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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1976
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人生の目的は何ですか

「わたしは日の下で人が行うすべてのわざを見たが,みな空であって風を捕えるようである」。(伝道 1:14,口)これは世をすねた人の言葉ではありません。霊感を受けた聖書の筆者のひとりであり,不完全な状態の下での人生を現実的に評価した人の口から出た言葉です。この筆者すなわち賢人ソロモン王が見取った事柄を調べるならば,わたしたちの人生を「空」なものとしないためにはどうしたらよいかを知るうえに助けとなります。

知識を得ることに没頭した生活を送る人がいます。しかし単に知識のための知識を得る事は,人生に意義を与えるものとなりますか。そうではありません。なぜなら多くの場合,このような知識に伴って次のような現実が痛切にわかってくるからです。すなわち現在の不完全な体制には悪いことがあまりにも多いので,それを正すのは人間には不可能であるという事です。ソロモン王は次のように書きました。「曲ったものは,まっすぐにすることができない,欠けたものは数えることができない」。(伝道 1:15,口)それに事情によっては,人が自分の知識を最善に活用できないこともあるでしょう。

その上,多くの人がしているように物質的な快楽の追求によって人生を楽しもうとする事は,有意義な生き方をするための秘訣ではありません。この点における自分の努力について,ソロモンはこう書きました,「わたしは自分のために家を建て,ぶどう畑を設け,園と庭をつくり,またすべて実のなる木をそこに植え,池をつくって,木のおい茂る林に,そこから水を注がせた……わたしはまた銀と金を集め,王たちと国々の財宝を集めた。またわたしは歌うたう男,歌うたう女を得た。また人の子の楽しみとするそばめを多く得た……なんでもわたしの目の好むものは遠慮せず……拒まなかった」― 伝道 2:4-10,口。

人類史のどの時期を見ても,人間の中でソロモンほどの富と権勢を手にした人はまずいません。しかしおよそ何でも望むものを得たと思われるのに,ソロモンはこうしたものを追い求める事が空しく,満足をもたらさないことを知りました。それはなぜですか。ひとつにはソロモンは自分がいつまでも生きられるものではないことを知っていました。死ねばすべての物は彼にとって損失となるでしょう。ソロモンはこう述べました,「わたしは日の下で労したすべての労苦を憎んだ。わたしの後に来る人にこれを残さなければならないからである。そして,その人が知者であるか,または愚者であるかは,だれが知り得よう。そうであるのに,その人が,日の下でわたしが労し……てなしたすべての労苦をつかさどることになるのだ」― 伝道 2:18,19,口。

同様に世の中で高い地位を得ようと努めても,それは苦い失望に終わることがあります。非常に有能な人が才能をいかす機会に恵まれず,世に認められずに埋もれてしまうのは往々にしてある事です。ソロモン王はその事を悟りました。「愚かな者が高い地位に置かれ……ている。わたしはしもべたる者が馬に乗り,君たる者が奴隷のように徒歩であるくのを見た」。(伝道 10:6,7,口)「必ずしも速い者が競走に勝つのではなく,強い者が戦いに勝つのでもない。また賢い者がパンを得るのでもなく,さとき者が富を得るのでもない。また知識ある者が恵みを得るのでもない。しかし時と災難はすべての人に臨む」― 伝道 9:11,口。

不完全な人間の社会では,能力はある特定の地位を得るにあたって必ずしも決定的な要素ではありません。「肝心なのは何を知っているかではなくて,だれを知っているかである」と,言われています。それで多くの場合こうした事情があるからこそ,非常に有能で人格のすぐれた人でありながら,有能でない管理者のさい配の下でその愚かさに耐えなければならない事態が生じるのです。人格識見のすぐれた人でも敬意を払われることなく,かえって管理職にある人々のせいで他の人の目には愚かと映る場合もあるかもしれません。

不完全な体制の下で行なわれる営みをソロモンが「空」であると断じたのは,物事を誇張したのではありません。地位,財産その他同類のもの ― 物質的な目標の追求は決して満足を与えず,かえって少なからずざ折感を伴います。

では人生の目的はどこにありますか。満足をもたらすものが何かありますか。確かにあります。それは永続する確実な将来に人を導くものを追い求めることです。ソロモン王は空しいものを追い求める営みを概観しつくしてのち,それが何であるかを示しました。彼はこう書いています,「事の帰する所は,すべて言われた。すなわち,神を恐れ,その命令を守れ。これはすべての人の本分である」― 伝道 12:13,口。

そうです,満ち足りた人生の秘訣は霊的な必要を自覚することにあります。ソロモンよりも偉大なかたであるイエス・キリストは,サタン悪魔に抵抗するに際してこの事を指摘されました。イエスはヘブライ語聖書を引用してこう言われたのです,「人はパンだけによらず,エホバの口から出るすべてのことばによって生きなければならない」。(マタイ 4:4)創造者に対して健全な認識を持ち,その戒めに注意を払う時,人は世俗的な知識,地位あるいは物質の持ち物を主要な目標にすることから生まれるざ折感を味わわずにすみます。過ぎ去ってしまうものに心を向けるかわりに,その人は永遠にわたって持続し得る神との関係を築いています。この関係は人の持ち物にはよらず,その人が人間としてどんな人であるかに基づいています。聖書は次のように述べているからです。「人は外の貌を見エホバは心をみるなり」― サムエル前 16:7。

真の神を恐れる人々がかち得たものは,死でさえもそれを取り消すことはできません。なぜですか。なぜなら神の愛から彼らを引き離すことのできるものは何もないからです。クリスチャン使徒パウロはこう書きました,「死も,生も,み使いも,政府も,今あるものも,きたるべきものも,力も,高さも,深さも,またほかのどんな創造物も,わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛からわたしたちを引き離しえないことを,わたしは確信しているからです」。(ローマ 8:38,39)エホバのしもべたちは,たとえ体は死んでいても,エホバの見地からは生きています。エホバは彼らが再び生きるための道を備えられたからです。この理由で詩篇作者は霊感によって次のように語ることができました。「わたしが陰府[墓]に床を設けても,あなたはそこにおられます」― 詩 139:8,口。

ゆえに神の是認されたしもべとして生きることこそ,真に人生を生きる価値のあるものにするという事を認める人は賢明です。人生の最大の目的は,エホバを恐れ,その戒めを守ることによって,命の与え主エホバに誉れを帰することです。あなたはその事に努めておられますか。

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