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目ざめよ! 1974
目74 9/22 13–15ページ

興奮させるものに対する渇望

「胸がわくわくします!」 発明家には発明家を興奮させるものがあります。無線電信や電話の発明によって人々が興奮させられたことが歴史の記録に載せられています。傑出した芸術にはそれがオペラや交響曲,絵画や彫刻であれ,人を興奮させるものがあります。グランドキャニオン,ビクトリア瀑布,スイスのアルプスなどの創造の驚異を見る場合も同様です。

しかし,興奮させるものには,それなりのふさわしい位置があるので,そのふさわしい位置にそれをとどめておかなければなりません。それはともすると手に負えなくなり,釣合いの取れた見方を失って,自分自身に害を招く恐れがあります。また,それが圧到的な渇望を,しかも悪い事がらに対するそうした渇望を引き起こす場合もあります。高潔なものに対する渇望はなんら悪い事ではありませんが,むしろ往々にして不健全で利己的な欲望が引き起こされるものなのです。そのようなわけで聖書は,隣人の所有物に対して利己的な渇望をいだくことを禁じており,また邪悪な者のいだく渇望についても述べています。―申命 5:21。詩 140:8。箴 10:3,新。

スピードのもたらす興奮

興奮させるものに対する渇望を充足させようとして現代の若者の多くが試みている方法の一つは,無謀なスピードで車を運転することです。この種の娯楽が非常な人気を得てきたためそうしたスポーツを専門に扱ったホットロッド[改造高速自動車の意]という題名の雑誌が出るようになりました。高速で地面を走ればスリルを感ずるのは確かですが,命の危険を冒してまで,そうした興奮を味わう価値があるでしょうか。若い人たちの払う保険料が最も高いのはなぜでしょうか。それは必ずしも若い人々が技術に乏しいからではなく,興奮を渇望するあまり,あまりにも多くの若者が愚かな冒険を冒すからです。その結果,たいてい事故を起こしたり,死亡したりします。

スピードと,危険に伴う興奮を味わいたいというこうした欲があるために大ぜいの人々が自動車レースを見物するのです。そうした観客もまた,しばしば重大な事故のために負傷します。

他のスポーツ競技

自動車レースは,興奮させるものに対する渇望を充足させるために人々が群れをなして集まる数多くのスポーツ競技の一つにすぎません。多くの人々に魅力のある闘牛やオリンピックは別にしても,ほかにはボクシングやレスリング,テニスやフットボール,バスケットボールや野球などがあります。しかも,そうした試合をテレビで見る人の数は,実際の観客数の何倍にも達します。

スイスのある大学と関係している西ドイツの一社会学者は,こうしたスポーツ競技の記者に関して次のように述べました。「それらスポーツ記者は競技に関する報道を操作して,人々の感情をたかぶらせ,選手や観客を熱狂させ,競技場を戦場に一変させている」。そして,こう警告しました。「マスメディアが選手や観客の感情をたかぶらせることに成功すればするほど,反目し合う攻撃的な反応が両者の間に生じる危険はいっそう大きくなる」―「スポーツ画報」1973年10月1日号。

賭博熱

賭博は世界じゅうで行なわれており,その歴史は何千年もの昔にまでさかのぼります。賭博に手を出している多くの人々は賭博をする理由として,お金がほしいとか,その他さまざまの理由を挙げますが,賭博をしている人々の大半は実際には,賭博をする時に経験する“奇妙な緊張感”と呼ばれるものを求めているのです。そうです,「この奇妙なスリルに対する渇望は,勝ちたいという欲望をしばしば忘れさせてしまう」と伝えられています。事実,(カリフォルニア州ポモーナ大学のR・D・ヘルマン編集の)「賭博」という本にはこう書かれています。「頭の切れる賭博師ほど賭博をする動機として理屈にあわない事がらを強調する。つまり,スリルがその要素となっている」。「スリル」とは,興奮を意味する別の語にすぎません。

しかも,なんという苦い実を刈り取っているのでしょう。賭博による損失の穴埋めをするために,銀行預金や,勤め先の会社の公金を横領したり,賭博で負けて借金をかかえ込んだため,暗黒街の連中に負い目を負わされる破目に会う公務員もいます。そして,時にはそうした負債のために殺されたり,自殺したりして命が失われる場合さえあります。ビンゴのように何の害もないように思えるゲームでさえ,あまりにも多くの主婦がビンゴに夢中になっていることからすれば,それは莫大な時間とお金の浪費であると言えます。聖書の中で指摘されている人たちと同様それらの人々は,全能の神を無視して「禍福」の神に机をそなえて供え物をささげているのです。―イザヤ 65:11。

麻薬に頼る

多くの若者を含めて,他の人々は興奮させるものとして麻薬に頼っています。初めのうちはマリファナを使用して快感を味わい,やがていっそう強烈な興奮を渇望するようになって,もっと強い麻薬を用いるようになります。ロックンロールの歌手や演奏者の中には麻薬を使用して,興奮した状態を作り出そうとしたり,他の人々に麻薬を勧めたりする人が少なくありません。その結果,体も思いも品行も損われてしまいます。

それに,麻薬中毒者は興奮に対する渇望を充足させるために,なんと恐ろしい代価を払うのでしょう。麻薬中毒者は麻薬類の奴隷になり,通行人を襲ったり強盗を働いたりするようになることも少なくありませんし,女性の場合には万引や売春行為をするようにさえなります。ロックンロールで有名なローリング・ストーンズのジミー・ヘンドリックス,ジャニス・ジョプリンやブライアン・ジョーンズは,麻薬中毒のために命を失いました。聖書は「罪の奴隷」となっている人のことを述べていますが,強い麻薬に“中毒して”いる人は,確かにあわれな奴隷と言えます。―ローマ 6:16。

人を興奮させる,神の律法を破る行為

古代ローマでは,興奮させるものを渇望する大衆の欲求を充足させるため,剣闘士による血みどろの戦いが行なわれました。そして今日では,実に大ぜいの人々が同様に,身の毛のよだつような,ショッキングな恐しい事を見聞きしたがっています。映画やテレビでは,興奮させるものを渇望する視聴者の欲求を充足させたいばっかりに,暴力が称賛され,人殺しや強姦を犯す者たちが英雄に祭り上げられています。

人々はまた,倫理や道徳律を破る行為に興奮させるものを見いだしています。たとえば,何かがほしいとか必要だからといって盗むのではなく,品物を盗んで,処罰されないようにうまく切り抜ける時の“刺激”つまり興奮を味わうため常習的に万引をする女性がいます。禁じられている行為を追求することには確かに興奮がつきものです。禁じられているという事自体が多くの人にそうした行為を望ましいものと感じさせるのです。

不倫な性関係の持つ魅力はその典型的なものです。不倫な性関係はそこに関係する事がらのゆえに,またそれがもたらす恐れのある事がらはもとより,予想される強烈な利己的な喜びのゆえに,人に興奮を味わわさせることを約束するものとなります。それで,独身者あるいは既婚者を問わず,不道徳をもて遊ぶ人は,淫行や姦淫を犯すようになります。興奮させるものを求めるこうした渇望にかられて,不自然な,あるいは倒錯した行為にふける人もいます。ですからクリスチャンの婦人の中には,夫が肛門交接や口腔交接を一緒にするよう夫から要求されて困ると言ってこぼす人もいます。言うまでもなく,倒錯した不自然な行為は,愛や愛情や優しさを互いに表現するということからはかけ離れた行為です。そうした肉欲的な行為すべては,神のみことば聖書の中で繰り返し禁じられています。―ローマ 1:24-32。ヤコブ 4:1,3。

ロック音楽

また,興奮を渇望する若者たちの欲求を充足させる点でロック音楽の果たす役割を見過ごすことはできません。1973年5月13日付のニューヨーク・サンデー・ニューズ紙が報じたとおり,ロック音楽は「暴力と性と騒音の……汚れた三位一体」です。別の記者はそれを次のように述べています。「絶え間ない激しい演奏,思考の自由奔放さ,圧倒的な音量,この三つがロック音楽を特徴づけている。……ロック音楽は律動的で強烈なビートとあいまって,性的な緊張に近い,肉欲的な興奮状態をつくり出すので,人は動きたくなる,つまり踊りたくなるのである」。あるロック音楽のファンによると,「その大きな音を聞いていると熱狂的な気持ちになり,いっさいのことをみな忘れてしまう」とのことです。

興奮を渇望する聴衆の強い欲求をこうして充足させることについて,ロック音楽のある有名なスターは次のように言いました。「観客を“参らせる”[つまり満足させる]ために,舞台の上でだれかが殺されざるを得なくなるような時がやがて来るだろう。若者たちは,自分たちをいつも興奮させてくれているもの,つまり性と暴力に関心を持っている。それこそ自分たちの好きなものであって,それこそ若者たちは金を払ってでも見ようとするものだ」。こうした音楽で養われていることを考えれば,若い人々の犯罪がおとなの場合以上に急激に増加しているのも不思議ではありません。

興奮させるものに対する渇望に対抗する

一方では人を極端に走らせ,他方では放らつな,あるいは放縦な行ないとなって表われる,興奮させるものに対する渇望は,確かに退けて然るべきものです。では,どのようにしてそうした渇望に対抗できるでしょうか。一つの方法は,問題を冷静に考えることです。正しい判断は,聖書が勧めているとおり,節度を保つよう人を促します。―テモテ第一 3:2,11。

生活の中で人を築き上げる事がらもまた人を興奮させるものとなります。しかも,健全な方法で人を興奮させるのです。このことはエホバのクリスチャン証人の経験にもあてはまります。例えば最近,あるエホバの証人は,ものみの塔協会に一部次のような手紙を寄せました。「私はまた,これまでに読んだ本の中でも最も感動的な出版物を発行するために働いてくださった兄弟たちの皆さんにも感謝したいと思います。……もちろん私は,『神の千年王国は近づいた』と題する本のことを言っています」。

また証人たちは,大会,それも特に大規模な大会に出席するとき,胸がわくわくするのを感じます。同様に,家から家に宣べ伝える業に携わって,義に飢え渇き,神を探し求めている人を見いだす時にも胸がわくわくするのを感じます。また,神の目的に関する新たな真理を学ぶことにもやはり感激します。

そうです,生まれつきのままの人間に訴える事がらだけでなく,霊的な事がらもまた,人を興奮させる喜びをもたらし得るのです。しかも,そうした霊的な事がらは,単に一時的な祝福をもたらすだけでなく,悔恨の念をいだかせることのない永遠の祝福をも約束するものなのです。―箴 10:22。

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