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  • エホバの証人はどのような点で異なっていますか
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1975
塔75 1/1 21–23ページ

エホバの証人はどのような点で異なっていますか

人々は一般にエホバの証人を「宗教の一派にすぎない」と見,「根本主義者」のグループとして数えがちです。しかし彼らにとっては名誉なことに,エホバの証人は他のグループよりも自分たちの信仰を,カトリック教徒,プロテスタント,ユダヤ教徒その他あらゆる人々に伝えることに熱心で活動的である,とよく言われます。

彼らの伝道の仕方には確かに違いがあります。しかし一番大きな違いは,エホバの証人が信じ教えていることにあります。

聖書全体を信じるが「根本主義者」ではない

エホバの証人は,聖書(ほとんどの聖書に載せられている,「新旧約聖書」の66冊の本)を神の完全なことばと考えています。しかし,一般に理解されているような意味での「根本主義者」ではありません。聖書に書かれていることは何もかも文字通りに解釈すべきだ,とは彼らは考えません。彼らは平衡のとれた常識的な見方をします。それは確かに聖書に基づいた見方です。聖書には,クリスチャンの生活を支配する律法のように,直接的な,文字通りの意味をもつことばが多い一方,象徴的な,あるいはひゆ的なものも少なくないからです。

一例をあげますと,イエス・キリストの例え話は明らかに象徴的です。聖書の中で用いられているギリシャ語の「例え話」という語は「例え」と訳すことができます。イエスについては次のように述べられています。「実際,[群衆に対しては]例え[例え話]を用いないでは話そうとされなかった。しかし,ご自分の弟子たちに対しては,すべてのことを彼らだけのところで説明されるのであった」― マルコ 4:34。マタイ 13:34。

聖書の預言は多くの場合象徴的です。預言の書であるヨハネへの啓示の冒頭の節は,同書につき,「彼[イエス・キリスト]は自分の使いを送り,その使いを通して,しるしによりそれを自分の奴隷ヨハネに示したのである」と説明しています。(啓示 1:1)どのことばが文字通りの意味をもち,どのことばが象徴的であるかは,このような直接的な声明かあるいは文脈によって容易に見分けられます。

ですからエホバの証人は,根本主義者が信じているような,地球は文字通り六日 ― 各日は24時間 ― のうちに創造されたといった,不合理で非科学的な結論は引き出しません。証人たちは,「日」という表現が基本的には一つの期間を意味することを知っています。たとえばわたしたちは,「祖父の時代(日)には」と言うかもしれません。この「日」には幾年かの年月が包含されているでしょう。聖書はわたしたちがこの点を理解するのを助けてくれます。六日にわたる創造の「日」の間に神が行なわれたことをあらまし説明したあと,それらの事がら全部が一「日」のうちに行なわれたかのように,『エホバ神地と天を造りたまえる日に天地の創造られたるその由来はこれなり』と述べています。したがって,聖書の「日」は,千年であるかもしれず,あるいは何千年という期間であるかもしれません。―創世 2:4。ペテロ第二 3:8。

神の王国は文字通りの政府

エホバの証人とキリスト教世界の教会との著しい相違は,エホバの証人が神の王国を現実の政府として,天から地を確実に支配する実際の政府として認識していることです。それは,『人の心の中』にあって神の意志を行なうよう全人類を徐々に転向させる,といったようなものではありません。預言者ダニエルが神の王国について語ったとき,一つの政府について述べていたことは確かです。『この国は……このもろもろの国を打ち破りてこれを滅せん これは立ちて永遠にいたらん』― ダニエル 2:44。

この王国の神は,「三位一体の」神ではありません。宇宙の主権者はこの神おひとりであって,エホバというみ名を持たれます。(詩 83:18)イエス・キリストは「神格」の一部ではなくてエホバのみ子です。別個の異なった存在です。神が王国の王位におつけになるのはこのみ子です。そしてその王国は,神のご意志が天で行なわれたように地にも行なわれるよう,千年間地を支配します。(啓示 20:4,6。マタイ 6:9,10)キリストの支配はこの地上で死者を復活させることを成し遂げ,従順な人間をすべて向上させて完全に至らせます。―啓示 20:11–21:4。

さらにエホバの証人は,聖書の預言と,預言の成就である急速に変動する世界情勢とから,「異邦人の時」の終わりである西暦1914年に王国政府が天において樹立され,キリストが王位につかれたことを悟っています。(ルカ 21:24)彼らは次のことに気づいています。つまり神は,人々特にキリスト教世界の人々が,神の王国の側に立つことによって安全を見いだすように,この事物の体制の滅びについての警告を聞く機会を彼らに与える時間を許されている,ということです。しかしエホバの証人は,その王国が,聖書の中で「ハルマゲドン」または「アルマゲドン」と結びつけられている戦争において,すべての人間政府を打ち砕くときがいまや非常に近いということを警告しています。―啓示 16:14-16; 19:11-21。エゼキエル 3:17。

生きる道

キリスト教は単なる信仰ではなく,生きる道であるということをエホバの証人は認めています。実際,使徒時代にはキリスト教は「道」と呼ばれていました。(使徒 9:2; 19:9,23; 22:4; 24:22)クリスチャンは,聖書のすぐれた原則をすべてその生活に,家庭で,仕事で四六時中適用しなければなりません。不品行,盗み,中傷,偽教理を教えること,分裂や分派をつくることなどをして神の義のおきてに反することをやめようとせず,この道からはずれたことをする人がいれば,その人はだれであろうと会衆から追放されます。

これと対照させて,キリスト教世界の教会のことを考えてみてください。ほとんどの教会は,男色や麻薬の常用を含め悪いことを行ない続ける人々をも教会内にとどめ,それどころか歓迎することさえあります。しかし証人たちは聖書の命令を無視しません。神の恵みが絶えず会衆の上にあるように,そして会衆の成員を保護するために,会衆を清く保ちます。(コリント第一 5:5,9-13)クリスチャンといえば,あなたは霊的な交わりをもつことのできる,清潔で,品行方正な人たちを期待されませんか。

儀式も,牧師と平信徒の区別もない

エホバの証人の会衆(世界じゅうに3万以上ある)の集会では,儀式はまったく行なわれません。集会は教育を目的としたもので,聖書の研究や聖書についての討論が行なわれます。感情の高ぶりを示すことによって人の心に訴えるのではなく,知性的でありながらも暖かい,人の思いと心を動かす方法が用いられます。会費もしくは税,十分の一献金などはなく,寄付盆が回わされたことも一度もありません。王国会館の維持費は自発的な寄付によってまかなわれます。それらの王国会館は,はでな像などで装飾されたものではなく,きちんと手入れの行き届いた機能的なものです。―コリント第二 8:12-15; 9:6,7。

牧師と平信徒といった区別はありません。人種や社会的地位の別なく,全部の人が「兄弟」であり「姉妹」です。1世紀のクリスチャンたちの場合と同じく,一団の長老が会衆の活動を監督し,全員に霊的援助を与えるべく任命されています。それらの人々は,クリスチャンとしての彼らの円熟性,愛,他の人々に対する関心,および他の人々を進んで助けようとする態度などに基づいて選ばれます。彼らは給料をもらいません。また,他の人々よりも上の地位にある特別の階級であることを示すような宗教的な肩書は何もありません。彼らは,使徒たちがしたように,また会衆の残りの成員がしているように,宣べ伝えるわざや,人々の家庭で教えることに携わります。―テモテ第一 3:1-7。

世に対する態度

キリスト教世界の教会員のほとんどは,政治運動や政治活動に携わりますが,エホバの証人はそうしたものにはいっさい関与しません。イエスがご自分の弟子について言われたように,彼らは『世のものではありません』。彼らはこの世の社会機構や政治機構を変えようとしているのではありません。神が『すべてのものを新しくされる』のを信じて待っているのです。(ヨハネ 15:19。啓示 21:5)エホバの証人は,あらゆる戦争や他の政治問題に対して中立です。そして“デモ”とかストライキ,または扇動的な,あるいは破壊的な活動などを支持することは決してありません。彼らは自分が住んでいる国の法律を守ります。(マタイ 22:21)しかし,神の命令にそむかせてクリスチャンの良心を汚させようとする試みがなされるときには,彼らは「自分の支配者として人間より神に従」う道を選びます。―使徒 5:29。

同様の理由でエホバの証人は,信仰合同運動や世界教会運動に参加することも,そうした運動を後援することもしません。キリスト教世界の教会も,非キリスト教世界の宗教も,その教理や行ないによって自らをこの世の一部としていますから,真の弟子についてのイエスの説明に該当するものではありません。(ヨハネ 17:14-16)そのような宗教は,「大いなるバビロン」と呼ばれる一大宗教「帝国」を形成していることを聖書は示しています。(啓示 17:5,18)これらは,神からの裁きとして,世の支配者たちの手により滅びるでしょう。―啓示 17:15-17。

簡単に言えば,エホバの証人は,聖書に忠実に従うところが違っているのです。この世的な哲学やキリスト教世界の伝統を退けます。もしエホバの証人たちがある人々に「奇異」に見えるなら,それはその人たちが,キリスト教世界の宗教の尺度で証人たちを計っているからです。実際にはこれらの組織自体が,昔のユダヤ教の祭司と同じように,人間の哲学をもって神のことばに変えることにより,神の「見知らぬ者」となったのです。イエスは祭司たちに言われました。「あなたがたは,自分たちの伝統のゆえに神のことばを無にしています」― マタイ 15:6。

今日,キリスト教世界は10億の会員を擁しています。意味深いことにイエス・キリストは,ご自分が王国の権を執って臨在されるときに,クリスチャンと称する人々が少数ではなくて多数イエスに向かって,「主よ,主よ,わたしたちはあなたの名において預言し,あなたの名において悪霊たちを追い出し,あなたの名において強力な業を数多く成し遂げなかったでしょうか」と訴えるであろうと預言されました。彼らはイエスの見知らぬ者になります。イエスは,「わたしはいまだあなたがたを知らない,不法を働く者たちよ,わたしから離れ去れ」と言われるでしょう。―マタイ 7:22,23。

エホバの証人は世のものではありませんが,仲間の人間に愛のある関心をいだいています。神はひとりの人の滅びるのも望まれないということを知っていますから,この事物の体制に残されているわずかの時間は,エホバが忍耐しておられる時であると見ています。そのために緊迫感をいだいて人々に語ります。(ペテロ第二 3:9,15。エゼキエル 33:11)彼らが,人々に聖書を勉強し,生活を聖書の原則に一致させることに全力を傾けるよう,しかもそれを先に延ばさないで今すぐに始めるように勧めているのはそのためです。―ゼパニヤ 2:3。

もしあなたがこの問題の多い危険な時にあってご家族のことを心配しておられるなら,ご自分の家でエホバの証人と聖書を勉強なさってください。またエホバの証人の王国会館で行なわれる集会に出席してください。そうするときにあなたは安全のみならず,より幸福でより平和な,そして目的のある生活を今見いだすことができ,それとともに,将来神の王国のもとで永遠の命を得る希望をもつことができます。―テモテ第一 4:8。

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