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秘術への熱中の背後にあるものものみの塔 1974 | 9月1日
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秘術への熱中の背後にあるもの
「教育のある」人びとのほとんどは,「超自然的な」ものについて聞くと,たいてい一笑に付したものでした。そういうものは,「理性的,科学的」手段と彼らが呼ぶものによって説明できる,と常に信じてきました。ところが現在では,そういう人びとのなかにも,考え方を変えつつある人たちがいます。最近,秘術は驚くべき勢いで復活し,しかもいわゆる「文明の進んだ」国で最も盛んです。
多数の大学や高校の校内に自称魔法使いがいるだけでなく,悪魔と魔術にかんする特別コースを設けている学校もあります。ニュースの伝えるところによると,アメリカでは現在魔女の『集会』が600以上開かれており,魔女と名のる人が約10万人います。
近ごろ書店には,ありとあらゆる秘術の本が陳列されています。たとえば,カリフォルニアのあるチェーン制書店の支配人の話によると,本店には,秘術関係の本が約2,000種あり,「手に入れようと思えはまだ数百種ありますが,置く場所がないので仕入れていない」ということです。これらの本は,「予想通りハリウッドでよく出ますが,ハリウッドだけでなく,わたしたちの全部の書店でよく売れています」とその支配人は言いました。
ビジネス・ウイーク誌の伝えるところによると,企業や政府でさえ,超能力(ESP)その他の「心霊」力を,自分たちの活動に利用できるかもしれないと考えて,真剣に研究しています。「そして米航空宇宙局[NASA]は,NASA局員に超能力の技術を教えるようスタンフォード研究所に資金を提供した」とのことです。
最近アメリカでは,悪魔払いを主題にした映画が封切られて,人びとは「悪魔払い」熱にうかされています。イギリスでも秘術が盛んになってきており,英国国教会は最近,全国の悪魔払い祈とう師たちに,結果として生じた問題に対処することを命じたほどです。
オーストラリアでも国中の若者たちが,魔術や心霊術の会に深入りしており,学校でこれが行なわれることさえあります。「さかさまの十字架の前で血を飲む学童」,「いわゆる『犠牲の祭壇』の上で恥ずべき性行為をさせられる」10代の女生徒,増加する霊応盤の売れゆきなどは,オーストラリアの大きな心配となりつつある,とシドニーのサン紙は伝えています。おとなの「魔法使い」が子どもたちを会に入れ,その子どもたちが学校の友だちを誘うのです。
もしあなたが親であるなら,自分の子どもがそのようなものにはいることを望みますか。学校でそれに似たことが起きているかどうかご存じですか。それともこの秘術への興味を無害な娯楽として無視しますか。この不思議な「異なる次元」にかんする物語にむしろ魅力を感じますか。多くの人は今とくに秘術に強い魅力を感じています。なぜでしょうか。
なぜ秘術に関心を持つか
多くの人びとが,人生をより豊かにすることを求めるのは理解できます。宗教,政治,経済科学などの諸機関は明らかに失敗し,あとに残された人びとの多くは,飢えたように,生活に意義を与えるものならば何にでも手を出します。
従来の宗教はその空白を埋めていません。「多くの人にとって,今日の生活はなんの目的もないものである」ことを,一ローマ・カトリック当局者は認めています。というのは,「彼らは,自分の信仰体験の中で何が起こりつつあるかを何も語ることができない」からです。制御することのできない力が,人類の将来を破滅的なものにしているように思えるので,多くの人は,唯物的な考えが認める力よりもさらに強力な力が存在するにちがいないと感じています。
それで人びとは秘術に心を向けます。そして秘術が栄えるのは,非常に多くの人びとが,個人的に何かを実際に経験しているためのようです。しかし,その背後にはいったい何があるのでしょうか。
秘術による現象は本物?
「超自然の」できごとが実際に起こるかどうかについては,科学界でも宗教界でも意見が二つに分かれています。主張されている種々の秘術体験は,精神障害のあることを暗示するものであるか,または誤報にすぎない,とある人びとは考えます。そうかと思うと,そのような経験は,超自然の証拠というよりも,人類自身に,科学がまだ解明していない潜在的「心霊」力のあることを示すものかもしれない,と言う人たちもいます。しかし,秘術者たちは,そうした不思議な示現を通して働いている「霊の世界」があると主張します。
多くの「超自然的な」経験は幻覚かまたはトリックであるかもしれません。しかしそれだからといって,全部がそういうものだと言えるでしょうか。最近マスコミは,「悪霊に取りつかれている」と言われるいろいろな状態に焦点を向けました。全部の心理学者が,どのケースにかんしても,純粋に心理学的な立場から説明が行なえると確信しているわけではありません。ウィスコンシン州のミルウォーキー精神病院のアラン・リード博士は,壊疑的ではありますが,悪霊につかれる可能性を否定しません。「別人のように思えるほど……急変する人びとを見たことがある」と,同博士は言っています。それも,外見,声の質,性格まで急変するのです。「その一部はヒステリアであるか,または他の現象かもしれないが,しかし,この種の,私には理解できない,あるいは説明のつかない面がある」と彼は述べています。―1974年1月27日のミルウォーキー・ジャーナル。
同じく大英百科事典も,心霊現象の根源についてはまだ盛んに論議されているが,「この問題に時間と注意を投入している人びとの間では,現象のあるものは本物だということに全部の人の意見が一致している」と述べています。知られていない力の存在する証拠が非常に大きいので,アメリカでは現在200人の科学者が同様の研究をしていますが,一部の科学者は政府の補助金を得てそれを行なっています。
しかし,真実性が高まっていれば,秘術は,あなたやあなたのご家族にとって,調べてみてさしつかえのない分野でしょうか。そうではありません。ちゅうちょすべき確かな理由があります。それは聖書が述べていることです。聖書だけが,秘術の現象について満足のいく説明をしています。次の記事はそのことを取り上げています。
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秘術の背後にあるほんとうの力ものみの塔 1974 | 9月1日
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秘術の背後にあるほんとうの力
聖書は,秘術の背後にあるほんとうの力とその目的とを明らかにしています。聖書のどこを見ても,この問題にかんする不確かな理論は全く見あたりません。聖書は事実を明確に述べ,すべての秘術に断固反対の立場を取っています。他の古代の宗教書はすべて,秘術の基礎を置いてそれを許すか,または秘術を奨励するかのどちらかでした。
事実,昔の人びとのほとんど全部が,秘術と深い関係をもっていたことは,歴史が証明するところです。しかし,ひとつの国民は,秘術を避ける宗教を持っていたことで知られています。それは聖書に出てくる古代ヘブライ人です。なぜでしょうか。
ヘブライ人の宗教は,他の宗教とちがい,未知のものについての迷信に影響されていませんでした。彼らの宗教は事実を知っているかたから彼らに与えられたものでした。そしてそのかたは,秘術の背後にある力は自分の力でないことを明らかにされました。神は預言者モーセを通して彼らにこう言われました。『かの国々の民は邪法師うらない師などに聴くことをなせり されど汝には汝の神エホバしかすることを許したまわず』― 申命 18:14。
神ははっきりしたことばで,彼らが避けなければならない行ないを詳細に述べられました。『なんじらのうちに……うらないする者 邪法を行なう者 まじないする者 魔術を使う者 法印を結ぶ者 くちよせする者 かんなぎの業をなす者 死人にとうことをする者あるべからず すべてこれらのことをなす者はエホバこれを憎みたまう』― 申命 18:10-12。レビ 19:26,31; 20:6,27。イザヤ 8:19とくらべてください。
秘術の背後にある力
西暦47年ごろキプロスの執政官代理であったローマの官吏セルギオ・パウロと関係のあるひとつの経験は,この問題に光を投げかけます。聖書は彼のことを「そう明な人」と述べています。彼は真理を求めていました。そこで,使徒パウロとしても知られていたローマ市民,タルソのサウロに,神とキリスト教とについて話すように言いました。しかし,エルマという名の「呪術者」,つまり魔法使いがその場にいて,パウロに反対しはじめました。それは,パウロの伝える音信が,執政官代理に対するエルマ自身の影響力を弱め,秘術を行なう力を持つがゆえに得ている評判に傷がつくことを知っていたからにちがいありません。
パウロはエルマの方に向き,秘術を行なう彼の力の背後にある者を明示してこう言いました。「悪魔の子,すべての正義の敵よ,あなたは,主のまっすぐな道を曲げつづけるのか」。(使徒 13:6-10,カトリック,バルバロ訳)使徒パウロは,「悪魔」,すなわち邪悪な霊者を,この魔法使いの黒幕として指摘しました。ある人びとにとって,そのような者の存在を信じるのはむずかしいかもしれません。
しかし彼の存在にかんしては,目撃者の証言があります。主イエス・キリストは,霊の領域からこられました。そしてご自分の知識から生まれる確信をもって,「サタン」としても知られている「悪魔」について語られました。サタンの生まれにかんしては,イエスはこう説明されました。「その者は……真理のうちにかたく立ちませんでした。真実さが彼のうちになかったからです。……彼は偽り者であり,偽りの父だからです」。(ヨハネ 8:44。ルカ 10:18)ですからこの霊者は,かつては「真理のうち」にありました。しかし,何が「真理」であるかを決定し,それに従うことを要求する神の権威のもとでいらだちを感じた,後日サタンとなったその霊者は,権力と独立に対する欲望に負けて自分の知恵を汚しました。―ヤコブ 1:13,14。エゼキエル 28:13-17とくらべてください。
次にこの「悪魔」は,他の者たちを誘惑して同じような道に引き入れることに着手しました。彼の最初の歴然たる犯行は,神に反抗して偽りを言ったことでした。こうして彼は,彼の物事のやり方の型をつくり,それは現在にまで及んでいます。その偽りによって最初の人間夫婦は死に,悪魔は「その始まりにおいて人殺し」となり,また「偽りの父」となりました。―創世 3:1-5,13。啓示 12:9。
同様に,聖書の歴史は,他の「神の子たち」,すなわちみ使いたちも,神からの独立を選んだことを記録しています。彼らは攻撃に弱い人びとの思いと生活に影響を与える力や,人間と動物に「取りつく」,また人をあざむくために無生物を用いる能力さえ持っています。―マタイ 12:43-45。ルカ 8:27-33。
秘術に関係している人びと自身,危険があることを認めています。「鉄のカーテンの背後における心霊現象に関する発見」という本は,ソ連で行なわれた,ESPおよび他の心霊力にかんする広範囲にわたる研究について報告しています。この種の研究にさえ危険が伴うことを例示し,著者たちはこう述べています。「科学的な面からこの仕事に携わっている人びとだれもが必ず与える警告がひとつある。それは超能力を軽々しく扱ってはいけない,ということである。霊応盤のような簡単なものを扱う時にさえ危険がある。われわれはそれが及ぼす影響をいくつか見た。
なぜ危険なのでしょうか。秘術の大家と考えられているエト・ワーレンはひとつの理由をあげています。「霊応盤」を使うこと,降霊術の会を開くこと,超能力を示す事がらを行なうことなどは……悪霊を招く行為であって,最後にはそれらの悪霊に取りつかれることになる」。
しかし,秘術に多くの不思議な,そして矛盾し合うように思える種類があるのはなぜでしょうか。なぜあるものは明らかに悪く,他のものは良く,さらに他のものは単なる気まぐれの結果なのでしょうか。実際にはひとつの一致した目的があるのです。それを示しているのは聖書だけです。
秘術の目的
さきに述べたとおり,エルマのような秘術者は,悪魔の手先または代理として行動します。そういう者ですから,彼らは「真の宗教にことごとく敵する者……主のまっすぐな道を曲げている」者です。(使徒 13:10)ですからいかに矛盾し合い,異なっていても,秘術の目的はひとつ,すなわち人びとを誘惑して「真の宗教」から引き離し,神の「まっすぐな道」から独立して行動するようにさせることです。
このたくらみの背後に悪魔的な知恵があることは明らかです。人びとは,説明のつかない,「超自然」と思える現象に魅せられます。秘術のいろいろな種類は,異なるタイプの人びとの興味を引きます。ある人びとは,全くの悪魔崇拝,ブーズー教,呪術その他を通して直接悪魔にしたがいます。他の人びとはあざむかれて,占星術や心霊術に神が関係しているものと考えます。科学の好きな人は,超能力や千里眼といった「心霊」力に関心を持つ場合が少なくありません。ほとんどどんなタイプの人にでも,その人に向いたものが何かあります。
しかし,いわゆる「クリスチャン」団体と直接関係のある「いやし」,「異言を語ること」,悪魔を「払う」ことなどのわざはどうですか。これは,神が,イエスとイエスの使徒たちを助けられたのと同じように,サタンのわざをこぼつために彼らとともに働いておられることを示してはいないでしょうか。(ヨハネ 10:37,38。使徒 19:11)イエスは山上の垂訓の中で,聞かれない先にこの質問に答えておられます。
イエスの言われたところによると,多くの人がクリスチャンであると公言しますが,正直な気持ちでそう言うのではありません。彼らは何にもとづいてクリスチャンであることを主張するでしょうか。イエスはこう言われました。「その日,多くの人が私にむかって“主よ,主よ,私たちはあなたの,み名によって預言し,あなたの,み名によって悪魔をおい出し,あなたの,み名によって不思議なことをおこなったではありませんか”というであろう」。しかしそれは彼らが神の霊を持っていること,そしてみ子の真の弟子であることを証明するでしょうか。イエスはつづけてこう言われました。「そのとき私は,はっきりといおう,“私はいまだかつてあなたを知ったことがない,悪を行なうものよ,私をはなれ去れ”」― マタイ 7:15-23,バルバロ訳。
ヘブライ人の間で行なわれた秘術がエホバにとって忌むべきものであったのと同じく,キリストの名前を用いる秘術者たちが,キリストにとって,忌むべきものであることは明らかです。なぜでしょうか。なぜなら,彼らの背後にある力は同じだからです。「真の宗教」から人びとを引き離し,神が非としておられることをするように誘惑するという目的も同じです。
聖書の示すところによると,奇跡を行なう霊の賜物は,新しく設立されたクリスチャン会衆が,真の崇拝を広めるための神の器であることを証明したあと存在しなくなりました。(コリント第一 13:8-11)しかし宗教上の詐欺師たちは,後日,自分たちの活動が正統であるかのような印象を与えるために,そのような「奇跡」を利用するであろうことを聖書は警告しています。「これはめずらしいことではない。サタン自身さえも,光の天使を装うのであるから,悪魔のしもべが正義のしもべを装うのは,不思議ではない」と聖書は述べています。―コリント第二 11:14,15,バルバロ訳。
このことは,たとえば悪魔を払う,または追い出す能力が,必ずしも,その能力を持つと主張する牧師たちを神が支持しておられるしるしでないことを示しています。クリスチャンと称する人びとも,非クリスチャンも等しく,悪魔を払うことができると主張します。カトリック教徒,新教徒,ユダヤ神秘主義者,そしてブーズー教信者でさえそう主張します。神は彼らのうちのだれかの背後におられるのでしょうか。聖書は,「神は,不秩序の神ではなく,平和の神である」と述べています。(コリント第一 14:33,バルバロ訳)神は確かに,反対分子を支持してご自分に不利になるようなことはされません。
また,ほとんどのいわゆる「悪魔払いきとう師」たちの用いる方法そのものが,神から出たものでないことを示しています。イエスはただ命ずるだけで,「一言で悪霊をおい出」すことができました。悪霊たちはイエスの権威を認めて従いました。(マタイ 8:16,29-34,バルバロ訳。マルコ 5:7-13。ルカ 8:28-33)しかしこれら宗教的「悪魔払い祈とう師」たちは,儀式用の魔術の呪文を唱え,特定のことばや宣言を用います。そしてそうしたことばや宣言自体に,悪魔を追い払う力があると考えられています。「リチェアレ・ロマヌム」にのせられている,ローマ・カトリックの悪魔払いの式文は,唱えるのに数時間かかり,また宗教的遺物や他の迷信的な宗教上の道具類を使います。イエスの簡単な命令とは大きな相違です。それにしても,彼らの「悪魔払い」はしばしば効を奏するようです。なぜでしょうか。
聖書の示すところによると,サタンはこれら宗教上の詐欺師たちを支持するために超自然の力を用いて彼らの真実性を確立し,自分自身の目的を推進します。キリストの追随者であることを主張する人びとが神の道に反逆し,しかもその反逆者たちは,キリスト教世界の僧職者たちのように,自分自身の崇拝的誉れを求めることを,クリスチャン使徒パウロは預言しました。それから彼はこう言いました。「サタンは働きを開始するであろう。あらゆる奇跡と,あざむきのしるしや前兆を示すことと,またあらゆるまどわしの悪事があるであろう……彼らは彼らを救いうる真理への愛をとらえないからである」― テサロニケ第二 2:9,10,エルサレム聖書。
パウロが,『あざむきのしるし』の魅力と,『真理への愛』とを対照させていることに注目してください。イエスは,神に祈られたとき,真理の真の源を示し,「あなたのみことばは真理であります」と言われました。神の「ことば」は聖書の中に見いだされます。純粋の「真理への愛」は,生活の中で,そのことばを学ぶことに,また神の「まっすぐな道」から益を受けることに思いを用いるときに育ちます。―ヨハネ 17:17。使徒 13:10,バルバロ訳。
秘術に対する正しい見方
これは秘術に手を出している人たち,あるいは秘術が最近評判になっているためにそれに興味を感じている人たちにとっては,何を意味しますか。それは,そうした事は,好奇心や娯楽の安全な対象でないということです。それらは,悪魔サタンが,明示されている神のご意志に直接反する行ないを人びとにさせるための手段です。
真のクリスチャンは,秘術をもてあそぶようなことはしません。過去において関係していたとしても,現在はそれと関係のあった物をすべて処分しています。(使徒 19:18,19)彼らは,「悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば,彼はあなたから逃げ去ります」という聖書の助言の価値を知っています。―ヤコブ 4:7。
エホバのクリスチャン証人は,この問題にかんする聖書の賢明な助言に長期間従ってきました。そうすることによって彼らは秘術のわなを避けてきました。「クリスチャン」と考えられている住民の間にさえ,ブーズー教や物神が生活のならわしとして残っているアフリカやラテン・アメリカにおいてはとりわけそうでした。彼らは,悪魔払いの神秘な儀式を行なうことによってではなく,神のことばである聖書から真理を他の人びとに教えることによって,悪霊の支配から脱するよう,心の正直な人びとを助けてきました。(エフェソス 6:10-18)秘術を無視することも,またそれを行なうのを許すこともしない神のことばに導かれているので,彼らはパウロと同じように,「わたしたちはサタンにだしぬかれはしない ― わたしたちは彼の意図をよく知っている」と言うことができます。―コリント第二 2:11,エルサレム聖書。
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邪悪な霊の勢力からの解放を得るものみの塔 1974 | 9月1日
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邪悪な霊の勢力からの解放を得る
霊に対する恐れが,多くの人をとりこにしてきました。秘術的な事柄に関係することによって悪霊に悩まされ,不思議な声を聞くようになった人々もいます。また正気を失ってしまった人さえいます。しかし,こうしたものからの救出は可能です。聖書を勉強し,学んだ事柄を当てはめることによって,邪悪な霊の勢力への隷属状態から解放された人が多くいます。
チリの一人のエホバの証人は,治る見込みがないとして出された若い男の人を訪ねました。この証人は,若者がやや理性的な時に出会い,その若者と聖書研究を始めることに成功しました。若者の母親は,息子に関心を持ってくれる人がいることを喜びましたが,すべての方法が試みられたがどれもうまくゆかなかったということを証人に話しました。邪悪な霊の勢力に関する事柄がある研究のさい考慮され,その時若者は,自分が黒魔術に関する本を研究していたことがあり,それがよく効いたことを述べました。証人は,黒魔術が邪悪な力,つまり悪魔サタンの働きであることを説明し,関連する危険について聖書からの証拠を示しました。この若者は,言われたことをすぐに受け入れ,それらの本を焼き捨てました。その日から後,彼はすばらしい進歩を遂げました。ひどい頭痛を訴えることもなくなり,夜も何かの声など全く聞かないで眠れるようになりました。やがて彼は,エホバの証人の集会に出席し始め,聖書から学んだ事柄を他の人にわかつようにもなりました。近所の人々は,この若者の変化にただ目を見張りました。
秘術と関係した品物を捨て去り,自分の生活を神のご意志と一致させた後,同様の有益な変化と解放を経験した人はほかにもいます。アメリカの一婦人は,次のように語っています。「どんな形であれ心霊術に携わるのが聖書の原則に反することを知った私は,秘術や占いと関係のあるすべての本,絵画,遺物などを壊し去りました。するとその後,非常な重みが頭から取り除かれたかのように感じました」。疑う余地はありません。聖書の真理は,もしそれを当てはめるなら,人を邪悪な霊の勢力への奴隷状態から解放することができるのです。
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