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    聖書から論じる
    • 世界へ行って生き返ったという幻覚が起こり,意識を取り戻したときにもっともらしい説明がなされる」― 1977年5月28日付,C-1ページ,英文。また,ドイツの医学雑誌,「医学の進歩」誌,第41号,1979年。「今日の心理学」,1981年1月。

      しかし,生き返った人たちの証言は,愛する故人が現われ,その故人から話しかけられたという人によって確証されていないでしょうか

      どうぞ,死者の状態に関して初めのほうで引用した聖句をもう一度お読みください。神の真理のみ言葉は死者の状態についてどんな事を教えていますか。

      それとは逆の事を人間に信じ込ませたいと考えているのはだれですか。エホバがわたしたちの最初の二親に,不従順は死をもたらすことを警告なさった後,それとは反対の事を言ったのはだれでしたか。「[サタンに用いられた]蛇[啓示 12:9参照]は女に言った,『あなた方は決して死ぬようなことはありません』」。(創世 3:4)もちろん,後日,アダムとエバは実際に死にました。体は死んでも人間の霊の部分は生き残るという考えをだれが作り出したと見るのが妥当ですか。すでに見てきたとおり,これは神の言葉が述べている事柄ではありません。古代のイスラエルに与えられた神の律法は,死者と相談する習慣を『汚れた』,「忌むべき」事柄として非としていました。(レビ 19:31。申命 18:10-12。イザヤ 8:19)もし,生きている人たちが,死去した愛する人たちと単に交信していただけだったなら,愛の神がその習慣を非とされたでしょうか。一方,もし,悪霊である霊者たちが死者を装って,あるうそを永続させるような印象を人々の脳裏に伝えて人類を惑わしていたのなら,神がご自分の僕たちをそのような欺まんに惑わされないよう守るのは,愛のある行為ではないでしょうか。―エフェソス 6:11,12。

      エホバの証人はなぜ死者を悼む伝統的な習慣に加わらないのですか

      愛する者の死を嘆き悲しむのは正常なことで,悲しみの気持ちが示されるのはもっともなことです

      イエスの親しい友ラザロが亡くなった後,「イエスは涙を流され(まし)た」。(ヨハネ 11:35)時には,神の僕たちが死に関連してたいへん激しい悲しみを経験したこともあります。―サムエル第二 1:11,12。

      しかし,クリスチャンには復活の希望があるので,こう言われています。「死んで眠っている者たちについてあなた方が知らないでいることを望みません。希望を持たないほかの人々のように悲しむことのないためです」― テサロニケ第一 4:13。

      エホバの僕たちは死と関係のある習慣すべてを退けているわけではありません

      創世 50:2,3: 「ヨセフは自分の僕たち,医者たちに命じて父の遺体の香詰め保存を行なわせた。それで医者たちは……彼のために満四十日をかけた。香詰め保存のためにこれだけの日数をかける習わしなのである」。

      ヨハネ 19:40: 「彼らはイエスの体を取り,埋葬に備えて行なうユダヤ人の習慣どおり,それを香料と一緒に巻き布で巻いた」。

      神を喜ばせようとする人たちは,神の言葉に反する習慣を避けます

      自分の悲しみをおおっぴらに表わすような習慣もあります。しかしイエスはこう言われました。「[悲しみのゆえに]断食をしているときには,偽善者たちのように悲しげな顔をするのをやめなさい。彼らは,断食をしていることが人々に見えるように,自分の顔を醜くするのです。あなた方に真実に言いますが,彼らは自分の報いを全部受けています。しかし,あなたが断食をしているときには,頭に油を塗り,顔を洗いなさい。断食をしていることが,人にではなく,ひそかなところにおられるあなたの父に見えるためです。そうすれば,ひそかに見ておられる父があなたに報いてくださるでしょう」― マタイ 6:16-18。

      また,人間には肉体の死後も生き残る不滅の魂があり,それゆえに故人は遺族が行なっている事を知っているという信仰を反映する習慣もあります。しかし聖書はこう述べています。「死んだ者には何の意識もな(い)」。(伝道 9:5)また,「罪を犯している魂 ― それが死ぬのである」。―エゼキエル 18:4。

      死者は生きている人の助けを必要としているという信仰や,死者をなだめないと,生きている人が危害を加えられるかもしれないという恐れなどから生じた習慣は,少なくありません。しかし,神の言葉は,死者が苦痛も楽しみも経験しないことを示しています。「その霊は出て行き,彼は自分の地面に帰る。その日に彼の考えは滅びうせる」。(詩編 146:4。また,サムエル第二 12:22,23も参照。)また,「その愛も憎しみもねたみも既に滅びうせ,彼らは日の下で行なわれるどんなことにも,定めのない時に至るまでもはや何の分も持たない」。―伝道 9:6。

      もし,こう言われたなら ―

      『それは神のご意志です』

      こう答えられます: 『そのように信じている方はよくいらっしゃいます。しかし,このことについて神ご自身の言われる事柄を調べてみるのは有益なことではないかと思います』。それから,こう付け加えられます: (1)『(創世記 2:17を読む。)父親が息子に,ある特定の事柄を行なったなら,命を失うことになると警告する場合,その父親は息子にそれをさせたいと思っているのだと言えるでしょうか』。(2)『では,人類に関する神のご意志とは実際に何でしょうか。イエスはこのように言われました。「子を見て[すなわち,イエスが本当に神のみ子であることを理解し,認めて]それに信仰を働かせる者がみな永遠の命を持つこと,これがわたしの父のご意志だからです。わたしはその人を終わりの日に復活させます」。(ヨハネ 6:40)』

      『人々はこれからもずっと死んでゆきますよ』

      こう答えられます: 『確かにそれは今日まで人間に起きてきた事柄ですね』。それから,こう付け加えられます: 『しかし,啓示 21章3,4節(あるいは,イザヤ 25章8節)にある,神のなさったこのすばらしい約束に注目してください』。

      『命数が尽きたら死ぬのですよ』

      こう答えられます: 『多くの人々はそのように思っています。古代ギリシャ人の多くも同様な考えを抱いていたことをご存じでしたか。古代のギリシャ人は各々の人間の持つ寿命を決める3人の女神がいると考えていました。しかし,聖書は命に関して非常に異なった見方を示しています』。それから,こう付け加えられます: (1)『(伝道の書 9:11を読む。)例え: 建物からコンクリートの一部が崩れて,通行人の上に落ちるとしましょう。神がそうさせたのでしょうか。もしそうだとすれば,その建物の所有者が過失の罪に問われるのは不公平ではないでしょうか。……聖書が述べるとおり,通行人について言えば,コンクリートが落ちてきた時,実際そこにいたのは,予想外の予見できない事柄でした』。(2)『聖書は,もし私たちが悪い行ないを避けるなら,自分の命を守ることになると教えています。(箴言 16:17)もし,あなたが親でしたら,きっとその原則をお子さんに当てはめられると思います。命を失わせるような事をしないよう,お子さんに警告なさるでしょう。エホバは今日,全人類のためにそれと同様の事を行なっておられるのです』。(3)『エホバは将来に控えている事柄をご存じです。エホバは私たちがどうすれば,神の述べる事を無視する人々よりもずっと長く命を享受できるかを聖書によって私たちに教えておられます。(ヨハネ 17:3。箴言 12:28)』(また,主要な見出し,「運命」の項も参照。)

  • 地獄
    聖書から論じる
    • 地獄

      定義: 「地獄」という言葉は多くの聖書翻訳に見られます。他の翻訳は同じ節のその言葉を「墓」,「死者の世界」などと訳しています。中には,「地獄」と訳されることのある原語を単に翻字しているだけの聖書もあります。つまり,その言葉を翻訳せずに,そのまま他の言語のアルファベットの字母で書き換えています。それはどんな言葉ですか。そのヘブライ語のシェオールと,それに対応するギリシャ語のハーイデースは,個人の埋葬場所ではなく,死んだ人間の共通の墓を指しています。ギリシャ語のゲエンナは永遠の滅びの象徴として用いられています。しかし,キリスト教世界でも,またキリスト教ではない他の多くの宗教でも,地獄とは悪霊の住む所で,邪悪な人々が死後,処罰される場所であると教えられています。(また,中には,責め苦を伴う所だと信じている人もいます。)

      聖書は死者が苦痛を経験するかどうかを示していますか

      伝道 9:5,10: 「生きている者は自分が死ぬことを知っている。しかし,死んだ者には何の意識もな(い)。……あなたの手のなし得るすべてのことを力の限りを尽くして行なえ。シェオル*,すなわちあなたの行こうとしている場所には,業も企ても知識も知恵もないからである」。(もし死者には何の意識もないのなら,明らかに何の苦痛もありません。)(*「シェオル」,ア標,新英,エルサレム; 「墓」,欽定; 「地獄」,ドウェー; 「陰府」,口語; 「死者の世界」,今英; 「黄泉」,バルバロ。)

      詩編 146:4: 「その霊は出て行き,彼は自分の地面に帰る。その日に彼の考え*は滅びうせる」。(*「考え」,欽定,ドウェーでは145:4; 「企て」,エルサレム,バルバロ; 「もろもろの計画」,改標,口語。)

      聖書は,体が死んだ後に魂が生き残ることを示唆していますか

      エゼキエル 18:4: 「罪を犯している魂* ― それが死ぬのである」。(*「魂」,

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