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    聖書 ― 神の言葉,それとも人間の言葉?
    • 11,12 ティンダルは聖書に対する愛をどのように表わしましたか。

      11 その反面で表明されてきたのは,聖書によって鼓舞された献身的態度です。多くの人は容赦ない迫害に面しながらも聖書を読もうとする努力をあきらめませんでした。16世紀の英国人ウィリアム・ティンダルの場合を取り上げましょう。ティンダルはオックスフォード大学で教育を受けたのち,ケンブリッジ大学の教授として信望を得ていました。

      12 ティンダルは聖書を愛しました。しかし当時,宗教上の権威者たちは,聖書をすでに死語となっていたラテン語のままにしておくことに執着していました。そのため,自国の人たちが聖書を読めるようにと願ったティンダルは,聖書の英訳を決意しました。しかしそのようなことは違法とされたために,ティンダルは大学での安楽な職を辞して,大陸に身を移さなければなりませんでした。亡命者としての不自由な生活を送りながら,やがてティンダルはギリシャ語聖書(「新約聖書」)を,そしてヘブライ語聖書(「旧約聖書」)の一部を自国語に翻訳しました。しかし結局ティンダルは捕らえられ,異端者として有罪の宣告を受け,絞首刑に処せられて,その遺体は火で焼かれたのです。

      13 聖書を真に特異な本としているのはどんな点ですか。

      13 ティンダルは,聖書を読むため,あるいは他の人がそれを読めるようにするために自分のすべてのものを犠牲にした無数の人々の一人です。ほかのどんな本にしても,これほど多くの普通の男女を鼓舞して,これほどまでの勇気を抱かせたものはありません。こうした点においても,聖書はまさしく他に例のない本です。

      神の言葉であるという主張

      14,15 聖書の筆者は何度もどんな主張をしていますか。

      14 聖書はまた,その多くの筆者たちの行なっている主張の点でも特異な本です。およそ40人の人々が聖書のいろいろな部分の筆記に携わりました。その中には,王・羊飼い・漁師・文官・祭司がおり,また少なくとも一人の将軍と一人の医師とがいました。しかしそれら筆記者たちは,自分独自の考えではなく,神のお考えを書き記したという同じ主張を繰り返し行なっています。

      15 例えば,聖書には次のような表現がよく出て来ます。「わたしによって語ったのはエホバの霊で,その言葉はわたしの舌の上にあった」,また,「主権者なる主,万軍のエホバはこのように言われた」。(サムエル第二 23:2。イザヤ 22:15)仲間の福音宣明者にあてた手紙の中で,使徒パウロはこう書いています。「聖書全体は神の霊感を受けたもので,教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに有益です。それは,神の人が十分な能力を備え,あらゆる良い業に対して全く整えられた者となるためです」― テモテ第二 3:16,17。

      16 聖書はどのような疑問に答えていますか。

      16 人間の言葉ではなく神の言葉であるというその主張にふさわしく,聖書は,神だけが答えることのできる疑問に対する答えを提出しています。例えば,なぜ人間の諸政府は永続する平和をもたらすことができないでいるのか,どうしたら人は人生から最大の満足を得られるのか,地球とそこに住む人類にはどのような前途があるのかなどの点を説明しているのです。物事を深く考える人として,あなたもこうした点を,またこれと似た他の多くの事柄を何度となく思い巡らされたことでしょう。聖書が神の言葉であり,それゆえに他のものが与えることのできない権威ある答えを与えているという可能性について,少なくとも検討してみることはいかがでしょうか。

      17,18 (イ)この本では聖書に浴びせられるどんな非難について考察しますか。(ロ)ほかにどんな事柄を取り上げますか。

      17 この本に提出されている証拠を注意深く調べてごらんになることをお勧めいたします。幾つかの章の中では,聖書に対してしばしばなされる批判について考察します。聖書は非科学的なものですか。聖書の内容は矛盾していますか。聖書に記されているのは真実の歴史ですか,それともただの神話ですか。聖書に記録されている数々の奇跡はほんとうに起きたのですか。これらの問いの答えとなる,論理にかなった証拠が提出されています。その後に,聖書が神の霊感によるものであることに関して強力な論拠を取り上げます。すなわち,聖書の預言,聖書に含まれる深い知恵,そして聖書が人の生活に対して持つ目ざましい感化力についてです。そして最後に,あなたご自身の生活に聖書がどのような影響を与え得るかについて考えていただくことにしましょう。

      18 しかし今,聖書がどのようにして今日まで伝わってきたかをまず調べましょう。この驚くべき本の歴史でさえ,それが単に人間に由来するものではないことの証明となります。

  • 生き抜くための聖書の闘い
    聖書 ― 神の言葉,それとも人間の言葉?
    • 第2章

      生き抜くための聖書の闘い

      幾筋もの撚り糸のようになって,聖書がまさしく神の言葉であることを証しする一連の証拠があります。ひと筋ひと筋は強じんですが,そのすべてが合わさるとき,それは断ち切ることのできないものとなります。この章とそれに続く章の中では,ただひと筋の証拠についてのみ考察します。すなわち,一冊の書物としての聖書の歴史についてです。実際のところ,この目ざましい本が今日まで生き延びてきたのは奇跡以外の何ものでもありません。幾つかの事実について,ご自身で考えてみてください。

      1 聖書に関する細かな事実としてどのような点がありますか。

      聖書は単なる一冊の本ではありません。それは全部で66冊の書から成る一つの豊かな書庫であり,ある書は短く,ある書はかなり長く,法律・預言・歴史・詩文・助言,そして他の多くのものを含んでいます。これらの書のうちの最初の39冊は,キリストの誕生する幾世紀も前に,忠実なユダヤ人もしくはイスラエル人によって ― そのほとんどがヘブライ語で ― 書かれました。その部分は一般に旧約聖書と呼ばれています。終わりの27冊はクリスチャンたちによってギリシャ語で書かれ,新約聖書として広く知られています。聖書そのものの内面的証拠や古代以来の大方の伝承から判断すると,これら66冊の書物は,およそ1,600年の期間をかけて書かれました。エジプトが支配的な強国であったころから,ローマが世界の覇者であった時代にまでいたる期間です。

      聖書だけが生き残った

      2 (イ)聖書が書き始められたころイスラエルはどのような状況にありましたか。(ロ)同じ時代に書かれたものとしてほかにどのような書物がありましたか。

      2 今から3,000年以上昔,聖書が書き始められたころ,イスラエルは中東の数ある国の中で単なる小国にすぎませんでした。周囲の諸国民が,困惑を感じさせるほどさまざまな男神女神を奉じていた中で,イスラエルにとってはエホバだけが神でした。その時代にイスラエル人だけが宗教文書を作ったわけではありません。他の国民も,それぞれの宗教や国民的価値観を反映する書物を書きました。例えば,メソポタミアの,ギルガメシュに関するアッカド語の伝奇や,ウガリット語(今日の北シリア地方で使われていた言語)で書かれたラス・シャムラ叙事詩などは広く知られていたことでしょう。その時代の膨大な量の文書の中には,エジプト語で書かれた「イプ・ヴェルの訓戒」や「ネフェル・ロフの預言」,また多くの神々へのシュメール語の賛歌や,アッカド語による預言的文書なども含まれていました。1

      3 同じ時代に中東地域で書かれた他の宗教文書と比べると聖書にはどのような違いがありますか。

      3 しかし,これら中東の書物すべては共通の運命をたどりました。それらは忘れ去られ,記録のために用いられた言語さえやがて廃れてしまいました。それらの書物の存在したことを考古学者や言語学者が知り,またその読み方を発見したのは,近年になってからのことにすぎません。それに対し,ヘブライ語聖書のうち最初に書かれた書物はまさにこの時代にまで生き残り,今なお広く読まれています。学者はときに,聖書の中のヘブライ語の書物は何らかの形でそれら古代の文学書に由来している,と主張します。しかし,それらの文書の多くが忘れ去られてしまった中でヘブライ語聖書が生き残っているという事実は,聖書が他の書物とはっきり異なるものであることを物語っています。

      み言葉の守り手たち

      4 イスラエル人の直面したどのような深刻な問題は聖書が生き残るのを危うくしたと考えられますか。

      4 間違えないでください。人間的な見地からすれば,聖書が生き残ったのは決して当たり前のことではありませんでした。聖書を生み出した人々の社会は,非常に難しい試練や厳しい圧迫にさらされましたから,聖書が今日まで生き残ったのはまさに驚くべきことなのです。キリスト以前の時代,ヘブライ語聖書(「旧約聖書」)を生み出したユダヤ人は比較的小さな国民でした。ユダヤ人は,覇権をめぐって抗争する政治上の強国にはさまれて不安定な状況にありました。イスラエルは,フィリスティア人,モアブ人,アンモン人,エドム人など相次いで興り立つ近隣諸国民に対しても自らの生存をかけて戦わなければなりませんでした。ヘブライ人が二つの王国に分裂していた期間に,残忍なアッシリア帝国は北の王国をほとんど完全にぬぐい去りました。また,南の王国はバビロニア人により滅ぼされてその民は流刑に処され,わずかな残りの者たちだけが70年後に帰還しました。

      5,6 一つの民族としてのヘブライ人の生存そのものを危険にするどのような企てがなされましたか。

      5 イスラエル人に対して民族皆殺しの企てがなされた記録も幾つかあります。遠くモーセの時代に,ファラオは,イスラエル人に生まれ出る男の子すべての殺害を命じました。その命令が完全に守られていたなら,ヘブライ民族は絶滅していたことでしょう。(出エジプト記 1:15-22)ずっと後,ユダヤ人がペルシャの支配下にあったころ,ユダヤ人に敵対した人々は策謀をめぐらしてユダヤ人の根絶を謀る法律を通そうとしました。(エステル 3:1-15)ユダヤ人が今日でも行なうプリムの祭りはそのたくらみが失敗したことを祝うものです。

      6 さらに後代,ユダヤ人がシリアの支配下にあった時代に,シリアの王であったアンティオコス4世はユダヤ国民のギリシャ化に力を入れ,ギリシャ人の習慣やギリシャの神々に対する崇拝を強要しました。しかしそれも失敗に終わりました。周囲のほとんどの国民が次々に世界史の舞台から姿を消した中で,ユダヤ

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