方こそ,神の天的な「女」の「胤」,つまり神により任命され,エデンのあの「へび」によって象徴された邪悪な者の頭を砕く力を授けられる胤に違いありません。もしも,この方が全人類のために罪を償う贖いを供えないとすれば,わたしたち人間には何の助けもありませんし,エホバ神の治める義の新秩序で永遠の命をうける見込みもありません。ですから,西暦一世紀に至るまでイスラエルの「贖罪の日」にささげられていた動物の犠牲は,何かを描画的に表わす,つまりメルキゼデクのような祭司で,へびの頭を砕く者となるメシアがささげることになっていた必要な贖いの犠牲を預言的に表わしていたに違いありません。
36 同様に,律法契約のもとで守られていた種々の祭りをどう見なければなりませんか。
36 神の契約によって古代イスラエルに課せられた年毎の祭りも同様でした。それらの祭りは国家的な娯楽や休息のための単なる無意味な行事ではなく,預言的な意義のある祝祭でした。それは喜ばしい行事でしたから,神が人類のために設けておられる将来の喜ばしい備えを表わすものでした。神はご自分の「とこしえの目的」に従ってご予定の時に,それら祭りの喜ばしい意味を明らかにされます。
驚くべき機会に恵まれた国民
37 律法契約はイスラエル人にどんな機会を供するものとなりましたか。
37 とはいえ,イスラエル人は神との契約の律法のごくささいな点をさえ破らずに完全に律法を守ったなら,永遠の命を自ら取得できたでしょうか。律法契約はイスラエル人各人に,そうし得るかどうかを実証する機会を供するものとなりました。レビ記 18章5節(新)で,そのような機会について次のように言及されています。「あなたがたはわたしの規定と司法上の決定を守らねばならない。それを行なうなら,その人はまた,それによって必ず生きる。わたしはエホバである」。それで,もしイスラエル人のだれかが律法を完全に守り,自分自身のわざによって永遠の命を得たとすれば,その人は律法契約の犠牲の益も,またアブラハムに対する約束の祝福をも必要とはしなかったでしょう。(創世 12:3; 22:18)律法をそのように完全に守れたとすれば,その人は自分自身の義と,命を受けるに値する功績を立証できたでしょう。
38,39 (イ)イスラエル人のだれかが律法を完全に守ることによって命を得たかどうかを何が示していますか。(ロ)したがって,神のみ前で祭司としてなされるだれの奉仕が必要ですか。
38 ところが,預言者モーセでさえ死にました。大祭司アロンも死にました。また,律法契約の成立以来,西暦70年にアロンの家系の祭司職がなくなるまで,いえ今日に至るまで,他のイスラエル人もすべて死の道をたどってきました。ローマ人によってエルサレムの神殿が破壊されて以来19世紀たった今日でさえ,正統派のイスラエル人は贖罪の日つまりヨム キプルを祝う儀式を全部行なっています。このこと自体,彼らが罪から清められる必要のあること,つまり律法を完全に守って自分自身の義にかなったわざによって永遠の命を取得できるものではないことを認めていることの表われです。彼らが律法契約のもとでそうし得なかったのであれば,わたしたち不完全な人間の他のだれがそうし得るでしょうか。
39 律法契約によりありのままに明らかにされた事柄からすれば,わたしたちはすべて,完全な働きを営まれる神のみ前に,有罪宣告を受けた者として立っています。(申命 32:4)それは律法契約がイスラエルと結ばれた後,七百年余たってから,預言者イザヤが,「わたしたちの義はみな,汚された衣服のようです」と述べたとおりです。(イザヤ 64:5,ユダヤ人出版協会)わたしたちはすべて,永久に続く祭司となる,メルキゼデクに似た約束の祭司の奉仕を必要としています。
40 神を崇拝することに関して,西暦前1512年ニサン1日にモーセは何を行ないましたか。その時,何が起きましたか。
40 さて,仲介者モーセによってエホバ神とイスラエルの間であの契約が成立した年にさかのぼってみましょう。その陰暦の年が終わり,西暦前1512年の暦年のニサン1日が到来しました。その日,モーセは神の命令に従い,神の崇拝を始める場所として「会見の天幕の幕屋」を立てさせました。次いで,モーセは兄アロンとアロンの息子たちに正式の装束を着けさせ,聖なる油をもって彼らに油をそそぎ,大祭司および従属の祭司として奉仕させました。「こうしてモーセはその仕事を成し終えた。すると,雲が会見の天幕を覆い始め,エホバの栄光が幕屋に満ちた。モーセは会見の天幕にはいることができなかった。雲がその上にとどまり,エホバの栄光が幕屋に満ちていたからである」― 出エジプト 40:1-35,新。
41 その顕示は,何の証拠でしたか。祭司職の創設はいつ完了しましたか。
41 エホバが崇拝用のその建造物を受け入れ,ご自分の目的のためにそれを聖別されたことを示す見える証拠がありました。そのニサン(あるいはアビブ)の第一の月の第七日に,アロンの祭司職の創設および権能の授与が完了し,祭司たちは聖なる幕屋で神聖な崇拝の特色をなす事柄すべてを監督することができました。―レビ 8:1から9:24まで。
42 当時,エホバはイスラエルにとって,崇拝されるべきその神であったほかに,目に見える代表者などを必要としないどんな存在でもあられましたか。
42 エホバは,そのイスラエル国民にご自分を崇拝するようお命じになり,またそうする義務を課した神でした。が,単に彼らの神だっただけでなく,彼らが服従し,忠節をつくさねばならない忠節な支配者,彼らの王でもあられました。したがって,エホバの律法とおきてに対する不従順は,不服従と不忠節を意味するものでした。このことを確証するものとして,申命記 33章5節(新)で預言者モーセは,イスラエル国民が律法契約にはいっているゆえに同国民のことをエシュルンつまり「廉潔な者」と言って,こう述べています。「民の頭たちが,イスラエルのすべての部族とともに集まったとき,エシュルンにひとりの王がおられた」。(アメリカ・ユダヤ人出版協会による翻訳)また,名誉勲位受勲者,故J・H・ヘルツ博士訳の同節に関する編者の脚注は,こう述べています。「こうして,神の王国がイスラエルを治め始めたのである」。(「モーセ五書および預言書」,ソンチノ社版,910ページ)エホバは彼らの見えない天的な王であり,イスラエルの中でご自分を代表する,見える地的な人間の王を必要とはなさいませんでした。―創世 36:31。
43,44 昔のイスラエルは地上の他のすべての国々の民と比べて,どのように特異なまでに恵まれていましたか。したがって,彼らはエホバをどのように賛美し得ましたか。
43 アブラハム,イサクそしてヤコブ(つまりイスラエル)の子孫で構成され,生ける唯一真の神との契約に入れられたこの国民は,何と恵まれていたのでしょう。彼らはその神を崇拝し,またその神の「祭司の王国,聖なる国民」となる見込みを享受しました。
44 預言者アモスは言いました。「イスラエルの子らよ,あなたがた,つまりわたしがエジプトの地から連れ上った族全体に関してエホバの話した,このことばを聞け。『わたしは,地上のすべての族の中からただあなたがただけを知った』」。(アモス 3:1,2,新)これは詩篇作者がハレルヤ詩篇の一つのなかで次のように言い表わした事柄と実によく類似しています。「主はヤコブにはみことばを,イスラエルには規則と司法上の決定を告げられる。主は,他のどんな国民にもそのようにはなさらなかった。主の司法上の決定について彼らは知ってはいない。あなたがたはヤハを賛美せよ!」(詩 147:19,20,新)恵まれたその国民には確かに,契約を守ってエホバを賛美すべき十分の理由がありました。彼らがそうしたかどうかは,今や始まった律法契約時代とも言うべき期間中に示されることになりました。
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ダビデと結ばれた王国のための契約人間の益のために今や勝ち誇る,神の「とこしえの目的」
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10章
ダビデと結ばれた王国のための契約
1 列王紀略上 6章1節ではどんな時代区分が行なわれていますか。時のこの算定の仕方はどうして適切ですか。
神はご自分の「とこしえの目的」に従って独自の仕方で時代区分を行なっておられます。そのようにして区分された時代の一例として,列王紀略上 6章1節(新)にはこう記されています。「イスラエルの子らがエジプトの地を出てから四百八十年目,ソロモンがイスラエルの王となってから四年目のジフの月,すなわち第二の月に,彼はエホバのために家を建てはじめることになった」。時のこの算定の仕方は適切なものでした。というのは,それはイスラエル人がエジプトから救い出された後まもなくシナイの荒野で崇拝用の家を建て始めた時から,ダビデの息子ソロモンがエルサレムに神殿を建立し始めた時までの期間だったからです。これは西暦前1513年ニサン15日から同1034年ジフ(もしくはイッヤル)1日まででした。―民数 33:1-4。列王上 6:37。
2,3 (イ)イスラエル人はなぜシナイの荒野をそんなに長い期間放浪しましたか。(ロ)彼らは約束の地を征服し始めてからどれほどの期間を経ていましたか。その後幾世紀もの間,彼らはどのように支配されましたか。
2 もち論,このおよそ5世紀の間に多くの事柄が起きました。イスラエル人は,当時約束の地に住んでいた諸国民を征服する神の力量に対する信仰に欠けていたため,およそ四十年間シナイの荒野を放浪せざるを得ませんでした。その間に,エジプト出国後二年目に神の指導のもとで約束の地に侵入することをひどく嫌った年配のイスラエル人は死に絶えました。(民数 13:1から14:38)四十年の終わりに,神は奇跡的な仕方で彼らを導き,増水したヨルダン川を渡らせて,約束の地,つまりカナンの地に入らせました。
3 次いで,モーセの後継者ヨシュアの指導のもとで約束の地を征服する何年かの交戦状態が始まりました。ユダの部族のエフンネの子である忠実なカレブの言葉によれば,占領した土地がイスラエルのそれぞれの家族に割り当てられた当時,イスラエル人は,その地を征服して住民を立ちのかせ始めてから6年目に入っていました。(ヨシュア 14:1-10)その後,神は今や定住したイスラエル人に何世紀もの間一連の裁き人をお与えになり,やがて預言者サムエルの時代になって初めて,この国民の政治形態に変更が加えられることになりました。1,900年前のユダヤ人のある年代学者はわたしたちのためにこの期間を簡単に算定しました。小アジア,ピシデアのアンティオキアのとある会堂で,ある安息日に話をしたその年代学者は次のように言いました。
4,5 (イ)聖書のその年代学者は,裁き人が与えられる以前のイスラエルの歴史上のどんな時代区分を行ないましたか。(ロ)その期間はどんな出来事をもって始まり,また終わりましたか。
4 「イスラエルの人々,および神を恐るる者よ,聴け。この民イスラエルの神は,我らの父祖を選び,そのエジプトの地に寄留せし時,この民を高め,高き御腕をもてこれをその地より導きいだし,およそ四十年の期間,荒野にて彼らの態度を忍び,カナンの地にて七つの民族を滅ぼせし時,その地を相続財産として彼らに賜ひ,およそ四百五十年を経たり[このすべてはおよそ四百五十年間のことです,新]。こののち,預言者サムエルの時代まで裁き人を彼らに与え給ひしが,後に彼ら王を求めたれば,神はこれにキスの子サウロというベニヤミンの部族の人を四十年のあひだ賜(へり)」― 使徒 13:14-21,西暦1884年の英国版,英国改正訳聖書。また,西暦1610年版,ドウェー訳聖書およびJ・B・ロザハム訳の西暦1897年版,エンファサイズド・バイブルをも参照のこと。
5 カレブおよび他のイスラエル人に相続財産として土地を割当てることが行なわれたのは,西暦前1467年のことでしたから,「およそ四百五十年」逆算すれば,西暦前1918年に達します。これはサラによるアブラハムの息子イサクの生まれた年で,その時神はサラのエジプト人の女中ハガルによるアブラハムの長子イシマエルの代わりにイサクをお選びになりました。神はかつて誓いの言葉を加えてイサクに対し,カナンの地の所有に関してアブラハムと結んだ契約を確認なさいましたが,今やこの四百五十年の期間の終わりに際し,神はその約束の地を相続財産としてイサクの子孫に割当てることになったのです。エホバ神は全人類を祝福するその「とこしえの目的」を忠実に堅持しておられました。
6 (イ)裁き人ギデオンは神の主権に対する忠節をどのように示しましたか。(ロ)ギデオンの息子で,王となったアビメレクはどうなりましたか。
6 ヨシュアからサムエルに至る十五人の裁き人が仕えた時代中に,イスラエルの人々は六番目の裁き人,マナセの部族のヨアシの息子ギデオンを説得して,エホバ神を王として戴く代わりに,ギデオンの家系から歴代の支配者の王朝を立てさせようとしました。しかし,ギデオンはイスラエルの最高の支配者に忠節を示し,提供された支配者の位を退けて,こう言いました。「わたしはあなたがたを治めませんし,またわたしの息子もあなたがたを治めません。エホバこそ,あなたがたを治める方です」。(士師 8:22,23,新)ギデオンの数多くの息子の一人,アビメレク(「わたしの父は王です」の意)はシケムの土地所有者たちを動かして,自ら王位につきましたが,彼は神の不利な裁きを受け,3年間統治した後,戦いの最中,ある女によって殺されました。―士師 9:1-57。
全イスラエルを治める王
7 イスラエルはいつ,またどのようにして,神の選ばれた人間の王を持つようになりましたか。彼はどれほどの期間統治しましたか。
7 十五番目の裁き人,預言者サムエルの晩年のこと,イスラエルの長老たちが彼のもとにやって来てこう頼みました。「どうか今,わたしたちのために,すべての国々の民のように,わたしたちを裁く王を任命してください」。サムエルはこれを,神の任命された裁き人である自分を退けたことの表われと取りましたが,エホバはサムエルにこう仰せられました。「民があなたに言うことすべてについては,民の声を聞き入れよ。それは彼らが退けたのはあなたではなく,彼らの王であるこのわたしを退けたのである」。神は,見える人間の王を持つことによってもたらされるあらゆる苦しみについてイスラエル人に警告するよう,サムエルに命じましたが,それでも人々はそのような王を好んでいることを明らかにしました。イスラエルの主権者であられる主なる神は,イスラエルの最初の人間の王となるべき人を選んでおられました。神はサムエルを遣わし,ベニヤミンの部族のキシュの息子サウルに油をそそいで王とされました。西暦前1117年,サウルはミヅパの町で王として就任しました。「民はみな,大声で叫んで言った。『王さま,万歳!』」サウルは四十年間統治しました。―サムエル前 8:1から10:25,新。使徒 13:21。a
8 (イ)サウルの治世の十一年目に,ベツレヘムでだれが誕生しましたか。(ロ)ミカはベツレヘムについて何を預言しましたか。
8 サウルの治世の十一年目のこと,ユダの部族の領地の都市ベツレヘムで,一見ささいな事と思える出来事が起こりました。ベツレヘムの人エッサイが八番目の息子の父となり,その子をダビデと名づけました。サウル王はもとより,イスラエルの人はだれ一人として,新たに生まれたその赤子がいつの日か非常に傑出した人物となり,そのために彼の出生地ベツレヘムが後日「ダビデの都市」と呼ばれるようになろうとは夢にも思いませんでした。およそ三百年後にダビデのその都市について次のように預言されることになろうとは,当時知るよしもありませんでした。「然れど,ベテレヘム,エフラタ,汝はユダの幾千のもののうちにていと小さきものなり。然れども,汝のうちよりイスラエルの支配者たる者,わがために出づべし。その起こりはいにしへより,はるかに昔の日よりなり」。(ミカ 5:1,リーサー; ユダヤ出版; 5:2,新英; 新)西暦一世紀当時のユダヤ教の宗教指導者は,この預言がメシアに適用されることを理解していました。それで,神の「女」の「胤」はベツレヘムで生まれることになっていました。
9 サウルが無分別なことをしたため,神はサウルに対し,その王国についてサムエルに何を告げさせましたか。神はだれをその王座につかせるべくお選びになりますか。
9 ところが,それより前,サウル王は二年間統治した後,信仰の欠如のために自制を失い,在職中,せん越で無分別な行動を取りました。「そこでサムエルはサウルに言った。『あなたは愚かに振舞った。あなたは,あなたの神エホバがあなたに命じたおきてを守らなかった。もし守っていたなら,エホバは,イスラエルにあなたの王国を定めのない時まで確立されたであろう。今や,あなたの王国は長続きしない。エホバはご自分のためにみ心にかなう人を必ず見いだし,エホバはその人をご自分の民の指導者に任じられる。それはあなたが,エホバから命じられたことを守らなかったからだ』」。(サムエル前 13:1-14,新)「[神の]心にかなう人」はまだ生まれてはいませんでした。この言葉はダビデがベツレヘムで生まれる何年も前に話されたものだからです。これは,いと高き神がご自分の力と権限を行使し,サウル王の跡を継ぐべきイスラエル人を自ら選択しておられたことを明らかに示すものでした。そのようにして,メシアにかかわるご自分の「とこしえの目的」を固守されました。
10,11 (イ)ダビデはどのようにしてイスラエルの未来の王として指名されましたか。(ロ)ダビデはどうしてサウルの殺意のこもった嫉妬を受けるようになりましたか。ダビデは最初どこで王になりましたか。
10 ダビデが十代の一介の羊飼いの少年としてベツレヘムにいたころ,神は彼をみ心にかなう人として指名されました。ダビデはエッサイの初子ではなく,八番目の息子に過ぎませんでしたが,神はサムエルをベツレヘムに遣わし,ダビデに油をそそいで,イスラエルの未来の王にさせました。
11 ダビデは全イスラエル人のなかでただ一人,ペリシテ人の挑戦者である巨人ゴリアテと戦場で相対し,石投げ器で挑戦者の額に石を打ち当ててゴリアテを殺すに及んで,脚光を浴びるようになりました。(サムエル前 16:1から17:58)ダビデはサウル王の軍隊に入れられ,人々の間での彼の人気は,王のそれをしのぐほどになりました。そのために非常な嫉妬をいだいたサウルは,イスラエルの王座につくわが子の一人が取って代わられることのないよう,ダビデを殺そうとしました。結局,戦場で致命傷を負ったサウルは自らの死を早めるため自刃して果て,その王政は終わりを告げました。生き残ったサウルの息子イシボセテは,サウルの家系を守ろうとする人々によって王とされましたが,イスラエルの十一部族を治めたに過ぎませんでした。ユダの部族民はユダの領地のヘブロンでダビデに油をそそいで自分たちの王としました。それは西暦前1077年のことでした。―サムエル後 2:1-11,新。使徒 13:21,22。
12 いつ,またどのようにしてダビデは全イスラエルの王にされましたか。今や,「笏」と「命令者の杖」に関してどんな疑問が生じますか。
12 サウルの息子イシボセテは,イスラエルの王座で七年六か月王位を保ったようですが,その後臣下の手で暗殺されました。(サムエル後 2:11から4:8)今や全部族はダビデをエホバの選ばれた者と認め,ヘブロンでダビデに油をそそぎ,彼を全イスラエルの王にしました。それは西暦前1070年のことでした。(サムエル後 4:9から5:5)こうして,創世記 49章10節(新)に記されているヤコブの臨終の預言と調和して,「笏」と「命令者の杖」はユダの部族に帰すことになりました。さて,どんな根拠があって,それら王位の象徴物は『ユダを離れず……ついにはシロが来る』のでしょうか。
13 ダビデはどうして確かに「油そそがれた者」と言えましたか。彼はだれを預言的に表わすひな型となりましたか。
13 王位につくよう三回も油をそそがれたのですから,確かにダビデ王は,サムエル後書 19章21,22節; 22章51節; 23章1節(新)にあるように,「油そそがれた者」つまり「メシア」(ヘブライ語: マーシアー)と呼ぶことができました。いみじくもダビデは傑出したメシア,つまり神の天的な「女」の「胤」の預言的ひな型として用いられました。(エゼキエル 34:23を見なさい。)事実,神は,ついにはご自分の「とこしえの目的」にかかわるメシアをもたらすものとなった家系に属する人物としてダビデを選ぶことをよしとされました。このことはどのように起こりましたか。
14 ダビデはどんな町を全イスラエルの首都にしましたか。次いで彼は,どんな聖なる物件をそこに安置しましたか。
14 西暦前1070年,再合同したイスラエルの油そそがれた王となって間もなく,ダビデはエブス人の町を攻略し,それをエルサレムと呼び,そこに行政機関を移し,その高地の町を首都にしました。それはヘブロンよりももっと中心部に位置していました。ユダとベニヤミンの領地の境界線にあったからです。(士師 1:21。サムエル後 5:6-10。歴代上 11:4-9)その後ほどなくしてダビデ王は,エホバの聖なる契約の箱のことを考慮しました。それは何十年もの間,エフライムの領地のシロにあった会見の天幕の至聖所から別の所に移されたままになっていたのです。(サムエル前 1:24; 4:3-18; 6:1から7:2)契約の箱は首都にあって然るべきだと考えたダビデは,それを運んでこさせ,自分の王宮の近くの天幕の中に安置させました。―サムエル後 6:1-19。
15 今やエホバはダビデとどんな契約を結ばれましたか。それはダビデの側の何を多とした上でのことでしたか。
15 しかし,ダビデはきまり悪く感ずるようになりました。単なる人間の王に過ぎない彼が王宮に住んでいるのに,真の神で,イスラエルの真の王であられるエホバの契約の箱は,質素な天幕の中に留まっていたからです。物事の正しい釣り合いを図るため,ダビデは,宇宙の主権者であられる,いと高き神のために,ふさわしい家つまり神殿を建立することを思いつきました。しかし,そのような神殿をダビデが建てることを非としたエホバは,預言者ナタンを通して,ダビデの温和な息子がエルサレムに神殿を建立する特権にあずかることになろうとダビデにお告げになりました。次いで,神の清い崇拝に対するダビデの心からの尽力を多としたエホバは,「み心にかなう」者であったダビデに関して驚くべきことをなさいました。エホバは自発的にダビデに対して,永久に続く王国のための契約を設け,こう仰せられました。
「エホバはあなたに告げる。エホバはあなたのために一つの家を造る。あなたの日数が満ち,あなたがあなたの父祖たちとともに横たわるとき,わたしは必ず,あなたの体内から出る,あなたの胤を,あなたのあとに起こし,わたしは確かに彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建てる者であり,わたしは確かに彼の王国の王座を,定めのない時まで確立させる。わたしは彼の父となり,彼はわたしの子となる。彼が不正をするときは,わたしはまた,人の杖をもって,アダムの子らのむち打ちをもって彼を叱責する。わたしの愛ある親切は,わたしがあなたのゆえに除いたサウルから,わたしがそれを除いたように,彼から離れることはない。あなたの家とあなたの王国は確かに,定めのない時まであなたの前にしっかりと立ち,あなたの王座はまさしく,定めのない時まで確立されたものとなる」― サムエル後 7:1-16,新。歴代上 17:1-15。
16 このことでダビデはどんな感謝の祈りをエホバにささげましたか。
16 ダビデは感謝の祈りをささげ,次のように述べてその祈りを結びました。
「今,主権者なる主エホバよ,あなたこそ真の神であられます。あなたのみことばは,真実であることが明らかになりますように。あなたは,あなたのしもべに,この良いことを約束しておられるからです。今,どうかあなたのしもべの家を祝福して,定めのない時までみ前に続くようにしてください。主権者なる主エホバよ,あなたご自身が,約束されたのです。あなたの祝福ゆえに,あなたのしもべの家が,定めのない時まで祝福されますように」― サムエル後 7:18-29,新。歴代上 17:16-27。
17 この契約はまた,神の側のどんな事柄によって支持されましたか。
17 ダビデに対するその契約の約束は,神の誓いによって支持されました。
「エホバはダビデに誓われた。まことに主はそれから退かれることはない。『あなたの腹の実を,わたしはあなたの上座につかせよう。もし,あなたの子らがわたしの契約と,わたしが彼らに教えるさとしを守るなら,彼らの子らもまた,いつまでもあなたの王座に座すであろう」― 詩 132:11,12,新。
「定めのない時まで,わたしは彼に対するわたしの愛ある親切を保とう。わたしの契約は彼に対して真実である。わたしは必ず彼の胤をいつまでも,彼の王座を天の日数のように,据えよう。……わたしはわたしの契約を辱めない。わたしのくちびるから出たことを,わたしは変えない。わたしは,かつて,わが神聖さにかけて誓った。わたしは,ダビデに決してうそを言わない。彼の胤は定めのない時までもとどまり,彼の王座は太陽のようにわたしの前にあろう」― 詩 89:28-36,新。エレミヤ 33:20,21をも見てください。
18 イザヤの預言は,ダビデの王国がどんなより大いなる王国の基盤を供することを表わしていますか。
18 ダビデ王に対するその契約によれば,彼の王国は,より大いなるメシアの治める,きたるべき王国の基盤を供さねばなりませんでした。だからこそ,何世紀も後に預言者イザヤは霊感を受けて次のように預言したのです。「ひとりの子供がわたしたちのために生まれる。ひとりの子がわたしたちに与えられる。支配権はその肩にあり,その名は,不思議,助言者,力ある神,永久の父,平和の君と呼ばれる。その支配権が増し加わり,ダビデの王座に,またその王国には平和が限りなく続き,ふさわしい事と正しい事によって,今よりとこしえにそれを立て,それを支えるためである。万軍の永遠者の熱心がそのようなことを行なう」― イザヤ 9:5,6,ヘブライ語学者,ラビ,レオポルト・アインカルト・ズンツによるドイツ語訳,西暦1913年第十六版。イザヤ 9:6,7,欽定; 改標; 新英; エルサレム聖書を見てください。
19 ミカの預言によれば,この「子供」はどんな町で生まれることになっていましたか。それはだれを見分けるしるしとなりますか。
19 ミカ書 5章1節(ズンツ; 5:2,欽定; 新)の預言によれば,メシアとなるこの子供は,ユダの領地のエフラタのベツレヘムで生まれ,この王族の子はそこで与えられることになっていました。人間としての誕生の起こるその場所は,神の比喩的な「女」の「胤」である真のメシアを見分けるしるしの一つとなりました。王都エルサレムではなく,ベツレヘムはそのメシアの先祖ダビデ王の出生地だったので,ダビデの町と呼ばれるようになりました。
ダビデの歴代の王朝
20 ダビデの王朝はどれほどの期間王座を存続させましたか。イスラエル人はどれほどの期間歴代の王を戴きましたか。
20 ダビデに対するこの王国契約の成就として,その後エルサレムの歴代の王はすべてダビデ王の家系から出ました。西暦前1070年ダビデがエルサレムで王位についた時から計算すると,エルサレムにダビデの歴代の王朝を持ったこの王国は463年間,つまり西暦前607年まで存続しました。ゆえに,預言者サムエルがサウルを全イスラエルの王として油をそそいだ西暦前1117年から数えると,イスラエル国民は,目に見える歴代の王を510年間戴いたということになります。とはいえ,エホバは目に見えない王であられたのです。
21 ダビデはその死に際して天に昇りましたか。ダビデは,神の右に座するようだれが招かれることを預言しましたか。
21 神によって選ばれ,イスラエルの王として油そそがれたダビデ王は,その神を代表する王としてエルサレムの「エホバの王座」に座しました。(歴代上 29:23,新)しかし,エホバの右に座した訳ではありません。エホバの王座は天にあるからです。(イザヤ 66:1)ダビデは西暦前1037年に死にましたが,その時霊の天に昇り,天でエホバの右に座した訳でもありません。彼はそうするよう招かれてはいなかったので,西暦一世紀に至るまでイスラエル人はダビデの埋葬された場所をさがして確認しようと思えばそうすることもできました。むしろ,ダビデは神の霊感を受けて,詩篇 110篇1-4節のなかで,王なる祭司メルキゼデクのようになる,彼のメシアなる子孫こそ,エホバに招かれて天でその右に座す者となることを預言しました。
22 ソロモンおよび王座についたその後継者の大多数は結局どうなりましたか。ダビデの家系の王はいつからエルサレムの王座につかなくなりましたか。
22 ダビデの若い息子ソロモンは父の跡を継いでエルサレムの王座,「エホバの王座」に着きました。神の約束によれば,ソロモンはモリア山上に神殿を建立する特権に恵まれた者で,その建築は西暦前1027年に竣工しました。(列王上 6:1-38)ソロモンは神のために神殿を建てましたが,晩年になってその神に対して不忠実になりました。エルサレムの王座についた,彼の後継者の大多数もまた,結局は悪くなりました。エルサレムの王座に座した,ダビデの子孫のそれら歴代の王の最後の人はゼデキヤでした。バビロンの王はゼデキヤを貢納者にしましたが,ゼデキヤは反逆したため,エルサレムの都とその壮麗な神殿を廃墟として後にしたまま,捕虜としてバビロンに連れ去られました。(列王下 24:17から25:21)西暦前607年のその悲劇的な年以来,ダビデの子孫の王は決してエルサレムの王座に着きませんでした。
23 王国契約は失敗しましたか,あるいは,無効になりましたか。神はエゼキエルを用いて,このことに関するどんな保証をお与えになりましたか。
23 これはダビデに対する王国契約が失敗した,もしくは無効になったという意味ですか。決してそうではありません! 神はその保証をお与えになりました。ゼデキヤが退位させられ,バビロンへ流刑に処される四年ほど前,神は預言者エゼキエルに霊感を与え,エルサレムの王座に座したこの最後の王に対して次のように述べさせました。
「致命傷を負った,イスラエルの邪悪な長よ,あなたの日は終わりの過ちの時に来た。主権者なる主エホバはこう仰せられる。『かぶりものを取り除き,王冠を取り去れ。これは同じではなくなる。低いものを高く上げ,高いものを低くせよ。破滅,破滅,破滅,わたしはこれをもたらす。それはまた,正当な権利を持つ者が来るまでは確かにだれのものにもならない。わたしは必ずそれを彼に与える』」― エゼキエル 21:25-27,新。
24 何が低くされることになりましたか。いつ,またどのようにその逆の事柄が起きることになりましたか。
24 この趣旨がおわかりでしょうか。エホバはエルサレムのダビデ王家の治める王国を荒廃させるので,物事は以前とは同じではなくなるのです。神の目に低いものとされていた異邦人の支配勢力が最上位に上げられ,エホバの選民の地上の王国は低くされ,異邦世界強国に服させられます。エルサレムを首都とする神の模型的な王国からの干渉を受けずに異邦世界が支配権を行使する期間は,「正当な権利を持つ」者すなわち約束の真のメシアが来る時まで続き,それから主権者なる主エホバは王国をそのメシアにお与えになります。その後,異邦世界強国はもはや最上位に立って地を支配したりすることはなくなり,メシアの王国が世界を制することになります。こうして,ダビデと結ばれた契約により,その王国は永久に続く政府となります。その王座は必ずとこしえに存続するのです!
25 西暦前607年にエルサレムが荒廃したにもかかわらず,どんな契約およびどんな目的は依然効力を保持しましたか。
25 ですから,たとえ今日に至るまで中東のエルサレムにダビデの王座が再興されていないとはいえ,神の天的な「女」の「胤」である約束のメシアに望みを置く人たちにとって,すべてが徒労に帰した訳ではありません。確かに西暦前607年の秋までには王都エルサレムとその神殿は廃墟と化しました。近くのベツレヘムの町,つまりダビデの町もバビロニア人の征服者たちの手で荒廃に帰せしめられました。それでも,アラビアのシナイ山でイスラエルと結ばれた律法契約は効力を保っていましたし,ダビデと結ばれた永久の王国のための契約も引き続き適用されていました。メシアにかかわる神の「とこしえの目的」は効力を保持していました。神の王国契約は失敗するものではありませんし,神の目的も潰えたりはしません!
[脚注]
a 「ユダヤ古誌」第10巻8章4節のなかで,西暦一世紀のフラビウス・ヨセフスは,サウル王の治世を二十年としていますが,同第6巻14章9節で,「さてサウルはサムエルの存命中十八年間統治し,その没後二年間統治した」と記しており,ヨセフスの著書のある写本は,「そして二十年」と付け加えているので,合計四十年となります。
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