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  • 人に勇気を与えるものは何ですか
    ものみの塔 1980 | 11月15日
    • 人に勇気を与えるものは何ですか

      それは1909年のことです。4人の女性が米国横断の自動車旅行の途上にありました。これは女性がハンドルを握って大陸を横断する旅行としては最初のものでした。一行がネバダ州に差し掛かった時にある事件が起きました。その事件はドライバーを震え上がらせたと言います。68年後この女性ドライバーは次のように述べています。

      「ふと見ると,12人ほどのインディアンが馬に乗ってまっしぐらにわたしたちの方にやって来るのが見えました。……いずれも,手にした弓を引き絞っています。インディアンたちは例のときの声をあげていました」。

      この女性たちの命は危険にさらされていましたか。一行はそう考えたようです。しかし,その後恐れの気持ちは消え去りました。アリス・ハイラー・ラムゼイは次のように回想しています。「すると,1ぴきの野うさぎが逃げようと必死になって,前方の車道を横切って行きました。……インディアンたちはスピードを落とすこともなく,わたしたちに見向きもしませんでした。本当にびっくりしました」。

      この女性たちには,勇気を奮い起こそうにもその時間がほとんどありませんでした。しかも,その一行が抱いた恐れは根拠のあるものではありませんでした。だれしもいわれのない不安を抱いたことがあるのではないでしょうか。また,真の永続的な勇気が求められる状況に直面したこともあるかもしれません。確かに,クリスチャンはこうした状況にしばしば直面してきました。クリスチャンは信仰の試練を何度も経験してきました。その中には,ほとんどの人を恐れさせるほどひどいものもありました。

      真のクリスチャンは,どのようにして信仰の大きな試みに耐えることができたのでしょうか。そうした人々に勇気を与えたのは何でしたか。

      神と共に歩む

      『神と共に歩むこと』が勇気の源となることに疑問の余地はありません。それは取りも直さず,エホバ神の明らかにされた真理と調和した義の道を追い求めることです。これは,他のすべての人が何をしていようとも,自分の生活を神のご意志や目的と調和したものにするという意味です。人類史の初めのころ,敬虔なエノクは『神と共に歩み』ました。よく知られたノアについても同じことが言えます。―創世 5:24; 6:9,新。

      聖書を読んでいる人であれば,大抵,ノアが神から任務を与えられ,人類と動物を生き長らえさせるために巨大な箱船を建造したことを思い起こされるでしょう。幾年にもわたって,この誠実な人とその家族は,あざける人々の見ている中でその建造の業に携わりました。それでも,この忠実な族長とその家族は,神から与えられた業を完成するのに必要な勇気を持っていました。―創世 6:13-22。

      しかし大きな勇気が必要となる別の出来事が展開してゆきました。ノアの箱船建造の活動の前に,「真の神の子らは人の娘たちを見,その見目よいことを知るようになった。そして彼らは自分たちのために妻を,すべて自分の選ぶところの者をめとっていった」と,述べられています。(創世 6:2,新)ここに登場する「神の子ら」は明らかに,人間の男子のことではありません。人間の男子は,それよりもずっと前に,『人の娘たちを見て』,その者たちと結婚し,それによって人類の存続に自然な仕方で貢献してきたに違いないからです。この「真の神の子ら」とは不従順なみ使いたちのことで,自分たちにふさわしい天の場所を捨てて肉体を付け,その時に女性と同棲していたのです。事実,アレクサンドリア写本に見られるギリシャ語セプトゥアギンタ訳の創世記 6章4節は,「神の子ら」ではなく,「神のみ使いたち」となっています。これは,「罪を犯したみ使いたち」に関する使徒ペテロの言葉や「自分本来の立場を保たず,そのあるべき居どころを捨てた使いたち」に関するユダの陳述とも調和します。―ペテロ第二 2:4。ユダ 6。

      ノアに一層の勇気を求めるものとなったのは,不従順なみ使いたちと女性の結びつきによってネフィリムという種族が生み出されたことです。ヘブライ語でこの言葉は,「打ち倒す者」,あるいは「他の者を倒れさせる者」を意味すると考えられています。「強大な者」とも呼ばれるこれらネフィリムは,混血の圧制者,またならず者で,洪水前の世界にはびこっていた暴力を一層ひどいものにしていました。―創世 6:4,新。

      そのような状況の中にあって,ノアは箱船建造者としてだけでなく,「義の宣明者」としても知られるようになりました。(ペテロ第二 2:5)そうです,ノアには,神が全地球的な洪水によって邪悪な者たちを滅ぼすことを意図しておられると,同時代の人々に思い切って話す勇気がありました。ノアの義の宣明には,悔い改めるようにとの呼び掛けと来たるべき滅びに関する警告が含まれていたことでしょう。というのは,イエス・キリストはその時代に言及し,当時の人々が「洪水が来て彼らすべてを流し去るまで注意しませんでした」と,述べておられるからです。―マタイ 24:37-39。

      ここで,洪水前のその時代にノアとその家族が置かれていた状況について少し思いめぐらしてみましょう。一家は男女子供のあざけりの的となったに違いありません。その上,暴力で名を売った巨人たちとされるネフィリムのあざけりもあったでしょう。それに,肉体を着けた不従順なみ使いたちはどうですか。そのような者たちと相対するには勇気が必要だったのではありませんか。

      勇気の源

      確かに,ノアの勇気の根底にあったのは『神と共に歩むこと』でした。事実,真の神に絶対の信頼を置くことによってのみ,ノアとその家族はそのような状況のただ中にあって勇敢に物事を行なうことができました。一家は,エホバが予告通りその不敬虔な世に終わりをもたらされる,という確信を抱いていなければなりませんでした。(創世 6:3)また,族長とその家族は箱船が目的なしに建造されているのではないということから,より一層の保証を得ることができました。それはやがて用いられるようになるはずです。さらに,特に祈りを通して,自分たちがエホバとの緊密な個人的関係を有しているということによっても勇気を強められました。またノアとその家族は,神の摂理によるのでなければ自分たちの身に臨むことが許されることは何一つないという確信を抱いていたに違いありません。

      神のご予定の時に洪水が臨み,嘲笑者と反対者たちは一掃されました。不敬虔な人々はネフィリムと共に洪水の水にのまれて滅び去りました。不従順なみ使いたちは自分たちの命を救うために肉体を捨てざるを得ませんでした。しかしそれ以降,そのみ使いたちは拘束され,神が自分たちに不利な裁きを将来執行される時まで,もっぱら神の不興を受ける立場に置かれることになりました。(ペテロ第二 2:4)勇敢なノアとその家族だけが地上に生き長らえ,当時の,神の恵みを受ける者となりました。

      今日示された敬虔な勇気

      ノアと同様,今日のエホバの証人は「義の宣明者」となっています。エホバの証人が宣べ伝えているのは,警告の音信でもあり,悔い改めてエホバ神と和解するようにとの呼び掛けでもあります。ノアとその家族は不従順なみ使いたちと相対しましたが,今日の敬虔な人々の敵は目に見えない敵です。しかし,これら今日のクリスチャンは神からの霊的な保護のよろいを身に着けているので,神から与えられた宣べ伝える業を勇敢に遂行することができます。―エフェソス 6:10-18。マタイ 24:14。

      神の今日のしもべたちをあざけり,彼らに反対する者は少なくありません。エホバの賛美者の口を封じようとして,残忍な迫害に訴えることさえありました。しかし,エホバの証人はひるみません。ノアと同様,『神と共に歩み』,間もなくエホバがご自分の約束された事柄を実行し,この不敬虔な世を終わらせ,その一方で義を愛する人たちを生き長らえさせてくださる,との確信を抱いています。(ペテロ第二 3:5-13)また,祈りによるエホバとの緊密な個人的関係が,真のクリスチャンの勇気を強めます。その上彼らは,神が許されるのでなければ,自分たちの身の上には何ごとも起きないということを悟っています。―ローマ 8:28と比較してください。

      『エホバはその民を見捨てることをされない』ことを知ると本当に慰められます。(詩 94:14,新)微力な人間には,神の目的を阻むことも,神が愛される人々を撲滅することもできません。エホバの約束に対する確信,エホバに対する全き信頼,至高者との緊密な個人的関係を維持すること,これらは敬虔な人々に勇気を与える基本的な要素です。そして,極度の苦難と迫害の時期にあって,彼らを元気づけるものとなるのはその勇気なのです。このことは次の経験からも明らかです。

  • 私は“死の行進”を生き残った
    ものみの塔 1980 | 11月15日
    • 私は“死の行進”を生き残った

      ルイ・ピエコタの語った経験

      私の両親は1922年に,他の大勢のポーランド人坑夫と共に北フランスにやって来ました。これら移民たちの大半がそうであったように,両親も敬虔なカトリック教徒でした。しかし,私が11歳くらいになった時,父と母はカトリック教会から脱退し,エホバの証人つまりズロティ・ビィーク(「黄金時代信奉者」)になりました。ポーランド人のカトリック教徒は,エホバの証人を軽べつしてそう呼んでいました。それは1928年のことでした。ですから,私は若いころから,聖書に述べられている「良いたより」を他の人々に伝える喜びにあずかってきました。

      第二次世界大戦のぼっ発する少し前,私は開拓奉仕,つまり全時間の伝道奉仕を初めて経験しました。私と仲間たち全部で5人 ― いずれもポーランド生まれ ― はノルマンディー沿岸の小さな町々や村々で王国の音信を広めました。当時,私たちは蓄音機とフランス語の聖書講演のレコードを用いていました。

      1939年に戦争がぼっ発してからは,戦争熱が高まってゆき,アルケス・ラ・バターユ村の敵対的な人々は私たちのことを警察に通報しました。村人たちは蓄音機をカメラだと思ったのです。私たちには外国人なまりがあったので,警察は私たちをドイツのスパイと見て逮捕し,近くの港町ディーッペで私たちを拘置しました。24日間留置された後,互いに手錠につながれたまま通りを行進させられ,裁判所へ連れて行かれました。敵意に満ちた

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