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偉大な教え手に聞き従う
教 6章 27–30ページ

6章

ほかの人びとにつかえた偉大な教え手

あなたは,だれかから何かをしてもらったら,うれしく思いませんか。― ほかの人びとも,だれかから何かをしてもらったなら,うれしく思います。わたしたちはだれでもそう思うものです。偉大な教え手はそれを知っておられたので,いつも人のためになることをしておられました。イエスは,『わたしは,つかえられるためではなく,つかえるために来たのです』といわれました。―マタイ伝 20:28。

そこで,この偉大な教え手のようになりたいなら,わたしたちはなにをしなければなりませんか。― わたしたちもほかの人のためになることをしなければなりません。

たしかに,多くの人びとはそうしません。ほんとうをいうと,たいていの人はいつもほかの人につかえてもらいたいと思っています。イエスにしたがう人たちでさえ,そう考えたことがありました。イエスにしたがう人たちはそれぞれ,一ばん重要な人になりたいと思いました。

イエスは,彼らがそのように考えるのはよくないことを知っておられました。そこで,ある日,みんなが集まっていたとき,イエスは彼らがわすれることのできない教訓をおあたえになりました。

人びとがいっしょに食事をしていたとき,イエスは食たくから立ちあがりました。そして,たらいを取って,それに水を入れました。人びとが見まもっていると,イエスはひとりひとりのところに行って腰をかがめ,その足を洗い,手ぬぐいでふきました。ちょっと考えてみてください。もしあなたがそこにいて,イエスに足を洗っていただいたとしたら,どうでしょうか。あなただったら,どう感じたでしょうか。―

イエスに従っていた人たちは,偉大な教え手からそのようにつかえられるのはまちがっていると感じて当惑しました。そのうちのひとりの人は,そうしたいやしいことをイエスにしてもらってはならないと考えたほどです。でも,イエスは,わたしがそうするのはたいせつなことですと言われました。

今日のわたしたちはふつう,たがいの足を洗うことはしません。しかし,イエスが地上におられたころ,そうすることはふつうのことでした。それはなぜかを知っていますか。―

その人たちが住んでいた国では,人びとはす足にサンダルをはいたり,はだしで歩いたりしていましたから,ほこりの多い道を歩くと,足はほこりでよごれました。ですから,むかしは,家に来た人のよごれた足を洗うのは親切な行ないでした。

ところが,この時イエスに従う人びとはだれひとりとしてほかの人の足を洗おうとはしませんでした。そこでイエスご自身がそのことをされたのです。こうして,イエスはご自分に従う人びとに大切な教訓をおあたえになりました。それらの人たちは教訓を学ばなければなりませんでした。そして今日のわたしたちもその教訓を学ばなければなりません。

それはどんな教訓でしたか。― イエスはふたたび食たくにおつきになると,こうお話しされました。『わたしがあなたがたにしたことがわかりますか。あなたがたはわたしを「先生」とか「主」とか呼んでいますが,それは正しいことです。あなたがたの先生であり,主であるわたしが,あなたがたの足を洗ったのですから,あなたがたはたがいの足を洗わなければなりません』― ヨハネ伝 13:2-14。

ここで,偉大な教え手は,ご自分に従う人びとがたがいにつかえあってほしいと言われたのです。彼らは自分のことだけを考えてはなりませんでした。また,自分はたいへん重要な人間だから,ほかの人からいつもつかえてもらうべきだと思ってはなりませんでした。イエスが望んでおられたのはそのことでした。イエスは,ご自分に従う人びとが喜んでほかの人びとにつかえてほしいと考えておられたのです。

それはすばらしい教訓ではありませんでしたか。― あなたも偉大な教え手のようになって,ほかの人びとにつかえますか。― わたしたちはだれでも,ほかの人のためになることを行なえます。

ほかの人につかえるのはむずかしいとこではありません。よく注意して見ると,あなたがほかの人のためにしてあげられることはたくさんあります。

さあ,考えてごらんなさい。あなたは,なにかおかあさんのお手つだいをすることはできませんか。おかあさんはあなたや家族のためにたくさんの仕事をしてくださいますね。あなたはおかあさんのお手つだいができますか。― おかあさんにたずねてみてはどうですか。―

食事の前に,食卓にはしや茶わんをならべることができるかもしれません。または,食事のあと,よごれた食器をかたずけることができるかもしれません。ゴミばこを毎日家の外に出す子もいます。あなたができることはどんなことでも,イエスがなさったように,ほかの人のためになるのです。

あなたには弟や妹がいますか。もしいるならば,弟や妹にもつかえることができます。― 偉大な教え手であられるイエスが,ご自分に従う人びとにつかえたことを思いだしてください。弟や妹につかえるなら,あなたはイエスにみならっていることになります。

弟や妹にどんなことをしてあげられますか。― 遊び終わったおもちゃをかたずけるように教えてあげられるでしょう。また弟や妹が,ねる用意をしたりするのを手つだうことができるかもしれません。そうしてあげると,弟や妹は,ちょうどイエスに従った人びとがイエスを愛したように,あなたを愛するようになります。

学校でもほかの人につかえることができます。だれかが本を落としたなら,それをひろってあげるのは親切なことです。黒板をふきましょうかといったり,なにかお手つだいしましょうか,といって先生につかえることもできるでしょう。ほかの人のために戸をあけてあげるのも親切な行ないです。

あなたがなにかをしてあげても,お礼をいわない人がときどきいます。そのために,あなたは良いことをするのをやめてしまいますか。― いいえ,やめてはいけません。多くの人びとはイエスの良いわざに感謝しませんでした。それでもイエスは良いことをするのをおやめになりませんでした。

ですから,ためらわずに,ほかの人びとにつかえてください。イエスのもはんにいつも従うようにしましょう。

(ほかの人びとを助けることを述べた聖句として,さらにロマ書 15:1,2; 箴言 3:27,28; ガラテヤ書 6:2を読んでください。)

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