-
弟子を作るのに助けとなる小冊子王国宣教 1987 | 6月
-
-
が確かに存在しておられること,そして人類を顧みてくださる方であることの証拠を提出しています。将来に対する確かな希望を差し伸べてくれます」。
6 あなたは,ご自分にとってまさに効果的な他の提供方法を用いたいと思われるかもしれません。わたしたちの目的が弟子を作ることであり,小冊子を配布することはその目標を達成するための手段であることを思いに留めてください。イエスは,弟子を作ることには『わたしがあなた方に命令した事柄すべてを守り行なうように教える』ことが含まれると言葉を続けられました。新しい家庭聖書研究を始めることを6月のあなたの目標とし,イエスがさらに述べられた,『見よ,わたしはあなた方と共にいる』という言葉に信仰を働かせてください。―マタイ 28:20。
-
-
良いたよりを伝える ― 晩の証言で王国宣教 1987 | 6月
-
-
良いたよりを伝える ― 晩の証言で
1 エホバが取り入れの業を速めておられるゆえ,あらゆる所で一層多くの会衆が設立され,伝道者や開拓者たちの人数は増加し,多くの伝道者たちは野外宣教にさらに多くの時間を費やしています。ある地方では,奉仕する区域が非常に少ないかもしれません。伝道者たちは極めてひんぱんに同じ家を訪問しているかもしれません。しかしながら,日中わたしたちが戸口に立って訪問する家に人々がほとんどおらず,区域を定期的に奉仕していても,王国の音信を聞く機会がほとんどない人たちがいることも観察されます。
2 伝道者たちが晩の証言に専念し始めた多くの会衆でこの状況が変わりつつあることを知って,あなたは励まされるでしょう。幾つかの特定な区域では,一日の早い時間にはほとんどの家が留守でも晩の時間ならほとんどすべての家でだれかに会うことができると伝道者たちは報告しています。一般に人々は一日の遅い時間になるとくつろいでいるようで,王国の音信を携えて近づくときに一層耳を傾ける傾向にあるとも報告されています。
道理をわきまえていなさい
3 晩の証言で成功を収めたいなら,思いに留めておく必要のある幾つかの点があります。人々は,特に暗くなってからは,予期せぬ,また見知らぬ訪問者をいくらか恐れるかもしれません。どのように家の人に近づくかに関して考慮すべきです。「論じる」の本の9ページに述べられている事柄を復習するのは助けになります。人々の福祉を真に気遣っていることを伝える必要があります。こうすれば,家の人が安心し,自分の意見を率直に述べるよう励ますことができます。「論じる」の本はまた,慣例となっており,訪問客に求められている型通りのあいさつをすることも思い起こさせています。このことには,自分をふさわしく紹介することやこの面での地方の習慣を守ることが含まれるでしょう。
4 招かれていない訪問をふさわしくない時間にするべきではありません。家の人が安全のために講じている手段を尊重すべきです。これには,インターホンを使うことやドア越しに話すこと,またドアに付いているのぞき穴を通して自分を見てもらうことが含まれるかもしれません。―宣 85/11 4,5ページ 23,24,31節参照。
5 わたしたちはいつでも用心深く,道理をわきまえ,思慮深くあるべきです。区域内に,比較的に危険だと思われている場所があるかもしれません。そのような所で奉仕する時,必要な予防手段を講じるのは賢明なことでしょう。―ヤコブ 3:17。
数々の益
6 皆さんの会衆で晩の証言が効果的となり得る幾つかの理由があります。家から家の宣教で一層大勢の人々に達しますので,より徹底的な証言がなされます。区域を晩の時間に奉仕すれば,日中や週末に家にいない多くの人々に達することができるかもしれません。週末に奉仕に出ることが難しい伝道者たちの中には,晩の家から家の業に毎週一,二時間を費やすことができる人たちがいるかもしれません。正規および補助開拓者たちは,野外奉仕で会衆の伝道者と共に働く一層の機会を持てます。1時間ほどの家から家の宣教の後に,晩の家庭聖書研究を司会するよう取り決めた人たちもいます。
7 長い夏の晩は,さまざまな形の野外奉仕そして特に家から家の訪問をするのにふさわしい時です。しかしながら,晩の証言は,夏の月々の明るい時間に限る必要はありません。1年を通じて晩の早い時間に家々を思慮深く訪問することは,王国の良いたよりを宣べ伝えるというわたしたちの任務を遂行するうえで有益であることが実証されています。
8 皆さんの会衆には,晩の証言を行なうそれぞれの群れの取り決めがありますか。あなたはこの奉仕活動にあずかっていますか。前もって考えておくことと準備が必要です。しかし,良いたよりに関するわたしたちの奉仕の務めを果たすために得られるすべての機会を活用する人たちは,多くの祝福を楽しむことができるのです。―テモテ第二 4:5。
-
-
質問箱王国宣教 1987 | 6月
-
-
質問箱
● 会衆の集会で名前をどのように呼ぶことが勧められていますか。
イエスは,追随者たちに祈ることを教えられた際,エホバを「わたしたちの父」と呼ぶよう指示されました。その追随者たちすべての間に霊的な家族関係があるというこの考えは,イエスが『あなた方はみな兄弟です』と告げられた時にさらに強調されました。(マタイ 23:8)多くの場合に,イエスの使徒や弟子たちは文字通り「兄弟」という言葉を用いました。ペテロはパウロを指して「わたしたちの愛する兄弟パウロ」と述べ,パウロは,「自分の兄弟テトス」また「わたしたちの兄弟テモテ」と語りました。―ペテロ第二 3:15。コリント第二 2:13。ヘブライ 13:23。
この親密な霊的関係を考え,エホバの証人は互いを普通,「兄弟」または「姉妹」と呼びます。通常,会衆の集会中はこれに名字を添えて呼びます。主宰する人が名前のほうだけを用いると,時に何かの問題の原因になり得ます。新しい,わたしたちがよく知らない人が集会に来て,わたしたちが名前だけを用いて呼んでいるのを聞けば,その人はわたしたちが親しすぎると感じるかもしれません。
主宰している人が非常に幼い子供を名前だけで呼ぶことがあるかもしれませんが,年配の人を名前だけで呼ぶなら,そのことを敬意の欠けたこととみなす人がいるかもしれません。あるいは,真理にはいないものの,ご主人が初めて集会に来た姉妹の場合を考えてください。会衆全体の前で他の結婚している男性から自分の妻が名前だけを用いて呼ばれるのを聞いて,そのご主人はどのように感じるでしょうか。
注解してもらうために個々の人を呼ぶ際,集会を司会している人が名字を用いるなら,そのような問題は解決されます。わたしたちは新しく関心を持った人たちを「兄弟」あるいは「姉妹」と呼ぶことはしません。その人たちの場合,神の家族における霊的な関係がないからです。むしろ,例外を設ける理由がない限り,名字と名前両方,あるいは名字に「さん」を付けて呼びます。他方,ある人が献身の段階に近づいており,自分自身エホバの証人の一人だと思っている場合,その人の名字と共に「兄弟」あるいは「姉妹」を付けて呼ぶことに異存はないかもしれません。
会衆の集会で「兄弟」あるいは「姉妹」という表現を用いることは,ひとりの父エホバ神のもとにある非常に祝福された関係,家族の関係を表わし示しています。(エフェソス 2:19後半)それは,名前だけを用いることによって示すよりもはるかに親密で貴重なきずなです。
-