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    新しい地へ生き残る
    • 13章

      再創造の時

      1 (イ)どんな驚くべき機会が,「新しい地」に生き残る人々を待ち受けていますか。(ロ)それには何が求められますか。

      現在の腐敗した世の終わりを生き残るのは,すばらしい見込みです。わたしたちはこの世の不正や貪欲や暴虐から逃れたいと切望しています。しかし,ほかにもわたしたちが生き残るのをなお一層願わしいものとしている事柄があります。それは何ですか。「新しい地」の一部となる人々すべてにはまた,自分自身の不完全さや病気や苦しい生活から,そうです,死からさえ解放される機会があることです。(啓示 21:1-5)しかし,このことが生ずるためには,罪そのものが完全に根絶されなければなりません。それはどのようにして可能になるのでしょうか。それはイエス・キリストが説明された「再創造」と関連づけられています。

      2 マタイ 19章28節で言及されている「再創造」とは,どいうことですか。

      2 イエスは使徒たちに向かって,「再創造のさい,人の子が自分の栄光の座に座るときには,わたしに従ってきたあなた方自身も十二の座に座り,イスラエルの十二の部族を裁くでしょう」と言われました。(マタイ 19:28)この再創造は,他の聖書翻訳の表現によれば,「再生」の時,つまり「すべてが新しくされる」時となります。(ロザハム訳のエンファサイズド・バイブル; エルサレム聖書)人間はこの再創造によって,最初に持っていた完全さを再び享受することができるようになります。

      3 (イ)アダムの罪はどんな結果をもたらしましたか。(ロ)アダムの子孫はなぜだれ一人として,受け継いだ罪の影響から自らを自由にすることができませんでしたか。

      3 アダムの子孫は皆,アダムから受け継いだ罪のために死ななければなりませんでしたし,多くの人々は死をもたらすものとなる悲痛な病気に苦しめられてきました。(ローマ 5:12)死からの免除は決してお金で買えるものではありません。不完全な人間が行なえたことで,自分自身,あるいは他のだれかのために放免をもたらし得た業は一つもありません。神の公正によれば,もし人間がとこしえの命を享受する機会を再び持つとしたなら,アダムが失ったもの,すなわち完全な人間の命と同等の価値を持つ犠牲がささげられなければなりません。アダムの子孫で,そのような命をささげ得る人は一人もいません。―詩編 49:7-9。伝道の書 7:20。

      4 (イ)必要な贖いはどのようにして備えられましたか。(ロ)どうすれば,その益を受けることができますか。

      4 憐れみ深いことに,エホバは,その独り子であるイエスを完全な人間として地上に送り,「対応する贖い」としてその命を捨てさせることにより,必要な備えを設けてくださいました。(テモテ第一 2:5,6)人類に対する過分のご親切と神の愛の何と崇高な表明なのでしょう。その結果,可能になった命は,報酬のようにわたしたちが獲得できるものではなく,神からの贈り物なのです。しかし,それはこの神からの備えを自分が必要としていることを本当に認め,その備えに信仰を働かせ,神のみ子に対する従順によって,その信仰を証明する人たちにだけ与えられます。(ローマ 6:23。ヨハネ 3:16,36)しかし,人類はその犠牲の益をいつ味わうことになっていましたか。

      キリストの犠牲から今受けられる益

      5 (イ)キリストの犠牲の益を最初に受けることになっていたのはだれでしたか。(ロ)他のどんなグループの人が益を受けてきましたか。それは特にいつからですか。

      5 その益は,(神の大祭司の役割を持つ)イエス・キリストがご自分の犠牲の価値を天で神の前にささげた後,直ちに人間の生活に影響を及ぼし始めました。最初に,西暦33年のペンテコステから始まって,キリストと共に相続人となるよう召され,天でキリストと共に王ならびに祭司として仕えることになった人たちが,その益を味わうようになりました。(使徒 2:32,33。コロサイ 1:13,14)それから,地上でとこしえの命を受ける希望を抱く人々が,1935年に際立った仕方で現われ始めました。それらの人々の希望もまた,キリストの犠牲によって可能になったのです。(ヨハネ第一 2:1,2)その犠牲の価値がこうして漸進的に適用されることは,古代イスラエルの贖罪の日に起きた出来事によって示されていました。

      6 贖罪の日に起きた事柄の概略を簡単に述べなさい。

      6 イスラエルの神聖な幕屋で,また後には神殿で職務を行なったのは,アロンのレビの家の成員であった一人の大祭司でした。アロンの家の他の男子は従属の祭司で,レビの部族の残りの男子は補佐として奉仕しました。罪を償うものを供えるため,大祭司は2頭の動物を犠牲にし,その各々の血は,エホバによって規定されたとおりに,至聖所で別々にささげられました。最初に,アロンの家系の大祭司によって,レビ族全体を含む「自分自身と自分の家」のために1頭の若い雄牛がささげられました。(レビ記 16:11,14)次は,他の十二部族である「民のための」罪の供え物としてささげられたやぎでした。(レビ記 16:15)そのうえ,イスラエル全体の罪が1頭の生きたやぎの頭の上で告白され,そのやぎは荒野に連れ去られました。(レビ記 16:21,22)このすべては何を意味していましたか。

      7 (イ)そこではただ一つのどんな犠牲が予表されていましたか。(ロ)用いられた犠牲の動物がただ1頭だけでなかったのはなぜですか。

      7 使徒パウロは,その成就の中心を成しているのがイエス・キリストのただ一つの犠牲であることをこう説明しています。「キリストは,実体の写しである,手で造った聖なる場所にではなく,天そのものに入られ……今やわたしたちのために神ご自身の前に出てくださるのです。……ご自分の犠牲によって罪を取りのけるため(です)」。(ヘブライ 9:24-26)では,イスラエルの贖罪の日に至聖所に運び込まれたのは,ただ1頭の動物の血だけでなかったのはなぜですか。それはイエスの完全な人間としての犠牲によって成し遂げられる事柄の異なった面に注意を引くためでした。そして,1頭の生きたやぎの頭の上でイスラエル国民の罪を告白し,それからそれを荒野に連れ去ることにより,もう一つの面が際立たせられました。

      8 (イ)贖罪の日の所定の手順は,だれが最初にキリストの犠牲の益を受けることを示していましたか。(ロ)「民のための」罪の供え物は,イエスの犠牲のどんな適用の仕方を示していましたか。(ハ)1頭のやぎを荒野に連れ去ることは,さらにどんなことを例証しましたか。

      8 アロンの家のためにささげられた雄牛の血が最初に至聖所に運び込まれたとおり,イエスの犠牲の益も最初に,キリストと共になって天の祭司職にあずかる人たちのために適用されました。これは西暦33年以降行なわれてきました。イエス・キリストには,アロンの場合のように贖罪をしてもらわなければならない罪はありませんでしたが,キリストと共に従属の祭司となる人たちには罪がありました。それらの人々はレビの部族によって表わされていました。(ペテロ第一 2:4,5)2番目の犠牲,つまり「民のための」罪の供え物のやぎの血をささげることは,人類の他の人々が天的級の後にイエスの犠牲の益を受けることを示していました。それらの人は地上の回復された楽園で命を得るようになる人々です。彼らは贖罪の日の「イスラエルの[祭司ではない]十二の部族」によって表わされていました。(マタイ 19:28。詩編 37:29)イエスはそれらの人々すべてのために死なれただけでなく,それらの人たちのために犠牲の死を遂げて,それらの人たちの罪をも実際に運び去ってくださり,人々に解放をもたらされるのです。このことは,イスラエルの罪が1頭の生きたやぎの上で告白された後,最後にそのやぎが二度と見られることがないように荒野に連れ去られたことによって示されていました。―詩編 103:12。イザヤ 53:4-6。

      9 (イ)キリストの犠牲に信仰を働かせる人たちは,今どんな祝福を享受しますか。(ロ)将来,さらにどんな益がもたらされますか。

      9 キリストを通して設けられている,エホバの愛ある備えに信仰を働かせる人たちはすべて,以前の生き方にかかわりなく,今や,本当に罪を許され,神のみ前で清い立場を得ることができます。そのような人たちは清い良心を抱いて神に対して神聖な奉仕を行なうという貴重な祝福を享受することができます。(コリント第一 6:9-11。ヘブライ 9:13,14)しかし,そうだからといって,それらの人々が現在,罪の影響を全然受けない命を授けられるという意味ではありません。(ヨハネ第一 1:8-10。ローマ 7:21-25)キリストと共に天で支配することになっている人たちは,地上の歩みを終え,よみがえらされて天で不滅性を与えられて初めて,そのような命が現実のものとなります。人類の他の人たちは,再創造によって罪から完全に解放されることが可能になります。

      「再創造のさい」

      10 (イ)再創造はいつ始まりましたか。(ロ)それ以後の,イエスの約束の成就として,座を与えられてきた人たちがだれかいますか。

      10 イエスが言われたように,再創造とは,「人の子[イエス・キリスト]が自分の栄光の座に座る時」のことです。(マタイ 19:28)もちろん,イエスが即位させられた時,直ちにすべてのことが起きたのではありません。イエスは西暦1914年に即位させられた後,最初に,サタンとその悪霊たちを放逐して,天を清められました。それから,ご自分の油そそがれた追随者たちを復活させ,天的な栄光を受けさせました。(啓示 12:5,7-12。テサロニケ第一 4:15-17)単にキリストの忠実な使徒たちが自分たちに約束されていた「十二の座」を与えられただけでなく,14万4,000人の他の人たちすべても死人の中から復活させられるにつれ,漸進的に天で即位させられています。―啓示 3:21。

      11 「ほかの羊」はどんな仕方で,再創造の及ぼす影響をすでに感じていますか。

      11 天的な級を構成する人々を選ぶことが終わりに近づいた時,「ほかの羊」の大群衆を集めることが,特に1935年以来開始されました。それらの人たちもまた,キリストの犠牲の益を享受し,『自分たちの長い衣を子羊の血で洗って白く』するようになりました。それらの人々は「神のご意志にそいつつ真の義と忠節のうちに創造された新しい人格を着ける」よう助けられています。(啓示 7:9,10,14。エフェソス 4:20-24)増大し続けるそれら大勢の人々は,回復される楽園で,彼らが永久に生きられるようにするため,キリストを通して設けられた神の備えの益を受けています。―啓示 7:17; 22:17。

      12 (イ)ここでイエスが言及しておられる「イスラエルの十二の部族」は,だれを表わしていましたか。(ロ)生き残る人々以外にだれが再創造の益にあずかりますか。

      12 今や間もなく,この邪悪な世は滅ぼされ,サタンとその悪霊たちは底知れぬ深みに入れられます。そして,人類のための千年間の裁きの日が始まります。イエス・キリストはいわば裁判長となり,すべての人々が十分の機会と助けを与えられ,エホバの義の道を学び,それに従って行動できるように取り計らってくださいます。死に至るまで忠誠を保つ者であることを証明した,キリストの油そそがれた追随者たちは,「イスラエルの十二の部族を裁く」業にキリストと共に加わります。(ルカ 22:28-30。啓示 20:4,6)これは,彼らが単にイスラエルの生来の子孫だけを裁くという意味ではありません。むしろ,彼らは贖罪の日の「イスラエルの[祭司ではない]十二の部族」によって予表されていた人々すべてを裁くのです。それには請け戻された人類の世全体が含まれます。(コリント第一 6:2)大患難を生き残る人たちは,人類を向上させるこの計画の益を最初に受ける人たちとなります。しかし,さらに何十億もの人々もまた,それにあずかることになります。なぜなら,裁かれる人々の中には,「生きている者と死んだ者」が含まれているからです。(テモテ第二 4:1。使徒 24:15)キリストの犠牲によって覆われる死者が戻る時,どんなにか胸が躍ることでしょう。愛する人々が再会する時,どんなにか喜びの涙が流れることでしょう。

      13 千年間の裁きの日のもたらす効果は,どうして確かに一種の再創造と言えますか。

      13 それは人類が罪によってもたらされた,身体的ならびに精神的な無能力状態から,やっとのことで救済される時となります。イエスは地上におられた時,まひした人たち,目が見えなかったり,耳が聞こえなかったり,あるいは話すことができなかったりした人たち,および肉体の一部が醜くなったり,病気のために力の衰えたりした人たちを瞬間的にいやされました。そのような強力な業は,イエスがその千年統治の際,全人類のためにしてくださる事柄のほんの前触れにすぎませんでした。エホバの親切に関するそのような驚くべき証拠を目撃しながら,もしくは経験によって知りながら,エホバの主権をはねつける者はだれであろうと永久に滅ぼされます。それは当然なことです。しかし,エホバの義の道を教える教育によって,誠実な信仰と従順を証明する人たちの考え方や動機は徐々に改善され,それらの人々はついには完全さの極致に達することでしょう。エホバを愛するそのような人々は,再生,つまり再創造を本当に体験した者となるでしょう。それらの人々はあたかも新しい父,つまりとこしえの父,イエス・キリストと共に,人生の新たな出発をさせていただいたかのようになるでしょう。―イザヤ 26:9; 9:6。

      14 最後の試みを通過する人々は皆,どんな貴重な関係を享受しますか。

      14 それから,千年の終わりの最終的な試みを通過したのちに,それらの人々は神ご自身の子たち,つまり神の完全な宇宙的な家族の一部としてキリストを通してエホバ神によって受け入れられるでしょう。これは,大患難を生き残る人々だけでなく,パラダイスの地で命の喜びにあずかるためによみがえらされる死者のすべてにとっても,なんと励みを与える見込みなのでしょう。―ローマ 8:20,21。

  • 「新しい天と新しい地」はどのようにして始まりますか
    新しい地へ生き残る
    • 14章

      「新しい天と新しい地」はどのようにして始まりますか

      1 (イ)聖書では,何がしばしば「天」と呼ばれていますか。(ロ)ある章句では,「地」は何を意味していますか。

      天のことを話すと,宇宙空間や月や星のことを考える人は少なくありません。聖書はまた,「天」を支配権と関連づけています。(使徒 7:49)「天」という表現は,宇宙の主権者であられる神ご自身を指して用いられる場合もあります。(ダニエル 4:26。マタイ 4:17)人間の政府さえも「天」と呼ばれる場合があります。なぜなら,それは臣民よりも高い立場にあるからです。(ペテロ第二 3:7)同様に,「地」は多くの場合,地球を意味しますが,それはまた,人類の社会を指す場合もあります。(創世記 11:1。詩編 96:1)このことを知っておけば,「新しい天と新しい地」に関する魅惑的な約束の重要な意義を認識するのに役立ちます。その約束の幾つかは,古代イスラエルの時代に最初の成就を見ました。

      『わたしが創造しているものを喜べ』

      2 エホバはなぜイスラエルが流刑にされるのを許されましたか。しかし,何を予告されましたか。

      2 イスラエル国民は神との契約に入っており,神に従うことに厳粛に同意していました。しかし,彼らは不忠節になりました。そのために,エホバは,保護を差し控え,エルサレムを滅ぼされるままにし,その民がバビロンに流刑にされることを知らせました。(イザヤ 1:2-4; 39:5-7)しかし,エホバはまた,憐れみ深いことに,悔い改めた残りの者たちの回復を予告されました。―イザヤ 43:14,15; 48:20。

      3 イザヤ 65章17節の約束は,何を意味するものでしたか。

      3 それは確かな事柄なので,エホバはその後代の回復について,それがあたかもすでに起きているかのように語り,こう言われました。「いまわたしは新しい天と新しい地を創造している……以前のことは思い出されることも,心の中に上ることもない。しかし,あなた方はわたしが創造しているものに永久に歓喜し,それを喜べ。いまわたしは,エルサレムを喜びのいわれ,その民を歓喜のいわれとして創造しているからである」。(イザヤ 65:17,18)これはそれら悔い改めたイスラエル人が救出されることを意味していました。

      4 (イ)予告された救出はいつもたらされましたか。(ロ)その当時の「新しい天」と「新しい地」とは何でしたか。

      4 このようなことは人間の見地からは不可能と思えましたが,強力なバビロンは西暦前539年にメディア人とペルシャ人の手に落ちました。ユダヤ人は新しい政府,つまり「新しい天」の支配を受けました。キュロス大王はその「新しい天」で際立った役割を果たしました。キュロスはユダヤ人の宗教に改宗しませんでしたが,権威を持つことをエホバから許されてそれを行使したこと,またエルサレムの神殿を再建させるようエホバから任命されたことを認めました。(歴代第二 36:23。イザヤ 44:28を参照してください。)西暦前537年にエルサレムに戻った総督ゼルバベルと大祭司エシュアもまた,その政治上の「新しい天」で際立った仕方で仕え,回復させられたユダヤ人の残りの者は「新しい地」,つまりその地に清い崇拝を再び確立した,清められた社会を構成しました。―エズラ 5:1,2。

      5,6 (イ)彼らが本当に変化した民であることを示す証拠となるのは,どんな事柄でしたか。(ロ)エホバから戒められた時,彼らの反応は,流刑にされる以前のそれとどのように異なっていましたか。

      5 自分たちが思いと心の両面で変化した民であることを示す証拠として,彼らは清い崇拝の関心事を生活の中で第一にし,本当にエホバの主権を尊び,そしてその預言者たちに聴き従う必要がありました。このことと一致して,彼らがユダに着いた時に最初に行なった事柄の一つは,『イスラエルの神の祭壇を築いて』,犠牲をささげることでした。―エズラ 3:1-6。

      6 物質主義に流れる傾向と人間に対する恐れのために,神殿の建設を完了することが妨げられた時,エホバはご自分の預言者を用いて民を戒められ,彼らはその戒めに留意しました。(ハガイ 1:2,7,8,12; 2:4,5)後に,結婚に関する律法の要求に従わなかった重大な怠慢が指摘された時,人々は自分たちの道を正しました。(エズラ 10:10-12)彼らは,比ゆ的に言って見えない目や,神の言葉の聞こえない耳を持つ代わりに,霊的ないやしを経験し,エホバのご意志と調和して自分たちの能力を用いました。(イザヤ 6:9,10と35:5,6を比べてください。)その結果,神はイザヤ 65章20節から25節にある約束に従って彼らを繁栄させました。

      7 イザヤの預言には,さらに後代の成就がありますが,どうしてそれが分かりますか。

      7 しかし,「新しい天と新しい地」に関する預言の成就は,それですべてでしたか。決してそうではありません。クリスチャンの使徒ペテロは,1世紀のクリスチャンがさらに後代の成就を切に待ち望んでいたことを述べています。(ペテロ第二 3:13)彼らが待ち望んでいた事柄は,今やわたしたちの眼前で展開しています。どのようにしてですか。それは,大いなるキュロス,つまり栄光を受けられたイエス・キリストの即位にかかわる出来事と関連して生じています。

      8 (イ)エホバはいつこの「新しい天」を存在させましたか。これはその預言の最初の成就とどのように比べられますか。(ロ)その「新しい天」の成員は,どのように漸進的に増大してきましたか。

      8 すでに見てきたとおり,エホバ神がご自分のみ子に権威を授けて,敵のただ中で支配を始めさせたのは,1914年のことでした。その時,待望久しい「新しい天」が存在するようになりました。そのとき起きた事柄は,古代イスラエルの救出と関連づけられている出来事よりもはるかに重要な意義を持っていました。(詩編 110:2。ダニエル 7:13,14)1914年に生み出されたその政府は実際,天そのものから支配しており,神は全地を治める権威をその政府にお与えになりました。その後,霊によって油そそがれた,キリストの(すでに亡くなった)追随者たちが,自分たちの主と共に天で王ならびに祭司となるために,復活させられるにつれ,この政府は拡張を見るようになりました。その王国級のほかの成員で,自分たちの地上での生活を終えた人々もまた,その「新しい天」の増大する成員に加えられてきました。(テサロニケ第一 4:14-17。啓示 14:13)キリストの共同相続人の確かに大多数の人々は今,その天の王国で活動しています。こうしてキリストと一緒になった,霊によって生まれたクリスチャンは,エホバが,「いまわたしは,エルサレムを喜びのいわれ,その民を歓喜のいわれとして創造している」と言われた,新しいエルサレムを構成しています。―イザヤ 65:18。

      9 エホバは1919年に,まさしくこの地上で,どんな「歓喜のいわれ」を作り出されましたか。

      9 エホバは天だけではなく,地上においても「歓喜のいわれ」を作り出されました。王国相続人の残りの者は依然として地上の舞台にいます。第一次世界大戦中,キリスト教世界の僧職者は戦時下の病的な興奮状態に乗じて,それら聖書研究者たちを偽って告発し,その統治体の幾人かの成員に長期間の禁固刑を科させました。しかし,彼らは1919年に解放され,大いなるバビロンの扇動によってもたらされた捕らわれから実際に解き放たれました。彼らは背後から自分たちを支えるエホバの霊に助けられて,清い崇拝と神の王国の関心事に全く専心した民として組織を建て直しました。

      10 (イ)これらの霊的イスラエル人の期待は,西暦前537年に帰還したユダヤ人のそれとはどのように異なっていましたか。(ロ)エホバは,なすべきどんな仕事を彼らにお与えになりましたか。(ハ)彼らがなお地上にいる間,エホバは彼らをどのように豊かに祝福してこられましたか。参照されている聖句は,彼らが享受している状態をどのように描写していますか。

      10 しかし,彼らの希望や期待は,西暦前537年に自分たちの故国に帰ったユダヤ人のそれとは異なっていました。霊的イスラエルの成員は,自分たちのために「天に取って置かれている」相続財産を楽しみにしていました。(ペテロ第一 1:3-5)しかし,彼らが実際にその報いを受ける前に,エホバは彼らのなすべき仕事を持っておられました。このことに関して,エホバは次のような預言的な言葉を述べられました。「わたしはわたしの言葉をあなたの口に置き,わたしの手の陰で必ずあなたを覆うであろう。それは,天を植え,地の基を据え,シオンに向かって『あなたはわたしの民である』と言うためである」。(イザヤ 51:16)エホバはその「言葉」,つまり音信を,全地でふれ告げさせるために,ご自分の僕たちの口に置かれました。彼らは,神がその「新しい天」をたいへんしっかりと据えられたので,人間も悪霊もそれを根こぎにし得ないことを,確信を抱いて知らせ始めました。エホバが天のシオンの代表者たちを取り扱われた仕方は,彼らがその民であることを疑う余地なく明らかにするものとなりました。この世の霊的にも,また道徳的にも荒廃した状態とは対照的に,霊的イスラエルの占めている「地」,つまり彼らの活動分野は,霊的な価値と活動が栄える所となりました。それは霊的パラダイスです!(イザヤ 32:1-4; 35:1-7; 65:13,14。詩編 85:1,8-13)しかし,イザヤ 65章17節で予告された「新しい地」についてはどうですか。

      「新しい地」のための準備

      11 (イ)エホバは,「新しい地」の成員となる見込みのある人々を,特にいつから整えてこられましたか。(ロ)彼らは古代バビロンを去った,どんな人々によって予表されていましたか。

      11 特に1935年以降のことですが,エホバは,楽園の地におけるとこしえの命に関する期待を抱く人々の大群衆を集めるための時が到来したことを霊的イスラエルの成員に理解させました。王国相続人の「小さな群れ」と比べて,それらの人々はまさしく大群衆となりました。(啓示 7:9,10)それらの人たちもまた,霊的パラダイスに入れられました。これらの人々は,西暦前537年にユダヤ人と共にバビロンを去った,イスラエル人ではない人たちと,その後に同様にバビロンを去った人々によって予表されていました。(エズラ 2:58,64,65; 8:17,20)地的な希望を抱く,現代のエホバの証人のこの大群衆はすべて,「新しい地」の成員となる見込みを持つ人々です。

      12 人々は「新しい地」のふさわしい基となれるよう,今どのように整えられていますか。

      12 大患難を生き残り,前途に完全な人間の命を得る見込みのあるそれらの人々は,まさしくその「新しい地」の基を構成し,その最初の成員となります。その基が堅固であることは重要なことです。ですから,彼らは現に今,エホバの道を徹底的に教え悟されているのです。それらの人々は宇宙主権の論争に関する心からの認識を持てるように助けられています。そして,『心をつくしてエホバに依り頼み,自分の理解に頼らない』ことがどんなに肝要なことかを学んでいます。(箴言 3:5,6)彼らは「王国のこの良いたより」を宣べ伝える業に今十分にあずかって,自分が神の王国の熱心で忠節な支持者であることを証明する機会を持っています。(マタイ 24:14)そして,あらゆる国民,言語および人種の中から来る人々が愛ある兄弟関係を保って一緒に働く,一つの全地球的な社会の一部であることが何を意味するかを体験しています。(ヨハネ 13:35。使徒 10:34,35)あなたもこの教育計画から十分の益を得られるよう,個人的に力を注いでおられますか。そうする人々すべてにとって,その前途には驚嘆すべき見込みがあります。

      「新しい地」は現実の事柄となる

      13 来たるべき「新しい地」は,エホバの約束の成就の点で,西暦前537年に起きた事よりも,どのようにはるかに壮大な事柄となりますか。

      13 「新しい地」を存在させるというエホバの約束の最終的な完全な成就は,西暦前537年当時に起きた事よりもはるかに壮大な事柄となります。「新しい地」を構成する人たちは,単に大いなるバビロンから解放された人々であるというだけのことではなく,偽りの宗教のあの世界帝国全体が永久に滅ぼされてしまうのです。(啓示 18:21)義にかなったこの人間の世界 ―「新しい地」― は,イザヤの預言の最初の成就の場合がそうであったように,エホバをそしり,その僕たちを迫害する諸国家によって取り囲まれることはありません。人間の政府はすべて,エホバの主権に服従することを拒んだために,打ち砕かれて存在しなくなり,現在の邪悪な人間の社会はこの地上から完全に絶やされてしまいます。(ダニエル 2:44。箴言 2:21,22)神の義の新秩序が始まる時,この惑星の地球に住むのは,エホバを敬い,その道に無上の喜びを見いだす人々だけです。―詩編 37:4,9。

      14 (イ)ペテロ第二 3章13節と啓示 21章1節はいつ成就しますか。(ロ)その時,「新しい天」が機能を果たす環境は,どんな点で異なりますか。(ハ)「新しい地」には,だれが含まれますか。

      14 使徒ペテロは霊感を受けて記した第二の手紙の中で,その輝かしい時代に注意を向けさせました。(ペテロ第二 3:13)使徒ヨハネは胸の躍るような,その同じ見込みを指し示して,自分に与えられた啓示について詳しく伝え,「わたしは,新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去っており,海はもはやない」と述べました。(啓示 21:1)大患難が過ぎて,サタンとその悪霊たちが底知れぬ深みに入れられると,新しい時代が始まります。サタンとその悪霊たちの卑劣な影響力はなくなってしまいます。サタンの事物の全体制は滅び去ってしまいます。それで,「新しい天」はエホバの主権を無視する政府からの干渉を何ら受けることなく,被造物に対するエホバの愛ある目的を遂行してゆきます。その「新しい天」のもとには,本当に「新しい地」があります。それは,美と豊かさと幸福と平和の宿る全地球的な楽園で,終わりのない命を受ける,貴重な見込みを神から差し伸べられる,「大群衆」で構成されるのです。死んだ人間がよみがえらされる神のご予定の時が来ると,それらの人々も,義の宿る,その「新しい地」の一部となる機会を持つことになります。―啓示 20:12,13。

      15 啓示 21章3,4節の約束は,あなたにとってどうして重要な事柄ですか。

      15 神がその時の人類のために備えておられる事柄に関して,使徒ヨハネは天からの次のような発表を聞きました。「見よ! 神の天幕が人と共にあり,神は彼らと共に住み,彼らはその民となるであろう。そして神みずから彼らと共におられるであろう。また神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死はなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」。(啓示 21:3,4)それは何と気分を浮き立たせるような生活なのでしょう。

      16 (イ)イザヤ 11章6-9節,(ロ)イザヤ 35章1-7節,(ハ)イザヤ 65章20-25節の約束は,わたしたちの心の中に,将来に関するどんな期待を呼び起こしますか。(ニ)だれがこのような喜ばしい見込みをわたしたちのために可能にしてくださいますか。

      16 エデンに存在した状態や,イエスが行なわれた奇跡は,その「新しい地」の生活がどのようなものかを示す,楽しい予告編となっています。そのうえ,イザヤ 11章6節から9節や35章1節から7節および65章20節から25節にある預言の特色は,その時,物理的な成就を見,従順な人類にとって大いなる祝福となるでしょう。すべての点でパラダイスとなった地球で,肉体的また精神的な完全さと共に,霊的な健康と繁栄という,本当に必要な状態を享受できる時,その生活は何と人をさわやかにさせることでしょう。わたしたちの前途にはこのような驚嘆すべき見込みがあるのですから,そのすべての偉大な創造者であられるエホバに感謝の声を上げずにいることなど,どうしてできるでしょう。

  • 王国の論争で人々を分ける
    新しい地へ生き残る
    • 15章

      王国の論争で人々を分ける

      1 王国の論争で人々が分けられることは,わたしたち各人にとってなぜ重大な事柄ですか。

      わたしたちは重大な決定を迫られています。争点となっているのは,イエス・キリストの手中にあるエホバのメシアによる王国に対するわたしたちの態度です。この論争で,すべての国々の人々を分けることが行なわれています。人は各々個人の行動に基づいて,二つのグループのどちらかに入れられています。そのうちの一つのグループだけが,差し迫った世の滅びを生き残ることになります。―マタイ 24:40,41。

      2 (イ)このメシアによる王国は,エホバの主権にかかわる論争とどのように関係していますか。(ロ)その王国は間もなくどのようなものになりますか。それで,わたしたちはどんな事を真剣に考えてみるべきですか。

      2 エホバはご自分のメシアである,油そそがれたみ子をすでに天で即位させられました。「諸国民の定められた時」の終わりである1914年に,神はイエス・キリストに諸国民を相続物として,つまり全地を所有物としてお与えになりました。(詩編 2:6,8)エホバの油そそがれた王を王座にいただく,メシアによる政府は,地球に関する神の愛ある賢明な目的を成し遂げる,神の手だてです。ですから,この王国に対するあなたの態度は,エホバの宇宙主権に関するあなたの考え方をはっきり示すものとなります。そのメシアによる王国は間もなく,今人間の事柄を支配している全政治体制を「打ち砕いて終わらせ」,全地を治める唯一の政府となります。(ダニエル 2:44。啓示 19:11-21)その政府が地球をパラダイスに変え始める時,あなたはどこにおられるでしょうか。その政府によって導かれ,完全な命を享受するようになる人々の一人となりますか。イエスは,今生きている人々が何に基づいてそのような見込みを共にすることができるかをはっきり述べられました。

      王とその『兄弟たち』

      3 マタイ 25章31-33節で,イエスはどんな事を述べられましたか。

      3 イエスは「事物の体制の終結」についてご自分の使徒たちに話された時,幾つかのたとえ話,つまり例えをお用いになりました。そして,最後の例えの中で,こう言われました。「人の子がその栄光のうちに到来し,またすべてのみ使いが彼と共に到来すると,そのとき彼は自分の栄光の座に座ります。そして,すべての国の民が彼の前に集められ,彼は,羊飼いが羊をやぎから分けるように,人をひとりひとり分けます。そして彼は羊を自分の右に,やぎを自分の左に置くでしょう」。―マタイ 24:3; 25:31-33。

      4 (イ)このたとえ話はダニエル 7章13,14節とどのように関係していますか。(ロ)どのように自問してみるのは有益なことですか。

      4 イエスはここでご自身のことを「人の子」と言っておられることに注目してください。それはこの預言のもっと前のところで,すでに繰り返しそう言っておられるとおりです。(マタイ 24:27,30,37,39,44)この表現を用いておられることから,およそ6世紀も前にダニエルに与えられた預言的な幻のことが思い起こされます。その幻について預言者ダニエルはこう書きました。「わたしが夜の幻の中でずっと見ていると,見よ,天の雲と共に人の子[イエス・キリスト]のような者が来るのであった。その者は日を経た方[エホバ神]に近づき,彼らはこれをその方のすぐ前に連れて来た。そして,その者には,支配権と尊厳と王国とが与えられた。もろもろの民,国たみ,もろもろの言語の者が皆これに仕えるためであった。その支配権は,過ぎ行くことのない,定めなく続く支配権,その王国は滅びに至ることのないものである」。(ダニエル 7:13,14。ヘブライ 2:5-8)支配を行なう,そのような権威は,すでにイエス・キリストに与えられています。1914年以来,イエス・キリストはその天の王座から支配しておられます。あなたは個人的に,その支配権にどのように答え応じてこられましたか。あなたの生き方は,神ご自身によって全地の支配者とされた,この方に対するふさわしい敬意を示す証拠となっていますか。

      5 王としてのキリストに専心仕えていると唱える人の主張が本物かどうかを,キリストはどのようにして決められますか。

      5 単なる言葉だけでは十分ではありません。わたしは神の王国を信頼していますとか,イエス・キリストを愛していますと言うのは,やさしいことです。しかし,イエスは羊とやぎに関するたとえ話の中で,ご自分は天にいて人の目に見えないので,ある人の主張が本物かどうかを決める際に考慮する,主要な要素となるのは,地上でキリストを代表する人たち,つまりその『兄弟たち』の扱い方であることを示されました。―マタイ 25:40,45。

      6 キリストのそれら『兄弟たち』とは,だれのことですか。

      6 その『兄弟たち』とはだれのことですか。それは,天の王国でキリストと共に相続人となるよう,神が人類の中からお選びになった人たちです。その人数は14万4,000人で,その残りの者だけがなお地上にいます。(啓示 14:1,4)それらの人たちは神の霊の働きによって「再び生まれ」たので,神の子たちです。ですから,彼らは聖書の中でイエス・キリストの『兄弟たち』と言われています。(ヨハネ 3:3。ヘブライ 2:10,11)イエスは人々がそれら『兄弟たち』に対して,それもその中の「最も小さい」者に対して人々が行なう事を,ご自分に対して行なわれる事柄とみなされます。

      7 キリストの『兄弟たち』は,どうしてキリスト教世界の諸教会の会員のことではありませんか。

      7 今日,キリストのそれら『兄弟たち』はどこにいますか。キリスト教世界の教会に通っている人たちの中に見いだせるでしょうか。では,イエスはご自分の真の追随者について何と言われましたか。「わたしが世のものではないのと同じように,彼らも世のものではありません」と言われました。(ヨハネ 17:16)キリスト教世界の諸教会と教会員について,本当にそのように言うことができますか。その態度や行為は事実上,彼らがいるこの世の人々に普通に見られる態度や行為を大いに反映させるものとなっています。諸教会が政治に関係していることは周知のとおりです。1945年に国際連合憲章が作成されていた時,プロテスタント,カトリックおよびユダヤ教の代表者たちが顧問として居合わせていました。近年,ローマの教皇たちは国際連合を「調和と平和の最後の頼みの綱」および「平和と公正の最高の討議場」としてほめたたえてきました。300ほどの宗派で成る世界教会協議会は,政治的な革命に必要な資金を調達するのに使う基金をさえ提供してきました。ところが,イエス・キリストはローマ総督ピラトに向かって,「わたしの王国はこの世のものではありません」と言われました。―ヨハネ 18:36。

      8 (イ)キリストの『兄弟たち』の実体を明らかにするのに,何が役立ちましたか。(ロ)王国を宣べ伝える業は彼らにとってどれほど重要ですか。

      8 事実は,ただ一つのグループだけが王国を支持する確固とした立場を取り,それを世界的にふれ告げる精力的な努力を傾ける一方,この世の政治的な事柄に関係することは一切避けてきたことを示しています。そのグループとはエホバの証人です。その中に,キリストの『兄弟たち』の残っている人たちがいます。それらの人々は自分たちの主とその使徒たちに見倣って,都市から都市,また家から家に行って,神の王国の良いたよりを人々に告げる業に一身をささげてきました。(ルカ 8:1。使徒 8:12; 19:8; 20:20,25)1919年に,米国オハイオ州,シーダー・ポイントで開かれたエホバの証人(当時,国際聖書研究者として知られていた)の大会で,大会出席者たちは,自分たちの「使命は到来する輝かしいメシアの王国を告げ知らせることであったし,またそうすることである」ということを思い起こさせられました。1922年に行なわれた同様の大会でも,このことが再び強調され,出席者たちは,「王とその王国を宣伝し,宣伝し,宣伝せよ」と促されました。彼らは自分たちの自由に使えるあらゆる手段を用いて,確かに今日に至るまで,そのことを世界中で行ない続けてきました。(マタイ 24:14)彼らがそのように活動してきたので,王国の論争があなたに紹介されたのです。あなたはこの事で何を行なっておられますか。

      『あなた方はわたしの兄弟たちの一人にした』

      9 (イ)マタイ 25章35-40節で描写されている境遇は,王国の奉仕の務めとどのように関係していますか。(ロ)こうして,どこにいる人々もどんな試みに直面させられてきましたか。

      9 霊によって油そそがれた,キリストの『兄弟たち』は,神の王国を大胆に宣べ伝える一方,世から離れた状態を保っているため,厳しい試みを受けてきました。(ヨハネ 15:19,21)中には,飢えや渇きや衣服に事欠くことを経験した人たちもいます。自分の家を後にして,自らはよそ者となる場所で奉仕してきた人々は少なくありません。それらの人たちは自分の奉仕の務めを果たしながら,病気にかかったり,空腹を経験したりしましたし,中には迫害者の手にかかって死んだ人たちさえいます。キリストの『兄弟たち』のこうした経験のゆえに,すべての国の人々は一つの試みに直面させられてきました。人々は神とキリストとに対する愛に動かされて,天の王国のそれら大使たちを助けに来たでしょうか。(マタイ 25:35-40。コリント第二 5:20と比べてください。)おもに人道主義的な親切ではなく,それら大使たちがキリストに属しているゆえに差し伸べられる助けこそ,王により,直接自分になされた事柄とみなされるのです。―マルコ 9:41。マタイ 10:42。

      10 (イ)「やぎ」の行なった抗議は,どうして妥当なものではありませんか。(ロ)それとは対照的に,「羊」はどんな立場を取りましたか。

      10 イエスはそのような助けを差し伸べる人たちのことを羊に例えておられます。その『兄弟たち』を助けようとしない人々は,イエスのたとえ話の中ではやぎと呼ばれています。それらの「やぎ」は,イエス・キリストを見なかったと抗議するかもしれません。しかし,イエス・キリストはご自分の僕たちを彼らのもとにお遣わしになり,それらの僕たちは自分がだれであるかを疑問の余地なく明らかにしてきました。「やぎ」は皆,キリストの『兄弟たち』を迫害するわけではありませんが,天の王に対する愛に動かされて,その代表者たちを助けに来るわけでもありません。(マタイ 25:41-45)それらの人々は,悪魔サタンが目に見えない支配者となっている,この世にしがみついています。「羊」も文字通りキリストを見ることができるわけではありません。しかし,「やぎ」とは対照的に,それらの人々は,神の王国をふれ告げる人たちを支持して,自分たちも恐れずにそれらキリストの『兄弟たち』と提携していることを実証します。「羊」は自分たちが何をしているのかを知っており,イエス・キリストによる神の王国を支持する側を積極的に選びます。そのようなわけで,彼らの行動は王の目には称賛に値するものとなります。

      11 (イ)多くの人々はキリストの『兄弟たち』の一人に決して会ったことがないのに,どうしてそのような人々をここで述べられている事柄に基づいて裁くことができるのですか。(ロ)この業が首尾よく行なわれることを何が保証していますか。

      11 しかし,どのようにしてすべての国の人々をこのことに基づいて裁くことができるのでしょうか。み父が天の王国をお与えになる,イエスの『兄弟たち』は「小さな群れ」にすぎないと,イエスは言われませんでしたか。(ルカ 12:32)多くの人々は決して個人的に,それら『兄弟たち』の一人に接することはありません。けれども,キリストの『兄弟たち』は確かにエホバの証人の国際的な組織の中核を成しています。この組織された人々によって,極めて重要な王国の論争があらゆる場所の人々に紹介されているのです。このすべては,キリストご自身がその天のみ座から,またみ使いたちの助けを得て,導いておられるのです。地球を取り巻くおよそ200の国々や島々で ― 神の王国を宣べ伝えることが政府によって禁止されている所でさえも ― この分ける業は何ものにも抑えられることなく進展しており,人々が大群衆となって神の王国の側に立ちつつあります。

      12 (イ)「羊」はどのようにして自分たちの立場を明らかにしていますか。(ロ)なぜそうするのですか。

      12 それらの人々はこのことをどのようにして示していますか。その王国が今支配しており,それは間もなくこの世の体制を終わらせようとしていることを熱心にふれ告げる,油そそがれた者たちと一緒に働くことによってそうしています。こうして彼らは,自分たちがエホバのメシアによる王国を支持する立場を取った者であることを公に明らかにし,またほかの人々にもそうするよう愛を込めて促しています。それら心の正しい人々は,生き残りたいという願い以上の,はるかに優れたものに動かされています。彼らはエホバとその道を本当に愛しています。王としてのキリストをいただく,その王国の備えのゆえに,彼らの心は感謝の気持ちで満たされ,彼らは他の人たちにもその備えの益を得てもらいたいと願っているのです。ですから,彼らは自分たちにできる最善を尽くして,王国の証しを行なうことに十分にあずかっているのです。彼らはイエスが弟子たちに教え諭されたとおりに,『王国を第一に求め』,物質上の必要なものに関する心配のために王国の事柄を二次的な位置に押しやることはしません。それらの人々はこのようにしてすばらしい祝福にあずかる見込みのある人となります。―マタイ 6:31-33。

      あなたは「王国を受け継ぎ」ますか

      13 (イ)エホバはいつから羊のようなそれらの人々のための報いのことを考えてこられましたか。(ロ)それらの人たちが『王国を受け継ぐ』とは,どういう意味ですか。

      13 イエスのたとえ話の「羊」であることを実証する人たちのために備えられているのは,実際驚嘆すべきものです。イエスは天のみ座からそれらの人たちに向かってこう言われます。「さあ,わたしの父に祝福された者たちよ,世の基が置かれて以来あなた方のために備えられている王国を受け継ぎなさい」。(マタイ 25:34)創世記 3章15,16節にしたがって,人類を請け戻すための神の備えの益を受けることのできる子供たちを,アダムとエバが最初に生み出した時に「世の基が置かれて」以来,エホバはそれらの「羊」のための報いのことを考えてこられました。(ルカ 11:50,51と比べてください。)彼らの報いは,アダムが失った完全な人間の命を,回復された楽園で享受する機会にあずかることです。それらの人たちが『王国を受け継ぐ』からと言って,それは天に行くという意味ではありません。なぜなら,そのたとえ話は,「羊」が天の王国の相続人である王の『兄弟たち』と同じではないことを示しているからです。ですから,「羊」はその天の政府の地上の臣民であるに違いありません。リデルとスコットの希英辞典は,ここで「王国」と翻訳されているギリシャ語のバシレイアが,受動態の意味で,人が『王によって支配されている』という意味に解することもできると述べています。ここでは明らかにそのような意味で用いられています。

      14 「やぎ」に下される裁きは,「羊」の受け継ぐものとはどのように対照的なものとなりますか。

      14 「やぎ」が去って永遠の切断に,つまりあたかも火による場合のように完全な滅びに陥る時,「羊」はメシアなる王によって保護されることでしょう。(マタイ 25:41,46。啓示 21:8と比べてください。)死ぬ必要の全くない,それらの人たちは,守られて大患難を切り抜け,サタンとその邪悪な事物の体制の卑劣な影響の全くない,輝かしい「新しい地」に入ります。それこそ彼らの祝福となります。なぜなら,それらの人たちは今王国の論争で正しい決定を下しているからです。

      15 (イ)このたとえ話が今適用されるものであることは,どうして分かりますか。(ロ)ですから,どんな業は極めて重要ですか。

      15 「やぎ」の滅びが永遠のものであるゆえに,このたとえ話はもっと後代まで,つまり恐らくキリストの千年統治の期間に入るまでは適用できないと考えるなら,重大な間違いを犯すことになるでしょう。それどころか,イエスはこのたとえ話を「事物の体制の終結」のしるしの一部としてお話しになりました。(マタイ 24:3)イエスが述べておられる事柄は,イエスが即位させられた後,しかもその『兄弟たち』がなお肉の体でとどまっていて,イエスが指摘しておられる苦しみを経験している時に生じます。わたしたちはその時代に生きており,この時代は急速に尽きようとしています。ですから,その王国に全き確信を置くだけでなく,今そうすることの重要性を理解するよう他の人たちを助けるのは,何と肝要なことでしょう。

  • あなたは個人的に何を行ないますか
    新しい地へ生き残る
    • 16章

      あなたは個人的に何を行ないますか

      1 どんな決定を個人的に下さなければなりませんか。

      エホバに仕える決定は,だれかほかの人があなたに代わって下せるものではありません。もしあなたの配偶者が忠実な神の僕でしたら,それは貴重な祝福をもたらすものとなり得ます。同様に,もしあなたの親がエホバを愛しているなら,あなたは恵まれた立場にあります。そのような家庭事情は,「霊と真理をもって」エホバを崇拝する人たちと交わるよう,人を促すものとなるでしょう。(ヨハネ 4:23,24)しかし,あなたはやがて個人的な決定を下さなければなりません。あなたは本当にエホバを愛し,その僕の一人になりたいと願っておられますか。あなたは義の行き渡る世界で生活をしたいと本当に願っておられますか。

      2 (イ)エホバに仕えることに対する親の態度は,なぜ特に重要ですか。(ロ)子供たちを立派に歩み始めさせるために,親はどんな五つの事柄を行なえますか。

      2 もしあなたが親でしたら,神の王国のもとでとこしえの命の祝福をお子さんたちに享受させたいと思われるに違いありません。お子さんが自分の人生航路の計画を立てられる年ごろになれば,あなたはお子さんのすることを制御できなくなるでしょう。しかし,あなたが真の崇拝に関して個人的に行なう事柄は,よかれあしかれ強力な影響を及ぼすものとなります。もしあなたがエホバに仕えることを差し控えるとしたら,とこしえの命に至る道を歩み始める,おそらく最善の機会となり得るものをお子さんから奪うことになるでしょう。あるいは,もしもあなたが神に献身しながら,その献身に恥じない行動をすることに無関心になるとしたら,家族全体が霊的な災いを被り,大患難ですべてを失う事態に陥る恐れがあります。しかし,もしあなたが忠実の模範を示し,神のみ言葉を研究するようお子さんを個人的に助け,エホバに対する愛とその見える組織に対する敬意を自分自身と子供たちのうちに培い,神のご意志を行なうことによってどのように保護されるかを悟るよう子供たちを助け,神聖な奉仕に喜びを見いだす方法を子供たちに示すなら,あなたは命に至る道を子供たちに立派に歩ませ始めていることになります。これはエホバの祝福を得て初めて可能になります。(テモテ第二 1:5と比べてください。)そのためにたゆまず祈ってください。また,あなたの側に多くの努力が求められます。しかし,その結果は何と価値あるものとなるのでしょう。

      3 (イ)もし家族の成員から反対されたなら,どうすればよいでしょうか。(ロ)しかし,もし反対が続いたなら,どうですか。

      3 もしかすると,あなたは,家族の他の成員がエホバへの愛をあなたと共にしない状況に直面するかもしれません。家族の他の成員は,あなたが“熱中する”のを思いとどまらせようとしますか。あるいは,露骨に反対しますか。どうすれば,神の目的を理解する喜びをあなたと共にすることができるように助けられるでしょうか。一緒に王国会館に来て,そこで行なわれている事柄を自分で見てもらうように家族の成員を招待することによって,障害を克服できる場合が少なくありません。そこにいる際に,エホバの証人の信じている事や行なっている事柄に関して抱いている疑問を解くため,長老たちの一人と話し合えるかもしれません。しかし,もし反対が続く場合はどうですか。その場合には,次のように自問する必要があります。『わたしはエホバとそのみ子イエス・キリストを本当に愛しているだろうか。わたしはこのおふたりがわたしたちのためにしてくださった事柄すべてを十分に感謝しているので,わたしの愛と感謝を示すためにも,多少の苦しみは喜んで耐えられるだろうか。わたしは,もしできれば,とこしえの命を得るための神の備えを家族にもとらえさせる助けとなるよう,正しい手本を示せるほど十分に自分の家族を愛しているだろうか』。―マタイ 10:36-38。コリント第一 7:12,13,16。

      諸国民がそのもとに向かう旗じるし

      4 わたしたちはどうすれば,自分が本当にエホバを愛していることを示せますか。

      4 今や,メシアによる王国に同調することによって,エホバに対する自分たちの愛を証明する機会が,あらゆる場所の人々に差し伸べられています。その政府こそ,エホバのみ名の正しさを立証する手だてなのです。その王国に対するわたしたちの態度は,自分がエホバご自身についてどう考えているかを明らかに示すものとなります。

      5 (イ)イザヤ 11章10節には,現代のためのどんな事柄が予告されていますか。(ロ)それは何を意味していますか。

      5 エホバは預言者イザヤに霊感を与えて,こう書き記させました。「そして,その日には,もろもろの民のための旗じるしとして立ち上がるエッサイの根がある。諸国の民は物を問い尋ねようとして彼のもとに向かい,その休み場は必ず栄光に満ちる」。(イザヤ 11:10)その「エッサイの根」とは,栄光を受けられた主,イエス・キリストです。イエスは王としての権威を行使し始めた時,命を与える「根」として,エッサイを源としてその子ダビデ王を通して現われたメシアなる王たちの家系に新たな活力を付与しました。(啓示 5:5; 22:16)1914年以来,イエスは「もろもろの民のための旗じるし」,つまり義の政府を切望する人々のための,いわば集合点として『立ち上がって』おられます。エホバがイエスをその旗じるし,つまり真のメシアなる王として立てられたのです。―イザヤ 11:12。

      6 (イ)人間は何によって天的な王の周りに集まることができるようになりましたか。(ロ)人々は「旗じるし」に向かって『物を問い尋ねた』結果,何を学んできましたか。

      6 しかし,この地上にいる人間はどうして天の王の周りに集まることができるのでしょうか。聖書から情報を与えられて,理解の目をもってその方を見ることができるようになる必要があります。霊的イスラエルの残りの者は,聖霊の導きのもとで,その活動を精力的に行ない,建てられたメシアによる神の王国の良いたよりを全地にわたってふれ告げてきました。すべての国の民の中の個々の人々は感謝の気持ちを抱いて聴き従ってきました。それらの人々は王国の臣民となって,パラダイスの地で命を永遠に享受するための神のご要求について尋ねてきました。聖書から与えられた答えで満足したそれらの人々は,その答えに従って行動し,エホバのメシアによる王国の側に立つようになりました。あなたはそうしておられますか。

      『彼らは聞くが,行なわないであろう』

      7 エゼキエル 33章30-33節には,聖書の音信に対するどんな反応が予告されていますか。

      7 エホバの証人は熱心な活動のゆえに,しばしば人々の間で話し合われる話題となっています。しかし,それらの人々はエホバの証人がふれ告げる音信をどのように考えているでしょうか。多くの人々の反応は,バビロンに流刑の身となっていた預言者エゼキエルの仲間の人々のそれに似ています。エホバはそれら流刑にされた人々に関して次のように言われました。「人の子よ,あなたについてであるが,あなたの民の子らは……互いに話して……言った,『どうか,来て欲しい。エホバから出る言葉がどんなものか聞きなさい』。こうして,彼らは民が入って来るときのように,あなたのもとに入って来て,わたしの民としてあなたの前に座るであろう。彼らは確かにあなたの言葉を聞くが,これを行なわないであろう。彼らは口でみだらな欲望を言い表わし,その心は不当な利得を慕って行くからである。そして,見よ,あなたは彼らにとって官能的な愛の歌のようであり,声がきれいで,上手に弦楽器を奏でる者のようだ。そして彼らは確かにあなたの言葉を聞くが,これを行なう者はだれもいない。そしてそれが実現するとき ― 見よ,それは必ず実現する ― 彼らはまた,自分たちの中に預言者がいたことを知らなければならなくなる」― エゼキエル 33:30-33。

      8 ある人は,そのような態度を取っている証拠をどのように示しますか。

      8 エホバの証人を称賛し,その聖書文書を好む人々は少なくありません。それらの人々は無償の家庭聖書研究の勧めをさえ受け入れるかもしれません。中には証人たちによって開かれる特別の集会に,友人たちと一緒に来る人たちもいます。例えば,イエス・キリストの死を思い起こす毎年の記念式の際には,出席者数が活発なエホバの証人の人数の2倍になるのも珍しいことではありません。中には,その出席者数が証人たちの人数の5倍にも達する土地もあります。しかし,それらの人たちは自分たちの聞く聖書の真理に関して何を行なうつもりなのでしょうか。250万人以上の人たちはその真理を個人的に心に銘記し,自分たちの生活をそれに合わせました。しかし,他の人々はその真理をあたかも単なる楽しい音楽,つまり人を楽しませるものでもあるかのように扱っています。そのような人々は圏外にとどまり,励ましの言葉は述べるかもしれませんが,神に一身をささげて献身しませんし,その神聖な奉仕に加わりません。

      9 賢い人々は,疑ったり延ばしたりする代わりに,何をしますか。

      9 疑ったり,延ばしたりしたところで,何が得られるというのでしょうか。確かに,来たるべき復しゅうの日にエホバの恵みと保護が得られるわけではありません。生き残る人たちの一人となるには,自分が『エホバに加わって』おり,自分がエホバのものであることを示す,説得力のある証拠を提出しなければなりません。―ゼカリヤ 2:11。マタイ 7:21。

      彼らは正しい決定を下した

      10,11 (イ)ホバブとは,どんな人ですか。どんな招待が彼に差し伸べられましたか。(ロ)彼がどんな決定を下したかは,どうして分かりますか。

      10 イエス・キリストの追随者として,エホバの崇拝者となった人たちは皆,そうなるための個人的な決定を下しました。このことは,天の王国の相続人である人たちすべてについても言えます。今や,他の人たちにも,大患難を生き残って,地上で完全な状態で生活する見込みを伴う選択をする,貴重な機会が開かれています。ホバブはそれらの人たちの見倣う価値のある手本を残しました。

      11 ホバブはモーセの義理の兄弟でした。ホバブはイスラエル人ではなく,ミディアン人の領地で生活をしていたケニ人の部族の一員でした。イスラエルがモーセを通して律法を受け,エホバの崇拝のための神聖な幕屋を立てた後,約束の地に向かって北に移動する時が来ました。エホバの臨在を表わす雲の柱は彼らに先立って行き,進むべき道筋や宿営する場所を示すことになりました。しかし,地形や,野営をするのに必要なものを見いだす場所を知っている人がだれか一緒にいれば助かったはずです。モーセは自分たちに加わるようホバブを招きましたが,最初ホバブは生まれ故郷で親族と共にとどまるほうが良いと考えて,その申し出を断わりました。ところが,モーセは彼に考え直すよう促し,イスラエルの「目となって」彼らと共に行き,エホバがその民にお授けになる祝福にあずかる見込みのある人となるよう勧めました。裁き人 1章16節に示されているように,ホバブは賢明にもそうしました。―民数記 10:29-32。

      12 (イ)今日,だれが,どんな点でホバブに似ていますか。(ロ)今日,どんな招待は,モーセがホバブに差し伸べた招きに似ていますか。

      12 今日,ホバブによって表わされていた人たちがいます。それらの人々は霊的イスラエル人ではありませんが,彼らと運命を共にして,神の新秩序に向かって進みます。そうするために,それらの人々はこの世的な親族や人間の政府とのかかわり合いを断たなければなりません。彼らは,大いなるモーセであるイエス・キリストの指導のもとで,良いたよりを宣べ伝えるために,しばしば新しい区域を探し出しては,喜んでキリストの『兄弟たち』の残りの者と共に仕えてきました。その多くは大抵,神の王国を人類にとって真の希望を与える唯一の手だてとして公に告げ知らせるため,自分の時間を十分に用いる開拓者あるいは宣教者として,王国をふれ告げる人に対する必要が特に大きな地域に移って行きました。このような神聖な奉仕にあずかる機会は,今なお沢山あります。資格のある人たちは自らを役立てて,そのような拡大された奉仕に伴ってもたらされる祝福にあずかるよう,招待されています。あなたもそうすることができますか。

      13 (イ)ヤエルとは,どんな人でしたか。その夫はエホバの僕たちに関してどんな立場にありましたか。(ロ)ヤエルはどのように試みに直面しましたか。

      13 ホバブがイスラエルと共に行くことに決めてからおよそ180年後のこと,その子孫の一人で,ヘベルという名の男の人がその妻ヤエルと共に,メギドからさほど遠くない所に住んでいました。ヘベルはケニ人の他の人々から別れて,イスラエルを厳しく圧迫していたカナン人の王ヤビンと平和な関係に入っていました。エホバがバラクをイスラエルの救出者としてお立てになった時,ヤビンの軍の長シセラは,その軍隊と,車輪に鉄の大鎌のついた戦車900両を集合させました。しかし,エホバはご自分の民のために戦い,敵の陣営の中に混乱を生じさせ,鉄砲水でその兵車を動きの取れない状態に陥らせました。シセラ自身は自分の兵車を捨てて,徒歩でヘベルの妻ヤエルの天幕のほうに逃げました。シセラが望んでいたとおり,彼女はシセラを天幕の中に招じ入れました。―裁き人 4:4-17; 5:20,21。

      14 ヤエルはどんな決定を下しましたか。それは何に関する証拠を示すものでしたか。

      14 今や,試みが始まりました。彼女はエホバの民のこの敵に対して何を行なうのでしょうか。彼女はシセラに毛布をかけ,凝乳を与えてその渇きをいやさせ,彼が眠りに陥るのを待ちました。そこで彼女は,「天幕の留め杭を取り,また,つちを手に握った。そして,忍び足で彼のところに行き,その留め杭を彼のこめかみに突き刺し,それを地に打ち込んだ。彼がぐっすり眠り,疲れきっていたときであった。こうして彼は死んだ」のです。彼女がした事は,勇気と,エホバとその民に対する愛とを要する事柄でした。また,それには彼女の側の積極的な行動と努力が必要でした。―裁き人 4:18-22; 5:24-27,31。

      15 今日,人々はどのようにして自分がヤエルに似ていることを示していますか。

      15 イスラエル人ではない,ほかのエホバの崇拝者たちについても言えることですが,ヤエルは,キリストの霊的な兄弟たちに対して善を行なう「ほかの羊」を表わしています。「ほかの羊」は自分たちの身近な親族が世とその支配階級に対してどんな結びつきを持っていようとも,それにはかかわりなく,世の支配者たちがエホバの民を圧迫することに賛成しません。彼らはより大いなるバラク,つまり主イエス・キリストとその真の追随者たちに忠節を示します。ヤエル級のこれらの人々は世の支配者たちに対して個人的に手を上げることはしませんが,エホバの僕たちを圧迫しようとする努力をくじくために,何であれ自分たちに自由に用い得るものを使用します。彼らは,自分たちがすべての敵を滅ぼすエホバの目的と全く一致していることを知らせるのを差し控えたりはしません。

      16,17 (イ)使徒 8章には,わたしたちの見倣う価値のある,どんな手本が記録されていますか。(ロ)その後に,わたしたちは何を行ない続けるべきですか。

      16 一刻も猶予してはいられません。もしあなたが本当にエホバとそのメシアによる王国に対して信仰を抱いているなら,またもしご自分の生活を聖書の要求に合わせたのでしたら,ぐずぐずせずに,そのことを公に明らかにしてください。使徒 8章の中で伝えられている,エチオピア人の宦官の示した精神を反映させてください。その宦官は自分に求められている事柄を理解するや否や,イエスに関する良いたよりを説明してくれたフィリポに,「わたしがバプテスマを受けることに何の妨げがあるでしょうか」と尋ねました。こうして彼はすぐさま水に浸されました。

      17 こうして立派に歩み始めたなら,エホバとのあなたの関係を日ごとに強め,そのみ言葉を自分の生活に一層十分に当てはめる道を求め,この事物の体制の終わりの時代中になされる,王国をふれ告げる肝要な業に,できるだけ十分にあずかってください。

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