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  • 家庭内の悩みの原因は何ですか
    ものみの塔 1991 | 5月15日
    • 感情的虐待などが日常茶飯事の家庭で育った人が数千万人に上っている」。ですから当然,そのような環境で育った子供たちは往々にして,大人になったときに家庭内の悩みごとを回避するすべを知りません。

      家庭内の悩みの原因は,先進国を襲った経済・社会・道徳面の変化にあると言う評論家もいるかもしれません。例えば,大勢の女性の職場進出が引き金になって,家庭内の役割や責任分担の見直しが必要になっています。そして,それが混乱を引き起こしている場合も少なくありません。母親は,さびついた仕事能力をもとに戻そうと神経をとがらせ,父親はしぶしぶ家事と格闘し,子供は託児所の生活に慣れようと涙ぐましい努力をしています。

      世界中の多くの家族が極度の重圧にさらされています。仕事を持つある親は,「いつも非常事態の中で暮らしている」ようなものだと言いました。最近のギャラップ調査では,回答者のほぼ半数が,『アメリカの家族の状況は10年前より悪くなった』と答え,ほとんどの人が状況の好転を予想しなかったのも不思議ではありません。

      ですから家庭内の悩みは,テレビやラジオのトークショーでも頻繁に話題に上ります。一般の人々は家庭生活に関する自習書のようなものに飢えており,そうした本の中には健全で実際的なアドバイスをある程度含んでいるものもあります。『もっと率直に話し合う』とか,『相手の気持ちを理解する』といった勧めは有効かもしれませんが,家庭問題の真因に迫るところまでは行っていません。次の記事では問題の真因に迫ると共に,家庭内の悩みごとに取り組む方法を考えます。

  • 家庭生活の中で神を第一にしてください
    ものみの塔 1991 | 5月15日
    • 家庭生活の中で神を第一にしてください

      ボブとジーン ― 前の記事で紹介した夫婦 ― は離婚しませんでした。むしろ自分たちの問題をクリスチャンの奉仕者と話し合ったのです。ボブはすぐに,不和の原因が基本的には育ちの違いにあることを悟りました。

      例えば,ボブは商売や肉体労働をする家庭で育ち,自分自身も手仕事をしていたため,毎日朝食はたっぷり食べたいと思っていました。ところがホワイトカラーの家庭で育ったジーンは,夫にコーヒーとトーストしか出しません。そのため,朝食をめぐる口論が全面戦争にまで発展したのです。

      ボブとジーンはもっとよく話し合う必要がありました。しかし,もめごとの本当の原因はずっと深いところにあったのです。「コリント第一 13章4節に照らして,お互いのことを考えていますか」と,先ほどの奉仕者は尋ねました。その聖句は,「愛は辛抱強く,また親切です。愛はねたまず,自慢せず,思い上が(りません)」となっています。次の節には,愛は「みだりな振る舞いをせず,自分の利を求めず,刺激されてもいら立ちません。傷つけられてもそれを根に持(ちません)」とあります。ジーンもボブもこうした言葉を自分たちの関係に当てはめようとしました。

      この夫婦の問題には,おもに霊的な解決策が必要でした。ボブとジーンは神との関係を保ちたいと思っていたので,特に聖書の原則を当てはめ,「エホバご自身が家を建てるのでなければ,建てる者たちがそのために骨折って働いても無駄である」ということを悟る必要がありました。(詩編 127:1)3節から5節は,家庭を築くことに触れています。ですから,家庭生活の中で神を第一にするとき,家族の幸せを深める面で最大の成功を収めることができるのです。―エフェソス 3:14,15。

      神を第一にするとはどういうことか

      「共に祈る家族は共にいる」という言葉がありますが,家庭生活の中で神を第一にするとは単にそれだけのことではありません。ファミリー・リレーションズ誌によると,「宗教は家族の積極的で健全な相互作用を促進し,一人一人の生活の満足度を高める」と考える人は少なくないようです。しかし,単に宗教を実践することと,神を第一にすることとの間には違いがあります。ただ習慣だから,家の伝統だから,社会生活を営む上で有利だからというだけの理由で,形式的に宗教を信奉する人が大勢います。そうした人々の日ごろの生活に神はほとんど影響を与えていません。そしてさらに重要な点として,すべての宗教が,「わたしたちの神また父から見て清く,汚れのない崇拝の方式」であるわけではないのです。―ヤコブ 1:27。

      家庭生活の中で神を第一にするには,わたしたちと愛する家族が,「全地を治める至高者」エホバを,エホバの要求にしたがって崇拝しなければなりません。(詩編 83:18)神のみ子イエス・キリストはこう言われました。「真の崇拝者が霊と真理をもって父を崇拝する時が来ようとしています。それは今なのです。実際,父は,ご自分をそのように崇拝する者たちを求めておられるのです。神は霊であられるので,神を崇拝する者も霊と真理をもって崇拝しなければなりません」。(ヨハネ 4:23,24)「霊」をもってエホバ神を崇拝するには,愛と信仰に満ちた心に促されて神に神聖な奉仕をささげなければなりません。(マルコ 12:28-31。ガラテア 2:16)「真理をもって」エホバを崇拝するためには,宗教的な偽りを退け,聖書の中に啓示されている神のご意志に完全に従うことが必要です。わたしたちの宗教が神の規準に達していないのであれば,エホバ神を第一にすることはできません。a 神の規準にはどのようなものがありますか。その規準を当てはめるなら,家族はどのような益を得られますか。

      夫として神を第一にする

      聖書のコリント第一 11章3節にはこうあります。「すべての男の頭はキリストであり,女の頭は男であり,キリストの頭は神です」。夫には神から与えられた責任があります。つまり,家族の中で先頭に立って物事を決定するという責任です。しかしだからといって,夫は威圧的で高飛車な態度をとってもよいということにはなりません。

      聖書の勧めによると,夫は妻に影響が及ぶ決定を下す場合,妻の感情を考慮すべきです。(創世記 21:9-14と比較してください。)実際,聖書がわたしたちすべてに強く勧めていることは,『自分の益を図って自分の事だけに目を留めず,人の益を図って他の人の事にも目を留める』ということです。(フィリピ 2:2-4)聖書の原則が関係していないなら,クリスチャンの夫はしばしば妻の好みを優先させます。また夫は妻の益を図るので,妻がいろいろな責任に押しつぶされてしまうことがないよう配慮します。例えば,妻が仕事を持っている場合は特に,家事を分担して行なうようにするかもしれません。

      使徒パウロはこう書きました。「夫は自分の体のように妻を愛すべきです。妻を愛する人は自分自身を愛しているのです。自分の身を憎んだ者はかつていないからです。むしろ人は,それを養い,また大切にします。キリストが会衆に対してするのと同じです」。(エフェソス 5:28,29)イエス・キリストは会衆の成員に愛情のこもった接し方をされます。

      使徒ペテロの次の助言も注目に値します。「夫たちよ,同じように,知識にしたがって妻と共に住み,弱い器である女性としてこれに誉れを配しなさい。あなた方は,過分の恵みとしての命を妻と共に受け継ぐ者でもあるからです。そうするのは,あなた方の祈りが妨げられないためです」。(ペテロ第一 3:7)夫が妻に愛情の欠けた接し方をすると,夫の祈りが妨げられるかもしれないというのは,真剣に受け止めるべきことではないでしょうか。確かに,祈りを神に聞き届けていただきたいと思うなら,妻に愛情のこもった接し方をしなければなりません。

      神を第一にするということは,父親と子供の関係にも影響を及ぼします。父親は子供の霊的な福祉に十分気を配るべきです。しかし米国で行なわれた大規模な調査によると,『家族の霊的成長に極めて重要』なこととして,「聖書の研究やグループ討議に加わること」を挙げた男性は半数にすぎませんでした。そのほかの人は,「テレビやラジオの宗教番組を視聴すること」や『人生の意味について考えること』などを挙げました。

      しかし聖書は父親に対してこう言っています。「あなた方の子供をいら立たせることなく,エホバの懲らしめと精神の規整とをもって育ててゆきなさい」。(エフェソス 6:4)エホバの証人の中では,父親が家族の崇拝に率先することが期待されています。父親は家族の聖書研究を欠かさず司会し,クリスチャンの集会に出席し,聖書のほかの要求にも従うことによって,家庭生活の中で神を第一にします。

      妻として神を第一にする

      妻であれば,家族の頭の役割を果たす夫を支えることによって,神を第一にすることができます。聖書には,「妻たちよ,夫に服しなさい。それは主にあってふさわしいことだからです」とあります。(コロサイ 3:18)もし夫がほとんど話をしなかったり,家族の崇拝に率先してくれなかったりするなら,夫に服するのはとても難しいことになるかもしれません。いずれにしても,夫の欠点にばかり注目していたり,もっと悪いことに,夫を侮ったりするなら,家庭内のストレスは増えるばかりです。

      箴言 14章1節には,「真に賢い女は自分の家を築き上げた。しかし,愚かな女は自分の手でこれを打ち壊す」とあります。本当に賢い妻が神を第一にし,『自分の家を築き上げる』方法の一つは,夫に服することです。(コリント第一 11:3)『舌に愛ある親切の律法がある』妻は,夫をむやみに批判するようなことをしません。(箴言 31:26)また,夫の決定したことが成功するように一生懸命努力します。

      既婚女性が神を第一にするもう一つの方法は,勤勉な妻になるということです。もちろん,外で働かなければならない場合であれば,思うように家の中をきちんと維持するだけの時間と体力がないかもしれません。それでも,聖書のいう「有能な妻」を目指して努力することができます。「彼女は自分の家の状態を見守っており,怠惰のパンを食べない」と,聖書は述べています。―箴言 31:10,27。

      しかし何よりも,妻は生活の中で神の崇拝を第一にしてゆく必要があります。エホバの証人の王国会館を初めて訪れる人の中には,子供たちのきちんとした様子について感想を述べる人が少なくありません。この面での妻の働きは本当に貴重です。しかし,祈りや研究や神への奉仕によって,自分自身の霊性を保つ点でも努力しなければなりません。

      若者として神を第一にする

      「青年期のカウンセラー」誌の一記事はこう述べています。「子供たちは親をコントロールできるような態度や考えを発達させる傾向がある。……すぐに得られる満足感や物質の富を強調し称揚する社会で育つ若者は,“今すぐ欲しい”という態度をとるようになる」。もし若者であれば,あなたはそういう態度をとっているでしょうか。

      コロサイ 3章20節には,「子供たちよ,すべての事において親に従順でありなさい。これは主にあって大いに喜ばれることなのです」とあります。そのような従順は神のご要求であると考える若者は親に協力します。例えば,親が認めていない学友と付き合って親をひそかに侮ったり,自分の思い通りにするために片方の親をだまして操ったりすることはないはずです。(箴言 3:32)むしろ,生活の中で神を第一にする若者は,親の愛情深い導きに従います。

      神を第一にし続けなさい

      わたしたちは家族の中でどんな役割を果たしているにせよ,生活の中で神を第一にし,神との親密な関係を強める必要があります。あなたとご家族の皆さんはそのことを行なっているでしょうか。

      この「終わりの日」に生きているわたしたちは皆,「危機の時代」を迎えています。(テモテ第二 3:1-5)それでも,霊的に成長し,この事物の体制の終わりを生き残ることは可能です。(マタイ 24:3-14)あなたとご家族の皆さんは,聖書の正確な知識に調和して行動することにより,地上の楽園<パラダイス>でとこしえに生きる希望を持てます。(ルカ 23:43。ヨハネ 17:3。啓示 21:3,4)そうです,家庭生活の中で神を第一にするなら,それが可能になるのです。

      [脚注]

      a ものみの塔聖書冊子協会が発行した,「あなたは地上の楽園で永遠に生きられます」という本の22章をご覧ください。

      [5ページの図版]

      有能な妻は深く感謝される

      [7ページの図版]

      聖書は,夫が家族の崇拝に率先することを勧めている

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