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世界展望目ざめよ! 1974 | 6月8日
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者アンブロギオ・バルセクチが信仰をあからさまに否認したと報じている。また,イル・メヅゾギオル紙によると,司祭に叙任されることが決定しているアベザノの一司祭が,儀仗兵を伴ったぜいたくな就座式に反対しているとのことである。同司祭は,そうした儀式を,「なんとか生き延びることと,『名士』の間で良い評判を得ることだけに関心を払っている教会の犯している罪」と呼んでいる。また同司祭は,「福音を売りものにしている」点を激しく非難し,さらにこうも語った。「われわれはもはやクリスチャンではない。いや,これまでにもクリスチャンであったことはないのだろう」。
喫煙の傾向
◆ アメリカ・ガン協会によると,過去10年間に1,000万人のアメリカ人がタバコを飲まなくなった。しかし,喫煙者の数は5,000万人から5,200万人に増えた。しかも,少女を中心とした(12歳から17歳までの)子どもの間の喫煙率が上昇している。皮肉なことに,ラジオとテレビによるタバコの宣伝が禁止されて以来,喫煙率は3%増加した。
輸血による恐怖
◆ ウィースバーデナー・クリール紙によると,昨年ドイツのキール大学付属病院で,輸血によって二人の赤ん坊が梅毒に感染した。梅毒はさらに親にも伝染した。感染源を知らなかったため,これらの家族のうち少なくとも一家族は,家庭が崩壊する憂き目に会った。配偶者は,互いに相手が不忠実になったと非難した。法廷で真実が明らかになったものの,この家族はすでに大きな痛手を被ってしまった。「真実を知ったら恥ずかしくなるようなことを,二人は互いに言い合ったのであろう」と,同紙は報じている。
臓器移植のもたらす,より複雑な併発症
◆ 臓器移植を受けた人のガン罹患率が一般の人の100倍にも達することが最近報じられた。しかし,コロラド大学付属病院のウォルフ・M・キルシ博士によると,脳腫瘍の発生率は「約1,000倍」にもなっている。新しい臓器の拒否反応を抑える抗生体反応療法を長期間続けると,しばしば患者は「病理学的方法」の犠牲者になる,と同博士は語っている。こうした患者が回復する見通しはきわめて暗い」。
農夫が直面する挑戦
◆ 食糧の需要は増えている。またそれとともに,農夫も問題に直面している。その一つは,耕作地の価格が高騰している点である。経済学者C・K・ランダルは,米国農務省が開催した最近の農事予想会議で,農地の実質価格が昨年の11月までの1年間に全国で20%も記録的に上昇したことを示す報告がある,と語った。
農業専門家たちは,作物を改良して,病害に強い新しい品種を作り出そうとしている。しかし,新しい品種の小麦を栽培してテストするには,普通10年以上の歳月を要する。たいていの場合,この期間の半分つまり5年ほどで新品種の作物は病害によって実質的に収穫量が激減してしまう,と報じられている。
“ブラッド・マネー(血の報償金)”
◆ インドの厚生大臣の話によると,世界保健機構は,アメリカの会社10社がインド人の血液を不法に輸入して,年間1億5,000万ドルもの収益をあげている,との報告を発表した。同大臣は,「こうした密貿易を未然に防ぐために,[関係当局が]きわめて慎重な」調査を行なうよう求めた。
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「ヨハネによる書」の内容(つづき)目ざめよ! 1974 | 6月8日
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『聖書全体は神の霊感を受けたものであり,有益です』
「ヨハネによる書」の内容(つづき)
12 (イ)イエスの最初の奇跡はなんですか。(ロ)宣教期間中の最初の過ぎ越しのためにエルサレムに上ったさいイエスは何を行ないますか。
12 奇跡の業はイエスが『神の聖なる者』であることを証明する(ヨハネ 2:1–6:71)イエスはガリラヤのカナで最初の奇跡を行ない,ある婚宴の席で水を最良のぶどう酒に変えます。これはイエスの「しるしの始め」であり,「弟子たちは彼に信仰を持」ちます。(2:11)イエスは過ぎ越しのためにエルサレムに上ります。神殿の中に行商人や両替屋を見つけたイエスはむちを手にし,非常に力強い態度でそれらの者を追い出します。そのため,弟子たちは,「あなたの家に対する熱心がわたしを食いつくすであろう」という預言が成就したことを認めます。(ヨハネ 2:17。詩 69:9)イエスは,神殿としてのご自分の体が崩され,三日のうちに再び建て起こされることを予言します。
13 (イ)イエスは命を得るために何が必要であるとしますか。(ロ)バプテストのヨハネはイエスと自分との関係についてなんと述べますか。
13 恐れの気持ちを持つニコデモは夜にイエスを訪ね,イエスが神から遣わされた者であるとの信仰を言い表わします。イエスは,神の王国に入るために人は水と霊から生まれなければならないことを彼に告げます。天から遣わされた人の子を信じることは命のために必要です。「というのは,神は世を深く愛してご自分の独り子を与え,だれでも彼に信仰を働かせる者が滅ぼされないで,永遠の命を持つようにされたからです」。(3:16)世に到来した光はやみと対立しますが,「真実なことを行なう者は光に来(る)」とイエスは結論します。その時バプテストのヨハネはユダヤにおけるイエスの活動について知り,自分はキリストではないが,「花婿の友人は……花婿の声にひとかたならぬ喜びをいだ(く)」と言明します。(3:21,29)今イエスは増し加わってゆき,ヨハネは減ってゆかねばなりません。
14 イエスはスカルにいたサマリア人の女にどんなことを説明しますか。そこでのイエスの伝道はどのような結果になりますか。
14 イエスは再びガリラヤに向けて旅だちます。その途中,ほこりにまみれ,「旅のためにすっかり疲れ」たイエスは,スカルのヤコブの泉のところに座って休みます。弟子たちは食物を買うために市内に出かけています。それは真昼であり,第六時です。ひとりのサマリア人の女が水をくむために近づいて来ます。イエスは自分に飲ませてほしいと頼みます。そのおり,疲れていたにもかかわらず,イエスは,人を真実にさわやかにし,「霊と真理をもって」神を崇拝する人々に永遠の命を得させる真の「水」について彼女に話しはじめます。弟子たちは戻って来て食事をするように促しますが,イエスは,「わたしの食物とは,わたしを遣わしたかたのご意志を行ない,そのみ業をなし終えることです」と言明します。イエスはその地域に二日余分に滞在し,結果として大ぜいのサマリア人が,「この人こそ確かに世の救い主(である)」と信じるようになります。(4:24,34,42)ガリラヤのカナに着くと,イエスはある貴人の息子を,その病床の近くに行かずしていやします。
15 イエスがエルサレムにいたさい,彼に対してどんな非難がなされますか。イエスは批判者たちにどのように答えますか。
15 イエスはユダヤ人の祭りのために再びエルサレムに上ります。そして,安息日にある不具者をいやしますが,これが非常な批判のあらしを呼びます。イエスはそれに答えて言います,「わたしの父はずっと今まで働いてこられました。ですからわたしも働きつづけるのです」。(5:17)ユダヤ人の指導者たちは今,イエスが,安息日を破ったことに加えて,自分を神と同等にするという冒とくをも犯したと唱えます。イエスは,子は自分からはただ一つの事も行ないえず,全く父に依存している,と答えます。そして,「記念の墓の中にいる者がみな彼の声を聞いて[復活のために]出て来る」という驚嘆すべき発言をします。しかし,信仰のない聴衆に対してイエスはこう語ります。「あなたがたは互いどうしからの栄光を受け入れて,唯一の神からの栄光を求めていないのですから,どうして信じることができるでしょうか」。―5:28,29,44。
16 (イ)イエスは食物と命についてどんなことを教えますか。(ロ)ペテロは使徒たちの確信のほどをどのように表明しますか。
16 イエスが5つのパンと二匹の魚で五千人の人を養うという奇跡を行なうと,群衆は彼をとらえて王とすることを考えますが,イエスは山の中に退きます。のちにイエスは,「滅びる食物」を追い求めたことで群衆を戒めます。むしろ彼らは,「永遠の命へとながく続く食物のために」働くべきです。またイエスは,彼を神の子と認めて信仰を働かせることが命のパンにあずかることであると指摘し,さらにこう付け加えます。「人の子の肉を食べず,その血を飲まないかぎり,あなたがたは自分のうちに命を持てません」。これを聞いて,イエスの弟子のうち多くの者が感情を害してイエスのもとを離れます。イエスは十二使徒に,「あなたがたも去って行きたいと思っているわけではないでしょう」と尋ねます。それに対してペテロは答えます,「主よ,わたしたちはだれのところに行けばよいというのでしょう。あなたこそ永遠の命のことばを持っておられます。そしてわたしたちは,あなたが神の聖なるかたであることを信じかつ知るようになったのです」。(6:27,53,67-69)しかしイエスは,ユダがイエスを裏切ることを知っておられ,彼らのうちのひとりは中傷する者である,と語ります。
17 幕屋の祭りのさいイエスが神殿で行なった教えはどのような影響を与えますか。
17 「光」はやみと対立する(7:1–12:50)イエスはひそかにエルサレムに上り,幕屋の祭りが半ば終わったところで姿を現わし,神殿において公然と民を教えます。民は,彼がほんとうにキリストであろうかと論じ合います。イエスは彼らに告げます,「わたしは自分の考えで来たのではなく,わたしを遣わしたかたが実在しておられ……そのかたがわたしを遣わされたのです」。別の時,イエスは群衆に向かってこう叫びます。「だれでも渇いた人がいるなら,わたしのところに来て飲みなさい」。イエスを捕縛するために遣わされて来た下役たちはむなし手で帰り,「あのように話した人はいまだかつてありません」と祭司たちに報告します。激怒したパリサイ人たちは,支配者たちの中で彼を信じた者はなく,ガリラヤから預言者が起こされることもない,と答えます。―7:28,29,37,46。
18 ユダヤ人はイエスに対してどんな異論を唱えますか。イエスはそれにどのように答えますか。
18 その後の話の中で,イエスは,「わたしは世の光です」と語ります。イエスは偽りの証人であり,庶出の子であり,サマリア人で,悪霊に取りつかれている,という悪意の非難に対して,イエスは次の強力な答えをします。「わたしが自分に栄光を付すのであれば,わたしの栄光は空しいものです。わたしに栄光を与えてくださるのはわたしの父(です)」。「アブラハムが存在する前からわたしはいるのです」とイエスが言明した時,ユダヤ人たちは再びイエスの命をねらおうとしますが成功しません。(8:12,54,58)意図をくじかれた彼らは,のちに,イエスが奇跡によって視力を回復させた男を取り調べ,その男を追放します。
19 (イ)イエスは自分と父との関係,および羊に対する自分の配慮についてどのように述べますか。(ロ)ユダヤ人が脅しをもって臨んだ時イエスはそれにどのように答えますか。
19 イエスは再びユダヤ人たちに話します。この度は,自分の羊をその名で呼び,『彼らが命を満ちあふれるほど豊かに得るため』羊のために自分の魂をなげうつりっぱな羊飼いに関してです。そして,「わたしにはほかの羊がいますが,それらはこの囲いのものではありません。それらもわたしは連れて来なければならず,彼らはわたしの声を聴き,一つの群れ,ひとりの羊飼いとなる」と語ります。(10:10,16)またイエスは,だれも羊をみ父の手から奪い取れないこと,そして,イエスと父とは一つであることについてユダヤ人たちに話します。再び彼らはイエスを石打ちにして殺そうとします。冒とくであるとの非難に対して,イエスは,詩篇の中で(82:6),地上のある強大な者たちが「神」と呼ばれていることについて彼らに思い出させます。イエスはただ,自分を神の子と呼んでいるのです。少なくともイエスの業を信じるように,とイエスは語ります。―ヨハネ 10:34。
20 (イ)イエスは次にどんなきわだった奇跡を行ないますか。(ロ)その結果として何がなされますか。
20 エルサレムに近いベタニアから,マリアとマルタの兄弟ラザロが病気であるとの知らせが伝わります。イエスがそこに着くまでに,ラザロは死に,墓に葬られてすでに四日たっています。イエスはそのラザロを生き返らせるという全く驚くべき奇跡を行ない,これによって多くの者がイエスに信仰を持ちます。これはサンヘドリンの特別会合を促すことになり,そこにおいて大祭司カヤファは,イエスが国民のために死ぬべく定められていることについて預言するように動かされます。祭司長とパリサイ人たちがイエスを殺そうとして相談している時,イエスは一時公の場から身を隠します。
21 (イ)イエスがエルサレムに入城すると,民とパリサイ人はこれにどう応じますか。(ロ)イエスは自分の死とその目的をどのような例えで説明しますか。そして,自分のことばを聞く人々に何を促しますか。
21 過ぎ越しの六日前,イエスはエルサレムに上る途中再びベタニアを訪れ,ラザロの家の者たちのもてなしを受けます。ついで,安息日の翌日にあたるニサン九日,若いろばに乗ったイエスは,大群衆の歓呼の中でエルサレムに入城します。すると,パリサイ人たちは,「何一つうまくいっていない。見なさい,世は彼について行ってしまった」と語り合います。イエスは,小麦の種粒の例えをし,永遠の命のための結実を生み出すべく自分が死によって地に植えられなければならないことを示唆します。またイエスは,父に,そのみ名の栄光を示すことを求めます。すると,「わたしはすでにその栄光を示し,さらにまたその栄光を示す」という声が天から聞こえます。イエスは,自分のことばを聞く人々に,やみを避けて光の中を歩むこと,つまり「光の子」となることを促します。やみの勢力が迫って来た時,イエスは,『世に来た光』としてイエスに信仰を置くことを公衆に強く呼びかけます。―12:19,28,36,46。
22 イエスは過ぎ越しの食事のさいにどんな手本と新しいおきてを与えますか。
22 忠実な使徒たちに対するイエスの別れの助言(13:1–16:33)十二使徒といっしょに過ぎ越しの晩さんをしていたさい,イエスは立ち上がり,自分の外衣を脱ぎ,ふき布と,足を洗うたらいとを取って,弟子たちの足を洗いはじめます。ペテロはそれを拒もうとしますが,イエスはペテロも足を洗わねばならないことを告げ,弟子たちがこの謙遜の手本にならうように訓戒します。「奴隷はその主人より偉くはな(い)」からです。イエスは裏切る者について語り,そののちユダを去らせます。ユダが出て行ったのち,イエスは他の使徒たちと親密な話を始めます。「わたしはあなたがたに新しいおきてを与えます。それは,あなたがたが互いに愛し合うことです。つまり,わたしがあなたがたを愛したとおりに,あなたがたも互いを愛することです。あなたがたの間に愛があれば,それによってすべての人は,あなたがたがわたしの弟子であることを知るのです」― 13:16,34,35。
23 慰めのために,イエスはどんな希望および約束された助け手について話しますか。
23 イエスはその重大な局面のためにすばらしい慰めのことばを語ります。弟子たちは神に,そしてイエスに対しても信仰を働かせなければなりません。イエスの父の家には住むところが多くあり,イエスは再び来て弟子たちを自分のところに迎えます。「わたしは道であり,真理であり,命です。わたしを通してでなければ,だれひとり父のもとに来ることはありません」とイエスは語ります。イエスは自分の追随者たちを慰め,信仰を働かせるなら彼らがイエスより大きな業を行なうこと,また,父に栄光が帰せられるため,彼らがイエスの名において求めるものはすべて与えられることについて話します。イエスは彼らに別の助け手,「真理の霊」について約束します。それは彼らにすべてのことを教え,イエスが話したすべての事がらを思い出させます。イエスが去って父のもとに行くことを彼らは喜びとすべきです。「父はわたしより偉大なかただからです」とイエスは語ります。―14:6,17,28。
24 使徒たちとイエスおよび天の父との関係についてイエスはどのように話しますか。彼らに対してどんな祝福が差し伸べられますか。
24 イエスは,自分は真のぶどうの木であり,父はその耕作者であると語ります。そして,弟子たちがイエスと結び付いていることを強く勧め,さらにこう語ります。「あなたがたが多くの実を結びつづけてわたしの弟子であることを示すこと,これによってわたしの父は栄光をお受けになるのです」。(15:8)そして,どうしたら彼らの喜びは満たされるでしょうか。イエスが彼らを愛したとおりに互いを愛することによってです。イエスは彼らを友と呼びます。それはなんと貴重な関係ではありませんか。世はイエスを憎んだと同じように彼らをも憎み,迫害を加えます。しかしイエスは助け手を送ってイエスについて証しをさせ,弟子たちを真理の全体へと案内させます。弟子たちには当座の憂いがあっても,イエスが再び弟子たちに会う時,それは喜びに変わり,その喜びをだれも奪いえません。イエスのことばは弟子たちをなぐさめます。「父ご自身があなたがたに愛情を持っておられるからです。それは,あなたがたがわたしに愛情を持ち,わたしが父の代理として来たことを信じているからです」。そうです,弟子たちは散らされることになるでしょう。しかし,イエスはこう語ります。「あなたがたがわたしによって平安を得るために,わたしはこれらのことを言いました。世にあってあなたがたには患難がありますが,勇気を出しなさい! わたしは世を征服したのです」。―16:27,33。
(この続きは次号に載せられます)
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