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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1985
塔85 3/15 10–15ページ

全宇宙の組織者と共に働く

「わたしたちは神と共に働く者だからです。あなた方は耕やされている神の畑,神の建物です」― コリント第一 3:9。

1 60年余り前に述べられたどんな表現が,それを聞いた人たちに感銘を与えましたか。それは,当時の熱心な聖書研究者たちにどんな影響を与えましたか。

「神の組織」。この表現は今から60年余り前,ベテルの食卓で日々の聖句の討議を行なっていた時に,ものみの塔協会の編集委員の一人によって用いられました。この言葉は,ニューヨークのブルックリンにある本部の家族に深い感銘を与えました。「神の組織」というその独特な言葉は,これら聖書研究者たちのその後の考え,話,執筆活動を導くものとなりました。そして,全創造物に関する彼らの霊的な視界を広げ,エホバ神つまり宇宙のすばらしい組織者に対する彼らの態度に少なからぬ影響を及ぼしました。

2 ギリシャ語の語源に示されている通り,「organization(組織)」という語はどのように定義できますか。

2 今日,そのような話は不思議に思えるかもしれません。「組織」という語はエホバの証人の間でいつも用いられているからです。証人たちは宇宙を組織された方と共に働く特権を大切にしています。(コリント第一 3:5-9)「組織」という語に相当する英語の「organization」はギリシャ語のオルガノンから派生しています。その語はとりわけ,業を成し遂げる際に用いられる道具あるいは器具を意味します。そしてこの語はセプトゥアギンタ訳に幾度も表われ,ダビデのたて琴のような楽器を指すのに用いられています。この語の語根は,“業”を意味する名詞エルゴンです。したがって組織とは,考え得る最善の仕方で,また時間とエネルギーの消費量を最小限にとどめて何かを行なう,あるいは完成させるために実施される物事の取り決めのことです。

組織に関する初期の見方

3 本誌の1883年3月号は,「我々の組織」について何と述べましたか。

3 しかし,ずっと前,聖書研究者たちは「組織」という語を適用することに関して多少の困難を抱えていました。例えば「ものみの塔」誌(英文)の1883年3月号の中では,次のように述べられています。

「しかし,啓発を受けていない人は,神の霊の事柄を理解できないゆえに,我々の組織を見ることはできないが,読者は,真の教会が非常に効率よく組織されており,業を行なうために考え得る最善の秩序を保っていることを見ることができるものと我々は信ずる。……我々は,我々の指揮官に限りない信仰を抱いており,この世の目には見えないこの完全な組織は,確実で栄光ある勝利へと行進している」。

4 本誌の1894年12月1日号には,組織することに関してどんな見方が示されましたか。

4 ところが,「ものみの塔」誌1894年12月1日号はこう述べました。

「しかし,新たな福音天啓法時代の教会を組織する業が古いユダヤ人天啓法時代の収穫の業の一部ではなかったのと同様,福音天啓法時代の現在の収穫の業,つまり刈り入れも,今や近づきつつある新しい千年期天啓法時代の業とは区別され,異なっている。……そのような集め出された者たちから成る,目に見える組織を形成することが,神のご計画の精神と調和しないことは明らかである。そして,そのように組織を形成するとしたら,教会の側に,組織とか連盟とかいう今流行の概念に迎合する気持ちがあることを示すことになるように思われる。(イザヤ 8:12参照。)今の業は,組織することではなく,ユダヤ人の本来の収穫の場合と同じように,分けることなのである。(マタイ 10:34-36)……

「それゆえに我々は,もう一つの時代のため一つの組織としてここにとどまることを期待するかのように,集められた者たちから成る目に見える組織を,収穫の業における主のご計画の一部とは考えないが,主を愛する者たちが自分たちに共通の希望や喜び,また試みや悩みについてしばしば話し合い,主の言葉の貴重な事柄に関する親しい交わりを持つことは主のご意志であると考える」。

5 組織に関し,「新しい創造」という本の中ではどんなことが述べられましたか。

5 ですから,当時のクリスチャン会衆は組織であるとはみなされていませんでした。しかし,会衆,つまりエクレシアを秩序だったものにすることは十分に考慮されました。例えば,1904年に発行された「聖書研究第5巻,新しい創造」という本には,「新しい創造物の組織」という題が付され,その冒頭にはこう述べられていました。「新しい創造物が第一の復活までは完全,あるいは完成の域に達しないのと同じように,その組織も,その時まで完成の域には達しない。神殿はこの点を例証している。我々は生ける石として,今その栄光ある神殿の様々な場所に召され,あるいは招かれている」。

6 「御国の来たらんことを」という本は,「新しい創造物」の成員の「母」の実体をどのように示しましたか。

6 興味深いことに,1891年に発行された「御国の来たらんことを」と題する書籍は,「新しい創造物」のこれら油そそがれた者たちに関してこう述べました。「使徒パウロは,イザヤ 54章1節から8節に関して,超人間的な知恵の光を投げかけ,それをサラによって象徴される霊的なシオンに,すなわち我々の母つまり契約に適用した。アブラハムの肉的な胤は,すでにその約束の相続人の立場から除外され,真の胤であるキリスト(イサクとリベカによって予表されていた)は,約束の唯一の胤として受け入れられていた。―ガラテア 4:22,24,26-31」。

7,8 クリスチャン会衆の「母」の夫とはだれですか。イザヤ 54章1-8節はこの点について何と述べていますか。

7 この陳述は,1897年にテオドール・ヘルツルが創設したシオニスト世界組織とは何の関係もありませんでした。その組織は,クリスチャン会衆の「母」である「上なるエルサレム」ではなく,この地上にある下のエルサレムと関係したものでした。(ガラテア 4:26)「御国の来たらんことを」という本は,クリスチャン会衆の「母」の夫たる所有者が,アブラハムによって表わされていた神であるという事実を発展させたわけではありませんでした。エホバは,アブラハム契約や新しい契約と結婚しておられるのではなく,イサクの母サラが表わしていた「上なるエルサレム」と結婚しておられるのです。「母」である「上なるエルサレム」は,サラと同じように生きているもの,人格を持つものであるに違いありません。

8 では,「上なるエルサレム」とはだれですか。それを知るために,イザヤ 54章1節から8節をまず考慮してみましょう。その聖句は一部次の通りです。

「『子を産まなかったうまずめよ,喜び叫べ! 子を産む苦しみを味わったことのない者よ,歓呼して快活になれ。甲高く叫べ。荒廃させられた者の子らは,夫たる所有者を持つ女の子らよりも多いからである』と,エホバは言われた。……『あなたの偉大な造り主はあなたの夫たる所有者,その名は万軍のエホバである。イスラエルの聖なる方はあなたを買い戻す方。その方は全地の神と呼ばれるであろう。エホバはあなたを,あたかも完全に捨てられ,霊の傷ついた妻であるかのように,また,若い時の妻でありながら,やがて退けられた者のように呼ばれたからである』と,あなたの神は言われた。『わたしは少しの間あなたを完全に捨てたが,大いなる憐れみをもってあなたを集める。わたしはしばしの間,あふれる憤りをもってあなたから顔を覆い隠した。しかし,定めのない時まで続く愛ある親切をもってあなたを憐れむであろう』と,あなたを買い戻す方,エホバは言われた」。

9 (イ)エホバはイザヤ 54章1-8節で,だれ,あるいは何に対して慰めの言葉を語っておられますか。(ロ)ガラテア 4章25,26節によると,対型として呼びかけられている比喩的な「女」とはだれですか。

9 この最初のところで,エホバは契約に話しておられるのではありません。ご自身とのモーセの律法契約に入っている一つの国民,ご自身の選ばれた民に呼びかけておられたのです。神の観点からするとその国民は,神にとって妻のような複合の「女」を構成していました。ガラテア人へのパウロの手紙によれば,その比喩的な「女」は予型的なものですが,パウロはその女が一つの契約,あるいは約束であるとは述べていません。契約を慰めたり励ましたりすることはできません。パウロはむしろ,「夫たる所有者」であるエホバが,慰めを与えるだけの知性と能力をお持ちになる人格神として生きておられるように,対型的な「女」も「母」のように生きたものであることを示しています。同使徒は,古代史に出てくる女について語り,こう書きました。「そこで,このハガル[アブラハムによりイシュマエルを産み,女主人サラの代理をした奴隷女]は,アラビアにある山シナイを表わし,今日[パウロが地上にいた当時]のエルサレムに当たります。彼女は自分の子供たちと共に[モーセの律法契約に対して]奴隷の身分にあるからです。それに対し,上なるエルサレムは自由であって,それがわたしたちの母です」― ガラテア 4:25,26。

奴隷の身分にあるエルサレム

10,11 (イ)イスラエル人に関係したどんな意義深い出来事がシナイ山で生じましたか。(ロ)律法契約に関して,西暦33年に何が生じましたか。

10 ハガルは,モーセの律法契約の予型でもなく,その律法契約を表わしているわけでもありません。それに,十戒が含まれるその契約は,ハガルに相当するシナイ山によって表わされているのでもありません。言うまでもなく,神はシナイ山とどんな契約も結ばれませんでした。しかし,神がエジプト人の束縛から自由にしたイスラエル人をご自身との契約関係に入れられ,イスラエル人を自由な国民として扱われたのはそのシナイ山でのことでした。そのことが生じたのは,神がアブラハムとの片務契約を結び,アブラハムに男子の胤を約束されてから幾世紀もあとのことでした。

11 律法契約の仲介者であったモーセがシナイ山から下りて来た時,その顔は超人間的な非常に明るい輝きを放っていたので,モーセはイスラエル人が自分を見ることができるよう,ベールを掛けなければなりませんでした。(コリント第二 3:12-16)しかしモーセは,シナイ山の上で直接エホバと接触したわけではありません。神は一人のみ使いを通してイスラエル人との契約に入られたからです。(使徒 7:37,38。ヘブライ 2:2)このようにしてイスラエル国民は律法契約に服するようになりましたが,その契約は幾世紀も後の西暦33年にイエスの苦しみの杭にくぎづけにされ,取り除かれました。―コロサイ 2:13,14。

12 (イ)地上のエルサレムはだれの「母」ですか。(ロ)地上のエルサレムは19世紀前,何に隷属していましたか。エルサレムが少しも自由にされなかったのはなぜですか。

12 シナイ山はパウロの時代の下のエルサレムに相当するとパウロは書きました。もちろん,エルサレムは契約ではなく,ユダヤ人の住民が住んでいた,重んじられていた都市でした。それは首都として国民を代表し,「子供たち」の,つまりユダヤあるいはイスラエル国民の成員すべての象徴的な「母」でした。(マタイ 23:37)エルサレムにはエホバ神の神殿が建っており,イスラエル人はその神と契約関係にありました。ところが,ユダヤ人の民は当時,ダビデ王の子孫が支配する自らの独立した王国を持っていませんでした。したがって,彼らは自由ではなく,異邦人の政治的な権威に隷属していたのです。さらに重要なこととして,ユダヤ人は宗教的に奴隷の身分にありました。約束されたメシア,イエス・キリストだけが,罪への奴隷状態とその宗教的な奴隷の身分から彼らを自由にすることができました。しかし,そのエルサレムはイエスをメシアまた王として受け入れなかったので,少しも自由にはされませんでした。それどころか,西暦70年にローマ人の手にかかって滅びうせ,その「子供たち」には災いが及びました。

自由なエルサレム

13 パウロは自由なエルサレムについて何と述べましたか。そしてその「子供たち」は何から自由にされ,堅く立つべきですか。

13 パウロは,奴隷の身分にある地上のエルサレムを,「自由」な「上なるエルサレム」と対照させました。そしてイザヤ 54章1節から8節を引用してこう書きました。

「それに対し,上なるエルサレムは自由であって,それがわたしたちの母です。というのは,こう書かれているからです。『喜べ,子を産まないうまずめよ。声を上げて高らかに叫べ,産みの苦しみのない女よ。見捨てられた女の子供らは,夫のいる女の子供らよりも多いからである』。そこで,兄弟たち,わたしたちは,イサクと同じように約束に属する子供です。しかし,その当時,肉の方法で生まれた者が霊の方法で生まれた者を迫害するようになりましたが,今もそれと同じです。しかしながら,聖書は何と言っていますか。『下女とその子とを追い出しなさい。下女の子が自由の女の子と一緒に相続人となることは決してないからです』。それゆえ,兄弟たち,わたしたちは,下女の子供ではなく,自由の女の子供なのです。キリストは,このような自由のためにわたしたちを自由にしてくださったのです。ですから,堅く立って,再び奴隷のくびきにつながれないようにしなさい」― ガラテア 4:26-5:1。

14 イサクの誕生が「霊の方法」によるものであったとなぜ言えますか。

14 このように語りかけられたガラテアのクリスチャンは,「[神]の約束の結果としての神の子供たち」でした。(ガラテア 4:28,今日の英語聖書)この点を予影するものとして,100歳のアブラハムと90歳の妻サラからイサクが誕生し,その忠実な族長に対するエホバの約束が成就しました。そうです,アブラハムからイサクが誕生したことは奇跡であり,全く「肉の方法」によるものではありませんでした。(創世記 18:11-15)ですから,それは「霊の方法」によるものでなければなりませんでした。大いなるアブラハムであるエホバ神の霊は,自由な女サラとアブラハムの生殖力を回復させるためにどうしても必要でした。(ローマ 4:19)イサクが西暦前1918年に生まれた時,「約束」そのものが古くなっていなかったことは注目に値します。その年は西暦前1943年,つまりアブラハムが約束されたカナンの地に入り,「約束」が有効となった年のわずか25年後に過ぎなかったからです。

15 どれほどの期間「上なるエルサレム」には子供がありませんでしたか。その子孫の数が多くなり始めたのはいつですか。

15 「上なるエルサレム」は,サラの場合よりもずっと長く「見捨てられ」,いわば子供のない状態でした。実際「上なるエルサレム」は,アブラハムに対する約束が有効となった西暦前1943年から,イエスがバプテスマを受けた西暦29年までそのような状態にありました。イエスが大いなるアブラハムであるエホバの霊によって生み出され,神の霊によって油そそがれ,キリストつまり油そそがれた者,メシアとなったのはその西暦29年のことです。しかし,「上なるエルサレム」には一人と言わず,それ以上の霊的な子供ができることになっていました。それで,イエスの復活と昇天の後,西暦33年のペンテコステの日に,イエスの忠実な弟子たちおよそ120人が大いなるアブラハムの霊によって生み出されました。彼らはその時にあの霊によって油そそがれ,大いなるイサクであるイエス・キリストの霊的な兄弟たちとなりました。その日の後刻,さらに3,000人ほどのユダヤ人がイエスの弟子としてバプテスマを受け,聖霊によって油そそがれました。(使徒 2:1-42)こうしてその日に「上なるエルサレム」は多くの子供たちの「母」となりました。

16 「上なるエルサレム」の実体は何ですか。

16 使徒パウロは,イザヤ 54章1節から8節で呼びかけられている女が「上なるエルサレム」であることを明らかにしています。エホバ神はその女の「夫たる所有者」であり,同時にその女の偉大な造り主です。この女は比喩的に言って,上なる天にある,神の「女」,神の「妻」,すなわち妻のような組織です。神は夫のように,アブラハムの時代に約束された真の「胤」を生み出すためにその女を産出的にされる方です。―ガラテア 3:16,26-29。

17 「上なるエルサレム」はどのように大いなるアブラハムの主要な「胤」の「母」となりましたか。

17 大いなるアブラハムの主要な「胤」となるため,神の独り子はエホバの妻のような天の組織から出て来ました。こうしてこの女は,神のみ子の「母」のようになりました。イエス・キリストは,ご自分が地におられた時代の地上のエルサレムの比喩的な子ではありませんでした。当時のエルサレムはその「子供たち」共々,束縛状態,つまり奴隷の身分にありましたが,イエスが奴隷とされたことは全くなかったからです。(ガラテア 4:25)地上のエルサレムはイエス・キリストを退けた生来のユダヤ人の「母」でした。イエス・キリストは族長アブラハムの約束された「胤」であっただけではなく,大いなるアブラハムであるエホバ神の「胤」でもあったのです。―マタイ 23:37-39。

偉大な組織者と共に働きなさい

18 地上のエルサレムがソロモン王の時代に注目の的となったのはどうしてですか。

18 神の天的組織をご自分の「母」としておられたイエス・キリストは,ソロモン王より偉大で,賢明な方でした。ソロモン王は,ダビデの有名な息子であり,古代の地上のエルサレムを支配していた人です。ソロモンの栄光と知恵は,非イスラエル人の諸国民の注意を確かに引き付けました。イエスが指摘しておられる通りです。「南の女王は裁きの際にこの世代と共によみがえらされ,この世代を罪に定めるでしょう。彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから来たからですが,見よ,ソロモン以上のものがここにいるのです」。(マタイ 12:42。ルカ 11:31)ソロモンの際立った知恵は,ソロモンの管理に関する物事の取り決め方に一部示されています。ソロモンが万事を賢明に組織したことは驚嘆のいわれとなりました。

19 シェバの女王を驚嘆させた,ソロモン王の統治についてはどんな状態が見られましたか。

19 そのため,列王第一 10章4,5節には次のように示されています。「シェバの女王はソロモンのすべての知恵と,彼の建てた家と,その食卓の食物,その僕たちの座っている様,給仕人たちの食卓での奉仕,彼らの衣装,王の飲み物,王がエホバの家でいつもささげるその焼燔の犠牲を見るに及んで,彼女の内にはもはや霊がなかった」。(新世界訳,ロザハム訳,ヤング訳,改訂標準訳,セプトゥアギンタ訳。歴代第二 9:4もご覧ください。)シェバの女王には,ソロモンの召使いの取り決めに感銘を受けるだけの理由がありました。そして,物事を上手に取り決め,適正な秩序を保たせることにおいて,ソロモンは秩序の神と調和していたのです。―コリント第一 14:33。

20 (イ)ソロモンの祈りに答え応じて,エホバはソロモンに何をお与えになりましたか。(ロ)「ソロモン以上のもの」として,イエス・キリストは何を行なわれますか。その追随者たちの歩みはどのようなものですか。

20 エホバはソロモンの謙遜な祈りにこたえて,ソロモンに「賢くて理解のある心」をお与えになりました。(列王第一 3:5-14)全宇宙の偉大な組織者は,適正な秩序を保ち,効率をよくするために物事を組織する能力をソロモンにお与えになりました。ですからエホバの契約の民の王にとって,天と地にあるすべての創造物の神聖な組織者と共に働くことは,責務となりました。同じように,「ソロモン以上のもの」であられる栄光を受けたイエス・キリストも,賢明な態度でそのようにしておられます。そのため,地上にいるその忠実な追随者たちもそうする必要があり,彼らは実際にそうしています。

どのように述べますか

□ あなたは「組織」という語をどのように定義しますか

□ 地上のエルサレムはだれの「母」でしたか。それはどんな奴隷の身分から少しも自由にされませんでしたか

□ 「上なるエルサレム」の実体は何ですか。その「子供たち」とはだれですか

□ ソロモンは神から与えられた知恵をどのように用いましたか。大いなるソロモンとその追随者たちはどんなことを行なっていますか

[12ページの図版]

地上のエルサレムはどのように奴隷の身分にあったか

[14ページの図版]

シェバの女王はソロモンを訪ねて,驚嘆した。ソロモンは宇宙の組織者と共に働いた。あなたもエホバ神と共に働いているだろうか

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