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  • 聖書の50番目の書 ― フィリピ人への手紙
    『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
    • か。「わたしの愛し,慕う兄弟たち,わたしの喜びまた冠である人たちよ」と呼びかけているのです。―3:17; 4:1,11,12; 2:19-30。

      14 命と王国という目標に関して,フィリピ人への手紙はどんな優れた助言を与えていますか。この手紙は特にどのような人々にあてられたものですか。

      14 ほかのどのような点でもパウロに見倣うことができますか。「目標に向かってひたすら走(る)」ことです。「まじめなこと」に思いを留めた人は皆,天と地におけるエホバの驚嘆すべき取り決めに強い関心を抱いています。その取り決めの中では,「すべての舌が,イエス・キリストは主であると公に認めて,父なる神に栄光を帰する」のです。フィリピ人への書にある優れた助言は,神の王国に関連して与えられる,とこしえの命を望むすべての人に,その目標を追い求めるよう励まします。しかし,フィリピ人への手紙は,主として,「市民権」を天に持ち,「[キリスト]の栄光ある体にかなう」者となることをせつに待ち望む人々にあてられています。そうした人々は皆,「後ろのものを忘れ,前のものに向かって身を伸ばし」,天の王国における栄光ある相続財産,つまり,「上への召しのため,目標に向かってひたすら走(る)」点で使徒パウロに見倣うべきです。―4:8; 2:10,11; 3:13,14,20,21。

  • 聖書の51番目の書 ― コロサイ人への手紙
    『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
    • 聖書の51番目の書 ― コロサイ人への手紙

      筆者: パウロ

      書かれた場所: ローマ

      書き終えられた年代: 西暦60-61年ごろ

      1 コロサイの町はどこにありましたか。

      二人の人がエフェソスを離れ,メアンデル川(メンデレス川)沿いに小アジアを東に向かって旅行していました。フリギア地方で,支流のリュコス川が注ぐ所まで来ると,二人は南東に向きを変え,山あいの渓谷に沿ってさらに進みます。やがて眼前に美しい光景が開けます。肥沃な緑の牧草地が広がり,羊の大きな群れが点在しているのです。(羊毛製品はこの地方の主な収入源でした。a)さらに谷すじを上った二人は,右手にラオデキアを見てそれを通り越します。ラオデキアは富裕な都市であり,その地域におけるローマ行政府の所在地です。左手,川の向こうには,神殿や温泉で有名なヒエラポリスが見えます。これら両方の都市にはそれぞれクリスチャン会衆があり,また渓谷をさらに16㌔ほど上った所の小さな町コロサイにもクリスチャン会衆がありました。

      2 (イ)パウロがコロサイに送った二人の使いはだれですか。(ロ)コロサイ会衆についてどんなことが知られていますか。

      2 これら旅行者が行こうとしていたのはこのコロサイです。二人は共にクリスチャンでした。少なくともその一人はその地域の事情に通じていました。もともとコロサイの人であったからです。その名はオネシモです。彼は自分の主人のもとに戻ろうとしている奴隷であり,その主人はその地の会衆の成員でした。オネシモの同行者は自由人のテキコです。二人は使徒パウロからの使いであり,「コロサイにいる,キリストと結ばれた……忠実な兄弟たち」にあてたパウロの手紙を携えていました。わたしたちの知るかぎりでは,パウロはコロサイを訪ねたことがありません。主として非ユダヤ人から成るその地の会衆は,恐らくエパフラスによって設立されたものでしょう。エパフラスはその会衆で労した人であり,この時にはローマのパウロのもとに来ていました。―コロサイ 1:2,7; 4:12。

      3 「コロサイ人への手紙」そのものは筆者,それにこの書の書かれた時や場所について何を明らかにしていますか。

      3 始めと結びのことばの中で述べられているとおり,この手紙の筆者は使徒パウロです。(1:1; 4:18)また,その結びのことばは,パウロがこれを獄の中で書いたことを示しています。これは,ローマにおけるパウロの最初の投獄,つまり西暦59年から61年だったと思われます。パウロはその時期に,励みを与える多くの手紙を書きました。「コロサイ人への手紙」は「フィレモンへの手紙」と一緒に発信されたのです。(コロサイ 4:7-9。フィレモン 10,23)また,この手紙は「エフェソス人への手紙」とほぼ同じ時に書かれたものと思われます。考えや言いまわしに共通するものが多いからです。

      4 何が「コロサイ人への手紙」の真正さについて証言していますか。

      4 「コロサイ人への手紙」の信ぴょう性を疑う正当な根拠はありません。この書は,西暦200年ごろのものであるチェスター・ビーティー・パピルス2(P46)の中にパウロの他の書簡と共に入れられており,このことは,この書がパウロの手紙の一つとして初期のクリスチャンたちに受け入れられていたことを示しています。この書の真正さについては,パウロの他の手紙の信ぴょう性について証言しているのと同じ初期の権威者たちによる証言があります。

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