お子さんの行儀は神をたたえるものですか
1 「すなおで愛らしく行儀の良い子供は偶然の所産ではありません。手本と訓練によって作り上げられるのです」。(「家族生活」131ページ)そのような子供は,『食べるにしても,飲むにしても,あるいはほかのどんなことをするにしても,すべての事を神の栄光のためにする』ことができます。(コリント第一 10:31)まだ伝道者ではなくても,行儀によって神をたたえ,りっぱに神を証しすることができるのです。
改善できる分野
2 行儀という語は「日常の行為や行状あるいは振る舞い」と定義されています。ですから,親は自らの日ごろの手本に加えて訓練により,いつでもふさわしい行儀を示せるような子供に育ててゆかねばなりません。例えば,あなたのお子さんの食卓での行儀はどのようなものですか。恐らく,祈りがささげられる前に食物に手を出したり,食べ始めたりするようなことはないでしょう。自分の好きなものや大きなものをわれ先に多目に取ろうとするようなこともないに違いありません。これらは貪欲な行為であり,クリスチャンが是非とも避けなければならないものです。(コリント第一 6:10)親はそのような振る舞いや食事中に歩き回ることを許さないようにして,引き続き子供をしつけてゆく必要があります。
3 目上の人に対する言葉や態度も子供の行儀の良し悪しを知るバロメーターとなります。モーセの律法のもとにあったイスラエル人は,年長の人に対して敬意を込めた礼儀を示すことが求められていました。(レビ記 19:32。申命記 21:18-21)そのような規定は,民全体がエホバへのふさわしい恐れを抱き続けるうえで助けになりました。今日でも,会衆の長老を含む年長の人々に子供たちがきちんとしたあいさつをしている姿を見るのは気持ちのよいものです。まだ学齢期前の子供の中にさえ,大人の前を通る時に「失礼します」とか「すみません」と敬意を込めて言う子供がいます。それらの子供たちや,良い訓練を与えている親たちは,会衆の雰囲気を向上させる面で確かに貢献しています。
4 言うまでもなく,集会中に行儀良くすることは特に大切ですが,ほとんどすべての会衆で集会中子供たちが静かにしているとの報告が寄せられています。これは,親と子が努力を払っている証拠で,ほめられるべきです。座席の下や周囲を整然と保つこと,集会中に何度もトイレに行かないようにすること,大人と共に心から歌と祈りに加わることなど,さらに改善できることがあれば,真剣に取り組んでください。これらは,エホバへの崇拝に直接関係している事柄です。
5 集会に関連して多くの会衆で改善が求められている分野は,むしろ集会後の子供たちの行状です。通路を走り回る子供,子供同士で大声で話したりふざけたりする子供,込み合っている場所で人を押しのけて歩く子供などが観察されます。会衆の書籍研究でも大声を出して遊んだり,集会場として提供されている部屋以外の場所に勝手に出入りしたりする子供についても報告されています。ほとんどの場合に,主な原因は親の監督不行き届きかしつけがなされていない点にあるようです。「したい放題にさせて置かれる少年はその母に恥をかかせる」と述べている箴言 29章15節の言葉は何と真実なのでしょう。
6 一方,大人と共に文書や雑誌のカウンターの前に並んでいる子供や清掃に携わっている子供,親に伴われて講演者などに感謝の言葉を述べている子供,あるいは子供たちだけの交わりでも静かに,しかも楽しそうに会話を交じえている子供を見ると心がなごみます。「少年はまさにその行ないによって,その行動が浄く,廉直であるかどうかを明らかにする」と述べられているとおりです。―箴言 20:11。
7 あなたは,野外奉仕における子供の行儀をも気にかけておられますか。『すべての事を神の栄光のためにする』よう訓練された子供は,親と共に奉仕にあずかっている時の行状によって人々に感銘を与え,人に真理を受け入れやすくします。しかし,逆もまた真実であることを忘れないでください。家から家の奉仕であれ,比較的に親しくなった人への再訪問や家庭聖書研究の業に携わっている時であれ,家の人の所有物に敬意を示し,傷つけたり汚したりすることが決してないようにすべきです。研究生の家でお菓子が出された時に司会者の子供が品位の欠けた振る舞いをするのを見てつまずいた人などについて聞くのは残念なことです。また,伝道中に道路を自由に歩く子供たちが交通事故にあったりするなら,非常に難しい問題になりかねないことを忘れないでください。
どのように育てるか
8 良い行儀の鍵は愛です。(ローマ 13:8-10)神と隣人への愛があれば行儀は良くなるはずです。それで,親は子供を含めた研究を勤勉に行ない,子供の心に愛を教え込まねばなりません。同時に,愛の動機で懲らしめを与え,自分の好むことを行なおうとする傾向を子供の心から追い出すことにも努めるべきです。(箴言 22:15)そのようにして行儀の良い子供に育ててゆくなら,子供は,十代になっても成人してからもその行くべき道を離れないでしょう。―箴言 22:6。