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  • 過分のご親切からあなたは益を受けますか
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1990
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1990
塔90 2/15 21–23ページ

過分のご親切からあなたは益を受けますか

「聖書に記されている神の規準について学べば学ぶほど,自分は神の好意と祝福に値しないと感じるようになりました」と,フランクは言いました。聖書に対するフランクの関心は,麻薬に関係した犯罪で服役していた時から高まっていました。フランクは,「とこしえの命に導く真理」a という本を読んで,書かれている事柄が真理であると確信し,釈放された後,聖書についてさらに学ぶためにエホバの証人と連絡をとったのです。

フランクは聖書を研究したために,自分は駄目な人間だと感じましたが,それはなぜでしょうか。過去の生活様式が神の原則を幾つも犯すものだったからです。麻薬の誤用やアルコールの乱用をはじめとする様々な堕落した習慣のせいで,ある時など,警察官から,「あんたの住所を教えてもらいたいんだが。あんたの死体をどこに送ったらいいか知りたいんでね」と言われるほど落ちぶれていたのです。

しかしその後,一生懸命努力しているのに,それらの根深い,汚れた習慣がどうしても打破できないように感じた時,自分は駄目な人間だという気持ちが一層募りました。例えば,人を堕落させるアルコール中毒の力の前には屈伏しそうになりました。「惨めな失敗を何度も何度も繰り返し,非常に落ち込みました。自分はどうしようもない人間だと思えて,自分に愛想が尽きてしまうところでした」とフランクは述べました。

フランクのような過去を持ってはいない人であっても,自分の無力さを痛感する場合があります。それは,自分に対して途方もなく高い規準を定めてしまうからかもしれません。これが神のご要求であると自分なりに考えて,それに従ってゆこうとすることがあるのです。失敗すると,罪悪感にさいなまれます。クレア・ウィークス博士は,自著「神経過敏に対する自己救済」の中で,「罪悪感は,とりわけ自分に対して高い規準を定めようとする人にとって,悪夢になる場合がある」と説明しています。クリスチャンが,自分は駄目な人間だという気持ちに影響されているなら,どうしたらよいでしょうか。

過分のご親切をかみしめてください

「自分にとって非常に助けになったのは,ヘブライ 4章15節と16節にある聖書の言葉をかみしめることでした」とフランクは述べました。使徒パウロはそこで,イエスが気づかいにあふれる助け手であることを思い起こさせています。イエスは「わたしたちの弱いところを思いやる」ことができる方であり,わたしたちが「時にかなった助けとして憐れみを得,また過分のご親切を見いだす」ことができるようにしてくださいました。

自分は駄目な人間だという気持ちに打ち勝つ秘けつを知りたいと思われますか。その秘けつは次の点を忘れないことです。つまり,わたしたちは受け継いだ不完全さのゆえに弱いということを,エホバ神とイエス・キリストはご存じなのです。お二方は,わたしたちが義の規準に完全には達し得ないことを理解しておられます。(詩編 51:5。ローマ 3:23; 5:12,18。ヤコブ 3:2)ですから,わたしたちにできる以上の事柄を期待したりはされません。わたしたちの弱点ではなく良い点を探してくださいます。詩編作者は,「ヤハよ,あなたの見つめるものがとがであるなら,エホバよ,いったいだれが立ち得るでしょうか」と問いかけました。(詩編 130:3)だれも立ち得ないことを,わたしたちは知っています。しかしエホバは憐れみ深い方であられ,イエス・キリストの贖いの犠牲を通し,不完全なわたしたちではあっても清い立場を与えてくださいます。(ヨハネ第一 2:2; 4:9,10)わたしたちは,「その過分のご親切の富によって」,「罪過の許し」を得ることができ,そのようにして,自分は駄目な人間だという気持ちを克服するよう助けられるのです。―エフェソス 1:7。

こんなふうに考えてみてください。芸術作品の愛好家は,ひどく傷んだ絵画や他の芸術作品を修復するためなら,どんなことでもします。例えば,英国ロンドンの国立美術館で,ショットガンを持った何者かが,2,000万ポンド(約46億円)相当のレオナルド・ダ・ビンチの実物大下絵を傷つけた時,その絵はもう傷んだから処分すべきだ,と言った人は一人もいませんでした。ただちに487年前の名作の修復作業が始まりました。なぜでしょうか。それが芸術愛好家の目に貴重だったからです。

あなたは,チョークや木炭で描いた絵よりも価値があるのではないでしょうか。受け継いだ罪深さのためにどれほど傷ついていたとしても,あなたは確かに神の目に価値があります。(詩編 72:12-14。マタイ 20:28)人類を最初に造られた熟練した創造者であるエホバ神は,ご自分の愛ある世話に進んでこたえ応じる人々が完全さを取り戻すため,必要な事柄を行なってくださるでしょう。―使徒 3:21; ローマ 8:20-22と比較してください。

過分のご親切にこたえ応じてください

使徒パウロの模範に倣ってください。パウロは,神のご親切,つまり自分の過去の過ちを憐れみ深く許してくださるとともに,繰り返し現われる弱さを克服するための闘いを常に支援してくださるそのご親切に深く感謝していました。(ローマ 7:15-25。コリント第一 15:9,10)自分の生き方を改めましたし,神に是認される歩みを続けるために「自分の体を打ちたたき,奴隷として引いて行く」こともしました。(コリント第一 9:27)身体的にも感情的にも罪深い傾向を持った自分の体によって,自分自身が奴隷として引いて行かれることを,パウロは許しませんでした。

神の過分のご親切を受け入れ,悔い改めるようにしてください。(ローマ 2:4。コリント第二 6:1)過去の悪い行ないに悩んでいるのであれば,それを改め,そのことはもう許すというエホバの保証を信じるのです。(イザヤ 1:16-18。使徒 2:38)執ようにまつわりつく弱さに思い悩んでいるならば,それと闘い続けてください。それを克服するためにエホバの助けを真剣に祈り求めると同時に,自分を神の憐れみにゆだねます。(詩編 55:22)フランクは自分の経験をもとに,こうアドバイスしています。「何かの悪い習慣との闘いで時折失敗したとしても,それを完全な失敗,最終的な失敗とみなすのではなく,むしろ一時的な挫折と考えるべきです」。自分にできる以上のことを他の人が要求して問題を増し加えるときは,自分が喜ばせようとしているのは神であって人間ではないことを思い起こしましょう。―ガラテア 1:10。

正しいことを行なうために闘うとき,サタンの「ずる賢い行為」,あるいは「悪魔のよこしまなたくらみ」とも呼べるものに警戒してください。(エフェソス 6:11,参照資料付き聖書,脚注; 今日の英語聖書)サタンが,過分のご親切の益をあなたから奪い取ろうとするために用いる,二つの「よこしまなたくらみ」について考えてみましょう。

サタンの「よこしまなたくらみ」

悪魔は,自分は駄目な人間だという気持ちを利用してあなたを神から引き離そうとします。そもそもあなたを傷つけた罪の源はサタンです。そして,ビルダドがヨブに対して行なったように,自分は神の目に価値がないという気持ちを持たせようとするかもしれません。(ヨブ 25:4-6。ヨハネ 8:44)兵士が最初から士気をくじかれて戦ったために敗北に終わった戦闘は数知れません。ですから,サタンによって士気をくじかれてはなりません。(エフェソス 6:10-13)サタンの謀りごとを知っているなら,正しいことを行なうために精一杯闘うよう鼓舞されるはずです。―コリント第二 2:11。

何らかの失敗によって,時折悲しい思いをするとしても,「過度の悲しみに呑み込まれてしまう」ことが決してないようにします。(コリント第二 2:7)クレア・ウィークス博士は,過去の失敗に打ちひしがれてしまう一部の人の傾向について,「過去の過ちによって現在の行動が麻痺してしまうなら,それは破滅的な生き方になる」と述べています。―使徒 3:19をご覧ください。

わたしたちが神のご要求を完全に満たせるのであれば,神が約束通りに祝福を与えてくださるとしても,それは相応の親切ということになるでしょう。しかし,エホバ神とイエス・キリストは,わたしたちに「過分の」ご親切を示しておられます。J・H・セアの新約聖書希英辞典は,使徒パウロが神のこの特質を描写するために用いた言葉の意味について,「この言葉[カリス]には,人に身分不相応なものを与える親切という考えが含まれている」と説明しています。わたしたちが行なうどんな業をもってしても,神の祝福を獲得することはできません。パウロが述べているように,それは過分のご親切なのです。神に対する責務を果たすべく,自分の限界内で精一杯のことを真剣に行なっているなら,そのようにしていることで満足するのです。エホバはそれ以上のことを要求したりはなさいません。

しかし,サタンのもう一つの「よこしまなたくらみ」にも警戒しましょう。サタンは一部の人々を惑わし,神の過分のご親切に甘えることができるとか,神の憐れみをあてにすることができるなどと考えるよう仕向けています。エホバは,わたしたちの弱さを優しく許してくださいますが,だからといって,わたしたちが弱さを克服する闘いをやめてもよいということにはならないのです。パウロは,「神の子を踏みつけ,……過分のご親切の霊をないがしろにした」人がいると書きました。(ヘブライ 10:29)そういう人々は,義の原則に何の敬意も示さず,神の律法を鼻であしらい,回復不能な状態になってしまいました。イエスの異父兄弟ユダは,サタンのそうした手先によってもたらされる危険について知り,「ある人々が[会衆に]忍び込み,その不敬虔な者たちが,わたしたちの神の過分のご親切をみだらな行ないの口実に変え(ている)」と書きました。―ユダ 4。

サタンはそういう人々をだまして,多少意識的に悪行にふけったとしても,罪の許しを神に求めることができるなどと考えるよう仕向けるかもしれません。しかしエホバは,ご自分の律法を故意に破るそのような人々を許されないでしょう。不完全ではあっても,できる限りのことをして神に仕えようと努力する人々に対して,神は『憐れみに富んで』おられます。『しかし,処罰を[与えるべき時に,それを]免れさせることは決してありません』。―出エジプト記 34:6,7。

あなたは過分のご親切から益を受けられます

エホバは,わたしたちの不完全で,傷のある状態だけをご覧になるわけではありません。そのことを知ると心が安らぎます。イエスの贖いの犠牲による回復力が十分に適用される時,わたしたちがどんな状態になり得るかをエホバはご存じです。それで,詩編作者ダビデのように,確信をもってエホバに祈ってください。ダビデはこう祈りました。「神よ,あなたの愛ある親切にしたがって,わたしに恵みを示してください。あなたの豊かな憐れみにしたがって,わたしの違犯をぬぐい去ってください。わたしのとがからわたしを完全に洗い,わたしの罪からわたしを清めてください。わたしの違犯はわたし自身が知っており,わたしの罪は絶えずわたしの前にあるからです。わたしの罪からみ顔を覆い隠し,わたしのすべてのとがをぬぐい去ってください。……砕かれ,打ちひしがれた心を,神よ,あなたはさげすまれません」― 詩編 51:1-3,9,17。

違犯や失敗が絶えず自分の前にあるかもしれません。イエスが述べておられる放とう息子のように感じることもあるかもしれません。この若者は,不名誉なことによその土地で資産を乱費してしまい,その後帰宅した時,父親に向かって,「わたしはもうあなたの息子と呼ばれるには値しません」と叫びました。(ルカ 15:21)しかし,この若者は正しい態度を持っていました。父親の親切を退けたり,それに甘えようとしたりはしませんでした。それで父親は再び息子を家に優しく迎え入れました。(ルカ 15:20-24)エホバは今日,真剣に神のご意志を行なおうとする罪深い人々に対して,喜んで同じようにしてくださいます。―詩編 103:8-14。イザヤ 55:7。

フランクは,自分は駄目な人間だという気持ちに負けませんでした。神の過分のご親切にこたえ応じ,今ではエホバの証人の会衆で奉仕の僕として仕えています。フランクはこう言います。「エホバ神とイエス・キリストがわたしたちのためにしてくださったこと,そしてこれからしてくださることについて考える時,今の私は喜びにあふれて躍り上がらんばかりです」。

[脚注]

a ものみの塔聖書冊子協会発行。

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