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  • 聖書の13番目の書 ― 歴代誌第一
    『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
    • 1 歴代誌第一はどんな点で神聖な記録の肝要で有益な書の一つと言えますか。

      歴代誌第一は無味乾燥な単なる系図の一覧表ですか。それはサムエル記や列王記の書の単なる繰り返しにすぎませんか。決してそうではありません。ここには神聖な記録の啓発的で肝要な部分があるのです。つまり,これは書かれた当時,国民とその崇拝を再組織する上で肝要なものでしたし,また現代を含め,後の時代のための聖なる崇拝の型を示す上でも肝要で,有益なものです。歴代誌第一には聖書全巻の中に見られる,エホバに対する,最も美しい賛美の表現の幾つかが収められています。この書はエホバの義の王国を予想させるすばらしい事柄を述べているので,その王国に望みを置く人々すべてにとって,この書を研究することは有益です。ユダヤ人もクリスチャンも昔から,この歴代誌の二つの書をこの上なく大切にしてきました。聖書の翻訳者,ヒエロニムスは歴代誌第一および第二を大変高く評価していたので,これら二つの書を「旧約聖書の要約」とみなし,「これらの書は極めて重要なものであるゆえに,自分は聖書に通じていると考えていながら,これらの書について知らない人は,自分自身を欺いているにすぎない」と断言しました。a

      2 歴代誌が書かれたのはなぜですか。

      2 歴代誌の二つの書は元来一つの書,もしくは巻き物だったようですが,後に便宜上二つに分けられました。歴代誌はなぜ書かれたのでしょうか。その背景を考えてみてください。バビロンへの流刑は77年ほど前に終わりを告げました。ユダヤ人は自分たちの国に再び定住しました。しかし,エルサレムの再建された神殿では,エホバの崇拝から逸脱しそうな危険な傾向がありました。エズラは裁き人,ならびに神の律法や王の法律の教師を任じたり,エホバの家を美化したりする権限をペルシャの王から与えられていました。ただ正式に認可された人だけが祭司職に就いて奉仕できるようにしたり,部族の相続権を確認して,祭司職に対する支持が得られるようにしたりするには,正確な系図が必要でした。王国に関するエホバの預言から考えても,やはりユダおよびダビデの家系の明確で信頼できる記録を持つのは肝要なことでした。

      3 (イ)エズラはユダヤ人の内に何を吹き込みたいと願っていましたか。(ロ)彼はなぜユダの歴史を際立たせましたか。また,清い崇拝の重要性をどのように強調しましたか。

      3 エズラは復帰したユダヤ人をその無関心な状態から奮起させ,自分たちは確かにエホバの契約によって与えられた愛ある親切を受け継ぐ者であるという認識を彼らに吹き込みたいという熱烈な願いを抱いていました。ですから,歴代誌の中で,エズラは自国民の歴史,および最初の人アダムにまでさかのぼる人類の起源に関する完全な記述を彼らの前に提示したのです。ダビデの王国が焦点となっていたので,エズラはユダの歴史を際立たせ,10部族の王国の絶対に正当化し得ない記録をほとんど全部省略しました。そして,ユダの最も偉大な王たちを神殿の建造あるいは修復に携わり,神への崇拝の点で熱心に率先した人物として描きました。彼はその王国の倒壊をもたらした宗教上の罪を指摘する一方,回復に関する神の約束をも強調しました。エズラはまた,神殿やその祭司たち,レビ人たち,歌の教師たちその他に関する多くの詳細な点に注意を集中して,清い崇拝の重要性を力説しました。イスラエル人にとって,流刑から帰還した理由 ― エルサレムにおけるエホバの崇拝の回復 ― に焦点を合わせた歴史的な記録を持つのは,非常に励みになることだったに違いありません。

      4 エズラが歴代誌の筆者であることをどんな証拠が裏付けていますか。

      4 エズラが歴代誌を書いたことを示すどんな証拠がありますか。歴代誌第二の終わりの2節にはエズラ記の冒頭の2節と同じ表現が見られ,歴代誌第二はエズラ 1章3節で完結している一つの文の真ん中で終わっています。ですから,歴代誌の筆者はエズラ記の筆者でもあったに違いありません。このことはさらに,歴代誌とエズラ記の文体,言葉遣い,用語,およびつづり字が同じであるということによっても裏付けられています。これら二つの書に出てくる表現の幾つかは聖書のほかの書には見当たりません。エズラ記を書いたエズラはまた,歴代誌をも書いたに違いありません。ユダヤ人の伝承もこの結論を支持しています。

      5 エズラにはどんな霊的および世俗の資格がありましたか。

      5 この信頼の置ける正確な歴史を編さんするのに,エズラよりも勝った資格のある人はいませんでした。こう記されています。「エズラは,エホバの律法を調べ,これを行ない,イスラエルで規定と公義を教えるよう心を定めていたからである」。(エズラ 7:10)エホバは聖霊によってエズラを援助されました。ペルシャの世界支配者はエズラの内に神の知恵を認め,ユダの管轄地域における広範な民政権を彼に委任しました。(エズラ 7:12-26)こうして,神および皇帝からの権威を授けられたので,エズラは入手できる最善の文献を用いて,その記述を編さんすることができました。

      6 わたしたちが歴代誌の正確さに対する確信を抱けるのはなぜですか。

      6 エズラは非凡な研究者でした。彼はそれぞれの時代の信頼できる預言者たちや,公式の記録官や公の記録の保管者たちによって編さんされたユダヤ人の歴史に関する古い記録を徹底的に研究しました。彼の調べた文書のあるものはイスラエルおよびユダ双方の公文書,系図上の記録,預言者たちによって記された史的著作,および部族もしくは氏族の頭の所有していた文書類だったのかもしれません。エズラは少なくとも20のそのような情報源を挙げています。b それらの資料を率直に挙げることにより,エズラは同時代の人たちに,望むなら資料を確かめることのできる機会を誠実に与えましたが,これはエズラの言葉の真実性と信ぴょう性を支持する論拠に相当の重みを加えるものとなります。今日,わたしたちは,エズラの時代のユダヤ人が確信を抱いていたのと同じ理由で,歴代誌の書の正確さに対する確信を抱くことができます。

      7 歴代誌はいつ書かれましたか。だれがこれを信頼の置ける書とみなしてきましたか。どんな時期のことを扱っていますか。

      7 エズラはペルシャの王アルタクセルクセス・ロンギマヌスの第七年,すなわち西暦前468年に,「バビロンから上って来た」ので,彼は西暦前455年にネヘミヤが到着した重要な出来事について何も記していません。ですから,歴代誌はこれらの年代の間の時期に,恐らく西暦前460年ごろエルサレムで書き終えられたに違いありません。(エズラ 7:1-7。ネヘミヤ 2:1-18)エズラの時代のユダヤ人は,歴代誌を『神の霊感を受けたもので,有益な聖書全体』の紛れもない一部として受け入れていました。彼らはこれを「その時代の事績」,すなわちその時代の歴史という意味の「ディブレー ハイヤーミーム」と呼びました。およそ200年の後,ギリシャ語セプトゥアギンタ訳の翻訳者たちもまた,歴代誌を正典の書として含めました。それら翻訳者たちはこの書を二つの部分に分け,これをサムエル記および列王記,もしくは当時の聖書全体の補足となるものと考え,これを「見逃された(語られていない; 省かれた)もの」という意味のパラレイポメノンと呼びました。この名称は特に適切と言えるわけではありませんが,それでも彼らがそのように呼んだということは,歴代誌を信頼の置ける霊感を受けた聖書の一部とみなしていたことを示しています。ラテン語ウルガタ訳の準備に取りかかっていたとき,ヒエロニムスは,「我々は[これを]神聖な歴史全体のクロニコンと呼ぶほうが,一層よく意味を表わせるであろう」と勧めました。「歴代誌」(英語,クロニクルズ)という表題は,ここから来たと考えられています。歴代誌というのは,出来事を年代順に記した記録のことです。歴代誌第一は系図を列挙した後,主に西暦前1077年からダビデ王の亡くなる時までの同王の時代のことを取り扱っています。

      歴代誌第一の内容

      8 歴代誌第一はどんな二つの部分に分かれていますか。

      8 歴代誌第一と呼ばれるこの書は,必然的に二つの部分に分かれます。最初の9章は主に系図を扱っており,後の20章はサウルの死からダビデの治世の終わりまでの40年間の出来事を取り扱っています。

      9 歴代誌の書かれた時代をもっと後代とする見方を支持すべき理由がないのはなぜですか。

      9 系図(1:1-9:44)。これらの章は,アダムからゼルバベルの家系に至るまでの系図を掲げています。(1:1; 3:19-24)多くの翻訳の訳し方によれば,ゼルバベルの家系が10代ほど後代まで記されています。彼が西暦前537年にエルサレムに戻ってから,エズラが書き終えたと考えられる西暦前460年までの期間は,それほど多くの世代の人々が生まれるには十分ではなかったでしょう。しかし,この箇所のヘブライ語本文は不完全ですから,記載されている人々の大半がゼルバベルとどのように親族関係にあったかを断定することはできません。したがって,一部の人々がしているように,歴代誌の書かれた時代をもっと後代とする見方を支持すべき理由はありません。

      10 (イ)まず,どの世代のことが挙げられていますか。(ロ)2章の初めからどんな系図を筋道の通った仕方でたどれますか。(ハ)ほかにどんな一覧表が掲げられ,それはどんな事柄で終わっていますか。

      10 まず,アダムからノアまでの10世代,次いでアブラハムに至るまでの10世代が挙げられています。アブラハムの子らと彼らの子孫,エサウおよびセイルの山地に住んだセイルの後裔,そしてエドムの初期の王たちが列挙されています。しかし,2章以降,記録はイスラエルつまりヤコブの子孫のことを扱っており,そのイスラエルの子孫のうち,まずユダから始まって,ダビデに至るまでの10世代の系図をたどれます。(2:1-14)また,ほかの部族に関しても一覧表が掲げられていますが,レビの部族と大祭司たちのことが特に言及されています。この一覧表はベニヤミン人の王サウルを紹介するものとして,最後にベニヤミンの部族の家系を記しています。それから,厳密な意味での歴史的物語がこのサウル王をもって始まります。時には,エズラの系図と聖書のほかの節との間に矛盾する箇所があるように思えるかもしれません。しかし,ある人々はほかの名前でも知られていることや言語は変化すること,また時間の経過と共に,ある名前はつづり方が変化する場合があるということも覚えておかなければなりません。注意深く研究すれば,問題点のほとんどは取り除かれます。

      11 系図の記録の中に入れられているほかの有用な情報の例を挙げなさい。

      11 エズラはその系図の中の随所に,問題点を解明したり,重要な示唆を与えたりするのに役立つ,歴史的・地理的情報を少しずつ含めています。例えば,ルベンの子孫を列挙する際,エズラは次のような一つの重要な情報を加えています。「そして,イスラエルの長子ルベンの子ら ― 彼は長子であったが,その父の長いすを汚したことにより,長子としての彼の権利はイスラエルの子ヨセフの子らに与えられたので,彼は長子の権利の点では系図に記録されてはならなかったのである。ユダは,その兄弟たちの中で勝った者となり,指導者となる者が彼から出るのであるが,長子としての権利はヨセフのものであったからである」。(5:1,2)このわずかな言葉で多くのことが説明されています。さらに,ヨアブ,アマサ,およびアビシャイが皆,ダビデのおいであるということは,ただ歴代誌だけが教えており,これは彼らを取り巻く様々の出来事を正しく評価するのに役立ちます。―2:16,17。

      12 サウルはどのような状況のもとで死にますか。

      12 サウルは不忠実な行ないのために死ぬことになる(10:1-14)。物語は,ギルボア山の戦場でフィリスティア人が攻撃を強行するところから始まります。ヨナタンを含め,サウルの3人の息子は討ち倒されます。それから,サウルは傷を負います。サウルは敵の手で命を奪われることを望まなかったので,その武具持ちに次のように促します。「お前の剣を抜き,それでわたしを刺し貫いてくれ。これら割礼を受けていない者どもがやって来て,わたしをむごく扱うようなことが決してないためだ」。その武具持ちがそうすることを拒むと,サウルは自害します。こうして,サウルは,「彼が守らなかったエホバの言葉に関し,エホバに対して不忠実な行ないをし……また伺いを立てるために霊媒に尋ねたことのゆえに死(にます)。しかも,彼はエホバに伺いはしなかった」のです。(10:4,13,14)エホバは王国をダビデにお与えになります。

      13 ダビデは王国でどのように繁栄しますか。

      13 ダビデの王国はますます固められる(11:1-12:40)。やがて,12部族はヘブロンでダビデのもとに集まり,彼を全イスラエルの王として,これに油をそそぎます。ダビデはシオンを攻略し,『ますます大いなる者となります。万軍のエホバが彼と共におられるからです』。(11:9)力ある者たちは軍をあずかる者として立てられ,エホバはそれらの者により,「大いなる救いをもって」救いを施されます。(11:14)戦人たちが一つの全き心を抱いて群がり集まり,ダビデを王とするに及んで,彼は人々の一致した支持を受けます。イスラエルでは人々は祝宴を設け,歓喜します。

      14 ダビデはフィリスティア人との戦いをどのように行なってゆきますか。信仰を鼓舞するどんな出来事が元となって,歓びに満ちあふれた歌が生まれますか。

      14 ダビデと,エホバの箱(13:1-16:36)。ダビデは国の指導者たちと相談し,彼らはその箱を約70年間とどまっていたキルヤト・エアリムからエルサレムへ移すことに同意します。その途中で,ウザは不敬にも神の指示を無視したために死にます。その箱はしばらくの間,オベデ・エドムの家に置いたままにされます。(民数記 4:15)フィリスティア人は侵入しはじめますが,ダビデは2度,つまりバアル・ペラツィムとギベオンで彼らに大敗北を被らせます。レビ人はダビデの指示を受けて,今度は神権的な手順に従って,その箱を無事にエルサレムに移します。エルサレムでは箱は,人々が踊ったり歓喜したりしている中で,ダビデがそのために張った天幕の中に安置されます。そこでは犠牲をささげたり歌を歌ったりすることが行なわれ,ダビデ自身もその時のためにエホバにささげる感謝の歌を献じます。その歌は次のような主題をもってそのすばらしい最高潮に達します。「天は歓び,地は喜びに満ちよ。諸国民の中で言え,『エホバが王となられた!』と」。(歴代第一 16:31)信仰を鼓舞する,なんと感動的な出来事なのでしょう。後に,ダビデのこの歌は幾つかの新しい歌のための基礎として改作されますが,その一つは詩編 96編です。もう一つは詩編 105編の最初の15節に記されています。

      15 エホバは統一された崇拝のための家を建てたいというダビデの願いに,どんな驚くべき約束をもって答えられますか。

      15 ダビデと,エホバの家(16:37-17:27)。今や,イスラエルでは異常な取り決めが行なわれています。契約の箱はアサフとその兄弟たちの仕えているエルサレムの天幕の中にとどまっている一方,エルサレムの北西数キロの所にあるギベオンでは,大祭司ザドクとその兄弟たちが規定された犠牲を幕屋でささげています。常にエホバの崇拝を高め,統一することを考えていたダビデは,エホバの契約の箱のための家を建てたいとの願いを表わします。しかしエホバは,ダビデではなく,その息子がご自分のための家を建てることになり,また父が息子に表わすような愛ある親切を示して,「必ず彼の王座を定めのない時までも堅く立てる」であろうと言明されます。(17:11-13)エホバのこの驚くべき約束 ― 永遠の王国のためのこの契約 ― はダビデの心を動かします。その感謝の念はあふれ,彼はエホバのみ名が「定めのない時までも信頼できるものであって,大いなるものとなり」,またその祝福がダビデの家の上にあるようにと祈願します。―17:24。

      16 エホバはダビデを通してどんな約束を遂行されますか。しかし,ダビデはどのように罪を犯しますか。

      16 ダビデの行なった征服(18:1-21:17)。エホバは今や,約束の地全体をアブラハムの胤に与えるというご自分の約束をダビデを通して遂行されます。(18:3)一連の迅速な軍事行動において,エホバは,ダビデがどこへ行っても,「彼に……救いを」施されます。(18:6)ダビデは軍事的な大勝利を博してフィリスティア人を屈服させ,モアブ人を討ち倒し,ツォバ人を打ち破り,シリア人には貢ぎを払うことを余儀なくさせ,アマレクはもとより,エドムやアンモンを征服します。しかし,サタンはダビデを唆して,イスラエルの数を数えさせて,罪を犯させます。エホバは罰として疫病を送りますが,その疫病によって7万人が処刑されたのち,オルナンの脱穀場で憐れみ深くもその災いを終わらせます。

      17 ダビデはエホバの家を建てるためにどんな準備をしますか。彼はどのようにソロモンを励ましますか。

      17 神殿のためのダビデの準備(21:18-22:19)。ダビデはガドを通して,「エブス人オルナンの脱穀場にエホバのために祭壇を立てるよう」にとのみ使いからの知らせを受けます。(21:18)ダビデはオルナンからその場所を購入した後,そこで従順に犠牲をささげ,エホバを呼びます。するとエホバは,「焼燔の捧げ物の祭壇の上に天から火を下して」彼にお答えになります。(21:26)ダビデは,エホバがその家をそこに建てるよう望んでおられると結論し,材料を整えたり集めたりする仕事に取りかかり,こう言います。「我が子ソロモンは若くて,か弱い。しかも,エホバのために建てられる家は全地に対し,麗しい栄誉の点で並外れて壮大なものとなるべきである。それで,わたしは彼のために用意をしておこう」。(22:5)彼は自分が戦人で,血を流してきたので,その家を建てるのをエホバから許されていないことを息子ソロモンに説明し,この事業に際して勇気を出し,強くあるようにと勧めて,こう述べます。「立ち上がって,行ないなさい。エホバがあなたと共におられるように」― 22:16。

      18 どんな目的で人口調査が行なわれますか。

      18 ダビデはエホバの崇拝のための組織化を図る(23:1-29:30)。この度は,神のご意志に従い,祭司およびレビ人の奉仕を再組織するために,人口調査が行なわれます。そのレビ人の奉仕はここでは,聖書の他のどこよりも非常に詳細に説明されています。それから,王の奉仕の組の大要が述べられています。

      19 ダビデはどんな言葉を述べて,ソロモンを任命しますか。ダビデはどんな計画を知らせますか。彼はどんなすばらしい手本を示しますか。

      19 ダビデはその波乱に富んだ治世の終わりに近づいたころ,全国民つまり「エホバの会衆」の代表者たちを召集します。(28:8)王は立ち上がり,「わたしの兄弟たち,わたしの民よ,わたしの言うことを聞きなさい」と語ります。それから,その心の願い,つまり「まことの神の家」のことについて彼らに話します。そして,彼らの前でソロモンを任命し,こう語ります。「それで,我が子ソロモンよ,あなたはあなたの父の神を知り,全き心と喜ばしい魂とをもって神に仕えるように。すべての心をエホバは探り,すべての考えの傾向をわきまえておられるからである。もしあなたが神を求めるなら,ご自分をあなたに見いだされるようにされるが,もしあなたが神を捨てるなら,あなたを永久に捨て去られるであろう。それで,気をつけなさい。エホバが聖なる所となる家を建てさせるため,あなたを選ばれたのだ。勇気を出して行ないなさい」。(28:2,9,10,12)ダビデはエホバからの霊感によって受けた詳しい建築計画を若いソロモンに授け,そのために蓄えてきた膨大な私財 ― 金3,000タラント,および銀7,000タラント ― をその建築事業のために寄進します。このようなすばらしい手本を前にして,君たちや民も5,000タラント1万ダリク相当の金と1万タラント相当の銀,それに大量の鉄や銅を寄贈してこたえ応じます。c (29:3-7)民はこの特権にあずかって大いに喜びます。

      20 ダビデの最後の祈りはどんな崇高な頂点に達しますか。

      20 それから,ダビデは祈りの中でエホバをたたえ,そのおびただしい捧げ物はみな実際にはエホバのみ手から出たものであることを認め,民とソロモンとの上に神の祝福が引き続きあるよう祈願します。ダビデのこの最後の祈りは,次のようにエホバの王国とその輝かしいみ名を高めることによって,崇高な頂点に達します。「私たちの父イスラエルの神エホバよ,あなたが定めのない時から定めのない時までほめたたえられますように。エホバよ,偉大さと力強さと麗しさと卓越性と尊厳とは,あなたのものです。天と地にあるものは皆あなたのものだからです。すべてのものの頭として自らを高めておられる方,エホバよ,王国も,あなたのものです。富と栄光はあなたによるものです。あなたはすべてのものを支配しておられます。あなたのみ手には力と力強さがあります。あなたのみ手にはすべてのものを大いなるものとし,強さを付与する能力があります。それで今,私たちの神よ,私たちはあなたに感謝し,あなたの麗しいみ名を賛美しております」― 29:10-13。

      21 歴代誌第一はどんな高潔な調子を帯びて終わりますか。

      21 ソロモンは2度目に油そそがれ,年老いたダビデに代わって「エホバの王座」に座るようになります。40年の治世の後,ダビデは「かなりの高齢で,よわいや富や栄誉にも満ち足りて」死にます。(29:23,28)それから,エズラは諸国民のすべての王国に勝ってダビデの王国が優れていることを強調しながら,高潔な調子で歴代誌第一を結びます。

      なぜ有益か

      22 エズラの仲間のイスラエル人は歴代誌第一の書によってどのように励まされましたか。

      22 エズラの仲間のイスラエル人はこの書から多くの益を得ました。そのざん新で楽観的な見方をもって記された,この簡潔な歴史の記録を持った彼らは,エホバがダビデ王との王国契約に対するご自分の忠節さのゆえに,またご自分のみ名のために彼らに示された愛ある憐れみを正しく評価しました。励ましを受けた彼らは,新たな熱意を抱いてエホバの清い崇拝に携わることができました。記された系図は,再建された神殿で職務を行なう祭司団に対する彼らの確信を強めるものとなりました。

      23 マタイ,ルカ,およびステファノは歴代誌第一をどのように利用しましたか。

      23 歴代誌第一はまた,初期のクリスチャンの会衆にとっても大変有益でした。マタイやルカは,イエス・キリストが「ダビデの子」で,法的権利を持つメシアであることを明確に立証する際に,その系図を利用することができました。(マタイ 1:1-16。ルカ 3:23-38)ステファノは最後の証言を結ぶに際し,ダビデがエホバのために家を建てたいと願い出たことや,ソロモンがその建築を行なったことについて話しました。それからステファノは,「至高者は手で造られた家などに住まれるのではありません」と述べて,ソロモンの時代の神殿がそれよりもはるかに栄光のある天的な事物を表わしていたことを示しています。―使徒 7:45-50。

      24 今日,わたしたちはダビデの輝かしい模範のうちに何を見倣えますか。

      24 今日の真のクリスチャンについてはどうですか。歴代誌第一は,わたしたちの信仰を築き上げ,鼓舞するに違いありません。ダビデの輝かしい模範のうちには,わたしたちの見倣える多くのことがあります。常にエホバに物事を伺うという点で,ダビデは不忠実なサウルとは何と異なっていたのでしょう。(歴代第一 10:13,14; 14:13,14; 17:16; 22:17-19)ダビデはエホバの箱をエルサレムに運び上ったり,賛美の詩を作ったり,レビ人を奉仕のために組織したり,またエホバのために輝かしい家を建てたいと願い出たりして,エホバとその崇拝を第一に考えていたことを示しました。(16:23-29)彼は不平家ではありませんでした。彼は自分自身のための特権を求めることなく,ただエホバのご意志を行なうことを求めました。ですから,エホバがご自分の家の建築をダビデの息子に割り当てたとき,ダビデは心をこめてその息子を教え,自分の死後に始められる業の準備をするに際し,自分の時間と精力と富とを与えました。(29:3,9)確かに,専心の見事な模範です!―ヘブライ 11:32。

      25 歴代誌第一はわたしたちを感動させて,エホバのみ名と王国に対するどんな感謝の念を抱かせるに違いありませんか。

      25 それから,最高潮をなす結びの章があります。ダビデがエホバを賛美し,その「麗しいみ名」の栄光をたたえたときに用いた気高い言葉遣いは,エホバの栄光とキリストによるその王国とを知らせるわたしたちの現代の特権に対する喜びに満ちた感謝の念をわたしたちの内に起こさせるに違いありません。(歴代第一 29:10-13)エホバへの奉仕で自分自身を注ぎ出すことにより,エホバの永遠の王国に対する感謝の気持ちを言い表わすとき,わたしたちの信仰と喜びがいつまでもダビデのそれのようでありますように。(17:16-27)確かに,歴代誌第一は,胤によるエホバの王国という聖書の主題をかつてないほどに美しくきらめかせ,エホバの目的が感動的な仕方でさらに明らかにされることを,わたしたちに期待させるものです。

      [脚注]

      a クラーク著,「注解」(英文),第2巻,574ページ。

      b 「聖書に対する洞察」(英文)第1巻,444,445ページ。

      c 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,1076ページ。

  • 聖書の14番目の書 ― 歴代誌第二
    『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
    • 聖書の14番目の書 ― 歴代誌第二

      筆者: エズラ

      書かれた場所: エルサレム(?)

      書き終えられた年代: 西暦前460年ごろ

      扱われている期間: 西暦前1037年-537年

      1 エズラは歴代誌をいつ完成しましたか。どんな目的が考慮されていましたか。

      歴代誌第一および第二は元々一巻の書とされていたので,背景,筆者,書かれた時期,正典性,および信ぴょう性に関して前の章で述べられた論議は,両書に当てはまります。提出された証拠によれば,エズラは歴代誌第二を西暦前460年ごろ,恐らくエルサレムで完成したものと思われます。エズラの目的は,失われる恐れのあった歴史的な資料を保存することでした。エズラには聖霊の助けはもとより,詳細な事柄を把握して選別する歴史家としての能力もあったので,恒久的で正確な記録を作ることができました。彼は歴史的な事実とみなせる資料を将来のために蓄えて置きました。エズラの仕事は極めて時宜を得たものでした。というのは,今や,何世紀にもわたって記録されてきた,ヘブライ語の神聖な書き物を集大成する必要もあったからです。

      2 歴代誌の正確さを疑うべき理由がないのはなぜですか。

      2 エズラの時代のユダヤ人は,エズラが霊感を受けて記した年代記から大いに益を受けました。それは彼らの教えのため,また忍耐するよう彼らを励ますために書かれました。彼らは聖書から得られる慰めによって希望を持つことができました。それらユダヤ人は歴代誌の書を聖書正典の一部として受け入れました。それが信頼できるものであることを知っていたのです。彼らはこれを霊感を受けて記されたほかの書き物や,エズラの参照した数多くの一般の歴史的な記述によって確認することができました。彼らは霊感を受けていない一般の歴史的な記述を滅びうせるにまかせましたが,歴代誌の書は注意深く保存しました。セプトゥアギンタ訳の翻訳者たちは歴代誌をヘブライ語聖書の一部として含めました。

      3 他の聖句は歴代誌が信頼できるものであることをどのように示していますか。

      3 イエス・キリストやクリスチャン・ギリシャ語聖書の筆者たちはこの書を信頼の置ける,霊感を受けたものとして受け入れました。イエスは,エルサレムのことをエホバの預言者や僕たちを殺す者,またこれを石打ちにする者として糾弾したとき,歴代第二 24章21節に記されているような出来事を考えておられたに違いありません。(マタイ 23:35; 5:12。歴代第二 36:16)ヤコブはアブラハムのことを「エホバの友」と呼んだとき,多分,歴代第二 20章7節のエズラの表現に言及していたと思われます。(ヤコブ 2:23)この書にはまた,まがうことなく成就した数々の預言も収められています。―歴代第二 20:17,24; 21:14-19; 34:23-28; 36:17-20。

      4 考古学上のどんな発見が歴代誌第二の信ぴょう性を立証していますか。

      4 考古学もまた,歴代誌第二の信ぴょう性を立証しています。古代バビロンの遺跡の発掘が行なわれた結果,ネブカドネザルの治世の時期と関係のある粘土板が出土し,その一つには「ヤフドの地の王ヤウキン」,すなわち「ユダの地の王エホヤキン」の名が記されています。a これはネブカドネザルの第7即位年にバビロンに捕囚として連れ去られたエホヤキンに関する聖書の記述とよく合致します。

      5 歴代誌第二の中ではどの時代のことが扱われていますか。10部族の王国の歴史よりもむしろユダの歴史が特筆されているのはなぜですか。

      5 歴代誌第二の記録は,西暦前1037年に始まるソロモンの治世から,エルサレムにエホバの家を再建するよう命じたキュロスの布告が西暦前537年に出される時に至るまで,ユダにおける出来事をたどります。500年に及ぶこの歴史の中で,10部族の王国のことは,それがユダの事柄に関係するときだけ言及されており,西暦前740年におけるその北の王国の滅亡は指摘されてさえいません。それはなぜですか。なぜなら,祭司エズラは主に,正当な場所である,エルサレムの神の家におけるエホバの崇拝とエホバが契約を結ばれたダビデの家系の者の治める王国のことを気遣っていたからです。こういうわけで,エズラは真の崇拝を支持し,ユダから出る支配者を期待して,南の王国に注意を集中します。―創世記 49:10。

      6 歴代誌第二はどんな点で精神を高揚し,また人を鼓舞するものですか。

      6 エズラは精神を高揚させる見方を取っています。歴代誌第二の36章のうち,最初の9章はソロモンの治世に当てられており,それらのうち6章はすべてエホバの家の準備と献納式に関する事柄に当てられています。その記録はソロモンの背信について述べるのを控えています。残りの27章のうち14章は,基本的にはエホバの崇拝に対するダビデの全き専心の模範に従った5人の王たち,すなわちアサ,エホシャファト,ヨタム,ヒゼキヤ,およびヨシヤのことを扱っています。ほかの13章の中でさえ,エズラは悪い王たちに見られる良い点を注意深く目立たせています。彼は常に真の崇拝の回復と保持に関連した出来事を強調しています。なんと人を鼓舞する記録なのでしょう。

      歴代誌第二の内容

      7 エホバはソロモンをどのように「並外れて大いなる者」とされますか。

      7 ソロモンの治世の栄華(1:1-9:31)。歴代誌第二の冒頭では,ダビデの子ソロモンが王権の点で強さを増し加えてゆく様子が分かります。エホバは彼と共におられ,「彼を並外れて大いなる者としておられ」ます。ソロモンがギベオンで犠牲をささげると,エホバが夜,彼に現われて,「あなたに何を与えようか,願いなさい!」と言われます。ソロモンはエホバの民を正しく支配するための知識と知恵を願い求めます。このように利他的な態度で願い求めたため,神はソロモンに知恵や知識だけでなく,「あなたの前にいた王が持ったことのないほどの,そしてあなたの後の者が持つことのないほどの」富や財宝や誉れをも与えよう,と約束されます。その都に入って来る富は大変膨大なもので,やがてソロモンは「エルサレムで銀や金を石のように」するほどになります。―1:1,7,12,15。

      8 神殿の工事はどのようにして始まりますか。その建造物の詳細について幾らか述べなさい。

      8 ソロモンはエホバの家を建てる仕事のために労働者を徴用し,ティルスの王ヒラムは材木や,才能のある職人を派遣して協力します。その建設工事は「[ソロモンの]治世の第四年」に開始され,7年半後の西暦前1027年に完了します。(3:2)神殿そのものには,高さ120キュビト(53.4㍍)のそびえ立つ大きな玄関が前面に付けられています。その玄関の前には,二本の巨大な銅の柱が立っています。一方の柱は,「[エホバが]堅く立ててくださるように」という意味のヤキンと名付けられ,もう一方はボアズという名で呼ばれています。その名は「強さの点で」を意味するものと考えられています。(3:17)その家自体は比較的小さなもので,長さは60キュビト(26.7㍍),高さは30キュビト(13.4㍍),幅は20キュビト(8.9㍍)ですが,その壁と天井は金で覆われており,その一番奥の部屋,つまり至聖所それ自体は金で丹念に飾り付けられています。至聖所にはまた,二つの金のケルブが部屋の各々の側に一つずつ置かれており,その翼は向かい合って伸ばされ,中央部で触れ合っています。

      9 中庭と神殿の備品や器具について述べなさい。

      9 奥の中庭には,広さが20キュビト(9㍍)平方あり,高さが10キュビト(4.5㍍)ある巨大な銅の祭壇があります。中庭にあるもう一つの人目を引くものは鋳物の海,すなわち巨大な銅の鉢で,その鉢は,3頭ずつ別々の方向を向き,それぞれ外の方に向いている12頭の銅の雄牛の背中に載せられています。この海は「三千バト」(6万6,000㍑)の水を入れることができ,その水は祭司が身を洗うのに用いられます。(4:5)また,中庭には,銅の小さな鉢が10個,それぞれ装飾の施された銅の運び台の上に載せられており,焼燔の捧げ物に関係のあるものがその水ですすがれます。それらの鉢は鋳物の海からの水で満たされ,その水はどこでも必要とされるところに運ばれて行きます。加えて,黄金の燭台10基と,ほかに神殿で崇拝を行なうのに用いる,金や銅でできた数多くの器具もあります。b

      10 箱が至聖所に運び入れられると,どんなことが起きますか。

      10 7年半にわたる工事の後,ついにエホバの家は完成します。(列王第一 6:1,38)その奉献式の日は,エホバの臨在を象徴するものをその壮麗な建物の一番奥の部屋に運び入れる時でもあります。祭司たちは「エホバの契約の箱をその場所に,家の一番奥の部屋,すなわち至聖所に,ケルブの翼の下に」運びます。すると,どうなりますか。レビ人の歌うたいや楽士たちが合唱や合奏をしてエホバをたたえ,感謝すると,その家は雲で満たされ,祭司たちは立って奉仕することができなくなります。というのは,「エホバの栄光」がまことの神の家を満たすからです。(歴代第二 5:7,13,14)こうして,エホバはその神殿を承認したことを示し,そこにご自分が臨在しておられることを明らかにされます。

      11 ソロモンはどんな祈りをささげますか。また,何を嘆願しますか。

      11 この時のために高さ3キュビト(1.3㍍)の銅の演壇が築かれており,それは奥の中庭の巨大な銅の祭壇の近くに設けられています。神殿の献納式のために集まった大群衆は,この高められた場所に立つソロモンを見ることができます。栄光の雲によってエホバの臨在が奇跡的に明示されてから,ソロモンは群衆の前でひざまずき,感謝と賛美の感動的な祈りをささげます。その祈りには許しと祝福を求める一連の謙遜な願いの言葉が含まれています。そして,最後にこう嘆願します。「今,私の神よ,どうか,この場所に関する祈りにあなたの目が開かれ,あなたの耳が注意深くありますように。エホバ神よ,あなたの油そそがれた者の顔を退けないでください。どうか,あなたの僕ダビデに対する愛ある親切を思い起こしてください」― 6:40,42。

      12 エホバはソロモンの祈りにどのように答えられますか。15日間のこの祝いはどんな喜ばしい雰囲気で終わりますか。

      12 エホバはソロモンのこの祈りを聞き届けられますか。ソロモンが祈り終えるや,天から火が下って来て,焼燔の捧げ物や犠牲を焼き尽くし,「エホバの栄光が」家に満ちます。その結果,民は皆伏し拝み,エホバにこう感謝します。「神は善良な方で,その愛ある親切は定めのない時までも及ぶからで(す)」。(7:1,3)それから,ばく大な数の犠牲がエホバにささげられます。1週間にわたる献納式の宴の後に,1週間にわたる取り入れの宴が続き,仕事を休む安息日が訪れます。人を霊的に強める,この幸福な15日間の祝いの後に,ソロモンは民を自分たちの家に去らせ,人々は「喜びに満ち,心に快く感じながら」帰って行きます。(7:10)エホバもまた,喜ばれます。エホバはソロモンに対して王国契約を再確認し,同時に不従順のもたらす悲惨な結果をも警告されます。

      13 (イ)神殿の工事の後に,どんな建設工事が続きますか。(ロ)ソロモンの王国を見たシェバの女王は何と語りますか。

      13 ソロモンは今や,その領土の至る所で大規模な建設工事を行ない,自分自身のための宮殿だけでなく,防備の施された都市,倉庫の都市,兵車の都市,および騎手のための都市,それに建てたいと思うものをみな建設します。これは輝かしい繁栄と平和の時期です。なぜなら,王も民も共にエホバの崇拝を念頭に置いているからです。1,900㌔以上も離れた所にいるシェバの女王でさえ,ソロモンの繁栄と知恵について聞き,自ら実状を見るために,長い困難な旅行をします。彼女は落胆させられますか。決してそのようなことはありません。というのは,彼女はこう告白するからです。「私は来て,この目が見るまでは,彼らの言葉を信じませんでした。ご覧ください,私にはあなたの知恵の豊かさの半分も告げられていませんでした。あなたは私のお聞きしたうわさをしのいでおられます。何と幸いなのでしょう。あなたの部下たちは。何と幸いなのでしょう……あなたの僕たちは」。(9:6,7)地のほかの王たちで富や知恵の点でソロモンをしのぐ者は一人もいません。彼はエルサレムで40年間治めます。

      14 イスラエルはどうしてそんなに早くその栄光を奪い去られるのですか。

      14 レハベアムとアビヤの治世(10:1-13:22)。ヤラベアムのもとにあった北の10部族は,ソロモンの子レハベアムによる苛酷で圧制的な支配に憤慨して,西暦前997年に反乱を起こします。しかし,両王国の祭司たちやレビ人たちはレハベアムの側に立ち,国家主義よりも王国契約に対して忠節を示します。レハベアムは程なくしてエホバの律法を捨てたため,エジプトの王シシャクが攻め入り,エルサレムに侵入して,エホバの家からその財宝を奪い取ります。建設後30年そこそこしかたたないうちに,美しく飾られた壮麗なそれらの建物からその栄光が奪い去られるとは何と悲しいことでしょう。その理由は,この国が「エホバに対して不忠実に振る舞った」ことにあります。しかしレハベアムはすぐにへりくだるので,エホバはその国民を完全な滅びには陥れられません。―12:2。

      15 レハベアムの死後,どんな戦いが起きますか。ユダはどうしてイスラエルに対して優勢になりますか。

      15 レハベアムの死に際して,その28人の息子たちのうちの一人アビヤが王となります。アビヤの3年間の治世は,北のイスラエルとの血なまぐさい戦争で印づけられます。ヤラベアムの率いる軍勢80万に対してユダの軍勢は40万ですから,ユダは1対2の数で劣勢です。この後に起こるすさまじい戦いの際,イスラエルの戦士は半分以下に減少し,50万人にも上る子牛崇拝者たちが滅ぼされます。ユダの子らは「その父祖たちの神エホバに」頼るゆえに,優勢になります。―13:18。

      16 エホバはアサの切実な祈りにどのようにお答えになりますか。

      16 神を恐れるアサ王(14:1-16:14)。アビヤの後その子アサが跡を継ぎます。アサは真の崇拝の擁護者です。彼は偶像崇拝を除去して国を清める運動を起こします。しかし,ご覧なさい,ユダは100万人のエチオピア人で成る圧倒的な軍勢によって脅かされます。アサはこう祈ります。「私たちの神エホバよ,私たちを助けてください。確かに私たちはあなたに頼りますし,あなたのみ名によってこの群衆に向かって来たからです」。エホバは彼に大勝利を得させて,その祈りにお答えになります。―14:11。

      17 アサはどのように励まされてユダで崇拝の仕方を改革しますか。しかし彼はどんなことで叱責されますか。

      17 神の霊がアザリヤに臨んで,彼はアサにこう告げます。「あなた方がエホバと共にいる限り,神はあなた方と共におられます。もしあなた方が神を求めるなら,神はあなた方に見いだされるようにされます」。(15:2)大いに励まされたアサは,ユダで行なわれている崇拝を改革し,民は,だれでもエホバを求めようとしない者は殺されなければならないという契約を結びます。しかし,イスラエル人がユダに流入するのを食い止めるため,イスラエルの王バアシャが障壁となるものを築くと,アサはエホバに助けを求める代わりに,イスラエルと戦うためにシリアの王ベン・ハダドを雇うことによって重大な過ちを犯します。そのためにエホバは彼を叱責されます。それにもかかわらず,アサの心は「一生涯完全」でした。(15:17)彼はその治世の第41年に亡くなります。

      18 (イ)エホシャファトは真の崇拝のためにどんな運動を行ないますか。どんな結果が得られますか。(ロ)その姻戚関係はどのように災いをもたらしそうになりますか。

      18 エホシャファトの良い治世(17:1-20:37)。アサの子エホシャファトは偶像崇拝に対する戦いを続けると共に,教え諭す者たちをユダの諸都市の至る所へ旅行させ,エホバの律法の書から民に教えさせて,特別の教育運動を開始します。大いなる繁栄と平安の時代がこれに続き,「エホシャファトは発展し続け,並々ならぬほどに大いなる者となって」ゆきます。(17:12)しかし,それから彼はイスラエルの邪悪な王アハブと姻戚関係を結び,増大するシリア軍と戦うアハブを助けるために下って行き,エホバの預言者ミカヤの言葉を無視して行動し,アハブがラモト・ギレアデでの戦闘で殺される時,命からがら逃れます。エホバの預言者エヒウは,邪悪なアハブと提携したことでエホシャファトを叱責します。その後,エホシャファトは国の至る所に裁き人を任命し,神を恐れて自分たちの務めを果たすよう教え諭します。

      19 エホシャファトの治世の最大の山場で,その戦いは神のものであることがどのように示されますか。

      19 今や,エホシャファトの治世は最大の山場を迎えます。モアブ,アンモン,およびセイルの山地の連合軍が圧倒的な強さをもってユダに向かって来ます。彼らはエン・ゲディの荒野を通って大群となって上って来ます。恐怖が国民を襲います。エホシャファトとユダの人々は皆,「彼らの小さい者たち,妻たち,子らも」共にエホバの前に立ち,祈りのうちにエホバを求めます。すると,エホバの霊がレビ人ヤハジエルに臨み,彼は集合した群衆にこう呼びかけます。「ユダのすべての人々,エルサレムの住民およびエホシャファト王よ,注意を払いなさい。エホバはあなた方にこのように言われました。『あなた方はこの大群のゆえに恐れたり,おびえたりしてはならない。この戦いはあなた方のものではなく,神のものだからである。明日,彼らのところに攻め下れ。……エホバはあなた方と共にいるであろう』」。ユダの人々は朝早く起きて,レビ人の歌うたいを先頭にして進み出ます。エホシャファトは彼らを次のように励まします。「エホバを信じなさい。……その預言者を信じて,成功を収めなさい」。歌うたいたちは喜びにあふれてエホバをほめたたえ,「その愛ある親切は定めのない時までも及ぶからである」と言います。(20:13,15-17,20,21)エホバはその愛ある親切を驚嘆すべき仕方で表わし,侵入する軍隊に対して待ち伏せする者を設けられたため,彼らは同士討ちをして滅ぼし合います。歓喜したユダの人々は荒野にある物見の塔のところに行ってみると,ただしかばねしか見えません。本当にこの戦いは神のものです! エホシャファトは25年にわたるその治世の終わりまでエホバの前に忠実に歩み続けます。

      20 どんな災いがエホラムの治世を特徴づけていますか。

      20 エホラム,アハジヤ,およびアタリヤの悪い治世(21:1-23:21)。エホシャファトの子エホラムはその兄弟たちをみな殺して,悪い道を進み始めます。しかしエホバはダビデとのご自分の契約のゆえに彼を容赦されます。そのうちにエドムが反逆し始めます。エリヤはあるところから一通の手紙を書き送り,エホラムに対して,その家にエホバが大いなる一撃を加え,彼はひどい仕方で死ぬということを警告します。(21:12-15)預言にたがわず,フィリスティア人とアラブ人が侵入し,エルサレムで略奪を行ない,王は8年にわたる治世の後に忌まわしい腸の病気のために死にます。

      21 ユダにおけるアタリヤの支配はどんなひどい事態をもたらしますか。しかし,エホヤダはどのようにしてダビデの王座を回復することに成功しますか。

      21 エホラムのただ一人生き残った息子アハジヤ(エホアハズ)が彼の跡を継ぎますが,アハブとイゼベルの娘である,その母アタリヤの悪い影響を受けます。その治世は1年の後,エヒウの行なったアハブの家の粛正により急に終わります。ここにおいて,アタリヤはその孫たちを殺害し,王位を奪います。しかし,アハジヤの息子の一人が生き残ります。その一人とは,おばであるエホシャブアトによってエホバの家にひそかに連れ込まれた,1歳のエホアシュです。アタリヤは6年間治めますが,その後エホシャブアトの夫である大祭司エホヤダが勇敢にも年若いエホアシュを取り,これを「ダビデの子ら」の一人として王と宣します。アタリヤはエホバの家のところに来て,その衣服を引き裂き,「陰謀だ! 陰謀だ!」と叫びます。しかし,それは無駄です。エホヤダは彼女を神殿から追い出して,処刑させます。―23:3,13-15。

      22 エホアシュの治世はどのように良い状態で始まりますか。しかし,どのように悪い状態で終わりますか。

      22 エホアシュ,アマジヤ,およびウジヤの治世は各々良い状態で始まるが,悪い状態で終わる(24:1-26:23)。エホアシュは40年間治めます。エホヤダが生きていて,良い影響を及ぼしている間は,エホアシュは正しいことを行ないます。彼はエホバの家にも関心を払い,それを修復させます。しかしエホヤダが死ぬと,エホアシュはユダの君たちの影響を受けて,エホバの崇拝から離れ,聖木や偶像に仕えます。神の霊がエホヤダの子ゼカリヤを動かし,王を叱責させると,エホアシュはその預言者を石打ちにして殺させます。その後間もなく,少数のシリア人の軍勢が侵入しますが,はるかに大勢のユダの軍隊はその軍勢を追い返すことができません。なぜなら,彼らは「その父祖たちの神エホバを捨てた」からです。(24:24)今度はエホアシュ自身の僕たちが立ち上がり,彼を暗殺します。

      23 アマジヤはどんな不忠実の型に従いますか。

      23 アマジヤはその父エホアシュの跡を継ぎます。彼は29年間にわたる治世を良い状態で始めますが,後にエホバの恵みを失ってしまいます。なぜなら,彼はエドム人の偶像を立てて,これを崇拝するからです。エホバの預言者は,『神はあなたを滅びに陥れようと決意されました』と言って,彼に警告します。(25:16)しかし,アマジヤは高慢になり,北のイスラエルに挑戦します。神の言葉にたがわず,彼はイスラエル人の手にかかって屈辱的な敗北を喫します。その敗北後,陰謀を企てる者たちが立ち上がって彼を殺してしまいます。

      24 ウジヤの強さはどのように彼の弱点となり,どんな結果をもたらしますか。

      24 アマジヤの子ウジヤはその父の足跡に従います。彼は52年の大半の期間,良い仕方で治め,軍事上の天才,様々な塔の建築者,および「農耕を好む人」としての名声を得ます。(26:10)彼は軍隊の装備を整え,その機械化を図ります。ところが,彼の強さが彼の弱点となります。彼はごう慢になり,厚かましくもエホバの神殿で香をささげる祭司の務めを代行しようとします。そのために,エホバは彼を打ってらい病にならせます。その結果,彼はエホバの家からも,また王の家からも離れて,別個に生活しなければならなくなり,王の家ではその子ヨタムが彼に代わって民を裁きます。

      25 ヨタムはなぜ成功しますか。

      25 ヨタムはエホバに仕える(27:1-9)。ヨタムはその父とは違って,『エホバの神殿に侵入する』ようなことはしません。それどころか,「エホバの目に正しいことを行ない続け」ます。(27:2)その16年間の治世中,彼は多くの建設工事を行ない,またアンモン人の反乱を首尾よく鎮圧します。

      26 アハズは前例のないどんな邪悪の深みに落ちますか。

      26 邪悪な王アハズ(28:1-27)。ヨタムの子アハズはユダの21人の王たちのうち最も邪悪な者の一人となります。彼は自分の息子たちを異教の神々に焼燔の犠牲としてささげるという極端なことをします。そこで,エホバも彼をシリア,イスラエル,エドム,およびフィリスティアの軍隊に引き渡します。こうしてエホバは,アハズが『ユダで慎みのないことを起こるままにし,エホバに対して甚だ不忠実なことを行なっている』ゆえに,ユダを低くされます。(28:19)事態はますます悪化し,アハズはシリアの神々に犠牲をささげます。というのは,シリア人が戦いにおいて彼に勝っていたからです。彼はエホバの家の扉を閉ざし,エホバの崇拝をやめて,異教の神々の崇拝を行ないます。アハズの治世は短すぎるどころか16年もの後に終わります。

      27 ヒゼキヤはエホバの崇拝に対する熱心さをどのように示しますか。

      27 忠実なヒゼキヤ王(29:1-32:33)。アハズの子ヒゼキヤはエルサレムで29年間治めます。彼の最初の働きはエホバの家の扉を再び開き,それを修理することです。それから,祭司やレビ人たちを集め,神殿を清めてエホバへの奉仕のために神聖なものとするようにとの指図を彼らに与えます。彼はエホバの燃える怒りを元に戻らせるため,エホバと契約を結びたいと願っていることを言明します。こうして,エホバの崇拝はすばらしい仕方で再開されます。

      28 ヒゼキヤはエルサレムで非常に大掛かりなどんな宴を執り行ないますか。民はどのように喜びを表明しますか。

      28 大変大掛かりな過ぎ越しが計画されますが,第1の月にこれを準備する余裕がないため,律法の一つの規定を活用して,この過ぎ越しはヒゼキヤの治世の第1年の第2の月に祝われます。(歴代第二 30:2,3。民数記 9:10,11)王はユダのすべての人々だけでなく,イスラエルの人々をも出席するよう招きます。エフライム,マナセ,およびゼブルンのある人々はその招きをあざけりますが,ほかの人々はへりくだって,ユダのすべての人たちと共にエルサレムにやって来ます。過ぎ越しに続いて,無酵母パンの祭りが執り行なわれます。それは七日間にわたる何と喜ばしい宴なのでしょう。実際,それはたいへん人を築き上げるものだったので,全会衆はその宴をもう七日間延長させることにします。こう記されています。「エルサレムには大いなる歓びがあった。イスラエルの王ダビデの子ソロモンの時代からこのかた,このようなことはエルサレムにはなかったからである」。(歴代第二 30:26)霊的に回復した民は,続いてユダとイスラエルの両方から偶像崇拝を排除する大々的な運動を行ない,一方ヒゼキヤはレビ人や神殿の奉仕のための物質上の寄進が元通りに行なわれるよう取り計らいます。

      29 エホバはご自分に対して絶対的信頼を示したヒゼキヤにどのように報われますか。

      29 その後,アッシリアの王セナケリブがユダに侵入し,エルサレムを脅かします。ヒゼキヤは勇気を出して,都の防御施設を修理し,敵の嘲弄の言葉を無視します。彼はエホバに全き信頼を寄せ,助けを祈り求め続けます。エホバはこの信仰の祈りに劇的な仕方で答えられます。エホバは『ひとりのみ使いを遣わし,アッシリアの王の陣営にいたすべての勇敢で力のある者,指揮者,長たちをぬぐい去り』ます。(32:21)セナケリブは恥をかいて家に帰ります。その神々でさえ彼が面目を保つのを助けることはできません。というのは,彼は後に自分の息子たちによって,その祭壇の傍らで打ち殺されるからです。(列王第二 19:7)エホバは奇跡的な仕方でヒゼキヤの寿命を延ばします。そして,彼は大いなる富と栄光を持つようになり,その死に際してユダの人々はみな彼に敬意を表わします。

      30 (イ)マナセはどんな邪悪な事柄に戻りますか。しかし彼が悔い改めた後,何が起きますか。(ロ)アモンの短い治世は何によって特徴づけられますか。

      30 マナセとアモンは邪悪な仕方で治める(33:1-25)。ヒゼキヤの子マナセはその祖父アハズの邪悪な歩み方に戻り,ヒゼキヤの治世中に成し遂げられたすべての良いことを台なしにしてしまいます。彼は高き所を築き,聖柱を立て,その子らを偽りの神々に犠牲としてささげることさえします。ついにエホバはアッシリアの王をユダに攻めて来させ,マナセは捕囚の身となってバビロンへ連れ去られます。その地で彼は悪行を悔い改めます。エホバが憐れみを示して彼を王位に復帰させると,彼は悪霊崇拝を根絶することに努め,真の宗教を回復させます。しかし,マナセが55年にわたるその長い治世の後に死ぬと,その子アモンが王位に登り,よこしまにも偽りの崇拝を擁護します。2年の後,その僕たちが彼を殺してしまいます。

      31 勇敢なヨシヤの治世中の目立った出来事を幾つか挙げなさい。

      31 勇敢なヨシヤの治世(34:1-35:27)。アモンの子の一人である年若いヨシヤは,勇敢にも真の崇拝を回復させようと試みます。彼はバアルの祭壇や彫像を取り壊させ,エホバの家を修復します。そしてその家で,「モーセの手によるエホバの律法の書」,つまり恐らく原本と思えるものが見つかります。(34:14)それでも,すでに行なわれた不忠実な事柄のために,彼の時代にではないとはいえ,この国に災いの臨むことが義にかなったヨシヤに知らされます。その治世の第18年に,彼は際立った過ぎ越しの祝いを取り決めます。ヨシヤは31年にわたる治世の終わりに,エジプトの軍勢がユーフラテスに向かう途中,この国を通過するのを阻止しようとむなしく試みている最中に死にます。

      32 最後の4人の王たちはどのようにユダをその悲惨な最期に遭わせることになりますか。

      32 エホアハズ,エホヤキム,エホヤキン,ゼデキヤ,そしてエルサレムの荒廃(36:1-23)。ユダの最後の4人の王たちの邪悪さのゆえに,この国民はたちまち悲惨な終わりを迎えることになります。ヨシヤの子エホアハズはわずか3か月間支配しただけで,エジプトのファラオ・ネコによって退けられます。彼に代わってその兄弟エリヤキムが跡を継ぎ,その名をエホヤキムと改められます。そして,このエホヤキムの治世中にユダは新しい世界強国バビロンに服従させられます。(列王第二 24:1)エホヤキムが反逆すると,ネブカドネザルは西暦前618年に彼を罰するためエルサレムに向かって上って来ます。しかし,11年間治めたエホヤキムは,その同じ年に死にます。彼に代わってその18歳になる息子エホヤキンが後継者となりますが,このエホヤキンは3か月足らず治めた後,ネブカドネザルに降伏し,捕囚の身となってバビロンへ連れ去られて行きます。ネブカドネザルは今や,ヨシヤの3番目の息子である,エホヤキンのおじゼデキヤを王座に着かせます。ゼデキヤは11年間にわたって悪い仕方で治め,「エホバの命令による預言者エレミヤのゆえに」へりくだろうとはしません。(歴代第二 36:12)祭司たちや民も同様に不忠実なことを大規模に行なって,エホバの家を汚します。

      33 (イ)70年間の荒廃は『エホバの言葉を成就するために』どのように始まりますか。(ロ)歴代誌第二の最後の2節にはどんな歴史的な布告が記録されていますか。

      33 ついに,ゼデキヤはバビロンのくびきに対して反逆します。この度は,ネブカドネザルは少しも憐れみを示しません。エホバの憤りは満ち,いやされることはありません。エルサレムは崩壊し,その神殿は略奪され,焼き滅ぼされ,18か月に及ぶ攻囲に生き残った者たちは捕囚の身となってバビロンに連行されます。ユダは荒廃するままにされます。こうして,西暦前607年というこの年に,『エレミヤの口によるエホバの言葉を成就して……七十年を満了する』荒廃が始まります。(36:21)それから,この年代記作者はおよそ70年間のこの空白の期間を飛び越えて,最後の2節で西暦前537年に出されたキュロスの歴史的な布告を記録しています。ユダヤ人の捕らわれ人は解放されることになるのです! エルサレムは再起しなければなりません!

      なぜ有益か

      34 エズラの資料の選択の仕方は何を強調していますか。このことは,この国民にとってどのように有益でしたか。

      34 歴代誌第二は西暦前1037年から537年までのこの多難な時期に関する,ほかの証人たちの証言に,強力な証言をさらに加えています。その上,この書は,例えば歴代第二 19章,20章,および29章から31章にあるような,他の正典の歴史的記録には見当たらない貴重な補足的情報を与えてくれます。エズラの資料の選択の仕方は,祭司職とその奉仕,神殿,および王国契約などの,この国民の歴史の中の基本的で恒久的な要素を強調するものでした。このことはユダヤ国民にメシアとその王国の希望を抱かせて,団結させるのに有益でした。

      35 歴代誌第二の終わりの数節の中ではどんな重要な事柄が証明されていますか。

      35 歴代誌第二の終わりの数節(36:17-23)は,エレミヤ 25章12節の成就を示す決定的な証拠を提供しており,加えて,満70年はこの国が完全に荒廃した時から西暦前537年にエホバの崇拝がエルサレムで回復した時までの年数を数えたものでなければならないことをも示しています。したがって,この荒廃は西暦前607年に始まります。c ―エレミヤ 29:10。列王第二 25:1-26。エズラ 3:1-6。

      36 (イ)歴代誌第二にはどんな強力な訓戒の言葉が収められていますか。(ロ)この書は王国に関する期待をどのように強めますか。

      36 歴代誌第二には,キリスト教の信仰を抱いて歩む人たちのための強力な訓戒の言葉が収められています。ユダの王たちの多くは最初は良かったものの,後に邪悪な道に陥りました。この歴史的な記録は,成功するかどうかが神に対する忠実さにかかっていることを何と強力に示す例なのでしょう。ですから,わたしたちは,「しりごみして滅びに至るような者ではなく,信仰を抱いて魂を生き長らえさせる者」であるようにという言葉を戒めとすべきです。(ヘブライ 10:39)忠実なヒゼキヤ王でさえ病気から回復すると,高慢になりました。彼がエホバの憤りを避けることができたのは,素早くへりくだったからにほかなりません。歴代誌第二はエホバの驚くべき特質を大いなるものとし,そのみ名と主権をほめたたえています。その歴史全体はエホバへの全き専心という観点に立って述べられています。その歴史はまた,ユダの王統を強調しており,忠節な「ダビデの子」イエス・キリストの永遠の王国のもとで清い崇拝が高められるのを見るという,わたしたちの期待を強めてくれます。―マタイ 1:1。使徒 15:16,17。

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