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大いなるバビロン聖書から論じる
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キリスト教であることを公言する諸宗教を,どうして聖書の神について何も知らない宗教と共に,大いなるバビロンの一部とみなせるのでしょうか
ヤコブ 4:4: 「姦婦たちよ,あなた方は世との交友が神との敵対であることを知らないのですか。したがって,だれでも世の友になろうとする人は,自分を神の敵としているのです」。(ですから,それらの宗教は,神について聖書の述べる事柄を知っていても,世の道に倣ってこの世との交友を選ぶなら,自らを神の敵にするのです。)
コリント第二 4:4; 11:14,15: 「この事物の体制の神が不信者の思いをくらまし,神の像であるキリストについての栄光ある良いたよりの光明が輝きわたらないようにしているのです」。「サタン自身が自分をいつも光の使いに変様させてい(ま)す。したがって,彼の奉仕者たちが自分を義の奉仕者に変様させているとしても,別に大したことではありません。しかし,彼らの終わりはその業に応じたものとなります」。(ですから,まことの神をその定めておられる方法に従って崇拝しない人々は皆,たとえクリスチャンと自称しようとも,実際には,エホバの主要な敵対者である悪魔サタンを敬っているのです。また,コリント第一 10:20も参照。)
マタイ 7:21-23: 「わたし[イエス・キリスト]に向かって,『主よ,主よ』と言う者がみな天の王国に入るのではなく,天におられるわたしの父のご意志を行なう者が入るのです。その日には,多くの者がわたしに向かって,『主よ,主よ,わたしたちはあなたの名において預言し,あなたの名において悪霊たちを追い出し,あなたの名において強力な業を数多く成し遂げなかったでしょうか』と言うでしょう。しかしその時,わたしは彼らにはっきり言います。わたしは決してあなた方を知らない,不法を働く者たちよ,わたしから離れ去れ,と」。
義を愛する人々が大いなるバビロンから即刻出ることはなぜ急を要する事柄ですか
啓示 18:4: 「わたしの民よ,彼女の罪にあずかることを望まず,彼女の災厄を共に受けることを望まないなら,彼女から出なさい」。
啓示 18:21: 「ひとりの強いみ使いが,大きな臼石のような石を持ち上げ,それを海に投げ込んで,こう言った。『大いなる都市バビロンはこのように,速い勢いで投げ落とされ,二度と見いだされることはない』」。
ルカ 21:36: 「それで,起きることが定まっているこれらのすべての事を逃れ,かつ人の子の前に立つことができるよう,常に祈願をしつつ,いつも目ざめていなさい」。
過去の時代に聖書の真理を知らないで生活し,大いなるバビロンの一部として死んだ人々はどうなりますか
使徒 17:30: 「神はそうした無知の時代を見過ごしてこられはしましたが,今では,どこにおいてもすべての者が悔い改めるべきことを人類に告げておられます」。
使徒 24:15: 「義者と不義者との復活があ(りま)す」。(「不義者」のうちのだれをよみがえらせるかは,神がお決めになります。)
ヨブ 34:12: 「実際,神は,邪悪なことを行なわれない。全能者は裁きを曲げられない」。
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終わりの日聖書から論じる
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終わりの日
定義: 聖書は「終わりの日」という表現を用いて,一つの事物の体制の終わりを画する,神の定めた刑執行の時まで続く終結の期間を指しています。エルサレムの神殿を崇拝の中心として築かれたユダヤ人の体制は,西暦70年についに滅びを迎えるようになるまでの期間中,その終わりの日を経験しました。当時起きた事柄は,諸国民すべてが神の定めた裁きの執行に直面する時,地球的な規模で経験するはるかに激烈な事柄を描画的に表わすものでした。全世界に及んでいる現在の邪悪な事物の体制は,1914年にその終わりの日に入りました。当時生きていた世代の中には,「大患難」で同体制が完全な終わりを遂げる時にも居合わせて,それを目撃する人々もいます。
今日,わたしたちが「終わりの日」に生活していることを何が示していますか
聖書はこの重大な期間をしるしづける出来事や状況を述べています。その「しるし」は,数多くの証拠から成る複合的なしるしです。したがって,しるしが成就するには,しるしのすべての面が一世代の間に明白に現われていなければなりません。そのしるしの様々な面は,マタイ 24,25章,マルコ 13章およびルカ 21章に記録されており,テモテ第二 3章1-5節,ペテロ第二 3章3,4節,および啓示 6章1-8節にはさらに詳しく記されています。例として,そのしるしの顕著な点を幾つか考えてみましょう。
「国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がり(ます)」(マタイ 24:7)
何千年もの間,地上の人々の生活は戦争によって損なわれ,国際的な戦争
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