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    幸福 ― それを見いだす方法
    • 5章

      あなたは生活上の問題に対処できる

      「人生は問題でいっぱいだ」と人々は言います。あなたもそうお考えかもしれません。

      2 金銭上の問題で多くの人は心を悩ませています。例えば,請求書,インフレ,不安定な職業,適当な家を見付けることなどの問題があります。夫婦間の深刻なトラブルや家庭の問題は珍しくありません。多くの若い人々の間では,性,アルコールあるいは麻薬が問題となっています。年配の人々は健康の衰えからくる問題を抱えています。このような事柄すべては有害な感情的緊張やストレスを生みます。

      3 あなたは生活上の問題にどれほどうまく対処しておられますか。うつ病が広まっているというニュースや自殺のニュースは,これらの問題に対処できない人が多いことをはっきりと物語っています。しかし,逆境に面しても平衡を失わない人が大勢います。それはなぜでしょうか。

      4 後者に属する人々は,聖書に記されている人類の創造者の助言により頼むことを学んでいるのです。心理学者であれ,結婚問題のカウンセラーであれ,あるいは新聞の身の上相談の欄の担当者であれ,人生について神ほど知っている人は一人もいません。神は最初の人間を創造されたので,人間の身体や精神や感情のつくりをことごとくご存じです。(詩 100:3。創世 1:27)エホバは,わたしたちの心の中で起きていることや,わたしたちが色々な物事を行なう理由を,短命な人間よりもよく知っておられます。―サムエル前 16:7。

      5 さらに神は,今の世の中でわたしたちが遭遇する諸問題を,わたしたちのだれよりもよくご存じです。ほんの数年などではなく,人類の最初から,エホバは人類の問題を,そのすべてを観察してこられました。聖書には次のように述べられています。「エホバは天から見つめ,すべての人の子をご覧になった。……地に住むすべての者を注視された。神は……そのすべての業を考え計っておられる」。(詩 33:13-15,新)ということは,わたしたちがどんな問題を抱えていようと,それにどう対処すれば成功するか,あるいはしないかを神はご存じだということです。

      6 神は,寛大にも,わたしたちが神の知識と経験から恩恵を得られるようにしてくださっています。聖書には神の助言が記されています。しかもそれは,わたしたちの置かれている境遇や住んでいる場所にかかわりなくわたしたちの必要に適合するように述べられているのです。詩篇 19篇7-11節(新)にはこう書かれています。「エホバの律法は完全で,魂を引き戻す。エホバの諭しは信頼に値し,経験のない者を賢くする」。

      7 人が抱える二つの深刻な問題,つまり,はなはだしいストレスと孤独を克服する上で,それらの諭しがどれほど役立つかを少し考えてみましょう。それらの問題に対する聖書の実際的な助けを考慮したのち,金銭,結婚,麻薬に関係した,他の一般的な問題を調べることにしましょう。

      ストレスにはどのように対処できるか

      8 激しいストレスは経験したことがない,と言う人はまずいません。個人の問題,例えば金銭,家族,性,犯罪に関する問題が増加すればするほど,ストレスは一層強くなります。最近のある新聞の報道によれば,今の時代を一番よく特徴付けているのは,行動の仕方でも,服のスタイルでもなく,「ひどい緊張感」です。

      9 ストレスが寿命を縮めることさえあるということをあなたはご存じでしたか。次の報告に注目してください。

      「『20世紀の殺し屋』と呼ばれているストレスは,主に現代生活の様々な心理的要求に起因する。ストレスから来る身体的な病気のために,毎年少なくとも何千万人という大勢の入院患者や死亡者が出ている」― アフリカのニュース雑誌,トゥー・ザ・ポイント。

      「ストレスが非常に強いときや長期間にわたるときには,体は,皮疹や普通のかぜから心臓発作やガンに至るまでの様々な病気にかかりやすくなる」― アメリカのウォール・ストリート・ジャーナル紙。

      胎児でさえ影響を受けます。夫との不和や失業の恐れなどから,妊娠している女性にストレスが生じると,おなかの子供の身体や精神や感情に障害をきたすことがあるのです。

      10 ストレスは,また,他の様々な問題を生むので有害です。ストレスのために欠勤することが多くなり,したがって金銭的な問題が増えるということはよくあることです。また,ストレスは暴力を生みます。それは,夫婦の間にさえ生じます。ある夫は次のように書いています。

      「わたしの緊張といら立ちは日増しに大きくなります。人さえ見ればあたりちらしたい気持ちです。その犠牲になるのは大抵妻です。わたしは前後不覚になるまで酔っ払ってしまいたいような気持ちですが,そんなことはなんの益にもなりません」。

      11 ある程度のストレスを感じるのは正常で,必ずしも悪いとはかぎりません。朝起きる時にも野球の熱戦を見る時にも,ストレスはあります。有害なのは激しい,長期間にわたるストレス(もしくは苦しみ)です。むろん,自分にかかってくる圧力の中には,他の人々や自分の生活の事情が関係していて避けられそうに思えないものも少なくないことでしょう。それにしても,有害なストレスをなんとかする方法はないものでしょうか。ストレスをよりよく処理できるなら,健康に影響するような他の問題を減らすことができるかもしれません。

      12 かつて存在した最も偉大な教師の一人として世界的に認められている人,イエス・キリストは,ストレスに対処する秘けつを教えてくださいました。神の戒めの中で最も大切な戒めは何かと尋ねられた時,イエスはこうお答えになりました。『あなたは,心をこめ,魂をこめ,思いをこめてエホバを愛さねばならない。そして,あなたは隣人を自分自身のように愛さねばならない』。(マタイ 22:37-39)この言葉を実行するのです。そうすればストレスに対処するのが容易になります。

      13 例えば,配偶者や親族に対して親切にするなら,平和な関係が促進されることはまず間違いありません。温かく幸福な雰囲気が生まれ,緊張は弱まります。確かに,聖書のこの助言に従えば,ストレスを緩和する上ではっきりした結果が得られます。

      14 そうなるのは家族の場合だけではありません。自分にして欲しいと思うとおりに人にも同じようにするという『黄金律』を含め,愛を示すようにという聖書の助言を実行するなら,他の人から一層好かれるようになります。(ルカ 6:31)そのことは職場や学校や地域社会において実際に起きています。いくらかの衝突はあるにしても,それが少なくなることは確かです。その結果,ストレスを感じることが少なくなることは容易に理解できます。

      15 ストレスを緩和し,それに対処する上で聖書の勧めが役立つことは科学者の間でも認められています。ストレスの影響に関する一流の権威者の一人であるハンス・セリエ教授(モントリオール大学)は,次のように助言しています。

      「ストレスに対処するには,麻薬その他に頼るよりもほかにもっと良い方法があると思う。それは,生活の中で起きてくる様々な出来事に対する態度を変えることである」。

      セリエ教授は,「人々が生活の規準となし得る行動哲学」の必要と,その哲学が,「いかなる発見よりも人類一般に多くの益をもたらす」ということを強調しました。40年間ストレスを研究した末,その根本的な解決策は結局愛にあると言うのです。

      16 聖書の勧めに従って愛を示すことが,日々の生活においても非常に実際的であるのはなぜでしょうか。なぜ効果があるのでしょうか。セリエ博士はこう語っています。

      「ストレスの有無の原因となる二つの大きな感情は愛と憎しみである。聖書はこのことを繰り返し強調している。それはわたしたちが,生来持っている利己心をどうにかして改めなければ,他の人に恐れや憎しみを抱かせるということである。……人に憎まれるのではなく愛されるようにすればするほど,自分自身安全であり,ストレスも少なくなる」。

      17 ストレスを生じさせる別の原因は怒りです。だれでも時には怒ります。そのことは聖書も認めています。しかし聖書はこう助言しています。「怒ることに遅い人は力ある者に勝り,自分の霊を制している人は都市を攻め取る者に勝る」。(箴 16:32,新。エフェソス 4:26)したがって,神の忠告は,怒るとしてもかんしゃくを起こすとか,『かっとなること』のないようにということです。その忠告を無視する人は,ひどい言葉を口走ったり,暴力を振るったりすることがよくあります。その結果,時には体を害したり,人に悪く思われるようになってストレスが長く続きます。ですから,怒りに関する聖書の賢明かつ実際的な助言に従えば従うほど,ストレスに対処することはやさしくなります。

      18 もう一つ例を挙げるなら,聖書は変化に富む,平衡の取れた生活を奨励することによって,わたしたちがストレスを少なくするよう助けてくれます。いつも猛烈に働いている人がいるかと思えば,めったに働かない人もいます。いつもまじめな人がいるかと思えば,まじめになったことのない人もいます。そのような極端は十中八九問題を引き起こし,ストレスを生む結果になります。しかし,伝道之書 3章1-8節の言葉を読むと,神は,あらゆる活動には時があると述べておられます。聖書は,生活に対するもっと平衡の取れた,そして現実的な見方を示しています。労働は怠惰の反対ですから良いことです。聖書は,いくらかくつろいで労働の実を楽しむことも勧めています。(伝道 3:12,13; 10:18。箴 6:9-11)しばらくの間,人生の意味や人生をいかに生きるべきかなどをまじめに考えることはためになります。しかし,家族や友人と共にくつろぐのも価値のあることです。平衡に関する聖書の助言にどれほど従うかによって,ストレスの問題はずっと少なくなることでしょう。

      孤独の苦しみに対処する

      19 トロントに住むヘンリー・レヘルというソーシャルワーカーは,「孤独感は万人に共通のものである。通りを歩いている人をだれでもいいから呼び止めて,『あなたの孤独感について話してください』と言うなら,その人はとめどもなく話し続けるだろう」と言いました。5万2,000人を対象に行なわれたある世論調査で,40%余りの人は,「寂しさを感じることがよくある」と答えました。孤独感は,ほとんどの場合,不安を生み,幸福を損なっていました。孤独感はまた人を選ばないので,老若男女を問わずだれでも襲われます。やもめのように独りで暮らしている人を孤独な人の典型と考えがちですが,一番寂しい思いをしている人の中には,心の通わない結婚生活を送っている人もいます。

      20 不倫な関係によって寂しさを締め出そうとしたり,アルコールで孤独感を紛らわそうとしたり,あるいはむやみに物を食べて寂しさを忘れようとしたりする人は少なくありません。それでも原因はなくなりません。その要因の一つは大都市の発達です。大都市では,人々に囲まれてはいても非常に孤独を感じることがあります。結婚の破綻も問題を大きくしています。テレビでさえ,会話を閉ざして,人をさらに孤独にしているように思われます。

      21 孤独感を克服するにはどうすればよいでしょうか。問題を簡単にするつもりはありませんが,聖書は孤独によりよく対処する上でだれにでも役立つと言えるでしょう。なぜ聖書は役に立つのでしょうか。一つには,孤独感は多くの場合,抑うつ状態や自尊心の欠如を招きます。創造者との良い関係を培うことは,そのような人が元気を取り戻すのに役立ちます。神が自分に関心を持っていてくださるということを認識すると,自信が持てるようになり,人生に対してずっと積極的な見方ができるようになります。(マタイ 18:10)聖書はさらに,孤独感を解消する上で役立つ生き方の大要をクリスチャンのために述べています。

      22 寂しい人はよく,「忙しくしていなさい」と言われます。それもある程度良いことですが,聖書はもっと現実的で実際的な助言を与えています。その助言がクリスチャンたちに勧めているのは,人のためになることを活発に行なうことです。そうすることは幸福を生み出します。(使徒 20:35)ドルカスの場合はその一例です。この婦人は他のクリスチャン,特にやもめたちのために着る物を作ることに時間を用いました。その努力は彼女たちを物質面で援助することになりましたが,孤独感を克服する助けにもなったことでしょう。その上にドルカス自身も人々から愛され,孤独を感じなかったに違いありません。ドルカスについては使徒 9章36節から42節をお読みください。

      23 多くのクリスチャンにとって以前から非常に報いのある活動となっているのは,他の人が神と聖書について学ぶのを援助することです。事実,使徒パウロは,そのことをより多く行なう自由があることは独身の人の一つの利点であると述べています。独身者にとってもその活動が孤独感を克服する上で役立つことは言うまでもありません。(コリント第一 7:32-35)パウロ自身がその代表的な例です。使徒 17章1-14節を読むなら,パウロが,特に激しい反対に遭ってもたゆむことなく,テサロニケ市で多くの人を援助することに専念した様子がうかがえます。そして,その結果として,テサロニケ第一 2章8節に述べられているように,パウロとその人たちとの間に親愛の情が生まれたことに注目してください。他の人に聖書を教えることに励むのがどれほど報いのあることかを証言できるエホバの証人は今日幾十万もいます。

      24 また,エホバの証人は多くのグループに分かれて定期的に集まり,聖書を学びます。学んでいる間に,温かいクリスチャンの交わりを楽しむのです。多くの都市生活者が知っている通り,確かに,人々に囲まれているということ自体は孤独の問題の解決にはなりません。しかし,そうした集会に出席する人々は,他の人に純粋の関心を示すようにという聖書の勧めを真剣に実行しようとしているクリスチャンに囲まれているのです。(フィリピ 2:4)集会は励ましの多い楽しい時です。出席者は神への短い祈りに加わりますが,その祈りは,自分が決して独りでないことに気付かせてくれる,と多くの人は考えています。(ヨハネ 16:32)あなたもぜひエホバの証人の集会に出席してください。そうすれば,大勢の人が聖書の助言に従うことによって,孤独の問題や,金銭あるいは家族の関係した問題に対処する点でどれほど助けられているかを,ご自分の目で見ることができます。

      [研究用の質問]

      生活上の問題に対して楽観的になれるどんな理由がありますか。これには神がどのように関係していますか。(1-7)

      ストレスの問題はどれほど深刻ですか。(8-11)

      ストレスに対処する上で聖書の助言はどのように役立ちますか。(12-14)

      科学者たちは愛に関する聖書の助言について何を知りましたか。(15,16)

      ストレスに関して聖書の助言はそのほかどのように役立ちますか。(17,18)

      孤独はどれほど深刻な問題ですか。(19,20)

      孤独に関して聖書のどの助言は,どのように役立ちますか。(21-23)

      交わりにはどんな価値がありますか。(伝道 4:9,10)(24)

      [45ページの囲み記事]

      人生の中でも特に“ストレスの高じる”状況

      順位 人生の出来事

      1 配偶者の死

      2 離婚

      3 夫婦の別居

      4 懲役刑

      5 近親者の死

      6 自分の身に及ぶけがや病気

      7 結婚

      8 解雇

      9 破綻していた結婚関係の回復

      10 退職

      11 家族の成員の健康の変化

      12 妊娠

      13 性の悩み

      14 家族の成員が新たに増えること

      15 仕事の調整

      T・ホームズ及びR・H・ラーン両博士の研究 ―「現代における成熟」に基づく。

      [50ページの囲み記事]

      「エホバの証人は,その独自の会衆生活において,信頼と受容とからなる偽善のない社会を形成している。……エホバの証人は,以前の生き方に代わる生き方を[人に]与えるが,それは信者が主体性と自尊心を得,受け入れてもらえる社会と将来への希望を見いだす道を開く」―「現代アメリカの宗教運動」。

      [41ページの図版]

      インフレ

      病気

      不安定な職業

      家庭の問題

      住宅問題

      [49ページの図版]

      ドルカスのように,人のためになることをするなら,孤独にならないですむ。

  • 金銭の問題 ― どんな助けがあるか
    幸福 ― それを見いだす方法
    • 6章

      金銭の問題 ― どんな助けがあるか

      「ごちそうにあずかることはあなたを喜ばせ,ぶどう酒はあなたを元気付ける。しかし,お金がなければどちらも得ることはできない」― 伝道 10:19,福音聖書。

      2 お金はどこの国でも人々の関心の的となっています。その一つの理由はインフレです。生活費は日ごとに高くなっており,必要な食物を買うことさえできない人も少なくありません。二つの仕事を持たねばならない人や働きに出る主婦が増えています。家族は苦しい思いをし,健康は損なわれます。この上に,クレジットで買い物をするとなれば,問題は一層大きくなるのが普通です。たくさんの負債を抱えていながら,クレジットに頼って,特別必要でもない物にお金を費やし続ける人は大勢います。これは先進国だけでなく,人々が貧しい土地においても見られます。

      3 聖書からどんな実際的な助けが得られるでしょうか。その助けは,仕事を見付けたり,失業しないようにしたりするのに役立つでしょうか。それによって,金銭についての家族の心配は和らげられ,より幸福な生活が送れるようになるでしょうか。

      正直であることと,ほねおって働くことは助けになるか

      4 「ほねおって働く人はすばらしい幸運に恵まれることがない。あなたもそう思いますか」。ある調査で85%の人は,そう思うと答えました。成功はごまかし,盗み,わいろ,そして有力な縁故関係にかかっているかのように思える場合がよくあります。しかし聖書は,正直さと勤勉さの価値を強調しています。例えば次のように述べています。

      「盗む者はもう盗んではなりません。むしろ,ほねおって働き,自分の手で良い業を(しなさい)」― エフェソス 4:28。

      「怠惰な人は渇望するが何も得ない。勤勉な人は豊かにあてがわれる。あなたは仕事を巧みに行なう人に会うだろうか。そのような人は王たちに仕えるようになるだろう」― 箴 13:4; 22:29,モファット訳。

      「わたしたちが以前に話したように,静かに生活し,他人の私事に干渉せず,自分で生計を立てることを目標としなさい。そうすれば,信者でない人々の尊敬を得ます。また,だれかに頼って必要なものを得なければならないということもありません」― テサロニケ第一 4:11,12,福音聖書。

      5 歴史的にも,多くの経験からもこの助言が実際的であることは証明されています。なるほど,怠惰な人の中にも成功しているかに見える人がいます。しかし,一般に,また結局のところ,聖書の助言を適用する人はそれを無視する人よりも成功します。

      6 従業員がよく遅刻をし,怠けてばかりおり,不潔で信用できない,といった苦情を雇用者はしばしば口にします。ですから聖書の原則に従って,時間を守り,注意深く,清潔で,信頼できそして勤勉な人は,大抵良い就職口を見付けます。そして比較的良い賃金を得るものです。なぜなら,雇用者は,出来ばえの良い仕事にはそれに見合った賃金を払ってもよいと考えていることが少なくないからです。そういうことが実際にあったという報告がエホバの証人からたくさん寄せられています。

      7 しかし,今では,うそをついたり欺いたりすることは必要悪に近いと言えるのではありませんか。聖書の原則に従うがゆえに盗むことやうそをつくこと,人を欺くことなどをしようとしなかったクリスチャンたちは,聖書の助言に従うとうまくいくことを経験してきました。

      南アフリカはヨハネスブルクの,ある電気器具販売店は,経営不振に陥っていました。その原因の一つは,盗みをする従業員が多いことでした。ある日,店の支配人は,アフリカ人の店員を集め全員を解雇しました。ところが,翌朝一人の従業員はいつも乗る通勤電車の中で,同僚に会いました。『おや,今日出勤ですか』と尋ねました。その同僚の話によれば,支配人は,その人が正直なので例外を設けたのだと,個人的に話したということでした。先の従業員も自分の場合もそうだと言いました。職場に着くと,やはり,普通どおり仕事に来るように,と個人的に告げられたという3人目の従業員がいました。その3人はみな真のクリスチャンたちでした。

      英国の道路建設会社に勤務していたロバートという人は次のような経験をしました。ある日ひとりの重役が,だれかから電話がかかってきたら,いないと言ってくれ,とロバートに言いました。しかしロバートは電話に出た時,重役は今忙しくて手が離せない,と答えました。それを聞いて,重役はロバートをとがめました。しかし,ロバートが私はエホバの証人なのでうそはつけませんと言うと,重役はそれ以上何も言いませんでした。(エフェソス 4:25)後日ロバートが昇進することになった時,ある貪欲な同僚はロバートの正直さを疑わせるようなことを言いました。すると,重役は,ロバート君は正直な人間だときっぱり言い,彼を昇進させました。

      8 自分で事業をしている場合,正直であることは可能でしょうか。場合によっては,正直に事を行なうのは実際的でないように思えるかもしれません。それでも正直であることは最善の道です。神のみ前に清い良心を持つことができますし,心の平安を得ることができます。それに,多くの人は,ごまかしのない人と取り引きするほうを好みます。また,正直であれば,聖書の言葉通り,「信者でない人々の尊敬を得ます」。

      住宅難を克服するにも助けになる

      9 適当な家を見付けることももう一つの大きな問題です。国によっては,一家全員が一室にすし詰めのようになって生活しなければならないところもあります。あるいは,家賃が手ごろで清潔な家を見付けることが難しい場合もあるでしょう。聖書はこれらの問題の解決にも役立つでしょうか。

      10 家を借りれば,人の資産を取り扱うことになります。神がイスラエル人に,他の人の持ち物を尊重して大切に扱うよう勧めておられることは注目に値します。(申命 22:1-4)神は身体を清潔に保つことも奨励されました。(申命 23:12-14。出エジプト 30:18-21)ですから,良心的なクリスチャンは,資産を傷付けないようにし,借りている家ならどんな家でも清潔に保ちます。こうした理由や『静かに暮らす』ということもあって,良心的なクリスチャンは良い借家人として広く認められており,家を探すのはあまり難しくありません。

      クリスチャンの一家族は,アフリカのある首都の前市長の家を借りていましたが,その家を清潔に保ち,家賃をきちんと支払っていました。(ローマ 13:8)その家族は引っ越すことになった時に,会衆の別の家族を家主に紹介しました。すると家主は,普通ならば家賃を「上げるのですが」と言いました。それは家賃が2倍になるということでした。しかし家主はそのクリスチャンたちが信頼できる,清潔な人たちであることを知っていたので,家賃をすえ置きにしました。それはそのあたりにある同じ程度の家の家賃の約半分でした。

      11 事情がどうしても許さないために,良い家を見付けることができない場合でも,クリスチャンはやはり益を得ます。クリスチャンは家を清潔にきちんと保ちます。それが一層健康で幸福な生活を送るのに役立つのです。

      お金を賢明に用いる

      12 富裕な王ソロモンは書きました。「知恵は金が身の守りであるのと同じく身の守りとなる……。しかし知識の利点は,知恵がそれを所有する者たちを生き長らえさせることである」― 伝道 7:12,新。

      13 お金は,貧困に伴いがちな苦しみに対する守りとなる,ということをソロモンは認めていました。わたしたちもそれを認めなければなりません。ですからお金は浪費せずに賢明に管理すべきものです。聖書は,お金を管理する上でどんな実際的な助言を与えているでしょうか。

      14 イエスはこう語られました。「あなたがたのうちのだれが,塔を建てようと思う場合,まず座って費用を計算し,自分がそれを完成するだけのものを持っているかどうかを調べないでしょうか。そうしないなら,その人は土台を据えてもそれを仕上げることができないかもしれず,それを見ている人たちはみな彼をあざけ(るでしょう)」― ルカ 14:28-30。

      15 この言葉は家計にもあてはめることができます。大きな買い物をしようとする場合,それができるかどうか,またそれを買うのが賢明かどうかを考えるため,一緒に座って家計を冷静に検討するのがよいことに,多くの夫婦は気付いています。また,予期しない事が実際に起こるという聖書の諭しからも益を得ています。(伝道 9:11)そのために衝動買いをしたり長期にわたる借金をしたりしないように助けられました。

      16 また,「借りる人は貸す人の奴隷である」という至言にも注目してください。(箴 22:7,改訂標準訳)聖書は貸し借りを禁じてはいないものの,不必要に借りる人は結局銀行や貸す人の奴隷になる,と警告しています。近ごろは,ついついクレジットで買い物をして結局負債を抱え込んでしまい,高い利子を払う人が非常に多い,ということを忘れない人は賢明です。

      17 聖書は,むだを省いて金銭の問題を減らすよう多くの家族を助けてきました。イエスはりっぱな手本を残しておられます。大群衆に食物を与えた後,残りを集めるように指示されました。(ヨハネ 6:10-13)このような手本に倣ってクリスチャンは,年を取っていても若くても,むだを避けるようさらに気を付けることができます。

      18 金銭に関する聖書の助言に従うことを学ぶには,考え方を大きく変えねばならないかもしれませんが,次の例が示す通り,良い結果が得られます。

      ジンバブエのある若い夫婦は,結婚後間もなくお金の問題を抱えるようになりました。夫の収入は少ないのに,妻のほうは多くの新しい物や特別な食べ物を欲しがりました。そのうちに妻も働きはじめましたが,たいして足しになるとは思えませんでした。夫婦の関係は非常に緊張し,二人が一緒に暮らせるかどうかも危ぶまれました。そこで数人のクリスチャンの長老が援助を申し出ました。聖書に基づいて,予算を立てることの大切さが話し合われました。(ルカ 14:28-30)その夫婦は,大体の値段を書き込んだ買い物メモを作ることや,食品を1週間分まとめて買うとかなり節約できることを知りました。(箴 31:14)長老たちは,満足することや,今は手の届かないぜいたく品を欲しがらないようにする必要について,聖書が与えている助言を一緒に考えました。(ルカ 12:22-31)その聖書的助言は大きな助けになりました。金銭の問題が大分落ち着いたので,その夫婦は以前よりも幸福になりました。近所の人たちでさえ,二人の関係が良くなったと言いました。

      19 収入の固定している人たちも,聖書の実際的な助言から益を得ています。スペインの退職したある夫婦の場合もそうでした。

      フランシスコとマリアの固定収入はとても十分とは言えません。それでも二人は,聖書から学んだことを実行して上手にやっていると言っています。例えば箴言 6章6節から8節(新)には次のように書かれています。『ありのところに行きなさい。そのやり方を見て,賢くなりなさい。ありは夏に食物を備える。収穫の時に食糧を集めたのである』。マリアはこの言葉から,旬の果物のように,手に入りやすく値段が普通より安い物を買うことを学んだと語っています。また,バーゲンセールを待って,次の年に着る衣類を買います。また,家から歩いて45分くらいの所にあるわずかな土地に菜園を作って,『夏に食物を備えています』。ヨハネ第一 2章16節の言葉も役立ちます。二人は,たとえ古めかしい家具でも,それで満足することを学びました。そしてお金のかかる娯楽よりも,他の人が神について学ぶのを援助することを楽しんでいます。

      経済に支障をきたさないようにしなさい

      20 麻薬,過度の飲酒,喫煙,とばくなどにふけると,お金は財布からどんどん出ていきます。聖書はこうした面での助けも与えています。a

      21 アルコール飲料について考えましょう。聖書はアルコール飲料を適度に用いることは禁じていません。しかし次のような忠告は確かに与えています。

      「快楽を愛する者はいつも貧しく,ぶどう酒と良い暮らしを愛する者は,富むことがない」。

      「いつも酒をちびりちびり飲んでいる人間になってはいけない……大酒飲みと大食家とは貧しくなり,うとうとしていると,ぼろをまとうようになるからである」― 箴 21:17; 23:20,21,エルサレム聖書。

      22 大酒は色々な面で家計に響いてきます。アルコール飲料自体が高価なもので,1週間分の給料の半分を酒に使ってしまう人もいるほどです。カナダのケベック州だけを見ても,年間10億㌦(約2,400億円)を上回るお金がアルコール飲料に費やされています。大酒に伴う他の事柄,例えば欠勤,飲酒による事故などのために,さらに多額のお金が失われます。

      チリの南部に住むひとりのくつのセールスマンは,大酒のせいで仕事を失いました。それで,借りていたあばらやのわきの差し掛け小屋でくつの修理を始めました。それでも収入の大部分は酒に費やされ,妻はしばしば夫を留置所に引き取りに行かねばなりませんでした。食費を賄うために妻も夜遅くまで,かつらを作る仕事をしなければなりませんでした。ところが妻はエホバの証人と聖書を学びはじめ,もっと理解のある,そして支えになる妻にならなければと思うようになりました。その結果,夫も研究に同席するようになりました。大酒飲みはクリスチャンになれないことを知ると,夫は酒をやめました。それで家族は,前よりも良い食事をすることができるようになりました。やがてその夫婦は小さな家と仕事場を買うまでになり,夫のくつの修理の仕事はうまくいきました。

      23 競馬場やカジノでの大きなかけにせよ,絶えず富くじを買うことにせよ,とばくはどうでしょうか。多くの人はかけ事に引きずられてお金の問題を抱え込みます。そのような人は「大もうけ」することを絶えず夢見ていますが,実際に行なっていることは資産の浪費で,家族を苦境に追い込むことが少なくありません。

      24 オーストラリアのある男の人は,長年の間「とばくに完全にとりつかれ,毎日かけ事を行ない,1週間がもっと長くてもやはりずっととばくをしていただろう」と語っています。その人は,友達から金を借りたので,しまいには彼らも寄りつかなくなりました。「損をすると,時々,壁に頭をぶっつけて,『50㌣でいいからくれないか。今度は勝つよ』と妻に哀願したものです」。

      25 その人は聖書研究を始めた時,「油断なく見張っていてあらゆる貪欲に警戒しなさい」というイエスの助言に心を動かされました。(ルカ 12:15。コリント第一 6:9,10)かけ事をするのは非常な貪欲さの表われだと考えたその人は,一生懸命に努力してとばくをやめました。すると給料を家族のために使えるようになったので,次の箴言の言葉をいっそう深く認識することができました。「たくらみによって得た富[「かけ事で得た富」,リビングバイブル]は少なくなる。しかし,少しずつ集める人は蓄えを増す」― 箴 13:11,アメリカ訳。

      満足することがかぎ

      26 金銭に関しては,個人の考え方の面で聖書が大いに役立ちます。テモテ第一 6章7-10節には次のように書かれています。

      「わたしたちは何を世に携えて来ただろうか。何も携えては来なかった。わたしたちは何を世から携えて行くことができるだろうか。何も携えては行けない。だから,食物と着る物があるなら,それで満足すべきである。しかし,富むことを欲する者は誘惑に陥り,多くの愚かで有害な欲望のわなに捕らえられる。……ある者たちは[金を]得ることを欲するあまり信仰から迷い出て,多くの悲しみで心を痛めた」― 福音聖書。

      27 貧しくても金持ちでも,金銭を愛する人は満足するということがありません。カリフォルニアのある会社の猛烈幹部は妻に向かって,「ぼくは金持ちになりたい……だから,君と[会社]のどちらを選ぶかと言われると,会社の方だね」と言いました。その人はある大会社の社長となり億万長者となって,70万㌦(約1億7,000万円)の家に住んでいます。しかしその人は「どんなに持っていてもそれで十分ということはない」と言っています。この事は,お金が幸福の保証とならないことを示しています。大金持ちの石油業者J・P・ゲッティーは亡くなる2年前に,「金銭は必ずしも幸福と関係があるわけではない。むしろ不幸のほうと関係があるかもしれない」と言いました。

      28 聖書は,金銭その他の物を持つことを非としてはいないものの,それらに対する愛を大きくすることを強く警告しています。そして命は持っているものによらないということを思い起こさせています。―ルカ 12:16-20。

      29 ですから富を得ようとして心配の多い生活を送るより,持っている物,あるいは無理なく得られる物で満足することです。ルカ 12章22-31節に述べられているイエス・キリストの次の言葉はそのような見方を持つように助けてくれます。

      「何を食べるだろうかと自分の魂のことで,また何を着るだろうかと自分の体のことで思い煩うのをやめなさい。魂は食物より,体は衣服より価値があるのです。わたりがらすが種をまいたり刈り取ったりしないことによく注目しなさい。また,納屋も倉も持っていません。それでも神はそれを養っておられます。あなたがたは,鳥よりずっと価値があるではありませんか。……それで,自分は何を食べるだろうか,何を飲むだろうかと尋ね求めるのをやめ,心配して気をもむのをやめなさい。これらはみな,世の諸国民がしきりに追い求めているものですが,あなたがたの父は,あなたがたにこれらのものが必要なことを知っておられるのです」。

      30 高価な衣服・豪華な食事・豪しゃな家はある程度の喜びを与えてくれるかもしれませんが,それらは人の寿命を1年たりとも延ばしてはくれません。むしろ何年か縮めることさえあります。一方,富はなくても,人生に大きな幸福を見いだすことができます。

      31 友達を得るのにも富は不必要です。友達の心を引くためにお金に頼る人は,考え違いをしています。その種の「友達」はその人の食物を食べ,持ち物を使いますが,お金がなくなれば,彼らもいなくなります。―伝道 5:11。箴 19:6。

      32 ところが労働に関する聖書の平衡の取れた見方を受け入れ,生活に喜びを持ち,他の人に善を行なう人は,「神の贈り物」を得ます。伝道之書 3章12,13節(新)はこのことを次のように表現しています。「彼らにとって,その一生の間歓び,善をなすに勝るものは何もない。また,人はすべて食べ,実に飲み,自分のすべての勤労によって善を見る……それは神の贈り物である」。

      33 こうした事柄に関する神の助言は非常に健全なものなので,次のように考える人があっても不思議ではありません。神はいつの日か,金銭の問題につきものの,貧困・栄養不良・粗末な住宅などが完全に無くなる道を開かれるだろうか。神は確かにそれらのものに終わりをもたらされます。後の章でそう確信できる根拠となる証拠を考慮します。しかしまず人々の生活に現在深刻な影響を与えている他の問題を考えましょう。

      [脚注]

      a 10章の「健康の増進と長生き ― その方法」もご覧ください。

      [研究用の質問]

      金銭に関してなぜ導きが必要ですか。(1-3)

      聖書には,労働に関するどんな異なった,そして実際的な見方が示されていますか。(伝道 8:12,13)(4-6)

      正直さはどれほど価値がありますか。(ローマ 2:14,15)(7,8)

      住まいに関して聖書の教えを適用すると,どのように役立ちますか。(9-11)

      金銭に関してどんな実際的な助言が得られますか。(12-16)

      聖書の助言を十分に役立たせたどんな例がありますか。(17-19)

      飲酒に関する聖書の助言はどうして役立ちますか。(20-22)

      とばくはどのように問題を一層大きくしましたか。(23-25)

      満足するようにという聖書の助言はなぜ役立ちますか。(26,27)

      イエスは富に関してどんな健全な助言をお与えになりましたか。(28-30)

      より豊かな人生を送るために聖書の助言はどのように役立ちますか。(31-33)

      [53ページの囲み記事]

      南アメリカのある女店主の話

      ガイアナのジョージタウンで,48歳のノルマという婦人は,大きなマーケットの一つに店を持っていました。ノルマははかりをごまかし,塩漬の魚4オンスの注文があるとそれを3オンス量るというぐあいにしていました。また,天びんのおもりも目方が足りなかったので,店の客が注文通りに品物を得ることはありませんでした。

      ある日曜日のこと,ノルマは親せきの人から,商売に関する聖書的原則を扱った「ものみの塔」誌をもらいました。それには不正直な行為について述べられていたので,そのことがノルマの心に突き刺さったようでした。(箴 20:23。レビ 19:35,36)月曜日にノルマは目方の足りないおもりを捨てて正確なおもりを手に入れました。そしてエホバの証人の王国会館で開かれている集会に出席し,聖書研究をするようになりました。家族からはばかにされましたが,ノルマ自身は,自分が正しいことをしたのだという確信を強めました。

      商売の方はどうだったでしょうか。ごまかさなければもうけのない商品もありました。それでそのような商品を扱うのをやめなければなりませんでした。しかしその他の商品については,客は変化に気付いて,『奥さんがクリスチャンになってから,以前よりもたくさんくれるようになった』と言いました。その結果,商売は実際にはうまくいきました。正直な方法でお金をもうけて,ノルマは住宅ローンを返済することができ,銀行に預金をし,寛大な寄付をすることができました。また,ごまかしを見破られはしないかという心配があったときのような,神経性の頭痛がなくなったので,体の方も元気になりました。

      [59ページの囲み記事]

      「過去3か月間に,オーストラリア人の87%が何らかのとばくに手を出した」― サンデー・メイル紙(ブリスベーン)。

      「3度のめしより,とばくのほうがいい! クィーンズランドの人たちは週に推定1,200万㌦(約1億4,400万円)をとばくに費やしている ― それは野菜や肉に費やすのとほぼ同じ額である」― サンデー・メイル紙(ブリスベーン)。

      [57ページの図版]

      聖書の助言は,家計のやりくりに役立った

      [60ページの図版]

      酔酒,喫煙,とばくなどに関して聖書の原則はどれほど実際的だろうか

  • 性 ― 実際に役立つのはどの助言か
    幸福 ― それを見いだす方法
    • 7章

      性 ― 実際に役立つのはどの助言か

      「幸福に寄与するものは何か」ということについて世論調査を行なうとすれば,性に関係した答えが多いに違いありません。正常で健康な人にはすべて,神から与えられた性的感覚や欲望がありますから,それも当然のことです。

      2 性を話題にすることは昔に比べてずっと自由になりました。また性行為も変化しました。早くも十代の初めに性交渉を持つ若者が増加の傾向をたどっています。同棲して結婚関係外の性関係を持つ男女も非常に多くいます。その中には年配になって退職した人々もいます。既婚者の中には,結婚外の性関係を持つことを夫婦合意の上で,グループ・セックス,妻の交換,“開かれた結婚”を試みている人が少なくありません。

      3 こうした事柄に関しては,各方面から助言が与えられます。今日,一般的と考えられている事柄は,多くの医師や結婚問題のカウンセラー,牧師などによって勧められたか,少なくとも認められてきたものです。“手引き”書や雑誌の記事を読んでそのようなことを思いつく人々もいますし,学校で行なわれる性教育の影響を受けている人々もいます。さらには,あからさまに性を扱った小説や映画やテレビを見て覚えただけの人もいます。

      4 ほとんどの人の知る通り,聖書もこの問題について論じています。しかし,現在多くの人は,聖書の規準を厳し過ぎるとして避ける傾向にあります。しかし,本当にそうでしょうか。それとも,聖書の助言を適用すれば,実際に多くの心痛から守られ,それによって人生をより幸福に過ごせるでしょうか。

      結婚前の性関係 ― なぜいけないか

      5 性的欲望に目覚め,性的能力が発達するのは普通十代です。結婚前に性行為を行なう若い人は昔から少なくありません。(創世 34:1-4)しかし,近年,婚前交渉は次第に一般的になっており,ごく当たり前のことになっている所さえあります。それはなぜでしょうか。

      6 婚前交渉が増えている一つの理由として,映画や大衆小説で性が広く取り上げられていることが挙げられます。若い人の多くは好奇心が強く,『どういうものかやってみたい』という気持ちがあります。それがひいては仲間の圧力を生み,その好奇心を満たすよう,グループの者たちを動かすのです。婚前交渉や結婚関係外の性交が広く行なわれるようになったので,いま多くの僧職者は,当事者双方が『互いに愛し合っている』限りそれは許されると述べています。ですから未婚の男女で『避妊具を使えば,性交したってかまわないではないか』と考える人が多くなっています。

      7 医学関係の特別欄執筆者サウル・カペル博士は,婚前交渉の背後にある他の理由とその結果について次のように述べています。

      『性は,親に対する反抗の手段として誤用されている。また,一種の“SOS”として注意を引くために誤用される。さらに男らしさや女らしさを“証明”する方法として誤用される。受け入れてもらおうとしてむなしい試みをする際の社交上の支えとして誤用される。

      『性がこのように誤用されるなら,その原因となった問題は決して解決されない。大抵は,あいまいになるばかりである』。

      8 婚前交渉の理由が何であろうと,婚前交渉がどれほど一般的になっていようと,またいかに多くのカウンセラーや僧職者に認められていようと,聖書の助言は次の通りです。

      「これが神のご意志で(す)。すなわち,……あなたがたが淫行を避けることです。また,だれもこの点で(他の人)の権利を害するようなことをせず,またそれを侵さないことです」― テサロニケ第一 4:3-6。

      神はこの点で不必要な制限を課していると感じる人がいるかもしれません。しかし,性そのものがエホバ神からの贈り物で,神こそ生殖能力を持つ人間を創造された方であるということを忘れないようにしましょう。(創世 1:28)人間の性的能力の創造者がそれに関して最も良い助言,人間を悲しみから実際に保護する助言を与えることができるのは理にかなっていないでしょうか。

      結果は喜ばしいものですか,それとも苦しいものですか

      9 性的魅力や欲望は,しかるべき状態の下ではすばらしい結果を生みます。その一つは,むろん子供です。性関係の一番古い記録には,「さて,アダムはその妻エバと交わり,彼女は妊娠した」とあります。(創世 4:1,新)家庭では産まれる子供は真の喜びとなります。しかし,結婚していない者が性関係を結ぶ場合はどうでしょうか。その結果も,たいてい妊娠と出産です。

      10 結婚前に性関係を持つ人の多くは,そんなことをひどく心配する必要はないと感じています。避妊具や避妊薬を使えばいいという気があるからです。所によっては,十代の若者が親の知らないうちにそのような物を手に入れることができるのかもしれません。しかし,「わたしはそんなへまはやらない」と言う大人びた十代の若者の間にさえ,妊娠する例が少なくありません。その証拠に,次のようなニュースが伝えられています。

      「昨年ニュージーランドで産まれた赤ん坊の20%余りは,未婚の親の子供だった」。

      「結婚式で結婚の誓いを復唱する20歳未満の英国女性3人のうち一人はすでに妊娠している」。

      「[アメリカで]十代の少女5人につき一人は,高等学校を卒業しないうちに妊娠する」。

      11 婚前交渉から生じる悲痛な結果に,多くの若い男女は苦しんできました。堕胎しようとする人もいますが,感受性の強い人たちは,母親の胎内で発育している子供を殺すということに非常に動揺します。(出エジプト 20:13)女性としての感情や良心も関係してきます。それらは非常に強いので,堕胎をしてしまったあとで多くの人がひどく後悔します。―ローマ 2:14,15。

      12 十代の妊娠は,成熟した女性の妊娠よりも母子にとって危険です。出産中に死亡する恐れがあるばかりでなく,貧血症や中毒症あるいは異常出血を起こしたり,陣痛が長引いたり,人工分べんをしなければならなくなるなどの危険が大きいのです。16歳未満の母親から産まれた赤ちゃんの場合,生後1年以内に死ぬ可能性は2倍になります。私生児をもうけた親は多くの個人的・社会的・経済的な問題を抱えるようになります。さらに,子供の安全と発育は,安定した家庭環境に大きく依存しているのです。私生児であるためにそういう環境に恵まれない子供は,一生続く深刻な障害を身に負うことになるかもしれません。では,婚前交渉の全般的な結果は喜ばしいものでしょうか。それとも苦しいものでしょうか。『淫行を避けなさい』という聖書の助言は賢明な身の守りとなりますか。

      13 聖書のこの助言を無視したために別の面でひどい目に遭った人,つまり病気に冒された人は少なくありません。十代で多数の男性を相手に性生活を始めるようになった女性は子宮頸部のガンにかかる率がずっと高いのです。また,性病にかかる危険も間違いなく存在します。淋病や梅毒はすぐに発見でき治療できるという考え違いをしている人がいますが,国連世界保健機構の専門家たちの報告によれば,今では性病の中に抗生物質の効かないものもあるということです。また医師たちは陰部ほう疹の急増を憂慮しています。それにかかっている女性から産まれる子供は,その害を受ける場合が少なくないからです。聖書の次の警告が真実であることを,悲しい目に遭って学んでいる若者は大勢いるのです。

      「人が犯すかもしれないほかの罪はすべてその体の外にありますが,淫行をならわしにする者は自分の体に対して罪を犯しているのです」― コリント第一 6:18。

      14 結婚前に性を経験していれば,結婚後の性生活への適応が容易になると考えている人がいます。ある国では,金持ちの父親が,“教育する”ために息子を売春婦のところへ連れて行くのが普通になっています。それは名案だと考える人があるかもしれませんが,人類のすべての経験を観察してこられた創造者によれば,そうではありません。結婚前に純潔を保つことの方が幸福な結婚のためのはるかに良い土台となります。カナダで行なわれた幾つかの調査によれば,早くから婚前交渉をした十代の若者は,いったん結婚すると配偶者に対して不貞を働く可能性が大きいということです。しかし結婚前に純潔を保つ人は結婚後も貞潔である可能性は大きく,結婚式後もそれ以前と同様結婚を尊重します。

      姦淫についてはどうか

      15 今日行なわれる,性は自由だという考えに基づいた助言も姦淫を増やしています。ヨーロッパや北アメリカの報告は,結婚している男性の約半数が妻に対して不貞を働くことを示しています。また,今では,人生が一層ロマンチックになると考えて,姦淫を認め自らも姦淫を行なう女性が増えています。

      16 聖書はこの点に関して非常にはっきりと次のように助言しています。「夫は妻に対して[性的に]その当然受けるべきものを与えなさい。また妻も夫に対して同じようにしなさい」。(コリント第一 7:3)箴言 5章15-20節にも,象徴的な言葉で,結婚している人は結婚関係内で性的な喜びを得るべきであり,配偶者以外のだれかからそれを得るべきでないことが書かれています。幾世紀にもわたる経験はこの助言が身の守りとなることを証ししています。この助言は病気にかかったり,私生児を産むことになったりしないように,身の守りとなります。また姦淫にしばしば伴う心痛や悲しみを避けることができます。

      17 男女は結婚の時,互いに相手のものとなることを誓います。どちらか一方が欺きによってその信頼関係を破るなら,どうなるでしょうか。次の報告は,結婚外の関係に関する一調査に基づいたものです。

      「約束を破るということには,はなはだしい罪がある。だれを欺きあるいは傷つけるかをはっきりと知っているので,姦淫は個人的レベルの犯罪である」。

      このことは,配偶者以外の異性と性関係を持つことを認めるのが建て前の“開かれた結婚”を勧められてそれに大勢の夫婦が従った後に一層明らかになりました。時たつうちに,“開かれた結婚”を先頭に立って唱えていた人たちが持説をひるがえさなければならなくなりました。そういうひどい結果になったので彼らは,「やはり相手の貞節に対する確信こそ,大方の結婚の重要かつ必要な特質である」と結論せざるを得ませんでした。

      18 姦淫はねたみや精神の不安定を生むものです。神はそれらがもたらす害について賢明な助言を与えておられます。(箴 14:30; 27:4)ですから,自分の方がよく知っている,姦淫は正当な行為だと考える人たちもいますが,事実はそうでないことを示しています。臨床心理学者のミルトン・マツ博士は次の点を率直に認めています。

      「自分の生活の中で結婚関係外の性行為が行なわれた場合,ほとんどの人はそれによって打ちのめされる。これは,それを行なった当人であれ,その配偶者であれ変わりはない。……

      「結婚外の性の問題を取り扱ってみて分かったことは,結婚関係外の性行為は関係者すべてに非常な苦しみをもたらすということである。幸福になる方法としては,結婚外の性は何の役にも立たない」。

      夫婦の性関係

      19 聖書は,性に関して避けるべき事柄だけを述べているわけではありません。どんな事柄を積極的に行なえば,人生を実りあるものにするのに役立つかをも教えています。

      20 聖書は,性を単なる生物学的機能として述べるのではなく,性が夫婦双方の喜びの源となり得ることを正しく示しています。そして,夫婦間の性的表現に『酔う』とか『陶酔する』といったことに触れています。(箴 5:19,新)そのような率直さは,夫婦間の正常でむつまじい関係に対するとりすました態度や,それを恥ずべきこととする考え方を払いのけてくれます。

      21 創造者は夫に対して,「妻を愛しつづけなさい。妻に対して苦々しく怒ってはなりません」と助言しておられます。(コロサイ 3:19)性関係が真に喜びあるものであるためには,夫婦の間に苦々しい感情や憤りといった壁があってはなりません。それがなければ,夫婦関係は楽しいものとなります。それこそその本来あるべき状態です。それは深い愛や自分が相手のものとなっていることや優しさを表現する一つの方法です。

      22 神はさらに,「知識にしたがって」妻と共に住むことを夫に勧めておられます。(ペテロ第一 3:7)したがって,夫は妻の感情や身体の周期を考慮に入れなければなりません。夫が無神経な要求をしたりせず,考え深くて妻の感情や必要に敏感であれば,妻も夫の感情や必要に一層敏感になることでしょう。そうすれば夫婦とも満足を得ることになります。

      23 妻は冷たい,反応を示さないといったぐちがよく聞かれます。その一つの原因は,夫が性交を望む時以外は,よそよそしかったり,むっつりしていたり,あるいは厳しい態度を取ることにあるかもしれません。しかし,夫が妻に対していつも温かで親しみやすいなら,妻が冷淡になることはあまりないのではないでしょうか。「優しい同情心,親切,へりくだった思い,柔和,そして辛抱強さ」を身に着けるようにという助言に注意を払う夫の方に妻はよりよく反応するのは当然のことです。―コロサイ 3:12,13。

      24 聖書は,「受けるより与えるほうが幸福である」と述べています。(使徒 20:35)この言葉はいろいろな事にあてはまり,性的な喜びを得る面でも原則として実際的な助けとなっています。どうしてそれが助けになるのでしょうか。妻が性関係から喜びを得るかどうかは,主に心と思いにかかっています。近年になって,女性が自分の肉体の快感や喜びに注意を集中することが盛んに強調されるようになりましたが,多くの人はそれでも満足を得られないようです。しかし,この問題を研究したマリー・ロビンソン博士は,妻が夫に対する敬意を培い,受けるよりも『与える』手段として性交を考えるなら,妻自身がもっと満足を得ると指摘しています。同博士はこう述べています。

      「[妻は]夫に対して新たに優しさや気遣いを示すことを,性の抱擁の目的の一部にしていることに次第に気付く。そして自分が性の面で夫と打ち解けることが夫を喜ばせていることを見また感じとる。そしてこの過程は循環する。夫の喜びが増せば,それによって妻の喜びは一層大きくなる」。

      以上のように,他の人に与え,他の人に関心を持つようにという聖書の助言は,こうした親密な面においても人の幸福に寄与するのです。―フィリピ 2:4。

      25 この助言に注意を払うことは別の面でも益になります。命を伝える能力を含む性に対する見方は,命の与え主である神との関係に影響します。ですから,淫行や姦淫を避けることが賢明であると言えるのは,それが身体的・精神的・感情的な面で益となるという理由だけにとどまらず,それらの行為は『神に対する罪』でもあるからです。(創世 39:9,新)また,配偶者に対して忠実でなければならないことに関し,ヘブライ 13章4節はこう述べています。

      「結婚はすべての人の間で誉れあるものとされるべきです。また結婚の床は汚れのないものとすべきです。神は淫行の者や姦淫を行なう者を裁かれるからです」。

      26 性が人の幸福とどれほど関係が深いかを考慮するなら,将来の事まで考える必要があります。聖書は,わたしたちの永続的福祉を考えに入れて,自分の行ないが自分自身と他の人々に明日,そして来年,また一生を通じて影響を与えることを考えるよう助けてくれます。

      [研究用の質問]

      今,性に関する聖書の助言を考えなければならないどんな理由がありますか。(箴 2:6-12)(1-4)

      婚前交渉が増えたのはなぜですか。(5-7)

      神は婚前交渉をどうご覧になりますか。(8)

      婚前交渉はどんな結果を生みますか。(9-12)

      他のどんな理由から,性に関する聖書の助言を尊重すべきだと思いますか。(13,14)

      姦淫についての聖書の助言に関して,証拠からどんなことが分かりますか。(15-18)

      夫婦間の性について聖書は何を勧めていますか。(19-22)

      この助言に従えばどんな益がありますか。(23-26)

      [70ページの囲み記事]

      「新しい『性の自由』は『解放的』であるかもしれない。……しかし,どこに行っても絶えず耳にすることは,それとは大分違う事柄である。それは,フリー・セックスが確かに大部分の人に何らかの影響を与えているということである。フリー・セックスは有害である」― 特別欄執筆者G・A・ゲイヤー,「オレゴニアン」紙。

      [71ページの囲み記事]

      「不貞は,罪の意識・心痛・不信を生む傾向があるが,一方貞節は安心感と深い喜びをはぐくむ」― 夫婦・家族相談センターの理事C・B・ブロドリック博士。

      [69ページの図版]

      聖書の助言に従う人は,不道徳な行ないをしないので,望まないのに妊娠したり,性病にかかったりなどして不道徳の結果を悲しむようなことはない

  • 家族生活 ― どうすればうまくいくか
    幸福 ― それを見いだす方法
    • 8章

      家族生活 ― どうすればうまくいくか

      大多数の人は,家族生活が幸福と関係のあることを認めます。ある調査では,男性の85%が,「幸福で満足のゆく人生を送るには,『家族生活』は非常に重要だと思う」と答えました。しかしあなたは,離婚を選んだ男性を大勢ご存じかもしれません。女性の方も,退屈な結婚生活,争いや虐待に明け暮れる結婚生活に終止符を打つために離婚を選ぶ人が増えています。

      2 わたしたちはほかの人がすることを変えさせるわけにはゆきませんが,自分自身の家族生活を向上させること,特に夫婦の関係を改善することには関心を持つべきです。『わが家はその点うまくいっているだろうか』と考えてみるのは当然のことと言えるでしょう。

      3 創造者は家族制度の創始者です。(エフェソス 3:14,15)ですから創造者の助言は実際的です。その助言によって,どれほど多くの夫婦が幸福な家族生活を送ることに成功したかしれません。あなたも,同じ助言から益を得ることができます。

      最初の結婚の実際的な教訓

      4 聖書の初めの方には,神が最初の人間家族を創始された記録が載っています。最初の人間アダムを創造されてからしばらくして,エホバ神は次のように言われました。

      「『人が独りのままでいるのは良くない。わたしは,彼のため彼を補うものとして助け手を造ろう』。それからエホバ神は,人から取ったあばら骨を女に造り上げ,それを人のところに連れて来られた。すると人は言った,『これこそついにわたしの骨の骨,わたしの肉の肉……』。そのようなわけで,男はその父と母を離れて自分の妻に堅く付き,ふたりは一体となるのである」― 創世 2:18,22-24,新。

      5 最初の家族は,二人の人が一緒に住むことを決めた結果できあがったのではないことに注意してください。神がその結婚を正当と認め,二人は永遠に結び合わされたのです。アダムは,宇宙の最高権威者の前でエバを自分の妻として受け入れました。

      6 合法的な,認められた結婚をするために必要な段階として,男女は公に誓いを交わします。(創世 24:4,34-67。マタイ 25:1-10)しかし,正式に結婚しないで同棲するだけの場合には,そうした誓いは行なわれません。その関係は聖書が「淫行」とか「姦淫」と呼んでいるものです。(ヘブライ 13:4)たとえ,二人が愛し合っているとはっきり言っても,二人の関係は,聖書が非常に大切であるとしている結婚の堅い誓いがないので,いずれは損なわれるでしょう。例えば:

      34歳のある女性は次のように語っています。「考え方が古いのかもしれませんが,結婚の誓いをすると安心感が強くなります……一生共に住むということを,自分たち自身と世間に対して認めたという気楽さが好きです」。

      28歳のある教師も,自分が気付いたことを次のように語りました。「二,三年して,わたしはむなしい生活をしているように感じはじめました。[正式の結婚でない]同棲生活では,将来のめどが立ちません」。

      社会学者のナンシー・M・クラットウォージーは,この問題に関するある研究調査で,結婚前に同棲したりしないで正式の結婚によって立場を固めた夫婦の方に「より大きな幸福感と満足感」が見られることに気付きました。

      7 聖書にある最初の結婚に関する記録は,親や姻せきとの問題を避ける上でも参考になります。ある結婚問題カウンセラーによれば,それは一番多い問題の一つです。ところが親や姻せきとの問題が起こる以前に,聖書は最初の結婚について,「男はその父と母を離れて自分の妻に堅く付(く)」と述べています。―創世 2:24,新。

      8 ほとんどの人は親を愛します。それは自然の情で当然のことです。聖書は,親が年老いて物質面で援助を必要としているならば,その援助を差し伸べることさえ勧めています。(テモテ第一 5:8。申命 27:16。箴 20:20)しかし聖書は,結婚と同時に,配偶者が最も近い身内となることを強調しています。第一に愛し,世話をし,相談相手とすべき人は配偶者であるべきなのです。

      9 そういう見方をすれば,問題が起きた時に実家に『逃げ帰る』ことなど考えないでしょう。また親も,結婚した子供は,たとえ習慣や経済的な理由で親の近所に住んだり,しばらくの間親と一緒に生活したりしても,親を「離れ」,独立した家庭を持ったのだということを認識できます。子供が親の知恵や経験を重んじ,その助けを借りることがあるとしても,それは当を得たことです。(ヨブ 12:12; 32:6,7)しかし,創世記 2章24節の言葉は,親は結婚した子供の生活を支配しようとしたり,監視しようとしたりしないようにという警告です。聖書のこの助言に従えば,結婚生活は確かに成功します。

      何人の配偶者を持つことができるか

      10 神はアダムにただ一人の配偶者をお与えになったということも創世記の記録から分かります。中には,男性が幾人もの妻を持つことを許す文化もあります。しかし一夫多妻は家族を幸福にするでしょうか。経験が示すところによればその反対で,根深いしっとや対抗心が生まれ,多くの場合,年上の妻たちが虐待されがちです。(箴 27:4。創世 30:1)古代ヘブライ人の間でも,一夫多妻や,離婚によって妻を出すことが行なわれていました。神はそれを大目に見る一方,ひどい虐待を防止するための律法をイスラエル人にお与えになりました。しかし,イエスは,その問題について論じた際,創世記に述べられている神のご意志に注意を促しました。離婚はどんな根拠による場合でも許されるのかと尋ねられた時,イエスは次のように言われました。

      「あなたがたは読まなかったのですか。人を創造されたかたは,これをはじめから男性と女性に作り,『このゆえに,人は父と母を離れて自分の妻に堅くつき……』と言われたのです。……それゆえ,神がくびきで結ばれたものを,人が離してはなりません。……[神の律法の中で]モーセは,[ヘブライ人の]心のかたくなさを考え,妻を離婚することであなたがたに譲歩したのであり,はじめからそうなっていたわけではありません。あなたがたに言いますが,だれでも,淫行以外の理由で妻を離婚して別の女と結婚する者は,姦淫を犯すのです」― マタイ 19:3-9。

      11 イエスが明確にされた点は,イエスの追随者の守るべき規準は一夫多妻ではなく,神が最初に取り決められたようにただ一人の配偶者を持つということでした。(テモテ第一 3:2)この点に関する神の知恵と権威を認めることこそ,幸福への第一歩です。

      12 このことは,イエスが離婚に関して語られた事柄についても言えます。簡単に離婚できると,離婚は増えます。今日の状態は正にそれです。しかし,神は結婚を永久的なものと考えておられます。なるほどイエスは,配偶者が「淫行」(ギリシャ語では,ゆゆしい性的不道徳を意味するポルネイア)を犯し,別の人と「一つの肉体」となるなら,潔白な方の配偶者は離婚して再婚することができると言われました。しかし,そういうことがなければ,創造者は夫婦を永久的な結合とみなされます。ですから,この点に関して神の権威を認める人々には,自分たちの結婚関係を強め,すべての問題を克服するよう努力しなければならない十分の理由があります。(伝道 4:11,12。ローマ 7:2,3)したがって,この見方は,人を不幸にするどころか,結婚を成功させる助けになります。経験もそのことを示しています。

      13 『でも,深刻な問題を抱えている夫婦や,どうしてもうまくいかない夫婦もある』と考える人がいるかもしれません。その場合はどうでしょうか。わたしたちは聖書からほかにも実際的な事柄を学ぶことができます。

      妻を真に愛する夫

      14 家族の幸福へのかぎは,妻に対する夫の考え方や扱い方にあります。しかし,どれが最善の方法かを教えるのはだれでしょうか。最初の結婚に関する聖書の記述はここでも助けとなります。それによれば,神はアダム自身の体の一部を用いてアダムの配偶者をお造りになりました。後ほど聖書はこの点をさらに拡大して次のように述べています。

      「夫は自分の体のように妻を愛すべきです。妻を愛する者は自分自身を愛しているのです。自分の身を憎んだ者はかつていないからです。むしろ人は,それを養い,またたいせつにします。キリストが会衆に対してするようにです」。

      ついでパウロは創世記 2章24節を引用し,その後続いてこう述べています。「あなたがたひとりひとりも,それぞれ自分を愛するように妻を愛しなさい」― エフェソス 5:28-33。

      15 男性の中には,妻は厳しく,あるいは冷淡に扱うべきだと考えている人がいるようです。しかし,結婚の創始者は,夫は妻を深く愛し,その愛を示すべきであると述べています。妻が真に幸福であるためには,自分が本当に愛されているということを感じる必要があるのです。

      16 夫が『妻を自分の体のように養い,また大切にする』ということには,良い働き手であるように努力することが含まれます。しかし,妻と共に過ごして,一人の人間としての妻に温かい関心を示すことを怠るほど生活費を得ることに没頭すべきではありません。さらに,正常な人であれば,たとえいら立っていても,自分の体を憎んだり虐待したりすることはありません。ですから,聖書の言葉からすれば,夫が妻を激しく怒ることは許されません。―詩 11:5; 37:8。

      17 最初の女性は,『夫を補うもの』として造られました。(創世 2:18,新)神は男性と女性のつくりが異なっていることを認められました。そのことは今日でも変わりありません。普通女性の特質や物事の仕方は男性のそれとは違います。男性は決断力に富んでいると言えるかもしれませんが,女性はもっと優しくてがまん強いところがあります。女性は他の人たちと一緒にいることを好むようですが,男性は一人でいることを好みます。男性は時間厳守を強調しますが,女性はその点に関してもっと「のんびり」しています。神がエバを「補うもの」として創造されたという聖書の言葉は,夫がそうした違いを理解する上で役立つはずです。

      18 使徒ペテロは,『知識にしたがって妻とともに住み,弱い器である女性としてこれに誉れを配する』ことを夫に勧めています。(ペテロ第一 3:7)その『誉れを配する』ことには,さらに,自分の好みとは違う妻の好みにも気を配ることが含まれます。夫はスポーツを好み,妻はウインドーショッピングやバレーを見ることを楽しむという場合もあるでしょう。夫に好みがあるように,妻にも好みがあってよいはずです。敬意があればそうした違いを認めるゆとりが持てます。

      19 体の周期的な変化の影響で妻の気分が変わる時,夫は,そして妻自身も,当惑することがあるかもしれません。しかし夫は,理解を示し,『知識にしたがって妻とともに住む』よう努めることによって,互いの幸福に貢献することができます。妻にとって一番必要なのは,夫が優しく抱きしめて愛情のこもった言葉をかけてくれることである場合が少なくありません。

      夫を敬う妻

      20 家族が幸福であるためには,妻もその分を果たさなければならないので,創造者は妻に対しても導きを与えておられます。

      21 夫に対して妻を愛するように命じたすぐ後で,聖書はさらにこう述べています。「一方,妻は夫に対して深い敬意を持つべきです」。(エフェソス 5:33)最初の結婚の場合,エバが夫を敬う気持ちになる当然の理由がありました。アダムは最初に創造されましたし,エバよりも知識や生活経験が豊かで,神から指示さえ与えられていました。

      22 しかし今日の結婚についてはどうでしょうか。夫が,これまで考えてきた聖書の助言に従うよう誠実に努力するなら,妻の敬意を得ることはまず間違いないでしょう。たとえ,妻がある点で優れていたとしても,あるいは夫に何か欠けた所があるとしても,敬意を培うべき理由があります。それは神の取決めを尊重することで,家族はその取決めの一部だからです。使徒パウロはこう書きました。

      「妻は主に対するように自分の夫に服しなさい。夫は妻の頭だからです。それは,キリストが会衆の頭で……あられるのと同じです」― エフェソス 5:22,23。

      23 といっても,夫は家族の中で物知り顔をする暴君でなければならないというのではありません。それは,キリストが示された愛と思いやりと理解の手本に反します。神は妻に,夫の指示を待つよう勧めておられます。家族の重要な問題については,夫と妻は,一つの体の共に働く肢体のように,二人で相談することができます。しかし神は,家族に対する責任は主として夫にあるとしておられます。―コロサイ 3:18,19。

      24 この問題に関する聖書の教えが正しいことは経験から分かります。妻が,夫の愛と思いやりに値するように努め,家族の問題に関して夫の導きを求めるなら,多くの場合,夫は自分の責任を担うことに一層励み,それを愛のこもった方法で果たしていきます。―箴 31:26-28。テトス 2:4,5。

      良い家庭を築くために協力する

      25 意思の疎通は非常に重要な要素ですが,あまりにも多くの家庭にこれが欠けています。ある社会学者は,「ほとんどの夫婦は相手の言うことをよく聴かない。そのためにけんかをする夫婦が多い」と述べました。日常生活の中で,いら立ちや欲求不満や失意を経験することは避けられません。そうしたことのために夫婦の関係が損なわれないようにするにはどうすればよいでしょうか。それには意思の疎通を十分に図ることです。意思の疎通など当たり前のことと考えないように注意しなければなりません。さもないと,二人で話し合うことが次第に少なくなっていきます。

      26 心を通じ合わせることに努めてください。自分がしていることや感じていることを話し合うのを実際に習慣にしていますか。自分ばかり矢継ぎ早にしゃべって,相手の話は聞かないというのはよくあることです。(箴 10:19,20。ヤコブ 1:19,26)ただ話す機会を待つというよりむしろ,話に耳を傾け,『……という意味かい』あるいは『……ということなの』と言ったりして理解するように努めます。(箴 15:30,31; 20:5; 21:28)夫であれ妻であれ,相手の言うことに誠実に耳を傾ける人が,利己的な振舞いやがんこな振舞いをすることはまずないでしょう。

      27 夫婦が聖書の助言に照らして互いの問題を話し合うなら,その話し合いは一層有益なものとなります。例えば,テモテ第一 6章6-10節および17-19節,マタイ 6章24-34節には,家計について話し合い予算を立てる際の優れた基本原則が示されています。「あなたの家族生活を幸福なものにする」a と題する本には,家族生活の中で生じがちな様々な事態に関する,聖書に基づいた助言が多く載せられています。

      28 聖書の助言は,結婚と家族生活の最高権威であられるエホバ神の助言ですから,辛抱強く,徹底的に守るなら,その助言は成功を目ざして努力する際の大きな助けとなります。これを実行して幸福な結婚生活を送るようになったクリスチャンの夫婦は,世界中にたくさんいるのです。

      [脚注]

      a ものみの塔聖書冊子協会発行。

      [研究用の質問]

      家族生活を一層幸福にすることを目ざしてどのように努力できますか。(1-3)

      最初の結婚において誓いはどのような役割を果たしましたか。それはなぜ重要なことですか。(4-6)

      親と姻せきに関して最初の結婚から何が学べますか。(7-9)

      配偶者の数に関して創世記からどんな実際的な教訓を得ることができますか。(10,11)

      聖書は離婚をどう考えるように勧めていますか。(12,13)

      夫は聖書の助言をどのように自分にあてはめることができますか。(14-16)

      妻が「補うもの」であるということは,夫に何を求めるものですか。(17-19)

      聖書は,夫をどのように見るよう妻に勧めていますか。(20-22)

      妻は,この助言が役に立つことをどうして確信できますか。(23,24)

      幸福な家庭を築く上で,意思の疎通はどんな役割を果たしますか。(25-28)

      [80ページの囲み記事]

      アメリカ西部出身のある男の人は次のように語っています。「結婚生活を送る間に私は,美しい家や何台もの車,船や馬など,欲しい物はなんでも手に入れました。しかしそうした物を持っていても,幸福ではありませんでした。妻は私が興味を持っていることに関心がなかったので,けんかの絶え間がありませんでした。私は心の安らぎを求めてマリファナを吸っていました。

      「週末はたいてい猟に出かけて家にはいませんでした。また,仕事で留守にすることもありました。そのため姦淫の生活をするようになりました。妻は私を愛していないと思ったので家を出て行き,次々に何人もの女性と関係を持つようになり,最後に私は生活の行き詰まりを感じました。

      「その間,私は聖書をいくらか読みました。エフェソス 5章を読んで,もう一度妻と一緒に暮らしてみようという気持ちになりました。それまで妻は従順ではありませんでしたし,私も正しくリードしてはいなかったことに気付いたのです。しかし,次の週のバス旅行で私はまたもや姦淫を犯しました」。

      ある友人はその人に,神に本当に関心があるなら,エホバの証人の援助を受けてはどうかと提案しました。その人はさらにこう語りました。「エホバの証人は確かに助けてくれました。会衆の監督の一人が時間を取って私と聖書研究をしてくれました。私の生活態度が大きく変化したので,妻も研究に加わりました。今や初めて,二人の家族生活は幸福なものになりました。二人の娘もその変化に気付いたほどです。聖書の教えを生活にあてはめることにより,私たち夫婦がどれほど幸福になったかは,言葉では言い尽くせません」。

      [84ページの図版]

      意思の疎通 ― 幸福な家族生活に欠かせないもの

  • 若い人たちはどうすれば幸福になれるか
    幸福 ― それを見いだす方法
    • 9章

      若い人たちはどうすれば幸福になれるか

      青春は,人生の中で最も興奮に満ちた時代と言えます。若者には未来があります。ですから青春を最高に有意義なものにし,幸福を追い求めるべきです。

      2 しかし,それはやさしいことではありません。ロバート・S・ブラウン博士は,理想の社会と政府を目ざして活動する決意をした青年たちを対象に調査を行ないましたが,その報告によれば,その青年たちの3分の1余りは数年後に幻滅を感じて意気阻喪しており,不安を抱いていました。

      3 要は良い教育を受けることだとしばしば言われます。しかし今日では,良い教育を受けた若者の中にも就職口を見付けるのに苦労している人たちが少なくありません。かと思うと,経済的には豊かでありながら,その高給の職業ゆえに,生活における自分の役割を果たせないことに気付いている若者もいます。また,若い人の恋愛のほとんどは不幸な結果に終わります。十代の結婚の8割が5年以内に失敗に終わっているという所もあります。

      4 そういうことにならないように,そして現在を本当に楽しむと同時に満足のゆく将来を確かなものとするために,若い人たちは何ができるでしょうか。また親であれば,そうした目標を達成するよう,子供をどのように援助できるでしょうか。

      創造者を考慮に入れる

      5 若い人たちは,往々にして人生経験の浅い同年配の若者たちの影響を受けます。聖書はこう述べています。

      「明敏な者は,災難を見て身を隠す。しかし経験の足りない者はそばを通って,必ず刑罰を受ける」― 箴 22:3; 13:20,新。

      現実的な若者であれば,学友もしくは友人で,自分の永続する福祉を気遣ってくれる人はほとんどいないことを認めるでしょう。『何年か後になって友達は,今僕のすることがその時僕の幸福にマイナスになっていないかどうか心配してくれるだろうか』と考えるとよいでしょう。

      6 一方,若い人たちのことを気遣って若者に最善の助言を与えることができるのはだれでしょうか。それは創造者です。創造者は若者たちが生活を楽しむことを望んでおられます。若者の心や目を引くものすべてを否定しておられるわけではありません。創造者は,向こう見ずなことをした若者がその苦しい結果を身に受けないよう保護することなどされませんが,若者を真に気遣う人がしてくれそうなこと,つまり悲しみと災いをもたらす事柄について警告し,そうした落とし穴を避ける方法を教えてくださいます。(箴 27:5。詩 119:9)聖書はこの点に関しこう述べています。

      「歓べ,若者よ,あなたの若い時を。またあなたの心が青春の日にあなたに善をなすように。そして,あなたの心の道を,あなたの目の見る物事のうちを歩みなさい。しかし,それらすべてのために真の神があなたを裁かれることを知りなさい。それゆえ,あなたの心からいらだちを取り除き,あなたの肉体から災難を払いのけなさい」― 伝道 11:9,10,新。

      7 しかし,創造者を考慮に入れるべき理由は,創造者が若者に関心を持っておられるということだけにとどまりません。たぶんお気付きと思いますが,これという人生の目的もなく,成り行きまかせの生活をしている若者が大勢います。そのような若者は,はっきりとした目標や生活の基礎となるしっかりした規準を持っていません。それで生活のむなしさを紛らわすために,あるいは退屈な生活の中で何らかの刺激を求めて,多くの場合,麻薬やたばこ,危険なスリルに目を向けるのです。それらの危険に気付いていたかどうかはさておき,あなたもそうしたもののどれかに手を出したことがあるかもしれません。あなたは,今までの自分の生活や今後の見込みに,満足していますか。今は,あなたが自分の生活を振り返ってみるべき時ではないでしょうか。

      8 前に述べたように,生活を意義のある,現実に即したものにするためには,人は宇宙の創造者の存在を認めなければなりません。人間の造り主でもあられる創造者は,規準を設けておられます。(詩 100:3)人間は,その規準に則して生きるように造られています。その規準は実際的で,人を幸福に導くものです。わたしたちはその証拠を,婚前交渉・過度の飲酒・とばくなどについて述べている前の各章で見ました。a ですから,楽しく暮らすことを望むなら,どんな生き方をするか,どんな規準を守るか,またどの方向に進むかを考えるときに創造者を考慮に入れるのが賢明ではないでしょうか。

      目的と自尊心のある生活

      9 聖書の伝道之書 11章9,10節には,若い人々に対して言われている言葉があります。そしてその書は結論としてこう述べています。

      「すべてが聞かれたいま,ことの結論はこうである。真の神を恐れ,そのおきてを守れ。それが人の務めのすべてだからである」― 伝道 12:13,新。

      10 人生についてまじめに考えている若者は全世界に大勢います。それらの若者たちは創造者のことを考え,そのみ言葉を学びました。そして,幸福になるための基本的な条件の一つは,造り主と良い関係を保って暮らすことであることを理解しています。それはあなたの本分でもあり,人生の目的とすべきものでもあるのです。聖書に略述されている生き方をすることは,奇抜なことでも,極端なことでも,不快なことでもありません。むしろそれは平衡の取れた有意義な生き方です。その生き方をする人は,金銭,職業,道徳,家族生活,娯楽その他に関係した,現在直面している問題や将来直面する問題に賢明に,うまく対処することができます。聖書に基づく知恵が有益であることは,エホバの証人の経験によって確証されています。その知恵は,

      「それを捕えている者たちにとっての命の木であり,それをしっかりつかんでいる者たちは,幸いな者と呼ばれることになる」― 箴 3:18,新。

      聖書は次のように助言しています。「わが子よ,わたしの教えを忘れてはならない。わたしの原則を心に保ちなさい。それらによって,あなたの日は長くなり,命の年は延び,幸福は増すからである」― 箴 3:1,2,エルサレム聖書。

      11 聖書の助言に従うと,一般の若者とは少し違ってくるので目立つようになるかもしれません。実際,そのことをとがめる人も何人かいるでしょう。(ペテロ第一 2:20; 4:4)あなたはそのためにしりごみをして,人生をより楽しくする道を進もうとしないでしょうか。

      12 若い人たちは,自主的に物を考えるということをよく口にしますが,実際には,他と異なることを恐れています。しかし聖書には,群衆に従わなかった若い人たちのりっぱな模範が幾つか載せられています。彼らはあなたが持っているような関心事や心配事や希望を持っていた普通の若者でしたが,神の賢明な助言を導きとして物事を考え,行動しました。

      13 ダニエル書 1章6節から20節,3章1節から30節に記述されているのはその一つの例です。ダニエルの仲間であった3人の若いヘブライ人にとっては,自分たちが周りの大勢の人々と異なっていることはむしろ望むところでした。3人は,神の言葉が禁じている事柄,すなわち一つの像を拝むことを命ぜられた時,それを拒否しました。あなただったら,そうすることができたでしょうか。そのような態度を取ったので,ほかの人は彼らを殺そうとさえしました。それでも彼らは節を曲げなかったために,神は,記録が示している通り,3人の行為をよしとされ,彼らを保護されました。ついには,バビロンの王も3人をほめ,ソロモンの書いた次の言葉の正しさが立証されました。「わたしは,真の神を恐れている者たちにとり,その抱く恐れのゆえに事が良くなることに気づいてもいる」― 伝道 8:12,新。出エジプト 20:4,5。

      14 その若者たちは他の人の尊敬を得ましたが,自尊心も持っていました。現代の大勢の若いエホバの証人についても同じことが言えます。学校の友達は,クリスチャンの若者たちが強い信念を持っていること,また人生の目標を見定めていることをほめます。人から尊敬され,自尊心も持てるなら,人生は一層有意義なものとなると思いませんか。

      家族の幸福

      15 聖書の助言はまた,家族のきずなの強化に寄与する点からも,若い人の生活を一層実り多いものにします。

      16 あなたは,親とごく幼い子供,あるいは十代の子供との間に溝のできている家庭があるのをきっとご存じでしょう。この断絶は,親が子供を指図しようとし,子供は,あれをしなさい,これをしてはいけないと言われることに反発することから始まる場合が多いようです。

      17 聖書は,子供にも親にも,例えば次のような,つり合いの取れた導きを与えて,この問題を克服するのを助けてくれます。

      「子供たちよ,親に従うのはクリスチャンの務めです。それは行なうべき正しいことだからです。『父と母を敬いなさい』は最初の戒めであって,これには約束が付け加えられています。すなわち,『あなたにとって万事がうまくいき,その地で長生きできる』という約束です。親たちは子供を怒らせるような扱い方をしてはなりません。むしろ,キリストの規律と教えとをもって育てなさい」― エフェソス 6:1-4,福音聖書。

      18 むろん,完全な親というものはいません。それでも,子供が親を敬うことは「正しいこと」です。それはなぜでしょうか。一つには,親は子供に食べさせ,病気の時には看病し,家や必要な物を備えるために働くなど,子供のために多くの事を行なってきたからです。親がしてくれたことをすべて,親と同じ愛情のこもった関心をもってしてくれる人を雇うことなど子供にはできません。ですから,親を敬うことは道徳的に正しいことです。自分でも,将来いつか子供ができたら,子供から敬われたいと思うでしょう。

      19 こうした聖書の助言を適用するよう誠実に努力する若者は,一層の安心感を得るでしょう。それは家族がより親密になることに寄与することであり,それによって若い人自身の生活も一層平安で幸福なものになります。また,問題を避けることもできます。なぜなら,親は,豊かな人生経験からそうした問題を予見できるからです。(箴 30:17)さらに,創造者の意志と一致して行動していることを自覚することから満足が得られることも見逃せません。

      20 聖書の助言に従うことは,ほかの面でも若い人の益になります。協力することの大切さや権威を敬うことの価値を認識すれば,学校で,また後には労使関係において,さらには役人と接するときに,摩擦を起こさずに事を行なうことが一層容易になります。(マタイ 5:41)また,聖書の助言を心に留めているなら,自分が結婚し子供を持ったときに幸福はそれによって一層大きくなります。

      親の役割は重要

      21 若い人たちはどうすれば幸福になれるかを考える際に,親の果たす重要な役割を無視することはできません。子供に良い物を食べさせ,良い物を着せ,また気持ちのよい家に住まわせるよう努力する責任を感じていない親はまずいません。しかし,子供がりっぱな人間となるためには,親の指導や矯正や道徳的な導きが必要です。聖書は親がそれを行なうための最も優れた規準となってきました。(マタイ 11:19)申命記 6章6,7節によれば,そのような指導は時たま行なうのではなく,家族生活の一部とならなければなりません。それは,子供がごく幼い時に始めることができ,また始めるべき事柄です。―テモテ第二 3:15。マルコ 10:13-16。

      22 幼い子供を持つ人で,「愚かさが少年[もしくは少女]の心に結び付いている。懲らしめのむちはそれを彼から遠くに取り除く」という言葉を読んで驚く人はまずいないでしょう。(箴 22:15,新)しかし,それはどういう意味でしょうか。親の中には,子供をたたいてけがをさせるほど厳しい人もいれば,子供は好きなようにさせるべきだと言う人もいます。その両極端はいずれも正しくありません。

      23 先ほど読んだように,親は『キリストの規律と教えとをもって育てる』べきです。(エフェソス 6:4,福音聖書)クリスチャンが与える懲らしめは残忍なものではありません。(箴 16:32; 25:28)愛に基づく懲らしめは,き然とした言葉で与えることもできます。親が,規則を定めた理由を明らかにし,首尾一貫してその規則を実行するなら,それは特に愛に基づく懲らしめとなります。それでも子供が,その心の愚かさゆえに従おうとしないなら ― よくあることですが ― 何らかの形で罰を与えると,教えられていることが心に強く印象づけられるでしょう。しかし神の言葉は,場合によっては体罰が,例えばおしりをたたくといったことが必要であることも述べています。―箴 23:13,14; 13:24。

      24 子供の成長に応じて,その扱い方も変わります。小さな男の子には,おしりをたたくのが一番効き目があるかもしれませんが,大きくなれば,もっと効果的で適切な方法があるでしょう。同じように,親は息子や娘の行動の自由を少しずつ大きくして責任を持たせるようにします。―コリント第一 13:11。

      25 子供をしつける上で,子供への愛は非常に大切です。懲らしめの動機は愛でなければなりません。そうすれば矯正は受け入れやすいものになります。子供に導きや懲らしめを与えないのは,親であることを否定するようなものです。ヘブライ 12章5-11節にはそのことが説明されており,エホバご自身が愛すればこそ懲らしめをお与えになることが述べられています。

      26 神に対する愛も大切です。この愛があれば,親は,うそ・貪欲・盗み・同性愛・淫行といった,神が非とされている事柄を憎みます。(コリント第一 6:9,10。詩 97:10)そのように神への愛を表わす親は,子供たちにとって良い手本となります。それは大切なことです。そのことに加えて,親は,子供にも神への愛とりっぱな事柄への愛を抱かせると同時に悪い事柄に対しても自分と同様の憎しみを培わせるようにしなければなりません。

      27 子供たちの世界はもっぱら家庭ですから,親は家庭を安定した所とするよう努力しなければなりません。父親が子供のためにできる最善の事柄の一つは,妻を愛することだと言われています。家庭生活が愛とクリスチャンの知恵に基づいているなら,子供たちはよりどころとなるしっかりとした土台を持っていることになります。また,そうした子供たちは健全な規準を持ち,幼い時から創造者のことを考えるよう助けられます。―伝道 12:1,13,14。

      [脚注]

      a ものみの塔聖書冊子協会発行の「あなたの若い時代,それから最善のものを得る」と題する本では,音楽・デート・服装・スポーツ・学校その他,若い人々が関心を持つ事柄が聖書的観点から取り上げられています。

      [研究用の質問]

      幸福になるということはなぜ若者が取り組まなければならない事柄でしょうか。(1-4)

      神を考慮に入れなければならないのはなぜですか。(5-8)

      神のご意志に関心を払うのはなぜ当然のことですか。(詩 128:1,2)(9,10)

      神のことを考慮に入れて生活するなら人と異なってきますが,それは悪いことですか。(11-14)

      家庭で聖書に従わなければならないのはなぜですか。(15-20)

      親は,子供が賢明な道を進むよう,どのように援助できますか。(21)

      親はどんな懲らしめを与えるべきですか。(22-24)

      家族が愛し合っていることは,子供の問題にどんな影響を与えますか。(25-27)

      [89ページの囲み記事]

      人生に目的を見いだす

      日本の総理府は,人生の目的や将来に関する,各国の若者の意識調査を行ないました。その結果を調べた白樫三四郎教授は,「世界の若者は」将来に対して「悲観的な見方をしており」,そのことは若者の行動や生活全般に対する見方に影響を与えていると結論しました。しかし,そうした態度は変わり得るものです。

      アメリカの,リンダという名前のある学生は,次のように語っています。「大学で勉強して,自分が育てられた生活様式が消えていくのが分かりました。世界中の状態は悪化していました。しかし,わたしは答えが得られず,答えを得るためにどこに行けばよいかも分かりませんでした」。

      リンダが休暇でカリフォルニアの家にいた時,二人のエホバの証人が戸口に来ました。リンダはこう語っています。「その二人は,聖書に答えが見いだせると言いました。わたしたちは,神が新秩序の下で楽園の地を設立されること,および悪を一掃する約束をしておられることについて話し合いました。そのようなすばらしい真理が聖書の中にあるということは,一度も教えられたことがありませんでした」。

      リンダはアリゾナにもどってから,最寄りのエホバの証人の会衆と連絡をとり,無料で毎週行なわれる聖書研究に応じました。その研究を通してリンダは生活を安定させる規準を学ぶことができました。また人生の目的を知ることもできました。ですから現在リンダの生活は一層幸福で報いのあるものとなっています。

      [92ページの図版]

      病気になった時,あなたの世話をしたのはだれか

      [93ページの図版]

      神の言葉を学ぶなら,子供たちは幸福を見いだせる

  • 健康の増進と長生き ― その方法
    幸福 ― それを見いだす方法
    • 10章

      健康の増進と長生き ― その方法

      健康は人の幸福を大いに左右します。しかし,人はだれでも時折り病気になります。また重い病気にかかれば死ぬこともあります。聖書はこうした問題も取り上げており,幸福で長生きするために役立つ導きを与えています。

      2 聖書は,エホバ神が命の源であることを気付かせてくれます。エホバのおかげで,「わたしたちは……命を持ち,動き,存在している」のです。(詩 36:9。使徒 17:25,28)しかも神は,自分で自分の面倒を見る方法について多くのことを教えてくださっています。治療費がかさみ,人を不具にする病気の中にも,神の言葉の助言に注意を払えば避けられる病気があります。その助言を守ってきた人々は,聖書筆者の次の言葉に共鳴する理由があるのです。「[神の]み口の律法はわたしにとって良いものです。幾千の金や銀に勝って」― 詩 119:72,新; 73:28。箴 4:20-22。

      健康に役立つ助言

      3 聖書は本来健康法を教えている本ではありませんが,健康に役立つ助言を含んでいます。神がイスラエル国民にお与えになった規則を調べるとそのことがよく分かります。その例を幾つか挙げてみますと,現代医学で行なわれるようになった時よりもはるか以前に,イスラエルに与えられた神の律法は,伝染病にかかっている人やその疑いのある人を隔離するよう規定していました。(レビ 13:1-5)排せつ物は居住地から離れた所に捨てることになっていました。それは病気が広がったり,水が汚染するのを防ぐためでした。(申命 23:12-14)衣類や容器類が,殺されないのに(おそらく病気で)死んだ動物に触れた場合,それらをまた使うのであればその前によく洗うか,さもなければ処分してしまうかしなければなりませんでした。(レビ 11:27,28,32,33)イスラエルの祭司たちは,祭壇で奉仕する前に身を洗うことになっていました。そのようにして清潔さの手本を示していました。―出エジプト 30:18-21。

      4 医療関係者は以来そのような処置の実際的な価値を学んできました。それは今日でも効果的な方法です。例えば,自分にしろ,他の人々にしろ伝染しそうな病気にかかっているようであれば,できるだけ人との接触を少なくします。飲み水や食べ物が人間の排せつ物やごみで汚れないように気を付けます。調理器具や食器類を清潔に保ちます。きちんと入浴をしたり,トイレを使った後は手を洗ったりして身体の衛生に気を付けます。

      5 性病は,普通,神が禁じておられる不道徳な行ないによって伝染します。(ヘブライ 13:4。エフェソス 5:5)しかし,結婚前に純潔を守り,結婚後は性関係を自分の配偶者に限るクリスチャンはそうした忌まわしい病気から守られます。

      6 また,生活の仕方全般に関する聖書の助言を守ることも健康にプラスになります。例えば,聖書は勤勉に働くことを勧めており,一日一生懸命に働いた人はよく眠れると述べています。また,食をむさぼることは避けなければなりませんが,働きの実として得た食べ物や飲み物に喜びを見いだすことを高く評価しています。熱心に働き,睡眠を十分にとり,食事を楽しみ,そして『習慣に節度を守る』なら,一層健康で幸福になるとあなたも思われませんか。―伝道 2:24; 5:12; 9:7-9。エフェソス 4:28。テモテ第一 3:2,11。

      たばこ,アルコールそして麻薬

      7 ジョエル・ポスナー博士の報告によると,例えばアメリカ人は,医療費として使うお金の60%を,たばことアルコールに関係した病気のために用いているということです。この点で聖書はどのように役立つでしょうか。

      8 使徒パウロは,清潔さや清さに関する神の助言にたがわず,クリスチャンに「みなさん,肉体も霊も汚すあらゆるものから身を清めようではありませんか」と書き送りました。(コリント第二 7:1,20世紀の新約聖書)多くの人は喫煙がこの助言に反することに気付きました。煙を肺に吸い込むのは不自然なことです。たばこの煙は体を汚し,人の寿命を縮めます。心臓病,肺ガン,高血圧,致命的な肺炎などは喫煙者に多いことが研究によって明らかにされています。

      9 また,喫煙者の家族や仲間など,周囲の人への影響も考える必要があります。イスラエルに与えられた神の律法の2番目の戒めは,「あなたは隣人を自分自身のように愛さねばならない」である,とイエス・キリストは言われました。(マルコ 12:31)それこそ,あなたが望んでおられることではありませんか。しかし,喫煙はどんな影響を及ぼすでしょうか。それは喫煙者にとって有害であるばかりか,その煙を吸うほかの人の健康をも害します。

      10 アルコール飲料を飲むことについてはどうでしょうか。お酒はおいしくて気分がくつろぐと感じている人は大勢います。聖書は,アルコールを含む飲料を禁じてはいません。体はアルコールを燃料もしくは食物として“燃やす”ことができます。(詩 104:15。伝道 9:7)しかし,聖書は次のように警告しています。「ぶどう酒はあざけるもの,酔わせる酒は騒がしい,それによって迷い出る者は皆,知恵がない」。(箴 20:1,新)また,泥酔をはっきり非としています。(コリント第一 6:9,10。ペテロ第一 4:3)聖書が述べている通り,量の面でも回数の面でも飲み過ぎると,人はみな,確かに「知恵がない」者になります。そして,やがて,肝臓を悪くして深刻な結果を招き,悪くすると死ぬことさえあります。胃も悪くなるかもしれません。アルコールを飲み過ぎる人は心臓発作や卒中を起こしやすいとも言われています。記憶力が鈍り,筋肉運動の共同作用がうまくいかなくなるかもしれません。

      11 酔酒に関する聖書の助言は,ヘロイン,コカイン,ベテルナッツ,マリファナ,LSDといった麻薬の使用にもあてはまります。それらは,「食物」とか薬としてではなく,専ら,酔ったような“陽気な”気分になるように,あるいは幻覚を得たり,現実から逃避する目的で広く用いられています。それらの麻薬は聖書時代には用いられていなかったかもしれません。しかし聖書は,酒に酔うこととそれに伴う「放とう」を厳しく戒めています。ですから,酒以外のものでも酔った気分にならせたり,不謹慎で下品な振舞いをさせたりするものについてはすべてこの同じ助言があてはまるのではないでしょうか。(エフェソス 5:18)麻薬の影響下にある人は,自分で自分の身を傷つけたり,他の人から害を受けたりすることがよくあります。(箴 23:29,35と比較してください。)麻薬はまた,健康を脅かすほかのものとも関係があります。肺の病気,脳や性器の損傷,栄養不良や肝炎などもそれに含まれます。ですから聖書に記されている助言を守ることが健康にプラスになることは間違いありません。

      神の助言に従う理由と方法

      12 正常な人であればだれでも,もっと健康になり,もっと長生きできるという見込みに強い関心を示します。それは,これまで考慮してきた聖書の助言を受け入れて守る良い理由の一つです。(詩 16:11)しかし,その理由だけで十分と言えるでしょうか。快楽やスリルを味わいたいために危険を冒す人たちがいるものですが,神への信仰を持ち,神が聖書を通してご自身を啓示しておられることを認める人は,そのようであってはなりません。わたしたちは神から命をいただいているので,神が聖書の中に示しておられる導きに従って命を用いるように心掛けるべきです。神から命をいただいていながら命の用い方に関する神の賢明で愛ある助言を故意に無視するならば,恩知らずな者と言えるでしょう。

      13 それに,神は命の授与者ですから,わたしたちがどのように生きるべきかを指示する権利をお持ちではないでしょうか。神は宇宙の究極の権威者です。聖書筆者のヤコブは,神を「立法者また裁き主」と呼びました。(ヤコブ 4:12。イザヤ 45:9と比較してください。)ですから,個人的な習慣についても,神が言われる事柄に,神の命令だから従うべきだという気持ちにならなければなりません。

      14 この見方は,有害な常用癖を断とうとしながら,長い間それがどうしてもできないでいた多くの人に,強力な動機を与えました。健康のためというだけでなく,神のご意志にそうことであるゆえに自分が変化する必要のあることに気付いたとき,自分のしていることが考えていたよりも悪いことだと思うようになったのです。イエスはご自分の追随者に,最大の戒めとは「心をこめ,魂をこめ,思いをこめて」エホバを愛することであるとおっしゃいました。(マタイ 22:37)そのためには,思考力をまひさせたり,損なったり,あるいは体を汚したりするものを断たなければなりません。

      15 もう一つ助けになるのは,神の助言に一致して生活しようと努力している人々と交わることです。使徒ペテロは,クリスチャンの中に,かつては「不品行,欲情,過度の飲酒,浮かれ騒ぎ,飲みくらべ,無法な偶像礼拝に傾いて」いた人がいると書いています。(ペテロ第一 4:3)その人たちは変化しようと努めているときに,仲間のクリスチャンと会うことによって強められました。そして神の言葉を学んでそれに従うよう励まされました。また,必要な変化をしているときに,弱さや,特別に緊張を感じた場合には,助けを求めることができました。どんな方法で求めたでしょうか。同情心と理解があり,人を築き上げる円熟したクリスチャンのところへ行って話すようにしました。―伝道 4:9,10。ヨブ 16:5。

      16 そのような援助を望む方はエホバの証人の集会に出席なさるようお勧めいたします。経験のあるクリスチャンは,あなたが聖書の助言を学びそれに従うのを喜んで助けてくれます。その点で進歩するなら,エホバに喜ばれるように努力しているという自覚から満足が得られます。また幸福な健康と長寿への道を歩んでいることになります。

      [研究用の質問]

      神があなたの健康に関心を持っておられるということは,なぜ分かりますか。(1-6)

      聖書には,たばこの使用と関係のある,どんな助言がありますか。(7-9)

      聖書に従うなら,アルコールに対してどんな見方ができるようになりますか。麻薬についてはどうですか。(10,11)

      生活に神の助言を適用するのはどんな理由からですか。どんな助けが得られますか。(12-16)

      [99ページの囲み記事]

      「たばこの煙が喫煙者だけでなく周囲の人々にも害になることを示す証拠は増えている。……たばこを吸うなら,自分自身だけでなく子供にも及ぶ身体的および心理的影響を考えなければならない。親の喫煙は子供の健康を害する危険がある」― 医学関係の特別欄執筆者サウル・カペル博士。

      [101ページの囲み記事]

      「研究によれば,マリファナは健康上多くの重大な問題を引き起こす可能性があるということである。肺の損傷,ガンになる恐れ,精神神経障害,病気に対する抵抗力の欠乏,性交不能,染色体の損傷や障害児出産の恐れなどがそれである」― ニューズウィーク誌。

      [97ページの図版]

      清潔にすることは健康法の一つ

日本語出版物(1954-2026)
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