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1986 エホバの証人の年鑑
鑑86 3–64ページ

1986 エホバの証人の年鑑

エホバへの忠誠を保つこと,これこそ唯一まことの神のすべての崇拝者たちの最も重要な考えであって,最大の願いであるべきです。忠誠はどうしてそれほど重要な事柄なのでしょうか。では,箴言 27章11節の言葉を考慮してみてください。その箇所では,丁度,家族の良い名にもたらされた不当な非難をぬぐい去るための正しい行動を取ることに関して,愛ある父親が息子に語るときのように,エホバはご自分の真の崇拝者すべてに向かって,「我が子よ,賢くあって,わたしの心を歓ばせよ。わたしを嘲弄している者にわたしが返答するためである」と言っておられます。人は生活のあらゆる面でエホバに対する忠誠を守ることによって初めて,神を嘲弄する者である悪魔サタンに述べる返答を日々エホバに供することができます。これは何とすばらしい考えでしょう。不完全な被造物でも,エホバの目にとがめやとがのない状態を保つことによって,エホバのみ名からあらゆるそしりをぬぐい去り,その心を喜びで満たすことができるのです!

今日,だれがエホバの心を歓ばせていると正しく主張できるでしょうか。この「1986 エホバの証人の年鑑」は,その答えを提供しています。この年鑑をお読みになれば,世界中のあらゆる国家的な背景を持つ男女子供たちからなる,毎月平均286万5,183人以上の伝道者が,宇宙主権の論争でエホバの側を忠実に擁護しているのを知って,感動させられることでしょう。中には,そうすることによって,苦しめられたり,投獄されたり,嘲弄する者であるサタンの手先のために殺されたりした人もいます。何十万もの人々は分裂した家庭の圧迫や,職場の同僚や学友からの嘲笑に忠実に耐えてきました。また,老齢や不健康などから生ずる問題に耐えなければならなかった人たちもいました。大半の人々はこの古い事物の体制から日々もたらされる圧力に耐えなければなりませんでした。エホバの忠実な証人であることを本当に実証してきた人々は,王国の関心事を生活の中で第一にしてきました。(マタイ 6:33)ですから,エホバはご自分の忠実な僕ヨブの場合と同様,それら証人たち個人個人についても,「その上なおも彼は自分の忠誠を堅く保っている」と言うことがおできになりました。―ヨブ 2:3。

1985年中,「忠誠を保つ人々」大会により,エホバの証人は,すべてエホバへの忠誠を保つことの重要性を際立った事柄として絶えず念頭に置くよう助けられました。この大会は6月に北アメリカで開幕し,それ以後の月々地球上の至る所で次々に開かれ,1986年の初めごろまで続きます。幾つかの特別の大会には,他の国々から何千人もの代表者たちが出席しました。それで,この大会は国際色豊かなものとなり,地上のあらゆる場所でエホバの民が本当に経験している愛のきずなを一層堅く結び合わせるのに役立ちました。―ヨハネ 13:34,35。

これら特別の大会の最初の集いは,7月11日から14日までカナダのモントリオールで開かれました。同大会とその影響についてカナダ支部が述べた事柄を読むのは興味深いことです。こう記されています。「わたしたちはモントリオール大会が成功したことを大変うれしく思っています。出席者数7万8,804人は,バプテスマを受けた1,004人の人数と同様,際立った点でした。兄弟たちのための自動車によるトレーラー・シティーは,この大会の特筆すべき事柄の一つでしたし,統治体の7人の兄弟たちが出席したことも,わたしたちにとって特に喜びでした。ニュース機関による報道も大変よく行なわれました。わたしたちはこのモントリオール大会がケベックはもとより,カナダのすべての場所の業に一層の刺激を与えるものであることを確信しています。他の国々の代表者たちはもとより,アメリカからわたしたちの仲間のクリスチャンがこれほど大勢出席したのは,とても良いことでした。それは大変励みの多い大会でした」。

ヨーロッパでは何か月も準備が行なわれた後,スイス,オランダ,ポーランドおよびギリシャで開かれた大会で幾千人もの訪問者たちが歓迎を受けました。ポーランドでは1985年の8月中,大規模な四つの大会を開く許可が親切にも当局者から与えられ,ポーランドの(ポズナン,ホズフ,ワルシャワおよびブロツワフにある)最も大きな競技場が用いられました。16か国からの代表者たちが出席し,出席者は合計9万4,134人でした。3,137人もの人々がバプテスマを受けたのは異例のことでした。どの大会でも出席者の興奮ぶりは大変なものでした。クリエル・ポルスキー紙はワルシャワのジェシェツィオチョレチャ競技場で開かれた大会に関して次のように述べました。「大会の主題である『忠誠を保つ人々』と大書した文字がフィールド上に置かれていた。話の行なわれる演壇や新しい信者にバプテスマを施すための設備も近くに設置されていた。大会のプログラムには合同でなされる祈りや賛美歌,講演,および道徳的ならびに倫理的問題に関する劇などが含まれていた。エホバの証人のワルシャワ大会のために,競技場は元の良い状態に修復され,ごみくずや雑草も姿を消した。場内の手すりも塗り替えられ……清潔な手洗いも数多く余分に造られた」。他の新聞もまた,このすべてが何百人もの兄弟たちの自発奉仕の結果であることを指摘しました。

使徒パウロとその仲間が1世紀当時,テサロニケを訪れた時,その一行について,「人の住む地を覆したこれらの者たちがここにまで来ています」と言われました。(使徒 17:6)8月22日から25日までギリシャのテサロニケ郊外の丘陵地で開かれたエホバの証人の大会にも,この同じ言葉がよく当てはまるでしょう。出席者の最高数は1万1,517人でした。最初の日に,地元の新聞は,「エホバの証人 対 ギリシャ正教会の戦いは始まる!」と報じました。しかし,エホバの証人が秩序正しくて,平和を好む人々であり,伝統や偽りの教義を退けて神の聖書の真理を擁護することにのみ関心を抱いていることは,出席者すべてにとって明らかでした。

忠誠を保つ証人たちに対する戦いで敗北を喫してきたギリシャ正教会は,デモに訴え,証人たちは「外国の手先」であり,「クリスチャンではない」と,偽って非難しました。アテネの主要な一新聞は反ばくする記事を掲げ,東洋やヨーロッパ,アメリカやアフリカなどの18か国から来た何千人もの証人たちは,キリスト教揺らんの地となった遺跡を見学することに関心があると指摘し,「エホバの証人は証人たちよりもさらに正統的とされる会衆の成員よりもずっと初期クリスチャンに類似している」と述べました。同紙は,ニューヨーク,ブルックリンから訪問した一代表者との記者会見の模様を,大会会場での種々の光景やバプテスマの施される様子を写した色刷りの写真と共に大々的に掲載しました。

最終日には,アテネのアポロン・スタジアムの大会に2万1,218人が出席し,近くのマラカサ大会には4,632人が集い,三つの大会の出席者は合計3万7,367人となりました。そして,368人の新しい証人たちがバプテスマを受けました。地元の兄弟たちはこの大会を「喜びに満ちあふれた大会」と呼びました。

ブラジルでは8月23日から25日に開かれる三日間の特別の大会のために,リオデジャネイロおよびサンパウロ両市が選ばれました。記録的な出席者数が予想されたため,支部は両市最大の競技場であるリオデジャネイロのエスタジオ・ド・マラカナーンとサンパウロのエスタジオ・ド・モルンビの使用契約を結びました。ところが,出席者の最高数はみんなの予想をはるかに上回り,日曜日には両会場に合計24万9,351人もの大群衆が詰め掛けたのです! この大群衆はまた2,654人がバプテスマを受けたことを聞いて大喜びしました。エホバは確かにこの国の業を迅速に進めておられます!―イザヤ 60:22。

これらの大会や他の特別の大会を訪れる特権にあずかった何千人もの兄弟たちは,示された愛ある暖かい歓迎を決して忘れることはないでしょう。それら訪問者たちはエホバへの忠誠を守る決意を強められ,こうして,『各々互いの信仰によって,相互に励まし合い』,喜びにあふれる心を抱いて,それぞれの故国や会衆に帰りました。―ローマ 1:12。

この一連の大会が始まって以来,数多くの感謝の手紙が協会に寄せられています。その一通の差出人は感激して,一部こう記しています。「今年の『忠誠を保つ人々』大会は,忠誠と真実をもってエホバに仕える決意を保ってゆくため,私がまさに必要としていたものでした」。スペイン人の一巡回監督は一言にまとめて,「プログラムはすべて始めから終わりまで,この終わりの時に忠誠を守るようわたしたちすべてを助けるものとなりました」と書いてきました。わたしたちは,この一連の大会が,出席した人々すべてにとってそのように助けとなり,またどんな障害や試練が前途に控えていようとも,出席者一同の決意が詩編作者ダビデによって,『しかしわたしは,自分の忠誠のうちに歩みます』と言い表わされた通りのものとなるよう祈っています。―詩編 26:11。

「自分の奉仕の務めを十分に果たしなさい」という言葉が,エホバの証人の前に置かれた1985年の目標でした。(テモテ第二 4:5)わたしたちすべてにとって興味深いのは,この目標がどの程度達成されたかということです。34から41ページの一覧表と共に,それに続く,地上の多くの場所から寄せられた興味深い報告や経験をご覧になれば,その点に関する堂々たる答えが得られるでしょう。何百万時間をも費やして王国について隣人に証言し,聖書研究のための手引きを人々に手渡し,そののち再訪問を行ない,聖書研究を司会した結果,18万9,800人もの人々が水のバプテスマを受けて,エホバのご意志を行なうために献身したことを表わしました。それらの人々は,エホバの証人が1985奉仕年度中,自分たちの奉仕の務めを果たしたことを示す証拠ですし,『彼らの心に書き込まれ,すべての人に知られ,また読まれている,彼らの手紙なのです』。―コリント第二 3:2,3。

昨奉仕年度の報告の際立った特色の一つは,開拓者の隊伍に加わる人々の数が絶えず増加したことです。昨年,文字通り何千人もの人々が,開拓奉仕は自分たちにとって「活動に通ずる大きな戸口」であることを認識するようになりました。(コリント第一 16:9)ですから,1985年に平均32万2,821人が全時間奉仕に参加できたことを知るのは,何という励みでしょう。これは前年の25%増加に当たります。19歳になる開拓者の一姉妹は,「忠誠を保つ人々」大会に出席した後,その気持ちを次のように述べました。「私はこの最も満足のゆく業をいつまでも忍耐強く続けるため引き続き努力するよう,かつてないほど堅く決心しました。金曜日の午前中,開拓者のための話を聞き,全時間の僕たちの群れの中にいるこの機会を深く感謝しました。その話を聞いて,私の心は深い幸福感で一杯になりました!」「救いは,み座に座っておられるわたしたちの神と,子羊とによります」と語る声に和す「大群衆」が,いよいよ増大している一つの重要な要素は,この増し加わる全時間の働き人の大軍であることは確かです。―啓示 7:9,10。

もちろん,エホバの民のすべてが全時間奉仕に参加して自分たちの奉仕の特権を拡大できるわけではありません。だからと言って,そのような人たちがそれぞれの特定の境遇のもとで,できる限り『自分の奉仕の務めを十分に果たす』のを妨げられているわけではありません。ですから,エホバの組織の中でどんな奉仕の立場を享受していようとも,次に記されている,エホバの忠誠を保つ証人たちの偉業に関する記録をご覧になって,現在の邪悪な事物の体制のこの終わりの時代に,あなたもエホバの心を歓ばせる業の一端にあずかってきたことを喜べるでしょう。

アフリカの熱心な奉仕者たち

「新しい地」へ生き残るため人々を備えさせることに関して今日アフリカで成し遂げられている事柄を見ると,心が温まります。彼らが神聖な奉仕のために示している熱心さは際立っており,エホバはその努力を豊かに祝福しておられます。ある国々では記念式の出席者が10万人を超え,別の国では30万人を超えました。そしてエホバの霊は働き人の必要にこたえるよう兄弟たちを動かしています。例えば,一つの支部では開拓者が54%増加しています。2年間で203%増加した国もあります。4月にはさまざまな国々で,全時間奉仕を行なった人の数が伝道者全体の35,37,59,70%まで増加しました。

チャド: この国では飽くことなく20年も内乱が続いており,昨年は最も凶暴な殺人事件や略奪が生じました。戦争や迫害の問題に加えて,ききんも見られます。そのような圧力のもとにあって,チャドの兄弟たちは,次のように書いた使徒パウロと同じように感じています。「わたしたちは,あらゆる面で圧迫されながらも,動きが取れないほど締めつけられているわけではなく,困惑させられながらも,逃れ道が全くないわけではなく,迫害されながらも,見捨てられているわけではなく,倒されながらも,滅ぼされているわけではありません」― コリント第二 4:8,9。

二人の妻と6人の子供を持つある教師は子供のころから悪霊崇拝のとりこになっていました。その母親というのが有名な千里眼で,四つの悪霊につかれていたということです。それらの悪霊に犠牲をささげるため家族全員が年に2回集まりました。半年のうちに二人の妻が相次いで亡くなったとき,この教師は死の起源について母親を通して悪霊に尋ねてみました。悪霊たちは偽りを述べ,自分たちは知らないと言いました。その後,この教師の一番上の娘も死に,その時にこの人はエホバの証人と聖書研究をすることに同意しました。やがて,以前は恐れを抱き,悪霊の奴隷となっていたこの人は『生けるまことの神の[幸福な]奴隷』となりました。―テサロニケ第一 1:9。

ガーナ: この国では良いたよりに多大の関心が示されています。11月に報告された4万3,579件という家庭聖書研究の数は,伝道者の総計を1万6,000ほど上回っています。記念式には10万1,926人が出席しました。こうした増加のため,新しい支部の施設が緊急に必要となり,その点でも良い進歩が見られます。この業を支えるための寄付はあらゆる年齢層の人々から,またさまざまな形でなされています。9歳になるある子供は「けんせつのしごとのために50㌣をおくります。このお金をもらうために,氷でひやした水をうりました。みなさんにあいのあいさつをおくります」というメモを送ってきました。10歳になる別の少女は,飼っていた一羽のめんどりを200㌣で売り,建設の業の助けになるよう協会に送ってほしいと,そのお金を主宰監督のところに持って来ました。生きたままのやぎや羊,豚,にわとりなどを送ってきた人もいます。一人の兄弟は,のこぎりでひいて材木として用いるよう大きな丸太を何本も寄付してくれました。備品を貸してくれた人もいます。

コートジボアール: 現在エホバを賛美しているある人々は,最初,刑務所にいる時に見いだされました。一人の若いイスラム教徒は休暇で外国へ行き,お金のことで激しい言い争いになって人を殺してしまいました。その結果懲役20年の刑が言い渡されました。先行きの見通しがなかったこの人は,必要なら食物を断って自殺をしようと考えましたが,その時に,刑務所で伝道していた二人のエホバの証人と出会いました。その若いイスラム教徒のベルテの考えは徐々に変わってゆきました。生まれて初めて真の喜びを味わうようになったのです。やがて,約50人の受刑者と看守に見守られ,刑務所の中庭の大きな樽の中でバプテスマを受けました。この人の区域は刑務所です。しばらくの間は6,000人ほどの受刑者がいて,その人たちに宣べ伝えました。今は1,000ほどの人たちがいる刑務所にいます。そこでこの人は補助開拓を続け,23件の聖書研究を司会し,定期的に約40人が出席する集会に参加しています。

ケニア: 開拓者精神は東アフリカにみなぎっており,それに伴って大きな祝福が注がれています。ケニアの正規開拓者数は4年間で270%増加し,全伝道者の10%以上が現在正規開拓者です。

この国では,「地上での生活を永遠に楽しんでください」というブロシュアーを用いてすばらしい業がなされています。昨奉仕年度には東アフリカの約7,000人の伝道者が33の言語でこのブロシュアーを10万部近く配布しました。時には,別の人のブロシュアーを見て自分の分も欲しくなった人々が伝道者の後ろに付いて来るということもありました。

一人の一夫多妻主義者はこのブロシュアーを読んでから,エホバの証人が再訪問をする前に第二夫人を家から出す取り決めを設けました。ある時など,エホバの証人ではない一人の人が近所の人たちのところへ行き,そのブロシュアーを使って,人々の行状,特に一夫多妻について『彼らを正し』ました。この人は,「あなたの教会ではそれを許していますが,聖書によればそれは許されていないことが分かりますね」と述べました。

一つの会衆では,このブロシュアーを使った結果,2か月間に41件の新しい研究が始まりました。一人の姉妹はある婦人と研究をしていましたが,その婦人は,話し合った事柄を理解したり覚えたりしてはいないようでした。それでもその証人に,勉強を続けてほしいと頼みました。そのブロシュアーのおかげで急速な変化が生じました。今では,研究した事柄を記憶することができます。ブロシュアーが終わったあと,真理の側に立って公に伝道を始める準備ができました。ケニアの3,422人の伝道者が5,172件の聖書研究を司会しているのも不思議ではありません。

セネガル: 昨年は,広大な未割り当て区域に住む人々に,より多く会うため,一層の努力が払われました。そうするための一つの手段として,都市部の兄弟たちは,列車やタクシーの停車場で人々に話すよう励まされました。そのようにして国内の最も遠い所の人々に接触することができます。そうした方法によって会うことのできたある男の人は,より多くの情報を求めて支部に手紙を書いてきました。そして,自分が教えている学校での霊的なプログラムを司会するときに用いるため,「地上での生活を永遠に楽しんでください」のブロシュアーを入手しました。その人が上手に始められるよう,一人の宣教者がその人を訪問しました。生徒たちは神のみ名,人間のために神が地球を備えられたこと,どのように最初の人間という魂が存在するようになったかについて学びました。雨期に学校が休みになる間,生徒たちにはアラビア語のそのブロシュアーを書き写し,その朗読の練習をする宿題が出されました。内陸部のさらに奥地で働いている仲間の教師も,自分の学校で同じプログラムを始めるため,40冊のブロシュアーと1冊の聖書を求めました。

シエラレオネ: 清い崇拝を奉じている人々のうち,まさにイエスが予告されたとおり家族からの反対を経験している人は少なくありません。(マタイ 10:32-39)シエラレオネの農村地帯で成長したヨナタンの場合がそうでした。この人の先祖は4世代にわたって呪物崇拝を行なう祭司であり,ヨナタンも同じ仕事を引き継ぐように訓練されてきました。しかしヨナタンは,エホバの証人との研究を始めて,“まじない”や動物の犠牲ではなく,聖書に明示されている仕方でエホバに仕えることが神からの恵みをもたらすことを知りました。自分は家の職業を受け継がないことを知らせた時,激しい反対が生じました。家の人たちはヨナタンが学校に行けないようにしたのです。クリスチャンの集会に行ったりすると,「神に食べさせてもらいなさい!」と言って食事を与えようとしませんでした。ヨナタンが飢えることはありませんでした。そして正しい事柄に固く従いつづけ,バプテスマを受けました。ヨナタンは読み書きも自分で習っています。やがて母親も真理を受け入れ,ヨナタンは正規開拓者として奉仕しています。

南アフリカ: この支部は今,「ものみの塔」誌を八つの異なった言語で,「目ざめよ!」誌を四つの言語で,「わたしたちの王国宣教」を九つの版で,英語と同時に出版しています。ですから南アフリカのエホバの証人は,世界中の兄弟たちと同時に,同じ霊的食物を楽しむことができます。

世界中の人々が,南アフリカで進展してきた騒然とした状況について聞きおよんでいます。そうした状況はアフリカの兄弟たちに影響を与えてきましたか。ある場所では群衆がエホバの証人の中立の立場を受け入れようとしませんでした。脅された人もいれば,家を焼かれた人もいました。しかし彼らは忠誠を保つ決意を抱いています。こうした動乱の一部始終を見て,黒人であれ白人であれ,多くの人は,人間の統治や計画には希望を託せないことを理解するようになっています。そして,以前には耳を傾けなかった多くの人たちが,真の希望を伝える唯一の音信,つまりイエス・キリストによる神の王国に鋭い関心を抱いています。畑は収穫を待って熟しています。家庭聖書研究が約8,000件増え,3万2,000件以上の最高数に達したのも不思議ではありません!

ザイール: 昨奉仕年度ザイールではかつてないほど速く王国の業が進展しました。この1年で正規開拓者は40%以上増加しました。そして記念式の出席者15万3,356人は同国の証人の数の4倍を超えます。

一人の宣教者は,18歳の少女が聖書の研究を始め,会衆の集会に出席していることを伝えています。やがて母親が,この子のしていることに反対しました。(マタイ 10:36,37)少女は家から追い出され,一緒に聖書を研究している人のところへ行って生活しなさいと言われました。それと共にこの母親は町の軍関係の役人に娘のことを訴え,自分の娘は家で働く代わりにいつも研究したり集会に行ったりしていると苦情を述べました。しかし,その母親が苦情を述べたその役人も聖書に関心があり,エホバの証人の訪問を受けていました。それで母親に,娘さんを追い出して,その年代の他の多くの人のように,泥棒や売春婦にならせるつもりなのか,と尋ねました。そしてこう述べました。「もしそうでないなら,クリスチャンとしての娘さんの活動を妨げてはなりません。今日私は,娘さんがエホバの証人の集会すべてに出席し,聖書の研究を続けることを公に認めます。娘さんを家から追い出すようなクリスチャンらしからぬ行ないは間違っています。私たちは法律を適用するためにここにいるのであり,信教の自由は保障されています」。少女は家に帰り,真理において引き続き進歩しています。

ザンビア: ザイールの南に位置するザンビアからは,これもまた非常な励ましとなる報告が寄せられています。聖書研究は伝道者の数を大きく上回っています。そして記念式の出席者数31万1,314人は,伝道者数を5倍余り上回っています。

親切な行ないによって幾つかの聖書研究が始まりました。一人の姉妹の家の近くに,いつもけんかを吹きかけてくる婦人が住んでいました。しかしある日のこと,その人の子供が店の皿を何枚か割ってしまい,母親には弁償するだけのお金がなかったので,困り果てていました。その姉妹は婦人の援助に赴き,その人に代わって支払いをすませました。この婦人は姉妹の親切な行ないに深く心を動かされ,翌朝には姉妹の家に来て,聖書研究を司会してほしいと頼みました。

ジンバブエ: 中立の問題はいよいよ深刻化しています。ある地域では地元の一政治家が,家を訪問して来るエホバの証人を殴打するよう人々に勧めました。当局に訴えることによって救助されることも幾度かありますが,エホバ神とそのみ子に対する兄弟たちの忠節に対して公に憤りを表わす強力な分子がまだいます。しかし,一人の長老が述べるとおり,「わたしたちの兄弟たちは,信仰の質を証明する助けになるので,そうした試みに喜んで耐えています」。―ヤコブ 1:2-4。

東洋の望ましいもの

ずっと昔エホバは,「あらゆる国民のうちの望ましいもの」が必ず崇拝の家にやって来ると予告されました。(ハガイ 2:7)世界の他の場所と同じく,東洋からもそのような人たちが数を増し加えながらやって来ています。

ビルマ: ある地域の兄弟たちは,エホバの民の大会に出席するため,標高1,800㍍ないし2,400㍍の山地を六日間以上歩かなければなりませんでしたが,自分たちが霊的な必要を本当に自覚していることを証明しました。(マタイ 5:3)大勢の人はプログラムの始まる二日前に到着しましたが,その晩に話があるかどうかと早速問い合わせてきました。そしてその取り決めが設けられました。大会プログラムの終わった夕方の時間に,旅行する監督たちが兄弟たちに招かれ,さらに多くの話をしたり,経験を語ったりしました。

神の言葉を聞く機会が与えられると,迫害者たちでさえ好意的な反応を示すことがあります。特別開拓者の10歳と7歳の二人の息子は,エホバの証人であるということで学友から常にいやがらせをされていました。帽子は剥ぎ取られる,洋服はインクを付けられたり切り裂かれたりする,教科書は盗まれるという具合いで,殴打されることも時にありました。両親が先生に話をしたためそれらの問題児は助言を受けましたが,いやがらせは収まりませんでした。そうしたある日のこと,下の息子が「わたしの聖書物語の本」を学校に持って行き,男の子たちに証言しました。弱い者いじめをする友達も耳を傾け,親切になりました。親はある夕方,息子たちが,以前は弱い者いじめをしていた他の5人の男の子と一緒に家に帰って来るのを見て驚きました。その時からこの二人の息子は級友と一緒に「聖書物語」の本を定期的に読んでいます。

インド: インドでの神権的な拡大の必要を顧みるため,ロナブラに新しい支部の建物と王国会館が完成し,1月に献堂されたのは特に時宜にかなった出来事でした。

ヒンズー教徒であった一人の婦人は,隣の家で行なわれていた研究に参加したことから,真理に関心を持つようになりました。やがてエホバが真の神であることを悟るようになりましたが,自分がこの“新しい”宗教に関心を持ったことを夫に気づかれるのではないかとびくびくしていました。一方,夫のほうは,エホバの証人と研究している友人の家を訪問した時に聖書の音信に関心を持つようになりました。この夫も,自分の学んでいることは真理だと悟るようになりましたが,それを妻に言うことを恐れていました。なぜなら,妻は非常に信仰が篤く,家に多くの宗教画や偶像を置いていたからです。その後のある日のこと,夫は家に「顧みてくださる神がおられますか」という小冊子がベッドの上に置いてあるのを見つけました。それが何であるかを知って夫は妻に,「どこでこれを手に入れたの」と,興奮して尋ねました。妻はおずおずと説明し,夫は大喜びしました。やがてこの夫婦の家で,この二人と3人の子供,それに祖母に当たる人を含めて研究が行なわれました。

イスラエル: イスラエルのさまざまな場所にいる兄弟たちは,降ってわいたような激しい反対に遭ってきました。最初は,ユダヤ人の宗教的な狂信者たちが支部の建物に侮辱的な落書きをしていたのですが,そのうちに群衆が建物を襲撃したり,火を付けようとしたり,建物の入口に破片爆弾を仕掛けたりするようになりました。抗議のデモ行進が週に2回あり,黒い外とうを着たひげづらの過激な宗教家たちが400人以上参加しました。彼らは暴力的な手を用いて兄弟たちや関心を持つ人たちを脅して集会に行かせまいとし,兄弟たちが王国会館から出てくるのを待ち伏せています。しかし出席数は依然として高く,会衆の霊は強力です。

どんな結果が生じているでしょうか。報道機関によって広く伝えられたため,国全体がエホバの証人と,その基本的な信条について知るようになりました。政府の役人たちにも証しが行なわれました。好奇心を持つ多くの傍観者たちが支部を訪れ,質問をしたり,文書を求めたりしています。同情心を持つ人々の耳は良いたよりに対して開かれてきました。そして,堅く立とうとする兄弟たちの決意は強められています。―フィリピ 1:12-14。

レバノン: この国にはまだ真の安全はなく,現在の世界体制のもとでは改善の見込みもありません。しかし,兄弟たちはみな心をこめてエホバに仕えつづける決意を持ち,エホバの助けと保護を経験しています。

4月には同国の全伝道者の22%が特別,正規,補助開拓の業に参加しました。長老の一人は,「私は真理に29年間いますが,初めて補助開拓を行ないました。胸の躍るような経験でした」と書きました。

補助開拓者の中には,4人の子供を持ち,未信者の夫を持つバプテスマを受けたばかりの姉妹が含まれていました。この姉妹は身体的な問題をも抱えていました。その補助開拓の月にこの婦人は近所の人と3件の新しい研究を始め,予想外のもう一つの祝福も経験しました。夫に毎日のように真理について話したので,夫は関心を持ち,集会に出席するようになったのです。

タイ: 他の国の場合と同様,この国でも補助開拓奉仕に対する反応は良いものです。一人の姉妹はその奉仕に対する認識を表わして,こう言いました。「私はあまり健康なほうではありません。眠れるように薬を飲まなければならない夜が多くありました。定期的に補助開拓をするようになってから,健康になりました。眠りに就くために,もう薬を飲むことはありません。夕方になると,風呂に入って床に就く時まで待てないくらいです。戸口から戸口へ歩くことが,ぐっすり眠るための大きな助けになっています。そのほかに,多くの霊的な祝福を与えられ,そのお陰で私は幸福です」。

トルコ: 昨年はトルコの神の民にとって極めて重大な年となりました。1984年12月には国家安全保障裁判所が23人の兄弟たちに『トルコに神権的な秩序を確立しようとした』として有罪を宣告したのです。1週間後,そのほかの8人がイズミルで逮捕されました。最初のグループは1985年6月に無罪となり釈放されました。二番目のグループは約3か月後に釈放されました。

その間,エホバの証人の間の強い愛の絆は強化されました。一家の稼ぎ手が投獄されましたが,他の兄弟たちが愛のうちにその家族を物質的に援助することに貢献し,他の国の兄弟たちでさえ寛大な援助を与えました。

イエスが予告されたとおり,迫害はより大きな証しにもつながりました。(マタイ 10:18)他の国々の兄弟たちが手紙を書いたために,多くの政府関係者たちは問題を扱わざるを得なくなりました。また,新聞報道によって,さもなければ証人について聞くことがないような人々のところにも音信が達しました。刑務所の中でさえ証しが行なわれました。

ヨーロッパの畑で喜んで働く奉仕者たち

多年にわたり,ヨーロッパの畑の広範な地域に王国の種がまかれてきました。今は収穫の時です。エホバの証人は働き人を遣わしてくださるよう収穫の主人にお願いしますが,自らも自発的に一層十分その業にあずかります。その結果,開拓者の名簿に載せられる人の数は増加しつづけています。―マタイ 9:37,38。

ベルギー: この暴力的な世では,反逆の精神によって汚されてしまった多くの人に出会います。ある開拓者の夫婦は,アルコール中毒にかかっていたけんか好きな人が新しい人格を身に着けられるよう助けました。(エフェソス 4:23,24)その男の人は,必要な変化を遂げるために,自分自身の内で闘いをしなければなりませんでした。ある日の夕方,その人はまたもやつまずいてしまいました。カフェ(バー)に入って酒を飲み,危うくけんかを始めそうになったのです。家に帰ってから,その人は感情をぶちまけ,テーブル一つといすを何脚か壊しました。「年鑑」を破ろうとさえしました。その人はこれ以上真理とかかわりを持ちたくないと思いました。自分はふさわしくないと感じたのです。しかし,その開拓者の夫婦から一層の励ましを受けて,会衆の集会に出席するようになりました。たばこをやめるのは難しいことでしたが,たばこを捨て,後にはパイプも捨てました。その後,服装が変わりました。何という変わり様でしょう。その人はバプテスマを受けて以来,定期的に補助開拓奉仕にあずかっています。

英国: 英国の畑は,かつてないほど徹底的な証言を受けています。顕著な点は,初めて10万人以上の王国宣明者が業に参加したということです。さらに,開拓者の数は,昨奉仕年度の初めの10か月間毎月,新最高数に達し,5月には1万1,425人が補助開拓奉仕に参加しました。

昨年は大会ホールに関連した活動の年でもありました。兄弟たちは一生懸命に探して,ロンドンから南へ40㌔離れた美しい場所にある施設を見つけました。この施設は目下改装中です。8月1日には,英国の北東部に住む兄弟たちの役に立つもう一つのホールの仕事が始まりました。また,委員会はさらにもう一つの大会ホールをブリストル地方に設ける可能性について調査しています。これで英国の大多数の兄弟たちが自分たちのホールで巡回大会を行なうことが可能になるはずです。

リーズで開かれた大会の時にバプテスマを受けた人々の中に,夫の死後,神に助けを祈り求めていた婦人がいました。その婦人が祈った次の日に二人のエホバの証人が訪問しました。婦人は礼儀正しく耳を傾けましたが,英国国教会の一員だったので,証人たちの文書は断わりました。ところが,彼らが立ち去って数分後,婦人は自分が助けを求めて神に祈ったことを思い起こし,彼らを呼び戻すために走って家の外に出ました。しかし,彼らを見つけることはできませんでした。その夜,婦人はもう一度祈りました。今度は,証人たちがまた来てくれるようにと祈りました。何とその次の日,別の二人の証人が訪れました。その家が前日に訪問されたことを知らなかったのです。72歳になるその家の人は,先に訪ねて来た証人たちと連絡を取ってもらい,研究が始まりました。そして今,その婦人は姉妹となっています。

デンマーク: 「新世界訳聖書」全巻のデンマーク語版の発表は,非常な熱意をもって迎えられました。6万冊準備されたのですが,1,000冊しか残りませんでした。一般の出版物もこれについては広く報じ,40ほどの新聞や雑誌が新世界訳に関する報告を載せました。

デンマークで,ある人々はごく短い期間に真理をとらえています。ジョージはその一人です。彼はしばしば神に祈りました。そして,人生の目的について説明してくれる人をよこしてくださるよう祈ったまさにその日に,二人の証人がドアをノックしたのです。ジョージは聞いたことに感謝して,翌日,王国会館へ行きました。二日後には二度目の集会に出席し,その次の日に初めて家庭聖書研究をしてもらいました。ジョージは,職場の40周年祝賀会に出席するか,それとも王国会館に行くかという選択を迫られた時,エホバの民との交わりを選びました。彼は喫煙が間違っている理由を知りました。それで,証人たちと初めて接してから14日後には,もう一切たばこは吸わないとエホバに堅く約束しました。1日に二,三十本のたばこを吸い,やめようとしても16年間やめられなかったのに,もうたばこを吸っていません。ジョージは初めの2か月間に協会の本を12冊読みました。その後間もなく野外奉仕に出て,4か月たたないうちにバプテスマを受けました。

フィンランド: エホバのみ名が広く知れ渡る時が来ました。どんな力もそれを妨げることはできません。フィンランド国教会は新しく聖書を翻訳しています。神のみ名を注意深く隠している聖書です。一方,一地方新聞は,最近ある教会で行なわれた改装工事に関連して次のように報じました。「古いペンキをはがした結果,クフモイネンの教会で新しい事実が発見されるに至った。“Jehova”という語が祭壇の真上に見いだされたのである。幾分困惑を引き起こしたその語と,約1か月前に姿を現わしたその大壁画の運命は,今や教区会の手にゆだねられている」。教区会はその壁に板を張ることに決めました。こうして,後の世代のためにそのみ名と壁画は壁板の後ろに隠されたのです。しかし,このことは町内のどの家庭でも話題になりました。

フランス: 開拓奉仕の活動にエホバの祝福があり,1年のうちほとんどの月に全時間の働き人の新最高数が記録されたことは,大きな喜びでした。

若い人たちは学校で多くの忠誠の試みに遭います。デルフィーヌの通う新しい学校では,男の子と女の子がお互いのほほにキスをしてあいさつを交わしていました。それで彼女は,クリスチャンなのでそうすることはできないと説明しました。後日,バスの中で一部の男子が,「キスしてデルフィーヌ! キスしてデルフィーヌ!」と,歌いながらはやし立てました。ある日の昼食後,一部の男子がデルフィーヌに無理やりキスをさせようとしました。しかし,彼女が祈り,強く抵抗したので,男の子たちはデルフィーヌに構うのをやめました。あとで,その子たちの一人は戻って来て,信念を守るデルフィーヌの勇気には感心したと言いました。それで彼女はその子に王国についてよく証言し,王国の祝福にあずかりたい人すべてにエホバが期待しておられる高い規準について説明することができました。その学年の間に,デルフィーヌはクラス全員に自分の信仰を説明することもできました。

ドイツ: 大会には大きな期待が寄せられましたが,受けたすべての良い物に対する実際の喜びは期待を上回るものでした。兄弟たちは,「聖書から論じる」および「生命 ― どのようにして存在するようになったか 進化か,それとも創造か」という本のことで大変感激しました。また,それらに加えて,12万5,000の相互参照資料の付いたドイツ語の改訂版「新世界訳聖書」も受け取りました。兄弟たちはこれらすべての備えに圧倒される思いで,心から感謝の言葉を述べていました。

ある日,年配の男の人が,街路伝道をしていた一人の兄弟から『永遠に生きる』の本を入手しました。その人の家に再訪問が行なわれました。わずか4週間で,その男の人は,「『大いなるバビロン』から離れるには何をしなければなりませんか」と質問しました。教会から籍を抜くためにその人が教会の事務所に行った時,勤務中の婦人が,「そのお年で教会から籍を抜きたいとおっしゃるのですか」と尋ねました。その男の人は82歳なのです。その人は婦人の言葉に答えて,「あなたはエホバの証人について聞いたことがありますか」と言いました。婦人は,「もうそれで分かりました」と答えました。2か月しないうちに,その男の人は野外奉仕に出ました。

ギリシャ: 使徒パウロと仲間のシラスはフィリピで宣べ伝えた時,腹を立てた反対者によって行政官たちのもとへ引きずってゆかれました。今日でもそのような反対は,この国のエホバの民にとって珍しいことではありません。(使徒 16:19-24)ここでは昨奉仕年度の最初の10か月間に,良いたよりを宣べ伝える業に関連した84の訴訟事件がありました。そのうちの67件は下級裁判所で勝訴し,2件は控訴裁判所で好ましい結果を見ました。そのほかは今なお係争中です。

美しいコルフ島は,島のエホバの証人の会衆に対する僧職者の反対があったため,報道機関の大きな注目を集めました。1か月ほどの間,3人の司祭に率いられた50人前後の人から成るグループが,集会の行なわれるたびに王国会館の外に集まりました。十字架を掲げ,時折,「反キリスト」,「売国奴」,「ブルックリンへ帰れ」などと叫びながら賛美歌を歌いました。警察は治安を維持しようとしましたが,やがてそのグループの行動に刺激され,気の転倒した一人の人がまず会館の窓を粉々に壊し,それから会館に火を放ったので,84万円相当の被害が出ました。次いで一人の兄弟の車に火が付けられました。全国紙がその事件について報道しました。ついにこの件は法廷に持ち込まれました。法廷内は司祭たちで一杯になり,訴訟は五日間続きました。エホバの証人のために進み出た人は,大学教授でした。その人は1時間半ほど話し,とりわけこのように言いました。「中世が我々の町に舞い戻ってきた。民主主義的な我々の社会において[司祭たちを指しながら]この人たちが占める場所はない。この人たち[司祭たち]はキリストの教えた事柄と何の関係も持っておらず,間違ってキリストの代理をしている」。この訴訟の結果,コルフ島だけでなく,国中に大々的な証しがなされました。

アイルランド: 6月1日から2日にかけて,速成の王国会館がアイルランドで初めて建てられました。テレビ局はそのことを広く人々に知らせました。ある新聞は,「エホバがわずか30時間で建てた家」と,肉太の文字で発表しました。

関心がないと言っていた人の中には考えを変えた人もいます。ある少女は,自分のいとこがエホバの証人になりましたが,自分はいとこの間違いを証明することにしか関心がありませんでした。しかし,最後にはいつも議論になってしまうので,二人はもうそのことについては話し合わないことにしました。後日,その少女は,ボーイフレンドと絶交した時,薬を飲みすぎて病院に担ぎ込まれました。いとこに当たる証人である姉妹は,一人の姉妹から勧められて,奉仕の帰りにいとこの見舞いに立ち寄りました。そのエホバの証人が,その日に自分がしていたことをいとこに話したところ,いとこは,『面白そうだから』いつかきっと集会に行く,と言いました。姉妹は神権宣教学校で話すことになっていました。それで,いとこはその集会に出席することに同意しました。姉妹は,『永遠に生きる』の本を1冊,いとこのために置いてゆきました。二日後,いとこは研究することに同意しました。今では彼女も野外奉仕に参加しています。

イタリア: 昨奉仕年度は,忠実な僕たちの上に注がれたエホバの祝福に対するわたしたちの感謝が本当に深まった年でした。8月には,12万7,526人の王国宣明者が奉仕に忙しく携わっていました。5月における正規開拓者の総数は,前年の5月の報告を72%上回りました。また,記念式には27万5,902人が出席しました。イタリアのエホバの証人の国際大会に出席した人がわずか4,531人だった30年前と比べて,何とすばらしい発展でしょう。

良いたよりは偏ぱなく宣べ伝えられねばなりません。だれをも無視してはならず,エホバは心にあるものをご覧になるということを認識しなければなりません。ベニスに何年間もガラス屋と呼びならわされていた一人の飲んだくれがいました。アルコールが入るといつも,公衆の面前で服を脱いでしまい,警官がやめさせようとすると,広場にある店のショーウィンドーに体当たりしてガラスを壊しました。それでこのあだ名を付けられたのです。その人の住んでいたアパートの部屋は汚れていました。しかし,証人たちがその人を訪問した時,その人は真理に対して純粋な熱意を示しました。1回目の再訪問は3時間続きました。進歩は速く,その人は喫煙と飲酒をやめました。また,集めていたたくさんのポルノ雑誌を捨て去りました。すぐに集会に来ました。兄弟たちは,その人がアパートをきれいにしてペンキを塗るのを手伝いました。こうしたことはすべて,隣人や知人にりっぱな証しとなりました。その人の以前の飲み友達だったある人は,王国会館でその人に会った時,『あのガラス屋がこんなに変わることができたのなら,わたしだってエホバの証人になれる』と言いました。そして,兄弟たちに自分の家に訪問してくれるよう依頼しました。エホバの道は人の道より高く,神のお考えは人の考えよりも高いというのは全く真実です。―イザヤ 55:6-8。ローマ 11:33。

ノルウェー: ある姉妹は,雑誌経路になっている年配の男の人を時々訪問していました。その人はいつも友好的で,雑誌を受け取りはしましたが,ドアはほとんど開けませんでした。姉妹が努力したかいがあったでしょうか。そのころ,伝道者たちは別の区域で,ある若い主婦に会いましたが,その主婦は,何の雑誌か分かり,すぐに伝道者たちを家の中へ招き入れました。研究が始まり,その主婦とその夫は急速に進歩してバプテスマを受けました。何がこの急速な進歩に貢献したのでしょうか。実は,この婦人は先ほどの年配の男の人の娘で,その父親は何年もの間,人類に対する聖書のすばらしい希望について娘に話し,「ものみの塔」誌が娘の質問に対する答えを見いだすのにいかに役立つかを教えていたのです。

ポルトガル: ポルトガルは今,洪水のように人々を襲うインフレ,失業,将来に対する深刻な不安などと闘っています。しかし,まさにこうした状態のゆえに,多くの心の正直な人は神の王国の必要性を理解するようになっています。

この国で初めて王国を宣べ伝える業が行なわれた都市の一つであるアルマダの場合,エホバの証人は住民105人に対して一人という割合になっています。記念式には,そこの住民の45人に一人が出席しました。何か停滞の気配があるでしょうか。いいえ,ありません。この巡回区には,国内のどの巡回区よりも多くの開拓者がおり,多くの家庭聖書研究が司会されているのです。

スペイン: この国のエホバに献身した僕たちは,かつてないほどエホバのみ名を賛美しています。(詩編 113:1)1983年5月以降の26か月間に,スペインでは正規開拓者の最高数を25回記録しました。その期間に開拓者の数は92%上昇しました。このような熱心な活動は,多くの分野における増加の要因となっています。スペインには今,最高数である6万1,110人の王国宣明者がいます。

14歳のヨランダは学校で次の日に特別な旗の式典が計画されていることを知りました。その式典では,表象物に儀式的な接吻をするだけではなく,誓いの言葉も言うことになっています。この少女がまず考えたことは,両親に話すことでした。両親はヨランダが式典に欠席することを許してくれるでしょう。しかし,下級生のエホバの証人はどうなるでしょうか。先生と同級生からの圧力に直面して難しい事態に陥るかもしれません。それで,休み時間にヨランダは年若いモニカとホアンとシルビアを捜し出し,その事態について説明してから,一緒に校長室へ行きました。ヨランダはグループを代表してこう話しました。「校長先生,私たちは明日行なわれることになっている式典のことで,つまり旗に対する誓いのことでお話しするために伺いました。私たちはエホバのクリスチャン証人として,その旗に誓いをたてないということをお伝えしたいと思います。それは旗を崇拝することですし,崇拝すべき方として私たちにはすでにエホバという神がおられるからです。私たちは皆さんの宗教に敬意を払いますから,私たちの宗教にも敬意を払っていただきたいと思います」。それに対して校長先生はこう答えました。「いいでしょう。あなたの担任の先生とほかの子たちの先生のところに行って,明日は式典に出席しないということを伝えなさい」。こうして,年若い学友のために取ったヨランダの勇気ある行動のおかげで,その学友たちはうっかり難しい事態に直面するようなことを避けられました。

スウェーデン: スウェーデンの一般の人々は,聖書とその音信に対して甚だ無関心です。しかし,兄弟たちはそれによって熱意を鈍らせるようなことをせず,活動を増し加えてきました。新最高数の2万37人が4月中野外奉仕に参加しました。そのうちの20%以上が開拓奉仕をしていました。

ヘンシェル兄弟の地帯訪問の時に,わたしたちは会衆内の若い人々にもっと注意を払うようにと勧められました。若い人々に対する援助を増し加える取り決めが設けられました。多くの若い人たちは親と共に野外奉仕に出てはいましたが,ほとんど進歩していなかったのです。しかし,伝道者として達していなければならない基準と,野外奉仕を効果的に行なう方法について個人的に教えられると,若い人たちは集会や野外活動に対して非常に違った見方を持つようになります。

北アメリカにおける著しい増加

現代におけるエホバの証人たちは,1世紀以上にわたって北アメリカで活躍してきました。彼らは今日,「小さな者が千となり,小なる者が強大な国民となる。わたし自ら,エホバが,その時に速やかにそれを行なう」という約束が,自分たちの期待をはるかにしのぐ仕方で果たされるのを見ています。(イザヤ 60:22)数だけが「強大」なのではなく,エホバに依り頼んでいるゆえに,特に霊的な意味で「強大」なのです。その『強大さ』は,すでに立てられている神のメシアの王国を宣明する業に魂をこめてあずかるよう証人たちを動かします。この業にあずかれるというのは,本当にたぐいまれな特権です。

アラスカ: アラスカの兄弟たちは世界中のエホバの証人が抱いている気持ちを言い表わしています。感謝をこめてこのように書いています。「エホバの全地における王国の関心事に忠節に仕えておられる兄弟たちに温かい愛とあいさつをお送りできるのは喜びです。エホバの組織が与えてくださる援助がいろいろな面で効を奏していることを感じない日はありません。この愛あるお世話に感謝いたします。言うまでもなく,私たちはエホバが『わたしたちひとりひとりから遠く離れておられるわけではない』ことを知っております。(使徒 17:27)このような親密さは特別の祝福です」。

アラスカの広大な区域には若い人々が多いように思われます。その平均年齢は28歳です。それで,若い人々で,開かれている奉仕の特権に対して真の認識を示している人は少なくありません。例えば,ある女子高校生は学校に通いながら補助開拓をすることに決めました。彼女は,職業訓練課程の規定に合わせて,授業のある日はその一部を野外宣教に充てることを計画しました。毎週,働いた時間,行なった事柄,学んだ新しい知識や技術,進歩状況,さまざまな経験などを記録した用紙を提出しました。そのためにエホバのみ名について,速成の王国会館の計画について,また開拓奉仕について受け持ちの教師と話し合う機会が開けました。その教師は良い印象を受けました。

カナダ: 1984年の間に強調された「王国の増加」という主題は決して希望的観測ではありませんでした。エホバの祝福により,その時も,その後も,その主題どおりのことが生じてきたのです。

その増加の反映は新しい王国会館の建設にはっきりと見られます。速成の王国会館の数は,夏までに55に達し,さらに10件が冬になる前に計画されています。サスカチェワン州サスカツーンでは,去年の春に速成の大会ホールがわずか六日で建てられ,建設が始まってからちょうど1週間後に献堂式が行なわれました。それは四つの連結した王国会館としても使用できます。そして室内の壁を取り払うと1,200人を収容できる巡回大会の講堂として使えるようになります。この建設の業はその地域で大評判になりました。現場を訪れたある専門家が,「いや,全く恐れ入った」と語ったとおりです。

アメリカ合衆国: 目覚ましい! 1985奉仕年度中の米国のエホバの民のりっぱな活動はそのように表現できます。8月には新最高数の72万3,220人という伝道者が宣教に参加しました。これはちょうど5年前の平均を17万9,763人上回るものです。また,時間,再訪問,家庭聖書研究の面でも新最高数がありました。

その報告の目覚ましい面は,開拓者の隊伍の増大です。4月に補助開拓奉仕を行なった10万145人を加えると合計13万6,996人がその月に開拓の業を行なったことになります。昨奉仕年度中に正規開拓者数は8回新最高数に達しました。「忠誠を保つ人々」大会の後,非常に多くの申込書が寄せられました。

これら熱心な人々の中に,メキシコで育った,元カトリック教徒がいます。その婦人は40年来のエホバの証人です。しかし最近,「自分は何をしているのだろう」と自問するようになりました。どんなことであろうと,宣べ伝える業に携わること以上に重要なものはあり得ない,と悟ったのです。それで,その婦人は93歳になりますが,正規開拓者の名簿に載せられ,今では6件の家庭聖書研究を司会する喜びにあずかっています。

中央アメリカとカリブ海で大群衆はエホバを賛美する

使徒ヨハネは,預言的な幻の中で,「すべての国民と部族と民と国語の中から来た」,エホバを賛美する人々の大群衆を見ました。(啓示 7:9,10)この幻の成就には,中央アメリカとカリブ海方面の非常に多くの人々も含まれるようになっています。

ベリーズ: ここの畑はすでに熟して収穫を待っています。(ヨハネ 4:35)サンタクルスのマヤン村はそのような実り豊かな畑の一つです。そこの三つの家族は,悪事が行なわれているのを見て,自分たちの宗教から離れることに決めました。それらの人々は,真理を見いだすことができるようにと一緒に祈っていました。まもなく,その中の一人が,プンタゴルダの町で街路伝道をしていた一人の証人に会いました。彼は話を聴きましたが,文書は何も求めませんでした。翌月にその人は再びそこへ行きました。今度は,エホバの証人がサンタクルスに教会を建ててくれるかどうかを尋ねるためでした。兄弟は,わたしたちの業の性質と,わたしたちが信じている幾つかの点について説明しました。その人は聖句を書き留めましたが,今度も文書は求めずに去って行きました。村の他の人々は,その人から聞いた事柄に好感を持ち,集会場所とするために草ぶきの建物を建てはじめました。翌月,その人はもう一度プンタゴルダに来て,自分たちが集会のための建物をすでに用意したことを説明しました。兄弟がどの日の何時に来てくれるかをはっきり決めてくれるようにとしきりに言うのです。知識はわずかしか得ていませんが,それら3家族は進んで宣べ伝えており,戸口から戸口への活動さえ行なっています。兄弟たちが,その村でスライドの上映を行なうように計画した時,これらの家族は,ぜひそれを見てもらおうと,126名もの人々を集めました。これは,それらの家族が『永遠に生きる』の本をまだ数章しか勉強していない時のことでした。

ドミニカ共和国: ここの土地で王国の業は盛んになっており,将来はきわめて有望に見えます。この年度には,伝道者の最高数が10か月続きました。そして,伝道者の最高数は8,930名であるのに対し,家庭聖書研究は1万4,000件以上も行なわれています。新しい王国会館が幾つも建てられています。

わたしたちの聖書文書を読むようにという励ましが予期しないところから与えられる場合もあります。ラバガでそのようなことが起きました。一姉妹がカトリック教徒の年配の婦人を訪ねたところ,その婦人は,マリアについて話さない人には耳を傾けないことにしている,と言いました。姉妹が,「では,マリアについて話しましょう」と言っても,婦人は依然聴こうとはしませんでした。ところが,次にその区域を回っていた時のこと,姉妹がある家で雑誌を提供しているところへ,近くに住んでいた,さきの年配の婦人が入って来ました。そして,こう言ったのです。「それは,司祭が日曜日に教会で持っていたのと同じ,結婚に関する記事です。それはとても良い記事で,結婚生活の問題を解決するのに役立つからみんなが読むように,と言っていました。司祭は15冊持っていて,教会員に分けていました」。その婦人の娘は初めそれに不満そうでしたが,母親はこう答えました。「司祭は教会でこの雑誌から読んでいますし,証人たちが家に訪ねて来たら,雑誌を受け取って読むようにとも会衆に話しました」。そこにいた3人は皆,そのとおりにしたのです。

グアドループ: グアドループの兄弟たちは,新しい人たちが,まさに飛んで来るハトの大群のように組織に入って来るのを実感しています。(イザヤ 60:8)3,500人の伝道者は,昨年中さらに500人以上の人々が自分たちの隊伍に加えられるのを見て胸を躍らせました。

ある日曜日のミサのあと,一人の婦人はカトリック司祭に近づいて,自分の息子の質問について話しました。「イエス・キリストが私たちのために死んでくださったのなら,どうして人は今でも罪をおかしたり死んだりするのだろうか」という質問です。婦人は援助を求めたのです。司祭は何の説明もせず,ただこう言いました。「教会を出てそこの通りを渡り,向こう側にしばらく立っていてごらんなさい。じきにエホバの証人たちがやって来るでしょう。そうしたら,その人たちに近づいて,その中の一人を止めるのです。でも,大人ではなく,その中のいちばん幼い子供のところに行って,その子に,あなたの質問に答えてくれるように頼んでごらんなさい。息子さんにどのように答えたらよいかは,きっとその子が喜んで教えてくれるでしょう」。婦人はあぜんとしてしまいました。

グアテマラ: ある場所で,軍の予備役将校は,エホバの証人と聖書を研究している人たちに圧迫を加えるようになりました。それらの人たちがクリスチャンとしての中立の立場を取っていたためです。その幾人かは夜中に家から連行されて収監されました。将校は,そのような状況を引き起こしているとしてその土地の開拓者を告訴しました。兄弟たちは軍の上級の当局者に控訴し,自分たちの立場について理由を説明する機会を求めました。1時間かけてゆっくり説明を聴いた後,その地域全体を担当する将校は,それらの人たちへの免除命令を出して,市民パトロールの任務から外しました。次いでこの免除命令は軍の予備役将校に伝えられました。その数か月後,開拓者はその予備役将校と聖書研究を始めることができました。今その人は王国会館でのすべての集会に出席しており,エホバの証人と聖書を研究するよう他の人たちを励ましています。そして,自分の生活にも必要な調整を加えて,エホバの僕の一人になることを願っています。

ホンジュラス: ここでもすばらしい増加が見られており,今後いっそうの拡大が見込まれます。テグシガルパのカトリック司教が持つ田舎の屋敷で,そこの管理人とその妻は一人の証人と接するようになりました。その夫婦はまだ自分たちの聖書を持ったことがなく,一冊持って来て,聖書から教えてくれるようにと,姉妹に頼みました。神に個人的なお名前のあることを知ると,その人は司教にその点について尋ねました。ところが司教は,忙しくて話していられないから,部屋から出て行ってほしいと言いました。司教の側近となっている人は後に,神のお名前がエホバであることを認めましたが,自分も忙しいのでじゃまをしないようにと管理人に言いました。管理人は,それらの人たちの態度と,自分たちに聖書について話すため喜んで何キロも歩いて来てくれるわたしたちの姉妹の態度との違いを認めざるを得ませんでした。今,その夫婦は学ぶ意欲を高まらせています。

ジャマイカ: 再び開拓奉仕に対する優れた反応が示されました。正規開拓者として名簿に載せられている人の数は,一昨年に比べて50%も増加しました。

ある学校で,一人の教師は宗教的な歌を黒板に書いて,それを歌うようにと生徒たちに求めました。年若い証人がそれに加わらなかったため,教師は怒りました。姉妹は,その歌が自分の信条と合わないことを説明しました。すると教師は,「では,あなたたちの歌をどれか歌いなさい」と言いました。それで姉妹は歌いました ―「終わりのない命 ― ついに!」の歌です ― クラス全体がずっと終わりまで聴いていました。姉妹はこう話しています。「私は少しあがっていました。でも,エホバの助けで,自分の始めたことをやり遂げることができました。先生の顔を見ると,もう怒っていないことが分かりました」。

メキシコ: 真に資格を認められている17万3,000人以上の伝道者のうち,3分の1以上は,過去3年間に真理に入って来た人たちです。そして,今後さらに増加が見込まれます。司会されている聖書研究の数は,26万3,788件に飛躍しました。さらに際立っているのは記念式の出席者数で,78万1,904人に達しました。ここには,助けるべき羊のような人々が文字どおり幾十万人もいます。

「熱心さに胸が高鳴っています!」 この言葉は,メキシコの兄弟たちの精神をよく言い表わしています。正規開拓者の数は平均して35%増加し,補助開拓者の数は30%増加しました。正規開拓者の中には,アンヘリータと同じような状況の人たちも少なくありません。アンヘリータの夫は未信者で,4人の小さな子供がおり,片方の足がやや不自由です。それでもアンヘリータは,開拓奉仕を行なうことについてエホバにまず祈りました。その後,会衆の長老たちから実際的な提案を受けて,正規開拓奉仕を始めました。以来,彼女の立派な手本に動かされて,会衆内の他の二人の姉妹も開拓者になりました。今では,彼女の夫も『永遠に生きる』の本を研究しており,集会にも出席しています。

学校での国旗敬礼問題に直面しながらも,年若い人たちは真の崇拝のためにしっかり立っています。10歳になるミゲルは,校長室に呼ばれて質問を受けました。一群の教師や視学官のいるその場所で,ミゲルは立派な証言をしました。それにもかかわらず,ミゲルおよびエホバの証人の他の子供たちは,国旗を敬礼しなかったという理由で放校されました。その後,子供たちが再び在学を認められると,ミゲルの先生は,その幼い少年の示した確信と忠誠の態度とに心を動かされていたために,聖書について少年にいろいろと質問しはじめました。その答えに驚き入った先生は,聖書の研究を始めました。いま先生は,自分の妻,妹,妻の母親を連れて会衆の集会に定期的に出席し,野外奉仕にも参加しており,まもなくバプテスマを受けることを計画しています。

プエルトリコ: エホバの証人はこの島のいたるところにいます。それでも証人たちは,これからなすべき仕事がたくさんあることを悟っており,昨奉仕年度,正規開拓者の数は25%も増加しました。

幼い子供たちの中にも伝道の面で良い成果をあげている人たちが多くいます。幼稚園に通うある少女は,自分の『聖書物語』の本を幼稚園に持って行きました。少女が聖書の物語を友だちに説明しはじめると,組のほとんどすべての子供が周りに群がりました。子供たちがその本に興味を抱いているのを見て,先生はその本を1冊ほしいと言いました。幼い証人は,読むことを約束してくださるなら1冊プレゼントしたいと申し出ました。少女は,その本を読んだかどうかと毎日先生に尋ね,ついに先生はそれを読み始めました。ほどなくして先生と先生の娘は一緒に王国会館に姿を見せるようになりました。今その先生はバプテスマを受けた証人となっており,幼稚園で忠実に証言をしたその幼い子供の熱心さに大いに感謝しています。

トリニダードとトバゴ: 4月には,驚くべきことに全伝道者の56%もの人が補助開拓奉仕に携わりました。

3月に補助開拓を行なった一人の兄弟は,予約を得ることに努力を集中しようと決めました。その兄弟は,街路の活動で雑誌を求めた人たちにしばしば予約を勧めました。ボート用の入り江とクラブの管理人であるこの人は,仕事で接する人々にも予約を勧めました。それらの人の中には,めったに家にいない実業家が多くいました。たいていの場合,それらの人は自分のために予約をし,でなければ友人たちへの贈り物として予約をしました。3月にこの兄弟は182の予約を得,4月には41の予約を得ました。

昨奉仕年度の活動を振り返って,兄弟たちは,ダビデと共に,「測り綱はわたしのために快い場所に落ちました」と語っています。―詩編 16:6。

南アメリカの人々はエホバの家に群れ集う

ずっと昔に神の言葉はこう予告していました。『末の日に多くの民は必ず行って,こう言う。「来なさい。エホバの山に上ろう。神はご自分の道についてわたしたちに教え諭してくださる。わたしたちはその道筋を歩もう」』。(イザヤ 2:2,3)これが今日南アメリカで成就しているのを見ることには胸を躍らせるものがあります。多くの場合,集会場所は人であふれています。そして,大会を計画するときには,そこに出席する非常に大勢の人々のために,利用可能な最も広い施設を用いることが必要になっています。

アルゼンチン: 伝道者の合計は増加して,8月には5万6,585人に達しました。―その年度中に17%の増加です。聖書研究は7万件を超え,記念式の出席者数は24%も大幅に増えて13万5,379人になりました。王国会館の多くは今では狭すぎ,拡張されたり,新しいものが建設されたりしています。兄弟たちは現在二つの大会ホールを所有しています。その一方は6月の終わりに使用されはじめ,もう一方は7月から使用されています。

わたしたちは,29年にわたる政府の規制が解除されてのち最初の大きな大会を,ブエノスアイレス市で,この国最大のサッカー場を用いて開催しました。それはまさに夢の実現でした。出席者は4万6,117人を数え,1,193人がバプテスマを受けました。一連の九つの大会の出席者合計は9万7,917人です。「エホバの証人はすべての人の敬意を集めている」と,ある雑誌の記事は伝えました。

これまで35年の間,政府が兄弟たちの中立の立場を認めなかったために,兵役年齢の兄弟たちは,3年から7年の投獄刑に服さなければなりませんでした。多くの人は打ちたたかれ,軍の刑務所での非人道的な仕打ちのために少なくとも二人が死にました。しかし今,バプテスマを受けていて宣べ伝える業に活発であり,神権宣教学校に入っている若者は,土地の長老団の推薦に基づいて,エホバの証人協会からの証明書を与えられます。この証明書を軍の当局者に提出することによって,兄弟たちは兵役の免除を受けることができます。若い兄弟たちの中には,そのような備えを,開拓奉仕に入る機会として活用している人たちが多くいます。

ブラジル: 長年にわたって,エホバの民は,「ものみの塔」誌が多くの言語で同時に発行される日を待望してきました。1985年1月1日号を最初の号として,そのことがブラジルにおいて実現しました。もはや6か月の遅れはありません! 1984年8月,2台の高速オフセット輪転機のためのすべての部品がぎっしり詰まった幾台もの巨大なコンテナーが到着し,ブルックリンから来た経験豊かな兄弟たちの貴重な援助のもとに,一方の印刷機は1月までには作動していました。今,ポルトガル語の諸会衆は,世界中の兄弟たちと同じ時に霊的な糧にあずかることができるのです。何と喜ばしいことなのでしょう。3月には,神権宣教学校が英語のプログラムと同時に進められるようになりました。4月までに2台目の印刷機が運転されるようになり,「目ざめよ!」誌の同時発行の準備がすべて整って,7月8日号からそれが実際に始まりました。1985年には,「エホバに向かって賛美を歌う」という新しい歌の本もポルトガル語で受け取りました。今,兄弟たちは,同時に「養われ」,同時に出版するためだけでなく,同時に賛美を歌うための備えもできており,このすべてはエホバの賛美と栄光のためになされています。

3月と4月に兄弟たちの熱意は大いに高まりました。補助開拓の業に加わるように励ます個人あての手紙が2月にすべての伝道者に送られました。結果として,3月には1万9,410人が,4月には2万2,636人がそれに携わりました。すべての人の喜びとして,伝道者数は7月に17万7,904人の最高数に達しました。

今後さらに増加する可能性は多くの面に表われています。その一つは記念式の出席者数で,今年それは48万3,880人の驚くべき数に達しました。もう一つは聖書研究の数で,それは伝道者数の平均にほぼ匹敵しています。

チリ: わたしたちは,10年来初めて,サンティアゴで大会を開催することができました。何という喜びだったのでしょう。

わたしたちが配布する文書は人々の生活に強力な影響を与えます。宣教者の訪問を受けたある男の人は,コンセプシオンから約80㌔離れた所に住んでいて,牛の引く車が時おり通るだけのがたがたの道を行くのに幾時間もかかります。初めその人はそれほどの関心はありませんでしたが,幾らかの文書は受け取りました。しかしそれを読むと,その人は,自分の学んでいる事柄が真理であることをすぐに悟りました。それで,タルカウアノ(コンセプシオンの近く)まで旅行し,そこの王国会館での集会に出て,さらに何冊かの文書を求めました。自分の読んだ事柄が大いに気に入ったその人は,自分の所有する土地に王国会館を建てることを計画しました。土地は平らにされ,工事に取りかかろうとしていた時に,宣教者が最初の再訪問をしました。そこには集会を司会する人がだれもいない,という点が指摘されました。そのため今のところ,その人は建築計画をしばらく延期しています。そして,次の再訪問を受けた時には,それまで毎月タルカウアノの会衆へ旅行し,集会に出て文書を求めていた,と宣教者に話しました。その人は王国会館で24巻のカセットも求めていました。今,その人と妻は毎晩食事のあとに文書を読んだり,テープを聴いたりして,夜中の1時になることもあります。

コロンビア: 伝道者たちは,王国の音信を携えて人々を訪ねる業に熱心に働いており,良いたよりに対する反応にはほんとうに目ざましいものがあります。このことは,11万4,777人が記念式に出席したことにも示されています。

正規開拓者の隊伍にもすばらしい増加が見られました ― 今では,1年前よりおよそ55%も増加しています。その中には,真に自己犠牲的な努力の必要な状況にある人たちも少なくありません。例えば,ネイバのある家族には3人の若い伝道者がいて,まだ高等学校に通っていますが,補助開拓者として数か月奉仕した後,そろって正規開拓者の名簿に載せられました。このような熱心さが他の人々を奮い立たせています。

エクアドル: 関心を抱いている人の中には,真理を非常に速くつかむ人たちもいます。そのような婦人の一人が研究を申し込んできましたが,それは,その婦人の兄弟がエホバの証人になり,その立派な行状に非常な感銘を受けたためでした。2回目の研究の時,その婦人と研究していた姉妹は,喫煙の問題に触れました。翌週,その女の人は,喫煙に関する聖書の見方を知って以来,一度もたばこを手にしていません,とはっきり言いました。次は,像の問題でした。その家には像がたくさんありました。しかし,この謙遜な婦人を納得させるには,ただ一つの聖句を引くだけで十分でした。(申命記 7:25,26)その次の週,研究が終わると,婦人は部屋を出て,両腕に像をいっぱい抱えて戻って来て,こう言いました。「これは私の決意が真剣なことを知っていただくためです」。そうして彼女はそのすべてを燃やしはじめたのです。そののち彼女は集会に出席しはじめ,以来一度も欠かしたことがありません。その後まもなく,この婦人はさらに難しい問題を乗り越えて,妻のいる男性との不道徳な関係を断ち切りました。いま彼女は,生涯初めて真の幸福感を味わうことができるようになりました。清い良心を抱いてエホバに仕えることができるからです。

ガイアナ: この年度の間,聖書研究の合計は何度も最高数に達しました。その数は伝道者数の合計をはるかに超えています。2年足らず前,ニュー・アムステルダム会衆はわずか40件の研究を報告しているにすぎませんでした。今その会衆では160件もの研究が行なわれています。常に250件以上の研究を報告している会衆もあります。

真理に対する関心の高まりは,集会の出席者数にも反映されています。日曜日の王国会館はあふれるほどになっています。各地の巡回大会は,伝道者数の2倍の出席を報告しています。そして記念式の出席者数は伝道者数の3倍以上でした。

今年バプテスマを受けた人のうちの二人,ゴルドンとイベッテは,資格を整えるためにかなり大きな変化を遂げなければなりませんでした。真理に接してから数週間のうちに,二人は心霊術の行ないをやめました。(彼は以前,教会の司祭だったのです。)二人はマリファナやたばこの販売もやめ,やみの商売や電流の盗み取りもやめ,風変わりな服装や身づくろいもやめました。この夫婦は法律的な婚姻の手続きをせずに7年間も一緒に暮らしていたのです。ですが,ゴルドンはこう述べています。「自分が神に対して犯罪を犯していることを知った時,私は結婚の手続きをしようと決めました」。何がこのような変化をさせたのでしょうか。二人は,出席した最初の集会での聖書の用い方に感動したのです。そして,この夫婦と研究した証人は,聖書を徹底的に用いて,二人の行なっている事柄をエホバがどのように見ておられるかを理解するよう助けたのです。

ペルー: 1985年1月27日は,ペルーにおける業にとって記念すべき日となりました。新しい支部事務所とベテル・ホームが,統治体のM・G・ヘンシェルによって献堂されたのです。その集まりには3万4,238人が出席しました。

「万霊節」(11月1日)に備えて,アザンガロの特別開拓者は,協会の出版物を資料として用いつつ,「地獄へ行って戻る ― そのような人がいますか」という題で講演を準備しました。その開拓者と聖書を研究していた人は,37㌔離れたムニャーニ地方に幾人かの友人がいたので,それら友人たちにその集会について知らせました。日曜日はどしゃぶりの雨になりましたが,14名が「ものみの塔」研究にやって来ました。ところが,その研究が途中まで進んだ時,外で1台のトラックが止まり,戸口のところに人々が駆け込んで来ました。信じられないことに,103名もの人が列をなして入って来て,集会所の隅々を埋め尽くしたのです。それらの人々は,「だれが地獄へ行って戻って来たのか」を聞こうとしてやって来たのです。人々はみな夜中までそこにとどまって話し合ったり質問したりしました。トラックの運転をしてきた人は,『私たちは,福音主義者やカトリックのあらゆる混乱した教えにうんざりしていたが,魂とは何か,死んだ人はどこにいるのか,死んだ人にはどんな希望があるのかがやっと分かった』と言いました。

スリナム: この国の内陸部の雨林地帯では(世界の他の土地から孤立しているために),世界大戦や地震など,今が終わりの日であるというしるしも人々にとってほとんど意味を持ちません。ですが,この土地の人々は悪霊崇拝や偶像崇拝による影響を強く受けています。樹木,動物,川の中の特別の石など,あらゆるたぐいの神々を信じているのです。人々は,乾季がいつ始まるか,どれくらい続くかについて太陽神に伺いを立てるのです。

昨年,乾季はあまり長く続きませんでした。しかし,兄弟たちは,大会に出席するために,畑の片付けとキャッサバの植え付けを早めに開始しました。それに対し,悪霊の祭司に従った人たちは,祭司が儀式を行なって乾季が長くなるよう太陽神に願を立てるまで,自分たちの畑での作業を控えていました。雨季が始まった時,十分に食べ物があったのは証人たちだけでした。そのため,それまで真理にひどく反対していたある女の人が証人たちの一人を訪ねてこう言いました。「あなた方の神エホバはほんとうに知恵と愛のある神で,このようなことまで顧みてくださるのですね」。今,彼女とその夫は週に三,四回研究しており,自分たちの持っていた,悪霊崇拝と関係のあるすべての物を処分しました。

島々はエホバの王権を喜ぶ

詩編 97編1節は,「エホバ自ら王となられた!」と宣言した後,「多くの島々は歓べ」と呼びかけています。太平洋やインド洋の島々では,この呼びかけに対する熱心な応答が示されています。

オーストラリア: この島大陸での実にすばらしい増加のために,多くの会衆は自分たちの王国会館を見直さなければならなくなっています。その多くは,新しい会館を設けるか,すでにあるものを拡張するか,そのどちらかの必要に気づいています。現在の会館が文字どおりいっぱいになっているため,緊急な必要に迫られている会衆も多くあります。今年は,速成の王国会館が11建てられました。ある州でこの仕事を組織している兄弟たちは,毎月一つずつ建設する計画で1986年10月まで予約が詰まっています。このような活動は注目されずにはすみません。観光バスの停留場所となった会館が二つあって,ガイドは,その会館がどのようにして二日で建てられたかを説明しています。

原住民社会の中でも良い進歩が見られています。ダック・クリークと呼ばれる場所では,その部落の全体が兄弟たちとこれまで何年も研究を続けてきました。まだ会衆は設立されていませんが,その土地の人々は今,自分たちをエホバの証人と呼んでいます。そのため,僧職者たちはその部落を訪ねなくなりました。しかし,その地域のある新しい僧職者は,自分を新しい牧師としてその部落に紹介しようと決意しました。それに対し,原住の人々は,その牧師を試験してみることに決めました。人々は,神のお名前は何ですかと尋ねました。牧師はその質問を予期していましたから,「エホバです」と答えました。それで人々は,そのお名前が聖書のどこに出ているか見せてほしいと頼みました。牧師はその点では何も知りませんでした。人々はきっぱりした態度で,「私たちは皆,それが聖書の中に何度も出ていることを知っています。その一つは詩編 83編18節です」と言いました。そうして人々は,もう訪ねてくださらなくて結構です,と丁重に断りました。

フィジー: フィジーの兄弟たちは,「初めて1,000人が報告しています」と言えることを喜んでいます。正規開拓者の数も5か月続けて最高数に達しました。

人々は今,迅速に,そしてはっきりとこたえ応じます。南インド人のあるヒンズー教徒は,『永遠に生きる』の本を2回勉強しただけで,像を崇拝することの愚かさに気づき,自分の偶像を燃やし,残ったものを川に捨てました。この人は,妻や子供たちと共に,真理の面ですばらしい進歩を見せています。

グアム: ここの支部は,マーシャル諸島,ポナペ,コスラエ,トラック,サイパン,ヤップ,ベラウ,ナウル,キリバスなど,多くの島々を含む地域での王国の業を監督しています。これらの島々を全部合わせて,新最高数の717人の伝道者がいます。そして,1,470件の家庭聖書研究が司会され,4月には全伝道者の37%が全時間奉仕に携わりました。

ハワイ: ここの兄弟たちは,実りある活動とエホバからの祝福とに満ちた1年を振り返っています。4月には,全伝道者の23%が全時間奉仕の何らかの分野に携わりました。信仰の試みとなる経験をした人たちもいますが,兄弟たちの経験はわたしたちを強めるものとなりました。

田舎の区域で働いていた開拓者の姉妹に対し,ある男の人はどなり声を上げて,ドアをばたんと閉めました。姉妹がそこを立ち去ろうとした時,その人は二頭のセパード犬を放して,「かかれ!」と命じました。犬を振り切れないことを知った彼女は,振り返って,本を入れたかばんを盾のようにしながら,大きな声でエホバの名を繰り返し呼びました。(箴言 18:10)犬は非常な勢いで走っていたため,うずくまろうとしながらそのまま滑って彼女のそばを通り越してしまいました。その後,彼女に飛びかかろうとはせずに,まるで彼女が見えないかのように家のほうに戻って行きました。そのころまでに,その家の夫婦が一緒になって,彼女を追いかけるよう犬に命じていましたが,二頭の犬は座ったままで動こうとはしませんでした。姉妹はエホバからの保護に対してどんなに感謝したことでしょう。

日本: 「あなたの祝福はあなたの民の上にあります」と詩編作者は書きました。(詩編 3:8)わたしたちは,昨年度の間エホバの祝福が日本のエホバの僕たちの上に注がれている豊かな証拠を見てきました。1985年5月には,初めて10万人以上の王国伝道者を報告しました。それは連続77番目の新最高数でした。第二次世界大戦後の新出発から,伝道者の数が5万人に達するまでに30年にわたる勤勉な努力が必要でした。その後10万人に達するまでにはわずか6年しかかかりませんでした。確かに『エホバはその時にそれを速やかに』行なっておられます。(イザヤ 60:22)これらの王国伝道者たちは15万件以上の聖書研究を司会しましたし,この年の記念式出席者数は25万8,728人でしたから,エホバの祝福のもとに今後いっそうの増加のあることを確信しています。

区域の網らは頻繁になっていますが,立派な開拓者精神が引き続き国中に行き渡っています。平均して,2万2,346人の正規開拓者と,1万6,274人の補助開拓者がいました。特別開拓者を含めると,開拓奉仕のさまざまな分野に携わっていた人の合計は,年間を通じて伝道者平均の40%になりました。

現在真理にいるある父親は,少なくともある面で,3歳になる自分の息子に助けられました。その父親は,怒りのあまり,聖書を手に取って家の外に投げました。それを妻の聖書と思ったのです。それは,実際には息子の聖書でした。男の子は雨の中を走って行き,泥の中で何度も転びながら,その聖書を拾って来ました。家の中に入ると,男の子はそれを水道の蛇口のところで静かに洗いはじめました。父親は物も言えないほど驚きました。息子が自分のおもちゃをそれほど大切にするのを見たことがなかったのです。自分の行動が息子に与えた影響を考えてがくぜんとさせられました。このすべては父親を動かして,自分の息子がどんなことを教えられているのかを調べさせるものとなりました。今日,この父親は兄弟の一人であり,他の人々と共に補助開拓を何度も楽しんでいます。

マレーシア: インド人のある家族は,人に解放をもたらす点で神の言葉が持つ驚くほどの力を実際に経験しました。三日三晩の間,その家族の生後2か月の男の子は悪霊の攻撃を受け,男の子は口から泡を吹きながらもがいたり泣き叫んだりしました。夫が霊媒に相談したところ,悪霊は子供から出ましたが,今度は妻に入りました。その家が悪霊の出入りする所と感じて,その家族は他の場所に移りました。安らぎを得ようとして,妻はヨガを始めましたが,それは効果がありませんでした。彼女はかなりのお金を払ってお守りを買いましたが,それも効き目はありませんでした。最後に彼女は,神について真剣に考えました。エホバの証人からいろいろ話を聞いていたある借家人が,自分の持っていた『真理』の本を貸してくれました。彼女はそれを読むとすぐに聖書を求め,また証人たちとの研究を求めました。やがて夫もその研究に加わりました。今その家族は悪霊の支配から自由にされ,自分たちにそのような自由をもたらした良いたよりを他の人々にも伝えています。

モーリシャス: ここの諸会衆でも真の開拓者精神が示されています。それら開拓者の一人がこの島のある夫婦と研究していたところ,その夫のほうは,「神は霊であられるので,神を崇拝する者も霊と真理をもって崇拝しなければなりません」という,ヨハネ 4章24節の聖句に感銘を受けました。その人は自分のカトリック司祭を訪ねて,この聖句について知っているかどうか尋ねてみました。何という驚きだったのでしょう。司祭は,「どうして私がそのようなことすべてを覚えていられると思うのですか」と答えました。その人は言いました,「ご存じのとおり,私は教師です。2たす2が4であることを私が知らなかったとすれば,どうして教師をしていられるでしょうか。あなたにとって,この聖句は2たす2と同じほど易しいはずです」。司祭は,この聖句の述べるとおりに神を崇拝するとはどういう意味なのかを自分は知らない,と言いました。今,この人と妻はエホバの証人の集会に定期的に出席しています。

ニューカレドニア: 昨年度の間,ニューカレドニアは,かつては平和であったこの太平洋の島での暴力的な事件のために世界のニュースとなりました。しかしそれにもかかわらず,王国の業は進展しています。フランス大統領の訪問が予定されていた前の日,暴徒の活動がヌーメアで始まり,そのため政府は夜間外出禁止令を課しました。警察は,わたしたちの集会も中止するようにと指示しました。しかし,新しい大会ホールの献堂式と地域大会のために,統治体の一員であるL・A・スウィングルが到着することになっていました。警察の署長とじかに折衝したところ,署長は,以前にフランス,リールの警察署長であったから,証人たちを知っており,信頼もしている,と言いました。署長は,証人たちの大群衆が何ら問題を起こしたことがないのを知っていたのです。こうして,計画どおりに集会を開くことができました。

ニュージーランド: 業の速度が増し加わっていることは,数の面での成長だけでなく,個々の聖書研究生が霊的に速く進歩していることにも示されています。研究生たちは今,集会に出席して「定期的な伝道者」となることを願い求めています。聖書研究以外にも自分で多くのものを読んでおり,また集会の際に耳で聞く事柄だけでなく,目で見る事柄に対しても進んでこたえ応じています。服装,身だしなみ,道徳上の振る舞い,生活の仕方などの面での好ましい変化が次々と速く生じているのです。『永遠に生きる』の本による自分自身の研究を終えないうちに,宣べ伝える業や弟子を作る業に参加しはじめる人たちもいます。6か月から8か月でバプテスマのための資格を整える人も珍しくありません。

このような目ざましい成長の理由について考えるとき,温かで実際的な教え方を特色としている,『永遠に生きる』の本を見過ごすことはできません。ある姉妹は,この本を使って近所の人と最初の研究をした後,次の研究を翌週行なうことを提案しました。すると,その人は言いました,「来週ですか。明日はだめなのですか」。

パプアニューギニア: 良いたよりは遠く離れた島々にも達しており,エホバの霊が増加をもたらしていることは明らかです。タスマン諸島から来た何人かの若者は,ブーゲンビル島で働いていた時にエホバの証人に接しました。やがて彼らは,自分たちが学んでいる事柄について,タスマン諸島にいる年長の人々に手紙で知らせました。その結果,そこの何人かの婦人たちが協会の出版物を勉強するようになりました。こうして関心が示されていたために,土地の長の一人は,証人たちがその島々を訪れて,伝道団を設立してくれたらよいのだが,という趣旨のたよりを送ってきました。現在,そこの群れの人たちの中でバプテスマを受けた人はまだいませんが,すでに王国会館ができており,集会が定期的に開かれています。その島の人口はわずか200人ほどで,人の住んでいる家は35軒しかありません。最近まで,それらの島々を支配する氏族の長たちは,そこに伝道団を設立しようとする宗教グループのすべての努力を退けていたのです。

フィリピン: 1985奉仕年度はほんとうに際立った年となりました。4月には,8万3,670人という,伝道者のすばらしい新最高数が得られました。同じ月に,伝道者の22%以上が補助開拓の業に携わりました。そして,奉仕年度の最初の10か月間に正規開拓者の最高数が連続して8回記録されました。

ダバオの一姉妹は6年前の手術の際に視力を失いました。しかし,それによって野外宣教に十分に携わるのをやめたりはしませんでした。事実彼女は,視力を失ってもエホバに仕えるのを妨げられたりはしないことを実証しようとして,自分の活動を拡大したのです。初めに補助開拓を行ないました。時間の要求を果たせることを首尾よく試した後,彼女は正規開拓者として名簿に載せられました。彼女は家事を果たし,9歳になる男の子の世話をします。現在六つの家庭聖書研究を司会しており,そのうち四つは遠い区域にあります。どのようにしてそれを行なうのでしょうか。会衆内の姉妹たちの助けを得ているのです。これは,それらの姉妹たちが自分の野外活動を増し加えるのにも役立ち,そのうちの二人は自分も正規開拓者になりました。「自分の愛する人々や隣人たちのために毎日忙しくして,羊のような人たちが真理を学ぶように助けることによって私の生活は意義あるものになっています」と彼女は語っています。

ソロモン諸島: サンクリストバル島の聖公会主教は,教会長老たちの会合を招集し,エホバの証人と研究していたオスワルドとその妻をもそこに招きました。主教は教会長老たちをたしなめました。彼らを恥じ入らせようとした主教は大きなナイフを握って自分ののどに当て,「あなた方が人々に聖書を正しく教えないなら,私は自ら命を絶たねばならない」と言いました。彼らの一人が答えて言いました,「あなたが教えてくれなかったのですから,どうして私たちが人々に教えられるでしょうか」。これを聞いて,オスワルドとその妻は恐れずに立ってこう言いました。「妻と家族と私自身の名前を教会員の名簿から取り除いてください。私たちはエホバの証人になりたいと思っているのです。これまで長い間,教会からは何も学んできませんでした。私たちは自分で行動してエホバの証人と勉強します」。後に彼は協会の支部事務所にこう書いてきました。「偽りの宗教から出て,ずっとそのまま命に通ずるエホバの組織の一部となれたことを私たちはたいへん幸福に感じています」。

スリランカ: インド南端沖のこの島は,人種問題とテロリストの活動のためにニュースをにぎわしてきました。これほど多くの避難民が出,これほど多くの人々が大きな恐怖を抱いて生活するようになったことはかつてありません。

今年バプテスマを受けた人たちの中に,かつて反抗分子であった人がいます。その人は今,証言活動のために細い道すじを歩く際,かつて自分が銃をかかえてその同じ道を行き来したことを思い出します。彼は仏教徒として育てられ,自分が正義と平等とみなした事柄のための闘士となりました。やがて彼は,ジャングルに基地を置く反乱グループのリーダーの一人となりました。しかしいま彼は,自分たちのすべての戦いがだれのためにも正義と平等を勝ち取らなかったことを認めています。1971年に彼は投獄されましたが,かろうじて処刑を免れました。1980年にエホバの証人と会いました。そして,神の王国による義,平和,公正に関して証人たちが述べる事柄は,その人の関心を引きました。後に,家族と一緒に出席したエホバの証人の大会で,清さや服装に関する聖書の原則を説明する話が行なわれ,それは彼の心をとらえました。休憩時間の間に彼は散髪し,ひげをそり,服装ももっとふさわしいものに替えました。その人が戻って来た時,妻と子供たちは何と驚いたのでしょう。今では,この人も平和の良いたよりを他の人々と分かち合っています。

人間による禁令のもとでも勇気をもって証言する

エホバの証人の活動が政府の規制のもとにあり,あるいは禁令さえ課されている国々では,王国の音信を広めるためにどんな事が行なわれているのでしょうか。兄弟たちは支配者として人間より神に従い続けています。(使徒 5:29)使徒パウロは獄の中から,「主にある兄弟たちの多くは……神の言葉を恐れずに語る勇気をいよいよ示している」と書きましたが,それらの国の兄弟たちも,1世紀のクリスチャンたちと同じように対応しています。―フィリピ 1:14。

業がそのように規制されているある国で,正規開拓者の数は3年間に161%も増加しました。砂漠の端に位置するある国では,焼け付くような暑さの中で,4月に全伝道者の39%が全時間奉仕に参加しました。厳しい迫害のある別の国では,4人に一人の伝道者が4月に補助開拓を行ないました。その土地の会衆の中には,伝道者の半数以上が補助開拓者の名簿に載せられたところもあります。補助開拓を行なった人のうちの7人は,刑務所の中でそれを行ないました。しかも,月の半ばには要求の60時間を超えていたのです。

マタイ 10章16節のイエスの助言にしたがって十分に用心しなければなりませんが,それでも兄弟たちは神権的な活動を増大させています。その区域においても,『収穫は大きいが,働き人は少ない』ことを理解しているからです。―マタイ 9:37。

ある国における兄弟たちの熱心な働きを物語っているのは,伝道者が路上で近づいた男の人の述べた言葉です。その人はこう言いました。「エホバの証人が宗教について私に話そうとしたのは,今日これで9度目です。そろそろ私も何かするべき時のようですね」。その人は聖書研究をすることに同意しました。ほかにも大勢の人が研究を司会しています。業が禁じられているある国は,伝道者一人につき1.6の聖書研究を報告しており,別の国は1.8の研究を報告しています。

東ヨーロッパのある国の兄弟たちはこう述べています。「何者も抗することのできない,エホバの聖霊の力は明らかです。私たちはその力を感じており,忠実な兄弟姉妹たちが喜んでそれに動かされているのを見るのは喜びです」。兄弟たちは熱意と創意を働かせて宣教奉仕を行なっています。ある兄弟は職場の自分のロッカーの中に聖書を置いておきました。その結果,仕事仲間の一人が,自分のためにも一冊手に入れてくれるだろうかと尋ねてきました。それで兄弟はその人のために聖書を持って行き,その中に一枚の紙をはさんでおきました。その紙には,終わりの日,キリストの臨在のしるし,エホバの証人,振る舞いなどの主題に関して説明する聖句を書き出しておきました。また,「あなたは地上の楽園で永遠に生きられます」の本から書き抜いた幾つかの点も含めておきました。仕事仲間が聖句を見つけやすいように,それぞれの聖句が出て来るページの番号も書き出しておいたのです。結果として,仕事仲間は,さらに他の仲間にも,自分が聖書から見つけた事柄について話しました。やがて他の人たちも聖書を欲しがるようになり,それらの人たちもメモをはさんだ聖書を受け取りました。こうしてわずかの期間に13冊の聖書が非公式の証言を通して配布されたのです。

十代の補助開拓者の一姉妹は,8歳になる弟と一緒に思慮深い方法で野外奉仕を行なっており,二人で公園へ行ってある年配の婦人の隣に腰かけました。やがて聖書についての話し合いが始まりました。するとそこへ,その婦人の夫がやって来て,話し合いに加わりました。その人は,それら子供たちの両親に会いたいと言って,自分の住所を置いて行きました。その後わかったところによると,その人はバプテスマを受けていましたが,不活発になっており,家族の問題のためにエホバの組織から30年も離れていたのです。公園でその子供たちに会ったのはただの偶然ではないだろうと,その人は認めました。『私に証言してくれたのはあなたたちが3人目ですから』と言ったのです。今その人と妻は,「あなたの王国が来ますように」の本を勉強しており,その国で公に開かれている集会に出席しています。

業が制限を受けている国で文書を提供する際には,思慮を働かせなければなりません。どんな宗教を伝えているのかと尋ねられた時,一人の兄弟は,「分裂していない真のクリスチャンの宗教です」と答えました。(コリント第一 1:10)「エホバの証人です」と述べていたら,偏見に根ざす反応を呼んでいたことでしょう。その人は『永遠に生きる』の本を受け取りました。その後2週間のあいだその人はそれを読み,何度も読み返しました。告白したところによると,その人は40年のあいだ真理を探し求めていましたが,その本の内容はその人にとって真に自由をもたらすものとなりました。

東ヨーロッパのある国の責任ある兄弟たちはこう書いています。『私たちは,エホバの霊の助けによってこの土地で起きている事柄に畏怖を抱いています』。責任ある兄弟たちは,仲間の兄弟たちに対して,新しい聖書研究を始めることを強調しており,『永遠に生きる』の本を数万冊輸入するための認可を申請しました。輸入認可は与えられました。兄弟たちは霊的な食物に胸を躍らせました。ある工場で働く兄弟が自分の本を仕事仲間に貸したところ,その仲間は,その本を自分にも貸してもらえるだろうかとさらに他の人たちから尋ねられました。全部で10人の人がその本を読み,そのうち二人が聖書研究を求めてきました。国全体にわたって聖書研究の数が劇的な増加を見せています。

ある地域では,啓示 13章16,17節の成就に伴う圧力が強く感じられています。ある国で,自分の政治的な立場を明らかにしない若者は,学校で試験を受けることを許されず,就職の機会もなく,公式の身分証明書も与えられず,旅行を許されず,政府の所有する店で必需品を購入することもできません。また,入院することも認められないでしょう。こうした状況にもかかわらず,若い兄弟たちは忠実さと熱心さを示しています。

アフリカのある国の兄弟は,兵役を拒んだために残酷に打ちたたかれました。頭に銃を押し付けられて脅され,次にはサーベルをのどに突き付けられました。兄弟は,自分の墓穴を掘るように命じられ,体を半分埋められ,そののち発砲されて負傷しました。それでも,兄弟はこう書いています。「難しい試練に耐えていますが,開拓者として奉仕していることが忠誠を保つ点で大きな助けになったことを述べたいと思います。自分に命がある限り,私は喜んでエホバに仕え続けてゆくつもりです」。

真のクリスチャンに対する激しい迫害が多年続いてきた所においてさえ,王国の業は停止してはいません。兄弟たちのために霊的な食物が供給されています。宣べ伝える業は進行していますが,それは用心深くなされています。そのような難しい状況が存在する別のアフリカの国においても,兄弟たちは依然8,000件を超える家庭聖書研究を司会しています。ある時,一人の若者は数人の証人たちを警察に引き渡しましたが,警察はそれら証人たちを家に帰らせました。その後,若者は兄弟たちに,「私たちはあなた方を警察に連れて行ったりするけれど,どうか私のために祈ってください」と繰り返し言いました。兄弟たちに対する人々の扱い方はサタン的なものだと思うとその若者は述べ,聖書研究を申し込みました。その若者も,タルソスのサウロと同じように,真のクリスチャンとなるかもしれません。

政府による禁令のために,兄弟たちは時おりこんもりした森の中に集まりますが,それでも,関心を持つ人がそのような集会のことを知る場合があります。ある時,森の中での大会のプログラムが終わって大部分の兄弟たちが帰った後,幾人かが後片付けをしていると,一人の男の人が木々の間から出て来ました。「こんなところに出て来てすみません。わざとではなかったのですが,終わりまで全部聞いてしまいました。私はこのあたりの森の管理人です。伺ってもよければ,皆さんの宗教はどういう宗教なのか教えてください」とその人は言いました。「私たちはエホバの証人です」と兄弟たちが答えると,その見知らぬ人は言いました。「私は聞いたのですが,発表によりますと,皆さんは明日もおいでになるそうですね」。「はい,そうです」。「では,私もまたここに来ます」。

アジアのある国の兄弟たちはこう書いています。「特に昨年以来,私たちは,『あなた方はわたしのために総督や王たちの前に引き出されるでしょう。彼らと諸国民に対する証しのためです』と言われたイエスの言葉を実際に経験しています。(マタイ 10:18)いつものことですが,兄弟たちが問題に大胆に立ち向かい,聖書から敬意をこめて証言すると,やがて尋問は行なわれなくなり,監視は少なくなり,宣べ伝えて弟子を作る業を効果的に行なえるようになります」。兄弟たちの報告によると,会衆の週ごとの集会は開かれ,出席者は増えており,訓練過程は取り決められ,開拓者学校は開かれ,大会は開催されています(時には,結婚式と結びつけて)。エホバは,ご自分の民が自分の奉仕の務めを十分に果たすために必要な備えを与えておられ,ご自分の民が逆境のもとでもそれを果たそうとするとき,積極的な助けを差し伸べておられます。

[34-41ページの図表]

全世界のエホバの証人の1985奉仕年度の報告

(出版物を参照)

[10ページの図版]

ケニア

[16ページの図版]

インド

[23ページの図版]

スペイン

[31ページの図版]

アメリカ合衆国

[33ページの図版]

トリニダード

[47ページの図版]

ブラジル

[55ページの図版]

日本

[63ページの図版]

ポーランド

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