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園での苦悶これまでに生存した最も偉大な人
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117章
園での苦悶
イエスの祈りが終わると,イエスと11人の忠実な使徒たちは共にエホバへの賛美の歌を歌います。それから一同は,階上の部屋から降りてひんやりした夜のやみの中に出てゆきます。そしてキデロンの谷を渡ってベタニヤへ戻る道を行きます。しかしその途中,一行は彼らの好きなゲッセマネの園に立ち寄ります。この園はオリーブ山上かもしくはオリーブ山の近辺にあります。これまでにもイエスは,この場所のオリーブの木々の中で使徒たちとよくお会いになりました。
イエスは,恐らく園の入口付近に,使徒たちのうち8人を残し,「わたしがあちらへ行って祈りをする間,ここに座っていなさい」とお命じになります。それからほかの3人 ― ペテロ,ヤコブ,ヨハネ ― を連れて園の奥へ進んで行かれます。イエスは深い悲しみとひどい苦悩を覚えられ,「わたしの魂は深く憂え悲しみ,死なんばかりです。ここにとどまって,わたしと共にずっと見張っていなさい」と彼らに言われます。
イエスは少し進んで行って地に伏し,地面に顔を伏せて,「わたしの父よ,もしできることでしたら,この杯をわたしから過ぎ去らせてください。それでも,わたしの望むとおりにではなく,あなたの望まれるとおりに」と,熱烈に祈り始められます。イエスは何を言おうとしておられたのでしょうか。なぜイエスは「深く憂え悲しみ,死なんばかり」なのでしょうか。死んで贖いとなるという以前の決意を撤回しようとしておられるのでしょうか。
決してそうではありません。イエスは死を免れることを求めておられるわけではないのです。かつてペテロはイエスに犠牲の死を避けるようにと勧めたことがありましたが,イエスにとってそのようなことは考えるだけでもいやなことでした。イエスはむしろ,ご自分の死に方,つまり間もなくご自分が卑しむべき犯罪者として死ぬことがみ父の名に恥辱となることを憂慮して苦悶しておられるのです。今イエスは,これから数時間のうちにご自分が極悪な人間,すなわち神を冒とくする者として杭につけられることを悟っておられるのです。イエスがひどく苦悩しておられるのはそのためです。
イエスが長い祈りを終えて戻ってみると,使徒たちは3人とも眠っています。イエスはペテロに向かって,「あなた方は,わたしと共に一時間見張っていることもできなかったのですか。ずっと見張っていて絶えず祈り,誘惑に陥らないようにしていなさい」と言われます。それでもイエスは,彼らが緊張し通しだったことや夜もふけていることを認めて,「霊ははやっても,肉体は弱いのです」と言われます。
それからイエスは再び離れて行き,神が「この杯」,つまりエホバから割り当てられた分,もしくは自分に対するエホバのご意志を取り除いてくださるよう懇願されます。イエスが戻ってみると,誘惑に陥らないように祈っているはずの3人がまたも眠っています。彼らはイエスから話しかけられているのに,何と答えてよいのか分かりません。
イエスは最後に,つまり三度目には,石を投げれば届くほどの所に行き,ひざをかがめ,強い叫びと涙とをもって,「父よ,もしあなたの望まれることでしたら,この杯をわたしから取り除いてください」と祈られます。イエスは,犯罪者として死ねばみ父の名に恥辱となるので,激しい苦痛を感じておられます。確かに,冒とく者 ― 神をのろう者 ― として告発されるのは耐え難いことです。
それでもイエスは続けて,「わたしの望むことではなく,あなたの望まれることを」と祈られます。イエスはご自分の意志を神のご意志に従順に服させます。この時,天からひとりのみ使いが現われ,励ましの言葉を述べてイエスを強めます。おそらくみ使いは,イエスがみ父の是認を受けておられることをイエスに伝えているのでしょう。
それにしても,イエスの肩には何という重圧がかかっているのでしょう。イエス自身のとこしえの命と全人類のとこしえの命がどうなるかという重大な局面を迎えているのです。感情的ストレスは非常なものです。そのためイエスはいよいよ切に祈られ,汗が血の滴りのようになって地面に落ちます。「アメリカ医師会ジャーナル」誌は,「ごくまれな現象ではあるが,感情が非常に高ぶった状態のもとでは……血のような汗が出ることもある」と述べています。
そのあと,イエスが三度目に使徒たちのところに戻ってみると,使徒たちはまたもや眠っています。悲嘆のあまり疲れきっていたのです。イエスは「このような時に,あなた方は眠って休んでいる!」と強い口調で言われます。「もう十分です! 時刻が来ました! 見よ,人の子は裏切られて罪人たちの手に渡されます。立ちなさい。行きましょう。見よ,わたしを裏切る者が近づいて来ました」。
イエスがまだ話しておられるうちに,ユダ・イスカリオテが,たいまつやともしびや武器を手にした大勢の群衆と一緒に近づいて来ます。 マタイ 26:30,36-47; 16:21-23。マルコ 14:26,32-43。ルカ 22:39-47。ヨハネ 18:1-3。ヘブライ 5:7。
■ 階上の部屋を出た後,イエスは使徒たちをどこへ連れて行かれますか。また,そこで何を行なわれますか。
■ イエスが祈っておられる間,使徒たちは何をしていますか。
■ イエスが苦悶しておられるのはなぜですか。神に何を懇願されますか。
■ イエスの汗が血の滴りのようになることは何を示していますか。
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裏切りと捕縛これまでに生存した最も偉大な人
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118章
裏切りと捕縛
ユダが兵士や祭司長やパリサイ人を含む大勢の群衆をゲッセマネの園まで先導して来る時は,真夜中をかなり過ぎています。祭司たちは,イエスを裏切る報酬としてユダに銀30枚を支払うことに同意していました。
これより少し前に過ぎ越しの食卓から退去させられたユダは,祭司長たちのところへ直行したようです。祭司長たちはただちに配下の士官や一群の兵士を集めました。もしかしたらユダは彼らをまず,イエスと使徒たちが過ぎ越しを祝った場所に連れて行ったかもしれません。イエスと使徒たちがすでに立ち去ったことを知ると,大勢の群衆は,武器を帯び,ともしびやたいまつを手にしてユダの後に付いてゆき,エルサレムを出てキデロンの谷を渡ります。
オリーブ山の山腹を登って行列を先導してゆくとき,ユダはイエスのいる場所は分かっていると確信していました。その前の週にイエスと使徒たちは,ベタニヤとエルサレムの間を往来した際,度々ゲッセマネの園に立ち寄って休憩したり話をしたりしていたからです。しかし今,イエスの姿は恐らくオリーブの木陰の暗がりに隠されて見えないかもしれないのに,兵士たちはどうやってイエスを見分けるのでしょうか。彼らは一度もイエスの顔を見たことがないかもしれません。そこでユダは自分が合図を送ることにし,「だれであれわたしが口づけするのがその人だ。それを拘引して,しっかりと引いて行け」と言います。
ユダは大勢の群衆を園の中に連れて来ると,イエスが使徒たちと一緒にいるのを見,イエスのところへまっすぐにやって来て,「ラビ,こんにちは」と言いながらいとも優しく口づけします。
「君,何のためにここにいるのか」と,イエスは鋭い口調で言い返されます。それから,ご自分の質問に答えるように,「ユダ,あなたは人の子を口づけして裏切るのですか」と言われます。しかし,裏切り者と顔を合わせているのはもうたくさんです。イエスは,たいまつやともしびの明かりの中に進み出て,「あなた方はだれを捜しているのですか」とお尋ねになります。
「ナザレ人のイエスを」という答えが返ってきます。
イエスは雄々しく全群衆の前に立たれ,「わたしがその者です」とお答えになります。兵士たちはイエスの大胆さに驚き,どうしてよいか分からず,後ずさりして地面に倒れます。
それからイエスは平静な口調で,「わたしがその者ですと告げたではありませんか。それゆえ,あなた方の捜しているのがわたしであれば,これらの者たちは去らせなさい」と言われます。イエスは,少し前に階上の部屋で行なった祈りの中で,自分が忠実な使徒たちを守ってきたこと,そして「滅びの子のほかには」だれも失われなかったことをみ父に話されました。ですから,イエスはご自分の言葉が現実となるよう,追随者たちを去らせることを要求されます。
兵士たちが落ち着きを取り戻して立ち上がり,イエスを縛り始めると,使徒たちは起ころうとしていることを察知します。「主よ,剣で撃ちましょうか」と,彼らは尋ねます。イエスが返答する前に,ペテロは使徒たちが持っていた二振りの剣の一つを振るい,大祭司の奴隷マルコスに攻めかかります。ペテロの一撃は奴隷の頭部を打ち損じますが,奴隷の右の耳を切り落とします。
イエスは二人の間に入り,「それまでにしなさい」と言われます。そしてマルコスの耳に触れ,傷をおいやしになります。それからペテロに,「あなたの剣を元の所に納めなさい。すべて剣を取る者は剣によって滅びるのです。それともあなたは,わたしが父に訴えて,この瞬間に十二軍団以上のみ使いを備えていただくことができないとでも考えるのですか」と命じて,大切な教訓をお与えになります。
イエスはご自分から進んで捕縛されます。そのことは,「必ずこうなると述べる聖書はどうして成就するでしょうか」というイエスの説明から察せられます。さらにイエスは,「父がわたしにお与えになった杯,わたしはそれをぜひとも飲むべきではありませんか」と言われます。イエスはご自分に対する神のご意志に全く同意しておられるのです。
それからイエスは群衆に向かってこう言われます。「あなた方は,わたしを捕縛するのに,強盗に対するように剣やこん棒を持って出て来たのですか。日々わたしは神殿の中に座って教えていたのに,あなた方はわたしを拘引しませんでした。しかし,このすべては,預言者たちの記した聖句が成就するために起きたのです」。
それを聞いて,兵士の一隊と軍司令官,そしてユダヤ人の下役たちはイエスを捕らえて縛ります。これを見ると使徒たちは,イエスを見捨てて逃げてゆきます。しかし,一人の若者 ― たぶん弟子のマルコ ― は,群衆の中にとどまります。彼はイエスが過ぎ越しを祝われた家にいて,後ほど群衆の後に付いてきたのかもしれません。ところが今,彼は正体を見抜かれ,捕まえられそうになります。しかし亜麻布の衣をあとに残したまま逃げて行きます。 マタイ 26:47-56。マルコ 14:43-52。ルカ 22:47-53。ヨハネ 17:12; 18:3-12。
■ ゲッセマネの園へ行けばイエスは確かに見つかるとユダが考えたのはなぜですか。
■ イエスはどのように使徒たちへの気遣いを示されますか。
■ ペテロはイエスを守るためにどんな行動に出ますか。しかしイエスはそのことについてペテロに何と言われますか。
■ イエスは,ご自分に関する神のご意志に全く同意していることをどのように示されますか。
■ 使徒たちがイエスを見捨てて行くとき,だれがとどまりますか。その人はどうなりますか。
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アンナスのところへ,それからカヤファへこれまでに生存した最も偉大な人
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119章
アンナスのところへ,それからカヤファへ
イエスは普通の犯罪者のように縛られ,影響力のある元の大祭司アンナスのところへ引いて行かれます。アンナスは,12歳の少年だったイエスが神殿で教師であるラビたちを驚かせたころ,大祭司を務めていた人です。そののちアンナスの息子が幾人か大祭司を務め,現在は義理の息子のカヤファがその地位に就いています。
イエスがまずアンナスの家に引いて行かれるのは,この祭司長がユダヤ人の信仰生活において長い間著名な存在だったからでしょう。こうして一行がアンナスのところに立ち寄ると,大祭司カヤファは,71人で構成されるユダヤ人の高等法院サンヘドリンを召集し,また偽りの証人を集めるための時間を稼ぐことができます。
さて祭司長アンナスはイエスに,その弟子たちや教えについて質問します。しかし,イエスはそれに答えてこう言われます。「わたしは世に対して公に話してきました。わたしはいつも会堂や神殿で教えました。そこはすべてのユダヤ人が集まるところであり,何事もひそかには話しませんでした。なぜわたしに質問するのですか。わたしの話したことを聞いた人たちに質問しなさい。ご覧なさい,これらの人たちが,わたしの言ったことを知っています」。
すると,そばに立っていた下役の一人がイエスの顔を平手で打ち,「祭司長に向かってそんな答え方をするのか」と言います。
イエスは,「わたしの話したことが間違いであるなら,その間違いについて証ししなさい。しかし,正しいのであれば,なぜわたしを打つのですか」と言われます。このようなやりとりの後,アンナスはイエスを縛ったまま大祭司カヤファのもとに送ります。
このころまでに,すべての祭司長と年長者や書士たち,つまりサンヘドリン全員が集合し始めます。会合の場所はカヤファの家のようです。しかし,過ぎ越しの晩にこのような裁判を行なうことは,明らかにユダヤ人の律法に反しています。それでも宗教指導者たちは自分たちの邪悪な目的を遂げようとします。
何週間か前,イエスがラザロを復活させた時,サンヘドリンはすでにイエスを死刑にすることを自分たちの間で決めていました。つい二日前の水曜日にその宗教上の権力者たちは,うまく仕組んでイエスを捕らえて殺そうと相談しました。考えてみてください。イエスは裁判にかけられる前から実際に有罪とされていたのです。
今は,事がイエスに不利になるよう偽りの証拠を提出する証人を捜すことが行なわれています。しかし,一致した証言を行なう証人たちは見つかりません。最後に二人の人が進み出て,「わたしたちは,彼が,『わたしは手で作ったこの神殿を壊し,手で作ったのではない別のものを三日で建てる』と言うのを聞きました」と断言します。
「何も返答しないのか。これらの者があなたに不利な証言をしていることはどうなのか」と,カヤファは尋ねます。しかしイエスは黙っておられます。サンヘドリンにとって不面目なことに,この偽りの告発においてさえ証人たちは自分たちの作り話を一致させることができません。そのため大祭司は別の手を試みます。
カヤファは,自分こそ神の子だと主張する人物に対してユダヤ人がどんなに神経をとがらせるか知っています。彼らは以前にも二度ほど,軽率にも,死に値する冒とく者というレッテルをイエスに張ったことがありました。一度は,イエスが自分は神と等しいと主張しているものと思い込んだからでした。そこでカヤファは巧みに詰め寄り,「生ける神にかけて誓って言え,あなたは神の子キリストなのかどうか」と言います。
ユダヤ人たちがどう思おうと,イエスは実際に神の子です。黙ったままでいるなら,自分がキリストであることを否定しているように取られるかもしれません。それでイエスは勇敢にも,「わたしはその者です。そしてあなた方は,人の子が力の右に座り,また天の雲と共に来るのを見るでしょう」とお答えになります。
それを聞くとカヤファは,いかにもおおげさに自分の内衣を引き裂き,「この者は冒とくした! このうえ証人が必要だろうか。見てください,あなた方は今,冒とくの言葉を聞いたのです。あなた方の意見はどうでしょうか」と叫びます。
「彼は死に服すべきだ」と,サンヘドリンは宣言します。それから彼らはイエスを愚弄し,イエスに対して盛んに不敬なことを言います。顔に平手打ちを加え,つばを吐きかけます。イエスの顔をすっぽり覆ってこぶしで殴り,「預言せよ,お前を打ったのはだれか」と皮肉を言う者たちもいます。このような侮辱的で不法な仕打ちが,その夜間の裁判のときに行なわれます。 マタイ 26:57-68; 26:3,4。マルコ 14:53-65。ルカ 22:54,63-65。ヨハネ 18:13-24; 11:45-53; 10:31-39; 5:16-18。
■ イエスはまずどこへ引いて行かれますか。そこではイエスの身にどんなことが起きますか。
■ イエスは次にどこへ連れて行かれますか。どんな目的のために連れて行かれますか。
■ カヤファはどのようにしてサンヘドリンに,イエスは死に値する者と宣言させますか。
■ 裁判のとき,どんな侮辱的で不法な仕打ちが行なわれますか。
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中庭での否認これまでに生存した最も偉大な人
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120章
中庭での否認
ゲッセマネの園でイエスを見捨て,怖くなってほかの使徒たちと一緒に逃げてしまったペテロとヨハネは,途中で逃げるのをやめます。そして恐らく,イエスがアンナスの家に引いて行かれる途中でイエスに追いついたのでしょう。アンナスがイエスを大祭司カヤファのもとに送り出すとき,ペテロとヨハネはかなり離れてあとに付いて行きます。多分,自分が命を落とすことを恐れる気持ちと,主人の身に何が起きるのかをひどく心配する気持ちとで,心は乱れていることでしょう。
広々としたカヤファの邸宅に着くと,ヨハネは大祭司に知られていたため中庭に入ることができますが,ペテロは外で戸口のところに立っています。しかし,まもなくヨハネが戻って戸口番である下女に話すと,ペテロも中に入ることを許されます。
この時刻になると寒くなるので,大祭司の従者や下役たちは炭火をおこしました。ペテロもイエスの裁判の結果を待ちながら一緒に暖まります。すると,明るい火に照らされてペテロの顔がよく見えるようになったため,先ほどペテロを中に入れた戸口番が,「あなたも,ガリラヤ人のイエスと一緒にいました!」と叫びます。
正体を見抜かれて動揺したペテロは,みんなの前でイエスを知っていることを否定し,「わたしはあの人を知らないし,あなたの言っていることも理解できない」と言います。
それからペテロは門の近くまで出て行きます。すると別の下女が彼に気づき,そばに立っている者たちに,「この人はナザレ人のイエスと一緒にいました」と言います。ペテロは再び否定し,「わたしはその人を知らない!」と誓います。
ペテロは中庭にとどまって,できるだけ目立たないように努めます。恐らくこの時と思われますが,ペテロは早朝の暗やみの中でおんどりが鳴く声を聞いて驚きます。その間,イエスの裁判は進行しています。多分,中庭の上にある家のどこかで行なわれているのでしょう。下で待っているペテロや他の者たちは,証言をするために召集された様々な証人たちが出入りする様子を見ているに違いありません。
先ほどペテロがイエスの仲間であることを見抜かれた時から1時間近くたちました。すると今度は周りに立っていた者たちが幾人かペテロのところに寄って来て,「確かにあなたも彼らの一人だ。現に,あなたのなまりがあなたのことを明かしているではないか」と言います。そのうちの一人はペテロが前に耳を切り落としたマルコスの親族です。「わたしはあなたが園で彼と一緒にいるのを見たではないか」と,その人は言います。
「わたしはその人を知らないのだ!」と,ペテロは激しく主張します。事実ペテロは,そのことに関してのろったり誓ったりすることによって,つまり自分が真実を語っていないなら自分自身の上に災いが降りかかるようにと言うことによって,みんなが間違っていることを納得させようとします。
ペテロの否認はこれで三度目になり,すぐにおんどりが鳴きます。そしてその時イエスは,中庭の上のバルコニーに出てこられたのでしょう,振り向いてペテロをご覧になります。ペテロはとっさに,イエスがほんの数時間前に階上の部屋で,「おんどりが二度鳴く前に,あなたは三度わたしのことを否認するでしょう」と言っておられたことを思い起こします。そして自分の罪の重さに打ちひしがれ,外に出て激しく泣きます。
どうしてこのようなことになったのでしょうか。ペテロは自分の霊的な強さをあれほど確信していたのに,どうして三度も続けざまに自分の主人を否認したのでしょうか。ペテロはきっと周囲の状況に不意を打たれたのでしょう。真実はゆがめられ,イエスはいやしむべき犯罪者であるかのように言われています。正しいことが悪いことのように,無実な者が有罪であるかのように扱われています。ですからペテロは,その状況に圧迫されて平衡を失っています。正しい忠節心は突然覆されます。悲しいことにペテロは人への恐れで萎縮してしまったのです。わたしたちは,自分たちが決してそうならないように願います。 マタイ 26:57,58,69-75。マルコ 14:30,53,54,66-72。ルカ 22:54-62。ヨハネ 18:15-18,25-27。
■ ペテロとヨハネはどのようにして大祭司の中庭に入ることができますか。
■ ペテロとヨハネが中庭にいる間,家の中では何が進行していますか。
■ おんどりは何度鳴きますか。また,ペテロは何度イエスを知らないと言いますか。
■ ペテロがのろったり誓ったりしたというのはどういう意味ですか。
■ ペテロがイエスを知らないと言った原因は何ですか。
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サンヘドリンの前に,それからピラトのもとへこれまでに生存した最も偉大な人
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121章
サンヘドリンの前に,それからピラトのもとへ
そろそろ夜も明けようとしています。ペテロはすでにイエスを三度否認しました。サンヘドリンのメンバーも裁判のまねごとを終えてすでに解散しました。しかし金曜日の明け方になるとすぐに,今度は自分たちのサンヘドリン広間に再び集まります。彼らの目的は,昨夜の裁判が合法的なものであるように見せかけることかもしれません。イエスが前に連れ出されると,昨夜と同じように,「もしあなたがキリストであるなら,わたしたちに言いなさい」と言います。
イエスはお答えになります。「たとえわたしが言ったとしても,あなた方は少しも信じないでしょう。また,わたしが質問したとしても,あなた方は少しも答えないでしょう」。しかし,イエスは勇敢にもご自分がどのような者であるかを明らかにし,「今からのち,人の子は神の強力な右に座ることになります」と言われます。
「それでは,あなたは神の子なのか」。皆それを知りたがっています。
「あなた方自身,わたしがそうだと言っています」と,イエスはお答えになります。
殺害をもくろんでいたこれらの人々にとっては,この答えで十分です。彼らはこれを冒とくとみなします。「どうしてこのうえ証しが必要だろうか。わたしたち自身が,彼の口からそれを聞いたのだ」と彼らは言います。そしてイエスを縛って引いて行き,ローマ総督ポンテオ・ピラトに引き渡します。
イエスを裏切ったユダは事の成り行きを見守っていました。イエスが罪に定められたのを見ると,悔恨の情を感じます。それで銀30枚を返しに祭司長と年長者たちのところに行きます。「わたしは義の血を売り渡して罪をおかした」とユダは説明します。
「それがわたしたちにどうしたというのか。あなたが処置すべきことだ!」と,冷淡な答えが返ってきます。それでユダは銀を神殿に投げ込むとそこを立ち去り,首をつって死のうとします。ところが,ユダが縄を縛りつけていた木の枝が折れたのでしょう,体は下の岩に向かって落ち,そこで張り裂けてしまいました。
祭司長たちはその銀をどう扱ってよいかわかりません。最後に,「これを聖なる宝物庫に入れることは許されない」と判断します。「これは血の代価だから」です。それで彼らは相談したのち,見知らぬ人の埋葬のためにそのお金で陶器師の畑を買います。こうして,その畑は「血の畑」と呼ばれるようになりました。
朝のまだ早いうちにイエスは総督の官邸に連れて行かれます。ところがついて来たユダヤ人たちは中に入ろうとしません。そのようにして異邦人と親しくすれば,身を汚すことになると考えているからです。そこでピラトは彼らの考えを考慮し,外に出て来ます。「あなた方はこの人に対してどんな告訴をするのか」とピラトは尋ねます。
「この男が悪を行なう者でなかったなら,わたしたちはあなたに引き渡したりはしなかったでしょう」と彼らは答えます。
かかわりを持ちたくないと思ったピラトは,「あなた方が自分で彼を連れて行き,自分たちの律法にしたがって裁くがよい」と言います。
ユダヤ人たちは,殺害をもくろんでいたことを示して,「わたしたちが人を殺すことは許されていません」と主張します。実際,もし彼らが過ぎ越しの祝いの最中にイエスを殺していたなら,民衆は大騒ぎしたに違いありません。多くの人はイエスを深く尊敬しているからです。しかし,ローマ人に政治的な罪状で処刑させることができれば,彼ら自身は民の前で責任を免れることになるわけです。
それで宗教指導者たちは,イエスを冒とくの罪に定めた前の裁判には触れず,別の罪をでっちあげます。それは次の3部から成る告発です。「わたしたちは,この男が [1] わたしたちの国民をかく乱し,[2] カエサルに税を払うことを禁じ,[3] 自分は王キリストだと言っているのを見ました」。
ピラトに関心があるのは,イエスが自ら王と称しているという罪状です。そのため,ピラトは再び官邸内に入ってイエスを呼び,「あなたはユダヤ人の王なのか」と尋ねます。これは言い換えれば,あなたはカエサルに対抗して自分が王であると名乗ることにより法を破ったのか,ということです。
イエスは,自分のことをピラトがすでにどれほど聞いているか知りたいと思い,「あなたがそう言うのは,あなた自身の考えからですか。それとも,ほかの者がわたしについて告げたからですか」とお尋ねになります。
ピラトはイエスについて何も知らないことを認め,事実を知りたいという気持ちを表わします。「わたしはユダヤ人ではないではないか。あなた自身の国民と祭司長たちが,あなたをわたしに引き渡したのだ。あなたは何をしたのか」とピラトは言います。
イエスはこの問題,つまりご自分が王なのかという問題を決して避けようとはなさいません。次にイエスが述べる答えに,ピラトはきっと驚くに違いありません。 ルカ 22:66-23:3。マタイ 27:1-11。マルコ 15:1。ヨハネ 18:28-35。使徒 1:16-20。
■ サンヘドリンは何のために翌朝再び集まりますか。
■ ユダはどのようにして死にますか。銀30枚は何に使われますか。
■ ユダヤ人が自分たちでイエスを殺すよりも,ローマ人に殺させようとしているのはなぜですか。
■ ユダヤ人たちはイエスにどんな罪をきせますか。
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ピラトからヘロデに引き渡され,再び送り返されるこれまでに生存した最も偉大な人
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122章
ピラトからヘロデに引き渡され,再び送り返される
イエスはご自分が王であることを隠そうとはされませんが,ご自分の王国がローマにとって危険な存在ではないことを説明されます。「わたしの王国はこの世のものではありません。わたしの王国がこの世のものであったなら,わたしに付き添う者たちは,わたしをユダヤ人たちに渡さないようにと戦ったことでしょう。しかし実際のところ,わたしの王国はそのようなところからのものではありません」とイエスは言われます。こうしてイエスは,ご自分が王国を持っていることを三度も認められます。でも,その王国はこの地上のものではありません。
しかしピラトはさらに,「それでは,あなたは王なのだな」と迫ります。それはつまり,あなたの王国がこの世のものではないにしても,あなたは王なのだな,ということです。
イエスはピラトの出した結論が正しいことをピラトに知らせます。「あなた自身が,わたしが王であると言っています。真理について証しすること,このためにわたしは生まれ,このためにわたしは世に来ました。真理の側にいる者はみなわたしの声を聴きます」と,イエスはお答えになります。
ですからイエスが現に地上にいる目的は,「真理」について証しするため,それも特にご自分の王国の真理について証しするためです。イエスはたとえ命を失うことになろうとも,その真理に対して忠実さを保つ覚悟を決めておられます。ピラトは「真理とは何か」と尋ねますが,それ以上の説明を待とうとはしません。裁きを下すのに必要なことはもう十分聞いたからです。
ピラトは,官邸の外で待っていた群衆のところに戻ります。恐らくイエスをかたわらにおいて,ピラトは祭司長たちやその周りにいた人々に,「わたしはこの男に何の犯罪も見いだせない」と言います。
その判決に怒った群衆は執ように,「彼はユダヤじゅうを教え回って民をあおり,しかもガリラヤから始めてここまで来たのです」と言います。
ユダヤ人の理性を欠いた狂信的行為を見て,ピラトはびっくりしたに違いありません。それでピラトは祭司長や年長者たちの怒号が続く中でイエスのほうを向き,「彼らがあなたに不利な証言をいかに多く行なっているか,あなたには聞こえないのか」と尋ねます。しかしイエスは答えようとはされません。荒々しい非難の声に面しても穏やかな表情のイエスに,ピラトは驚嘆します。
イエスがガリラヤ人であることを知ると,ピラトはイエスについての責任を免れる方法を思いつきます。ガリラヤの支配者ヘロデ・アンテパス(ヘロデ大王の息子)が過ぎ越しのためにエルサレムに来ているのです。それでピラトはイエスをヘロデのもとに送ります。ヘロデ・アンテパスといえば,以前バプテスマを施す人ヨハネの首をはね,その後イエスが行なった奇跡的な業について聞いたとき,イエスは実際には復活したヨハネなのではないかと考えておびえていた人物です。
さて,ヘロデはイエスに会えそうなので大そう歓んでいます。それは,イエスのことを気遣っているからでも,イエスに着せられた罪状が本当かどうか本気で知りたいと思っているからでもありません。むしろ,好奇心から,イエスが奇跡を起こすのを見たいだけなのです。
しかし,イエスはヘロデの好奇心を満たそうとはなさいません。実際,ヘロデが質問しても,イエスは一言も話されません。あてがはずれたヘロデとその衛兵たちはイエスを愚弄し,色鮮やかな衣を着せてあざけってからピラトのもとに送り返します。その結果,かつてはいがみ合っていたヘロデとピラトは親しい仲になります。
イエスが戻られると,ピラトは祭司長とユダヤ人の支配者たち,そして民を呼び集めてこう言います。「あなた方は,民を駆り立てて反乱を起こさせる者としてこの男をわたしのところに連れて来た。それで,見よ,わたしはあなた方の前で取り調べたが,あなた方の挙げる罪状の根拠となるようなものを何らこの男に見いだせなかった。事実,ヘロデもそうであった。彼をわたしたちのところに送り返してきたからだ。見よ,彼は死に価するようなことを何も犯していない。それゆえわたしは,彼を打ち懲らしてから釈放することにする」。
こうしてピラトは二度もイエスの無罪を宣言しました。ピラトはイエスを釈放したいと思っています。というのは,祭司たちがイエスを引き渡したのは単にそねみのためであることに気づいているからです。引き続きイエスを釈放しようと努めるピラトは,そうするためのより強力な動機づけを得ます。裁きの座に座っている間に,妻からの伝言があったのです。「その義人にかかわらないでください」と妻はピラトに勧め,「わたしは今日,その人のために[神からのものと思われる]夢の中でとても苦しんだのです」と言います。
しかしピラトは,釈放すべきだと分かっているこの無実の人をどうしたら釈放できるのでしょうか。 ヨハネ 18:36-38。ルカ 23:4-16。マタイ 27:12-14,18,19; 14:1,2。マルコ 15:2-5。
■ イエスはご自分が王であるかどうかについての質問にどうお答えになりますか。
■ イエスが地上での生涯をかけて証しした「真理」とは何ですか。
■ ピラトはどんな判決を下しますか。人々はどのように反応しますか。それでピラトはイエスをどうしますか。
■ ヘロデ・アンテパスとはだれですか。ヘロデがイエスを見て大そう歓ぶのはなぜですか。ヘロデはイエスをどうしますか。
■ ピラトがイエスを釈放したいと思っているのはなぜですか。
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「見よ,この人だ!」これまでに生存した最も偉大な人
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123章
「見よ,この人だ!」
ピラトはイエスの態度に感銘を受け,イエスの無実を認めたため,別の方法でイエスを釈放しようとします。彼は群衆に,「あなた方には,過ぎ越しの際わたしが一人の者を釈放する習慣がある」と告げます。
バラバという札つきの人殺しも囚人として捕らえられているので,ピラトは,「あなた方はどちらの者を釈放して欲しいのか。バラバか,それともキリストと言われるイエスか」と問いかけます。
民は,彼らを扇動した祭司長たちに説きつけられ,バラバを釈放してイエスを殺すよう求めます。それに対しピラトはあきらめずにもう一度問いかけます。「あなた方は,二人のうちどちらを釈放して欲しいのか」。
「バラバを」と,彼らは叫びたてます。
ピラトは落胆した様子で尋ねます。「では,キリストと言われるイエスはどうするのか」。
群衆は一斉に耳をつんざくような声で,「杭につけろ!」,「杭につけろ! 彼を杭につけろ!」と答えます。
ピラトは,群衆が要求しているのは一人の無実の者の死であることを知っているので嘆願します。「この男がどんな悪事をしたというのか。わたしは,死に価するようなことを何も彼に見いださなかった。それゆえ,わたしは彼を打ち懲らしてから釈放することにする」。
ピラトの努力にもかかわらず,宗教指導者たちにそそのかされて怒り立った群衆は,「杭につけろ!」とわめき続けます。群衆は祭司たちに駆り立てられて狂乱状態になり,血を求めます。考えてみてください。恐らく群衆の中には,ほんの五日前にはイエスを王としてエルサレムに迎え入れた者たちもいることでしょう。イエスの弟子たちは,もしその場にいたとすれば,その間ずっと黙ったまま目立たないようにしています。
ピラトは,自分が訴えても無駄であり,むしろ騒動になってくるのを見ると,水を取って群衆の前で手を洗い,「わたしはこの人の血について潔白である。あなた方自身が処置をとらねばならない」と言います。すると民は,「彼の血はわたしたちとわたしたちの子供とに臨んでもよい」と答えます。
それでピラトは,民の要求どおりに ― 正しいと分かっていることをするよりも群衆を満足させたいと願って ― バラバのほうを釈放します。そしてイエスを連れて行き,衣をはがさせてからむちで打たせます。それは普通のむち打ちではありませんでした。「アメリカ医師会ジャーナル」誌は,ローマにおけるむち打ち刑の習慣について次のように述べています。
「よく使われた刑具は,長さが不ぞろいの何本かの革ひもや,撚った革ひもの付いた短いむち棒だった。その革ひもには小さい鉄球や尖った羊骨が所々にくくり付けられていた。……ローマの兵士が受刑者の背中を繰り返し力一杯打つと,その鉄球によって深い挫傷が生じ,革ひもと羊骨は皮膚や皮下組織に食い込んだことだろう。そしてむち打ちが続くにつれ,裂傷は深部の骨格筋にまで及び,ひも状に裂けて垂れた血のにじむ肉が震えていたであろう」。
イエスはこうした拷問のような殴打を受けたあと,総督の官邸に引いて行かれます。そして全部隊が召集されます。そこで兵士たちは,いばらの冠を編んでイエスの頭に押しかぶせることにより,さらに侮辱を加えます。彼らはイエスの右手に葦を持たせ,その身に普通国王が着るような紫の衣をまとわせます。それから,あざけるような口調で,「こんにちは,ユダヤ人の王よ!」と言います。また彼らはイエスにつばをかけ,顔に平手打ちを加えます。そしてその丈夫な葦をイエスの手から取り,それでイエスの頭をたたきます。イエスを辱める“冠”の鋭いとげは頭蓋骨にまで刺さったことでしょう。
こうした虐待にもめげずに驚くべき威厳と力を保っているイエスを見たピラトは,深い感銘を受け,イエスを請け戻す努力をもう一度払ってみようという気持ちになります。「見なさい。わたしがこの者に何の過失も見いださないことを知らせるため,わたしはこの者をあなた方のところに連れ出す」と,ピラトは群衆に告げます。拷問を受けたイエスの姿を見れば群衆も心を和らげるだろう,とピラトは考えているのでしょう。イエスがとげのある冠と紫の外衣を身に着け,苦痛に耐える血だらけの顔で無情な暴徒たちの前に立つと,ピラトは,「見よ,この人だ!」と宣言します。
打ちたたかれて傷を負ってはいても,ここに立っているのは歴史上最も傑出した人物,これまでに生存した真に最も偉大な人なのです! そうです,ピラトの言葉に敬意と同情の入り混じった響きが感じられるとおり,イエスには,ピラトでさえ認めざるを得ないほどの偉大さを示す静かな威厳と落ち着きが見られるのです。 ヨハネ 18:39-19:5。マタイ 27:15-17,20-30。マルコ 15:6-19。ルカ 23:18-25。
■ ピラトはどんな方法でイエスを釈放しようとしますか。
■ ピラトはどのようにして責任を免れようとしますか。
■ むちで打たれるとどうなりますか。
■ イエスはむちで打たれた後,どんなあざけりを受けますか。
■ ピラトはイエスを釈放しようとして,さらにどんな努力をしますか。
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引き渡され,引いて行かれるこれまでに生存した最も偉大な人
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124章
引き渡され,引いて行かれる
拷問を受けても冷静で威厳を失わないイエスに感動したピラトが再度イエスを釈放しようとすると,祭司長たちの怒りは一段と募ります。自分たちの邪悪な目的を何ものにも妨害させないことを決意しているのです。それでまたもや彼らは,「杭につけろ! 杭につけろ!」と叫びたてます。
「あなた方が自分たちで連れて行って杭につけるがよい」と,ピラトは答えます。(少し前のユダヤ人たちの主張とは違い,ユダヤ人たちには,宗教上の極めて重大な罪を犯した犯罪者を処刑する権利があるのかもしれません。)そこでピラトは,「わたしは彼に何の過失も見いださない」と宣言します。ピラトがイエスの無実を宣言するのは,少なくともこれで五度目です。
ユダヤ人たちは,政治的告発が効を奏さないのを見ると,再び冒とくという宗教上の罪に逆戻りします。それは数時間前にサンヘドリンがイエスの裁判を行なった時に申し立てた罪状です。「わたしたちには律法がありますが,その律法によれば,彼は死に当たる者です。自分を神の子としたからです」と,彼らは言います。
この告発はピラトにとって初耳であり,これを聞いたピラトはますます恐れを感じます。この時までにピラトは,イエスが普通の人間ではないことに気づいています。妻が見た夢も,イエスの人格の驚くべき強じんさもそのことを示唆しています。それにしても,「神の子」なのでしょうか。ピラトはイエスがガリラヤの出身であることを知っています。しかし,もしかしたらそれ以前から生きていたのでしょうか。ピラトはイエスを官邸内に連れ戻し,「あなたはどこから来ているのか」と尋ねます。
イエスは黙っておられます。少し前にイエスは,自分は王であるが自分の王国はこの世のものではないとピラトに告げておられました。ここでさらに説明を加えても益はないでしょう。しかし,イエスが返答しようとしないのでピラトはプライドを傷つけられ,かっとなってこう言います。「あなたはわたしに話さないのか。わたしにはあなたを釈放する権限があり,また杭につける権限もあることを知らないのか」。
それに対しイエスは,「上から与えられたのでない限り,あなたはわたしに対して何の権限もないでしょう」と丁重にお答えになります。地上の物事を管理する権限は神が人間の支配者たちに与えておられるのだということをイエスは言っておられるのです。さらにイエスは,「このゆえに,わたしをあなたに引き渡した人にはさらに大きな罪があります」と言われます。実際,大祭司カヤファとその共犯者たちおよびユダ・イスカリオテには,イエスを不当に扱ったためピラト以上に重い責任があります。
ピラトは,ますますイエスから感銘を受け,またイエスが神から遣わされた者かもしれないという心配もあって,イエスを釈放するために再びいろいろな努力を払います。それでも,ユダヤ人たちはピラトの言うことを強くはねつけます。彼らは政治的告発を繰り返し,巧妙にもこう言って脅します。「この男を釈放するなら,あなたはカエサルの友ではありません。自分を王とする者は皆,カエサルに反対を唱えているのです」。
その言葉には恐ろしい含みがあったにもかかわらず,ピラトはもう一度イエスを外に連れ出し,「見なさい。あなた方の王だ!」とさらに訴えます。
「取り除け! 取り除け! 杭につけろ!」
「わたしがあなた方の王を杭につけるのか」。ピラトは絶望的な気持ちで尋ねます。
ユダヤ人はローマ人の支配にいら立ちを感じていました。実際,彼らはローマの支配をさげすんでいるのです。それにもかかわらず,祭司長たちは偽善的で,「わたしたちにはカエサルのほかに王はいません」と言います。
ピラトは自分の政治的な地位や名声を失うのを恐れて,ユダヤ人のしつような要求にとうとう屈し,イエスを引き渡します。兵士たちはイエスから紫の外とうをはいで,イエスに元の外衣を着せます。イエスは杭につけられるために引いて行かれる際,自分の苦しみの杭を負わされます。
このころまでに時刻はニサン14日,金曜日の午前も半ば,恐らく正午近くになっていることでしょう。イエスは木曜日の早朝から一睡もしておられません。しかも苦しい経験の連続でした。杭の重みに耐えかねて間もなく力尽きてしまうのも無理はありません。そこで,アフリカのキレネから来たシモンという通行人が,イエスのために杭を運ぶ奉仕に徴用されます。二人が進んで行くと,非常に大勢の人があとについて行きます。その中には女性も多く,彼女たちは悲嘆のあまり身を打ちたたき,イエスのことを嘆き悲しみます。
イエスは女の人たちのほうを向いてこう言われます。「エルサレムの娘たちよ,わたしのために泣くのをやめなさい。むしろ,自分と自分の子供たちのために泣きなさい。見よ,人々が,『うまずめは,そして子を産まなかった胎と乳を飲ませなかった乳房とは幸いだ!』と言う日が来るからです。……というのは,木に水気のある時に彼らがこうしたことを行なうのであれば,それが枯れた時にはどんなことが起こるでしょうか」。
イエスはユダヤ国民という木のことを言っておられます。イエスがおられ,イエスを信じる残りの者たちが存在しているので,この木には生きていることを示す水気がまだ幾らか残っています。しかし,これらの人が同国民から取り出されると,そこには霊的に死んだ木,そうです,枯れきった国家組織しか残りません。ローマの軍隊が神の刑執行隊としてユダヤ国民を荒れ廃れさせるとき,人々はそのためにどんなにか泣き悲しむことでしょう! ヨハネ 19:6-17; 18:31。ルカ 23:24-31。マタイ 27:31,32。マルコ 15:20,21。
■ 宗教指導者たちは,政治的告発が効を奏さないのを見ると,どんな罪でイエスを告発しますか。
■ ピラトがますます恐れを感じたのはなぜですか。
■ イエスの身に生じたことに対し,さらに大きな罪を負っているのはだれですか。
■ 最後に祭司たちはイエスを処刑のために引き渡すようどのようにピラトに迫りますか。
■ イエスは,イエスのために泣いている女たちに向かって何と言われますか。また,『水気がある』ものの,その後『枯れる』木のことを言われますが,それにはどんな意味がありますか。
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杭の上での苦しみこれまでに生存した最も偉大な人
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125章
杭の上での苦しみ
イエスと共に処刑される二人の強盗が引かれて行きます。行列は,市内からそれほど遠くないゴルゴタ,もしくは“どくろの場所”と呼ばれる所で止まります。
囚人たちは衣をはぎ取られます。そして没薬を混ぜたぶどう酒が与えられます。たぶんエルサレムの女性たちが用意したのでしょう。杭につけられる者たちにこの鎮痛剤を与えることをローマ人も阻みません。しかし,イエスはその味を見ると,飲もうとはされません。なぜでしょうか。それは恐らく,ご自分の信仰の最後の試みの間,知的能力をすべてしっかり保っていたいと思っておられるからでしょう。
イエスは今,両手を頭上に伸ばした形で杭の上に寝かされます。それから兵士たちはイエスの手と足に太い釘を打ち込みます。釘が肉とじん帯を貫通するとき,イエスは苦痛に身をよじらせます。杭が垂直に起こされると,釘の刺さった箇所が体の重みで裂けるため,痛みは耐え難いものになります。それでもイエスは,ローマ人の兵士たちを脅しつけるどころか,彼らのために,「父よ,彼らをお許しください。自分たちが何をしているのか知らないのですから」と祈られます。
ピラトは,「ユダヤ人の王ナザレ人イエス」と書いたものを杭の上に掲げます。ピラトがこれを書いたのは恐らく,イエスに対する尊敬の念だけでなく,無理やりイエスの死刑を宣告させたユダヤ人の祭司たちに対するいまいましい気持ちもあったためと思われます。ピラトは,すべての人が読めるように,それがヘブライ語,公用語のラテン語,通俗ギリシャ語の三つの言語で書かれるようにしました。
カヤファやアンナスをはじめとする祭司長たちはろうばいします。勝ち誇っていたところにこのような肯定的な宣言が公示されたため気分を害し,「『ユダヤ人の王』とではなく,この者は『ユダヤ人の王である』と言ったと書いてください」と抗議します。ピラトは自分が祭司たちの手先として使われていたことでいら立っていたため,軽べつしきった態度で,「わたしが書いたことはわたしが書いたことだ」と答えます。
祭司たちは大勢の群衆と共に刑場に集まって,その罪状書きに記されている事柄に反ばくしようとし,先にサンヘドリンでの裁判の時に述べた偽証を繰り返します。ですから,通行人たちがイエスのことをあしざまに言いはじめ,ばかにした態度で頭を振りながら,「神殿を壊して三日でそれを建てると称する者よ,自分を救ってみろ! 神の子なら,苦しみの杭から下りて来い!」と言うのも不思議ではありません。
祭司長やその宗教上の仲間もそれに調子を合わせて言います。「ほかの者は救ったが,自分は救えないのだ! 彼はイスラエルの王だ。今,苦しみの杭から下りて来てもらおうではないか。そうしたら我々も彼を信じよう。彼は神に頼ったのだ。神が彼を必要とされるのなら,いま神に救い出してもらうがよい。『わたしは神の子だ』と言ったのだから」。
兵士たちもその雰囲気にのまれて一緒にからかいます。そしてイエスに酸いぶどう酒を与えるまねをします。きっとイエスの乾き切った唇が届かないようにして差し出しているのでしょう。「もしお前がユダヤ人の王なら,自分を救ってみろ」と言って兵士たちは嘲笑します。イエスの右と左の杭につけられた強盗たちまでイエスをあざけります。考えてみてください。これまでに生存した最も偉大な人が,そうです,エホバ神が万物を創造されたときその業にあずかった方が,こうしたののしりの言葉をすべてじっと我慢しておられるのです!
兵士たちはイエスの外衣を取ってそれを四つに分け,それらがだれのものになるかを決めるためにくじを引きます。しかし,内衣は縫い目のない上等の衣です。そこで兵士たちは互いに,「これは裂かずにおき,だれのものとするか,くじで決めることにしよう」と言います。こうして兵士たちは,「彼らはわたしの外衣を自分たちの間で配分し,わたしの着衣の上でくじを引いた」という聖句を,それとは知らずに成就させます。
やがて強盗の一人は,イエスが本当に王に違いないことを認めるようになります。それで,もう一方の強盗を叱り,「お前は少しも神を恐れないのか。同じ裁きを受けているのに。しかも,我々がこうなるのは全く当然だ。自分のした事に対する相応の報いを受けているのだから。しかしこの人は道に外れたことは何もしていないのだ」と言います。そしてイエスに向かって,「イエスよ,あなたがご自分の王国に入られる時には,わたしのことを思い出してください」と嘆願します。
イエスはそれに答えて,「今日あなたに真実に言いますが,あなたはわたしと共にパラダイスにいるでしょう」と言われます。この約束は,イエスが天で王として支配し,この悔い改めた悪行者を地上のパラダイスでの命に復活させるときに成就するでしょう。ハルマゲドンを生き残る人々とその仲間たちは,このパラダイスを造る特権にあずかるのです。 マタイ 27:33-44。マルコ 15:22-32。ルカ 23:27,32-43。ヨハネ 19:17-24。
■ イエスが没薬を混ぜたぶどう酒を飲もうとされないのはなぜですか。
■ イエスの杭に罪状書きが掲げられたことにはどんな理由があるようですか。それをめぐってピラトと祭司長たちの間ではさらにどんなやりとりがありますか。
■ イエスは杭の上でさらにどんなののしりの言葉を浴びせられますか。そうなったのは,恐らく何が原因ですか。
■ イエスの衣がどう処理されるかに関し,預言はどのように成就しますか。
■ 強盗の一人はどのように変化しますか。イエスはその人の願いをどのように満たされますか。
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「確かにこれは神の子であった」これまでに生存した最も偉大な人
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126章
「確かにこれは神の子であった」
イエスが杭につけられてからまもなく,正午から3時間ほどの間,不思議な闇が生じます。日食が起きているからではありません。日食は新月の時にしか起こらないからです。過ぎ越しの時期は満月です。それに日食は数分で終わります。ですからその闇は神が生じさせたものです。イエスをあざける者たちはこのためにたじろぎ,彼らの嘲笑さえやむかもしれません。
もし,一人の悪行者が仲間を叱りつけ,イエスに向かってわたしを覚えていてくださいと頼む前にこの不気味な現象が起きたとすれば,その悪行者が悔い改めた一因はそのことにあったのかもしれません。また,4人の婦人,すなわちイエスの母,母の姉妹サロメ,マリア・マグダレネ,それに使徒の小ヤコブの母マリアが苦しみの杭のそばまで来るのも,この闇が垂れこめていたさなかのことと思われます。イエスの愛する使徒ヨハネも彼女たちと一緒にそこにいます。
イエスの母マリアは,どれほど心を『刺される』思いがしていることでしょう。自分が世話をし育てた息子が,杭に掛けられ目の前で苦しんでいるのです。それでもイエスは,ご自分の苦痛ではなく,母親の福祉のことを考えておられます。イエスは力を振りしぼってヨハネのほうに顔を向けてうなずき,母親に,「婦人よ,見なさい,あなたの子です!」と言われます。次にマリアに向かってうなずき,ヨハネに,「見なさい,あなたの母です!」と言われます。
こうしてイエスは,今ではやもめの身になっていると思われる母親の世話を,特別に愛しておられる使徒に託されます。イエスがそうされるのは,マリアの他の息子たちがイエスに対する信仰をまだ表明していないからです。そのようにしてイエスは,母親の身体面の必要だけでなく霊的な必要をも顧みるという点で立派な模範を残されます。
午後3時ごろ,イエスは「わたしは渇く」と言われます。イエスは,自分の忠誠を極限まで試すために父がいわば保護の手を引かれたことをお感じになります。それでイエスは大声で呼ばわり,「わたしの神,わたしの神,なぜわたしをお見捨てになりましたか」と言われます。これを聞いて,近くに立っている者たちが幾人か,「見ろ,エリヤを呼んでいるのだ」と叫びます。彼らの一人がすぐに走って行き,酸いぶどう酒を含ませた海綿をヒソプの茎の先につけてイエスに飲ませようとします。しかし他の者たちは,「構わないでおけ! エリヤが下ろしに来るかどうかを見よう」と言います。
イエスは酸いぶどう酒を受けてから,「成し遂げられた!」と大きな声で叫ばれます。そうです,イエスは地上で行なうようみ父から命じられたすべての事柄をなし終えられたのです。そして最後に,「父よ,わたしの霊をみ手に託します」と言われます。こうしてイエスはご自分の生命力を神にゆだねられます。神がもう一度それを回復してくださることを確信しておられるのです。それからイエスは頭を垂れ,亡くなられます。
イエスが息を引き取られた瞬間,激しい地震が生じて岩塊がぽっかりと割れます。揺れが非常に大きかったので,エルサレムの外にある記念の墓が割れて開き,遺体が外に投げ出されます。露出した遺体を見た通行人たちは市内に入り,そのことを報告します。
さらにイエスが亡くなられた瞬間,神の神殿の聖所と至聖所を隔てていた巨大な垂れ幕が,上から下まで二つに裂けます。美しい装飾の入ったこの垂れ幕は高さが約18㍍あり,非常に重いもののようです。この驚くべき奇跡は,み子を殺した者たちに対する神の憤りを表わすだけでなく,イエスの死によって至聖所,つまり天そのものに入ることが今や可能になったことを示しています。
さて,人々は地震を感じ,また起きている事柄を見て非常に恐れるようになります。刑の執行に当たった士官は神の栄光をたたえ,「確かにこれは神の子であった」と宣言します。この士官は,ピラトの前で行なわれた裁判でイエスが神の子であるかどうかが論じられた際,そこにいたのかもしれません。そしていま士官は,イエスが神の子であること,そうです,イエスこそ,これまでに生存した最も偉大な人であることを確信しています。
他の者たちもこれらの奇跡的な出来事に圧倒され,深い悲しみと恥ずかしさのために胸をたたきながら家に帰り始めています。イエスの弟子である大勢の婦人たちは,これらの重大な出来事に深く感動し,やや離れた所でその光景を見守っています。使徒ヨハネもそこにいます。 マタイ 27:45-56。マルコ 15:33-41。ルカ 23:44-49; 2:34,35。ヨハネ 19:25-30。
■ 3時間の闇が日食によるものであるはずがないのはなぜですか。
■ イエスは亡くなられる直前,年老いた親のいる人たちにどんな立派な模範を残されますか。
■ イエスが亡くなられる前に口にされた最後の四つの言葉とはどんな言葉ですか。
■ 地震によって何が成し遂げられますか。神殿の垂れ幕が二つに裂けたことにはどんな意味がありますか。
■ 刑の執行に当たった士官はそれらの奇跡を見てどのような影響を受けますか。
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