1987 エホバの証人の年鑑
エホバの証人の1986奉仕年度の最初の週末には,それ以後の世界的な祝福の前触れとなる目立った出来事がありました。まず,1985年9月7日,土曜日に,米国のジャージー・シティで,地元では以前スタンレー劇場として知られてきた,エホバの証人のジャージー・シティ大会ホールとして改装された建物の献堂式が行なわれました。そのあと,9月8日には,4,300の座席のある,この美しい劇場で,ものみの塔ギレアデ聖書学校の第79期生の卒業式が行なわれました。出席者は,その卒業式の優れた霊的なプログラムで見聞きした事柄だけでなく,エホバ神を賛美するために使用する,こうした美しい建造物をも得たので,喜びに満ちあふれました。
そのジャージー・シティの物件が購入された時,地元の市当局が改装許可を与えなかったので,異常な問題が持ち上がりました。エホバの証人は自分たちの憲法上の権利が認められなかったために市当局を訴え,ディビーボア判事がその訴訟を扱うことになりました。同判事はすぐに,市側の反対が『原告の信教の自由を侵害する違憲行為である』ことを示唆する,筋道の通った判断を示し,「合衆国憲法で保障されている様々な市民権の中でも際立っているのは,宗教の自由な実践を妨げたり,言論の自由を奪ったりする法律に拘束されない権利である」と述べました。必要な許可が下りると,よく組織された何百人もの自発的な働き人がその建物に集まり,わずか9か月で膨大な改装工事を成し遂げました。一方,ジャージー・シティの住民は投票を行なって,反対していた当局者を解任させました。
地元の住民はその町で今やさん然と輝く宝石のような,装いを新たにしたこのスタンレー劇場のことをどのように受け止めたでしょうか。新市長のクッチー氏はその劇場のことを「修復された,もしくは改装された建造物ではなく,いわば新世界」と評しました。連邦議会の一議員は,「皆さんは人々の数ではなく,質に関心を抱いておられることが分かりました」と語りました。その地域の輸送機関であるパース鉄道の責任者は,「私は働く人たちや工事の進ちょく状況を見守ってきましたが,皆さんは祝辞を受けなければなりません。これは実にすばらしいことです。この建物を修復してくださって,大変うれしく思います。本当に美しい建物です」と述べました。近くに住む,ある年配の夫婦は,そのホールを修繕する作業を見て驚嘆し,奥さんは感激してこう語りました。「今では,週末に安心してこの近所を歩くことができます! 皆さんのような人々が,世の中にもっと大勢いて欲しいと思います。皆さんはこの立派な場所を誇りに思うべきです。いいえ,私たちこそこの場所を誇りに思うべきです」。
エホバの証人は,エホバ神に献身した働き人が何を成し遂げられるかを実際に証明する,この大会ホールを持てたことを本当にうれしく思います。(伝道の書 3:10-13)しかし,この場所はほかにどんな霊的な益をもたらしますか。一つには,拡張されたこうした施設のおかげで,本部のベテル家族は来客の方々と共に,一つの屋根の下に集まって特別なプログラムにあずかれるようになりました。ベテルで奉仕するこの大勢の(現在ブルックリンでは2,750人,ものみの塔農場では930人を数える)働き人の群れには,世界中のエホバの証人の集団を組織し,必要物を備える責任があります。また,そのベテルの奉仕者の活動は,神の王国について証言する,世界史上最もすばらしい全地球的な規模の運動の型を示すものとなっています。さらに,ギレアデ学校の卒業生たちは,宣べ伝える人たちの世界的な集団を支援するために,この大会ホールから派遣されます。そして,それぞれ20ほどの会衆から成る地元の幾つかの巡回区は,今では毎年の巡回大会や他の特別集会の際に一致して集まれる広々としたホールを所有することになりました。
ジャージー・シティ大会ホールは,世界の至る所で建築中の,あるいは改築中の多数のホールの一つにすぎません。エホバの証人はニューヨーク地区の328の会衆の人たちを収容する一助として,ブルックリンのアルベマール劇場をも同様に入手しました。何百人もの自発的な働き人たちはこの劇場を2,376の座席のある立派な大会ホールにするため,夜遅くまで懸命に働いてきました。その上,地階には250の座席のある王国会館が二つ建てられています。この施設をはじめ,米国の他の30ほどの美しい大会ホールは,『わたしたちの天幕の場所をもっと広くする』一助となっています。―イザヤ 54:2。
カナダからアルゼンチンに至るまで,またノルウェーからオーストラリアに至るまで,神の民は大会ホールの建設に無私の支持を与えています。最近,オーストラリアでは四番目の大会ホールがアデレード市に建てられ,自発的な働き人たちは,ネヘミヤの時代のエルサレムの城壁の再建の期間と同様の52日間でそのホールを完成させました。(ネヘミヤ 6:15)さらに,王国会館も多数建設されています。拡大を要する緊急な事態に対処するため,北米やヨーロッパでは幾十もの新しい王国会館が二日足らずで建てられており,カナダだけでも,こうした速成の王国会館が80軒建設されました。よく組織された何百人もの自発奉仕者たちが作業を行なうので,その働きは地域社会に対する大きな証言となっています。土曜日の早朝にはなかった王国会館が,日曜日の晩の最初の集会の時までに大抵完成し,設備も庭園も十分に整えられているのです!―詩編 149:1。
『あらゆる良いものが備えられる』
また,終わりが来る前に,エホバの証人が「王国のこの良いたより」を『あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝える』のに用いられる研究用の資料や道具を備えることも必要です。(ヘブライ 13:21。マタイ 24:14)この世界的な活動はよく組織しなければなりません。時間や労力や費用を浪費しないようにするため,手順を簡素化し,仕事を秩序正しく行なうことが必要です。(コリント第一 14:33,40。エフェソス 5:15,16。箴言 18:9)事務所や奉仕の取り決めの合理化に関連し,また拡大し続けるエホバの組織をよりよく世話するために,そのような処置が注意深く進められています。
米国ニューヨーク市ブルックリンではコロンビア・ハイツ30番とファーマン通り360番の建物の改装工事のために多くの仕事が行なわれてきました。この仕事を助けるため,またニューヨーク州ウォールキルのものみの塔農場での建設工事を援助するために,米国各地の兄弟たちが一,二週間,一時的な働き人として自発的に働くよう招かれてきました。招かれたそれらの兄弟たちも,ベテルの生活の喜びを味わってきました。こうして,招かれたそれらの兄弟たちは大いに『相互に励まし合い』,一致と愛の精神をさらに広めるために,再び自分たちの会衆に戻って行きました。―ローマ 1:11,12。コリント第一 1:10。
この1年間に,それぞれ毎分1,000冊の雑誌を印刷できる3台の新しいMAN・ローランド高速オフセット輪転機がものみの塔農場に設置されました。1987年1月以後,この工場で印刷される主要な言語の「ものみの塔」と「目ざめよ!」両誌は4色刷りになります。ブルックリンでは,聖書および書籍の生産能力を高めるために,3台のハンチョー高速オフセット輪転機と新しい製本ラインを注文することが必要になりました。また,今では協会の多数の出版物の特色となっている,写真製版による,4色刷りの美しいさし絵の印刷準備工程の質を向上させるため,コンピューター設備も購入されました。確かに「王国のこの良いたより」は,経済的に妥当な範囲で魅力的に仕上げられた出版物の形で提供される必要があります。―イザヤ 52:7; ローマ 10:15と比較してください。
ドイツのゼルターズにあるものみの塔協会の支部では,ヨーロッパの野外で使う聖書や書籍の生産をさらに増やすため,3台目のケーニッヒ・バウワー高速輪転機とさらに多くの製本設備を注文することが必要になりました。また,イタリアでも,急速に拡大してゆくイタリアの野外の業に備えて書籍や雑誌や聖書を生産するため,4色刷りのMAN・ローランド輪転機が規定外の時間にも運転されています。
6階建ての工場と8階建てのベテル・ホームを増築中の日本支部は,何百万冊もの書籍や雑誌や聖書を生産するため,従来の東京機械の多色刷り輪転機のうちの1台と三菱の新しい高速輪転機2台を現在使用しています。「参照資料付き新世界訳聖書」が英語に次いで最初に発表されたのは日本語版でした。その後,兄弟たちや聖書を研究する人たちのために,欄外参照付きデラックス版聖書が20万冊印刷され,目下,野外で配布するために20万冊の普通版の聖書が生産されています。協会の「新世界訳聖書」は,たいへん正確で,しかも読みやすい日本語の聖書翻訳として,日本の兄弟たちや一般の人々から評価されています。
ほかにも,ものみの塔協会のオーストラリア,ブラジル,英国,カナダ,デンマーク,フィンランド,大韓民国,南アフリカの各支部が,1987年から雑誌の4色刷り印刷を開始し,程なくしてメキシコが仲間入りするものと思われます。まだ4色刷りで印刷されていない雑誌も,同様にたいへん魅力的です。「ものみの塔」誌は同じ内容で世界中の合計33か国語で同時に発行されています。
協会が開発したMEPS(多言語電算写植システム)は,同時出版を支える上で極めて重要な役割を果たしており,ほかにも多くの実際的な用途のあることが分かってきました。現在,MEPSはブルックリンやものみの塔農場,および世界中の27の支部で作動しています。
ものみの塔協会の「新世界訳聖書」や聖書の手引き,ブロシュアーや雑誌は,真理に飢え渇いている人々に感謝されているでしょうか。確かに感謝されています! 今日,「自分の霊的な必要を自覚している」人々は実に大勢います。人はそのような出版物の助けにより,神の言葉から豊かな霊的滋養物を取り入れて初めて,真理に対する食欲を充足させ,本当に幸福になれるのです。(マタイ 5:3。ヨハネ 8:32)それで,「真の平和と安全 ― どのように見いだせるか」という時宜にかなった出版物が,米国だけでも,4月に100万冊以上配布されました。また,1986奉仕年度中にニューヨーク州ウォールキルの印刷工場で協会が扱った「ものみの塔」と「目ざめよ!」両誌の予約は,前年の約13.3%の増加に当たる合計179万8,466件でした。同じ期間に全世界の野外で得られた予約は,100近くの言語で,合計198万2,148件に達しました。
右の表には,1986奉仕年度中に協会の各地の印刷工場で生産された出版物の総数が列挙されています。合計41か所の支部で,神の業が禁じられている国々の兄弟たちをさわやかにする多くの資料を収めた雑誌が生産されました。―箴言 25:25。
拡大を顧みる
エホバの証人の世界的な証言の業が拡大してきたため,物件を購入したり,建設したり改装したり,また協会の本部や93の支部の印刷工場や事務所に設備を据え付けたり,さらにはベテル家族の中で働く8,920人の自発奉仕者たちの物質上の必要なものを備えたりするのに多額の支出が求められました。加えて,1986奉仕年度中に2,762人の宣教者や1万3,351人の特別開拓者,世界の3,353の巡回および地域区で仕える監督たちやその妻など,自発的に奉仕する野外の他の多くの働き人たちを経済的に支えるため,合計2,354万5,801㌦70㌣(約37億6,732万8,272円)のお金が費やされました。この支出の大半は全世界の会衆や個々のエホバの証人や関心のある他の方々の善意の寄付によって賄われています。そして,13ページに載せられている言葉が示すように,幼い子供たちさえ,この特権に対する認識を表わしています。確かに,『神は快く与える,そのような人を愛されるのです』。―コリント第二 9:7。
地上の様々な場所でエホバの民が災害に遭うと,協会の地元の支部は直ちに必要な援助が行なわれるよう取り計らい,ブルックリンの統治体は事態の重大さに応じて救援基金を用いるよう指示します。昨年中,破壊力のすさまじい暴風が太平洋地区のフィジーやソロモン諸島を襲いました。ソロモン諸島では多くの人命が失われましたが,その地方の兄弟たちはその時,別の場所の巡回大会に出席していたので,命を失わずに済みました。オーストラリア支部とパプアニューギニア支部は被害を受けた兄弟たちに35㌧余りの米や肉の缶詰を空輸しました。土地の兄弟たちが,互いに気遣い合い,壊された家を建て直したりして表わした協力は,ヨハネ 13章34,35節に基づく真のキリスト教の精神を見事に示すものとなりました。
目立った忠誠を保つ人々!
南半球に夏が訪れるにつれて,エホバの証人の「忠誠を保つ人々」地域大会は,さらにその地域で開かれてゆきました。それらの大会は何と人を鼓舞する集いだったのでしょう。大勢のエホバの証人が仲間の兄弟たちを励まし,また多くの励ましを得るために,ほかの様々の土地から旅行して来たので,特にそうでした。これは何とすばらしい兄弟関係なのでしょう。なぜなら,そのような関係のおかげで,エホバの民はこの地上のどこへ旅行しようと,くつろいだ気持ちで過ごし,楽しい交わりを享受できるからです。使徒ペテロはエホバについて,「どの国民でも,神を恐れ,義を行なう人は神に受け入れられる」と述べました。(使徒 10:35)ですから,そのような人たちはまた,互いに受け入れ合うことができるのです。そうなるようにとイエスが祈られたとおり,すべての人が神とキリストとの,また互い同士の結び合わされた貴重な関係に入れられるのです。―ヨハネ 17:20,21。
中南米では際立った大会が開かれ,ハイチでは1万6,260人が出席し,コロンビアでは5万6,537人,ペルーでは6万2,607人もの人々がそれぞれ出席しました。最後にアルゼンチンのブエノスアイレスでは,33年間続いた禁令が終わり,5万7,000人以上もの大会出席者たちは公に集まる自由を得て歓喜しました。
台湾省やフィリピンやタイで開かれた大会には,20以上の国々から来た幾百人もの外国の代表者たちが迎えられました。台湾省で,土着の部族の人々や中国人,そして訪問者たちが一つの幸福な家族のように混じり合っている様を見るのは喜びでした。北京<ペキン>語の公開講演はアミ族出身の講演者によって行なわれましたが,この話し手は何年にもわたって幾つかの言語を学ぶことに打ち込み,台湾省で支部委員として奉仕しています。マニラで開かれた大会は確かにフィリピンにおける業のすばらしい発展に貢献しました。というのは,フィリピンの一昨奉仕年度の伝道者の平均は7万8,867人でしたが,1986年4月には9万5,746人の最高数に達したからです。同様にタイの伝道者たちも大いに励まされ,1986年3月には伝道者は914人に増え,4月には157人の補助開拓者が報告を提出しました。これは以前の最高数の80%増加に当たります。
ニュージーランドのクライストチャーチで開かれた特別な大会に出席した一人の姉妹は次のように書きました。「私は深い感謝の気持ちをお伝えせずにはいられません。プログラムはもとより,近くの,またはるか遠くの土地からの仲間の兄弟たちすべてとの交わりは,私たちの神エホバの崇拝における一致を確かに如実に示すものです」。1986年1月には,場所や文化の異なる12の国々,すなわちフィジー,日本,米国,アラスカ,ハワイ,ニウエ島,ソロモン諸島,香港<ホンコン>,カナダ,パプアニューギニア,トンガ,オーストラリアからの代表者たちがニュージーランドを訪れました。この国の9,546人の伝道者は,1万4,848人の出席者を見て喜びました。
時宜にかなったアフリカの大会
ザイールから次のような報告が寄せられました。「『忠誠を保つ人々』国際大会は画期的な出来事でした。最終日となった12月22日,日曜日に,サッカー競技場が3万2,000人以上の人々で埋め尽くされたのは何と感動的な光景だったのでしょう。大会出席者たちは20以上の国々から来ており,合計604人がバプテスマを受けました」。様々な障害が持ち上がりましたが,エホバはいつも障害を取り除かれました。宗教上の反対者たちの中には,エホバの証人にこの野外競技場を使用させてはならないと主張する人もいました。しかし,競技場の使用許可は下りました! 大会の前後には大雨が降り,洪水が起きたにもかかわらず,大会の四日間,雨は一度も降りませんでした。突然,大韓民国のサッカーチームが訪れて金曜日の晩に競技場で試合をする予定が組まれた時,危機的な事態が生じました。兄弟たちは金曜日のプログラムを短縮し,演壇を撤去する準備を進めました。ところが,韓国チーム全員が食中毒を起こしたため,大会は続行できたのです! 競技場の管理者は,「皆さんの神は強力な方です。しかも皆さんはたいへん熱心に祈っておられたに違いありません!」と述べました。
ザイールでは業を一層拡大するのに万事好都合に思われていた矢先,1986年3月12日,大統領は突然,わたしたちの業を禁止する法令に署名しました! 宣教者たちは国外退去を余儀なくされましたが,この国の3万5,000人の兄弟たちは勇敢にエホバに仕え続けるよう,「忠誠を保つ人々」大会によって驚くほど強められていました。―ヨブ 27:5。箴言 27:11。
ケニアのナイロビにあるジャンフリーパークで開かれた大会には,32か国からの代表者を含む8,139人が出席し,121人がバプテスマを受けました。一人の特別開拓者の兄弟は,動乱の続くウガンダ南部の任命地から自転車でやって来ました。兄弟はおよそ1週間をかけて約800㌔の旅をしてきました。自転車はケニアに着くまでにだめになってしまいましたが,兄弟のほうは元気で長距離の冒険旅行をしたことを少しも後悔していませんでした。ほかにも,東アフリカのいろいろな国から来た兄弟たちは,ナイロビまでの旅行をして家に帰るための旅費を,場合によっては1年がかりで蓄えなければなりませんでした。大勢の団体旅行者がオーストリア,英国,フランス,ドイツ,イタリア,オランダ,北欧諸国,米国などから訪れました。
大会は一般の人々によく宣伝されました。国営テレビ放送局が放映した,3人の兄弟たちとの15分間のインタビュー番組では,エホバの証人がケニアの人々のために何を行なっているかに関する質疑応答が行なわれ,地元の人々を助けるために協会が行なっている読み書きを教える課程はもとより,王国の音信の及ぼす霊的また道徳的な益についてのあらましが説明されました。木曜日の午後に大会で発表された「論じる」の本も視聴者に紹介され,その内容の一部が示されたあとで,インタビューを受けていた3人の中のナイジェリアの民族衣装を着けていた一人の兄弟が自分の国におけるエホバの証人の活動について報告しました。
ナイロビの主要新聞,「デイリー・ネーション」はこう伝えています。「これらの人たちは飛行機や汽車やバスや自転車で,さらには徒歩でナイロビを訪れ,ジャンフリーパークにある闘技場に集まった。これらの人たちはどのような人々で,何を見にやって来たのだろうか。
「胸に付けたバッジには,『忠誠を保つ人々』と記してある。
「これらの人々は農芸品評会に来たのでもなければ,馬や,投光器で照らし出される軍楽行進を見たいと思っているわけでもない。エホバの証人の大会で語られるエホバの言葉を聴くためにやって来たのである。……大会の魅力の一つは,出席者の間に見られる温かさである。しかも出席者たちは,様々な国籍の人たちなのである」。
大会の野外奉仕に対する反応には驚くべきものがあり,出席者の80%がこの奉仕に参加したものと思われます。外国から訪れた代表者たちはとりわけ,戸別訪問の活動で人々から快く受け入れられたことや,関心のある人々がかなり見いだされたことについて注解しました。確かにすばらしい証言が行なわれ,ケニアの証人たちや訪れた代表者たちは,いつまでも残る深い霊的な印象を受けました。
南アフリカからはさらに次のような報告が寄せられています。「過去1年間にエスカレートした人種暴動とは鋭い対照を示して,エホバの民の間の一致と平和と真の愛は新たな頂点に達しました。このことを如実に示したのは,ダーバンとヨハネスブルグで開かれた,忘れ得ぬ二つの地域大会で,その大会にはあらゆる人種や言語の人々7万7,920人が出席しました」。際立っていたのは,様々な言語グループの人々がプログラムの合間に入り混じって行なった交わりでした。その中には,アフリカーンス語や英語を話す人々はもとより,セペデ語,セソト語,ツワナ語,ホサ語,ズールー語を話す人々がおり,はるか遠く日本からの訪問者さえいました。
「忠誠を保つ人々」大会は,エホバの証人すべてにとって,また関心を持つ大勢の新しい人々にとって忘れられない時となりました。世界中の851か所から寄せられた報告によれば,出席者は合計568万8,335人で,7万5,606人がバプテスマを受けました。
神の民の間に見られる神の平和
1986年の夏に北半球で始まり,今でも他の国々で引き続き行なわれている地域大会は,適切にも「神の平和」という主題に基づいています。国際連合は1986年を国際平和年と呼びました。しかしそれは,平和の必要にこたえる年になったでしょうか。世界の諸宗教が国際平和年を全面的に支持したにもかかわらず,真の平和が達成される見込みは薄らぐ一方です。これは,地の諸国民が自分勝手な方法で平和の到来を待ち望んでいるからです。神の預言者が予告したように,彼らは,『平和がないのに,「平和だ! 平和だ!」と言って』いるのです。(エレミヤ 8:11)み子イエス・キリストの手中にある神の王国が,サタンの支配下にある政治体制を『打ち砕いて終わらせる』時に初めて,地上には真の平和が到来するのです。―ダニエル 2:44。
一方,エホバの民は神の方法に従って,「平和を求めてそれを追い求め」てゆきます。(ペテロ第一 3:11)「神は平和をもってその民を祝福される」,「平和の良いたよりを足にはく」,「結合のきずなである平和のうちに霊の一致を守る」,また「平和の神は,まもなくサタンをあなた方の足の下に砕かれる」という主題をそれぞれ連続四日間強調した「神の平和」地域大会は,平和を愛する証人たちにとってすばらしい祝福となりました。これらの大会に関する報告は「ものみの塔」と「目ざめよ!」両誌に掲載されていますが,アフリカの,人口677万6,232人のザンビアでは,出席者は62万9,953人という驚くべき人数に達しました。したがって,少なくとも住民11人に一人が出席したことになります。これらの大会は,手がけている業を遂行するよう,わたしたちを強め,平和を破る首謀者であるサタンとそのすべての業が間もなくこの地上から除き去られるという,わたしたちの確信を堅くするものとなりました。
法廷で闘う
インドでは,1985年11月に忠誠の試みとなった事件が生じました。ケララ州のある学校に通うエホバの証人の子供たちが,敬意を表して喜んで起立したものの,国歌を歌うのを拒んだために論争の的となったのです。学校および教育当局にエホバの証人の立場を説明しようとする努力が効を奏さなかったため,子供たちの父親は問題を法廷に提出しました。しかし,地方裁判所はこの訴えを却下しました。事件は州の高等裁判所に委託されましたが,そこでも証人の子供たちにとって不利な裁定が下されました。この時までに,この州のほかの学校に通う大勢の子供たち(それに隣の州の幾人かの子供たち)も停学処分を受けていました。
証人の子供たちの父親は,この件についてニューデリーにあるインドの最高裁判所に上告しました。その訴えは1986年2月に認められ,事件は1986年7月29日から31日にわたって最高裁の二人の判事により審理されました。こうして,インドのこの最高司法当局に対してエホバの清い崇拝と神の民の厳正中立の立場に関する優れた証言が行なわれました。同最高裁は子供たちに有利な判決を下し,「我々の伝統は寛容を教え,我々の哲学も寛容を教え,我々の憲法は寛容を守っている。我々はその精神を弱めてはならない」と述べました。
トルコの各新聞は,1985年9月21日から23日にかけて行なわれた地域大会のことを広く一般に伝えました。こうして,トルコ全国に対して立派な証しが行なわれ,証人たちが決して接触し得ない人々が,エホバの証人について,また神の天の王国が人類の諸問題すべての唯一の解決策であるという,証人たちの携える音信について読んでいます。兄弟たちは三日間の喜ばしい霊的な宴を楽しむことができ,とりわけ,前年の大会の時に逮捕され,1年後に釈放されたアンカラの23人の兄弟たちはひとしお大きな喜びを味わいました。
しかし,問題は依然残っていました。最高上訴裁判所の協議会は集会の自由に関してどのように裁決するでしょうか。1986年5月26日に協議会は評決を下しました。しかも,証人たちを支持する評決を下したのです! 裁判所は多数決により,すべての告訴に関してエホバの証人に無罪の判決を言い渡しました。それに,丁度その日,ヘンシェル兄弟が短時間訪問していました。有利な判決が下されたので,ヘンシェル兄弟がイスタンブールにある証人たちの崇拝のためのホールで二つの話を行なうよう取り決められました。このことは,とりわけ大変感謝されました。なぜなら,統治体の成員が証人専用のホールで多数の兄弟たちにこうして自由に話せたのは,それまでの長い年月の間,わずかに2度目のことだったからです。
平和をふれ告げる
イエスが人間として誕生した際,み使いの天軍はエホバを賛美して,「上なる高き所では栄光が神に,地上では平和が善意の人々の間にあるように」と述べました。(ルカ 2:14)神の善意を得ている人々は,確かに神と,また互いに平和な関係を得て暮らしています。そのような人たちは,こうして神およびキリストと結ばれた祝福された関係を享受し,一致結束して,『それゆえ,行って,すべての国の人々を弟子とし,父と子と聖霊との名において彼らにバプテスマを施す』ようにというイエスの命令を行なっています。これら現代のエホバの証人は,1986奉仕年度にこの貴重な割り当てをどのように果たしてきたでしょうか。驚くべき事柄を行なってきました。というのも,イエスは彼らに対して,「そして,見よ,わたしは事物の体制の終結の時までいつの日もあなた方と共にいるのです」と語ったご自分の約束を引き続き果たしておられるからです。―マタイ 28:19,20。
この「年鑑」の34ページから41ページに掲載されている「全世界のエホバの証人の1986奉仕年度の報告」は,それぞれたとえわずかでも,このすばらしい記録の一端にあずかった最高数322万9,022人の王国伝道者すべてに歓びをもたらすはずです。40ページと41ページの表の一番下の数字に目を通して,伝道者の平均306万3,289人は昨年の平均よりも6.9%増えたことにどうか注目してください。バプテスマを受けた新しい兄弟姉妹の人数の合計も優れたもので,19%の増加に当たる22万5,868人でした! また,毎月野外で奉仕した21.2%の増加に当たる39万1,294人の特別・正規・補助開拓者の人数の平均もご覧ください! 会衆の数は5%,野外奉仕に費やされた時間は15.3%,新たに関心を抱いた人々と毎月行なわれた聖書研究は14.6%,それぞれ増加しました。それに,記念式の出席者数も1985年の出席者数よりも4.7%高い816万597人という新最高数が得られました。
しかし,わたしたちは単に数字を見て喜んでいるのではありません。わたしたちは,それらの数字が表わしている事柄を大いに喜んでいるのです。それらの数字は,神の民がイザヤ 12章3節から5節の次のような預言の成就にあずかって,エホバから祝福されていることを示しているのです。「あなた方は歓喜して,必ず救いの泉から水をくむであろう。そして,その日,あなた方は必ず言う,『あなた方はエホバに感謝せよ! そのみ名を呼び求めよ。もろもろの民の中にその行ないを知らせよ。そのみ名の高く上げられることを語り告げよ。エホバに調べを奏でよ。見事にことを行なわれたからだ。これは全地に知らされている』」。この一覧表は,エホバのみ名が地上の208の異なった国や地域で確かに知らされていることを示しています。それらの数字は深い感動を与えるものです。また,「他の33の国や地域」の欄にも注目してください。それらの国や地域ではエホバの証人の業が制限されたり,禁じられたりしており,兄弟たちを守るために国名や地域名は明示されていません。伝道者は4.6%増加し,野外で毎月働く開拓者の平均も23.3%増加しており,これらの忠節な証人たちは何と忙しく働いてこの記録を作ったのでしょう。
エホバの証人は世界中でどのような成功を収め,どんな経験をしてきたのでしょうか。すべての国や地域の報告を載せるほどの紙面はないので,次に1986奉仕年度に起きた事柄の一端をご紹介しましょう。
北米における『エホバの家に向かう流れ』
建設工事に一時的に1週間従事するため,はるばるアラスカからブルックリンのベテルにやって来た一人の自発奉仕者は,次のように報告しました。アラスカのワシラ会衆は,標高6,200㍍の北米の最高峰マッキンリー山の周囲の,長さ320㌔の区域で証言を行なっています。しかし,ここでも多くの人々が別の高地,つまり「エホバの家の山」に流れのように向かっています。(イザヤ 2:2,3)わずか2年間で会衆の伝道者は47人から127人に増え,過去1年間に正規開拓者の人数は一人から11人になりました。飛行機や車を使ったり,また徒歩で行なったりして,アラスカでの証言は引き続き拡大しており,今やこの厳寒の地のエホバの証人は人口262人につき一人の割合となっています。
カナダの昨奉仕年度は,8万8,130人の伝道者の優れた新最高数をもって幕を閉じました。開拓奉仕の業は引き続き拡大しています。モントリオール市に住む,“驚くべきグレース”という愛称で知られるグレース・ラウンズベリーは100歳を超えており,1914年以来ずっと全時間奉仕を行なってきました! 補助開拓奉仕を行なう四人の年若い兄弟たちは,夜の11時ごろに奉仕を始め,早朝まで一緒に奉仕して進取の気象を示しました。兄弟たちは24時間営業のレストランや商店,それにこれといった仕事のないホテルの受付の人々を訪問し,それまでエホバの証人に一度も会う機会のなかった多くの人々と話し合い,数多くの書籍や雑誌を配布しました。
大都市では,熱心な王国伝道者たちが厳重に警備されたアパートの住民に接するため電話を用いています。一度の間違い電話でさえ成果を上げたことがありました。その電話の応対をした男性は,妻や友人と共に3か月前に中国からカナダに着いたばかりの人でした。当人は自分が無神論者であることを証人に説明しましたが,証人の読む聖句やその説明に快く耳を傾けました。さらに詳しく話し合うため,その人とその奥さんに会うよう取り決められました。証人は,存在しているものには造り主がいなければならないことを示すために,「生命 ― どのようにして存在するようになったか 進化か,それとも創造か」の本を用いるのが最善であると考えました。明確な証拠を知った二人は大変驚きました。二人は無神論の主張以上の事柄を考えるべきことを確信し,また「創造」の本が大変道理にかなった仕方で論議を展開していることを知って,にこやかにほほえみました。これがきっかけとなって,二人は聖書を調べるようになり,今ではこの夫婦と聖書研究が定期的に司会されています。
米国,テキサス州の一姉妹が渡された予約の更新用紙を持って予約者を訪ねたところ,その婦人は再約を望んでいたばかりか,1年間雑誌から切り抜いておいた広告記事を取り出して,書籍を9冊求めました。姉妹は喜んでそれらの本を届け,それまで雑誌を通して聖書の研究課程で学んできた努力を続けてゆくために聖書研究をしてみてはどうかと婦人に尋ねました。その婦人は快く応じました。そして,今では集会に出席しており,その家族のほかの四人の人々も研究しています。米国本土の伝道者の最高数が,地上の王国宣明者のおよそ4分の1に相当する74万4,919人に達したのは何という大きな喜びでしょう。
「急成長を遂げる協会」。これは,週刊「ベレディクト」紙がメキシコのエホバの証人を評した言葉です。この国における1986年の活動を実によく言い表わした言葉です。伝道者は8月に飛躍的に増加し,19万8,003人という最高数に達しました。家庭聖書研究も一挙に増えて,平均の数が30万473件余りになりました。したがって,世界中で行なわれている研究の11%はメキシコで司会されていたことになります。12か月間に634の会衆が登録されましたから,1日平均ほぼ二つの会衆が登録されたことになります。
メキシコ支部は100余りの部屋のある新たな増設部分の献堂式を1985年4月に行なったばかりですが,急速に拡大する組織の世話を行なうゆえに絶えず増大する支部の家族を収容するため,施設をまた増設する計画がすでに立てられています。
中央アメリカにおける驚異的な発展
グアテマラでは,孤立した区域で3か月間行なわれた特別運動が支持を受けました。「マケドニアへ渡って来て,わたしたちを助けてください」という招きがあったのです。(使徒 16:9)支部事務所は,インディオの四つの主要な言語,すなわち,カクチケル語,マム語,ケクチ語,およびキチェ語で印刷した証言の話を用意し,120の町村にエホバの王国の良いたよりが伝えられました。人々の反応はどうだったでしょうか。あるグループの兄弟たちは,「人々は良いたよりをたいへんな熱意を抱いて受け入れました。励みを与える王国の音信にじっと耳を傾ける人々の目が輝いているのを見るのはすばらしいことでした」と書いています。支部は福音派の一牧師から次のような要請を受けました。「私は主として『とこしえの命に導く真理』と題する本に基づいて教えてきました。そして,聖書を徹底的に研究しているのはエホバの証人だけだということが分かりましたし,証人と交わる必要があることも分かりました。この地域に開拓者を二人派遣して私たちを援助していただけないでしょうか」。
戦争で悩まされているエルサルバドルからは次のような報告が寄せられています。「今年の記念式の出席者は5万1,151人でした。したがって,この国では今後大いに増加する見込みがあります。1986奉仕年度中に伝道者は7回にわたって新最高数を記録しました。これまでの伝道者の最高数は1986年の8月に得られた1万5,119人です」。
ホンジュラスの記念式の出席者数は,伝道者の新最高数である4,436人の何倍にも当たる2万80人でした。開拓奉仕は引き続き伸びています。5月と6月に開拓奉仕学校の三つのクラスが開かれて59人の兄弟姉妹がそれぞれのクラスに出席し,卒業しました。一人の姉妹は次のように書いています。「この学校で過ごした2週間は私の人生で最も幸福な時でした。なぜなら,エホバや兄弟たちや隣人に一層よく仕える方法を学んだからです。今では学んだ事柄を実践することにより,聖書研究や宣べ伝える業で以前より成功を収めるようになり,また兄弟たちや家族の成員と接する際に物事をもっと首尾よく行なえるようになったと思います。さらに,組織と協力したいという気持ちや組織に対する愛が増し加えられました」。
パナマからの報告によれば,多くの伝道者が開拓奉仕の重要性を理解するようになっているとのことです。1986奉仕年度中,新たに正規開拓奉仕を始めた人は100名を超えました。これは,それまで奉仕をしていた正規開拓者のほぼ半数に当たります! 3月には,それ以前の最高数の55%も上回る,合計657人が補助開拓者として奉仕しました。この国の伝道者の7人に一人が補助開拓にあずかりました。5月には,合計7,822件の聖書研究が報告されました。これは,一人の伝道者につきほぼ2件の割合でした。
カリブ海でも速度は増す
エホバは,「その時に速やかにそれを行なう」と予告されました。(イザヤ 60:22)それで,ジャマイカからは,過去3年間に増加の速度が確かに増しているという報告が寄せられています。例えば,伝道者数は6,000人から7,000人に増加するのに9年かかりましたが,その後わずか4年で8,000人台に達しました。「聖書から論じる」と題する本は,伝道者たちが効果的な証言をしたり,再訪問で質問に答えたりするのに役立っています。反対を克服するのにその本が有用であることは,ある姉妹の次の経験からもよく分かります。その姉妹はこう書いています。「昨日,私は,多少反対するご主人のいる,少し関心を示した婦人を再訪問しました。聖書に基づく話し合いのあと,その婦人は,『エホバの証人がクリスマスや誕生日を祝わない理由をハリー[ご主人のこと]に説明してください』と言いました。それで私は『論じる』の本を開き,『クリスマス』の項に書かれている事柄をその本から直接読みました。読みながら見上げると,ご主人はうなずきながら,『なるほど,なるほど』と言っていました。奥さんは,たいへん喜びました。『誕生日』の項についても同じ方法を取ったところ,同様の反応が得られました。奥さんはご主人が納得したのですっかりうれしくなり,『私』は皆さんの集会に行きますと言う代わりに,『私たち』は皆さんの集会に行きますと言いました。ご主人は異議を唱えませんでした」。
ハイチでは,あるプロテスタントの教会の副牧師がのちにエホバの組織と共に働く特別開拓者になりました。本人の話によれば次のとおりです。「ある日,私のところに二人の姉妹がやって来て,人類の唯一の望みは神の王国であるという話をしました。当時私は牧師で,自分の宗教こそ唯一の真の宗教であると誠実に信じていました。その後しばらくして,別のエホバの証人と三位一体について論じ合いました。真理の響きを感じたうえ,エホバの証人の高い道徳規準に感心した私は,聖書からもっと話を聞きたいと思うようになり,エホバの証人と研究を始めて王国会館の集会に出席するようになりました。私は学んだ新しい真理を自分の教会で宣べ伝えようとしたところ,そのために反対を受けるようになってしまいました。その教会はもはや自分のいるべき場所でないことがすぐに分かったので,ほかの牧師たちからいろいろな誘いをもちかけられましたが,私は教会へ行くのをやめました。そして,バプテスマを受け,補助開拓奉仕を始めました。その後,特別開拓奉仕をするよう招待されました。私は現在,奉仕の僕として,自分が牧師をしていた同じ町で良いたよりを宣べ伝えています。かつて私のことを牧師さんと呼んでいた人々との聖書研究を何件も司会するのは本当にうれしいことです」。
ドミニカ共和国では,二人の新しい宣教者と二人の比較的古い宣教者が,ハイチの国境に近いダジャボンという小さな町の新しい宣教者の家に割り当てられました。その町の12人の伝道者たちは喜んで援助を受けました。たちまち新しい研究が何件も始まり,王国会館の必要なことが明らかになりました。米国,カナダ,さらに遠くはドイツから兄弟たちが応援に駆けつけました。それで,3週間もしないうちに,新しく建てられた王国会館で最初の集会を開くことができました。そのように多くの国籍の人々が一致協力する姿は土地の住民に対するすばらしい証言となり,集会に出席したり,研究を始めたりする住民も少なくありませんでした。会衆が設立されて最初の記念式に114人もの出席者を迎え,兄弟たちはたいへん大きな喜びを味わいました! 40年の経験を持つ一人の宣教者は,「増加はいつやむでしょうか」と尋ねられた時,「全地がエホバの僕たちで満ちる時ですよ」という心温まる答えを述べました。
リーワード諸島の支部は報告の中で,集会や大会の出席者が増加しているため,もっと大きな集会用施設が緊急に必要であると書いています。兄弟たちは必要な資金を調達するのに独創力を大いに発揮しています。ネビス島の一開拓者は手紙の中で,「兄弟たちが大会ホールの建設資金を調達することについて話していた巡回大会から帰ったのち,私たちはパンを焼く仕事をすることにしました。パンを焼いたのは金曜日だけでしたが,6か月間で王国会館の建設と備品購入のために3,000㌦(約48万円)のお金を用意することができました」と述べています。地元の1軒のパン屋は兄弟たちの焼いたパンの質が良いのに気づき,店の経営のために開拓者たちを雇おうと何度も試みました。しかし,開拓者たちはその人に,「私たちは世俗の仕事をするためにネビスにいるのではありません。エホバに全時間仕えることに専念しているのです」と答えました。
良い模範の持つ影響力を知っていたパウロは,「わたしがキリストに見倣う者であるように,わたしに見倣う者となりなさい」と述べました。(コリント第一 11:1)「私が言うようにしなさい」と言うよりも,「私がしているように行ないなさい」と言うほうが,はるかに勝っています。バルバドスに住む,奉仕監督をしているある長老は,予約を得ることに関する奉仕会の割り当てを受けました。ところでその兄弟は,そのプログラムを効果的に,また説得力のある仕方で扱うには,自分が少なくとも一つの予約を得ていなければならないと思いました。しかし,兄弟は予約を一つも得ていませんでした。それで,夜ベッドに横たわりながら,予約を提供できそうな友達のことを考えました。6名の人の名前が思い浮かびました。翌日,それら6名の人と連絡を取ったところ,そのうちの4人が予約をしました。その兄弟が,奉仕会で非常な確信と熱意を込めて,「私がしたように行ないなさい」と語ることができたのは言うまでもありません。
トバゴ島のスカルバロでは,12月の休日の時期に速成の王国会館が建設されました。約800人の兄弟たちが,工事の大半を行なうためトリニダードから自発的にやって来ました。その王国会館はトバゴの島全体でただ一つの王国会館だったので,その建設は全島に対する大きな証言になりました。その会館はわずか三日で建てられました!
南アメリカは『りっぱな業に対する熱心さ』を示す
南アメリカではさまざまなことが起きています。次に紹介する幾つかの報告を通して,南アメリカの野外に広まっている熱心な精神の一端をお伝えしたいと思います。(テトス 2:14)例えば,ベネズエラでは,正規開拓者が42か月連続で最高数を記録し,2,553人になりました。伝道者の最高数は,昨年の平均を28%上回る3万5,248人でした。家庭聖書研究は平均5万2,451件司会されており,記念式の出席者は12万8,627人でしたから,今後の見通しでは,拡大はとどまることなく続きそうです。
スリナムでは,フランス領ギアナの国境に近い,ある小さな村の会衆が大きな王国会館を建てました。その王国会館は,南部の奥地から舟で川を下って大会に出席する兄弟たちの宿舎としても役立っています。大会会場に行く途中にあるこの家屋に宿泊している間,兄弟たちは伝道に出かけたり,一緒に狩りや魚釣りをして食物を手に入れたり,巡回大会のプログラムの練習をしたりします。大会が終わると,この王国会館に泊まり,それからそれぞれの家に帰ります。地元の人たちの中には,兄弟たちが愛や気遣いを互いに示し合っていることに感銘を受け,わたしたちの世界的な兄弟関係に加わりたいと願って,聖書の研究を始める人が少なくありません。
ボリビアでのこと,ある兄弟は客で込み合っているレストランで昼食を取りながら,「ものみの塔」誌を読んでいました。すると,その兄弟の小さなテーブルのそばに見知らぬ人がやって来て,兄弟が手にしていた雑誌に目を留めると,自分も「ものみの塔」誌を読んだことがあると述べ,「本当に,エホバの証人のように聖書を知りたいものです」と言いました。「それは,あなたにもできることですよ。私たちは,関心をお持ちの方に無料の聖書研究をお勧めしています」と,兄弟は答えました。その結果,どうなったでしょうか。その男の人は今ではバプテスマを受けた兄弟となり,また,増大する正規開拓者の隊伍に加わっています。ボリビアでは,ふさわしい人々が大勢見いだされ,集められています。(マタイ 10:7,13)昨奉仕年度中,バプテスマを受けた人は合計642人で,記念式の出席者は1985年よりも4,505人多い,2万1,674人でした。今後なお一層増加する,何とすばらしい見込みがあるのでしょう!
ブラジルの支部は,「ブラジルでは1986年の記念式に,50万人余り,実に53万3,400人もの人々が出席しました!」と,熱意を込めて書いています。昨奉仕年度中,伝道者の最高数が次々に更新され,8月にはついに19万6,948人に達して,ブラジルのエホバの民は言い知れぬ感激を味わっています。6月には聖書研究の件数は伝道者数をはるかに上回り,空前の最高数21万1,541件に達しました。昨奉仕年度中に建設されて献堂された王国会館は100軒を優に超えました。アマゾンのジャングルのまっただ中にあるマナカプルという町の王国会館もその一つで,それらの会館に続々とやって来る人々の数は増える一方です。五つの主要な都市で大会ホールが目下建設中です。
これまで静穏だった宗教的な牧場でも徹底的な奉仕が行なわれています。司祭や主任司祭と対面する事態がよく起こり,その結果行なわれる討論を聞いて,誠実な人々はだれが真理を持っているかを知ることができます。エホバという奇妙な名を用いる人々に警戒するよう信者たちに話していた,ペンテコステ派の一牧師は,自分の教会の会員から圧力を受け,エホバが確かに神のみ名であることをやむをえず認めました。そのためにたいへんな騒ぎになり,住民の中のある人たちの言葉を借りるなら,「エホバのみ名が町中の話題になっています」。
アルゼンチンでも,兄弟たちは殺到して来る新しい人々を収容するために『その天幕布を張り伸ばさ』なければならない状態です。(イザヤ 54:2)1985年の平均を15%も上回る6万1,373人という最高数に達した伝道者が現在その業に参加しています。たいていの会衆では集会の出席者数が伝道者の合計の150%ないし200%に達しています。
ある家族の7人の成員は全員,つまり父親,母親,それに,最年少の15歳の子供を含め,5人の子供たちが開拓者です。この家族は全員がそれぞれパートタイムの仕事を持っており,衣類は各自自分で洗濯するなどして,家事は皆で協力して行なっています。この勤勉な家族は宣教の点で何を成し遂げたでしょうか。現在,その家族は44件の家庭聖書研究を司会しています。過去12か月間に,12人をエホバの組織の一員となるよう援助しました。全員が開拓者になった理由を尋ねられた母親は,こう答えました。「エホバに対して深い愛と感謝を抱いているからです。わたしたちの奉仕は,自分自身の境遇よりもむしろ,自分自身の認識に相当依存していることを忘れるわけにはゆきません」。
チリの支部は,こう報告しています。「伝道者は2万9,340人,聖書研究は4万7,065件,地域大会の出席者は5万76人,記念式の出席者は9万290人で,いずれも新最高数でした。人々が良いたよりにあまりにも速く反応して聖書研究を始めるのには驚きます。昨奉仕年度の伝道者は12%増加し,聖書研究は22%増加しました」。チリで開かれた教師と父兄の懇談会の席で,父兄たちは,現代社会に適応するよう子供を備えさせる必要があるという意見を述べました。エホバの証人と研究をしている一人の弁護士は,今の社会に適応するよう子供を備えさせるとなると,うそをついたり,盗んだり,不道徳なことをしたりするように教えなければならないと父兄に言いました。むしろ,ノアやロトのように,世の人々と異なった者となるよう子供たちに教えるべきであると述べ,ノアやロトの時代の社会は滅びたが,世の人々とは異なった者となり,自分の生活を神の道に合わせた人々は生き残ったとも語りました。出席していた人々はどんなにか驚いたことでしょう。人々から尊敬されていたその人によって,よい証言がなされました。
中南米の多くの支部は,支部施設の建設で多忙を極めています。建設工事の大半は自発奉仕者によって行なわれており,そのうちの幾百人もの奉仕者は外国から来た人たちです。
ヨーロッパでわたしたちの創造者を賛美する
「エホバが神であることを知れ。わたしたちを造ったのは神であって,わたしたち自身ではない」。(詩編 100:3)無神論や物質主義,また霊的な事柄に対する無関心が支配的なヨーロッパの国々でそのような聖書の真理を人々に理解してもらうのは容易ではありません。ですから,「生命 ― どのようにして存在するようになったか 進化か,それとも創造か」と題する本はすばらしい賜物でした。
例えば,デンマークは,数か月連続して伝道者の最高数が得られたと報告しています。その最新の数は8月に得られた1万5,186人です。「創造」の本はデンマークにおける業にとって非常に重要なものとなっており,兄弟たちはそれを熱心に提供しています。その本を見たひとりの男性は,「貴協会の傑作である『生命 ― どのようにして存在するようになったか 進化か,それとも創造か』と題する本を以下の(10軒の)住所に送っていただけないでしょうか」と協会に書き送ってきました。その手紙には本に対するお金と郵便料金が同封されていました。ひとりの兄弟は次のように書いています。「私の目標は,この本を用いて熱心に働き,たくさんの本を配布した『古い時代』を再び呼び戻すよう努めることです……私は1か月25冊配布するという目標を定めました。……その目標は高すぎることはなく……35冊配布できました」。ある兄弟は,がんこな進化論者の男性と「創造」の本の研究を始めたという話をしてくれました。その男性は研究を始めてから数か月後に神を信じるようになり,王国会館で行なわれた巡回監督の公開講演にやって来ました。そして,新しい大会ホールで開かれた巡回大会にも喜んで出席しました。
オランダの大手の会社に勤めるある兄弟は「創造」の本が発行されてたいへん喜びました。その兄弟の仕事は科学や文化と関係のある性質のものだったので,特別な努力を払ってその本を職場の同僚に勧めることができました。48ページと49ページに載っている細胞の絵を用いたところ,同僚たちの関心を大いにそそることができました。「創造」の本を提供した最初の日に寄付のお金が先払いで8冊の注文がありました。短い期間に,「創造」の本を40冊配布したほか,聖書2冊と他の書籍24冊も配布しました。その兄弟は会社に入ってからこれまでの12年間に,書籍を350冊と雑誌を多数配布して「種」をまいてきました。
そのような霊的に築き上げる業に加えて,ヨーロッパでは文字通りの建設も数多く進められています。8月に9万2,397人という伝道者の最高数が報告されたフランスでは,最近四つの大会ホールと十の速成の王国会館が建てられ,さらに幾つか建設が計画されています。
最近2万2,202人という伝道者の最高数を記録したベルギーでは,王国会館を拡張する必要が起きており,新しい王国会館も建設されています。二日間で建てる王国会館の第1号が完成し,続いて二つ目の会館も建てられました。それは結果としてこの国でのすばらしい証言になりました。新聞社とか,ラジオやテレビの放送局は,英国やオランダやフランスから自発的にやって来た証人たちが,ベルギーの兄弟たちと一緒に働いている光景に感銘を受けました。二日で王国会館を建てるのに使う用具類を借りるため,兄弟たちは請負業者のところへ行きました。すると,請負業者は,「そんな短期間で建てるなんて不可能だね。もし成功したら,用具の貸し賃を払わなくてもいいですよ」と言いました。実際,兄弟たちはお金を払わずにすみました!
ノルウェーでも速成の王国会館は成功しています。今までのところ,そのような会館が12軒完成しており,さらに30軒建設される予定です。一番新しいのは,ソ連の国境まで数キロの地点にあるキルケネスに建てられた会館です。その建設計画は幾つかの新聞によって大々的に報道されました。ある論説委員は次のように書きました。「まったくすばらしい! この土地の会衆を援助するためにエホバの証人が大挙してやって来た先週末に生じたことを描写する言葉はこれ以外にない。そのような精神は今日ほとんどの地域で見られなくなっている。地元の会衆が仲間の信者と一緒に行なったことは人々に深い敬意を抱かせた」。
ポルトガルからは次のような報告が寄せられています。「昨奉仕年度は新しいベテル・ホームの基礎を置くことから始まりました。必要の非常に大きいその施設は,兄弟たちが自分たちで建設する特権を得た最初のベテルです。ポルトガルの生活水準は西欧のどの国よりも低いにもかかわらず,これまでの建設費をすべてまかなうために寄付をしてきた兄弟たちの姿には胸が熱くなります。この一つの出来事によって,エホバの目に見える組織に対する関心が大いに高まりました」。ポルトガルにおいて昨奉仕年度注目できるのは,伝道者が3万505人という最高数に達したことと,記念式の出席者が7万6,212人という記録的な数に上ったことです。
ポルトガルの一長老は非公式の証言に関するこのような経験を語っています。「昼食の時間に私は職場の同僚に『創造』の本を配布しました。私たちはたまにしか顔を合わせませんでしたが,会った時にはいつも真理について短い会話を交わしました。その人は聖書が霊感によるものであることに疑問を持っていたので,私は『聖書はほんとうに神のことばですか』と題する本を配布しました。ある日,その人の留守中にひとりの証人が家を訪れ,『あなたは地上の楽園で永遠に生きられます』と題する本を紹介しているパンフレットを置いていきました。その人は昼食の時間に私を見つけてその出版物を注文することにしました。そして,それを自分で読んだだけで進歩していくのには私も驚きました。あごひげをそり,髪型や身なりを改善したのです。また,これこそ真理だと確信し,エホバの証人と交わることにしたと言って私を驚かせました。前の日曜日にはすでに,自分が住んでいる地域の王国会館を探し,初めて集会に出席していました。家庭聖書研究が始まったのはその時でした。その人は3か月足らずですべての集会に定期的に出席し,熱心な伝道者になりました。そして,『神の平和』地域大会でバプテスマを受けるのを本当に楽しみにしています」。
フィンランドのエホバの証人は最近,支部の施設の新しい大きな増設部分を献堂しました。フィンランドではエホバの証人はよく知られています。というのは,現在,住民のほぼ300人に一人が伝道者という割合になっているからです。証人たちの良い生活習慣や高い道徳規準を目にすることができるので,集会に来る人は増加の一途をたどっています。
同様に,支部の大規模な拡張工事の完成が間近いオーストリアでも,職場における開拓奉仕者たちのクリスチャンらしい立派な行状がパートタイムの仕事を得るきっかけになるということが幾度かありました。ひとりの姉妹はこのように語っています。「ある開拓者は税理士のところで働いていました。その姉妹は働きぶりがよいので職場の人たちからたいへん尊敬されていました。別の雇用者がその税理士に,パートで働いてくれる正直な人をだれか推薦してもらえないかと尋ねました。すると税理士は,エホバの証人の中にはパートタイムの仕事を望んでいる人が多いから,彼らの王国会館を訪ねるようにと言いました。その開拓者の良い行状のおかげで,私はそのパートの仕事を得ることができ,今は開拓者の特権もいただいています」。
キプロスからの報告によると,この国でかつてはあまり行なわれていなかった,街路で雑誌を提供する奉仕を兄弟たちが次第に行なうようになっています。大きな町ではどの会衆も,土曜日の朝,毎週定期的に歩道での証言を行なっています。幼い子供までがその奉仕を喜んで行なっています。例えば,6歳の男の子は母親と働いて雑誌を20冊配布しました。その子は母親に「僕が配布するから,ママ報告してね。でも,僕は伝道者になりたいな」と言いました。最近,ギリシャの東方正教会から派遣されたと称する反対者がほかの乱暴者たちを連れてリマソルの王国会館の外に現われるようになりました。その騒々しい一団は集会を妨害しようとするだけでなく,兄弟たちが野外に行く時にもついて来て,家の人が王国の音信に耳を傾けるのを邪魔しようとします。しかし,兄弟たちは個人の家に小人数で集まって奉仕のための集会を開くことによってそのような策略の裏をかいてきました。
スペインの支部は,伝道者が6万5,680人という最高数に達し,わずか3回の例外を除いて過去40か月連続で正規開拓者の新最高数が得られたという喜ばしい報告を寄せています。小さなアンドラ公国でも目覚ましい増加が記録されており,伝道者の数がついに108人という最高数に達しました。スペインではまったく自由に伝道できますが,スペインのかつての植民地の一つ,赤道ギニア共和国においてはそうではありません。そこでは12月にエホバの証人の王国会館が政府の命令によって封鎖されました。いわゆる宗教の自由の法案が国の立法府に提出されましたが,その法案は明らかにエホバの証人に対して偏見のあるものだったので否決されました。エホバの証人を妻に持つひとりの代議士は立法府でわたしたちの水準や道徳基準を巧みに力強く弁護しました。
アフリカは「大いなる光」を見る
真理の光は広大なアフリカ大陸の津々浦々にまで輝きわたっています。イエスが地上で伝道された時代と同様,「大いなる光」を見ている人は少なくありません。―マタイ 4:16。
その中には幼い子供も含まれています。セネガルで,7歳の息子を持つ婦人が聖書研究を始めました。その男の子が神についてしばしば質問するので,「地上での生活を永遠に楽しんでください」というブロシュアーを用いてその子とも研究が始まりました。ブロシュアーの58番目の絵を見た時,その子はエホバが偶像をどのようにお感じになるかをすぐに悟りました。ある日,父親が教会へ行くようにと幼い息子に言うと,その子は「教会には偶像が一杯あるでしょう。エホバはそういうのが好きじゃないんです!」と言って強く反発しました。そのような息子の態度を見て父親は聖書に関心を持つようになり,今では,家族ぐるみの研究が定期的に行なわれています。「みどりご……の口から,あなたは賛美を備えられた」というイエスの言葉は確かに真実です!―マタイ 21:16。
コートジボアールからは,「大群衆」という愛称で呼ばれている,12人の成員から成る一家族についての心温まる報告が寄せられています。「その家族は,毎年過ごす休暇の間,宣教に精一杯励もうと決意し,5人の成員(父親と母親とバプテスマを受けた3人の子供)が補助開拓者になりました。まだバプテスマを受けていない二人の子供も開拓者精神を培い,先の5人と一致団結して余分の努力を払いました。下の5人の幼い子供たちにも目標が与えられました。その月の終わりに,その「大群衆」家族は,野外奉仕に637時間を費やし,460冊のブロシュアーと350冊の雑誌を配布し,再訪問を189件行ない,25件の聖書研究を司会したと報告することができました。そして報告の中で,「たいへん良い月でした。家族の絆が強まるのを大いに感じました。すばらしい祝福を与えてくださったエホバに感謝しています」と述べています。
水が少なく,砂漠が進行しているブルキナ・ファソに住む兄弟たちは,「荒野と水のない地域とは歓喜し,砂漠平原は喜びに満ち,サフランのように花を咲かせる」というイザヤ 35章1節の言葉が文字通り成就する日を楽しみにしています。しかし現在兄弟たちは,その預言の主要な成就,すなわち霊的な意味での成就を見ており,そのことから喜びと希望を得ています。王国伝道者の総数は324人という最高数に達しました。この国における聖書研究の最高数が717件であることや,記念式の出席者が1,235人であったことから,『熱で渇き切った地は葦の茂る池となり,渇いた地は水の泉となった』ということも分かります。エホバがそれをずっと成長させてくださるのです。―イザヤ 35:7。コリント第一 3:6。
ガーナでは,3万2,211人の証人たちがキリストの死の記念式を広く宣伝した結果,出席者が12万2,936人に上りました。その祝いが終わったのち,ある大学生は自分の意見をこのように述べました。「私は自分の教会の聖餐式に何度も出たことがありますが,この式はまったく違います。これこそ聖書に述べられているとおりの式だということが分かります。皆さんは真理を持っておられると思います」。その人は記念式後の最初の集会に出席し,以来ずっと集会に来ています。そして,最近バプテスマを受けました。
ガーナの新しい支部の建設工事は,地元の140人の自発奉仕者によって大部分の作業が行なわれており,完成に向かって急ピッチで進んでいます。外国からやって来た42人の自発的な建設奉仕者が各々の職業技術の必要に応じて交替しながら,ポルトガル,ガーナ,ナイジェリアの建設に順繰りに参加しているのは興味深いことです。それら42人は,米国(25人),カナダ(2人),スウェーデン(6人),英国(4人),ドイツ(2人),オランダ(2人),オーストラリア(1人)から来た人たちで,どの人も少なくとも真理の清い言語を話せます!―ゼパニヤ 3:9。
ナイジェリアの新しいベテルの建物群の建設工事もたいへん順調に進んでいます。敷地内の森にいるシカやレイヨウは建設の活動に慣れてきて,夜になると怖がらずに広々とした所に出て来ます。敷地は完全に塀で囲ってあるので,それらの動物たちは今後ベテルの庭に美観を添えてくれるものと思われます。ナイジェリアでは,7月に伝道者の数が12万8,461人という空前の最高数に達しました。正規および補助開拓者は引き続き増加しており,そのことは区域の人々に強い印象を与えています。4月に家から家の伝道をしていた時,ある長老は「ここ二,三週間のうちに,あなた方の伝道はぐっと活発になりましたね。これは終わりが近いということですか」と言われました。その長老は世界各地の最近の出来事を指摘し,真理を学ぶよう人々を援助するのは焦眉の急であることを示しました。相手の男の人は,自分もそれに関して早速何かをしなければならないと思うと言いました。
リベリアにおける胸の躍るような発展の一端として,拡張された支部のホーム棟が修理されたこと,伝道者数のほぼ6倍に相当する7,839人が記念式に出席したことが挙げられます。国立の学校で教鞭を執っているある姉妹は,「わたしの聖書物語の本」と題する本と「地上での生活を永遠に楽しんでください」と題するブロシュアーを用いて小学校の全クラスに聖書を教えてほしいと頼まれました。それで,その姉妹は生徒にエホバのお目的を伝えるという喜びを毎日味わっています。
ジンバブエでは,政治への参加熱がかき立てられているため,エホバの証人の子供たちにとって信仰の試練が現実の問題になっています。脅しを受けた子供もいれば,放校された子供もいます。学校の周辺のある地域では,反対者たちがその地域の王国会館を全焼させることまでしました。しかし,証人の子供たちは引き続き学校で立派に証言しています。15歳のひとりの少女は,「わたしの聖書物語の本」の助けを得て,学校のクラスで起きた論争を解決しました。先生は非常に感心して,その本を1冊欲しいと言いました。それを幾らか読んでから,別の出版物も欲しいと言いました。その年若い姉妹は手紙の中で,「毎朝私はクラスの人たちに話す機会を与えられています。また,私はクラスの人たちと聖書に関する質問について話し合う特別な時間をもらっています」と述べています。そうした方法で若い日に創造者を覚える特権を得ていることをその姉妹は確かに喜んでいます。―伝道の書 12:1。
アジアで『信仰において堅く』立つ
アジアにいる仲間の兄弟たちの多くは,大きな圧力を受けながら奉仕しています。しかしエホバは,『信仰において堅く』立つよう兄弟たちを備えさせてこられました。(ペテロ第一 5:9)例えば,紛争で悩まされているレバノンで,兄弟たちは「日ごとに聖書を調べる」という小冊子を得て,たいへん喜んでいます。毎日の聖句とその注解を1冊の出版物の形でアラビア語で読めるようになったのは,これが初めてです。ある大家族の子供たちは皆,最年少の5歳の男の子さえも,自分の小冊子を持っています。子供たちは皆,自分の聖書と小冊子を朝食の食卓に持って来て,活発な聖書研究を始めます。5歳の子供はその習慣に慣れて,昼の主な食事や夕食の時にも聖句について話し合うため,自分の小冊子を持って来ます。
イスラエルでは,ひげを生やした暴徒たちが一時期,テル・アビブの支部と王国会館の前でデモを続けていました。しかし,警官が介入して,暴徒たちの乱暴な行為をやめさせました。すると,近所の100人以上の人々が別々に支部を訪れ,同情の意を表しました。道路の向こう側で働いていた一人の若いベドウィン人は好奇心を抱いて研究し,真理を受け入れました。その青年は聖書の原則に従うため自分の仕事を変えて,今では家から家に訪問して証言を行なっています。別の地区の不法な反対者たちは,地元の開拓者たちの住所氏名を記載した,証人たちを攻撃する悪質な内容の冊子を大量に配布しました。ところが,証人たちと連絡を取りたいと思っていた一婦人が,郵便受けに入っていたその冊子を見つけたので,この攻撃は反対者にとってやぶへびに終わりました。婦人は開拓者を探し,開拓者たちはその婦人と家庭聖書研究を始めました。
パラダイスの島スリランカにとって,昨年は動乱の1年でした。新聞は,「パラダイスで戦争」,『自国内で戦い合う国家』などという見出しを掲げました。しかし,エホバの証人は人種や背景にかかわりなく互いに平和に過ごし,伝道者は996人の最高数に達しました。物質上の資産の価値は減少しますが,霊的な事柄を追求する生き方の価値は増大していることを知った多くの人々の心には,開拓者精神が高まっています。このことを反映して,正規および補助開拓者は43.7%増加しました。
スリランカの一人の特別開拓者レジャナルドは優れた教える能力を持っており,約20件の家庭聖書研究を持っています。この青年は,自分はたった一人ではなく,会衆と交わっていることを研究生に説明し,研究生も出席すべきすばらしい集会について熱心に話しているので,研究生の多くが集会に姿を見せそうです。
香港の領土主権が1997年に中国に返還された暁には,人々の生活はどうなるのでしょうか。香港の都市部から50㌔しか離れていない場所に原子力発電所が建設されると,生活が危険になるという問題はどうなるのでしょうか。香港の人々はこうした二つの重大な問題を憂慮しており,香港を去ろうとしている人や,そうすることを考えている人は少なくありません。そういう雰囲気の中で,わたしたちの1,416人の兄弟姉妹がエホバの約束に対する堅い信仰を表わし,神の王国の関心事を生活の中で第一にしているのを見るのは,心温まる事柄です。ある特別開拓者は一人のローマ・カトリックの男の人と研究を始めましたが,妻と兄と母親はその人がエホバの証人と研究することに反対しました。しかし,研究をやめさせようとしたその兄も真理に関心を抱き,研究を始めました。これら二人の兄弟は偶像を造る仕事に雇われていました。数週間研究をした後,偶像崇拝が愚行であることをはっきりと知った二人は,自分たちの偶像を全部,それを造るのに使った道具もろとも打ち壊しました。一人の兄弟は塗装を習い,家にペンキを塗る仕事をして家族を養っています。この人はカトリック教会から脱退して,野外宣教に参加するようになり,バプテスマを受けるのを待ち望んでいます。また,この二人の男の人の妻も真理に関心を抱くようになり,集会に出席し始めました。これらの家族が生ける神エホバを崇拝する点でよく進歩するのを見るのは,実に喜ばしいことです。
大韓民国からは,昨年の奉仕で再び顕著だったのは驚くべき開拓者精神だったという報告が寄せられています。補助開拓者を含め,月平均,伝道者の3分の1が全時間奉仕に何らかの形で参加しました。
血の問題で不利な報道が大々的に行なわれたため,韓国の多くの医師や病院は兄弟たちに対する治療を拒否してきました。仁川<ジンセン>のある姉妹は胃の手術が必要になったため,輸血をせずに手術をして欲しいと申し出たところ,医師たちは答えとして,エホバの証人は冷酷で,狂信的で,偽宗教を奉じているなどと暴言を吐きました。すると,姉妹は巧みに問題をそこで打ち切り,「生命 ― どのようにして存在するようになったか 進化か,それとも創造か」と題する書籍を医師たちに1冊渡しました。次に姉妹の部屋を訪ねた医師たちの態度は,すっかり変化していました。医師たちは,「創造」の本の資料が非常に科学的で論理的な仕方で扱われていると述べ,「お宅の宗教団体がこのような問題をこれほど高度な仕方で研究しているなら,本当に筋の通った理由があって,輸血を断わっておられるのでしょう」と語りました。医師たちはその手術を輸血なしで首尾よく行ないました。
太平洋の島々で
「諸国の民よ,あなた方はエホバの言葉を聞き,遠くの島々の中でそれを告げて言え」。(エレミヤ 31:10)エホバの証人はこの預言的な言葉に従順に従って,太平洋の島々の広大な地域で宣べ伝える業を熱心に行なっています。
その地域の一つ,ミクロネシアでは,49人の宣教者を含む738人の伝道者や開拓者がグアム,ベラウ,キリバス,コスラエ,マーシャル諸島,ナウル,ポナペ,ロタ,サイパン,トラック,およびヤップの島々の地域で奉仕しています。昨年の5月,聖書研究は32%の増加に当たる1,735件という新最高数に達し,3,743人が記念式に出席しました。かつてトラック島で1年間研究したことのある,以前政治家だった一教師が,離島の自分の家に戻り,その土地で,かつて学んだ事柄について他の人々に話し始めました。すると,ある日,32㌔ほど離れた本島で行なわれる記念式に関する発表をラジオ放送で聞きました。そこで,午前6時30分発の連絡船に間に合うよう早く起きて一緒に出かけて記念式に出席するよう,近所の人々を招待しました。以前,プロテスタントの教会の牧師だった人が快く応じ,二人は土砂降りの雨をついて出発しました。そして,記念式の話をたいへん楽しく聞き,また翌日,時間を取って宣教者たちに真理をさらに説明してもらい,それから自分たちの離島に戻りました。エホバに対するこの教師の愛と感謝の念は引き続き深まり,自分もまことの神エホバを知るのに助けとなった,「とこしえの命に導く真理」と題する本を使って,以前のプロテスタント教会のその牧師とトラック語で今聖書研究を司会しています。
パプアニューギニアでは,人目を引く新しい支部の施設の完成が間近です。多数の土着の兄弟たちはもとより,オーストラリアからの240人の兄弟たちが自発的に建設の仕事を助けました。それら働き人の宿舎が必要になった時,地元の議会が,脇の建物を手早く移してもらえるなら,その建物を貸してもよいと申し出てくれました。60人の兄弟たちはその建物をたった9時間で移しました! この区域には1,827人の伝道者がおり,合計8,000人もの人々が集会で交わっています。しかし,600の言語と400の方言が使われているので,これらの人々を教えるのは途方もない大仕事です!
熱心さの余り,エホバの証人の子供をえり分けて,国旗敬礼をしない,もしくは国歌を歌わないという理由で処罰した教師にかかわる事件が数件ありました。そのほとんどの場合,子供か親が,「学校とエホバの証人」と題するブロシュアーを関係者個人個人に提供したところ,問題はたちまち解決しました。政府の宗務省の一代表者もまた,かつて問題を起こした一校長の考え方を正したことがある旨,支部事務所に知らせてきました。
バヌアツ諸島のある島にはわずか4人の伝道者しかいませんが,その島で行なわれた記念式には100人余りが出席しました。ナンバスと呼ばれる少数の種族の人々が山地から降りて来て,記念式の話を聞きました。それらの人々は,地上で永遠の命を受ける希望があることを知って非常に驚き,最後にこう述べました。「これこそ私たちが望んでいた事柄です! 私たちは天国に行きたいと思いませんので,教会に行くのをやめて,元の習慣に戻りました。私たちは地上で永遠に生きたいと思います。私たちの習慣があなた方の神に喜ばれるものかどうかを,どうか教えてください」。兄弟たちはエホバが全人類のために備えておられる驚くべき将来について一晩じゅう,土地の言葉で説明しました。
フィジーの若い一姉妹は次のように書き送ってきました。「私は特別開拓者になるために幾つかの問題を克服してきました。私は真理に従う以前,十代の若い仲間の影響で,富を求めて,『楽しい生活』をしたいと考えていました。その後,私はオーストラリアのある白人と出会い,その青年は私と結婚してオーストラリアに住みたいと考えました。しかし,そのころ,真理が私の生活とかかわりを持つようになったのです。青年はフィジーに戻ると,結婚式の諸経費の助けにと言って,600㌦(約10万円)を私に手渡しました。フィジーの若い娘には,このような大金を手にすることはめったにできません。しかし私は,そのお金を返し,『主にある者としか』結婚できないことを話しました。(コリント第一 7:39)そのために,他のフィジーの家族と同様,白人との結婚関係を家族の資産の一つと考えた世俗的な両親を怒らせました。それで,両親はその後,私のことを何も構ってくれなくなりました。
「私は真理の点で進歩して開拓奉仕をする資格を身に着けました。ちょうど開拓奉仕を申し込んだところへ,私が決意を変えたかどうかを知ろうとして,例のオーストラリア人が再び現われました。私はエホバに仕える自分の決心が以前にもまして堅いことを説明しました。私は今奉仕年度に特別開拓者として任命されました。『真の命をしっかりとらえ』ながら,エホバに用いていただき,その業を行なえますので,私は幸福です」。―テモテ第一 6:19。
最近バプテスマを受けた,クック諸島の二人の証人は,以前,地元の“キリスト教の教会”の成員として尊敬されていました。二人は今,以前の仲間に忙しく証言しています。一人の兄弟は非公式の証言をするのにたいへん優れており,自分の乗用車やトラクターや事務所にいつも聖書を置いています。この兄弟は地元の刑務所の囚人9人を援助しています。というのは,それらの囚人は定期的に刑務所から外出して土木工事に従事するのを許されたので,その兄弟が彼らを雇い,それら囚人に証言をして,今ではそれらの人と研究をしています。そして,補助開拓奉仕に定期的に携わっています。この兄弟は真理を研究する以前には,読み書きができませんでした。
昨奉仕年度の終わりに,ニュージーランドのベテルの家族は,オークランド市郊外の湾岸沿いの約7㌶の土地に新たに建てられた,設備のよく整った支部のホーム棟に移りました。その建設はすべて仲間の兄弟たちの自発的な労働により成し遂げられました。
ニュージーランドのある巡回監督は,区域内の家を皆訪問するようにしています。その巡回監督と連れの人は長老派のユースホステルで証言しました。話し合っているうちに,ホステルの責任者は,ホステルに住んでいる青年たちが教会の礼拝で何も学べないために絶えずぐちをこぼしていると兄弟たちに語りました。巡回監督はそのホステルを訪問して,それらの青年たちと共に聖書研究をするよう招待されました。それで,地元の一兄弟がその務めを果たす取り決めが設けられ,最初の研究には22名出席しました。それら研究生個人個人の必要によりよくこたえるため,司会者の人数は5人に,またその後10人に増やされました。王国会館で行なわれた記念式には,ユースホステルに住んでいる人たちのうち,14人が出席しました。ホステルの当局者は,「青年たちと共に行なわれているたいへん良いこと」を喜んでいます。
ほとんど北米大陸ほどの大きさの島であるオーストラリアの乾燥した中心部にあるアリス・スプリングス会衆は,原住民の幾つかの孤立した群れを定期的に世話しています。150人の原住民の住んでいるある集落は,300㌔ほど離れており,道路はたいてい舗装されていません。原住民の間では心霊術がかなり強い力を持っていますが,人々は謙遜で親しみやすく,教えやすい人たちで,多くの人々が真理を認識するようになり,中には全時間奉仕を行なっている人さえいます。最近,ある原住民の開拓者の兄弟が車にガソリンを入れるため給油所に寄りました。兄弟が背広を着てネクタイを締めてきちんとした身なりをしていたので,その経営者は兄弟がどんな仕事をしているのか尋ねました。開拓者は,自分がエホバの証人の一人で,より良い生活をするよう原住民を助けていることを説明しました。感銘を受けた経営者はその兄弟に,幸せに過ごされるようにと述べ,「ガソリンの代金は要りません」と言いました。兄弟はあとで,『永遠に生きる』の本を1冊持って,給油所に戻ると,経営者は喜んでその本を受け取りました。次に,兄弟が車に給油するために行ったところ,経営者は本のお礼を述べ,兄弟が来てくれたことを感謝し,それからまたもや,「ガソリン代は要りません!」と言いました。
協会のオーストラリア支部では,3階建ての事務所の増設が行なわれており,この土地の伝道者最高数は4万4,362人に達しています。
「神の言葉を恐れずに語る」
使徒パウロの時代と同様,今日,地上にはエホバの証人が「神の言葉を恐れずに語る勇気をいよいよ」示さねばならない場所があります。(フィリピ 1:14)そのような土地の仲間の兄弟たちは,『神の王国を広く宣明する』ために直面する禁令や殴打その他の迫害にどのように対処しているのでしょうか。40から41ページに掲げられている「全世界からの報告」の終わりにある「他の33の国や地域」の欄の数字にどうぞ注目してください。エホバはわたしたちの祈り求めた事柄を「はるかに超えて」祈りにお答えになり,これら27万3,381人の証人たちに,『光を輝かせる』,それもさん然と輝かせるよう力を与えてこられました!―ルカ 9:60。エフェソス 3:20。マタイ 5:16。
ヨーロッパのある国からの報告はこう述べています。「家族は野外でたいへん良い時を過ごしました。わたしたちは業を行なうのに必要な食物を彼らに供給し,彼らはそれをたいへん効果的に用いました。40年前に強制収容所を出て以来,多年地下活動をしてきたこれまでの期間,わたしたちの活動は増大し続けています。わたしたちはさらに多くの聖書研究を司会しており,再訪問は増加しています。わたしたちは一層多くの時間を実際の家から家の業に費やし,さらに多くの人々が良いたよりに接するようになっています。この業に費やされる時間は増え,さらに多くの補助開拓者が時間を賢明に使っています」。
ヨーロッパの別の国の報告はこう述べています。「クリスマスの直前,人々が贈り物を買おうとしていた時,一姉妹は聖書を最も貴重な贈り物として人々に提供し,良い結果を得ました。姉妹は4か月間に聖書を150冊配布しました。そして,祝日が過ぎた後も,引き続き聖書を提供しました。彼女は路上で,ある若い夫婦に近寄り,『聖書について何か疑問をお持ちですか』と尋ねました。すると,その主人は,『ええ,どこでそれを入手できますか』と問い返しました。姉妹は早速その人に1冊手渡しました。彼は妻に向かって,『この本を得たのだから,これをしっかり持って,決して手放さないようにしよう』と言いました。それから,二人は自分たちの住所を教え,姉妹が訪問して一緒に研究できるようにしました。この姉妹は聖書を書店で求めて,同じ価格で人々に配布しています」。
エホバの証人の業が禁じられている太平洋諸島のある支部は,こう伝えています。「政府の様々な事務所に報告や苦情がたくさん寄せられてきたため,多くの兄弟たちが呼び出されて取り調べを受けました。そのために幾つかの事件が法廷に持ち込まれました」。しかし,兄弟たちは人々に親しみ深く接し,分別をよく働かせるので,兄弟たちのことを通報する人は比較的少数で,多くの役人はあえて問題を取り上げようとしません。証人たちは引き続き人々の家々でさえ証言を行なっているので,反対活動はかえってエホバの証人のことをなお一層一般に知らせるのに役立ってきました。―マタイ 10:12,13,16,19,20。
アフリカのある国では,幾人かの証人が兵営に連行され,そこで兄弟姉妹は分けられました。すると,ある友好的な兵士が姉妹たちに,もし士官たちが何か悪いことをしようとしたら,大声で叫ぶようにと勧めました。姉妹たちはすでにそうする覚悟でいると答え,エホバの保護を求めて熱烈な祈りをささげました。姉妹たちの一人はこう述べています。「わたしたちが静かに座っていると,指導者がやって来て,わたしの腕を無理やりつかみ,わたしの背中に回してねじると,わたしを抱き締めて無理やり床に倒そうとしました。わたしはやっとのことで腕を引き離し,相手をドアに押し付けました。その人は腕を傷め,仲間の兵士に助けを叫び求めました」。ついに,他の兵士たちがその件を上司に報告すると告げたところ,その士官は姉妹を帰らせました。姉妹が家に向かって歩いて行くと,兵士の一人が近寄って来て,こう言いました。「あなたが帰るのを許したのは,あの男ではなく,あなたの神です。行って,あなたの神をこれまで以上に崇拝しなさい」。
業が制限されている,アフリカのその近くの別の国で,一人の特別開拓者はある家族全員と研究を行なっており,家族の中の4歳になる娘についてこう報告しています。「両親の留守中に,近所の人たちがその少女を説得して,巻きたばこを吸わせようとし,たばこを吸えば,一日中力が出ると言いました。少女はその勧めを退けて,こう言いました。『たとえお父さんがここにいてわたしを見ていなくても,わたしはお父さんを敬いたいと思います。たばこは毒で,エホバが与えてくださった体を汚すので,聖書はたばこを禁じているとパパから教わっています』。近所の人々はその子の答えに深い感銘を受け,そのことを娘の両親に告げ,証人たちと研究をすることになりました」。聖書研究に幼い子供たちを加わらせるのは何と賢明なことなのでしょう。
わたしたちの業が最近禁じられた,アフリカの別の国では,ほとんどの会衆が記念式を祝うために少数のグループで集まらなければなりませんでした。また,新たに関心を抱いた人たちを招待するにも注意を払わなければなりませんでした。出席者が昨年よりも少なかったのは,そのためでした。しかし,それでも実際の出席者数は伝道者の人数の3倍近くに達しました。大いなるバビロンの一教会員は,ある町の兄弟たちのことを密告しました。その人は,3月24日の夜,エホバの証人が必ず王国会館に集まって礼拝を行なうと兵士たちに告げました。兵士たちは午後5時から真夜中までそこで待ちましたが,兄弟たちは小人数のグループで集まったので,とうとう姿を見せませんでした。翌日,その通報者は呼び出されて打たれた上,間違った情報を伝えたかどで100㌦(約1万6,000円)の罰金を課せられました!
その同じ国の別の場所では,地元のしゅう長がエホバの証人を非難する特別の集会を催し,人々を扇動しようとして,「わたしの聖書物語の本」をかざしました。そして,だれでもその本を持って歩き回っている者がいたら,取り押さえるようにと命じました。地元の一部の人々は,かえってその大げさな言葉に好奇心をそそられ,その本を見せてもらえないかと尋ねました。それが問題の本だということを見分けるには,その本を調べてみなければならないとしゅう長に語りました。しゅう長は人々がそうするのを許し,人々はその本のページをめくって読み,それが良い本であることを知りました。そこで,(別の村に住んでいた)その特別開拓者にその本を何冊か持って来るように伝え,10冊分のお金を寄付しました。その特別開拓者はこう述べています。「こうして私は聖書研究を10件始めることができ,それら新しい人たちの幾人かは野外奉仕をさえ目ざして進歩しています! これまでそのしゅう長の村では一度も宣べ伝えたことがなかったので,もししゅう長が私たちに反対する話をしなかったなら,これらの人たちは真理を学ぶ機会を持てなかったことでしょう」。エホバはわたしたちに反対する者をさえ用いて,正直な人たちを聖書の真理に導くことができるのです。
アフリカの別の国では,エホバの証人のための埋葬所に関する問題が起きました。というのは,証人たちの宗教が法律上認可されていないためです。兄弟たちはその問題を地元の当局に堂々と提出し,市の区域内に土地を入手することができました。もっと最近になって,地元の当局者は種々の宗教団体の墓地が余りはでになりすぎていると考え,適当な基準を定めることに決めました。兄弟たちの墓地にやって来た当局者は,自分たちの望んでいた適当な実例を見て,それがだれの墓地かを調べた後,直ちに,今後,墓や墓碑はすべてエホバの証人の墓地の型に準ずるべきであると決めました。
さらに,アフリカからの次のような別の報告は,忠誠を保とうとする精神がエホバの証人の間でたいへん際立っていることを示す好例です。「逮捕や殴打や投獄の危険があるにもかかわらず,わたしたちの勇敢な兄弟姉妹は引き続き,それも特に奥地で,かつてないほど大々的な証言を行なっています。忠実な監督たちのすばらしい模範は,兄弟たちを鼓舞して立派な業を行なわせるものとなっています。1月に最初の巡回区が正式に組織されました。巡回監督自身も数か月間投獄されて,地域大会の直前に釈放されました。新しい人たちさえ,真理の道を実践するゆえに逮捕されることを恐れてはいません。昨奉仕年度中,101名がバプテスマを受け,二つの新しい会衆が設立されました。伝道者は6月に572人の新最高数に達し,会衆の伝道者は野外奉仕に月平均15時間余りを費やして熱意のほどを示しています。聖書研究は1,000件余り報告されていますから,将来の大きな増加が見込まれています」。
[13ページの囲み記事]
親愛なるものみの塔聖書冊子協会へ,
私は12歳です。この7㌦50㌣(約1,200円)の小切手をお贈りしたいと思います。何か必要なことに使ってください。
「ものみの塔」誌や「目ざめよ!」誌に実際の体験談を載せてくださっていることを,この機会に感謝したいと思います。それらの体験談をたいへん楽しく読ませていただいています。
姉妹としての愛と共に,A・O
しんあいなる協会へ,
私は『永遠に生きる』の本が大すきです。私は7さいですが,『永遠に生きる』の本を2しゅうかんで5さつはいふしました。うつくしいさしえをのせてくださってありがとうございます。ほうしはとてもたのしみです。おこづかいのいちぶ[1㌦(約160円)]をおおくりします。
みなさんの友,E・S
親愛なる兄弟たち,
僕の馬を売ったら,同封のお金[50㌦(約8,000円)]が手に入りました。このお金はベテルの建設の業に使っていただきたいと思います。家族で一緒にベテルへ行くのを楽しみにしています。
みなさんがエホバのために行なっておられる良い業すべてに対して感謝します。
さようなら,R・G
親愛なるものみの塔聖書冊子協会へ,
この1㌦40㌣(約224円)のお金は,私がオートミール・レーズン・クッキーを作って得たものです。私は9歳半です。髪はつやつやした短いブロンドで,目はうす茶色です。体重は55ポンド(約25㌔)です。私は4年生で,たくさん読書をします。
M・S
親愛なる兄弟たち,
僕はお金[1㌦(約160円)]を贈りたいと思って,この短い手紙を書いています。みなさんは良い出版物を作ってくださいました。僕はもうじきバプテスマを受けるのを楽しみにしています。僕は真理を知って本当に楽しんでいます。動物たちみんなと遊ぶのを楽しみにしています。
N.
P.S. 切手を入れました。返事をください。
[11ページの図表]
主要な支部における1986奉仕年度の生産量
国名 聖書および書籍 雑誌
米国 27,269,926 201,982,628
ドイツ 6,790,127 26,519,615
イタリア 2,722,200 32,397,550
日本 2,841,739 43,198,566
その他 4,334,311 246,118,096
___________________
合計 43,958,303 550,216,455
増加 23.6% 3.7%
[34-41ページの図表]
全世界のエホバの証人の1986奉仕年度の報告
(出版物を参照)
[7ページの図版]
エホバの証人のジャージー・シティ大会ホールの
ロビー,ギレアデ学校の卒業式に出席した聴衆,玄関入口のひさし,外観,ロビーの壁画の一つ
[9ページの図版]
毎分1,000冊の雑誌が生産される! ものみの塔の4色刷り輪転機
ドイツのゼルターズ,給紙部
日本の海老名,全景
イタリアのローマ,操作盤
米国のウォールキル,排紙部
[18ページの図版]
「神の平和」地域大会
競技場の群衆の典型的な光景,新しい出版物の感動的な発表,オーストリアで使われた“島”型のステージ,バプテスマのさまざまな光景
[24ページの図版]
カナダのバンフ
[26ページの図版]
グアテマラのケサルテナンゴ
[31ページの図版]
クラサオ島のウィレムスタト
[33ページの図版]
ボリビアのラパス
[47ページの図版]
英国のカースル・クーム
[50ページの図版]
ガーナのニャコクワー
[55ページの図版]
大韓民国のソウル
[57ページの図版]
フィジーのスバ
[63ページの図版]
非公式の証言