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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1974
塔74 6/15 359–360ページ

それは大食ですか

わたしたちの創造者エホバ神は,わたしたちが飲食を楽しむことを望んでおられます。聖書の伝道の書の筆者は霊感のもとにこう記しました。『人の食い飲みし,その労苦によって得たもので心を楽しませるより良い事はない。これもまた神の手から出ることを,わたしは見た』― 伝道 2:24,口語。

飲食物は確かに人間に対する神の賜物ですから,それは神のご意志にそって用いるべきです。エホバ神は,飲み過ぎによって人がその気品を失うことのないように望んでおられますが,それと同じように,人が食べ過ぎて健康を害することのないようにとも望んでおられます。もしエホバ神が,生命を支えるための自然の循環を作用させなかったとすれば,わたしたちはどこからも食物を得られないでしょう。ですからわたしたちは,食物を取るさいに節度を守ることによって,この点に対する正しい認識を示すのです。一方,機会のあるごとに貪欲さに身をゆだね,節度を欠いた食べ過ぎにふける人は,認識の足りない大食家であると言えます。

モーセの律法は,こうした行為がどれほど重大であるかを例示しています。反抗的で飲食に過度にふける息子がいる場合,律法はその息子を死刑に定めていました。(申命 21:19-21)クリスチャン・ギリシャ語聖書の中でも,大食は避けるべきこととして明確に指摘されています。クレタのある詩人は,自分の民の間で大食はごく普通のことであると述べていましたが,使徒パウロはテトスに対し,クリスチャンの監督として任命される人は自制心に欠けた人であってはならない,と忠告しました。―テトス 1:7,8,12。

大食つまり節度を欠いた食べ過ぎを重大な罪とする幾つかの要素があります。貪りの態度で食べ過ぎる人の場合,食物に対するその人の欲望は制御されていません。神の賜物を乱用する権利が自分にないということを全く考慮せず,その人はただ貪欲に食べ物を取ります。ですから,不従順にも節度を欠いて食べふけり自らを大食家とする人は,エホバ神に対する愛を示していません。なぜですか。なぜなら,聖書はこう述べているからです。「そのおきてを守ること,これがすなわち神への愛……です」― ヨハネ第一 5:3。

また節度を欠いた食べ過ぎは,精神と身体の両面で人を怠惰にします。特に,食べ過ぎのために太った人は,ほとんど体を使わずに横になっていることがよくあります。そうした人がとかく身に招く結果を,聖書の箴言は適切にこう述べています。『肉をたしなむ者[大食家,新]は貧しくなり,眠りを貪る者は破れたる衣を着るにいたらん』― 箴 23:21。

節度を欠いた食べ過ぎは健康を損ねることもあります。医学・保健図解百科は,太り過ぎつまり肥満についてこう書いています。

「[肥満は]さまざまな病気を引き起こす要素として以前から認められていた。このことは特に老人および老化過程にある人について言える。肥満した人は概して心臓障害やある種のガン,またすい臓・胆のう・腎臓などの病気にかかりやすい。肝臓や心臓など内臓器官の周囲に脂肪がたまると,そうした器官の本来の機能が直接阻害される危険がある。手術のさいの死亡率は高く,一般に寿命は短い,肥満した人は糖尿病にもかかりやすい」。

しかし,太っている人はみな大食家である,と結論すべきではありません。食事のさいに正しく自制を働かせていても,どこかの腺の機能不全や遺伝子の影響などで太ってしまう人もいます。また食べ物によっても違いが生じます。「食べ過ぎながら栄養不良」という本の次の説明に注意してください。

「体重に注意しなければならない人にいちばんよい食べ物が最も高価な食べ物である一方,廉価な食べ物が普通はカロリー価が高く,蛋白質・ビタミン・無機質に乏しいというのは不幸な事実である。正常な体重と健康を維持するのに必要な肉・野菜・果物などを買う余裕のない人は……非常に多い。そのため,こうした人は必要なカロリー源の大半を安価で澱粉質の多い食べ物に頼り,やがて体が太ってくるだけでなく,最後には栄養不足の状態が生じる」。

ある種の習慣は,体内に十分の食物を取り入れたかどうかを判断するしくみを狂わせます。喫煙の習慣をやめた人は,しばしば自分が太りはじめていることに気づきます。その点を説明してロジャー・J・ウィリアムズ博士は,自著「病気予防の食べ物」の中でこう語っています。「永年にわたる喫煙が平衡機構全体をある程度損うことは考えられる。ゴールドチオグルコーゼを動物に投与すると,制動機構が選択的に損われる。投与を中止すると制動機構は機能を回復する」。

たばこをやめた人に対して同博士は,「長期にわたって摂取する食べ物の質に注意することと,[砂糖のような]カロリーが高いだけで栄養価の少ない食物を避けること」を勧めています。結論として同博士は,確信をこめてこう書いています。「損われた機構を回復させるには,長い期間にわたって良い食べ物を取ることが必要であろう」。

このように,単に外見だけでその人が大食家かどうかを決めることができないのは明らかです。体重の問題には多くの要素が関係しています。また,同じような体格の他の人より幾分体重のあるほうが,ずっと健康に感じる人もいます。また,理想的とされる体重や体格は場所によってかなり異なるという点も記憶しておくことができます。やせてほっそりしている人を健康的で魅力があると考える人がいるかと思えば,他の国では肥えていることを美しさや健康の証拠とします。―詩篇 92篇14節と比べてください。

実際のところ,やせていても太っていても,食べ物について貪欲であるかどうかと大いに関係があるのは,食べ物に対するその人の態度です。食べ物がその人の生活の中で大きな比重を占めていますか。他の人のいるところで,利己的にもそうした人の必要を無視し,自分の分よりずっと多く取りますか。太っていてかなり体重があるのに,食べ物について全く自制せず,いつもいっぱい食べていますか。食べ過ぎて気分が悪くなったり,時には病気になることさえありますか。こうしたことが当然のことのように行なわれているのであれば,明らかに問題があります。その人は自制することを学ぶべきです。

こうした性質の問題を考える場合,クリスチャンは自分の性向について吟味するとよいでしょう。クリスチャンは,食べることを含め,すべての事を神の栄光のためにするようにという,神の命令のもとに置かれています。(コリント第一 10:31)機会のあるごとにいつでも貪り食う傾向のある人は,明らかに神に栄光をもたらしていません。自分の精神的また身体的な力を損っています。自制心に欠けているのを見て,他の人はその人を軽べつし,エホバ神に非難がもたらされます。どうしても暴食の傾向を断とうとしない人が神の民の会衆の中にいることができないのは,こうした理由によります。暴食の傾向は明らかに貪欲と関係しています。そして貪欲は堕落した肉の業の一つです。霊感を受けた使徒パウロは,そうした肉の業にふけっている人々に関してガラテア人にこう書き送りました。「そのような事がらをならわしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません」― ガラテア 5:21。

ですから,クリスチャンは,節度という点で良い模範となれるように励むべきです。そこには,神との関係がかかっているのです。

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