『聖書全体は神の霊感を受けたものであり,有益です』
聖書の第43番めの本 ― ヨハネによる書
筆者: 使徒ヨハネ
書かれた場所: エフェソス,またはその近く
書き終えられた時期: 西暦98年ごろ
含まれている時代: 前書きののち,西暦29年から33年まで
1 聖書は,ヨハネがイエスと親密な交わりを持っていたことをどのように示していますか。
マタイ,マルコ,ルカによる福音書が流布されるようになってからすでに30年以上を経過し,それらは,聖霊による霊感を受けた人々の書き記したものとして一世紀のクリスチャンたちの間で大切にされていました。そして,一世紀の終わりが近づき,イエスとともにいた人々の数が減ってゆくにつれ,このほかにも語られるべきことがあるのではないか,という問いが発せられたことでしょう。自分の記憶からイエスの宣教活動に関する貴重な詳細事項をさらに告げることのできる人がほかにもいたのではないでしょうか。確かにいました。老齢のヨハネはイエスとの交わりという点でとりわけ恵まれていました。明らかに彼は,バプテストのヨハネの弟子のうち神の子羊に最初に紹介された人々の中に入っており,全時間の宣教奉仕に加わるよう主の招きを受けた最初の四人のうちのひとりでした。(ヨハネ 1:35-39。マルコ 1:16-20)彼はイエスの宣教期間中その後もずっとイエスとの親密な交わりを保ち,また,最後の夕食のさいイエスの胸もとに横になっていた,『イエスの愛しておられた』弟子とは彼のことでした。(ヨハネ 13:23。マタイ 17:1。マルコ 5:37; 14:33)彼はイエスの処刑という悲痛な場面にも居合わせ,そのさいイエスは自分の肉の母親の世話を彼に託したのであり,また,イエスがよみがえったという報告について調べるためペテロとともに墓に走ったさい,ペテロより早く走り着いたのも彼でした。―ヨハネ 19:26,27; 20:2,3。
2 ヨハネはその福音書を書く備えと力をどのように得ましたか。彼はそれをどんな目的で書きましたか。
2 ほとんど70年に及ぶ活動的な宣教奉仕を通して熟成し,パトモス島における少し前の孤独な監禁中に得た数々の幻と黙想の結果とを身に満たしたヨハネは,自分の心の中に永年蓄えてきた事がらについて書き記す備えを十分身に着けていました。今,聖霊が彼の思いを活気づけ,人に命を得させる数多くの貴重なことばを思い出させて書き記させました。それは,それを読む個々の人が,『イエスが神の子キリストであることを信じ,また,信じるゆえにその名によって命を持つため』でした。―ヨハネ 20:31。
3,4 (イ)この福音書の正典性,および,(ロ)ヨハネがそれを記したことについて,どのような外面および内面的証拠がありますか。
3 二世紀初めのクリスチャンたちはヨハネをこの記述の筆者として受け入れ,またこの書を,霊感による聖書の異論の余地のない正典の一つとして扱っていました。アレクサンドリアのクレメンス,イレナエウス,テルツリアヌス,オリゲネスなど,二世紀末と三世紀初めの人々もみな,ヨハネがその筆者であることを証言しています。さらに,この書そのものの中にも,ヨハネがその筆者であることを示す内面的証拠が多く見いだされます。その筆者がユダヤの習慣や地理によく通じたユダヤ人であることは明らかです。(ヨハネ 2:6; 4:5; 5:2; 10:22,23)記述に見られるイエスとの親密さは,筆者が使徒のひとりであるだけでなく,特別な場合にもイエスに同行した内部の三人,つまりペテロ,ヤコブ,ヨハネのいずれかであったことを示しています。(マタイ 17:1。マルコ 5:37; 14:33)このうち,ヤコブ(ゼベダイの子)は除かれます。この書が記されるずっと前の西暦44年ごろ,ヘロデ・アグリッパ一世のために殉教の死を遂げているからです。(使徒 12:2)またペテロも除かれます。ペテロは,ヨハネ 21章20-24節でこの書の筆者と並べて言及されているからです。
4 ここに挙げたこの書の結びの数節の中で,筆者は「イエスが愛しておられた」弟子として述べられています。使徒ヨハネの名は一度も言及されてはいませんが,これと同じあるいは類似の表現はこの記録の中に数回用いられています。上記の部分にはその弟子に関するイエスの次のことばが引用されています。「わたしが来るまで彼のとどまることがわたしの意志であるとしても,それがあなたにどんな関係があるでしょうか」。(ヨハネ 21:20,22)これは,ここで言及された弟子がペテロや他の使徒よりずっと長く生き残ることを暗示しています。こうした点のすべては使徒ヨハネと合致します。ヨハネが,イエスの到来に関する「啓示」の幻を与えられたのちに,その注目すべき預言の書を,「アーメン! 来たりませ,主イエスよ」ということばで結んでいるのは興味深い点です。―啓示 22:20。
5 ヨハネはその福音書をいつごろ書いたと信じられていますか。
5 ヨハネの書き記したものそれ自体は明確な情報を与えてはいませんが,ヨハネがその福音書を書いたのはパトモス島での流刑から帰ったのちであると一般に信じられています。(啓示 1:9)西暦96-98年のローマ皇帝ネルヴァは,自分の前任者ドミチアヌスの治世の終わった時に流刑になっていた多くの者を呼び戻しました。ヨハネは,その福音書を西暦98年ごろに書き終えたのちに,トラヤヌス帝の治世の第三年に当たる西暦100年ごろ,エフェソスにおいて平安のうちに死んだものと信じられています。
6 この福音書がパレスチナの外,エフェソスかその近くで書かれたことについてどんな証拠がありますか。
6 エフェソスもしくはその付近がこの書の記された場所であることに関しては,歴史家エウセビオス(西暦260-340年ごろ)がイレナエウスの次のことばを引用しています。「主の弟子であり,主の胸もとにもたれたこともあるヨハネはまた,アジアのエフェソスに住んでいた間に福音書を著わした」。a この書がパレスチナの外で書かれたことは,イエスに敵対した人々が,多くの箇所で,「パリサイ人」とか「祭司長」という言い方ではなく,「ユダヤ人」という一般的な言い方で述べられていることにも裏付けられています。(ヨハネ 1:19; 12:9)また,ガリラヤの海は,そのローマ名であるティベリアの海という名称で説明されています。(6:1; 21:1)ユダヤ人以外の人々のために,ヨハネはユダヤ人の祝祭について役にたつ説明をしています。(6:4; 7:2; 11:55)彼の流刑地パトモスはエフェソスに近く,彼がエフェソスおよび小アジアの他の会衆について知っていたことは,啓示の2,3章に示されています。
7 ライランズ・パピルス457にはどんな意義がありますか。
7 ヨハネ福音書の典拠性と関連があるのは,過去半世紀間になされた写本上の重要な発見です。その一つは,エジプトで発見されたヨハネ福音書の断片であり,現在ライランズ・パピルス457(P52)として知られるものです。それはヨハネ 18:31-33,37,38を含んでおり,英国マンチェスターのジョン・ライランズ図書館に保存されています。その断片と,ヨハネが第一世紀の終わりにその福音書を記したという伝承との関係について,故フレデリック・ケンヨン卿は,その著「聖書と現代科学」1948年版21ページでこう述べました。「それは小さなものであるとはいえ,この福音書の写本が,西暦130-150年ごろに,それの発見されたエジプトの地方部で流布されていたことを証明するに十分である。この書がその初めに書かれた場所からこうして流布するまでの時間を最小に見積っても,この書のまとめられた時期は,一世紀の最後の十年間という伝承上の時期に非常に近づき,その伝承の真実性を疑う理由はもはやない」。
8 (イ)ヨハネ福音書の導入部について注目すべき点はなんですか。(ロ)イエスの宣教期間が3年半であったことについてどんな証拠が与えられていますか。
8 ヨハネの福音書の導入部分は特に注目に価します。その部分は,「ことば」が「初めに神とともにいた」こと,その者を通してすべてのものが存在するようになったことを啓示しています。み父とみ子との間の貴重な関係について知らせたのち,ヨハネはイエスの業と講話についてきわめて優れた描写を始めています。それは特に,いっさいのものを神の偉大な取決めのうちに結合させる緊密な愛という観点でなされています。イエスの地上での生涯に関するこの記述は西暦29年から33年の期間を含んでおり,その宣教期間中にイエスが出席した四度の過ぎ越しについて注意深く言及しています。これは,イエスの宣教が三年半に及んだことを示す一連の証拠の一つとなっています。それらの過ぎ越しのうちの三つについてははっきり過ぎ越しとして言及されています。(ヨハネ 2:13; 6:4; 12:1および13:1)残りの一つについては,ただ「ユダヤ人の祭り」と言及されていますが,それは,文脈から言うと,「収穫が来るまでまだ四か月ある」とイエスが語った少しのちのことです。こうして,その祭りが,収穫の始まるころになされた過ぎ越しであったことが示されます。―4:35; 5:1。
9 ヨハネの福音書が補足的な役割を果たしていることを何が示していますか。しかし,それによってイエスの宣教活動に関するすべての詳細事項が満たされていますか。
9 「ヨハネによる」良いたよりはおおむね補足的な役割を果たしており,他の三つの福音書に述べられていない新しい資料を92%含んでいます。しかしそれでも,ヨハネは次のことばで結んでいます。「実に,イエスの行なわれた事はほかにも多くあるが,仮にそれが事細かに記されるとすれば,世界そのものといえども,その書かれた巻き物を収めることはできないであろうと思う」― ヨハネ 21:25。
ヨハネによる書の内容
10 ヨハネは「ことば」について何を述べていますか。
10 前書き: 「ことば」を紹介する(1:1-18)ヨハネは,初めに「ことばは神とともに」いたこと,また命が彼を通して存在するようになり,彼が「人の光」となったこと,さらにヨハネ(バプテスト)が彼に関する証しをしたことを,美しいほどの簡潔さで述べています。(1:1,4)光は世にいましたが,世は彼を知りませんでした。しかし,彼を受け入れた者たちは神の子どもとなり,神から生まれた者となりました。律法はモーセを通して与えられましたが,「過分の親切と真理とはイエス・キリストを通して存するように」なりました。―1:17。
11 バプテストのヨハネはイエスがどのような者であることを明らかにしますか。ヨハネの弟子たちはイエスをどのような者として受け入れますか。
11 「神の子羊」を人々に紹介する(1:19-51)バプテスマを施す人ヨハネは,自分はキリストではないと告白し,自分のあとに,『自分がそのサンダルの締めひもをほどくにも値しない』かたが来ると語ります。次の日,イエスが自分のほうに近づいて来た時,ヨハネは,イエスが「世の罪を取り去る,神の子羊」であることを明らかにします。(1:27,29)ついで彼は自分の弟子ふたりをイエスに紹介します。そのひとりアンデレは自分の兄弟ペテロをイエスのところに連れて行きます。フィリポとナタナエルも,イエスを,『神の子,イスラエルの王』として受け入れます。―1:49。
(この続きは次号に載せられます)
[脚注]
a キルソプレイク訳「エウセビオスの教会史」,1926年版,V,Viii,4。