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聖書の9番目の書 ― サムエル記第一『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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1 西暦前1117年に,イスラエル国民の組織にはどんな大きな変化が生じましたか。その後,どんな状態が続くことになりましたか。
西暦前1117年のこと,イスラエルの国家的組織には重大な変化が生じました。一人の人間の王が任命されたのです! このことはサムエルがイスラエルでエホバの預言者として仕えていた時に生じました。エホバはそれを予知し,予告しておられましたが,イスラエルの民の求めた君主政体への変化は,サムエルにとってはやはりがく然とさせるような一撃となりました。誕生以来,エホバへの奉仕にささげられ,またエホバの王権に対する敬虔な認識で満たされていたサムエルは,神の聖なる国民の仲間の成員に臨む悲惨な結果を予知していました。ただエホバの導きのもとに,サムエルは彼らの要求に従ったのです。こう記されています。「そこで,サムエルは王権に伴って当然受けるべきものについて民に話し,それを書に記して,エホバの前に納めた」。(サムエル第一 10:25)こうして,裁き人の時代は終わりを告げ,それからイスラエルが前例のない国力と威光を帯びた国へと興隆するのを見る,人間の王たちの時代が始まりましたが,結局最後には恥辱を被り,エホバの恵みから切り離されるに至りました。
2 サムエル記第一を書いたのはだれですか。その筆者たちはどんな資格を持っていましたか。
2 この重大な時期の神聖な記録を作る資格があったのはだれでしょうか。いみじくも,エホバは忠実なサムエルを選んで,その執筆を開始させられました。サムエルには,「神の名」という意味がありますが,彼は確かにその当時,エホバのみ名の擁護者として傑出した人でした。サムエルはその書の初めの24章を書いたと思われます。それから,その死後,ガドとナタンが執筆を続け,サウルの死に至るまでの最後の数年間の記録を完成しました。このことは歴代第一 29章29節に示唆されており,こう記されています。「王ダビデの事績は,最初のものも最後のものも,予見者サムエルの言葉,預言者ナタンの言葉,幻を見る者であるガドの言葉の中にまさしく記されている」。列王記や歴代誌とは異なって,サムエルの書にはそれ以前の記録に言及したところがほとんどないので,ダビデと同時代のサムエル,ガドおよびナタンが筆者であることが裏付けられています。これら3人の人々は皆,エホバの預言者として責任ある地位についており,その国家の威力を衰えさせた偶像崇拝に反対していました。
3 (イ)サムエル記第一はどのようにして聖書中の一つの書となりましたか。(ロ)それはいつ完成されましたか。それはどの期間のことを扱っていますか。
3 サムエル記の二つの書は元々一つの巻き物,つまり一巻でできていました。サムエル記が分けられたのは,ギリシャ語セプトゥアギンタ訳のこの部分が出された時のことでした。セプトゥアギンタ訳では,サムエル記第一は王国の書第一と呼ばれていました。この区分と列王記第一という名称はラテン語ウルガタ訳に採用され,カトリックの聖書では今日でもそうなっています。サムエル記第一および第二が元々一つの書であったことは,サムエル記第一 28章24節のマソラの注記によって示されていますが,それによると,この節はサムエルの書の真ん中にあると述べられています。この書は西暦前1078年ごろ書き終えられたようです。したがって,サムエル記第一は,西暦前1180年ごろから1078年までの100年と少しの期間のことを扱っていると思われます。
4 サムエル記第一の記述の正確さはどのように裏付けられてきましたか。
4 その記述の正確さを示す証拠はたくさんあります。地理的な位置は,描写されている出来事と合致しています。興味深いことに,ヨナタンはミクマシュでフィリスティア人の一守備隊を首尾よく攻撃し,その結果フィリスティア人を完全に敗走させましたが,第一次世界大戦中,英国の一将校によって同様の攻撃が繰り返され,同将校は霊感を受けたサムエルの記述に述べられている陸標に従って進み,トルコ人を敗走させたと言われています。―14:4-14。a
5 聖書の筆者たちはサムエル記第一の真正さについてどのように証言していますか。
5 しかし,この書が霊感の所産であることやその信ぴょう性を示す,それよりもさらに強力な証拠があります。その一つは,イスラエルが王を求めることを示したエホバの預言の著しい成就です。(申命記 17:14。サムエル第一 8:5)何年も後に,ホセアはエホバの言われたことを次のように引用して,その記述を確証しました。「わたしは怒りのうちに王を与えた。そして,憤怒のうちにこれを取り去るであろう」。(ホセア 13:11)ペテロもサムエルをイエスの『時代のことをはっきり告げ知らせた』預言者の一人とみなして,サムエル記が霊感を受けて記されたものであることを暗示しました。(使徒 3:24)パウロはサムエル第一 13章14節を引用して,イスラエルの歴史を簡潔に際立たせています。(使徒 13:20-22)イエスご自身も当時のパリサイ人に,「あなた方は,ダビデおよび共にいた人たちが飢えた時にダビデが何をしたかを読まなかったのですか」と尋ねることにより,その記述は信ぴょう性があることを明確に示されました。それからイエスはダビデが供え物のパンを求めたことに関する記述について話されました。(マタイ 12:1-4。サムエル第一 21:1-6)エズラもまた,すでに指摘したように,この記述を真正なものとして認めました。―歴代第一 29:29。
6 聖書のほかのどんな内面的証拠はサムエル記第一の信ぴょう性を示していますか。
6 これはダビデの活動についての最初の記述ですから,聖書の至る所にあるダビデに言及している箇所は皆,サムエル記が霊感を受けて記された神のみ言葉の一部であることを確証しています。その出来事の幾つかは,詩編 59編(サムエル第一 19:11),詩編 34編(サムエル第一 21:13,14),および詩編 142編(サムエル第一 22:1,もしくはサムエル第一 24:1,3)の場合のように,ダビデの詩編の表題の中でさえ言及されています。このように,神ご自身のみ言葉の内面的証拠はサムエル記第一の信ぴょう性を決定的に立証しています。
サムエル記第一の内容
7 この書に含まれている歴史は,イスラエルのどの指導者たちの生活に関するものですか。
7 この書はイスラエルの指導者のうちの次の4人の人物の生涯の一部あるいは全体を扱っています。それは大祭司エリ,預言者サムエル,最初の王サウルおよびその次の王となるよう油そそがれたダビデです。
8 サムエルはどんな境遇のもとで生まれ,「エホバの奉仕者」となりますか。
8 エリの裁き人としての職と若いころのサムエル(1:1-4:22)。この記述は,レビ人であるエルカナのお気に入りの妻ハンナの紹介で始まります。ハンナには子供がいなかったので,エルカナのもう一人の妻ペニンナから軽べつされます。この家族は毎年,エホバの契約の箱の置かれているシロを訪れますが,この度もそうしている時,ハンナは男の子を求めてエホバに熱烈に祈ります。そして,もしその祈りが聞かれたなら,その子をエホバへの奉仕にささげると約束します。神はその祈りを聞かれ,彼女は男の子サムエルを産みます。その子が乳離れするや,彼女はこれをエホバの家に連れて行き,その子を『エホバに貸された』者として大祭司エリに預けます。(1:28)それから,ハンナは感謝と幸せを歌った歓喜の歌を作って,その感慨を言い表わします。その少年は「祭司エリの前でエホバの奉仕者」となります。―2:11。
9 サムエルはどのようにしてイスラエルの預言者となりますか。
9 エリにとっては万事都合よくいっていたわけではありません。彼は年を取っており,それにその二人の息子は「エホバを認め」ようとしない,どうしようもないならず者となりました。(2:12)二人はその祭司の職を利用して,自分の貪欲と不倫な肉欲を満たそうとします。エリはその二人を矯正し損ないます。そこで,エホバはエリの家に対して神聖な音信を送り,「あなたの家には年老いた者がいなくなる」こと,そしてエリの息子たちは二人とも同じ日に死ぬであろうということを警告されます。(サムエル第一 2:30-34。列王第一 2:27)最後に,エホバは少年サムエルをエリのもとに遣わし,耳に鳴り響くような裁きの音信を伝えさせます。こうして,若いサムエルはイスラエルの預言者とされます。―サムエル第一 3:1,11。
10 エホバはどのようにエリの家に裁きを執行されますか。
10 やがてエホバはフィリスティア人を上って来させ,この裁きを執行されます。戦況がイスラエルにとって不利になると,イスラエル人は大声で叫びながら,契約の箱をシロから自分たちの陣営に運びます。その叫びを聞き,箱がイスラエル人の宿営に運び込まれたことを知ると,フィリスティア人は奮い立ち,驚くべき勝利を収め,イスラエル人を完全に敗走させます。その箱は奪い取られ,エリの二人の息子は死にます。エリは心をわななかせながら,その報告を聞きます。その箱のことが述べられると,エリは座席からあお向けに落ちて,首を折って死にます。こうして,裁き人を務めたその40年の期間が終わります。確かに,「栄光はイスラエルを……去りました」。というのは,その箱はエホバがその民と共におられることを表わしているからです。―4:22。
11 箱は魔術的なお守りではないことがどのようにして示されますか。
11 サムエルはイスラエルを裁く(5:1-7:17)。さて,フィリスティア人もまた,エホバの箱は魔術的なお守りのように用いてはならないことを大いに悲しい思いをして学ばなければなりません。彼らがその箱をアシュドドのダゴンの神殿に持ち込むと,彼らの神はばったりうつ伏せに倒れます。次の日,ダゴンは再び敷居のところにばったり倒れます。この度は,その頭と両手のたなごころは切り離されます。このことがあって,「ダゴンの敷居を踏まない」というフィリスティア人の迷信的な習慣が始まります。(5:5)フィリスティア人は急いで箱をガトへ,それからエクロンへ送りますが,その努力はすべて無に帰します。恐慌,痔,およびねずみの災いなどの形で,責め苦が臨みます。死者の数が増すにつれ,ついには自暴自棄に陥ったフィリスティア人の枢軸領主たちは,その箱を乳を与えていた2頭の雌牛の引く新しい車に載せてイスラエルに返します。ベト・シェメシュでは,イスラエル人のある人々に災難が臨みます。それらの人が箱を見たからです。(サムエル第一 6:19。民数記 4:6,20)最後に,箱はキルヤト・エアリムにあるアビナダブの家に来て落ち着きます。
12 サムエルが正しい崇拝を擁護したためにどんな祝福がもたらされますか。
12 その箱は20年の間,アビナダブの家にとどまります。大人になったサムエルは,バアルやアシュトレテの像を取り除き,心をつくしてエホバに仕えるようイスラエルに勧めます。彼らはそのようにします。彼らが崇拝のためにミツパに集まると,フィリスティア人の枢軸領主たちはその機会を捕らえて戦いを仕掛けます。不意を突かれたイスラエルは,サムエルを通してエホバを呼び求めます。エホバからもたらされた激しい雷鳴のために,フィリスティア人は混乱に陥り,犠牲と祈りをささげて強められたイスラエル人は,大勝利を収めます。そのとき以降,『エホバの手はサムエルの時代中ずっとフィリスティア人に向かいます』。(7:13)しかし,サムエルには引退はありません。彼はその生涯中ずっとイスラエルを裁き続け,エルサレムのすぐ北にあるラマからベテル,ギルガル,そしてミツパへと毎年巡回します。ラマではエホバへの祭壇を築きます。
13 イスラエルは王としてのエホバをどのように退けるようになりますか。サムエルはどんな結果について警告しますか。
13 イスラエルの最初の王サウル(8:1-12:25)。サムエルはエホバへの奉仕に携わって年老いますが,その息子たちは父の道を歩もうとはしません。というのは,その息子たちはわいろを受けたり,裁きを曲げたりしているからです。その時,イスラエルの年長者たちはサムエルに近づいて,次のように要求します。「どうか今,諸国民すべてのように,私たちを裁く王を私たちのために立ててください」。(8:5)大変ろうばいしたサムエルは,祈りのうちにエホバを求めます。エホバはこう答えられます。「彼らが退けたのはあなたではない。彼らは,わたしが彼らの王であることを退けた(の)である。……それで今,彼らの声に聴き従いなさい」。(8:7-9)しかし,まず,サムエルは彼らの反抗的な要求の悲惨な結果について,つまり軍隊の編制,課税,自由の喪失,そしてついには悲痛な悲しみを味わい,エホバに泣き叫ぶようになることについて彼らに警告しなければなりません。人々はその願いを思いとどまることもなく,王を要求します。
14 サウルの王権はどのようにして確立されますか。
14 さて,ベニヤミンの部族のキシュの子サウルが紹介されます。彼はイスラエルのうちで飛び抜けて麗しく,最も丈の高い人です。彼はサムエルのもとに導かれ,サムエルは宴の席で彼に敬意を表し,これに油をそそぎ,それからミツパに集まった全イスラエルに彼を紹介します。サウルは最初,荷物の間に隠れていますが,ついにエホバの選ばれた者として示されます。サムエルはもう一度王権に伴って当然受けるべきものについてイスラエルに思い起こさせ,それを書に記します。しかし,アンモン人に対して勝利を収め,民がギレアデのヤベシュで包囲攻撃から解放されて初めて,サウルの王としての地位は強化され,民はギルガルで彼の王権を承認するようになります。サムエルは再び,エホバを恐れ,これに仕え,これに従うよう彼らに勧告し,またエホバを呼び求めて,季節はずれの雷鳴と収穫の時の雨という形でしるしをもたらすよう願います。エホバは恐るべき仕方でそれを起こして見せ,王としてのご自分を彼らが退けたことに対する怒りを示されます。
15 どんなせん越な罪のためにサウルは失脚しますか。
15 サウルの不従順(13:1-15:35)。フィリスティア人が引き続きイスラエルを悩ましている時,サウルの勇敢な息子ヨナタンがフィリスティア人のある守備隊を討ち倒します。その仕返しとして,敵は数の点で『海辺の砂のような』大軍を送り,彼らはミクマシュに陣を敷きます。不安な気持ちがイスラエル人の隊伍を襲います。『サムエルがやって来て,エホバの指示を与えてくれさえしたらよいのに!』サムエルを待ち切れなくなったサウルは,せん越にも自ら焼燔の犠牲をささげることにより,罪をおかします。すると突然,サムエルが現われます。そして,サウルのつじつまの合わない弁解をはねつけ,次のようにエホバの裁きを申し渡します。「それで今や,あなたの王国は長続きしません。エホバは必ずご自分のためにその心にかなう人を見いだされます。エホバはその人をご自分の民の指導者として任命されます。あなたはエホバの命じられたことを守らなかったからです」― 13:14。
16 サウルの早まった行為は,どんな困難な事態を招きますか。
16 エホバのみ名のために熱心に事を運ぶヨナタンは,再びフィリスティア人の前哨部隊を襲いますが,この度はその武具持ちとたった二人で出かけて,たちまち20人ほどの者を討ち倒します。地震も敵の混乱をあおります。彼らは敗走させられ,イスラエルは徹底的に追跡します。ところが,サウルは早まって,戦いが終わるまでは何も食べてはならないと戦士たちに禁じる誓いを立てたため,勝利の全き効果は弱められます。部下はたちまち疲れてしまい,殺したばかりの動物の肉を時間をかけて血抜きをせずに食べて,エホバに対して罪をおかします。しかしヨナタンは,その誓いについて聴かないうちに,蜜ばちの巣から蜜を取って食べ,元気を回復しました。彼は大胆にも,その誓いを妨げになるものとして公然と非難します。彼はイスラエルで行なった偉大な救いのゆえに,民により死から請け戻されます。
17 サウルはその2度目の重大な罪をおかしてから,さらにどのように退けられますか。
17 さて,エホバの裁きを卑劣なアマレク人に執行する時が訪れます。(申命記 25:17-19)アマレク人は完全に一掃されることになっています。人も獣も,何ものも容赦してはなりません。分捕り物もいっさい取ってはなりません。何もかもみな滅びのためにささげなければなりません。ところが,サウルは不従順にも,アマレク人の王アガグと,羊や牛の最良のものを,表向きはエホバにささげるという名目で生かしておきます。このためにイスラエルの神はたいへん不快に思い,サムエルに霊感を与えて,サウルを再び退ける意向を表明させます。面子を立てようとするサウルの言い訳を退けたサムエルは,次のように言明します。「エホバは,エホバの声に従うことほどに焼燔の捧げ物や犠牲を喜ばれるでしょうか。ご覧なさい,従うことは犠牲に勝り(ます)……あなたはエホバの言葉を退けたので,神もあなたを王としての立場から退けられます」。(サムエル第一 15:22,23)そこでサウルはサムエルに嘆願しようとして,その上着のすそをつかみますが,裂けてしまいます。サムエルは,同様にエホバが必ずサウルから王国を裂き取って,それをもっと勝った人にお与えになることをサウルに向かって断言します。サムエルは自ら剣を取ってアガグを処刑し,サウルに背を向けて,二度と再びこれを見ようとしません。
18 エホバは何に基づいてダビデを選ばれますか。
18 ダビデは油そそがれる。その武勇(16:1-17:58)。エホバは次にサムエルをユダのベツレヘムのエッサイの家に導かれ,将来の王を選び,油そそがせます。エッサイの息子たちは一人ずつ審査を受けますが,退けられます。エホバはサムエルに次のように思い起こさせます。「神の見るところは人の見るところと異なる(の)だ。人は目に見えるものを見るが,エホバは心がどうかを見るからだ」。(16:7)最後にエホバは,「赤みがかっていて,美しい目をした,容姿の麗しい若者」と描写されている一番年下のダビデを承認したことを示され,サムエルはダビデに油を注ぎます。(16:12)エホバの霊は今や,ダビデに臨みますが,サウルは悪い霊を現わします。
19 ダビデは初めに,エホバの名によってどんな勝利を得ますか。
19 フィリスティア人は再びイスラエルに侵入し,丈が非常に高くて,6キュビトと一指当たり(約2㍍90㌢)ある巨人のゴリアテという代表闘士を前に進ませます。その巨人はとてつもなく大きくて,その小札かたびらは重さが56.5㌔ほどあり,その槍の刃は重さが6.8㌔ほどあります。(17:4,5,7)このゴリアテは来る日も来る日も,不敬にも,またごう慢にも,一人の男を選んで出て来て戦わせるよう,イスラエルに挑戦しますが,だれもこたえ応じません。サウルは天幕の中で震えています。ところが,ダビデがやって来て,このフィリスティア人の嘲弄の言葉を聞きます。義憤にかられ,勇気を奮い起こさせられたダビデは,次のように叫びます。「生ける神の戦列を嘲弄するとは,この割礼を受けていないフィリスティア人は何者なのですか」。(17:26)かつて一度も使ったことがないのでサウルの武具を断わったダビデは,羊飼いの杖と石投げと五つの滑らかな石だけを用意して,戦いをするために出て行きます。この年若い羊飼いの少年を相手にするのは自分の体面にかかわることとみなしたゴリアテは,ダビデに災いを呼び求めます。すると,確信に満ちた答えが次のように響き渡ります。「あなたは剣と槍と投げ槍とを持ってわたしに向かって来るが,わたしは……万軍のエホバのみ名をもってあなたに向かって行く」。(17:45)一つの石がダビデの石投げからねらいを定めて飛ばされ,フィリスティア人のその代表闘士は地にくずおれてしまいます! そのもとに走り寄ったダビデは,両軍からよく見える所で,その巨人の剣を引き抜き,これを使ってその持ち主の首を切り落とします。エホバからの何と偉大な救出なのでしょう。イスラエルの陣営には何と大きな喜びがあるのでしょう。その代表闘士が死んだため,フィリスティア人は逃げ去り,歓喜したイスラエル人は激しく追跡します。
20 ダビデに対するヨナタンの態度はサウルのそれとどのように対照をなしていますか。
20 ダビデに対するサウルの追跡(18:1-27:12)。エホバのみ名のためのダビデの恐れのない行動は,ダビデにとって一つのすばらしい友好関係を開くものとなります。それはサウルの息子で,当然王国を得るはずのヨナタンとの関係です。ヨナタンは「自分の魂のように彼を愛するように」なり,二人は友好関係の契約を結びます。(18:1-3)ダビデの名声がイスラエルでほめたたえられるようになると,サウルは,その間に娘ミカルをこれに嫁がせたにもかかわらず,怒りを抱いて彼を殺そうとします。サウルの敵意はいよいよ気違いじみたものとなって行くため,ついにダビデはヨナタンの愛ある援助を得て逃げなければならなくなります。二人は別れに際して泣き,ヨナタンはダビデに対するその忠節を保つことを再び断言して,こう言います。「エホバがわたしとあなたとの間,またわたしの子孫とあなたの子孫との間に定めのない時までもおられますように」― 20:42。
21 どんな出来事はサウルのもとからのダビデの逃走を特徴づけていますか。
21 苦々しさを募らせたサウルのもとから逃げたダビデと飢えたその少数の支持者たちの一隊は,ノブにやって来ます。そこで,祭司アヒメレクは,ダビデとその部下が女から離れていて清い状態であることを確信すると,一行に聖なる供えのパンを食べることを許します。さて,ゴリアテの剣で武装したダビデは,フィリスティア人の領土のガトに逃げて行き,そこで気違いの振りをします。それから,彼はアドラムの洞くつへ,次いでモアブへ,そしてその後,預言者ガドの忠告を受けて,ユダの地に戻ります。ダビデを支持する反乱を恐れた,狂気なまでにしっとに燃えたサウルは,エドム人ドエグにノブの祭司である人々を打ち殺させます。ただ一人アビヤタルだけが逃れて,ダビデに加わり,その一行のための祭司となります。
22 ダビデはエホバに対する忠節とその組織に対する敬意をどのように実証しますか。
22 ダビデはエホバの忠節な僕として,今やフィリスティア人に対して効果的なゲリラ戦を行ないます。ところが,サウルはダビデを捕らえようとして全面的な作戦を続け,戦人を集めて,「エン・ゲディの荒野」でダビデを探し回ります。(24:1)エホバに愛されたダビデは,いつもなんとか事を運んで追跡者よりも一歩先を進みます。ある時,彼はサウルを討ち倒す機会に恵まれますが,そうすることを差し控え,ただその命を容赦した証拠としてサウルの上着のすそだけを切り取ります。この無害な行為さえダビデの心を打ちます。というのは,エホバの油そそがれた者に逆らって行動したと感じているからです。エホバの組織に対して何と優れた敬意を抱いているのでしょう。
23 アビガイルはどのようにしてダビデと和解し,ついにその妻となりますか。
23 さて,サムエルの亡くなったことが記されますが(25:1),その後継者である書記はさらにその記述を続けます。ダビデはナバルの羊飼いたちを助けたことに対する報酬として,自分と自分の部下のために食物を提供するよう,ユダのマオンのナバルに頼みます。ところが,ナバルはダビデの部下に対してただ『どなりつける』だけだったので,ダビデはこれを罰するために出かけます。(25:14)危険を悟ったナバルの妻アビガイルは,ひそかにダビデの所に食糧を持って行き,彼をなだめます。ダビデはその思慮深い行為のゆえに彼女を祝福し,平安のうちにこれを送り返します。アビガイルが起きたことをナバルに知らせると,その心は打ちのめされ,十日たって彼は死にます。ダビデのほうは今や,慈しみ深い美しいアビガイルと結婚します。
24 ダビデはどのようにサウルの命を再び容赦しますか。
24 サウルは3度目にも狂ったようにダビデを追跡しはじめますが,またもやダビデの憐れみを経験します。「エホバからの深い眠り」がサウルとその部下を襲います。そのために,ダビデは陣営に入って,サウルの槍を取ることができるようになりますが,「エホバの油そそがれた者に向かって」その手を出すことを差し控えます。(26:11,12)ダビデは難を避けてフィリスティア人のもとに再び逃げざるを得なくなりますが,彼らはチクラグを住む場所としてダビデに与えます。そこから彼はイスラエルの敵の他の者に対して出撃し続けます。
25 サウルは3度目のどんな重大な罪を犯しますか。
25 自殺を遂げるサウルの最期(28:1-31:13)。フィリスティア人の枢軸領主たちは連合軍をシュネムに移します。サウルは対抗手段としてギルボア山に陣取ります。逆上した彼は導きを求めますが,エホバからは何の答えも得ることができません。サムエルと連絡が取れさえしたらよいのに! サウルは変装して,フィリスティア人の戦線の背後にあるエン・ドルで一人の霊媒術者を捜しに出て行き,もう一つの重大な罪を犯します。彼女を捜すと,サウルはサムエルと連絡を取ってもらいたいと頼みます。結論を急ぐ余り,サウルはその亡霊を死んだサムエルだと考えます。しかし,“サムエル”は王にとって慰めとなる音信を持ってはいません。サウルは翌日死ぬことになり,エホバの言葉にたがわず,その王国は彼から取り去られます。他方の陣営では,フィリスティア人の枢軸領主たちが戦いに上って行こうとしています。彼らは自分たちの中にダビデとその部下たちがいるのを見ると,疑惑を抱くようになり,ダビデとその部下を帰します。ダビデの部下たちは丁度よい時にチクラグに帰って来ます。アマレク人の侵略者の一隊がダビデの家族や所有物とその部下たちをさらって行きましたが,ダビデとその部下たちはこれを追跡し,危害を被ることなくすべてのものを取り返します。
26 イスラエルの最初の王の悲惨な治世はどのように終わりを迎えますか。
26 さて,戦いはギルボア山で開始され,イスラエルは悲惨な敗北を被り,フィリスティア人はその地の戦略的な地域を支配します。ヨナタンと,サウルのほかの息子たちは打ち殺され,致命傷を負ったサウルは自分の剣で自害,つまり自殺します。勝ち誇ったフィリスティア人はサウルとその3人の息子たちの遺体をベト・シャン市の城壁に掛けますが,遺体はヤベシュ・ギレアデの人々によりその不名誉な場所から移されます。こうして,イスラエルの初代の王の不幸な治世はその悲惨な終わりを迎えます。
なぜ有益か
27 (イ)エリやサウルはどの点で失敗しましたか。(ロ)サムエルやダビデはどんな点で監督たちや年若い奉仕者たちにとって立派な模範ですか。
27 サムエル記第一には何という歴史が収められているのでしょう。その記述はあらゆる詳細な点において正直そのもので,イスラエルの短所や長所を両方とも同時にあらわに述べています。そこにはイスラエルの4人の指導者が出て来ますが,そのうちの二人は神の律法に留意しましたが,二人はそうしませんでした。エリとサウルがどのように失敗者となったかに注目してください。つまり,前者は行動を起こすことを怠りましたが,後者はせん越な行動を取りました。一方,サムエルとダビデは若い時からエホバの道に対する愛を示し,そのために栄えました。ここにはすべての監督たちに対する何と貴重な教訓があるのでしょう。監督たちが確固とした態度を取り,エホバの組織の清さと秩序を見守り,エホバの取り決めに敬意を表わし,恐れを抱かず,穏やかな気性を保ち,勇気を示し,またほかの人たちに愛ある思いやりを示すのは何と必要なことでしょう。(2:23-25; 24:5,7; 18:5,14-16)また,成功を収めたその二人は,若い時から神権的な良い訓練を受ける有利な立場に恵まれていましたし,二人共エホバの音信を語るという点で年若いころから勇敢で,自分にゆだねられた事柄を守っていたことにも注目してください。(3:19; 17:33-37)今日のエホバの年若い崇拝者たちも皆,若い“サムエル”や“ダビデ”になりますように!
28 どのように従順が強調されていますか。サムエル記第一のどんな助言が聖書のほかのどんな筆者たちによって後に繰り返されていますか。
28 この書のすべての有益な言葉の中でもはっきりと覚えておくべきなのは,「アマレクについて述べることを天の下からぬぐい去る」ことに失敗したサウルに対する裁きをエホバがサムエルに霊感を与えて述べさせた時の言葉です。(申命記 25:19)『従順は犠牲に勝る』という教訓は,ホセア 6章6節,ミカ 6章6節から8節,およびマルコ 12章33節などの様々の箇所で繰り返されています。(サムエル第一 15:22)今日,わたしたちがわたしたちの神エホバの声に十分に,また全く従うことにより,霊感によるこの記録から益を得るのは実に肝要なことです。サムエル第一 14章32節と33節では,血の神聖さを認める点での従順さにも注意が向けられています。正しく血抜きをせずに肉を食べることは,『エホバに対して罪をおかす』こととみなされました。このことはまた,使徒 15章28節と29節で明らかにされているように,クリスチャン会衆にも当てはまります。
29 サムエル記第一の書はイスラエルのどんな国家的な誤りのもたらす結果を例証していますか。同時に,それは片意地な人々に対するどんな警告となりますか。
29 サムエル記第一の書は,天からなされる神の支配を非実際的なものとみなすようになった一国民の憐れむべき誤りを例証しています。(サムエル第一 8:5,19,20; 10:18,19)人間による支配の陥りやすい過ちやむなしさは,鮮やかに,また預言的に描写されています。(8:11-18; 12:1-17)サウルは最初,神の霊を持っていた慎み深い人であることが示されていますが(9:21; 11:6),義に対する愛と神への信仰が少なくなるにつれ,その判断はあいまいになり,その心は苦々しくなりました。(14:24,29,44)その初めの熱心さの記録は,その後のせん越さ,不従順,および神への不忠誠の行ないによって取り消されました。(サムエル第一 13:9; 15:9; 28:7。エゼキエル 18:24)その信仰の欠如は不安を生み,それが高じて,しっと,憎しみ,および殺人をもたらしました。(サムエル第一 18:9,11; 20:33; 22:18,19)サウルは生きていた時にもそうであったように,その神とその民にとって落伍者として,また彼のように「片意地」になる人に対する警告として死にました。―ペテロ第二 2:10-12。
30 サムエルのどんな特質を培うことは現代の奉仕者にとって益となりますか。
30 しかし,それとは対照的な良いこともあります。例えば,欺まんを行なったり,えこひいきや偏愛を示したりすることなく,一生涯イスラエルに仕えた忠実なサムエルの歩みに注目してください。(サムエル第一 12:3-5)彼は少年時代から熱心に従う人で(3:5),礼儀正しく,丁重で(3:6-8),務めを果たす点で信頼でき(3:15),その献身と専心の点でも不動で(7:3-6; 12:2),喜んで聴き従い(8:21),進んでエホバの決定を支持し(10:24),人物にかかわりなく裁きの点で確固としており(13:13),従順を大いに重んじ(15:22),また根気強く任務を果たしました。(16:6,11)彼はまた,ほかの人たちからも良い評判を得ていました。(2:26; 9:6)その若い時代の奉仕は,今日,奉仕の務めに従事するよう若い人たちを励ますものとなっているだけでなく(2:11,18),その生涯の終わりまで引退することなくその務めを継続したことは,老齢のために疲れを感じる人たちを鼓舞するものともなるでしょう。―7:15。
31 ヨナタンはどんな点で優れた模範ですか。
31 それから,ヨナタンの目覚ましい模範があります。彼は,もしかしたら自分が継承したかもしれない王の職務にダビデが任じられたことで,少しも悪感情を示しませんでした。むしろ,彼はダビデの優れた特質を認め,ダビデと友好関係の契約を結びました。同様の利他的な親密な交際は,今日,エホバに忠実に仕える人たちの中でたいへん人を築き上げ,励ますものとなります。―23:16-18。
32 ハンナやアビガイルのような女性には,どんな優れた特性が認められますか。
32 女性にとっては,夫に同伴して,定期的にエホバの崇拝の場所に通ったハンナの模範があります。彼女はよく祈りをささげる謙そんな女性で,約束を守って,エホバのご親切に対する感謝を示すため,その息子との交わりを断念しました。彼女はその子が生涯にわたってエホバに実りの多い奉仕をする人生のスタートを切るのを見ましたが,それは本当にすばらしい報いでした。(1:11,21-23,27,28)さらに,アビガイルの模範があります。彼女は女らしい服従と,ダビデの称賛を勝ち得た分別を示したので,後にその妻となりました。―25:32-35。
33 ダビデの恐れを知らない愛と忠誠は,どんな歩みをするよう,わたしたちを促すはずですか。
33 エホバに対するダビデの愛は,ダビデが「エホバの油そそがれた者」である堕落したサウルにより荒野で追い回されていた時に作った詩編の中で,感動的に表現されています。(サムエル第一 24:6。詩編 34:7,8; 52:8; 57:1,7,9)そして,ダビデは嘲弄者ゴリアテに挑戦した時,何という心からの認識を抱いてエホバのみ名を神聖なものとしたのでしょう。こう記されています。「わたしは……万軍のエホバのみ名をもってあなたに向かって行く。この日,エホバはあなたをわたしの手に引き渡され……全地の人々はイスラエルに神がおられることを知るであろう。そして,この全会衆は,エホバが剣や槍で救うのではないことを知るであろう。戦いはエホバのものであって,神は必ずあなた方をわたしたちの手に渡されるからである」。(サムエル第一 17:45-47)エホバの「油そそがれた者」である勇敢で忠節なダビデは,エホバを全地の神として,また救いの唯一の真の源である方として大いなるものとしました。(サムエル第二 22:51)わたしたちも恐れを知らないこの模範に,いつも従えますように!
34 エホバの王国の目的はダビデに関連してさらにどのように展開しますか。
34 サムエル記第一は神の王国という目的の進展については何を述べていますか。さあ,これで聖書のこの書の本当に重要な部分に触れることになります。というのは,ダビデが出て来るのは,この箇所だからです。その名には多分,「愛する者」という意味があります。ダビデはエホバに愛され,「その心にかなう人」,イスラエルの王となるにふさわしい人として選ばれました。(サムエル第一 13:14)こうして,その王国は創世記 49章9節と10節にあるヤコブの祝福の言葉と一致して,ユダの部族に移り,その王権はすべての民族の従順が帰属する支配者の来る時まで,ユダの部族のうちにとどまることになりました。
35 ダビデの名は王国の胤の名とどのように結び付けられるようになりましたか。その胤はダビデのどんな特質をこれから示しますか。
35 その上,ダビデの名は,やはりベツレヘムで生まれてダビデの家系から出た王国の胤の名と結び付けられています。(マタイ 1:1,6; 2:1; 21:9,15)その方は,「ユダ族の者であるライオン,ダビデの根」,また「ダビデの根また子孫であり,輝く明けの星」であられる,栄光を受けたイエス・キリストです。(啓示 5:5; 22:16)王国の支配権を執って統治しておられる,この「ダビデの子」は,神の敵との戦いに際して,その傑出した祖先の不動の態度と勇気をことごとく示して敵を滅びに至らせ,全地でエホバのみ名を神聖なものとするでしょう。この王国の胤に対するわたしたちの確信は何と強いものでしょう。
[脚注]
a 「最後の十字軍の物語」(英文),1923年,ビビアン・ギルバート少佐,183-186ページ。
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聖書の10番目の書 ― サムエル記第二『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の10番目の書 ― サムエル記第二
筆者: ガドとナタン
書かれた場所: イスラエル
書き終えられた年代: 西暦前1040年ごろ
扱われている期間: 西暦前1077年-1040年ごろ
1 サムエル記第二はどんな背景のもとに始まっていますか。その記述はどのように進展しますか。
イスラエル国民は,ギルボアでの惨事や,その結果生じた,勝ち誇るフィリスティア人による侵略のために絶望状態にありました。イスラエルの指導者たちやその若者たちの精鋭は死んでしまいました。このような背景のもとで,『エホバの油そそがれた者』であるエッサイの子の若いダビデは,国家的舞台いっぱいに登場しました。(サムエル第二 19:21)こうして,エホバとダビデの書とも呼べるサムエル記第二の書が始まります。その物語はあらゆる活動で満ちています。話の筋は敗北のどん底から勝利の絶頂へ,争いで分裂した国民の苦悩に満ちた時期から連合王国の繁栄の時期へ,活力のある青年期から知恵を備えた老年期へと進められて行きます。そこには,心をつくしてエホバに従うことに努めたダビデの一生が詳細に記されています。a その記述はすべての読者に心を探らせるものとなり,読者は創造者と自分自身との関係や自分の立場を強化することができます。
2 (イ)この書はどうしてサムエル記第二と呼ばれるようになりましたか。(ロ)その筆者たちはだれですか。どんな資格を持っていましたか。彼らはどんな記録だけを保存しようと努めましたか。
2 実際には,サムエルの名はサムエル記第二の記録の中では触れられてさえいません。ただ,この書は元来,サムエル記第一と共に一つの巻き物,つまり一巻の書だったので,その名がこの書に付されているようです。サムエル記第一を書き終えた預言者ナタンとガドは,サムエル記第二のすべてを書き続けました。(歴代第一 29:29)二人はこの仕事をする十分の資格を身につけていました。ガドはダビデがイスラエルで無法者として追われていた時にも彼と共にいましたし,ダビデの40年にわたる治世の終わりに際しても,なお活発にこの王と交わっていました。ガドは,愚かにもイスラエルの人数を数えたダビデに,エホバの不興の言葉を申し渡すのに用いられた人でした。(サムエル第一 22:5。サムエル第二 24:1-25)ダビデの親しい仲間である預言者ナタンの活動期間は,ガドの生涯の期間と一部重なり合っていますが,さらにそれより後にまで及びました。ダビデとのエホバの重要な契約,つまり永遠の王国のための契約を知らせるのは,ナタンの特権でした。バテ・シバにかかわるダビデの大きな罪とそれに対する罰を勇敢に,また霊感のもとに指摘したのも,ほかならぬナタンでした。(サムエル第二 7:1-17; 12:1-15)こうしてエホバは,その名が「[神が]お与えになった」という意味のナタンと,「幸運」という意味のガドを用いて,霊感を受けた有益な情報をサムエル記第二の中に記録させました。これらのつつましい歴史家たちは自分自身の記憶を保存しようとはしませんでした。ですから,自分たちの先祖のことや個人の生活については何の情報も述べられていません。この二人は後代のエホバの崇拝者たちの益のために,神の霊感による記録を保存することにのみ努めたのです。
3 サムエル記第二はどの期間を扱っていますか。その著述はいつ終えられましたか。
3 サムエル記第二は,イスラエルの初代の王サウルの死以後の正確な聖書歴史の物語で始まっており,話をダビデの40年にわたる治世の終わり近くにまで進めています。ですから,扱われている期間は西暦前1077年から1040年ごろにまで及びます。この書にダビデの死のことが記されていないという事実は,これが西暦前1040年ごろ,あるいはその死の少し前に書かれたことを示す強力な証拠です。
4 どんな理由で,サムエル記第二も聖書正典の一部として受け入れなければなりませんか。
4 サムエル記第一に関して述べられた同じ理由で,サムエル記第二の書も聖書の正典の一部として受け入れられなければなりません。その信ぴょう性には疑問の余地がありません。ダビデ王の罪や欠点をさえ言い繕おうとしない,その真の正直さは,それ自体強力な状況証拠です。
5 サムエル記第二を霊感を受けた聖書の一部として受け入れるべき最も強力な理由とは何ですか。
5 しかし,サムエル記第二の信ぴょう性を示す最も強力な証拠は,成就した預言,それも特にダビデとの王国契約に関して成就した預言のうちに見いだせます。神はダビデにこう約束されました。「あなたの家とあなたの王国は確かにあなたの前に定めのない時までも動くことがない。あなたの王座は,定めのない時までも堅く立てられたものとなる」。(7:16)ユダ王国の末期のころでさえ,エレミヤは次のような言葉を述べて,ダビデの家に対するこの約束が持続していることを指摘しました。「エホバはこのように言われた……『ダビデについては,イスラエルの家の王座に座す者が断たれることはない』」。(エレミヤ 33:17)この預言が成就を見ないままに終わることはありませんでした。というのは,エホバは後に,聖書が明白に証言している通り,「ダビデの子,イエス・キリスト」をユダから産み出されたからです。―マタイ 1:1。
サムエル記第二の内容
6 ダビデはサウルとヨナタンの死についての知らせを聞くと,どんな反応を示しますか。
6 ダビデの治世の初期の出来事(1:1-4:12)。ギルボア山でサウルが死んだ後に,戦場からの逃亡者である一人のアマレク人が,報告を携えてチクラグのダビデのもとに急いでやって来ます。彼はダビデの機嫌を取ろうと考えて,サウルの命を取ったのは自分であると言って話をでっち上げます。しかし,そのアマレク人は褒められるどころか,死の報いを受けたにすぎません。というのは,彼は「エホバの油そそがれた者」を討ったことを証言して,自らを罪ある者としたからです。(1:16)新しい王ダビデはそこで,「弓」と題する一つの哀歌を作り,その中でサウルとヨナタンの死を悼みます。この歌はヨナタンに対するダビデのあふれるばかりの愛を言い表わした感動的な表現をもって見事な最高潮へと盛り上がって行きます。「わたしの兄弟ヨナタン,わたしはあなたのために苦しんでいる。あなたはわたしにとって非常に快い人だった。あなたの愛はわたしにとって女の愛よりもすばらしかった。ああ,力のある者たちは倒れた。戦いの武器は滅びうせた!」―1:17,18,26,27。
7 ほかにダビデの治世の初めの時期を特色づけるどんな出来事がありますか。
7 エホバの導きのもとに,ダビデとその部下は自分たちの家の者たちをユダの領地のヘブロンへ移します。ここで,その部族の長老たちがやって来て,西暦前1077年にダビデを自分たちの王として,これに油をそそぎます。将軍ヨアブはダビデの支持者の中でも最も傑出した者となります。ところが,この国民に対する王権を主張する対抗者として,サウルの子イシ・ボセテが軍の長アブネルによって油そそがれます。対立するこの二つの勢力の間では断続的に衝突が繰り返され,アブネルはヨアブの兄弟を殺します。最後に,アブネルはダビデの陣営に走ります。そして,アブネルはサウルの娘ミカルをダビデのもとに連れて来ます。ダビデはこのミカルのためにずっと前に婚姻料を支払いました。ところで,ヨアブは殺害された自分の兄弟のために復しゅうしようとして,アブネルを殺す機会を見つけます。ダビデはこの事でたいへん苦しみ,その責任を一切拒否します。その後まもなく,イシ・ボセテ自身,「昼寝をしていた」時に殺害されます。―4:5。
8 エホバは全イスラエルを支配するダビデの治世をどのように繁栄させますか。
8 エルサレムの王ダビデ(5:1-6:23)。ダビデはすでにユダで王として7年6か月間支配しましたが,今や争う者のない支配者となり,諸部族の代表者たちは彼を全イスラエルの王として油そそぎます。油をそそがれるのはこれで3度目です(西暦前1070年)。王国全体の支配者としてのダビデの最初の行動の一つは,地下水道を通って,守りを固めているエブス人を急襲し,彼らからエルサレムのシオンのとりでを攻め取ることです。それから,ダビデはエルサレムを首都とします。万軍のエホバはダビデを祝福し,これをますます大いなる者とならせます。ティルスの金持ちの王ヒラムでさえ,王のための家を建造するため貴重な杉材や労働者たちをダビデのもとに送ります。ダビデの家族は増し加わり,エホバはその治世を繁栄させます。その後,好戦的なフィリスティア人とさらに2回戦いを交えます。そのうちの最初の戦いで,エホバはバアル・ペラツィムでダビデのために敵を討ち破り,彼に勝利を得させます。2番目の戦いで,エホバはもう一つの奇跡を行ない,「バカの茂みのてっぺんで行進の音」を聞こえさせます。それは,エホバがイスラエルの先頭に立って進み,フィリスティア人の軍勢を敗走させようとしておられることを示すものです。(5:24)エホバの軍勢にとって,もう一つの著しい勝利となります。
9 箱をエルサレムに運ぶことに関連して生じた出来事を述べなさい。
9 ダビデは3万人の部下を連れて,契約の箱をバアレ・ユダ(キルヤト・エアリム)からエルサレムへ運ぶことに着手します。その箱が盛大な音楽と歓声をもって運ばれて行くと,その箱を載せた車が不意に傾き,一緒に歩いているウザが聖なる箱を押さえようとして手を伸ばします。「すると,エホバの怒りがウザに対して燃え盛り,まことの神はその不敬な行為のためにそこで彼を打ち倒され」ました。(6:7)箱はオベデ・エドムの家にとどまるようになり,その後の3か月間,エホバはオベデ・エドムの家の者を豊かに祝福されます。3か月後,ダビデは箱を正しい仕方で運んで残りの道を進ませるためにやって来ます。喜びの叫びが上がり,音楽が奏でられ,踊りが行なわれる中で,その箱はダビデの首都に運び込まれます。ダビデはエホバの前で踊って,大いなる喜びを表わしますが,その妻ミカルはこのことで苦情を言います。ダビデは,「わたしはエホバの前で祝うのだ」と言い張ります。(6:21)このために,ミカルはその死ぬ時まで子供のないままでいます。b
10 次に,エホバのどんな契約と約束がわたしたちの注意を引きますか。
10 ダビデとの神の契約(7:1-29)。さて,ここで,ダビデの生涯の中で最も重要な出来事の一つ,聖書の中心主題,すなわち約束された胤の治める王国によってエホバのみ名が神聖なものとされることに直接関係のある出来事が生じます。この出来事は,神の箱のために家を建てたいというダビデの願いから生じます。ダビデは,自分自身は杉材でできた美しい家に住んでいたので,エホバの契約の箱のために一つの家を建てたいという願いをナタンにそれとなく知らせます。エホバはナタンを通して,イスラエルに対するご自分の愛ある親切をダビデに再び保証し,いつまでも持続する契約をダビデと堅く結ばれます。しかし,エホバのみ名のための家を建てるのは,ダビデではなく,その胤です。さらにエホバは次のような愛ある約束をなさいます。「そして,あなたの家とあなたの王国は確かにあなたの前に定めのない時までも動くことがない。あなたの王座は,定めのない時までも堅く立てられたものとなる」― 7:16。
11 ダビデはどんな祈りをささげて,感謝の念を表明しますか。
11 この王国契約を通して表明された,エホバの善良さに圧倒されたダビデは,神の愛ある親切のすべてに対する感謝の念を次のように吐露します。「地のどんな一国民があなたの民イスラエルのようでしょう。神は行って,彼らを一つの民としてご自身のために請け戻し,名声を博し,彼らのために大いなる,畏怖の念を起こさせること……をなさいました。……エホバよ,あなたが彼らの神となられました」。(7:23,24)彼はエホバのみ名が神聖にされることと,ダビデの家がみ前に堅く立てられることとを熱烈に祈ります。
12 ダビデはどんな戦いを行ないますか。彼はサウルの家にどんな親切を示しますか。
12 ダビデはイスラエルの領土を拡張する(8:1-10:19)。しかし,ダビデは平和裏に支配するままにされるのではありません。戦いはなおも行なわなければなりません。ダビデはフィリスティア人,モアブ人,ツォバ人,シリア人,およびエドム人を次々に打ち倒し,イスラエルの境界を神の定められた限界まで拡張します。(サムエル第二 8:1-5,13-15。申命記 11:24)それから彼はサウルの家に注意を向けます。それは,ヨナタンのために,生き残っている人に対して愛ある親切を表わすためです。サウルの僕ヂバは,ヨナタンの息子で足の不自由なメピボセテにダビデの注意を引きます。直ちにダビデは,サウルの財産がすべてメピボセテに引き渡され,メピボセテの家に食物を供給するよう,またその土地がヂバとその僕たちによって耕作されるよう求めます。しかし,メピボセテ自身はダビデの食卓で食べることになります。
13 エホバはご自分がダビデと共にいることを示す別のどんな勝利をもたらされますか。
13 アンモンの王が死ぬと,ダビデはその子ハヌンのもとに愛ある親切のしるしとなるものを持たせて,使節たちを派遣します。ところが,ハヌンの助言者たちは,それらの使節をよこしたのはその地を探らせるためであるとしてダビデを非難し,そのために彼らはその使節たちを辱めて,半ば裸にして帰してよこします。この無礼な処置のために怒ったダビデは,その悪行に報復するため,ヨアブとその軍隊を差し向けます。ヨアブはその軍勢を二手に分けて,アンモン人と彼らを助けに上って来たシリア人とを難なく敗走させます。シリア人はその軍勢を編制し直しますが,ダビデの指揮のもとでエホバの軍勢により,またもや敗北を喫することになり,兵車の御者700人と騎手4万人を失います。これはエホバの恵みと祝福がダビデの上にあることをさらに示す証拠となります。
14 ダビデはバテ・シバのことでどんな罪を犯しますか。
14 ダビデはエホバに対して罪をおかす(11:1-12:31)。翌年の春,ダビデは再びヨアブをアンモンに遣わし,ラバを包囲させますが,ダビデ自身はエルサレムにとどまっています。ある夕方,彼はたまたま屋上から,ヒッタイト人ウリヤの妻である美しいバテ・シバが水浴しているのを眺めます。彼は彼女を自分の家に連れて来させ,彼女と関係を持ち,彼女は身ごもります。ダビデはラバの戦場からウリヤを戻し,自分の家に行って休養を取るように仕向け,罪を押し隠そうとします。しかしウリヤは,箱と軍隊が「仮小屋にとどまって」いるので,自分だけ勝手に行動して妻と関係を持とうとはしません。やけになったダビデは次のように述べた1通の手紙を持たせて,ウリヤをヨアブのもとに送り返します。「ウリヤを戦いの最も激しい前線に置け。あなた方は彼の後ろから退却し,彼が討ち倒されて死ぬようにするのだ」。(11:11,15)こうしてウリヤは死にます。バテ・シバの喪の期間が過ぎた後,ダビデは直ちに彼女を自分の家に連れて来て,そこで彼女はその妻となり,両人の子,息子が生まれます。
15 ナタンはどのように預言的な裁きをダビデに宣告しますか。
15 これはエホバの目にとって悪いことです。神は裁きの音信を持たせて預言者ナタンをダビデのもとに遣わします。ナタンはある富んだ人と貧しい人についてダビデに話します。その富んだ人は多くの羊を持っていましたが,その貧しい人は1頭の雌の子羊しか持っていませんでした。子羊はその家族のペットで,「彼にとって娘のよう」でした。ところが,宴を用意するときが来ると,その富んだ人は自分の羊の群れの中の羊ではなく,この貧しい人の雌の子羊を取りました。これを聞いて憤ったダビデは,次のように叫びます。「エホバは生きておられる。そんなことをした男は死に値する!」すると,ナタンの言葉が返ってきます。「あなたがその人です!」(12:3,5,7)それから彼は,ダビデの妻たちがほかの人によって公然と犯され,その家は内戦のために悩まされ,またバテ・シバによるその子供は死ぬことになるという預言的な裁きを宣告します。
16 (イ)バテ・シバによるダビデの2番目の子の名にはどんな意味が付されていますか。(ロ)ラバに対する襲撃の最終結果はどうなりますか。
16 誠実な態度で悲しみ,悔い改めたダビデは,「わたしはエホバに対して罪をおかした」と公に認めます。(12:13)エホバの言葉通り,その姦淫の関係から生まれた子は,七日間病んだ後に死にます。(後に,ダビデはバテ・シバによってもう一人の子を得ます。二人はその子を「平和」という意味の語根に由来するソロモンという名で呼びます。しかし,エホバはナタンを通してその子を「ヤハの愛する者」という意味のエディデヤとも呼ぶように伝えます。)魂を震えさせるような経験をした後,ダビデはラバに来るようヨアブから呼ばれます。そのラバでは,最後の襲撃の用意が行なわれています。その都市の水の供給源を攻め取ったヨアブは,敬意を表して,その都市そのものを攻略する誉れを王のものとして残します。
17 どんな内紛がダビデの家を苦しめるようになりますか。
17 ダビデの家庭内の困難(13:1-18:33)。ダビデの息子の一人アムノンがその異母兄弟アブサロムの妹タマルに激しい恋をしてから,ダビデの家の悩みが始まります。アムノンは病気を装い,世話をしてもらうために美しいタマルを遣わして欲しいと頼みます。彼はタマルを犯し,そののち彼女を激しく憎むようになり,彼女を辱めたまま去らせます。アブサロムは復しゅうを計画し,時機を待ちます。約2年の後,彼は宴を用意し,アムノンをはじめ,王のほかの息子たちすべてが招かれます。アムノンの心がぶどう酒で楽しい気分になると,アブサロムの命令で,彼は油断しているところを討たれて殺されます。
18 アブサロムはどんな策略によって流刑の身から復帰することになりますか。
18 王の不興を恐れたアブサロムは,ゲシュルに逃げ,そこで3年間,流刑同然の生活をします。その間に,ダビデの軍の長ヨアブはダビデとアブサロムの和解を図ろうと企てます。彼はテコアの,ある賢い婦人を用いて,報復,追放,および処罰に関して王の前で架空の状況を述べさせるように取り計らいます。王が裁きを述べると,その婦人は自分がその場に居合わせている真の理由を明らかにし,王自身の子アブサロムがゲシュルに追放されていることを告げます。ダビデはヨアブがこれを計画したことに気づきますが,我が子がエルサレムに戻ることを許します。それからさらに2年たって,王は差し向かいでアブサロムと会うことを承諾します。
19 今や,どんな陰謀が明るみに出ますか。その結果,ダビデはどうなりますか。
19 ダビデの愛ある親切にもかかわらず,アブサロムはほどなくしてその父から王座を奪う陰謀をたくらみます。アブサロムはイスラエルのすべての勇敢な人々の中でも際立って麗しい人で,そのために彼は野心と誇りを募らせます。毎年,その豊かな髪の毛は刈り取られますが,その重さは,2.3㌔ほどあります。(サムエル第二 14:26,脚注)アブサロムは様々の巧妙な手を使って,イスラエルの人々の心をこっそりとつかむようになります。最後に,その陰謀は明るみに出ます。ヘブロンに行く許可をその父から得たアブサロムは,そこで謀反を表明し,ダビデに対するその反乱を支持するよう全イスラエルに呼びかけます。大勢の人々が謀反を起こしたその息子の側に群れをなして付くので,ダビデは少数の忠節な支持者たちと共にエルサレムから逃げて行きます。それらの支持者の典型的な人物はギト人イッタイで,彼はこう言明します。「エホバは生きておられ,王なる我が主も生きておられます。王なる我が主のおられる所に,生死いずれのためでも,この僕も必ずそこにおります!」―15:21。
20,21 (イ)ダビデの逃走中,どんな出来事が生じますか。ナタンの預言はどのように成就しますか。(ロ)裏切りを働いたアヒトフェルはどのようにその最期を迎えますか。
20 エルサレムから逃げる途中,ダビデはその最も信頼していた助言者の一人,アヒトフェルの背信行為について知り,こう祈ります。「エホバよ,どうか,アヒトフェルの助言を愚かなものにしてください!」(15:31)ダビデに忠節な祭司であるザドクとアビヤタル,およびアルキ人フシャイは,アブサロムの行動を見守り,それについて報告するようエルサレムに送り返されます。その間に,ダビデは荒野でメピボセテの従者ヂバに会います。このヂバは,今や王国がサウルの家に戻ることをその主人が望んでいると報告します。ダビデがさらに通って行くと,サウルの家の者であるシムイがダビデをのろい,これに石を投げ付けますが,ダビデは仕返しをしないよう,その部下を抑えます。
21 一方エルサレムでは,アヒトフェルの勧めで,王位さん奪者アブサロムがその父のそばめたちと「全イスラエルの目の前で」関係を持ちます。こうして,ナタンの預言的な言葉は成就します。(16:22; 12:11)また,アヒトフェルは1万2,000人の兵を取って,荒野でダビデを追跡するようアブサロムに助言します。しかし,うまく事を運んでアブサロムの信用を得たフシャイは,別の手段を勧めます。そして,ダビデが祈り求めた通り,アヒトフェルの助言は覆されます。失望したアヒトフェルはユダのように,家に帰って自ら首をくくります。フシャイはひそかにアブサロムの計画を祭司ザドクとアビヤタルに伝え,次いでこの二人はその知らせを代わりの者たちを通して荒野にいるダビデのもとに伝えさせます。
22 ダビデの勝利の喜びはどんな悲しみのために薄れますか。
22 こうして,ダビデはヨルダンを渡り,マハナイムの森で戦場を選べるようになります。その場所で彼は軍隊を展開し,彼らにアブサロムを優しく扱うよう命じます。反抗者たちは大敗北を被ります。アブサロムはらばに乗って,樹木のたくさん茂った森を通って逃げて行くと,その頭が大木の低い枝に引っ掛かり,そこで空中にぶら下がってしまいます。ヨアブは窮境に陥ったアブサロムを見つけると,王の命令を全く無視して,彼を殺します。その子の死について聞いた時のダビデの深い悲しみは,次のようなその哀悼の言葉の中に表わされています。「我が子アブサロム,我が子,我が子アブサロムよ! ああ,わたしが,このわたしが,お前の代わりに死ねばよかったのに。アブサロム,我が子よ,我が子よ!」―18:33。
23 ダビデの王としての帰還を特色づけるどんな取り決めがありますか。
23 ダビデの治世の末期の出来事(19:1-24:25)。王としての当然の立場に戻るようヨアブから勧められるまで,ダビデは引き続き激しく嘆き悲しみます。さて,彼はヨアブの代わりにアマサを軍隊の頭として任じます。ダビデは帰還すると,人々から歓迎されます。その中には,ダビデから命を容赦してもらうシムイもいます。メピボセテもまたやって来て,自分のことを弁護し,ダビデは彼にヂバと同等の相続物を与えます。イスラエルとユダ全体はもう一度,ダビデのもとで結び合わされます。
24 ベニヤミンの部族のかかわる,さらにどんな事態が生じますか。
24 しかし,さらに悩みが待ち受けています。ベニヤミン人シェバは自ら王だと宣言し,多くの者をダビデから離れさせます。人々を集めてその謀反を抑えるようダビデから命じられたアマサは,ヨアブに出会いますが,裏切られて殺害されます。それからヨアブは軍勢を率いて,シェバの後を追ってベト・マアカの都市アベルへ行き,そこを包囲します。その都市のある賢い女性の助言に留意した住民がシェバを処刑すると,ヨアブは退きます。サウルはかつてギベオン人を殺害しましたが,その流血の罪の恨みが晴らされていなかったため,イスラエルでは3年の飢きんが生じます。その流血の罪を除くため,サウルの家の七人の息子たちが処刑されます。後に,再び起きたフィリスティア人との戦いの際,ダビデはおいのアビシャイによって危うく命を救われます。部下たちは,ダビデに誓い,もはや自分たちと一緒に戦いに出ていただくわけにはゆかないと言って,「あなたがイスラエルのともしびを絶やさないためです!」と述べます。(21:17)それから,ダビデの力ある者たちのうちの3人がフィリスティア人の巨人たちを討ち倒して,著しい手柄を立てます。
25 次に記されているダビデの歌の中では,どんなことが言い表わされていますか。
25 この時点で,筆者はエホバへのダビデの歌を突然記述に加えます。これは詩編 18編と対応する歌で,「そのすべての敵のたなごころと,サウルのたなごころから」救い出されたことに対する感謝を表わしたものです。彼は喜びにあふれてこう述べます。「エホバはわたしの大岩,わたしのとりで,わたしを逃れさせてくださる方。ご自分の王のために救いの大いなる働きを行ない,愛ある親切をその油そそがれた者に,ダビデとその胤とに定めのない時までも表わす方よ」。(22:1,2,51)それから,ダビデの最後の歌が続きますが,その中で彼は,「わたしによって語ったのはエホバの霊で,その言葉はわたしの舌の上にあった」と認めます。―23:2。
26 ダビデの力ある者たちに関して,どんなことが述べられていますか。ダビデは彼らの命の血に対する敬意をどのように示しますか。
26 ここで話は歴史的な記録に戻り,ダビデに属する力ある者たちのことが挙げられていますが,そのうちの3人は傑出した人たちです。これらの人は,フィリスティア人の前哨基地がダビデの郷里ベツレヘムに設営されたときに起きた,ある出来事と関係しています。ダビデは自分の願いをこう言い表わします。「ああ,門の傍らにあるベツレヘムの水溜めの水を一杯飲めたらよいのだが」。(23:15)そこで,その3人の力ある者たちはフィリスティア人の陣営に無理に突入して,その水溜めから水を汲み,それをダビデのもとに持ち帰ります。しかしダビデはそれを飲むのを拒みます。そうする代わりに,彼はその水を地面に注ぎ出してこう言います。「エホバよ,このようなことをするなど,わたしには考えられないことです! 自分の魂をかけて行った人々の血をわたしは飲めるでしょうか」。(23:17)ダビデにとってその水は,彼らがそのためにかけた命の血も同然だったのです。次に,ダビデの軍隊の中の最も力のある者30人とその偉業が列挙されています。
27 最後にダビデはどんな罪を犯しますか。その結果生じた災いは,どのようにして止められますか。
27 最後に,ダビデは民の人数を数えて罪をおかします。ダビデは神に憐れみを請うと,次の三つの処罰,すなわち7年の飢きん,3か月の軍事的敗北,あるいは国内の三日間の疫病のうちの一つを選ぶようにと言われます。ダビデはこう答えます。「どうか,エホバのみ手に陥らせてください。その憐れみは多いからです。しかし,人の手にはわたしを陥らせないでください」。(24:14)その国家的な規模の疫病のために7万人が死に,ダビデがガドを通して与えられたエホバの指図に従って行動を起こし,アラウナの脱穀場を購入して,そこでエホバへの焼燔の犠牲および共与の犠牲をささげて初めて,その疫病はやみます。
なぜ有益か
28 サムエル記第二の中には,どんな際立った警告が収められていますか。
28 サムエル記第二の中には,現代の読者にとって有益な事柄が実に数多く見いだされます。ここでは,人間のほとんどあらゆる感情,つまり実生活における感情が,最高の強烈さをもって生き生きと描写されています。このようなわけで,野心や復しゅう心のもたらす悲惨な結果(3:27-30),ほかの人の配偶者に対する誤った欲望(11:2-4,15-17; 12:9,10),裏切り行為(15:12,31; 17:23),情欲だけに基づく愛(13:10-15,28,29),軽率な判断(16:3,4; 19:25-30),およびほかの人の専心の行為に対する無礼な態度などに関して注目すべき言葉で読者に警告が与えられています。―6:20-23。
29 正しい振る舞いや行動に関するどんな優れた模範がサムエル記第二に見いだせますか。
29 しかし,サムエル記第二から得られる最大の益は,正しい振る舞いや行動に関する多くの優れた模範に留意することによって得られる積極的な面に見いだせます。ダビデは,神への全き専心(7:22),神のみ前における謙虚さ(7:18),エホバのみ名を高めること(7:23,26),逆境における正しい見方(15:25),罪を誠実に悔い改めること(12:13),約束を忠実に守ること(9:1,7),試練のもとで平衡を保つこと(16:11,12),終始一貫エホバに頼ること(5:12,20),エホバの取り決めや任命に対する深い敬意(1:11,12)などの点で手本を示しています。ダビデが「[エホバの]心にかなう人」と呼ばれたのも不思議ではありません。―サムエル第一 13:14。
30 サムエル記第二ではどんな原則が適用され,例示されていますか。
30 サムエル記第二の中にはまた,聖書の数多くの原則の適用を示す例も見いだせます。その中には,連帯責任の原則(サムエル第二 3:29; 24:11-15),物事を善意からするにしても,神の要求は変わらないこと(6:6,7),エホバの神権的な取り決めにおける頭の権は尊ばれなければならないこと(12:28),血は神聖なものとみなさなければならないこと(23:17),流血の罪に対しては贖罪が要求されること(21:1-6,9,14),賢い人は多くの人のために災難を回避させることができること(サムエル第二 20:21,22。伝道の書 9:15),エホバの組織とその代表者たちに対する忠節は,「生死いずれのためでも」保たなければならないことなどの原則があります。―サムエル第二 15:18-22。
31 サムエル記第二は,クリスチャン・ギリシャ語聖書で確証されているように,神の王国を予想させる事柄をどのように示していますか。
31 中でも,最も重要なこととして,サムエル記第二は,神が「ダビデの子」イエス・キリストの手中にお立てになる神の王国を指し示し,その王国を予想させる輝かしい事柄を述べています。(マタイ 1:1)エホバがダビデに,その王国の永続性に関して行なわれた誓い(サムエル第二 7:16)は,イエスに関連して使徒 2章29節から36節で参照されています。「わたしは彼の父となり,彼はわたしの子となる」(サムエル第二 7:14)という預言は,実際にはイエスを指し示していたことが,ヘブライ 1章5節に示されています。このことはまた,「これはわたしの子,わたしの愛する者である。この者をわたしは是認した」と,天から語ったエホバの声によっても立証されています。(マタイ 3:17; 17:5)最後に,ダビデとの王国契約は,イエスに関して次のようにマリアに話された言葉の中で,ガブリエルによって言及されています。「これは偉大な者となり,至高者の子と呼ばれるでしょう。エホバ神はその父ダビデの座を彼に与え,彼は王としてヤコブの家を永久に支配するのです。そして,彼の王国に終わりはありません」。(ルカ 1:32,33)わたしたちの眼前で段階を追って一歩一歩進展してゆく王国の胤についての約束は,何と感動的なものなのでしょう。
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