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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1988
塔88 8/15 10–15ページ

み言葉の勤勉な研究により,エホバへの信頼を築きなさい

「わたしが今日警告として話しているすべての言葉にあなた方の心を用いなさい。……それは,あなた方にとって無価値な言葉ではない。あなた方の命を意味(する)」― 申命記 32:46,47。

1,2 (イ)モアブの平原に宿営を張っていたイスラエルには,どんな見込みがありましたか。(ロ)モーセはその国民にどんな勧めを与えましたか。

長年にわたる一国民の荒野の旅も終わりに近づいていました。今や,多年の念願であった約束の地から彼らを隔てているのは,蛇行するヨルダン川だけです。しかし,イスラエルがその地に入るという見込みは,その国民の指導者であったモーセの真剣な黙想を誘いました。モーセは,イスラエル国民がかつてエホバへの信頼を欠いてつまずき,それゆえにカナンに入るのを拒まれたことを思い起こすことができました。―民数記 13:25-14:30。

2 それでモーセは,ゆるやかにうねるモアブの平原にイスラエル国民を召集し,国民としての歴史を回顧し,神の律法を繰り返し述べてから,卓抜した作品と言われてきた話をしました。モーセは最高度に洗錬された韻文を用いて,『忠実の神,不正なところは少しもなく,義であり,廉直であられる』エホバを信頼し,エホバに従うことをイスラエルに勧めました。そして結びにこう勧めました。「わたしが今日警告として話しているすべての言葉にあなた方の心を用いなさい。あなた方が自分の子らに命じ,注意してこの律法のすべての言葉を守り行なわせるためである。それは,あなた方にとって無価値な言葉ではない。あなた方の命を意味……するのである」。―申命記32:4,46,47。

神の言葉に『心を用いる』

3,4 (イ)イスラエル人は何に『心を用いる』べきでしたか。それには何が関係していましたか。(ロ)後の世代の人々はモーセの諭しをどのように用いましたか。

3 モーセは,心を鼓舞する自分の歌だけではなく,書き記された神聖なすべてのものに『心を用いる』ようイスラエル人に訓戒を与えました。彼らは,神の律法に「よく注意を払う」(ノックス訳),「必ず従う」(今日の英語訳),神の律法に「ついて黙想する」(リビングバイブル,英文)必要がありました。律法に十分に精通して初めて,「自分の子らに命じ,注意してこの律法のすべての言葉を守り行なわせる」ことができたのです。申命記 6章6節から8節で,モーセはこう書きました。「わたしが今日命じているこれらの言葉をあなたの心に置かねばならない。あなたはそれを自分の子に教え込(ま)ねばならない。また,それをしるしとしてあなたの手にくくり,それはあなたの目の間の額帯とされなければならない」。

4 聖書注釈者のW・H・デイビは,後代に「ユダヤ人は[この言葉を]文字通りに解釈し,そこに含まれている指示を迷信的に用いるようになった。特定の節が……羊皮紙に書き記され,祈りの時にはそれが腕と額に結びつけられた」と述べています。イエスの時代には,入念な作りの聖句入れ,つまり聖句箱が着用されていました。この箱は今日でも,ユダヤ教の特定の派でいまだに用いられています。(マタイ 23:5)デイビは続けて,しかし「人々は愚かにも,箱に納められているおきてを遵守する態度を生活の中で表わすのではなく,律法の単なる字句の写しを身に着け,携帯することで満足した」と述べています。

5 申命記 6章6節から8節のモーセの言葉の正しい適用の仕方を説明してください。

5 そうです,神の律法は文字通りの手や額ではなく,『心に』置くべきものでした。律法の知識だけではなく,律法に対する深い認識を得ることにより,律法はあたかも目の前の板に書き記されたように,あるいは手にくくられたかのように,絶えず見えるところに置かれるのです。

神の律法を学ぶための備え

6,7 (イ)エホバはイスラエル人がモーセの律法に精通できるよう,どんな備えを設けられましたか。(ロ)さらに,古代の神の民が,神の言葉の教えを受けることは,どんな方法によって可能になったと思われますか。

6 しかし,イスラエル人は,およそ600を数える律法の条項をどのように学ぶことができたのでしょうか。当初,律法の写しはまれにしかなかったはずです。将来,イスラエルの王となる人は,「この律法の写しを自分のために書に書き取(る)」ことになっていました。『彼は命の日の限りそれを読まなければならない。それは,自分の神エホバを恐れることを学び,この律法のすべての言葉を守るためである』と,聖書は述べています。(申命記 17:18,19)神は,七年目ごとに,仮小屋の祭りの際に律法が読まれるよう取り決められました。(申命記 31:10-13)そのような機会は心を高揚させたに違いありませんが,広範にわたる知識を付与するには回数が少なすぎました。

7 エホバはまた,レビの部族が『ヤコブに神の司法上の定めを,イスラエルに神の律法を教える』ための取り決めを設けられました。(申命記 33:8,10。マラキ 2:7と比較してください。)時折,レビ人は,国民全体に役立つ教育運動を繰り広げました。(歴代第二 17:7-9。ネヘミヤ 8:7-9)やがて,神の言葉の少なくとも一部分は,一般の人々の手にも入るようになったようです。a そのため,詩編作者はこのように書くことができました。『幸いなるかな。その人の喜びがエホバの律法にある人は。その人はその律法を昼も夜も小声で読む』。(詩編 1:1,2)こうして,『神の言葉に心を用いる』ことを勧めるモーセの言葉は,聖書を勤勉に研究することを指示する命令に等しいものとなりました。

今日,神の言葉に『心を用いる』

8 イスラエルはどの程度モーセの勧めに注意を払いましたか。どんな結果が生じましたか。

8 イスラエルはモーセの勧めに注意を払いませんでした。イスラエル国民がついに君主制を確立した時,王たちの大部分は『律法の写しを自分のために書に書き取って,命の日の限りそれを読む』ことを怠ったと言えるでしょう。西暦前7世紀のヨシヤ王の時代までに,「律法の書」はほとんど失われていました。(列王第二 22:8-13)同国民の指導者たちのお粗末な手本は,国民が背教に陥る速度を速めたに違いありません。モーセの警告に違わず,西暦前607年には国家的な災いが生じました。―申命記 28:15-37; 32:23-35。

9 今日のクリスチャンの状況は,古代イスラエル人の状況とどのように似ていますか。

9 今日のクリスチャンも,古代のイスラエル人と同様,約束の地,つまり神の義にかなった新しい世の境界線に立っています。(ペテロ第二 3:13)地平線上には,「平和だ,安全だ」の宣言,「大いなるバビロン」の倒壊,『マゴグのゴグ』の攻撃など,驚くべき出来事がぼんやりと見え始めています。これらの出来事は,エホバに対するわたしたちの信頼を試みるものとなるでしょう。ですから,今『神の言葉に心を用いる』ことが緊急に必要なのです。―テサロニケ第一 5:3。啓示 18章。エゼキエル 38章。

10 ある人々が個人研究を怠るのはなぜだと思われますか。

10 しかし,この「対処しにくい危機の時代」にそうするのは真の挑戦となる場合があります。(テモテ第二 3:1)世俗の職業,子育て,学校,会衆の責任などはどれも,わたしたちの時間を多く奪ってしまうことがあります。その結果,言い訳をして聖書研究を怠り,『自分はともかくできるだけのことをやっているのだ』と考える傾向に陥るかもしれません。しかし聖書は,『これらのことをよく考えなさい。それに打ち込みなさい』とクリスチャンに勧めています。(テモテ第一 4:15,16)では,これから,そのようにすべき幾つかの強力な理由を考慮しましょう。

わたしたちと神との関係を強化する

11,12 (イ)ヨブは神を一層親しく知ったことから,どんな影響を受けましたか。(ロ)わたしたちが,ヨブの時代よりも明確に神を理解できるのはなぜですか。

11 ヨブは「神を恐れ,悪から離れていた」人でしたが,エホバが風あらしの中からご自分をさらに啓示された後,「私はあなたのことをうわさで聞いていましたが,今は,私のこの目があなたを確かに見ております」と言うことができました。(ヨブ 1:1; 42:5)今日わたしたちは神を『見る』ことができますか。つまり,単に神について知るだけでなく,神のご性格の多くの面を親しく知ることができますか。確かにできます。エホバは聖書という書物を通して,ヨブに知られていた程度をも超えて,ご自分を詳しく啓示してこられました。

12 わたしたちは神が『世を深く愛してご自分の独り子を与えられた』ことを知り,神の愛の深さを一段と明確に理解するようになりました。(ヨハネ 3:16)わたしたちは聖書預言を通して,神の活動の概略を,千年統治の終わりに至るまで明確に理解しています。(啓示 18-22章)わたしたちには,神がどのようにクリスチャン会衆を扱われたかに関する記述があります。神は異邦人を招き入れ,ご自分の民を養うために「忠実で思慮深い奴隷」を任命し,地上の楽園で永久に生きる希望を持つ「大群衆」を召集されました。(マタイ 24:45。啓示 7:9,14-17。エフェソス 3:3-6)神の奥深い事柄を熟視し,わたしたちのためになされているすばらしい業について熟考するなら,「ああ,神の富と知恵と知識の深さよ」と叫ばずにはいられません。―ローマ 11:33。

13 どのように『神を尋ね求める』ことができますか。そうすることには,どのような益がありますか。

13 「わたしは心を込めてあなたを尋ね求めました」と,詩編作者は語りました。わたしたちも聖書的な事柄を毎日考慮することにより,同じようにできます。それは,エホバとわたしたちとの絆を強めるために大きく貢献するのです。真剣な研究は,『神の規定を守るために,[わたしたちの道が]堅く立てられる』ための助けともなります。―詩編 119:5,10。

研究はわたしたちの信仰を弁明する助けとなる

14 クリスチャンとしてのわたしたちの希望を『弁明できるよう備える』ことの価値について,例を挙げて説明してください。

14 ガーナのある男の人は,自宅を訪れた二人の人に,「エホバの証人には家に来てほしくないね」と言いました。そしてさらに,「輸血もしない,国旗に敬礼もしない」エホバの証人を叱りつけました。野外奉仕でそうした反対に遭うことは少しも珍しくありません。そのようなときに,「だれでもあなた方のうちにある希望の理由を問う人に対し,その前で弁明」できないとしたら,それは大きなそしり,大きな恥辱をもたらすでしょう。(ペテロ第一 3:15)幸いにも,それらの証人たちは聖書を効果的に用い,血に関する正しい見方と,クリスチャンが偶像礼拝を避けつつも,国家の象徴に対して平衡の取れた敬意を表わすことについて説明できました。どんな結果になりましたか。その男の人は証人たちの率直な答えに感銘を受け,今では妻と共に,バプテスマを受けた証人となっています。

15 個人研究を通して,どのように宣教の備えができますか。

15 「自分自身を,是認された者,また真理の言葉を正しく扱う,何ら恥ずべきところのない働き人として神に差し出すため,力を尽くして励みなさい」と,パウロは勧めています。個人研究は,自分自身を命の道にとどまらせるためだけではなく,自分が『十分な能力を備え,全く整えられた者となり』,他の人もそうなるよう援助する面でも助けになります。―テモテ第二 2:15; 3:17。

サタンのわなに抵抗する

16 エホバの民が直面するサタンのわなには,どんなものがありますか。

16 今わたしたちは,「肉の欲望と目の欲望,そして自分の資力を見せびらかすこと」に訴える宣伝の攻撃にさらされています。(ヨハネ第一 2:16)性の不道徳はマスコミによって美化され,仕事仲間や級友がそうした行為を積極的にけしかけることも珍しくありません。頼みもしないのに,背教者の刺激的な文書が家に送られてくることもあるでしょう。ある兄弟たちは好奇心をそそられ,汚れをもたらすその種のものを読み,自分の信仰を破滅に至らせました。「不従順の子らのうちにいま働いている[利己的で肉的な]霊」もあります。それに毒され,消極的で批判的な精神を抱くようになるのは,何と容易なことなのでしょう。―エフェソス 2:2。

17,18 個人研究は,『流される』ことをどのように防いでくれますか。

17 もちろん,サタンのわなにかかってみようとする人はまずいません。むしろ,個人研究を怠り,係留所から離れたボートのように徐々に「流され」,サタンの攻撃の主要な標的となります。(ヘブライ 2:1)例えば,一人の若い兄弟は学校で一人の少女と不道徳な関係を持つようになりました。その兄弟は当時を回顧し,「私が霊的な飢餓状態に陥っていたことがその主要な原因であることが分かりました。私は個人研究をしませんでした。ですから誘惑に抵抗できなかったのです」と語りました。しかし,その兄弟は個人研究の計画を立てたのが助けになり,霊的に強くなりました。

18 サタンは,できるだけ多くの神の民を滅ぼそうと決意しています。神の言葉と,神の忠実な家令から来る良い事柄で絶えず思いを養うなら,わなに捕らえられずにすみます。(フィリピ 4:8)聖書にも,ものみの塔協会の出版物にも,物質主義,性の不道徳,背教的な考え,消極的な精神を避けるための諭しが満ち満ちています。もし本当に普通以上の注意を払うなら,流されることは決してないでしょう。

わたしたちを助けるための,エホバの組織からの備え

19 エチオピア人の宦官の例は,霊的な導きの必要性について,何を明示していますか。

19 研究は簡単なものではありません。ですからわたしたちは,エホバの組織が多大の援助を与えてくれることを感謝することができます。近年,自分で聖書を解釈することは許されるべきであると主張する人が出ましたが,エチオピア人の宦官は霊的な導きの必要性を率直に認めました。割礼を受けた改宗者であったその人は,すでに聖書に関する知識をかなり得ていたにちがいありません。それは,その宦官が,イザヤ 53章の預言のような深い内容の事柄を研究しようとしていた事実そのものに示されています。それでも,自分が読んでいる事柄の意味を理解しているかと尋ねられた時,その人は,「だれかが手引きしてくれなければ,いったいどうして分かるでしょうか」と告白しました。―使徒 8:26-33。

20 (イ)聖書の個人研究において助けとなるよう,エホバの組織が設けてくれる備えにはどのようなものがありますか。(ロ)あなたは,そのような備えについてどう感じておられますか。

20 今日のエホバの民も同様に,霊的な導きを必要としています。彼らは霊的な事柄に関して『一致して語る』ことを願い,エホバの組織から差し伸べられる援助を喜んで受け入れます。しかも,その援助は何とすばらしいものなのでしょう。(コリント第一 1:10)「ものみの塔」と「目ざめよ!」の両誌を通して,尽きることなく情報が流されているのです。また,広範にわたる聖書的な話題を扱った,数多くの書籍とブロシュアーがあります。英語を話す読者には,「ものみの塔出版物索引 1930-1985」を活用できる特別な祝福が与えられています。これは,『銀を求めるように,また隠された宝を求めるように知恵を尋ね求めつづける』点で助けになる道具です。―箴言 2:2-4。

21 (イ)使徒パウロは,個人研究に対する関心をどのように表わしましたか。(ロ)個人研究を容易なものとするために,どんな提案がなされていますか。

21 あなたは,研究や調査のために協会の出版物を用いることにより,それらの出版物を十分に活用しておられますか。それとも,それらの出版物は単なる本棚の飾りになっていますか。興味深いことに,かつて使徒パウロは,ローマにいる自分のところへ「巻き物,特に羊皮紙のものを持って来(る)」ようにとの指示をテモテに与えました。パウロはヘブライ語聖書の一部分のことを言っていたものと思われます。(テモテ第二 4:13)パウロがそれを手元に置きたいと思ったのは,研究と調査を容易なものとするためだったに違いありません。まだしておられないなら,あなたも調査ができるように,神権的な出版物の図書を作り始めてはいかがですか。それらの出版物を使いやすいように,順序よく,きちんときれいにしておきましょう。研究するための静かで照明の行き届いた場所を確保してください。個人研究を定期的に行なうための時間を取り分けておきましょう。

22 今日,以前にもまして『神の言葉に心を用いる』ことが重要なのはなぜですか。

22 わたしたちも,モアブの肥沃な平原に宿営を張っていたイスラエル人のように,新しい世の門口に立っています。わたしたちは以前にもまして,神の言葉を勤勉に研究し,テレビを見るといった他の関心事を犠牲にするなどして,研究のための『よい時を買い取る』必要があります。(エフェソス 5:16)「み言葉に属する,何も混ぜ物のない乳を慕う気持ちを培い,それによって成長して[円熟のみならず]救いに至るようにしなさい」と,ペテロは勧めています。(ペテロ第一 2:2。ヘブライ 5:12-14と比較してください。)わたしたちの命そのものが関係しています。ですから,個人研究の手を緩めさせようとするどんな傾向にも抵抗してください。神への愛と信頼を深めるための手段として個人研究を活用してください。個人研究は,神がわたしたちを援助するために用いておられる組織に対するわたしたちの認識を高める手段でもあるのです。そうです,勤勉に,定期的に神の言葉に『心を用いて』ください。『それは,あなた方にとって無価値な言葉ではなく,あなた方の命を意味するのです』。

[脚注]

a 聖書時代,低廉な書写材料として一般に用いられていたのは,陶器の断片,つまりオストラカでした。国際聖書標準百科事典(1986年)は,「オストラカは,ほかの書写材料を入手する資力のなかった最も貧しい階級の人々でさえ用いることができた」と述べています。古代イスラエル人が,聖書本文を簡潔に書きとめるのに,どの程度オストラカを用いたのかは分かっていませんが,興味深いことに,聖書本文の書き記された7世紀のオストラカがエジプトで発見されました。この発見は,一般の人々が聖書の一部分を入手した方法を示唆しています。

復習の要点

□ モーセがイスラエル人に,『神の言葉に心を用いる』よう勧めたのはなぜですか。イスラエル人はどのようにそうすることになっていましたか

□ 個人研究は,わたしたちと神との関係をどのように強化しますか。また自分の信仰を弁明する上でどのような助けになりますか

□ サタンのわなに抵抗する点で,個人研究はどのような役割を果たしますか

□ エホバの組織は神の言葉の研究を容易なものとするため,どんな備えを設けていますか

[11ページの図版]

ユダヤ人は神の律法を心に書く代わりに,聖句入れを体に結びつけた

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